2014年3月 6日 (木)

解散した三菱長船労組に手紙を書く

 また一つ道標が後方に
 昨年12月に、全国一般長崎連帯・三菱長船労組から組合解散の挨拶文を戴いてから、何とか手紙を書こうと思ってきたが、なかなか機会を得られなかった。
 今日になって、「リニア」に関する冊子を郵送する仕事に取りかかり、これを機会に資料を同封した上で、手紙を書くことにした。かくして、私にとっての道標がまた後方へ遠去かっていく感、ひとしおである。
  三菱長船労組御中
 すっかりご無沙汰していました。「組合解散の挨拶文」を戴いて、改めてその歳月に思いが走りました。
 西村さんをはじめ、草野さん、久保田さん他みなさんはいかがされているでしょうか。
 以前には、名古屋の状況を活動資料などでお知らせして来ましたが、私自身に限って言えば、今もその時の延長にあると思っています。
 「四方君を守る会」の仲間とは、解散後に一堂に会することはありませんでしたが、名自の主要な仲間は、ここ最近、1年に一度くらい会うことがあります。しかし、活動を続けているのは私だけですので、話題は1970年前後のこともありますが、もっぱら健康や趣味のことが多いように思います。
 さて、同封した冊子は、現在の「私」です。
 「れいめい」に、貴労組解散に寄せての一文を寄稿しました。その書き出しは、
 “12月12日、1通の封書が届いた。開いてみれば「全国一般長崎連帯支部三菱長船労組」の「組合解散の挨拶文」だった。少なからず胸が高鳴った。
 あいさつ文は簡素なもので、解散に至った経緯は、三菱重工長崎造船所に在籍する現役組合員が皆無となったので解散を決議したとあるだけで、輝ける長船労組の足跡に触れる一文はなかった。まるで“老兵は死なず、ただ消え去るのみ”とでも言っているようである。”

 労働運動の第一線から退いてからは、運営会議に出ることは少なく、求められればレポートなど、その多くは書くことの領域です。冊子の編集もその一つです。
 それらエンドレスの運動に、心もとない体力でどこまで付き合えるかわかりませんが、いま暫くこの社会、この政治に関わっていきたいと思っています。
 貴労組の解散にあたって、贈る言葉もありませんが、私の近況をお知らせして、これまでのご指導のお礼に代えたいと思います。
ありがとうございました。みなさまによろしくお伝えください。

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2011年8月 8日 (月)

男の気持ち・生き方(32)

 知人への手紙
  ○○さま。
 暑い日が続きます。お元気でしょうか。
  私は、暑い夏はそんなに嫌いではありません。中学生の時、炎天下のバスケットボールの屋外コートで練習に励んだことが、1枚の写真から思い出され、それがいつも脳裡にあって、暑さと共によみがえるのです。
  暦を見れば「立秋」を過ぎましたが、“秋ってどこに?”という感じですね。 昔ながらの二十四節気も、あまりにかけ離れた感がします。28日ほどずらした方がいいかもしれません。
 蝉の声も、もうこれが鳴き納め、という感じで、一段とカン高く聞こえたりします。そして朝方、道路に蝉のむくろを見かけることが多くなりました。拾って、草むらに放ってやることもあります。
 そんな暑い日が続く中、地域の活動、労働争議、震災、原発事故、そして家の中のことなどに、忙しくしておられることと思います。その繰り返しで毎日が過ぎていくのではありませんか。
 あなたほどではありませんが、ほんの少し前、私にもそんな過去があったような気がします。いつも“何をなすべきか”を問いかけ、スケジュールに追われる日々でした。そんなとき、私は何が目的で毎日を過ごしているのだろうか、特に“このまま老後(老域)を迎えたらどうなるのだろう”そんなことを考えていたことを思い出します。そしてその後は、病気をするごとに、運動のシフトダウンをして来ました。
 それでも3・11「東日本大震災・福島原発震人災」が起きて、このまま“楽隠居”はできないと思い返して、慎重に私の居場所を探し続けています。3月11日以来、被災者だけでなく、多くの人が大なり小なり、生き方、考え方を違う目で、感覚で見て、感じているのではないでしょうか。“この先、どうなるのだろう”が他人事でなくなったとして。
 しばらく発行していない、「雑談の櫂」を手掛けなければとか、「C&Lリンクス愛知」の次号も15日過ぎには着手しようかな、そんなことを思っている今日この頃ですが、それは、ピースサイクルも無事終わり、広島、長崎両市長へのメッセージも送り、今がつかの間の、幾らかゆっくりしていられる時だからでしょう。
 それもあって今日は、久しぶりに「COOPとよあけ」に行って、洗濯、台所、お風呂、トイレ、シャンプーなどの石鹸洗剤一式を購入してきました。これは、わが家では中性洗剤を使用しないためで、そのためには、近くでのスーパー、薬品店で気軽に中性洗剤を買ってしまうのを止めねばなりません。ですから早めに私が購入しているのです。
 ただ、最近はほとんど車に乗る機会がないこともあって、家族の車が空いている時に集中して買っておくのです。それに今回は、3月に開通した国道302号線(名古屋環2)を走って、新しい道路、ルートを探す楽しみもありました。
 帰りに「ホッピー」を買いました。これで私は束の間の「ハッピー」が得られるのです。
 残暑に負けず、お過ごしください。
             2011年  夏

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2010年5月 7日 (金)

「雑談の櫂」の感想など

 読んでくれていることの実感
 連休中に「C&Lリンクス愛知」と「雑談の櫂」の発送作業を済ませたが、数人の方から、メールと手紙、葉書で感想が寄せられた。
 「雑談の櫂」について今回は、中学の同窓会開催年ということもあって、「近況報告」のつもりで少し拡大してお送りした。ちょっと気恥ずかしさもあったが、恩師数人にもお読みいただくことにして送った。
 女性教師、S先生の手紙は、先生には在学中国語・習字でお世話になったと思うが、地元緑区出身で、地元の学校に長く務められていたから、「私の町の交差点」を教師時代の出来事と重ね合わせて、懐かしく思い出して読まれたことが書かれていた。
 また「男の気持ち・生き方-大人の雛人形に思う」についても、ご自身の人生の一部として、思い出を書いておられた。古希になられた時には、“初節句の時、母から送ってもらった”という雛飾りを引き出して、ご夫婦で飾られたという。“古希過ぎて 尚もなつかし 雛飾る”の一句を添えて。
 私の「C&Lリンクス愛知」と「雑談の櫂」は、明らかに視点・内容の違うものとして出しているが、共通点なるものを意識しているのは、「わが身辺から離れない、遠くない視点」「過去・現在・未来をつなげたい」というところであろうか。
 しかし発送する段になると、両誌を同封する、いずれか一誌のみ、というように区分ける。その判断基準はすごくあいまいで、“日ごろの付き合いの濃淡”程度だから、“予断と偏見”が入り込んでいる可能性は大である。幾らかの反応もまたもう一つの判断事例ではあるが。
 次号の発行は、6月初旬と定めた。

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2010年1月11日 (月)

メールで返信

○○さま。
 心こもるメールをありがとうございます。
 パソコン画面の賑わいとは別に、個人的なメールが少ない昨今、便箋のお手紙を戴いた感覚になり嬉しくなります。
 お気遣い戴いた病気も、退院してから、そして年明けとともに、回復の兆しを実感できるようになりました。どうぞご安心ください。
 今朝も8時ころ目覚め、いつものようにしばし瞑想といいますか、夢うつつといいますか、至福の時間を過ごしまして、その後これも習慣になっています“腰痛体操”を5分ほどして起床しました。
 これまで朝昼兼用で11時ころとっていた朝食も、9時前には済ませて、数種類の薬を服用します。風呂掃除、洗濯、時には食器洗いが私の分担仕事で、それを済ませてから、近くの新海池公園に散歩に出かけます。
 この時期にして珍しいと思うのですが、池は満水状態です。遊歩道の脇の池というには余りにも小さい水溜まりがありますが、最近そこで“青さぎ”を見かけます。距離にして3~4メートルほどしか離れていませんが、近づいても逃げたりしません。春先になれば、オタマジャクシや、ザリガニくらいはいるでしょうが、この時期餌になるものはないはず。それでも水中を突っついています。
 30分ほどの散策は、思考の時間でもあり、今朝もこんなことをとりとめもなく考えたりしました。
 「・・・今年もまた、この社会とかかわり合いながら生きていくのか、それとも、それとの希薄化を拒まず受け入れ、得られる私的な時間を別の何かに使ってみようか。それならどう割り振っていこうか・・・。それで、いまさら何に時間を割り振るというのか?何がしたいというのか?とまたまた迷い道に・・・。
 夢をもち続けることはいいとしても、夢に振り回されているのではないか。はたまた、あれが欲しい、あそこに行きたいなどと、いい加減往生しろよと言いたい、果てしない欲にでもとり憑かれているのか・・・」
 ○○さんはいま、地域的な、あるいはライフワークのような何か取り組まれておられますか。
 私は発症してから現在まで、一切の会議、集会などに出ていません。2か月余りになりますが、こうして自宅に籠ったりしていますとつい、「私がいなくても支障なし」を検証している気分になります。
 今週は、泊がけの「老兵たちのフォーラム」があり、どうにか参加してみようかなという気持ちになってきました。そして、来週あたりからそろそろ「雑談の櫂」に着手して、一足先に「啓蟄」にしようかな、とも思っております。しかし、「トヨタに向き合う」運動へはまだ先であり、復帰することがあっても、後尾、末席に連なることになるのかな、そんな揺れの中にいます。
 どんな病気も、遺伝性、先天性を除けば、多くの発病のきっかけは、感染や過労が直接的原因かと思いますが、心労(ストレス)も侮れません。○○さんは、体の芯は強そうですが、細やかな気配り、手を抜かない献身性をお持ちですから、心労からの体調を崩されることを心配します、といえる立場ではありませんが、一言申し上げ、家族ご一同様のご健勝をお祈りします。
 大寒の時期ですが、私には春風すら感じ始めていますので、ご安心ください。
 1月11日 成人の日に
 

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2009年1月20日 (火)

寒中お見舞いを出す

 一言コメントをつけて
 寒中お見舞いのはがき約100枚を出し終えた。
 本文の入る二面には、経緯と気持ちを込めた一文に“かまくら”の挿絵を入れ、宛名書きの一面の下段を使って一言コメントを入れた。数種類のパターンを用意して、一人一人、加筆したりした。
 「1月も、はや半ばを過ぎました、寒さはまだこれからですね。還暦を迎えたと思っていたら、もう“緑寿”になるところまで来ました。今年もまた、やり残し一掃の60代と思って、身辺整理だけでなく、念願としてきた幾つかに手をかけようと思っています。同窓会は2010年です。ではお元気で」
 「傘寿を迎えられ、病気にも克つ心意気、世界を、政治を見る姿勢等から、いつも元気を戴いております、ありがとうございます。私の現在は、トヨタと向き合うことを軸に据えて、労働運動の後尾にいます。TMPCWA支援、ATUサポート市民の会、APWSL愛知などです。」
 「何とか立ち直りができそうだと思っていたら、この大不況。三菱自動車の運命はいかに。電気自動車でこけたら、あとがありません。私の現在は、『トヨタと向き合う』ことを軸に据えて、労働運動を続けています」
 「海上の森-愛知万博、設楽ダム・中部空港・木曾三川-知事選挙、藤前干潟-名古屋市長選挙、憲法9条-ピースサイクルという形で関わりを持ちました」
 「2009PCは既に始まっています。沖縄でのプレピースが2月半ばに。コースの選定と報告は2月中です。愛知は例年通りの予定です。5月末の『国会ピース』の署名活動は3月から始まります。来年は25年目の節目の年。その後どうするかの議論が始まっています。今年もよろしくお願いします。」
 「今年は、文学関係の関わりを考えています。第二詩集、随筆集も書き進めていますが、いつになるやら・・・。みどり文化芸術ネットワークの活躍を見続けていきます。以下は、集会の案内です。」
◆第2回「トヨタ」連続労働講座のご案内◆
・日時:2月1日(日)13:30~
・内容:愛知製鋼の偽装請負を糺す。
・会場:牧野コミセン(笈瀬通り)資料代300円。
 一日が早く過ぎていく感じを否めない。持ちこまれる仕事と、内出する“わが道”の、時間確保のせめぎ合いを抱えながら、わが意思は、きっちりと差配していかねばならない。

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2008年12月22日 (月)

年末のごあいさつ

 お互い、大地を踏みしめて
 今年は、年賀状を遠慮させていただいたので、緑区を離れたかつての仲間に年末のごあいさつのつもりで、以下のメールを送った。
  「お忙しい年末をお過ごしのことと思います。
 この1年を振り返る余裕などないかもしれませんが、それぞれには、晴れ間あり、曇天あり、氷雨も慈雨もありの1年でしたでしょうか。
 私の年末といえば、今頃は年賀状の追い込みに入っている時期ですが、お知らせした通りの事情でその難儀は回避できました。ところが、ここにきて葬儀が重なり、通夜、告別式が4日続く異例の年末となりました。何があるかわかりませんね、この世は。 
 その最中の20日は、四季雑談の会の『望年会』でした。滝の水の『四季亭』で9人が集まりました。
 1月の「冬席」から始まって、四季の席を設けることができ、Y医師の『高齢者の医療、介護、終末』のお話も聞くことができて、1年目としては、まずまずだったかな、そう自己評価しています。ということで『望年会』は、Y医師へのお礼の席でもありました。
 今年の『忘年会』は初めてでしたが、これでおしまいになるかもしれません。
 ブログの方はほぼ毎日更新していますが、無理して毎日でなくても、と思いつつ、流れを断ち切りたくない衝動に駆りたてられ、何とか続けております。2009年の5月ころには、話題が1000に達する予定ですので、何かイベントをと考えていますが、先のことはどうなりますか。
 『緑ネットの総集編』の編集を始めて1年が経過しました。最初の1~2か月は集中して取り組みましたが、全トヨタ労働組合をサポートする支援の会の活動が本格化して、中断したままになっています。
 完遂は難しそうですが、CDに落とすまでなら、できるかもしれません。もっとも時間が経過するほどに、その価値観が私の中で薄れていくことが、問題なのですが。

 新しい年を自らのものにできるよう、お互い、大地を踏みしめて歩いていきましょう。
 いいお年を。 2008年 師走 」

       

       

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2008年11月18日 (火)

メールでお手紙

 ○○さま
  メール受け取りました。
 お便りをいただき嬉しく思っております。
 拙い詩を読んで戴きありがとうございます。
 詩を書き始めた19歳のころ、夜間高校に入学したころなのですが、すぐにその才あらずと自覚して、本格的に詩に打ち込むことはありませんでした。
 ですから、以後30年以上も空白があって、ふとまた書き始めたのですが、そのことで、あまり力まず書くことができるような気がしています。
 何事も、人生をかけて打ち込むことはとても大事なことだと思いながら、仮にそれが挫折した時の衝撃、後遺症は決して小さくないだろうという気もします。頂点を目指して、その栄誉を手にするのはほんの一握り。
 そう考えると私は、つくづく中途半端な生き方をしてきたなあという気がしています。
 それは座右の銘、というほどのことではありませんが、「緩急自在、広く浅く、井戸一つ掘る」という私の姿勢にも表れていると思っています。ただ、この歳となって「井戸一つ」が掘り切れていないのが口惜しい限りです。
 まあ、このあたりかなと思い定めて、ツルハシを入れ始めてはいますが。

 メールの印象から動脈瘤の手術は、順調に終えられたと推察いたします。お連れ合いさまもお元気なれば、今しばらく、四季を愛でることも難しからず、と察しております。
 そんな折りに、教え子のクラス会の座がしつらえられ、写真で見る元生徒の皆さんに囲まれたお顔を拝見いたし、安堵しております。
 そういえば、5年に一度の「中学同窓会」は、年を経るごとに、開催期間が長く感じるようになり、いまでも早く開いてほしいという声を聞きます。それもあってか、クラス会とか、同級生数人あるいは、女性たちだけで会う機会を作っているという話も聞きます。
 あまり大がかりに考えなければ、案内状一つで事足りますが、次回の2010年はどうなりますか。「幹事降板」を宣言した私は、案内状が届くのを待つばかりです。

 葉書に書きました「雑談の櫂」を別途お送りしますので、またご笑覧ください。
 それではお元気でお過ごしください。
           2008年11月18日

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2008年4月18日 (金)

“老い”は共通の関心事

 読者からのお便り
 私が参加している会員制の「老兵たちのフォーラム」の、当日欠席された三人の方から、お送りした「4月例会のメモ・レジュメ」「雑談の櫂・第5号」「C&Lリンクス愛知第43号」の感想などが葉書で送られてきた。
 70代半ばのHさんは、「・・・“雑談の櫂”は、力みのないのが、いい問いかけになっています。介護の問題、皆で討論したいテーマです。“リンクス愛知”所載の『飲む』という詩は、傑作です。
 桜も散って、若葉が出はじめました。この頃の若い、生き生きした緑の色は、生命を象徴しているようで、心が萌えます。」
 80代半ばのIさんは、「桜の花片が美しく散り始めました。お元気でご活躍のことヽ存じます。リンクス愛知、雑談の櫂、大変面白く拝読しました。
 “台所に二人並び立たず”“四季の記”など、貴君の日常のあれこれが、偲ばれて読ませました。
 小生は、相不変、老母、病妻の世話で多忙な主夫を過ごしております。」
 もう一人は50代後半の女性。「フォーラムの報告書他、ありがとうございます。皆さんのいろいろなコメントも興味深いものがありました。『雑談の櫂』春号の方、とてもおもしろかった、どれも私に当てはまることだからでしょうが、“橋上の人”は、日頃思っていた事が文字化されていて、“そうそう、こういう事がいいたいのよ”という思いでした。・・・」
 「リンクス」を政治や社会的な問題をテーマにし、「雑談の櫂」は、居住地の暮らしの問題と、文化をテーマにしていて、私の両輪をなしている。
 今号の「雑談の櫂」で、「高齢者の医療・介護・終末」の問題を取り上げたので、お互い対象の年代であれば、関心が寄せられたものだと思う。
 “老い”は、意識する、しないに関わらずやってくる。そして他者から刺激を受けることも多い。自分のことはさておいて、“あいつ元気いいなあ”“少し老けたなあ”“おお、そんなことに打ち込んでいるのか”“又旅行してきたんだって”とまあ、羨ましいのか、評論家気取りなのか、無責任に言いつつ、ふと“オレはどうなんだ”と、投げかけた意識は、ブーメランのように戻ってくる。そのことは決して、私も例外ではない。
 時折り書く詩も、「雑談の櫂」も、その「進化」というより、「深化」させたいというのが私の願いであるが、未熟なそれは、まるで投げた石が、水没して水面に小さな渦をつくるのではなく、水面を三つ、四つ跳ねていってしまう趣なのである。

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2007年9月27日 (木)

Tさんへの手紙

 Y・T様
 前略、失礼します。
 詩集「坂」の感想のお葉書有難うございました。
 私には、「陽のあたる坂道」を歩いてきたという自覚はもちろんありませんが、陰の世界、裏街道でもありません。Tさんのおっしゃる「少し翳りのある道」は適切な表現かなと、私自身もそう思うところがあります。それがまた、今日までの運動で生き長らえた背景でもあろうと思っています。
 例えば、議員とか労働組合の委員長とかで表に出ていたら、あるいは逆にこれまでの運動で、参加はすれどもその後尾ばかりについていたら、やはり今の自分はなかったと思っています。
 これまで私が辿ってきた「自立無党派市民」という立場は、すべて「自由な選択ができる」立場である一方、他者から責任の所在、信頼性の密度に疑問を投げかけられる、という自覚もありまして、その点に関する向き合い方、処し方には、かなり気を遣ってきました。
 1997年から本格的に取り組んだ愛知万博反対運動でも、市民運動的手法に加えて、労働運動的な組織運営を心がけ、全体の議論を踏まえながら、核心部分の問題提起、具体的な運動提起、経過の報告、議事録の作成、一つ終えれば総括、そして運動の終息に当たっては、総括的な提起をして、なしたる運動の意義の確認をしてきました。
 私が拠って立ち、その中心をなしたミニコミ誌「緑ネット」は、万博の終了後2年を経て、その役割を終えたとしてこの11月で終刊としました。
 他では、1999年から3回の知事選挙、2001年の名古屋市長選挙でも、全体の総括とは別に、「私的総括」をきっちりやりました。けじめをつけるためでした。

 こうした過去を顧みれば、Tさんのいわれる「シニシズムとは対照的・・・・」という表現もまた、この限りでいえば結果的にそうともいえるのかもしれません。ただ私の性格からすれば多少の「ニヒリズム」もありますから、すっきりとは思わないところはあるにはあります。
 2001年に病気して以来、とばかりいえませんが、この2年ほど前から、運動の第一線から、意識的に戦線を下げてきました。1997年に会社を退職して、“10年がんばってみる”という期間が、今年の7月までであったこととは無縁ではありません。
 また「生涯一現役」と思ってはいますが、その位置については軸足を代えた、と言うところはあります。あるいは「転進」と言うこともできます。
 詩「医師の手」に込められた、ご指摘の「期するところ」はありますが、もはや第一線で旗を振る立場にないという自覚は、その胸の内をあける必然性を失いました。文字の中に封印したままです。
 更に「自分史」を幹として、そこからの枝の出し方、伸ばし方については、太陽に向ってとばかり、とは考えていませんで、自らの足跡を顧みれば、おのずと「翳のある道」と一緒することになります。そしてその記録は、私自身を切り離してのものでなく、私の影を映すものにしたいと思っています。
 いまでは、「TMPCWA支援」「ATUサポート」「トヨタの研究」が、唯一の「現実的」課題ではありますが、その第一線に立つ積りはなく、いずれの場合も「サポート」から出る事はないと思っています。ですから「ATUをサポートする市民の会」の発足に当たっても、その役回りは「一サポーター」というところをご了解願いたいと思っています。
 これまで交流がなかったのに、拙著をお読み戴き、感想まで聞かせていただきました。有難うございました。
 実りの秋、何か一つでも収穫したいものですね。    草々

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2007年8月19日 (日)

お手紙-2007年夏

 イカロスさま
 原稿依頼の件で、早速のご返事ありがとうございます。何か急かせたようで恐縮に思っておりますが、届くのをお待ちしております。
 メールによれば、新たな構想で執筆に多忙とのこと、それは笠松の「町の部分」となって仕上がり、それらが幾つも書きあがって、いつの日か、笠松の全体像が「市井作家の笠松事典」として集大成されるのでしょうね、きっと。
 そのためには長生きをして、広く人と交わり、集中することだと思いますが、もうその“街道”をすでに歩いているようにお見受けしました。
 先日、きっと覚えていると思いますが、N・Oさんから手紙をもらいまして、「愛知の民衆史が書けるのは君しかいない」なんて、かなり的外れな「期待」を寄せられました。
 多分、彼が歩んできた来た道と私の歩んできた道とが、重なり合う部分も多いこともあって、 彼がそのようなことを望み、また必要性を感じて、私にそれを託そうとしているのではないかと推測しました。それがいつの間にか、「愛知の民衆史」まで飛躍してしまったものと思われます。
 1960年代の後半から、労働運動などの活動に足を踏み入れた私ですから、それ以前のこと、そのつながりと流れのことはわかりません。その後もどちらかといえば、“隙間の労働運動”“落穂拾い”のような地域活動ですから、少数派労働運動、三里塚闘争、境川流域下水道、米軍依佐美基地撤去運動、オルタナティブ-地域運動、名古屋労組連、赤と緑のメーデー、ピースサイクル、愛知万博反対運動、各種選挙と、もうジグザグもいいところで、まるで一貫性がありません。
 また「民衆」というとき、どのあたりをさして言うのか、その視座によっては、一人よがりになりかねません。「史」など、私には思いもよりませんので、とても私の任ではないと、ご返事いたしました。
 N・Oさんは、世代として運動を何らかの形で次代に引き継ぐ必要性を、日ごろから力説しておられます。彼自身の体験もまた、その一部であることは間違いないと、私は思っておりますから、言わんとするところは理解でき、大いに賛意を表したいと思っています。
 しかし、その作業は荒々しい“岩場”のように見え、それを白砂青松の浜に変えるような、目も眩む思いがします。
 ですから私は、そんな風に考えないで、“語り部”のような機会をつくり、それらをこまめに書き残すことでいいのではないかと思っています。手前味噌ながら、「老兵たちのフォーラム」に参加しているのも、そんな気持ちからです。
 
 残暑厳しき折り、大いなる執筆と
     併せてご自愛のほど、お祈り申しあげます。
         2007年 夏

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