2009年11月 6日 (金)

プロ野球雑感

松井やるねえ、日本シリーズは?
 アメリカ大リーグ・ワールドシリーズでNYヤンキースの松井秀喜が、MVPに輝いたと聞き、“松井も結構やるもんだ、ワンチャンスを生かす、幸運な星の下に生まれたのかな”と思った。努力の人イチローに較べ、華があるのと感じるのは何故だろう。どっちにしても拍手を送る。
 さて巨人と日本ハムの日本シリーズの第5戦、あれは劇的には違いないが、“巨人の底力”を見せつけたという感じであった。特に、打順が亀井、阿部に回ったところが日本ハムの不幸であった。この二人、CSから絶好調ではなかったか。
 それはともかく、7回まで好投していた、日本ハムの藤井投手を何故、梨田監督は代えたのか。恐らく逃げ切りの「勝利の方程式」に従ったのであろうが、このパターン化した投手リレーは、投手の分業化が進むなかで、どこのチームも採用しているようである。
  シ-ズン中、中日の落合監督が、先発、中継ぎの好投にかかわらず、8回浅尾、9回岩瀬というパターンを繰り返して、終盤負けが込んだように思う。浅尾に疲れと投球術を読みとられていた結果ではないかと私は思ったが、違っただろうか。速球だけでは、クルーンだって打たれるのである昨今は。
 それはそれとして私は、日本ハムのどの選手もほとんど知らないが、アンチ巨人の立場から、日本ハムに勝ってほしいとは思っている。

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2009年9月29日 (火)

ナゴヤドームで中日×巨人戦

巨人の応援席横で
  毎度のことながら、息子は巨人ファンで私は中日ファン、ナゴヤドームで中日×巨人戦を観戦するときは、巨人側の観覧席。今回は外野席で巨人の応援団席のすぐ横で、この席と遊撃(ショートストップ)、ホームベースを結ぶ位置になる。
 ここで初めて知ったのであるが、両チームの「応援席」は特定されていて、一般入場者には開放されていないことだった。また、その応援席からは、チーム独自の歌のような、あるいは選手個人名を入れた応援歌のような「合唱」が歌われることだった。これがよく聞こえた。サッカー専属かと思っていた「お~お~お~」というのもあった。
  ドラムやトランペットに較べれば、どちらのチームであれ、この種の応援はさして気にはならないが、相手チームの席では、中日選手のプレーに歓声は上げづらい。それでも、このレフトスタンドには中日ファンがいて、2回、3回に得点が入った時など、かなりのファンが立ち上がって手を打っていた。
  このカードは、ペナントレースの結果が出ていなければ、空席などあり得ないであろうが、1割方空席があったのではないだろうか。また、試合は「消化試合」ではなく「CSの調整試合」のようで、中日では、ベテランの岩瀬、谷繁はベンチに入っていなかったのではないだろうか。巨人では、小笠原が後半はベンチに引っ込み、阿部はマスクをかぶらず、ファーストに回ったりした。
  それにしても、巨人が早々にリーグ制覇を果たしたのは、中日戦で圧倒的に勝ち越したからである。この2試合で中日は連勝しているが、それまでは何と巨人の15勝6敗であった。恐らく巨人の首脳は、福留、川上という中日の投打の要が抜けたとはいえ、中日をたたくことでペナントの行方が見えてくるという戦略を立てたに違いない。逆に中日とすれば、福留、川上の抜けた穴は大きく、一時は巨人に1、5だったか2ゲーム差まで詰め寄るなどよくここまで頑張ったとも言える。投手陣だけなら巨人以上であろうし、打撃陣もブランコは想定外の活躍で、森野の成長が大きい。結局、荒木の不調、6番打者と下位打線が力不足で、ここ一番の決定打不足に悩んだのではなかろうか。それと8月までしか持続できなかった「体力」のスタミナ切れ。
  これから、CS、日本シリーズもあるが、私のプロ野球はここらあたりまでという感じである。立浪の引退も記しておこう。

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2009年5月 8日 (金)

週刊少年マンガ雑誌50年

 そういう道を通ってはきたが・・・
 郵便局では、「週刊少年漫画50周年」の記念(特殊)切手が売られている。そのⅠは3月17日の発売で、その一つが「週刊少年サンデー」で、表紙を飾ったのだろう「おそ松くん」「まことちゃん」「カムイ外伝」「パーマン」「うる星やつら」「サイボーグ009」「タッチ」などが切手化されている。
 もう一つが「週刊少年マガジン」で、「8マン」「タイガーマスク」「巨人の星」「ゲゲゲの鬼太郎」「愛と誠」「天才バカボン」「釣りキチ三平」「あしたのジョー」などが切手化された。
 このあたりの一部なら、漫画家の名前も一人二人はあげられるが、5月22日発売予定の、そのⅡでは「週刊少年サンデー」「週刊少年マガジン」どちらの漫画の代表作も知らないものばかりに違いない。テレビで見る「名探偵コナン」くらいか。
 なぜ今年かといえば、1959年4月17日が、「サンデー」と「マガジン」の創刊の年で50周年。
 ところで、両誌の創刊当初に繰り広げられた熱い闘いを描いたドラマ「ザ・ライバル『少年サンデー・少年マガジン物語』」が5月5日の午後10時から、NHKで放映されたのをたまたま見た。当時の新入社員役で、両誌のライバルとなる伊藤淳史、成宮寛貴がやがて編集長になっていく過程でもある。
 漫画がその時代の文化として受け入れられていく変遷でもあり、アニメ化されたものが世界的に評価される今日ではあるが、私の感覚では、漫画やインベーダーゲーム(古い!)のようなものが単独で読まれ、遊ばれるだけでは、それは遊びでしかないのではないか。
 1970年代、少年マガジンと朝日ジャーナルをもって歩くのがちょっとしたファッションだった時もあったようだが、私は、この組み合わせにエッセンスがあったと信ずる世代ではある。

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2009年3月25日 (水)

WBCと原監督

 名監督への道
 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で、原辰徳監督率いる日本代表チームが優勝して2連覇を達成した。
 生中継は見なかったので、結果はインターネットで知ることとなったが、9時台、10時台のニュース番組もトップの扱いであったから、スポーツニュースでゆっくりと経過を見ることができた。こんな状況であるから、甲子園の全国選抜高校野球も、大相撲春場所で朝青竜が破れたことも影が薄かった。さらに、民主党小沢代表の続投記者会見も扱いは短めだった。
 さて私は、中日ドラゴンズのファンである以上に“アンチ巨人”であるから、長嶋にも王にも熱狂したことはない。ただ地元出身の槇原や山倉、木村、後藤には注目していた。西武⇒巨人の工藤についてはその昔、逃したスカウトを恨んでいたこともあった。
 それで原辰徳監督のことだが、輝かしい球歴で、長嶋、王に比肩する実力とファンを持っていたらしいが、あの“偉大な”二人に比べ“華”がないなあ、スマートすぎるんじゃないの?なんて他人事にしか思っていなかった。
 WBC優勝で大きな勲章を手に入れた原監督だが、第1次予選が終わった段階で、アメリカの監督が原をいたく褒めていた記事を見たような気がする。それは、第1回WBCの星野監督と違って、チームに溶け込み、選手の個性、特長を見つけて、それ引き出す能力と選手の起用、チームの方向性が明確であることだったように思う。
 原監督自身の現役時代は、どちらかといえばパワーヒッターで、セーフティーバンドなどやらなかったと思うが、その原監督のチーム作りは、打撃が主流で「大砲主義」のキューバ、アメリカ、韓国の強力打線と競り合う力は日本にはなく、アメリカ野球の対極にある、「投げる、打つ、走る」の野球の原点に立ったチーム作りに専念し、充実した投手力、確実性と走力のある野手、チームワークを重んずる選手を集めることで活路を見出したことが大きい。
 また、そうしたチーム作りにあたって、セ・パ、大リーグから選手を選び出すのも能力の高さを示すものといえよう。起用が阪神、中日の選手に偏りがちの「星野ジャパン」との違いがここにあった。
 これで5年間くらいは巨人軍監督を続けられようから、その間に2~3回日本一になれば、「名監督」との称号を与えられるだろう。

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2009年2月17日 (火)

熊野古道・伊勢路を歩く(1)

 まだ入り口で実感なく
 一昨日の日曜日、「三交トライパル(株)」主催の、世界遺産を旅する「熊野古道・伊勢路」ウォーキングに参加した。全コースは17のコースに分割されていて、参加者はコースを選択して、指定のバス停で乗降する方式であった。
 昨秋からグループをつくって始めたのを聞いて、同級生のよしみで加えてもらったのであった。グループのこの日の参加は10人、下は60歳、上は72歳とか、夫婦連れ主体であり、シングルは二人。初めての参加は私だけ。大型の観光バスに20人余りだからゆったり過ぎるくらい。2月という時期だからだろう。
 名古屋駅8時発のバスに揺られ、おしゃべりしているうちに、私たちのスタート地点の「三交馬瀬バス停」に着いたのだが、そこがどうやら、紀北町だとわかったのは、少しあとだった。この紀北町は、三重県北牟婁郡にあって、2005年10月11日に紀伊長島町と海山町が合併し、紀北町が誕生したとあり、紀北町のイメージがわかなかったのは無理もない。紀伊長島町なら、その手前の錦漁港へは、原発建設予定地だった芦浜海岸への入り口として何度も行ったことがあったので、多少は思い出していたかもしれなかった。
 ガイドブックには、私たちのグループのコース「始神峠(はじがみとうげ)」は、約6キロ、3時間、難易度星2つ、峠の標高は147メートルとあり、初心者コース。空は晴れて風もなく、暖かさを越して暑いくらいで、着衣が2枚になるまでに時間はかからなかった。
 「道の駅」で購入した弁当を、始神峠で広げると、昨日の“バレンタインデー”のお流れであちこちから、チョコレートが回ってきた。私は冷茶と保温の水筒を用意したのであったが、汗をかいたとはいえ、やはり、温かいお茶がうまかった。野鳥の声は聞こえなかったが、眼下には熊野灘の一部が樹間から見える。百倍ズームの双眼鏡を取り出して眺めてみたが、“こいついけねえ、目標物が定まらねえ”という感じで、生で見るが一番と分かった。
 帰路のバスの発車時間まで二時間余りあって、予め計画されていたコース外の「高塚公園」へ足を伸ばしたのであるが、展望台への急坂が本コースの数倍のきつさであった。
 さてここで、リーダー(同級生)のKが、自慢のキャンプ用の簡易コンロを取り出して、山から汲んできた自然の水でお湯を沸かし、全員に熱いコーヒーを振舞う予定であった。これは恒例らしく、みんなも期待している風であったが、それが、それが、肝心のコーヒーを忘れてきてしまって、次回のお楽しみと話題のネタを残したのだった。
 3月の予定は15日で「ツヅラト峠」とか。「15キロ、5時間、海抜357M、星5つ」だが、今度は、スギ花粉対策の「マスク」が必要のようだ。

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2009年1月22日 (木)

オバマ演説集の一部

  英会話サロンの学習テキストに
  月1回程度の英会話サロンなので、その程度では英会話が身につくはずもないから、“英会話に親しむ”といったところである。
 今日は、講師が、都合が悪く来られないというので、生徒だけで自習となった。そこで一人が持ってきた「オバマ演説集」のCDを聞きながら、5つくらいの段落に過ぎなかったが、和訳とあるフレーズの使い方、アクセントなどを学習した。
 例えば、The world is watching what we do here. The world is paying attention to how we conduct ourselves, what we say, how we treat one another. What will they see? What will we tell them? What will we  show them? 
  対訳が付いているから、その意味はわかるとして、表現方法や、繰り返す形で訴える弁舌の妙などに、民衆を引き付けるものがあるのだという。
 最初の段落「世界中が(アメリカでの)我々の動向に注目している」このwhatは、we do hereのこと、をいうのだとか。
 次のpaying attention toのところでは、payは払う、でよく使う単語だ。back payは、組合用語で一般的だが、和製英語かもしれない。空港のアナウンスで「attention please」が使われるが、ここでは「注意を払う」というより、「注目している」ということになるらしい。
  What will they see?のところでtheyは、文脈から「世界」を言っているのであり、「世界は何を見るでしょう」と訳されている。最初にWhatが来ているから疑問文で語尾が上がるかと思えば、ここは下がるのだという。Whatだから、この時点で何かを聞こうとしているとわかるから、あえて語尾を上げなくていいという解説だった。ついでにseeは、「シー」と発音すると「she」となってしまうから「スゥイ」と言ってたかな、CDでは早くて、聴き慣れないこともあって聞き分けることができなかったが。
  以下、whatで始まるフレーズが繰り返されるが、波状的な繰り返しは、否応なく聴衆をひきつけていくのだろう、そして、最後のyes, we can!  という高揚したキャッチフレーズに結ばれるために。
  演説調の表現は、日本語でも英語でも、頭韻や脚韻を踏んだり、・・・だ!を繰り返したり、独特の表現をするから、英会話の学習には高度過ぎる気がするし、日常会話になじまないだろう。だが、listeningには、intonaion  があって何となく聞き惚れる効果がある。繰り返して聞いて暗唱すれば、それはそれで身に付くものかもしれない。

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2008年10月27日 (月)

郵便局の窓口で

 民営化とどういう関係?
 趣味といえるほどのものではないが、切手を集めて20年。使用、未使用お構いなしだが、最近はダイレクトメール、民間のメール便が増えて、普通郵便そのものが少なくなり古切手も、ストックが増えない。
 俗に「記念切手」といわれる「特殊切手」を郵便局の窓口に受け取りにいったら、「これからは、予約の溜め置きはできません」つまり、希望数を予約して、後日買い取るという方式は駄目で発売日当日以降、窓口販売に限るというわけだ。なんでも郵政監察があって、“売れ残り”をいつまでもストックしておいてはいけないと指導を受けたとのこと。しかも「民営化」したからなのだそうだ。
 言わんとすることは分かったが、なぜ民営化だからなのか、がわからない。また、予約してもらっているから他局に流れないで確実に売れる「固定客」を手放すことになりはしないか。それでなくても、東京での通信販売に切り替える人も多かろうに、と言ってみたが、もう諦め顔であった、その局長は。さらに、銀行並みに引き落とし制にしたらどうか、そうすればそれは「溜め置き」ではなく「一時預かり」ということになるがどうか、と提案してみたが、ただただ笑うだけ。「民営化」ってなんだろう。
 まあ、日本郵便の元締めとしては、窓口で客を失おうと、通信販売に切り替えられようと、販売総数が確保されればいいという考えなのか、あるいは意図的に通信販売の方式を押し広げ、その手数料(10円)と送料(簡易書留)確保が魅力的なのか(封入の手間、包装費用がかかるが)、それとも窓口の合理化で人員削減が狙いなのであろうか。
 個人的には、切手コレクターとしての、趣味は趣味として切手の楽しみ方もいろいろあるとは思うが、この先本気で集めよう、楽しもうという気持ちを持っていないので、外国に出かけたときのちょっとした手土産してみようかなと思ったり、最近はハローキティの切手を孫に与えたり、積極的にストックを取り崩して使用し始めている。プレミアムのついた切手などありはしないのだから。

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2008年8月 4日 (月)

中日・山本昌の200勝

 メモリアルゲームを観戦する
 中日ドラゴンズの山本昌(昌広)投手が、今夜の巨人戦に登板して完投、プロ野球24人目の通算200勝をあげた。その一部始終をナゴヤドームの観覧席から見ることができた。
 この、いわばスター性のない地味ともいえる選手が、よくも200勝を勝ちとったものだ、というのが私の印象で、あの星野仙一、江川卓、桑田真澄ですら200勝に届いていないのだ。しかもまだ暫らく投げられそうなので、6勝もすれば、江夏豊と勝利数だけで言えば並ぶというものであるから、改めて頭が下がる。
 中日入団当初は、何がとりえのピッチャーかと思われるほど、将来性もあまり期待できない選手と思っていたら、アメリカの教育リーグに参加して“スクリューボール”を覚えてから、勝ち星が増えていったと記憶していた。
 200勝が近づくに従って、山本昌の記事がちらほら載るようになって、柔らかい体質、故障の少ない選手として大成したような記事と共に、そんな解説も書かれていた。
 昨夜の巨人戦で、中日の中田投手が終盤打ち込まれて負け試合であったが、明日の先発は、山本昌か朝倉かと予想した。ナゴヤドームへ向かう地下鉄の中で、向かい席の人の持つスポーツ新聞(中日スポーツかな)の見出しに「頼むぞ山本昌」というのがちらりと見えた。ああそうかとそこで合点した。確か山本昌は現役ピッチャーで、巨人から最も多く勝ち星をあげているピッチャーではなかったかな。しかも、ライバル巨人を相手とした「山本昌200勝というメモリアルゲーム」に仕立てた監督(多分、球団首脳も)の考えがそこでわかったのであった。
 多分球場は満員でああたろう。また、山本昌の勝利となる最後の1球まで、巨人ファンも含めて席を立つ人はいなかったように思う。巨人ファンの息子一家も珍しく、試合終了後もすぐには席を立たなかった。
  ふと思った。今日のゲームは息子夫婦の招待であったが、『私以上に野球が好きなのかもしれないな』と。

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2008年7月16日 (水)

MLBオールスター開幕

 偶然の機会ではあったが
 朝はめったにテレビを観たりしないが、たまたま暑くて目が覚めて、扇風機の風にうたれながらスィッチを入れたら、アメリカ大リーグのオールスター戦、開幕セレモニーが始まっていた。
 何でもヤンキースタジアムが老朽化で改築されるとかで、歴史を刻んできたそのスタジアム最後のオールスター戦とか。出場選手の紹介のあと、野球殿堂入りし、生存するメンバー40数人が外野の特別な入り口から招じ入れられ、現役の時のポジションについた。かなりお年を召した、あるいは車椅子の元大リーガーたちに大きな拍手と歓声が送られ、NYヤンキース出身の元選手には、とりわけ大きな拍手が送られた。グランドには巨大な米国旗が40人ほどの、ひょっとしてマイナーリーグの選手かもしれない若者の手によって広げられた。
 そのあとにはオールスター出場の、先発メンバーの所属チーム名と名前がアナウンスされ、同じく外野から球場に入ってきた。ナ・リーグの福留孝介はセンター、ア・リーグのイチローは全選手一番最後に呼ばれてライトの位置についた。
 オ-ルスターに選ばれるだけでも大変、先発出場できるのは大変、ヤンキースタジアム最後のオールスター戦に出るのはもっと大変、そして、大リーグにその名を残した名選手、偉大な選手と同じグランドに並んで立ち、声をかけられることは、数千人のプロ野球選手の中でこの20人以外にいないことになる。福留もイチローも凄いなあと素直に思った。
 米国旗、カナダ国旗が掲げられ、有名な女性歌手がアメリカ国家、カナダ国家を歌い、コミッショナーが始球式で投げる元大リーガー4人にボールを一人づつ手渡し、人気選手がキャッチャー役で捕球して、40分ほどのセレモニーが終った。
 今回は特別の場であったかもしれないが、だれかれが挨拶するとか、チアガールが出てくるとか、ではなく、大リーグの歴史を一端ここで止めて振り返るような、あくまで選手主体のそんなセレモニーであった。
 ま、そんな偶然の機会に巡り会ったから、ここに記す気になった。

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2007年5月 1日 (火)

中日・巨人戦

 負け試合が多いなあ・・・
 旅行から帰って翌日になるが、息子夫婦の招待で中日・巨人戦をナゴヤドームに見に行った。2年ぶり、いや3年ぶりだろうか。
 地下鉄で「ナゴヤドーム前矢田」駅で降り立って、案内に従って地下道を行くと、その壁には中日の一軍選手の大型写真が飾ってあり、過去の中日のセ・リーグ優勝の写真もあった。
 やがて地下鉄出口の螺旋階段を上がると、そこからは、ドームまで陸橋というか回廊になっていて、ドーム正面にいたる。少なくともこの間は、傘なし、横断歩道なしでいける。便利というか、贅沢というか、日本の“豊かさ”を感じさせる。
 観客席は外野の4階席で、「プライムボックス」という4人席であった。オードブル・1ドリンク付きとあった。それはともかく、すり鉢の縁(へり)から底を観る感じで、球場全体の雰囲気、プレーが見渡せる半面、あまりに小さすぎて、つい近くのテレビ画面の方に目が行ってしまう。オペラグラスではなく、10倍の双眼鏡を持っていったが、投げる動作はわかっても、打った球は追えない。眼鏡を外した時には、もうワンプレーは終えているという感じで、野球観戦に集中すればするほどまどろっこしい。
 試合は山本昌が前半をがんばって、勝利投手の権利を残したままマウンド折り、中継ぎに託したがこれがまるでダメで、巨人打線の餌食となって逆転された。落合監督の投手起用にややさえがないようで、これで5連敗と言う。勝率も5割となってセ・リーグ3位。
 名古屋球場時代からこのナゴヤドームに来てからも、中日の負け試合に遭遇することが多い。 
(追い書き)

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2006年11月16日 (木)

“月下の恋人”を読む

  浅田次郎の最新短編集
 「小説宝石」に掲載された2001年9月号の「情夜」から、2004年11月号の「冬の旅」まで、11篇が収録された浅田次郎の最新短編集、“月下の恋人”を読み終えた。
 読み終えての第一印象というか感想は、“まるで幽霊のような小説”であった。簡単に言えば、柳の下に現れた“その人”の物語の結末は、殆んど読者の推理・想像に委ねられるので、作者が描くエンドがない、つまり“足がない”のである。
 その中で第2篇目の「告白」は、二人の女子高生の会話で進んでいくのであるが、作者浅田次郎に娘がいて、そこから“女高生言葉”を学んでものにしたのか、或いは、女子高の前で、自著をかざして「オレ、浅田次郎、ちょっと話聞かせてくれない?」とナンパしたのか、ともかく、最近の女子高生の言葉で書かれているので、それだけでも十分楽しめた。多分、そこらの漫画本をちょっと読み漁れば、それらしく書くことができようが、浅田次郎ならそうはしないで、女子高の前はともかく、原宿か新宿あたりに出かけて“取材”したに違いない。もっとも彼は“トップ屋”ほどの度胸の持ち主ではないそうなので、出版社の若手を引き連れていたのかもしれないが。
 それもあって11篇中この「告白」が印象に残った。しかもこれにはちゃんと“足”がついていた。
 なんか“トッポイ”(なんて言葉は、今は使わない?)感じのする奈美は「・・・髪の色は、茶髪どころかブロンドである。登校するとトイレで化粧を落とし、下校時にはまた念入りに顔を作って、すり抜けるように校門を駆け出していく。」という高校生であるが、「・・・授業をまともに聞いているふうはないのに成績はすこぶるいい。見た目と中味の不均衡さがまた奈美の魅力だった。」という下りは、浅田好みの人物像である。
 対するもう一人の高校生梓は、小さい時に両親が離婚、母親に養育され、その母親は再婚して新しい父親を迎えるが、いい人なのだが馴染めない。だからその新しい父親を、他人の前では“あいつ”と呼んでいた。
 梓は別れた父親から毎月“お小遣い”を振込みでもらっていた。小学1年生のとき千円で、毎年千円ずつ増えて、高校1年生で1万円になっていた。しかし梓は、通帳が束になるくらい金額が増えても一切、手をつけずにいた。
 梓の元の父親と新しい父親は、高校の野球部で一緒だった大の親友であった。そうした親とのもつれの中にいる梓の複雑な心境を、奈美が解きほぐしていく。
 雪の日、“早引け”となって下校した二人は喫茶店で向き合う・・・。小高い丘の上の梓の家は、チェーンを巻いた車でないと危なくて帰れない。奈美はこっそり電話して梓の父親に迎えに来させる。“あいつ”は歩いて迎えにやってきた。奈美を負ぶって帰るつもりで・・・・。
 「・・・坂道の頂に小さな家が見えたとき、梓は体がばらばらに壊れるほどの勇気をふり絞って・・・」

 現在、「小説現代」で連載中の浅田次郎「中原の虹」が第二巻(2006年2月号)まで出ている。第五巻までという長編小説であるが、「蒼穹の昴(そうきゅうのすばる)」「珍妃の井戸(ちんぴのいど)」に次ぐ、中国を舞台にした歴史小説だ。全巻揃うまで読むのを待つか、刊行されたものから順次読んでいくか、第一巻、二巻を前にして思案している。

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2006年9月28日 (木)

短編小説

阿刀田高の「おとこ坂 おんな坂」
 つい今しがた、阿刀田高の「おとこ坂 おんな坂」(毎日新聞社)を読み終えた。
 この短編集は、毎日新聞の日曜版に2005年4月3日から2006年3月26日まで、1年間50回にわたって連載されたものが、単行本になったものである。この連載を愛読していた私は二度目になるので
、読み始めると大まかな小説の風景が思い出された。しかし、すぐに引き込まれていった。
 全体で12話であるが、小説の舞台が北海道から九州まで、所を変え、品を変え、おとことおんなの機微な心の動きを綴っていく。
 この本のタイトルとなる下りは第12話に出てくるが、それを書き写しておくと、
「おとこ坂、おんな坂ってのがあるでしょ」
「ああ。聞いたことある」
「男性は急いで生きて早く死ぬのよ。女性はゆっくり行くの」
「そうらしい」 (332頁)
次に、
 大原のバス停付近で右へ行けば三千院、左に行けば寂光院、直進して四、五分、左折して横長の門の前に着いた。周辺はまったくの山中というわけでなく疎らに民家が散っている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 やがて道が二つに分かれる。一方が急な石段。一方が湾曲したゆるい坂道。
 ―おとこ坂とおんな坂、かな―
 多美子は男はせかせかと生きて早く死ぬ、と言っていたけれど、どこにだって例外はあるものだ。(344頁)

 私は、恋愛映画は好きでないと書いたことがある。だから小説も好きとはいえないが、まあ、極端に言えば、男女の関係抜きにしては、ほとんど小説にならない、といっていいだろう。しかし例えば、男には知りえない女の気持ち、心の動き、思いよらぬ言葉、行動。それらが男の“いい加減さ”を照射するところなどは、小説といえども、なんとなく心地がいいのである。また、浅田次郎の書く小説に登場する男は、見かけとは違う男の、隠れた心意気というか、いつから宿していたであろう義理、人情が“やさしさ”の形で浮かび上がる、こんなふうな男と女の小説はいいなあと思う。
 栞に、阿刀田高推薦の短編集20冊があげられていたので、丸善書籍部で探したが1冊も見つからなかった。近くの本屋に注文してみようと思うのだが、その本屋が近くにない!

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2006年8月16日 (水)

映画・日本沈没

 私の映画鑑賞記録・1<作品:2006715日公開。2時間15分 配給:東宝/映画館:MOVIX三好>

監督:樋口真嗣 出演:草彅剛 柴咲コウ 豊川悦司

  日本沈没-今年5本目の映画

【感想】

 話題作の一つであり、1973年のものも観ているので、行ってみようと機会を窺っていたのが実現した。今年5本目の映画鑑賞であった。
 私の映画を観る態度は単純で「おもしろければええ」というもの。とはいえ、あえていえば、恋愛映画は好きではない。「ポセイドンアドベンチャー」のようなパニック映画、「ベン・ハー」のようなスペクタル映画が好き、SFものも好きだが、ドキュメンタリー風のものの方がもっと好きかな。
 とりあえずこんな「鑑賞基準」をもってこの映画に当てはめてみると、まず小野寺俊夫(草彅 剛)と阿部玲子(柴咲コウ)のラブストーリーは不要。駿河湾沖地震で家族を失った少女の設定も不要、つまり、この映画にドラマを散りばめることで、せっかくの緊張感のタガが外れてしまうのである。
 次に、田所博士役の豊川悦司、山本総理の石坂浩二、鷹森文部科学・危機管理担当大臣の大地真央、少なくともこの3人はミスキャスト。では誰にするか?この映画の出演者から選ぶとすれば、田所博士は加藤武、山本総理は石田太郎、危機管理担当大臣は矢島健一、というのはどうだろう。
 という不満はあるけれど、日本沈没がいま一つリアリティーに欠ける感があるけれど、意外とハラハラドキドキが伝わってこないのは残念だけれど、「娯楽映画」と思えば、或いは、地震や水害や津波などの災害がいつ起きてもおかしくない日本列島であれば、危機到来のとき、何を考え、どう行動するかの類想をかきたてる点で及第点。だが、総合評価は?聞かれたとき「・・・・」で、そういえば、全く関連性はないが、「北京原人」を観たあとの感じに似ていた。つまり、題名から期待していた映画であったが、意外とシンプルで、まあ楽しんだだけでいいか、というレベル、ということにしておこう。
 あと少し付言すれば、草彅 剛の演技力は結構高いようだが、目に表情がないので、こんな大非常時にも拘らず、危機感、焦燥感、困惑の表情が出てこないが惜しい。この映画とは関係ないが、東山紀之もそんな感じがした一人である。そうそう、大地真央も表情がないお人だった。柴咲コウは初めてみたが、体当たり的演技でがんばっていて好ましかった。柴俊夫、真野響子の娘らしいが、結構いい女優になるかもしれない。

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2006年8月 8日 (火)

この夏、特訓中です

  漫画!いきなり懸賞に応募だって!
 今年の4月から、「みどり文化芸術ネットワーク」主催の、「ワークショップ-琴、大道芸、漫画」の三つの講座のうち、「漫画」の講座に参加していて、いま特訓中である。最初は、ミニコミ誌のイラスト、カットに使いたいという理由で気軽に申し込んだのだが、月2回、1回が90分、全12回の講座だけではとても身につくものではない。
 もともと、漫画を描くことが好きとか、絵心があるとか、それなりのものをもっている人は、さすがに早々とそれらしき形に仕上がっていくのだが、私のように全く経験のないものが、5~6回の指導を受けたからといって、そうそう描けるはずもない。
 講座は、最初から「4コマ漫画」をめざしていて、基礎から始まったのではあるが、講師いわく、漫画は絵がうまければいいというものではなく、「おもしろい」「新鮮」「オチがある」というようなことが備わってはじめて「4コマ漫画」も形を成す、というのだ。そこで、私にとって多少救いがあるのは、一応「ストーリー」らしきものだけは、先行して出てくるので、それだけなら今日の講座でも、講師から「おもしろい、新しいスタイルですね」という評価はもらえた。
 早く自前のキャラクターを得れば、なんとかなりそうなのだ、といいたいのだが、キャラがそんなに簡単に得られるはずもない。そこへもってきて、9月5日締め切りの「高知市・横山隆一まんが館」などの主催による「4コマまんが大賞」に全員が応募することになった。 もとより入選する云々ではなく一歩前へ、の目標にするわけだが、思わぬ宿題でこの夏は、ねじり鉢巻の日が続きそうな気配である。

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