2007年6月 7日 (木)

知事候補者の石田芳弘さんと再会

  道州制問題を議論
 今年2月の愛知県知事選挙が終ってから初めて、接戦で敗れた石田芳弘さん(前犬山市長)と会うことが出来た。これまでも、「ご苦労さん会」のような機会がないでもなかったが、あえて参加しなかった。
 この日は、「憲法懇談会」が呼びかけた、石田芳弘さんによる「道州制問題」についての集まりであった。予想に反して参加者は7人。しかし、テーマをまともに議論するにはこの少数の方が密に議論できたのは確かだった。
  その内容は追ってまとめてみたいが、知事選挙のマニフェストで石田さんは、「道州制」について積極的推進を打ち出していて、この日も、当然その延長にあると考え、私なりに疑問点を整理して参加したのであったが、彼の発言・提起は「現時点における道州制についての問題点」という、推進と言う点には変わりがないが、現時点のものでは、問題があまりにも多すぎる、というものであった。
  いきなり、肩透かしを食ったが、他の参加者を含めてさすがに、問題の把握が違っていた。私の立場は第一に、道州制そのものの全体像が明らかでないいま、与党主導、財界積極的推進というそのものから来る“疑惑の目”であった。次に、端的に言って、中央政府の地域支配強化の一つであり、住民サービスの低下につながるのではないかと言う疑問である。さらに、税金、税制、財源、それらの実際と権限がどうなるか、欧米のそれと較べてどうなのかなどが、道州制賛成または、そういう方向に行かざるを得ないという議論に、組み出来ない理由であった。
  いづれにしても、観念的反対論はやめて研究と議論の余地は十分にあると感じたのは、この日の成果であった。
  なお、終ってからの懇親会の席で私は、4年後の知事選挙についての対応をズバリお聞きした。また、先の選挙での「勝手連」の関連資料-1・15集会、議事録、チラシ、選挙総括文書などと、私の「私家版-私の県政マニフェスト」、知事選関連記事掲載の「緑ネット」など一式を、ファイルして石田さんに手渡した。
  これで私なりの「2007愛知県知事選挙」は全て終えることが出来た。

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2007年3月 5日 (月)

愛知県知事選挙の私的総括

石田芳弘の挑戦、勝手連の奮闘実らず!
     ― 惜しくも僅差で敗れた知事選挙 ―

 知事選挙の結果は残念の極みだ。無念この上ない。
 なぜそのように歯ぎしりするのか、多分それは、最初から石田芳弘県知事誕生を前提に、その先のことを我がことのように描いていたことが最も大きいと思っている。と同時に、選挙に敗れてしまった結果、幾つかの落胆、失望が時間を経るごとに拡大してくるからでもある。

 知事選に当たっては前号の「結」で以下のように書いた。
「二〇〇七年は、四月に統一地方選挙があり、七月ころに参院選挙がある。その間に、統一日から外れた首長、議会議員選挙がある。ひょっとして、参院選挙の結果や教育基本法、防衛省昇格法、イラク特措法延長に加えて、共謀罪、国民投票法などの悪法の成立、増税案、年金改革など“格差拡大政策 ”による安倍内閣の“失政 ”があったりして、解散総選挙があるかも知れない。少なくとも、『安倍内閣打倒、解散総選挙運動』を起こさないと、いよいよ『憲法改悪』があっという間に行われてしまうかもしれない。そのように考えることは、もはや予測でも杞憂でもない、現実問題である。
 ここに中央政治に風穴を明ける、首都圏中央行動と連携した、地方政治での攻防戦がその前哨戦としてある。つまり、二〇〇七年二月四日の愛知県知事選挙は、大型公共事業・国家プロジェクト型地方政治から訣別して、地方自治といえる『住民本意の県政』に転換するなかで、中央政治に風穴を明けるまたとない機会である」と。
 選挙後の報道を見ると、序盤からの神田圧勝の予想は、「柳沢発言」で一変してきわどい選挙に変わったのだという。するとその裏返しだったのか、「民主党・連合の動きが鈍い」「石田が焦っている」という“うわさ”は。
 もっとも、終盤に柳沢発言を“追い風”と読んで民主党も選対も、国会議員を大量につぎ込んだ。社民党も辻元議員や福島党首をようやく送り込んできたが、もはや時既に遅し、であった。
 つまり中央は、はなから愛知県知事選挙を“政局”となるとは読んでいなかったし、そのような戦略を描いていなかったともいえる。ところが柳沢発言が問題化し、北九州市長選、愛知県知事選挙で勝利すれば、柳沢厚労相を辞任に追い込み、安倍内閣を大きく揺さぶることが出来る。そうすれば、都知事選、統一地方選、参院選へ弾みがつく、とようやく気がついたのである。“敵失”でしか政治ができないのか、戦略なき地方選軽視ではないか、というのが私の実感である。
 それはともかく私は、参院選のために無党派市民のグループとして立ち上げた「平和の風愛知」を知事選向けの「勝手連」に切り替えた。そして、勝手連の連合体でもある「アイネット」立ち上げに参加し、その事務局を担い、あまり役には立たなかったが、ミニフラグをデザインし作成、また、「1・15アイネット集会」を提案した。このあたりから勝手連に勢いがついたと思っている。
 また、未熟で未完成ではあったが、「私家版-県政マニフェスト」の執筆に力を注ぎ、それを石田の「県政マニフェスト」作成担当者に送ったりもした。また、ネットでも政策的意見集約に努めた。 
 更に、連日のように知事選の動きなどをブログにアップし、石田勝手連のMLに活動報告を書き込み、選挙運動の仕方の一部も紹介した。そして繰り返し「政策論」の必要性を説いた。

 私の総括の論点
 繰り返しになる部分もあるが個別的に総括的な論点を探ってみたい。
1)石田推薦の弁
 最初に、元自民党県議3期、犬山市長3期、民主党・連合推薦の石田氏をなぜ推したか。
 第一に、与党候補を打ち破ることで中央政治に風穴をあける。そのためにいきさつはどうであれ、神田与党から離れ、対決の構図をつくった石田氏の決断を評価した。従って、民主党や連合のあれこれは捨象して、自公推薦候補の打倒に政治的意義を求めた。
 次に政治は人、人を見て推すべきかを決めるべしで、石田氏の話を聞き、質疑を交わし、稀に見る人物と判断した。“この人ならいける”と実感した。選挙中の演説を何度も聴き、確信した。
2)政策を重視
 なぜ私は、勝手連で参加し選挙運動中も政策論を重視し、主張したか。
①従来からの運動観、立場から基本的には「民主・連合に組みせず、さりとて共産党にも組みせず」であるが、状況に応じて是々非々できたので、その論理的説明が必要であった。
②統一地方選挙、参院選挙を視野に入れていた。そのために政策は欠かせないと判断していた。
③無党派市民の結集、市民運動の再興に期待を寄せた。地域運動の“結集軸”を模索していた。
 知事選挙はその契機となると踏んだが、私にとって結果は、どうやら裏目に出たようである。
3)候補者一本化の問題
 当初から共産党を含む「野党」による候補者の一本化が模索された。それが成就できなかった要因は両者にあったし、強力な接着剤的役割を果たす集団形成が出来なかったのも一因である。
 勝手連・アイネットの立場は、候補者一本化であったが、「共産党の推薦、支持」という形は求めなかった。自由投票という形もあったが、最善の形は「勝手連・共産党」であった。党組織には“奇想天外”とも言うべきものであったであろうが、全く希望のない選挙を闘うよりは、地方選、参院選を視野に入れれば、勝手に選挙運動をやって、石田当選に寄与すれば(実際それがあり得た)得るものは計り知れないと、私たちは説得したが、彼らは聞く耳を持たなかった。共産党の戦略ミスは罪深い。それに同調した“市民派”の人たちにも失望した。そうした動き・罪はそればかりでなく、共産党と接触のある周辺の諸運動の動きを縛る結果ともなった、と私はみている。
4)その他の党・派
 党として推薦をした社民党、国民新党は、最初と最後に中央から幹部を送り込んだだけで、組織的選挙活動はなかったようにみたが、個人の判断に任せたのだろうか。事実なら理解に苦しむ。勝手連の面々がビラをまき、電話をかけ、演説会場に足を運び、パレードの先頭を担った行動をどう見ていたのか。そんなことで、この先どんな党活動が出来るのかと、首をひねざるを得ない。
 そのほか、幾らか付き合いのあった新社会党、緑のテーブル、労働党、人民の力、その他も、全候補を忌避したのか、選挙そのものへの参加を方針化しなかったのか、どんな事情なのかはしかとはわからないが、個人的な動きは見られたものの、組織として動いた様子はなかったようである。
 それは、仮に石田が勝っても実利がない、選挙母体の民主・連合に違和感がある、と言う見方はできるとは思うが、2大政党時代といわれる中、「第3極」に結集が期待されるこれらの党・派が、この知事選を傍観したとするなら、私は困惑と失望を隠せない。
6)市民派はどうか
 8年前の知事選で、愛知万博を課題に二分して闘った“市民派”も動かなかった。
 石田勝手連260の数字はともかく、そこに参加した人数は、9年前の万博の賛否を問う県民署名の時とではその比ではない。さらに私の知る限り、反万博運動に参加した市民派も労働運動関係者も、驚くほど見かけなかった。それは世代の様変わりだけではないだろう。知事選挙そのものへの、誘発されるものがなかったのかもしれないし、閉塞感漂う時流の中に在り続けたのかもしれない。終ってみれば、索莫とした荒野に一人残された感ひとしおである。
7)勝手連の可能性と限界
 次に、個人的なあるいは小グループの努力としては大きな力となった勝手連であったが、非組織的性格とそれゆえの戦略・戦術の不十分性にジレンマを感じたのは、私一人だったのか。
 前回選挙も勝手連を組織して参加したが、今回、本格的な勝手連運動に参加してみて感じたのは、未知数であるが、予想も出来ない限りなく可能性のある勝手連である一方、状況の推移に合わせた戦術を全体化する術を持たないのも勝手連、勝手連が“燎原の火”のごとく全県的に広がるのを、自然発生性に任せざるを得なかったのも勝手連であったとするなら、このジレンマは解消できないものかもしれない。これは「限界」でなく「性格」といえるかもしれない。
8)選挙のポイント
 石田当選のそれは、投票率を上げることに尽きた。その要素を次の3つにあると考えられた。
①二分化-神田と石田の違いがわからない、現職に失政がない、民主はこれまで神田の与党であった。これらから、争点を明確にして二分化された選挙戦が必要であった。石田側戦略の「愛知が日本をリードする」「変えよまい!」「教育の石田」は、鮮明な違いと受け止められなかった。
②マニフェスト選挙-この選挙に限らず、このスタイルは重要だ。神田、石田とも「県政マニフェスト」を示したが、それらを県民に配布することができない上、「マニフェスト討論会」は1回行われただけであった。現職有利の、公職選挙法の不備は如何ともし難かった。
③知名度-現職神田の8年の知名度は、自公、産業界、市町村、補助金受給団体には、それなりに浸透していた。空港、万博も神田の手腕でもなんでもないが、知名度は上げていた。
 一方の石田の知名度はかなり限定的だった。「いしだ」を「かんだ」と言い間違える関係者も。
9)得票の傾向と地域性
 投票の傾向を振り返っておくと、ここに緑区のFさんの分析があるので引用させてもらう。
 「(共産党は)1999年の影山票80万、2003年の池住票35万に続き今回の阿部票16万票とジリ貧、ついに供託金没収の事態になった『革新?県政の会』でした。今回石田氏は、1979年以来最高の投票率52,11%を呼ぶ真の対決を創り出し、得票数1,355,713票は初回神田の1,353,414票を上回っていた。今回神田票1,42,4761票は前回の1,494,974票を下回ったのだ。(中略)結果として総合力では現職を超せなかったが、しかし、名古屋、尾張旭、長久手、日進、豊明、大府、東海、刈谷、三好、豊田、岡崎では1位。犬山、大口、扶桑、小牧、春日井、東郷と、緑、天白、名東、東各区ではなんと過半数票を獲得しているのだ!」
 更に付加すれば、投票率が上がったのに石田が敗れた背景には、
①名古屋市内での得票差が2万5千と小さかった。最低でも5万票、10万票差も不可能ではない、衆院選に続いて負けた5区・・・。4区の南区と港区には労働者が多いといわれていたが・・・。
②豊田市の得票差は500票しかない。トヨタ労連が本気になれば11区全体で3~5万票の差はつけられただろう。組織内候補とそうでない違いであろうと推測するが、石田にとって不運というか口惜しかったに違いない。
③神田の出身地一宮市での得票率と、石田の犬山市での得票率、その絶対数の差が大きかった。他に、
・「名古屋人気質」とか「温暖の東三河は保守的だ」といわれる愛知の地域性、県民の気質が事実かどうかは知らないが、「保守、革新」には二分化できないところがあるかも知れない。
・女性票、高齢者票が神田に多く流れたと分析されているが、これを「安定志向」と一口で片付けられるのか。惜しいことに、石田の政策論で「医療、福祉・介護」が強調されたのは後半であった。

 石田氏の再挑戦はあるか、地方選・参院選はどうするか
 さて石田さんの今後について、2月13日のアイネットの総括会議で報告された内容は、「・・・・この時点では不確定なことが多いが、とにかく新聞報道のような『政界からの引退』はないという点が第一で、この先の4年間をどうするかは未定であるとしても、『4年後をめざす』という選択肢はあることは間違いなさそうである 」であった。
 私は、4年後の選挙に立ち会うことはないと思っているが、その間、「県政マニフェスト」をテキストに、石田さんを迎えて年間4回、全12回、県下各地巡回の「石田ゼミ」の、07秋開講案をまとめたが、提案することすら逡巡してしまった。“もういいかな”と。
 最後に、どなただったか「石田氏の国政への転進」を口にされていたが、「地方自治に生涯をかける」と言い切った彼に、その選択はあり得ない。またあってはならないことである。
 では名古屋市長選挙は?そんなことまでは知らない。

市民派議員の誕生を願う
 愛知県知事選挙のあとは、東京都知事選挙を含む統一地方選挙であるが、前号で名前を挙げさせてもらった立候補予定者にはがんばってもらいたいが、知事選挙で見る限り、様子見をされた方が多いように思われた。候補者石田芳弘はともかく、背景などいろいろ考えてのことだろう。
 一方、立候補を予定してなおかつ知事選に全力で参加された方も幾人か見受けた。その双方が競合する選挙区もあるから、私にとっては複雑な気持ちだ。どちらにしても前回ほどのことはできないだろうと思っている。ただただ、無党派の市民派議員誕生を願うばかりである。

参院選の難しさ
 話をそもそもに戻そう。
 この7月の参院選挙で、「護憲平和」を確たる方針として立ち上げた「平和の風愛知」は、全国状況と愛知県における現状を勘案して、知事選挙を闘うことによって、その基盤のありかを探るとした経緯がある。
 比例区について「平和の共同候補を求める」とした全国連絡会は、共産党、社民党との「共同候補」リストは事実上なくなり、無党派市民の「9条ネット」(参院比例区の確認団体になる名称)を2月24日に三人の候補者名と共に立ち上げたが、この愛知にそれを受け皿とする基盤が見つからないというのが正直なところだ。
 一方愛知選挙区では、独自候補は断念し、より「護憲平和」に近い候補を推すことにしていて、共産党推薦の八田氏が最も近いとされていたが、知事選の経緯で白紙状態である。そこで民主党の女性候補、谷岡氏も浮上しているが、去る23日の会議では、民主の候補二人の政治姿勢を見極めたいという前向きの意見もあったが、八田氏を推す線はなくなったといっていい。また「平和の風愛知」は展望を見いだせないまま、5月連休明けまで“休会”とした。
<「緑ネット・第75号」2007年3月1日から>

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2007年2月14日 (水)

アイネットの選挙総括

 役割を終え解散
 昨夜は名古屋女性会館で、勝手連の連合組織のようなものの一つ「アイネット」の選挙総括会議が開かれ、女性二人を含む13人の参加で開催された。
 約1時間半の意見交換の場でまず話題の第一は、「石田さんの今後、4年後の立候補はあるか」という点であった。これについては、Tさんからおおよその報告があり、私から、午後の会合でご一緒した事務長の堀内さんからの伝言を付け加えた。
 この時点では不確定なことが多いがとにかく新聞報道のような「政界からの引退」はないという点が第一で、この先の4年間をどうするかは未定であるとしても「4年後をめざす」ということは間違いなさそうである。
 次に票の分析については、緑区のFさんのメール情報が紹介された。部分的であるが以下に紹介すると、
 「(共産党は)1999年の影山票80万、2003年の池住票35万に続き今回の阿部票16万票とジリ貧、ついに供託金没収の事態になった「革新?県政の会」でした。
今回石田氏は、1979年以来最高の投票率52,11%を呼ぶ真の対決を創り出し、得票数1,355,713票は初回神田の1,353,414票を上回っていた。今回神田票1,42,4761票は前回の1,494,974票を下回ったのだ。
 滋賀県知事選同様のパターンだったが、結果は滋賀県と異なり総合力としては、現職を超せなかった。しかし、名古屋市、尾張旭、長久手、日進、豊明、大府、東海、刈谷、三好、豊田、岡崎では1位。犬山、大口、扶桑、春日井、東郷と、緑、天白、名東、東各区ではなんと過半数票を獲得しているのだ!」
 更に付加すれば、①名古屋市内での得票差が小さかった。10万票ほどの差があれば。5区で負けたのは?②豊田市の得票差は500票しかない。トヨタ労連が本気になれば4~5万票の差はつけられただろう。組織内候補とそうでない違いであろう。③神田の出身地一宮市での得票と、石田の犬山市での得票、その絶対数の差が大きかった。
 次に、勝手連の活動については、それぞれ一生懸命やって、その効果は十分出たと思うが、全県的というところまでは行かなかったようだ。勝手連の運動とはどうあるべきか、「キャッチフレーズ」が出し切れたか、そんな議論があってやはり若い世代の登場こそ、が結論の一つとなった。
 会計報告は、12万円余のカンパを集約し、諸費用と共に大活躍の「のぼり」については、買い取りとカンパに加えアイネットから補填することにより、ほぼ全額をカバーすることができた。他に、ミニフラグ、チラシの費用の一部に充当され、帳尻を合わせて承認を戴いた。
 最後に石田さんを迎えて「勝手連・ご苦労さん会」は「有志」という形でT、Hの両氏で準備することとなり、3月ころのお昼の時間帯を軸に、石田さんとのすり合わせをすることとなった。
 以上の経過を経て、アイネットもこれにて解散となったが、更にこのような「総括」的な集いの呼びかけがなされれば、それにも応えようということになった。
 私は、A4で1枚程度の「総括の論点」を提出した。これは次号の「緑ネット」の総括文の骨格になるものである。 

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2007年2月 4日 (日)

愛知県知事選挙の結果

 残念!負けは負けだが、負けた気がしない
中日新聞のホームページの、午後11時34分現在の得票は、以下の通りである。
  神田 真秋氏=133万1594票、当選
  石田 芳弘氏=126万7023票
  阿部 精六氏= 15万3683票
         (開票率 93・33%)
       投票率:52、11%

  負けは負けだから、“敗因”はどこかにあるのだろうが、幾つかあげてみても、なんかすっきりとしない。
  例えば、
1、民主党支持層の10%が神田に流れたというNHKの分析。民主党の支持率が28%といわれるから、およそ10万票が神田に流れたことになる。自民党支持層の20数%が石田に流れたことを考えれば、まあ、よく票をまとめたといえなくもない。しかし石田候補が勝つには、半分程度に留まっていれば、という気はしないでもない。
2、東の横綱を神田とすれば、太刀持ちが財界、露払いが公明党であろう。一方西の横綱石田には、太刀持ち社民党・国民新党、露払いに勝手連がついたとする。すると政党支持率4%で固い公明党に対して、社民、国民新では力負け、それを勝手連が埋め切れるまでには今一歩だったといえるかもしれない。石田勝手連が、支持政党なしの層をかなり引き付けたとしても、やはり公明党の基礎票10数万票も侮れなかったといえよう。
3、阿部票の最終的な約16万票のうち、少なくとも8割近くが石田側にいくという「候補者一本化」が実現していれば、単純計算で石田勝利となるが、逆に共産党との接近が民主、社民、国民新の票を目減りさせる可能性もあるから、一概にいえない。だが、二者択一の大接戦となれば、「民主党にも共産党にも組みしない、その周辺」が掘り起こされて、結果的には、「候補者一本化」が、キャスティングボートを握っていたとみることができるのかもしれない。ここのところは今一度じっくり考えてみたい。
4、石田勝手連の総括は単純ではない。どんな前提条件もつけられないし、その実像を明かそうとしても、部分的にしかならない。また、石田選対との関係性、連携も一様ではないから、決めつけることはできない。それでも個別的なあれこれはあろうから、出し合ってみたいものである。
(追い書き)
  続報:2月5日午前0時01分現在の中日新聞のホームページでは
    神田 真秋氏=140万5563票、当選
    石田 芳弘氏=133万6123票
    阿部 精六氏= 15万8528票
          (開票率 98・43%)

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2007年2月 3日 (土)

選挙戦の最終日

  栄・名駅前で
  午後2時の集合であったが、私は午後1時20分ころ、名古屋の繁華街栄・三越前に着いた。そこでは阿部(共産推薦)陣営の白衣の女性10人ほどがビラまきをしていたが、元気がないように映った。
  まもなくして勝手連の面々が集まりだして、のぼりをセットしてビラまきを始めた。“勝てるかもしれない、石田さんには是が非でも当選してほしい”という、強い意志集団のそれとでは雰囲気の違いは明らかであった。
  2時40分頃になって、三越の反対側、栄交差点の西南角に集結の指示が出された。そこには、2時半ころから準備を始めていた事務所若者隊が、街宣車と共に青ののぼり、青地の布、シャボン玉機を2機、爆竹まで用意していた。マイクは“プロ”という人が握りやや絶叫調になっていた。みな高揚しているのであろう。
  のぼりをもって集まってきたのは勝手連だが、取り仕切ったのは選対事務所。こういうセッティングがいいのかどうかは意見が分かれるであろうが、それは後のことにして盛り上げが第一。それでも「少しは地元の人にしゃべらせればいいのにね」と、私に耳打ちした人がいたが、その場は、選対本部が主導する形になっていたので、そんな意見があっても難しかったかもしれない。選対における勝手連というものの位置は、必ずしも明確ではなかろうし、当初から「組織的連携」が十分に構想されていたわけではないから、行き違いや意思疎通が欠ける面があるのも、ある意味では必然であるといっていい。総括会議の議題の
一つにあがるかもしれない。
 ほどなくして、狭いスペースを埋めた勝手連・一般聴衆と通行人でごった返す中、石田候補が登場し、勝手連と共にあって行動する、街頭での最後の訴えをした。参加者から“いい感じ”と言う声が漏れた。17日間声を出し続けてきた石田候補であるが、全く声が潰れていない。鍛えられているのだと思った。

  10分ほどの演説のあと、民主党・連合主体の街頭集会の場、噴水の北・錦通り側に歩いて移動した。そこでは、鳩山由紀夫民主党幹事長の応援演説が続いていて、そのあとは、「教育勝手連」のほかは愛知、三重、静岡の衆参両議員、参院予定候補者の応援演説が続いた。石田候補は、民主党支持層と連合組織の浸透が鍵との認識があるのであろう、その面が強調された演説であったと思う。それにしても女性の少なさは、やはり気になる。労働組合における女性比率が下がっているのか、動員すらできない組織力が問題なのか。
 選対本部は男性主導型、勝手連は女性主導型、やっぱり、勝手連が石田候補の当否の鍵を握っている?
 名駅前のラストスピーチ
 午後3時40分ころ、栄街宣のすべてが終了し、本隊は名駅に移動。勝手連は一端解散し、名駅へ行くグループも、歩いて行くグループと地下鉄で移動グループとに分かれた。歩いて移動のグループは、出発時20人くらいいたと思っていたが、10分ほど歩いてふり返れば5~6人になっていた。それでものぼりは4本立っていたから、声掛けをすれば、通りかかる人もふり返ってくれた。
 午後4時35分ころ、私たちの歩行グループは名駅前に着いた。男性を主として200人くらいが街宣車の前に集まっていた。勝手連ののぼりも4~5本上がっていて、そこへ合流した。ここでも衆参の議員・候補者がマイクを握っていた。他に弁士はいないのかといいたくなってしまうが、毎度聞いている私たちと、たまたま通りかかった人とでは違うから、それも良し、としているのであろう。
 午後5時過ぎ、名駅のJRツインビルの陰になり、薄暮になって辺りも冷えてきた頃、ようやく石田候補が車上から街頭演説としては最後の訴えを行った。道路の反対側の聴衆はさほど多くはないこともあって、背を向ける感じになっていた。目の前は、3月にグランドオープンする中部地区最高の高さを誇る“ミッドランドスクエア”である。
  「現職の神田さんの言う、何も変えない現状維持か、私がマニフェストでも示した、この愛知をさらに改革していくのかの選択です。変えよまい!この愛知を変えよまい!私にやらせてください、私が当選すれば、愛知が変わる、日本が変わる」。こうして石田さんの街頭でのラストスピーチは、5時半近くに終った。
 石田当選を願う気持ちがどんなに多くても、この時点で選挙の情勢は誰も知る由もない。祈るほかなかろう。だが、いずれの結果であれ「終戦処理」が待ちうける。このブログで、連日書き続けてきた愛知県知事選挙考も、明日の日曜日をもってひとまず、ピリオッドを打つ。 “総括”は少しおいてからになる。
(追い書き)
 
 

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県政へ意見など02

 次のような意見が寄せられた。
① 自然を大きく破壊する設楽ダムの建設を中止して下さい。
② 借金財政はやめて、無借金の健全財政にして下さい。
③ 夢も希望も無い崩壊した社会を立て直して、明るい希望の持てる愛知県にして下さい。
④ 過度な自動車依存社会から脱皮して、公共交通機関の充実した愛知県にして下さい。
⑤ 自転車道を作ってください(自動車と一緒ではいけません)
                            (男性60代)
 手前味噌であるが、①④⑤についていうならば私は、「私家版・県政マニフェスト」の中で「環境問題」を第一に取り上げて、そこで幾つか提言している。そして①については、木曾三川、矢作川水系、豊川水系の新規ダムの建設阻止を掲げた。石田マニフェストは「環境保全管理」のシステムづくりを掲げるが、前任者・神田知事の継続事業と言うこともあってか(県政与党であった民主党も含めて)、建設中止は明言していない。多分苦慮するだろうが、愛知万博で大きな争点となった自然保護、生態系の広域保全などについては、石田さん自身にとってやや未知の世界かもしれない。私にはそんな感じがする。自然保護、環境問題が「争点」になっていないと、藤前干潟の辻敦夫さんも嘆いておられた。(2月2日毎日夕刊)
 ④⑤についても私は具体的に、ニュー路面電車(LRT)の導入、桃花台線の復活、自転車道、歩道の整備を取り上げたが、石田マニフェストは、トヨタ自動車に遠慮してか触れていない。インフラ面については何か思うところがあるかもしれない。
 4兆円近い県債を残してなお借金を重ねようとする神田候補に、財政改革、財政再建能力はないと断言できる。石田さんはまず、これ以上借金を増やさないこと、としているがこれでは不十分である。私は二期8年で半減させよと書いた。年あたり2000億円余の財源が必要であるから、まあかなり高いハードルに違いない。だが、東海地震に襲われ、その災害復旧という非常事態を想定するような発想で対処しなければ、金利上昇が時間の問題とされるこんにち、借金ゼロの見通しは立たない。純利益が1兆円を遥かに越えたトヨタ自動車とその関連企業が連なるこの愛知でなんとかならないはずがないと思うのだが。
 最後に③については、これこそ石田さんが最も言いたいことであり、やりたいことであろう。そしてその原点を「教育」においている。そこに神田候補にはない強いリーダーシップが伺える。そして、「希望の持てる」社会とは、老若男女、障害者も健常者も参加できる状態をいうのであり、行政任せ、他者依存では持続しない。つまり、平和憲法、三権分立、議会制民主主義という形の中にあって、NPO活動あり、自主的な市民運動、ボランテアなどの活力があってつくられるものではなかろうか。
 とりわけ高齢化社会が始まった今日、私は「60代はまだ現役」「医者、薬いらずのくらし」「家族、隣人、友人との絆」をモットーに、自分の生き方と共に、社会とのつながりを大事にしたいと思っている。

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2007年2月 2日 (金)

知事選終盤をみる

 報道関係、新聞記者でもない私に、選挙情勢全般やあちらこちらの出来事など、見える、聞こえる範囲なんてたかが知れている。新聞やメールでの情報と、大して根拠を持たない私の“推敲”に過ぎないが少し考えてみたい。
 世論では
 まず、知事選挙に関する世論調査では、選挙に関心がある、投票に行くという割合は結構高いとされているが、メール情報では、「意外と選挙を知らない人、候補者を知らない人が多い」というのがはじめのころの感想だった。ここにきてかなり改善されてきているようだが、「神田と石田の違いがわからない」というのはまだあるようだ。もっとも、石田側の集会で司会者・発言者が「石田」というべきところ、しばしば「神田」と言い間違えることがあるくらいだ。31日の緑区の個人演説会場では、あきれるほどの失態であった。超満員の聴衆の前で、当人はかなり高揚していたからだが。
 次に、宮崎県知事でそのまんま東氏の当選と、柳沢伯夫厚生労働大臣の「女性は産む機械」という失言で、無党派層や女性の動向が選挙に影響云々が報じられている。この種の報道では、「そうだ、そうだ」とはやしたて、戦術に取り込もうとする場合と、「だからどうなの?」と冷めてみる場合がある。概ね前者に傾斜するだろう。だが「戦術的」に使う場合は、そっと知的な要素を滑り込ませたいものである。
 応援のあり方
 “大物の投入”とかいう手もよく使われる。これも戦術的な、使い方次第で効用が随分違うだろう。前回の衆院選挙で日本経団連会長・トヨタ自動車会長だった奥田碩が、街頭などには立たず、もっぱら、財界、経営者の間を回って(何を言ったかは知らないが)相当なことを言ったに違いない。効果抜群だったといわれる。自民党が閣僚を送り込むのは、その省庁に関わるルートでの効果を期待するからではないか。神田候補が業界、市町村、補助金対象団体を回るのも同じ手法である。
 2月1日、石田候補の応援に小沢一郎民主党代表や、福島瑞穂社民党党首など多数が応援に駆けつけたようだが、人通りの多い名駅前での演説は、それなりの効果はある。一方、国会開会中でもあるから、知名度のある国会議員の多くを期待できないが、例えば選挙中盤あたりから、各界に女性応援弁士を依頼し、名古屋だけでなく中核都市、場合によっては話題づくりで僻地に入ってでも、あるいはスーパーの前に立つのも一方法ではないだろうか。「こんなところまできてくれた」は結構、好感を呼ぶと思うのだが。
 地域的には
 神田候補の出身地は一宮市、しかも市長だった。石田候補は犬山市で同じ。この2市では、それぞれの地盤は固い。しかも共に愛知の西部・尾張地区である。
 ではそれ以外の所ではどうか。まず知多半島を見てみると、東海市、半田市辺りは石田、他は神田か?西三河では、トヨタ労連が本気になっていれば、岡崎ではやや弱いかもしれないが、豊田・刈谷・安城辺りは石田の牙城であろう。南部の西尾、碧南、蒲郡などはどうか。豊橋・豊川を中核とする東三河は、伝統的に保守地盤とされる。勝手連の活躍が伝えられ、その効果が実を結べば石田にとってこの上ない。
 もう一つ、名古屋市の北部、県営名古屋空港が隣接する小牧、春日井、愛知万博の瀬戸あたりも有権者が多い地区である。どうも神田有利のようであるが、それに連なる名古屋市東部近郊の日進、豊明、大府あたりで巻き返して、石田が互角に持ち込めるかどうかである。
 最後に名古屋市。前々回の衆院選挙では民主党が全5区を制したが、前回選挙では5区で取りこぼした。全体としては拮抗しているが、比較的革新系の強い2区、人口増の3区を中心に石田リードであろう。しかしここである程度の差をつけないと、郡部に強いとされる神田を捉え、追い越すことはできない。
 さて、そうならいつまでもパソコンの前にはおれないから、ポスティングに出掛けようか。

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2007年2月 1日 (木)

選挙終盤だから書きます

 こういう手合いには閉口する
  「HUSEN-NET ML」というのがあって、1月28日付でK・I名で以下の投稿があった。
 「愛知県知事選に関し、'07年1月24日(水)朝日新聞朝刊(名古屋版)社会面26ページに注目すべき記事が載りました。タイトルは『阿部氏、憲法前面に 神田・石田氏は触れず』です。知事選に関心のある方で、まだ読んでない方は是非読まれるとよいでしょう。いったい愛知県知事に立候補した人たちが、今の憲法をどう考えているのか、私のように現憲法を極めて重要と考える『市民派』には、最大の関心事です。水田 洋さん、影山 健さん、クリスチャンでNGO活動家の池住義憲さんが、憲法を大事にするといっている知事候補の阿部氏を、(恐らくは困難な中)政党レベルを越え支持されているのは、さすがに見識というもの」
 他に、1月7日だったと思うが、「住基ネット」反対のグループ主催の集会で、石田応援の発言をした人がいたこと、講演の中島哲彦氏は石田さんのブレーンではないとかかんとか、でした。(敢えて全文をここに載せませんが)

 実は、こういったメールでの「論争」を私は好まない。例えばK・Iなる人物は全く知らないし、匿名かもしれない。そのような闇の中で拳を振るうようなことの徒労は避けたいからである。従って、ここでは論争でも反論でもない私の、知事選に関わる立場を改めて書きとめておくことにする。
 2007年参院選に関して、2006年7月7日から関わりはじめ、「平和の共同候補を求める」立場から、4か月の議論を経て、11月11日に「平和の風愛知」を結成した私たちは、愛知県知事選挙が、その運動にとって不可避のものであるとの認識に立って、参院選の議論を一時中断し、この選挙に取り組むことにした。
 その基本的な認識としては、2007年が選挙イヤーといわれ、政治決戦の年とも言われているが、その前提として小泉-安倍の政治路線に抗する運動こそ必要であると考えた。
 そこで、愛知県知事選挙で自民党、公明党の推す神田候補を破ることは、安倍政権に痛打を与え、世論にも少なからず影響を与えるであろうと判断した。
 知事選挙である以上、そうした認識を踏まえた上で、さらに地方自治の問題意識も持ち、神田より石田のマニフェストを評価した。同時にマニフェスト作成段階で(私の個人的なものではあったが)提言もした。さらに、その政策を具現化するには、石田当選が第一義と考えこんにちに至っている。
 これらの経過については全て、K・I氏が評価する池住義憲さんとも議論を交わしたところであり、基本的には理解を戴いているものと思っている。私と池住さんとのこんにちの立場の違いは、下記4、のところでの違いではなかろうかと私は思っているが、その後の池住さんの考えは聞いていない。

 そこで私の立場を箇条書きにすれば、以下の通りである。
1、二期8年の神田県政をさまざま検証した上で、県政を変える時期であり、新しいリーダーを迎えたい。石田芳弘さんはそれにふさわしい人物である。
2、「地方が国を変える」ではやや言葉足らずだが、例えば、平和憲法を変えようとする自公政権を代えるのは、一つは国政選挙、もう一つは、リーダーシップに基づく地方自治体の行政力、発言力。従って、そのための知事を選ばなくては始まらない。
3、マニフェスト型の自治体運営を大いにやってもらいたい。マニフェストに共感し、支持するその候補者を当選させなければ、残念なことに机上の空論になってしまう。だから、私(たち)は石田候補当選に一所懸命なのだ。
4、知事選挙で「憲法論議」を争点とするかどうかは、有権者にとって、知事を選ぶ有力な選択肢となりうるか、その仕掛けに相手候補者が乗ってくるかどうか。仮に“肩透かし”を喰らって、有力選択肢を相手候補に奪われることになれば、それは戦略的にみて愚策である。
 結局、「政権交代」つまり勝ちに行く選挙か、主義・主張重点で勝敗を度外視する選挙かの選択とも言える。
 私は前者を取った。
5、当選後の石田氏をサポートするのは、党や県議会(議員)だけではない。無党派を自認し、石田候補の言う「名もなき大衆」とは、私たち勝手連でもある。だからこそ今から「私たちの政策論」が必要と私は説くのである。(1~5は、石田-勝手連のMLへの投稿から)
           
 以上の1~5の項目を主に「HUSEN-NET ML」に投稿したところ、かつて永く豊田市会議員を努められた渡久地政司さんが、以下の投稿を寄せられた。
 「あなたの考えを支持する。憲法とかナンダ『カンダ』よりは、短期的には目前の敵を倒すことです。敵の「敵」は 味方です。カンダの味方は『共産党』です。目前の敵は、カンダの後ろにいる自民党と公明党です。短期的戦略を誤った共産党こそ批判しなければなりません。共産党の判断ミスは犯罪的です。残された数日間 ご奮闘を!」
 ややストレートに過ぎる感はするが、ここで紹介する以上、私も同感するところ多である。

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緑区勝手連の今日

  (内容は1月31日の出来事です)
 経験的に言うと、ハンドマイクでもいいが、とりわけ街宣車のマイクを使ってしゃべることは、さほど苦痛ではない。
  気持ちが乗ってくると、話す内容のページが次から次へと用意できるのである。
  一方、街頭などで見知らぬ人を相手に、一人でビラをまくときは、これがなかなかで、勇気がいるというか、心細いものである。多分、次の選挙に立候補を予定している人の場合などは別であろう。自分自身のためであるばかりでなく、目的のための手段であり、その場限りのものでもないからだ。
  だが単に頼まれ、ノルマのようにするビラまきは、大勢の中の一人なら気も紛れるが、日が暮れた夕方、しかもぽつり、ぽつりとしか来ない人を相手に一人立ち向かうのは、実際のところ滅入るものだ。だから、石田当選のために無我夢中になるか、“藤ヶ丘や豊橋に遅れをとらないぞ!”と言う気持ちを高ぶらせないとやっていられない。とはいえ・・・。

  今日の夕方5時過ぎから1時間、勝手連ののぼり1本を街路樹に立てかけ、もう一本を左手に持って一人で、食品スーパー前でチラシ配りを行なった。もう少し買い物客が多いと見て出かけたのだが、配りきれたのは約80枚。受け取り拒否は20人に3人くらい。つまり見逃した人もいたとしても、1時間に100人余りしかいなかったわけだ。他人事ながら、生鮮食料品を置いている店で、これでいいのかなと心配してしまう感じすらした。
  人が少なければ、一人一人に話しかけてチラシを手渡しできるのはいいことなのだが、人が途切れるとなんだか急に心細くなってくる。知り合いの人でも来てくれて会話でもできれば、気持ちもリセットされるのだが。
 
 一方緑区役所講堂での個人演説会は、駐車場では車が溢れ、満席の260席は7時開会の20分前には埋まって、立ち見が200人近くいたから、450人前後はいたのではなかろうか。民主党市議3人、県議2人の“動員力”によるところが大きいのは確かだ。動員できるのは浸透力の証しでもある。いけるか!石田よしひろ!
 さて7時までは、誘った人を入り口で待ちうけたが、結局「勝手連」としては、会場右前方の壁際に立ち、5人でのぼり2本、ミニフラグ3本を掲げた。こういう場所でのぼりは、10本くらいは立てたいものだと感じた。
  勝手連も、1行政区で10人ほどまとまれば、まさに“旋風”を起こすこともできようが、一人、二人では“扇風”程度かもしれない。まあ、それでも行け行けどんどんで遮二無二なれるのが「本家勝手連」である。さて明日は・・・。
(1月31日付書き込み)

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2007年1月30日 (火)

勝手連30日の行動

大須万松寺の場
 私も含め3人が事務所からのぼり20本を積み込んで、大須までタクシーで運び込んだ。
 5時過ぎから、Yさんのメガホンを先頭に10人余りがのぼりを押し立て、万松寺通りでのミニパレードに出発。平日の夕方ということもあり人の波はそれほどでもないが、やはり若い人が目立つ。「選挙権ある?」「投票に行ってね」などと声をかけ、チラシを渡し、話しかけ、途中から「知事には?」「石田!」「2月4日の投票は?」「石田!」「教育は?」「石田!」「子育ては?」「石田!」「いしだ!いしだ!いしだ!いしだ!・・・」のコールが唱和された。
 大須観音からUターンして、万松寺通り本町で“太鼓隊”と合流すると、流れは俄然賑やかになった。5時50分終了。

記念橋の場
 大須万松寺から、上前津交差点を東方向、名古屋市公会堂に向かって“太鼓隊”と“のぼり隊”の一行が歩き始める。すっかり暗くなった通りですれ違う人はまばらで、かつての古書店街の賑わいは既にない。新堀川に架かる記念橋を渡り、中警察署前を抜け、食品スーパー、コンビニを左に見ながら、鶴舞交差点に差し掛かった。白いアーケード街が目に入ってきたが、やはり人通りは少ない。車は絶え間なく走っているのに。
 歩道橋を渡ってJR鶴舞駅に差し掛かると「教育勝手連」のみなさんでが、チラシ配りをしていた。鶴舞公園内からなにやら大きな音が聞こえてくる。

公会堂前の場
 公園入り口で隊列を整え、公会堂入り口に向かう。その通路は、「総決起集会」に向う多くの人々でいっぱいである。
 進むにつれ、街宣車の大型スピーから流れる石田応援歌や“風起こし隊?”の石田コールがボリューム一杯に流れ、がんがん囃し立てているのが見え、聞こえてきた。
 さて開会まであと10分ほど。私たちの勝手連で壇上に上がる20人の“女性のぼり隊”をまとめねばならない。女性を見つけてはお願いしてみる、Yさんが奔走してどうやら形が出来上がったようだ。よくみれば辺りは、出演前の舞台裏のようであり、“出陣前”の雰囲気でもあった。壇上に上がらない私たち10数人は、アイネットのミニフラグをもって最後尾についた。

晴れ舞台の場
 会場左右の通路で2隊に分かれて勝手連の“のぼり隊”が「いしだ!いしだ!いしだ!」のコールと共に壇上に上がった。そこには、愛知県を一周した学生グループの自転車隊と、教育勝手連の仲間もいて総勢60人余りが壇上を埋めた。
 青色の勝手連ののぼりがひときわ目立つ。このアイデアを実践した人に感謝。教育勝手連から女性が力強いあいさつと参加者にエールを送る。自転車隊の南山大学の学生が言葉短かだったが、やれることやった、これからもやれることをやりますと、やや照れくさそうに話し、それがかえって“普通の若者”に感じられて好感。
 私たちは、右側壁際でミニフラグを振ったが、演壇近くは、報道陣に占められていて、近づけなかったのは残念だった。登壇は10分ほどのプログラムであったが、パワーポイントの映像とこのパフォーマンス以外は応援演説だけであったから、盛り上げに一役買ったのは確かだった。
 この後は、鳩山由紀夫民主党幹事長が登壇、再々の来名で明日も駅前に立つようだ。続いて社民党の辻元清美議員が真っ白のスーツで登場、名古屋出身であることを紹介しながら関西弁も交えて、相変わらずの雄弁なところを見せていた。しかし思えば“もったいない”と思うのだ。彼女こそ、街頭に立ってほしい人なのだ。女性応援団は誰がいい?と呼びかけられ、即座に「福島みずほ党首、辻元清美議員」答えてメールした途端、今日の登場であったが、国会が開会中でなければもっともっと応援してくれたに違いない。あ~あ、もったいない。

候補者登壇の場
 映像が始まって程なく、石田候補が到着し、中央通路を左右の支援者と握手を交わしながら、演壇に上がった、大きな拍手と歓声が上がり、小旗が振られ、熱弁が始まった。
 この日は場の雰囲気を感じてか、民主党を大いに持ち上げてから、「地方が国を変える、政治があってこそ問題を解決するのだ、強いリーダーシップがあればどんなことでもできると確信している」「政治は財界とあるのではない、名もなき大衆と共にある、生活者の視点に立った県政をやりたい」珍しいことにお金に関して神田批判が展開された。「あんなにパーティー開いて金集めてどうする気か」そして「アンケート結果は、私が言っていることと同じだ。私に県政をやらせてください」と何度も頭を下げた。参加者もそれに応えて盛り上がった。
 連合愛知神野会長が締めくくりのあいさつをしたあと、再度マイクを握った石田さんは、ここで勝手連の存在に気がついたのか、高揚していて一瞬、失念していたのか、250近い勝手連の運動をねぎらい、期待を寄せ、評価の言葉を強めた。
 午後8時をやや過ぎて散会となった。3階までほぼ満席だったというから、参加者は2000人~3000人?(幕)

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