2010年12月25日 (土)

2011名古屋市長選挙(3)

 石田さんの評価が分かれて当然!
 4年前の知事選挙で立ち上がった「石田勝手連」のメーリングリストは、今日まで閉鎖されずに維持されてきた。選挙後暫くは、石田さんの動向も伝わっていたが、最近はごく一部の人の書き込みがあっただけであった。
 それで今回、石田さんが名古屋市長選挙に立候補することが決まったことで、このMLの管理者から、以下のような呼びかけが載せられた。
  「本日、石田さんからみなさんとお話しする機会を設けられないだろうかとの相談を受けました。国会議員になってしまわれた折には、とても残念に思われた方もいらっしゃったかと思いますが、今回、なぜ、この厳しい選挙にあえて挑む決意をされたのか、お話をきいてみませんか?(このまま国会議員で居ることの方がずっと楽なのに・・・) すでに、河村さんの選挙に関わろうとされている方も、是非、一度お話を一緒に聞きましょう。」
 これについてすぐさま反論というか、拒否の書き込みがあった。
 その人をAさんとしよう。Aさんは、河村市長誕生後、議会ウォッチングなどを続け、議員の通信簿をつくるなど、ある意味では最も熱心に河村市政と名古屋市議会を検証してきた一人だったといえよう。そこから得たであろう「確信」は、思い込みや、単なるファン心理からの応援ではないことは確かだと思う。
 Aさんは言う。
 「(石田氏は)結局何がしたいか解からないぶれのある人」「石田芳弘氏の迷走は、4年前知事選で敗れてから衆議院議員へ支持者への詳しい説明もなしに立候補そして、今回の愛知知事選へまた立候補しようとし、そして名古屋市長選へと、結局何がしたいのかその都度周りの状況で自分の行き方をころころ変えられる人物」「河村市長より改革派などとよく言えたものです。・・・石田氏はいわゆる凡人つまり常識人です。今回の出馬までのゆれ方を観ればよく分かります。」
 文中のAさんの感情的表現は省いたが、かなり怒っていることがうかがえる。
 一方、河村市長をどう評価しているのか。「河村市長辞任の理由がぶれているといいますが、市民から観たらぶれてなんかいません。基本的にはこの1年半に亘って河村市長マニフェストが議会によって阻まれほとんど実現しないから市民に再度信を問うという一貫した信念が貫かれています。」「非常識なことをするのが改革ですから常識に縛られた人がリーダーになったのでは必ず失敗します。」河村氏こそ非常識な人、天才に近い政治家です。だから変革、革命ができるのです。・・・
 Aさんと直接話をしたわけではないから、ここで片言隻句のあれこれを言うつもりはない。だから、私はどう思うかということを書くこととする。
 見出しにも書いたが私は、「石田さんの評価が分かれて当然!」と思っている。その理由は、二つの観点から考えられるだろう。
 一つはやはり、「転進」についてだ。私は20日のこの欄で「石田芳弘氏の迷い」について書いたが、同じようなものかもしれないが「ぶれている」とは書かなかった。その理由は、「石田氏はとにかく、地方の自治行政を自分の手でやりたいのだ。“手応えのある行政”を実感してみたいのだと思う。」そう思ったからこそ私は、一新人議員だけの衆院選に転進することに反対した。そのことを本人の前で2度も発言した。しかし、政治家としてどの局面で自分を売り出すというか、「場」を求めるかということは、絶えず機会をうかがっていて当然だ。国会議員が新党をつくり、あるいは連合し、あるいは参院から衆院へ鞍替えするのも、議員としての頂上、少なくとも大臣、できれば総理大臣までのぼりつめたいというものであり、そのような「信念」を持って当然であるし、持たないのなら市民運動家として在野で活動すればいい。
 信念を野望と言い換えることもできないこともないが、それはその政治家・議員の能力など人物評価をするほかない。
 もう一つは、政治姿勢、政策という観点からである。
 私の立場は、大局的にいえば、政治は「反自民非共産」であり、労働運動の観点からは「(旧)反民社・同盟路線」であって、基本的には、今も変わらない。変化があったとすれば「反」が薄れて、「可能性の選択」「できれば対案を用意」をするようになったことだと思う。民主党の中身(議員の出自)を見たら、とても民主党なんて支持はできない。しかし、自民党政権は変わってほしいという「政権交代」が最優先で、民主党候補に投票するようになった。
 また、地方自治体については、首長には、中央官僚からの出身者、貧弱な議員活動、党内からのボス的な候補者、タレント出身(能力があれば別、知名度だけの人)は、支持しないできた。一方議員、議会については、枚挙にいとまがないくらい注文をつけたいことばかりである。だから議会改革を掲げた河村に大いに期待するものがあった。
 さて、今回の選挙では、それぞれの政策の検討は不十分ではあるが、御園知事候補、石田市長候補を支持することにしている。
 知事選では、神田県政の流れを断ち切りたいのがその一つ(御園氏の神田亜流を感じて不満ではあるが)、大村にはなってほしくない。
 では市長選でなぜ河村に行かないのか。2009年の市長選挙の折り、20人程度の、緑区の個人懇談会の場で私は、いくつか要望した中で、「市の借金を減らすべきではないか」と質問したところ、これは去る11月市議会で河村市長の、議案の提案説明で「金融機関で余っているお金を国、地方を問わず、政府部門が積極的に使わないと(つまり市債を買ってもらわないと)、経済はますます総崩れとなる。・・・市民生活、地域経済を支えるため・・・必要な市債は堂々と発行したうえで大胆な経済対策を実施・・・」(「民主」号外、斉藤亮人事務所発行から)と発言したという、これと同じ答えが当時も返ってきたことを、質問をしたこともあって今も鮮明に覚えている。
 これの更なる説明は省くが、私はその時、河村の財政政策に×のチェックを入れたが、「反自民」の立場から河村を支持した。
 議員歳費、議員定数それぞれの削減には賛成、ただし市民派議員の活躍を阻害するような案には対案を示して、距離を置いた。地域委員会については、基本的に賛成であるが、区政協力委員会という既成の組織の抵抗が強いであろうから、拙速は避ける。将来的にはボランティアの夜間、休日区議会を提案。
 というような事例を並べていくと甲乙つけがたいが、最後は、市議会リコールの署名運動で「受任者」にならなかったという意識を背景に、河村か石田かの「人物評価」になり、ここでは詳しく触れなかったが、4年前の知事選の石田評価は強烈に残っていて、前回には程遠いが、石田芳弘氏支持を決めたのである。

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2008年6月15日 (日)

マスコミ報道はどこまで・・・

府警西成署の「暴力」は事実か
 昨日の毎日新聞夕刊の社会面、左下に「西成署前200人騒動」という見出しで、「10人逮捕『暴行受けたと抗議』」とあり、事件のいきさつが書かれてその最後に、当人の男性が「取り調べで首を絞められた」と主張したのに対し、府警は、暴力などについては「まったく事実無根」としている、と記されていた。
 この新聞記事を読んだ人でも、大阪での出来事、目撃しているわけでもないし、もし「西成署」から何も連想できなければ、読み過ごしてしまうかもしれない。私自身も新聞以外に情報を得る手立てはない・・・。
 今朝になって知人からメールが入った。それによると「マスコミで釜が崎でのことが報道されていますが、なぜ労働者が抗議行動をしているのかがあまり報道されていません。警察が横暴な行為をしても、ほとんど報じられません。特に釜が崎などでのことでは。以下は、メールに流れているものから、私の責任で勝手に編集したものです。参考になれば幸いです。」とあり、以下がその内容である。一部を省略して転載するので、どう受け止めるかは、それぞれということになる。
1.「釜ヶ崎地域合同労働組合・釜ヶ崎炊き出しの会」のビラより
 6月12日午後2時ごろ、鶴見橋商店街のお好み焼き屋に行った労働者は「4時に来るからお好み焼きを焼いておいて」と女性店員に700円を渡しました。店員が「わかった、わかった」とつっけんどんに言うので「なんでそんな言い方されるのか」と内心カチンときましたが黙って立ち去りました。
 4時ごろお好み焼きを受け取りに行ったとき、さきほどの態度に納得いかず苦情を言ったところ、店員は「営業妨害だ」と言って警察に電話しました。労働者はパトカーが来るまでの間も、また到着したパトカーの署員にいきさつを話すときも、お好み焼き屋の道路向かいに立っていました。労働者はパトカーの署員にいきさつを話しましたが、そのまま西成警察に連れて行かれました。
 どうでも言い話ですが、店員は労働者に700円を返しましたが、注文のお好み焼きを作っていたかどうかもわかりません。お好み焼き屋は労働者の話をまともに聞く気がなく、ぞんざいな態度をとったのです。お好み焼き屋に問題があります。
 パトカーに乗せられた労働者は西成警察署の3階の個室に連れて行かれました。イスに座っていたら4人の刑事に変わるがわる顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、気がつくとまた暴行。挙句の果ては両足持たれて逆さ吊りにされました。1人の人を寄ってたかって暴行したのです。暴力飯場、しのぎ(路上強盗)もひどいけど、西成警察はそれよりもつとひどい。
 また、労働者は刑事から「生活保護打ち切ったろうか。『今後そのお好み焼き屋には近づかない』と始末書書いたら打ち切らん」と言われ、始末書を書かされています。
 昨日、西成警察署前に多くの労働者が結集して「暴力警官は謝罪せよ」「署長は出てきて謝れ」と抗議しました。抗議行動は9時間行われ、負傷した労働者は救急車を呼んで病院へと向かいました。さらなる西成警察署の暴力弾圧に負けず、労働者の団結で最後まで闘いぬきましよう。
 なお、抗議行動で不当に逮捕された人については弁護士の接見等救援の体勢を早急に取ります。
                                                         2008年6月14日
 
2.現場を通った人の話
(前文略)・・・ぼくはたまたま大国町に行かねばならない用事があり、それを見ながら通り過ぎていたのだが、打ち合わせが終わった帰りの午後8時半ごろ、出城の交差点過ぎて、南海線のガードに近づくと、機動隊が1個小隊、整列して待機しているのに出くわし、まだやってるのかと思って現場に行くと、300人は下らない労働者が西成署を取り囲んでいる所だった。街宣による抗議は7時半くらいにいったん終り、いつもなら抗議が終わったら自然に人も引いて行くのだが、今回は激しくなるばかり。それで、ひょっとして誰か持って行かれたんやないかと思い、知った面々をつかまえて聞いてみると、それはなかった。
抗議していた面々や、暴行を受けた当事者の人とも会い、殴られて腫れ上がった顔や、縄で締められた跡が生々しい首などを見せてくれた。
警察の取り調べで紐で首を締めるか?普通。付き添って行った人の話だと、病院の医師も「これはやりすぎや」と言っていたという。
(中略)
  深夜のNHKのローカルニュースによると、警官4人が怪我、逮捕者は7人。いずれも公務執行妨害か、建造物不法侵入。原因については、飲食店でトラブルを起こした労働者が取調べを受けたことをきっかけに、地域の労働組合が呼びかけて騒ぎが始まったとし、労働者が警官に暴行を受けたことはひと言も言っていなかった。

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2007年11月10日 (土)

寄稿・ゴメンなすって 世渡り残日録⑧

  日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ
  この連載も最終回となった。それにふさわしい原稿は何か?
  迷ったが、自分の生き方のことを書くことにした。それは同時に、このコラムを任せてくれた編集長、あるいは読者仲間と相通じるものがある気がするからだ。
  当欄のサブタイトル「世渡り残日録」の「残日録」は、実は藤沢周平さんの小説「三屋清左衛門残日録」から頂戴している。
  小説を読む機会はなかったが、かなり以前に放映されたNHKの連続ドラマを見て、共感を覚えた。舞台は周平さんが描く東北のとある小藩。定年退職した元お側用人を仲代達矢さんが演じ、魅力にあふれていた。
  「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」はドラマの冒頭に出てくる彼の独白。
  六十六の齢を数える自分だが、心境はまさに「日残リテ昏ルルニ未ダ遠シ」だ。

  最近、魅力を感じる言葉に「人間性」がある。そして「正義」「真理」がある。いずれも手垢がついた言葉で、特別に目新しくはない。
  若い時代好きだったのは「左翼」「世直し」「実力行使」などなど。なぜ年をとって変わったのか。人間が丸くなってしまったのか。いや、確かにそれもある。

  ショッキングな出来ごとがあった。岐阜県庁の「裏金」問題だ。裏金そのものに社会の腐敗そのものを感じるが、それ以上に頭に来たのは、裏金の片棒ならぬ全部を担いだのが、ほかならぬ労働組合だったという事実だ。
  労働運動に身を投じた自分にとって「労働組合」は「左翼」「世直し」とある意味で同義語だった。

  「組合」だ「経営者」だ、の領域では考えられない出来ないことにも最近遭遇している。
 地元で、「杉山邸」という古民家の保存と活用に取り組んでいるが、その杉山邸の持ち主がほかならぬ岐阜新聞岐阜放送の会長、杉山幹夫さんだ。
  ご当人とは、私が同社の委員長をしている時、社長の杉山さんと対峙し団交のテーブルを叩き合った仲だ。三日間のストを打ったのだから、半端じゃなかった。
  ところが今、過去の恩讐を越えて地域の活性化に手を携えているのだから、歴史は面白い。

  こうしたことを思う時、物ごとの価値判断を「右」だ「左」だ、と皮相的に決め付けてきたことが、間違っていたのでは、と痛感している。
  価値判断は、もっとベーシックにとらえるべきだ。「人間性」「正義」「真理」はこうしたカテゴリーに入る言葉ではなかろうか。
  若い時に次々と現れる社会の課題に立ち向かった姿勢を今さら、否定はしまい。しかし、これからは、ベーシックな価値判断を胸に「地域」「足元」に眼差しを置いて生きていくべきではないのか。
 少なくとも、自分に関しては…。
                   (フリージャーナリスト・イカロス)

           〈「緑ネット・第79号」2007年11月1日から〉 
 別れは出会いの初めかも
 「緑ネット」発足当時の主要メンバーで、これまで何かと支えて戴いたメンバー二人と、食事会を持つことが決った。
 お二人とも、そんなに遠くない時期に、この緑区を離れることになると聞いているので、「お別れ会」の意味もある。「緑ネット」の10年に充実感を覚えているので、寂しさはあるものの、その時期が訪れただけかもしれないと言い聞かせている。
 そうである一方、去る10月10日付で、「雑談の櫂」という小冊子を試みにつくり、限られた周辺のみに手渡したりしている。この冊子は、詩、随筆、映画評など「文学系」が主たる内容で、この先、居住地周辺のみなさんに読んでもらえればいいなと思っている。そして、何かのきっかけで「文学好き」が集まって「文学雑談の会」でもできれば、また、新しい世界が開けるかな、そんな期待がないでもない。
 「会うは別れのはじめ」とか。それを引き継げば「別れは出会いのはじめ」といえるかもしれない。

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2007年9月13日 (木)

寄稿・ゴメンなすって 世渡り残日録⑦

 リサイクルのゴミ現場にて
 私が住む岐阜県笠松町では、各町内に分別ゴミの回収拠点がある。
 連日の猛暑でペットボトル、ビール缶の何と多いことか。百世帯の家庭から出てきたその量は、でかいネット袋に十以上。ゴミ回収拠点は、庶民の生活ぶりを反映する最前線といえる。

 作業を手伝いながら、二つの感慨にとらわれた。
 一つは「生活ぶりが丸裸になっちゃうな」という思いだ。例えば缶ビール。銘柄が一目でわかる。「ほう、○○さんちはエビスか。わが家は発泡酒しか飲めないのに」と、いった調子。
 最近、町内名簿が配られなくなった。個人情報保護法に配慮してのものだとか。
 しかし個人情報の保護というのなら、ゴミから見えてくるプライバシーの方が問題ではないのか。

 もう一つの感慨は、リサイクルに取り組む行政側の問題だ。
 笠松町の人口は二万二千人。一昨年からゴミ分別を始め、二年間で三千四百万円のゴミ処理をめぐって節約できている。節約というのは資源に振り向けたことによって焼却費用が浮いた分、そして資源として業者に買い取ってもらった分の合計額だ。
 これは、ある意味すごい額だ。ところが行政は、町民感情に気づかいを見せない。
もし「皆さんのご協力で三千四百万円もが節約できた。この汗で生み出したお金は住民の方々に還元したい。どう遣うか皆さんの提案をお待ちします」とやれば、町民は自分たちが取り組んできたことに、達成感と大きな意味合いを感じるに違いない。

 リサイクル業者に最近、こんな話を聞いた。「個人情報保護や機密保持のためにシュレッダーが活躍している。ところがこれが困る。紙は繊維質で出来ていて、その繊維質を生かして再生紙を作る。ところがシュレッダーはその繊維質をバラバラに切断してしまう」。

 どんな銘柄のビールを飲んでいるのか、知られるのはいい気はしない。しかし昔、夕飯のおかずのおすそ分けする「ご近所つきあい」の風潮があった。心の通い合いがあった。それを思えば、どうってことはない。
 むしろ、町のどこに独居老人や障害のある人が住んでいるのか分からない個人情報保護の方が困ったものだ。地震に見舞われたらどう、救出したらいいのだ。
 「ツン」とすまして、官民協働の姿勢がない行政にも困ったものだ。

 切り刻むシュレッダーではないが、リサイクルを必要としているのは、実は物ではなく、人間と人間の感情の方ではないのだろうか。(フリージャーナリスト・イカロス)
  
<「緑ネット・第78号」2007年9月1日から>


 

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2007年7月14日 (土)

寄稿・ゴメンなすって 世渡り残日録⑥

 あなたの街の「民度」は?
 
最近、リーダーが小粒になった気がしてならない。その最たるものが、首相の安倍だ。
誰かが言った。玄関を開けて「こんにちは」と言ったら、すぐ裏口に出てしまう。そんな薄っぺらい存在だと。
 その取り巻きの閣僚がまたお粗末。「ナントカ水」で死んだ大臣などなど。
 「その国のトップは、その国の民度にあったトップしかいただけない」の言葉があるが、それを思うと、日本の民度もここまで低落してしまったのか。
 私の住んでいる岐阜・笠松町で町長選挙が告示になった。八年ぶりの選挙、それも現職と有力町議の一騎打ち。
 「笠松を語り継ぐ会」の代表をやっていることもあって、私は両候補にアンケートをやろう、と周囲に諮った。
 反応が悪い。
 「何故やるの?」「あんたが言うのなら、やってもいいよ」の感じだ。
 財政難を口実に、二期に渡って何もしない現職。対抗馬も議会に席を置いて、それを認めて来たのだから同罪かも知れない。
 それにしても、皆のアンケートに対する反応の悪さの方が気に入らない。
 どうみても、「町政はこんなものだ」と、あきらめムードが先行している。
 何もやらない町長に、刃を突きつける意味もあるが、町民に刃を突きつけたい気持ちの方が強くなった。
 「おれたちは主権者。堂々と主権者の権利を主張できるんだよ」と。
 戸惑う両候補に難問を突きつけて、とにもかくにもアンケートを取り付けた。あす岐阜県政の記者クラブへ乗り込んで、記者発表しようと思う。
 アンケートを迫られたこともあって、両候補は今流行のマニュフェストを発表しだした。これが、また抽象的なミョウチクリンなもの。
 まあ、ミョウチクリンでも無いよりはいいか。これもアンケート効果の一つかも知れないから。
 アンケート回答を取りに現職の選挙事務所にいったら、これがまたガク然。顔見知りの商売屋さんがゴロゴロ。これも食っていくためのゴマすりか。
 「こんな選挙をやっていては、救われんな」とため息が出た。
 そう言えば、少し前に「高橋さん、町長選に出ない?」と水を傾けられたことがあった。  「サラサラなし」と答えたが、こうなったら、住民の意識改革のために、自分が首長になった方が早いのかも。
 いや、それは冗談。しかし事態は深刻だ。 (フリージャーナリスト・イカロス)
 
<「緑ネット・第77号」2007年7月7日から>
 

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2007年5月 4日 (金)

寄稿・ゴメンなすって・世渡り残日録⑤

 「鮎鮨献上」と鵜飼の盛衰
 先回に続いて「長良川のアユ」、ついて―。
 長良川は鵜飼で全国的に有名だが、鵜がアユを捕らえて浮上して来ることはまれ。今や「見せ鵜飼」に過ぎない。
 それを反映して、往時三十万人を数えた年間の観覧乗船者数は今、十万人に落ち込んでいる。
 この鵜飼を壊滅に追い込んだのは、先回紹介した河口堰。要するに「お上」の仕業だ。
 しかし皮肉なことに「長良川の鵜飼」をここまで育てたのは他ならない将軍家という「お上」だったことを、最近詳しく知った。
 江戸時代、鵜飼でとれたアユは鮎鮨(あゆずし)に加工されて、約二百五十年間にわたって将軍に献上された。岐阜から江戸幕府まで四十六の宿場をバトンリレーし、五日間の「早駆け」で将軍の食卓に届けたのだ。
 四十六の宿場をつなぐルートは、「鮎鮨街道」、あるいは「御鮨街道」と呼ばれる。
 長良川畔の「お鮨元」を出た鮨は、加納―笠松を経て木曽川を渡って尾張藩に入る。一宮―稲沢―清洲―枇杷島を経由、名古屋城を左手に見て南下。大須―金山を通って熱田に出る。ここからは東海道のルートで一路江戸へ。
 鮎鮨献上は「大阪の陣」に勝利した家康が途中立ち寄って鵜飼見物し、その際賞味した鮎鮨が気に入ったことが発端だという。
 美濃を事実上牛耳っていた尾張藩が、歴代の将軍にゴマすりのために献上を続けた。
 鮎鮨を運んだのは、もちろん百姓、商人らだ。私が住む笠松町には旧家「高嶋家」があり古文書「鮎鮨役人足帳」が残っている。夏場という農繁期に人足集めは大変だった。
 狩り出し人足の中には、「ゆか」や「ひな」の女性の名前、「○○の後家」という名も。男だけでは賄い切れなかったのだろう。
 庶民の厳しい苦役が、将軍や大奥のグルメを保証していたのだ。
 そして鵜飼は昔、全国各地で行われていたが、岐阜が今にその名を馳せている理由は、この鮎鮨献上にあった。
 幕府は鮎鮨のアユをまかなう鵜匠に特別な保証を与えた。長良川筋の漁業権はもちろん、給付米を与えてきた。
 アユシーズンの夏場三か月に、鮎鮨用に捕獲されたアユは五千七百尾。それも良型のアユばかり。この数をそろえるのに苦労したことだろう。

 しかし、今やこれだけ大事にしたアユなど見向きもせず、時代が変われば河川の水や土木の利権にぎらついた目を向ける「お上」。
 為政者とは何と傲慢で、あさましいものか。
  (フリージャーナリスト・イカロス)

 

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2007年4月10日 (火)

寄稿・ゴメンなすって・世渡り残日録④

 アユが教えてくれること
 桜の花が咲き始めるころになると、稚アユが川を遡上しだす。アユ好きなので心が躍る季節だ。
 アユは「年魚」ともいい、海から遡上し上・中流で育ち、秋口に下流へくだって産卵し、一年で一生を終える。卵はすぐにかえって「仔(し)アユ」となって海に下り、翌年に遡上する。
 ところが河川がダムによって寸断され、アユがのぼれない。ダムとダムの間の「仕切り状態」の川で、アユは一生を終えることになる。当然そのアユは放流鮎だ。
 豪快で繊細な「アユの友釣り」は、いってみれば「釣り堀り」に過ぎない。釣り人も悲しいが、それ以上にアユは悲しいに違いない。
 ところで最近、「馬瀬川のアユ」で知られる馬瀬村(現・下呂市)のことで思わぬことを耳にした。
 下流にある「岩屋ダム」に下った「仔アユ」が、ダムで冬を越し、馬瀬川に遡上しているというのだ。
 馬瀬川はもともと、飛騨川に合流していたが、中間点に岩屋ダムが造られ、川が分断されてしまった。
 「海に下れぬなら、ダムへ下って」と、命の連関をつむぐアユの生命力に脱帽せずにおれない。
 もっとも、遡上をしてもさらに上流には別のダム堰堤が待ち構えており、手放しでは喜べないが…。
 ダムと言えば「長良川河口堰」。
 単なるダムではなく、長良川の首根っこをしめる存在だ。「河口堰運用十年」後を検証する研究会に所属する学者の友人が教えてくれた。
 「岐阜市を中心にした漁業組合のアユ漁獲量が、最盛時の四十分の一になってしまっている。アユ漁獲量の減少を金額に換算するとこの組合だけで十億円、長良川全体では三十億円になる勘定」という。
 アユの価値や川の価値を、金額で表すことはバカげているが、ことの重要さを言い表すには都合がいい。
 ついでに、この友人。馬瀬川のアユのことを聞いて、耳打ちしてくれた。「この放流アユは、どうやら琵琶湖産の可能性が高いね」と。それなら、岩屋ダムを琵琶湖と間違えたのか。あるいは仮想琵琶湖とみなしたのか…。
 工業用水として一滴も売れない河口堰の水。言い逃れに知多方面に送られた飲料水は臭くて飲めず、「木曽川の水に戻してくれ」の大合唱が起きている。
 さらに、当て込んだ水は売れず、かさむ借金は、税金として庶民の肩にのしかかる。
 アユが教える悲惨な現状を、同じ生き物として、自分たちに重ねて考えられない人間の愚かさを感じてしまう。
(フリージャーナリスト・イカロス)
   
<「緑ネット・第75号」(2007年3月1日)から>

 

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2007年3月31日 (土)

寄稿・ゴメンなすって・世渡り残日録③

 良質のメディアあれこれ
 「市民の個々がジャーナリストにならないと、ファシズムには立ち向かえない」と前回書いた。
 ある「憲法九条の会」結成式に招かれての記念講演でも同様に述べ、「良質のメディアに接して、感性を磨いてほしい」と言った。そうしたら「その良質のメディアを教えてほしい」と質問されてしまった。
 この欄でも同じのことなので、今回は「良質メディアあれこれ」といった実利的な情報を提供しようと思う。
 まず活字メディアから。新聞では「東京中日」の特集記事がいい。ほかには沖縄の新聞をはじめ、地方紙が頑張っている。
 雑誌では、まず「週刊金曜日」。筑紫哲也さんや佐高信さんらが「権力や広告に左右されない雑誌を」と発行されている定期購読スタイルの週刊誌。六百号を数える。
 「DAYS JAPAN」は写真ジャーナリスト広河隆一さんが編集する「世界を視るフォトジャーナリズム」月刊誌。「軍縮問題資料」は軍縮・護憲を主張した国会議員・宇都宮徳馬さん(故人・自民党でもすごい人がいた)と支持者がつくった雑誌。この四月に復刊。
ほかに雑誌「自然と人間」、新聞「アカハタ」など。
 《●別表のメディア》購読しなくてもインターネットをやっている人なら、別表の各アドレスでアクセスすれば、それぞれのメディアがのぞける。
 「オーマイニュース」は韓国発祥のメディアで、こちらは日本版。スタートしたばかりで編集長は鳥越俊太郎さん。登録した二千八百人の市民記者が取材にあたる。「日刊リベタ」「JANJAN」の代表者は新聞報道に飽き足らない思いをもつ元大手の新聞記者。(HPアドレスは省略)
(フリージャーナリスト・イカロス)
 <「緑ネット・第74号」(2007年1月1日)から>

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2007年3月11日 (日)

寄稿・ゴメンなすって・世渡り残日録②

 「市民が連れて来るファシズム」
 
前回、「きな臭い世の中に立ち向かうには、市民個々がジャーナリストでなければならない」と書いた。今回はそのことを、もう少し掘り下げたい。
 私もそうだが、ファシズムは「為政者が仕掛けて来る」ものだと思っていた。チューブを押し出すように為政者がファシズムをゴリ押ししてくるもの、と認識していた。
 しかし、ある時「北朝鮮の拉致」をヒントに、そうではないことに気がついた。
 「北朝鮮拉致」の運動。今、この運動に異議をはさめぬ雰囲気が漂っている。〈北朝鮮憎し〉を背景にした「この異様さは何なのだろう?」。
 拉致に異議を唱えることで、警察が罰しに来るわけではない。しかし、周囲の人の顔色を見て発言しないと極めて憚れる状態が存在する。新聞、テレビの世界も同様のムードに置かれている。
 この雰囲気は、もはや「ファシズム症候群」の危険域に入っていると見ていいだろう。
 拉致は「許せぬこと」だが、それでは日本が昔、朝鮮半島で行った強制連行は「大量規模の拉致ではないのか」。ならば、そうした反省を踏まえて拉致の不当性を叫ばなければならないのに、そうした側面は見られない。
 横田夫妻が韓国を訪れた際に、強制連行を謝罪した上で拉致運動の協力を求めたかと言えば、そんな話は聞いたことがない。
 思えば、かなり前から拉致の運動は始まっていた。ところが、ある日突然のように「拉致」に日の目が当たった。そこに「何かの恣意」を感じてしまう。
 新首相・安倍が、がぜん人気を集めたのは「拉致で強硬論を吐き続けた」からだと言われる。解決を棚上げして「断固!ダンコ!」と叫んでいれば、大衆受けする。安倍が仕掛けて、マスメディアが宣伝役を担う。そんな仕掛けの図式が浮かび上がってくる。
 これらに見られるように、「ファシズムは市民が連れて来る」のではないのか、と確信するようになった。
 ドイツでヒトラーが政権を取ったのは、武力で政府を転覆したのではない。ドイツ国民が投票でヒトラーを選んだのだ。
 日本でも毎日、朝日、読売の三大紙が姿を現したのも、満州事変後だ。「日本がんばれ」と日々鼓舞した紙面を作り、それを支持した国民がいたからだった。
 戦争を支持したのは他ならぬ国民だった。ファシズムを招来させたのは他ならぬ国民だったのだ。
 だから、「きな臭い世の中に立ち向かうには、市民個々がジャーナリストでなければならない」というわけだ。
(フリージャーナリスト・イカロス)
 
<「緑ネット」第73号2006年11月1日から>

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2007年3月 8日 (木)

寄稿・ゴメンなすって・世渡り残日録①

 「緑ネット」の第72号、2006年9月1日から連載が始まった、「ゴメンなすって-世渡り残日録」を、本人の了解を得て、ここに紹介することとなった。
 筆者はフリージャーナリストのイカロス氏である。既に連載4回を終えていて、好評を戴いているが、今後順次紹介をして行く予定である。今回はその第1回である。


 ジャーナリストたれ
 中区で開かれた護憲の人たちの集会「市民はジャーナリストといかに連携できるか」に参加した。
 数年前まで新聞記者をやり、現在「フリージャーナリスト」を標榜しているだけに、興味津々のテーマにひかれ岐阜から駆けつけた。しかし期待は裏切られた。
 テーマはそっちのけで、マスメディア報道のひどい現状を指摘するだけに終始したのだった。「だから、どうするんだ」の視点に期待したが、何も飛び出さなかった。
 誤解を恐れずに言えば、日本に「ジャーナリズム」も「ジャーナリスト」もないに等しい。そこにあるのは市場競争に明け暮れる「情報産業」と、記者と呼ばれる「執筆マシーン」が存在するだけだ。
 集会主催者は「例え稀有でも、細々と生き続けるジャーナリズムやジャーナリストと連帯を求めたい」と考えたのだろうか。いや、そうとは思えない。
 私が問題にしたいのは、集会関係者らの発想の底辺に、マスメディアが「送り手」で、自分たちは「受け手」という固定観念があるのではないか、という危惧だ。そこから生まれる発想は「マスメディアが権力寄りの報道をして、国民を誤導している」「だから国民は迷惑をこうむっている」という、これまた固定観念だ。
 記者を長年やってきた私が言うのだから間違いない。ジャーナリストは情報機関に身を置く者でなくては資格がない、という思い込みはやめた方がいい。
 記者よりももっと資質と見識を持った人が在野にいかに多いか。そうした人が将来を見通し、周囲に庶民の展望を示すことこそ必要だ。
 いや、選ばれた人に限らない。誰でもが感性鋭く周囲を観察すれば、これまた立派なジャーナリストになれる。
 言い方を替えれば、きな臭くなる世の中に立ち向かえるのは、他人任せではダメ。自分自身という「個を確立」することではないのか。今や、市民一人ひとりがジャーナリストであるべきだ。
       ◇
 「私のクリップノート・20」
(緑ネット)からバトンタッチして、この欄を執筆することになった。
 編集者とは古い友人ということもあるが、ミニコミがマスメディアに対抗して、真実を伝えることが出来る有効な手段になり得ると思うから引き受けた。
 自分たちを単なる「受け手」にとどめておかず、機会を見つけて「送り手」側に変身させるべきだ。
(フリージャーナリスト・イカロス)

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