2010年8月15日 (日)

非戦・平和をどう伝えるか

 課題-世代、年齢を超えるものとは
 昨日は、「『戦争反対』それはそうなのだけれども、語り、映像、写真、書物からだけであっても、戦争の実像を知ること、幾百万の“屍”を、その数字ではなく、死んだ一人一人の人間と同じように記憶し、戦場で、戦災で死んだ人たちから何を引き継ぎ、何を次の世代に引き継ぐのか、改めて『自分たちは』という問いかけであったと、私は受け止めた。」と書いて、今朝、それ読み返して我ながら、“う~ん”と唸ってしまった。
 選ばれる言葉、控えめな表現、大まかな場所、押し殺したような感情など、幾多にも語られる「戦争・戦場」の実際を私は知らない。被爆体験はもとより、戦災・戦禍の記憶もない。沖縄の集団自決、中国残留孤児、戦災孤児、疎開先の飢え、疎外も知らない。何一つ“体験”を持たないのである。
 私の中にある「非戦・平和」の思想性は、薄っぺらでも「語り、映像、写真、書物」からのものである。同時に共鳴・共感した運動の末席、末尾についていたことからはぐくまれたものだ。それはそれで、恥ずべきことではないと思っているが、私なりの会得、解釈、構成化ができているであろうから、どこまで“伝えるべきもの”が内包されているか、自分にも自信はない。
 例えば、終戦(敗戦)の日は、疑いもなく、天皇の「玉音放送」があった8月15日であったと記憶し続けてきたが、沖縄の事実上の終戦は6月23日、アメリカの戦艦ミズーリ-号上での降伏文書署名の日は、9月2日で、これが国際的には終戦の日とされているという。このように、これすらいい加減なのだから。
 毎年どこかで開かれる「戦争展」に、1~2度は行っても、“毎年同じようなもの”として、通い続けることはない。そもそも、主催する側に立って、伝え続ける位置すら占めて来なかった訳である。
 とはいえ、全く無為に過ごしてきたわけではないというささやかな自負を、どんな形にして伝え残していけばいいのか、それを追い求めていくことには意味はありそうだ。それは、2度と戦争はしない、させないことを「世代、年齢を超えて伝える」ものとはどんなものかということになるが、多少なりとも自分のものである「文章表現」の世界で果たしていきたいと思っている。

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2009年10月11日 (日)

五輪へ、広島、長崎の両市

  メッセージこそ第一か
 広島秋葉市長、長崎田上(たうえ)市長が、2020年の夏のオリンピックに、両市で開催するとの意向と伝えられた。
 かなりびっくりした。そして歓迎したいようなしたくないような複雑な気分になった。オリンピックそのものの是非論からいえば、それはすでに10月2日のブログで見解を書いたので省く。また、広島-長崎での開催が技術的(理論的)、財政的に可能かどうかはさておくとして、広島-長崎が主催都市であるから「五輪-平和の祭典-核廃絶」が、招致理由のバックボーンになるという。そうすると五輪のもつ、もう一つの存在意義「スポーツ競技の最高峰、最高栄誉」と、合流一致するかは不明なところがある。
 思うに、秋葉広島市長、田上長崎市長が開催候補地に立候補を検討するとした動機には、実際に招致する、あるいはできるかどうかは、国民の期待感、注目度、新政権の意向に任せるとして、もっぱら、オバマ大統領の演説、ノーベル賞受賞の流れを読んでの世界への、「核廃絶のメッセージ」に主眼が置かれていたのではないだろうか。しかも、このタイミングこそが重要であると。
 もう一つ思ったことは、秋葉市長にとって、次期市長選に出るにしても、出ないにしても、市長としての総仕上げをする、良き舞台となると踏んでいるのではないか、という点。もとより、世界の核の廃絶という超難題の政治課題が、一市長の個人的な思いだけで展開できるものではない。しかし、思いつきには、ひらめきがあるとしても、長くて深い、思い続けた思想性があればこそ、ともいえる。
  そしてもう一つ。ピースサイクルの仲間の受け止め方である。地元広島、長崎では、どう受け止めているのだろう。それは財政負担、自然破壊のオリンピック自体は賛成しないだろうから、核の廃絶の世界的運動がオリンピックという形で具現化される可能性と方法論についての見方である。
 今すぐ、賛成か反対かをいう必要はなく、両市長の具体的提案を見てからでも遅くはない。ただ、ピースサイクル運動自身が、2010年を25年目の節目としていることで、存続の可否を含めた議論をすることになっているので、核廃絶の世界的運動に連動した運動を展望する時、議論に少なからず、影響を及ぼす可能性がある。
 私自身は、ピースサイクル運動を25年でいったん区切りにする。新しい運動の在り方を模索する。模索して見つからなければエンドとする、が現段階に考えであり、今、仲間の意見を聞いているところである。

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2009年8月15日 (土)

私の8・15

特に何もないのが幸せか
 確かに8月15日は、「終戦の日」と記憶されているが、私個人にとっては特別の日ではない。我が家、ごく近い親戚筋から戦死者、戦病者、戦災死が出ていないこと、空襲で焼け出されたこともなかったなど、強烈な戦争経験がなかったからかもしれない。戦中、戦後の混乱と苦しい生活はあっただろうが、親からは、記憶に残るほどの話はほとんど聞いていない。あったとしても兄たちまでで、末弟の私までは届かなかったかもしれない。
 小中学校でも、戦争で親を亡くされた同級生がいたが、それすら記憶に残るのはごくわずかといっていいくらいのものであった。教師からも、それらに類する話は、少しはあったに違いないが、私は何も思い出すことができない。
 小学生の時、授業中に突然泣かれた女の先生のことを思い出すが、お一人は、野口英世の話の時だったように思うが、確かではい。もう一人の先生の場合は、全く思い出せないから、ひょっとして戦争に触れる話をされ、ご自分のつらい思いがよみがえって、つい泣かれたのかもしれなかった。
 空襲で焼かれた町の風景という記憶もない。せいぜい、田んぼの中にあった「爆弾池」くらいで、“泥沼で、すり鉢のようなっていて深いから、絶対に近づくな”と親から言われた記憶はあるが、それ以上でも、それ以下でもない話であった。
 就職試験を受けた先が新三菱重工であったため、会社の下見をした大江工場にはまだ、焼けて鉄骨だけとなっていた工場建屋が残っていた。それが、戦争の痕跡を記憶する最初ではなかったかと思う。1960年ころ・・・。
 「8月15日は、終戦の日ではなく、敗戦の日である」というような、最初はどこが違うの?と思ったことのある経験は、組合活動に触れた10代後半のことであっただろうか。どんな形であれ、戦争体験を忘れ難く持ち続けている人たちにとっては、終戦も、敗戦も「8月15日」に、何の変わりはないだろうけれども。
 このイデオロギーだけの話は、私の中では強く印象に残っていて、その後の思想的構成要素の一つであった。しかしいつも、その実感の軽さが付きまとっていて、例の「靖国問題」にしても、実際に親、兄弟を戦争で亡くされた遺族の思いに比べると何となく軽薄に思えて、切り込み口をなくしてしまうのであった。
 しかし、しかしだ。今となっては、私より遙かに「戦争体験」の少ない世代が多くなった以上、経験的“語り部” と較べられ、イデオロギーだけの「非戦・平和」であっても、もっと強く主張されねばならないと思う昨今である。
 「8・15」について考えるとき、特に何もないのが幸せに違いないだろうが、人それぞれであると同時、8月15日を何かと利用して「戦争のできる国づくり」に意欲を燃やす人がいれば、それを排する運動は、どんな形であれ必要ではあるまいか。ピースサイクルの運動が、それなりに私の中で“鎮座”しているのは、その反映ではないかと思う。

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2009年8月 9日 (日)

ノーモア ナガサキ2009

 平和へのメッセージ
 この日の午前11時02分に、人類史上二発目の原子爆弾が長崎市に投下された。
 広島も長崎も「軍都・軍需工場」で狙われたのであろうが、それだけなら名古屋も攻撃目標になっていたに違いないが、この時期に至っては、東京も名古屋も大阪も、大都市はすでに焼け野原であったろうから外されたのか。それともやはり、戦艦大和(呉海軍工廠で建造)、武蔵(三菱長崎造船で建造)が関係したのであろうか。
 ピースサイクル愛知ネットからは、既に田上長崎市長あてに「平和メッセージ」を送ってあった。
 ・・・長崎市主催の「被爆64周年原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」開催にあたり、私たち「ピースサイクル愛知ネット」から、平和へのメッセージをお届けいたします。
 8月9日、長崎市民、そして全国民にとって忘れることのできない被爆64周年を迎え、原爆の犠牲となられた方々のご冥福をお祈りし、この悲劇、罪深きことを再び繰り返さないために、今を生きる私たちは、世界の恒久平和を実現するために努力を続けていきたいと思っています。(以下、秋葉広島市長あてのメッセージとほぼ同文)
 長崎へ訪れたのは、もう20年以上も前であろうか。一人で三菱長崎造船労働組合(第3組合)を訪ねた折り、平和公園を案内され、そこで初めて被爆10周年を記念して建てられたという、高さが10メートルほどの男神像を眺めた。何かを表現しての像であったろうが、その時は、広島と随分イメージが違うなあ、広島のひたすら平和への祈り、世界への叫び、呼びかけが「静」のようであったのに対して、長崎のそれは、どことなく「これは闘いだ!」とでも言っているような「動」を感じたのだった。
 それは、当時の同盟系の第二組合と闘い、共産党色の強かった第一組合とも決別して結成された、少数派労働組合「三菱長船労組」(第三組合)に共感、連帯しての気持ちも反映していたかもしれなかった。
 それはそれとして、広島は峠三吉、栗原貞子に代表される詩と詩人が想起されるが、長崎は、藤山一郎が唄った「長崎の鐘」という歌謡曲が頭から離れない。
 この歌は、今は亡き兄たちがよく口ずさんでいたことで、特に記憶の残滓としてどこかにあるのかもしれない。

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2009年8月 6日 (木)

ノーモア ヒロシマ2009

 秋葉広島市長へのメッセージ
 今年もまた秋葉忠利広島市長あてに「平和メッセージ」を送った。メッセージだけでなく、もう一度広島の「原爆忌」の日に訪れてみたいと思っているが、ピースサイクルの運動から離れた時になるかもしれない。
 秋葉市長あてのメッセージの要旨は以下の通りである。
 <前文略>
 ・・・また昨年は、豊田市在住の女性が広島まで自転車で完走し、現地での式典、様々な平和行動に参加したとのことでした。また、5000を超える折り鶴と、自治体首長からメッセージをお届けしたところです。
 さて、核兵器廃絶の動きにつきましては、今年になってから大きな動きがありました。
◇5月18日、ノーベル平和賞受賞者17人が連名で、「ヒロシマ・ナガサキ宣言」を発表しました。
◇6月17日、衆参両議院において日本政府に核兵器廃絶に向けた取組強化を求める決議が全会一致で採択されました。
◇7月07日、オバマ米大統領とメドベージェフ露大統領が、第一次戦略兵器削減条約(START1)の後継条約で戦略核弾頭数は、上限をこれまでの2,200発から、1,675~1,500、ミサイルなど核弾頭運搬手段は1,100~500を上限とすることで合意し、新たな核軍縮条約を締結するという共同宣言に発表しました。
 これらの動きは、核兵器の廃絶を願い、恒久平和を求める、被爆地広島、長崎のみなさんをはじめとする、全世界の人々にとって歓迎すべきものです。ぜひとも削減の実現、さらには完全なる廃絶へと進んで行ってもらいたいものです。
 このような喜ばしい動きがあった一方で、8月6日、広島市内において、「日本会議広島」主催の、前航空幕僚長・田母神俊雄氏を講師に迎え「ヒロシマの平和を疑う」と題した講演会が開催されるという報を受け、その無神経さ、世情への踈さにあきれるばかりです。
 <中略>
 秋葉市長におかれましては、毎年8月6日の式典で、広島市長という立場からだけなく、自ら思いを込めて「広島平和宣言」をお書きになり、読み上げられていることと思います。私たちもその「宣言」に接するにつけ、新たな認識と決意を覚え、勇気をかきたてられてきました。
 今年もまた愛知から「平和の折り鶴」をお届けします。どうか、これをもって、この愛知から、広島の地に思いを馳せ、共に恒久平和を願っている気持ちをおくみ取り下さい。
 最後に、貴職のますますのご活躍と、平和への取り組みを期待しております。<後略>

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2008年9月12日 (金)

平和へのつどいinなごや

~ヤスミンが奏でる アッシュ君が語る~
  夏風邪であろうか、ちょっと気分がすぐれなかったが、「9・11」にあわせてでもあろう、半分以上、いや7割方女性という「平和集会」を覗いてみた。「ヤスミンが奏でる~ アッシュ君が語る~ 平和へのつどいinなごや」ざっと200人くらいの参加であったろうか。
 プログラムは、「IRAQ WAR」の上映が20分ほど。そのあと、カーヌーン(アラブの琴)奏者・ヤスミン植月千春さんが平和への想いを弾き語り。カーヌーンなる楽器を直接見るのも聞くのも初めて。両手の親指と人差し指を使ってはじくように弾くのだが、聞き始めると、そういえばどこかで聞いた音色かな、とも思った。
  ヤスミン植月千春さんは、京都芸術大学卒で、アラブの琴(カーヌーン)奏者。専門はラウンジピアニスト。2001年イスラム教徒となり、2003年軍事占領下のイラクに入る。他のNGOメンバーとともに『バグダッド バーニング-イラク女性の占領下日記』などを翻訳出版。イラク攻撃反対・反戦を、祈りの音楽で表現し、全国各地にて公演中。という
 自身の“告白”によれば、2003年イラク・ナジャフ滞在中に、劣化ウラン弾に触れ、それがもとかどうかはわからないが、5年後の今年「子宮肉腫」と診断され、10月に入院、検査・手術になりそうだという。そんな中での公演でもあり、劣化ウラン弾がごろごろするイラク現地の悲惨な映像と二重写しになった。
 もう一人のゲスト、イラク帰還兵・アッシュ・ウールソンさんは26歳。1999年に米陸軍沿岸警備隊入隊。州兵に海外派兵はないといわれていたが、ニカラグア、タリル、イラクで従軍したという。
  帰還後は「反戦帰還兵の会」に参加。2008年1月ボストン~ワシントン、2月広島から9条世界会議会場(幕張メッセ)に向かって9条ピースウォーク(71日間)を歩いた。『日本国憲法は僕らにとっても希望の星。9条の灯を消さないで』と語った。
 またイラクでの体験と悲惨な現状を語ったが、米軍の内側から、兵士たちの意識、気持ち、生活、戦闘時などの精神状態の一部が語られれば、もっとよかったな、とは思ったが、現時点では、語りづらい面もあるのかもしれない。

 

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2008年8月 9日 (土)

長崎への平和メッセージ

 哀調の“長崎の鐘”を想い浮かべ
 今日の「長崎原爆忌」にあたって、ピースサイクル愛知ネットとして「平和メッセージ」を田上富久市長宛てに、8月3日付で送った。広島へ送った内容とほぼ同じなので、掲載は省くが、三好町長、日進市長も同じようにメッセージを送った。
 そのときふと思ったのであるが、被爆したことでは広島も長崎も同じである。しかし「人類最初の被爆地・広島」が、なにかと「核の廃絶」では、先を行くような印象がある。動の広島、静の長崎のような。
 しかし例えば、広島には峠三吉や栗原貞子に代表される「原爆の詩」があり、野坂昭如の「火垂るの墓」という小説思い浮かべるし、アニメで映像化された
 一方、長崎にも、永井隆が執筆した随筆「長崎の鐘」があり、同書をモチーフとした歌謡曲「長崎の鐘」がヒットした。さらに松竹により映画化もされた。やはり、人類未曾有の出来事には、いろんな角度、観点、様々な人たちが思いを綴り、形を変えて遺している事がわかる。
 「長崎の鐘」は、作詞がサトウ・ハチローで、作曲は古関裕而。当時歌っていたのは藤山一郎だろうが、まだ幼少の私ですら、ラジオで聞いたり、兄たちが歌っていたのを聞いた記憶が残っている。
 メロディーと共にその歌詞にも印象強いものがあったのだろう。せめて今日は、その「長崎の鐘」の歌詞を再録して、長崎原爆忌に思いをいたそうと思う。
  
長崎の鐘
こよなく晴れた 青空を
悲しと思う せつなさよ
うねりの波の 人の世に
はかなく生きる 野の花よ
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

召されて妻は 天国へ
別れて一人 旅立ちぬ
かたみに残る ロザリオの
鎖に白き 我が涙
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

つぶやく雨の ミサの音
たたえる風の 神の歌
耀く胸の 十字架に
ほゝえむ海の 雲の色
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

こころの罪を うちあけて
更け行く夜の 月すみぬ
貧しき家の 柱にも
気高く白き マリア様
なぐさめ はげまし 長崎の
あゝ 長崎の鐘が鳴る

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2008年4月17日 (木)

イラク派兵・違憲判決

 4・17名古屋高裁
 判決の要旨は、各方面で流されているのでそれを引用するが、一部違憲、一部勝訴といえる判決は、「自衛隊の活動、特に航空自衛隊がイラクで現在行っている米兵等の輸送活動は、他国の武力行使と一体化したものであり、イラク特措法2条2項、同3項、かつ憲法9条1項に違反する」及び、「平和的生存権は全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるとし、単に憲法の基本的精神や理念を表明したにとどまるものではないとし、平和的生存権の具体的権利性を正面から認めた」という点である。
 一方、棄却された部分は「自衛隊のイラク派兵差し止め請求」と「原告一人あたり1万円の、損害賠償請求」であった。この判決は、請求それ自体が棄却されて被告・国側の勝訴であり、上告できない。そして原告が上告しないことで判決が確定することになった。
 自衛隊が活動する具体的な「戦闘地域」と「輸送業務」が違憲であるとしたことから、本来なら憲法違反の行政行為は、直ちに中止されねばならないと考えられるのだが、原告が、具体的に平和的生存権が侵害されていない、またその適格性もないとして退けられている。では、自衛隊の行為そのものが違憲であるとするなら、それを法的強制力によって差止できるのはどのようなケースなのか。
 イラクに送り込まれた自衛隊員が、今回のようなケースで原告となった場合であろうか。その場合でも、当人が直ちに本国に送り返され、挙句解雇されたならどうなるであろうか。「解雇は無効」の判決は引き出せても「差止請求」は認められるであろうか。
 あるいは、最高裁の判決で確定した場合は、否応なく自衛隊撤収となるであろうが、その機会はなくなったと同時に、上告しても、国側の「敗訴部分」が高裁に差し戻される可能性は大きいというのが、原告の判断であったろう。
 結局、司法の判断を行政府がどう受け止めるかに関わる。福田首相の「傍論」であるとして気にかけないといったが、一国の長であれば、憲法を軽く見下すような発言はよくない。また毎日新聞による「自衛隊派遣は、自衛隊の合憲性とともに国の存立にかかわる高度な政治的問題で、判決で国家の統治行為に踏み込むのは司法の勇み足・・・」(百地章・日大法学部教授)に至っては、何をかいわんやである。
 この判決は、「憲法判断」を避けようとしがちな裁判所(裁判官)に一石を投じたことにも意義がある。また、民主党の中にある改憲論、自衛隊派兵容認論にも影響があると考えられるが、それらの該当議員のコメントも聞いてみたいものである。 
(追い書き)

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2008年4月 3日 (木)

ピースウォークに部分参加

  久し振りに栄を歩く
  昨日愛知県入りをした「ピースウォーク」の今日は、名古屋市北区の黒川から、名古屋の繁華街栄に向けて歩くのが午前中の予定。途中、県庁と市役所で申入れをしたという。
この日私は、午前7時に起床、8時半に黒川に行く予定をしていたが、家事を頼まれ午前中の参加はあきらめた。
  ええい!いっそのこと午後もあきらめて残務仕事に精を出そうかなとも一瞬考えたが、やはり、全国のピースサイクルの仲間に少しでも様子を知らせたい、また、昨年の全国会議でも確認していることもあって、午後2時栄行きを決心して出かけた。
  1時50分に現地に到着すると「栄ひろば」には、およそ150人、「ストリートパフォーマンス」が続いていたが、2時10分頃になって行進が始まった。
  名古屋駅前と並ぶ名古屋の繁華街・栄を、街宣車を先頭に、のぼり、横断幕、プラカードを持った一行が、三越、松坂屋、パルコなどが並ぶ大津通りを南の金山駅へ向けて歩き始めた。
  私は、「ピースサイクル全国ネット」の旗を掲げて参加した。両端を棒で結び、広げて掲げたので、通りがかりの人によく見えたと思うが、支える側の私は、強風に悩まされた。
  あとでデジカメを覗いたら、この旗は結構見栄えがして映えていた。
  午後3時15分、金山駅に到着し、折り返して女性会館に向うというので、
市民会館前で離脱して一行を見送った。
  明日は、お休みで、

5日は、名古屋・八事を出発して、日進市経由で豊田市入り。
6日は、豊田市から岡崎市
7日は、岡崎市から豊川市
8日は、豊川市から豊橋市 となっている。
                                       
<追い書き>

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2007年11月20日 (火)

「9条世界会議」への取り組み・PC全国会議・4

  2008年5月幕張メッセ他で開催予定
 ピースサイクル全国会議で、取り組みが呼びかけられた中に、「9条世界会議」があった。
 主催は実行委員会であるが、そもそもこのキャンペーンを始めたのは、「国際交流NGOピースボート」と「日本国際法律家協会」であった。そして、紛争予防のための世界的NGOネットワークGPPACをきっかけに2005年に活動を開始したということである。
 この「グローバル9条キャンペーン」について、HPで検索したところによると、以下の通りである。
 ・・・日本が「国」として「もめ事を解決するために武力は使わない」「その手段としての軍隊も持たない」と決めた憲法第9条。その理念や平和主義を、世界の人々に知ってもらい、もっともっと広めていこう、というのが「グローバル9条キャンペーン」。
 憲法第9条は、日本が世界に対して、自動車やコンピュータ以上に誇れるものです。そんな9条を、世界に輸出しよう!という考えのもと、今後もイベントやネットワークを通じて活動を展開しています。
 9条を世界に発信する前に、国内での改憲問題に取り組むべきという見解もみられています。しかし私たちは、私たちならではのネットワークを通して、9条を支持していくという意志を隣国に伝えるとともに、世界からの関心の強さを国内に反映させることによって、悲惨な戦争を体験せず憲法9条改正に対する抵抗が弱まった日本現代に、9条の重要性を再確認して欲しいのです。そして「二度と過ちを繰り返さない」というアジアの人々に対する誓いを守っていくために、今後も前向きな活動を続けていこうと考えています。
 現在予定されている日程は、
2008年<5月3日 憲法集会・東京(別団体の主催)>
     5月4日 9条世界会議・幕張メッセ 7000人規模
     5月5日 分科会及び地方会議・広島の同時開催
     5月6日 地方会議・仙台及び大阪
世界からのゲスト
コーラ・ワイズさん 米・ハーグ平和アピール代表
マイレッド・マグワイア 北アイルランド・ノーベル平和賞受賞者
 その他の著名な平和運動家の招聘計画が進んでいるという。
 ピースサイクル全国会議では、各地の「九条の会」に参加、連携しながら、憲法9条を守り、活かし、世界に広める運動の重要さを確認し、この「9条世界会議」の賛同団体として参加することを決定した。
 賛同、カンパなど詳しくは、下記のHPに。

http://www.article-9.org

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