2020年8月24日 (月)

六ケ所行動3日目

 六ヶ所村、日本原燃、青森県へ
 核燃料サイクルの拠点「日本原燃(株)」は、青森県の六ヶ所村にあるから、核燃サイクル反対の運動は、六ヶ所村を中心に取り組まれる。参加者は仕事を持っているので「六ヶ所行動」は、土曜、日曜を使い、自治体開庁日の月曜日になることが多い。
 例年通りだとすると、午前9時から六ケ所村を訪問し、申し入れ、質疑が行われる。次に車で移動して10時30分から日本原燃本社で申し入れと質疑が交わされる。そして「六ヶ所行動」の最後を締めくくるのは青森県への申し入れである。日本原燃訪問の後、昼食をとり、地元の人たちとの打ち合わせなどがあって、午後2時30分から、県の担当者との面会、申し入れ、質疑となる。
 六ヶ所行動の終わりにあたって、吉野共同代表が締めの挨拶を行って午後4時に現地解散となる予定だ。
 三村申吾青森県知事への、愛知から要請書は、県と村の違いだけで内容は六ヶ所村長宛とほぼ同じである。
 解散後は、そのまま帰宅の途に就く人もいれば、1日、2日、どこかに立ち寄る人もいる。2014年に参加した私の場合は、解散後一関まで移動して宿泊、翌日に東北大震災の現地陸前高田市などを訪問したのだった。
 もし、もう一度この行動に参加することがあれば友人を誘って参加し、そのまま北海道に渡るであろうと考えるが、希望は捨てないが難しかろうと思うのである。
 9月に入って、5月の「国会ピースサイクル」が中止となってできなかった「東京電力」訪問が具体化するであろうが、それをもってピースサイクル2020の取り組みが終了する。11月に総括の全国会議が設定されているが、今のところ予定通りとなっている。

 

 

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2020年8月23日 (日)

六ケ所行動2日目

 明日の申し入れのついての検討か
 この日、当初予定は、むつ市中間貯蔵反対を闘う「核の中間貯蔵はいらない!下北の会」との交流であったが、事前に中止となった。その代わりの行動につては聞いていないが、もう一つの「大間原発あさ子ハウスの小笠原さんとの交流」は、予定通り行われたと思われる。
 銭湯で入浴後宿舎の「牛小屋」で明日の六ヶ所村、日本原燃、青森県への申し入れについて、事前に回答を受け取っていればその打ち合わせが行われたものと思われる。
 昨日は、日本原燃への要請書の紹介をしたが今日は六ケ所村長宛の要請書の趣旨を書き留める。
 全体のトーンは3か所とも大きな違いはない。日本原燃という企業と自治体との違いが少し反映されくらいである。
 六ヶ所村長宛は、自治体訪問が含まれる「ピースサイクル愛知」の紹介から始まり、原発問題に関して中部電力への申し入れ内容を紹介した。そして日本原燃と同じように、原子力規制委員会が日本原燃・六ヶ所再処理工場が新規制基準に適合しているとして事業変更許可を行ったという点いついて、私たちの見解を述べた。
 最後に、改めて再処理工場の許可の取り消しと再処理事業からの撤退を求めると同時に、その主導を青森県・六ケ所村に求めたいと思います。貴職の「核燃サイクル」に頼らない村政を期待しております、と結んだ。
 私の経験では、六ヶ所村の対応は、戸田 衛村長の「村制施行以来、長きにわたり、先達のたゆまぬ努力と英知によって幾多の困難を乗り越え、むつ小川原開発計画を核とし、国家石油備蓄基地や原子燃料サイクル施設、国際核融合エネルギー研究センター、ウィンドファーム(大規模風力発電施設)、現在建設中の日本最大級メガソーラー(太陽光発電施設)など、多くのエネルギー関連施設が集積する我が国随一のエネルギーのまちであります。」という自負というか政策によって、すぐさま日本原燃に物言うようにはならないだろう。
   だが村の存亡は、核燃サイクルを含むエネレギー関連事業依存では、ゆくゆく立ち行かなくなるであろう、そのことは同時に日本全体の問題で もあり、それ故の私たちの要請行動である。村長も村民もそうした状況は十分理解はしているであろうと思うが、明後日(あさって)のことより、今日、明日のことが先にあるのであろう。
   わざわざ首都圏から、今日は広島からも加わっての要請を改めて考えてもらいたいものだ。

 

 

 

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2020年8月22日 (土)

六ケ所行動始まる

 道南、弘前グループと合流
 今日から3日間が「六ヶ所行動」といい、これまでの「ひたすら走る」と違って、「核燃サイクルと原発」関連の訪問や申し入れなどが取り組まれる。
 昨21日、六ヶ所村に到着した首都圏からのピースサイクル隊は、六ヶ所村から関根浜まで走り、六ヶ所村から大間フェリー港まで車で移動。そこで道南、弘前グループと合流、11時頃大間町役場へ、昼食後日本電源開発(Jパワー)、むつ市役所へ、そこで東京のHさんと再合流、使用済み燃料むつ中間貯蔵(JFR)に要請、この日は関根浜で宿泊の予定と聞いている。なおこの日広島のNさんがどこかの地点で合流している。
 さて今日は、関根浜から六ヶ所村役場を経由して再処理工場前まであるが、関根浜を出発したピースサイクル隊は、13時頃六ケ所村役場に到着し、首都圏から六ヶ所行動に参加する仲間、地元の人たちの歓迎を受け、結集集会後、再処理工場正門前へそこで一旦解散し、残留し「六ヶ所行動」に参加する人は(銭湯で)入浴後、宿舎の「牛小舎」へ。
 私は日本原燃社長、六ヶ所村長、青森県知事あての要請書を送っているので、今日は、日本原燃社長宛の要請書の概要を紹介する。
  私たちはピースサイクル愛知です。
 ・・・「新コロナ」の感染が続いています・・・こうした経験は、2011年3月11日の東京電緑福島第1原子力発電所の未曽有の大事故を想起させますが、「新コロナ」の蔓延はそれ以上と思われます。
 このような状況の下、去る7月29日に、原子力規制委員会が日本原燃・六ヶ所再処理工場が新規制基準に適合しているとして事業変更許可を行ったという重大ニュースが飛び込んできました。規制委員会がいうところの「審査基準」は満たしているとしても、それが即ち安全が「確認」されたわけではないと私たちは受け止めております。(以下、ピースサイクル隊の仲間に送った内容と同じになる)
 活断層に対する耐震性の問題、社内的及び法的な「重大事故等対処施設及び重大事故等対処に係る技術的能力」の問題、MOX加工工場の総事業費は合計16.3兆円のほか、巨額な資金の問題、そして核物質の「環境汚染問題」を取り上げ、私たちは日本原燃・六ヶ所再処理工場の事業変更許可に抗議すると共に、改めて再処理工場の許可の取り消しと再処理事業からの撤退を求めます、とした。
 現実的には、国策事業であるから日本原燃が「会社都合」で、事業の断念、核燃サイクル工場の閉鎖ができるとは思わないが、原子力事業全体について「原発ゼロ」という大きな世論を背景として例えば、六ヶ所村の村長選挙に「核燃反対」を掲げる人が立候補し続けていること、地元や県内の市民団体、個人が運動を継続している中で、ピースサイクルが20年余にわたって声を上げ続けていくことの意味は大きいと考えるのである。

 

 

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2020年8月21日 (金)

ピースサイクル「六ケ所」走行が完走

 東海村から六ケ所へ700km
 8月14日に茨城県東海村を出発した東北道・六ケ所ピースサイクルは、昨日、六ヶ所村に到着し、ここまでの約700 kmを無事に走破したという。
 その日その日の報告から、走行距離を積算してみた。80,114、82、120、96、120、60で合計672km、1日平均96kmとなる。実走した人の年齢は不明だが、少なくとも60歳以下の「青年」はいない。もっとも今日21日、函館からフェリーで青森県大間までやってくるのは若い人たちと聞く。
 そして明日から「六ヶ所行動」として、現地の「核燃サイクル」関連施設訪問、運動団体との交流、そして六ケ所村、日本原燃、青森県への申し入れが行われる。
 これを書きながら、高校生プロ棋士・藤井聡太棋聖の二冠達成の記事と、秋元司衆院議員の逮捕の記事を読む。快挙であれ、犯罪であれ、全て同時進行である。当然のことながらその時間帯の中に私もいる。その時間の過ごし方は、対局中の二人は、その場の限りでは同質進行かもしれないが、万人全て同じということはない。
 “シルバーチャリダー”が炎天下をひたすら走り続ける。時々沿道から声を掛けられ、手を振られることもあるという、ドリンクなどを差し入れてくれる人とも出会うという。いい話だと思う。そのような場にいたい、遭遇したいものだとも思う。
 35年(私は33年)続けているこの運動は、「反戦・反核・平和・人権」という課題には終わりがなく、時、所、形を変え継承されていくであろうが、それを担う人間は、世代の引継ぎがなければ、いつかは途絶える。
 この愛知のピースサイクル運動の先は分からないが、私個人の参加の“終焉”は近いというのが昨今の認識である。

 

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2020年8月18日 (火)

青森・六ケ所行動関連メッセージ

 ピースサイクルで知事、村長、社長宛に
   ピースサイクル2020の最後を締めくくる「六ヶ所行動」は、自転車隊が現在東北道を北上中で、今日18日は一関から盛岡までで、灼熱の中を走っているものと思う。
   いわゆる「六ヶ所行動」は、8月22日から24日まで現地で「日本原燃(株)六ヶ所再処理工場など、各施設に対する抗議行動。大間原発建設反対。それらに関する運動団体との交流。六ヶ所村長、日本原燃社長、青森県知事それぞれへの面接申し入れ」が一連の行動である。それには、自転車隊とは別に関東などからの参加者も加わる。
 この六ケ所行動に向け、全国からメッセージ、申し入れ、要請の類の寄稿が求められていたので、この愛知からも先のピースサイクル一行への応援メッセージに続いて青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃社長あてのメッセージを今日の午前中に送り終えた。これでPC2020は、11月の全国会議、それに向けた報告書作りを残すのみとなった。暫く私の「夏休み」となる。
 2014年に、私もこの「六ヶ所行動」に参加した。その時に報告書をつくったが、その冒頭・前書きだけをここに採録する。
           ◇
   8月23日~25日の3日間、下北半島・青森県・六ケ所村を中心とする反「核燃料サイクル」の現地行動の一つで、20回目を迎えたピースサイクル(PC)全国会議呼びかけの「六ヶ所行動」に初めて参加した。以下は私のささやかな報告です。
   「脱原発」と一口にいいますが、「原発の廃炉・解体」と「核廃棄物の管理・処理」を、頭と尾とすれば胴の部分に「再処理・核燃料サイクル・廃棄物中間貯蔵」があり、私の活動概念では、「原発の廃炉=浜岡・大飯」と「核廃棄物の処理=東濃・超深層地下埋設処理」となります。
   そこで、他に「被ばく」の問題などもありますが、やや空白の感のある「核燃・六ケ所」を加えることによって「原発のない社会」に向けた問題意識とその形が整うのではないか、そう思ってきたこともあっての参加でした。とはいえこの課題は、専門知識も求められていて、学習なしでは向き合えないところもあり、私の守備範囲では到底括りきれないものです。そこで「見聞記」という形で報告します。

 

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2020年8月13日 (木)

明日、六ケ所に向けて出発

 ピースサイクル2020の締めくくり
   明日14日は、ピースサイクル2020の締めくくりとなる、東北道・六ケ所行動が始まる。日程をみたら、茨木県東海村に集合し、現地行動を終えていわき市へ。そこから郡山、福島、仙台、一関、盛岡を経て青森県・八戸、六ヶ所村へ。8月22日からの行動は、関根浜から六ヶ所村役場を経由して再処理工場前へ。ここまでで自転車による行動が終わりとなる。23日は、大間原発・あさ子ハウスの小笠原さんとの交流などがあり、24日に六ヶ所村、日本原燃、午後から青森県への申し入れをして全日程を終える、となっている。
 東海村から津軽半島の関根浜までかなりの距離があり、全行程実走ではないが、それにしても11日間800km近く走るのではないかと思う。この愛知では考えられない実走である。
 このコースも「新コロナ」の影響を受けて、コース上の反核団体との交流が中止になっていると聞く。走ることに意義がある一方、各地での交流も目的であり楽しみであるから、その点では実走の疲れの“癒し”となる交流会がないのは寂しい、つらいところであろう。
 ということだから、という訳でもないが、参加者宛に「六ヶ所行動参加のみなさんへ」の「応援メッセージ」を送った。
 せめて伴走車に乗せてもらっての参加もありだが、気持ちだけはあっても、現実感は年々細くなっている。こうして応援メッセージを送るなりして、少しでも参加気分を得たいと思っている。

 

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2020年8月 3日 (月)

松井一実広島市長宛メッセージを投函

 私信も同封
 昨夜のうちに市長宛と私からのメッセージを同封して、今日の午前に投函した。遅くとも8月5日には届くだろう。松井市長宛てだが、どう扱われるかは分からない。以前に聞いた話だと、受領したもののリストが公園に掲示されると聞いたが確かではない。あるいは「団体印のあるもの限られる」とか、これも確かではないが。
 今回のメッセージはこれまでと少し変えて、冒頭に詩をもってきた。

   八月六日の広島の空 世界の空
・・・・
この空は紀伊半島の向こうの中国山脈のもと
広島の空と同じ空
・・・・
知多の海は伊勢湾から太平洋へ
そして瀬戸内海 広島へ繋がっている
・・・・・
被爆地の川は ・・・・
そのようにして海へ注ぎ
その海はこの愛知と繋がり 世界の海と繋がっている

平和の折り鶴が 大空で舞っている
・・・・・・・・漁船のへさきで跳躍している
パソコン、スマホの片隅で小さく羽ばたいている
ついにわたしの心の中まで飛んできたようだ

平和と核廃絶の折り鶴よ
世界の政治家たちの心の中まで飛んで行け!

 気持ちだけの拙い散文詩だ。
 8月6日の朝は、久しぶりに「折り鶴」を折ってみようか。

 

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2020年8月 1日 (土)

ピースサイクル2020・愛知特集を組む

 C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・第105号
 別冊第8号で第一報を送信したが、11月の全国会議の報告書のもとにするためもあって、愛知実走の報告をまとめて「ピースサイクル2020特集」を組んだ。
   第105号の内容は、「今年も走りました、つなぎました ピースサイクル2020・愛知 愛知実走の報告 」で、   
■7月26日(日)豊橋~豊川~岡崎 ピースサイクル愛知・1日目  やむなく雨で中断
■7月27日(月)岡崎~豊田~日進~名古屋 ピースサイクル愛知・2日目 先導者がいない不安を抱えて
■7月28日(火) 県庁前から空自小牧基地へ ピースサイクル愛知・3日目 無事に岐阜へリレーしました
 であった。
 本誌には書かなかったが、全国会議の報告の中では「反省点」も書き込むので、忘れないうちにメモしておくと①整備されていない自転車が見受けられた。これはお願いだけでいいのか、「実走の参加条件」に挙げるべきかどうかという問題意識を持った。➁始まる直前に参加できないという連絡が入った。それ自体は問題ではないが、その人がコースの先導役だったことが問題で、そのために予定時間が大きく超えてしまった。それはやむを得ないとしても、安全走行の観点からは看過できない。③今回日進市から名古屋市までの区間で「一人旅」となってしまった。しかも、一部の区間で伴走車と並走できない部分が生じた。何かがあっても対応できない危険な状態であった。④実走者と伴走車の間の連絡体制が取れない区間があった。携帯電話の確認を怠った。
 この運動は今年で35年目の節目を迎えた。私自身は33年目であった。“もうそろそろ(潮時)かな”そんな思いを抱いて参加したのだった。そして各地区の担当者にその旨を伝え、来年からどう対応するかを投げかけた。
 「反戦・反核・平和・人権」を掲げる運動に終わりはなく、形は代わっても継承されていくであろう。だが人間には限りがある。早いか遅いか、継承者は誰かの問題であろうと思う。
 最も大きな課題として残されたのは、この問題であった。

 

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2020年7月28日 (火)

ピースサイクル愛知・3日目

 無事に岐阜へリレーしました
 ピースサイクル愛知の3日目、最終日の今日は、本来なら名古屋市、愛知県への申し入れをして、慌ただしく航空自衛隊小牧基地に向かう手はずになっているのだが、いくら「新コロナ」の渦中にあるとはいえ、面会しての申し入れと質疑を拒否、回答書は愛知県が手渡しで、名古屋市は郵送という対応であった。
 この日、名古屋実行委員会の予定では、午前9時10分に県庁前集合となっていた。私は8時45分に到着したが先客がいた。名古屋の代表のMさん。前日の日進市から名古屋までの先導役を体調不良で控えたたこともあってか、早めに家を出たという。“おはよう、今日は大丈夫か?”“昨日はすまんかった、今日は調子いいよ”“帰りのこともあるので無理すんなよ”という会話している間に、参加予定者、街宣車もやってきた。
 担当の県庁職員も集まり具合を見てか、玄関から出てきて、9時30分からの“セレモニー”の予定を早めて、9時10分過ぎから県側の事前申し入れ書の回答が読み上げられた。続いて私からピースサイクル愛知として、この運動の趣旨、経過などをかいつまんで話をした。本来ならここで「質疑応答」となるのであるが玄関先でのこと、参加者から、新コロナの県として取り組みを労い、「あいちトリエンナーレ」に関して、大村知事リコールの運動がなされようとしているが、毅然とした知事の対応を評価する、といった趣旨の発言があって、この場は終えた。県庁をバックにして記念写真を撮ったが、県からも仲間からも「密集」を危惧する気も声すら出なかった。全員マスクはしていたが。
 さて、予定を早めて9時40分頃自転車隊4人は、ピースサイクルののぼりを装着して県庁前を出発、それを見送って街宣車も出発した。今年も街宣マイクを握ってくれたのは緑の党東海の代表の尾形さん。運転手は東海民衆センターのFさん、私は写真担当。
 向かう先は空自小牧基地で約18㎞の距離であるから、慣れたサイクリストなら40分、シティサイクル(ママチャリ)でも1時間あれば十分。11時着の予定であるから時間的に余裕があり、私からは、休憩をとりつつ、安全走行を要請した。県庁から国道41号線に出て北上し、県道102号に入り約20分後に最初の休憩、県からの回答文書をコピーして配布。矢田川の三階橋を渡り、庄内川の水分橋を超えていく。この行程で「坂」がある場所といえば、この二つの川を渡る時だけである。
 街宣車は時に先行し、時に自転車隊に寄り添いながら、広島、長崎それぞれの原爆に日に向けたピースサイクル運動の紹介、核兵器、原子力発電、すべての核の廃絶、中電・浜岡原発の閉鎖、辺野古新基地建設反対・玉城デニー知事に応援のメッセージを、憲法9条を守り活かせ、安倍内閣退陣などを訴え、自転車隊を励ました。
 今朝は曇天ではあるが雨の心配はなく微風の「サイクリング日和」と言ってよく、2度目の休憩をとった後自転車の4人は元気に春日井市を抜け、左奥の県営名古屋空港(自衛隊と共用)に沿いながらなおも県道102号を北上して小牧市に入った。
 街宣車は先行して、小牧基地横で待機、私はカメラを構えて一行を待ち受けた。この102号は基本的に片側1車線で空港の反対側(西側)に国道41号があっても車の往来が激しい。その為に遂にカメラチャンスを逃してしまった。
 一行は午前10時50分頃に到着した。そこで合流した岐阜ピースサイクルと合同の小牧基地司令宛ての申し入れ行動に移り要請書を読んで手渡した。若干の質疑があって行動を終えた。
 愛知と岐阜の仲間がカメラにおさまり、ピースサイクルの旗と今年から全国に配布された新規の横断幕を岐阜に貸与し、自転車装着用ののぼり2本のセットを寄贈して散会した。愛知の3日間が無事終了した。

 

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2020年7月27日 (月)

ピースサイクル愛知・2日目

 想定はしているが、予定通りにはいかぬもの
 今日こそは、空模様を気にせず、自転車でリレーをつなぐ人に楽しく走ってもらいたいと思っていたが、お天気の方は岡崎を出発時は雨とのことであったが、途中からあがって9時40分頃の予定時間に一行は無事に到着した。
 私は、豊田で一行と合流するため名鉄豊田市駅から市役所南館に向かい9時30分頃着で待機した。
 10時から、豊田市への申し入れが始まった。市側の対応は秘書課の二人。私たちは「5人制限」を受けていたので、自転車の二人とサポート一人、愛知の代表として私。そしてお世話を戴いている岡田豊田市議(途中、会議で席を外し、代わりに元県議の小林さんが加わった)から、訪問の趣旨など冒頭のあいさつ、続いて私からピースサイクル35年の経過、この先の予定などを話し、参加者の自己紹介と続いた。
 市側から、事前に提出されていた要請(質問)文の回答が示された。限られた時間の中で質疑が行われたが、秘書課が対応できない内容は聞くだけに留め、担当課に伝えることとなった。
 豊田市発が若干遅れたが、「その程度」はいわば想定内。ところが不安に思っていたことが現実化した。というのも、豊田市から次に日進市へ向かうコースは3通りあるが、ここ数年採用しているコースは、豊田市から日進市に入る境界までが複雑で、地元のKさんが先導してはじめて順調に走れる、というものであった。ところがKさんがやむを得ない事情で参加できなくなって先導する人がいない。事前に地図で説明をしたが、自転車に乗りながら地図は読めない。伴走車が先に行って待機する手はずになっていたが、自動車道と自転車が走る道は必ずしも一緒ではなく、結局はぐれて、時間を費やしてしまったとのこと。日進に正午着が40分遅れとなった。
 日進市民の会、市議のみなさんの熱い歓迎そして昼食のもてなしを受け、午後2時から市の担当課長の出席を得て、
ピースサイクルからの申し入れ、市側の回答及び広島市長、長崎市長宛のメッセージを受けた。
 時間は切迫していた。交流会では参加者12人の自己紹介終えた段階で、会場の都合もあって残り10分となり、市民の会側からの歓迎のあいさつとカンパの贈呈があり、私からお礼を述べ散会となった。
 街宣車前で記念写真を撮り、午後3時を過ぎ自転車の出発となったが、ここからも二人の走行予定が、このコースを熟知している人が体調不良で取りやめとなり一人走行となってしまった。この形は避けたいというのが私の本音であった。しかし一人でも走るという本人の意思を尊重して送り出し、合流地点を指定して、私の乗る街宣車は、時折りの街宣をしながら先行した。日進市から名古屋に入ったところで合流できたので、次の合流地点で先行して待機していたがなかなかやって来ない。かなり遅れたが、急いで次の合流地点で待機。ここでもなかなかやって来なくて、携帯電話で連絡をとろうとしたら、本人の携帯電話は、街宣車の中だったいう。
 ようやく到着するもこの時点で、午後4時20分頃着の中電本店での申し入れ時間には到底間に合わないどころか、閉店の5時を過ぎてしまうことが予想された。私は即断した。走行中止、自転車を引き上げ、車で中電へ直行。4時40分着だった。
 この日事前には、5人から7~8人の参加と伝えていたが、結局3人だけとなった。そしてもう事前のタイムスケジュール通りには進められない。中電側の回答にもならない内容のない回答を受け、10分ほどの質疑を行った。
 主要には、リニア中央新幹線開通時における必要電力量はどれほどか。(JR東海側の問題であるから答えられない)、石炭火力発電所の廃止についての考え(石炭火力は碧南、武豊共JERAのもので、当社は回答する立場にない)という素っ気なさだ。さらに追及をしたが、既に5時を過ぎていた。消化不良もいいとこで、すっきりしないでこの日の申し入れ、全スケジュールを終えた。
 この日私は、全体には影響はなかったが、いくつかのミスを犯した。長いことこの運動に参加しお世話もしてきたが、限界が垣間見えた今日一日であった。

 

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