2009年10月 9日 (金)

老兵たちのフォーラム10月例会・3

 先輩-老兵たち歩いてきた道
 それぞれがテーマに沿って15分程度の「自分の歩んできた道」を語ってくれた。
 しかし、話を聞いている途中から、最初はメモをとっていたが、話に身が入らなくなっている自分に気がついた。ほとんど聞き流してしまった。文章にしてくれた人は、今になっても幾らか思い出すことができるが、私の設定した「自問自答」に沿って、話された方の内容はほとんど記憶されていなかった。
 やはり私生活部分に触れるには、こうしたオープンの場が果たしてふさわしいのか、というのが第1で、それも、自分の場合はいいとしても、人の話は“聞きづらい”のであった。この場にいる人殆んどが、自ら選んだ道・人生を肯定し、確信しているようなので、我が身を突き放して、もう一つの人生がなかったかどうか、という視点が弱いから、話が偏りがちになると感じたのだ。
 そうすると、私自身がどうだったかという問いが繰り返されて、「このテーマは、失敗だったかな」そんな風に思えてきて、みなさんの話に集中できなかったようなのだ。
 さて、教員であった人は、著書の中の一部から「私の詩教育」というのを引き出して、それは多分、自らの、ものの見方、感じ方を披露するためだったようだ。視点を変えて話されたのは、私的部分を避けられたのかもしれない。
 もう一人の方は、これまで、様々なところで書き綴られたものを集められて、冊子としてお配りになった。系統的で、網羅的で、着眼の良さを感じさせた。そこでの「75歳の人生語録」を読むと、これは内に秘めておいた方がいいような気がした。まあ“露出の是非”だからいい悪いということではない。公衆浴場で、前にタオルをかざすかかざさないかの違いか。(私の「3頭立ての馬車」がこれに類するかな・・・)
 その業界で成功されたという先輩は、文書にして語ってくれた。経営者的価値観、国家論などでは、どう見ても私の対極におられるので、話の途中でしばしば、聞き耳を塞ぎたくなる経験がこれまで幾度もあった。多分“お互い様”ではあろうが。メモには、設問に沿って書かれていた。そして最後に、自作の「追悼の辞」を披露されたが、この方の人生が凝縮されていたのはいうまでもない。ということで、企業人多々おられども、きっと特異な存在なのだと改めて知った。
 総評・中立労連・連合の労働組合を歩いてこられ、かなりの役職に就かれた方は二人おられる。労使という関係でいえば前者の方と対極にあると考えられるが、私から見たこの方たちの領域は「労使協調路線」という世界で、批判すべき対象である。しかし、このような場におられること自体が、私の規定する認識が当てはまらないのは言うまでもない。
 お二人は、当然ながら、同じような道を歩きながらその価値観、生き方、この先のことなどに関する認識は違っておられた。慎重に聞いたつもりであった。それは、私が労働組合の指導的な道を歩むことがあったなら、どんなになっていただろうという空想をかき立てるからでもあった。
 そして、片や現実の政治、社会の問題にかかわり続けようとする姿勢が伺われ、片やそのような領域を超えたお歳となられ、既に30冊になる著作に引き続く、構想豊な執筆に意欲を燃やす姿勢双方に魅力を感じた。
 このフォーラムが、研究や評論、思いつきの感想だけの世界でなく、一度は現場に足を置いた、そして今なお、政治、社会、歴史、文化、労働などに関心を払いつつ、持論を組み立てる姿勢が貫かれるなら、そして、相互に刺激し合え、より広い世界を求め合うなら、それぞれ健康の許す限り続いていくのではないだろうか。 了。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 7日 (水)

老兵たちのフォーラム10月例会・2

 私の歩いてきた道-過去・現在・未来
 逡巡しながら書き始めたが、自分ながら歯切れが悪いといわざるを得ない。
1)私は、これまでを幸せな人生といえるだろうか-やり残したことはないか。
 私の、聞かれて「幸せだったと思わないこともない」という言い回しは、「幸福感」に厚みなり、印象度が薄いせいかもしれない。またそれが「苦労」「辛酸」の裏表、対極にあるとしたら、私の人生そのものが「それほどのものでもない」から、やはり「幸せな人生」と断言するに至らない。しかし、この歳まで生きたことと、「自分史」を書くことができたことは、「何かを語り得る人生」とも言え、それはそれで、幸せなことと心得ている。
 また、やり残したこと、やり損ねたことはある。しかし、それは、家庭の事情もさることながら、「やりたいこと」の曖昧さによるところが大きいことも確かだ。目標の見定めが不十分だったと思っている。
2)「運命」をどんな時に感じたか-「運命」を変えるチャンスはあったか
 「運命」の定義そのものが難しい。職場で労組活動を始めた時、最初は「職制派」に誘われた。一方、共産党・民青には警戒心があった。その後の青婦協活動(青年婦人部)では「労組執行部=御用組合」を実感して、結果的に反執行部派に合流していった。この選択は「運命」であったであろうか。「職制派」に組みすれば、青婦協役員⇒労組執行部⇒組合専従役員という道があったかもしれないが、いずれにしろ“批判精神というか正義感もどき”が台頭して、“悪(体制従順派)”に染まり切れなかったに違いないと思う。
 それはそれとしてどうも私には、「人の上には立てないという“運命(技量の限界)”」があるように思っている。
3)主たる私の仕事は、適性であったか-夢破れるも、その精神に価値あり
 生活・職業面からいえば、私の主たる仕事は、自動車会社の現場作業で、「技能五輪」参加の予備軍にもなったが、その「運命」に従えば、そのまま現場の監督職というコースにのって、最後は、末端の管理職で定年の60歳を迎えたかもしれない。しかし、そこに人生の展望、希望を見出せず、「夜間高校」へ進んだ。
 卒業後の組合活動では、「反執行部派」の道を選ぶことで「専従の道」はなくなり、これで社内(職場)での道は、極めて限定されたものになったといえた。私は企業内の活動から地域へ、そして全国へ「活動の拠点、目線」が移していった。
 労働運動を片方の車輪にして、もう一つの車輪で、もの書きになりたいという青年期の気持ちは、結局持続しなかった。また、才気も能力も(才能)凡庸であれば、そして「努力」それ自体が能力であるなら、凡庸の領域を意識化すべきだったかもしれない。しかし、一方で、「夢」という捨て難い魔力に抗し難いのは、凡庸との格闘でもあるから、“夢破れるも負けにあらず”といえなくもない。そのチャレンジを評価してくれる人が「伴侶」であり、「友人」と言えるのではないか。現実はどうであれ。
4)座右の銘を探る
 わが家には、家訓と言えるようなものにはなかった。親父や兄から、それらしき言葉を聞いた記憶はない。両親の遺品もほとんど残っていないし、何かの書付(かきつけ)すら手元になく、どんな文字を書いていたのかも想像すらできない。だから、ひょっとして親父は、寡黙のまま「子孫に美田を残さず(西郷南州)」を、言いたかったのかもしれない。
また夜間高校の卒業アルバムの寄せ書きには、なんと「A poor poet」と書いていた。当時の心境を凝縮していたに違いないが、脆弱この上ない。
 1960年代後半、「兄弟牆に鬩げども外その務りを禦ぐ(けいていかきにせめげどもそとそのあなどりをふせぐ)」という言葉を知って、実感していたことがあった。
 1970前後、運動に本格的にかかわり始めると、「連帯を求めて孤立を恐れず(東大全共闘?)」は、一つの合言葉・連帯感にもなっていた。「砦の上にわれらが世界(ワルシャワ労働歌)」は、私たち労働者の心情を捉えていたように思った。また、総評労働運動を批判的に捉え返す言葉として「横議横結(おうぎおうけつ)」というのもあった。これは毛沢東の言葉かもしれないが、正確な出処は知らない。
 さて現時点で私は、「緩急自在、広く浅く井戸一つ掘る」をそれとしているが、その前は「生涯一活動家」を正面に据えていた。気持ち的には、両者は現在も私の中に宿っているが、「活動家」の定義の解釈が変化しているのは否めない。
 現役活動家である以上「緩急自在」は必須心得と思っている。また、労働運動が限りなく市民社会、生活領域に重なり始めている現在、仕事、活動、家事、地域、趣味など、守備範囲を広く持つ必要性を感じてきた。それは、「人生の複線化」から「複々線化」さらには「無軌道化」へと向きつつある。だが、やはりライフワークの一つも持ちたいもので、それは「井戸を掘る」がごとく、地球の核に垂直に向かうような、実直且つ「一意専心」なものでありたいと思っている。
5)過去・現在・未来
 ここらあたりまで来ると、自分の過去そのものの自己評価をして、現実的立ち位置、力量を推し量り、ある程度未来を想定できるような気がする。それは何がしたいかという「選抜法」と、これ以上力を注ぐに及ばずという「消去法」が混在するが、「井戸一つ掘る」の観点からは、何かを選抜して、時間的な集中的投資をすべき最後のチャンスであろうと思っています。
 一方「広く浅く」向き合ってきた姿勢から「消去」には勇気がいる。市民運動は、課題を限定的にして末席へ。労働運動も「トヨタと向き合う」以外は、限定的でしかも部分参加。政治・社会に関しては、もっぱら執筆と聴講の領域で。全国、海外情報はインターネットで。紙の情報は可能なものから辞退しようと思っている。
 愛知万博関連の資料がかなりあるが捨てたい。写真も「一事三枚」を基準に捨てたい。入社から退職までの「賃金明細」の処分には逡巡していて、蔵書は、個人譲渡、図書館寄贈に努力し、売却、廃棄は少し先にしておきたい。
 まだまだ早いと思いながら、ワープロで遺書の下書きは数年前に書いたが、今となっては、内容的にもほぼ無効のようなものだから書き直したい。今度は自筆でなきゃいかんだろうな。それより延命治療不要といったような「意思表示書(同意書)」を先に書き上げたい。これは期限を切って向き合わないと完成しないであろう。
6)最後に
 とまあ、あげればテーマに切りがないが、一通り網羅してみた。でも、巡り巡ってやはり、家族のこともあるが、わが道の仕上げが「拙文の終章」を残しては、それこそ「遺憾(のこり惜しい)」に思うので、当面は、「自分史」の加筆か「第二詩集」を手掛けたい。地域の運動関連の執筆は、バックボーンが定まらず、途中で進退きわまることになる可能性が高いので、手が出ない。
 家族のことは二の次で、こんな風に“最後まで自分流のわがままばかり”といわれ、苦笑しようとも、まっとうしたい、これが現在の心境。 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 6日 (火)

老兵たちのフォーラム10月例会

 各人の歩いてきた道と遺言<人生総まくり>
 明日の例会に向けてレポートの仕上げにかかったが、どこまで書き込むか逡巡することが多く、仕上げは明日の午前中までずれ込みそうだ。
 私が、このテーマを思いついて提案した背景には二つあったが、その一つが、この「老兵たちのフォーラム」に参加されている諸先輩の姿を拝見してきたことにあった。60歳代後半から80歳代前半、後半に位置されるみなさんを拝見しながら、“その歳になった時の私”を想像することは、「今、その気になれば、やりたいことの一つ二つは、まだできるかもしれない」という、なにがしかのヒントを与えてくれたような気がした。これが第一の動機であった。
 次に私の場合、部分的ではあるが「自分史」を書くことによって、それまでの人生の一部を書き記した経緯があった。同時にそれは、これからの数年先を自分ながらに改めて展望したいという欲求が少なからずあった。特に、最近の体力の状態を考えた時、それを強く意識するようになっていた。これが第二の動機であった。
 人生は人それぞれで、何にしても、同じように語られることはないし、話の端緒、切り口も一様ではないと思う。だから、例えば戦争体験のある人は、それが基点となり、その周辺に重きが置かれ、なおかつそれを引きずるようにしてそれ以後が、語られることが多いのではないか。
 私にもそれなりの節目があったようには思うが、戦争や震災、火事、事故、家族との離散などの遭遇はなかった。そんな中での家族・家庭、職業・仕事、社会・運動(3頭立ての馬車)が縦軸でもあり、横軸でもあるような気がした。そして、それらが織りなす生活に、情、義、絆、共感と共に、喜怒哀楽が交錯してきたようにも思う。また。社会的価値観・歴史観、文化・労働の経験が、私自身の思想形成の基軸を作ってきたような気もする。
 そうした諸々のことが絡み合った糸くずの玉から、一本の糸を取り出して、あれこれ自問自答することによって、私の歩いてきた道が、部分的であれ、浮上してくるであろうと思った。
 ただ、それがどうした?という冷ややかな目を感じないわけではない。あるいは、いまさら、人の人生の歩みを聞いたからと言って、どうなるものでもない年齢域にいる人にとって、遠慮したいというお方もおられるかもしれない。参加者のコメントに期待と不安を感じている。
 とりあえず、糸数本を引っ張り出してみた。
1)私は、これまでを幸せな人生といえるだろうか-やり残したことはないか。
2)「運命」をどんな時に感じたか-「運命」を変えるチャンスはあったか
3)主たる私の仕事は、適性であったか-夢破れるも、その精神に価値あり
4)座右の銘を探る
5)過去・現在・未来
6)最後に
 という項目を立てて、ざっとスケッチしてみたが、どうも落ち着かない。 
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年10月 1日 (木)

笑いと運動と健康づくり

 女性の参加がゼロでした
 昨日の午後、私にはまったく縁がない団体、「連合愛知シルバー倶楽部」主催の、高齢者福祉に関する学習会ということで、塙(はなわ)敏氏(中京女子大教授・東京在住)の「笑いと運動と健康づくり」と題する1時間30分の講演と一部実演があった。
 この機会を得たのは、民主党の前県議、「老兵たちのフォーラム」の会員でもあるKさんの紹介によるもので、最初は、テーマからして行くかどうか随分迷っていたが、夜の集会が入っていたので、出かけついでというところがあったのである。
 会場は、連合愛知が入居する「れあろ」という建物。金山駅から5分といったところか。満席の80~100人の参加者であったが、主催者側も入れて女性の参加がゼロというのも、珍しい集会であった。
 話の内容を簡略していえば、「健康づくりの概念を変え、笑うことにより免疫力がつく」ということで、従来の「強化トレーニング」のように筋力をつけること即ち体力増強、という既成概念、健康法は危険があっても効果は薄い、というもので、まだ科学的に証明されているとは言えないが、笑うことによる免疫力の向上は実証的に明らかになっているという。
 それにもう一つ付け加えられたのが、「笑い」とは直接関係ないと思われる「腸内環境の改善」で、乳酸菌、ビヒィズス菌で免疫力の向上を図るというもの。つまるところ「免疫力」こそが健康の源というわけである。
 「笑う門には福来る」という古諺もあるから、それが単なる人間関係だけでなく「免疫力を高める」ところが目新しいといえば目新しいのであるが、漫才か落語、お笑いバラエティーを「ヤクルト」を飲みながらテレビを見ていればいいというものでもない。
 実演コーナーの「最初はグー、ジャンケンポン」も効果がありそうだが、やはり屋外に出ての「スロージョギング」や、寄席や劇場での鑑賞であれば、なお良し、というところもあるのではないだろうか。また、野菜などバランスのとれた食事の中に乳酸菌飲料をとるということでもあろう。
 実践してみてわかることだが「健康法」の持続は難しい。そう考えると、怠惰な私などは、「健康法」を取り入れた場合と取り入れない場合の寿命の長さの違いはどれほどか。「健康法」を実践すれば、少なくとも80歳まで生きられるが、怠れば70歳まで、といわれたら、私は後者をとる、と口では言えるが、70歳に近づいた時、右往左往するのは目に見えている。
 ではどうするか。「まあ、時々採り入れては気分転換をするが、それを日常的にやる気はしない」といったところか。サプリメントとして野菜ジュース、黒酢、青汁は忌避しないが、続けて購入するところで、途切れることの可能性が大である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月26日 (土)

伊勢湾台風から50年

超巨大台風の備えはなし
 伊勢湾台風から、今日が50年目になるという。あれから半世紀が過ぎたわけだ。中学生であった私は、当時のことを「自分史」に以下のように書き記しているが、直接被害を受けなかったこともあり、あっさりしたものである。
 「1959年9月26日の夜半、台風15号(伊勢湾台風)が猛威をふるった。その被害は歴史に残るほど甚大であったが、当時の鳴海町の被害はどれほどであったろうか。
 わが家は名鉄鳴海駅に近かったが、私は風が強まるにつれ、架線が触れ合って火花を飛ばしているのを、美しいものに見惚れるようにいつまでも見ていた。幸い、わが家は浸水も、瓦一枚も飛ばされることなく被害はゼロだった。
 鳴海中学校は、高台にあったこともありかなりの被害を受けた。中でも、この年の夏前に完成し、わがバスケットボール部が優勝した体育館は、銅版の屋根が吹き飛び、明かり取りのガラス窓が敗れて雨が吹き込み、水を吸い込んだコートの一部が競りあがったりして、散々であった。
 一年生のときに同級だったTの家が倒壊したと聞いて、Nと一緒に神の倉まで手伝いに出かけたこともあった。暫くして、南区の被害地域から、仮の転入生が来たりした・・・」
 その後の50年間も、私的には豪雨による浸水被害を受けることもなく、無事で来られたのは幸いであった。仮にも経済的負担を蒙るような被害に遭っていたなら、その後の活動に少なからず影響を受けたかもしれない。
 とはいえ、この先のことはわからない。火事にはよほど用心して失火だけは出したくないが、隣家からの延焼ではどうなるかわからない。また洪水、高波、がけ崩れの心配はないと思っているが、地震、落雷、台風の風被害、突風(竜巻)などにはほとんど無防備で、何とか備えをしたいと思いつつ日が過ぎていく。
 災害の備えは、我が家だけではない。何らかの活動で家をあけて、会議、集会などでビルの中にいるとか、旅行先である場合も確率としては低くない。上京中に大地震にあったら、それも、ビルの中とか地下鉄に乗っている時とか、そんなことを考えるとぞっとするが、「交通事故や犯罪に巻き込まれる可能性の方が高いよ」といわれてみれば、そうかなとは思う。
 どっちにしても、アメリカのハリケーンのような超巨大台風にでもこられたならお手上げである。「天災は、忘れ去らないうちにやってきそうだ」というのが、地球温暖化、気候変動の昨今の事情ではないだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月24日 (木)

変わらないのはマスコミ

 例会でやり玉
 ATUサポート市民の会の例会は、相変わらず多くの課題を議題にあげて、ややオーバーワーク気味であるが、そのように牽引するリーダーがいるということでもある。惜しむらくは、そのリーダーが40代、50代ならば、というのは贅沢なのか、運動の世代交代ができていない現実、とも言える。
 さて、その多くの議題をこなして今日は、しばし「政権交代その後」の雑談の花が咲いた。「政権が代わったことはいいことだ」「自民党の再起は不可能だろう、人材がいない」「酔いどれ(中川昭一)を国際の場に出すなんて!」とまあ、ここらあたりまではよくかわされる内容であったが、俄かにマスコミ批判に移った。
 確かに、政権交代という大きな変化が起きたのに、それを伝えるマスコミの取材、記事は昔のまんま。「政権が代わって、組閣されたばかりなのに、もう財源がどうのこうのと揚げ足取りみたいな記事を垂れ流している。」「酒井法子のような、犯罪報道ばかりに大きな時間、スペースを割いている」「なぜ交通事故が絶えないのか、24時間以内の死亡だけがカウントされるペテンがいつまでも。もっとマスコミはこのような問題のキャンペーンをすべきだ」「年間3万人を超える自殺者に、問題意識を持たないのか」「労災事故でも年間3万人以上が死傷し、1300人くらいが死んでいる。死亡災害を起こした企業の名前を公表すべきだ」
 言えばきりがないが、今日の会合の話題からいえば、「ILO(国際労働機関)の基準適用委員会という国際的な場所で、トヨタ自動車が、IMF(国際金属労連)の代表の一つとして、フィリピントヨタ自動車労組(TMPCWA)のエド・クベロ委員長から糾弾されるという、前代未聞の大ニュースを全く報道しない、そこに現マスコミの姿勢が端的に現われている」であろう。「1兆2000億円あったマスコミ関連広告費が、3分の2の8000億円に減ったという説もある」としてもだ。
 いったいマスコミとは何だ!という根本的な問題があるが、例えば新聞でいえば、購読料だけで経営を成り立たせて、権力や企業などの外圧に屈さない新聞社を維持させるのは、購読者を減らさない、絶やさない以外にない。そういった社会的な成り立ち、形態に私たちが参加することも、重要なことではないだろうか。ITの時代といわれる中ではとりわけ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年9月 5日 (土)

ジジ、ババは孫のために何ができるか

 ワシらの“しんしょう”の使い道を策謀する
 週刊金曜日765号の「論争」欄に、「ワクチン後進国、日本」というタイトルの投稿があった。「ヒブワクチン」の名前も存在も初めて知って、“うちの孫の場合は・・・”と、唸ってしまった。
 予防接種もいろいろあろうが、私が受けた予防接種は、それが何であったのか、「3種混合」の3種が何かも忘れてしまっていた。滑稽なことに、20年以上も前に、錐(きり)を扱い損ねて、手のひら(掌)を突き刺してしまって、外科に駆け込んだ時、「破傷風にならない接種をしますか」と問われ、「3回やれば一生、破傷風にかかりません、副作用もありません」といわれて、接種を受けたことを思い出した。
 それはそれとして、投稿の中で「日本の社会保障給付費89兆円のうち約70%が高齢者の年金や医療費のために使われている。児童手当や児童福祉など子ども対策は3%にすぎない。」と書いている。欧米に較べ、子ども対策が遅れていることを指摘、「世代間の投資バランスを考え、次世代を担う子供たちのために、もっと投資すべきだ。」と締めくくっている。
 この投書そのものを批判的にいうつもりはない。投稿者も限られたスペース(字数)であるから、意を尽くしているわけではないだろうから。
 確かに高齢者医療費、年金が年々増加して、国家予算の中に占める割合が多くなっているようであり、そのためかどうかは別として、国債の発行をもって予算編成する状況が長く続き、国の借金は膨大になり、政府はついに、年金問題と診療報酬の領域に踏み込み、「後期高齢者医療制度」を打ち出した。その自公政権は、地雷を踏んだごとくに、今回の選挙で吹き飛んでしまった、と言えるかもしれない。
 さて私が気にしたのは、「投資バランス」を「世代間」という捉え方である。投稿者も「年寄りに使う金を、子どもに回せ」と単純に言っているわけではないだろうが、「社会保障給付費」の枠内でものをいえば、そのように受け取られかねない。ここはやはり、国家予算全体の編成の中で「次世代を担う子供たちのために、もっと投資すべきだ。」というべきであろう。
 もっとも、私も自覚とは別に、名古屋市の「敬老パス」を受給する年齢になって、しかも持病も持ち、生産性のある仕事をしているわけでもない領域にいると、間接的ではあれ、「身の処し方があるだろう」とせっつかれる思いが湧いてこないわけではない。
 そこで思い至ったのは、「世代間の投資バランス」を、国に求めるだけでなく、家族の間で 改善できないか、ということである。例えば、ワシらジジ、ババが孫に与えるおもちゃだの、お菓子だの、衣類だのといった、目先のものを与えるのではなく、数万円もするという「ヒブワクチン」の費用を肩代わりするとか、コンサートに連れ出すとか、何とかファーストフードに染まらない食事、食材を用意するとかにゼニ(しんしょう)を使う(投資する)ようにしたらどうかと。
 これを若夫婦に現金で渡してしまっては意味がない。つまりジジ、ババに「年金、預貯金」を財源に、「政策の方針」を立てる努力、「策謀」が必要である・・・しかし、ババはなんというだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月16日 (木)

日常的なこと3題

 いろいろあります。書きとめました。
 その1
 趣味というほどでもないが、切手収集の心得がある。時々郵便局に行っては購入するのだが、郵政民営化の進む最近では、郵便振り込みに行った折りに、新切手やグッズの類を勧められることもある。
 先日も7月23日に、300円切手(新たな簡易書留の特殊取扱料金)の通常切手が発売になるとのことで紹介された。特殊切手やふるさと切手と違い、金剛峯寺恵喜童子像(こんごうぶじえきどうじぞう)という、これまでの切手に似たもので面白みも少ないものを、敢えて勧める姿勢に変化を感じた。高額の部類で、通常では使うことが少ないことを見込んで、少しでも「マニア」に買ってもらおうという営業活動である。しかも窓口に局長が出てくることも最近の特徴で、こちらもつい「カラーマークのついた上10枚もらうね」安請負してしまった。
 その2
 近くのコンビニで「メール便」を出すことが多い。A4サイズの封筒に厚さ1センチまでの書類、書籍を入れても80円。2センチまでは160円だから、日本郵政とは格段の差がある。欠点は転居先へ転送されないこと、やや日数がかかること。それと窓口での手続きに時間がかることであろうか。
 先日も20通ほど持ち込んだのだが、15分はかかったであろうか。だがよく見ていると、店員によってレジの打ち込み方に違いがあって、半分ほどの速さで済ませる人もいることに気がついた。手順ははっきり覚えていないが、手渡されたレシートは同じようなものだったから、やり方が統一していないか、早くレジを打った人は、その方法を発見したのかもしれない。
 「もっと早くレジを打つ方法があるようだから、お互い研究してみたら?」と声をかけたら、その男性の店員は、私にラベルの束を渡して「信書でないチェックと日付を入れて持ってきてください」というのである。なるほど、それも早く片付く一方法かもしれないが、私に作業の一つを移管しただけである。
 その3
 一昨日のこと。スーパーマーケットに買い物に行ったところ、入口近くに置いてある、店の買い物かご(バスケット)を裏返しにして腰かけているご老人がおられた。疲れたか人待ちのためか、「ちょうどいいや」とでも思って気軽に使ったかもしれないが、私には「非常識」に思えた。そこで「ちょっと、それみんなが使う買い物かごでしょ、腰かけに使うものではないよ」と声を掛けたら、「座るとこがない」「他にいくらでもある」という言い訳が返ってきた。「それねえ、食べ物を入れものですよ」と、もう一声かけてひとまず退いた。
 店内を一回りしながら、もしやめていないなら店員に告げようと思って、元の場所を覗いてみたら、そのご老人はいなかった。
 実は、そのご老人がおられた場所は、レジとサービスカウンターから見える場所であった。見て見ないふりをしたのであろうか、店員といえども「関わりたくない」と。

| | コメント (0)

2009年3月19日 (木)

■居酒屋の酒の肴

 冷凍食品など、大丈夫かなあ
 午後の印刷作業を終えて、配達の途中に「食料品卸」の看板があり、一般の方も購入できます、とあったので覗いてみた。多分、主として個人の飲食店相手の商売なのであろう。ばら売りもあったが、全体が大袋入り、大缶詰、束ね売り、箱売りになっている。マヨネーズやケチャップ、ドレッシング、油などもLLサイズであり、やはり一般家庭では量が多すぎるようだ。長期保存のきくものは、小分けして使えば割安感も出るが、鮮度が気になるからやはり、買う気にならない。
 一つ気になったのが、肉、魚はもちろん、野菜、豆類まで冷凍か真空パックになっているものが多く、スーパーでは見かけないが、居酒屋では出てきそうな、「蛸ブツの冷凍もの」もあった。そうしてみると、ビールのおつまみの定番の枝豆など、「中国産の冷凍物」は当たり前なのであろう。
 クリームコロッケ、串カツ、チキンナゲットなど、そのまま油鍋に放り込めば、揚げたてのものが出てきていい酒の肴になるし、子どもたちも喜んで食べるに違いない。喫茶店で出される軽食のカレーライスは、大きな缶から取り出し温めるだけのもとは知っていたが、そうした営業用のカレーでも10種類くらい並んでいた。また、私も知っていて、買ったこともあるハインズ社製のレトルト食品もあった。これらは意外と売れたり、一人者には喜ばれるかもしれない。お湯で温めるだけの冷凍八宝菜、フライパンで温める冷凍チャーハン、炊いたご飯に混ぜるだけの五目飯・・・いろいろあるなあ。
 居酒屋では、一時期大流行りだった、素材が客の目の前にあって、大きなしゃもじで素材を受け取り、客の注文で調理する「炉端?」方式の方が確かではある。一方、チェーン店の多くは、もっと大規模に仕入れてコストを下げているのであろうが、ひょっとして冷凍物、輸入物、真空パックものなどが使われていることが多いのではないだろうか。
 名駅近くの居酒屋で意外と安かったレシートのことを思い出して、ふとそう思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月10日 (火)

切干大根の煮付け

 久しぶりの手料理に失敗す
 主夫業を放免になって数年になるが、それでも、昼食に麺類のうどん、そば、ソーメン、冷麦のほか、玉子丼、エンドウの玉子とじくらいは作って食す。サツマイモに蜂蜜を落として煮て食べることもある。ホウレン草を茹でて鰹節としょうゆをかけて食べることも多い。おでん、カレーライスを作ると3日間くらい続く。
 それで今日は、ホウレンソウが一束78円と安かったので、二束茹でてその半分を食した。それと同級生から切干大根を頂戴していたので、一つかみ水に浸しのち、ダシパックと昆布でダシを取り、はんぺんを角消しゴムの半分ほどに切って入れ、醤油とみりんで煮込んだ。火を切る直前にエンドウのさやを半分に斜め切りして入れ、しばらく放置して味がしみ込むのを待ったが、その時、はっと気がついた。
 水で戻した切干大根の水気を取り、フライパンで、油で炒める工程を忘れていたのだった。しまったと思いつつ“ま、いいか”と、もう一度火を入れ、少量の油をおとしてかき混ぜた。
 やはり、大根に油味が浸み込んでいないので、油分が直に来ておいしくなかった。失敗作だった。しかし、明日の朝になれば、味も少しは改善されているだろうと、器にとったものを鍋に返して、はんぺんをつまんで取り出し、エンドウと共におかずにしたのだった。
 料理は、上手、下手があるのは確かだが、何と言っても(向上心はどんなことでも同じだが)継続的反復行為で熟達するのではなかろうか。間が空くと前回の物足りなさ、失敗を忘れてしまって同じことを繰り返すことになる。あるいはダシとり、あく抜き、事前の調味料漬けの手間を省くと、何か物足りないものになってしまうというのが、私のささやかな経験であった。特に調味料の計量は、レシピに頼っているとちっとも身に着かない。味の微調整のコツが身に着かないのである。
 

|

2009年1月14日 (水)

雑炊を食す

 関東煮の残り汁で
 全トヨタ労働組合(ATU)をサポートする市民の会のニュースと、第2回総会の議案書のとりまとめも、大詰めを迎えている。明日の11時から印刷と発送作業が迫っており、今回もまた、ギリギリの仕上げとなった。
 このような作業に従事していると、プロの編集者はもっと大変だろうなあと、つくづく思う。原稿が期日までに届けばまだしも、複数原稿が締め切り間際になり、校正の時間に融通が利かなくなった場合、例えば、筆者が不在で連絡が取れない、字数の増減でページが組めなくなった場合の調整、内容と時期的なことで原稿を差し替える必要が出た場合、「盗用」のチェックなど、なんか、考えるだけで体が潰れそう。
 アマチュアでも本質的には変わらないが、“市場”に出すわけではないので、付加価値は、読んで反応が戴けるかどうかが主なもので、金銭的リスクを負わないだけでも、神経がすり減る度合いは少ない。
 仕上げまでの所要時間を約5時間と踏んで、遅めの昼食を作った。3日前に作った“おでん”の残りと汁を使って雑炊である。
 “おでん”といえば、私の認識では、「味噌おでん」のことで、具は「こんにゃく」だけである。
 今では見かけなくなったが、駅前あたりの屋台では、大きな鍋に串に刺したこんにゃくが入っており、真ん中には、茶壷のような陶製の壷があって、その中にダシをとった赤味噌のタレが入っている。タレは甘く、ゴマが入っている。屋台のオヤジが串に刺したこんにゃくに味噌タレをたっぷりつけてくれて、それを頬ばると寒さなんか吹っ飛んでしまいそうに思えたものである。
 具に、ちくわやはんぺんなどの練り物、玉子などが加わったのはそのあとのこと。そして、醤油味になって、からしをつけてアツアツを食べるのは、「関東煮」と言って、おでんと分けていたものだが、最近は、おでんも関東煮もすべて「おでん」というようである。具も豊富になって「スジ」や「げそ」「きんちゃく」「ソーセージ」も入ったりする。
 私が自分用につくる場合は「関東煮」風で、こんにゃく、大根、玉子、ちくわくらいで、ダシにとったコンブも具としていただく。今回は試しに、玉葱を丸ごと入れてみた。さすがに1日目は、芯まで味がしみていないように見えたので、表面の一枚だけを剥いで食べてみた。するとこれがまた、甘みがあって結構いけた。日ごとに味が良くなっていくことも分かった。
 3日目の今日は、残りのダシ汁で雑炊を作ったが、具が少ない割には、いい味が出ていた。玉葱が一役買っていたのかもしれない。生卵割って入れ、海苔を刻んで食せば完璧だったかもしれないが、それがなかったので、火を切る直前にワカメと長ネギを刻んで多めに入れた。
 さて、もう少し頑張ってみよう。

|

2008年7月22日 (火)

ある会話

 年金の話から・・・
  NPOステーションの「サポート市民の会」の机の向かい側に「愛知連帯ユニオン」の机がある。代表のSさんは労働運動、労働問題の現場に立ち会うバリバリであるから、顔を合わせれば、その様子の一部を聞く事ができる。
 「在日の人で、“通名(日本名)”を使っていたので年金記録が見つからなかった。そのこと自体を本人も忘れ、家族、兄弟も知らなかったので、大変だった」という話。「通名でないと保険加入ができなかったわけ?」「そうじゃなくて、通名でないと就職できないから」
 ああ、そういう世界もあるんだなあと、「それじゃあ、5千万件を1件残らず解明なんて永久にできっこないね」
  「担当者が変わり、亡くなる方もおり、一人暮らしの人もいるからねえ・・・」
 そもそも、現状に何が起きているかも自覚し得ない人もいるであろうし、相談したくても、どこにもって行けばいいのかわからない人もいるだろう。ひょっとして“めんどくさい”と思っている人もいるかもしれない。きちんと対応すれば、得るものがあるし、失わなくて済むものもある。
 そうしたことの自覚、気が付かされる機会とは、様々な領域、層の人たちとの出会い、交流があればこそ。しかし、会社を定年退職して、尚傍系会社に再就職するという人、そうでなくても日々の暮らしに忙殺されている人も多い現実は、仕事(会社)と家庭以外の世界とどれほど接する事ができようか。それでも60代、70代前半辺りまでは、クラス会・同窓会、お友達の付き合いもあろうから外出する機会もある。しかしやはり、趣味やボランテアなどの機会は高齢になるほど、数少ない人と接する、情報を得る機会といえよう。
 わたし的に言えば、パソコンの技術的な面を習得することがひどく“億劫”で、つい人を頼ってしまう。年金とて、転職がなくて極めてシンプルだったから、トラブルことはないが、転職を繰り返していたらどうなっていただたろう。昨年からの確定申告すら“イヤになってしまう”ほどだ。
 Sさんの相談に出会えた人は、幸運と言うより、電話のダイヤルを回すという、その一歩を踏み出した事、それが全てではないだろうか。始めの一歩を踏み出す「勇気」「気合」は、何事にも通ずる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月30日 (水)

夜更けのガソリンスタンド

 私にも、嗤えない現実がある
 今日が、ある地方税の第一期納税の最後の日、忘れていた。督促が来るまで放っておいても構わないとは思うが、督促を出す側の手間(労働)と費用を考えれば、いずれ払い込むなら、そして払える今なら、払い込んでおこうと、午後11時半になってコンビニに走りこんだ。
 2年ほど前は「全期一括納入」で、市中銀行の金利よりいい条件の割引制度があって利用していたが、それがなくなったので期ごと(4分割払い)の支払いに切り替えた。
  その都度請求が来て、その都度支払いに走る手間が増えたが、一括納税と違って、月々の生活費を工面して何とか払うとする気持ちが働き、結果的には一括分、つまり家計とは別払いのものが、生活費の中で半ば吸収される形となった。
 コンビニの前にガソリンスタンドがある。新日石系のGSであるが、この時間になっても車が絶えないようである。暫定税率の復活前夜で、少しでも満タンにしておこうというわけだが、車を持たなくなった私には、“嗤って見る光景”ではあるが、実際は嗤えない。
 昨今の物価の値上がりは、生鮮食料品や生活必需品もそうだが、私にとっては、紙の値上がりには神経質になっている。B4サイズで一〆500枚、1箱2500枚をまとめ買いにしているが、2~3年前は、その紙1枚70銭ほどのものが、今や1円に近づこうとしている。
 ガソリンを満タンには走らなかった私であるが、紙のまとめ買いに走る私であった。

|

2008年3月14日 (金)

確定申告2008

 納税に腹が立つ原因は何か
 昨年は初めての確定申告で、3月15日の期限ギリギリでバタバタしたが、今年は17日が期限で、今日全作業が終了したから、幾らか余裕があった。しかし、余裕があっただけ、“腹が立つ”時間的クリアランスが少し広がった。
 税の仕組みがわかっていないから、課税そのものに不満が行き着くのであるが、基本的な納税は、現代社会では受容せざるを得ない。
 私の場合、公的年金所得と民間の年金などが雑所得として課税される。いずれも、受給段階で源泉徴収されているから、最終的な計算による「確定」申告をすることになるのだが、この仮の「源泉徴収」が苛立ちの原因の一つようだ。つまり源泉徴収税額の総額と確定した所得税額の差が少なく“微調整”ならともかく、税の総額の27%相当が、今回の申告税額であるから、あの源泉徴収は何であったのか、という気分になってしまう。
 次に、公的年金も民間の年金型保険も、納入した保険金額の総額から除いた部分、つまり配当金と利子に相当する部分であるが、これが「雑所得」となって課税されると思われる。
 しかしここで、出資した側と運用した側から税をとる国の税制は、国がいかにも“ピンハネ”している印象を与える。というのも、労働で得た賃金に所得税がかかり、納税したあとの資金(給料の一部)で年金保険をかけるから、そこから受け取る配当や利子は、“不労所得”とみなされている気がして、“汗の結晶のおまけ”という庶民感覚から少々ずれる。
 結局、利子・配当課税は、放置すれば所得格差が広がる面が大きいから、税制そのものは一定の了解は得られよう。とすれば、所得額の大小に関わらず課税されるのか、所得による「累進課税」が徹底されるのか、という違いにたどり着く。
 こう考えていくと、課税の対象額の“線引き”が問題で、これが引き下げられることによって、低所得者には増税感が高まる。
  結局私の腹立ちは、どうやらここらあたりにあるようだ。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月31日 (木)

COOP無残!

 お前もか!といいたいが・・・
 「中国製のギョーザで中毒」には、改めて驚かされた。
 「中国製の食品、おもちゃは買わない」ことが多いので、差し迫った心配はなかったが、まず、最初に「JT」が出てきて、なんで「JT」なんだとビックリ。次に、COOPの名前と商品名が列挙されて、「参ったなあ」とため息。
 一応「生協だから大丈夫」と広言していたこともあるから、そういう“安心”部分が揺らぐことは、その“震度”の大きさに関係なく、がっくりする。
 もっとも私の場合は、車がないと店まで行けないので、COOPで食料品を買う場合は限られる。夕食の素材を買うことは稀である。多少、日持ちのする納豆、沢庵漬け、梅干、味付け海苔、醤油、みりん、麺類とそのつゆ、ついでに牛乳、玉子くらいだろうか。
 多くは、台所やトイレ、洗濯の洗剤、酸性の漂白剤、シャンプー、リンス、固形石鹸くらいであろうか。COOPとなんらかの関わりがある「推奨品」と思って買っていた。
 商品棚に市販と同じものが結構並んでいるので、「COOPの看板が泣くなあ」と思いつつ、品揃えができないか、COOP印は「割高感」があるから、市販のものも置いているのかな、とくらいにしか思っていなかった。
 そういう事情だから、COOPに「中国製」が並んでいるとは知らなんだ。ただ、昨年の暮れに買った「蜂蜜」が、後でラベルを見たら「中国産」となっていて、“ま、いいか”と思ったことはあった。中国産でも、きちんと商品検査をして売っているのだろう、という“思い込み”の結果である。
 「COOPよ、お前もか」といいたいが、それを言うにしても、なんとなく「任せきり」の立場であれば、声を大にしてとは、なかなかいいづらい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 6日 (日)

意見交わし合う場所が欲しい

 恩師を囲んで話が弾む
 正月3が日のブログ、新年3つの話題「原爆投下」「環境問題」「第三勢力(潮流)」は、これに「憲法」「年金・医療・介護」を加えれば、当座の社会問題を語ることができるような気がする。
 但し、実際にお互いの感情も伝わる表情を見ながら、そのような問題について意見を交わしたり、議論する場がどれほどあろうか。そして議論のあと、何かにつなげて行く、積み重ねていくことは可能であろうか。
 今日の午後中学時代の恩師が、行き来しながら、来春には瑞浪市からこちら転居してくるとのことで、その転居先に同級生など4人で訪ねた。
 恩師自身が、この地での在勤中の思い出、印象が強く残っているとのことで、昔話に結構花が咲いたが、次第に現実的な問題にも話題が移っていった。たまたま同席者に医師がいたものだから、「介護保険制度」「延命処置」の話、さらには、新年早々から「終末医療、葬儀」の話というのもなんだが、といいながら、それなりに盛り上がった。そういうことに関心が強まりつつある年齢でもあったのだ。
 その医師は、かねてより患者(当人)にとってより良い「終末医療とは何か」に強い関心を持っていて、何とかそれを形にしたいというのが口癖であった。その話を聞くにつけ、「医師、看護師、ケアマネージャー、行政」などの連携、意見交換が必要で、すでにそれらが行われているのであるが、一方で「終末医療」という局部的な領域から、もう少し広げた「地域的生活基盤」という捉え返しで地域づくり、町づくりができないかというところまで話が進んだ。
  それは、町の歴史、文化をもっと知るべきだということから、車がないと日常の買い物ができない郊外型スーパーについてや、医療機関の偏在、道路が広げられれば車が増えるばかりでなく、近所付き合いは希薄なる。それはいいことか。「隣組」のような監視社会はイヤだが、ご近所のことについて何も知らないというのもどうか、など。
  結局、煩わしいようなあまりに濃密な近所付き合いは避けたいが、集合住宅のようにお隣くらいは挨拶しても階下、階上の住人とは無縁というのも、どうかな、そういう距離感が今は難しいということであろう。
 まだ現役の人もいるがやはり、意見を交し合う場所、機会を持ちたいものだ、ということでまた再会しようということになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月15日 (月)

リサイクルの昨今

 廃品回収の引き取り値
 毎月第一火曜日が、町内子ども会の「廃品回収日」となっている。回収品目は「ダンボール、新聞紙、雑誌、ボロ布、牛乳パック、アルミ缶」の6種類。このうち、ボロ布だけが業者に引き取ってもらうのに費用がいるらしく、例えば50 kg「-150円」という表示がなされる。もっとも名古屋市から1㎏4円の補助金がでるので、持ち出しはない。
 9月の回収結果が回覧板で回るが、それを見るとリサイクルされる素材の値がわかって、ミクロの世界からマクロの世界のほんの一部であるが見るような気がする。
段ボール=回収量320kg、引き取り値640円(1kg2円)名古屋市の補助1280円(1kg4円)
新聞紙=2410 kg/9640円(1kg4円)/9640円(1kg4円)
雑 誌=910 kg/910円(1kg1円)/3640円(1kg4円)
ボロ布=50 kg/-150円(1kg-3円)/200円(1kg4円)
牛乳パック=20 kg/80円(1kg4円)/80円(1kg4円)
アルミ缶=20 kg/1400円(1kg70円)/80円(1kg4円)
 特徴的なことは、名古屋市が1kg4円を補助してでも、ゴミを減らそうとしていること。ゴミの回収と焼却、埋め立てに限界があると見通しての投資であろう。リサイクルすればいいというわけでもない一例であろうか。
 次に、古紙類に値がついていることだ。一時期、お金を出さないと引き取ってくれない、雑誌類はお断りと言う時があったが、現在は、森林資源の保護と枯渇、中国などでの需要の高まりで、市場での品不足といわれるくらい古紙類は高く取り引されていると聞く。PPC用紙の値上がりが続いているのは身にしみる。
 包装用の紙類は、資源ゴミとして名古屋市が回収しているが、残る紙類は、雑紙といわれる、不要書類、封筒、葉書などであろうか。機密、プライベートな領域でもあるから、もっぱら裁断するか、生ゴミと混ぜて可燃ゴミとして出しているが、課題であろう。
 そういえば、“古新聞、古雑誌、段ボールはございませんか。トイレットペーパーと交換いたします”という業者の声を聞かなくなった。これは、ガソリン代を使っての戸別回収から、集積される町内子ども会、スーパーマーケットでの常設の回収ボックス、定期回収日の“契約”をして回収するシステムが出来上がったからではないだろうか。
 またアルミ缶は、世界的な工業用原材料の高騰を受けているから、このように1kg 70円という高値で引き取られている。これもかつての倍くらいである。あちこちで、廃品回収に出したアルミ缶が“なくなった、盗まれた”という騒ぎになるのは、それなりうなずけるが、これを生活の糧にしていた路上生活者たちにとっては、値上がりと争奪の狭間で困惑しているのではないだろうか。
 ともあれ、少し気にとめて観察してみると、こんなことが私たちの“日常の床下”で動いているのだなあと思った。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月11日 (木)

飲酒運転で厳罰主義・懲戒解雇

 自己責任と、社会のありよう
 ある会議のあと、打ち上げという意味で酒食が用意された。酒食といっても、缶ビールにコンビニで買ったおつまみ程度、割り勘制。一昔前なら極あたりまえの風景だった。
 缶ビールも350CCを1本かせいぜい2本までだったが、車で来ていた人は一口たりとも飲まなかった。飲んだ酒の量が多い少ないではなく「飲んだか、飲まないか」という厳密な判断を求められる昨今、同席者は徹底していた。こうなれば、徒歩や電車で来た者にとっても、酒は進まないから、早々にお開きなった。実に健全というべきであろう。
 「飲酒運転で物損、自損事故を起こした場合」でも、とりわけ公務員の場合、懲戒免職になるケースがある。諭旨免職ならいいほうなのかもしれない。これくらい厳しくしても「飲酒運転が後を絶たない」という論調が必ずついてまわる。
 交通事故の悲惨さは、被害者やその家族の生活、家庭、人生を破壊してしまうことで、疾病で命を落とすのとまったく別の次元といえるかもしれない。それが何十年、何万件かが積み重なってこんにちの「交通事故、特に飲酒運転による事故」の社会的糾弾、罪過の重みが認識されてきたのだと思う。更に酒を提供した側、飲酒運転を知っていた助手席の者にも罰則が加わるようになった。トラック、バスの運転手の事故では、事業者側の管理責任も問われる。それでも、道路上には、酒酔い運転者が後を絶たないのはどういうわけか。
 「物損事故で解雇とはひどいではないか」と発言したら、「そんなの今時、誰一人擁護してくれないよ」というのが一致した意見だった。「事故の後始末はどうなるの?物損でも収入を絶たれたら、補償でできなくなるのでは?まして人身事故で、保険金は下りない、賠償するにも収入がないでは、被害者は泣き寝入りするわけ?」という問いかけには、明確な答えは帰ってこないで、「とにかく事故を起こさない、飲んだら乗るなしかない」だった。
 「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」この一語に尽きるが、自己責任が問われるにしても、この世に酒はあるし、コンビニ、自販機でも売っている。車は若者にとっては憧れであるし、一家に数台、車なしでは動けない生活環境という面もある。そんなことは問題ではない、要は車を運転する個人の自覚、責任意識だ、といわれたら、反論はすべて言い訳、非現実論で退けられる。
 飲酒運転であれ、暴走運転、無資格運転であれ、高齢者の衰弱運転であれ、ひとたび事故を起こせば被害の結果は同じ。
 1970年に年間16765人の死亡事故(24時間以内に死んだ場合)以降、シートベルト、エアバッグなどの安全装置の装着徹底、歩道橋、道路改良、交通設備の増強など、さらにこれに加えて現実的な厳罰主義が功を奏してか減少傾向になり、この10年間は1万人に切って、昨年は6352人までになったが、「悲惨の実態」に何も代わるところはない。
 してみると、交通事故をなくすには、厳罰を下すことだけでなく、「車社会」そのもの、公共交通のあり方、タバコと同じように車や酒類の大々的なコマーシャルに問題はないか。
 自己責任を薄める積りはないが、交通事故を減らすには、複雑ではあっても、もっと強く社会のありようからも迫ってみる必要があるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月10日 (水)

秋物を出し、夏物を収納へ

 晴れ間の内に干しに出す
  10月10日といえば、昔は「体育の日」だった。この時期では、晴天の確率
が最も高い日だとして、東京オリンピックの開会式の日になったと思うが、記憶違いかな。
  さて、
「・・・家事といえば『炊事、洗濯、掃除+家計』と一口にいいますが、なぜか『子育て』『ご近所・親類付き合い』などにまつわる諸事は別扱いになっています。でも、それら一切合財が『家事』ですから、これらを全うするにはかなりの努力、能力が必要であることは想像以上のように思えます。・・・・
 洗濯 ― 私は三つの内これがいちばん好きでした。『洗う、干す、収める』が基本ですが、素材別、色物の別とかは苦手。せいぜいネットを使うかどうかの判断しかありませんでした。純毛、正絹はクリーニング店に出します。昔、失敗しましたから。 
 
洗剤は、生活生協で購入のせっけん洗剤で中性洗剤は使わず、酸素系の漂白剤を入れます。しっかり乾いたものを取り込むときは嬉しい気分になりますが、ただ、やっぱり収納は楽しくありませんね。アイロンもめったにかけませんでした。
 そうそう、季節ごとの衣類の入れ替え、シーツや毛布などの大物の洗濯も、陽が高くならないうちに干さねばならず、広くとる干し場を工夫するなどなかなか大変です。下手な川柳ですが、
物干し場陽当たり妻がいつも前
寝巻きからパジャマにされたわが世代
              
― 茶蘭ポラン 
 
・・・この終りのない家事を、世の女性の多くがこなしています。きっと、いろいろ知恵を絞っていることでしょう。趣味や家事の工夫などをして『息抜きの名人』で、(家事)力を再生産している人。親、連れ合い、子ども、友人の力をうまく引き出す『エプロンの御者』という人もおられるかもしれません。
 そう、男だって家事・育児をすべきだ、という流れは大きくなってきてはいますが、男の力を上手に引き出すのも知恵かもしれませんね。・・・」(雑談の櫂・随想から) 
 予報に反して昼近くになって日が射しはじめたので、昨日の洗濯ものを再干し。ハンガーにかかっていた夏物衣料を陰干しに出した。これは秋物、冬物と入れ替えるためで、取り込んだあと収納する。
 夜もタオルケットだけでは寒くなった。それなりに季節は移っていくようである。 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月 3日 (水)

レジ袋の有料化

トレーとラップ、ペットボトルはどうなのか
 名古屋市の主導で、10月1日から大手食品スーパーを中心にレジ袋の有料化が、緑区で試行的に始まった。
 分別収集に次ぐ、ゴミ減量作戦の第2弾で、緑区が選ばれた理由は、殆んどのスーパーが出店していて“横並び”ができているからだそうだ。とにかく、レジ袋が最終的にゴミを入れる袋としてゴミとなるから、それをなくせば(ゴミの二重包装がなくなる?)ゴミの減量化につながるということらしい。結果がどうであれ、啓蒙にもうなるであろうから結構なことだとは思う。
 ところで、昨日と今日たまたま、3か所のスーパーに行く機会があったが、1か所は従来通りレジ袋を無料で出していた。勝手に想像するのであるが、ここは準大手でこの運動にも参加しているのだが、この店は24時間営業店で、コンビニ扱いなのではないかと思った。系列下にあってもコンビニはなぜか別なのである。
 次に大手スーパーの夏ものバーゲンで、Tシャツを買いに行ったが、ここでは、食品売り場のレジ袋より厚みのある大きめの袋にしっかり入れてくれた。つまり有料化は食品売り場だけなのである。
 そこで食料品売り場に行って、しばらく様子を見ていると、見たところ殆んどが手提げ袋を用意していて、レジ袋を5円で買う人はいないように見受けた。凄いなあ、と感心してしまった。
 ところが、レジを終って食品を手提げ袋に入れる段になると、食品を台上にあるロール式の小分け袋に丹念に入れている姿が目についた。ああその気持ちは分かるなあ。今まで裸のままで気にならなかった品でも、手提げ袋を使えば、汚れるし臭いが残ることも考えられるからだ。それにやっぱり台所では、生ゴミは水気を切り、二重にしてゴミ袋に入れることはあたり前なのだから、レジ袋がその役割を果たしていたとしたら、“少し余分に”ロール式のポリ袋を持ち去ることもありうるわけだ。
 それも計算済みで、トータルとして減量化すればいいということになるのだが・・・。
 最後の一店では、9月30日までは名古屋市公認の生ゴミ(可燃ゴミ)用の10リットル袋をレジ袋として使っていた。これは少量の生ごみ用として私も重宝していたものだ。
 30日のときは、これが5円で買うレジ袋ですと、見本の積りなのか、新しいレジ袋を手渡された。それは10リットルよりやや大きいもので厚みがあった。表面に「地球にやさしい生活を・・・」「私たちの地球、自然と環境 限りある資源を大切に。」とプリントしてあった。どうやらこの袋は全店共通仕様のようだが、確認はしていない。
 というわけで、私はポケットに古いレジ袋を忍ばせて行ったので、3店目では“レジ袋は、お入用ですか?”と聞かれたが、“結構です”と答えて、なんかその場では悪い気はしなかった。
 それにしても家に帰ってレジ袋から食品を取り出せば、トレーに乗せられラップされた食品あり、袋詰めの野菜ありで、こちらの方、特にトレーとラップ、大小のペットボトルを何とかすべきだなあと、改めて思った次第。(環境問題でいえば、自動販売機も)
 やっぱり「実効」もさることながら、「啓蒙」と、行政としての「ステップアップ」という面が大きいのかもしれないなあ、これは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年7月 1日 (日)

各種数値に悩まされる

 体調の維持と人生の天秤
  3月から5月にかけての「花粉症」にようやく解放された方も多いだろうが、“老域”に入っておられる方は、季節に関係なく腰痛、肩こりのほか、白内障、難聴、歯槽膿漏など幾つかの“加齢症”と共に、血糖値、血圧、中性脂肪値などに気を使っている人も多いのではないだろうか。
  数年前に病気して以来血液関連の投薬を受けている私であるが、特に血圧の上下の差が60を超えると“要注意域”だそうで、80近い私は“要治療”の仲間に入れられてしまった。その原因は、タバコは吸わないからいいとしても、体重増(体脂肪)とストレスと思われる。ストレスは、思い当たることはないではないが、かといって特定できそうにもないし、仮に特定できても解消の術が見つかるとも限らない。
  体重増は食生活の問題と運動不足であろう。その気になれば、これは何とかなりそうな気がするのであるが、実は意外と厄介この上ない。
  食生活の“改善”はこれまで何度も試みて失敗している。食事制限したあとの反動で過食になるというパターンと、減量後に、必ずというほど外食・飲食の機会がやってきて、“もとの黙阿弥”になるケースである。
  そこで(どうせ長続きしないであろうが)思いつきの試みをしてみた。2700メートルほど先のスーパー銭湯まで速歩で行き、ゆっくり湯に浸かって汗を流して、帰りは近くのバス停からバスで帰宅するというものである。
  歩くことで脚力を鍛え、汗を流せば入浴と二重の効果はあるであろうが、水分が抜けただけかもしれないので、体重減は一時的かもしれない。効果が出るのは、やはり継続することであろう。
  会員制のスポーツ(フィットネス)クラブに通う人もいる。お金を払っているから行く気になれるのだという。無料であるとかチケット制の場合、行っても行かなくても、“損得勘定”をしないから、結局行かないことになりがちだという。確かにそういうことはあるだろうな、と思う反面、そもそもその気にならなければ、お金を払った最初の期間は行っても、更新期には止めてしまうこともあるだろう。
  冬季を除く期間には、自転車を乗り回して、少なくとも体重増だけは阻止してきたが、それがなくなるとたちまち2~3キロの体重増となった。あまり根拠はないが、体重1キロ当たり、ヘモグロミンA1Cが0、1に相当すると思いこんでいる私は、当面は、体重を62キロまで下げる必要がある。これでもHbA1Cの正常値5,9以下にはならないが。
  こんな時よく、「体調維持にこれ努め、その結果あんた何をする気?」と混ぜ返して「ま、いいか、そんなに先は長くないだろうし・・・」の妥協と曖昧さが、陥穽になっているに違いないと思うのであるが、このブログをお読みのみなさんはいかがですか? 
(追い書き)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月29日 (金)

朝のコンビニ

  この業界を垣間見る
  今朝の6時30分ころ。コンビニのコピー機の前に立つ。「緑ネット」の版下をコピーするためであった。
  昨日の午後5時、「四コマ漫画」がそれなりに仕上がったので編集作業は終えた。そこで、宛名シールを封筒に貼って、同封物の区分けを行い、発送の準備はほぼ出来たのであるが、頁の組み間違いや写真の鮮明度を少しでも高めるため、古い“リソグラフ”の印刷機にかける前に、パソコンからプリントアウトしたものを、セットしてコピーする作業がどうしても必要なのである。
  夜中の2時、3時に来てコピーやメール便を出すことには慣れていたが、早朝に、コンビニに顔を出したのは初めて。ついつい40~50分ほど店内の様子を観察してしまった。
  7時半ころまでの時間であったが、来店者が多いのは意外だった。まず女子高生が2~3人。こんなに早く登校するの?ひょっとして、家族と顔を合わさないで家を出て、登校途中か教室で朝食代わりにパンでも齧るのか、それとも昼弁当の代用品を買い込んだのだろうか。
  次に、一番多かったのであるが、ワゴン車などで数人が固まって入ってくるケース。年配者と若者の組み合わせが多かった。身なりからすると、水道、ガス、電気などを含む道路関連工事の従事者と見た。あるいは“左官の仕事”とか。飲み物などをセットに買い込んでいたから、やはり、朝食代わりなのであろう。
  あとは、Tシャツにジーパンの若者からスーツの男性まで単独の来店。車を運転しながら食事をするのであろうか。
  代金は、タバコも入っているのであろうが、500円から700~800円くらいが多いようだ。学生アルバイトか、若い店員がレジの合計額をいって確かめるので耳に入ってくる。この店員は夜中の勤務専門なのか、3交代くらいでローテーションを組んでいるのか。あるいは明け方5時くらいで夜勤者と交代するのであろうか。午前2時、3時の“主婦”らしき店員とは明らかに違っていた。
  24時間営業、非正規雇用があたりまえのコンビニエンスストア。この時間帯に合わせての、おにぎりやサンドウィッチなどの商品製造の仕事、商品配達のトラック運転手を含め、この業界はどういう世界なのだろう。
  賃金体系、各種保険、年休制など、それなりの企業1社で正規雇用・賃金労働を終えた私には、あたりまえのような労働諸条件も、ひょっとして労基法など、労働法すれすれかそれ以下ということはないのだろうか、そんな風に思いながら、別世界のようなコピー機に向き合っていた私だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月22日 (金)

地デジに少々立腹

ええ!映らない場合もあるの?
 15年ほど使ってきたテレビが、ついに“寿命”が尽きたとみえ、カラー映像からモノクロになったと思ったら、その濃淡もなくなって、画面はすっかり黒くなってしまった。しかし音声はしっかりしているので、1週間ほどは、これも半分壊れた息子夫婦からのお下がりマッサージチェアーに、座りながら観ていたというか聞いていた。
 しかし、家族からの声で買い換えることにして昨夜、電気店に行ってみた。あるある20インチくらいから100インチまで全部デジタルテレビ。
  話を聞いたり展示品を見ていると、どうやら32インチが手ごろ、売れ筋らしい。値段は12万8000円、ドキッ。しかし、ひところに較べやすくなったなあ、と言う感じはした。あまり迷わずに決めてしまったが、「場所によってはデジタル放送が入らないかもしれません。このあたりでは4軒に1軒くらいの割合です」といわれ「ええ?そんな・・・」安いアナログでもいいと思ってはいたが、あと4年と1か月で地デジに切り替わるといわれて決めたのに、なんだそりゃ。
 これは無知が悪いのか、システムの問題か、それが問題だ。
 結局、放送塔の位置の問題だという。現在は名古屋のど真ん中、“テレビ塔”だが、地デジは、瀬戸市に新設され、アンテナの向きがそれぞれ違うから、うまく両方を捉えればOKなのだそうだ。
 では、そうでない場合は?と聞けば、方法は二つ。一つは、地デジ用のアンテナを設置すること。但し、設置費用は工事費を含めて4万円ほどかかるという。もう一つは、アナログ放送が終った時点でアンテナ方向を地デジ方向に変えれば受信が可能になるという。
 さあここで受信不能の場合、4万円追加してアンテナを設置する気になれるかどうかである。
  結(ケチ)論はノーである。第一に、デジタル放送が受信できなくてもさしたる不自由はない。多機能がセットされていても使うことはないだろうし、アナログに較べ鮮明度が落ちても、高齢域に入った者にはそんなに差は感じないだろう。そして、アンテナ4万円は不当に高い。アンテナそのものは1万円以下であろう、つまりあとは人件費・工事費である。アンテナ単体を購入して設置するテもあるし・・・。
  テレビシアターのファンの私としては、大型画面のデジタルで観るのがいいに決まっているが、今は、それの投資に見合う鑑賞時間がないので、又の機会にしようと思う、生きていたら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年6月 2日 (土)

高齢化社会を生きる・1

 自称“老域の青年”のつぶやき
 還暦を過ぎて年金を受ける歳になった己をどう表現すればいいのか。「老人」「年寄り」「高齢者」は第三者の呼称である。“わが老いぼれめが”とへりくだる歳でもないし、“年金者の”というのもやや不満の残るところだ。
 文章上では、「山陰の旅2007」で初めて“老域の青年”と自称してみたが、苦肉の策であった。
 さてそれはさておき、ともかく「還暦」を過ぎて、年齢的には“老域”に入った気持ちにはなっていて、それ自体の抵抗感は、それほどはないといっていい。むしろ、“だからあんた、いったい何すればいいのよ”と問い、“何がしたいのか”と己に問い返す。

 で、とりあえず「老域」を区分してみた。
① 老域の青年期・初老(~65歳)<55歳ころから助走を始めて、年金受給開始ころまで>私はここにいると思っている。 
② 老域の熟年期・喜寿(~77歳)<全ての経験を生かし、最後の体力、気力、知力をたぎらせてボランテアに熱中、自分史の仕上げ期でもある>
③ 老域の高齢期・介護初期(77歳~)<隠居気分もよかろう、後楽とはこの時期のことである。足腰は鍛えておくが、介護受け入れの準備もぼつぼつだ>
 次に時代的に区分してみると、 
① 戦前~60年安保世代<昭和一桁~日中戦争開戦前に生まれた世代> 
② 高度成長・反公害・日米新時代の世代<戦中・戦後生まれの“団塊世代”といわれる層を含む世代>  
③ 団塊ジュニア世代<概ね1980年前後の生まれで、年金苦難の世代かもしれない>

 では“老域の青年”の社会像には、どんな姿が浮かんでくるか
① 個人差はあるとしても、経済的資産・知的財産の保持、保有がみられる?
② 高齢化社会の新しい価値観の創造の旗手を期待されている?
③ 地域再生に力量発揮の活路あり、社会運動の後見を期待される向きもある?
④ 多様な文化、芸術・芸能を継承、発展させるために能力発揮を期待されている
(続く)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2007年5月 9日 (水)

護憲平和的『解釈改憲』大研究

 衣替えからの連想
  この2~3日晴天が続き、気温も25度を越えるようになって来た。そうなれば「衣替え」となる。通園する園児の行列は、紺の制服とブラウスだけの子が混在しているが、やがて白一色になるだろう。
 一方家の中では、衣類の冬物と夏物の入れ替えである。まず毛布が押入れに収納され、替わってタオルケットが出される。コート、ジャケット類は陰干しにするかクリーニングに出してこれも収納される。次に長袖のブラウス類と入れ替えで、Tシャツと共に半袖のものが取り出され、下着もノースリーブ、ランニングシャツ類を取り出す。それらをまとめて洗濯機に放り込む。半年間収納しておくとどうしても、“臭い”が付くので、一度洗って天日に当てねばならない。
 このようにして、四季のある日本では春夏秋冬、大小の衣替えを日常的にしているわけだ。それは生活習慣でもあるが、より快適な日常への対処でもある。もっとも、身につけているものの中でも、年間殆んど変わらないものもある。あるいは、着衣が季節、流行、減耗などによって、どのように変わろうとも、着る人その人の姿勢、価値観がしっかりしていれば、山ほどの衣類は要らない質素な生活も可能である。外的要因に対して、それらに翻弄されない生活、生き方もあるに違いない。
 法律は、ある意味では日常的生活の工夫の一つといえるかもしれない。しかし、憲法は、流行ともいえる外的要因、あるいは、長く着こなしてきたから減耗した、だから取り替えねばならない、というものでもない。ここのところの履き違えがあるような気がする。
 ここでは簡略的にいってしまうが、「現状に合わせるために、憲法を捻じ曲げ、いわゆる解釈改憲を積み重ねてきた。もはやそれも限界であるから、現状に合わせ、これからの見通しを立てて憲法を改正することが焦眉の課題だ」という説はもっともらしく聞こえる。もっともらしく聞こえるということは、これに同調する人も多いということでもある。
 その昔、戦争体験もあった職場の先輩がよく「世の中、10人に一人か二人がいい方向に引っ張っていく力だ。また2割はその反対で、残りの六割~七割は、どっちでもなびく。君らあは少数だががんばらなあかん」と話しておられ、曖昧模糊としているが、これが私の精神的支えの一つであった。
 今思うに「やはり現憲法は変える必要はない。解釈改憲、それも便法といえるかもしれない。これからは解釈のあり方を変えればいいのではないか」と思うし、「戦争しない」ために何をすべきかを具体的に示していかねばならない。
  ふとこんな風にも思う。戦争をしたいと思っている政治家も国民も、そうならば、まず自衛隊に志願させたらどうか。3年間の訓練を終えて、尚軍人として生きていくというのなら、米軍の「傭兵」として、自主志願させたらどうか。
  だが結局これも、戦争肯定派を説得したことにならず、突き放すことに過ぎない。あるいは自国民を、「自己責任」とはいえ、国が認めることは「反戦平和」に矛盾、逆行することになる、であろう。
  さて、ここで例の「解釈改憲」の便法を用いるならどうなるか。「護憲平和的『解釈改憲』大研究』をどなたか始めてみませんか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年4月25日 (水)

これはハヤシシチューか

試してみるか
  昨日のハヤシライスは、いつもなら、市販のルーに玉葱、人参、豚肉というシンプルな具だけであったが、今回は、頂戴した筍と、これも畑から採りたてのもらいもののエンドウ、更に冷蔵庫の片隅に残っていたマッシュルームを入れたから、鍋の中は具だらけとなって殆んど“ハヤシシチュー”となった。
 これにエビ、イカ、サーモン、あさりかハマグリなどの貝類を入れたら“地中海鍋”風になるだろうなと思った。一度試してみようと思うが、ハヤシのルーそのままではシチューとしては濃厚すぎるので、やや薄めてケチャップを入れて甘味を出し、スパイスを利かせたらどうなるだろう。“?なんだこりゃ”となるか、“妙な味だが、いける!”となるか。
 まあ人に食べさせる前に試作してみればいいわけだから、残りのハヤシでやってみよう。ただスパイスがないし、その種類を見分け、使いこなす能力がないから、とりあえず、コショウでやってみよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年3月16日 (金)

とっておきファイル

  留め置きたい情報
  2月8日の日録で「労働関連メール情報」を昨年末で終刊とした、と書いたが、インターネットでの情報の中には、手元に留め置きたいという情報もあって、中々削除できない。そこで「労働関連メール情報」の後継として「とっておきファイル」というタイトルで、保管することにした。殆んどアットランダムに選んだ相手に、勝手に送信していて、今日発信したのがその第6号。
 以下にその情報のバックナンバーを付記すると、
01 02・14 連合トヨタの「組合員への重大メッセージ」
02 02・16 軍隊慰安婦「なかった」とする政府の嘘と隠蔽
03 02・22 電力会社のデータ捏造
04 02・25 日本軍「慰安婦問題」に関する声明
05 03・14 国内核物質「兵器転用可能」を隠すな
06 03・16 原発の光と影知って 鎌仲ひとみ監督
 
 今のところ、テーマとして「従軍慰安婦問題」と「原発関連」が多いが、これらの運動に直接関わることはこれまでも少なかったし、これからもあまりないであろうが、心得ておかねばならないものの一つであろうと思うので、ファイルした。だから特に絞り込んでいるわけではないが、「環境、教育、人権、平和、労働」などがやはり関心事であることは確かである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月26日 (木)

労働について

  年金生活者の場合は・・・
  フィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援関係の資料3種類の印刷のため、いつも利用させてもらっている所に出かけた。写真が入っているページは、黒く潰れてしまうので、予めコンビニに寄って薄めのコピーをとっておく必要がある。以前は自前のコピー機があったが、維持費が高くて四年ほど前に放棄してしまった。しかし今は24時間営業のコンビニのお陰で不自由していないが、その陰には“安価な労働”もあることは確かである。
 B4サイズ400枚の裏表合計800枚の印刷は40分ほどで終わり、折り曲げ作業はこれも40分くらいで終わった。1枚のミスもなく滞りなく終えたが、その作業をしている場所の一角では、資料の閲覧コーナーがあり、そこで男子高校生が学習をしていたので、終始音を気にしながらの作業であった。
 もう一方の隅では、自動販売機の交換作業を50がらみの男性が作業を始めていて、素材と紙コップの補充、販売量のチェック、清掃、使用済みコップの持ち帰りなどをもくもくとやっていた。こうした職業の多くは、若い人が殆んどであるが、今日見かけた人は、ユニホームも着ていないから、何かの都合で臨時に駆り出された管理職かもしれない。
 一方、この施設の事務室には4~5人いたが、どんな仕事をしているかはよくわからない。“センターまつり”等のイベント、月初めの会場予約抽選会、閲覧と配布資料の入れ替え、受付以外にどんな仕事内容なのか、とつい見てしまう。
 そうした人の動きを、資料の二つ折りをしながら見ていると、8年も前に賃労働からさっさと降りてしまった自分は、これでよかったのだろうかとつい思ってしまう。そして結論はいつも、“これでよかったのだ”であるが、そういう繰り返しの思いをするということは、どこかで気にしているのだろうとも思う。
 ビラ1枚、資料一部、ミニコミ誌1冊、それらを作る作業に消費社会に沿った生産性はない。ないが何らかの社会“資本”の蓄積に寄与しているのだろうか、とまたまた考えてしまうのだが、学校の教員とは比較ならないとしても、その類いであろうから、これもまた良しとしているのである。
 年金生活者に賃労働は不要であるが、労働そのものは、どんな形であっても必要なものかもしれない、などと取りとめもなく考えていた。 
(追い書き)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年10月 4日 (水)

イグゼンプション

 過労死してからでは遅い!
 きょうのNHK「クローズアップ現代」では、「残業代がなくなる?労使激突」というタイトルで、時間規制の適用を除外する制度「イグゼンプション(Exemption)」を取り上げていたが、問題の本質は「残業代がなくなる」というレベルの話ではない。
 一般に「ホワイトカラー・イグゼンプション」といわれるように、労働基準法による労働時間の時間規制の適用の除外の対象となるといわれているのは、研究・技術開発に携わる人たち、或いは、医師、弁護士、記者、機長など「特別専門職」といわれる職業、即ちホワイトカラーの人たちである。
 確かに、その労働形態は、製造現場のように、時間帯(昼勤、夜勤の二交代制、三交代制)に違いがあっても、一定の時間内に製品を完成させること、あるいは開店から閉店までという「一単位労働」が完結するのと違って、「コア」となる時間が特定しにくいので、いきおい、「非効率な長時間労働」となる場合はあろう。
 放送では、これらの問題の“先進国”アメリカとイギリスの例を取り上げていて、詳細は省くが、日本の経営者は、アメリカ型の「成果主義型」を志向しているというのである。
 さて、日本の経営者が言う、現実的な労働時間の効率性や企業の国際競争力の上から、或いは当事者にとっても悪いことではない、などという説は信用できない。彼らは、これまで建前を強くいい本音を曖昧にして、法の抜け穴を見つけ出しては、それを既成事実化して追認的法改悪を続けてきた。「男女雇用機会均等法」「労働者派遣法」の経緯や「非正規雇用の増加傾向」を検証してみたら一目瞭然であろう。
 そもそも「ホワイトカラー」などという職域はないといっていいだろう。それゆえ必ず、時間規制の適用除外となる対象職種の特定からはじめるであろうが、それがどんどん拡大されていくことは必定。時間規制がないことを理由に或いは「成果主義」実は「過大な目標値」を与えて、実質的に際限のない労働を強いることになる。有給休暇さえ取れない状況は、容易に想像できるではないか。その上、欧米と決定的に違うのは、放送の解説者がいっていた支配権を持つ経営者と自立出来ていない日本の労働者(労働市場の違い)、自分の仕事と他人の仕事の境界をしっかり引いている欧米人と、管理、指導、協力、バックアップという名の兼務、代行労働が常態化している日本。こうであるから「長時間労働=サービス残業」があとを断たないのである。
 恐らく現在、このような問題意識のもとで労使の話し合いが続いているのであろうが、労働側が、結果としての過重労働から来た「過労死・自殺」「労災・職業病」の認定闘争に取り組むことがあっても、それすら取り組まない労働組合が多い中、「過労死してからでは遅い!」そうならないための「前段闘争」がないのがもっと気がかりである。

 この問題は「労働関連メール情報 第61号<06・07・11>」でも取り上げた。

 

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006年9月 9日 (土)

連帯ロード2006

 自転車で伴走

 経済同友会の終身幹事であるという品川正治氏の「日本の進路-改憲に物申す」講演会と、人権擁護プレ集会、大友信勝氏の「これでいいのか現代の貧困」講演会が重なり、どっちにしようか迷っていたが、結局、この二つの集会をキャンセルして、「国労1047名の解雇撤回、人権回復!闘争支援」の「連帯ロード2006」に参加することにした。
 8月26日、鹿児島を出発した北見闘争団の中野勇人(はやと)さんが、9月15日の「鉄建公団訴訟判決1周年、9・15中央集会」が開催される東京まで、自転車で走り抜くというので、「国労連帯」もあったが、「ピースサイクル愛知」として、ここはたとえ一人でも伴走せねばなるまい、と一念発起したわけである。
 緑区の自宅を13時05分に自転車で出発、1号線などを通って名古屋駅前に14時25分着で、所要時間1時間20分、休憩なしだった。
 駅前で45分ほどの街頭宣伝をしたあと、名古屋の繁華街・栄まで自転車隊を先導し、ここでも40分ほど街頭宣伝。あいにく雨が降り出し、ほとんどの通行人が地下街に入ってしまって、街宣効果も半減、しかしそれはやむを得まい。
 それから交流会場となる東別院・名古屋女性会館まで再び先導し、17時20分ころ到着。19時から21時まで、スライドと闘いの報告、職場報告、中野さんが締めくくりの決意とあいさつ。最後に安城市議の和田米吉さんの「団結ガンバロー」で交流集会を終えた。
 この交流集会で私は、1970年代、民間職場での反合理化闘争、少数派労働運動が果敢に闘われたが、官公労はそこから何を学んだか。「民営化」に目をつけたのは、資本も権力もそれだけの意味を見いだしていたからだ。政治課題では「憲法改悪反対、憲法9条を守れ!」というが、具体的にどう改悪を阻止するのか。つまり、企業別、産業別、民間・公労協などの分断で本格的な労働運動の議論がなされていない、その一方で“政治談議”が決定的に不足している、などとまたまたほざいてしまった。
 午後9時0分女性会館を出発し、午後10時0分帰宅。所要時間はきっかり
1時間だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)