2016年1月31日 (日)

ミニ詩集第9集

  「春よ 来い!」
  2月1日付で発行するミニ詩集第9集「春よ 来い!」
が完成した。昨年の暮れに「さらば2015年」を仮タイトルに第9集を出すつもりでいたが、かなわなかった。政治にも忙しかったのだが、「半主夫」の年末は人並みに忙しい。それにしても「わが詩泉」の枯渇は急速だ。古きものをリニューアル(改作)し、絵の提供を受けるなどして、何らかの素材提供なくして は仕上がらない。中学の同級生の手になる6月の作品展「私たちの足跡展」も創作の動機にはしているが・・・。
 と、あとがきに書いた通り、創作のテンポが遅くなりがち、遅いのはまだいいとしても、仕上がりに新しさがないような気がしている。まあ、趣味の範囲だからそれでも一向に構わないのであるが。
 作品は、詩が8篇と映画評。映画評は、すでに公表済みのドキュメンタリー「厨房男子」。A5サイズで、全12頁。
 詩の新作は、「春よ 来い!」と、絵の提供を受けた詩画の「私の骨董品」「昼下がりのだんご茶屋にて」の計3点。投稿した詩が「つまずく」「歩数計」の2点、6~7年前の詩のリニューアル(改作)が、この季節に合わせた「春田」「汐干寒」「いま二月」の3点であった。

  春よ 来い! 

古希って
いにしえをねがうと書くんだね
思い出ばかりで 未来への夢は少ないのかしら
と 庭先に視線を落としていました

還暦のとき ゴールデンエージと言われ
たくさん見て 聴いて 書きました
古希はプラチナエージと言われ
古希の希は 希少の希かもしれないと・・・

わたしは 世界でただ一つの存在
希少には違いないけれど
みんながみんなそうだから
どんな存在かで違いが出るのかな

仕事 家事 活動の三頭立ての馬車
御者のわたしの綱さばきはどうだっただろう
か細い我が道にも轍があって導かれた
いまわたしは ささやかな轍を残す

春よ 来い! もう一度来い!

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2015年9月12日 (土)

辺野古での工事再開

詩「美ら海・風」
 安保関連法案(戦争法案)の国会審議が大詰めに来ている一方、北関東・東北地方は豪雨に見舞われ、各地で堤防の決壊・洪水、崖崩れなどの大きな被害が出ている。
 そのような重大ニュースがあってはやむを得ないが、政府と沖縄県による集中協議に合わせて1か月間中断していた移設に向けた工事が今朝、強い抗議行動の中で再開した、というニュースの扱いは小さいように思われた。
 当然にも、翁長沖縄県知事は、移設先の埋め立て承認の取り消しを週明けにも表明することだろう。そして、いずれ法廷闘争になっていくのだろうが、その間、工事が止まることはない。とめる方法はないのか。
 ミニ詩集の第8集「美ら海」には、次のようなつぶやきのような詩を載せた。
 
 美(ちゅ)ら海・風

あれから七十年 変わらぬ美ら海

白砂にたわむれる親子
若いカップルが小さな波にたわむれている
ここが沖縄であることを忘れ
穏やかな時間の中でシャッターを切るわたし

艦砲射撃 上陸用舟艇 重装備の海兵隊

この海岸にも
怒涛のように米軍が押し寄せたのであろうか
草むらから 腹を空かせた日本兵が
銃口を向けていたのであろうか

ずっとずっと 忘れてはいけない

見えないけれども 見つめるものがあるはず
聞こえないけれども 聞き取っておくものがあるはず
教えてくれないけれども 知っておくものがあるはず
珊瑚の この土の感触を記憶しておこう

そして この風こそが そのまま
美ら海から使わされた
往時を伝える使者かもしれない
わたしは受け止めきれるでしょうか

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2014年10月 6日 (月)

ミニ詩集第5号「動線」

 活動領域の詩を組む
 台風一過。広島豪雨災害、御嶽山の噴火災害があって、この台風ではやや神経質と思われるくらい、「避難準備情報」「避難勧告」が早めに出された。それはいいことだが、結果として何も起こらなかったとき、次の機会には、‘大したことはない’と気を緩めてしまうことがないとは言えない。そこが危険だと、肝に銘じておきたい。
 さて今朝は、風の音、雨の音を聞きながら、なんとなく気が乗らないまま、昨日からの発送作業の続きに向きあっていた。今回の郵送は、APWSL愛知の季刊誌「Action Report」第13号とわがミニ詩集第5号「動線」の二種類。
 「動線」は、‘わが道を振り返ると、いつかは『労働詩集』をまとめてみたいと思って来た。それは今も変わらないが、労働現場から離れて10数年。『労働』と括れる領域は狭くなった。『活動、闘い』といった方がより近い状況だ。それを『詩的』に表現しようと思いついたのがタイトルの『動線』だがこれも独善かもしれない。’(あとがき)
 ということで、「豊かさのサイクルそして六ヶ所村」(Action Report掲載)「時速五〇〇キロ」(同)は近作だが、以下は、2007年から2010年にかけて「C&Lリンクス」の巻頭詩として書いたもの。いくらか手を入れ、タイトルを変えやものもある。「東京にて」以外は、「自動車詩集」という副題を付けた。カーナビ/連帯/ビラ/魂/機械工場/製図工MとCAD/居酒屋の亡霊  
 いつまでたっても、‘井戸一つ掘る’が如くに、詩想が定まることがない。それなりに続くことがあっても、‘筆を折る’までこのままかもしれない。が、それもよしである。

  豊かさのサイクルそして六ヶ所村

ここは陸奥(みちのく)六ヶ所村
なだらかな緑の山脈(やまなみ)がどこまでも続く  
点在する巨大風車 核燃工場の白い屋根が緑を断ち切る
鉄の門扉の向こう側に警備で生きる人たちがいる

いつ津軽海峡をわたってきたのであろうか
コスモス前線 青の森・六ケ所は色とりどりに
豊沃な地の畔に 庭に 道なりに
トラクターを操る農夫一人を見る

やがて来る白い冬景色
山瀬の風が手を凍えさせる 
豊饒な海の幸をもたらす
漁師たちの毎日がそこにある

 
日本の豊かさを下北の地が支え
下北の豊かさを六ヶ所村が支え
六ヶ所村の豊かさを村民が支え
村民の豊かさを核燃サイクルが支える

日本原燃の潤沢な資金を国民が支えてみな豊か?

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2013年10月 5日 (土)

巻頭詩・残魂漂流物

 何とかものにしたが・・・
 9月24日の本欄で「漂流ガレキが日本へ回帰-震災2年半で太平洋を1周という」を書いたとき、これは詩になると感じていた。また今年3月発行の「Action Report7」の巻頭詩「つながる」とも重なるところがあって、何とかものにしたいと思ってきた。
 最後の1行は、迷い続けて“時間切れ”となった。まとめる段階で修正するかもしれない。

   残魂漂流物

それをガレキと呼ばないでください
被災された人の悲痛な叫び
わたしは 残魂漂流物と名づけた
それでも何か足りないような 他人事のような

北の氷海から北米大陸の西海岸、そして南下
灼熱の北赤道海流に乗って東アジアの沖合
再び黒潮に乗って三陸沖へ
帰ってきたかと岬に立つ

黒潮は椰子の実を運ぶだけでなかった
さらわれた二〇世紀文明の落とし児 
漂うしかなかった残魂
地球のかすかな鳴動の予告を乗せ

いのち尽きれば土に帰る
その営みの中に安堵してきた
漂流する無数の中の
帰らざる人たちを呼び戻せ

核物質も共に漂流している・・・

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2013年9月15日 (日)

“雑談の櫂” は夏枯れ状態

 発行の目途は立たないまま
 四季雑談の会の会誌「雑談の櫂」は、名目上は会誌になっているが、実態は個人誌といえる。これがそもそも発行遅延の原因である。第25号が発行されたのが、5月2日、次号の26号の編集が進んで7月7日発行の予定であったが、完成を見ないまま、参院選に入ってしまい、挙句の果て体調を崩した。
 どこかで“帳尻”を合わさなければならないが、それも体調とパソコン次第、とは言い訳がましくてみっともない限りだ。このままだと、「会誌」という建前を外して、実態に即した「個人誌」として再出発させることになろう。書きたい、出したい、創りたいという気持ちが高まったとき、その時だけに出すという。定期発行とか、従前の通りに、はもうやめにしたいものだ。
 第25号の「四苦八句川柳」では、最近の“投稿句”を載せた。あれから4か月を経て、間違いなく選外となったので、ここに掲載する。
◇医者よりもしつっこく聞いた薬剤師
◇クロマグロ カニ 鰻まで縁が切れ
◇母子二人父親の顔想像し
◇ジージと寝る孫がいいだし明日怖い
◇なぜ多い老人ホームに高級車
◇トイレ中用事いいつけ妻出かけ
◇下駄履けば水虫ですかまた聞かれ
◇なんとなく名古屋走りの安倍総理  
 第1句の「医者よりもしつっこく聞いた薬剤師」の、「しつっこく」は、「しつこく」でいいのだが、「っ」が入ることでやや強い表現となったはずだ。「ねつっこい」という言葉と、まじりあっての表現といえるかもしれない。
 さてこの投句で入選を期待したのは「なんとなく名古屋走りの安倍総理」だったが、これでは“もうひとひねり”がなかったと言えそうだ。「なんとなく」が何となく弱い。「暴走族」と書いて「やつ」と読ませ、「暴走族(やつ)ア然名古屋走りの安倍総理」でどうだろう。リメイクした投句は許されるだろうか。

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2012年3月15日 (木)

詩「風」

 気まぐれではないのだが・・・
 C&Lリンクス愛知・第70号の巻頭詩は、東北の被災地をモチーフにした「風」を書いた。決して気まぐれで書いたり、書かなかったりするわけではないのだが。
 その経過を「巻頭詩点描」に記した。
 巻頭詩点描
 震災、津波の詩を書こうと思ってきた。なかなか書けなかった。わが浅底の泉は枯渇していなかったが濁っていた。透明な目で見ることができなかった。せめてものさざ波のような心境にもなれなかった。
 多くの詩人が、歌人が、俳人が幾千ものを詠んだことだろう、書いたことだろう。花のように爽やかにやさしく、満天の星のように希望をちりばめ、そっと元気づけるような。
 「山脊(やませ)の風」は、東北地方などで、6月ころから夏にかけて、海から陸地に吹く風と言われる。一方「彼岸西風」は、「ひがんにし」と読み、「涅槃西風(ねはんにし)」ともいう。春の彼岸のころ吹く西風だから、「山脊の風」とは反対に、陸地から太平洋に向かって吹く風である。
 漁師たちは風を読み、海の機嫌を窺って漁に出たことだろう。それは今日の糧、明日の希望、未来に向けての漕ぎだしだ。その営みを地震が、津波が全てを奪っていった。まるで現在ばかりでなく、過去の時間までも消し去るように。
 古希を迎えた漁師に残された未来時間には限りがある。だから、現在(いま)が大事で、山ほどの過去は失くしたくはなかった。しかし、自然に逆らうことはできない。失くしたものはまた生み出せばいい、作り出せばいいと、潮風がささやいたに違いない。

    


 山脊の風の吹くころ
 海は荒れても漁はできた 
 波涛を切り裂いて沖へ 明日へ 未来へ
 青い海原 潮しぶき 海鳥のはばたく世界
 
 あの日 水平線が丘のようになって
 あの時間 目が点になり 身は硬直し 足が震えた
 あの一瞬 風を感じた
 あの日 彼岸西風が追い越していったような・・・
 
 舳先が上向いたあとたたきつけられ
 船が一呼吸置くと丘が遠去かって行った
 それは漁港を 家族を 生活を
 一飲みにする巨大な海坊主のうしろ姿 

 無線で叫び続けた 逃げろ! 逃げろ! 逃げろ!
 ブイも防波堤も消え 帰る港はなかった
 それは過去に戻れないかのような現実
 山脊の風よ 彼岸西風よ おまえよ・・・

 潮風が古希の漁師の頬をかすめていった

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2011年10月11日 (火)

震災地に思いやる

  わが青春の詩が思い出された
 3月11日の震災の日は、時々刻々過ぎ去っていく、と感じるのは、現在なお被災の中におられる人たちに思いが及ばない一つの表れだろう。
 私たちは実に多くのことを見聞きしている。そしてその多くを忘れ去っていく。忘れても日常生活に困らないことは構わないし、忘れたいことだってある。(それが意外と忘れられない不思議)
 とすると逆に、忘れてはいけないことも多くあるはず。忘れないためにはそれなりの努力が必要だろう。書きとめる、繰り返し自問する、人と語り合う、映像や録音、講演に接するなどがあろうか。
 夜間高校在学中、全日制、定時制合同の文化祭があって、私の所属した文芸部では、「詩画展」を企画して参加した。1966年の10月のことだった。その時私は、2~3点の作品を寄せた。その時の一作が、「廃墟の中から」で、当時としては、戦災の焼け跡をイメージしたものであったが、東日本大震災と重なるものがあると感じたのでここに書き留めておく。
 ※在学当時の三輪校長は、学徒(まなびと)に、昼間、夜間の隔たりはない、として体育祭、文化祭などの学校行事では、昼間合同で開催していた。

   廃墟の中から

廃墟の中から
野草の若芽が顔を出したよ
紺碧の空をあおぎ
小さな胸をあんなにふくらまして

戦慄の思いは昔
墓標に心寄せ涙ぐみ
春はそこまで来ているかと問うて
風は瓦礫にそよいでいる

仲間よ萌えよ
焼きただれたすべての物の
その黒い廃墟のかげに

そして咲き誇れ

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2011年9月15日 (木)

柴田トヨの第二詩集

 「百歳」を読む
 2010年3月に、第1詩集「くじけないで」を上梓したのは、柴田トヨ99歳の時。そして100歳になって第2詩集、その名もズバリ「百歳」をこの9月に刊行したのだった。
 詩は26篇、そして100年の歩みと写真を添えた、著者の人生アルバムとも言える「ありがとう」を心から伝えたい、というページ、巻末に「詩を書き始める前から日々の暮らしの中で詠んだ心のうた(短歌)」20編が収められている。そんな構成の詩集を一気に読んだ。
 読者アンケートが「好きな詩」を問うていたので、それを意識しながら読み進め、「背負う」(46頁)と「教わる」(52頁)に栞をはさんだ。
 「背負う」は、一人息子への気遣いがまっすぐに伝わってくる。「家中を/ランドセルを背負って/駆けまわっていた健一  あれから 五十八年/あなたは今/何を背負って/いるのかしら」
 息子に勧められ、教えられ90歳を過ぎてから書き始めた詩。今では息子夫婦に支えられて百歳を超えた。
 「教わる」は、3月11日の震災に心を痛めながら書いた詩。「そして今/人生の終わりに/人間のやさしさを/震災で教わったのです  生きていて よかった」
  これは被災した人の詩ではないのです。この開放的で謙虚なまなざしは、どのように育まれたのであろうか、と思わずにはいられない。
  「背負う」の詩に、私の詩集「坂」の中の「月光」を、「教わる」に「揺れる、そしてまた揺れる」(5月28日アップ)を重ねてみたが、「冗舌過ぎたる作詩」は、少々暑苦しいなと苦笑。

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2011年5月21日 (土)

雑談の櫂第22号の巻頭詩

 5か月ぶりの詩作
 22号の編集と印刷がようやく終えた。最後のところで足踏みをしたのが巻頭詩だった。「雑談の櫂」の巻頭詩は昨年12月11日号以来、「C&Lリンクス愛知」の巻頭詩は昨年の12月15日号であったから、5か月ぶりの詩作となった。基本的には、季節(季語)がテーマであったが、今回は、やはり、震災をテーマから外せなかった。

  揺れる そしてまた揺れる

陸奥(みちのく)の春は遅い
係留された漁船たちは午睡の中
揺れて長い小山のような波の訪問
陸中の海岸を沈めた三月十一日

揺れて崩れてハイカーは林道に消えた
揺れてのまれて自転車は主を失くした
揺れて崩れて子どもたちの未来は消えた
揺れてのまれて主を失くしたペットたち

忘れない一月二十六日のこと
霧島連山新燃岳が火を噴いたこと
忘れない宮崎の青年団の
東日本へ炊き出し野菜の贈り物

薫風が薄紫の藤を揺らしている
しだれる花枝が列島のよう
揺れて散る花弁が泪のよう
揺れ 泪を見たのは私だけであろうか

東風(こち)来る 揺れて噴いても 自然の中(ありのまま)

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2010年11月21日 (日)

俳句手始め・5

 本格的なものでなくてもいい
  短詩形文学は、思いつきやひらめきで付き合える要素が多いこともあって、私も何かと手を出している。その発表の場は、主として「雑談の櫂」である。しかし、少ない字数の中に情景や思いや感嘆を織り込むことになるので、例えば俳句の「575」の字並べだけならまだしも、「作品」として仕上げようとすると、とたんに水をつかむような感じになってしまう。
  詩、川柳、段駄羅に手を染め、短歌はそのうちにと思っていたが、ふと俳句に踏み込んでしまった。そして、まさに「手始め」の俳句として、というか字並べの「575」であるが、これまでのものすべて、「運動」を詠んだもの、織り込んだものある。「花鳥風月」とは縁遠い。
 以下の3句は、「雑談の櫂第19号」掲載のものである。そのうち「アジテーターの 口元に咲く 彼岸花」は、壇上での若きリーダーの、その口元からほと走るアジテーションが、まるで彼岸花の、真紅で燃え盛る炎のようにも見えた様子を伝えたかったのであるが、単純だからわかってはもらえるだろう。
 だが、わかってもらえるだけでは及第点はもらえそうにない。もう一つ背景というか、奥行きを出す表現はないだろうかと、思いを巡らしてみた。いろいろ組み合わせたり、言葉を着せかえたりしてみたが、結局もとのままがいいということになってしまった。どなたかに批評、指導してもらうのが一番であるが、そこまでの気持ちがないところがダメの根源であろう。
 それはそれとして、「燃え盛る炎」のようなアジテーションなど、この何十年来聞いたことがない。今思い返すのは、1970年代初頭、東京で開催された「狭山事件」に関する集会だったと思うが、そこでの、部落解放同盟の幹部のアジテーションである。演壇の近くで、その横顔を見ながら聞き入っていたが、まさに炎のごとく言葉が連射されていた。こんなものが下敷きにあったかもしれず、懐古趣味の陳腐なものなのだろう。それでもまあ、本格的なものでなくてもいい、こんなものでも構わないのだ、私の発句は、と思って書いている。

  糾弾の ビラにコスモス 舗道(みち)に舞い

  老活動家(ベテラン)を 見て過ぎる娘(こ)は ススキ持ち

  アジテーターの 口元に咲く 彼岸花

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