2009年12月 2日 (水)

私の町の交差点(2)

 本町交差点
 
本町商店街

 昭和30年前後の私の記憶であるが、旧東海道、曲の手を西に行くと、左手南側は、明治以降、鳴海町役場、緑区役所、緑社会教育センター、そして現在は、緑生涯学習センターとなっている。火の見櫓があったと書いたが、そうすると、消防署も併設されていた時期があったような気もするが定かではない。分署ほどのものだったかもしれない。
 その道筋は、本町商店街になっているが、「交差点・1」の襖店・萬壽堂に続いて北側は、レストラン・米常、酒の・菊の世、小路があって、(ミシン店)、運動具店の五年屋(現木村スポーツ)、数軒置いてたばこや(小島)、パチンコ店(野村)、書店(永井)、(楽器店)、荒川畳店、洋品店・はやけん、履物の三八屋、食堂(現喫茶店)・東角、八百屋(千代屋)と続いた。
 南側は、役場に並んで塩を扱っていた店、(お米屋)、和菓子の平野屋、小路、金物店のかじ市、雑貨(鳥居)、テーラー(竹内)、ベビー用品(鬼頭)、食事・仕出し(大阪屋)、自転車店(加藤サイクル)、薬局(豊島や/神谷薬局)、時計店(鈴木)、和菓子(小川屋)、果物店(芋勇)、絞や(早鍵)、フクシマヤと続いて、旧根古屋、現本町交差点に至る。
 ※(  )内は、現存しない。
 本町交差点、旧鳴海城の南
 旧鳴海城(根古屋城)の南に位置する現在の本町交差点は、北西角が、コンビニ・ローソンが撤退して、現在は空き店舗になっている。以前は、種々の種のお店で「種宗」といった。
 北は庚申坂といい、坂の西側は宝石店(たけたに)、誓願寺、円道寺を経て鳴海城跡に至る。交差点北東角の、八百屋あとは空き地になっているが、江戸期には、高札場であったという。そこから庚申坂を北に行くと民家が続き(一時期、西尾信金があった)、やがて、円龍寺の石段に至ったのであるが、現在は、鳴海交番と三菱東京UFJ銀行となっている。その銀行前に、かの「高札」が復元(レプリカ)される工事が始まった。
 南西角は、記憶にある限りずっと「福島屋・フクシマヤ」であり、古くは教科書、文具、おもちゃなどを扱っていたが、最近はサーキットも置く、プラモデル専門店のようである。
交差点南へは、お茶や(兵頭茶舗)、喫茶店(紫苑)、洋品の青松屋、仏壇店(大野)、扇川を渡ると左手に浅間神社があり、さらに名鉄鳴海駅に至る。この駅を中心に四つのブロックに分けられて、市街地開発事業が進行中で、名鉄の高架化工事と、南東のDブロックが完成した。この事業のため、浅間神社は、東に移動し、本町の山車蔵は、フクシマヤの東隣に移設されることになった。
 根古屋も変貌
 交差点の西側は根古屋で、南西角は、ガラス製品も並ぶガラス店(鬼頭)だったが、今は道路拡張で移転、理容のエビスとなっている。それに連なる南側店舗は、すずきとか稲穂屋とかの食堂、車の修理屋(成田兄弟商会)、麺食堂・笹や、パチンコ(銀座)、(花屋)、根古屋の山車蔵があって扇川に至る。もちろん、この間いろいろ変遷があって、現在の店舗と全く違う姿であった。
 根古屋の商店街がややさびれて、店舗閉鎖が続き、その一角に、(藤和不動産)高層マンションができた。景観が壊されてしまって、残念この上ない。(09・10・16)
 緑区は、鳴海町、有松町、大高町の3町が一緒になって名古屋市に合併してできた。そして有松駅前の開発事業が先行し、続いて鳴海駅前の再開発事業が着手された。その間、大高には、新たに「南大高駅」がつくられ、大型ショッピングセンター・イオンが出店、住宅開発も進んでいる。
 このようにして町は変貌する。個別の住居も、店舗も多くは変わっていくが、道、交差点は残っていることが多い。そこをどれだけの人が行き交ったであろうか。

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2009年11月24日 (火)

私の町の交差点(1)

  曲の手付近
 地域限定で出している「雑談の櫂」の第14号では、「私の町の交差点」というシリーズを始めた。
 どこの町にも、大小、信号のあるないにかかわらず、あるいは十字路・三差路・丁字路・変則交差点など、様々無数にあるが、私が取り上げる交差点は、町とその歴史を紹介することが第一ではなく、私の歩んできたその道程の中の交差点である。思い入れのある交差点といっていいかもしれない。ある意味では、「自分史・生前遺稿集」の追補版といえるかもしれない。
  初回に取り上げたのは「曲の手」で、この交差点は、私の自分史に「扇川をわたって曲の手へ」とタイトルを付けたほど、いにしえの、えにしある交差点である。「曲の手」は、「かねのて」と読む。
 1950年代当時、愛知郡鳴海町(現名古屋市緑区)のわが家から、扇川にかかる相生橋を渡るとその先が旧東海道の曲の手であった。一般的な交差点はほぼ「+」に交差しているが、曲の手は、「卍」の一つを外した形、「曲尺(かねじゃく)」二つの組み合わせのように、交差点を(戦略上)直進できない構造になっている。
 その曲の手を東から見ると、形としては丁字路となり、この道筋は、下郷家(千代倉)の敷地であったようである。その手前に、北に入る道があって、その先は鳴海山萬福寺に至り、やがて鳴海小学校の正門に前に出た。
 曲の手の北東角は、現存する和菓子の老舗「菊屋茂富」で、四季雑談の会の今年の春席では、茶菓子をこのお店で求めた。曲の手を西に進むと、そこにはかつて火の見やぐらがあって、鳴海町役場(現緑生涯学習センター)に続いていた。
  このあたり一帯は、わが家の買い物圏で、幼少のころの私は、よく「お使い」にだされた。当然、味噌・醤油・酒の店、八百屋、肉屋、米屋、雑貨・金物店、クリーニング、床屋、病院も近くにあり、「公設・中央市場」もあった。(鳴海駅南に「公設・鳴海市場」もあった)
曲の手の角に、「魚七」という魚屋があった。当初は小さいながらも、新鮮で安い魚が評判で人だかりがしていたお店であった。その繁盛の勢いで、曲の手交差点から東へ百メートル余り先に、公設市場くらいの大きな店舗を構えて移転した。
  しかしそれは失敗であった。広くてきれいで品数も増えたにもかかわらず、客足がパタリと止まり、1年経ったか経たないかのうちに閉店、また元の位置に戻ったのであるが、移転前の繁昌は夢のようで、今は看板を残したまま閉じている。
  あの狭くて雑多で、魚市場から仕入れた魚を木箱のまま並べた店先。天井からつり下がった竹籠に売り上げのお金が放り込まれ、買った魚は新聞紙に包まれて無造作に、しかし、掛け声とともに手渡された。そんな雰囲気が良かったのであろうか、当時の下町衆には。
  魚七の、その落差の大きさゆえに、多くの人が記憶にとどめているのではないかと思う。「栄枯盛衰」は権力者だけでなく、庶民の近くでも、こんな形で存在した、そして、私の中で忘れ難い一つとなっているのである。
  貧困家庭とも言っていいわが幼少年時代から幾星霜、いまの曲の手には、往時のような人通りはない。魚のガラが放つ臭いもない。生涯学習センターに時々訪れる私は、そんなことを思い起こしながら、今の私はどのあたりにいるのか。そして、この町の、曲の手の変遷を知らない子ども、孫らはどうなっていくのだろうか。そう思うことがないわけではない。

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2009年10月16日 (金)

鳴海宿高札場の復元

 庚申坂で工事中
 カーテンを開けば、雲も見えたが秋の空が見えた。“もったいない!”とばかりに、自転車にとび乗った。
 次号の「雑談の櫂」に新しく連載する「私の町の交差点」の、現在の姿の確認と写真撮影の機会を狙っていたので腰は軽く、ためらいなく家を飛び出した。
 第1回は2か所で「曲(かね)の手」と「本町」の交差点。1950年代の記憶をたどる。
 その折り、さしかかったのが「鳴海宿高札場」の復元作業現場。この復元作業は、(財)名古屋都市センター主催の平成20年度まちづくり活動助成「町、“夢”工事部門」の最終選考に合格し、助成金と寄付金によって実現したものだった。
 もともとの高札は、1633年(寛永10年)に建て始められたといい、「本町」交差点北東角にあった。鳴海陣屋から庄屋に預けられた制札は7枚あったといわれ、それらは名古屋市博物館に寄贈され現存しているという。復元され展示されるのはもちろんレプリカである。
 その工事は、実際の跡地ではなく、その場所から北へ約80メートル、庚申坂の中ほど、円道寺の向かい側、現三菱UFJ銀行支店前で行われている。
 実際の場所は現在空き地になっており、その場所で復元されることが最善であったであろうが、土地を買い取る資金がなかったということだろう。
 歴史的遺物の保存、維持には、それなりの資金が必要で、余裕があれば税金で賄うこともできようが、どの自治体にも余裕などなく、文化・教育・町並みの予算も、優先順位があって、この鳴海宿高札場の復元も、土地代金まではとても、というのが現実であったに違いない。
 高札場の復元は、鳴海宿のほんの一部に過ぎない。鳴海宿本陣跡は、その一部がつい最近まで残っていたが、老朽化して取り壊された。現在は、根古屋の山車蔵が建っている。本陣の正面図は、舞台建築家、村瀬氏の手によって復元され、鳴海商工会の会館に掲額されていると思う。脇本陣は跡かたもないが、その跡地の一部につい最近、本町山車蔵が移設、新築された。

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2008年3月22日 (土)

イオン大高SC

 底引き網の脅威
  中部地区最大規模という、イオン大高ショッピングセンターが3月25日に開店する。売り場面積78900平方メートル、190店舗、4000台収容の駐車場、従事する人3000人。
  場所は、名四国道(23号線)、伊勢湾岸道路(第二東名高速道路)、名古屋環状2号線(国道302号線)が交差する名古屋南IC近く。近い将来、JR東海道本線・大高南駅(仮称)ができるという。
  車でしか行けない、典型的な郊外型の大型ショッピングセンターであるが、私には、何もかもかっさらっていく「大型のまき網漁」か「底引き網漁」のごとく、周辺の小売店はおろか、大小のスーパーマーケットの顧客を、包み込んでしまうのではないかと思えてならない。しかも、この新しいSC周辺には、上記国道とつながる都市計画道路も作られ、またつくられようとしている。
  思えば、緑区で最も「開発」が遅れていたというか、されてこなかった大高地区であるが、中部新空港建設のころから、物流基地の話もあり、名古屋の東部地区近郊では、数少ない残された空間であった。また、名古屋市へ合併(緑区に編入)する前は、知多郡であったが、それは、名古屋南部、東部の南区、緑区、天白区、豊明市のみならず、知多地区といわれる近隣の東海市、大府市をも「商圏」に取り込むことになる、と言うことでもあろう。
  気になるのは、苦労した挙句、ようやく開店に漕ぎつけた有松駅前のイオンSCである。周辺の都市計画道路の整備に力を入れ、周辺からの集客を期待してのことだったろうが、数年後の302号の開通で、東部からの顧客が素通りして大高SCに流れてしまう恐れが出てこよう。
  いい知恵者が多いといわれる有松商工会のこと、対策は進んでいるのであろうが、なんとはなく気がかりである。

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2007年9月18日 (火)

みどり文芸ネットのこれから

 改めて土台から手作りを始めるか
 今日の「みどり文化芸術ネットワーク」の事務局会には、10人が参加して、3年後の第3回「緑区文化祭」を視野に入れながら、今後のネットワークについて、“本質部分”に踏み込む発言、意見があったように感じた。その内容に入る前に、前回の会議で感じたことをまず書き留めておきたい。
  「この日の例会では、先月行われた『第二回緑区文化祭』の総括が話し合われたが、その中で『音楽劇の主役級は劇団員で、いわばセミプロである。その人たちがいなければ、公演が成り立たないのは事実だが、文芸ネットの本旨が薄れる心配がある』という意見が出される一方『素人集団だけで、半年ほどの練習、稽古で入場料金レベルの演劇が仕上がるとは思えない』と言う意見も出て、アマチュアの文化活動、公演事業の難しさが改めて浮き彫りにされた。
 3回目になる今回の「音楽劇・元禄芭蕉絵巻」は、総額600万円ほどの予算規模で行われており、そのうち入場料収入、ネットの会費からの持ち出しを含めて収入は250万円程度、残りはパンフレット掲載の広告収入(協賛金)に依拠している。
 財政面からも、こうした形態がいいのかどうかも議論され、基本的には入場料収入で賄うべきだ、ということになるが、仮に3回公演が満席になっても、300万円程度の収入しかならず、現在の制作過程を踏まえれば問題の解決にならない。
 もう一度、演劇が好き、歌うことが好き、舞台が好き、地域の活動に寄与したい、そのために例えば毎月1000円程度の積み立てはむしろ励みになる、という意気投合ができないか考える余地はありそうだ。また、そんな話を聞いて篤志家が出てこないとも限らない。
 とはいえ、ことは簡単ではない。こと『文化』となると、日常生活との緊密性に欠けるところがあって、人間の空腹と怠惰には勝てない場合が多いのである。
 地域の文化活動とは何か、3年後とその間の『ワークショップ』をどうするかなどの課題は、次回に持ち越された。」
<「緑ネット第78号」2007年9月1日から>

 今日の会議の前提は、今のままでは3年後に同規模の「音楽劇」を公演するのは難しい、という点にあった。そこで出された意見は、①脚家本を育て(講座を開く)アマチュアの脚本ができれば、それ自体が文芸ネット独自の創造となる。もっともそれには時間がかかるし、これまでのような大作を期待することは難しい。日程を決めるときにリスクが伴うこともあろう。一方、短編であっても、これまでの「地元にゆかりのある歴史的題材」という枠を取り払うことができる。何故ならオリジナルのシナリオならば、現代に題材を求めても、それ自体が、この地域を起源となし、地域文化の発展というネットワークの目的に合致するからだ。②コーラスも、指導者を確保するという点で実現性は難しいかもしれないが、ネット独自の合唱団を形成して練習を重ね、音楽劇に目標を定めるようにする。③その他スタッフ、例えば、ナレーション、大道具、小道具の製作、衣装、照明技術、舞台裏の作業などに興味をもっている人がいるかもしれないので、効果的な宣伝をして募集する。(これまでも募集はしてきたが・・・)等々であった。
 この議論の本質は、これまでの3回は、とにかく舞台を成功させることが最優先で、それもかなり質の高いもの、2500円から3000円の入場料の取れるものという、セミプロ的発想から出発した感があった。この愛知では一流といわれる脚本家、演出家にお願いをし、出演者自身も、応募を前提としながら、主役級は劇団員の登用。また参加者が集まらないということもあって、既存のコーラスグーループの応援参加、つまり、野球で言えば、草野球でも野球好きだった人が集まり、地域リーグのクラブチームとして立ち上がったというより、新球団「楽天」のようにプロアマの寄せ集めでスタートした感があった。
 今となっては、それも致し方ないことであったが、この先を考えると、土台作りからはじめるという発想は貴重である。ただ発想は遠大で理にかなっているが、その道筋はすぐには描ききれない未知の領域が広がっていることも確かだ。
 思うに、高度な音楽劇一筋の“大艦主義”から、45分程度の演劇、5分から10分程度の、毎回テーマを決めた“映像コーナー”、“文化講演会”の組み合わせでプログラムをつくるという試みも一案ではないだろうか。そのために2年間連続の「ワークショップ」の開催もいいだろう。
 このネットワークへの私の参加の基本的立場は、鑑賞と「緑ネット」による広報であるから、ネットの発足前はともかく、それ以降は基本的に提案することは控えてきた。
 「緑ネット」が11月で終刊を迎えることから、この事務局会への参加も疎遠になると予想している。だから今回、こんなことを書いてみた。

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2006年10月 2日 (月)

みどり文芸ネットにホームページ

  新たな広がり、底上げを期待

 10月に入って、「みどり文化芸術ネットワーク」(みどり文芸ネット)のホームページが立ち上がった。永らく、待望されていたものだった。
 これまでは「なるぱら」(なるみパラダイス)の一部を割いて、Sさんが情報発信を続けてくれていたのが、ようやく自立できたわけで、これからは、会員のみならず、区民や文化活動に関心のある人たちが盛り立てていくことが大事なことだと思う。

 同時に、このホームページという場では、詩や随筆、俳句、川柳、或いは郷土史散見、映画評などの「文字」領域の文化、緑区の自然、街の風景、古刹、様々な人々など「写真」領域の文化、一コマ、四コマ、カット絵、スケッチなどの「漫画・図画」領域の文化、そして、文化論、評論など、少々お堅いものまで、ビジュアルなものもネットで、「みどり文芸ネット」に参加が可能であり、新たな地平、底上げが期待できそうである。
  URLは下記の通りである。

       http://mbgn.xrea.jp/

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2006年9月 1日 (金)

ミニコミ誌

「緑ネット」の場合
 「環境とくらしを考える緑ネットワーク(緑ネット)」の第72号の発行作業と、区内の配達で1日が暮れた。これまでの3か月に2号(45日刊)から隔月刊になったが、編集から印刷、発送、配達作業そのものは、その限りにおいて変わるものではない。これからは、偶数月の20日以降月末までが、発行作業の集中日となる。
 いわゆる「ミニコミ誌」の発行は、現在どの程度であろうか。今はどうなっているか知らないが、名古屋市熱田区にある「名古屋働く人の家」では、ミニコミ誌の展示コーナーがあって、ざっと50種類くらい並んでいたのではないだろうか。
 私に送られてくるミニコミ誌は、現在6~7種類くらいで、ひところに較べ半減したのではないだろうか。その代りかどうかはわからないが、ホームページが開設されたり、ミニコミ誌は休刊状態になっても、ホームページは維持されているケースもある。それを「IT時代」というのか「ペーパーレス時代」というのかは知らないが、「緑ネット」の場合はミニコミを維持して、ホームページをこの9月一杯で閉鎖することになっている。理由は簡単でホームページを管理する人がいないだけである。
 私が管理人となることも考え、ソフトを譲り受け、指導も一度は受けてみたが、マスターするまでの道のりが果てしなく遠いように感じられ、また、それの専従になることにもためらいがあって、ホームページの閉鎖に同意した。いつか再開するかもしれないが、そのときは現在の「緑ネット」とは全く違ったものになっているだろう。そうなるためには、ホームページの編集・管理がもっと簡単にできるようになっていることが条件である。加齢と共に初歩的技術すら手がつかないであろうから。
 その間は、このブログで、ホームページの「日録」程度であるがつないでおきたい。(この稿8月30日)

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