2019年4月21日 (日)

後期高齢者医療保険証が証届く

  気の抜けた時間に思ったこと
  今日は、市長選挙、市議会選挙の投票日であるが、どなたの選挙にも足を運ぶことがなかったので、なんとなく気持ちの高ぶりが少ない気がしている。お付き合いのある候補者には、知人、友人の名簿を以前に渡してあったので、それは使ってもらえただろうけれども、電話掛けの後押しまでしていない。
 小野澤選挙の「私的総括」を終えたところに、「後期高齢者医療保険証」が届いた。生年月の1か月前だからだが、ついに来たか『召集令状』が、と思わないでもない。どこに召されるかといえば「来世」ではあるが、今のところは来世の「入門許可証」みたいなものだ。これを受け取らずに鬼籍に入った同級生もいるのだから、とりあえず、ありがたく頂戴しておきたい。
 思えば60歳前後からの10年余りは、人生の疲れのせいか、生業についていなかったこともあってか病院通いが多かった。ここ最近は内科へ3か月、眼科と歯科は6カ月に1回の通院に減った。あとは時々抗ヒスタミン剤の処方箋を受け取りに行く程度。「花粉症」の処方もその中で受けている。
 この保険証の裏には、臓器提供に関する意思表示する欄がある。3択であるが私は、臓器を提供しません、にマル印をつけた。これは「臓器の提供を受けない」の裏返しでもあるのだが、特にその説明をつけようとは思わない。
 ということで少々気の抜けた時間をこんなことに費やした。
 C&Lリンクス愛知の紙版第88号が次の仕事であるが、構想がまとまらない。今日の選挙結果をみてから考えても遅くはないだろう。連休前に仕上げたい。

 

 

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2019年4月19日 (金)

C&Lリンクス愛知電子版・第34号

  小野澤選挙の私的総括を終える
   統一地方選挙後半の市議会議員選挙の投開票日は21日である。私が注目している候補者がいて、それについて投票日前に何らかのコメントをしたいと思い、小野澤選挙の私的総括と共に、第34号の発信を急いだ。
 何とか「あとがき」を書き込んで終えたのが午前1時過ぎ。午前中に見直しをして発信を済ませた。内容は1)地方議会議員選挙にも注目!ピースサイクルで支援を戴いた議員、他、2)小野澤美希選挙を振り返る(2)、私的総括・街宣活動篇、3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報、<4月7日~4月18日>、4)「ツネじい通信」 NO31、5)選挙運動で見た風景(3)、6)あとがき、であった。
 あとがきでは、●小野澤選挙の私的総括はブログに掲載しているが、書く場所を変えるごとに加筆修正している。ここでのものが最終稿である●趣味とは違って政治・社会問題などにかかわった場合、その課題はエンドレスであるから、個人的にも「引退」などというものはないといえる。そこまで、というものがあるとすれば「運動の継承」の仕事かもしれない。それもどこまでがエンドなのかは判然としない●私がこの頃口にする「引退」とは、政治的、社会的運動の第1線に立たない、企画、運営会議には控えめ。新たな課題には慎重に対処する、時間的割合を減らしていくなどである●それでも現世に絶望し、退嬰的な心境にならない限り、好奇心が大きく薄れない限り、全く別世界に入り込まない限り、そして思考することすらできない病床に臥せない限り、私の生き方は今とそんなに大きくは変わらないだろうと思っている(変えたいという好奇心は消えないが)●そのようにしながらも、この「項」を終え、次の仕事を構想し始めてはいる。と書いた。
   書いてみて、気持ちが微妙に揺れ動いている気がしているが、それは“正常”なのだろうとも思っているのである。

 

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2019年4月18日 (木)

立憲パートナーとして1年

 この国のゆくえ、「党」に寄与とは
   去る4月16日は、私が「立憲パートナーズ」に登録した日から1年である。
 1年前のその日録は「今日から『立憲パートナーズ』の受付が始まったので、とりあえずインターネットから申し込みをした。機関紙購読と寄付も申し込んだ。『とりあえずパートナーズを申請するが、状況によって党員も考慮。その案内は見当たらず、どんな手続きが必要か』というコメントもつけた。」と書いていた。
 登録したその“覚悟”は、「市民運動の会員と違って、政党の党員は、党の綱領・政策に全面的に賛同し、見識を持つこと。党の企画・行動に可能な限り参加し、鼓舞すること。党勢拡大に寄与すること」と規定した。それまでの「無党派市民」意識からの大転換であった。しかし一方で「原則は原則として、役職者でなければ『個人の事情』もかなり許容されると思うし、自縄自縛に陥ることなく、自由闊達でいいのではないかとは思う。」とも書いている。
 この間「C&Lリンクス愛知電子版」を発信して、4月16日発行が33号で月刊3号というペースであった。また地方選挙で名古屋市議会選挙・緑区の小野澤選挙に「立憲パートナー」として全面的にかかわった。党主催の企画にはほぼ皆勤だったと思う。このように「立憲パートナー」としての務めの自己評価は「及第点」とした。
 一方自己評価を高めにすればするほど、「党」に向けた評価は厳しくなりがち。ふと“不満”が漏れる自分を自覚する。言うべきことは言う、はいいとしても“不満”を並べるだけでは意味がない。2年目に入って、どのようなことがこの国のゆくえを考え「党」に寄与できるのか。それ下敷きにしてブログも書き続けたいと思っている。

 

 

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2019年4月16日 (火)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(6)

  街宣活動の総括(3)
街宣車運行で気がついたこと
1)今回は日程的に無理であったが、主要なコース、スポットの事前調査(下調べ)は欠かせない。また地域事情の情報を持ち寄り、より効果的なコース取り、スポットの決定と時間帯を決めていきたいものだ。それにはなんといってもこの緑区在住の永い人、政治に関心のある人の参集が必要である。
2)街宣車の運行計画の変更は、寄せられた情報などによりあり得るが、事前の調査、計画を活かすためにも出来れば最小限にするか避けたいものだ。著名人、党幹部の来援を要請した場合、どうしても「ゲスト」の都合に合わせることになるが、運行計画をできるだけ維持したいとするなら、少なくとも告示の1週間前までに「ゲスト」のスケジュールを固めたいものだ。今回のゲストは、近藤昭一衆院議員、山口二郎法大教授、斉藤えりさんの3人だった。
3)候補者の小野澤さんは、政治的な活動経験はほとんどなかったと聞いていた。地方議会選挙で「国政」の問題が前面に出でることは稀でしかないが、地方の政策課題が国政と繋がっていることを考えれば、公認を得ている立憲民主党の政策と重ねた展望を語ってみても良かったと思っている。具体的な表現(フレーズなど)は難しいものがあるが、そうしたものをもって選挙に臨みたいものだ。
4)「立憲民主党」という  「カンバン」にあまり風が吹かなかったようだが、これは「党」として大いに総括してもらいたい課題だ。これについてはかなり前から県連の組織体制の整備が遅れていると指摘してきたのだが、地方選挙後、参院選を前に議論を進めるとのことだった。国民民主党との関係、党の人的な支持基盤の薄さもあって難しいところもあると思うが。
5)県議として8期32年を務め今回勇退した中村友美県議は、後継の松本守候補の応援に注力するとともに、小野澤候補のバックアップにも尽力した。その実績から緑区の事情に最も通じている立場であったから、岡本、小野澤両候補を当選させる「戦略」を描いていたとも考えられるので、いつか機会があれば「後日談」として聞いてみたいものだ。
6)他党、他候補の実体は知らないが、小野澤選対主催の「個人演説会」は開かれなかった。だが3月31日に県議選・松本選対主催の個人演説会があった。その時小野澤候補は岡本市議候補と共に立憲民主党・緑区の3候補の一人としてとして並び立った。同じ党の公認候補であっても選挙では競合相手に違いないが、私から見れば、全員当選で党勢拡大こそが選挙で闘う意味であるから、こうした企画は大賛成である。
もっとも昔ほど「どぶ板」「戸別訪問」などの選挙運動はやられていないかもしれないから、小規模の「個人演説会」は採用されない時代かもしれない。けれども小野澤さんが次回をめざし「市民運動」的な広がりを求めていくとしたら、「小グループのつどい」を頻繁に開いていくことが欠かせないだろう。それがあれば選挙期間中の「個人演説会」の設定も、そんなに難しくないと思うのだが。
6)その他では、①街宣車からのスピーチの「一覧表」が用意された。できれば事前に内容、長さなどの検討をして事前に練習なり、確認なりをして送り出せればよかったが、その時間がなかったようだ。②ウグイスもナビも地域事情の情報を持っていた方がいいから、これも事前に練習なり、確認なりをして送り出せればよかった。③それにしても緑区はいかにも広いと改めて感じた。開発された新住宅地などで有権者も市内最高であるが、「人通り」が少ない、盛り場がないなど「街宣活動」も時代に即した在り方が必要なのか、旧態のままでも徹底すればいいのか判断しかねた。
 
 「私的な総括」は以上であるが、私自身のことに限って言えば、元々「岡本康宏候補」の側にいたこともあって、小野澤選対入りは想定していなかった。あくまで「立憲パートナー」としての党の要請に従ったのである。しかも小野澤選対の立ち上がりに関与することもなかったので「助っ人」意識があった。それは選挙の戦略、戦術に係ることが少ない、積極的ではないということでもあった。また年齢的な自覚もあって「あまり口出ししない」のもこの選挙に臨んだ姿勢の一つであった。
 こうして総括らしいものを書き綴ったが、私的には「4年後はない」と断言しているので、この一文は私からの、小野澤美希候補と荻野事務局長への「置手紙」である。完

 

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2019年4月15日 (月)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(5)

街宣活動の総括(2)
街宣車を走らせる
  街頭宣伝活動は、街宣車を走らせながら、有権者に名前を憶えて戴きと政策の一端を知ってもらうことで、支持につなげていく方法がその一つ。これは街宣の全時間の中で最も多いと思われるので、いろいろ工夫もしてみたい。
 まず車速は、交通量の多いメイン道路でも20キロ~30キロ以下で左寄せ走行。住宅街では10キロ程度が適当ではないか。メイン道路での走行中は「市議会選挙には、おのざわみき、おのざわみき、立憲民主党のおのざわみきをよろしくお願いします(15秒以内)」の「3連呼」が一つのパターンだったと思う。政策のフレーズが入っても一つくらいだろう。
  むしろ信号待ちの時、バス停に人がいる時、店舗でお客さんを見かけたときなどは「立憲民主党のおのざわみきです、に加えて政策を2つ3つ言って、おのざわみきをよろしく」といったような「ショートスピーチ」が採り入れられた。
 一方住宅街では、ゆっくり車を走らせ、スピーカーからの声はある程度の先まで届くので、主要な政策フレーズを織り込むことができた。住宅街に公園などがあって、住宅とある程度の距離がとれる場所では停車して、応援弁士も交えて一人3分程度、10分以内のスピーチは有効と思われた。この時は、男女の組み合わせ、地方自治と国政の問題を織り交ぜてもいいのではないかと思った。なお季節柄窓は閉め切ってあるので音量は夏ほど気にしなよかったが、「赤子」の午睡の時間帯などでは音量と滞在時間に配慮したい。
ポイントでの街宣
 ターミナル、ショッピングセンター、交差点などでのポイント街宣(辻説法ともいった)は、のぼりなどの準備と撤収時間を入れて20分から30分の時間設定をした。その半分の時間が「候補者本人」のアピールであったが、さすがに少し長いと感じた。難しいかもしれないが、老若男女、地元からも交えた「ショートリレー・チアスピーチ(短い応援の言葉のリレー)」もあってもいいと思った。著名なゲストを迎えたときは、その30分前の周辺の街宣は欠かせないだろう。駅前の訴えはほとんどの場合、街宣車の乗り入れができないのでハンドマイク(トラメガ)が使用されたが、性能によって声が不明瞭或いは届く範囲が狭いなど、期待した効果が得られない場合もあったとみられ、改善の余地はあるだろう。
夜間の街宣
  通勤、通学帰りの有権者の帰宅時間が過ぎて、ターミナルなどでの街宣が終えたあとは、住宅街回りに入るのだが、この夜間の街宣のナビは、昼間の道路状況、建物の目標物が視界から消えがちになるので、運転者と呼吸を合わせることが難しくなる。そこで「カーナビ」を利用した運行が有効だ。私がナビしたときは、住宅地の入り口までガイドしてそこから先は、運転者の自主判断をお願いした。この方式は、出発する前に運転者と話し合い、おおよその場所を伝えておくことが大事だ。夜間は道路状況が分かりやすい団地などの集合住宅を選んだが、市営住宅では、域内道路に入れず、外周道路からの呼びかけだけとなった。
練り歩き
  標旗、ハンドマイク、のぼりを押し立てて住宅街などを歩く「練り歩き(通称は桃太郎歩き)」は、よく使われる方法の一つであるが人出があってこそ、だ。残念なことに緑区にそのような商店街、盛り場、神社・仏閣などは見当たらない。結局「練り歩き」は、最初と最後の選挙事務所近辺の町内あいさつの時を除いては「筆談ホステス」の著者で、東京北区議会議員の斉藤りえさんを迎えての「扇川緑道」での練り歩きと、4月5日の「野並交差点」だけであった。この方式の効果のほどは分かりかねるが、私としては、場所を選びながらではあるが、選挙運動の「見える化」として多用してもいいのではないかと思った。
 なおこの「練り歩き」は、「動員力」さえあれば、選挙運動に関係なく「政治活動」として「立憲民主党」の宣伝をして歩くこともできる。関連付けるものは「立憲民主党」とのぼり、それにピンクののぼりだけではあるが。

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2019年4月14日 (日)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(4)

  街宣活動の総括(1) 
  この選挙で私は、街宣車の運行計画を全面的に引き受けた。過去の市民主導型の選挙、例えば1999年の愛知県知事選挙では名古屋市内全域を、2003年の知事選挙でもお手伝いした。2009年だったか社民党の比例東海に立候補した(故)坂喜代子さんの名古屋市内街宣の一部を担ったことも。2016年の参院選前の「あいちキャラバン」では、名古屋市内に加えて他所の幾つかのキャラバンコースを設定した。
 それはそれとして「街宣活動の私的総括」をまとめた。あくまで私が参加し関わったところからの気がいた点に過ぎない。しかも立候補表明、事務所の確保そして「1、告示前の朝立ち、訪問活動、戸別ビラ入れ」が始まったのは2月の声を聞くころではなかったか。朝立ちは、近藤昭一衆院議員・事務所に支えられて始まったと思う。ハンドマイク(トラメガ)、のぼりとチラシが用意されたと思うが、わかりやすい「看板(政策スローガン)」も用意出来たらよかったと思う。(他の事例から)
 街宣車については、告示前の数か月間に用意されなかったのは惜しい気がした。3月に入ってからか、「政党カー」が動き出した。本番用の街宣車は、スピーカーの音量は十分でコードレスマイクの距離は十分とれ、住宅街での小回りの利く軽自動車が非常に効果的であることが分かった。この選挙では、候補者が(電動)車いすということで頻繁な乗降は避けるという方針が採られ、街宣車と候補者カーは別個であった。この方式は千種区の斎藤まこと選挙で実証済みとのことだった。課題として残ったのは、街宣ポイントで合流する間の候補者の「訪問活動」の密度(名簿)であったろうか。
 街宣車の「3、乗員の体制(シフト)」については、運転手、ナビゲーター、ウグイス2人の4人体制であるが、当初はその人集めに事務局長も苦労したようだ。「初挑戦で“落下傘候補”」でもあったからやむを得ないだろう。
 シフトは「日替わり3交代(午前、午後、夕方以降)かつ経験差」もあって、多少の混乱はあったが、結果的には円滑に運行できた。時々「経験を積ませる」ということで若い女性もマイクを握ることも。また「ウグイス」といわれる人のほとんどが女性であったが、私見としては、長めの街頭演説では、男女混合の方が、トーンが変わって効果的な場合もあると思っている。付け加えれば「立憲民主党」を軸とした「国政」との関連についてのアピールもあってよかったのではないだろうか。
 告示後の「4、街宣車の運行計画」作成にあたっては、①緑区を地域割り・学区割りして、まんべんなく街宣車を回す方式。②緑区全体を鳥瞰し、「ポイント」を決め、そこを中心に街宣車を回す方式があると考えていたが、おのざわ選対の街宣は、①の方式を採用した。知名度不足を区内全域で浸透させたい意図からだ。もっとも、ポイントも定めているから①②併用方式ともいえた。
 もう一つの街宣ポイントは、「旧市街地=保守的傾向」「新住宅地=新住民、若年世代」と分析し、「おのざわ選挙」の性格、特徴から「新住宅地」に主眼を置いた。そこで9日間を「鳴海西部と鳴海東部」で7日間、比較的旧住民が多いと思われる大高町、有松町を各1日とした。しかしそれは状況次第で変化し、必ずしも厳密なものではなかった。例えばJR大高駅の東側地域は、鳴海町に接する大高町地内であるが、「鳴海西部」の時にも街宣をし、厳密に境界線を引いたわけではなかった。
 二人を擁立した他党では、「地域割り」をしたであろうか。立憲民主党としては「地域割り」は採用しなかったし、なにがしかの「棲み分け」の話もなかった。恐らく前職の岡本候補はこれまで通りの選挙活動、小野澤は前職松本の地盤というか支持層を引き継ぐといったものではなかったろうか。ただそれがうまくいったかどうかは、票の分析でしかわからない。なお小野澤の街宣は、岡本の地元「左京山地区」の街宣は控えた。岡本も同じではなかったろうか。
 いわゆる「街宣ポイント」については、ターミナル、スーパーマーケット、ホームセンター、交差点、集合住宅、
店舗, その他・緑区役所のそれぞれをピックアップして、運行計画に組み入れた。問題は、どこへ行っても人の流れは少ない、特に平日の午後など。また街宣車の駐車場所に苦労した。そんな時、コードレスマイクは有効だった。

 ここまで見てきてつくづく思ったことは、緑区は広い、新しい住宅地が、どんどんできていた、スーパーマーケットは人の出入りは多いのであるが、道路と店舗の間に広い駐車場があって、来客と候補者が顔を合わせる機会がない。
 車は多く行き交うのであるが、人が歩いていない。季節柄(気温、花粉など)もあるかもしれないが、商店街が衰退し個別の小売店も減少しているから、人の出歩きが少ないのである。
 SNSを効果的に使うということもあるかもしれないが、地方議会選挙は、地域密着型の選挙であり、有権者との直接の出会いが少ないということは、「議会制民主主義」の在り方として問題であろうと思った。続く。

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2019年4月11日 (木)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(3)

7、選挙運動の9日間
 まずは、候補者の健康管理が第1であった。幸い天候に恵まれ小野澤さんは、終始元気いっぱい選挙運動をやり切った。それを陰で支えた人の役割も大きかったといえる。また若くて経験のないおのざわ候補には、何かと周辺から「助言」とか「注意」とか「思い付き」であれこれ耳打ちされるが、候補者にとってそれはありがたいことである一方、あれもこれもでストレスを取り込む要因の一つにもなり得る。これは周辺が配慮すべきであろう。その点で小野澤さんはタフであったと思う。議員としての資質の一つとしてみることができる。(内心はともかく)
 次に選対を取り仕切る「荻野事務局長」の頑張りであった。選対事務局長は「扇の要」であるから、それなりの経験と能力が求められる。つまり「事務処理」と「戦略・戦術の長、とりまとめ」である。ただそのような「一般的」な見地は別として、とにかく9日間選挙運動が回ったのは事務局がそのように機能したからである。仮に人がいれば「事務局次長」を置いて事務局長の負担を軽減し、その余力を「現場、現況の把握」に振り向けることもでき、より効果的な街宣活動ができたものと推測する。
 また、毎日の選挙活動終了後にその日の報告などの場が持たれたが、私自身、夜の街宣に参加した時以外は、その場に参加しなかった。従ってどんな内容が話されたのかの共有も、周知もされなかった。閲覧できる「選挙日誌」があっても良かったかなと思う。さらに序盤の情勢を検討する「戦術会議」のような場もあっていいと思ったが、目いっぱいの活動の中、難しかったかもしれない。

 街宣車と候補者の「みきカー」が別個であったことでの、選挙運動にどんな影響があったのか、については、候補者が車いすであることで別個にせざるを得ない事情は理解できた。また「まこと選挙」での経験済みであり、それが効果的であるとの指摘も理解できないわけではなかった。だが一つ問題を感じたのは、では「終始、街宣車に乗らなくていい」と「街宣車に乗ってマイクで訴え、手を振っていて効果があるのか」という意見については、やはり疑問はぬぐえなかった。
 街宣車に乗らず「みきカー」でいるときは、基本的には「訪問活動」に充てられるとのことだったが、それはどの程度までなし得たか。また「小野澤さんは、人の前に姿を見せ、声をかけることでより票になる」見方との整合性をどう見るか。実際後半では、夜間が多かったがおのざわ候補は街宣車の助手席にのって手を振り、マイクでアピールした。要は工夫次第で街宣車からの訴えもそれなりの効果はあるのではないか。
 街宣中の「チラシ配り」も選挙運動の一つであるが、法的に配布範囲が限定されている以上、或いは、通行人が少ない現状からは、さばける枚数は多いとは思われなかった。結果として8000枚のうち「新聞折込」に約4000枚、残りが街頭ということであったが、どれほど撒き切れただろうか。
 名古屋交通労組(名交)から、街宣車の運転者として、4日間を1日3交代で派遣されたことで運転者不足の問題が一気に解決したこと。また緑の党東海から「ウグイス」として一人が応援に駆け付けたくれたこと。ゲストを迎えたことなど「街宣車・街宣活動」については、別項で総括する。

8、チラシの内容、選挙ポスター、街宣車のデザイン
1)チラシは、告示前に3種類、選挙用1種類がつくられ、業者委託で約4万枚(緑区は約10万世帯)が配布されたとのこと。加えてポスティングで相当数が配布された。この評価はで一概に言えないが、街頭での手渡しのチラシは、もっとシンプルに、戸別のものは政策をしっかり伝える、という“使い分け”があっても良かったのではないか。
2)選挙ポスターの評価は難しい。掲示板に貼られたとき、“よく目立つ”ことが優先するのか、候補者の人となり、“なぜ立候補したのか”の表現を優先するのかなどで別れる。
3)街宣車のデザインについては、特に意見を持っていない。「みきカラー」のピンクを強調したことはよかったと思っている。LEDの夜間照明もつけられた。

9、立憲民主党について
 これは4月10日の「総括会議」で、出た意見の一部であるが、「思ったほど党の支持は伸びていない」には同感できたが、「党が(立憲民主党)なくても選挙はできる」「大した力にならなかったのでは?」といった類の意見には同意しかねる。私は少々怒りを覚えた。私自身が「立憲パートナー」の一人として、「党員意識」のもとで参加してきたからだ。もっと言えば、安倍政権に代わる政権を立憲民主党に託し、党勢を拡大することがその道を拓く。それには地方組織を拡大し、地方・地域の声を政策に活かしてく、そうした活動の一環として私は参加し、尽力してきたつもりだ。心ない一言ではないか。(党としての問題点も多々あることは承知している)

 

10、街宣車・街宣活動について
 この項は、別に立てて総括。 

 

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2019年4月 9日 (火)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(2)

4、おのざわ選対の体制
 率直に言って私が「選対入り」した段階で既に「選対」の大枠の体制が出来ていたように思った。それは「斎藤亮人選対(千種区)」と同体のものと思われ、「党主導」「市民運動との連携」に加えて、地域(緑区)事情について「希薄」を感じたのだった。しかしそれも私の中にはまだ単なる「助っ人意識」があって、何かを提起することにはならなかった。知らない人ばかりだから「名札(ネームプレート)を」とか「組織図」をつくって役割を決めたら、というくらいの意見だった。またいったいここの“選挙戦略、戦術”の会議はどこで行われているのだろうという疑問が生じて、 “私の居場所はなさそうだ、一人勝手連ででもやってみようかなと思う”と思ったほどだった。
 もう一つは、告示前までの「事前運動=街宣活動」は当然あると思っていたので、その街宣計画を自発的に着手したのだが、朝立ち、訪問活動、ビラ入れは取り組まれたが、街宣車による街宣活動はないと知らされて“びっくり仰天”したのだった。
 このことでマイナスだったのは、知名度、政策論を広く伝えることができなかったことだけでなく、告示後の街宣活動で、くしくも東京から応援に来たIさんから、ポイント街宣の街宣車の駐車場所について“事前調査してないの?”と指摘されたことに表れていた。3月に入ったころからだろうか、ようやく「政党カー」が走り出したが、それも愛知3区内(昭和、天白、緑の全域)と聞いていたので、限定的なものではなかったろうか。
いずれにしても出遅れて、選対が十分でない以上完全、完璧にはできないことは当然であったとしても、街宣車による事前の活動は選挙運動の「ベース(基本)」の一つではなかったかと私は思っていたので疑問に思ったのである。(そもそも街宣車の調達は無理だったことは承知したうえで)
5、告示前
 いよいよ3月29日の「告示日」が近づいてきた。選挙運動の手法は、チラシ、選挙はがき、電話活動、訪問活動、名簿の集約、街宣活動などがあるが、告示後は電話作戦と街宣活動、出来れば「個人演説会」などが主なものだ。小野澤さんの場合は「訪問活動」も主活動であったが、絞り込めば「街宣活動一色」といっていい。
 私は、選対の状況から「緑区を知る」一人として「街宣車の運行計画」を担うことになろうと覚悟を決めて、その計画案作成に着手し、3月18日の選対会議でまず告示日の計画案を示し、3月25日の選対会議に9日間の全計画案を出すことに集中した。街宣に必要なのぼり、ユニホームは中村県議のものを譲り受けたのは大きかった。
 選挙事務所は広くはないが、それ程不自由はしなかったように思う。広い駐車場の確保は、車いすの応援者も多く有効で大変良かったと思う。事務所内の会計・事務と“まかない”は、Tさんが一手に引き受けてくれて、告示後もここは完ぺきだった。
 最初から最後まで(今も)気になっているのは「資金(財政)」についてである。当選できなかった以上、仮に借り入れがあった場合、それを歳費で返済する手立てが消えたからである。
6、おのざわみき候補の政策
 おのざわ候補の詳細な政策列挙は省くが、呼びかけの対象は「女性、こども、若者、高齢者」で、そうした人たちの住みやすい「街づくり」を掲げた。これはおのざわ候補の想い、後援者の意向が反映されたものとおもわれ、単に「1議席」確保のためばかりではない。行政の「空白部」あるいは、名古屋城だ、リニアだなどと見栄えばかりの “品揃え”とは違った、議員としての“本物志向”であったと思う。その一方小野澤の訴えが有権者の関心事とうまくかみ合ったかどうか、政策の実現性についても「新人」という未知数から有権者の信頼を得られたかどうかは測り難い。
  また国政選挙や首長選挙と違って必ずしも「争点」が重視されるわけではないが、他候補とは違う「差別化」は必要であろう。おのざわ候補の「女性、28歳の若さ、車いすおのざわ」のキャッチフレーズがどこまで他候補との「違い」を演出できたであろうか。「女性」という点では立候補者9人中5人が女性であり、福祉政策や敬老パスについては「共産党候補」と共通しており、一番若い候補者であったが「28歳」という「若さ」が、どこまで受け入れられたかは測り難い。「車いす」での頑張りは高齢者から好感を持たれた気がしたのだが、他の年齢層では実際のところはどうであったろうか。
  一方減税候補が「議員歳費800万円」を掲げて、それが有効に働いたとすれば、それへの対案は難題でありスルーしたのはやむを得ない。だが対置する政策(キャッチフレーズ・スローガン)は次回までの宿題となる。 続く

 

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2019年4月 8日 (月)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(1)

全体的な総括(1) 結果と告示前まで
  はじめに

 総括の視点は「立憲民主党としての総括」と「小野澤美希の選挙運動」の二つがある。
 ここでは、党としての総括を織り込みながらも、主として小野澤候補の当選をめざした選挙運動について、「結果」から導き出される正反両面の総括を求め、次に活かされるものを獲得したい。
1、選挙の結果
  名古屋市緑区は、前回選挙で定員8人のところ1名減員となって7議席となり、9人が立候補し小野澤候補は、5,755票を獲得したものの、7位の当選者(佐橋亜子・共産6789票)に約1,100票届かず当選はならなかった。現職の牙城を突き崩すことができなかったといえる。そして元職の松本守さんに基盤(支持票)を引き継げなかったともいえる。
 また自民、減税※は、立民と同じく2名を擁立したが、得票で両者に大きな差がない"棲み分け"が成功したといえる。ほぼ同数の減税二人の得票に注目していいのではないか。一方の立民は、岡本候補がトップに百票ほどに迫る11,144票を得票した一方、小野澤はその半数ほどであり、簡単なことではないが、「足して2で割れば」減税の二人に迫り、越えていたかもしれない。ここに「党としての選挙戦略」の課題が残されたといえよう。
 もっとも共産の佐橋候補が最下位に沈んだことも留意する必要があろう。小野澤、佐橋両候補の政策に共通点があり、その政策が得票と関連があるかどうかの視点を外せないからである。<※「減税」は、河村たかし市長を代表とする地域政党で減税日本が正式名>
2、準備期間の問題
 統一地方選挙の実施は早くからわかっているから、とりわけ現職はその準備に怠りがない。2期目、3期目となれば知名度はある程度浸透しており、その支持基盤は少なくとも「コア」の部分では固められていたといよう。
 ということであれば「新人の立候補者」は、告示の1年前の立候補決定で現職と同時スタート、半年前でもまだギリギリ「射程内」といえるが「3か月前」では、タレントのような知名度抜群ならばともかく(タレントがいいという意味ではない)、かなりの「出遅れ(ハンディ)」を負ってのスタートといえる。市議選守山区の川口候補の例(1か月前の立候補)の例を見ればより明らかではないだろうか。
 しかし私はこの「出遅れ(ハンディ)」がむしろ危機感を持たせ、集中力を生み出すものであると捉えていたが、その評価は「定め難い」と思っている。徐々に増えていった支援者はみんな一生懸命であった。そのことと「運動評価」は同質ではないからだ。
3、選挙の基本スタイル
 次に一般的に選挙戦には「組織選挙」と「イメージ選挙」があるといわれている。自民、公明、共産は「組織選挙」であり、減税は河村市長をバックとした「イメージ選挙」に徹していたといえよう。では立憲民主党はどうか。例えば岡本康宏候補は3期の実績(知名度、後援会など)と労組支援で固める「組織選挙」プラス「立憲民主党」のイメージであったと思う。小野澤美希候補には出身母体の全面的なバックアップはあったが、「組織選挙」といえるには程遠い。「28歳、女性、車いすのおのざわ」「だれもが共に生きる街を」が、キャッチフレーズの一つであったが、これは「イメージ選挙」といえる。例えば減税の「議員歳費800万円」といった「シングルイシュー」を凌駕するには、他党も苦慮したであろうが、「歳費にふさわしい議員活動」を有権者に示すほかない。この点では新人の小野澤候補は突破しきれなかったし準備期間があまりに短かったといえるだろう。
 もう一つの捉え方は「政党主導型選挙」と「市民運動型選挙」がある。小野澤さんが「立憲民主党公認」として立候補したことは形の上では「政党主導型選挙」である。そこで問題は二つあった。一つは「立憲民主党公認」は、立憲民主党の「人気(支持)」があっての効用だ。だが結果的に立憲民主党の支持は、思ったほど高くはなかった、或いは国民民主党との関係に何か遠因でもあったのか、これは「党」としての分析を待ちたい。
 もう一つは、立ち上がり当初はともかく、守山、名東での新人立候補が急きょ決まって「近藤事務所のスタッフ」の支援が削がれた。それは小野澤陣営が自立してやっていけるとの判断があったからなのか、単なる「人的」な問題であったのか。また、近藤議員が県連代表ということで、第3区・緑区に張り付くことができなかった(選挙主導)ことも一因としてはあるだろう。
 市民運動との連携
 一方党としての全面的な支援体制が不十分であるなら、自力でやり切ることになるが、党派性が薄く課題に敏感で運動能力も高い「市民運動」との連携もあり得た。だがその“根回し”する時間も展望もなかったといえようか。
 党の公認を受けたときから市民運動との連携は、共産党との関係もあって円滑にいくとは思えないのであるが、個人的な支援は受けることはできたであろう。
 私が社民党、新社会党、緑の党の支援を提起し、尾張旭の市議、日進、豊明の無所属市会議員に支援を呼びかけたのはその意図からでもあった。続く

 

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2019年3月27日 (水)

告示日は明後日、待ったなし

 街宣車の運行表に集中
  昨日は、「朝鮮半島情勢と米朝関係」講演会があった。今日は「第62回『ユニオン学校』日本の裁判官運動と私?ひとりの元裁判官として?」があるが、いずれもパスせざるを得ない。私の予定表にはきちんと入っていたということは、1か月前にはまだ、この時期の状況が想定されていなかったからだ。
  29日の愛知県議選、名古屋市議選の告示を前に、9日間の「街宣車運行予定表」を仕上げねばならない。この担当が回ってくることは予期しないわけではなかった。だができれば避けたかったというのが本音。これを引き受けてしまうと講演会などに参加できなくなるからだ。さらに運行表の設定をやれば、必然的に「ナビゲーター」も担うことが多くなる。経験的に選挙本番では最も中軸になる部署だと思うからだ。
  私はもはや現役ではない、わが任に非ず、そう思って選対会議の末席に連なったが、選挙区在住のメンバーがいない!という深刻な状況をみれば、まさか逃げ出すわけにはいかなかった。
  大まかな地域割りをし、基本計画を立て、それを基に午前、午後、夜に区分しながら、候補者がターミナル、スーパーなどでアピール場所を設定し、コース表を作っていく。
  過去に2度、3度経験しているので「要領」は得ているが、店舗の新旧、開発された新住宅地、開通した新道路等々、最新の情報を持っていないと精度の高いものはできない。
  既に車の運転から離れて15年ほど。選挙区内を走り回ることもなくなって情報に乏しく、正直“悪戦苦闘” の中にある。ここまで4月3日分まで仕上げたので、今夜と明日中に日から6日分を仕上げることになる。ま、何とかなりそうだが。
  候補者の頑張りと“背比べ”するつもりで馬力をかけている。この日録は、“息抜き”でもある。


 

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