2007年11月 9日 (金)

コラム「結」2007年11月

“有終 ”ということは?
 終りを全うする
 〈有終の美〉とは、最後までやり通し立派な成果をあげること、と広辞苑に書いてある。だが「最後」とはどこか、「立派な成果」とはどんなことなのか、と理屈をこねてみたい気もするが、評価は他者に任せるとして “幕引き ”を曖昧にしないことではないだろうか。
 「終りを全うする」に越したことはないが、どれほどのものか、と思うけれども、卑屈な気持ちはよくないだろう。
 その “終り方 ”にしても、ものごと「一事完結型」と「局面転換型」「継承的終結型」があると思われ、例えば、人間個人の一生は「一事完結型」であろうが、政治などは「局面転換型」で、世事の多くは「継承的終結型」であろうと思われる。
 課題は継承され、運動は終結する
 愛知万博に反対する運動の一端を担った「緑ネット」をはじめ多くの運動体は、愛知万博が終了することによって、目標対象物がなくなったわけだから「一事完結型」ともいえる。
 元々市民運動、住民運動は、一つの課題のために組織され、形がどうであれ課題としていたことが終れば、その運動体も解散して運動に終止符を打つべきであろうと私は考える。
 しかし、内実としての課題、例えば愛知万博の場合、「自然保護、環境問題」「財政問題、税金の使い方」「住民自治、県民の意思決定権」は、万博特有のものとばかりはいえないもので、他の行政課題と重なり、継承される内容でもある。
 結局、愛知万博反対運動の場合、「内実は継承され、運動体は終結する」ということにならないだろうか。
 「緑ネット」を拠点として、反万博運動への積極的な参加と、問題提起、それらについての情報発信を続けて九年余、私の認識では、2回の条例制定直接請求の署名活動と一九九九年の愛知県知事選挙で、実質的な運動の峠は越えたと感じていた。それ以降は、大まかに言えば「課題の継承」と「終りを全うする」運動の成果を検証する領域ではなかったかと思っている。
 「緑ネット」の更新
 もう少し「緑ネット」にこだわると、2005年7月20日付で発行した第55号から、発行と編集方針を変えた。つまり、この時点で万博終了後を見越して年8号の定期発行、増ページで購読費は2千円に。愛知万博の検証を継続しつつ、社会的課題、労働運動に誌面を割き、加えて「緑区の地域記事」を盛り込んだ。表紙の巻頭詩もこの号から始まった。愛知万博を課題とする「市民運動誌」から、緑区に軸足を置きつつ、「ミニコミ誌」へ脱皮を図ったというわけだ。
 このように “サイドステップ ”を踏んだのは、「内実の継承」と、運動の一過性を避けたい、どんな運動にも政治・社会性つながっているという「意識の継承」面からでもあったといえる。 
 表紙・タイトル横に小さく、それまでの〈お知らせレター〉から〈自然・社会・生活(くらし)〉と置き換えたことは、編集の基軸が換わったことの意思表示だった。これらの評価はともかく、私は「ミニコミ誌」として発信し続けることに自負を持って臨んだ。
 
ともあれ “有終の美 ”が飾れたかどうかは定かでないが、今号をもって終刊となる「緑ネット」の、読者のみなさんに感謝しつつ、筆を置く。(10月19日記)
    〈「緑ネット・第79号」2007年11月1日から〉

 嬉しい贈り物
 昨夜、3人の方の連名で豪華な薔薇の花束が届いた。
 日ごろ、あまりこういった経験のない私であるが、この花束を送ってくれた方々の気持ちを察するに、緑ネット終刊にあたって「ご苦労さま」という意味が込められたものと感じ取った。
 終刊号へ寄稿して戴いたみなさんといい、このようなお花を頂戴するなど、嬉しい限り。「十年(とおとせ)の実りネットから小さな芽」(四コマ漫画)が、現実に飛び出してきた感じでした。
 この人たちは、誰にも負けないほど「海上の森」を大事に思ってきた人たちだ。終刊号の巻頭詩「想秋の昴」の第一連は、この人たちをイメージしていたことを記しておきたい。
 パリのBIE総会参加への旅費のカンパ、意見広告のときの応募、知事選挙のカンパなど、折々に多額のカンパを送って戴いたりして、こちらこそが随分支援を戴いていたから、恐縮するばかりである。ありがとう。 
     

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2007年9月12日 (水)

「結」2007年9月

 ここ一番の勝負どころ
 “三英傑 ”の場合
 カレーハウスの宣伝をするつもりはないが、人には大なり小なり「ここ一番」の勝負どころがあると思う。それを自覚するか否かもまた、「勝負の分かれ目」であろう。
 戦国の“三英傑 ”信長、秀吉、家康の「ここ一番」は、それぞれ「桶狭間・田楽狭間の戦い」「中国大返し」「関ヶ原の合戦」ではなかったろうか。
 それぞれには知略・決断力があったと思うが、“即断力 ”では信長、“ひらめき ”という点では秀吉が光る。“深謀遠慮 ”では家康であろう。同時に、当時としては、その大将(お屋形)の決断が決定的であったが、それらの側近の存在もまた大きかったのではないだろうか。
 知事選、市長選の場合
 今年に入って、知事選に立候補した石田芳弘さん、市長選に立候補した白井えり子さんも「ここ一番」と思って決断したことであろう。長い議員、首長経験からもう一つ広い世界へ飛び出そうとしたが、結果は“吉 ”とはならなかった。
 風に乗りきれず、浮力をつかみ損ねた面もあるし、いま少し“深謀遠慮 ”が足りなかった面もあろう。それもあったに違いないが、今の時代、戦国の世とは違うから、大将だけの知略・決断力だけでは、組織戦、情報戦には対処できない面も多々ある。側近、即ちブレーンによるところも大きいのではないかと思う。
 石田さんのブレーン、白井さんのブレーンがどうであったかは知らないし、この説が当てはまるかどうかも一概に言えないかもしれない。従ってあくまで一般論であり、経営者にもいえることであるが、とりわけ昨今の政治の世界では、じっくりとブレーンを募って育て、陣形を作っていく“深謀遠慮 ”を重ねた上、「ここ一番」の勝負どころの感を働かせる器用さが必要ではあるまいか。
 もっとも、宮崎県知事選挙(東国原)、長崎市長選挙(田上)のように、“ひらめき ”と集中力で即戦的勝負で勝を呼び込むこともままあるが、私の見るところ、それらも、日ごろの練磨と“機会あらば ”という直視力があればこそ、ではないかと思う。
 詳述はできないが今回の参議院選挙を、このような視点から検証してみると、安倍与党が大敗を喫した背景、小沢民主が大幅な議席増を果たした根拠もある程度解明できるのではないだろうか。
 大将たる安倍の器、内閣それ自体の危機管理、その内閣を構成する大臣即ちブレーンの能力。参院選は、衆議院と違って、解散総選挙に打って出る「ここ一番の勝負どころ」を選べないから、やはり小沢が描いた争点と「一人区決戦」が「勝負どころ」となった。
 三~四年後を見据え
 ひるがえって、石田、白井両氏に四年後があるかどうか定かではないが、あるとすれば、それはリベンジであるから“ここ一番 ”の勝負ではなく、三~四年後を見据えた“深謀遠慮 ”と、ブレーンの構成如何に関わるのではないだろうか。
 そしてそれは、仲間内、組織内だけの、密室に近い、あるいは“選挙プロ ”にだけ委ねられるものではなく、端的にいえば、自ら身を置いての、在野の運動の中から生み出されることがポイントであることも、付け加えておきたいことである。
 解散総選挙、名古屋市長選挙、ここ一番を誰が演ずるか。
 
<「緑ネット・第78号」2007年9月1日から>

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2007年7月11日 (水)

「結」2007年7月

   女性首長の誕生に期待する
 三〇年前に・・・

 一九七九年の選挙だったと思うが、愛知県知事選挙に市民派の候補者として、女性のMさんを擁立しようという動きが、かなり具体的に進展していた。本人は相当迷っていたようだが、私には五分五分のように思われた。
 結局この構想は実現しなかったが、私は末席にいて、官僚政治、男性社会、行政機構の想像力の欠如などを見抜いて、実力派のMさんに白羽の矢を立てたその発想自体に目を見張った。当時私は、労働運動の世界に身を置いていたが、政治的関心から市民運動にも顔を出すようになっていた。そこでこの地にあった、そのような市民派の底力を率直に感じたものだった。後の愛知万博反対運動に繋がるきっかけの一つになったのは確かだ。
 選挙の結果は難しかったかもしれないが、“全国初の女性知事 ”という「夢」を描いたことの意味は大きい。
 日進市長選挙のゆくえ
 さて、来る七月十五日告示、二十二日投票の日進市長選挙に、前市議の白井えり子さんが立候補する。当選すれば、県下初の市長となる。知事と市長の違いがあるが、三十年来の夢が実現しそうで、結果などわからない今でも、なんかたまらなく嬉しくなる。
 現在、全国に女性知事は五人いるが、市長はどうかと言うと検索によればなんと八人だけである。三鷹、平塚、鎌倉、木津川、尼崎、福岡、五島、沖縄の八市である。その業績、手腕は知り得ていないが、かくも女性市長が少ないのは、最初から「女が・・・」と言う固定観念・認識が今も凝り固まっているからだろう。だが、都会ばかりではなく長崎・五島市の例もあるから、少しづつ、女性首長に対する違和感が薄れてきているとも言える。
 難しい舵取り、議会との対応
 四月の東京国立市の市長選挙では、現職の上原公子市長が、詳細は知らないが、議会との対立を理由に立候補しなかったという。
 白井市長が実現しても、議会では少数与党であり、今からその苦労が察せられる。先ごろも、市の施設の、指定管理者選定の議案が少数で否決された。本会議では9対15と、以前に比べれば接近した数字と思われるが、自公(保守派)の抵抗は強いようである。
 当選もしていないのにそれは“とらぬ狸の皮算用 ”と揶揄されそうだが、私は今も「夢の中にいる」から、先へ先へといくことができる。

 内外の応援団が必要
 そこで、“白井市長 ”を応援する仕掛けが必要である。私は、別掲で「共に地方自治を考える会」を提案した。八月二十六日投票の長久手町長選挙に大島令子さんが立候補するが、そうした首長、議員に女性がどんどん進出し、過去のしがらみ、惰性を排する雰囲気が広がれば、地方議会でも、多数派・多数決だから、という議会運営から、少数意見も正当に扱われる議会に変っていくかもしれない。だから、議会の内外で「地方自治・地方分権、議会・議員のあり方」を考え、行動する運動が必要だと思うのである。
 愛知の市民運動の底力が、再び求められる状況になるかもしれない、そんな一面も感じる、日進市長選挙なのである。
 【注】日進市長選挙は、7月15日告示、22日投票で、即日開票。白井さんを含め3人が立候補予定。

 <「緑ネット・第77号」2007年7月7日から>

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2007年5月 2日 (水)

「結」2007年5月

  政治の一貫性、継続性     
 「老兵たちのフォーラム」という風変わりな名前の会合に参加しているが、ある時、ある人が「敵ながらあっぱれ」の例として、自由民主党、小泉純一郎前首相、トヨタ自動車の三つを挙げた。恐らくそこに参加していた人すべてが、賛否こもごも、持論を展開する用意はしたであろうけれども、その日のテーマではないから聞き流していた。私はそのようにいい得るものを持ち合わせていないから、「あっぱれ」という言葉で彼らを形容するには使えないし、「敵」には贈りたくない言葉だなあ、とやや卑屈になっていた。
 しかし考えてみた。幾度か離合集散はあったとはいえその「自民党」は、結党後からこんにちまで政権を維持してきた。
 ただ、一九九三年に細川護煕内閣が発足した時、初めて野党となった。しかし一年を経ずして、どんな裏工作をしたかは知らないが、社会党と新党さきがけを抱き込んで連立政権(村山内閣)に復帰した。その村山を追い込んで一九九六年には橋本内閣を誕生させた。その後も自由党、公明党と連立を組み、政権基盤の補完、強化にこれ努めている。このしたたかさをもって「あっぱれ」というのであろう。
 野党、在野はどうか
 そのように日米安保同盟、軍備増強、靖国参拝、改憲路線を堅持する自民党を政権に据えているのは、ほかならぬ有権者ではあるが、野党、在野勢力が、時の政権との綱引きに負けた結果でもある。だから、なぜ負けたが問われる。
 一言でいうと、個別的にみれば、力のある、光るものをもった集団の塊であっても、綱を引く際、全く息が合わないのである。てんでばらばらという一貫性、継続性を欠いてきたスキを突かれて引きずり倒されてきたのがこれまでの歴史ではなかったか。
 憲法改悪が日程にのぼった今も
 与党が日程にのせた憲法改悪の進行具合は、残念ながら“極めて順調”である。今年七月二十二日投票予定の参院選挙が、「憲法改正」の大きなヤマバになるであろうことがわかっていながら、その前哨戦ともいえる沖縄知事選挙で取りこぼし、愛知県知事選挙で敗れ、都知事選挙でも敗れた。四月二十二日の参院補選・沖縄で再び敗れ、統一地方選挙も決定的なものにはなりえなかった。
 なぜ敗れたかの説明は一概に言えないとしても、与党候補に対する野党も在野勢力も一枚岩の結束、集中力不足だろう。
 “市民力 ”の衰退こそが危機!
 各級選挙が「護憲・平和」運動の全てではないが、一部を構成しているのは事実である。街頭や国会とその周辺でのデモンストレーションは、市民にとって運動の大きな要である。だが議会制度の下にある以上、そこが国政など権力起動の場所なのである。
 その意味では、国政に関わる諸問題は、政党との関係性もまた無視出来ないが、要は「市民力・労働者の力」の衰退こそが、憲法問題、平和運動の危機なのだ。にもかかわらず、市民運動にみられる個別対応、部分参加で断続的、いわば“力の分散化”はなんとかしたいものである。
 参院選を一つの契機として、内堀を超えて侵入してくる日の丸の鉢巻に黒装束の敵から、憲法という天守閣、しいては平和を守りきれるか。まなじりを決して今一度私たちは立てるか。(ば)

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2007年3月 1日 (木)

「結」2007年3月

“老 域 ”を考える
    社会的な総枠 
 いわゆる“団塊の世代 ”が、私(たち)の後ろから押し寄せて来るらしい。「押し寄せる」も何もこれまでと変わりあるものか、と思う一方、六十歳以上の“老域 ”が、無限の領域とは思えない気がしてくるのである。
 目に見えるものとしては、年金額の削減、医療費の増加、税負担であり、行政サービスも先細り傾向である。これらは社会的“老域 ”に総枠があることを示している。
 直接的でないものとしては、介護や生活介助のボランテア、高齢者向け諸講座枠からのはみ出し、子供たちの年金、保険、諸税など社会的負担増の、親への跳ね返りが考えられる。
    自発性と他発性
 「六〇代はゴールデンエージ、七〇代はプラチナエイジ」とは、シンガーソングライターの横井久美子がよく口にする言葉であるが、彼女を見ていればなるほどと思う。
 だがそれは、内なる活性のなせる業で、炬燵に入ってテレビばかり見ているようでは、自ら発して光り輝くことはない。これら自発性なき高齢者が多数ではあるまいか。
 一方、自立・自発、行動性をもってしても、昨今の急速な時代状況の変化に取り残される高齢者も多いのではないかと推測してしまう。高学歴者、高役職者の方大丈夫ですか?
 とはいえ、こんな状況でも生き抜く知恵を持つのが人間というものである。仮に自ら発する知恵、能力が足りなくても、他者から照射されて光り輝くこともある。例えれば、「月」がその代表例であろう。
 “老域 ”に入った私(たち)は、自発的に光り輝くことがベストであろうが、何がしかの媒体を通して、互いに“照射”しあうことで輝きを得ることが出来ると考えるのが近道かもしれない。
    “媒体 ”も簡単ではないが
 もっとも、他者と交わることが億劫になるのもまた高齢者の特徴の一つといわれるから、どんな形、場所、相手、内容で相互関係を作るかは簡単ではないし一様でもない。
 親子、夫婦関係からが手始めであるが、私たちの世代は兄弟姉妹が多い。親が他界しても兄、姉が介護を受ける年齢にかかりつつあることを考えると、まず親族のよしみも身近な一つである。
 わが家では今年、孫の成長もあって、義弟宅での四家族合同・雛祭りの「おこしもの」づくりに初めて参加した。近い将来「もちつき」を復活させようと相談している。
    趣味・同好もいいが
 当然、趣味や同好の集いというものもある。しかしこの種のものは人間関係で躓くことが多いとも聞く。ちょっとしたいさかいで逆に“閉じこもり ”になっては元も子もない。いいリーダーに出会えれば幸運というものかもしれない。
    運動に関わった者の場合
 では、市民運動や労働運動に携わってきた者はどうすればいいのだろうか。それは“お節介 ”といわれかねないが、今私はそれに直面している。「持続性の束縛、先駆性の自覚、多感性の受容」からの解放をもって“転進先 ”を模索、と気取っているが、分厚く張り詰めた氷海に乗り入れる砕氷船になれるだろうか。
 
(緑ネット第75号・2007年3月1日から)

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2007年1月 9日 (火)

コラム“結”07選挙イヤーに思う

     中央政治に風穴を
            地方政治に新風を

 
 二〇〇七年は、四月に統一地方選挙があり、七月ころに参院選挙がある。その間に、統一日から外れた首長、議会議員選挙がある。ひょっとして、参院選挙の結果や教育基本法、防衛省昇格法、イラク特措法延長に加えて、共謀罪、国民投票法などの悪法の成立、増税案、年金改革など“格差拡大政策 ”による安倍内閣の“失政 ”があったりして、解散総選挙があるかも知れない。少なくとも、「安倍内閣打倒、解散総選挙運動」を起こさないと、いよいよ「憲法改悪」があっという間に行われてしまうかもしれない。そのように考えることは、もはや予測でも杞憂でもない、現実問題である。
 ここに中央政治に風穴を明ける、首都圏中央行動と連携した、地方政治での攻防戦がその前哨戦としてある。
 つまり、二〇〇七年二月四日の愛知県知事選挙は、大型公共事業・国家プロジェクト型地方政治から訣別して、地方自治といえる「住民本意の県政」に転換するなかで、中央政治に風穴を明けるまたとない機会である。
 市民派の行動を促す
 この秋の市民運動の行動は、「イラク戦争反対」「沖縄米軍基地撤去・辺野古新基地反対」そして「教育基本法改悪反対」がその代表的なものであったろう。
 だがその闘いは、残念なことに功を奏していない。この先も集会・デモ、講演会などを続けていくのであろうが、その一方で「選挙」には、とんと関心がないように思えるのだが、実際のところはどうなんだろう。この市民運動の選挙との「断絶」が気になる。双方は必ずしもイコールではないし「密接不可分」とも言い難いかもしれないが、教育基本法もイラク特措法の延長も国会で決まって施行されるという現実がある。
 いまは、与党が絶対的多数を占めているから、院外闘争こそが最有力な運動手段であることは間違いない。それゆえ、選挙を含め他の運動に与力、合流する余力はなく、その継続と拡大に重きを置くことは理解できるところである。
 ただ、選挙は限定された期間であること、賭けかもしれないが、勝てば得るものは多いし、運動領域を広げる機会も多くなるという利点があると思っている。そして、広く県民に訴えていく有力な機会でもある。
 石田芳弘さんを知事に!平和の風愛知・勝手連
 去る十二月十七日、石田応援団の勝手連のネットワークをめざす「あゆちの風アイネット」が発足し、形は整いつつあるが、実体作りはむしろこれからである。
 二〇〇七年の参院選挙で「平和の共同候補」を持って闘おうとして結成された「平和の風愛知」は、いま、その持てる力を知事選挙に振り向けようとしている。この選挙で与党候補に勝つことは、この愛知に地方自治としての新風を吹き込むと共に、中央政治に風穴をあけることになるとの認識があるからである。
 在野の運動の間で、そうした行動や政治的・運動的感覚に違いがあるとしても、政府自民党=改憲勢力は、戦争参加・米国追従・格差拡大の“悪しき国づくり ”を進めるであろうから、私たちは運動面での連携、合流の模索は必要ではないだろうか。
 アイネット集会は一月十五日、投票日は二月四日 
<緑ネット・第74号(2007年1月1日)から>

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2006年11月 1日 (水)

“費用弁償 ”とは何か

     議会、議員は特別か
   「名古屋市議会議員報酬は月額九十九万円、ボーナス年間約四百五十万円、政務調査費一人月五十五万円が全員に支給されています。また委員会や議会に出ると、わずか五分の委員会でも、出席すれば日当一万円の【費用弁償】が支給されます。民間の会社で、どこに給料のほかに出社手当!を出す会社があるのでしょうか。」(政務調査費の情報公開を求める名古屋市民の会のチラシから)
 恐らく支給を始めた当初には、それらしき根拠があったと思われるが、こんな愚の骨頂とも言える実態が存在し続けているのは、議会自身が自浄作用も時代感覚もない、まして改革精神など、あっても絵空事程度の“伏魔殿 ”になっているからではないか。それに加えて、有権者の側に、議会、議員というのは別世界という感覚、特別視があるように思われるがどうか。議員を「先生」などと呼ぶところにその一端が伺われる。その相互関係が現在に至っているともいえよう。
 もちろん議員全てがそうだとはいわない。早くからそれに気づいて問題を指摘して、何がしかの実践をした議員もいる。
 古くは、議員報酬の増額を“お手盛り ”だとして、初当選した年の報酬額以上の増額分を法務局に「供託」して受け取りを拒否し続けた議員もいた。
    政務調査費
  「市民の会」が旧名「調査研究費」について、無税の上、使途不明、報告義務なし、多額という実態に問題提起をして十年になるといわれている。その運動の成果もあってようやく、「領収書」の添付へと動き出そうとしているが、これすら抵抗は根強い。しかもその「領収書」さえつければいいというものではない。政務に関わる調査、研究、報告がどんな内容なのか、市民の側が検証するところまで行き着いて始めて、支給の根拠、支給額が認知されることになる。その道のりはまだ遠いようである。
         議員の仕事
  行政と議会と議員、そして有権者(市民運動)の関係や役割について、私には正解を見つけてうまく説明することができない。説明できないが、それらの領域に立ち入って部分的ではあるが実態を垣間見てきた。その限りでは、議員報酬や手当ての類いの多い少ないは一概には言えないし、そうした観点から捉えるのは誤解や相互不信を招くのではないかとすら思った。
  一方議員を、弁護士のようにある「職業」に分類することは不可能だとも思った。つまり、原則論からいえば、この社会に存在する知識、法律、職業から歴史、慣習、言語などの実態を把握していないと有権者の求めることに応えられない。超人的能力を求められる存在である。もちろん一人の人間がそれをなしうることなど不可能に近い。だから、会派をつくって相互補完を図ったり、秘書・事務員やブレーンを置いて、足らざるところを補完することになる。そのための人件費・調査研究費なら必要を認めよう。
  また、議員といえでも生活があって、嗜好もいろいろあろうからその諸費用を手当てすることも当然といっていい。
  このように考えた上で私は、議員というのは、特権階級ではないが、一市民・有権者とも違う識見と、自覚・感性、能力・実行力を求められている存在だと思う。かなりハードで高度な能力発揮が求められる存在である。そこがどうも曖昧になっている
 
<「緑ネット・第73号」2006・11・01から>

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2006年9月 3日 (日)

「結」投書の署名、匿名

  ミニコミ誌と共に
 「緑ネット」のホームページは、九月一杯で閉鎖することにしている。「日録」以外の更新が途絶えて久しいが、この時期を選んだのは、博覧会協会が解散すると聞いているからである。
 一九九八年に「緑ネット」が結成されミニコミ誌を発刊、そして、このホームページが立ち上がったのは二〇〇〇年十月頃であろうか。以来約六年間、主として「愛知万博関連情報」を誌とセットで発信してきたが、その内容が万博関係から、「自然・社会・生活」をキーワードに、政治・社会と地域運動、地域情報、くらし・文化に軸足を移していることから、既に新たな領域へ移行して来た背景がある。
 しかしながら、もし、このホームページの管理を引き継ぐ人材を得ていたなら、内容の変化に合わせ、もっと工夫を凝らしたホームページへと、道が拓かれたかも知れないが、その機会は得られなかった。
  匿名投書でもよい
 さて、ホームページの「掲示板」は、匿名で自由な書き込みができるとあってか、乱暴な投書が実に多かった。最初は注意深く読んでいたが、どうやら同一人物らしき、常連の投   稿魔らしいとわかってきたので、放置するか削除を依頼した。
 本来、投書、壁新聞、落書き、落首は、「匿名」で構わない、というよりそうしたものといえる。構わないという意味は、単なるいたずら書き、人を貶めるだけのもの、他者を装うものなどは除外されることはいうまでもない。しかし、それとて結局「読み手」の側が、どう受け止めるかの問題であろう。
 一つの言葉、一つのフレーズ、ある告発、それが人の心、感性を揺さぶれば、放っておいても広がり、高まり、方向付けるであろうし、そうでなければ、風雨に打たれ朽ち果てる。
  署名入りの場合
 私が文書を書く場合、基本的には署名を入れる。
 私は、署名を入れる以上、いわゆる「文責」の自覚はある。しかし、職業としては書いていないし、「社会的責任」を問われる立場でもない、というもう一つの自覚があって、署名による自縄自縛からは逃れたいと思っているが、これは“甘え ”だろうか。
 もちろん熟慮した上で、その正否を自覚して持論を展開するわけだが、仮に批判を受けたとしても、その段階で自己検証して、誤りに気付けば訂正すればいい。周囲の反応を気遣うばかりに、沈黙または控えてしまうよりまず発言、発議が先ではないか、こういう姿勢は許されないのだろうか。
 私の「発言」がしばしば、攻撃的で批判的過ぎるという忠告を戴くが、文章ではそれがあまり出ていないとすれば、やっぱりどこかで自己規制していることになる。
 ともあれ、この「緑ネット」は、社会の街角に置かれた小さいけれども、「掲示板」でもあるから、多くの人の目に触れられたいものだ。落首、落書き、大いに結構である。(緑ネット第72号/2006年9月1日)

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2006年7月 6日 (木)

コラム「結」-2006年7月

 介護・終末の周辺
 
 「町づくり考」の六回目(第62号・2006年6月)で「福祉」を取り上げ、課題別7項目の一つに「介護」を取り上げた。以来「介護・終末医療」に少なからず関心を持ってきたが、映画「蕨野行」の上映会の準備過程を通して、地元の山口医師の話を聞くにつれ、様々なことが思い浮かぶようになった。
 そのことから、つい最近気がついたことがある。恐らく、こんなことは早くから論じられてきたことであろうが、恥ずかしいことに私は今になって気がついた。
 というのは、「介護」「終末医療と終末の迎え方」について、「介護する側の問題」も幾多あることはわかっていた。しかし、問題意識としては、いわば、高齢者特有の問題、当事者は高齢者、という認識が強くあったのである。
 子どもたちの幸せを願い、土地、家を持たせて「自立」させた“戦後世代 ”の人も多かろう。しかし、そうした二世代、三世代が同居する時代から「核家族化」が広がった結果、その子どもたちは、「快適な生活」のために、子どもは一人しかつくらない。それらが「老人世帯」の増加を促してしまった・・・。
 いや子どもつくらない理由はそんな“経済負担 ”や“遊び ”だけという、単純なことだけではあるまい。女性は家事・育児だけ、でなく働くこと、社会活動への参加もあるだろうし、ものの価値観が家族を含む「人と人のつながり」を重視するものから、物やお金を基準とする価値観へ、他人と行動を共にする意味が後退して、個人、個室の領域に安息する気風。まだ違うかなあ。世界の中の日本、日本の中の地域、地域社会の中の一人としての自分という、「世界観」の喪失・・・。
 もし、親と子ども夫婦、孫の三代同居ができるとしたら、この「介護・終末」の状況はかなり違ってきはしないだろうか、という気がするのである。
 幾つかの問題があることは確かである。住居の空間の問題もあるし、嫁(婿)と舅、姑の問題は普遍的にあろう。若夫婦が第二子、第三子を生むことは強制できないし、女性(嫁)に外で働く意欲がある場合どうするのか・・・。
 とはいえ、一例を挙げれば、50坪の家、親子二軒を60坪の家一軒で、光熱費、食費も、車も共用する生活。“こじんまりとした生活 ”は、この先の価値観になるだろうし、会話があれば、相通ずるものも生まれてくるだろうと。

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