2009年12月24日 (木)

あれはどうなったか

 気になる?気にしない
 別世界に行っていたわけではない。情報が全く遮断されたわけではない。テレビは大河ドラマ「坂の上の雲」だけを見た。また、多分14年前に購入したと思うAMラジオからのニュースは、民放は入らずしかも受信感度がすこぶる悪かったので、映像のニュースに慣れ切っていたせいもあろうが、なんだかコマ切れのように聞いている感じであった。よくわからないことや、聞きもらすことも多かった。新聞も最初の二日ほどで、あとは届かなかった。
  ただこの2週間ほど、日常性から遮断したと仮定してみることで、どんなわが心象が浮かび上がるだろうかということには、多少の興味を持っていた。「あれはどうなったか、気になる?気にしない?」というように。
 戻る日の前夜、「普天間基地問題はどうなったのか、年内に決着をつけた方いいように思っていたが、先延ばしか?」「昨年の派遣切りのような情報はあるだろうか、28日以降の年末が来れば、もっと話題になるかもしれない。寒空の下で年越しする人もいるだろうな」「COP15は、きちんと決まったであろうか。」「そういえば、松井秀喜は、来年はどこでプレーすることになったんだろう、年越しか?」
 年賀状は、ほぼ片付いていたので、身の回りのことはさほど気にはならなかったし、地域の活動も集団での取り組みであるから、多少のへこみはあるかもしれないが、きちんと動いていくに違いないと踏んでいた。
 家を離れてから数日後、ふと「・・・“戦力外”との自己申告」でもしてみるかなと思ったことがあって、それが今でも尾を引いている感じがしている。しかしそれは、思いあがりの裏返しでもあるかもしれず、むしろ「転進」を明確に意識して推考すべきかなと、考えたりもする。
 どこかで読んだ子どもの詩のごとく、坂道で、荷車をみんなして押しているわけだから、少しでも手を抜けば、他の誰もが、手の先、足腰に感じ取るであろう。そうと思えば坂の上までは手が抜けないと思いつつ、坂の終りがどのあたりか、“永遠に続く”のか、それが見えないのもまた事実である。

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2009年12月23日 (水)

戻る!

 ブログに向き合う
 2週間ぶりに、諸活動を除いて以前の生活に戻った。
 食事後の散歩を奨励されているので、近くの公園に出てみた。人はまばらだったが野球場では、中学生とおぼしき野球部が練習をしていた。上が黒、下が白のユニフォームであったが、背の文字までは読めなくて、どこの中学校かはわからない。ほぼ同じような背格好から、少年野球の“クラブチーム”ではないことは確かだ。その若々しい声だけが、冬枯れつつある風景とアンマッチに聞こえていた。
 歩を進めて、新海池の湖畔に近寄ると、セグロセキレイが水面をかすめて飛び去り、少し先の遊歩道あたりに降り立ったように見えた。その飛翔の姿からは、何の病も抱えていないよう思えた。
 そのセグロセキレイを追うようにして、曲がりくねった遊歩道を歩いていくと、その先は行き止まりにであった。将来の公園整備計画では、池の周囲をつなぐ遊歩道もできて、池面(いけも)にせり出した「水辺公園」もできるかもしれないが、それが見られるかどうかは、見たい!という気持ちにかかっている部分もあるかもしれない。
 自然の姿のまま、わずかに残された雑木林の土の道を登ると、滑り台、ブランコ、鉄棒、砂場などの遊具もある小さな児童公園に出る。幼稚園の終える午後3時ころなら、母親と一緒に子供たちが遊びまわっているのだが、お昼前の今はいなかった。ああ、そういえば今日は祭日であったし、もう冬休みに入っていたのだと気がついた。さっきの野球部の練習も、冬休みのこの時期だからできたのだった。そんなことさえ思いもよらない私は、非日常性の中にいるのであろうか。暦と時計が脳に埋め込まれた現代人も、「現役」を離れるほどに、それらは正確さを欠きはじめ、霞がかかるようになり、やがて、雑木林の中に消えていくのであろうか。
 その先には、芝生ではないグランドといえる広場があって、数人のお年寄りが、ゲートボール、のようであるが、ゲートではなく、直径30センチ余りの輪の中に入れる(名前は知らない)遊びというか、ゲームをしていた。きっと楽しいから、声をあげ、狙いを定めてスティックを振っているのであろうが、私にはまだ、外からも内からも、誘惑の声がかからない。それは、大まかにいえばまだゴルフに興じる年代であるからだろう。もっとも、ゴルフをやらないばかりか、ちょっと偏見の目で眺める私などは、ゴルフからゲートボールへという過程を踏むことはない。そして、そうでなくても、“いつかは”という思いすら思い至らない。どうせなら、古い町並み、史跡めぐり、歴史探索の方がいいなと思う。それも、ツアーとか集団ではなく、一人か、同好の、気の置けない数人の友と連れ立って。
 雲がかかって、陽だまりがなくなった。ひとまず帰ることにした。ブログが待っているから。

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2009年12月17日 (木)

男の気持ち・生き方(7)

車の運転あれこれ
  37年間、自動車会社にいて、自動車に関する知識も、現場も見て体験し、一時は「自動車工学」という月刊誌まで購読していながら、あるいは、自社製品ではあったが、6~7種のモデルを乗り換えもした。また16歳で原付き2種(現自動2輪)。19歳で普通免許を取得した。しかし、自動車が好き、ドライブが好き、という気持ちになったことはなかったような気がする。まわりの影響、交通の一手段、そんな感じであった。
 それは、興味が労働運動や環境問題に行っていたことが、そうさせたのだと思う一方、今にして思えば、少年期・青年期では“アウトドア派”であったのが、いつ頃からか、“書斎派”になって今日がある。
 自前の車をもたなくなって6~7年になり、今は、当然ながらもっぱら助手席、息子の車では後部座席である。そうであれば、おとなしく乗っていればいいものを、連れ合いの運転を見ていると苛立ちが募る。
 例えば、広くてたくさん空いている駐車場でさえ、あちこちと迷う様子。その上バックでの車庫入れがへたくそで、同じハンドルさばきを繰り返している。斜め駐車。交差点では、停止線で止まらずいつも前にはみ出し、右折、左折してくる車のたびにバックしている。だが、これは少しずつ慣れてきた、というより、もういうのさえ億劫になった。
 行き先のナビを頼まれるが、右折、左折は、声だけではだめで、指で差し示してやらねば、反対方向へ行きかねない。これも慣れた。しかし、2度、3度通った道でも、その都度聞かれる。覚えられないのか、覚えようとしないのか、私が横にいるからか。
 とあきれ返りつつ、かつては、車事故の多さでは、その比ではないほど私が圧倒していたのは確かだが。

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2009年12月15日 (火)

テレビ、パソコンを遮断

 そして本を読み、ラジオを聴き
 療養先にパソコンを持ち込まない、テレビは見ない、本も2週間で4冊と決めて出掛けた。
 持参した本は、浅田次郎の「夕映え天使」と「ハッピーリタイアメント」の2冊、そして、畠中恵の「つくもがみ貸します」で、最後の1冊が、阿刀田高の「おとこ坂 おんな坂」であった。
  阿刀田の「おとこ坂・・・」は、毎日新聞連載のものが単行本になったので、それを買って置いてあったものだ。以前にも、このブログで紹介した。
  日ごろは、一度読んだ本をもう一度読み直すということは、これまで殆んどなかったことだが、この「おとこ坂・・・」は、新聞では欠かさず読んでいたが、もう一度読みたいと思っていたからいい機会となった。
  全12話の短編集だが、読み直して見て、やっぱりいい小説だと思った。多分もう1回読み直すことだろう。その時は、メモをとりながら、短編小説の構成要素を探りながら・・・。
 テレビを見ない代わりに、時々ラジオを聴く機会が増えた。たまたま12月8日の夜、8時ころだと思ったが、NHKラジオ第一放送に周波数を合わせたら、「新話の泉」をやっていて、笑ってしまった。出演は、メモをみると。嵐山光三郎、山藤章二、毒蝮三太夫、松尾貴史、司会は渡辺あけみアナ。いろいろ話題があったと思うが、記憶に残っているのが、落語「芝浜」にまつわる話。「芝浜」は、古典落語の傑作らしく、円楽も得意としたらしいが、家元(立川談志)にまつわる話が中心だった。落語も結構奥が深いものだと知った。
 そのほかの話題には、リスナーからの川柳、あるいは漢字の回文(例:下手人手下とか・・・)をゲストが選ぶというのもあって、笑いっ放しだった。ラジオの面白さというか、効用みたいなものを改めて知る機会となった。

(一時帰宅の13日に書き込み)

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2009年12月11日 (金)

本、絵本、漫画本

 愛読書君は残れよボクは逝く
 本にまつわるあれこれは多々あり、自分史「扇川をわたって曲の手へ」やブログ等で触れてきたが、今回は、三菱自動車に在職中、特に1971年に岡崎工場に移ってからの、社員食堂の一角にあった本屋の店員さんと懇意になり、シリーズものは値引きを条件に、まるで在庫処理に協力するような本の買い方をした話から。
 NHKの放映を本にした「地球大紀行」「生命」「海のシルクロード」があり、角川の「歴史誕生」、中央公論の「日本の名著」、毎日新聞の「一億人の昭和史」、文芸春秋の「芥川賞全集」などが書棚に並んでいる。これらはいずれもパラパラ程度しか読んでいない。朝日新聞社刊・大佛次郎著「天皇の世紀」全十巻は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」と併せ読んだが、通読できなかった。
 もっと読まないのが河出書房新社の「世界の大思想」全35巻である。これはまだ十代後半の時、職場に哲学の本が好きな人がいて、その人の影響で買ったのであるが、読書より“実践的な活動 ”に関心が向いて行ったから、ほとんど手付かずで、結局埋もれていってしまった。仮に大学に行っていたら読んだであろうかと思わないでもないが、結果は同じだろう。
 子どもの絵本
 子どもの絵本もかなり買っていた。理由は二つあった。一つは、子供に読み聞かせるということはほとんどなく、なぜだかよくわからないが、もっぱら私自身が読んでいた。
もう一つは、当時はまだパソコンもワープロもなかった時代で、ミニコミ誌やチラシ作りは手書きであったから、その挿絵・カットなどを絵本から拾っていて、コピーして貼りつけていたのである。だから、自前のコピー機を持っていた。
 それにしても絵本は高い。確かに、分厚いページで頑丈にできていること、写真、オリジナルな絵が多いことが単価を押し上げているのであろうが、子どもや孫のためなら少々高くても、という親心を読んだ商魂があるのではないか、は下司の勘ぐりか。
 それと、子ども絵本売り場へ行くと、なんとなく雑然としている感じがするが、これは、絵本の種類の多さとサイズの多様性に原因がある。また、三歳とか五歳くらいの孫に読ませたい本とはどんなものだろうという本探しは、何らかの予備知識か、親としての「方針」を持っていないと選べない。だから私は、孫が持ってくる本を読み聞かせることはあっても、本を買い与えることが少ない。選べないのである。
 一般の書店はともかく、名古屋丸善あたりでは、そんな相談コーナーでもあるのだろうか。一度聞いてみたい。
 漫画の世界
 今の子どもたちが童話、漫画の世界に入るのは、テレビかCDからが先ではないだろうか。古くは民放の「まんが日本昔ばなし」があるが、NHK教育テレビではいろいろあるようで、ウオルト・ディズニーのCD版、「シュレック」や「崖の上のポニョ」などの映画のCD版も売られている。今の親たちも、そうしたCDには慣れているようだ。
 私も含めて成人の漫画好きも、今も廃れていないようだ。週刊の漫画雑誌は減部傾向といわれているが、書店、古本屋の二~三割近くは、漫画コーナーで占められているのではないだろうか。
 池田理代子の「ベルバラ」のような少女系のものから、さいとうたかをの「ゴルゴ13」のようなハードボイルドの漫画、横山光輝の「三国志」といった歴史物、そして、手塚治虫の世界。このように漫画でも、アダルト、娯楽的なものもあれば、夢、自然、創造、人間性を感じさせる漫画と様々であり、その善し悪しの選択は難しい。 
 今号の「四苦八苦川柳」で、「愛読書君は残れよボクは逝く」と詠んだが、私の蔵書で残したいのは、漫画では手塚治虫だけである。孫は読むだろうか。
  
<雑談の櫂・第12号-2009・6・29から>

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2009年12月 9日 (水)

男の気持ち・生き方(6)

ウインドショッピング-あれって楽しいね
 名古屋市の「敬老パス」を使うようになってから、とりわけ機会が増えたのであるが、地下鉄栄駅から名古屋丸善に向かうときは地下街を歩く。その時はまずクリスタル広場に出て、そこで最近はほとんど無縁となってしまったが、最新の乗用車が展示されている「ニッサンギャラリー」に寄って、デザインに感心し、車の装備などを覗いたりする。
 そこから広小路通りの真下になる地下街を通って丸善に向かうのであるが、その地下商店街は、8割方が女性の衣料品関係といっていいだろう。中には下着専門店もあるから男性にとっては、あまりゆっくり歩いたり、覗きこんだりはしづらいのであるが、私はウインドに飾られ、あるいはハンガーに掛けられた洋服などを見て、デザインのことは分からないが、これが今年の流行色なのだろうかと見て歩く。和服の店では、いまどきこれで商売が成り立つのだろうかと思いつつ、さして使うあてもないのに、“端切れ ”を手にしたりする。ちり緬の風呂敷を買ったこともあった。
 地下街から抜けると、丸栄の地下食品売り場に出る。地元や東西の有名店のテナントが入っていて和菓子、洋菓子、洋酒、ハーブティー等がやや高めの価格で売られている。
地下街でもデパ地下でも、いかにも買う気のなさそうな風体のオジサンには声はかからないし、一瞥されるだけだから、かえって気楽に“ウインドショッピング”ができて楽しい。こういう楽しみを多くの女性がしているなんて、世の男は知っているだろうか。
 午前、午後の時間帯に地下街もデパートも、ラシック、パルコ、ロフト、東急ハンズなどのお店めぐりをするのは、多くは女性である。男は仕事中であるから当然であるが、では定年になってから、あるいは休日など時間ができたとして男は、栄か名駅あたりまで出てきて“ウインドショッピング”を楽しむであろうか?
 多分、買い物の目当てがあって、それなりの予算が立てられて初めて出かける気になるのだろう。出かけたけれども、何も買わないで眺めて帰るなんて“無駄の骨頂”と考えるに違いない。私もそれと大差はないが、いつともなく“店舗めぐり”も習慣化した気がする。もっとも、連れ合いのお供は苦手だが。
<雑談の櫂第11号-2009・4・15から>

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2009年12月 8日 (火)

ちょっと、パソコンから離れ

体調快復に努めます
 今日から2週間の予定で、「隔離療養」を受けます。
 在宅のままでは、薬飲ままならず、食事もパソコン作業も自制がきかない、わが精神の脆弱性に断!
 というほど大げさではありませんが、暫く、他人さまの厄介になることに。
 ブログもお休みか、「雑談の櫂」の、古い記事を採録したものを時々。復帰してから「追い書き」という方法もありますが、空白日もあります。しようがないかな。

 捨てる

小雨の中 ゴミ収集車が近づく
わが家から出したそれは
手慣れた作業員の手で
すばやくホッパーに放り込まれた


着古した作業服の
袖と胸のあたりにシミがある
いくらこすり洗っても消えない
マシン油の痕跡であった

モーター音と切削音と油煙
フォークリフトとガータークレーン
同じ作業服と同じ作業帽
機械工の集団の中にいたあのころ

あれから十余年
もう捨ててしまえば といわれて梱包した
捨てたのは油の染みた作業服
運び去られたのは切り取られた過去

明日また一つ 過去を捨てに出そう

<C&Lリンクス愛知・第56号-2009・11・30/巻頭詩>

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2009年12月 1日 (火)

男の気持ち・生き方(5)

  ポシェットを買う
 一口に「鞄」といっても、用途やサイズ、適性年齢だけでなく、季節性やデザインで複数持つこともある。
 購入時は、品選びの基準をどこに置くかで決めることになるが、最初はやはり、手提げかショルダーか背負いかキャリーかで狙いを定め、店頭で、機能性、価格、デザイン、品質(素材、縫製)、色などから絞り込んでいくことになる。
 もっとも男(私)の場合、あれこれ品選びすること自体に喜びも、まして楽しさもあまり感じないので、店舗をはしごしたり、長時間関わることはしないのではないか。ほとんど機能性だけではないか、とすら思うが、これは野暮だからか。
 私が持ち歩く日常的な鞄は、まずショルダーバッグが多い。書類は少なめで、筆記具とペットボトル、最近では「扇子・マイ箸・眼鏡クリーナ」の3点セット。それにポケットティッシュなどを入れている。
 会議で参考資料、配布資料が多い場合は、ショルダーストラップのついた「抱え鞄」に切り替える。
 ところが、先月から病院通いが増えて、最初はポーチを持ち歩いていたが、手元から離れた時忘れやすく、結構気を遣うので、身につけておける「肩掛け」の小型の鞄を探していた。ウエストバッグでもよかったが、手持ちのものはやや小さいことと、座ったりするときなど、前でも後でもどうにも居心地が悪い。
 そこで、袈裟掛けにもできるポシェットを求めたところ、女店員の “男女兼用ですよ”と 勧められたものを買った。デザインはともかく、紺系統の色なら申し分なかったと思ったが、ほとんど即決。
 ただ・・・、肩掛けを袈裟掛けにして身につけることに、少々抵抗があった。常々“あのようなスタイルはしたくないなあ”と思っていたからだ。なぜかといえば、なんとなく“年寄りくさい”感じがしていたからである。
 かくいうオマエも老人ではないか、といわれればそうなのだが、自覚するか、観念するか、まではそれに染まりたくないという“抵抗感”が働くようである。
 また、おしゃれは女がするもの、みたいに考えている割にはこだわるではないか、という自問がないわけではないが、ふと“これからは、おしゃれしてみようかな、気持ちだけでなく”と思ったりするのである。
 たかがポシェット、されどポシェット、生き方の一つも考えさせられた。

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2009年11月27日 (金)

ホッピーって、なんだ?

  関東で飲まれているんだって
 月曜日の午後9時、BSで、吉田 類の「酒場放浪記」をときどき見るが、その時出てくるのが「ホッピー」である。詳しくは検索してもらえばわかるので省略するが、アルコール分1%以下の、ビール風の飲み物、といったところか。
 これを冷やして飲むこともできるが、冷やしたグラスに、冷やした焼酎1に対して、冷やしたホッピー5の割合で混ぜて(注ぐだけでかき混ぜない)飲むのが一般的らしい。最初見た時は、焼酎をビールで割ったものかと思ったが、「当たらずも、遠からず」であった。ただアルコール分が1%以下であるから「酒」の扱いにならず、「清涼飲料水」みたいなもので、当然安い。戦中か戦後の、酒が高い時期に、安くて酔うことのできる飲み物として流行ったらしい。それがブームになったり、不景気で復活したり、愛好者が広がったりしているのだそうだ。
 関東といっても一円ではなく、下町とか、ある特定の沿線に限られるようであるが、最近は関西でも出るようにもなったらしい。
 名古屋の居酒屋で見かけたことがないし、話にも聞いたことがなかった。そこで、昨日スーパーに行った折り、テナントの酒屋を覗いてみたが、ホッピーはなかったように思う。いつもなら店員に声をかけるのだが、買う予定もなかったので、そのまま店を出た。大型のリカーショップならひょっとしてあるかもしれないが、当分の間は、それはかなわない。体調が戻った時の楽しみの一つにしておこう。

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2009年11月26日 (木)

技能オリンピックのこと

 フライス盤で、予備的に参加
 今日の朝刊に、第47回技能五輪全国大会で、刈谷市のデンソーと豊田自動織機の17人が、メダルを取ったというニュースが載っていた。そのうち金メダルは5人で、旋盤、構造物鉄工、機械組み立て、機械製図、フライス盤とあった。
 現在の競技内容はどのようなものかは知らないが、フライス盤を検索してみたら、以下のような記述があった。
(1)読図 図面を読み取る技能。
(2)加工 六面体、直溝、勾配溝、蟻溝、穴あけ、R加工の加工技能。
(3)測定技能 ダイヤルゲージ、ノギス、マイクロメーターなどの測定具を使って測定する技能。
 これを見る限り、私が、経験した1965年ころ、経験といっても事業所の代表を決める大会、それも1回きりの参加でしかないが、その時の課題とそれほど大きな変わりがないような気がした。
 当時の記憶をたどると、材料は2個与えられ、①6面体加工は外形寸法と直角度の精度。②R部のケガキ。③一方は半円の凸加工で、もう一方が半円の凹加工。R部を差し込み合わせて、隙間ができない精度、滑らかな切削面の仕上がりを求められた。凸側のR加工が難しかった。④勾配溝も、二つをかみ合わせて、合わせた6面体として段差が出ない、その精度で差がつけられた。⑤規定時間内作業と、その総作業時間。こんな内容だったと思う。
 当時私の職場は、新三菱重工名古屋自動車製作所で、自動車製作(三菱500⇒三菱コルト600⇒三菱コルト1000)の駆け出し時期でもあって、所属の型製作の現場では、機械工、仕上工の養成が急務となっていた。
 そこで、私より2つ、3つ先輩二人と共に、予備的に参加を命じられたのであった。予備的というのは“まあ、どんなものか参加してみて来い、それから選手育成のプランを立てる”というようなものであったからだ。
 一緒に参加した先輩たちは、実務の中堅になりつつあって、技能五輪に関わる年齢を超えていたので、最も若かった私が、育成選手の第1号となるはずであったが、ほどなくして、職種の変更でその機会はなくなった。

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