2017年3月17日 (金)

安倍退陣のウエーブが出来るか!

 安倍辞任か国会解散もありか
 「安倍1強」の時代の終焉が到来しそうな気がする。それは「脱原発」と「戦争法反対」のうねりに、この「森友学園」の「疑惑・疑獄」が合流した時、安倍の退陣を求める一大チャンスではないのかと思うからだ。
 大阪市にある国有地の払い下げ問題に端を発し、「(学校法人)森友学園」の「瑞穂の國記念小学校」(大阪府豊中市野田町)をめぐっては、安倍昭恵さんの「名誉校長」問題に発展し、ついに籠池康博(理事長)の「(昭恵夫人を通じて安倍首相から)100万円受け取った」の発言に至り、今後の捜査・推移を見守らなければならないが、「疑惑・疑獄」がどんどん深まって来ている。
 国会での与野党の攻防が3月16日になって新たな局面を迎えた。それは、野党が求める籠池泰典氏らの国会招致を拒んできた与党が一転し、証人喚問を容認したからだ。その背景は、安倍首相からの「寄付金」に言及した籠池氏の言動を放置できないと与党が判断したものでこれが事実なら、安倍首相の“はっきり申し上げます”発言通りになれば、首相を辞め、議員も辞めるという前代未聞の事態に発展する。この機を逃がす手はない。
 但し政治の世界は「百鬼夜行」「深謀遠慮」「謀略」の世界でもあるから、「不可解な死者」が出たり、「大儀なき解散総選挙」に打って出るという手段が駆使されないという保証はない。もっともそうなれば。安倍退陣を望むわれらにとってはこの上ないチャンスである。「疑惑隠しの無謀選挙」キャンペーンができるからだ。
 あるいは外交問題、例えば「北朝鮮(共和国)」問題に何らかの仕掛けをして、話題をそらすような虚に出るかもしれない。さらにあってはならない悪い想定は、「南スーダン」での自衛隊の「交戦で・・・」までも考えてしまう。
 ところで野党は、籠池氏の新たな証言が更なる攻撃材料になるとみて、「森友国会」を舞台に攻勢を強める構えだが、しっかりとした証拠、証言をもって安倍退陣の「戦略」を練ってもらいたい。一番危惧するのは、例えば民進党の中で起きていると報道される「蓮舫代表おろし」など、焦眉の問題、巷で盛り上がる話題に水を差すような動きが出て来はしないだろうかである。(つまり、安倍への援護射撃)
 明日19日の集会、デモでは、何らかの発言、新たな情報が語られるかもしれないが、「安倍退陣」を想定した準備を促すことも一つのポイントではないかと思うのである。

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2013年3月 2日 (土)

大高緑地の梅園

 まだ開花は5分といったところ
 自転車に乗って、「雑談の櫂」の配達をしつつ、大高緑地の梅を観に行った。空は晴れていても風が強く、結構寒かった。それもあってか、梅園の梅は全体としては半分程度しか花が開いていなかった。
 観梅の夫婦連れ、ファミリー、女性のグループ、カメラを構えていた人もいたがざっと数えても20人くらいであったろうか。
 この日、私がここに赴いたのは、二つの理由からだった。一つは、梅そのものが見たかったこと。出来れば、知多市の「佐布里池」までいきたいのだが、今週は時間がとれない。来週あたり、天候を見て出掛けられればいいがなあと思っている。もう一つは、「雑談の櫂」の表紙を飾る「散歩とチリリン記」の写真を撮るためだった。
 時期的には外れるので、大高緑地公園そのものと、来年用になってしまうだろうが、四季の花としての「梅」も考えてのことだった。
 とにかく寒かった。幸い、梅園横にテント張りの茶席があって、そこで五平餅と温かい「ぜんざい」を頂戴することができて一息。和風庭園、琵琶ヶ池など園内を自転車で半周して帰った。それにしても、自転車のペダルが重たかった。夏のピースサイクルまでに鍛えなくっちゃ。

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2011年3月 5日 (土)

春めいてチリリ~ン

  花粉の中を自転車で配達
 風もなく、日差しもあったので、発行日から4日遅れであるが、「C&Lリンクス」の配達を行った。春めいては来ているが、自転車での走り始めは、襟元をしっかりガードしないと、まだ寒さを感じる。
 家を出てから気がついた、花粉対策を。坂を下り始めていたので、結局後悔するのであるが、“ま、いいか”とそのまま走り続けた。配達先はたったの10軒であるが、走行時間は約1時間30分。起伏の多い町でなので、遠回りしてでもできるだけ平坦なルートを選ぶのであるが、避けられない上りの坂道はほとんど降車した。
  冬場は、自転車に乗る機会も、散歩も短めであるから、わずかな傾斜の坂道も登りきれないのだ。それもあるが、1年といわず、四季の移り変わりごとに体力が落ちていくのではないかと思っている。体力が落ちるのを食い止めるには、それに負けないトレーニングしかないのだが、あれこれ理由をつけて“明日にしよ”がくりかえされるに至っては、如何ともし難い。
 今回はどの家も不在で、誰とも顔を合わせることができなかった。昨年10月の「桶狭間古戦場めぐり」以来、望年会、冬の会席そして同窓会にも顔を見せなかった同級生の家を訪ねたが留守だった。携帯電話をかけてみたがつながらない。一人暮らしなのでちょっと心配である。
  市議会議員選挙の運動が始まっていたので、5~6台の街宣車とすれ違い、または道路一本離れたところで声を聞いたが、ほとんど名前だけの連呼であった。時間帯のせいもあるが、辻、バス停、スーパーの前などでの訴えには出会わなかった。いかにも素人っぽい声は、河村党の候補者であろうか。
  そんなこんなであったが、予定より30分ほど早く配り終えた。帰りつけば下着は汗で湿っていた。そして、小一時間もしないうちに目が痒くなり、鼻水が出てきた。やっぱりこうなったか、今年の花粉症は、手ごわいかも。

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2010年11月20日 (土)

チリリ~ン記・2010年秋

 私の町の交差点
 昨日も小春日和にて、自転車に乗って、次号「雑談の櫂」の「私の町の交差点」の写真を撮りに行った。その後の3回分も併せて。これで来春まで撮り貯めたことになり、冬場の、震えて撮影に行く必要はなくなった。
 今回は主として国道1号線と交わる交差点である。車の往来が激しいので、なかなかポジションがとれなかったが、写真は主役ではないので良しとした。
 交差点周辺も下見をしてきたが、次々回以降のものは、レポートの視点を練ってからもう一度、行ってみる必要があると感じた。これは歩いて見て回った方がよさそうだ。
 帰路、扇川の堤防道路を15分ほど走ってみた。春には桜の花でピンクに染まっていたのが、夏の濃緑を経て今は、ややくすんだ赤ではあるかが、紅葉している。焼田橋から六田公園に向かう途中の堤防下に鳴海中学校があり、運動場から声が聞こえてくる。一瞬、わが中学生時代の、真夏の熱砂の臭いがかすめたような気がした。
 中学2年の時はまだ体育館がなく、屋外のバスケットボールのコートで汗を流していた。その時の体験、印象は強烈で、たった1枚残されたモノクロの写真を見ると、その時代の、その夏の、その土、砂ぼこりがまるで体に染みついていたかのように、今も鮮やかによみがえるのである。ただ、今年になってその時のチームのメンバー一人が先立っていったことの思いも重なった。
 その先の石神堂公園から折り返して、緑高校方向へ出て、一軒立ち寄ってそこでお茶をよばれ、洗濯物の取り込みを気にしながら帰路に就いた。帰り道はすべて上り坂である。

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2010年7月20日 (火)

扇川の堤から

 アオサギと出会う
 区役所への用事を頼まれ、1時間に1~2本しかないが、バスという手もあったが、途中、銀行へ寄りながら自転車で出かけた。来週からのピースサイクルに備えて、自転車に乗り慣れておかねば・・・、間際になってバタバタしても仕方がないのだが、例によって“やらんよりやった方がまだマシ…”という浅慮で。
 帰路のついでに、扇川堤を少しばかり走ってみた。六田辺りの浅瀬に「アオサギ」がいて、もしかして、新海池公園で見かけるキミか?と思ってしばし見入っていたが、判別のしようもない。そこから少し上流の若田あたりでまた「アオサギ」を見かけた。首筋あたりの模様が先ほどのとは少し違うようだ。
 こうした川筋にいる多くの場合、ほとんど微動だしないことが多いのであるが、若田の青サギは、首を動かす動作を繰り返していた。それは小魚を追うという感じではなく、土手からは距離があるから定かではないが、何となく私のほうを窺っている風なのだ。こちらから見分けられなくても、アオサギの方からは判別できて、“あの池のほとり見かけたオッサンか”と思っているのだろうか。
 この光景、少年時代の私ならきっと、そこらの石を拾って投げつけたに違いない。サギの類いで、カラス、鳩ほどではないが、それほど珍しくもない鳥なら、殺す気はなくても、脅して飛び去るのを楽しんだことだろう。
 今にして思うことは、セミはさほどでもないが、トンボは捕まえようとか、追っかけようとか思わないのは、もちろん歳のせいもあるが、“いつくしみ”に差があるのではないだろうか。姿、飛ぶ優雅さなどにおいて。今年は早くも新海池でオニヤンマを見かけたが、あのゆったりした、人との距離を見計らったように飛ぶ姿は、かなり魅力的だ。
 堤防上の遊歩道に沿って、桜が青い葉を広げている。強い日射しを遮ってくれるのでその下を、自転車をゆっくり走らせる。散歩するにはまだ日が高いので、人の姿は少ない。鳴海中学の校庭は、誰もいなかった。夏休みに入って、野球部の練習のない1日だったのであろうか。それとも、高校野球の見学か応援か・・・。
 それほど走ったわけではないのに、全身に汗をかいていた。心地よい汗であった。

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2010年5月 3日 (月)

チリリ~ンで配達

 工場が消えた?
 憲法記念日の今日、例年通りの集会もあったが、行ってみよう!行かねば!という衝動はほとんど消えていた。そのことについて自分にもあまり説明がつかないが、昨日の延長に今日があるとするなら、「C&Lリンクス愛知・第58号」の追加印刷と、「雑談の櫂・第16号」の配達が9件残っていて、今日中に片付けておきたかったので、そちらに予定が優先した。
 午後1時、自転車で出発。地下鉄・野並駅近くで1軒配達を済ませてから、中小の工場が集まる地域を通り抜けた。ここは、昨年の衆院選挙の事前運動の時、街宣車を回した一角であったが、今日行ってみて気がついたことは、以前に比べて更地と駐車場が目についたことだ。廃業して撤退したのか、元々空地だったのか記憶は定かではないが、私には、長引く景気低迷で廃業したとしか思えない。また、操業を継続している工場も、工場周辺が何となく閑散とした感じで、在庫や材料が建屋に入りきらず、道路にはみ出して、ブルーシートがかけられているといったふうな活況はまるでなかった。それが、連休中の、一時的なことならいいのだが。
 また、このあたりは、いわば金属加工業が多いとみていたが、一つ気がついたのは、食品加工の工場を一つ見つけたことだ。これまで気がつかなかっただけなのか、最近操業を始めたのかはわからないが、最近のことなら、大げさにいえばこのあたりも産業構造に変化が出てきたのかな、と勝手に推測してみたりした。
 通り抜けの最後は、名古屋市清掃局の鳴海工場の横であった。巨大で真新しい工場本体と外柵、植樹も終えた工場全景は、あたりを圧していた。民間の中小の工場群とこの公営の、巨大ゴミ焼却工場の対比は、何かを反映しているような、象徴的のような感じを与えた。
 チリリ~ンは、そこから浦里地区を抜けて緑生涯学習センターへ。早々と印刷を済ませ左京山地区へ、さらに有松に出て配達を続け、一山、二山越えて篭山から神沢地区へ、そして万場山、池上を最後に帰宅したのが午後4時過ぎであった。びっしょりと汗をかいていた。

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2010年3月11日 (木)

またまたチリリ~ン

  配達を兼ねて扇川沿いを走る
 何とか確定申告の書類をまとめて投函した。
 午後からリンクス&雑談の櫂の発送作業をして、一部は投函そして宅急便。また一部は自転車で配達に出掛けた。扇川を挟んだ丘陵地のアップダウンはきつかったが、実走は1時間弱、有松地区の家では、久しぶりに顔を合わせたので上がり込んでおしゃべり。もっぱら病気の話であったが、お互い「後期高齢者」といわれるにはまだ早いが、年金生活であれば、確定申告の話から、「扶養控除」「子ども手当」に関した税制改正の話に及び“年寄りにはいい話は一つもない”となり、介護保険の請求は来るは、年金からさっさと引かれるは、と話題は尽きなかった。
 公団鳴海団地を抜けて、工事中の302号線の近くの扇川の堤に出たが、桜の蕾はまだ固そうだった。暫く上流に向かって走り、篭山地区から神沢地区、万場山のルートを通って6軒の配達を済ませた。日が落ちると急速に冷えてきたが、自転車の乗っている限り、腰痛もあまり出てこないようで、これから暖かくなるに従って、自転車での運動量を増やしいく。迷惑がられるかもしれないが、今年は5年目ごとの中学の同窓会がある年だから、同級生回りもいいかもしれない。いずれにしても、一仕事終えた感じがした1日であった。

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2010年2月27日 (土)

春めいてチリリーン!(2)

  鳴海団地を訪ねる
 腰の具合が悪くて歩くのがつらい。しかし、幸いなことに自転車は乗れるので、この暖かさに誘われて、再び自転車にまたがった。
 今回は、「雑談の櫂」の次号の“私の町の交差点・その3”の撮影が目的であったが、その足で、住宅公団鳴海団地に向かった。ここは私が1970年から約10年間住んでいたところだった。
 鳴子団地より早い1959年ころから入居が始まって半世紀近く経ち、数年前から、老朽化した建物の全面的な整理と建て替えが始まっていた。一部がマンションに建て替えられ、また一部は民間に売却されて、新たな1戸建ての分譲住宅が建てられている。それでも1年ほど前までは、有松駅方面からの団地入口付近はまだ、入居者がいたが、今日行ってみてびっくり、当初建築の建物はすべて取り壊され更地になり、あるいは更地の工事が進んでいた。
 当初建設の棟番号はすべて2ケタであり、私は38号棟であった。その後の新築は、1階に「鳴海団地商店街」が入居した101号棟であり、これは残存していた。私も世話になった“バーバー・ダンチ”も現存していた。きっとマスターも元気なのであろう。そして、200、300のついた棟も残っていた。
 30年ほど前を思い起こしながら自転車をゆっくり走らせると、かつて、三菱自工労働組合・青婦協が主催した運動会の場所は、当時は野球場としてあったが、外野・芝生方面が小公園になって、今は「多目的ひろば」となっていた。夏には盆踊りでもやることだろう。また、団地に隣接していた「名古屋市立東丘保育園」は、「ひがしがおか保育園」となってこれも現存していた。
 そして、このあたりでは最も古い建物となってしまった「三菱重工・第五菱風寮(独身寮)」も現存していた。ここには、私の知る当時の活動家数人が入居していたことが思い出された。
 この団地は、地名で言えば、細根、姥子山、尾崎山にまたがっていて、細根は、江戸期は「名勝・細根山」と呼ばれた風光明媚な場所で、尾張名所図会にも出ている。庄屋下郷家の別荘があったとされるところである。

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2010年2月24日 (水)

春めいてチリリ~ン!

 古本屋にも寄りました。
 昨日、今日と青空が広がり、気温も上がって“チリリ~ン日和”であった。自転車のタイヤにしっかりと空気を入れて戸外に出た。腰の状態が思わしくないので、歩くより自転車の方が楽なのだ。
 鳴海駅方面をめざし、途中銀行に寄って頼まれ仕事をこなし、その銀行前に出来た江戸期の高札のレプリカを改めて見てから、事務用品のK商会に向かった。23日は3の日で、3割引きの特価日であるから、シートブック数冊を注文した。
 周辺をくるりと回って駅前の古本屋に入った。いつもながら郷土関係の棚から見て回ったが、目新しいものはないので引き揚げることにした。ところが出口の100円コーナーで、浅田次郎の「鉄道員・ぽっぽや」を見つけた。
 この本はすでに所有していたが、人に貸してから戻ってきていないので、浅田次郎専用棚にぽっかり穴が開いたままであった。そこで読むつもりはなかったが、100円ならば、と他のもう一冊を加えて買い求めた。
 それにしても、昨日「鉄道員・ぽっぽや」を偶然買って、今日になって、国鉄闘争の解決案が出てくると言うタイミングに、ちょっとした因縁(いんねん)めいたものを感じた。
 国鉄闘争に関したブログを午前中に書いて、メールで関係者に送った。こうしたことはめったにしないのであるが、つい心が動かされてしまったのである。
 今日の青空、爽やかな日和のように、国鉄闘争が早期に解決してほしいと改めて思ったのものである。

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2009年9月25日 (金)

印刷、配達でチリリーン

 久しぶりに自転車に乗る
 自転車それ自体はちょこちょこ乗るのであるが、1時間続けて乗るのは久しぶり。今年のピースサイクルでも乗る機会がなかったので、3か月くらい、間を置いたことになる。
 「雑談の櫂」第13号が仕上がったので印刷へ。16頁であるがわずか50部だからセット作業を入れても1時間ちょっと。
 旧東海道・鳴海宿の一角、曲(かね)の手近くの生涯学習センターで印刷を終え、そこから街道筋を西に向かう。鳴海城の南(根古屋)を抜け、如意寺前から、「郷蔵(ごうぐら)」に出る道筋の作町、東福院のある三皿、そして花井の入り口にあたるところで1軒配達。
 そこから東方向・矢切に出て1軒。名鉄自動車学校(旧鳴海球場)の南側を抜けて文木で1軒。そこから南に下って、旧東海道・鳴海宿東の入口・常夜灯のある平部に出て、旧道からやや南に入った手越川沿いの「二位殿」の横を抜け、名鉄左京山駅の前の道筋にあるマンションで一軒配達。再び手越側に出て、川沿いに有松方面へ。
 鎌研橋手前から有松天満社方面に入る。名古屋環状2号線(302号線)の工事は、このあたりでは既に完成しているが、その下をくぐりぬけ、天満社横の急坂を登り切ると、天満社の社殿横に出るが、そこは都市計画道路の予定地でもある。10月4日の祭礼のポスターと通行止めの予告看板が、まるで風の通り道で暑さをしのごうとするかのように立っていた。
 ツクツクボウシが鳴いている。かなり距離感があるように思えたが、こちらが動くと鳴きやんでしまう。敏感なんだ。クロアゲハと思われる蝶が飛び、オニヤンマがゆっくり横切って行った。
 このあたりで1軒の配達を済ませたところで午後2時少し前。空腹を覚えて、そこから一気に緑高校下の「讃岐製麺」の看板のうどん屋に飛び込む。この店は、現在全国展開しているチェーン店らしいが、初めての入店。きつねうどんにイカ天をトッピング。う~ん、釜揚げにした方がうまいかも。
 近くのワークマンでシルクの5本指靴下を買って帰宅。かれこれ1時間ほど走ったことになるが、この間の体重増もあってたっぷり汗をかいた。

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