2009年12月 7日 (月)

老兵たちのフォーラム12月例会(4)

 「食」について・4
 食はその国の文化を表現する-映画の中の食事
 今回のテーマは、これまでみてきた通り、「食」の問題を「食糧問題」として、政治的、社会的、もっといえば世界規模の問題として捉えてきた。
 また今回は取り上げなかったが、「何を食べてきたか」という、それぞれの人生の軌跡をたどる話も少なくなかった。しかし、それは割愛した。
 一方私は、家事・家庭における「食」の問題をもう一つの切り口とした。そこへ、11月例会から新たに会員となられたTさん(女性)は、映画評論を自ら本業と称して、「映画の中の食事」シーンを取り上げ、「食はその国の文化を表現する」という、新鮮な話題を提供してくれた。レジュメを引き写すと、
1)「美食とワインは、人生の喜び-フランス」と題して、
①バベットの晩餐会-1987年/デンマーク/ガブリエル・アクセル監督
・19世紀後半の、デンマークの寒村が舞台になったプロテスタントとカトリックの宗教観の違いが「食で表現される。
・フランス革命が、フランスのレストラン文化の源であること
②パリのレストラン-1995年/フランス/ローラン・ベネキ監督
・こよなく食を愛するフランス人が、「食は教養のひとつ」と考える様子。
③8人の女たち-2002年/フランス/フランソワ・オゾン監督
・女性をワインになぞらえ、その個性を活写する。
 という具合で、映画の中の、食べるシーンをとらえて、そのお国柄の違いを語ってくれた。そしてプロテスタントの国イギリスの食事はまずい、といい、なぜかといえば、まずいものを選んで、黙って(耐えて)食べるからだという。そこには歴史的背景があって、大航海時代からの植民地主義の国イギリスは、植民地の経営では、現地の食事(文化)に馴染んでいくところから始めたからだという。将校も兵士たちも、母国の料理を持ち込むことはしなかったのだという。面白い話であった。
 ちなみに、日本映画は、こうした食事シーンというのは少ないし、それが焦点化することは少ないのだという。これは「飯は黙って、さっさと食え」みたいな、日本文化の一つの表れかもしれないと思った。
 話が弾んで、日本料理というのは、味付けがほとんど「醤油」だけ、という点に特徴があり、スパイスやソース・タレ・ドレッシングは、西洋料理、中国料理に較べ、極めてシンプルなのだという。
 それに対して「日本料理は、味わい深さと共に、旬のもの、かたち、色合いに“美”が込められているという特徴がある」という意見も出された。 尚、以下の話も面白かったが、紹介にとどめる。
2)家族の絆は食卓で-イタリア
①ゴッドファーザー ②星降る夜のリストランテ
3)すべての基本は、ハンバーガー-アメリカ
①「マジソン群の橋」は、アメリカ版団塊の世代が、大人になってベジタリアンになるという「世代批判」が面白い、といい、どの映画も、ハンバーガーかフライドチキン、「単調な食」を気にしないタフさを指摘。
4)食の広がり無限大-中国(本土・台湾・香港)
 中国大陸では、北方(粉食)、南方(米食)とはっきり分かれるという。そしてどこへ行っても、そこにある食材で調理し、それがおいしいのだという。
映画から話を起こしたことと、知らないことが多いなあと思った。 
最後に、参加者からそれぞれ推奨するお店として幾つかが紹介されたが、体調が戻ったら行ってみようかな。 

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2009年12月 6日 (日)

老兵たちのフォーラム12月例会(3)

 「食」について・3
 食糧危機・食料自給率の問題
 会員のKさんは、「食料危機は本当なのか?」という問いかけから議論を掘り起こそうとした。
1、人口増加で食糧が不足?・・・たしかに1950年で地球人口は25億人であり、2008年で67億人となり、2050年では91億人(76億~101億人-国連の中位推計値から)になると推計されている。
 そうした数値がある一方、①どの国も経済が伸展し、GDPが高くなると少子化が進む。②世界人口の約6割を占めるアジアでの出生率は低下。という説もあり、必ずしも右肩上がりに人口が増えていくとは限らない、というのであるが、多少の誤差があろうとも単位は「億」であり楽観できない。
2、次に、BRICsの成長で穀物の需要が増大?・・・ブラジル、ロシア、インド、中国をさし、これらの国の経済が発展を続ければ、工業用原材料だけでなく、食文化の変化で、畜産の穀物の需要も増大していくだろう。だがその一方で①畜産技術の進展。②食文化の影響(人口世界第2位のインドでは、ヒンズー教徒は牛肉を食べないの例)もある、という。
3、食料生産が限界?・・・①穀物収穫量は、品種改良、化学肥料の普及で飛躍的に増加。例えば、小麦を取り上げてみると、第1次世界大戦のころまでの人類史約5千年間は、1ha当たり1トン程度が、現在では、多いところでは8トン台の収穫である。②日本をはじめ、世界各地に広大な休耕地・・・データの出所はわからないが、日本でいえば農地474万haのうち154万ha(32%)が休耕地である。世界全体では、約3億5千万haで、22%が休耕地といわれている。(そうさせているのは何か?)③世界各地に耕作可能な土地が存在・・・その例としてブラジルをあげ、ここでの現在の農地は、6,600万haであるが、他にセラード(半乾燥の大地)が2億ha以上あり、そのうち約1億2,700万haで耕作が可能であるとされる。つまり、耕作地をフルに活用できれば、食料の需給は可能であるというわけである。
 議論の中では、食料自給率の問題が取り上げられた。その一つに、日本の自給率の計算方法の問題が指摘された。計算式において、食糧の廃棄量が、総消費量として分子に加われば、自給率は10%以上、上がるといわれ、また、日本は総カロリーで計算するが、海外では金額ベースであるという。これによる計算式の違いも10%以上とされる。
 なぜ日本の場合、計算式を世界と統一せず、自給率が低く出るカロリーベースなのか、ということであるが、Kさんは、食糧の危機意識を高めようとする農水省の策謀ではないか、というのであるが、どうなんだろう。
 いずれにしても、食糧の生産は、地球の温暖化・気候変動に大きく左右されると同時に、地球全体から見た「配分」の偏重をどう克服するか、戦争、暴動の原因となってきただけに、一国主義では解決できない。それは結局、結論など到底見出せないが、各人の自覚と行動に依拠せざるを得ない、ということだろう。 (さらに続く)

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2009年12月 5日 (土)

老兵たちのフォーラム12月例会(2)

 「食」について・2
 報告・提起をされたNさんは、以下のように述べた。
1.飽食による環境破壊
 ・・・農耕の開始は最初の環境破壊であった。牛肉を作るには、10倍の穀物が飼料として必要(豚肉なら3~4倍、鶏肉なら2~3倍の穀物でよい)。
 イワシはそのまま人の口に入るのは2割で、残りは家畜や養殖魚の餌(ハマチはイワシの8倍を必要)。
 エビの養殖のために、海岸線に広がっていたマングローブの林は伐採され、生態系は破壊された。
 日本人の1人1日当たりの供給熱量は、2004年の統計では、2,562Kcal(08年で、2,472,6 Kcal)で、摂取熱量は1,902Kcalで、その差660 Kcalは廃棄量である。
 農水省の推計によると、2005年度に国内で提供された「純食料」の重量を合計してみる。6,433万トンになる。1年間に日本で捨てられる食料は1,651万トンになる。世界の食料援助の総量は2004年で1131万トン、(2007年で590万トン)である。一方、母子家庭や高齢者世帯で食事に事欠く人は、少なく見積もっても65万人という推定もある。
 魚介類での贅沢度-世界の総輸入量に占める日本の比率(略)
2.食の変化
食のお手軽化
食の外食化とスローフードへの転換
日本における食料の2面性
 必需品と奢侈(しゃし)品 生命維持にとって絶対的な必需品としての側面と、グルメとしての奢侈品の側面。
 この区別は政策的にも重要であるが、その区別はほとんどの国民にとって実感が湧かない。
3. 食品添加物(略)
4.遺伝子組み換え食品(略)

5.狂牛病とBSE(略)
食糧は第3の武器か
1973.10.17 OPEC(石油輸出国機構)が親イスラエル国への原油禁輸、公式価格の引き上げ。  
1980.1.4  カーター大統領はソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、1,700万トンの小麦・トウモロコシの輸出を停止(1975年の長期穀物供給協定による事前協議なしの800万トンは許可)。
 アメリカ中西部の市民のステッカー 「1バレルの原油には、1ブッシェルの穀物で」。
しかし対ソ禁輸の呼びかけに応じたのは加・豪・ECなどだけで、アルゼンチン・ブラジルなどは米の禁輸分を肩代わりした。なお、余った100万トンの小麦を日本に買うよう要請(実現せず)。
1981.4  レーガン大統領は解除(農民の不満と抗議)
 ここでは多くを省略したが、内容的には網羅されていた。またデータは年々変化しており、目安に過ぎないが、日本の食料廃棄量が、アフリカのある一国の総供給量に匹敵するという事実は、クジラやマグロの漁獲制限にあれこれ言える立場ではないことを示している。
 「食」の問題は、生きていく上での根源であると同時に、ものを考え、行動する上での原点でもあるようだ。 
(続く)

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2009年12月 4日 (金)

食べ物の安全

 <老兵たちのフォーラム12月例会・補足>
 ちょっと古い記事であるが
 今回の老兵たちのフォーラムでは、「食」の問題を取り上げたが、話題の関心は、どちらかといえば、「何を食べてきたか」と「食料自給率」に偏っていたような気がした。それは別のところで書くので、「食の安全」について、若干の補強をしたい。とはいっても、以下の記事は、2008年2月発行の「雑談の櫂・第4号」から「随想-家事について・4」“食べ物の安全”“産直の共同購入”“買う時の基準は何か”から、抜粋して引用したものである。
 COOPよ、お前もか!といいたいが・・・ 
 「中国製のギョーザで中毒」には、改めて驚かされた。
 捜査は半ばで、はっきりしたことはいえないが、「赤福」や「吉兆」とは、問題の性格が随分と違う。つまり、食糧自給率の低いわが国では、外国、特に中国への依存率は高く、また貿易上のバランスからも、直ちに輸入禁止とはいえない事情がある。
 台所を預かる主婦(主夫)も、“中国産は危ないから買わない ”というだけでは済まされない。それは、中国以外からの輸入魚介類はどうか、遺伝子組み換え食品のとうもろこし、大豆は心配ないか。このように食材全般が“危機 ”にあることをまず知っておくべきであろう。
 それにしても、COOPの名前と商品名が列挙されて、「参ったなあ」とため息。
一応「生協だから大丈夫」と広言していたこともあるから、そういう“安心 ”部分が揺らぐことは、その“震度 ”の大きさに関係なく、がっくりする。
 もっとも私の場合は、COOPで買う食料品は限られる。夕食の食材を買うことは稀である。多少日持ちのする納豆、沢庵漬け、梅干、味付け海苔、醤油、みりん、麺類とそのつゆ、ついでに牛乳、玉子くらいだろうか。
 購入の多くは、COOPとなんらかの関わりがある「推奨品」と思って、台所やトイレ、洗濯の洗剤、酸性の漂白剤、シャンプー、リンス、固形石鹸くらいである。
 どのCOOPの店舗にも、商品棚に市販と同じものが結構並んでいるので、「COOPの看板が泣くなあ」と思いつつ、品揃えができないか、COOP印は「割高感」があるから、市販のものも置いているのかな、とくらいにしか思っていなかった。
 そういう事情だから、COOPに「中国製」が並んでいるとは知らなかった。ただ、昨年の暮れに買った「蜂蜜」が、後でラベルを見たら「中国産」となっていて、“ま、いいか ”と思ったことはあった。中国産でも、きちんと商品検査をして売っているのだろう、という“思い込み ”があったことは確かである。
 「COOPよ、お前もか」といいたいが、それを言うにしても、なんとなく「任せきり」の立場であれば、声を大にしてとは、なかなかいいづらい。
 産直の共同購入など
 ところで、台所に立てば誰でも、食材の善し悪しは一応吟味する。
 見た目、臭い、手触り、時には口に含んだりする。調理したあと、最初の一口で“変だ! ”と思った瞬間に吐き出して、“水際 ”で、辛うじて回避することもままあることである。しかし、食材に含まれる残留農薬などの化学物質、重金属類は見分けられない。
 スーパーなどでは、高い値段ならおいしいだろう、間違いないだろうと、それだけの基準で買うこともないわけではないし、安いというだけで手を出してしまうこともあるが、自作農でない限り、店頭から購入するしかない。
 それでも、ある程度は地産地消を意識するとか、あるいは産直購入などを利用する方法もないわけではないが、個人で少量の購入には向かないので、共同購入となる。
その場合、あたりまえのことだが、コミュニケーションをいとわない、当番もあることをわきまえておかねばならない。
 買う時の基準は何か
 とはいえ現実には、折り込みチラシを見て、スーパーマーケットで食材を求めることになる。そこで今や主婦(主夫)は、何を基準にして品定めするのであろうか。
 「無添加」「国産」「無農薬」「有機農法(栽培)」であろうか。あるいは大手食品メーカーの「ブランド商品」であろうか。つまりコマーシャル信奉か。はたまた、「買ってはいけない」(週刊金曜日刊)商品の除外が基準であろうか。
 それもあるが、「賞味期限」しか見ないという人もおられるようし、パックの裏側に表示してある「成分表」を見て、品較べする人もおられよう。
 そういえば私の経験であるが、あるスーパーで佃煮の「昆布しぐれ煮」を買い求めようとしたところ、「ふ○っこ」と、やや高めの「貝○」の二種類があった。ちょっと迷ったが、「貝○」の方にブランド力があると感じて、こちらを購入した。
 暫らくして週刊金曜日の「買ってはいけない」コーナーで、「ふ○っこ」の商品がヤリ玉に上がっていた。なんて書いてあったかなあ・・・。

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2009年12月 3日 (木)

老兵たちのフォーラム12月例会(1)

 「食」について・1
 昨日は、外出を控えている中、テーマを提起したこともあって、以下のレジュメを用意して例会に参加した。
 ・・・このテーマについては既に「四季雑談の会」で、取り上げてきたことを、みなさんに「雑談の櫂」の誌面を通して、報告もしてきました。それで、ここに来て敢えてこのテーマを提起のしたのは、「男の老兵」のみなさんが、日常・家事の中心軸、「食」の問題をどう捉え、考えておられるか、という点が気になっていたからです。
 このフォーラムの中心的課題の多くは、社会的、政治的テーマでした。家事という私的な領域ではありますが、いってみれば、個人として政治や社会とつながり、関わっているということは、台所と社会もきっちりとつながっていることに他なりません。
  そしてもっと根源的なことは、人類生誕以来この方、「食」は人類と共にあって、未来永劫普遍的なものでもありましょう。ですから、そんな身近なことにアプローチする価値は十分あります。仮に、男と女の役割分担を明確にしておられ、「男子、厨房に入らず」であったとしても、1日に、2度か3度の食事をして、子供、孫たちの健康とひもじさのない未来を願うならば、このテーマは無縁ではないと思います。
  以下は、既に紹介したものであり、項目だけ書き添えておきます。
1、食品の安全性の問題
1)安全な食べ物はどこにある 2)表示制度について(食品衛生法、JAS法、景品表示法、他) 3)食品添加物表示について 4)食品表示は、その食品の情報開示-よく読んで対応すること。5)日本の食料自給率と、私たちの食べ方、暮らし方
2、放射線照射食品について
3、遺伝子組み換え生物(食品)について
4、議論のとっかかり

1)食品に関しては、毎日で長期のことであり、何か影響があるとしたら、子供や孫たちの健康被害が心配だ。何か、手を打つ方法はないのか。
2)世界人口の増加、砂漠化や、気候不順、水不足で耕作地が荒廃していく可能性もあり、海洋資源も乱獲で枯渇化、そうした食糧問題は世界的な問題ですが、特に、食料自給率の低い日本では、この先、どうしていけばいいのか。
3)今日の参加者に何を求めるか?とりあえず、何をすればいいか?  その他。
 以上が、四季雑談の会で取り上げた内容であり、このブログでも紹介した。そこで、「 議論・話題の広がり 」に寄与するため以下のコメントを追加した。
1)農業、漁業の問題を、グローバルな貿易問題、環境・資源問題、安全性の国際基準から考える必要がある。
2)各国独自の、農林水産政策を維持する必要性を認めるべきである。(農業保護政策を容認)
3) 地球環境・気候変動問題、人口問題に関して農林水産技術の、発展途上国などへの無償供与。不毛地の共同開発。
4)国内の第1次産業の育成、維持、発展を国政の中心軸に据える。雇用につながる支援策の必要性。
5)安全性を第1に、農業、漁業での技術開発。特に効率的な農地整備、作物の奨励。漁業の養殖、畜養。
6)学校給食、学食、工場食など、大量消費の場での政策的消費対策。食育の推進。
7)食糧の流通に関する政策-輸送コスト削減・効率的輸送。「地産地消」の推進。
8)健全なる食事・・・適切な摂取カロリーと栄養バランス。(成人一人1日、1800Kcl?)
   楽しみの食事・・・グルメ、外食に一工夫、家族団欒。
   高齢者の食事・・・メタボ、糖尿病、認知症対策の食事。
9)つくる、食す、料理を楽しむ。簡単な料理、自炊の勧め
  料理の基本を知る
①ダシの3要素=鰹節、煮干し、昆布、椎茸(他に豚骨、トリガラなどからうま味を取る)
  ⇒鍋もの(特にカニすき)、すき焼き、関東煮などの残り汁を雑炊にして食すと、これが旨い!様々な素材から出る「うま味」が凝縮されているからだ。但し高カロリーなので要注意。
②基本味=甘味(あまい)、酸味(すっぱい)、塩味(塩からい、ピリッと辛い)、苦味(にがい)の4つが基本味(渋味もあるが、味付けに使うことは少ない)、最近は、グルタミン酸成分の「うま味」が加わった。
⇒グルメ番組での味表現は、「あまい」「やわらかい」「歯応えがある、腰がある」「ジューシー」「フルーティー」などが定番。「上品な味」「懐かしい味」といったほめ言葉が、会話に味をつける。
③料理のさしすせそ=「さ:砂糖」「し:塩」「す:酢」「せ:しょうゆ」「そ:味噌」のこと。またこの順番で味付けをするといいと言われ、料理の基礎として知られる言葉。
④調理法=「煮る・煮込む」「焼く・炙る」「蒸す(ふかす)・燻す」「揚げる・茹でる」「つける・ひたす・寝かせる」「混ぜる、かける、まぶす、分ける」「挽く・潰す・濾す」
 ⇒このような調理方法から、どんな料理が思い浮かぶか。
10)あなたの好きな料理ベストスリーは?
  あなたのお気に入り、お勧めのお店は?

 チューターのNさんは、もう少し突っ込んだ内容を報告された。 
(続く)

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2009年11月25日 (水)

市政改革・河村市長の主張

 3つの柱を強調
 過ぐる23日、河村サポーターズの設立総会が、千種区役所ホールで開かれたが、新聞の扱いは大きくなかった。また、その報告にはまだ接していない。
 そこで、愛西市の吉川みつ子議員のブログを当たったら、以下の内容が掲載されていた。当日のレジュメか何かに使われたものなのか、吉川さんがまとめたものかははっきりしないが、参考資料として転載しておきたい。
 市長河村たかし氏は、「地方分権時代の団体自治と住民自治の確立の必要性」を説き、「本当の民主主義を名古屋から始める!!」と宣言。
 「地域の中で住民自らができることは住民自らの責任と自らの権限でおこなっていくということが基本にあります。そして、住民にできないもの、あるいは地域で、民間でできないものを、税金を払って行政におこなってもらうということです。
行政側からみると住民ができないものを補完して行政がおこなうということです。
住民ができないこと、民間ができないことを行政がおこないます。まちづくりが住民自治を基本理念として実現していくのであれば、「住民の自立的な活動」と「主権者である住民(市民)が積極的に参加・協働している行政」がきちんと連携することによって実現していくものと思われます。」
●市民税10%減税は何を目指して
膨れ上がった税金の一部を官僚や職業議員の手から主権者である市民へ戻そうとするものです。また、それによって、積み重なってきた無駄な事業を削減していきます。
 大幅な減税が行われ、将来は、市民一人ひとりがNPO、ボランティア団体、地域団体などへの「寄付」によって住民自らが自分のお金で地域を良くするような活動を支援する社会になることを願っているのです。
●学区毎の公選のボランティア議会(地域委員会)の設置は何を目指して
地域委員会に市の予算編成の一部を分権し決定してもらいます。地域の身近な問題を解決するために住民自らが(公選のボランティア議員)が、住民の意見も聞きながら審議して、地域のどのような課題に予算を投入して取り組むべきかを決めるので、地域の重要なニーズは住民自身で満たすことができるようになります。
 どういう事業を選択するかの決断を重ねることで、日本における本当の民主主義が名古屋から始まります。
●議員定数削減、議員報酬削減はなぜ
 地域委員会が機能すれば市議会に大きなインパクトを与えることになります。市議会議員は、学区からの陳情への対応ではなく、いわゆる「どぶ板議員の役割」ではなく、市全体の観点から大所高所の視点にて審議を行うという本来の仕事に専念できることになります。
 そうなれば、定数も少数精鋭で、現状75人の半分以下が適切です。現在のような2000万円を越える報酬・経費は市民の目から見ても妥当な額に引き下げたうえで、市会議員本来の活動を行うための支援(職員の配置など)は充実させるべきです。

 市長にとっては、この文章・言葉以上のものを秘めての挑戦であろうが、何となくインパクトが感じられない。それは、「リング外の乱闘」が、目立ち過ぎるせいなのか、新しい試みであるのに新鮮さが伝わらないせいであろうか。あるいは河村のキャラが、意外と政策そのものに「品格」を与えていない印象を振りまいているのかもしれない。カリスマ性というようなものがないとか・・・。

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2009年11月21日 (土)

名古屋の役(えき)か、これは

 河村市長の「やろまい、庶民革命」
 河村たかし市長の雄叫び!「庶民の市議会へ。署名36万5千。市議会、解散。いまこそ、住民分権。いっくら提案しても、なんでも市議会で却下されとったら、市長になった意味あれせん。世論に問うぞ。」
 市民税10%減税
 地域委員会の設置
 市会議員の定数半減、報酬半減
 河村は、名古屋での「庶民革命」を全国に広げる先駆け、モデルにするというから、地方からの改革の狼煙(のろし)であり、私は「名古屋の役」と名付けた。
 さて、河村市長VS市議会という様相から、河村・市政改革市民連合VS市議会に変わりつつあるといっていいかもしれない。
 「河村サポーターズ」をつくろうという呼びかけと、その設立総会が来る11月23日に、千種区役所講堂で開催されるというメールが届いた。
 ・・・先日の緑区での地域委員会の説明会では、参加者は男性ばかりで、意見はフェアなものが多かったですが、それでも名古屋に「チェンジ」を起こせるようなものではありませんでした。
 特に地域委員会については、市長の言う様に、兎に角やってみる、まずければ直す、ということが必要ではないかと思って聞いていました。
 慎重論ばかり続いて、市長が、元気がなくなっていくのがありありでした。
 18歳以上を委員とすることについても、「立候補する若者がいるのか?」という質問がありましたが、自分の地域のことだし、高校生から参加してもらってもいいぐらいだと何度も市長が言うのを聞いて、挙手して応援の発言をしたいと思いましたが、その機会を逸してしまいました。後悔!
 市議定数と報酬についてはぜひ減らして欲しいし、地域委員会がうまく進めば今のような議員数は必要なくなるのではないかと思います。政務調査費はありすぎて使い切れないという声を実際に聞いていますし。それなら返却せよ!と思うのですが・・・。
 せっかく変われるチャンスなのだから、ちゃんと変えていくことができるよう応援団をつくろう、それが今回の河村サポーターズです。
 ぜひ、みなさんも河村サポーターズになってください。

 今月初めの「老兵たちのフォーラム」でも、河村市長について若干の意見交換があったが、「少々乱暴」「根回しが足りない」といったところが主流。私は黙したままだった。私の河村評価は定まるどころか、とりつく島もない、といったところが正直な気持ちだ。これまで常にプラス、マイナスが入れ替わるので見定めることができないでいる。
 それで、以下の三つを検討してみるに、
・市民税10%減税・・・市の借金を減らす政策を優先してほしい。「借金も財産」説もいいが、巨額な利子払いは説得力を欠く。「市民税10%減税」分は歳出削減分とし、減税分を負債返済に上乗せさせよ。そのための名古屋版「公開事業仕分け」を行え。
・地域委員会の設置・・・モデルケースから始めることに賛成。並行して「区政協力委員会」の改革を進める。
任期4年以内に完遂させるなどという拙速は避けるべき。「抵抗勢力」は手ごわいぞ、味方の力を見極め、力を蓄えよ。
・市会議員の定数半減・・・議員は10万人に1人(選挙区)+全市区制(名古屋市全域を一選挙区にする。参議院の全国区制と同じ)は、定数の2分の1という選挙法を採用する。単純計算で、230万人口として定数は75から46へ。削減率は約4割。
・議員報酬半減・・・現行の、議長 月額 1,225,000円/副議長 1,078,000円/議員 990,000円 これに期末手当として年額100分の335が加わる。単純計算で99万円×12+99万円×335/100≒1520万円となり、半減すれば、年額760万円。市長は800万円。
 これを眺めて、「これに政務調査費と費用弁償(日当)」を加えたら、確かに「高額」過ぎる感がするが、いくらが妥当かという議論には加われない気がする。「この議員なら」「こんな議員に」という評価から見る場合と、副業があるかないかでも考える要素があるし、行政職の課長級か部長級相当かという見方がないわけではない。
 ただいえることは、他の自治体との比較、横並びだけは考慮しないようにしたい。そして、例えば、議員活動は職業ではないという「市民派議員」のように、副業を持たない、多選を望まないという議員には少々きついかもしれないが、あれもこれも含めて年額1000万円を超えない、というのが目安かな、と思う。そうすると、議長、副議長にも差額はつけない、ということでもある。費用弁償は実費でいいだろう。但し、利用交通機関は地下鉄、バス利用が原則で、マイカーのガソリン代、タクシー代は自弁。ということで、政務調査費は、廃止もしくは減額。
 河村市長は、党議拘束の禁止も力説しているが、やや組織論を超えている。政党や会派がある以上、そこで自主的なルールを作ることは、規則、規定があるないにかかわらず断ちきれないであろう、組織原則にもとるからである。議員個人に働きかけ、議員の意志で、党議拘束、自縄自縛を解くという議会風土を求めることは可能であろう。そして、地方議会を政党政治から解き放ち、住民本位の議会にするなら、そのような議員を選び出すしかない。
 「庶民革命」は市政、議会の制度改革、慣例、利権・特権・既得権打破と同時に、しっかりしたビジョンを示し、市民の中の「保守性」と、地域に残る「ムラ社会」的風土を、市民自体が変える、変わるという視点と行動があらねばならない。
 と考えると「河村サポーターズ」という名称にはちょっと抵抗がある。

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2009年11月18日 (水)

憲法問題懇話会

関心は高いが、体調と相談
 去る16日、「憲法問題懇話会(大脇雅子代表)」が、今年の3月以来、久しぶりに開かれたが、体調不調で参加できなかった。できなかったのは確かだが、案内を受けた数週間前の時点で、やや迷いがあったことも事実であった。
 それは、現衆院議員、前知事選候補者・石田芳弘さんの政権交代・議会報告が主であり、衆議院への転身(転進)に強く反対した私にとって違和感この上なかったからである。話を聞けば、それなりに薄らぐかもしれなかったが、来年の秋ころになって、2011年の知事選挙にどう対応するかを見極めないと、多分この違和感は払しょくできないだろうと思う。(私は、彼の、衆議員を辞任、知事選に再挑戦は最悪の選択と考えている)
 さて、この「懇話会」も政権交代を受け、「憲法問題は当面の政治テーマからは遠のいたと云える。」として、会の性格付けを変えるとの提案がなされたという。つまり「歴史的な政権交代という大きな政治状況の変化をふまえ、民主党の基本政策と鳩山新政権の政策実行過程を主なテーマとして論議を深めることとし、基本政策検証のための懇話会に衣替え」し、「この論議の過程の中で、必要に応じ民主党<中央・県連>へ提言することも考えていく。」としている。名前も「リベラル政治懇話会」に変えると。
 末席にいるとはいえ、会の一員であれば、私なりの態度を決めねばならない。各界で活躍された方も多いから、貴重な話が聞ける機会である一方、「老兵たちのフォーラム」と重なる部分もある。そして、現在の体調では、体を運ぶことはできても、議論に加わる素材を持ち込むことができない。ただただ話を聞くだけなら、遠慮したいというのが、現時点での私の建て前であるので、思案のしどころ。
 3~4カ月に1回のペースだから、次回までには何とか見通しも立つだろう。なんせ、「現役」を自覚し、60代の私は若手なのだから、早々に退けない気もしているのである。

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2009年11月 5日 (木)

老兵たちのフォーラム11月例会(3)

  地域主権とムラ社会-討論から
  このテーマに対する参加者の受け止め方は一様ではなかった、というのが議論の第一印象であった。
  特に「ムラ社会」については、私が、新政権の政策としての「地域主権」が、「政治主導と地域のことは地域で決める」という矛盾点とともに、地域、地区、町内に浸透し、自立的で民主主義の形をなすには、これまでの、利権、特権、既得権、あるいは「慣習」、強いては古い秩序の破壊を恐れる隠然たる勢力があるのではないか、それを「ムラ社会」と仮定して、「民主的に決めて進めていくには、まだ時間がかかりそうだ」と、現実的な視点から提起したのであった。
  つまり、民主党のマニフェストを軸にして取り上げたのは、現政権の政策とリアルタイムに接点を持ちたかったというところを意図していたということである。
  だから、「ムラ社会」の規定、変遷、現在的な位置、形を述べた意見もあったが、幅広く話は展開していった。
  ある町内会長を長く勤めている人からは、区政協力委員会という、これまでの行政との縦割り組織の“聖域性”を語り、河村市長の「地域委員会」の秩序破壊が反発を招いているとした。また一方で、町内会の役員の引き受け手のないことを指摘し、特に集合住宅では、「ムラ社会」はないといっていいとした。
  この「集合住宅」つまり団地、マンションをさすのであるが、これは戦後の住居形態の特徴を表す一つである。それゆえ戦前の戸建ちの集落、町内と大きな違いがあり、「向こう三軒両隣」ではないが、ご近所付き合いの、いい面はあったというのも一つの意見。
  町づくりという切り口から、犬山市で計画され工事が始まろうとした、旧市街地の道路の拡幅計画を、当時の石田芳弘市長と共にかかわった人の話は、町内ごとの徹底した討論を重ねた結果、道路の拡幅で自動車を呼び込み、それによって市街地活性化の開発計画、観光客呼び込みという計画を白紙に戻したことをあげ、話し合うことの大切さと可能性の大きさを指摘した。
  他にも、地域主権にも地域格差は生じる。そして「ムラ社会」や「格差」は、社会や人間を、上昇志向による成長させる面もある、さらに主権在民というが、民主主義を実現することは厄介で時間がかかると指摘した人もいた。
  更に、1983年の「欧州地方自治宣言」で定式化されたといわれるその一部「補完性(近接性)の原則」を紹介した人もいた。それによれば、
①個人で出来ることは、個人で(自助)
②個人で出来ないことは、家族で(互助)
③家族で出来ないことは、地域社会(NPO)で(共助)
④それでも出来ないことは、「地方・中央政府」で(公助)
 これは、「個人の自立を前提として、問題を可能な限り身近な所で解決することを旨とする社会編成の考えで、『自立と共生』が根本原理」説明された。
 いい話、ヒントを戴いたような気がした。 了

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2009年11月 4日 (水)

老兵たちのフォーラム11月例会(2)

  地域主権とムラ社会-議論に3つの素材
 議論を進めるにあたって、3つの素材を用意した。もっとも、議論では、必ずしも「地域主権」と「ムラ社会」を対立的に捉えて、一方を革新派、一方を守旧派と位置づけるのではなく、このフォーラムでしばしば議論されてきた「民主主義の成熟した社会」への道程、それ自体に注目して戴きたい。地域主権も河村市長の地域委員会も、まだその全貌は見えていないから、とした。
1)八ッ場ダム中止問題
①新政権の、大型公共事業(道路、空港、新幹線、ダム、ハコモノなど)の全面的な見直し。(マニフェスト)
②国家財政性の逼迫-税金の無駄遣い徹底排除(予算の組み替え)があるが、景気対策、雇用面の問題もある。
③当初、地元住民は反対多数であったが、国策、与党系列の切り崩し、地元対策で同意に転換した経緯がある。
 私の見解は、公共事業としてのダム建設問題と、地元自治体対策(利水、治水)及び住民の生活権の補償問題を分けて考える。従って、地元対策を条件にダム本体の建設中止。付随工事は凍結。
2)普天間飛行場(基地)移転問題
①敗戦日本の、戦後の問題の延長線上にある未解決問題である。
②日本の防衛の問題、日米安保条約(地位協定)=日米関係の問題、アジア・極東の平和、安全保障の問題。
③在日米軍基地、施設の75%が沖縄にあるという、沖縄県民の過重負担の問題。
④米軍基地撤去問題(運動)は、全国にもあるが、沖縄のそれは「県民ぐるみ」という特徴がある。
⑤仲井真知事の選択は、米軍キャンプシュワブのある、名護市辺野古沖にV字型滑走路二本の基地建設容認の立場である。だが、県外、国外移転に絶対反対という立場ではない。沖縄経済の問題と不可分である。
  この問題は、在日米軍基地の75%が沖縄に集中していることの、沖縄県民の負担軽減という出発点に異論はないところだ。では、国内、国外に、米軍基地を受け入れるところはあるだろうか。国内でいまどきどこでも無理だろう。国外では、多分、アロヨ政権下なら、フィリピンということも考えられるが、日本国としてフィリピン政府に持ちかける話ではない。また、公害やごみの輸出に加え、今度は米軍基地までも「輸出」する気か、というフィリピン民衆の声が聞こえてきそうだ。
  核兵器廃絶の声が世界的に高まる中、それは軍縮による世界平和への道と捉えなければならない。ならば、欧州における米軍の「MD基地」見直しのように、世界的な各国の軍事基地の撤去、見直しは、優先課題の一つではなかろうか。そのために日本としては、格段の外交努力が必要であるし、基地依存経済の再建支援も欠かせない。が、何より、政府が率先して「宣言」を出し、目標のプグラム(ロードマップ)を提示することではないだろうか。そして、それを民衆(国民)が後押しするような形で。
  いずれにしても鳩山政権には、普天間の県外移転よりまず、撤去・返還をもう一度検討してもらいたい。アメリカ政府との再交渉は可能であろう。
3)名古屋市の「地域委員会」
①「庶民革命」はともかく、直接民主主義に近づけようとする試みではないか。同時に旧来の地域支配構造を改編しようとするものであるが、そのプロセスと、先にあるものがイメージしにくい。
②地域-「区政協」の場合は、町内会、自治会で区分、「地域委」は中学校区を想定。また旧市街地と新住宅地における地域の、人のつながりに濃淡があり、「ムラ社会」の実態は、世代交代とともに希薄になりつつある。
③私の少年期、青年期までは、町内に定期的な「年行事」という寄り合いがあった。秋葉神社、津島神社、八幡社の祭礼などが主たる議題であったようであるが、行政関係は、「総代」と議員とにパイプがあったように思う。
④町内を取り仕切るのは、主として地元の店主であった。地元に常在し、昼間の行動が可能で、資金力もあったからと推測する。もちろん人柄もあったが。サラリーマンが増えるに従って、町内会の影響力は衰退した。
  河村たかし名古屋市長の、「庶民革命総論」も一読して考える必要がある。そこで報道からいんようすれば、6月定例市議会で市長就任後初めての所信表明に臨み、政治都市・東京や経済都市・大阪に対抗すべく、「名古屋は庶民革命による『自立する市民の街』を精神的基柱にする」と強調した。中心となる政策としては市民税10%減税と「地域委員会」創設の2つを挙げた。河村市長は、市民税10%減税の意義については、「減税を行うことで、税金の無駄遣いを徹底的になくすなど本当の聖域なき構造改革が実現されます」と力説した。また、「地域委員会」の意義については、学区ごとに市民自らが予算の使い道を決めることができるようになるとした上で「住民自治を育(はぐく)み、最も『都市内分権の進んだ街ナゴヤ』をつくります」と訴えた、とある。
最後に。
  何かと「一元的」に物事が進む時代は遥か遠くなりつつあるが、一人一人が発言し、価値観も多様な中で、「民主的」に決めて進めていくには、まだ時間がかかりそうだ。地域ボス、出しゃばり、褒賞・表彰目当ての居座りも少なくない。「企業社会」の中には、「治外法権」もどき会社もある。家庭の中でも「家父長」の形がなくなりつつあっても、相変わらず「男社会」は色濃く残っているのではないか。成熟した民主主義社会は、いつ来るだろう。

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