2018年4月16日 (月)

立憲(民主党)パートナーズを申請

  党員加盟も考慮しつつ
 今日から「立憲パートナーズ」の受付が始まったので、とりあえずインターネットから申し込みをした。機関紙購読と寄付も申し込んだ。「とりあえずパートナーズを申請するが、状況によって党員も考慮。その案内は見当たらず、どんな手続きが必要か」というコメントもつけた。
 実際、「党員」として参加するかは未だ逡巡の中にある。逡巡する一番のネックは「党員として全うできるか」という確信が持てないからである。市民運動の会員と違って、政党の党員は、党の綱領・政策に全面的に賛同し、見識を持つこと。党の企画・行動に可能な限り参加し、鼓舞すること。党勢拡大に寄与すること、という原則を踏まえつつ、自身のこれまでの、特に最近の行動実態から、果たして党員としての自覚をもって「全うできるか」怪しい限りである。原則は原則として、役職者でなければ「個人の事情」もかなり許容されると思うし、自縄自縛に陥ることなく、自由闊達でいいのではないかとは思う。だが一方で、サポーターである「緑の党・東海本部」には日ごろから「党員としての自覚を持っているのだろうか」と注文を付けてきた経緯もあるから、安易な気持ちにはなれない。ということは「立憲パートナーズ」で登録することは“逃げか?”と自問することがないことはない。
 もう一つは、「党員」となった場合、「緑の党」のサポーターは抜けることになる。ここの踏ん切りもできていない。すでに、今年度のサポーターの会費は払い込み済みだ。
 いずれにしろ、当分は、「党員以下、パートナーズ以上」つまり「立憲民主党のインターン」として勝手に位置づけて注力してみようと思う。
 別件で、4月15日投開票の清須市議選挙で立憲民主党・現職の白井 章(69)さんが、定員22のうち8位で当選したこと。北名古屋市議選挙で、立憲民主党・現職の上野 雅美(44)さんが、定員25のうちトップで当選したことを記録しておこう。
 ついでに、東京・練馬区議補選(改選数5‐10)で、立憲民主党新人の野沢菜奈(43)さんが、28,444票を獲得して、2位当選を果たした。その一方で、多摩市議補選(改選数2‐3)で、立憲民主党新人の春日亀小判(25)さんは、自民、共産の元候補に敗れた。その差は約1000票。自公連合と、共産の地力に敗れたのかもしれないが、25歳という若さ、捲土重来を期してもらいたい。

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世の中はプロの集まり・・・

 自戒と警鐘をもらいました
 工藤阿須加-男性、1991年生まれ、職業・俳優。知っていました?では父親は、プロ野球・ソフトバンクの工藤公康監督といえば?では何で取り上げたかというと、彼いわく「世の中はプロの集まりだと思っています」(毎日新聞日曜クラブ、4月15日)の「世の中は」というとらえ方が気に入ったからである。
 普通に想い浮かべる「プロ」とは、例えばスポーツではかなりはっきりしていると思うが、高度な知識、技術、技能を身につけた専門職の人、「アマ」ではない人、ではないだろうか。サラリーマン、家事従事者(主婦)、営業・販売員等々、身近な生活者をプロとかアマに分けて認識していることはないだろう。ただどんな職業であっても、大なり小なり“やる気があるなら、一番になれ、プロ意識をもて”などと叱咤激励されたことはあるだろうし、実際、そうなった人はどの世界にもいる。“あの人は職人だなあ”という時は、“その道を究めた人、熟練、プロ”という意味が込められていると思う。
 「政治家」も「プロ」で括っていいと思うが、最近の一部の「議員」は、本当に政治をしているのかと疑いたくなるから「政治家」とは言えない気がする。とすると「プロフェッショナル」ではない「アマチュア」である。なんかこの国のゆくえが危ういと感じるのはそのせいかもしれない。
 さて今日の本題は、そう言うことではなく、彼の言う「世の中はプロの集まりだ」の響きには、他者への尊厳と自律、謙虚さが伝わってくるのだ。つまり、どんな相手、どんな状況の下でも“人を見下してはならない”誰にも、なにがしかの“プロ的なもの”を持っている、そう受け止めることが、自らを高める要素ではないかと思うのである。
 現実は、少しでも自らを過信、過大評価することで、職業で、年齢で、性で、相手を侮ることが意識するとしないに関わらずあるのではないだろうか、という自戒と警鐘である。そのように気づかされた、ということである。

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2018年4月14日 (土)

“まだまだ”の気合が欠けたか

  二つの地域行動をやり過ごす
 今日は午前11時から「安倍政権は退陣を!あたりまえの政治を市民の手で!0414国会前大行動に連帯した行動」として、名古屋・栄で大街宣行動が呼びかけられていた。そして午後1時30分からは、「第5回沖縄高江への愛知県警機動隊派遣違法訴訟 裁判前学習会」があって、私も予定に入れていた。しかし、結果として二つとも参加しないでやり過ごしてしまった。どこにも所属していないから、誰にも“うしろめたさ”を感じるものではないが、この日の天気のように、どんよりと厚い雲が垂れて、強めの風に頬を打たれるような気分であった。
 ひょっとしてこれは、12日の集会の時の、自身の中に“なんか吹っ切れない、フィットしない、もやもや感”があったが、それを今日も引きずっていたのか知れない。
  何だろう?病的な、疑似的な「不定愁訴」みたいなものであろうか?ちょっと違うような気がする。地域の様々な活動に向き合っていて、そこに自主的なものと“義務的なもの”が混在していて、いつもせめぎ合い、決着すればすっきりするのであろうが、決着しないまま時間が過ぎてしまうのかもしれない。
  そういえばこの1週間、朝の目覚めが従来にない不規則に続いていた。夜中に起きることなく、きっちり7時間熟睡するのが私の“とりえ”であるから、この小さな異変が、寝起きの勢いを妨げているのかもしれない。
  いずれにしても、お年寄りが立ち上がる時思わず“よいしょ”の声が出てしまうように、私のこの状態も逆に言えば、“よいしょ、やるぞ!”と改めて気合を入れないと体が動き出さない、そんな領域に入ってきているのであろうか。
 “まだまだ”の気合と、集中できるものを得ないと、人の背中はすぐに丸くなってしまうものかもしれない。
 
追記:名古屋・栄の街宣は、約30団体、200人の参加との報道があった。

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2018年4月 5日 (木)

鳴海史跡めぐりをガイドする

 高齢者は1万歩ほどが限界?
 姪が、どんなきっかけで関心をもち、熱心に加わっているのか知らないが、古代史研究グループ「しんあいち歴史研究会」というのがあって、その仲間3人を誘って鳴海近辺の史跡めぐりを案内してほしいと頼まれた。いずれも60代で、当初は古代史なら、「大塚古墳」「赤塚古墳」をコースに入れたらよかろうと思ったが、やや距離が延びることもあって短縮コースを希望してきたので、以下のコースをガイドした。
 名鉄鳴海駅発➡鳴海宿高札(レプリカ)➡鳴海城址(今川方)➡東福院(鳴海城廃城の資材で山門がつくられたお寺)➡(昼食)➡鳴海宿西側(木戸)常夜灯➡丹下砦跡(光明寺・織田方)➡成海神社➡雷(いかづち)貝塚跡➡旧鳴海球場(現自動車学校・日本のプロ野球が最初に行われた球場)➡善照寺砦跡(織田方・鳴海絞開祖の碑もあり)➡中島砦跡(織田方)➡名鉄鳴海駅。
 このコースは、2010年に「四季雑談の会」として行った「第2回史跡めぐり-信長の進軍コース・丹下砦から桶狭間・釜ヶ谷までを歩く」の、一部だったので、その資料を読み直して出掛けた。
 私自身は、地元の歴史・史跡に関心を持っているが、「古代史」は関心外なので、そちら方面は知らないことが多い。そこで“古代史というのはどのあたりまで?”と聞いてみたら、「飛鳥時代あたり、平安時代以前」ということだった。私はせいぜい「鎌倉時代」以降、もっぱら戦国時代から幕末・明治初期辺りが関心領域。
 「郷土史」も幾らか手元に置いていて、1959年(昭和34年)発行の「鳴海町案内」には、「古代史」の項があるが、その中の「雷貝塚」の、発掘調査、出土品などを詳述した1966年(昭和41年)発行の「鳴海のあけぼの」という叢書がある。いずれも非売品なので、いまとなっては希少なものだろう。
 住んでいる所のおさらいをし、終えてみれば1万歩ほど歩いたから、高齢者にとっては、限界かもしれないし、その効用も少なくない1日であった。

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2018年3月11日 (日)

あれから7年

 3・11を思う、つぶやく
  あれから7年、これからも「あれから8年、あれから10年、あれから20年・・・」と語り継がれていくだろう。失われたものは決して返ってこないとしても。
  広島、長崎の原爆もそのようにして語り継がれて来た。忘れてはならないものは忘れてはならない。語り継がねばならないことは語り継がねばならない。
  失わせたものは何か、なすべきことをなさなかったこととは何か、なぜなされなかったのかも忘れてはならない、口を閉ざしてはならない。
  この日、東日本大震災の被災者「慰霊」と、東京電力福島第1原子力発電所の震人災への抗議と政策転換を求める、それぞれの集会があった。
  私は、午後の「脱原発」の集会とデモに合流する予定を持ちつつなぜか逡巡していた。
  庭先の土起こしが一段落したら、着替えて出かける腹積もりをしていた。久しぶりの強い日差しの下で、上着を一枚脱ぎ、また一枚脱ぎながらツルハシとスコップをかざしていた。粘土質と石ころばかりの土地ゆえ、一向にはかどらなかった。“あれから7年・・・”というけれど、この“あれから”ってよく使うなあ、その間、何一つ大したことをしてこなかったから“あれから、もうそんなに歳月が過ぎてしまったのか”ばかりが思い出された。
  カチン!ツルハシが石に当たってはね返った。打ち込んだツルハシの先が抜けない、地中に張った根っこに引っかかったせいだ。“・・・あの時代、北海道開拓農民の苦労はどんなものだったろう”とつぶやきながら掘り返しているうちに、ここで「3・11」に思いをいたすのも悪くないなと考えた。
  ひと汗かいて、縁台に腰を下ろして空を見ていた。この空は東北の空につながっているんだなあ・・・、今日の日は、このまま過ぎてしまってもいいと思った。

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2018年3月 8日 (木)

CGSU最後の運営委員会に出席

 一つの節目を超えて
 ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の定例運営委員会に出席した。委員を退任するので最後の機会であったが、あろうことか開会時間を間違えて30分遅刻してしまった。このような誤認、思い込みが増えてきた昨今であるが、こんな体たらくでは“退任ではなく、解任だな”と思わざるを得なかった。同時に慣習的になっていた時間を変更するときは、高齢者により徹底させるために“念押し”が必要かな、とも思ったので、私が呼びかける機会(シネマ散歩など)には、この経験を活かそうと思った。
 議題はいくつかあったが、大きくは「ユニオン学校」の開催計画、活動誌「結」の編集方針、第11回総会の運営の確認であった。この組織の発足時(2007年)の「全トヨタ労働組合(ATU)を支援する市民の会」の7年ほどは、それらの中心にいて、それなりに地域労働運動に寄与しているかなという充実感もあったのであるが、役職を離れると、とたんに興味の半分が他に移っていった気がする。このような心情の移行というのは、「初志貫徹」が希薄であり、“好奇心”に勧誘され易い性格でもあろう。まあ“浮気者”の類といっていいかもしれない。
 と自虐的にもなるのであるが、ここ最近のブログ、講演会の報告について好意的に評価して戴くメールと声掛けがあって、右往左往、紆余曲折しながらも「ベクトル」の方向はそんなには変わっていない、とも思うのである。
 迷妄し、彷徨し、懊悩することはこれまで通りだし、これからも変わらないだろう。そして“老”がすり寄ってくることは避けられないので、その「老」も時を知らせる鐘のように、自覚を促す“覚醒の相棒”として連れ添っていくほかない。
  帰宅してこんな思いがよぎったのも、一つの節目を超えて寂寥感があったのかもしれない。

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2018年3月 4日 (日)

高校のクラス会

 伴侶の介護の人も
 以前は5年に一度、最近は3年に一度開催されている高校のクラス会が開かれた。
 クラス会といっても私の場合は、夜間定時制高校であったので、二クラスしかなく当初から合同で行われて来た。入学時は110人くらいいたと思うが、卒業時は77人(女性28人)であり、 この日は24人(女性8人)が集まった。
  夜間高校の場合、全日制と違って入学年齢はまちまちで、15歳でストレート入学の人が大半ではあるが、私は18歳、20歳以上の人も結構いた。
  この日の出席者の大半は愛知県内在住であるが、東は千葉から二人、南は鹿児島から一人、三重からも一人が参加していた。元々中学を卒業して県外から名古屋に来て就職し、夜間高校に通う人が多くいて、卒業アルバムでは、出身地別にグループ写真を撮ったほどであった。
  会は、例によってそれぞれの近況報告があり、あちこちで歓談が始まって賑やかに時は過ぎていくのであるが、男女を問わず“介護”に携わる人も少なからずいた。親の介護から伴侶の介護というケースも目立ち、そんな歳になったのだと改めて思った。欠席者の中には、そうした事情の人や病床の人もいるのかもしれない。“元気ですか?”“元気だからここにきている”と会話できることは幸せなことだと思った。
  二次会はカラオケ(私は不得手)で、のど自慢の人はやはりいたね。三次会は5人で、ワインで締めた。

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2018年2月28日 (水)

2月尽

 あれこれ“書いた”1か月だった
 寒かったぁ!の2月も今日で終わる(2月尽)。
 私的日録、ブログ、立憲民主党のマスコミ情報の2月を見返してみる。私的な日録は「日記」と「特記」とに分けているが、地域活動な“外出”が特記である。例えば、緑の党東海の総会(3日)、APWSL愛知の「ACTION  REPORT」に印刷作業(5日)、発送作業(6日)、立憲民主党・タウンミーティング(10日)。予定していた6件がキャンセルで、他に映画鑑賞が13日、16日(第3回シネマ散歩緑の会)。家事・家内が多かったが、寒いだけだったかな?
 立憲民主党のマスコミ情報は33件を拾ったが、国会の論戦記事が多かった。3日に「新政あいち」が発足したが、立憲民主党の9人の県議、市議は参加しなかった。それでいい。おいおい立憲民主党の参加が増えていくことだろう。
 ブログは今日を入れて15件だから、「隔日アップ」は維持された。だが地域活動に関するものは6件だけであるから、私的な「日記・つぶやき」の類が多かったということになる。
 それは、「ACTION  REPORT」第26号(以後、休刊となった)、「C&Lリンクス愛知」第80号、「シネマ散歩・緑の会」の会報第3号、ミニ詩集・第15号「開扉」の編集と執筆、発送作業等にかなり時間を割いた裏付けでもあるのだが。
 3月は、“花粉症”も気になるところだが、外出を多くしたい。「年齢と外出度は反比例する」という法則があるかどうかは知らないが、私としては、覚えているわけではないが「外出度(できれば体力も)は、60歳レベルを維持する」ことを心掛けたいと思っている。

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2018年2月25日 (日)

平昌冬季五輪終わる

 “祭りのあと”をみていきたい
 率直に言って私はオリンピックに関心がないわけではない。関心の方向は二つあって、一つは「スポーツの祭典」そのものである。中学生三年間と入社して三年間はバスケットボールに集中していたこと、労組青婦協でスキー、スケートを少しばかり嗜んだこともあり、プロ野球は中日ファンで一年に一度くらいだがナゴヤドームへ行く。組合活動に参加しなかったら、今でも何かスポーツを続けていたかもしれない。また縁戚に五輪出場選手がいたことも無縁とは言い難い。
 もう一つは、オリンピック開催に当たっての「負」への踏み込みである。一般的には「環境破壊」「財政負担」「政治利用」などへの批判であり、多くの論評、運動が五輪史の裏側に刻み込まれている。私自身は、「1988年名古屋オリンピック誘致」反対運動を含め、その渦中にいたわけではないが、ちょっと気になることは、小中高大の教育機関の運動部の一部に五輪選手・プロ選手の養成、育成の“下請け機関化”しているのではないか、それは児童生徒の個性、多様性、協調性などを削ぎ落とし、選別と序列化を押し進める風潮を煽っているのではないかという危惧である。特に大学は「何をなすべき場所なのかわかっているのか」の思いは強い。
 また、メダル獲得と記録や難度などを競うことが、選手の肉体を破壊寸前まで追い込んでいるのではないか、それは、現役引退後の後遺症として現れていないか、生命の劣化に影響を及ぼしているのではないか。また社会生活にスムーズに溶け込んでいくことが出来るのかも心配である。とりわけ、全てをかけて挑んできたにも拘わらず選手選考、記録の水準以下で“落伍”した多くの人たちは、新たな人生目標を周回遅れとまでいかないまでも、ある程度のハンディをもって再スタートを切ることになる。その筋のバックアップがあればまだしも、ではあるが。
 そんな思いもあって、間もなく高校受験を迎える、あるスポーツにかかりきりの孫に“高校は、学業で選ぶのか、運動で選ぶのか”と聞いてみた。“まだ決めていない”だったが、一直線で突っ走るタイプではなさそう。というような事情を抱える家庭はゴマンとあるはず。
 ウインタースポーツのスケート・ジャンプだけでなく、卓球や体操の白井選手、最近では、将棋の藤井聡太さんらの登場で、10代の躍進がめざましく、五輪批判とは別の思いがあって、特に「親」の立場は、わが世代の「放任主義」とは全く違う状況が生まれている。情報に振り回されずに、親子の対話で乗り切って欲しいものだ。
 共和国(北朝鮮)との関係・問題もあって、何とも複雑な平昌五輪であったが、“祭りのあと”の韓国の政治・社会情勢も目が離せないのではないかと思う。

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2018年2月22日 (木)

対症療法考

 「アベ政治を許さない」ために・・・
 風邪をひき、発熱したときは、「食事と水分をしっかり摂って、ひたすら寝る。汗を書いたら素早く着替えをする」ことだが、時期的にインフルエンザかなと判断した時は、迷わず医師の診断を受ける。肺炎への警戒が第一。
 腰痛を発症したら、まず整形外科で診断受け、特殊な病状でない限り、経験的に「腰痛体操」と1日一万歩、睡眠確保で対処する。
 食べ過ぎ、飲みすぎによる胃もたれ、胸やけには、食事に気を配ることと、とりあえず“生薬”で様子を見てみる。
 このように症状のレベルによっては素人でも対症療法は可能であろう。だが症状が激化したり、長期化したり、異常を感じた時は、早期に医師の診断を求め、医師の指示、薬飲を怠らないことであろう。さらに深刻化するようであれば、総合病院の専門医の診断を求めることが必要である。
 問題は、発症又は症状が顕在化する以前に食い止める医学的な「予防」に向き合えるかどうかであろう。インフルエンザには、「手洗い、うがいの励行と食事、睡眠」が予防策。胃には「食べ過ぎ、飲みすぎ」を止めればいい。喫煙に関するものはやめればいい話、と分かっていても実行できない、長続きしないことが悲しい現実。
 その最たるものが「生活習慣病」といわれる「糖尿病」「高血圧症」であろう。これら「生活習慣病」の類は、激化、合併症を発症しない前に、生活習慣を検証して、悪しき習慣を是正すれば予防できる。それが出来れば、であるが。
 特別なことではないこんなことを書いたのは、言うまでもなく、この国が「やべぇ心臓」病に罹り、かなり容態が悪化しているのではないかという素人判断をしているからに他ならない。
 予防効果のある「選挙権」を半数近くの人が放棄してきた。政治や社会、他者のことなどに関心を持たず、自分のことばかりしか考えない「生活習慣」が、ついに毒牙をむき出そうとしている、それがこの国の現状でなかろうか。
 大病は、素人には対処できない。専門病院で専門医に治療をお願いするしかない。だが政治に特効薬はないし絶対的名医などはいない。大衆ができることは、伝染拡大を防ぐため、今以上にアベの闊歩を許さず封ずること、その「人間の防疫壁」をつくることであろう。かつてのように数十万人単位で「国会包囲」をするのも手であろうが、3千万人署名の1%が行動を起こせばと思いつつも、現実的には考えが及ばない。どうしたらいいのだろう。

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