2010年2月25日 (木)

年間の医療費

  保険のありがたさ
 確定申告の時期でもあり、年間医療費の集計をしてみたところ、18万円余と出た。3割負担であるから、医療機関に支払ったのは単純計算で、60万円余となる。
 もう少し正確に検討してみたら、私の支払い総額の約半分は入院費用であり、入院費用の8万円余りを超えた分は「高齢者医療補助」の対象で補助されたから、医療機関へはさらに20数万円が支払われたことになる。
  大変な額であるが、連れ合いが比較的通院することが少ないので、合算して考えればいいかな、というところで慰めている。
  年間18万円の出費は、健康のための維持費であり、難病、重病と較べれば幾らか気休めにはなるが、決して少額ではない。
  それにしても国民健康保険と公的補助のありがたさが身にしみる。このように実感すると、この先の更なる医療費の出費に不安もよぎるが、ある意味では「納税」に納得できる。「高負担、増税、不公平、脱税、節税、未納」など、税にまつわる不満、疑念はいつもついて回るが、このような保険診療だけでなく、指定の難病、自然災害の援助、補償など、困った時の支援はありがたい。
  それでふと思った。国の様々な社会福祉政策などに多額の税金が投入されるが、「困った時に受けた支援のありがたさ」が実感できる補助の在り方がありそうだ。例えば、北欧のある国に「医療費、教育費は無料」という制度があるようだが、それも一つの方法なら、医療機関の窓口ではいったん支払ったのち、相応分が還元される方式の方がいいような気がする。一時的な「立て替え払い」で、医療費の負担と内容が知れ、結果的に健康の維持こそが最も良策と気づくのではないだろうか。最初から「ただ」というのは、「ただだから」という気持ちが先行しがちだ。「ただほど高いものはない」という意識が、日常感覚にないのが私たちではないだろうか。
  新政権の目玉政策の一つでもある「子ども手当」についても、様々な問題が指摘されているが、支給の在り方を本気で考え直した方がよさそうだ。

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2009年8月 8日 (土)

老兵たちのフォーラム8月例会・3

  続々・高齢者の独り暮らしと孤独死
 私は、丸一日部屋から出ないで、パソコンの前、新聞、読書などで過ごすことは珍しくない。出るときは、投函、コピー、スーパーで食糧買い出しくらい・・・。
 つまり疑似的、ミニミニ独居生活であるが、これは生活に目的があることと、さしあたって健康に心配がないこと、家族が近くにいることなどで、実際は「独居生活」でも何でもない。だが、それを実感として捉えようとすれば、それなりの「疑似独居生活」ではあるが体験はできる。
  それで、私が思う「独居(一人すまい)」を予防したいとするなら、こんなことを心得たらどうかと、6点ほど上げてみた。
1)家族、親類縁者との普段から良好な関係を築いておく。冠婚葬祭には欠かさず出る、それ相応の努力。子供らとは、できることなら同居し続けることが望ましい。
2)人との付き合いはもちろん趣味を持つなど、開放的なくらしを基本に、健康であること、早めの受診、病気の治療に臆さないこと。
3)社会的、文化的運動、趣味、同好など、グループまたは知人、友人との親しい付き合いを持つ。その中には、先輩、後輩、異性の付き合いもあるのではないか。逆に疎遠にしたい付き合いもあるにはある。
4)知的好奇心を失わない。読書、コンサート、展覧会、映画、探索、そして絵画、写真、文学などの創作活動、他。
5)心の解放(開放)は、知的好奇心にもつながるが、散歩、ハイキング、小旅行など、アウトライフによる体の面からのリフレッシュも必要ではないか。
6)日記・日録の継続的執筆、終末期の意思表明書、遺言書の定期的な書き換えなど。これをやると過去、現在、未来が何となく一つの線で結ばれる。
 では最後に、「独居老人」となったら、私の場合どうするか、今考えていることは、
1)生活習慣の乱れ(劣化)を防ぐことを心掛ける。自炊、部屋を掃除して小奇麗に、それなりのおしゃれして外出、気取らず、出入り自由な何かボランテアに参加する。結局これが健康管理の基本ではないかと思う。
2)子供らとは別に親族、親友などとの、なにがしかの定期的な連絡方法を考える。電子メール、FAX、葉書、旅の土産などの贈答。但し、電話はかけない。なぜか?
3)然るべき者(子どもか兄弟、姉妹)に「鍵」を預ける。「意思表明書」「遺言書」をわかるようにして書き置く。
4)知的好奇心を失わず、街に出る。ライフワークらしきものを持続させる。
5)「人生の仕上げ」に打ち込む(何がしたかった、今何がしたいか)。思い切った「身辺整理」を進める。(せめてこれだけは残したいものを厳選する、贈与しておく)。手始めは、運動関係資料と本、アルバムであろうか。
 さていつ、何から始めるか。明日から?明後日?来週?来月?多分何もしないだろう・・・。

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2009年8月 7日 (金)

老兵たちのフォーラム8月例会・2

  続・高齢者の独り暮らしと孤独死
 ところで、一人暮らしに至るケースを列挙すると、1)未婚者=「親兄弟と離別・疎遠、死別」⇒独居。2)既婚者=「 〃 」+「配偶者と死別」+「子供なしor子供と疎遠」⇒独居。3)離婚=「 〃 」+「配偶者と離婚」+「子供なしor子供と疎遠」⇒独居。4)その他・・・「 〃 」+配偶者が「長期遠隔地療養」「長期服役」+「子供なしor子供と疎遠」⇒独居。
  この4つの例は、夫婦、子供、親、兄弟、親類縁者を中心に考えた場合であり、未婚者には、籍に入っていない同居人や、親しい友人と同居していた場合もある。また、離別、疎遠を自ら求めるケースもあろうし、ホームレスの人の中には、あえて連絡絶っている人もいると聞く。借財、犯罪による逃避もあるが、これは論外のケースであろう。
  次に、孤独死のケースとして、1)病死(突然死、自然死を含む)2)餓死(自死を求めての餓死を除く)3)自殺(自死を求めての餓死を含む)4)事件・事故死(殺人、焼死、中毒死など)があげられる。
  では、国、自治体など社会的な政策は、どんなふうに考えたらいいか。各政党のマニフェストを見てみたいが、
1)種々の「ホーム」は、居住地域内で100%入居でき、民間施設の認可、補助もさらに試行、研究を進める。
・建て替え時期に来ている公営住宅の活用、廃校、閉鎖となった公共施設の利活用。
・年金の範囲内で入居できるホーム。(不十分だが、民間のものは既にある。東京で問題化)
2)2世帯、3世帯同居の支援と同時に、居住空間など、その在り方も欧米などから学ぶべきであろう。
3)独居者の登録制と定期的訪問活動を、行政(民生委員)と民間業者、ボランティア間の相互性の中で確立する。
4)自主的な地域コミュニティーを促し、住民同士の交流、分かち合いを進める。
 思いつきでいえば、こんなことが浮かんだ。
 だが実際は、社会保障制度に依存する前に多くの人は、自分の「身の処し方」をあれこれ考え、「ぽっくり死にたい」とか「老人ホーム」を夢想したりする。その心の裏で子供たちに看取られたいと思いながら。
 では私自身はどう考えたか。参加のメンバーの中では最も若くまだ60代半ばであれば、実際面からの発想は乏しいから、理屈(理念)で考えることが多いことを前提に、孤独死・終末について考えを述べた。 
(続く)

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2007年8月11日 (土)

なぜかくもアメリカに従属なのか(4)

      第8回老兵たちのフォーラム
 日本の、かくあるべき姿を議論すべき
 いまや政治、経済はもちろん全ての面で「一国主義」でものは考えられない。「地球規模で考え、地域(国)で行動する」は、1980年代の地域運動のスローガンであったが、今回のテーマ「なぜかくもアメリカに従属なのか」を考察する時、再びこのスローガンがよみがえってきた。
 私が、「私個人としては、対米従属感は持っていない」と発言したものは、X氏の「個人も国家も、将来の“あるべき姿”を思考し、具体的かつ論理的に描くことによって、従属の呪縛から解放される。」と言う点で共通するものであり、それは私が、4年前の2003年7月4日に発行した「C&Lリンクス愛知・第27号」で「21世紀の日本はどうあるべきか その進路について考えてみました(1)」を発表、その中で、「私が思い描いた“日本の進路”の骨子」を示していたという裏付けがあってのことである。この論考は、“骨子”を具体的に展開する形で、2004年5月27日発行の「C&Lリンクス愛知・第35号」の第8回まで続いたが、この年の参院選挙を前に、中間的にまとめて中断したままでこんにちに至っている。
 今回、これも骨子だけのものであるが、前回の(3)で示した「4、対米従属日本から、新しい日本の形へ」の5項目は、これも、“日本の進路”の延長の中にあったものである。
 さて、後半の自由討論で私は、少し切り口を変えて、
5、韓国の位置から考えてみると
1)侵略され、蹂躙された日本に対する国民感情と政治的相互関係の使い分け。北、中国、ロシアとの関係。
2)日本文化の制限と緩和の狭間で。
3)旧世代と新世代で移り変わり行く歴史認識、価値観、文化度。
 というように、「なぜかくもアメリカに従属なのか」を、韓国の側から見て「なぜかくも日本に従属なのか」と言うように発想してみた。もちろん、韓国が日本に従属していると言う認識を持っているわけではない。従属されまいとする韓国の政府、被侵略世代、知識人、在野のリーダーなど旺盛な言動から学ぶものがあると思ったからである。外交、産業、スポーツなどから見る韓国の施政、国民意識には、日本の影が付きまとうことは避けられないようで、それは、日本の対米関係と類似している。それゆえ、韓国と日本の政府、国民の、その比較検討は興味深いのである。 
(完)

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