2020年9月15日 (火)

新「立憲民主党」がスタート

 結党大会の中継を見る
 私は、You Tubeを含めて、中継、動画を見ることは少ない。日ごろは10分以内なら何とか付き合うが、それ以上はだめ。新「立憲民主党」の結党大会は午後1時過ぎから始まって2時40分くらいまでであったろうか。今日だけは最後まで見届けた。
 議長団の選出、経過報告(平野博文代表代行)、来賓あいさつ<神津連合会長他二人>、綱領、規約の提案、役員選出、採択、枝野代表の挨拶、ネットからのメッセージと続いて、役員・常任委員が壇上に勢揃いして幕。
 そんなような進行だったと思うが、150人の国会議員の他は、どんな人たちが参加していたのであろう。
 今後むこう1週間の間に、近藤昭一衆院議員からの報告を聞く機会が設定されているので、ポイントの話が聴けると思うが、壇上に立った人誰からも、今一つ余裕のあるというか「新たな出発を祝う」という雰囲気は感じられず、緊張感ばかりでなく何か難しい表情ばかりが気になった。特に神津連合会長の話を始めてまともに聞いたのだが、終始厳しい顔つきであった。平野代表代行も同じであった。こういう場合、少しは話の筋を外して、笑いを誘う場面をつくるということは不謹慎なのであろうか。
 一方枝野代表は、語気を強め、鼓舞するように声を張り上げていたが、何か一つ、ほーと気持ちをほぐすようなエピソードを入れたらどうかな、と思った。これは私が「見ているだけ」の気安さから感じたに過ぎないが、どうもジョークがあまりお上手でない人が多いように思えるこの党である、もっとも私もその末端の一員ではあるが。

 

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2020年9月13日 (日)

秋の気配が

   ツクツクボウシの声を聞く
   新しい原稿、新「立憲民主党」が発足!どうする、を書き始めて行き詰まった。「これから」を書ききれないのである。夕方4時半ころパソコンから離れて散歩に出た。気分転換であるが、一日の歩数目標6000歩がゼロであったことも動機であった。
   歩数は家を出て新海池公園の外周を一回りしても3000歩程度、公園内を一巡して1500歩ほどで帰宅に500歩ほどだから1000歩足りない。そこで家の周りを一回りして6000歩となった。
   日曜日の公園の夕方、今日は小型自転車の補助輪を外したばかりと見受けられる幼児の姿が目に付いた。少し乗り慣れた子どもは、楽しくて調子に乗りすぎるのか、スピードを上げて突っ込んで来るのでこちらが早めに道を譲ることになる。子ども同士の衝突が心配だが、案外上手に乗り回すものだ。
   公園の野球場横の木「こなら」であろうか、ツクツクボウシが鳴いていた。晩夏、秋の予兆であろう。蝉といえばアブラゼミかクマゼミしか見ない昨今であるから、声だけだがツクツクボウシの声を聞いて、少し癒された気がした。まだ暑気が漂っていて汗ばんではいたが。

 

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2020年9月 7日 (月)

防災大国日本を!

 合流新党の政策論争にならないか
 台風9号、10号の進路を見ていると、九州を巻き込みながら、朝鮮半島を縦断していくのが分かる。ここ最近豪雨に見舞われている九州、中国地方各地は大変なことと思うが、一方で直撃を受ける朝鮮半島も気になるところだ。「他国より自国のことを心配しろ」と言われそうだが、それはそうだとして、日本の防災体制についてはある程度信頼部分もあるので、やはりわが国や「台湾」に較べフィリピン、朝鮮半島、特に共和国(DPRK)については情報が少ない分、政治的なあれこれはさておき、一般国民の被害については心配になるのである。ある意味では「支配を受ける側」の連帯として。
 この豪雨災害について「ダム問題」が浮上しているが、これまでの記録的な雨量を考えると、更に将来的にはもっと「100年に一度あるかないか」以上のことを想定すれば、「ダム」で持ちこたえられるという段階を超えていくとも考えられる。やはり基本は、河川の堤防の強化、かさ上げ、川底の浚渫、川幅の拡張、が第一義的にあって、上流域の森林管理、更に気候変動に対する取り組みということではないだろうか。
 それらを遂行するとすれば、時間(長期)と資金確保が課題となるが、国家予算と知見をもとに計画的に進めるほかないだろう。国も自治体も限られた予算とはいえ、「防災大国」という一大プロジェクトのもと、日本の持てるあらゆる資源の集中をもって立ち向かわなくては、被害・復興の繰り返しとなってしまう・・・。
 ・・・時々雨戸に吹き付ける大粒の雨を見ながらまた雷鳴を聞き稲光を見て、そして「合流新党」の進行を気にしていたら、こんな「政策」を大胆に打ち出したらどうか、と思った昼下がりだった。

 

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2020年8月31日 (月)

八月の終わりに

   安倍後継に菅浮上、10月総選挙へ進むか
 カレンダーでは今日31日で8月が終わりとなる。だからどうした、ということになるが、私(たち)は、1日24時間、1週間7日、曜日で、1か月、1年と時間を意識し、四季を感じながら生活している。だから、その大小の節目には何がしかの感慨を持つのである。
 ブログ8月の30日間を振り返ってみると、7月、8月は安倍首相が政治的サボタージュ(病気療養だとしても)したので、政治関係は4件、立憲民主党関連が2件で計6件である。一方ピースサイクル関連は8件で、C&Lリンクス愛知電子版Ⅱは、本号が3、別冊が4の合計7号を発信した。日記、つぶやきは9件・・・。
 地域活動は、ピースサイクルを別にすれば、街宣活動、幾つかの裁判の公判傍聴には参加していないので、「シネマ散歩」もなく昨日の講演会だけであった。
 これは毎年のことではあるが8月の多くは、ピースサイクルのメッセージ、要請書などデスクワークが主となり、後半から動き出す。昨年の場合、8月15日過ぎに講演会が2回、映画鑑賞会が2回入っていた。リンクスも3号を発信していた。
 ともあれ、28日に安倍首相が辞意を表明したことで8月の印象・風景が一変してしまったような気さえする。その日私はブログで「安倍後継が誰であれ、就任直後の解散総選挙」の可能性について触れたが、今日現在のマスコミは「菅義偉官房長官、急浮上、有力候補」と報じている。10月総選挙説も。
 さてここで菅という政治家がどこまで「策士」の本領を見せるか、である。「菅内閣総理大臣」誕生となれば、安倍の任期来年9月までのショートリリーフ、解散総選挙に踏み切っても同じように「選挙管理内閣」に留まるかのかどうかである。
 10月総選挙を前提にして与党・自民党が現状維持なら当然だが、20~30程度の議席減なら、菅続投の線が出て来るのも当然の成り行きだろう。
 あるいはすでに一部で報じられているように、「菅-河野-小泉」のラインがあって、菅内閣で「河野太郎、小泉進次郎」を重要ポストにつけ人気を上げれば、次の2年ないしは4年間内閣を維持して、河野或いは小泉に引き継ぐという世代交代に結びつける役割を担う構想を持つのかもしれない。そうなれば、世代交代を成し遂げた内閣として安倍にない「レジェンド」の首相となれるかもしれない。菅は今何を考えているのだろうか。

 

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2020年8月17日 (月)

習近平氏の「食べ残し根絶」方針

 世界に向けた発信と受け止めた
 日本と中国とでは食習慣が違うので、同列で語れないものがあるが、「食べ残しをしない」ということでは、日中だけでなく世界共通であろうと思う。
 報道によれば、「共産党機関紙・人民日報は12日付と13日付の1面で、習氏が『飲食物の浪費は衝撃的で心が痛む』と語り、食料を無駄にしないための対策を取るように命じたと伝えた。中国都市部の外食産業で1年に出る残飯は1700万~1800万トンと推定され、3000万~5000万人分の1年間の食料に相当するという。」
 この数字だけ見れば“うわぁ~もったいない!”と誰しも思うだろう。しかも「外食産業で」という限定してのことだ。家庭から出る食べ残しを加えたら・・・、もったいないという感覚を超えて“世界に、餓死している人がゴマンもいるというのに、中国という国は!”と嫌中感を露わにする人もいるかもしれない。
 では、かくいう日本ではどうなのか、農水省の平成29年度推計値によれば、「日本の食品廃棄物等は年間2,550万トン、その中で本来食べられるのに捨てられる食品『食品ロス』の量は年間612万トンになっている。これは日本人の1人当たりの食品ロス量は1年で約48kgになる。毎日お茶碗一杯分のご飯を捨てているのと同じ量、ということになるらしい。
 中国の人口は約14億人といわれる。日本の10倍だ。細かい数字合わせはしないが、食品ロスを一人当たりに換算すると日本はあまり大きなことは言えないのではないか、という気がするのだが。
 台所を預かる私としては、幼少年期の貧しさが幸いして「食品ロス」は努めて避けるようにしている。例えば朝食は、前夜の残りかパン食であるが、パンが捨てられることはない。昼食は軽めか朝昼食兼用、夕食は妻二人で「米1合」でも余るので翌朝に回すか冷凍して保存する。夏のソーメンは100~150グラムで食べきる。ただ問題もある。「食品廃棄物」はゼロではない。「賞味期限」が切れたとして捨てる加工食品、調味料、腐り始めた野菜類の廃棄は結構出す。保存技術、再生の知恵の不足も原因の一つだと思っている。
 思い出すのは、冷蔵庫のなかったころ、炊き立て、出来立てはともかく、大抵のものは食べる前に「臭いを嗅ぐ」習慣があった。場合によっては口に含んで確かめることもあった、まだ小学生の頃の話である。
 話を戻そう。報道は「中国では今年、長江流域を中心に大雨による水害が起きている。食料の輸入先である米国との関係が極めて悪化していることも不安材料だ。習氏は米国との対立が深まる中、『自力更生』『持久戦』を訴えてきた。今回の『食べ残し禁止』の呼び掛けも長期的な覚悟を国民に求めたものといえる。」
 最近ではあまり聞かないが日本でも「食糧安保」の状況、問題意識は健在である。「食糧自給率」の問題は絶えず気になるところだ。つまり大きな視野からみれば日本も中国も食糧問題、その危機に変わりがないということだ。
 習近平氏がこの問題を取り上げ、それが「国内の引き締め」の一環であるとしても、私には、「新コロナ」のパンデミック状態を直視するなら、これは世界に向けての発信ではないか、とも受け取れたのである。

 

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2020年8月16日 (日)

猛暑の中の一日

   墓参り、散歩、ピースサイクルに思いを馳せ
 誘われて墓参り。午前10時、すでに35度を超えていたと思う。墓地の木々からクマゼミが喧しい。蝉の声も、風鈴も、秋の虫の声もやかましいといえばやかましいが、なぜか気にはならない。外人はそうでもないらしいが。
 15日を過ぎたせいか、墓参りの家族連れは他に二組ほど。一通りの墓石の手入れと花を添えて合掌。私は淡白で形だけ。戦地で亡くなった人のこと思えば、ここに来ただけで目的は達せられたと勝手に思い込んでいる。
 この暑さの中、ピースサイクルの東北道・六ケ所行動のメンバーの今日は、福島市を出発して仙台市に入ったはずだ。メールによれば、昨日もかなり暑かったらしい中、いわき市から郡山の難関を含む福島までの116㎞の長丁場を走破したという。愛知の3日間以上の距離を1日で走るのだから、体力、持久力、気力が鍛えられていなければとてもできない。近くのスーパーでさえ冷房の効いた車で行く都会人には、呆れかえさせる話に違いない。“なのになぜ・・・、君は行くのか”“目的(あて)があるからさ”。
 自転車に乗るつもりはないが、伴走車から声援を送りながら、東北道を北上してみたい、これも希望の一つだが、現実化は難しかろうと思う。体力的なこともあるが、優先順位も上位という訳でもないから。
 38度を超える猛暑であっても、これも2度とめぐってこない一日は一日、暑いからといってクーラーを効かせて家に閉じこもっているわけではない。今日は約9000歩、3METs以上での数値は6300歩ほど。かなり汗をかいてもカロリー消費は200Kcalほどであった、という一日であった。

 

 

 

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2020年8月14日 (金)

戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」

 水田 洋さんが語る
 戦後75年目を迎える8月15日を前に、毎日新聞は、英経済学者、アダム・スミス研究の第一人者として知られる社会思想史学者の水田洋(ひろし)・名古屋大名誉教授のインタビュー記事を13日付の朝刊に載せた。
 水田さんは、戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」、「過ちを繰り返さないためにも若い世代には歴史に学び、権力を監視してほしい」と語ったという。100歳になられた。
 戦後は亡くなった学友への思いから日本戦没学生記念会(わだつみ会)理事長や「あいち九条の会」代表世話人などを務めた。学士院会員でもある。名古屋市名東区在住。水田珠江さんはお連れ合い。
   市民運動にも熱心に参加され、2004年には「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」の原告として名古屋地裁で意見陳述。2015年の「愛知万博」反対運動でもその先頭に立たれた。この愛知万博の開催にあたって賛否を問う県民投票条令制定の署名運動が取り組まれ、さらに1999年の愛知県知事選挙で、署名運動の代表をしていた影山健さん(愛教大名誉教授)を擁立して闘ったが、それらの中心的な位置におられた。
   また水田さんは、戦後75年を迎えるが、世界は自国第一主義が台頭し、分断化が進んでいるように見える。「戦前ほどではないもののそれに近いものがある。あの時代に逆戻りしないためにも、若い世代には過去に学び、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げてほしい」と強く訴える、と記事は結んでいた。
   私が水田さんを知ったのは、この愛知万博反対運動からであった。そして知事選挙が終わってから、私は水田さんに手紙を書いた。「市民運動と民主主義-県知事選挙を検証する」として。私の手紙は、水田さんが編集責任者だった雑誌「象」の34号にそのまま掲載され、35号で見解が示された。
 ということで今夜は、その34号を読み返したのだった。

 

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2020年8月10日 (月)

「新コロナ」今日の風景

 緊急事態宣言で、閑散とした名駅周辺
 今日予定していた作業が順調に片付いたこともあって、久しぶりというか、思い立ったからというべきか、夕方6時過ぎになってふらりとバス、地下鉄に乗って名駅に出た。(マスクを忘れて家に戻りもして)家電量販店で目当ての品物の値段だけ見て買い控え。不要不急のものであるから。
   地下街の麺類食堂できし麺膳と生ビール。終えて店を出る時は8時20分頃で、私が最後の客だった。聞けば8時閉店予定だったという。しかし見ていると、8時頃だったと思うが、店の前で“呼び込み”をしていた。ラストオーダーを8時として、可能な限りお客を入れたかったのだ。
   この店も「新コロナ」に気を遣っていて、出入り口で店員が待ち構えていて、手のアルコール消毒と検温を実施(36度2分で入店が可となった)、4人掛けのテーブルは2人用で、対角線の席のテーブル上には「×」がされていた。「お帰りの時もマスクを着用してください」という看板が掲げてあった。レジでの対面があるからだ。仮にも「クラスター」の発生源になれば当該店だけでなく、一帯の飲食店は一斉に休業を余儀なくされるからであろう。多分、組合での申し合わせが出来ているのだろう。
 人の少ない名駅コンコースから近鉄名古屋駅へ。今月末に伊勢志摩方面に出掛ける予定を立てており、なにがしかの情報を得たいとガイド資料を手に入れに寄ったわけだ。ここでも人は少なかった。名鉄は一部岐阜県だけに延びているが、近鉄は愛知県だけでなく、京都、奈良、和歌山、大阪までつながっており、県境をまたぐ移動の制限がかけられていることでの影響が大きいに違いない。
   そこから地下街を通って、地下鉄一駅を歩く。時間は午後8時40分頃だったであろうか。地下街のほとんどがシャッターを下ろしていた。開いているところは「コメダ」(喫茶店)だけであった。午後8時閉店は愛知県独自の「緊急事態宣言」が出されているからであろう。
 愛知県の患者発生件数100人超えが続いており、その6割前後が名古屋であるから、名駅周辺、栄、金山、大須辺りは、厳しい目が注がれている。ま、それでも人は動くのであるが。
 8月がこのままだと、仮に9月になれば学校が始まり、秋の行楽シーズンがやってきても、規制、自制が延長されかねない。それが続けば冬場の「インフルエンザ」の時機到来となる。医療関係の混乱即ち我々は風邪をひくことにも注意を払わねばならない。
 そして「衆議院解散・総選挙?」冗談でしょう・・・。

 

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2020年8月 8日 (土)

8・9ナガサキの前夜

 9日は忙しくなりそう
 何を勘違いしたのか、今朝の11時には「長崎原爆の日」の式典があると思い込み、NHKにチャンネルを合わせたがその映像はない。では正午のニュースは間違いなく報ずるであろうとデジカメを構えて待った。だが全くその気配はなく“NHKは、このナガサキを無視するまで堕落したのか”と怒り、呆れながら腕時計を見ればなんと「8」が示されているではないかた。まったくもう・・・。
 昨夜はこの「ナガサキ」を記事化するために深夜1時過ぎまでパソコンと向き合っていた。「気力」はあっても「脳」は“この老体に鞭を打つのか”と言わんばかりに、迷走を企てるようだ。
 ということは、半日時間が空く状況となり、かねてより企画進行中のライフワークの仕上げに入った。いったん中断して夕食後の午後9時から再開し、加筆修正を繰り返し、11時30分とりあえず仕上がった。発行予定日は8月15日、この企画はこれまで以上に慎重さを期しており、発行日をずらしてでも完成度の高いものをめざしている。
 極めて「私的」なものであるから、このブログにアップすることはない。送り先も可否を問いかけて限定的なものとなる。
 日常的には、C&Lリンクス愛知電子版Ⅱを本誌、別冊で並行して発信しているので、この「私的なもの」は、この先、どの程度の間隔で継続するかは全くの未定。年間2号出せれば良し、としている。
 さて仕切り直しの明日は、10時45分からテレビの前でスタンバイして写真を撮り、それ予定号に張り付けて完成させ、直ちに発信。午後1時には家を出て、「TMPCWA(フィリピントヨタ労組)」を支援の講演会に出掛ける予定だ(「新コロナ」対策をして)。何とかこなしたい。

 

 

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2020年8月 7日 (金)

長崎行きを探す

 もう一度行きたいが・・・
 9日の「8・9長崎原爆の日」を前に、長崎へ行ったことを思い出そうとした。手がかりの一つは1986年12月の「JC交流会北九州」の集合写真であった。この「JC」というのは青年会議所ではなく「IMF・JC=国際金属労連日本協議会」でJC=Japan Council。「JC交流会」というのは、金属4単産「造船、鉄鋼、電機、自動車」の中の少数左派組合と活動家集団が、年に一度場所を変えながら交流していたのだった。
 この時は北九州で開催されたので、ひょっとして交流会終了後に長崎まで足をのばしたかもしれないと、アルバムの続きを開いてみたが見当たらなかった。私の写真の整理は1988年まではしっかりできていたので、ここになければ他日ということになる・・・。
 だが長崎紀行の記憶の中では、三菱重工長崎造船の第3組合訪問、工場見学、眼鏡橋、平和公園の3つくらいしか思い出せないし、宿泊の記憶も組合事務所であり、一人旅だったことからする、やはりあのとき、みんなと別れた後、長崎を訪問したのかもしれない。一人だから写真も撮っていなっかった可能性もある。34年前のことだった・・・。
 ピースサイクル運動で広島のことは触れたが、長崎へもう一度は行ってみたい、その時改めて原爆関連の地、施設などを回りたいと思ってきたが今年は中止となり、では2021年はどうか、とも考えた。だが加齢が“加速的に”迫ってくるようで意気が上がりそうにもない。今年もテレビで参加することになる。

 

 

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