暮れも押し迫りました
師走のくらしから
おせち料理・きんぴらごぼう
「おせち」の由来とか、本来はこう、最近はこんな風、など時代の変遷もあるでしょうが、私の認識には、単に「おせち」があるだけで、それもおいしいものが重箱に詰まっていたという幼少年時代の思い出はさしてないのです。
それでも、お袋が年の暮れになれば、たつくり、きんぴらごぼう、里芋やちくわの煮しめ、黒豆などを作っていたように思う。それらの多くは多分、本来のものに似せたものではないかと思うのですが、どうもたつくり(にぼしを少し甘く煮詰めたもの、そんな風に思っていた)だけは手が出ませんでした。
いつごろからか、わが兄弟間では、毎年元旦の夕刻から新年会が持ち回りで行われてきました。我が家が当番のときは、きんぴらごぼうを私が作ります。
見よう見まねですから、出来、不出来があります。炒める時の時間と油の量、調味料に出来上がりの味が隠されているような気がします。最初のころは醤油をそのままかけていましたが、最近は昆布だしで、やや濃い目のしょうゆのつゆを用意します。「鷹の爪」がないときはコショウを使ったりしたこともありましたが、これはよくありません。
そうそう牛蒡のきり方ですが、最初は六~七センチくらいで同じ長さに揃えるため、ぶつ切りしていましたが、最近は斜め切りして、筋を切るように切ります。従って、大きさは全くの不揃いになってしまいます。
切った牛蒡は水ですすいだあと、酢を落としてアク抜きをします。三十~四十分くらいでしょうか。炒める時に人参も入れますが、なぜか私は、この人参を先に炒めてから牛蒡を後から入れて炒めます。人参の方が柔らかいから牛蒡よりあとに、というのが普通のようですが、出来上がった人参はなぜか細くしおれた感じになってしまいますので、私は人参をやや太めに切って、その分、長めの時間で炒めるのです。
炒める時間は、火力を中火にして出来るだけ長い時間をかけます。左手にフライパン、右手に長箸でかき混ぜながらですので、結構疲れます。
大掃除
暮れの大掃除もかつては、大変な仕事の一つだったようですが、それは家の造作がそうさせていたと思います。土壁、障子、畳、縁側、古茶けた茶箪笥、露出した電球、蛍光灯、薪を使った竈(くど)、玄関の格子戸、土間、板塀・・・。掃除、模様替えしなならないところはキリがありませんでした。
今といえば、溢れた物を「いかに捨てるか」が第一で、年末のゴミ出しで、清掃(環境事業局)の方の苦労を誘っています。そして捨てきれない物の収納場所に苦労しているのではないでしょうか。
それでも、レンジフードの油落とし・ガスコンロなどの台所回り、吊り下げ型の照明器具の取り外しと洗浄、窓ガラス拭き、ベッドの下あたりの掃除機掛け。子ども、孫がいれば“ちゃんと片付けなさい! ”と声を荒げることもありましょう。
かくいう私は、掃除が好きではありませんから所帯を持ってこのかた、真面目にやったことはありません。殆んどの場合、山積みになった年賀状に一生懸命で、暮れの三十日か三十一日に形ばかりの掃除で、冷たい視線を受け続けています。
年賀状
その年賀状は、私にとって本当に一大出来事で、ピーク時には五〇〇枚に達するほどでした。種類も五~六種類作っていました。制作方法も手書き、印刷屋もありましたが、ガリ版刷り(謄写版)、ファクシミリ印刷、プリントゴッコ、ワープロ、そして今では、パソコンとプリンター。デザインさえ決れば、カラー印刷も手早くできます。
宛名書きは、殆んど手書きにしています。一言の添え書きも心がけます。
そういえば、書ききれず年を越したこともありますし、三十一日の夜半に、年始で一番早く顔を合わせる職場の人たち向けのために、豊明、豊田、岡崎、安城方面まで車で投函しに行ったこともありました。結果は大差ないようでしたが。
餅つき
暮れのもう一つの家内行事は、餅つきでした。貧しいながらもわが家では、近隣の農家の餅つきに便乗させてもらって、餅をついていました。卸し大根で食べるつきたての餅は本当においしかった。きな粉餅、あべかわ餅ができるころは、いくらか、くらし向きがよくなっていたのでしょう。わが家での餅つきをいつか、と思うときがあります。
(雑談の櫂第3号-2008・1・1から)
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