2017年9月23日 (土)

映画「米軍(アメリカ)が最も恐れた男 その名は、カメジロー」

 まず観てからの話
 見どころやあらすじを語る前に、これは「映画・ドキュメンタリーであって、映画・ドキュメンタリーではない」というとらえ返し、つまり、その時何があったかという「過去」が、直線的に「現在」を照射している、今を生きる私たち、今の沖縄と向き合う私たちに問いかけ、“扇動”するのである。
 そして、「沖縄」を切り取った映像は数知れないほどあるだろうが、「(敗戦後の)沖縄のスピリッツを含む“オール沖縄”」を描いた佐古忠彦監督の視点と掘り起こしに、まず共感と拍手を送りたい。
 「どんな嵐にも倒れないガジュマルを愛し、“不屈“という言葉を好んだ亀次郎は、終戦後、沖縄で演説会を開き、何万もの人々を集めた。祖国復帰へ向けて民衆をリードし、沖縄を占領したアメリカ軍の圧政に立ち向かう亀次郎の姿は、アメリカに恐れを抱かせる。」(検索から)という一文にこの映画のかなりの部分が集約されると思う。そして「ガジュマル」というのは、熱帯地方に分布するクワ科の常緑高木だそうで、観葉植物として沖縄だけでなく世界でも広く愛されているというが私は知らなかった。
  また瀬長は「不屈」という言葉を好んだとされるが、瀬長自身は“沖縄人民(県民)の、アメリカの圧政にいささかもひるまず、屈しない姿からこの言葉が好きだ”といったそうだが、沖縄の民衆は「カメジローの闘う姿を見て、彼こそ“不屈の人”」と見ていたようだ。
 私的には、以前にも書いたが、さかのぼれば1970年前後の運動の柱は「70年安保・沖縄返還」「三里塚・狭山闘争」であって、私もかなり学習を積んだ。その後は1990年代のピースサイクルで「沖縄」と再び出会うのだが、現地へ行くまでにはなっていなかった。しかし、2015年の「沖縄ピースサイクル」に参加して、現地の闘いに直接接したのであった。ついでながら「不屈」は、1971年に結成された「三菱重工四方君を守る会」の活動誌のタイトルでもあった。命名した当の四方さんは、「不屈=瀬永亀次郎」を意識していてつけたのかどうかは知らないが、あながち無縁だったとも思えない。
 さて今日は、会場の名演小劇場はキャパ50人規模だから、多分チケットを求めて行列ができるだろうと想定して、開演の50分前(9時20分)に到着したが、既に30人ほどが行列を作っていて驚いた。もっとも、そのうち20人は、別の映画であった。しかし開演時には満席で補助席も設置されたほど。そのあとも続々と人がやってきて、午後の部に回されていた。ここだけで言えば“大人気”といえるのだが、大手のシネマでは、今のところ上映予定を見ていない。同じ映画でも「配給」から、この映画の価値観の違いみたいなものも感じ取れる。どっちにしても、一度観に行くことをお勧めできる映画であることは間違いない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月19日 (火)

政治の“衣替え”の時来る!

 衣の補修も欠かせない
 台風一過、昨日と今日は“秋晴れ”というか“残暑晴れ”というべきか、ともかく「主夫」としては、洗濯日和でありがたい。昨日は、部屋干しのものも含め大量の衣類としシーツ3枚で物干し場は“満艦飾”となった。今朝は、一足早く“衣替え”の準備で、長袖のシャツ類を陰干しに出した。これも薄手と厚手、普段着と外出着があるので、10枚以上になろうか。その中で襟元が擦り切れた綿のシャツ1枚のボタンを外して廃棄することにした。
 ボタンといえば、廃棄する衣類からは必ず外して保存するのであるが、過去数十年間のうち、再利用したのは1~2回であろうか。昨今の衣類のボタン付け糸が丈夫で、しっかり取り付けられているせいか、洗濯機にかけられても外れ落ちることはほとんどないから、補修のボタンは不要となる。それでも女性用のボタンは色、形、サイズにバリエーションがあって、何かの飾りボタンに使えなくもないが、我が家にそんな趣味を持つ者はいない。また私の担当外でもある。
 という前書きが長くなったが、今日の主題は「衣替え」であった。安倍の“勝手都合”の衆院解散が現実的との報道に接して私も身構えたが、内心“状況を探るアドバルーン”かなとも思った。しかしそれがいち早く表面化したうえ、自民党や公明党の首脳とも会談しているようだから、もう退くに退けない状況となった、そのように判断したのだった。
  それで坂本龍馬ではないが「日本を洗濯」するには少々時間が足りないので、とりあえず、少々臭いの付く衣類(安部政治)を引っ張り出してお天道様に曝し、もってここで「政治の衣替え」する機会が訪れた、そう言いたいわけである。もっとも「替える衣」も少々“痛み”があるから修繕の必要がある。修繕するのは、政党による「自浄作用」に多くを期待するのではなく、私たち市民(運動)であることを自覚したい。あいにく“針仕事”の経験者が決して多いとは言えないが、隠れた才能(人、特に若い人)が現出することはあながち“稀、偶然”とは言えない、というのが私の見方でもあるし期待でもある。
  “闘いの秋(とき)来る!”は、1970年代初頭の、わが青年期の心踊る言葉の一つであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年9月 9日 (土)

初秋を身近に感じて

 それは平和と健康の証か
 明け方5時、この時間帯に目が覚めることは滅多にないことだが、今朝に限って目が覚めた。すると虫の声「リーン、リーン」が鮮やかに聞こえてきた。鈴虫のように聞こえたが、人の耳はあてにはならないから、名前も知らない虫かもしれない。
 お隣は「貸農園」で草花は豊富、農薬の使用次第だが、虫にとっては良好な環境かもしれない。車の往来もないから、虫の声はまっすぐに入ってくるのだった。果たして、虫の声で目が覚めたのか、たまたま目覚めた時に虫が鳴いていたのか。いずれにしても日中の暑さは「残暑」そのものだが、こうして朝夕になれば、涼しさも増して、何より虫たちが秋を知らせるのであった。
 夕方、近くのスーパーマーケットで夕食の食材などの買い物をした後、いつものコースで新海池公園を通り抜けて帰ることにしたのだが、その時、「ジー ツクツクボーシ ツクツクボーシ ジー」とセミの声がした。これは「ツクツクボウシ」に違いないのだが、これもまた秋の到来を告げているのではないか。
 暑さが和らぎ、そよぐ風が心地いいので、お年寄りの散歩姿が目に付く。また、犬を連れた人も結構多いが、土曜日の夕刻とあって、父親と息子のカップルでザリガニ釣りも目についた。
 私も、孫のキャッチボールの相手でもしてやりたいと思いつつ、この時間帯は「主夫業」であるし、孫たちは塾か加入チームの練習でまだ帰っていないことが多い。
 ともあれこんな瞬間、こんな風景は平和に違いないし、私自身はとりあえず健康を保っているといえる。そしてそう感じ取る私の「歳」もまた、ある領域に達しているといえるのではないだろうか。

|

2017年8月22日 (火)

CGSU運営委員会

 議題についていけぬ “迷妄”にあり
  8月例会は、会員の再登録の現状と会計。ユニオン共同行動の見直しと新しい方向。労働運動関係資料の保存と有効活用などの構想を進める前段の「大阪産業資料館」見学について。活動誌「結」の発行計画。ユニオン学校の報告と今後の予定。「レーバーノーツ」を迎えての「名古屋講演会」の受け入れ準備。「現代労働負担研・名古屋集会」の開催受け入れ準備。「労働法制改悪阻止」に向けた行動について、など盛り沢山の議題であった。
  また個別的な要請、話題としては、「ロシア革命から100年」に関する何らかの企画構想。「化学産業複数組合連絡会議」という労働団体が、30年を記念して「組合つぶしと闘い抜いた労働者たち」という記念誌を刊行したことの紹介。「産業別職種別ユニオン運動」研究会の第1回例会(発足記念シンポジウム 於東京)の紹介などがあった。
  これだけを紹介すれば、この団体(CGSU:ユニオンと連帯する市民の会)の活動の概要が分かるだろうと思う。そうである一方、労働運動と距離がある人、領域の違う市民運動の人たちから見れば「?」「・・・」も多いかもしれない。
  実体として労働運動と市民運動が出会う場所は幾つもある。例えば「安保法、共謀罪、秘密保護法」などの政治課題、また原発問題は日常的な合流地点であろう。状況によっては「選挙」も共同の機会である。しかしながら労働運動が(力量の問題もあるが)運動を全方位的に把握し展開するのと違って、市民運動の基本は「シングルイシュー」であるから、どちらかといえば市民運動的課題に労働運動が合流していく形が多いのではないかと思っている。
  ということで私の場合は、原点・出自は労働運動であるが、「労働運動と市民運動は表裏一体=コインのウラオモテ」と考えて地域活動に参加していたので、一応いつも「合流地点」近くにいることが多かった。しかしそれは、いいかえれば「二股」であって、運動の「深堀」ができていないというあいまいな立ち位置ともいえなくもない。もっともそれを十二分にこなしている人もおられるわけだから、ひとえに私の能力不足といえる。
  それで今日の議題をずっと聞いていて、私の中にすとんと落ちるものがなくて、“居場所”が見つからないもどかしさに揺さぶられた。たとえば私は「レーバーノーツ」というのはアメリカの労働団体の全国組織であるが、この2年ごとの1997年・デトロイト大会に参加した経験を持っている。しかしもはや20年の歳月が経って、今に活かす経験的なものあるいはその雰囲気すら霧消してしまっている。私はそれを「労働運動は、その現場に立ってこそ運動感覚が研ぎ澄まされる」それがないからだ、と信じている背景がある。だから現在的地点では、「末尾、末席にいて、経験・知識が役立つ機会があれてばそれに応える」という退いた姿勢に終始することになる。大先輩からは“まだ老いる歳ではない”と発破をかけられたこともあったが、今やその大先輩も先立たれあるいは音信さえ不通となってしまった。
  こんな“つぶやき”は、何の意味もないが、改めて“私は今、何をなすべきか”を問う機会でもあった。会議が終わって帰路を共にした人も同じような感想を漏らしていたが、その人の場合はまだ目はまっすぐ前を見ているようであった。
  さて明日は何からはじめようかな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月20日 (日)

集会・デモに参加し損ねる

 加齢に対応する準備もぼつぼつ
 昨日は、「止めよう!辺野古・高江新基地! やめさせよう!安倍政権!!」という集会とデモがあって、午前中の民進党愛知3区党員・サポーター会議に出た後、家事を済ませて会場に向かった。やや遅れてはいたが、山城博治さんのお話は聞けるだろうと思っていたのだが、めざした会場には誰もいなくて、集会をやっていた形跡もない。予定時間は午後3時開会、4時30分にデモ出発だったが、13時の間違いだったろうか?若宮大通公園だったはずだが、矢場町交差点近くの場所ではないのかな?一度も行ったことはないが若宮大通の東の方に公園らしきものがあるからひょっとして・・・とも考えた。だがそこまで既に今日は1万歩をカウントしていて、“今日のデモはパスしようかな”と考えていたこともあり、炎天下で会場探しまでの気力はなく、そのまま引き上げることにしたのだった。
 こうした記憶違い、早い忘れ、思い出せないなどの症状が出ることがつとに多い昨今である。パソコン上には、かなり細かにスケジュールを書き込んではいるが、例えば今回のように、後で確認すれば「8/19(土)15:00~ ミニスポーツ広場(若宮大通公園)」と記録されているのに、「若宮大通公園」だけが記憶にあって、そこは矢場町交差点という先入観によって固定されてしまったのだと思う。
 結果としてデモの末尾にさえ就くことができなかったが、私の中の気持ちは、ともかく足を運んだということに尽きるのであって、“沖縄に寄り添う気持ち”に変わりはない。また、ひょっとして気持ちはあっても、健康上の理由や高齢で体力に限界があって、参加できなかった人もいるに違いないとも思う。そうは思うけれども、とりわけ政治活動、社会活動では意思を具体的に示すことが大きなポイントである。選挙には必ず行く、集会やデモ出られなければ、資金カンパする、インターネットで意思表示するなどのアクションがあることが望ましいのではないか。
 今回は“勘違い”であったが、身体的に行動参加できないときの対応を“こんなんでは仕方がない”と思う前に、何ができるか、今から考えておく必要があるのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月17日 (木)

再び、プラネタリュームへ行く

 いつ来ても飽きない
 ミニ詩集第14集に「平和2題」として「トマト」と「そら」を掲載したと紹介したが、「そら」の一節「部屋のドアが開いて/プラネタリュームに連れてって/孫の一声で/パソコンの前の私がいた」とあるが、それに沿って今日は小5と小2の孫二人を連れて、名古屋市科学館のプラネタリュームへ行った。
  小5の夏休みの自由研究にするということであり、テーマ“流れ星”はちょっと難しいかなと思ったが、やらせてみるしかない。わが家周辺の夜空は、数えるほどしか星は見えないし、“流れ星”に遭遇することはまれでしかないから、どんな着想なのか見守ってみたい。それで今回は2回目であるが、実は私も大いに楽しんだのだった。樹trも飽きないというのがプラネタリュームである。
 朝9時には行列の最後尾について約1時間の“待ち”であった。夏休みでもあり、もっと長蛇の列かなと思ったが、午前11時20分の第2回目のチケットを確保した。これは「ファミリー」のコースで、10時の「一般」のコースはその時点で入場可能だったから、“お盆明け”でちょっと少なめだったのかもしれない。
 見終わってから、何か資料らしきものがないか探したが何もなく、「資料室」で係の人から、関連本の紹介を受け、後日に本屋回りをすることになりそうだが、夏休みも残すところ10日余り、どうなることやら。
 どっちにしても“じじのお努め”の一つはこれでなし終えた、そんな1日であった。

|

2017年8月16日 (水)

言葉のセンス

 藤井4段のコメント
 瀬戸市市出身で、中学3年生の最年少棋士、藤井聡太四段については、「全国的注目の中高生」ランキングではトップだけでなく、新聞、テレビを見ていれば知らない人はいないだろう。だから彼については、何も付け加えることはないが、昨日大阪市の関西将棋会館で行われた王位戦の予選で小林健二九段に差し勝った後のコメントで、終戦の日に「平和な時代だからこそ将棋を楽しめる」と話したという。
 彼がしばしば“大人顔負けの”言葉(ワード)を引用することで知られているが、上記のような「時」にあったコメントは、あらかじめ用意されたものとは思えず、彼の内から発せられたものに違いない。「平和な時代だからこそ将棋を楽しめる」には、「平和な時代」という時代感覚・認識と、「将棋を楽しめる」という、プロとして日の浅い立場でありながら、上級者を次々と打ち破っている現状から「楽しむ」は、やや“ぎょっとする”いい方ではある。だがそれに違和感を持たせないのも彼の存在がかなり受け入れられ、期待もされているからではないだろうか。
 文章や詩、俳句、川柳などは、「構成要素」を下地にして、「言葉と情景」「時代性と先駆性」「外在と内在の緊張関係」をもって仕上がるのではないかと思うが容易くはない。そこらあたりが非凡と凡庸の差であろうと思う。
 ボキャブラリーが豊富に越したことはないが、それだけで人に与える印象を強くすることは難しい。一言で言えば「センス」「感性」によるところが多いが、それも「内なるもの」があってのこと。朝刊を見ながらふと感じたのであった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年8月 1日 (火)

腰痛を発症

 “キヲツケ!ヤスメ”のサインか
 昨夜になって比較的静かだった「腰痛」が暴れ出した。椅子からの立ち上がりはもちろん、どうかすると歩行で片足に重心がかかった時、“ガクッ”と腰が落ちる感じするのだ。
 横になって片足を挙げてもそれほどの痛みはなく、ヘルニアでないことは確かだ。約半年間の“引っ越し”のあれこれに腰をかがめる、重いものを運ぶなど、随分腰に負担をかけたから、疲労の蓄積が耐久容量を超えてしまったのだろうと思う。
 引っ越しのあれこれでなした仕事量は変わらなかったであろうから、多分、肉体年齢の差がここにきて出たと思われる。気持ちの方はそうした自覚がなかったので業者に依頼することもなく、親類、友人に助太刀を頼むことは少なかった。ここのところの判断に幾らか誤算があったようだ。
 であったにしろ、痛いも痒いも、辛いもくたびれるも、もうこんな状況は2度とないことは間違いないところ。腰の痛みを感じながらも、“やり切った”という思いの方が強いことは確かだと思う。結局体が“キヲツケ!ヤスメ”のサインを出して来たのではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月12日 (水)

インターネットがつながる

 もっと早く手をうてばよかった・・・
 パソコンのインターネットから離れて12日が経ち、何とかしなくちゃ、という気持ちが急いていた。繋がらないのは電波が弱いものとの思い込みで、2階でパソコンを起動して、電波の強弱に問題があるかどうかを確かめればよかったが、Wi・Fi中継器を先に購入してしまった。しかし2階でも繋がらないことが分かって、思案に暮れたが、時々お世話になる「パソコン教室」の先生に相談することを思いついて、とにかく事情を話して繋いでほしいと懇願した。午後にやってきて、ちょこちょことみて、“やっぱりな・・・”とつぶやいて、パソコンをまたちょこちょこといじって、“インターネットアクセスが繋がっていない”といって、モデムから写し取った10桁以上の数字を打ち込んだら、ちゃんと繋がった。そして1階に持っていて試みたところ、ここでもOKで10分ほどで解決。電波は届いていたのである。
 それで購入した中継器は無駄になってしまったが、幸いにも荷ほどきしていなかったので、家電店に返却の手続きをして事なきを得た。しかしこの間、右往左往したわが姿を思うたびなさない気持ちにさせられた。
 わが身は、もはや“時代おくれ”の渦中にあるのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年7月 5日 (水)

古希+3の限界?

 断捨離の対極の世代か
 6月30日の「仮住まい」からの引っ越し後の仕事は、梱包状態のままが多かったので、いわば往路より復路の方が楽できると楽観していた。しかしその予想は外れた。まず新居のスペースが従前よりかなり少ないことが挙げられ、部屋のほとんどが段ボールで埋まってしまった。書籍類は、スライド式の書棚をもう一つ導入したので冊数だけで言えば十分といえたが、大判の雑誌、資料集、グラビア・写真集と運動の資料などが山積状態。その結果、部屋の中の“動線”が確保できないため、物の移動に手間と労力が増した。
 当面の収納スペースが確保できないとわかって、引っ越しの際一部を残留させた。そのため1日以降、段ボールを紐解いて効果的に収納し、空いたスペースを確保、そこへ残留物を押し込む作業を繰り返した。仮住まいと新居とは400メートルくらいの距離。その間台車を使って往復することとなったが、日中の作業がきつかった。それでも“あの引っ越し屋の若者の労働に較べれば、まだまし”と考え、「古希+3」の体に無理を言い押し通したのだった。
 3日目になったら、首筋と腰回りが痛くなった。頭の中では“こんな程度では音をあげんぞ”と思ってはいたが、「心技体」のうち、やはり「体」が先にガタが来たようだ。
 “60過ぎたら、引っ越しするものではない。もう大変なんだから”とは聞いてはいたが、果たして「年齢」に問題があるのだろうか?確かに一理はあるとしても、“大変”なほど物が多いことが第一因ではなかろうか。特に私たちの世代では、家電を含む「嫁入り道具一式」持参の時代であり、「大幅賃上げ、高利子配当」もあって、「大量消費時代(世代)」に生きてきたのではなかったのか。或いはひょっとして、「マイホーム」に熱を上げ、「戦後の飢えた時代の反動として、豊富な物に囲まれることで満足し、生きがいとしていたのではないか」さらに“もったいない”が浸透していて、結果として「断捨離」の対極で生きてきた・・・? (追い書き)

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧