2017年8月21日 (月)

六ヶ所ピースサイクル・要請書

 青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃社長へ
 ピースサイクル2017の締めくくりとなる「六ヶ所ピースサイクル」は、去る18日に茨城県・東海村を出発して、いわき市・郡山市・福島市・仙台市・一関市・盛岡市・八戸市を経て、25日に六ヶ所村に到着する予定で、今朝は福島を出発しているはずだ。またもう一つのルート北海道からの「函館~フェリー~大間~関根浜」を経て六ヶ所で合流するチームは、25日の朝、函館を出発し大間で本隊と合流する予定である。
 26日からは、関東などからの「伴走・支援チーム」と地元のみなさんとが合流して、交流しながら「再処理工場など核施設抗議行動」「大間原子力発電所建設反対・現地視察」「六ヶ所村、日本原燃・青森県」それぞれへの申し入れ行動が取り組まれる。
 それに伴って、「六ヶ所村、日本原燃・青森県」への、全国各地からの申し入れ書、要請文の寄稿要請が発せられていた。そこで愛知としては、先に「六ヶ所ピースの仲間へ」のメッセージを送ったが、今日付で、「六ヶ所村長、日本原燃社長・青森県知事」へ要請文を責任者宛てに送った。
 文案は、昨年と大意は変わらないが、東海・愛知の状況と7月の核兵器禁止条約の採択にも触れた内容であった。その一部は、後日紹介したい。
 これをもって「PC2017」の一連の行動を終えることになる。今後は、11月の「全国総括会議&2018PC」に向けた報告書の作成に取り掛かり、その追加愛知版の作成は、「ピースサイクル2018」の出発になる予定だ。
 今後については、自身の役割を考えながら、少し時間をかけて構想を練りたい。

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2017年8月 9日 (水)

72回目の長崎原爆忌

 ピースサイクルの仲間も参加
 10時前、この稿を書き始めたが、長崎に原爆が投下された午前11時2分までに書き終え、この地から黙祷をささげたいと思う。
 原爆忌のこの日の式典は、正式には「被爆72周年長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」という。沖縄でもそうであるが、あたりまえかもしれないが私には「祈念式典」を「記念式典」と表記しないところに何か深いものを感じるのである。例えば「記念」はワンポイント、一過性で、「祈念」は日常的、永続的というように。
 例年、11時2分に長崎の鐘やサイレンを鳴らし、式典会場のみならず、家庭、職場で原爆死没者の冥福と恒久平和の実現を祈り、1分間の黙祷が行われるとのこと。そのあと式典では、長崎市長が平和宣言、平和への誓いを行うのが通例とされている。ここでも、心にもない安倍の追悼の言葉よりも、田上市長の「長崎平和宣言」に注目したい。今年の場合やはり、国連で賛成122という圧倒的な数で採択された「核兵器禁止条約」への言及と、あまりに政治的過ぎるから控えられるであろうけれども「北朝鮮の核」とアメリカの「先制攻撃」の可能性。つまり、状況がどうであれ、どんな脅威が迫り、平和が脅かされようとも、絶対悪の「核の使用」は認めないという宣言である。そこには、「北朝鮮」の「軍事的な、核の脅しには核で応える」という反論も認められないという論理があり、日本政府の「北朝鮮の核の脅威論」は、「中国、ロシア、アメリカ」などにも向けられるべきものと考えるのである。

 さて、一昨日佐賀県玄海町を出発したピースサイクル「ナガサキ行動」は、「玄海エネルギーパーク」で申し入れ、伊万里を経由して佐世保に入ったと思われる。翌8日は、佐世保市を発って、川棚町・大村市を経由して長崎に到着し、その後、午後6時開始の「第21回 8・8平和を考える長崎集会」に参加することになっていたが、どうなったであろうか。
  そして今日は、早朝からの平和行動が予定されていて、午前7時半から「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼早朝集会」に参加し、9時から長崎原爆資料館で長崎市長への平和メッセージを手渡すことになっている。さらに10時からピースウィーク市民集会へ参加するとし、11時2分の黙祷を含めて、11時30分頃に「ナガサキ行動」を終えることになっている。「黙祷」の場所はどのあたりであろうか。市民集会のプログラムに入っているのだろうか。
  間もなく11時2分、この稿を書き込んで私の「追悼」としたい。

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2017年8月 6日 (日)

広島原爆忌(2)

 ヒロシマ行動2017
 私の中に「広島・長崎=原爆=反戦・反核」が根付いている根拠に、1960年代後半から70年代の20代の「好奇心=学習」で、「憲法・安保・自衛隊=核兵器」がある一方、40代半ばから取り組んだ「ピースサイクル運動」が根付かせたと思っている。
 2017ピースサイクルの予定では、7月19日に東京を発って、東海道、山陽道をリレーしたピースサイクルは昨夕、広島入りしたはずだ。そして「8・6ヒロシマ平和へのつどい2017~憲法破壊と腐敗の政治=安倍政権を根っこから打倒しよう!~」の取り組みがあって、6日の今日、午前7時から「市民による平和宣言2017」を朝日新聞に掲載した「ストップ改憲新聞意見広告」をチラシにしたカラー版を朝7時から原爆ドーム前で配布し、同45分から「グラウンド・ゼロのつどい(原爆ドーム前)」、8時15分から「追悼のダイ・イン(原爆ドーム前)」、同8時30分から「戦争させない!9条壊すな!核廃絶!8・6ヒロシマ・デモ(原爆ドーム前~中国電力本社)」さらに9時30分から10時30分まで「中国電力本社前・脱原発座り込み行動」と一連の行動が、「記念式典」と同時進行していく。この稿が書き終わるころ、「ヒロシマ行動2017」も、一段落することだろう。
 この日に思いをいたし心に刻み重ねて、1990年代のいつだったか、一連の行動に私も一度参加したが、近い将来、もう一度参加したいと思った今朝だった。


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2017年8月 5日 (土)

広島原爆忌(1)

  松井市長への平和メッセージ
 ピースサイクル東海道・山陽道のリレーは、今日の夕刻広島に到着し、「ヒロシマ行動2017」前夜の集いに合流したことだろう。
 ピースサイクル愛知としての松井広島市長宛の「平和メッセージ」は、日進市長からのものと共に、8月2日付で、広島ネットを通じて既に送り届けた。その内容は以下の通りである。

    ピースサイクル愛知からのメッセージ
  忌まわしくも忘れ難き「戦禍・戦災・被曝・敗戦」の、72年目の日本の夏がやってきました。
  戦争なき平和な社会の中で生きることとそのための努力を惜しまないこと、そして、かつてそのような渦中に巻き込まれて多くの人の命が奪われ、傷ついたことを忘れてはなりません。とりわけ広島、長崎の原爆の被災・被爆と、住民を巻き込み戦場と化した沖縄の悲惨な歴史を忘れてはなりません。繰り返してはなりません。
  私たちは、このような思いを込め、「非戦と平和」「全ての核の廃絶」を背負い、訴えて全国の仲間と共に、「ピースサイクル」運動を続けております。今年で32年目を迎えました。
  この自転車リレーの「平和のメッセンジャー」たちが7月19日に東京を発ち、神奈川県、静岡県を経て、26日から28日にかけて私たち愛知の仲間がつないで岐阜県にリレーし、8月5日には広島に到着し、この「平和メッセージ」をお届けします。
                                     ◇
  8月6日を迎えるにあたり私たちは、「原爆の日(原爆忌)」の記念式典で貴職が読み上げる「広島平和宣言」に注目しています。それは広島県民のみならず、広く私たち「被爆国日本、日本人」の、平和と核兵廃絶の希求、その決意を示すものであり、世界へ発信するものになるからです。
  そんな時、7月7日、ニューヨークの国連本部で行われていました核兵器禁止条約制定交渉会議で「核兵器禁止条約案」が、国連加盟国中120ヵ国以上の参加で賛成122という圧倒的な数で採択されました。ある意味では画期的であり、私たちの悲願の成就でもありました。しかしながら残念なことに、世界で唯一の被爆国であり、核保有国と非保有国の橋渡し役を求められていた日本はこの会議に不参加を表明してしまいました。
  報道によりますと、被爆者の代表として国連で演説を行った日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長は「日本政府はこれまで唯一の戦争被爆国という枕言葉をよく使ってきたが、その唯一の戦争被爆国は私たち被爆者が期待することと全く逆のことをしており、賛同できるものではない・・・」と語りました。
  このような日本政府の態度に残念・遺憾を越えて“怒りすら”覚えます。それでも私たちは、ここで落胆し諦めるわけにはいきません。貴職が、加盟都市6,700を超えた平和首長会議の会長として「強い怒り(抗議)と更なる核廃絶の決意」を日本政府にぶっつけ、世界に示してほしいと願うものです。
                                    ◇
  さて私たちの求める「全ての核の廃絶」は、「核兵器」はもちろんですが、「原子力(核)発電」も含まれます。あの2011年3月11日の、東日本大震災、東京電力・福島第1原子力発電所の事故(震災・人災)から6年と4か月余が経とうとしていますが未だ収束(終息)の見通しは立っていません。いまさらに原発事故の深刻さに驚愕してしまいます。そしてそれは、広島、長崎の原爆・被曝が重なってしまうのです。
  世界から「核の脅威」から解き放たれるためには、核兵器に使われるプルトニウムを生み出す原発をなくすことが欠かせません。その意味からも原発を含めた「すべての核」の廃絶こそ、「原爆許すまじ」に繋がっていくものと確信しております。どうぞ、「原発ゼロ」に力をお貸しください。
  ピースサイクル全国運動は、「沖縄ピースサイクル」が、6月20日から23日の「沖縄慰霊の日」に向けて取り組まれました。また8月7日から佐賀県玄海町(九電・玄海原発)を出発し9日に到着する「ピースサイクル・ナガサキ行動」、そして8月18日からは「青森県・六ヶ所ピースサイクル」の取り組みがはじまることをお伝えいたします。
  最後に、貴職のますますのご活躍と、非核・平和への取り組みを期待しております。

                                2017年8月2日
                           ピースサイクル愛知

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2017年8月 2日 (水)

広島、長崎の原爆忌へのメッセージ

 気持ちを込めて投函した(広島市長宛)
 ピースサイクル愛知は7月28日に終えたが、8月6日広島、9日の長崎の「原爆の日(原爆忌)」に向けた運動は続いている。
 毎年、自治体から預かったメッセージと、愛知からのメッセージ、時々は、私個人のメッセージを届けることにしているが、今年は、日進市長、ピースサイクル愛知、私の3通を松井広島市長宛、田上長崎市長宛に今日の午後投函した。以下が、名古屋市民として気持ちを込めた私のメッセージ。両市長宛ての内容はほぼ同じである。

           全ての核の廃絶を求めるメッセージ

  8月6日の「広島原爆の日(原爆忌)」を迎えるにあたり、名古屋市民の一人して、また「ピースサイクル運動」参加の一人として「非核・平和」のメッセージをお送りしたいと思います。

 テレビに目をやれば、また新聞を広げれば、悲惨な交通事故のニュース、酷い子どもの虐待記事、集中豪雨などの災害などが報じられています。
 一方で安倍内閣の大臣の暴言、傲慢な態度も目に余るものがありますが、安部政治の根幹に安全保障の名の下での集団的自衛権行使容認を盛り込んだ「安保法」、テロの防止をうたいその準備をも罰するという、いわゆる「共謀罪」の制定あるいは「盗聴法」等々、これら一連の法整備は、平和憲法の下、戦後70有余年の「平和日本」の歩みを止め、歴史の歯車を逆転させる「戦争のできる国造り」であり、危険極まりない状況にあります。
 それでも「平和」であることの尊さは揺るぎません。

 思えば、1944年生まれの私は、幼少期の“貧しさ、空腹感”は忘れ難いものがありますが、小学校、中学校の教育を受けることができ、職にも就くことができ、何よりも戦争下の恐怖に曝されることなく「平和な時代」を過ごすことができたことに“安堵感”を禁じ得ません。
 そのように思えば思うほど、この時代が子供や孫たちの代まで、いや永続的であることを願わざるを得ません。それは、被爆地広島、長崎のみなさまが“二度と原爆許すまじ”の思いを強くお持ちになっていることと通底するものと思っています。

 私は「ピースサイクル運動」に参加する一人としてまた、世界の全ての核の廃絶を求めてご尽力されている貴職の応援団の一人として、「広島原爆の日(原爆忌)」を共に迎え、歩み、心に刻み、ここにメッセージを送るものです。
 加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、貴職のますますのご精励を期待いたしております。
                                      2017年8月2日

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2017年7月29日 (土)

ピースサイクル2017・愛知(3)

  市役所、県庁を訪問し、小牧基地まで
 ピースサイクル愛知の3日目。今日の予定は、「名古屋市役所訪問、申し入れ」「愛知県庁訪問、申し入れ」「航空自衛隊小牧地申し入れ」そして、岐阜ピースサイクルへのリレーである。
  午前9時からピースサイクルの仲間7人が、事前に提出してあった文書をもとに、名古屋市への申し入れを行った。河村名古屋市長宛ての要請と要望は「6つの課題、17の項目」であり、市側からは「総務部・総合調整課」の主幹ら3人が出席した。一応全項目について文書回答がなされてはいたが、補充説明は総合調整課所掌の項目だけで、その他は担当課から回答が得られていないということで、後日文書で回答するということであった。事前の文書提出から相当期間の時間的余裕があったにも拘わらず、こうした対応には、“真摯”に受け止めていないか、当日の対応時間を気にしてかのどちらかであろうが、そのあとの県の対応と比べても、市の対応には誠意は感じられなかった。
 名古屋実行委員会作成の要請、要望項目だけを列挙しておくと、「平和行政の取り組み」「近隣諸国との平和外交」「原発の再稼働・MOX燃料」「リニア中央新幹線」「就業実態と貧困対策」「名古屋港の平和利用」であった。
  質疑の主なものは、教育現場での平和教育についてと、「河村市長の“原発に反対”姿勢は歓迎するが、一方で大量の電気を必要とするリニア新幹線誘致の熱心で、その電源について触れられていないのは腑に落ちない。原発なしでリニアは動かないというのが私たちの見解だ」そして「県営名古屋空港(小牧市他)は、県の所管であるが、名古屋市の一部もかかるということで要請、要望する。空港は民間機だけなく、航空自衛隊そして三菱重工も共用している。近年、自衛隊機の離発着が増える傾向にあり、また生産が始まった自衛隊の最新戦闘機F35が、この空港から試験飛行に使われるなど“軍用化”の傾向が強まっていることを私たちは心配している。自治体としての見解はどうか」
  続いて愛知県の訪問では「6課題、17項目」であり、「県の平和行政」「原発の再稼働」「リニア中央新幹線」「県民生活に関連して、貧困と格差拡大について」「県警機動隊の沖縄派遣ついて」「県営名古屋空港と空自・小牧基地」であり、一人加わったこちらの8人に対して県側は、それぞれの担当部署「就業促進課・航空対策課・県民総務課・企画課・災害対策課」から9人が対座した。開始の遅れと県側の回答時間が長めで質疑の時間が5分しか残されなかったこともあって、心残りではあったが2つほどの質問で終えた。
 予定時間から10分余り遅れた10時45分頃、ピースサイクルの自転車隊4人が小牧に向けて県庁を出発した。街宣車には運転手と緑の党東海の代表・尾形さんと私が乗り込み、小牧までの街宣のマイクを尾形さんが握ってくれた。
 午後の岐阜のスケジュールから、大幅な遅れは許されないので、自転車隊は、例年行われる一か所の休憩を飛ばして、一気に小牧基地まで走り抜けた。気温は上がってはいたが、陽射しのない曇空は幾らか幸いしたと言えようか。
  小牧基地では、岐阜ピースサイクルの仲間と合同で、尾関義典基地司令宛ての要望を申し入れた。その内容は、「PAC3迎撃ミサイルの展開訓練実施について」「F35ステレス戦闘機の試験飛行について」「自衛隊小牧基地航空祭について」の3項目であった。
基地側の対応は、基本的には“命令に従う”というものでしかなく、基地周辺の地元自治体も反対している“航空祭”については、今年も開催すると明言した。
  自衛隊基地に対するこちらかの申し入れは、基地司令の判断で可否を決めきれる内容は少ないと思われ、装備(自衛隊機)や訓練などの要請項目には、“司令に伝える”という回答しか得られないのが実情。他の地区ではどんな内容で申し入れをし、どんな有効な回答を得ているのであろうか。
  小牧基地への申し入れが終わった後、愛知の「ピースサイクルの旗」を貸し出し、東京からのリレーののぼりに「ピースサイクル愛知 7月26日~28日」を書き込んで岐阜の仲間に手渡してこのリレーを終えた。やや人数は少なめであったが、拍手で自転車隊を送り出して「ピースサイクル2017・愛知」の全行程は無事終了した。 

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2017年7月27日 (木)

ピースサイクル2017・愛知(2)

  岡崎発、豊田・日進経由中電まで
 この日は岡崎がスタートであり、昨年は自転車1台、伴走車1台の二人体制であったが、今年は、暫く離れていた岡崎のメンバー3人が復帰し、豊田のメンバー一人も途中から加わり、自転車3台、伴走車1台私も乗って二人という賑やかなピースサイクルになる、はずであったが、直前に事情が変わって昨年と同じ自転車1台伴走車1台の二人体制となって、9時過ぎに豊田市役所に到着した。
  ここで豊田の市民グループと合流し、私も参加して9時50分頃から豊田市長への申し入れを行い、事前の質問項目の回答を文書で受け取った後若干の質疑を行った。平和行政への更なる取り組みなどを要請し10時30分頃に終えた。庁舎前で全員写真を撮った後、同40分頃豊田市役所を出発し、一路日進市に向かった。自転車は4人(一人は途中で離脱)で伴走車1台。私は岡崎の伴走車を日進市まで回送する係を務めた。
 日進市の女性市議4人を含む市民グループが到着歓迎の席を設けていてくれた。自転車隊がやや遅れて12時30分頃到着し、直ちに日進市への申し入れを行うこととなり、日進市側は生活安全課のお二人が丁寧な対応した。ピースサイクルを含め平和運動に理解にある職員という評判を聞いた。そして広島、長崎両市長へのメッセージもいただいたが、残念なことに沖縄県知事へのメッセージは省かれた。
 毎年のことながら、市民グループの人たちが用意された豪華な昼食を、歓談を交えて頂戴し、岡崎、豊田からの参加者は疲れを癒してここでお別れ。一方名古屋に向かう自転車のメンバー3人と、ここからの参加になる街宣車に運転手と私の二人は食事で気合を入れ、午後2時過ぎに全員写真を撮って同20分頃に拍手で送られて日進市を出発した。
 自転車隊は、天白川の堤防道路を下流(名古屋方面)に向かって走り、街宣車は、別ルートで合流地点(天白川・新音聞橋たもと)まで走った。この日は曇空で、川風を受けての快適な走行だったと仲間の人は話していた。
 3時頃に合流した後、この先の名古屋ルートを説明し自転車の一行に街宣車が寄り添うこととした。ここからはほとんど市街地なので、マイクを使って車上スピーカーからピースサイクルの紹介、目的、行く先などのアピールをおこなった。

“私たちはピースサイクルという平和運動の市民グループです。8月6日の広島、9日の長崎の原爆の日に向けて、両市長に平和メッセージを届ける運動を続けています。今年で32年目になりました。永い運動です。昨日、豊橋でお隣の静岡からのリレーを受け、今日は岡崎、豊田、日進を経由してこれから名古屋・栄地区にあります中部電力本店に向かい、そこで「浜岡原発の閉鎖を求める」などの申し入れを行います。明日は航空自衛隊小牧基地で岐阜の仲間にリレーをします。今、この車の横を走っている自転車が私たちの仲間です・・・”

  午後4時過ぎに中部電力本店前に到着し、申し入れをするこの場に参加したいという女性と合流して、4時20分頃から中電総務課、広報課の担当者3人に対して私たちは6人で臨み、浜岡原発の閉鎖、リニア中央新幹線への電力供給と原発の関係などの申し入れと質疑を行った。それにしても、中電の職員は未だに“原発は安い(他の電源とそん色ない)、クリーン、重要な電源”を平然と口にし、ピースサイクルに仲間からたしなめられる一幕もあった。また、リニア中央新幹線の開業にあたってJR東海から電力供給の申し入れがあったことを明かしたが、その規模について追及したが“お客様に関することなので答えられません”と逃げた。そんなことが秘密事項なのであろうか。
  申し入れは午後5時過ぎに終え、こうして今日の日程は事故もなく無事終えることができた。一行は、明日のスケジュールを確認しその場で解散した。

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2017年7月26日 (水)

ピースサイクル2017・愛知(1)

  リレーを受け、豊橋から岡崎まで
 非戦平和、反核などを掲げて、8・6広島、8・9長崎を全国の自転車リレーで結ぶ「ピースサイクル」の愛知コースの本走が始まった。この日の担当は岡崎地区で、この4年間は、事情があって一人参加が続いていて私が伴走などをして辛うじてつないできたが、今年は久しぶりに3人が揃った。
 初日の今日は、お昼ごろ、豊橋市・豊橋公園の美術館前に集合し、岡崎のメンバーと浜松を出発した静岡の仲間が合流した。昼食を終えたところで、東京からリレーされてきた“のぼり”の受け渡しを行い、しっかりとリレーされた。その後、愛知の自転車3台に小型の“のぼり”を装着し、浜松のメンバー3人と共に、午後1時前に公園を出発した。私は伴走車の運転を任された。豊橋市役所前を通って、1号線をしばらく走り、やがて豊川方面の400号線を北進して、午後2時前に、陸自・豊川駐屯地に到着し、ゲート前で申し入れを行い、文書を読み上げ手渡した。
 ここで静岡のメンバーと分かれた。愛知の仲間は二人体制(伴走車に二人)で岡崎に向かい一部だが未だ残る旧東海道の松並木を西へ進む。午後3時頃には強いにわか雨に見舞われたが、自転車の二人は“(炎天下で)かえって気持ちがよかった”といって、雨中を走り抜いたという。
 名鉄本線・本宿駅(岡崎市)までが今日の予定コースで、ここで豊川の一人は輪行で帰宅へ。私もここでお別れすることとなり、残った二人の一人は自転車で岡崎の自宅まで、それを一人が伴走することなり、この日のスケジュールを終えた。
 明日は岡崎発、豊田市、日進市経由で名古屋まで。午後4時半ころには中部電力本店で申し入れを行う予定となっている。

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2017年7月19日 (水)

ピースサイクルの季節

 パソコン環境不良で憂鬱
 32年目のピースサイクル全国運動、この愛知では29年目になる。当初から関わり続けてきたが、ここ数年に亘って徐々に役割分担を進め、私の仕事もかなり減ってはきた。今では、全体をコーディネートすることが主な仕事であり、走行コース、参加者の確認と保険加入、それらの情報提供。そして、自治体と自衛隊基地への申し入れは、それぞれの地区で取り組むことになっているから、私の担当は中部電力だけであり、既に事前の訪問の連絡を済ませていた。だが、当日に向けた「申し入れ書」の作成を終えたところで、プリンターが起動しないことが分かった。プロバイダが変わったから、パソコン本体と同じようにWi-Fiが繋がらないようなのだ。素人なりに考えてみたところ、線で繋いでみる、再インストールしてみる、でどうかと思ったが、繋ぐコードが所在不明、CDはどこにやったのかな?
  ということで未だ不通状態。業者に依頼する手もあるが、明日になったら自分の手で試みてみようと思う。
 さて今年の愛知の走行予定は、7月26日(水)豊橋公園1200集合(浜松PCからリレー) 1300出発1400豊川自衛隊着申し入れ1420発~~(予定は未定)~1530本宿着~以下未定~岡崎着/7月27日(木)0800名鉄東岡崎駅発~0940着・豊田市役所着申し入れ、1040発~(保見経由?)~1210日進着(申し入れ・交流会・昼食)1420発~1620中電本店着・申し入れ、1700現地解散。/7月28日(金)0850名古屋市役所集合、0900名古屋市申し入れ、0950愛知県申し入れ、1030県庁発~1130小牧基地着・申し入れ(昼食・岐阜にリレー)1300小牧発~(以下岐阜ピースの予定による)である。
 私は体調からみて、全区間参加するとしても、自転車には乗らず、伴走車・街宣車に同乗させてもらう予定だ。せめて、これまで通り日進~名古屋(中電本店)くらいは自転車で走りたかったが、無理は禁物と断念したのだがなんだか悔しい。
 30年近くもやってくると、この間の資料、写真は膨大もので、段ボール5つくらいにはなったが、半分は捨てた。だがなお半分は捨てざるを得ない。ピースサイクル2017を終えたら、大胆に整理を進めようと思う。
 

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2016年11月14日 (月)

ピースサイクル全国会議(3)

  PC2016の総括と2017年の課題(2)
 恒例でもある、学習を兼ねた今回の「記念講演」は、「全逓労組の反マル生闘争・7名の4・28被免職者」である池田実さんの「福島原発作業員」の体験記であった。
 まず「反マル生闘争」であるが、当局(公社・現業)は「生産性向上運動(マル生)」といいつつ実体としては、「労組差別、人権否定の労務政策」の一つであった。民間でも先行して1960年代に「生産性向上運動」が取り入れられ、のちに「品質管理運動(QC)、改善提案運動、危険予知運動」などに広がっていくのだが、公労協関係では国労と全逓が「反マル生闘争」を取り組んだ。特に全逓は1978年の年賀状の「元日配達」を拒否した。その結果郵政省は、この闘争に参加した現場労働者に8000名を超える処分を出し、中でも61名に厳しい免職攻撃を行った。その後の経緯は省くが、1979年4月28日の免職から28年間闘ってきた7名の被免職者が、2007年2月13日の最高裁の判決で解雇無効が確定し、職場復帰を果たした。その中のお一人が池田 実さんであった。
 池田さんは、その後定年退職して、思うところがあって2013年に東電福島原発の事故(震人災)による除染作業に携わり、また福島第1原発(イチエフという)の処理作業員(リクビダートル-露語・チェルノブイリ事故の処理従事者・清算人の意)として、“被爆作業”を体験した。その記録を本に著した(八月書館・238頁、2016年02月刊1600円)のだった。
 彼は、廃炉まで40年とされる福島原発そばの浪江町の除染作業を皮切りに、原発の建屋に入って実際に事故の収拾作業に従事、そこで今も続く「終わりのない収束」に直面した。消耗な人海戦術、飛散する放射能、苛酷な労働条件、仲間の事故死・・・。試行錯誤する指示、朝令暮改が続く中での、被ばくしながらの除去作業、廃棄作業を1年間。そのありのままを書き留めたルポタージュがこの本であり、この日の話でもあった。
 JV(共同企業体)の直系もしくは2~3次下請けまでならともかく、それ以下の下請けでは、労基法も安全衛生法も何もない世界。保険はない。有給休暇もない。被ばく線量と線量計は全うかどうか、粗雑の宿舎、低賃金でもって「使い捨て」・・・そこで私は、「外国人労働者が入っていると聞いたが実態は?」「そんな劣悪な労働環境でありながら、当局(労働局・労基署)の監視・指導は入らないのか」と質問してみた。言葉の問題もあって、外国人労働者は見かけないといい、当局は一応対応しているようだが、現実はそのまま推移している・・・。

 さて「国会ピースサイクル」についても議論されたが、もう一つ、やや深刻な問題が浮上していた。ピースサイクル運動の“そもそも”である「広島・長崎」の現地の取り組み状況がかなりピンチであるというのである。その背景は、全国各地の「高齢化、世代の引き継ぎなし」と変わりはないのであるが、加えて両地区の特徴としては、全面的に支えてきた郵便労働者(全逓・郵政ユニオン等)の現役がいなくなり(つつ)、実走者いない、少ない、そして終着地としての全国から受け入れも難しい状況であるというのである。長崎の場合、その中心を担っていた人が体調を崩し、それが拍車をかけているようだ。
 長崎についていろいろ意見を出し合った。象徴的な「長崎」が、ルートマップから消えることは単に“寂しい”というレベルではない。「核兵器を含む全ての核の廃絶・被爆地長崎」は、運動の根幹なのである。
  ピースサイクル長崎のエリアは「佐世保・長崎・玄海原発」であるが、全国会議の議論の到達点は、「長崎ネットとしての対応はゼロベースとして考え、全国からの力で、長崎ルートを維持することを確認し、現時点では細部の議論は控える」とした。これに対して長崎ネットからは「佐世保-長崎ルートなら、コース設定、宿舎確保については、持ち帰って検討する」であった。端的に言えば、「沖縄ピース、六ヶ所ピース」と同じように、「特化」された全国募集の取り組みにするということではないか。
 最後に、2017年の全国会議を11月11日(土)~12日(日)と決めて散会した。

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