2017年5月25日 (木)

ミニ詩集第13号仕上がる

 「所在」のタイトルをつけ
 C&Lリンクス愛知・第77号「愛知における地域共同、運動の基盤形成」と、「語り」のレジュメと並行して執筆してきたミニ詩集の第13号「所在」が仕上った。明日、まとめて印刷・製本・発送の予定だ。
 今号については、あとがきで「タイトルに悩んだ」こと、詩作に苦労、・・・詩想は「過去」に向いたり、「内向き」になりがち、それが「歳相応」ではあっても、「創作」からは褒められない、と。結果はともかく「意欲、気力、好奇心」の残滓がある限り、今しばらく続けると書き残した。
 詩は、引っ越し/シュレッター/矜持/追憶・滝/旧き友を想う/不心得の 当世出鱈目漢詩/ 随筆は、「私は誰か、どこにいてどこに行くのか」で全12頁。
 タイトルの「所在」は、「“出来はイマイチかなあ ”と何度も読み返しているうちに『所在』が浮かび上がりました。結果的に随筆にもフィットしました」とあとがきにも書いたが、ここのところ「自分」が妙に際立って気になっていたから、必然的に「所在」に辿り着いたのであろうが、「私は誰か、どこにいてどこに行くのか」と書いたように今も私は依然として「所在不明」であることに変わりがない。だから、「自分探し」が内と外を同時に見る目が宿ることにつながっているかもしれない、と思わないでもないのである。

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2017年5月21日 (日)

美術鑑賞-緑美展へ

中学同級生3人が出品
 公式的に言えば、「緑区文化協会美術部」主催の「第43回緑美(りょくび)展」ということになるが、出品者でもある同級生からの案内はがきが届いていたので、最終日となった今日のお昼頃、会場の区役所まで出かけた。
 作品は全部で日本画13点、洋画39点、彫刻・工芸9点という内容であったが、前回に較べてやや少ないかなと感じた。また全体として印象に残る作品が少なかったというのが率直なところだ。
  41人の出品者の中に、中学の同級生3人がいることは、昨年6月に開催した中学の同級生による「私たちの小さな足跡展」の盛会から見て不思議ではないが、「美術展」という世界ではやはり珍しいといっていいのではないだろうか。
  さて二度三度見て回って、足を止めたのは、同級生作品は当然だが、他には、「神明社の大杉」と「竹林」いう2点で、これは作品の評価云々ではなく「この絵なら、詩がつけられるかな」という観点からであった。だから写真に収めようとも思ったが、結局そこまでには至らなかった。(写真撮影の許可はもらっていた)
  もう1点あった。それは「ある日の卓上風景」で、オウムガイの殻やらなんやらの中に、隠されたように人の顔が描かれていた。説明はつかないが、「コラージュのような」とでもいおうか。風景画、人物画、静物画が多い中では、やはりちょっと目を引いた作品だと思った。
  ステンドグラスを専門とする同級生の工芸作品「舞い上がるキジ」「逆さ富士」は、彼の工房を見せて戴いたときの印象からすると、ややシンプルかなとは思ったが、それでもかなりの時間が投じられているであろうとの実感は出来た。作品の性格上むしろ展示方法に難があったといえる。やはり「窓側」に透かせて見せることが望ましい。
  洋画の二人は、一人は外国旅行の時の「旅の記憶」と題する、ヨーロッパのとある「街角風景」の2点であった。これまでも大作を見せてもらっているが、それと比べて何か違いがあるというわけではないが、印象として「絵に動きがない」といおうか、作者のモチーフが返ってこないと感じた。こうした「欧州の風景」の作品が好きなようであるから、きっと何かを持っているのだろうが、受けるわが器が小さすぎる。
 もう一人は、地元にある「要池(徳重)の春」と長野県の「自然湖(大滝村)」の作品だった。こうしてスケッチのために出掛け、旅行するのは楽しいだろうなと思いながら、これまで彼の作品に何篇かの詩をつけたこと、そして今回の作品に詩想が湧出するだろうかと身構えたことが残る。結果的には、「要池の春」は、似たような作品に詩をつけたこともあって見送ることにした。他方「自然湖」は、自然が作った“造形美”を印象として描いたと思われたが、何かをイメージして詩に仕立てるにはやや具体性がなくやはり見送った。
 このように、絵画、工芸についてまともな感想が書ける能力は私にはないが、何かと“刺激”を受けることが多い。だからこうして足を運んでは、“わが道、わが望み”に気合を入れたいと思うのである。

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2017年5月16日 (火)

運転免許証を更新する

 所持効果のほどはわからないが
 2週間後には運転免許証の有効期限が切れるので、今日の予定と空模様を見て出かけた。会場の平針運転免許試験場へは、往路は名鉄バスで直行したが、帰路は、待ち時間が50分もあったから、市バス、地下鉄、市バスと乗り継いで別ルートで帰ってきた。
 前回の更新から5年経ったが、更新手続きが大きく変わり、まず「運転免許高齢者講習」に参加させられ、それは4月に済ませていた。それには半日要したが、それがあって今日は、受付から新免許証受け取りまで30分足らずで終えることができた。「講習」が省かれたからでもある。
 ただ、受付をする前に4桁の「暗証番号」二つを打ち込む手続きが新たに加わった。それは(説明がよく聞き取れなかったが)、一つは、これまで免許証に記載されていた「本籍」を個人情報保護の観点から外すためと、写真の張替えのような偽造防止のためというように聞いたが確かとは言えない。ただ、昨今幾つも持っている「暗証番号」に新たに加えることには抵抗があった。忘れてしまう可能性があり、また、どんな時にその「暗証番号」が生かされるのか(紛失、盗難などで何かの犯罪に利用されたときか?)明確に理解できなかったこともある。
 免許の種類は、前回までは「普通」と「大自二」であったが今回は、「中型」と「大自二」とあり、「中型は中型車(8t)にかぎる」とあった。これって、「8トン車まで運転できる」ということだろう?これまでは2トン車までという記憶だったが。どっちにしても8トン車を運転することはないだろうが。
 「大型自動二輪」も、もとは「原付二種」から発展したもので、250CCまでのバイクならOKと記憶しているが、これももう乗ることはないだろう。
 かくして車の運転から遠ざかったこんにち、「運転免許証」の日常的使用は少なく、所持効果のほどはわからないが、「身分証明書替わり」にはなる。ただ最近になってなぜか、再びドライブがしたくなりかけつつあるのも確かだ。

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2017年5月14日 (日)

坂喜代子さんを偲ぶ会

 多彩な人たちが集まりました
 亡くなられて100日余り、元委員長を務めた女性ユニオン名古屋の呼びかけで、去る1月に亡くなられた坂喜代子さんを「偲ぶ会」が開かれた。
 ご遺族からは長女とその娘さん(孫)、坂さん執筆の内容が含まれた「女性活躍『不可能』社会ニッポン 原点は『丸子警報器主婦パート事件』に あった!」の著者の渋谷 龍一さん、ジャーナリストで和光大学教授の竹信三恵子さん、女性労働問題に詳しい、均等待遇アクション21の柚木康子さん、弁護士で元参院議員の大脇雅子さんをはじめ、地元東海市からも含め、共に運動を担った人たち、ゆかりのあった人たち40人ほどが坂さんを偲んだ。
 それぞれから或いはメッセージから、彼女のなした仕事、手がけて道半ばとなってしまった仕事に惜しみない賛辞というかもっと活躍してほしかった、あまりに早い旅立ち、という思いが語られた。
 黙祷から始まって、女性ユニオン名古屋の古守恵子委員長からのあいさつ、献杯、スピーチ(1)、参加者の自己紹介、坂さんに労災認定の申請を勧めた保育園時代の父母の会(豊明市)の佐野さんのあいさつ、そしてスピーチ(2)と進み、ご遺族の長女から“母とわたし”などのお話とお礼のあいさつがあった。
 ここに参加された多くの人たちに較べれば、坂さんと私の交流は10年にも及ばないほど浅いものであったが、「献杯」の音頭を依頼された。「坂喜代子さんは、享年66歳にて黄泉の国に旅立たれました。思えば、男女共同参画、男女雇用機会均等、同質労働同一賃金、非正規雇用・格差の撤廃、働く者の国際連帯、そして新しい農業の在り方を求め、坂ファームを設立、道の駅の構想等々、あなたは道半ばで逝ってしまいました。あなたの思い、意思を私たちは引き継いでいきます。坂さん、安らかにお眠りください。献杯!」
 また、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)愛知の代表であった坂さんの、この「偲ぶ会」に向けて「臨時号」を作成し参加者にお渡しした。内容は、坂喜代子さんの歩んできた道(略歴)/巻頭の詩 坂さん追悼『寒椿そして風』/あなたは寒椿のように/追悼 坂喜代子さんの思い出<Y・T>/追悼 坂喜代子さんの死を悼む<T・B> /追悼 坂さんの想いを引き継いで<S・Y> /追悼 坂喜代子さんの遺志を受け継いでいきます<M・T>/あとがき/付記:賀詞から坂喜代子さんを偲ぶ
 そしてその中に私は、このようにあとがきをした。「なぜ人は失う前に『失ってからわかる大切さ』に気づかないのでしょう。そんな想いが日ごとに増しています。きっと『偲ぶ会』とは、彼女の思いを今一度自らに引き寄せ、明日につなげる機会となり、この国の行方、明日のくらし、働く者の連帯を確かめる時でもありましょう。」と。

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2017年5月 3日 (水)

安倍の2020年新憲法施行発言

 私たちの運動もステップアップが
  憲法記念日のこの日、朝刊で「市民の意見30の会」が呼びかけた意見広告を見て、今年も恒例となっている憲法集会「憲法施行70年記念 市民のつどい70年目に問う 憲法のいま」に参加できなかったなあと思いつつ、会場が「名古屋国際会議場センチュリーホール」となっていて、そういえば「名古屋市公会堂」は耐震・改修工事に入って使えないのだ、と思ってみたものの、昨日と変わらない1日が過ぎていった。
  だが夕方のテレビニュースで安倍首相の改憲派の集会「第19回公開憲法フォーラム」での改憲発言(ビデオ)を見て“胸騒ぎ”を覚えた。論点は「2020年を、新しい憲法が施行される年にしたい」「戦争放棄などを定めた9条に自衛隊の存在を明記する文言を追加するよう提案‐1項、2項は残し3項に明記」「教育無償化を巡る議論の進展も促し」「衆参両院の憲法審査会での論議促進を呼び掛けた」というものだ。
  何か不釣り合いな「自衛隊」と「教育の無償化」を並べた意図はよくわからないが、「教育無償化を掲げる日本維新の会の協力を得る狙いがある」もそうであろうが、例の「教育勅語」にも執着しているところから、「国家主義観」の表れであろう。「無償化」で改憲論に誘導しようとするのか。
  それに憲法9条の1項、2項を変えないで(多分変えるつもりだが、今は伏せておく策謀)自衛隊をどう明記するのであろうか。自衛隊(国軍)の違憲論は、ここから出てきているのではなかったのか。まあ、発言が前言と食い違うという矛盾も平気だし、言葉の理解の間違いにも平然としている安倍首相のこと、とにかく「首相在任中には、或いは、生きているうちには何としても改憲」に執着しているようだから言いたい放題・・・といつまでも放っておけない事態となった。
  月に1回は集会・デモに参加して「安保法廃止、周辺事態条項許すな」「テロ等準備罪=共謀罪反対」を叫んできてはいるが、野党、特に民進党にも頑張ってほしいとエールを送り続けてはいるが、ブログでもなにがしかの発信を続けてはいるが、安倍の“軽い発言(実は重大な内容なのだが)”に、危うく吹き消される想いに陥りがちになる。アブナイ、アブナイ。
  日本国憲法といえば、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が三大原則であり、現行の憲法の解釈からは「自衛隊」は軍隊であり、憲法違反であることは明確で、ましてや「集団的自衛権行使容認」は「平和主義」に反する。
  違反だ、危険だといわれながら改まらないのは、「飲酒運転常習者」に似ていないか。「憲法違反を続けていると、飲酒運転と同じように、そのうち取り返しのつかない大事故を起こす」という認識を持ち、高め、共感を広くもちたいものだ。運動にもなにか新しい盛り上げ方(ステップアップ)の工夫がいるようだ。

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2017年5月 2日 (火)

慣習に関係ない“衣替え”

 わが身は、加齢と懐具合
 “衣替え”といえば夏に向かって6月、冬に向かって10月と習慣づけられてきた。ただ社会人になってからは、生徒・学生と違って、黒系統から白系統へ、半袖から長袖へといった極端な“衣替え”はなく、その時の気温などによって早まったり遅めになったりしてきたと思う。また最近はその“ボーダーライン”は“ゾーン”化しているようで、その幅も広くなりつつあるようだ。また単に気温だけでなく、季節感の伴う流行の先取りもあるかもしれない。
 さてわが身を振り返ってみると、なんとなく“衣替え”の時季に“づれ”が生じてきているような気がする。例えば、冬物から春物に替えていく時期が、かつては4月に入ればぼつぼつ、遅くとも中ごろには、切り替えていたような気がする。ブレザーは、“ぼつぼつ、替えたら・・・”と言われるまで冬物で、ようやく4月末に近くなって替えた。それでもベストが手放せなかった。あるいは、ズボン下を冬物からから夏物に代えたのは今日のことだった。夜着は未だに冬物である。
 このようなことは個人差はあるにしろ、思うに“加齢”がそうさせているのだと思う。もう一つは“懐具合”もある。生地が薄くても材質によっては温かいものもあると思われる。たぶん高価だと思うので手を出さない。ただ足先を冷やさないことで上半身の寒さを和らげることができると聞いているので実践していて、靴下は絹製と表示されている5本指のものと木綿のものを組み合せて2枚履き、ズボン下は夏冬欠かさない。
 ということで、気温には敏感になる一方、何かと動作は緩慢になりがち。気がつけば“老域”にあるわが人生である。

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2017年5月 1日 (月)

今日は「メーデー」でした

 遠い日のあの時を思い出すことはあれど
  今日は「メーデー」といっても、現役でもなく、相応の団体に所属しているでもない私の場合、メーデーは頭の中にしかない。15歳で初めてメーデーに参加したこと。三菱重工労組の一員として参加し、青年婦人協議会の役員をしていてメーデー終了後、3支部(三菱重工名古屋の3つの事業所の組合支部)合同の「青婦協交流会」に参加したこと。地域労働運動に参加してからの「赤と緑のメーデー」の第1回は1991年で1999年までの経験が思い出される。
  今年で第88回を迎えた愛知県中央メーデー(愛労連系)には以前に1、2度参加したが、連合愛知主催の「(4月22日)愛知県中央メーデー」は、1975年頃を境に一度も参加したことはない。尚主催者発表で参加者数は連合系が2800人、愛労連系は3000人とあった。
 ということで私の今日は、もっぱら家事と“身辺整理”の続行で一日が暮れた。その合間に、「マイブログ“郷蔵21”4月号」を発信した。その冒頭のコメントは以下の通り。
  ~4月-私事ながら、生業から離れてもはや20年、運動の現場からやや離れて数年が経って「年度」替わりとは言っても意識することは少なくなった昨今である。だが、政治も行政も「新年」より「新年度」で動いていくところがある。
  さて4月を振り返れば、まず「テロ等準備罪(共謀罪)」の審議入りがあり、5月連休を挟んで山場を迎える。次に名古屋市長選挙があって、河村市長が三選された。圧勝といっていいだろう。対抗馬岩城候補を支援した既成政党5党に課題を残した。強いて言えば、単に市長選挙というばかりでなく、「政党離れ」の進行の兆候ではなかろうか。都議会選挙を前にして、そこでもその傾向が伺える。民進党の現状・動向は、その荒波に揺さぶられているといえないか。「立憲・リベラル派」の動きに注視している。
  5月の「リベラル政治懇話会」は、ジャーナリストの高野孟氏を迎えて「安倍政治とリベラル政治勢力の課題」(仮題)である。~
  今月は私の“誕生月”でもあり、かくして“歳月人待たず”の感にひととき浸った日でもあった。

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2017年4月30日 (日)

伊吹文明(自)議員は言う

  失言を防ぐ注意点六つの「た」
  自民党二階派の伊吹文明元衆院議長は、今村雅弘前復興相の更迭を巡り、今村氏が所属する27日の同派会合で失言を防ぐための注意点として六つの「た」を訴えたという。箇条書きにすると以下のようになる。
  ~有権者に恥をかかせないよう~
・立場をわきまえる
・正しいと思うことを言う時
・「多人数がいる場」は人によって見方が違うことに注意すべき
・旅先(地方)でサービス精神のあまり舌を滑らすこと
・他人を批判する時
・たとえ話で誤解を招くこと
 伊吹文明衆院議員は、保守本流を行くような印象があり、文科相も経験したこともあってかこの人、今の若手議員には難しいようなことをおっしゃるが、議員に限らず我ら「公民権運動・市民運動等」に携わる者にとっても一脈通ずるものがあると思い、私なりの解釈を加えメモすることとした。
  まず冒頭から「有権者に恥をかかせないよう」という物言いはどうだろうか。己つまり「国政を預かる者の一員として恥をかかないように」とすべきだろう。確かに、こうした類の議員を選んだのは有権者だから、地元の有権者は恥ずかしい思いをしたのだろうけれども。
・立場をわきまえる・・・議員だ、大臣だという過剰意識、傲慢さがそこにある。
・正しいと思うことを言う時・・・ぬぐえない予断と偏見がある。“受け売り”が多いのでは?学習不足か。
・「多人数がいる場」は人によって見方が違うことに注意すべき・・・当然といえば当然だが、“いうべきことはしっかり言う”として高揚した時が注意であろうか。いつでも、誰にでもいえることだ。
・旅先(地方)でサービス精神のあまり舌を滑らすこと・・・自慢話をしたくなるのは人の性か、地方に限らず。
・他人を批判する時・・・・・・・論拠を明確にし、「批判の批判」を想定しておくことではないか。誹謗、中傷は論外だが、“相手への批判、攻撃”が、安易な“受け狙い”を招きやすい。
・たとえ話で誤解を招くこと・・・これはよくあることで自戒したいことでもある。端的に言えば「たとえ」の選び方に注意が必要ということだ。例えば、差別内容と用語には注意をし、その経緯を知っておくべきだ。下賎な内容は、意外と本人は気が付かないで“悦”に陥っていることがあり、“本性の暴露”といえるかも。誹謗、中傷の類も本人は「論破」していると思い込んでいる場合がある。そしてニュースとなるケースが多いのは、時と場所と実態をわきまえず、被害者、弱者、困難者、当事者に傷つける内容を得意げに話したりすることであろう。etc

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2017年4月21日 (金)

民進党のサポーターに登録

 民進党の事情がどうであれ
 長らく空白のまま「自称民進党サポーター」を名乗っていたが、今日の午後地元選出の県議を通して登録を終えた。
 なかなか浮上しないどころか、離党、離党で支持率は下がり気味の民進党だが、そのことと私がサポーターになることとをあまり関連付けないようにしている。どうであれ、「反自民・非共産」という政治的立場と、野党の拡大なくして「安倍暴走」は止められないという観点から、とりあえず民進党に対する「発言権」というほど大げさではないが、身近な党員、議員とコンタクトを取っておくことのツールの一つとして、であった。
 雑談1時間ほどの中で私は、「蓮舫さんを代表に選んだのだから、全党挙げて支えていくことが党組織というものではないか」「異論は多々あるだろうが、それはしっかと内部で議論すべきもので、(自分の立場だけを守ろうとするのか)外部に持ち出し、あまつさえこれ見よがしに離党を宣言して出ていく姿は、政党人としてどうか」「私の場合は、党より人物というのが評価基準、近藤昭一議員を支えていく」「現実的に言えば『脱原発』という即停止、即廃炉という表現より『原発ゼロ』という若干の期間設定と、エネルギー問題に対案を、という含みを持たせという観点から、民進党の政策との距離は縮まっているのではないか。今、『原発ゼロ』を明確にしてすれば、その意義は大きい。小泉の提案は、もう少し見極めないといけないが、注目していいのではないか」「『連合』は厄介な存在となり、特権階級のようさえ思えてくる。電力労連の影響力が根っこにある。連合に依拠することは危うい」「市長選挙でいわき候補を推しているが、昨日の個人演説会の様子はブログで書いた。その会場はさながら自民党市議の後援会の会場のようであった。個人的な私の収穫といえば、自民党の衆院議員、県議、市議の話を始めて聞いたことだった。やはり魅力はなかった」
 当の県議の話で気になるこが1点あったが、論争せず“ちょっと違うのではないか”と申し上げた。(内容は略)
 

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2017年4月16日 (日)

ACTION REPORT第23号の編集執筆

 小さなことに悩みつつ
 名古屋市長選挙の情報ばかりでなく、共和国(北朝鮮)とトランプと安部の動向を気にしながら、APWSL愛知の会誌「ACTION REPORT」第23号の編集執筆に勤しんでいる。たかだか12ページの編集であるが、ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の活動誌「結」と同時発行であるから、日程に合わせることと内容の重複に配慮することになるので、早めの作業を心がけている。
 今日の夕刻近くになって、表紙と巻頭詩を残して第一稿が仕上がりこれから校正に入ることになるが、ただでさえ3か月ごとの発行であり、内容の陳腐化が気になるところだ。ということであれば、いきおい時勢に沿ったものではなく、予備的な知識、情報に寄与できればいいかなという内容を選択することになる。あるいは活動のやや詳細な報告となる。もっとも本誌は「アジアと地域の労働運動を、APWSL愛知がレポートします」と銘打っているから、問題提起型ではなく、レポート・解説が主ではある。
 今号では、「結・第8号・2017年2月」でフィリピントヨタ労組の闘いの経過が報告され、「東京総行動」でのトヨタ自動車東京本社への申し入れについて触れられていたから、それをフォローした記事を書いた。この闘い、運動は、トヨタ自動車を相手とする地域労働運動であると同時に「多国籍企業トヨタ」であるから、APWSLの領域でもある。
 巻頭詩は悩ましい。できれば、時事詩、社会詩、労働詩といった領域で詩想を練るのであるが、どうしても「散文調」になりがちで気が滅入る。“詩泉”の枯渇化は避けがたく、巻頭詩から巻頭言にしようかとも。小さな悩みではあるが。

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