私の町の交差点(2)
本町交差点
本町商店街
昭和30年前後の私の記憶であるが、旧東海道、曲の手を西に行くと、左手南側は、明治以降、鳴海町役場、緑区役所、緑社会教育センター、そして現在は、緑生涯学習センターとなっている。火の見櫓があったと書いたが、そうすると、消防署も併設されていた時期があったような気もするが定かではない。分署ほどのものだったかもしれない。
その道筋は、本町商店街になっているが、「交差点・1」の襖店・萬壽堂に続いて北側は、レストラン・米常、酒の・菊の世、小路があって、(ミシン店)、運動具店の五年屋(現木村スポーツ)、数軒置いてたばこや(小島)、パチンコ店(野村)、書店(永井)、(楽器店)、荒川畳店、洋品店・はやけん、履物の三八屋、食堂(現喫茶店)・東角、八百屋(千代屋)と続いた。
南側は、役場に並んで塩を扱っていた店、(お米屋)、和菓子の平野屋、小路、金物店のかじ市、雑貨(鳥居)、テーラー(竹内)、ベビー用品(鬼頭)、食事・仕出し(大阪屋)、自転車店(加藤サイクル)、薬局(豊島や/神谷薬局)、時計店(鈴木)、和菓子(小川屋)、果物店(芋勇)、絞や(早鍵)、フクシマヤと続いて、旧根古屋、現本町交差点に至る。
※( )内は、現存しない。
本町交差点、旧鳴海城の南
旧鳴海城(根古屋城)の南に位置する現在の本町交差点は、北西角が、コンビニ・ローソンが撤退して、現在は空き店舗になっている。以前は、種々の種のお店で「種宗」といった。
北は庚申坂といい、坂の西側は宝石店(たけたに)、誓願寺、円道寺を経て鳴海城跡に至る。交差点北東角の、八百屋あとは空き地になっているが、江戸期には、高札場であったという。そこから庚申坂を北に行くと民家が続き(一時期、西尾信金があった)、やがて、円龍寺の石段に至ったのであるが、現在は、鳴海交番と三菱東京UFJ銀行となっている。その銀行前に、かの「高札」が復元(レプリカ)される工事が始まった。
南西角は、記憶にある限りずっと「福島屋・フクシマヤ」であり、古くは教科書、文具、おもちゃなどを扱っていたが、最近はサーキットも置く、プラモデル専門店のようである。
交差点南へは、お茶や(兵頭茶舗)、喫茶店(紫苑)、洋品の青松屋、仏壇店(大野)、扇川を渡ると左手に浅間神社があり、さらに名鉄鳴海駅に至る。この駅を中心に四つのブロックに分けられて、市街地開発事業が進行中で、名鉄の高架化工事と、南東のDブロックが完成した。この事業のため、浅間神社は、東に移動し、本町の山車蔵は、フクシマヤの東隣に移設されることになった。
根古屋も変貌
交差点の西側は根古屋で、南西角は、ガラス製品も並ぶガラス店(鬼頭)だったが、今は道路拡張で移転、理容のエビスとなっている。それに連なる南側店舗は、すずきとか稲穂屋とかの食堂、車の修理屋(成田兄弟商会)、麺食堂・笹や、パチンコ(銀座)、(花屋)、根古屋の山車蔵があって扇川に至る。もちろん、この間いろいろ変遷があって、現在の店舗と全く違う姿であった。
根古屋の商店街がややさびれて、店舗閉鎖が続き、その一角に、(藤和不動産)高層マンションができた。景観が壊されてしまって、残念この上ない。(09・10・16)
緑区は、鳴海町、有松町、大高町の3町が一緒になって名古屋市に合併してできた。そして有松駅前の開発事業が先行し、続いて鳴海駅前の再開発事業が着手された。その間、大高には、新たに「南大高駅」がつくられ、大型ショッピングセンター・イオンが出店、住宅開発も進んでいる。
このようにして町は変貌する。個別の住居も、店舗も多くは変わっていくが、道、交差点は残っていることが多い。そこをどれだけの人が行き交ったであろうか。
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