2018年8月16日 (木)

六ヶ所ピースサイクル

  激走の仲間へ応援メッセージ
  8月17日から始まる「東海村現地行動」をスタートとする東北のピースサイクルは、いわき市、郡山市、仙台市、一関市、盛岡市、八戸市のルートを辿り、25日に六ヶ所村役場で「六ケ所行動」に参加する仲間、函館からの仲間と合流する。そしてピースサイクル2018を締めくくる「六ケ所行動」が始まる。その日は、六ヶ所村村長宛ての申し入れを行い、翌26日に日本原燃社長宛の申し入れを行い、27日には青森県知事への申し入れを行うという予定だ。
  その出発に先立ち「六ヶ所ピースサイクル参加のみなさまへ 愛知からの応援メッセージ」を今日の午後に発信した。長旅にして天候不順もあり、体調の維持に努め、それぞれの地域での交流を深め、「核燃サイクル廃止」の成果を上げてほしいと願うばかりである。
 応援メッセージの一部は、次のようなもの。
  ~ 24年目の「六ヶ所ピースサイクル」は、首都圏から、茨城県、福島県、宮城県、岩手県、青森県を結ぶルートをたどりながら、それぞれの地で活動する「脱原発・反核燃」市民団体と交流し、運動を共有するものと思っています。とりわけ3・11の東京電力福島第一原発事故以降「日本原燃・再処理工場」における想定外の大地震による放射能汚染の危険性のほか人的ミス(ヒューマンエラー)等々、再処理工場の存在、稼働に重大事故の心配は増すことはあれ、消えることはありません。そのような中での東日本を辿っての「六ヶ所ピースサイクル」は、みなさんの尽力、奮闘によって継続されていることに敬意を払うものです。
  最後に、翁長雄志沖縄県知事のご逝去を悼み、辺野古新基地建設阻止・全米軍基地撤去に向けた闘いを誓い、ピースサイクル一行のみなさまの頑張りと無事を祈りつつ、この愛知での運動の前進をもって応えていきたいと思っています。現地の運動団体へは、一行のみなさまからよろしくお伝えください。~
  出来ることなら、ピースサイクル全国マップの全参加はムリだとしても、幾つは同行したいと思っているが、年々歳々その気力が削がれていく現実がある。まずはその障害を取り除く知恵からはじめねばならない。

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2018年8月 9日 (木)

長崎原爆の日に

 田上富久市長へのメッセージ
 昨日、翁長知事が亡くなられた報に接した時、“8月って、なんでこんな悲しい出来事が重なる月なのだろう”とぼんやり想ったことを思い出した。
 例年のごとく、今年もまたピースサイクル愛知として、長崎原爆の日の今日、田上長崎市長宛てに平和メッセージを送った。内容としては、松井広島市長宛のものと重複する部分が多いので、一市民として私自身のメッセージを送った。
      長崎原爆の日を迎えるにあたり
          平和のメッセージ

 来る8月9日の「長崎原爆の日(原爆忌)」を迎えるにあたり、名古屋市民の一人して、また「ピースサイクル運動」参加の一人として「非核・平和」のメッセージをお送りします。
 この1年を振り返ってみますと、地球温暖化・気候変動のせいでしょうか、西日本を中心とした集中豪雨の災害が繰り返されました。また昨年にも増して日本列島を包み込んだこの夏の猛暑は、異常ではありますが亜熱帯化の端緒ではないかとの不安を覚えます。そして相変わらず子どもたちへの虐待、老人保健施設などでの殺人も後を絶ちません。
 これらすべて悪しき政治のせいとばかり言えないとしても、心ない安倍首相、閣僚の言動の一つ一つが積み重なって、社会全体が無関心・諦めと共にヒステリックになっていないか危惧するところです。
                  ◇
 さて73年目の「戦災・被爆の長崎の夏」がやってきました。
 報道によりますと、昨年7月以降に長崎原爆資料館に寄贈された資料を展示する「収蔵資料展」が3日、長崎市平野町の同館で始まったとお聞きします。被爆の惨状を伝える被爆者の遺品など、12人から寄せられた計68点が並ぶとのことですが、それは新たな悲しみ、怒りと共に、永続的な核なき平和の社会、くらしを求める思いを強くさせるものではないでしょうか。
 貴職の、昨年の「長崎平和宣言」を読み返し、「核兵器廃絶」への強い思いと取り組みに感銘を新たにするとともに、私自身もまた、“老い”に負けることなく、長崎の心と繋がりながら、この地で「反戦・平和」「全ての核の廃絶」の運動に取り組んでいきます。
                  ◇
 私は、長崎と共に被爆地広島、原発事故の福島、米軍基地が集中する沖縄を忘れることなく、そして世界の全ての核の廃絶を求めてご尽力されている貴職の応援団の一人として、「長崎原爆の日(原爆忌)」を共に迎え、歩み、心に刻みたいと思います。
 世界で加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の副会長として、貴職のますますのご精励を期待いたしております。
              2018年8月4日

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2018年8月 6日 (月)

PC愛知から広島への平和メッセージ

政府に「核兵器禁止条約」の進言を
 去る2日に送ったメッセージの概要を書き留めておくと。
  73年目の戦禍、敗戦の日本の夏、戦災、被爆の広島の夏がやってきました。
  8月6日の「原爆の日(原爆忌)」を迎えんとした7月、その広島に「平成30年7月豪雨」(西日本豪雨)と命名された集中豪雨が襲いかかりました。報道によりますと、広島県の住宅被害は浸水も含めると7月19日までに、38,000棟余に及び、広島市安芸区矢野東で、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊、安芸区では11人が死亡されたといわれます。ここに亡くなられた方のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げ、広島市をはじめ被災地自治体のご苦労に心し早期復旧を望むものです。
                              ◇
今年もまた私たち「ピースサイクル全国運動」は、「非戦と平和」「全ての核の廃絶」を訴えて全国の仲間と共に、「ピースサイクル」運動を続けております。今年で33年目を迎えました。
私たち「ピースサイクル愛知」は、東海道・山陽道をリレーするルートにあり、7月26日に豊橋市で静岡県からのリレーを受け(中略)28日には、航空自衛隊小牧基地を訪ね、(中略)そして広島へとつなぐ岐阜の仲間にリレーしました。
                              ◇
  さて私たちは、今年もまた「原爆の日(原爆忌)」の記念式典で貴職が読み上げる「広島平和宣言」に注目しています。それは広島県民のみならず、広く私たち「被爆国日本、日本人」の、平和と核兵廃絶の希求、その決意を示すものであり、世界へ発信するものになるからです。
  昨年は、7月7日にニューヨークの国連本部で行われました核兵器禁止条約制定交渉会議で「核兵器禁止条約案」が、国連加盟国中120ヵ国以上の参加で賛成122という圧倒的な数で採択されました。しかしながら残念なことに、世界で唯一の戦争被爆国であり、核保有国と非保有国の橋渡し役を求められていた日本はこの会議に不参加を表明しました。
  私たちは、こうした政府の姿勢を残念に思うと同時に、そうであればなおさら貴職が、加盟都市6,700を超えた平和首長会議の会長として「核兵器禁止条約」に賛成し、「更なる核廃絶の決意」を日本政府に要請し世界に示して下さい。そして「平和宣言」に盛り込んでほしいと願うものです。
                                ◇
  私たちの求める「全ての核の廃絶」は、「核兵器」はもちろんですが、「原子力(核)発電」も含まれます。(中略)世界から「核の脅威」から解き放たれるためには、核兵器に使われるプルトニウムを生み出す原発をなくすことが欠かせません。その意味からも原発を含めた「すべての核」の廃絶こそ、「原爆許すまじ」に繋がっていくものと確信しております。どうぞ、「原発ゼロ」にも力をお貸しください。
  最後に、貴職のますますのご活躍と、非核・平和への取り組みを期待しております。
 

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2018年8月 4日 (土)

長崎に平和メッセージを送る

 個人のものも添えて
 広島市長へのメッセージを「ピースサイクル広島ネット」へ送ったのに続いて、気持ちが乗っているこの時、田上長崎市長宛の平和メッセージを、ピースサイクル愛知としてまた個人としてのもの2通を今日の午後投函した。
 個人として書いたものの末尾には「私は、長崎と共に被爆地広島、原発事故の福島、米軍基地が集中する沖縄を忘れることなく、そして世界の全ての核の廃絶を求めてご尽力されている貴職の応援団の一人として、『長崎原爆の日(原爆忌)』を共に迎え、歩み、心に刻み、ここに平和のメッセージを送るものです。」の一文を入れて締めくくった。
 やはり広島、長崎、福島、沖縄は、一括りにすべきでないとしても、忘れてはならないものとして、私の中では(かなり意識的に)同居しているのである。
 長崎へは、1980年代ころであろうか一度だけ行った。それはかつて1970年代三菱名古屋の闘いの指導・支援を受けた三菱重工長崎造船所の第3組合「三菱長船労組」を単独で訪ねた時だった。戦争と原爆の痕跡と平和公園を案内された記憶があるがかなり薄れてしまっている。“長崎へはもう一度”が最近の願望であり、「ピースサイクル長崎行動」への参加が一つのきっかけではあるので、今年こそはと思いつつ、ついに腰が上がらなかった。
 当たり前のことだが、日々刻々歳かさが増していくので、思い立った時に行動しないと、体力だけでなく気力も萎えていくであろうから、ここ数年が“勝負歳(年)”であろう。
 ともかく、広島、長崎へのメッセージを送ることができたので、間髪を入れず次の仕事に着手したい。

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2018年8月 3日 (金)

広島市長にメッセージを送る

  豪雨災害のお見舞いを添えて
 いったん着手しながら、どうにも先に進めなかったピースサイクル愛知からの、広島市長へのメッセージを昨夜遅く投函した。
 文章が行き詰まるのは、一つは10年、20年と書き続けていると、パターン化して嫌悪感というか、価値観を見失うことがままあるのである。そんな時新しい情報が入ってくるとそれが動機となってスタートできるのだが。
 もう一つは今年の場合、昨年のメッセージを読み返して“これって、完璧じゃん”と柄にもなく自惚れしてしまって、これ以上何が書ける?となって止まってしまったのである。
 何とか2日中に投函しないと間に合わない、という時間的切迫感がある程度集中力を高め、ふとした思いつきに出会うことがある。それが今回は「西日本豪雨」災害であった。それ自体「非戦・平和」「全ての核の廃絶」と直接的関連はないのであるが、序文に「・・・広島市安芸区矢野東で、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊、安芸区では11人が死亡されたといわれます。ここに亡くなられた方のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げ・・・」というように据えたところ、本文も前年のものを下敷きにして一気に書き進んだのである。
 午後11時50分頃、3~4分先の郵便ポストに投函した。その帰り、南の空を見上げると、火星が(多分)はっきり見えた。あれほど難渋していたメッセージが「一気呵成(かせい)」に仕上がったのは、「火星」の後押しがあったから?
 この流れに乗って続けて長崎市長へのメッセージに着手したが、これは早かったので、併せて個人としてのメッセージを送ることにした。しかし、ここでまた中断したが、明日中には仕上がるだろうと踏んでいる。
  こうした流れを大事にして、「六ヶ所ピースサイクル」の、青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃あてのメッセージ、申し入れ書も早期に手掛けたい。

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2018年7月29日 (日)

ピースサイクル2018・愛知の実走録(4)

 

  追記 中部電力本店で申し入れ
  午後4時10分頃に中電本店に到着した一行は、直ちに申し入れを行った。参加者は7人と「リニアを問う愛知市民ネット」からの参加者もあって8人に。中電側は広報・総務から3人。
 申し入れの詳細は省くが主旨は、「1、リニア中央新幹線の電力使用量とその供給体制及び浜岡原発の再稼働との関連性」「2、核燃料サイクル・使用済み核燃料の再処理の問題について及び『再生可能エネルギーへのシフト強化と火力の技術革新』等の研究開発」「3、第94期定時株主総会で出された、新入社員のパワハラによる自殺事件(係争中)及び取締役の「クォータ制」について早期達成を」であった。
 リニアに関して、ほぼ毎回問い質してきたがゼロ回答だった。しかし、リニアの工事が始まっている現在、電力の供給体制など“関係ない”とは言えないはず。メモによれば、「電力の自由化のこんにち、JR東海がどこから電力を調達するのかは当社にはわからない」「電力会社間で電力を融通し合っている現状があり、そうした対応も一つ」「原発の再稼働がなくてもJR東海への電力供給は可能と考えている」など。私は、現実はそうはならないと思っているが「JR東海への電力供給は可能」と明言されたことに意外性を感じた。この場での議論にはならなかったが、では浜岡原発の再稼働を急ぐ理由は何か。考えられるのは、中長期の経営戦略の中核に据えている。政府のエネルギー政策に積極的対応として。膨大な資金が必要な廃炉作業のための準備金確保として。
 仮にリニア新幹線が開通すれば、その営業年数と延伸計画、原発の稼働制限(最長で60年)を考えれば、どちらにして「原発依存」は非現実的になる。従って原発再稼働なしで「JR東海への電力供給は可能」は正論ではあろう。問題は、その間・浜岡原発最新の5号機で最長45年の稼働期間中に原発事故が起きないという保証はないということである。だから私たちは、原発事故を起こさせない最善の策は、「原発の廃炉」であると繰り返すのである。
 なお、今回初めて参加したお一人から「核融合による発電計画の研究に参加しているのか、どんな見通しを持っているのか」という質問、意見が出されたが、中電側からは「別のところ(三菱重工などの民間企業か?)で研究されていても、当社として研究していない」という答えであったが、「核融合発電」については、別の参加者から「反対である」という意見と、私からは「ピースサイクルとしては、全ての核の廃絶を主張している」と付け加え、核融合発電」については個人的な意見とした。
 その他にも質疑がなされたが割愛する。午後5時に終了した。

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2018年7月28日 (土)

ピースサイクル2018・愛知の実走録(3)

  速報:名古屋から小牧基地へ
 台風12号の影響が気がかりであったが、9時に名古屋市役所に集合した時点では、雨はパラパラといった程度であった。実走者の“これなら走る!”という言葉を聞いて実走を決断した。
 自転車は5人、街宣車に4人。マイクは昨日と同じ尾形さん。空自小牧基地までは約18㎞1時間ほどのコースである。例年だと市役所、県庁での申し入れ行動があるのだが、今年は土曜閉庁のため事前に名古屋実行委員会が文書で申し入れていて、今日はそのままのスタートとなった。
 航空自衛隊小牧基地での申し入れは、岐阜ピースサイクルとの打ち合わせで午前11時となっているため、このままでは1時間の待機時間ができてしまう。そこで事前の打ち合わせでは、①集合・出発時間を遅らせる。②繁華街かターミナルで街宣活動を行ってから出発する。③小牧基地・県営名古屋空港・三菱重工などのある敷地一帯の外周道路を一回りして、基地正門で岐阜の仲間と合流する、の3案を検討したが、結局③案となったという経過である。
 市役所から国道41号線に出て北上し、黒川から県道102号に入り更に北上、矢田川、庄内川を超えて、春日井市に入り、味美(あじよし)あたりで、空港の南側に出た。そこから住宅地、中小の工場のあるころ狭い道路を街宣しながら通り抜け、10時30分頃に小牧基地前に到着した。
 この敷地の外周を走るは、愛知の30年目にして初めての試みであり、下見はしてあったが、下見した人は自転車、街宣車の運転手は別の人ということで多少手間取ったが何とかクリアできた。またこのコースは初めてであったから、それに合った街宣のアピール一つをその場で急きょ加えた。「基地周辺のみなさん!小牧基地航空祭の“ブルーインパルス”の展示飛行は危険です、止めさせましょう!」
 10時過ぎから雲が切れて気温が上がってきた。基地正門前での申し入れは、名古屋実行委代表の松井さんが読み上げた。詳細は省くが「1、シビリアンコントロールについて」「2、自衛隊中堅幹部による暴言について」「3、毎年開催されている“航空祭”について」「4、朝鮮半島を巡る動きについて」の4点の見解を求めた。
 基地側のその場での回答(口頭)は、1~3については「お答えする立場にない」、4については「基地司令に伝える」という、空疎なものだった。
 自衛隊の災害時での救援活動には、その職務、評価を惜しむものではないが、5兆円を超える防衛予算、安保法制の成立、米国追従の安倍外交などを勘案すれば、自衛隊の在り方に注意を払わざるを得ない。その懸念の一つが、4月16日夜、統合幕僚監部に勤務する30代の3等空佐が、東京・永田町の路上で民進党(当時)の小西洋之参議院議員に対し「お前は国民の敵だ」「お前の議員活動は気持ち悪い」などの暴言を20分ほど浴びせた(要望書から)、という事件である。
 申し入れ後、愛知と岐阜の仲間全員で写真を撮り、航空自衛隊岐阜基地に向かう岐阜の仲間を送り出し、3日間に亘る「ピースサイクル2018・愛知」の行動を、けが、事故もなく無事に終えることができた。 了

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2018年7月27日 (金)

ピースサイクル2018・愛知の実走録(2)

  速報:岡崎・豊田・日進・名古屋(中電本店)のコース
  予定では、岡崎の仲間が午前8時、自転車二人、伴走車1台で名鉄東岡崎駅を出発し、国道248号線を北上する形で豊田市役所に向けて出発。お天気は時々晴れ間も出たがほぼ曇空で猛暑は避けられたようだ。
  午前9時40分頃に豊田市役所に、私を含めほぼ全員が揃い、9時50分から、岡田市議の発議で豊田市長宛ての申し入れを行った。参加者は岡崎組が3人、豊田の市民が6人(と赤子ちゃん)と名古屋の私。
  申し入れ内容の詳細は省くが、「平和行政に関して3点」「福島原発からの放射能汚染に関して4点」「人権を守るという点に関して2点」で、それぞれについて市側から文書回答がなされ、30分ほど質疑を行った。残念なことに今年も、広島、長崎市長あての平和メッセージは出されなかった。
  その後庁舎前で全員写真を撮り、10時30分、自転車3台、伴走車1台に3人で、豊田市役所を出発し、午後0時10分ころ日進市に到着した。
  日進市では、無所属の女性市議4人と市民のみなさんの手による、交流会と昼食の接待をうけ、参加者全員で感謝の気持ちを伝えた。また今年は初めて、共産党所属の女性の日進市議と、お隣の東郷町から無所属の女性町議も参加してくれて、ごちそうと共に一層賑やかな交流の場となった。
  参加者全員の自己紹介や話題提供、日進市議会の様子、「日進平和のつどい」の紹介などをはさみながら、午後1時15分から、萩野市長あての申し入れを、市の担当者に来席して戴き行った。内容の詳細は省くが、「戦争・平和資料館の設置など平和行政の一層の取り組み」「子育て支援、高齢者の健康づくりなどのさらなる取り組み」「東日本大震災被災地への支援、市長の、原発の再稼働は慎重であるべき、という姿勢を明確に」「省エネ・再生可能エネルギーの推進をさらに」などであった。
  なお萩野市長からの、広島、長崎両市長への平和メッセージは、直接送付したので、そのコピーをということで手渡しを受けた。
  総勢20人以上がカメラに収まり、岡崎、豊田の仲間とはここで別れ、日進のみなさんのお見送りの拍手、声援を受けながら、自転車隊の3人は、一路名古屋に向かって出発して行った。
  ここから加わった名古屋の街宣車に運転手を含め4人が同乗し、緑の党東海の尾形代表が終始マイクを握って、ピースサイクル運動の紹介、脱原発、リニア、沖縄問題等をアピールしながら自転車隊をサポートして、次の中部電力本店に向かった。午後4時過ぎに中電本店に到着し、4時15分頃から申し入れと質疑を行った。これについては、明日報告する。
  その明日であるが、台風接近で雲行きが怪しい。決行の可否判断は、午前9時名古屋市役所前で相談して決めることとした。

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2018年7月26日 (木)

ピースサイクル2018・愛知の実走録(1)

 

速報 豊橋・豊川・岡崎のコース
 正午過ぎに、豊橋公園内にある豊橋美術館前に、浜松ピースサイクルの仲間と、愛知・岡崎の仲間が合流して、昼食後の午後1時少し前、陸上自衛隊豊川駐屯地に向けて出発した。
 出発するにあたって今年は、のぼりを自転車に装着して走ってもらうこととし、固定用の「結束バンド」を用意した。ここで話題を一つ。一人が百均で見つけたという、これまでの物は“使い捨て”のものばかりであったが、締め付け後、緩めて再使用できる「結束バンド」を持ってきた。そんなの初めて!みなさんは知っていた?
 浜松の仲間3人を中に挟んで、先頭と後尾を岡崎のメンバーという5人の自転車隊をつくって出発、伴走・搬送車は3台で4人。豊橋市役・吉田城を背に豊川の吉田大橋を渡り、1号線をしばらく走ってから県道400号を北上、途中2回の休憩を挟んで予定より15分早い、午後2時に正門に到着し、直ちに岡崎の中野さんが申し入れ文書を読み上げて手渡した。
 駐屯地の前の道を挟んだ原っぱ(訓練場)には、初めて見る「155ミリ榴弾砲FH70」6台が整然と並んでいた。聞けば訓練中とのこと。もちろん模擬弾、空砲すら撃てる場所ではないから操作訓練だけだろう。
 ここの隊では、これのほか、「120ミリ迫撃砲RT」「軽装甲機動車、通称『LAV』」「81式短距離地対空誘導弾、通称『短SAM』」などを装備している。なお先の広島などの水害では250人の隊員が派遣されているという。
 浜松との並走の予定はここまでであったが、今年はつい最近開園した「豊川海軍工廠平和公園」の見学を一緒に出掛けた。詳細は省くが、この豊川海軍工廠は、終戦間際の1945(昭和20年)年8月7日、アメリカ軍のB29爆撃機による空襲により、2,500人以上の方々が犠牲となった場所。
 平和交流館では、当時の写真パネル、遺品などが展示されていて(多くは桜ヶ丘ミュージアムで現在も展示されている)、15分のビデオも観られる。また、予約してあったので、旧第一火薬庫(豊川市指定史跡)と、旧第三信管置場(同)及び「防空壕跡」を係の人が案内してくれて見学することができた。
 浜松の仲間とはここで別れ、午後3時過ぎ、自転車2台、伴走車1台二人で、岡崎に向けて出発した。1号線に出てからは、並行する旧東海道のルートを通り、御油の松並木、赤坂宿を通り、名鉄・本宿駅で今日の行動はここで一旦解散した。一人は豊川の帰路へ、自転一人と伴走車は、そのまま岡崎の自宅まで。私は電車で名古屋に戻った。
 浜松のみなさんは午前中も走って来たわけで大変だっただろうが、幸いにも猛暑が予想され先行き不安であったものの、全体として曇り空であったのでトラブルもなく、ピースサイクル2018愛知の第1日目は無事に終えることができた。

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2018年5月15日 (火)

国会ピースサイクル2018

今年も参加がかなわず
 今週の18日に、恒例となっている「国会ピースサイクル」が取り組まれ、全国からの参加が呼びかけられてきた。
 防衛省を皮切りに東京都教育委員会、東京電力本社、外務省・内閣府へ出向き、それぞれ申し入れを行う。
 自転車隊とそれ以外は「地下鉄移動」となるが、毎年40人前後が参加していて、安保・沖縄、日の丸、君が代・人権、反原発、軍隊慰安婦問題、これらを1日かけて取り組むという、あまり例のない行動であり、私もできることなら参加したいと思ってきた。
 ここ2~3年参加できなかったので、今年こそは、と予定を立てていたが、18日早朝6時出発、8時30分JR中央本線・市ヶ谷駅着、1日行動、その夜 “トンボ返り”で帰宅。そして翌19日に名古屋で「安倍内閣打倒!憲法改悪阻止!5・19集会」があり、やはりこのようなスケジュールがきつくなったということである。せめて前日出発が必要だ。
  毎月19日は全国的に「行動日」であり、首都圏のみなさんはいいとしても、遠方からの参加は、隣接した日程に無理があるように思う。11月の全国会議の折りには、日程に関して要望を出そうと思う。
 ちなみに神奈川では、17日に「ミニピース」という7月の本走で行程から外れた自治体訪問が予定され、18日の「国会ピース」、19日の「反安保法制、安倍内閣打倒」の行動と3日連続となるようだ。そうした連続行動は、私にとっては一昔前までのこと。7月の愛知の本走は26日から3日間であり、その豊橋から小牧までの3日間には参加する予定だが、街宣車、伴走車、公共交通機関などでもう自転車には乗れないだろう。小牧からさらに、岐阜へ、米原へも2度ほど参加したが、「思い出」となっては情けない限りだ、当然の成り行きだとしても。
 この稿が終わって、パソコンのニュース欄を見たら、毎日新聞特別編集委員の岸井成格(しげただ)さんの訃報が伝えられていた。サンデーモーニングで、体調不良が伝えられていた快復がかなわなかったのだ。残念に思う。

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