老兵たちのフォーラム10月例会・3
先輩-老兵たち歩いてきた道
それぞれがテーマに沿って15分程度の「自分の歩んできた道」を語ってくれた。
しかし、話を聞いている途中から、最初はメモをとっていたが、話に身が入らなくなっている自分に気がついた。ほとんど聞き流してしまった。文章にしてくれた人は、今になっても幾らか思い出すことができるが、私の設定した「自問自答」に沿って、話された方の内容はほとんど記憶されていなかった。
やはり私生活部分に触れるには、こうしたオープンの場が果たしてふさわしいのか、というのが第1で、それも、自分の場合はいいとしても、人の話は“聞きづらい”のであった。この場にいる人殆んどが、自ら選んだ道・人生を肯定し、確信しているようなので、我が身を突き放して、もう一つの人生がなかったかどうか、という視点が弱いから、話が偏りがちになると感じたのだ。
そうすると、私自身がどうだったかという問いが繰り返されて、「このテーマは、失敗だったかな」そんな風に思えてきて、みなさんの話に集中できなかったようなのだ。
さて、教員であった人は、著書の中の一部から「私の詩教育」というのを引き出して、それは多分、自らの、ものの見方、感じ方を披露するためだったようだ。視点を変えて話されたのは、私的部分を避けられたのかもしれない。
もう一人の方は、これまで、様々なところで書き綴られたものを集められて、冊子としてお配りになった。系統的で、網羅的で、着眼の良さを感じさせた。そこでの「75歳の人生語録」を読むと、これは内に秘めておいた方がいいような気がした。まあ“露出の是非”だからいい悪いということではない。公衆浴場で、前にタオルをかざすかかざさないかの違いか。(私の「3頭立ての馬車」がこれに類するかな・・・)
その業界で成功されたという先輩は、文書にして語ってくれた。経営者的価値観、国家論などでは、どう見ても私の対極におられるので、話の途中でしばしば、聞き耳を塞ぎたくなる経験がこれまで幾度もあった。多分“お互い様”ではあろうが。メモには、設問に沿って書かれていた。そして最後に、自作の「追悼の辞」を披露されたが、この方の人生が凝縮されていたのはいうまでもない。ということで、企業人多々おられども、きっと特異な存在なのだと改めて知った。
総評・中立労連・連合の労働組合を歩いてこられ、かなりの役職に就かれた方は二人おられる。労使という関係でいえば前者の方と対極にあると考えられるが、私から見たこの方たちの領域は「労使協調路線」という世界で、批判すべき対象である。しかし、このような場におられること自体が、私の規定する認識が当てはまらないのは言うまでもない。
お二人は、当然ながら、同じような道を歩きながらその価値観、生き方、この先のことなどに関する認識は違っておられた。慎重に聞いたつもりであった。それは、私が労働組合の指導的な道を歩むことがあったなら、どんなになっていただろうという空想をかき立てるからでもあった。
そして、片や現実の政治、社会の問題にかかわり続けようとする姿勢が伺われ、片やそのような領域を超えたお歳となられ、既に30冊になる著作に引き続く、構想豊な執筆に意欲を燃やす姿勢双方に魅力を感じた。
このフォーラムが、研究や評論、思いつきの感想だけの世界でなく、一度は現場に足を置いた、そして今なお、政治、社会、歴史、文化、労働などに関心を払いつつ、持論を組み立てる姿勢が貫かれるなら、そして、相互に刺激し合え、より広い世界を求め合うなら、それぞれ健康の許す限り続いていくのではないだろうか。 了。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


最近のコメント