2011年2月 2日 (水)

みその・石田合同個人演説会、緑区

 岡田幹事長、松原元市長も登壇
 午後7時30分から緑区役所講堂で、みその・石田合同個人演説会が開かれ、約350人が会場を埋めた。
 壇上には、民主党の県議、市議と地元3区の近藤昭一衆院議員が並んでいたが、応援団の今夜の主役は、最初に岡田克也民主党幹事長、続いて松原武久元名古屋市長であった。
 岡田は最初に市長選挙に触れ、「確かに2年前河村を推薦したが、その後の2年間の成果はどうであったか」と切り出し、「市長と議会が対立し続けることがいいのかどうか、リーダーというもの、敵をつくってそれをたたくということではなく、説得して状況を作り出すのが真のリーダーだ」と首長(リーダー)像を説いた。
 次に「減税論」にも触れ、現在の状況で「減税が、どれほど効果があるのか、税金は、どこを重点にして使うのかである(それが行政マンの仕事)」とした。ここで中央の「事業仕分け」を少し解説的にアピールしてもよかったのではないかと思ったが・・・。
 さらに、難しい選挙にもかかわらず衆議院議員を辞して、市長選に立候補した石田の勇気をたたえるとともに、「中京都構想」にも触れ、この「河村―大村」連合の主張は、名古屋市を解体することになり、橋下の「大阪都構想」も同じで、大阪市の解体であって、ここに至ってこの知事選、市長選は「愛知県、名古屋市だけの問題ではない」とした。そこで、知事選の話も絡めて、みその候補に勝ち抜いてもらいたいとして、“官僚”としては珍しい、みそのの経歴に触れた。要は、行政経験が豊富で、それは能力の高さを示すものであるということだろう。
 松原元市長の登壇には少し驚いたが、要請されて駆けつけたのか、前市政を否定されたような「河村市政」にいたたまれなくて自ら買って出たのかは知らない。私の中では印象の薄い市長であったが、さすがというべきか、3期12年務めた市長の話は、それなりの説得力とユーモアを交える話術があった。
  石田候補については、バランスのいい人、衆議員を辞めてまでの立候補の決断を讃えた。そして、幾つかの話の中で一つ取り上げれば、やはり予算-減税問題であろうか。「10%是か非か」という立て方ではなく、名古屋市予算のうち「健康・福祉予算」は、2008年は3060億円、2009年3213億円、2010年3705億円(数字は聞き違いがあるかもしれない)と増え続けているとした。これは「高齢化」が要因であろうが、つまり、これからも増え続けるであろうことは、その財源はどこに求めるかであり、それは税金からだ。とても「減税」などあり得ない、ということだろう。(税収減は、健康・福祉予算の削減で、現行水準の切り下げにつながる)
 さて、前会場の天白区から急いで来たであろう石田候補が壇上に駆け上がった。お顔の色も艶もよく、疲れた様子を見せない元気な姿であった。
 新聞の世論調査の報道は見ているであろうから、かなり苦しい闘いだと自覚はしているだろうけれども、そのことで、俗にいう「土下座」する風な悲壮感がないのがいい。
 石田は、この選挙では、改めて「税金問題と議会改革」について市民の判断が求められているとした。そこで、この間の市内の遊説先、例えば、商店街、市民病院、造園業の人たち、保育園での聞き取り、訴えから、行政からの支援が低下している実情を知ったという。10%減税でしわ寄せされている事例であろう。
 議会改革については、地方分権改革推進法(2007年4月施行)、特定非営利活動促進法(NPO法:1998年)の成立などによって、状況が大きく変わりつつあり、「地域主権」の時代到来と共に、地方議会が中心となり、議会も成熟していく必要があるとした。市長就任の暁には、「二元代表制」のもと、この議会改革に尽力したいとした。「話し合う努力とその過程が大切だ」「対立を対話で乗り越えること、それは世界の指導者、マンデラ・南ア大統領、ガンジー・インド首相、リンカーン・米大統領がそうであった」として「河村さんはその対極にある」と、一太刀を振り下ろした。
 最後に、「首長たるもの、ビジョンを語らねばなららない」として「町は生命体であり、病気にもなる。だから私たちは、希望を持たねばならない」「あの“はやぶさ”にどれほど元気をもらい、勇気づけられたか。その高い宇宙・航空技術が名古屋にはある、人材がある」「これを生かす、伝える遺伝子が、この名古屋にある」と熱っぽく訴えた。
 演説の最後に、みその候補がマイクを握った。ひょっとして、今夜の来場者の大半は、みそのと初対面ではなかろうか。
 キャラとして、インパクトが薄いかな、そんな風に感じるのは私の偏見かもしれないが、それは「行政マン」として豊富な経験、能力を持っているとしても、それを言葉として有権者にアピールすることがいかに至難の業であるか、ということでもあるのだ。壇上のみそのは、自らの足跡をキャラの中心に据えていたが、短い時間で、聴衆にどう初印象を与えたであろうか。
 さてみそのは、1977年に旧自治省に入省し、その後、こんにちの愛知県知事選挙の候補者になるまでには、長い道のりと多様な行政経験の積み重ね、教壇に立つこともあり、その経歴には、従来の候補者にないものを感じさせる。しかし、それはテレビで紹介されるというようなことはなかったので“地味”というほかない。
 それが大村との“露出度”の差で、それが有権者の判断基準とすれば、やるせない気がしないでもない。
 それはそれとして、みそのは、「愛知県の財政は、例えばリーマンショック前までは、1兆3600億円の予算が立てられたが、現在は5000億も減って8600億円しかない。」とした。つまり「元気な愛知、元気な名古屋」といわれても、実態はこうなのだ、「10%減税」どころではない、と言いたかったのであろう。「予算の重点化を図る県政を運営する。それには知恵と経験が必要だ(私にはそれがある)」
 最初の頃の“ぼそぼそ”感のある話し方から、目線を広く持つなど、ようやく知事候補者らしくなった。そこで、二大公約とする「あいちブランドを世界に」「あいちを福祉・教育の王国に」に加え、「確かな改革実行力」を「地域再生のプロ」「愛知への情熱」「現場第一の行動力」として発揮するなら一言、「みそのは、○○をやる!」という「○○」がほしかったが、私なら・・・、思いつかないなあ。
 あと3日、私はもう1回「手紙」を出そうと思う。これが応援の最後になろうか。

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2010年12月28日 (火)

2011知事選挙(6)

 選挙運動は年明けへ。石田勝手連と合流か
 知事選の、みその候補の応援団の一つである「勝手連」の集まりが昨夜あり、やや気が乗らないまま覗いてみた。
 先週の日曜日から1週間がたって、どの程度膨らんでいるかだけに興味があったが、この年の瀬のせいであろうか、あるいは、今回は政策要求を議論する場ではなく、運動の進め方という、いわば勝手連の選対会議のようなものであったせいか、集まりは少なかった。
 この1週間で、選挙事務所内に勝手連のスペースが確保され、半専従のボランティアグループが着任し、部内ニュース第1号の作成と進んではいるが、やはり、若い人、女性がいないと活気がないように映る。
 この日の中心議題の一つは、30日に、事実上旗揚げとなる名古屋市長選挙の候補者・石田芳弘さんの応援団、勝手連との合流の議論であった。勝手連だから合流も何もないはずのものであるが、それはあくまで、自発的な盛り上がりがあってこその話で、ここでいう「勝手連」は、組織された市民応援団といった方が正確であろう。民主党や連合愛知などの組織団体を「官」とすれば、この応援団は「民」といったところ、しかも後援団体ではあるが、「勝手に」だから、「後援会」そのものでもないのである。
 合流するかどうかは30日の結果待ちであるが、年明けの、特に1月20日の告示前のイベントなど、当面する日程の中で、勝手連の出番、決起集会をどう成功させるかが第2の議題であった。これはひとえに、勝手連がどれだけ誕生するかにかかっているのだが、“仕掛け人”の腕次第。その仕掛け人は誰であったろうか?
 16日のブログで私は、「御園候補に“当選の芽”が見えた?」と書いたが、現状はやはり、知名度の高い「河村・大村」連合が、一歩先んじているらしい。特に私が、「自民党のがんばりで、自民党支持票は重徳に行き、大村は浮動票頼りだけになる」と分析したが、「自民党内では、かなりの人が大村支持で動いている」「重徳、大村で保守票掘り起こしが活発で、御園は埋没している」という声も聞かれた。
 いずれにしても、年明けの、松の内が明けてから、本格的な選挙戦となる。短期決戦で、アイデア勝負であるが、最も勝敗を決する要因は、やはり、菅民主党政権の動向であろう。本来なら、中央と地方は必ずしも連動しないのであるが、昨今は、ほとんどいっしょくた!しっかり連動している事実が、地方議会選挙などで現実化している。小沢問題を引きずったままで推移するなら、御園も石田も逆風をもろに受けてしまうだろう。それを克服するには、文字通り、勝手連が雨後のタケノコのようににょきにょきと顔を出すような一大ブームが起きないといけない。
 私は、私の身の処し方については揺れたままである。4年の歳月は、思ったよりはるかにフットワークが退化していることを実感させるのである。

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2010年12月20日 (月)

2011愛知県知事選挙(5)

 みその慎一郎・市民政策ヒアリング
 知事選挙の候補者・御園慎一郎氏の後援会が取り組んできた、市民活動・運動の立場からの政策ヒアリングは、これまで2回開催されてきたという。昨日は、その3回目で「市民政策コントラクト(契約)集約会議」があると聞き、初めて参加した。
 そもそも「市民政策コントラクト(契約)」という性格、位置付けがよくわからなかった。会議が終わってからもその疑問は消えなかったが。
 それはともかく、過去2回、市民団体から出された項目は15項目で、「文化・芸術、文学」から始まって、「障害者福祉・権利」「私学助成」「子ども・若者支援」「貧困」など切実で緊急性のあるものが目立ったほか、「議会改革」「自然環境・公共事業」「平和」などの項目もみられた。
 それら、出されたものを「政策コントラクト(契約)」として文章化し、それを候補者と相互が確認するというものであった。
 さて私は、発言の機会があると思い、4項目を用意した。①県財政の健全化<例えば県債を2期8年で半減させるなど>②女性の登用を<副知事に女性を。各部署に女性の幹部職員を配置>③セーフティーネットの確立<貧困対策だけでなく、お年寄りの“孤独死”をなくすなど。(言外に、災害時の危機管理などを含む)>であった。4つ目は、設楽ダムの建設中止を含む自然保護・環境政策であったが、これについては提案されていて、扱いが「検討中」であったから、発言を控えた。
 また、個別の政策案件は、ここに参加しなかった(知らされていなかったものも含む)ものも多々あるだろうから、それらを含めて全体会議の中で議論する余裕は、この時期、この場にはなかった。要はこの先(当選した暁には)「当事者主義」として、その課題の当事者と行政(知事)が話し合いを持つことだという発言、回答で集約された。ただ、このようなものは、どの候補者も口にすることであり、しかも実行されたという話は稀有である。(支持団体とか、候補者(知事)近辺ではあるのであろうが)。
 「みその3つの約束」の最後にも「完全地域主権、全員参加の県政確立」という文言があったが、「全員参加って?」となる。まあ、それよりも、“とりまき”ではない、率直で具体的な助言のできるブレーンを置くことだと思うし、知事を支える県市町村の議員が、選挙のための後援会活動だけなく、行政に対する声を周辺から集める作業に力を入れ、それを議案として県議会に出せる力をつけることだろう。さして難しいことではない気がするのだが。
 なお気になった中では、「愛知県に文学賞の創設を」という提案には賛成だ。ただその財源は、県からではなく「無条件での、企業及び個人有志から寄付金」というのはどうだろうか。愛知は“ものづくり”が盛んというけれども、それだけでなく文化の高まりは、行政全般の感覚を養い、質の向上にもなると思うからだ。
 もう一つは、議会改革で「議会内閣制」を是認している点である。ここには、首長と議会の「2元制」の問題を含んでいるからではないかと思うが、例えば御園氏が当選したとして、県議会で与党となる民主党が現在のように過半数をもたない場合、どうなるのかは明らかである。自治法の関係は知らないが、「議会内閣制の成立⇒知事辞任⇒議会で多数党(会派)また、多数連合の会派の候補者が知事に」となる。それ見越しての「約束」か。さらに、「議会内閣制」は「一院制」であり、多数党の独壇場になる。野党やまして少数会派の意見反映はどうなるというのだろう。まさに河村名古屋市長が画策しているそのものではないか。違うだろうか。

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2010年12月16日 (木)

2011愛知県知事選挙(4)

 以下のコメントは、C&Lリンクス愛知・第62号に掲載したもの。状況は日々移り変わっていくので、執筆時の12月14日時点のものである。
 年も押し迫っており、名古屋市長選挙についても新たな動きがあるかもしれない。

 御園候補に“当選の芽”が見えた?
 愛知県知事選挙の候補者が出そろい、早くも終盤戦にかかろうとしている。
 選挙では、知名度のある候補者が公示直前に立候補を表明し、“あと出しジャンケン”で、票をかっさらうという戦術があるそうだ。まさに、河村たかし名古屋市長とタッグを組む元自民党衆院議員の大村秀章候補がそれだ。知名度だけですんなりいくほど愛知の有権者は・・・ないとはいえないが。
 さて、茨城県議選で大敗した民主党の推す御園慎一郎陣営では、今どれほど運動が浸透しているかは知らないが、現段階で、大げさにいえば(私的)選挙情勢を分析してみた。そしたら、御園候補に“当選の芽”が見えてきた気がしたのである。それは、
1)菅政権-民主党の支持が急低下しているとのことであり、加えて、年末から年始にかけて、民主党内で亀裂が深まることになれば、御園氏には全く責任はないのであるが、政権批判票、“浮動票”の離反が広がり、御園氏には「組織票」しか残らないから、ここでいう“当選の芽”は消える。
2)前回の石田選挙で盛り上がった市民グループの「勝手連」の動きは、未だ聞こえてこない。選対事務所が戦術的に重視していないか、人材の不在かもしれない。これは、私との距離でもある。
3)大村氏が、目新しさを狙ってか「中京都」という構想を口にした。口にしたというのは、そのネーミングだけで中身はないということだが、選挙に不可欠な話題づくり、争点づくりでは効果がある。その意味では、御園氏を含め他候補を一歩リードした感がある。
 にもかかわらず、御園氏に“当選の芽”が見えた根拠は何か。
1)まず選挙は、御園(民主・社民)、重徳(自民・公明)、大村(新党)の三つ巴の争いになることは確かだ。(みんなの党の候補は、首長に女性という流れが弱い)そして激しく競り合えば競り合うほど御園有利と思われる。また大村優勢の前評判が高ければ高いほど、これも御園に有利だ。
2)自民党県連は、大村の除名を求めた。そして重徳を擁立した。知名度のない重徳の当選を期するには、公明党の票とかなりの戦術を駆使しなければならないが、それ以上に大村に負けられない、負けても僅差で、御園の上を行かなければならないという切実な背景がある。がんばるだろう。
 自民党・公明党のがんばりは、両党の支持層を固め、大村票は「浮動票」だけに絞り込まれる。その浮動票も、全県的とは言えず、名古屋市中心となる可能性が高い。
3)名古屋市議会と河村市長の決裂は決定的である。部分的に河村票が大村票と重なることはあっても、かなり限定的ではないかと思う。仮に名古屋市民の河村票が半数あったとして、それが大村に重なるのは3分の2と見ても、全体では3割強。大村陣営の票の読みとしては、自らの知名度と、河村人気が名古屋市以外でどこまで広がっていくか、にかかっているのではないか。
4)前回選挙でサボタージュした民主党名古屋市議団は、今回はそうはいかないだろう。河村の対抗馬にもよるが(いまだに未定!)河村に圧勝されては、全面敗北の汚名を着ることになる。市議自身の選挙もあれば、多少ましな選挙運動をするに違いない。それが御園に連動すれば、だが。
5)御園選対の事務長にトヨタ労組出身のK氏が就任したと聞く。もし事実ならば、連合愛知-トヨタ労連も前回とは比べものにならないほど動くに違いない。それは、西三河一帯、特に愛知13区をも巻き込み大村の地盤を侵食していくだろう。
  こうしてみると、先回の石田選挙敗北の要因-名古屋市(市議団の手抜き)、豊田の11区(トヨタ労連の緩慢)-が除去され、自民党が奮闘して、御園の“当選の芽”が出てくると思うのだが。 
(昨日のブログにも関連記事)
※御園選対の事務長にK氏は間違いです。K氏は、後援会の事務総長でした。(12月19日)

 

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2010年12月 8日 (水)

2011愛知県知事選挙(3)

中京都って?
  愛知県知事選挙の候補者が出そろったようだ。
  “台風の目”となりそうだというのが、河村たかし名古屋市長とタッグを組む元自民党衆院議員の大村秀章候補だ。“台風の目”かもしれないが、気象学的にいえば、台風の目自体は、無風であると聞く。
  さて、先日、民主党推薦の御園慎一郎氏の集まりに参加して、マニフェストは作成中と聞いたが、その後音沙汰がない。それは私が対象外かもしれないと思う一方、まだ配布段階にないかもしれず、そうだとすると、市民グループの自主的な応援団である「勝手連」の動きも聞こえてこないから、かなり遅れているというか、盛り上がりに欠けていることになる。
  そんな中で立候補を表明した大村氏が、目新しさを狙ってか「中京都」という構想を口にした。口にしたというのは、そのネーミングだけで中身はないということだ。マスコミの突っ込みは早いもので、橋下大阪府知事や河村市長と並べて較べ、一体のものかどうかを質した。神田知事の発言も拾っている。
  中身がないから、あれこれ言うのもなんだが、地方分権(地域分権)、道州制などと次元は同じであろうから、その切り口から考えてみる。
  例えば「道州制」についていえば、いわゆる「改革派知事」といわれる人が共通言葉にしていた。前回の候補者だった石田芳弘現衆院議員も積極派だった。だが私は今もって、その「広域行政」には疑問符を付けている。
  その理由は、都府県にまたがる、森林、河川、海浜・海洋、港湾などが行政区を境にしてちぐはぐな施策がなされてきたのを改めるには道州制がいいと聞かされた。あるいは、4つ~5つの県都を一つにすることで行政改革が進む、ともいわれた。他にも道路行政、財政の効率化、病院、上下水道、ごみ処理などインフラ面で効率化がはかられるということもあろう。
  だが一方で、「廃県置州」が行われたとして、それらが完成するには数年から数十年かかることも考えられる。その間は、行政全般で「屋上屋」を重ねることになる。また大都市圏と過疎地との格差が広がる一方、行政サービス低下の恐れが強い。「州議会」は、広域の選挙運動を余儀なくされる一方、旧都府県の議席の取り合いになり、それがグループ化し、利害関係が先鋭化するかもしれない。解消するまでに相当な年月がかかろう。
  さて、そんな風に考えながら、道州制とは違う愛知県だけの広域行政「中京都」構想を私なりに想定してみると、「
中京都」の行政の中心は名古屋におかれる。名古屋市16区は半減から4分の1に改編され、区議会をもった特別行政区になる。周辺の市町村も「特別区」に組み込まれる。その他についても、基本的には群町村をなくして市となる。知多、尾張は西部と北部、西三河は北部と南部、東三河は、渥美・豊橋とその他の様な広域の市制が敷かれるかもしれない。
  住民税は「都税」に一本化して各区・市に一括交付・・・。私の思いつくことはたかが知れているが、要は、これらの発想が「縦割り行政」「国の出先機関と重複」「財源の地方移譲」などから出ていると思われ、そうであるなら、現実の問題として、それらの問題は今のままでも十分に解決できるのではないかと思うのである。逆に、それができなくて、道州制や「中京都」を構想して、多額の初期費用を投入しても、混乱を期たすだけではないだろうか。まず県債、河村市長は市債の全額返済を済ませてから、改めて、詳細で確実性のある構想を出してみたらどうであろうか。雰囲気だけでことを決める愚は、もう終わりにしたいものだ。

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2010年11月27日 (土)

2011愛知県知事選挙(2)

  文字通り新人の御園氏に注文多し
  今日の段階で、選挙体制として整っているのは、民主党の推薦、連合愛知の支持、みその慎一郎後援会といったところか。各団体からの推薦も多く届いていることだろうが、逆に、知事選のマニフェストは作成段階、勝手連などの市民グループの動きはない。後房雄氏が支援するとのニュースくらいだ。
  そんな中で後援会のリーフレット(内部資料としての第1版)をみてみると、
 「躍動する愛知」を再び!
1)愛知版経済成長戦略<企業活動を全面的にバックアップ>
2)県民安心愛知モデル<医療・福祉の融合を核とした>
3)県庁の「解体的新生」<現場第一!慣例打破>
4)教育新生構想<教育の質を高め、多彩な才能を伸ばす>
 キャッチフレーズと政策の4本柱には、それぞれコメントが付けられているが、概要であるから詰めたものではない。マニフェストが出来上がるのを待つしかない。
  さて、現時点でのこれら政策の柱やマニフェストの作成が、どこでどなたたちによるものなのかも関心が集まったが、少なくとも前回の石田芳弘さんのマニフェスト作成に中心的に関わった人は、参加していないとのこと。
  それはともかく、御園氏の話を聞きながら、このリーフレットを見ていたが、とりたてて「躍動感」をそそられるというものではなかった。
  そこで気がついたのが、前回候補の石田さんとの比較が常に下敷きにあることだった。
  私にとって石田さんは、かつては自民党県議であり、犬山市長時代もそれほど知っていたわけでもなかった。だから、「初めて接した感じは『なるほど、ヘヤースタイルを同じようにしたら、小泉前首相そっくりだ』という世俗的感想は持ったのは確かだ。しかし一方で、神田現知事と較べ、かなり『庶民受けする』話し方、切り口だなあと感じた。犬山市長としてのアイデア、ガバナンス(市政をよくつかさどる能力?統治能力?)を、地方自治・県政にも生かせる、地方から変えていくとして、とりわけ『教育』を取り上げたのは好感が持てた。」(2006年11月3日のブログ)という印象を御園氏と比較してしまうのである。初対面、初印象は、選挙という場では「政策面」よりも先にインプットされることが多いのだ。
  そのような出会いであったから、御園氏の話をうっとり聞くというより、“こうした方がいい”というレベルになりがちであった。それは「自治省出身の官僚というイメージが強いが、会ってみると案外気さくな人だ」「家庭の問題にも向き合い、苦労人の面もある」という応援の声もあった一方、着衣を見て「スーツは黒系統よりも明るい青系統がいい」とか、後援会リーフレットにあったプロフィール「昭和28年(1953年) 御園家の長男として誕生」の「御園家って何?」の指摘まで出た。また趣味としての「蕎麦打ち」とか、まだ現役という「サッカー」人生(日韓W杯の組織委員会の業務局長も担当)もいいが、自治省から2度の愛知県への赴任時、どんな仕事をしたかをアピールした方がいい、といった“注文”の方が多かった。
  まあ、それも仕方ないことだ。出席者の多くは、県政、議会などに長じた人ばかりで、その上、選挙にも経験豊富なのだから。地方議員、国会議員の経験のない御園氏は、財政問題などの政策面では得意な分野として饒舌になれようが、ここは聞くしかないということだろう。
  どなたかがいわれたが、“どんどん人と会って話を聞き、意見を交わしていけば、一皮も二皮もむけていく”という一言には期待と不安がないまぜであったが、私にはその“一皮も二皮もむけていく”というには、残された時間は少ないような気がした。「勝手連」が動き出すにしても、12月に手が届きそうなこの時期、話が出てきても一気に年を越しそうな気がしないででもない。
  さて、「知事選の関わりは、もう石田さんの時で終り」と決めている私は、自ら旗振りに動くつもりはない。しかし政治、地方自治には関心はあるので、知事選挙のレポートは今後も続けて行くが、どんなふうにして接点を持つかはわからない。再度の招集を待つ身である。
(続く)

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2010年11月25日 (木)

2011愛知県知事選挙(1)

  御園慎一郎候補と初対面
 昨夜は、「リベラル政治懇話会」の会合があって、その場で、2011年2月6日投票の愛知県知事選挙の民主党推薦候補者、御園慎一郎氏と初めて会った。
 会合の始まる前、名古屋市議会解散請求(リコール)署名が不成立の終わったことがひとしきり話題となった。だがテロップで知った程度ということで、無効署名の根拠は何かが話題の中心となった。しかし、不成立でも35万か36万かの署名があったという事実は大きいというのが大方の意見であったようだ。
 さて来年の知事選挙であるが、最初に、民主党の高木県議から、前回選挙のあった2007年からの神田県政の足跡を、概略振り返る報告があった。
・2007年 4月2日の新職員入庁式で、障害者を「弱い、悪い遺伝子を持った人」と発言し、非難を受け謝罪。
・2008年 裏金問題「不正経理問題」で、知事は「裏金ではない」としたが、批判されダメージを受けた。
・2009年 鳥インフルエンザで、豊橋の農家で160万羽を殺処分発生。対応に追われた。財源不足4900億円
・2010年 県債残高増加が明らかになり、2013年度には5兆円超え、という財政問題に直面。
 という流れの話のなかで、神田県政・神田知事について、財政問題では、リーマンショックで赤字に転落したトヨタなどからの法人税の落ち込みが大きかったとか、2010年の、生物多様性第10回締約国会議「COP10」、国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」というイベントで、知事としての存在感をアピール、4選への意欲の表れではなかったか、という話もあった。
 だが、オール与党体制ともいえた県議会ではあったが、頼みの自民党は、2009年の衆院選で、県下の選挙区で全敗するなど、政権交代で風向きも変わったことは、神田知事にとって4選を断念させた要因であったろう。そしてもう一つは、東京、大阪に次ぐ、さらに中部・東海地域をリードする大都市圏・産業中心地の愛知県知事として、いま一つ“華”がなかったこともあったろう。“手堅い県政”も3期12年までということであろうか。
 御園氏が、遅れて小牧から駆けつけ、すぐに意見交換の場となった。ただその前の雑談でも同じであったが、今回の選挙で何が「争点」となるか、御園氏は何をもって知事選に臨もうとしているのか、何を一番にアピールしたいのかが、やはり知りたいポイントであった。
  この点は少し時間をかけて整理してみたいと思うが、その前に、設楽ダムの扱いをどうするかということと、それに関連して「環境政策」の対応について、他の自民党推薦の重徳候補、河村市長とタッグを組むとされる大村候補の環境問題に対する認識についても話題となった。端的にいえば、両者とも環境問題についてはかなりの認識の高さだという評価であった。
  率直にいえば、設楽ダムの建設の可否について、これまでも今も、どの有力候補も明確に打ち出してはいない。だからそれ自体は「争点」になりにくいだろう。特に主管が国土交通省であることと、社会性はあるものの、東三河の山間部のできごとという点では、話題が東三河に限定されやすいこともあると思う。だから、「争点化」するには、木曽三川の水問題、それは長良川河口堰、木曽川導水路、上流部のダム、森林、ゴミ問題を含め、さらに、「ポストCOP10」というべき、数少ない干潟の保全、中小の河川、湖沼、森林・里山など開発に歯止め、保全と再生事業など、総合的な環境政策ということになるだろう。
  それでも争点の中心にはなりにくい。景気、産業、雇用、財政、税金などの経済問題が主流になりがちで、次に年金・医療・介護、子育てといった福祉政策、さらに、教育問題などが続くであろうが、どれもこれも重要さには大差はない。だから網羅的に並べては、有権者にインパクトのあるアピールはできない。ここが思案のしどころである。
  御園氏からの考えも、他の参加者から意見も出されたが、促されて私は「女性の目線、立場からの政策、アピール、選挙運動」が大切だ述べ、さらに「高齢者に対しても」と付け加えた。 (続く)

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2010年9月19日 (日)

愛知県知事選挙の候補者

  御園眞一郎氏有力の報道
 今朝の毎日新聞は、「民主候補 御園氏有力に-愛知県知事選 藤原氏は辞退」の見出しで伝えた。民主党県連では、21日の臨時幹事会で正式に推薦候補を決めるとされてきたが、今朝の毎日は、「今月中に・・・」とぼかしている。この日程の問題は、かなり重要な意味をもっているのではないかと私は推測する。
 それは、私が見るところ3つの要因があると思われる。まず、県連自ら候補者として白羽の矢を立てた藤原氏の辞退に、戸惑っていること。この局面の事態を見極めるために、21日では時間が少ないと考えているのではないか(と毎日の記者は感じ取った)。もう一つは、県連内部が御園氏に傾いている状況を踏まえ、石田氏に状況を伝える時間を確保したいこと。つまり、御園氏に決まったとしても、あとくされの無いように、石田氏と話をする時間を確保するため。もう一つは、御園氏の場合、自民党・公明党も「相乗り」してくるのではないか、という事態を想定しての対応策。
 私の記憶では、12年前、当時の神田真秋一宮市長をオール与党で擁立する際、御園氏も候補者の一人としてかなり有力であったが、自治省出身ということが障害となって、神田氏になったと思う。そういう経緯からすると、そして、神田知事の引退の弁の中で、「民主党が野党に転じて苦労した」という発言などからも、仮に「相乗り」ではなくても、対立候補を出さない、という対応もあるのではないかと思うのである。勘ぐれば、民主党の中にも、河村たかし市長が、独自候補を立てることになれば、民主党主導の「準統一候補」も悪くないと考えているのではないかとも思うのである。
 そういうことになれば、前回接戦を演じた石田芳弘氏では難しい。石田氏に関して言えば、連合愛知(トヨタ労連)からは、あまりいい印象は持たれていないという、もう一つの背景もある。そして、このような状況が進んだ場合、石田氏はどうするであろうか。
 石田氏が、前回選挙で敗れ、昨年8月、衆議院議員に転進しようとしたとき私は、4年後知事選を狙うべきだと反対の立場を伝えた。また知事選・石田選対の事務長であったH氏も、同様に自重を促したと聞く。このような経過から私は、石田氏は知事選への立候補をあきらめ、国会議員として国政に精励すべきだと思う。

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2007年6月 7日 (木)

知事候補者の石田芳弘さんと再会

  道州制問題を議論
 今年2月の愛知県知事選挙が終ってから初めて、接戦で敗れた石田芳弘さん(前犬山市長)と会うことが出来た。これまでも、「ご苦労さん会」のような機会がないでもなかったが、あえて参加しなかった。
 この日は、「憲法懇談会」が呼びかけた、石田芳弘さんによる「道州制問題」についての集まりであった。予想に反して参加者は7人。しかし、テーマをまともに議論するにはこの少数の方が密に議論できたのは確かだった。
  その内容は追ってまとめてみたいが、知事選挙のマニフェストで石田さんは、「道州制」について積極的推進を打ち出していて、この日も、当然その延長にあると考え、私なりに疑問点を整理して参加したのであったが、彼の発言・提起は「現時点における道州制についての問題点」という、推進と言う点には変わりがないが、現時点のものでは、問題があまりにも多すぎる、というものであった。
  いきなり、肩透かしを食ったが、他の参加者を含めてさすがに、問題の把握が違っていた。私の立場は第一に、道州制そのものの全体像が明らかでないいま、与党主導、財界積極的推進というそのものから来る“疑惑の目”であった。次に、端的に言って、中央政府の地域支配強化の一つであり、住民サービスの低下につながるのではないかと言う疑問である。さらに、税金、税制、財源、それらの実際と権限がどうなるか、欧米のそれと較べてどうなのかなどが、道州制賛成または、そういう方向に行かざるを得ないという議論に、組み出来ない理由であった。
  いづれにしても、観念的反対論はやめて研究と議論の余地は十分にあると感じたのは、この日の成果であった。
  なお、終ってからの懇親会の席で私は、4年後の知事選挙についての対応をズバリお聞きした。また、先の選挙での「勝手連」の関連資料-1・15集会、議事録、チラシ、選挙総括文書などと、私の「私家版-私の県政マニフェスト」、知事選関連記事掲載の「緑ネット」など一式を、ファイルして石田さんに手渡した。
  これで私なりの「2007愛知県知事選挙」は全て終えることが出来た。

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2007年3月 5日 (月)

愛知県知事選挙の私的総括

石田芳弘の挑戦、勝手連の奮闘実らず!
     ― 惜しくも僅差で敗れた知事選挙 ―

 知事選挙の結果は残念の極みだ。無念この上ない。
 なぜそのように歯ぎしりするのか、多分それは、最初から石田芳弘県知事誕生を前提に、その先のことを我がことのように描いていたことが最も大きいと思っている。と同時に、選挙に敗れてしまった結果、幾つかの落胆、失望が時間を経るごとに拡大してくるからでもある。

 知事選に当たっては前号の「結」で以下のように書いた。
「二〇〇七年は、四月に統一地方選挙があり、七月ころに参院選挙がある。その間に、統一日から外れた首長、議会議員選挙がある。ひょっとして、参院選挙の結果や教育基本法、防衛省昇格法、イラク特措法延長に加えて、共謀罪、国民投票法などの悪法の成立、増税案、年金改革など“格差拡大政策 ”による安倍内閣の“失政 ”があったりして、解散総選挙があるかも知れない。少なくとも、『安倍内閣打倒、解散総選挙運動』を起こさないと、いよいよ『憲法改悪』があっという間に行われてしまうかもしれない。そのように考えることは、もはや予測でも杞憂でもない、現実問題である。
 ここに中央政治に風穴を明ける、首都圏中央行動と連携した、地方政治での攻防戦がその前哨戦としてある。つまり、二〇〇七年二月四日の愛知県知事選挙は、大型公共事業・国家プロジェクト型地方政治から訣別して、地方自治といえる『住民本意の県政』に転換するなかで、中央政治に風穴を明けるまたとない機会である」と。
 選挙後の報道を見ると、序盤からの神田圧勝の予想は、「柳沢発言」で一変してきわどい選挙に変わったのだという。するとその裏返しだったのか、「民主党・連合の動きが鈍い」「石田が焦っている」という“うわさ”は。
 もっとも、終盤に柳沢発言を“追い風”と読んで民主党も選対も、国会議員を大量につぎ込んだ。社民党も辻元議員や福島党首をようやく送り込んできたが、もはや時既に遅し、であった。
 つまり中央は、はなから愛知県知事選挙を“政局”となるとは読んでいなかったし、そのような戦略を描いていなかったともいえる。ところが柳沢発言が問題化し、北九州市長選、愛知県知事選挙で勝利すれば、柳沢厚労相を辞任に追い込み、安倍内閣を大きく揺さぶることが出来る。そうすれば、都知事選、統一地方選、参院選へ弾みがつく、とようやく気がついたのである。“敵失”でしか政治ができないのか、戦略なき地方選軽視ではないか、というのが私の実感である。
 それはともかく私は、参院選のために無党派市民のグループとして立ち上げた「平和の風愛知」を知事選向けの「勝手連」に切り替えた。そして、勝手連の連合体でもある「アイネット」立ち上げに参加し、その事務局を担い、あまり役には立たなかったが、ミニフラグをデザインし作成、また、「1・15アイネット集会」を提案した。このあたりから勝手連に勢いがついたと思っている。
 また、未熟で未完成ではあったが、「私家版-県政マニフェスト」の執筆に力を注ぎ、それを石田の「県政マニフェスト」作成担当者に送ったりもした。また、ネットでも政策的意見集約に努めた。 
 更に、連日のように知事選の動きなどをブログにアップし、石田勝手連のMLに活動報告を書き込み、選挙運動の仕方の一部も紹介した。そして繰り返し「政策論」の必要性を説いた。

 私の総括の論点
 繰り返しになる部分もあるが個別的に総括的な論点を探ってみたい。
1)石田推薦の弁
 最初に、元自民党県議3期、犬山市長3期、民主党・連合推薦の石田氏をなぜ推したか。
 第一に、与党候補を打ち破ることで中央政治に風穴をあける。そのためにいきさつはどうであれ、神田与党から離れ、対決の構図をつくった石田氏の決断を評価した。従って、民主党や連合のあれこれは捨象して、自公推薦候補の打倒に政治的意義を求めた。
 次に政治は人、人を見て推すべきかを決めるべしで、石田氏の話を聞き、質疑を交わし、稀に見る人物と判断した。“この人ならいける”と実感した。選挙中の演説を何度も聴き、確信した。
2)政策を重視
 なぜ私は、勝手連で参加し選挙運動中も政策論を重視し、主張したか。
①従来からの運動観、立場から基本的には「民主・連合に組みせず、さりとて共産党にも組みせず」であるが、状況に応じて是々非々できたので、その論理的説明が必要であった。
②統一地方選挙、参院選挙を視野に入れていた。そのために政策は欠かせないと判断していた。
③無党派市民の結集、市民運動の再興に期待を寄せた。地域運動の“結集軸”を模索していた。
 知事選挙はその契機となると踏んだが、私にとって結果は、どうやら裏目に出たようである。
3)候補者一本化の問題
 当初から共産党を含む「野党」による候補者の一本化が模索された。それが成就できなかった要因は両者にあったし、強力な接着剤的役割を果たす集団形成が出来なかったのも一因である。
 勝手連・アイネットの立場は、候補者一本化であったが、「共産党の推薦、支持」という形は求めなかった。自由投票という形もあったが、最善の形は「勝手連・共産党」であった。党組織には“奇想天外”とも言うべきものであったであろうが、全く希望のない選挙を闘うよりは、地方選、参院選を視野に入れれば、勝手に選挙運動をやって、石田当選に寄与すれば(実際それがあり得た)得るものは計り知れないと、私たちは説得したが、彼らは聞く耳を持たなかった。共産党の戦略ミスは罪深い。それに同調した“市民派”の人たちにも失望した。そうした動き・罪はそればかりでなく、共産党と接触のある周辺の諸運動の動きを縛る結果ともなった、と私はみている。
4)その他の党・派
 党として推薦をした社民党、国民新党は、最初と最後に中央から幹部を送り込んだだけで、組織的選挙活動はなかったようにみたが、個人の判断に任せたのだろうか。事実なら理解に苦しむ。勝手連の面々がビラをまき、電話をかけ、演説会場に足を運び、パレードの先頭を担った行動をどう見ていたのか。そんなことで、この先どんな党活動が出来るのかと、首をひねざるを得ない。
 そのほか、幾らか付き合いのあった新社会党、緑のテーブル、労働党、人民の力、その他も、全候補を忌避したのか、選挙そのものへの参加を方針化しなかったのか、どんな事情なのかはしかとはわからないが、個人的な動きは見られたものの、組織として動いた様子はなかったようである。
 それは、仮に石田が勝っても実利がない、選挙母体の民主・連合に違和感がある、と言う見方はできるとは思うが、2大政党時代といわれる中、「第3極」に結集が期待されるこれらの党・派が、この知事選を傍観したとするなら、私は困惑と失望を隠せない。
6)市民派はどうか
 8年前の知事選で、愛知万博を課題に二分して闘った“市民派”も動かなかった。
 石田勝手連260の数字はともかく、そこに参加した人数は、9年前の万博の賛否を問う県民署名の時とではその比ではない。さらに私の知る限り、反万博運動に参加した市民派も労働運動関係者も、驚くほど見かけなかった。それは世代の様変わりだけではないだろう。知事選挙そのものへの、誘発されるものがなかったのかもしれないし、閉塞感漂う時流の中に在り続けたのかもしれない。終ってみれば、索莫とした荒野に一人残された感ひとしおである。
7)勝手連の可能性と限界
 次に、個人的なあるいは小グループの努力としては大きな力となった勝手連であったが、非組織的性格とそれゆえの戦略・戦術の不十分性にジレンマを感じたのは、私一人だったのか。
 前回選挙も勝手連を組織して参加したが、今回、本格的な勝手連運動に参加してみて感じたのは、未知数であるが、予想も出来ない限りなく可能性のある勝手連である一方、状況の推移に合わせた戦術を全体化する術を持たないのも勝手連、勝手連が“燎原の火”のごとく全県的に広がるのを、自然発生性に任せざるを得なかったのも勝手連であったとするなら、このジレンマは解消できないものかもしれない。これは「限界」でなく「性格」といえるかもしれない。
8)選挙のポイント
 石田当選のそれは、投票率を上げることに尽きた。その要素を次の3つにあると考えられた。
①二分化-神田と石田の違いがわからない、現職に失政がない、民主はこれまで神田の与党であった。これらから、争点を明確にして二分化された選挙戦が必要であった。石田側戦略の「愛知が日本をリードする」「変えよまい!」「教育の石田」は、鮮明な違いと受け止められなかった。
②マニフェスト選挙-この選挙に限らず、このスタイルは重要だ。神田、石田とも「県政マニフェスト」を示したが、それらを県民に配布することができない上、「マニフェスト討論会」は1回行われただけであった。現職有利の、公職選挙法の不備は如何ともし難かった。
③知名度-現職神田の8年の知名度は、自公、産業界、市町村、補助金受給団体には、それなりに浸透していた。空港、万博も神田の手腕でもなんでもないが、知名度は上げていた。
 一方の石田の知名度はかなり限定的だった。「いしだ」を「かんだ」と言い間違える関係者も。
9)得票の傾向と地域性
 投票の傾向を振り返っておくと、ここに緑区のFさんの分析があるので引用させてもらう。
 「(共産党は)1999年の影山票80万、2003年の池住票35万に続き今回の阿部票16万票とジリ貧、ついに供託金没収の事態になった『革新?県政の会』でした。今回石田氏は、1979年以来最高の投票率52,11%を呼ぶ真の対決を創り出し、得票数1,355,713票は初回神田の1,353,414票を上回っていた。今回神田票1,42,4761票は前回の1,494,974票を下回ったのだ。(中略)結果として総合力では現職を超せなかったが、しかし、名古屋、尾張旭、長久手、日進、豊明、大府、東海、刈谷、三好、豊田、岡崎では1位。犬山、大口、扶桑、小牧、春日井、東郷と、緑、天白、名東、東各区ではなんと過半数票を獲得しているのだ!」
 更に付加すれば、投票率が上がったのに石田が敗れた背景には、
①名古屋市内での得票差が2万5千と小さかった。最低でも5万票、10万票差も不可能ではない、衆院選に続いて負けた5区・・・。4区の南区と港区には労働者が多いといわれていたが・・・。
②豊田市の得票差は500票しかない。トヨタ労連が本気になれば11区全体で3~5万票の差はつけられただろう。組織内候補とそうでない違いであろうと推測するが、石田にとって不運というか口惜しかったに違いない。
③神田の出身地一宮市での得票率と、石田の犬山市での得票率、その絶対数の差が大きかった。他に、
・「名古屋人気質」とか「温暖の東三河は保守的だ」といわれる愛知の地域性、県民の気質が事実かどうかは知らないが、「保守、革新」には二分化できないところがあるかも知れない。
・女性票、高齢者票が神田に多く流れたと分析されているが、これを「安定志向」と一口で片付けられるのか。惜しいことに、石田の政策論で「医療、福祉・介護」が強調されたのは後半であった。

 石田氏の再挑戦はあるか、地方選・参院選はどうするか
 さて石田さんの今後について、2月13日のアイネットの総括会議で報告された内容は、「・・・・この時点では不確定なことが多いが、とにかく新聞報道のような『政界からの引退』はないという点が第一で、この先の4年間をどうするかは未定であるとしても、『4年後をめざす』という選択肢はあることは間違いなさそうである 」であった。
 私は、4年後の選挙に立ち会うことはないと思っているが、その間、「県政マニフェスト」をテキストに、石田さんを迎えて年間4回、全12回、県下各地巡回の「石田ゼミ」の、07秋開講案をまとめたが、提案することすら逡巡してしまった。“もういいかな”と。
 最後に、どなただったか「石田氏の国政への転進」を口にされていたが、「地方自治に生涯をかける」と言い切った彼に、その選択はあり得ない。またあってはならないことである。
 では名古屋市長選挙は?そんなことまでは知らない。

市民派議員の誕生を願う
 愛知県知事選挙のあとは、東京都知事選挙を含む統一地方選挙であるが、前号で名前を挙げさせてもらった立候補予定者にはがんばってもらいたいが、知事選挙で見る限り、様子見をされた方が多いように思われた。候補者石田芳弘はともかく、背景などいろいろ考えてのことだろう。
 一方、立候補を予定してなおかつ知事選に全力で参加された方も幾人か見受けた。その双方が競合する選挙区もあるから、私にとっては複雑な気持ちだ。どちらにしても前回ほどのことはできないだろうと思っている。ただただ、無党派の市民派議員誕生を願うばかりである。

参院選の難しさ
 話をそもそもに戻そう。
 この7月の参院選挙で、「護憲平和」を確たる方針として立ち上げた「平和の風愛知」は、全国状況と愛知県における現状を勘案して、知事選挙を闘うことによって、その基盤のありかを探るとした経緯がある。
 比例区について「平和の共同候補を求める」とした全国連絡会は、共産党、社民党との「共同候補」リストは事実上なくなり、無党派市民の「9条ネット」(参院比例区の確認団体になる名称)を2月24日に三人の候補者名と共に立ち上げたが、この愛知にそれを受け皿とする基盤が見つからないというのが正直なところだ。
 一方愛知選挙区では、独自候補は断念し、より「護憲平和」に近い候補を推すことにしていて、共産党推薦の八田氏が最も近いとされていたが、知事選の経緯で白紙状態である。そこで民主党の女性候補、谷岡氏も浮上しているが、去る23日の会議では、民主の候補二人の政治姿勢を見極めたいという前向きの意見もあったが、八田氏を推す線はなくなったといっていい。また「平和の風愛知」は展望を見いだせないまま、5月連休明けまで“休会”とした。
<「緑ネット・第75号」2007年3月1日から>

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