2011名古屋市長選挙(3)
石田さんの評価が分かれて当然!
4年前の知事選挙で立ち上がった「石田勝手連」のメーリングリストは、今日まで閉鎖されずに維持されてきた。選挙後暫くは、石田さんの動向も伝わっていたが、最近はごく一部の人の書き込みがあっただけであった。
それで今回、石田さんが名古屋市長選挙に立候補することが決まったことで、このMLの管理者から、以下のような呼びかけが載せられた。
「本日、石田さんからみなさんとお話しする機会を設けられないだろうかとの相談を受けました。国会議員になってしまわれた折には、とても残念に思われた方もいらっしゃったかと思いますが、今回、なぜ、この厳しい選挙にあえて挑む決意をされたのか、お話をきいてみませんか?(このまま国会議員で居ることの方がずっと楽なのに・・・) すでに、河村さんの選挙に関わろうとされている方も、是非、一度お話を一緒に聞きましょう。」
これについてすぐさま反論というか、拒否の書き込みがあった。
その人をAさんとしよう。Aさんは、河村市長誕生後、議会ウォッチングなどを続け、議員の通信簿をつくるなど、ある意味では最も熱心に河村市政と名古屋市議会を検証してきた一人だったといえよう。そこから得たであろう「確信」は、思い込みや、単なるファン心理からの応援ではないことは確かだと思う。
Aさんは言う。
「(石田氏は)結局何がしたいか解からないぶれのある人」「石田芳弘氏の迷走は、4年前知事選で敗れてから衆議院議員へ支持者への詳しい説明もなしに立候補そして、今回の愛知知事選へまた立候補しようとし、そして名古屋市長選へと、結局何がしたいのかその都度周りの状況で自分の行き方をころころ変えられる人物」「河村市長より改革派などとよく言えたものです。・・・石田氏はいわゆる凡人つまり常識人です。今回の出馬までのゆれ方を観ればよく分かります。」
文中のAさんの感情的表現は省いたが、かなり怒っていることがうかがえる。
一方、河村市長をどう評価しているのか。「河村市長辞任の理由がぶれているといいますが、市民から観たらぶれてなんかいません。基本的にはこの1年半に亘って河村市長マニフェストが議会によって阻まれほとんど実現しないから市民に再度信を問うという一貫した信念が貫かれています。」「非常識なことをするのが改革ですから常識に縛られた人がリーダーになったのでは必ず失敗します。」河村氏こそ非常識な人、天才に近い政治家です。だから変革、革命ができるのです。・・・
Aさんと直接話をしたわけではないから、ここで片言隻句のあれこれを言うつもりはない。だから、私はどう思うかということを書くこととする。
見出しにも書いたが私は、「石田さんの評価が分かれて当然!」と思っている。その理由は、二つの観点から考えられるだろう。
一つはやはり、「転進」についてだ。私は20日のこの欄で「石田芳弘氏の迷い」について書いたが、同じようなものかもしれないが「ぶれている」とは書かなかった。その理由は、「石田氏はとにかく、地方の自治行政を自分の手でやりたいのだ。“手応えのある行政”を実感してみたいのだと思う。」そう思ったからこそ私は、一新人議員だけの衆院選に転進することに反対した。そのことを本人の前で2度も発言した。しかし、政治家としてどの局面で自分を売り出すというか、「場」を求めるかということは、絶えず機会をうかがっていて当然だ。国会議員が新党をつくり、あるいは連合し、あるいは参院から衆院へ鞍替えするのも、議員としての頂上、少なくとも大臣、できれば総理大臣までのぼりつめたいというものであり、そのような「信念」を持って当然であるし、持たないのなら市民運動家として在野で活動すればいい。
信念を野望と言い換えることもできないこともないが、それはその政治家・議員の能力など人物評価をするほかない。
もう一つは、政治姿勢、政策という観点からである。
私の立場は、大局的にいえば、政治は「反自民非共産」であり、労働運動の観点からは「(旧)反民社・同盟路線」であって、基本的には、今も変わらない。変化があったとすれば「反」が薄れて、「可能性の選択」「できれば対案を用意」をするようになったことだと思う。民主党の中身(議員の出自)を見たら、とても民主党なんて支持はできない。しかし、自民党政権は変わってほしいという「政権交代」が最優先で、民主党候補に投票するようになった。
また、地方自治体については、首長には、中央官僚からの出身者、貧弱な議員活動、党内からのボス的な候補者、タレント出身(能力があれば別、知名度だけの人)は、支持しないできた。一方議員、議会については、枚挙にいとまがないくらい注文をつけたいことばかりである。だから議会改革を掲げた河村に大いに期待するものがあった。
さて、今回の選挙では、それぞれの政策の検討は不十分ではあるが、御園知事候補、石田市長候補を支持することにしている。
知事選では、神田県政の流れを断ち切りたいのがその一つ(御園氏の神田亜流を感じて不満ではあるが)、大村にはなってほしくない。
では市長選でなぜ河村に行かないのか。2009年の市長選挙の折り、20人程度の、緑区の個人懇談会の場で私は、いくつか要望した中で、「市の借金を減らすべきではないか」と質問したところ、これは去る11月市議会で河村市長の、議案の提案説明で「金融機関で余っているお金を国、地方を問わず、政府部門が積極的に使わないと(つまり市債を買ってもらわないと)、経済はますます総崩れとなる。・・・市民生活、地域経済を支えるため・・・必要な市債は堂々と発行したうえで大胆な経済対策を実施・・・」(「民主」号外、斉藤亮人事務所発行から)と発言したという、これと同じ答えが当時も返ってきたことを、質問をしたこともあって今も鮮明に覚えている。
これの更なる説明は省くが、私はその時、河村の財政政策に×のチェックを入れたが、「反自民」の立場から河村を支持した。
議員歳費、議員定数それぞれの削減には賛成、ただし市民派議員の活躍を阻害するような案には対案を示して、距離を置いた。地域委員会については、基本的に賛成であるが、区政協力委員会という既成の組織の抵抗が強いであろうから、拙速は避ける。将来的にはボランティアの夜間、休日区議会を提案。
というような事例を並べていくと甲乙つけがたいが、最後は、市議会リコールの署名運動で「受任者」にならなかったという意識を背景に、河村か石田かの「人物評価」になり、ここでは詳しく触れなかったが、4年前の知事選の石田評価は強烈に残っていて、前回には程遠いが、石田芳弘氏支持を決めたのである。
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