五輪へ、広島、長崎の両市
メッセージこそ第一か
広島秋葉市長、長崎田上(たうえ)市長が、2020年の夏のオリンピックに、両市で開催するとの意向と伝えられた。
かなりびっくりした。そして歓迎したいようなしたくないような複雑な気分になった。オリンピックそのものの是非論からいえば、それはすでに10月2日のブログで見解を書いたので省く。また、広島-長崎での開催が技術的(理論的)、財政的に可能かどうかはさておくとして、広島-長崎が主催都市であるから「五輪-平和の祭典-核廃絶」が、招致理由のバックボーンになるという。そうすると五輪のもつ、もう一つの存在意義「スポーツ競技の最高峰、最高栄誉」と、合流一致するかは不明なところがある。
思うに、秋葉広島市長、田上長崎市長が開催候補地に立候補を検討するとした動機には、実際に招致する、あるいはできるかどうかは、国民の期待感、注目度、新政権の意向に任せるとして、もっぱら、オバマ大統領の演説、ノーベル賞受賞の流れを読んでの世界への、「核廃絶のメッセージ」に主眼が置かれていたのではないだろうか。しかも、このタイミングこそが重要であると。
もう一つ思ったことは、秋葉市長にとって、次期市長選に出るにしても、出ないにしても、市長としての総仕上げをする、良き舞台となると踏んでいるのではないか、という点。もとより、世界の核の廃絶という超難題の政治課題が、一市長の個人的な思いだけで展開できるものではない。しかし、思いつきには、ひらめきがあるとしても、長くて深い、思い続けた思想性があればこそ、ともいえる。
そしてもう一つ。ピースサイクルの仲間の受け止め方である。地元広島、長崎では、どう受け止めているのだろう。それは財政負担、自然破壊のオリンピック自体は賛成しないだろうから、核の廃絶の世界的運動がオリンピックという形で具現化される可能性と方法論についての見方である。
今すぐ、賛成か反対かをいう必要はなく、両市長の具体的提案を見てからでも遅くはない。ただ、ピースサイクル運動自身が、2010年を25年目の節目としていることで、存続の可否を含めた議論をすることになっているので、核廃絶の世界的運動に連動した運動を展望する時、議論に少なからず、影響を及ぼす可能性がある。
私自身は、ピースサイクル運動を25年でいったん区切りにする。新しい運動の在り方を模索する。模索して見つからなければエンドとする、が現段階に考えであり、今、仲間の意見を聞いているところである。
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