2016年2月29日 (月)

大高緑地に‘恐竜パーク’?

  計画の見直しを求めるも、着工直前!
  緑の党・東海の‘グリーンカフェ・緑区’は、大高緑地(緑区大高町地内)に‘恐竜パーク’の計画があって、すでに「工事着工」が可能なところまで来ているという話を「大高緑地を愛する会」の、M代表から、経過と現状の話を聞くものだった。
  Mさんの話によれば、この「ディノアドベンチャーライド名古屋」という計画、民間業者の事業で地権者の愛知県が、大高緑地の一角、0,6ヘクタールを年間1000万円で貸すとのことである。そして、既に愛知県議会で事業計画が報告され、必要経費の予算案が承認されたとのこと。あとは、県知事の「ゴーサイン」がいつ出るかどうかで、これまで2度の工事着工が延期されたとはいえ業者は、7月オープンに向けての工事着工を、満を持して待機しているようだ。
 私は、この計画を全く知らなかった。そしてその内容を聞いてまず、かつてこの緑地全域を使って、「サッカー場建設計画」が浮上し、大反対にあって立ち消えになったことを思い出した。そして、知事の「黙っていても、年間1000万円が転がり込んでくる」という発想に、この知事にやっぱり、リニア新幹線でもそうだが、環境問題の意識も地元住民に耳を貸すという姿勢はないんだなあと思ったのだった。また、そんなチャチなものをつくって採算が合うのだろうか(そんなものに自然が破壊されることは許せない)、という感想を持ったのも正直なところだ。
 都会の緑地は減少することはあれ、自然のままに増加することはない。だから、現状ものはできるだけ保全するというのが、「県有地の有効活用」に優先することなのだ。あるいは「自然の、里山の保全」こそが「有効活用」でもあろう。あの「コップ10」(2010年)の成果はどうなったのか。一部が愛知万博の会場となった海上の森の保全に、一部手抜かりがあったばかりではないか(太陽光発電の設置)。
 さて、この状況に至って何ができるのだろう。とりあえず、現場を見る機会が3月の13日にあるようだ。また「見直し」を求める署名活動が継続されているので、日を置かずに取り組むことしかないか。また地元選出の県議、市議はどうしているのか(予算を承認してしまったらしいが)
 さて、こうした機会を設定し現状に遭遇した以上、緑の党・東海は、何か行動に移す用意があるのだろうか。参加した緑区在住の会員(党員)は、どうするのか、は、サポーターの私にも同義語だが、「大高緑地を愛する会」の要請を受けるほかは、手立てが思い付かない。

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2014年6月15日 (日)

音楽劇「鳴海球場物語」を観る

 

この文化活動の継続・継承を願いつつ
 その都度書いてきたが、といっても3年に1回の公演だから、前回はどんな風だったろうかと、自分でもすぐには思い出せないくらいだ。
 2001年の緑文化小劇場の開館に合わせて、市民グループのそれまでの活動を飛躍させて「みどり文化芸術ネットワーク」が発足した。そして開館記念公演に「鳴海潟物語-猩々(しょうじょう)」が上演された。続いて2004年に「ミヤズとタケル」、2007年に「元禄芭蕉絵巻-夢は鳴海をかけめぐる」さらに2011年には、有松・鳴海絞を題材にした「みどりの宙(そら)を超えて」そして今回の「ひいおじいさんのアルバム-鳴海球場物語-」と続いたのである。
 私のかかわりは、「みどり文芸ネット」のたちあがり、準備会と第1回公演までで、もっぱら広報-ニュースの編集発行であった。
 さて今公演は、今では名鉄自動車学校となっているが、内野スタンドがそのまま残る鳴海球場のいわば「盛衰物語」である。そして脚本は、中等野球全盛期、全米チームとの試合など華やかな戦前と、戦後の一時期の、プロ野球中日ドラゴンズの前身「金鯱軍」の時代(1948年まで?)つまり中日球場(中日スタヂアム)ができるまで、そして高校野球の盛んになるまでを映像を使いつつ、ひいおじいさんとひ孫との会話を通して「アルバム」を紐解いていく。
 だがもう一つ大きなテーマが下敷きにされた。それは戦時色が強まり、敵性スポーツ(野球)の禁止、敵性語禁止などという‘狂気’の時代が、庶民の暮らし、楽しみの一つ、野球を奪っていった。つまり「反戦平和」を背景に映し出すことで、観客をアルバムの中の郷愁、追憶の世界から、現在の世相に引き戻す、そんな‘微風’も感じさせるものであった。
 この音楽劇は、緑区の歴史、民話、暮らしなどに題材を求め、演劇自体の質はプロの手にゆだねるものの、制作段階からキャストに至るまで「市民主体」という大きな特徴がある。その意味で評価は高いし、継続していくことは、他の市区への波及的影響力も小さくない。だが主導的スタッフの年々歳々加齢は当然で、継続は世代的継承なしにはなしえない。
 主催者のもう一つに「(公財)名古屋市文化振興事業団(緑文化小劇場)」があり、後援に市教委、県教委、緑区文化協会他があるが、実態としては「市民+鳴海商工会」といえるだろう。本来は「市民からの浄財で」が基本ではあるが、この商工会の財政的支援(広告収入)なくして成り立たない、という問題は、「継続・継承」にとって不可避の課題だ。あの「大須演芸場」の顛末を見ても、難しさが推し量ることができるというものだ。
 庶民の文化が衰退する、人々の関心が薄れていく、動員型の「マツリ」が台頭してくる時代は、いい時代とは言い難い。そんな風潮を感じている昨今、これからもこの「緑区文化祭-みどり文芸ネット」の活動を見守っていきたい。

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2013年12月11日 (水)

鳴海球場物語

 みどり文芸ネットが主催する音楽劇の第5作
 みどり文化芸術ネットワークが主催する音楽劇の第5作「ひいおじいちゃんのアルバム-鳴海球場物語」の結団式が、去る12月8日に開催された。
 これまで幾度となく「ワークショップ」が開かれ、11月10日の最後のワークショップで、オーデションが行われた。そして、音楽劇の脚本、あらすじが菊本健郎氏から提示さたとのこと。これでおいおいキャストも決まっていくことになろう。
 この音楽劇は、緑区にある民話、伝承、歴史などを題材にして台本が作られる。脚本、演出はプロに依頼するが、企画、制作はみどり文芸ネットが、音楽、舞台芸術も地元出身、在住者が担うことが多い。そしてキャストは、緑区在住または在勤、縁者の市民が中心である。
 物語は、「4世代家族のひいおじいさんがひ孫に対し、アルバムをひもときながら、戦前に同球場でプレーしたことや、野球ができなかった戦争時の話をする内容」とのこと。
 その鳴海球場は、現在は名鉄自動車学校となっているが、当時の内野席などの一部が現存している。また、ホームプレートのあったと思われる場所に記念のレリーフが設置されている。
 前回は「有松・鳴海絞」がテーマだったが、歴史から採った題材と違って、現代を表現する劇には、“生存者”もいることもあって、事実関係、私的部分などに配慮が必要だといわれる。「鳴海球場」というテーマは、スポーツに関するという面で、興味を薄く感じる人がいるかもしれない。その点を「緑区の史跡、歴史」という面から惹きつけていくとも必要かもしれない。どんなストーリーが出来上がるか楽しみである。
 公演は2014年6月14、15の両日に計4回、緑区の緑文化小劇場で開かれる。入場料は前売り2500円(当日2800円)が予定されている。

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2013年8月16日 (金)

大規模ドラッグストアー考

 緑区の、滝の水地区の場合
 時々この欄でも書くのであるが、緑区は名古屋市との合併以降急速にベッドタウンとして発展(といっていいのかどうか躊躇するが)してきた。しかしそのもう一つ外側、例えば、豊明市、東郷町、日進市、長久手市が今やその役割を引き受けるようにして人口が増え続けている。長久手町が長久手市に、三好町がみよし市となったのもその象徴かもしれない。
 とはいえ緑区はもう一つの姿がある。その一つが大高地区の発展であろうか。国道23号線、名古屋環状2号線(国道302号線)、伊勢湾岸道路が交わる名古屋南JCに近くに、JR東海道本線の南大高駅ができ、大型ショッピングセンター・イオンが開店するに従って、その周辺にマンションと一戸建て住宅が次々と建ち始めている。道路で断ち切られているが、有松・桶狭間地区の開発と隣り合わせである。
 もう一つは、そうした郊外型の発展とは趣を変えて、滝の水公園を中心に東西南北に延びる道路図沿いに新しい店舗ができて、一定の賑わいをみせている。広い駐車場を持った大型の店舗は少ない。様々な業種の小売店が並んでいる。ただそこには、八百屋、魚屋、米穀・調味料店といった昔ながらのお店はない。そうした店が集合した「市場」もない。CD・ブック店はあっても、店主一人の本屋さんもない。
 また、ビルド&スクラップといった、店舗が出来ては消えるといったこともないとはいえないが、そうしたケースの多くは“チェーン店”のような気がする。儲からないとさっさと資本を引き揚げてしまうのだ。その点、当初は苦戦していたであろうけれども、おいしい料理を出して、今や人気店になっているお店もあり、稀ではあるがそんな店が根を張り始めているのではないだろうか。
 このあたりは、私の散歩コースの一つでもあるからそうした街の変遷の一部を見てきた。最近、かつていい感じのやや大きめの居酒屋があって、それがいつの間にか消え、また近くの百均の店に代わってその跡地にそれなりに有名な日本料理店ができ、ちょっと高めだが招待にはいいかなと思っていた店も、そんなに長くないうちに閉店となって空き地になっていた。その場所で工事が始まった。店舗付きマンションかなと想像していたら、大きな駐車場を構えたドラッグストアーの「滝の水店」であることが分かった。チェーン店である。
 ドラッグストアーといっても今時のそれは「薬屋」ではもちろんない。確かに店舗の一角に一通りの薬品が並べられているが、他は、まさに「ホームセンター」である。化粧品、ベビー用品、各種洗剤から紙製品、台所、洗面・お風呂、トイレに関係するもの、清涼飲料水から酒類一通りある。スナック菓子、チョコレート、ガムなどのお菓子類。ちょっとした文房具類も置いてある。
 お客の籠を見ても、そうした日用雑貨が多いようである。関連するものが一か所で、しかも格安で買えるとなれば、とても個人のお店は太刀打ちできないから、淘汰されてしまう。そうした状況は今も変わりがない。
  それにしても、この辺りでは大型のドラッグストアーが目につく。そんなにいい商売なのだろうか。薄利多売、アルバイト、パート店員で成り立っているのかもしれないが、医薬品が置いてあれば「薬剤師」はどうなっているのかと気になる。わが家近くのお店では、時々白衣のそれらしき人を見かけるのであるが、常駐ではない。コンビニでの薬の販売が規制緩和される話と共に、こうした店舗については多少の警戒心があってしかるべきだろう。思わず「規制緩和」ってやはり“曲者だ”とつぶやいてしまった。

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2013年2月17日 (日)

みどり文芸ネット総会2013

 第5作目の音楽劇も決まる
 みどり文化芸術ネットワークの年次総会が開かれた。昨年から、それまでの3年に一回の総会が年次総会に変わったのだった。
 この日は、2014年6月に開催が予定されている5作目となる音楽劇「鳴海球場物語(仮題)」の、参加者公募の説明会もあって、会場が満席となる50人以上が参加していた。
 前半の議事では、1年間の活動報告と会計報告があって、もう一つは、みどり文芸ネットが起案し寄贈することになっている「緑文化小劇場由来サイン」(銘板)の報告があった。これは昨年の総会の報告でも触れたので省略する。
 今一度ここで取り上げておきたいことは、「みどり文化芸術ネットワーク」の活動が、「市民による、地域の芸術文化の維持、底上げに稀有な活動」と高い評価を受けていることについてである。
 「緑文化小劇場由来サイン」に記されている内容でも、それは垣間見ることができるが、「鳴海球場物語(仮題)」の脚本、演出を担当される菊本達郎氏や、緑文化小劇場館長の早川正晃氏の話からも、それが伺えた。
 つまり、音楽劇の制作では、脚本、演出、音楽、照明、衣裳等、またキャストでも一部では、プロあるいはセミプロに依存しているが、いわゆる「制作スタッフ」の裏方仕事に、あまり類例を見ない「市(区)民力」が発揮されているというのである。それは企画、制作資金集めから始まって、広告宣伝、チケットの販売、スケジュール管理と練習場確保等々。逆にいえば、制作資金を集めて、あとは全てプロに“丸投げ”はしない、ということでもある。
 また歴史、民話、様々な姿、顔など緑区に由来する事案を題材とする「音楽劇」は、演劇、音楽、コーラス、舞踊など違うジャンルが一つとなって上演される内容を基本スタンスとしているのも、特徴といえるだろう。脚本の難しさもここにあるといえる。
 さて私は、「観賞する一市民」という立場から、スタッフにもキャストにも参加したことはないが、今回は「制作過程」の“見学”を申し込んだ。完成されたものは毎度見てきたが、そのプロセスについて、一度は見てみたいと思っていたからだ。これから15か月、「菊本演出」を見て行きたい。
【参考】
    名古屋市緑文化小劇場由来サインの寄付について
 緑文化小劇場にピアノの寄付等、住民運動の成果を示す看板。劇場のロビーか通路に設置予定。
                (文面)
     地域と共にある名古屋市緑文化小劇場
 名古屋市緑文化小劇場は、緑区住民を中心とする多くの市民の要望に応えて建設され、2001年6月にオープンしました。
 劇場建設に際しては、設計段階から市民が参加して改善が重ねられました。バリアフリーで客席に入ることができるエントランスや、文化小劇場の中で最も奥行きのある舞台(建設当時)、余裕のある舞台袖の空間、側道から直接搬入できる広い搬入口、緑区人口に対応した客席数、張り出し舞台が設置できる撤去可能な前列椅子席、花道と一体化した烏屋(とや)、鑑賞しやすいよう交互に配列されている中央後列の椅子席、女性用トイレの増設、外から入ることができる練習室など、随所に利用者の視点が反映されています。
 また、劇場備品となっているスタインウェイピアノも、市民の要望でした。緑区に一流のピアニストを招きたい、ピアノを学んでいる子ども達に、よりよい体験をさせてあげたい、という願いからです。予算的な問題があったものを、有志が寄付運動をおこして多くの市民の協力を得たことで備品に選定されたのです。
 このように、地域の熱い思いを受けて完成したこの劇場が、これからも、多くの人に親しまれ、地域文化の発展に寄与することを願っています。   
            
2011年6月 開館10周年に寄せて
           みどり文化芸術ネットワーク

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2012年11月17日 (土)

横井久美子の春秋楽座in鳴海

  久美子よ帰れ、ふるさと鳴海へ
  今年の2月頃から、構想と準備を立ち上げ、9月から本格的に募集と企画を進めて、この日を迎えた。
  春秋楽座300回記念全国ツアー「久美子よ帰れ、ふるさと鳴海へ」と銘打っての、全国で40番目のツアーであり、残すところ6か所ということであった。
  朝から雨の中、前売りのチケットを購入された48人の方全員が来場され、招待、スタッフを入れて55人の参加は予定通りとなり、主催者としてはまずは安堵したのだった。
  コンサートのタイトルは「久美子よ帰れ、ふるさと鳴海へ」で、地元の“絞の里鳴海30人組”“ゆるゆるふっくり緑30人組”“緑区はらからの会(鳴海中学校同級生)”3団体の共催。「ふるさと鳴海」をなんとか演出したいと思ったが、それは形あるもにはならなかった。しかし、主催者代表のスピーチなどには、それなりの特色が出たのではなかったかと思っている。
  さて、この日のプログラムは、全国ツアーが進められていくなかでより練られたもので、持ち歌を並べていくものとは少し違っていた。そして横井さん自身が組んだそのプログラムは、事前には公表されなかったので、参加者には、タイムスケジュールだけのプログラムとなった。
  そして当日になってみると、“私が2012年の今、この時代に伝えたいことを歌います”ということで、前半の第1部では「東日本大震災の被災地、原発のことなど」への想いをこめた、高田松原の奇跡・希望の一本松の話と、それに基づく新曲を交えたものだった。また第2部では、「アイヌ五弦琴(トンコリ)を使って、アイヌ神謡集、金子みすずなど、私の前を生きた人たちの歌」が主となった。加えて、80歳を超えたこの日の参加者を対象に“長生き、おめでとう”という語りかけと、応援メッセージともいえる歌も披露され、それを参加者全員が唱和するという、従来になかった内容であった。
 アンコール曲は何だったかな?覚えていないが、エンディングは、横井さんの指揮のもと、童謡「故郷(ふるさと)」を全員で歌って散会した。
 1部と2部の間には、休憩をはさんで横井さんのCD、DVDなどが当たる「Q&Q(Quiz&Question)」と抽選会も行われ、それも進行のアクセントとなったと思う。
 ともあれ、成功裡に終えることができ、スタッフの一人として、ほっとしたこの日であった。

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2012年10月 5日 (金)

横井久美子の春秋楽座2012(Ⅱ)

  チケットの販売など、緑区公演の準備が進む
 この欄でしばしば紹介しているシンガーソングライター・横井久美子(国立市在住)については、緑区鳴海町の出身であり、いわば同郷でありかつ同級生ということが第1にあるが、やはり彼女の歌を通しての、社会を見る目、社会に接する姿勢、そして海外への積極的な公演活動があげられる。
 その横井久美子が、30人から50人程度の、マイクなし、全国一律料金でのミニライブ「春秋楽座」が、300回公演を機に、幕を引くことになった。その記念公演が4月から始まり、全国で44回、その後の追加4公演がある。そして11月17日に緑区での公演が予定されているのである。12月2日が「千秋楽」で、地元国立市で打ち上げとなる。
 彼女は、歌手活動は今後も続けるとのことであるが、同級生でつくる応援団「緑区はらからの会」もこれが最後の応援活動になりそうだ。それで今回も、同級生や恩師などに「お誘い」の案内を差し出しているのだが、約70通を今日出し終えた。さらに、以前参加して戴いた古い名簿が残っていたのでそれも追加して差し出した。
   横井久美子ファンのみなさまへ
   「横井久美子の春秋楽座」ラスト公演
  “久美子よ帰れ、ふるさと鳴海へ”のお誘い
  突然のお便りですが、2001年7月の、緑文化小劇場での「ふるさとライブ21」以来、ご無沙汰致しております。いかがお過ごしでしょうか。
  ここに「春秋楽座」のご案内をさせていただきます。
  2011年3月11日に東日本大震災が発生し、多くの人が亡くなり、町や村が消えてしまいました。また東京電力福島第1原子力発電所も大きなダメージを受けたことはご存じの通りです。
  横井さんも心を痛め、現地に赴き、あるいは、ライブの機会に鎮魂を込めて歌っておられるとお聞きしています。
  さて横井さんは、ご存じの通り、名古屋市緑区出身です。そして、「春秋楽座」としてのラストコンサート「春秋楽座300回記念公演」の企画が持ちあがった段階から、地元でもぜひ春秋楽座を開催したいと、関係者との間で相談しました。その結果、◇絞の里鳴海30人組(鳴海中学で2年先輩の医師が応援)◇ゆるゆるふっくり緑30人組(地元の女性団体が中心)◇緑区はらからの会(横井さんと同級生の応援団)の3者で構成する「久美子よ帰れ、ふるさと鳴海へ30人組」を立ち上げ、公演の準備に入りました。
  顧みれば、横井さんは折々、鳴海での大小の公演を続けてきました。喫茶店で、クリニックの待合室で、鳴海・誓願寺の本堂で、コミュニティセンターで、大高緑地の野外で。そして、2001年7月13日には、緑文化小劇場の開館記念に合わせて、同級生でつくった「緑区はらからの会」主催の「ふるさとライブ21」は、定員の450人の席があふれてしまうほどの盛会でした。
  また2004年11月13日の「歌手35周年記念全国コンサート・愛知公演」では、愛知芸術文化センター・コンサートホールで1200人のファンが会場を埋めました。この時も、「緑区はらからの会」「ゆるゆるふっくり緑30人組」は、構成団体として、開催準備、運営に関わりました。
 さて、横井久美子さんのコンサート「春秋楽座」のチラシをご覧ください。今年の11月17日(土)午後2時開演で、チケット代金は2000円です。会場は名鉄有松駅前の「ウィンハート有松」です。席数50人の限定で、申し込み期限の目安は、10月20日(第1次)です。
 同封しました振込用紙で、お申し込み下さい。先着順ですので、完売の場合はご容赦ください。

 こんな風にして、彼女のラスト公演の成功を期して、準備が進んでいる。

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2012年9月15日 (土)

横井久美子の春秋楽座2012(Ⅰ)

 緑区開催の準備が進む
  シンガーソングライター・横井久美子については、この欄では折りにつけ紹介してきた。
  国立音大卒業後の1967年 4月に、 コーラスグループ「ボーチェ.アンジェリカ」に入団。1969年3月「函館労音」に招かれ、ソロ活動を開始し今日に至っている。
  1992年 4月から始めた生の声で歌うミニライブ「春秋楽座」。これは、これまで全国90か所以上の「30人組」と称する楽座(コンサート)で、これまで300回を超えて開催された。
  そこで、「春秋楽座300回記念全国ツアー」が今年の4月から始まり、12月2日がその44回目の締めくくりで、「千秋楽コンサート」として東京・国立市で開かれる。これをもって、「春秋楽座」も一区切りつけられるとのことだ
  名古屋市緑区出身ということもあって、この緑区には、3つの「30人組」があり、今回、合同で「春秋楽座 久美子よ帰れ ふるさと鳴海へ30人組」主催のコンサートを開く。11月17日の午後、名鉄有松駅前の「ウィンハート有松」が会場。予約制で50人限定。全国ツアー40番目のコンサートになる。
  その、2回目の実行委員会が今日開かれ、会場設営、プログラム、進行役など役割分担、予算、打ち上げなど、ほぼ9割方の内容が決まった。この後チケットを作成してチラシと共に参加募集を始める。基本的には、口コミである。
 2001年には、緑文化小劇場でのコンサートで、キャパ450人が溢れる「興行」を成功させたが、その他、緑区内で、コミセン、お寺の本堂、喫茶店、病院の待合室を使ってのミニコンサートが開かれてきたが、それらの回顧を、パワーポイントを使って、代表のYさんが紹介する予定もある。
 まだ少し先になるが、こういうことはすぐにその日が来てしまうものである。

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2012年5月30日 (水)

久しぶりの滝の水公園

名古屋一夜景のきれいな場所とか
 散歩を兼ねて、30分ほどのホームセンターまで行き、その帰路、久しぶりに「滝の水公園」に立ち寄った。百段近い階段を上がると、360度のパノラマである。
 東西南北に穴のあいた石が置かれている。その東の穴から朝日の上がるのが見えることが“うわさ(カメラにおさめる構図がいい)”にもなり、元旦の初日の出を見に来る人が年々増えていることは以前にも書いた。
 まず北方向に見えるのが、名駅のツインビルとミッドランドスクエア、スパイラルビルもはっきり分かる。東方向に目を移すと、東山のスカイタワーと瀬戸のデジタルタワーもよくわかる。手前に相生山緑地、豊田中央研究所の白い建物、さらに緑区黒石の五輪の聖火台のような給水塔。やや南方向には、藤田保健衛生大学病院、新装なった中京競馬場、旧公団鳴海団地、そして名古屋港方向に目を移すと、「名港トリトン」のブリッジタワー(斜張橋の主塔)がはっきり見える。点滅灯があるから夜景でよくもわかるに違いない。
 暫く来ていなかったので、住宅地、マンションの建立、それに反して緑の減少など風景はどんどん変わってはいるが、気がついた一つといえば、やはり「名古屋環状2号線(国道302号)」であろうか。マンションなどに所々遮られてはいるが、白い線となって、南から北方向に延びている。
 ゆっくり一周した。犬を連れた女性たち数人が談笑していた。「犬の運動場ではありません」みたいな看板も立っていたが、「ドッグラン」にもってこいの場所ではある。キャッチボールの中年夫婦、散歩するやや高齢の人などの姿があった。
  そして、1959年の伊勢湾台風の時に出たがれきを埋め立てたことで発生するガスを抜くパイプは今もあったが、穴自体は汚れていないから、もうガスが発生することはないのだろう。そのパイプが幾本か建っている所に、「(ここは)名古屋薬学部専門学校跡1931-1951」という碑があった。やや斜面の樹間にあるので、気がつく人は少ないかもしれない。
 そして誰が掲示したのか、滝の水公園の “いわれ”が南階段入口近くにあった。それによれば、ここからの眺望、特に夜景は名古屋一だという紹介であった。

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2012年5月23日 (水)

ディスカバー大高

 古きを残し、変わりつつある町
 2010年が、1560年の桶狭間の合戦から450年ということで、地元では様々な企画がなされた。それに合わせるように四季雑談の会では、2010年秋から、それにまつわる史跡(ハイキング)巡りを始めた。最初は「桶狭間古戦場巡り」次いで「信長の進軍コース-丹下砦から釜ヶ谷」「信長の、天下布武の起点清須」「家康生誕の地、岡崎めぐり」そして来月の、5回目「元康(家康)の、大高城兵糧入れ」で、ひとまず終了の予定である。
 次回は、大高城、鷲津砦、丸根砦が、桶狭間の合戦に関連する主たる史跡であるが、下見を行ったところ、大高町そのものを見て回るのもいいかな、そんな思いを強くして、今日、3回目の下見を行ったのだった。
 2回目の時にも足を延ばしたが、今回は、その「長寿寺」から下見を始めた。そして新たに加える「海岸寺」に向かったのであるが、その途中に「山神社」「津島社」もあることがわかって、足を止めるほどでないにしても、紹介だけはしてみいいかな。さらに、市営の「森の里荘」の近くを通るので、そこが、かつて「大日本紡績(日紡)大高工場」のあったところであることも付け加え・・・。
 大高城跡から氷上姉子神社に向かう途中で、これも新たな「春江院」に寄ることにしたが、その春江院から酒蔵の「萬乗醸造」は、2~3分のところであることも分かった。平山城である大高城の周辺は、今では住宅が密集し、細い道路が入り組んでいて、歩いていると方向を見失ってしまうほどだ。百数十メートルしか離れていなくても、気がつかないのである。
 例えば、地図に従って、海岸寺から大高城跡に向かったのであるが、沓掛、桶狭間方面からの古い街道が「城下町」に入ると、戦略的な、鍵の手(曲の手)といわれる、卍のような道路とぶつかる。加えて大高川に沿った道も形成されるから、碁盤の目のようにはいかない。
 大高城跡への道は、その古い街道の「辻の秋葉社」を左に折れて、暫くしてから城の入口に至る道へ左に折れる。その当時、「大手門」ほどのものはなくても、守備の兵隊と外堀につけられた柵の門くらいはあったであろうが、その外堀も柵の痕跡などはない。つまり、よくわからないが、海岸寺から、外堀を回るように大高城・本丸のあったところに出るのであるが、何のことはない、実は海岸寺の裏山が、即ち大高城そのものであることが分かったのである。寺の後ろに回って少し登れば、大高城の「内堀」ではないかと思われるところに出るのである。
 酒蔵から、八幡社を経て、JR大高駅が終点であるが、その途中大高川の大橋を渡るが、その手前が、現在「江明(えみょう)公園」になっているが、そこはかつて、知多郡大高町の役場跡でもある。
 他では、JR南大高駅ができ、大型ショッピングセンターと住宅開発が進んで、新しいもう一つの顔ができつつあるが、そんな対比も含めて大高町を紹介、見聞するという二つ目の柱「ディスカバー大高」が構想されつつある。

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