2009年10月29日 (木)

与党、野党、それはそれでいいが

 別世界にならぬことを望む
 鳩山首相の所信表明演説に対する各党の代表質問が、昨日の衆議院本会議であった。その国会中継を見ていたという人が、昨夜の会議で、谷垣禎一自民党総裁の質問に対して鳩山が、「あなた方に言われたくない。こんな財政にしたのは誰なんだ」と言い放ったと話題を提供して、ひとしきり話が弾んだ。
 新政権の、矛盾やもたもた、閣内不統一と攻撃材料は山ほどあるから、自民党は手ぐすね引いて構えていたであろうから、鳩山から一撃をくらったことは確かだろう。それはそれで私も“痛快”に感じたものだが、それだけでは済まされぬ政権政党の重荷は、背負ってもらわねばならない。性急に求めない「政権リレーゾーン」は、そんなに長くない。それは年内までで、年明けにはすっきり、はっきりした政権運営を、となるだろう。
 海の向こうからは、APWSL日本委員会を通して、こんな情報も伝わってきている。
「・・・野党が政権党とその指導者に対して批判的なのは当然です。しかし、オバマ政権に対する批判はとりわけ手ひどく、オバマが混血であることを嫌い、ケニヤ人の父親を持つことを厭う感情に基づいていると思われます。なにしろ、オバマが米国生まれであることを疑う『バーサー』(birther)がいるくらいですから。有名な黒人のハーバード大学教授を逮捕した白人の警察官を、オバマ大統領が批判したことに多くの白人が怒りました。しかし、このようなことは普通の有色人種の人にとっては日常茶飯事です。9月にオバマ大統領が連邦議会で演説中に南カロライナ州の共和党議員が『うそつき』という野次を飛ばしたのをご存知でしょうか?そして今月初め、オバマ大統領がノーベル平和賞を受賞した際にもマスコミの主流と保守派から多くの批判を浴びました。
 保守派は民主党と左派をいつも『反米』と非難していますが、最近では皮肉なことにその保守派こそ非常に「反米的」に聞こえます。バラク・オバマがアメリカ国民の長所と短所、そして醜い点を引き出していることはとても興味深いことだと思います。」 
 アメリカ発 10月24日 ジョン・マクラフリン

 名古屋市では、河村たかし市長と与野党巻き込んでの議会とが対立を深めている。両者の主張には一長一短があって、市民の立場からすると、どちらかに軍配を上げることが難しい。
 国会であれ、地方議会であれ、こういう場合怖いのは、与党、野党、それはそれでいいが、中傷や揚げ足取りと受け取られるようなやり取りで、別世界の「好き勝手にやっておれ」という国民・市民大衆が冷めた見方になることである。おかしな妥協は歓迎しないが、与野党の攻防の結果、なるほど、そういうことか、という結論を節目で出してほしいものである。議論を棚上げし、先送りし、現場が放置される状況が最悪である。
 せっかく政権党になった、与党の各党。不承不承かもしれぬが、野党となっていい経験を得る機会の野党各党。それぞれの覚悟と実践が「民主主義の成熟」へ向かうことを願ってやまない。

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2009年10月23日 (金)

再び普天間飛行場について

 これはアウトか、「米軍基地・竹島(独島)説」
 アメリカから見れば、太平洋の遥か向こうにある日本・沖縄に軍隊を派遣しなければならない理由は何か。台湾に肩入れしなくてはならない理由は何か。
 もちろん、第2次世界大戦とその後を見れば、答えは見えてこようが、ロシア(ソ連)、中国を共産主義国と規定して、その影響力が世界に及ぶのを危惧し、その周辺国と同盟を結び、自国から遠く離れた所に「前線基地」を置く意味はわかるが、ロシア、中国との「敵対関係」は希薄になるばかりである。となれば、在韓米軍は「北朝鮮」のこともあり、日本の事情よりも重要視されるかもしれないが、なぜかアメリカは、日本を重視し続けている。
 これは、日本自身の軍事大国化への懸念からに相違ない。それは自衛隊の次期主力戦闘機についての対応からもうかがえる。しかし、これは杞憂といっていいだろう。日本が近代化した武器を装備したとしても、海外への再侵略は考えられない。「平和憲法」があるからではない。表現を変えていえば、日本で失業者が増大しても、景気が低迷したままでも、就職先を軍隊に求め、あるいは軍需生産で景気回復を求める政権が出てくるという予想が立たないからである。福祉予算に汲々としている政府、待ち焦がれる国民、これはかなり続くであろう。防衛予算を削れ、環境負荷の大きい戦闘機、戦車、軍艦を減らせ!という声が、自主防衛論をもってする「日本の軍事大国化」を許すことはないと思うからである。
 またロシア、中国から見た朝鮮半島、日本列島、台湾は、全てミサイルの射程内であり、そこに米軍がいようがいまいがさして変わりがあるとは思えないのである。まして、どこの国であれ、ミサイルを撃ち合うという「第3次世界大戦」を誰が想像できよう。それは人類の破滅であり、国家の存在すら消滅させてしまうと、共通の認識をもっているからだ。
 こう考えると、米軍の在韓、在日の展開は縮小から全面撤退が必然的な道のように思われる。アメリカが危惧するリスクは、外交でカバーすることがよかろう。「核兵器全面廃棄、軍備縮小、民族、宗教和解、格差縮小」という方向に動いていくことは、世界経済から見ても必然ではなかろうか。
 という見通しを立てた上で、在韓米軍、在日米軍全部を竹島(韓国では独島)に集約したらどうか、である。日韓の中間に位置し、無人島であるから、漁業被害はあるだろうが、人的な被害はなさそう。もっとも、岩礁のような小さな島であるから、現状では「ヘリパッド」がせいぜいで、いっぱしの基地をつくるのはそもそも無理かもしれない。しかし、日韓共同で当たれば、空母一隻くらいの広さはとれそうだ。
 という案など箸にも棒にもかからないだろう。いや、叱られるかな。「竹島」の事情に疎いから無責任なことは言えないが、日韓の民衆が「米軍は、竹島(独島)へ行け!」といえないだろうか、米軍基地撤去運動の象徴として。(引き続き思考)

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2009年10月17日 (土)

普天間飛行場は撤去、返還すべき

 移転が前提に、疑問に思っていたが
 日米安全保障問題の焦眉の課題の一つに、沖縄普天間飛行場の問題がある。これまでは名護市の辺野古に移転する案がとり決められ、現在環境アセスメントの準備書に対する知事意見が提出された段階と聞いている。
 この辺野古沖や大浦湾は、漁場としても、また自然も豊かで、サンゴ礁が広く分布し、ジュゴンの里としても知られている。それゆえ反対運動も現在に至るまで粘り強く続けられている。
 これまでの報道や新政権でも、普天間飛行場(宜野湾市)の移転先だけが選択肢にされてきたように思うが、なぜ、撤去、返還という選択肢がないのかが不思議な気がしていた。
 今朝の毎日新聞の「闘論」で、沖縄国際大学の佐藤学教授は、この私の疑問に答えてくれた。
1、米軍にとって普天間飛行場は、日本国内で代替基地建設を必要とするほどの重要性はない。
2、そもそも普天間の閉鎖・返還は・・・米側の提案であった。米軍が代替施設として要求したのは、長さ45メートルのヘリコプター発着帯だけだ。
3、米中関係、「北朝鮮」関係からしても、在沖海兵隊の存在は限定的で、必要性は薄い。
4、普天間移設は、在沖海兵隊のグァム移転とパッケージになっていた。
 ということで、この問題は、在日米軍基地の75%が沖縄に集中していることの、沖縄県民の負担軽減という出発点に異論はないところだ。では、国内、国外に、米軍基地を受け入れるところはあるだろうか。国内でいまどきどこでも無理だろう。国外では、多分、アロヨ政権下なら、フィリピンということも考えられるが、日本国としてフィリピン政府に持ちかける話ではない。また、公害やごみの輸出に加え、今度は米軍基地までも「輸出」する気か、というフィリピン民衆の声が聞こえてきそうだ。
 核兵器廃絶の声が世界的に高まる中、それは軍縮による世界平和への道と捉えなければならない。ならば、欧州における米軍の「MD基地」見直しのように、世界的な各国の軍事基地の撤去、見直しは、優先課題の一つではなかろうか。そのために日本としては、格段の外交努力が必要であるし、基地依存経済の再建支援も欠かせない。が、何より、政府が率先して「宣言」を出し、目標のプグラム(ロードマップ)を提示することではないだろうか。そして、それを民衆(国民)が後押しするような形で。
 いずれにしても鳩山政権には、普天間の県外移転よりまず、撤去返還をもう一度検討してもらいたい。アメリカ政府との再交渉は可能であると、佐藤教授も述べている。

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2009年10月13日 (火)

空港・航空問題

前政権の愚策、ツケとの格闘
 前原国交相は、ダム問題に続いて空港・航空問題に直面している。
 新聞報道によれば、前原大臣と橋下大阪府知事の会談で、日本のハブ空港をめぐって、橋下知事が、日本の経済の先行きを考えれば、東西二つのハブ空港が必要であり、国としてその方向性を示してほしいと要求したのに対して、前原大臣は、「羽田空港の整備(ハブ空港とする)が優先」と答えて対立した。
 日本の経済力が維持され、羽田に第4滑走路ができ、24時間離着陸が可能になれば、騒音問題やそれ以上の拡張が不可能という前提があるにしろ、都心に近いこともあって、羽田がハブの役割を果たすことができる。関空との差はかなりあるといっていいだろう。そして、それをさらに後押しするのは、これまでの空港建設、航空問題である。1県1空港とかで、関西には、関空のほか、大阪(伊丹)と神戸に空港がある。あの静岡にまでつくってしまった。これは異常というほかない。できた空港に日航が採算度外視で乗り入れを強制され、大幅な赤字を抱え込んでいるという実態がある。それらを見直すのは当然である。関西空港や中部空港の拡張、格上げは、今後の経済状況を見てからにすべきであるが、右肩上がりの経済成長が見込めない以上、空港拡大路線に見切りをつけるいい機会である。
 併せて日本航空の再建問題も焦眉の課題である。ハブ空港と中心的航空会社の存在は無縁ではないというから、同時進行という局面が続く。
 ところで、羽田中心の空港整備が続くとなると、東京(成田)国際空港はどうなるのか。当面は両立政策がとられるであろうが、拡張を終えた羽田の運用が本格化すれば、必然的に成田の位置は低下する。しかも成田は、内陸空港であり、今後の拡張は望めない。
 そこで思い出したことがある。1970年代の、三里塚(成田)空港建設反対運動が最も盛り上がった時期、反対派住民と当時の運輸省との話し合いの中で、空港の建設計画を縮小して、貨物専用空港としてはどうか、といったことが話題になったと聞かされた。いまさら、そんな話は箸にも棒にもかからないが、経済状況や羽田の運用次第では、あり得ないことではない。恐れるのは、自衛隊基地か、米軍基地への転用である。
 いずれにしても、この問題には利害関係が全面的にぶつかるから解決は容易ではない。だから余計に前政権の愚策に対して批判の矢を向けざるを得ない。地元から見れば、自民党政権も現政権も「国」が相手という意味では変わらないと考えるだろうが、政策の違う政権に交代した以上、新政権がこれまでの国策の変更はあり得ると考えるのが一般的だ。
  新政権が、4年先の選挙までに解決の目途を立てようとするであろうが、この前政権の愚策、ツケがあるが故に政策的渋滞、立ち往生した時、少しは長い目で見たやりたいと思うがどうか。

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2009年9月28日 (月)

自民党新総裁に谷垣氏

 幹事長ら、人事に注目
 自民党の新総裁に谷垣禎一氏が499票中300票を獲得して、自民党の総裁に選ばれたが、「総理になれない総裁」になる可能性が高い。それを自覚してか彼は、「党の捨て石になる」と出馬の折りに語ったが、「火中の栗を拾う」という前向きで積極性があってもいいのではないかという意見もあったという。「捨て石」の意味を理解する若い層はどれほどいるかも興味があるが、「党の土台造りに専念し、次の世代には、その土台の上に、立派な家(党)の再建を果たしてもらいたい」といえば、「土台」造りのために、谷垣流のいかなる基本方針、対抗戦略・政策、人事も可能になるのではないだろうか。
 そうした幅広い「党再建」には、幹事長をはじめ党の役員人事に、政権奪還後の閣僚となる人材を据え、さらにそれに続く30代、40代の若手を「副」として登用することが肝要ではないかと思う。
 また自民党は、日本経団連、日商、同友会など経営者団体を支持基盤とし、政策進めていくという基本構造は変えられないかもしれないが、経団連が奥田碩会長時代のままであり続け、その尻馬に乗るようでは、再建は難しい。自民党をダメにした原因の半分以上は、この経営者団体であり、各界の受益者団体であったであろう。それらと縁を切っては、自民党の存在意味がなくなるであろうから、どれほどが最良の「距離感」と言えるのか、それを見つけた上で、共同体としての日本の社会の在り方、特に医療・介護・保険、年金、人と人との関係性などの社会的セーフティネットの構築。地球の資源・エネルギー問題と、国土と地球環境が連関した保全、回復への取り組み、そして、自民党ではタブーかもしれない「格差」をなくす方向性などを示せば、ひょっとして、次回、次々回の選挙で失地回復のチャンスがあるかもしれない。
 仮にも民主党政権の大失態を待望するようでは「健全野党」にもならないし、財界の「政治連盟」の域にとどまるようであれば、「民主」がとれて「自由党」という少数政党として名前だけは残るかもしれない。
 現政権が、問題なしとはいえないが、マニフェストに沿った政策を推進し、自民党が、悪しき党の過去を克服して出直せば、日本全体としては底上げされるのではないかと思う。

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2009年9月25日 (金)

八ツ場ダム問題を考える

 住民の立場を支持したいが・・・
 新政権になって、国交省が最初に取り組んだのが「八ツ場ダム問題」であるが、難しい局面が続くだろう。
 50数年にわたって賛成、反対が繰り広げられ、最終的には、代替地、地域振興などで生活保障されることで「賛成」して、工事が着工され、いよいよ本体工事だけと、そこまで漕ぎつけた揚句、「今になって中止とは、それはないだろう」という住民、自治体の言い分には、共感するものがある。「政権が変わろうとも、国との契約であり、一方的な中止は納得できない」という主張にも無理があるとは思えない。
 さあどうしたものか。
 「民主党政策集 INDEX2009」の「大型公共事業の見直し」の項では、「川辺川ダム、八ッ場ダム建設を中止し、生活再建を支援します。そのため、『ダム事業の廃止等に伴う特定地域の振興に関する特別措置法(仮称)』の制定を目指し、国が行うダム事業を廃止した場合等には、特定地域について公共施設の整備や住民生活の利便性の向上および産業の振興に寄与する事業を行うことにより、当該地域の住民の生活の安定と福祉の向上を図ります。」とある。
 この問題をさかのぼれば、そもそも計画自体に、洪水対策の効用も少なく、水需要予測も過大で、ダムの必要性はなかったが、公共工事先にありきで動きだした、という経緯があってこそ、民主党マニフェストに「建設中止」が明確にされた、という流れであろう。
 もう一つ思い出されるのは、作家でもある田中康夫(現衆院議員)が長野県知事に当選して「脱ダム宣言」をして奮迅努力したが、挫折を余儀なくされたこと。自民党政権の圧力もあったであろうが、長野五輪後の不景気にあえいでいたであろう、地元の建設業者などの巻き返しにあったのではないだろうか。
 それと、洪水対策にダムが、抜群に効果があると思い込まされているフシが、私たちの間にはあるような気がする。「ダム神話」の一つである。だから、「緑のダム」や、気候変動への対応、家庭で雨水の利用など、「脱ダム」へのプロセスが見えてこなかったところに、挫折があったように思う。
 しかし、今回の「八ツ場ダム問題」を考えてみると、新政権が「大型公共事業の見直し」として、中止することで投資した税が費用効果を発揮しないまま失われること、地元住民にまたも辛酸をなめさせることに対する国の責任は免れない、という点では、このまま工事継続が最も安易な選択であろう。
 そこであえて「中止を明言」して推し進めることによって、これまでの自民党政権の利権、特権、既得権的、税金の無駄遣い、選挙対策的国策事業を大きく転換させることができるなら、これまでもあった「八ツ場ダム建設反対」の運動にもかかわらず、「建設中止」を支持したい。
 問題は、その結果に基づく地元への対応の「完全さ」であろう。ここは代償が多かろうがしっかりやってもらいたい。このような杜撰で利権的な大型公共事業が、いかに国力を落し、強いては増税など国民生活に影響を及ぼしてきたかを知り、将来に効用をもたらせば、一時の費用(税金)加算は、容易に取り戻せるであろう。
 国の対応に柔軟性も必要だが、国のビジョン、粘り強い話し合い、費用対効果、代替保障など、新政権であればこそできることに、私たちの目が向けられ、意識される必要があるのではないだろうか。

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2009年9月22日 (火)

坂後援会のご苦労さん会

 経験は経験として今後は・・・
 選挙が終って3週間、坂さん自身は元の職場、銀行のパート労働者に復帰し、女性ユニオン名古屋、均等待遇東海の地域の運動にも復帰した。「落選」にもめげず、すこぶる元気であったことは、候補者の条件の一つをしっかりクリアーしていると見て取れた。
 その選挙を担ったメンバーによる「ご苦労さん会」が、昨日の午後名古屋で開かれた。20人ほどのこじんまりとした集まりであった。
 各自負担の「昼食会」の前1時間足らずの会合では、それぞれが感想を述べ合う程度のもので、「反省・総括」とは別物であった。しかし私は、既に「C&Lリンクス」で総括を終えていたので、その冊子を配って、総括と問題提起とした。この先、機会ごとに「あの選挙、あの時は・・・」と言葉で語られることはあっても、文書として出てくることはきっと少ないに違いない。
 私の経験では、「市民運動的選挙」で、「選挙総括」が行われ、文書化されたことは稀である。そうした運動スタイルに違和感を持っている私は、私なりの「総括」を毎回してきたが、だからといって、それがなにがしかに寄与したという感触はないから、結局同じことかもしれないと、思わないでもない。
 それはともかく、多くの党員ではない「女性運動員」の発言を集約すれば、「初めての経験、いい経験だった」「坂さんのような人が、国会に行ってほしいと改めてそう思った」「比例区だったので、坂喜代子と書けない、訴えられないのが残念だった」「次のチャンスを期待している。活躍してほしい」
 またある女性からは「街宣車で回って、票になるだろうかと思った」という、的を得た発言があったが、それを受けるようにして「中央政治の動き、メディアで(当落)が決まるような選挙になった。昔風の選挙では・・・」と男性の声が上がった。
 他に「若い人の反応は、消極的で、無関心のように感じられた」というのもあった。これは社民党の側からの仕掛けの選挙では、それもありなん、といえなくもなかろう。
 さて本人からは、「選挙をやってよかった、いろんな人に会え、多くのことを学んだ。それらは57年の人生の中で最大の贈り物を戴いた感じです。どのように恩返したらいいか・・・」「これからも労働運動で頑張って行こうと思う。女性の問題をもっともっと取り上げ、女性たちが活躍できるようにしたい」「若者たちが安心して働ける環境が必要です」「社民党(県連)の対応に苦慮しました。」「女性ユニオン、均等待遇でがんばります。またグローバルな、特にアジアの問題にも目を向け、APWSLにも力を注ぎたい」「政策骨子案をつくれるような活動をしてみたい」と。これから選挙が始まるような姿勢が印象的であった。
なお社民党から、「後援会」を、党として支えた数人が参加していたが、もっぱら「十分な支援ができなかった」と申し訳なさそうな言葉が多かった。連立政権に福島瑞穂党首が参加してはいるが、それらに関連した今後は、まだ模索中かもしれないが、新たな方向性を示す発言はわずかであった。

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2009年9月19日 (土)

“核持ち込み”の機密文書

 岡田外交を読む、注視する
 岡田外交の初仕事は、米軍の“核持ち込み”に関する機密文書の存否の調査命令であった。その素早さに誰もが驚いたに違いないが、ひょっとして岡田には、深謀遠慮があるのではないかと私は注視している。
 いうまでもなくこの問題は、「非核三原則」に抵触するかどうかの問題であるが、岡田は、そこに的を絞っているようには思えない。日米間のこの「機密文書」即ち「核密約」については、既に、アメリカ側で1999年に公開された事実があり、存在自体は否定できない。朝日新聞がそのコピーをもっているとさえいわれている。
 では岡田の狙いは何か。まず自公政権が、国民に「存在しない」と否定し続け騙してきたこと、その不条理を糺すことにある。それは情報の公開、透明化をアピールする、新政権の好材料にもなる。
 だがそれは同時に、日米関係がこのような形であれ、緊密で断ち難い関係にあることをアピールすることにもなる。
 例えば自民党政権がとってきた、“核持ち込み”といっても、艦船や航空機に搭載されたもので、“陸揚げ、貯蔵”されたものではない、という論理。また現実的には、日本の安全保障を考えるとき、「北朝鮮」、中国、ロシアを見据えた軍事プレゼンスからすれば、日米安保条約に基づくアメリカ軍の駐留、基地提供、艦船の寄港、航空機の飛来は拒否できない、という論理と実体を否定できるのか。
 つまり、過去に密約があった、これは自民党政権の時のこととは言え、けしからんことで、政府として存在を認め国民に謝罪する。しかし、現実面から、核搭載の艦船の寄港拒否は、日米安保条約、地位協定などの外交的な政策転換と交渉、さらに世界的な、そして極東の安全保障の環境が整うことが前提となる。
 「核搭載の有無は、軍事機密」は方便で、核搭載の事実なくして「核抑止力」とはならないという事実がある以上、「核搭載の寄港」は既定の事実とする。「寄港」は、「持ち込み」とは区別する。
 ということで、結局現状を追認するのではないか、ここが焦点である。
 岡田が、根回しや暗黙の了解、密約といった手法を嫌って、国民に手の内を全部見せ、情報を公開し、その上で判断を政府がする、というような姿勢であるのかどうかは知らないが、それが外交という国家間の問題であるだけに、高度な政治判断、外交姿勢が伴うことは確かだ。
 日本の米軍基地全体の75%が集中するという、沖縄の米軍基地問題。首都圏に外国の軍事基地があるという、「進駐軍」の解消、何かと問題の多い日米の地位協定改定など、難題であるがこれらを後景化させるような、「機密文書」問題であってはならない。

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2009年9月18日 (金)

総選挙の総括

 C&Lリンクス愛知第55号
 選挙を終えて、私なりの総括、あるいは報告を書いてきたが、一つはAPWSLの「LINKS」次号に投稿した。10月はじめに発行される。
 もう一つは、個人誌「C&Lリンクス愛知」の第55号に全12頁、これまでブログにアップしてきたものをまとめて仕上げた。
 表紙のコラム「ひとこと」、これは「編集前記」みたいなものになった。
 ・・・選挙運動というのは、凄いエネルギーがいるものだということを、関わるたびに再認識してきた。今回もその実感をもったが、さすがにわが経験は、自分の持ち場を探す心得を与えてくれていた。
 まず選挙事務所(後援会の事務所)に入らないことを関わりの第一条件にした。そして、文書関係の仕事を自宅で請けることとし、その中に街宣車の、名古屋市内限定のコース作りも請け負うこととした。コース表を作成した関係で、先導車に乗ってナビゲーターも請け負うことになったが、これも想定内。
 街頭宣伝の「前座」は、頼まれれば引き受けるが、積極的には担うつもりはなかったが、結構、マイクをもつ機会は多かった。だが、社民党のマニフェストは読み込まなかった。
 ひょっとして「内部資料」してニュースの発行を頼まれるかもしれないと構えていたが、話が来たら「無駄が多い、よした方がいい」という積りであった。結局来なかったが・・・。
 中途半端な関わりと言えばそうとも言えるが、できることを特化して、集中する。他の活動に支障をきたさない、という原則めいた、そして、体調を崩してはかえって迷惑になる、という判断からすれば、逆に充実した12日間ではなかったかと思う。
 「政治の動きについて行こう」、こういう思いがある限り、「リンクス愛知」もいま暫らく続けられるような気がする。

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2009年9月17日 (木)

鳩山新内閣を眺め見る

 一本の線を追う
 開票速報よろしく、深夜まで閣僚名簿と新大臣の発言を追っていた。
 閣僚名簿で初めて聞く名前が、小沢鋭仁環境相、北沢俊美防衛相、先に内定していた平野博文官房長官の3人。重要ポストでもあり、全く知らない分、ミスキャストでなければいいがと注目している。
 私の運動経歴の中に「反同盟、反民社」というのがあって、今もそれを保持しているので、かつて自民党、旧自由党、旧新進党はいうに及ばず、旧民社党系、旧同盟(現連合)出身と目される閣僚の動向も注目している。その中で、川端達夫文科相、直嶋正行経産相、中井洽国家公安委員長の3人と旧社会党の書記長までやったとはいえ、民社党に近いのではないかとみていた赤松広隆農相の4人は、“危ういなあ”とみているので、私の不安が的中しないことを願っている。
 閣僚の中でキーパーソンになるのが、やはり、亀井静香金融・郵政担当相と前原誠司国交相の二人ではないだろうか。自民党と気脈が通ずる点で共通しているが、瓜二つというものではなく、むしろ背中合わせの異相すら感じさせるが、何か、とんでもないことをいいそうな気がしないでもない。民主党の308議席獲得で、当面は「政界再編」は、影をひそめるであろうが、閣内では「ある種の純化」を求める動きをするのではないか、特に前原誠司は。これが私の警戒心である。
 では何を排除して純化させようとするのか。
 私は1本の線でつないでみたいと思う。菅直人副総理兼国家戦略相、千葉景子法相、福島瑞穂消費者・少子化担当相、仙谷由人行政策新担当相。この4人は、私の誤解もあるかもしれないが、大雑把にいえば、「市民感覚派」で、他の「国家主義派」と一線を画すのではないかと思うのだ。(「国家主義派」の呼称は適切でないが、市民派の対極という意味で使っている)
 官僚依存体質からの脱却はいいとしても、政治主導が国家主義的、一元的統治思想に純化するようであれば、その縦型国家・社会に対する、横型の市民運動、住民運動、労働運動などの大衆運動が陰に陽に規制されかねない、これをいうのである。
 鳩山首相の「友愛社会」がどのようなものかはわからない。観念的なものなのか、自身の座右の銘として、掛け軸化されているものなのか。しかし私は、記者会見の内容と共に、この精神を国家主義的社会に対抗する市民社会の側に位置するものとしてあることを願う。
 いつの時代も、新しいことへの期待と警戒心は同居している。期待を膨らませ、応援し、警戒すべきものを解消ないしは封印させるのは、私たち自身であることも付け加えねばならない。

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2009年9月16日 (水)

組閣前夜

 ワクワク、ドキドキは官僚だけではない
 昨夜から今朝、そして正午になろうとする今も、「鳩山新内閣」の、予想される閣僚名簿が流されている。鳩山が、入閣はともかく、ポストまで口外するなと緘口令を敷いても、このように漏れてくるのは、報道記者の努力のたまものであろうが、「○○さん、入閣の電話をお受けになったと聞きますが」「いや、まだなにも・・・(笑みがこぼれる)」「ポストはどこですか」「・・・・」「△△という情報もありますが、どうですか」「・・・・(否定も肯定もしないが笑みは絶えず)」こんなやり取りがあって、他との情報とも合わせ、総合的に判断すると、鳩山新内閣の全貌が浮かび上がってくるのだろう。
 各省庁の次官クラスは、報道のターゲットになっているから言動は慎重で、大きな路線変更は混乱と国益を損ねる、というような省益を堅守しつつ、新政権への忠誠の言葉を忘れない。(忘れて先走った次官もいるが)
 鳩山内閣が任期4年を全うすることになると、「また、ひっくり返って自民党政治なる」という期待はあっても、4年間は長すぎて、「隠れ自民党」で隠忍自重では、時代に取り残される。「新政権の行方、動向を早くつかまねば」そんな思いが「官僚」の心の中を行き交っているのではないだろうか。
 各省庁や、公務員の心のうちまで、私の視線が到底及ぶところではないことは確かだ。そこで、公務員それぞれが、それぞれの持ち場で職務に忠実の励むことは言うまでもないことではあるが、与野党逆転の政権交代の時代にあっては、政治、社会、民意に敏感であってほしいと願う。省益⇒国益⇒国民の益⇒公務員の務め、という相互関係を、官僚・一般公務員も自覚してほしいというわけである
 そうであれば、省庁を束ねるトップの大臣に誰が就任するかは、官僚だけがワクワクドキドキするわけではない。鳩山内閣の閣僚には、過去の大臣経験者もいるが、大半が初入閣である。そして、改造内閣の折りに登場してくるかもしれない「予備軍」も控えている。
 私は9月6日のブログで、「・・・議員100人を各省庁に配置するというが、その100人の資質と相互関係及び、官僚との切磋琢磨というか、国家戦略局に持ち上げる政策、立法の能力が問われる。それゆえ、100人という人数にこだわる必要はない。うまく機能すれば、次世代を担う有能な政治家に育つ可能性がある。間違えば、官僚の取りこまれた『族議員』に転落するが。
 私の知らない多くの議員が、倒幕の志士、新政府中枢の官となって登場してくるのを楽しみに待ちたい。」
  と書いたように、私は閣僚名簿が公表されるのを今か、今かと楽しみにしている。

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2009年9月14日 (月)

オバマ大統領の試練

  医療改革に抵抗の壁
 オバマ大統領の、主要政策課題の一つでもある「医療保険制度」の改革に、富裕層、中間層、共和党といった階層からの強い抵抗を受け、支持率を下げるなど試練を迎えている。これを「対岸の火」と見ることはできない。間もなく発足する鳩山内閣を待ち受ける「抵抗」勢力、難題は、オバマのその比ではないだろう。
 約3億人というアメリカの人口は、様々なく国籍、人種から成り立っており、しかも貧富の差は、エベレストからマリアナ海溝ほどの差があるといわれる。まあ、陸地に豪邸構える富裕層はともかく、洋上に漂う中間層にとっては、豪華客船ならともかく、プレジャーボートくらいでは、4600万人とも言われる無保険者の保険医療費を負担させられてはたまらない、耐えられないというわけだ。水面下で溺れ、喘ぐ者は自力で泳ぎ、自らの船を探すべきだというのであろう。
 「広く分かち合う精神」が、「社会主義」などと一蹴されてはならない。
 最小限の衣食住は、いまでは「社会的セーフティーネット」といわれるくらい、国が国民に提供する最低限のものではあろう。これは自由主義であれ、市場原理主義であれ、社会主義であれ、何であれ、全く別の価値観である。
 アメリカの公的医療保険制度は、低所得者、高齢者、障害者が対象で、あとは民間の保険に加入していて、高い民間の保険料が払えない、労働意欲のある低所得者が、オバマ大統領のいう医療保険制度改革の被対象者で、人口の割合からすれば、3億分の4600万(15%強)であって、少数層になるかもしれない。
 だがオバマに圧倒的支持を与えたアメリカ国民は、このオバマ政策を含めての支持ではなかったのか、と思うのだが、総論と各論は別ということかもしれない。
  日本では、民主党が308議席という大躍進を遂げたのも、国民(有権者)が「生活第一」を求め、もはや自公政権ではなし難い、従って政権を交代させ、民主党にやらせてみる、ということではなかったか。
 もっとも、鳩山政権発足前から「高速道路の無料化」によって、マイナス影響が広範囲に及んでいる、及ぶだろうという情報があふれ出ようとしている。陳情さえ始まっている。
 この問題で私は、どちらかといえば、車社会にこそ諸悪の根源がある、という立場であるから、現実論から考えると、「既存の高速道路の、主要道は現状からやや料金引き下げ、準主要道は半分程度に下げ、それを4年間試行、その間に無料化を再検討」「計画道路の全面的見直し、凍結」「影響に対する政策的補償」「公共交通の整備、トラック、バス、建設機械なども低CO2化(その他の温室効果ガスを含む)」などを思いつくがどうだろう。いきなり全面的な無料化は、CO2、渋滞ばかりでない影響が大きく、段階的推進がいいのではないか。
(要再考)

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2009年9月11日 (金)

今回の選挙の総括的視点を探る

  有権者自身の問題も含めて
  個人的な立場から、今回の選挙の“総括”をしたいとその骨格を模索中であるが、「鳩山内閣」の動向が気になって中座ばかりしてちっとも進まない。それは、選挙総括を過去形のものだけにしたくないという欲がそうさせるような気がする。
  とりあえず、感想からメモしておくと、
(1)有権者の1票で政権交代が実現した。
  民主党の評価、社民党などの連立政権の評価はさておくとしても、自民党が政権の座から引きずり降ろされた事実は忘れ難い。
(2)新政権を注視する。
  まず鳩山内閣には、4年間の政権運営を任せたい。やらせてみなければわからないからだ。小沢一郎との2重権力とか、「小沢党」とかいうが、308議席はそれをも含んでいるといえないか。
(3)政権交代の可能性が、政治に緊張を与え、新たな政治家を呼び起こすことを期待する。
  但し私は、2大政党論、小選挙区制について、少数意見、多様な意見を吸い上げるシステムとしては「欠陥」すら感じるので、全面的に賛同しない。
(4)地方分権は賛成するが、道州制には賛同できない。
 現在は、大雑把な道州制の制度とメリットだけが強調され過ぎている。
(5)社民党の連立政権への参加は是だが。
  7議席では大きなことは言えないし、2010年の参院選で、民主党が過半数をとれば、連立解消論も出てくるが、この間に「山椒」か「ピラニア」くらいの存在感を示せば、連立維持もあり得る。
  民主党の一党独裁的政権運営が目立ち、自党の埋没が顕著になれば、政権離脱もありだ。
(6)有権者も、もっと賢くならなければ。
  小泉内閣の大量票が今度は、小泉の大失策と自民党の混迷、混乱、無策で、民主党に振られただけという、単なる“ぶれ”ではなかったことを私たち有権者はどのように示せばいいのか。
 まずは、鳩山政権に4年間を任せ、やらせてみることが第一であろう。鳩山には、政治資金での疑惑の解明が不十分であるとの指摘もあるが、検察が起訴するまでは見守る。また、鳩山のリーダーシップ及び、マニフェストを見比べて、検証して評価してみるのも一つである。
  小選挙区制、選挙権の年齢、定数問題などもあるが、とりあえず、2010年の参議院選挙に対応したい。この参院選挙で有権者は、政党を基準に選択するより、「人物」本位で候補者をしっかり吟味、評価して選ぶ姿勢をもつべきではないかと思う。そうでないと参議院不要論が再び台頭するだろう。
  また少数政党のがんばりや、少数派の新たな議会進出も大いに結構ではないか。参議院ならではの役割を果たしてもらうために。
 な
んか足りない気がするが、なんだろう。もう少し考えてみよう。

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2009年9月 7日 (月)

三権分立と政党政治

 「国家戦略局」も絡んで、ちょっと混乱をきたした
 テレビ討論を見ていた時だったと思うが、例の「国家戦略局」に絡んで、鳩山の「政府一元化」構想に対して、連立政権だから、三党の政策協議機関が必要と福島社民党党首が主張した時だった。評論家か大学教授だったかは忘れたが、ひょっとしたら亀井静国民新党代表だったかもしれないが、「政党政治だから、政党の政策を内閣が遂行することになる」というような発言があった。聞き違いかもしれない。
 これを聞いて私はちょっと混乱した。いや、今も整理しきれていない。多分、その原因は「議院内閣制」の理解不足と、現状との見極めに思いが行っていないせいであろう思う。
 議会が首班指名をおこなって内閣総理大臣が選ばれる。とすると、党員でもある総理大臣は、議会での多数派から選ばれ、その基本政策はおのずと多数派政党の政策に準ずることになる。では、政権政党はどのようにして政策を立案し、立法化に向けた過程を踏むのであろうか。(官僚の力を借りることもある)
 議員は、有権者の意見を聞き(官僚の意見も聞き)、要望を受け、自ら政策を調査、研究、立案し、信条をも織り交ぜて議会に提案し、発言し、立法をめざす。とすると、政策立案の少なくともその骨格と、立法権が議会にあるとすれば、内閣は、議会の下請け的存在なのか?これは違うだろう。内閣が行政遂行にあたって必要な政策案、法律案を用意して、議会に承認を求めるケースもある。つまり相互関係なのであろう。
 その上で「国家戦略局」の構想が出てきたのはなぜか。政策の一元化と官僚依存からの脱脚ということだが、実体としては、内閣と議会、内閣と省庁との「調整機関」と位置付けられるのか、とも考えられるが、これも鳩山の意図するところからいえば正解ではなさそうだ。
 では国家戦略局の役目とは、内閣の最重要ポストに位置づけられているから、(人事権の掌握と共に)予算編成の大枠と主導権を内閣が掌握して、議会での意向と省庁に配置した100人の議員からの報告、提案を基にした国家戦略を練るところ、ということになるのか。(官僚との関係はどうする)
 国家戦略局がこのようなものであるなら、これは凄い部署だなあと、改めて思わざるを得ない。並の陣容ではこなしきれないだろうし、肥大化し過ぎる状況もあり得ないことではない。抑制すれば、単なる「調整機関」であり、ヘッドだけで、胴も手足も官僚に牛耳られかねない。
 さて、福島党首のいう与党の協議機関については、党首の入閣で党首会談、閣内調整という方向が模索されていると聞くが、それは、社民党、国民新党が埋没し、取り込まれてしまうことになる危険性がある。それは閣内で異論を主張し続けることは、国民の目線からも至難なことであるからだ。また、閣議決定とそれぞれの党内のコンセンサスをどう統合させるのか、悩ましい問題ともなろう。
 まだ整理しきれていないが、推移を見守るしかない。

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2009年9月 6日 (日)

時代が動く、これまた楽し

  もし10年若ければ・・・?
 新聞もテレビも、新政権、鳩山内閣に向けて動き出している様子を伝えてくれ、時代が動いている感じを持つと、なんだか嬉しいし、楽しくなる。
 私が夜間高校の日本史の中で一番好きだったのは、やはり、歴史が動いた幕末から明治維新の動乱期であった。特に、幕藩体制から明治の新政府が形作られていく過程の、人物像であり、若きリーダーの活躍とその時代背景であった。
 今にしてみれば、当時のそれは、単にヒロイズムの域を出るものではなかったが、かつて、どこにも所属しないで一人「70年安保」に関わろうとしたのは、「私の知らないところで政治が動いていくのは許せない」という心境であったと、今も覚えていて、今それがよみがえるようでもある。もし10年若かったら、もう少し時代の流れ、動く現場に近づいていたかもしれないが。
 さて本題に戻そう。党や国会運営に関しては小沢一郎に一任して、政府・内閣に専念しようとする鳩山に対して、早くも「小沢党」「2重権力」と揶揄する向きもあるが、それは視点がずれていないか。
 行政府と議会(立法府)は別物であることは三権分立の原則からすれば当然であり、鳩山は原則をいったに過ぎない。それにしても小沢の影響力は大きく、鳩山は小沢に頭が上がらないのではないか、つまり小沢主導に鳩山は追従するだけではないか、と危惧するむきもあろうが、副総理兼務で、国家戦略局担当大臣に菅直人、外務大臣に岡田克也を据える組閣構想を見る限り、与党との緊張感を高めることはあっても、政府、与党の癒着はないだろう。仮に、政府と与党の間に違いが出たとして、世論は間違いなく小沢をたたき、鳩山を擁護するだろう、というのが私の見方である。
 どっちにしても鳩山は、実効を早くあげてペースをつかむことだ。例えば、「高速道路の無料化」に対する否定的意見が多いが、段階的に無料化(対象道路の選択と料金の段階的引き下げ)を進めて、完全無料化が難しいとなれば、それまでの経過の情報を明らかにして、方針を転換することに勇気を持つべきだろう。
 また、国家戦略局に、シンクタンクのようなものを設置して、中長期的展望のもと政策策定が必要という有識者の意見に賛成である。但し、その人選には厳しい目を向けることになるが。さらに、議員100人を各省庁に配置するというが、その100人の資質と相互関係及び、官僚との切磋琢磨というか、国家戦略局に持ち上げる政策、立法の能力が問われる。それゆえ、100人という人数にこだわる必要はない。うまく機能すれば、次世代を担う有能な政治家に育つ可能性がある。間違えば、官僚に取りこまれた「族議員」に転落するが。
 私の知らない多くの議員が、倒幕の志士、新政府中枢の官となって登場してくるのを楽しみに待ちたい。

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2009年9月 4日 (金)

老兵たちのフォーラム・9月例会・3

  政権交代-意見交換から・2
 このフォーラムのメンバーの中で、一人投票立会人になって12時間余り、投票所に詰めたという高齢の方がおられた。顔見知りの人も含め、投票される人の行動の、観察した一部を語っておられたが、選挙運動そのものを具体的に担ったという「現役」は、さすがに最年少の私一人であり、選挙戦の現場からの実際を中心に意見、感想を述べた。
 私が、社民党の応援のためではなく、坂喜代子という個人を応援したという前提は、結果はどうであれ、やはり押さえておかねばと思った。それは、選挙以前の問題として、ここでは触れないが、社民党県連には、かねてから疑問をもっていたからである。
  それはそれとして、私の役割は、名古屋市内4日間に限ってではあるが、候補者が乗った街宣車の、1日のコース表を作り、先行車で先導しながら街頭演説の場所づくりであった。これは過去の経験が生かされたが、ショッピングセンターや、交差点、ターミナルでは、駐車場所が極めて限定されてきていることを知った。
  例えば、市バスの路線上の交差点では、ほぼ間違いなく、交差点を過ぎた先にバス停があり、横断歩道とバスの駐車ゾーンの間に、わずかな空間があるが、これは道交法上の必要スペースであるから、駐停車できない場所ではある。ショッピングセンターでは、広い駐車場の先に店舗の出入り口があり、車に訴え掛けている感じであきらめざるをえなかった。
  それから時には、本人からその方がやりやすいからと、“前座”も務めたりして、社民党のマニフェストに関係なく、私の“考え”もちょっぴり織り込んで行うこともあった。しかし、同乗者のほとんどが未体験者であったから、他党と交錯した場合の対応とか、お酒を飲んで絡む人の相手をし、音が大きいという苦情に対応するなどの現場対応・処理の役割も多かった。
 実は、このような旧来の街頭宣伝の在り方について、何となく古い手法かな、という気がしていた。今回の選挙のマスコミのレポートでも、“元祖はワシ”という河村名古屋市長流の「自転車街宣」を取り上げるケースが目立った。これは、移動範囲が短いことから、もっぱらマスコミ向けのパフォーマンスであるが、マスコミを利用するという点では秀逸なのであろう。その意味では、有権者が受け取る情報が、一つはマニフェストであり、もう一つはメディア、それも映像ではないかと思ったのである。
 確かに、“選挙の基本はドブ板選挙”という面もあるが、それは選挙区選挙で、比例区では「日常活動」でできても、本番ではむつかいしいのではないか・・・。
 少し話が脇にそれてしまったが、フォーラムで、選挙運動以外のことで私が触れたのは、政権交代には「リレーゾーン」が必要であって、それを見守ることも大事だ、という点。例えば海自の「インド給油」問題にしても、社民党の福島党首は、「即時撤退」を主張するが、鳩山・民主党のいう「1月15日の期限まで」は、妥協できるのではないかと思う。もっとも後日のテレビで見た限り福島も「できるだけ速やかに」とトーンを落として、ここで混乱することのマイナスを知っているようではある。
 外交問題は難関であるとの指摘もした。それは外交問題それ自体がどの政権にとっても難題なのである。むしろ「日米基軸」「米大統領と個人的な親交」でもって、全てがうまくいくと単純化した小泉外交のツケを、鳩山政権が支払う状況であれば、外交問題は時間をかけての「段階的移行」として見守る必要があるだろう。特に日米安保条約、日米地位協定、非核3原則、領土問題、国連への対応などは、この4年間で成し遂げられれば、それは“快挙”に違いない。
 最後に一つ。民主党の前原誠司の動向に注意が必要だ。私は前原の防衛大臣という案については、反対意見を述べた。彼は自民党以上に「日米同盟」を重視し、自立・自国防衛論を基に、自衛隊の「国軍化」を進め、海外派兵に躊躇しないであろうと思うからだ。若くて頭もキレそうで、イケメンだから、将来、国民的人気は高くなるだろうから、鳩山の「アジア重視」と対抗軸を形成しつつ、“次”に備えるだろう。
 臨時国会、首班指名、組閣で、交代した政権の顔が揃って期待が膨らむ。小沢の幹事長決定で、「小沢党」と揶揄する向きもあるが、それを含めての民主党308議席である。見守るほかなかろう。

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2009年9月 3日 (木)

老兵たちのフォーラム・9月例会・2

 政権交代-意見交換から
 まずHさんの意見であるが、
1、新政権は「仮免で一般道、高速道を走るようなもの」安全運転の姿勢を示せ。①民主党は“五目飯”だ。挙党一致体制を作れ。②いたずらに官僚批判をせず、使いこなせ。③鳩山の後継を決めておけ、鳩山は短命かもしれない。
2、財源確保に取り組め。①医療費、軍事費を削れ。②子ども手当、高速道路無料化は“ばらまき”の愚策である。撤回すべき。(反論あり)③配偶者控除、扶養者控除の廃止は、子どものいない家庭、老人家庭への増税である。(反論あり)
3、民主党は総じて外交オンチである。“対等な日米関係”というが何が対等でないかが不明。前原誠司以外はダメだ。(反論あり)
4、内閣、党の支持基盤強化が必要。政権・首相を支えるスタッフの仕組みを作れ。(アメリカの例)
5、308議席は取り過ぎ、驕りが心配。(同調する意見あり)
6、民主党の弱みは何か、という点では、
①鳩山、小沢の献金問題は、命取りになるかもしれない。②鳩山にカリスマ性もリーダーシップもない。小沢を抑えられるか。③党内の人材不足。④労組に振り回され、財界に支持基盤がない。⑤経済政策がない。⑥外交政策に暗く、乏しい。⑦新人議員の教育にてこずる。
7、最後にHさんは「私の組閣案」を示した。それで注目の国家戦略局局長(長官)に、小沢一郎をもってきたが、権力の二重構造がミエミエで、小沢の線はないだろうというのが私の見解。官房-原口一博、外務-岡田克也、防衛-前原誠司、財務-藤井裕久、厚生-長妻昭、少子化-辻元清美などが示されたが、法務-亀井久興、行革-渡辺喜美はあり得ない。勘違いだろう。通算の仙谷由人は、入閣候補の一人ではあろうが、体力面からきついだろう。またHさんは、前原にえらくほれ込んでいるようであるが、私の眼からすれば「要注意人物」であり、法務か農水あたりで、おとなしくしていてほしい。もっとも、法務には亀井静香という線もありだ。では防衛は誰か、ということで私は、ネクストキャビネットでは環境大臣の近藤昭一(愛知3区)を推した。
 一方党人事では、幹事長-渡部恒三、総務-菅直人、政調-赤松広隆、国対-山岡賢次とあった。幹事長に渡部恒三はないだろうと思うし、山岡は入閣希望ではないかと思う。菅直人の処遇も焦点であるが、私は国家戦略局に推した。
 で、こういう人事の話は興が乗るもので、既に話題にしてきたという人もいた。
 もう一人、Mさんの感想は、①国民は、選挙(一票の行使)で権力(政権)を変えることを経験した。②主権在民の精神が確立された。これは、今後どんな政権が生まれても恐れることはない、ということだ。③主権者は国民という意識が自覚され、駄目だったら変えればいいという選択肢を手に入れた。
 これについてはちょっと楽観的過ぎる。それはこれからで、始まったばかりだ、という意見に頷く人が多かった。そしてMさんは、「政権交代は手段-目的は国民主権の確立」「民主主義の成熟が日本の希望-時間がかかるが、これに代わる思想はない」と締めくくった。このあたりは、私が提起した「第3の社会(制度)論」が論点として残されており、今後議論がなされることになるだろう。 
(続く)

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2009年9月 2日 (水)

老兵たちのフォーラム・9月例会・1

 政権交代-新政権への期待と当面の課題
 9月例会のテーマ(論点)は、総選挙直後ということもあり、表題のものとなった。
 提起者は、元労組委員長・元県議のKさんで、論点を政権交代の歴史的意義から入った。詳細は省くが、例えば15年前-宮沢政権崩壊後の連立政権。64年前-戦後民主主義国家となる。(64年目にして2大政党による政権交代)120年前-明治憲法制定、翌年の第1回衆議院選挙など。
 次に、政権交代の具体的意義と新政権への期待というところでは、①国民の投票行動によって政権選択ができた。②一党独裁ではない、政権交代のある風土づくりや緊張感のある政治体制ができたこと。③政治の深刻な劣化に楔を打てるようになったこと。④中央集権、官僚主導という発展途上国型システムの打破、政治主導、地域主権体制の取り組みの始まり。⑤民主政治の基本である情報公開が進む。
 3つ目に、当面の課題として、①新政権内での結束・意志統一と抵抗勢力への対処。民主党自身のモザイク模様的な集合体の上に社民党、国民新党との連立であり、そのかじ取りは政権の安定性と直結する。また抵抗勢力に「官僚、野党、連合、財界、マスコミ」をあげていた。②マニフェストの具体的推進。③早期に政権交代の成果の「見える化」④小沢一郎の制御と、彼のパワーのフル活用。⑤危機管理の強化(小沢、鳩山の献金問題)⑥新人議員143人の教育、育成。⑦細川政権崩壊の学習効果の発揮。
 わずか30分ほどの提起であったが、かなり的確なものであると私は感じた。特に「当面の課題」で私が感じ入ったのは、抵抗勢力に「連合」をあげたことであった。企業内組合、労使協調路線をとる組合の多い「連合」加盟組合が、企業利益確保に共同の戦線を張る可能性は大いにあり得る。また、官公労などが官僚と結び付く可能性もあり得る。これは重大な指摘である。
 また、焦って墓穴を掘っては元も子もないが、早期に成果をあげ、強調することはプロパガンダだけでなく、国民に安心感を与えるという心理的な効果も大きいのではないか。
 そして、新人議員の教育・育成の課題は、「小泉チルドレン」の失敗例が対比された。全部が全部ではなかっただろうが「税金のムダ遣い」といわれないような議員=政治家になってもらいたいのは、所属党派に拘わらず、全ての議員に当てはまることである。 
(続く)

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2009年9月 1日 (火)

秋風が吹く

 爽やかな風を吹かせられるか新政権
 残暑が厳しいというべきか、四季が暦とずれ始めているというべきか。
 それでも、蝉の声は消えて虫の鳴き声が聞かれるようになった。それなりに季節を感じるし、社会の事象の移り変わりはとどまることがないと、改めて感じる。
 「自民城落城」という表現で記事を書いた新聞。討ち死にした家臣も少なくない。連合した一方の首領・公明党・太田の殿様も討ち死、家老の北側も討ち死。
 また、これは政権交代ではあるけれども、世代交代でもある、といったある商店主。そういった見方もできるが、40代、50代、60代前半の「次世代」だけでやっていけるか。
 陸上競技の400メートルリレーで、最強チームの一つアメリカチームが、しばしばリレーの失敗で失格になる。渡す側がトップスピードを落とさず、最後の力を振り絞って渡そうとする。受ける側は、トップスピードへとギアチェンジをしながら、前だけを見て走る。「一瞬」の手違いがあっても、時間をロスするか、バトンを落としてしまう極限のリスクが伴う、そんな競技が「リレー」であり難しい。
 だが、日ごろ練習を共にする競技仲間でさえこの難しさであるのに、自公政権から民主中心の野党政権へリレーする難しさは、推して知るべしであろう。
 つまり、世代交代は一夜にして成り立たない、と心得るべきだ。だから民主党は、引退宣言した藤井氏を呼び戻したのであろう。財務大臣が憶測されている。
 鳩山の「国家戦略局」構想では、その初代長官に菅直人の名が挙がっている。「国家戦略局」そのものの位置付けがよくわからないが、政権の要といわれるから重責であろう。菅直人でまとめ切れるか、という心配はあるが、他に誰がいるか、という話であろう。本来なら、岡田幹事長という線が濃いと思われるが、岡田外務大臣という推測がマスコミに流れている。
 社民党の辻元清美の入閣はサプライズといわれているようだが、防衛問題などで閣内の軋轢を避けるために、鳩山は避けるかもしれない。ついでに言えば、保坂展人が当選していて入閣するなら、文科相かな、と思ったりして。前原の防衛大臣といううわさもあるが、これでは、インド洋での給油活動の中止は見送りになるのでは?
 まあ、どっちにしてもこれら「下司の勘ぐり」レベルではあるが、鳩山には、「爽やかな秋風と、豊かな実り」を期待しよう。ああ「実り」は別だよね。

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2009年8月31日 (月)

難しい選挙でした

 敗れて何を残すか坂喜代子さんは
 比例東海の開票結果が報道されるに従って、21議席中、残り2議席という時点で坂喜代子候補の落選を知った。
 その前に、選挙区愛知1区での社民党の平山良平候補の得票の少なさに意外さを感じた。それは「あまりに少ない」という意味において。もっともこれで、坂候補にとって、平山候補の「復活当選」はなくなって、比例区での当選の条件一つ(順位が2位だった)がクリアーされたわけである。
 ところで、比例区であれっ、と思ったのが社民党の前に「みんなの党」が割りこんでいることだった。全く想定外であった。そして票を見て二度あれっ、と思って瞠目し、坂候補の落選を受け入れることになった。結果的には、みんなの党の候補者が、小選挙区での得票率から、比例での復活はできないとわかり、坂候補は「次点」ということもあり得るのではないかと思った。ただ自民党候補が上回ることもあり得るので、断定はできない。特に社民党が、比例区前回の得票の30万票に届かなかったことは、「次点」以前の問題ではないかと思われる。
 さて、社民党県連と坂後援会はいずれ「総括-反省会」を行うであろうけれども、部分的ではあれ、幾らかは関与した私も、党は関係ないが「後援会」では、その一員に加えられることになるかもしれない。
 それはそれとして今回の選挙は、当初から「難しい選挙」であることは誰もが承知していたことだろう。それは、後援会が発足して、本格的な選挙活動が始まってからも状況に大きな変化がなく、難しさに変わりがなかった。
 民主党に向けられた「追い風」は、自民、公明、共産どの党にとても「逆風」であったが、社民党にとっては、小選挙区で3議席獲得したことで、一概に「逆風」とは言えず、比例区では、むしろ「民主党台風」にのみこまれたというべきかもしれない。その意味では、社民党は解散前の議席を維持したとはいえ、少ない得票で、比例東京で保坂展人(重複)を落とすなど、衰退状況は変わらない。
 さて、坂候補にとっては、これが最初で最後の挑戦かもしれないが、今後の活動次第では、また挑戦の機会が巡って来ないとも限らない。だから、総括は幅広く深くしておいた方がいいだろう。とすれば、まず何を総括するのか、という視点が定まらねばならない。集まっては、選挙戦の思い出みたいな、党へのグチをいってみても始まらない。
 候補者だった坂喜代子さんが、この選挙全般で何に手応えを感じ、何に今後の進路の道筋を見つけたか。一緒に闘った仲間と、今後どのような絆を改めて結び合うことができるのか。横断的なネットワークのようなものが構想できるのか。選挙-国政、議会という場から離れた「現場」に身を置こうとするのか。総括の端緒は、そんなところから始まるのではないだろうか。
 私も「リンクス」に、何らかの見解を試みたいと思っている。

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2009年8月30日 (日)

比例東海の結果を待ったが

  午後7時に投票所へ
  金山駅で最後の訴えを済ませ、後援会の打ち上げに参加して、最終のバスで帰宅してから、2時間ほど仮眠。起き出してから29日の街宣行動の報告と、それを基にしたブログをアップしたのは午前6時の明け方。入浴する気力もなくシャワーで済ませてもう一度仮眠をとって、兄の1周忌に出掛けた。
  息子たちが午前中に投票に行った時は行列ができていたという。私が出掛けた午後7時でも、あとに続く程度の列はあって、やはり投票率は高いと感じた。
 開票状況を見ていた。「注目の選挙区」では、自民党の「大物」が選挙区で敗れて、比例区で復活当選するケースも目立ったが、終盤で巻き返したか、投票率が事前予想よりかなり下がったせいか、辛うじて滑り込んだケースもあって、それが「民主党320議席に迫る勢い」が308議席にとどまったということではないか。
 午前0時の時点では、重複立候補者、特に民主党の候補者には当選マークがついたが、比例東海全体の情報はなく、坂候補の当落は不明であった。

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2009年8月29日 (土)

坂喜代子候補の挑戦-29日の記録

 いろいろあった街宣の最終日
 社民党比例東海に立候補した坂喜代子候補の最後の訴えは、地元東海市・太田川駅から始まった。
 土曜日の朝ということで人の流れは少ないが、それでも、通りがかりの人から手が振られることがあって、それは、市内・富木島地区の街宣でも同じような場面にしばしば遭遇して、地元での浸透は、ある程度感じられるものであった。
 最終日の今日は、名古屋市内の繁華街を中心に街宣車を回す計画であったが、「日本どまんなか祭り」の開催で、予定を変更せざるをえなかったが、想定外の街宣活動ができた。
 金山駅北口で車上からの訴えで、名古屋市内でのスタートを切った。次に大須万松寺商店街で、大須観音までを練り歩き(桃太郎)、大津通の街宣車で街頭演説を行った。
 さて、ここから大津通を通って栄に出て、広小路通を名古屋駅方面に向かうのが当初予定であった。しかし、「どまんなか祭り」でかなわず、迂回して名古屋駅前に出て、一帯が通行禁止になる前に一回りして名駅前へ。ここで予定外の駅前街宣が実現した。
 駅前・ロータリーに面した道路で、駐車場所が確保でき、急遽車上からの訴えを行った。左にミッドランドスクエア方面への流れ、正面に名鉄百貨店方面からの流れ、右に、JR名古屋駅、高島屋からの流れが行き交う絶好の場所であった。多分、候補者も応援弁士も、チラシまきの人たちも力が入ったことだろう。
 名古屋駅を後にして栄に向かった。ここでも、交通規制を予想して迂回しながら流し街宣で通り抜ける予定であったが、バスターミナル前の「ひろば」が空いていて、街宣活動ができた。それを幸運というべきか、「素人のくそ度胸」というべきかは知らない。
 午後の第1目標地点、今池に向かう。ところが、ここで共産党の街宣車が先行して街宣活動をしているのに遭遇。マイクをもっていたのは前職の佐々木憲昭氏。どうしようかと迷っていると、Nさんが今池交差点に近い、スーパー・ピアゴ前まで走って、場所を確保したとの連絡。迂回しながらその場に到着したころ、共産党の街宣も終っていて、すぐに訴えを始めることができた。坂候補、疲れも見せないで好調のようである。
 次は、瑞穂区・新瑞橋交差点付近を予定していたが、場所は特定されておらず、その場の判断と思っていたが、ここでもNさんが活躍、交差点内ではあるが、少なくとも交通に支障をきたさない場所を確保。東西南北を見渡せる場所で、歩行者、通過車両向けに訴えることができた。
 次の街宣は昭和区・八事交差点。交通量も多く、近くには中京大学があり、土曜日でなければ、学生も多いことだろうが、それでも若い人が目立ち、坂候補も、学生のみなさん!若いみなさん!という言葉を織りまぜていた。
 八事を後にして、マンションの多い山手通り、名古屋大学前を通って本山交差点に出てしばし街宣。さて、次は大詰めの星ヶ丘・三越前。ナビをする側にとっては、星ヶ丘の場所確保は最大の懸念材料であった。案の定、ポイントの三越前の場所は、既に民主党の街宣車が街宣を始めていたのであった。しかし街宣車が住宅地を回っている間に、先行車と先に来て待っていた地元の富田市議(社民党県連代表)が場所の確保をしてくれていた。民主党の車は街宣を終え、去っていたのである。この場所では、候補者、弁士もかなり時間をかけての訴えであったが、いい運動・訴えができたように思う。
 時計を見る。午後6時20分ころ。金山へ直行するには早すぎるので、予め作っておいた「予備コース」の千種区・猫ヶ洞地区の住宅街に入り込み、今池、鶴舞、東別院経由で金山駅南口へ。予定時間、午後7時にドンピシャリ到着。思わず“電車のダイヤ並みだなあ”と運転手と言葉を交わす。
 だが、金山の状況は予想外であった。まず、駅前の広場には、通行人、夜の酒場に向かう人だけでなく、ギターを奏でる若者と取り巻く若者が群れ、そして、なんと共産党の「先行部隊」多数が、のぼりを立て、看板をもち、街宣車の場所確保を終えていた。
 一方社民党の県連も、場所を別のところに確保して待機していたから、そこで、選挙区・平山候補の街宣車も合流して街宣を始めた。どうやら、ここは党が仕切る構えのようだったので、私の任務は終了したと判断した。
 さて、共産党の街宣車が到着して街宣の準備が整ったようである。党同士の話し合いがあったらしく、マイク街宣を打ち切り、周辺での最後の“練り歩き”が始まった。金山駅のコンコースを横断して北口に出てしばらくして、午後8時になった。
 街頭での選挙活動は終った。候補者も応援した人も、それぞれにどんな思いが去来したのであろうか。

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2009年8月28日 (金)

坂候補の当選の可能性

  民主党の候補者不足で繰り上げ?
  投票日まで残すところ明日の1日だけとなった。ここまで来て票が“豹変(票変)”するとは思えないので、新聞報道の世論調査からみれば、比例の東海ブロックで社民党が1議席を確保するのは難しい状況だ。共産党ですら1議席がやっとであろうから、政党支持率で1~1、5%ほど差がある社民党に議席が回ってくる可能性、あるいは、手応えがあるとは思えない。
  当人はどう思っているかは知らないし、後援会の周辺もあまり口にはしない。当然かもしれない。「いいたいことを言って回ろうよ、訴えるだけでも意味がある」という言葉は、5月ころの会話にあったことはあったが、運動に熱が入るにつれて、少しずつ可能性を求め始めたのではなかろうか。
  もう何度も繰り返して言ってきたが、この坂候補の運動の難しさは、社民党そのものの力量が沈下し続けているうえに、党再生を期そうという内部からの動きがあまり見えてこないことにその第1がある。次に、党があてにならないのなら「無党派市民」でやってやろうということになるのだが、それも急速に広がりを見せたという形跡は聞かない。「派遣切り」など非正規雇用の人たちが、坂候補の意気を感じて、事務所に押し寄せるという現象も聞いていない。無党派の地方議員からお呼びがかかって日程調整に苦労した例は少ないようだ。
  こうしたことから、私は難しい選挙だと思っているのだが、結果はどうであれ、本人と支えた後援会の人たちは、目いっぱいやってきたから、党への不満は出るかもしれないが、“社民党支持層からでさえ、民主党に持っていかれた”ということになれば、結果を受け入れるほかないだろう。
  しかしここで“異変”が起きるかもしれない。そう、各社が一斉に報じている「民主党の候補者不足」による当選者が他党に流れる可能性である。前回選挙で、小泉自民党が圧勝した時、東京比例区では自民党候補者全員が当選してなお当選の権利をもっていたが、候補者がいなかったことから、社民党の保坂展人が、繰り上がる形で当選となった。
  それがこの東海ブロックで再現されるかどうかはわからないが、人の口に上るようになって、“棚ボタ”であれ何であれ、それも視野に入れておくべきかな、そんな気がしないでもない。
  とはいえ、35万票前後をとって、比例東海、21番目の議席を獲得することが第1で、そうすれば堂々と胸を張って登院できるだろう。民主党あたりから“おこぼれ”などと揶揄させないで済むからだ。
  こんな風に想像をめぐらすと、想像が想像を呼んで、坂喜代子候補が議員になったら、たまり場となる広めの事務所を構えてもらおう。議員秘書もしっかりした人を選んでもらい、ブレーンの集団をつくったらいい・・・。
  というようなことが話題になった、今日の午後、NPOステーションでの、Sさんとの会話の一部であった。

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2009年8月25日 (火)

少数政党の立ち位置

  語られない、非戦・平和、第1次産業
 報道関係の世論調査の結果が、そのまま投票結果「民主党、320議席に迫る勢い」となると、何だか、訳のわからない「不安」みたいなものを感じてしまう。
 私は、その不安というものが、民主党中心の連立政権に加わる重圧であり、公約、改革の実現を新政権に期待する一方、想像する、政権を背負うその姿に「合力」のような力強さを感じないせいではないかという気がする。
 そして、「年金、医療、介護」「子育て支援」などの福祉、景気対策、税制などの経済問題などに関心が偏り、「非戦・平和」「第1次産業の再建・復興、未来性」が、あまり語られないことにも、一抹の「不安」を感じているのではないかと思う。
 恐らくそれも、世論に迎合せざるを得ない「選挙」という特別な状況下故に、候補者も、優先順位を下げているのであろう。悲しいことに、街頭宣伝の「前座」の機会に「戦後64年、戦争のなかった日本、本当にありがたいことではありませんか。福祉、福祉といっても、平和こそが最大の福祉ではありませんか。連立政権の中では、護憲平和の党、社民党がこの政策をもって、しっかりと仕事しなければなりません。社民党の出番です・・・」と力を込めても、浮いた感じがしないでもない。そうであっても、これは言っておかねば、とまた繰り返す。
 又、実は、私は詳しくは知らないし、得意でもなんでもないが、農林水産業の「第1次産業」の再建・復興、そして、しっかりとした農業政策を示す未来性について、政党は、候補者は語るべきだと思っている。しかし、どこを見渡しても、畑も田んぼ、森林もない都会では、“場違い”感を禁じ得ないので、「年金、医療、介護」「子育て支援」「教育」「税金」などに話題が行ってしまう。
 こんな内容が引用されたメールが入ってきた。
「『農業は過保護』というのは、私たち農家が一番アタマにくる『誤解』ですね。・・・私の質問にひとつだけ答えてください。『それほど大切に保護されている農業をやる人がいなくなるのはなぜですか。保護される側から保護されない側へ雪崩をうって移っていくのはなぜですか?』さ、答えてください。」
  食糧が足りないなら、輸入すればいい、という考えが“ヤバイ”と思う人が多くなっていることは確かだろうし、家庭菜園、一坪農園をやる人は多いけれども、それでもってスーパーへ行かなくなるということもないだろう。どんな事情であれ、食品がスーパーマーケットの商品棚から無くなるなどとは誰も想像していない。あのオイルショックの時に、トイレットペーパーや砂糖などが、商品棚から消えたことを知る人、思い出す人も、もう少ないに違いない。
  縁あって、坂喜代子候補の応援をしてきたけれども、「比例区」は政党名を書くので、おのずと党の宣伝をすることになる。「今の社民党では・・・」という本音は、封印したままである。社民党が結果として議席を減らして発言力が弱まったとしても、連立政権に参加することになろう。そうである以上、少数政党の拠って立つ位置を、そして何をなし、何をなしてはいけないのか、党員でもない私ではあるが、考えねばならないと改めて思いはじめている。「総括」の序章でもある。

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2009年8月23日 (日)

坂喜代子候補の1日-23日

 現地判断と幾つかの出会い、出来事
 選挙戦最初で最後の日曜日であり、候補者・街宣車をどのように回すかは事務所の采配によるところが大きい。
 いろいろあって、今日のコース表を手直ししたが、それでも日曜日と平日に違いもあるであろうと、ナビゲーターとしては、ポイントを押さえつつ、現地判断を優先することとした。
 午前8時、金山駅南口でチラシ配りと政策の訴えから、この日は始まった。人出は多くない。午前中は、主として熱田区回って中川区役所までを予定として出発。ポイントの到着と通過時間をにらみながら、時々、メイン道路から外れて住宅地、団地に入り込み、ゆっくりと流していくことにした。食品スーパーの前では、10時開店を待つ数少ない人ではあるが、チラシは確実に受け取ってもらえ、坂候補の訴えも徐々に熱がこもっていった。
 ところでコースつくる上でのポイントの一つは、区役所周りがあった。平日ならば、1日中人の出入りが絶えないからだ。また、区役所は投票所であることも多く、周辺住民の投票率も高いであろうからだ。今日は日曜であり、市民も職員も多くはいない。期日前投票の人くらいであったろう。
 さて午後の最初の目標地点は中村公園であった。ここでは比較的人の流れがあった。ここは車上からの訴えとなったが、横断歩道を渡る人の目線がこちらに向けられていることが分かり、候補者も力が入っているように見えた。ここで、二人の市民が寄って来て、一人からはカンパを戴き、激励を受けた。もう一人は、お酒の入った人でいろいろと絡んできたが、何とか説得して帰ってもらった。
 その後は、名古屋駅前のミッドランドスクエア前をめざしたが、タクシーの列で確保できず、周辺をうろついて、ようやく“ナナチャン人形”前を確保した。
 ここで一悶着。空いていた場所は、つい先ほどまで某政党が大々的に街頭宣伝をしていた場所で、歩道には、関連するのぼり、パネルが多数並んでいた。聞けば、ここは“午後4時まで借りている”と主張、“ええっ、歩道も道路も占有許可をとっているということですか?それは信じられない、どなたが責任者ですか”ということで話し合った結果、こちらが午後4時までの15分間、待機するということで決着。その間に彼らはやや離れた場所に引っ越した。場所取りと選びは、選挙運動にとっては重要なことなのである。
 こんなことも。私たちの街宣が始まる直前に、少し離れた場所で、別の政党の大型宣伝カーが街宣を始めた。見れば、街宣車の横には、赤いコンポストを車道側に並べている。安全を期してであろうが、法律的にはどうかな、ではあるが「選挙」はそれをとがめないのである。「選挙妨害」との兼ね合いであろうか。また、駅前、繁華街の歩道近くの角地には、タクシーが後部の扉を開けて客待ちしているケースがよくある。それは好ポイントである証でもある。こういう場合、タクシーが客を乗せて出ていくのを待つしかない。それを待って、その場所を確保するのが、先導車(ナビ車)の役割である。
 その後、名古屋駅前を後にして栄に向かうコースは広小路通りであった。ここで「広小路祭り」による、全面的な通行止めに遭った。そうすると栄あたりも近寄れないかな、とやや暗い気分で栄へ行ってみると、バスターミナル前の広場(実は歩道)が空いていた。これは幸運と思ったが、人の流れは、栄の交差点方面の広小路通りか、噴水のある場所での祭りか出店の方にあって、いつもほどの人の流れはなかった。それでも坂候補は目いっぱいの訴えをしていた。
 夕暮れた大須万松寺の大津通り側に車を止め、今回初めての“桃太郎”を7人で敢行。ハンドマイクもメガホンも用意されていないから、声を張り上げるしかない。しかし、練習も何もしないぶっつけ本番だから、声が揃わない、リーダーの声に較べ声量がない、ようやく調子に乗りかけたところで終了。20分ほどマイク街宣をして、最終の金山駅北口へ。
 あたりはすっかり夜の顔になって、ネオンサインや街灯の明るさはあっても、街宣車の「社民党」の文字も隠れがち。坂候補の白いスーツだけが浮かび上がっていた。ここでもお酒の入った中年の男性からあれこれ言われたが、できるだけ丁寧に対応して、最後は握手して別れた。酒は入っていても、今の政治に不満だらけ、という点では、中村公園の男性とは違っていた。
 候補者が乗った名古屋市内の街宣は、残すところ29日の最終日だけである。

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2009年8月21日 (金)

政権交代から政策の中身へ

 選挙後は、私は何をすれば・・・
 昨日と今日は、選挙運動から離れて、ATUサポート市民の会のニュース「れいめい・第8号」の編集作業に専念した。その仕事は順調といえば順調なのだが、どうもパソコンの調子が良くない、というか、時々わが手を煩わすことが起きるのである。
 赤子をあやす母親のように、少しばかりの不具合は手直ししてしまう職人のように、イチローのようなバットコントロールよく、ボール球をライト前に運べる能力でもあればともかく、苛立ちばかりを覚えての、泣き泣き作業である。
 それでも、仕事に向き合うことができるのは、期限が定められているからだ。「期限を定める」ことで、それをエネルギー源にしてきた経験をなんどもして、50歳で、60歳で、65歳で、73歳で・・・。
 ま、それはともかく、坂候補の街宣車は、今日はどこかなと、メールを探ってみたら、概略「金山駅→豊田市駅→豊田市内~三好町」とあった。地元の社民党員がナビをやるようだから、心配はないだろう。但し坂候補は、三重県方面に出掛けて不在。車中からの訴えではなく、街頭で演説する人は誰だろう、ということが気にはなったが。
 私が編集発行する「C&Lリンクス愛知」の最新号を読まれた方から、こんなメールが届いた。
 「私は、一人一人がどの党派であっても、自分の政治信条を述べることが『普通』になることが、民度の高い国であると思いますので、いつも感心しています。特に今回は、総選挙のことが特集されていて、あなたの多方面からの発言が良かったです。・・・」とあった。しかし、むしろこの人の目線の確かさ、高さが、短い文章に出ているのではないかと思ったし、そういうことの行き交いが、巷で必要ということであろう。
 2日間にわたる街宣車のナビと「前座」をやって、「・・・今回の選挙はまず政権交代、いや、既に政権交代後の政策がどのように私のくらし、未来をいい方向に変えられるのか、という状況にあります。その時、社民党の政策、出番があります・・・」なんてことを言っていたが、実際選挙後の私は、私は何をすべきだろうかと、編集作業の合間に思い浮かべているのである。
 選挙結果を見て、私的総括をしてみたいが、やや遅れそうだ。

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2009年8月20日 (木)

総選挙を考える・2-3

  選挙と労働運動について
  去る7月、ある会議で議題になかった「選挙と労働運動について」の意見を述べた。
 実は、私の参加する会議の場では、こと選挙に関してはタブー視される傾向がないでもなかった。それは、議会制民主主義という政治形態に疑問を持っているか、あまり真正面から捉えていない、そんな人が少なからずいること。議論が発展すれば、既成政党の批判と反批判がバトルしかねないことを相互に配慮。既成政党支持にも多様性があって、それをあえて議論の俎上に上げることでの亀裂を回避したい雰囲気。私が勝手に想像すれば、こんな場を感じるので、この手の提起は出ることが少ないのではないかと思っている。
  だが、全く触れないで通り過ぎるのはどうかな、これが私の立場であり、「どの政党どの候補者を支持するかしないかの議論をするつもりはない。しかし、労働法の改悪、悪法の制定はもとより、悪法の改廃もまた国会にゆだねられている。派遣法の廃止か、抜本的改正かの議論をさておくとして、私たちの関心事に違いない。労働局、基準監督署などでの交渉は日常茶飯事であろうが、すべて、法律、政令、省令、通達などに規制されている。現場の闘いと法廷闘争と同時に、国会での動向に注意を払う必要がある。それは、選挙と無縁ではない。私たちの求める法制全般に明るい議員がいるといないとでは、その違いは大きい。」「私が坂喜代子を応援するゆえんは、社民党支持にあるのではない。彼女の議員として“労働法制に取り組みたい”という、そのものに共感しているからだ」
 という発言も、進行者の「・・・ということで・・・」で終わった。なかなか「政治談議」の花を咲かせるのは難しい。もう一つの会合「老兵たちのフォ-ラム」では、右から左まで意見が出る。もっとも議論が、自らのものとして実践的に反映されるとか、新たな「社会論」につながっていくかどうかは不明である。しかし、それでもここでの「政治談議」らしきものは、それはそれで意義があると感じている。他に機会がないという点では優れている。
 もう一つ。全農林労働組合の役員が、省から給与保障をされながら、組合活動の専従であったがことが問題になっている。いわゆる「ヤミ専従問題」である。
 それは是正すべきことであるが、あれっ、今もやっていたの?と、なぜ今ごろになって?の二つがある。
  全農林だけでなく、国家公務員、地方公務員などを組織した労働組合では、労働三権のうち交渉権、争議権がないに等しい。ここに相互の、非公式協議と争議発生の回避志向があって、妥協の産物、その拡大が「ヤミ専従」につながっているのではないかと思う。
  民間でも、「労使協調路線(労使の癒着)」をとる組合は、組合事務所、時間内組合活動、労使交渉、チェックオフ(組合費の天引き)などの便宜供与を会社から受けることがあるが、自立組合、ユニオン、少数派組合では排除されることが多い。便宜供与は受けないがまっとうではある。
  その意味では、全農林への同情すべきものが多少はあっても、「本来の労働組合の姿に戻れ」という観点からは、“摘発”もやむを得ない。
  もう一つの観点は、この“摘発”が、公務員改革の一環と称しながら、あるいは「労使の悪しき慣行」と言いながらも、明らかに民主党支持の「連合」への揺さぶりである点だ。そして、一連の「日教組たたき」に通底するものがある。
  しかしそうであっても、労使の「癒着」と、非正規職労働者への傍観的態度をこの際改めさせる機会ととらえるなら、組合費を上げてでも、専従費は組合持ちにするのは当然であると私は考える。
 もっといえば、今回の政権交代は、単に自公政権から民主党中心の連立政権へ移行するというだけにとどまらず、新政権を支持するあらゆる階層、個人が“襟を正す”“慣行を見直す”“利権、特権、既得権はゼロに”が必要ではないか。了
 
<「C&Lリンクス愛知・第54号」090815から>

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2009年8月19日 (水)

坂喜代子候補の1日-19日

 職場前でチラシ配り
 第2日の早朝7時30から、坂喜代子さんの職場である名古屋銀行本店前で、チラシ配り、立候補のあいさつが行われた。
 この日の坂候補は、早朝行動のあと県内の、名古屋銀行各支店回りで三河方面に出掛け、街宣車は、候補者なしで出発となった。
 職場の反応がいいということで意欲的に支店回りをしているが、もちろん会社も組合も応援しているわけではない。女性行員たちの間では、職場で「格差」を感じているとか、仲間が国会議員になるかもしれない、そんな雰囲気があるのかもしれない。「反応がいいのと票は一致しない」これは私が職場で労組役員に立候補した時の古い経験であったが。
 栄からコース表に沿ってまず鶴舞交差点、鶴舞地区の住宅地を回って、御器所交差点で街宣、東西南北交通量の多いことと昭和区役所が近いというのが狙い。川名、石川橋から八事に抜ける住宅地を、ゆっくりと流していく。八事から、昭和区を終え天白区に向かう。
 地下鉄平針駅と駅前のピアゴが狙いであったが、ピアゴは定休日で結局通過、次に平針住宅地区を流し平針運転試験場で、免許更新、交付に来られた人を対象に本格的に宣伝活動。次の目的地は大根から、久方、島田一つ山を抜けて天白区役所へ、ここで宣伝活動を20分余り。
 午後からは、先行車(ナビ車)は一足先に野並交差点へ行き、場所取りで駐車場所を確保。やはりここは通勤者のターミナルで日中の人出は少ない。
 30分ほどの宣伝活動後、緑区に入って、一帯が中小の工場が集中している地区へ。そこを時速10キロ以下のゆっくりとした流し街宣。住宅密集の浦里地区を抜けてイトーヨーカドー前で街宣。ひっきりなしの通過車両と市バスの停留所が近いこともあって、少々迷惑をかけたが続行。その後はホームセンターで街宣をしているところに、坂候補との合流の連絡が入り、鳴海駅へ。
 坂候補を乗せた段階で緑区の街宣を切り上げ、南区へ。旧東海道を走って笠寺西門から南区役所前へ。ここで通過車両のドライバー向けと、区役所職員、市民に向けた宣伝活動。その後は、大磯通りを流したが、この商店街も随分閑散としていた。アピタ、ヤマナカに向かったが、駐車場所を見つけられず、そこで木場住宅など周辺のマンション地区を情宣し、内田橋、伝馬町経由で名鉄堀田駅着。
 この二日目は、昭和、天白、緑の小選挙区愛知3区に南区、瑞穂区の一部を加えた範囲であったが、全体として人出は少なかった。暑さもその原因の一つであろう。また平日の場合の街頭宣伝活動は、日中と朝夕を明確に分けて戦術を考える必要を改めて感じたが、小選挙区と違う広域性にも対応の難しさがある。重点地区名古屋市全体で、候補者の乗る選挙カーが動くのは4日間だけである。 
(追い書き)

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総選挙を考える・2-2

  民主党のマニフェストの改訂について
 民主党がマニフェストを改訂した。マスコミが囃したてている。
 出来れば完璧なものが出せればいいが、「ぶれている」「また改訂するかもしれん」と揶揄する向きもあるが、直前といっても公示前であるから、かえってその方がいいのではないかと私は思うのだが、これはえこひいきか。それで改訂されたその概略を拾ってみると、
1)米国との自由貿易協定(FTA)については、「・・・交渉を促進し、貿易・投資の自由化を進める。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。」とした。
2)地域主権については、「国と地方の協議の場を法律に基づいて設置します。」とした。
3)日本経済の成長戦略の項目では「家計の可処分所得を増やし」などと追加した。
4)不妊治療については、「不妊治療に関する情報提供、相談体制を強化するとともに、適応症と効果が明らかな治療には医療保険の適用を検討し、支援を拡充する。」とした。
5)年金税制のところでは財源表に、「特定扶養控除、老人扶養控除、障害者控除等は存続させる。年金税制について、公的年金等控除拡大・老年者控除復活を実施するので、配偶者控除を廃止しても、年金受給者の税負担は軽減される。」とした。
  振り返れば7月27日、民主党の「政権交代選挙にのぞむ2009民主党マニフェスト」発表以降、インド洋上での給油活動、消費税論議の修正発言、財源論などに、自公だけでなく社共からも批判の矢が放たれた。そして今回、8月11日には、前述のように改訂したのだった。
 この問題について私は、「・・・政権担当が現実的になってきた段階で、これまでの政策が変化して、現政権の政策に近づくことは、一概に政策転換とは言い切れない。革命的、軍事的政権交代と違って、国としての政治体制それ自体が引き継がれる以上、一定期間は、前政権の正反両方の“遺産”については引き継がざるを得ないのだ。つまり、“リレーゾーン”内のことは、許容範囲でもあるいう見方をしないと、政権交代の醍醐味が希薄になりかねない。」とブログで書いた。
  このような見解は、「きれいごと」といわれるかもしれないが、政権交代が実現する前に、あたかも政権交代が実現したかのような立場からあれこれ言うのは、“選挙は水もの”という定説に従えば、足元をすくわれかねない。
  私は社民党、共産党にも「第3極」の立場から議席を増やしてほしいと願うが、だからといって、政権交代の状況がひっくり返ることに潔しとはしない。「党利党略」と受け取られかねない言動は、現段階では控えた方がいいのではないか。
  インド洋上での給油活動は、特措法の期限が切れる来年1月15日までは認めることでいいのではないか。そしてこの間に、沖縄米軍基地問題を含む対米関係の方針を具体化していけばいい。新しい内閣には、そういう時間が必要である。あまり拙速を求めない方がいい。
   又、消費税論議の修正発言についても、「年金・介護・医療」の問題が待ったなしであり、「少子高齢化」「経済の先行き不透明」という状況は現実的に考えねばならない。「野党時代と違う」という批判、指摘は、政権奪取後1年以内に、徐々に戻していけばいいと思う。
  そして財源論あれこれについては、必要な経済対策、景気対策は打たねばならないが、景気効果が出るのを待ってはいられないから、「政権をとっての予算編成権、それ自体が財源」を声高にいえばいい。税金の無駄遣い、特殊法人と天下り、米軍思いやり予算、“埋蔵金”の使い方、その他もろもろについて、予算編成権と国会での多数派をもってすれば、成し遂げられる問題ではなかろうか。そこにこそ政権の評価がかかるのであるから、そんな攻撃にたじろぐ必要は全くない。「勝てば官軍」とまでは言わないが、そんな気がしないでもない。
 
<「C&Lリンクス愛知・第54号」090815から>

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2009年8月18日 (火)

坂喜代子候補の1日-18日

地元東海市で第一声
 衆議院選挙の公示日の今日、社民党比例東海の候補者、坂喜代子さんは、「選挙の七つ道具」の届かない地元の東海市で、マイクなしで第一声を放った。
 午前9時30分、公民館前に集まった地元の人約40人は、平日ということもあり、自営業か勤めのない人たちであった。地元を代表して、町内の代表の方が激励と期待のあいさつをされ、社民党東海ブロック代表が、地元の皆さんの支援を受けて、坂さんを当選させ、社民党の議席を得たいと訴えた。また、坂後援会から二人がお願いやらの訴えをした後、候補者・坂喜代子さんがやや緊張気味に挨拶をした。
 3か月余りの“実戦的訓練”(街頭演説)を経てきたこともあり、立候補に至る経緯、昨今の状況、国会でやりたいことなど、決意のほどを淀みなく訴えた。
 その後は社会文化センター(社民党県連本部)に向かい、午前11時から「出発式」が行われ、県連代表、党東海ブロック代表、小選挙区平山候補、比例区坂候補があいさつ、決意表明を行った。
 その後は街宣予定コースにそって、県庁前で約30分、官庁街一回り、新出来、JR千種駅方面から、栄を経由して中ハローワーク前に至り、職を求める人たちへの訴えをし、名駅前の七ちゃん人形前で街宣、中村区役所前、JR社宅付近、名古屋駅西、西区役所経由、名城住宅などで選挙活動を進めていった。
 コース表作りに参加したこともあって私は、先行車に乗って、ガイド(ナビゲーター)を務めたが、下見をしているわけではないので、その都度現地判断をする必要があった。駐車場所の確保、休業、休店中のスーパーの飛ばし、交差点で適宜街宣、昼食、トイレタイムなどである。
 さしたる重労働でもなかったが、強い陽射しに遭うとさすが疲れた。選挙運動は、候補者はもちろん、応援団も体力勝負と改めて知った。
 街宣全体の印象として反応は悪くないと見たが、こればかりは票が開かないと何とも言えない。 
(追い書き)

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総選挙を考える・2-1

  民主党+社民党=連立政権を考える
 民主党は、この衆院選で単独過半数を獲得しても、社民党、国民新党との連立政権をめざすといっているが、これは政権運営において、参議院における過半数の維持は必須条件であるからだ。しかしことはそれほど単純ではないだろう。
 そもそも連立政権とは、政策一致が第一条件であるが、だからといって100%一致するということではない。絶えず連立政権内で「是々非々」が繰り返されることになる。それ自体はむしろ当然であるといえるが、「論多くして、実行は先送りばかり」では、有権者の期待に応えることはできない。とすると勢い「現実論」が先行しかねない。その現実論とは野党(自公)の政策と妥協することになりかねず、(元々民主党にはそのような勢力が存在するといっていい)それは社民党の政策とは離れていくことでもあると考えられる。
 そこで社民党は、民主党中心の連立政権に参加する方針を明らかにしているが、政権内で主体性を発揮できるかどうかが改めて問われる。確かに参議院での議席数でキャスチングボートを握ってはいるが、渡辺喜美の新党「みんなの党」が結成されたように、あるいは平沼赳夫、鳩山邦夫両グループも政界再編の流動化で活路を見出そうとしている、この動きは見落とせない。
 この渡辺新党、平沼、鳩山両グループの「第三極」の立場について民主党の小沢一郎は、対立候補を立てて“潰し”にかかっているが、私には本気とは思えない。これらの地盤は固いとみて、牽制球程度であろう。むしろ比例区への票の分散化を阻む思惑ではないだろうか。
●政界再編は、社公共を抜き?
 そのように考えると、前号でも述べた通り、「政界再編」とは、「社公共」を抜きにした、右翼的再編が基軸とみていいのではないか。そうであれば、渡辺新党、両グループを取り込んでの連立政権もありうると考えられる。だから私は、社民党の連立政権への参加は否定しないけれども、利用される可能性もないわけではないので、社民党の「主体性」をあえて問いたいのである。
 私は、社民党の連立政権への参加は、民主党の足らざるところを補完する、民主党の右傾化には、内部からブレーキをかけ、制御の役目を果たす。そして、社民党の政策の一部でも実現化を図る、という意味では、政権への参加に一定の意味があると思っている。
 福島党首をはじめとして社民党は、民主党と連立を組むことを選挙戦術の一つにしているところがある。私も街宣行動に参加した5月の時に、その意をくんで、民主党の補完、補佐、制御役を説いたこともあった。それ自体今も変わりがないが、社民党マニフェストの「社民党の役割」にある「(連立政権内で)社民党はキャスチングボートを握る」のように、あまりに“連立政権へ没入”されてしまうと、“ほかされたどうする?”という心配をしたくなってくる。
●第三極の道は、敗北主義ではない!
 日本共産党が、「確かな野党」というスローガンを掲げた時、内外から「政権を担う気がないのか」という声が多く寄せられたという。言葉そのものからいえば、そういうことになるが、私など「確かな野党」の言葉の裏かその続きに「やがて政権党へ」が隠されていると読んだから、全く違和感をもたなかった。むしろ限りなく自民党に近い野党・民主党であるなら「確かな野党」は正解ではなかろうか、と思ったものである。
 そして「2大政党論」が闊歩するようになると、2大政党のいずれかが野党であるが、民主党政権下で、連立政権を組まないとなれば(政策が合致しないから連立できない)、必然的に野党という立場になる。しかし、だからと言って自公と同じではない。同じ野党でも「第3極」として2大政党間に割り込むことでキャスチングボートを狙うことができよう。
 また見方を変え、政界再編で公明党も下野すれば、政策的には大きな隔たりがあるが、社・公・共の勢力結集による「第3極」もあり得ると考える。ただ、現時点でそれが考えられないのは、あまりに党の性格、路線が違い過ぎるからだ。だが、極右の台頭、改憲を含む政権の右傾化で、軍事費の拡大、徴兵制(らしきものを含む)、海外派兵の本格化(戦死者が出る状況)が進む状況となれば、完全野党の社・公・共は、共闘関係を模索することは十分ありうる話ではないだろうか。それすらもないとすれば「緑の党」のような新たな潮流を市民・労働者の手でつくり出さねばならない。
 「確かな野党」はともかく、政権交代が現実味を帯びている現在、少数政党の主体性が問われている。共産党は独自路線を歩むようだが、それがいいだろうと私も思う。もっと先進的で開放的な体質に変わることを願うが。
 さて社民党である。この選挙を垣間見て思うのであるが、一言でいえばこの党は、社民党という党名以外に魅力がない。党に魅力がなくても党員に魅力があれば、それはそれで結集軸になりうるが、この愛知県、東海地区にそのような人はいるだろうか、私が知らないだけか。
 総選挙後に、「坂後援会」でも総括の機会があるだろうが、そこから入党者が出て、県連に新たな息吹を吹き込もうという声が出るのか、すっぱり解散してしまうのか、私は注目している。
  以前にも参議院選挙の折り、社民党から市民派候補を擁立したグループが、県連にその足掛かりを作ろうとしたと、“うわさ”程度に聞いたことがあるが、うまくいかなかったようだ。党という組織は、現職の地方議員や活動家がその気になって行動しないと、市民組織とは全く違うから、市民感覚だけでは手に負えない。私が坂喜代子を応援するのは、彼女の“激情”を知るからだ。
 という話はさておき、話を戻すと、社民党は民主党と連立政権を組むことで、党の存在感を示す活路を見出そうとしているようであるが、大臣の椅子一つもらったところで、党組織が活性化するとは限らない。
 社民党の政権公約の要旨は,①格差社会を正し、雇用と社会保障を再建。②大企業中心の輸出最優先経済から、暮らしや地域を支える内需中心の経済へ転換。③金持ちや大企業優遇の不公平税制の是正、財政支出の抜本的見直しなどで財源を捻出。④9条(戦争放棄)、13条(幸福追求権)、25条(生存権・環境権)など、憲法理念を実現。(毎日新聞8月11日朝刊、から)
 とある。
 マニフェストそのものの評価は別にしても、労働法制の捉え方や、10)平和・人権の項で、憲法への対応など、民主党との間で違いが出てくるだろう。
  連立政権に参加するもよし。されど、党の主体性に脅威を感じたら下野すべし。第3の潮流への道は敗北主義にあらず。人々の期待でもあると自負すべし、というのはどうだろう。
<C&Lリンクス愛知・第54号/090815>

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2009年8月17日 (月)

いよいよ、あす告示日

坂喜代子候補(社民党)の応援へ
  坂喜代子(ばんきよこ)さんは、東海市在住57才。社民党・比例東海からの単独立候補であり、今回が初めての挑戦である。
  名古屋銀行のパート労働者として現在も勤務。名古屋ふれあいユニオン、女性ユニオン名古屋のそれぞれ委員長を歴任し、選挙運動を続けながら、労働相談にも応じている。「非正規労働者の代表として選挙に挑戦し、現場の声を法律に反映させたい」と立候補の決意を述べている。
 去る2月19日に立候補の記者会見をし、4月29日には、後援会「坂喜代子と格差のない社会をめざす会」が発足し、それ以降、名古屋市内はいうに及ばず、東海4県を精力的に走り回っている。だが、社民党の組織は脆弱であり、地方議員も多くはない。後援会のスタッフも少ないので悪戦苦闘を強いられているが、本人の持ち前の明るさと、スタッフの情熱が運動を支えているようである。
 さて明日から選挙戦が始まる。この時点で既に“終盤戦”といわれるが、坂候補と応援団にとっては、中盤も終盤もなく、加速したままゴールを通り過ぎるほかない。
  今回の選挙で私は、社民党・比例東海の坂喜代子候補にエールを送ってきて、5月には2回街宣車にも乗ったが、改めて態度を明らかにしておこう。
  「まず政権交代、少数政党の頑張りにも期待」という基本的なスタンスを取って、選挙区の愛知3区は、民主党の前職・近藤昭一、比例東海ブロックは、社民党の坂喜代子である。ちなみに坂候補は、比例の順位は2位で、1位は、愛知1区で重複立候補の平山良平である。平山候補が選挙区の得票率で10%以下であれば、比例区での復活は果たせないので、坂候補が1位となる。比例区では、候補者の名前を書かないで「社民党」と、党名を書くことはご存じの通り。
 また私は、街宣車が回る名古屋地区の街宣活動へ参加したいと考えている。共に行動することも「C&Lリンクス愛知」で呼び掛けた。
◇出発式-18日午前11時から、社民党県連本部(地下鉄西大須③出口、19号線を南下5分)
◇福島みずほ党首来県-8月22日午後1時ころから、大須で練り歩き(いわゆる“桃太郎”)があり、1時30分~2時30分、名駅“七ちゃん人形前” で街頭演説会。これは一つのポイントかな。
 でもって、明日から12日間の運動が始まる。

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2009年8月 2日 (日)

「限界集落」について再び

朝日の記事に寄せて
  朝日新聞の7月30日夕刊に「ニッポン人・脈・記」で、「限界集落」あきらめない<ふるさと元気通信・9>が掲載されていると、友人から記事が転送されてきた。
  確か以前にも・・・と、ブログを探してみたら、2007年10月24日の朝日新聞の記事に関して、その話題がブログにアップされていた。読み返してみると、同じような趣旨ではあるが、「その後」についてが、記事の狙いのようだ。
 「限界集落」という言葉、表現に「血が通っていない」だけでなく、定義そのものに疑問があるとして、明大・小田切教授の話「高齢化率だけで限界だと決めつける風潮が出てきた。もっと地域の多様性への言及が必要だ」も紹介されている。また、例によって、京都府綾部市の四方八洲男市長の昨今についても触れられている。
 この記事について知人から、感想のメールで送られてきたが、それによると、
 「近代化」による「人」の生き方の変化、根本にあるのは、そこでの「生活」を愛し、あきらめない努力、「都市生活者」の文化と「限界集落」と言われる「辺境の生活者」の文化とは比較されるものでしょうか。こんなような内容であるが、なるほどと思った。
 私が一時、今の住まいから三重県の紀伊長島町方面とか南知多方面に移住を考えたことがあったが、それは、もっぱら、「食」の確保と、子どもたちに「田舎」を与えることが目的であった。だから、その発想はあくまで「都会的」であって、集落そのものを現実的に想定し、食糧の自給生産とか、山間地の文化を深く考えたわけでなかった。都市生活者の文化と生活に慣れ切った私には、一坪菜園すら手に負えない「根無し草」となってしまっている。だから、「近代生活」に欠かせない、スーパーマーケット、コンビニ、各種の病院、郵便局などが近くにある都市型の生活に安住しているのである。
 してみると、確かに「限界集落」では、高齢化が進んで、農業だけでは生計は成り立たないし、病気、けがの緊急治療では不便このうえない。国や自治体の予算配分に浴する機会も少ないに違いない。だから効率的で増産する手段も流通ルートも持たないが、生産活動を含む生活の営みは、年齢に関係なく実感的であろう。
 逆に高層住宅の一室で、一人暮らしの高齢者が増え続けている都会では、「都市住民の限界」が現実化している。「孤独死」だけでなく、「派遣村」の出現、若者も加わり始めた「炊き出し」への長蛇の列、動機不明の犯罪には、都市全体が「うつ」になっている、その現象の一つかもしれない。
 生活周辺の問題を行政に求めるだけなく、自ら生活のサイクルをどう回していくのか、どうかかわり合うのか、くらしの在り方を考えさせられたのだった。

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2009年7月30日 (木)

予算編成権が財源

  政権交代時のリレーゾーン
 明日、自民党のマニフェストが発表されるそうで、これで各党のマニフェストが出揃うことになる。
  27日、都内で開かれた民主党の「政権交代選挙にのぞむ2009民主党マニフェスト」発表以降、インド洋上での給油活動、消費税論議の修正発言、財源論などに、自公だけでなく社共からも批判の矢が放たれている。
 この問題については、7月17日の段階で私は、「・・・政権担当が現実的になってきた段階で、これまでの政策が変化して、現政権の政策に近づくことは、一概に政策転換とは言い切れない。革命的、軍事的政権交代と違って、国としての政治体制それ自体が引き継がれる以上、一定期間は、前政権の正反両方の“遺産”については引き継がざるを得ないのだ。つまり、“リレーゾーン”内のことは、許容範囲でもあるいう見方をしないと、政権交代の醍醐味が希薄になりかねない。」と書いた。
 このような見解は、「きれいごと」といわれるかもしれないが、政権交代が実現する前に、あたかも政権交代が実現したかのような立場からあれこれ言うのは、“選挙は水もの”という定説に従えば、足元をすくわれかねない。
 私は社民党、共産党にも「第3極」の立場が議席を増やしてほしいという立場であるが、だからといって、政権交代の状況がひっくり返ることに潔しとはしない。「党利党略」と受け取られかねない言動は、現段階では控えた方がいいのではないか。
 インド洋上での給油活動は、特措法の期限が切れる来年1月15日までは認めることでいいのではないか。そしてこの間に、沖縄米軍基地問題を含む対米関係の方針を具体化していけばいい。そういう時間が必要である。
  又、消費税論議の修正発言についても、「年金・介護・医療」の問題が待ったなしであり、「少子高齢化」「経済の先行き不透明」という状況は現実的に考えねばならない。「野党時代とは違う」という批判、指摘は、政権奪取後1年以内に、じょじょに戻していけばいいのではないか。
  そして財源論あれこれは、「政権をとっての予算編成権、それ自体が財源」を声高にいえばいい。税金の無駄遣い、特殊法人と天下り、米軍思いやり予算、“埋蔵金”の使い方、その他もろもろについて、予算編成権と国会での多数派をもってすれば、成し遂げられる問題ではなかろうか。そこにこそ政権の評価がかかるのであるから、そんな攻撃にたじろぐ必要は全くない。「勝てば官軍」とまでは言わないが、そんな気がしないでもない。

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2009年7月26日 (日)

選挙と労働運動

  関心を持っていても表に出せない?
 去る7月22日、ATUサポート市民の会の例会で、議題になかった「選挙と労働運動について」の意見を述べた。
 実は、私の参加する会議の場では、こと選挙に関してはタブー視される傾向がないでもない。それは、議会制民主主義という政治形態に疑問を持っているか、あまり真正面から捉えていない、そんな人が少なからずいること。議論が発展すれば、既成政党の批判と反批判がバトルしかねないことを相互に配慮。既成政党支持にも多様性があって、それをあえて議論の俎上に上げることでの亀裂を回避したい雰囲気。私が勝手に想像すれば、こんな場を感じるので、この手の提起は出ることが少ないのではないかと思っている。
 だが、全く触れないで通り過ぎるのはどうかな、これが私の立場であり、「どの政党どの候補者を支持するかしないかの議論をするつもりはない。しかし、労働法の改悪、悪法の制定はもととより、悪法の改廃もまた国会にゆだねられている。派遣法の廃止か、抜本的改正かの議論をさておくとして、私たちの関心事に違いない。労働局、基準監督署などでの交渉は日常茶飯事であろうが、すべて、法律、政令、省令、通達などに規制されている。現場の闘いと法廷闘争と同時に、国会での動向に注意を払う必要がある。それは、選挙と無縁ではない。私たちの求める法制全般に明るい議員がいるといないとでは、その違いは大きい。」「私が坂喜代子を応援するゆえんは、社民党支持にあるの
ではない。彼女の議員として取り組みたいという、そのものに共感しているからだ」
 という発言も「・・・ということで・・・」で終わった。なかなか「政治談議」の花を咲かせるのは難しい。「老兵たちのフォ-ラム」くらいかな、右から左まで意見が出るのは。

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2009年7月20日 (月)

さて総選挙だな

 政権交代、少数政党の頑張りに期待
 社民党・比例東海の坂喜代子候補にエールを送ってきて、5月には2回街宣車にも乗ったが、それ以後、時間が取れないこともあって、接触することはなかった。
  昨日の集会で、坂候補の元気な顔を拝見して安心したが、これまでの運動の流れをメールで知る限り、この先選挙事務所は県連本部、移動事務所は考えていない、ということで、ほぼ党が主導的に運動を進める体制が整ったようだ。ただ選挙母体は「坂喜代子と格差のない社会をめざす会」という後援会になるとのこと(実務も後援会事務所)だが、その後援会自体は、陣容においてあまり変化がなさそうで、もう一回り大きくしないと、とても及ばないが、結局、社民党系の地方議員が主体の体制で進むことになりそうだ。やむを得ないだろう。
  だがこれは、数少ない地方議員が、地元に張り付いて選挙戦を闘う機会を奪いかねないという点では、多少のジレンマが生ずる。やはり、無党派・市民派の地方議員の大いなる力(支援)が必要だ。市民運動の領域では、必ずしも評価されているとは言えない社民党であるから、かなりの努力を要する。それは、「社民党的体質」が強く出過ぎると難しくなる、もう一つのジレンマでもあろうか。
  さて、これまでブログにアップして来た、総選挙関連記事をまとめて「C&Lリンクス愛知」の第53号を、7月21日付で出すことにして、先ほどプリントアウトした。
  今年に入ってからの地方選挙の結果から考え、麻生首相をめぐるこの間の、自民党内のごたごたは、政権政党の体をなしていない、小沢一郎と代わった鳩山由紀夫代表も、政治資金に疑惑をもたれ、民主党盤石といえるかどうか。
  確かに、今度の選挙で「景気対策をしてくれ」という声もあるが、それと政権交代・民主党主導の政権とどうかかわるのか。有権者の判断のもとになるものは結局何なのか。前回の「郵政民営化選挙」というほどの(小泉首相が仕掛けた)明確の争点もない。それも小泉の「顔」で選んだのではなかろうかという有権者は、今度は「顔でも政策でもない、政権交代そのものの是非」で選ぶのではないか、これが私の現地点での見解である。
  民主党の勝利は間違いないとして、社民党、共産党などの少数政党が、埋没してしまうのもこの多様な社会ではいいことではない。
  そんなことをまとめての、8ページの号であるが、私自身は、政権交代、そして少数政党の頑張りに期待するということになる。実質的な選挙運動への参加は、限定したものになろう。

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2009年7月19日 (日)

坂喜代子告示前最大のイベント

 福島党首を迎え、リレートーク
 21日の衆議院解散、8月12日告示、30日投票という日程が固まった。
 4月29日に後援会を発足させて選挙運動を進めてきた社民党・比例東海の坂喜代子候補は、数は少ないが社民党の地方議員の活動が本格化して、それなりの選挙態勢が出来上がったようだ。
 それを見せたのが、今日、東海市で開催された社民党主催、「坂喜代子と格差のない社会をめざす会」協力による「政治を変える」リレートーク、という集会であった。
 110の椅子席は満席で回りに立っての参加20人ほど、関係者を入れて150人ほどの参加であったが、壇上には、社民党の福島みずほ党首、坂喜代子予定候補、小沢明美浜松市議、山としひろ江南市議、榊原杏子豊明市議、稲森としなお伊賀市議が並び、司会は山盛三千枝豊明市議(無所属)が取り仕切った。
 会場の大半は地元の人のように見受けた。年齢層から見て、旧社会党支持者かもしれなかった。
 集会は、福島党首の話から始まり、最近の国会状況の話では「麻生総理はいったい何がしたいのかさっぱりわからなかった。わかったことといえば、1日でも長く総理大臣でいたいこと、自分の手で解散したかったことだけ」と皮肉った。今度の選挙の目標では、まず与野党逆転の政権交代にあるが、鳩山代表の発言にみられるように「民主党の独り勝ち」は危険だ。社民党が議席を伸ばして、連立政権の中で、平和問題と、貧困・格差問題などくらしの問題をしっかり打ちたてなければならない、と強調した。いかにもまっすぐな論調であった。
 坂予定候補は、主としてパート労働者としての処遇、格差、闘いの経験をもとに、現場を知る者が国会の場で、それにふさわしい法律を作る活動が、自分に課せられた、そして自分が求める、立候補の目的だったと話した。
 話を聞いていて、以前に比べうまくなって、不安を感じることはなくなったが、次には、労働相談を受けるのとは違う「政治家の貌(かお)」をもってもらいたいと思った。それは、「労働、くらし、子育て、教育」という生活者の論理をきっちりと抑えながら、この国のかたち、行方を理想論でもいいから指し示すことだと思う。簡単にいえば、国会に出るともなれば、「くらし」「地域」「国政・国際」を一体的なものとして提示することであろうと思う。
 質疑のところで、北欧での社会福祉政策の例が引き合いに出されたが、それを日本に置き換えるとどうなるのか。政権交代すればそれで何とかなるのか、予算措置を講ずればよいのか、それだけでないとすれば何をどう考えればいいのか。そんな中身にも触れてほしかったが、時間的制限もあって、深まりに欠けたことは否めない。
 質疑で私は手を上げたが、指名されなかった。しかし、そこで意見・質問として用意したのが、(時間があれば)民主党中心の政権誕生を前提に、社民党は連立政権の中でキュスティングボートを握って、政策参加をめざす方向はいいとして、「大(中)連立」という政界再編という荒波が来れば、「社共公」は政権外に放り出されることになろう。その時、社民党の立ち位置が問われる。社民党の地方組織の弱体を見るとき、この選挙で議席を伸ばすと同時に、活動的な地方、地域組織をつくる方針を意識的に立てるべきではないか。
 (本論から入るなら)これまでの話は、政府・政権は、あるいは自治体は、くらし・労働、貧困・格差、福祉・教育などについて、何を、どのような方法で、どうすべきか、どう応えるべきかに重点が置かれているが、果たして私たちは、そのような受け手ばかりで居ていいのだろうか。かつてケネディ―アメリカ大統領は、その就任演説の中で「・・・国があなたのために何をしてくれるかを、問うだけでなく、あなたが国のために何ができるかを考えてください」というようなことを語ったが、社民党の関係者も、ここに参加している私も含めて、「くらしをどう良くしてくれるのか」ばかりでなく、「平和のために何ができるのか」「日々のくらしの中において、働き方、エコロジー、ボランティア、食、文化、家族」など、どんな生活スタイルがいいと考え、実行していくかを自問自答する必要はあるのではないか。
 坂さんが、くらしの中の食生活や、文化活動を重視し、アジアの人たちの交流にも目を向けている姿勢を評価したい。それゆえ「社民党的生活スタイル」があれば見てみたい気がする。なければ「ねばならない主義」ではないスタイルを議論だけでもしてほしいと考える。
 私は、それは政治スローガンと両輪をなすものだという気がしているがどうか…。
 (ちょっと明快性に欠けるかな、別の機会にも・・・)

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2009年7月18日 (土)

最低賃金について

 政策の拾い読み、走り書き・2
 昨日はたまたま「インド洋上の給油活動」について書いたが、今後、選挙について触れれば、政策的話題も多いだろうから、「政策の拾い読み、走り書き」としてメモか思考材料にして行こうと思う。今日はその2回目として、「最低賃金」について考えてみたい。
 そもそもの解説は抜きにして、第一に思い浮かべるのはやはり「最低賃金」として保証される金額と「生活保護費」とを見比べたらどうなるか、という点である。この両者「似て非なるもの」という気がしないでもないので、どんな関係性があるのか、あるいはないのかも考えてみたい。
 最低賃金の全国平均が、最近の統計では703円(愛知県は731円)といわれるから、単純に1日8時間、1か月25日労働(週休1日)で、総額14万円余となる。1日1時間の残業で約2、2万円のプラス、1日10時間労働で月額約18、4万円となる。ちなみに高卒の初任給は、15万円余り、大卒初任給は20万円くらいという。
 最低賃金といっても、年齢とか仕事別(産業別)とか地域性(地域別)もあるから一概に言えないが、それらをトータルしての「最低」ということであるから、適正額がどのあたりとは決めるのはなかなか難しいだろう。
 民主党のマニフェストには「最賃1000円」が盛り込まれるそうだが、産業界は反対している。その産業界の反対は、賃金コストが利益を圧迫することが第一としてあるが、右肩上がりの経済成長の時はそうは言えても、営業損益がトントンとか赤字では、人員削減か倒産、閉鎖を余儀なくされ、高い賃金設定はかえって失業者を増大させると主張する。ある元経営者は「最低賃金制度は、社会主義制度である。中小企業はやっていけない」と言い切ったことを覚えているが、本音といえば本音であろう。
 さて、どう結論付けようか。まず、産業別統一賃金とか、職能別統一賃金といったような、模索されている段階の新たな賃金制度は別に考えるとして、金額設定はともかく「最低賃金の設定」は必要である。そして適用範囲の除外は厳密にして厳正に対処する必要がある。
 とすると、金額設定をどうするかに行き着く。ここで「最低」の意味が浮上する。資本家のいう「労働生産性に見合う賃金」という発想より、「健康で文化的な最低生活」を営むことができる金額設定が優先する発想となって、ようやく、「生活保護費」との整合性が出てくる。
 では、法的な規制がかかっても支払いができない企業は、市場原理による倒産というより、社会制度倒産となってしまうケースも出てこようが、それは容認するのか、あるいは、何らかの「政策的保障」を政府が行うのか、というところに絞り込まれるのではないか。
 最賃制度論争は、金額を示すことでわかりやすいとも言えるが、政権にとっては、市場原理主義、新自由主義に迎合、選択するのか、福祉社会国家像を求めるのかという大きな前提の上に立って、国家予算の配分に知恵を絞ることになるのではないか。ここのところが「最賃1000円」というもの、社会的セーフティーネットと中小零細企業対策の両立を目指す民主党の説明不足といえるのではないだろうか。

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2009年7月17日 (金)

政権の引き継ぎに思う

前政権の“遺産”は引き継ぐことになる
 今朝の新聞報道によれば、民主党は、海上自衛隊のインド洋における給油活動を、特措法の期限が切れる来年1月15日までは認めるという方針に転換したという。
 ここで私は二つのことを考えた。一つは選挙直前の、この時期の政策転換の是非である。党の方針としての是非だけを問えば、選挙前であるから是非もない。その新たな政策を有権者が選択するだけのことである。むしろ問題は、対米政策、自衛隊の位置付けを含む日本の安全保障と外交政策に“ブレ”があるのか、あるいは定まっていないのかという「政策信頼度」の問題ではないかと思う。
 また政権担当が現実的になってきた段階で、これまでの政策が変化して、現政権の政策に近づくことは、一概に政策転換とは言い切れない。革命的、軍事的政権交代と違って、国としての政治体制それ自体が引き継がれる以上、一定期間は、前政権の正反両方の“遺産”については引き継がざるを得ないのだ。つまり、“リレーゾーン”内のことは、許容範囲でもあるいう見方をしないと、政権交代の醍醐味が希薄になりかねない。だから、基本政策そのものの変化かどうかを見極める必要がある。
 次に、民主党と連立政権をめざす社民党と国民新党の立場であるが、特に社民党の立場は微妙であろう。社民党の内部も一枚岩ではないから一概に言えないが、「護憲政党」だけは1枚看板である。それからすれば、選挙前であれば一層「アメリカの艦船などへの給油活動」それ自体を憲法違反とする立場であろうから、到底認められない。では、この時点で拒否の態度を鮮明にするのか、あるいは「基本的には反対だが、政権交代実現が最優先である。連立政権の実現の暁には、明確に給油活動打ち切りを主張する。入れられなければ、連立政権離脱も」という先送りにするかが迫られるであろう。
 言うまでもなく、民主党が衆院選で勝利して、単独であれ、現野党との連立であれ、政権の座についたとしても、参議院では過半数に4議席足りないから、社民党、国民新党の存在感があるといえる。その限りでは、社民党が党の政策を前面に出して、民主党と渡り合うことができるだろう。
  問題は、選挙後の「政界再編」という流動現象が起きた場合の社民党の立場である。この場合の「政界再編」とは、端的にいえば「社共公」を除く再編であるといっていいのではないか。社民党の立場が微妙なのはこのことである。
  これは私の勝手な想像であるが、多分社民党の中は、政権交代をめざし、連立政権に参加する意思は確認できても、“政権を引き継ぐ”という発想に乏しく、“与党内野党”をもって、党の矜持を保とうとする空気があるのではないか、という気がするのである。それも選択肢の一つであるから否定はしない。だがそれを政界再編の中で屹立させようというのは至難の業である。政界再編の渦中で総分解の危険すらある。
  いずれにしても、派閥の領袖が闊歩して、大親分よろしく一声でことが決まる時代ではなくなった。“政争のマグマ”というほどの迫力はないが、“大混乱の噴出”であればこそ、歴史的とも言えるこの政権交代をドラマチックに、台風一過のごとく、さわやかな初秋の空を見せてもらいたいものである。

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2009年7月15日 (水)

選挙は顔・表紙か中身・政策か

  有権者は政権交代を望んでいる
 麻生総理が“予告解散”に打って出て、8月30日投開票と決まったが、自民党内では“麻生おろし”の動きが続いているという。
 野党提出の「内閣不信任案」が、与党議員全員の反対で否決され、麻生内閣は“信任”されたことになるから、常識的にいえば、自民党議員は麻生総理・総裁のもとで、総選挙を闘うことになるのだが、「麻生では選挙は闘えない。人心を一新して選挙に臨むべきだ」との声が、反麻生議員を中心に未だ沈静化していない。
 麻生擁護派は、「この期に及んで表紙を変えたからどうこうなるものでもない。政策そのもので有権者に問うべきだ」と至極、まっとうなことを言っているが、なんか白々しい。というのも、そもそも福田が政権を投げ出したとき、「選挙の顔」として麻生を選んだのではなかったか。だから解散総選挙は、すぐにでも行われるというのが永田町も報道も、そして私たちの受け止め方だった。
 それがいつの間にか「経済対策、景気対策」優先といいながら、小泉構造改革路線の修復も示せず、補正予算の成立も遅れ、「定額給付金」「エコポイント」という一過性のばらまきのみ。G8サミットなど外交での点稼ぎも失敗、内閣改造、党役員人事にも失敗。総じて麻生内閣の政策そのものの失敗が今日の実態である。
 麻生擁護派は、「顔より中身」とはいっているが、実際は「顔」が大きなウエイトを占めていることは百も承知で言っているのだ。仮に麻生に代わりうる、圧倒的人気の人物がいるならとっくにすげ替えていたであろう。古賀選対委員長が東国原宮崎県知事擁立に動いたのも、舛添厚労相の名が浮上したのも、そのような動きの一つであった。
 だが、さして違わないというなら、土壇場で「顔」をかえて、ドタバタ劇を演じて飽きられるよりも、繕ってでも「一致結束」「腐っても鯛」を見せる方がいいと踏んだだけに過ぎない。
 さて、主導権を与えられた私たち有権者はどうであろうか。
  選挙による政権交代という、政治史上画期をなすこの選挙を前にして、当然ながら「民主党を中心とした新たな政権」の政策に期待すること大である。だが、各党のマニフェストが出そろったからといって、それを読み込み、比較検討して判断材料にする有権者は少ないのではないか。「政権交代先にありき」が批判されるが、現政権がダメなら、いいも悪いも、他にやらせてみたいと思うのは当然の成り行きである。
  とすれば、「麻生はダメだが、かといって鳩山もどうも」という気持ちもないではないが、鳩山か岡田か小沢かを選べる立場にない以上、「民主党の顔」にさして重きを置かない、というのが落ち着く先ではなかろうか。
  もっとも私は、政党や選挙の「顔」重視派である。それは、単に人気があるかどうかではなく、その顔に刻まれた政治家として「しわ」を観てのことである。
  歴代の首相で、私の記憶に残るのは、三木武夫と中曽根康弘である。あの右翼丸出しの中曽根を政治家としてみた場合、「思慮深さ」と「党内少数派での頑張り」には惹かれるのである。その点では同じ自民党系列の三木は、“政治(家)は汚い”といわれる中では、清廉潔白の部類であったろう。そしてこの二人が、田中内閣、ロッキード事件などででは、同じような立場にあったことも、私の中では符合する。
  前回選挙で小泉という「顔」で選んだのではなかろうかという有権者は、今度は「顔でも政策でもない、政権交代そのものの是非」で選ぶのではないか、これが私の現地点での見解である。

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2009年7月14日 (火)

衆議院解散総選挙スタート

 47日間の選挙戦始まる
 今日14日を改めて総選挙のスタートとすると、8月29日まで47日間となる。候補者も応援団も、そして家族もこの猛暑の中で、日焼けして黒くなるまで街頭に立ち、声の涸れるまで政策を訴え、足が棒になるまでチラシを配り、そして精も根もお金も尽き果てるまで、突っ込んでいくことになろう。まさに“戦(いくさ)”である。
 私は8月2日を“Xデー”とした。その根拠は、8月末では、いかにも麻生内閣は追い込まれた、投げやり選挙に受け取られかねない。いっそのこと任期満了ということになれば、3人続いて選挙で信任を受けない総理大臣という“汚名”着て選挙に臨まねばならない。やはり、お盆前の9日か2日ということになるだろうと。
 しかし麻生首相や周辺の、都議選の結果を見てから決断するという状況になって2日説は消えた。選挙管理事務上の問題もあるが、都議選に全力を投入していた公明党や東京選挙区の与党候補者にとっては、一息入れることのできないハードな選挙で、ただでさえ逆風の中、文字通り体力負けが見えてきてしまうからだ。
 補正予算などの景気浮揚策の効果が表れるのを待つとすれば、選挙は遅ければ遅いほどよいというのが首相周辺の進言だったらしいから、30日はそれなりに妥当な日程だったに違いないが、裏返せば麻生首相に解散の主導権はなかったという説は、その通りだと思う。
 では自民党は、このまま麻生を党の顔として選挙に臨むことで党内は結束できるだろうか。「麻生では闘えない」という悲鳴に近い声もあるようだが、それはもはや“時間切れ”で、このまま行くしかないだろう。
 この場合、形勢不利とみて、戦場から離脱するか、寝返るか(新党結成、あるいは民主との大連立を吹聴)、それとも忠義を尽くして討ち死覚悟で敵の包囲網へ突っ込んで活路を見出すか。それは自民党という陣営、麻生という総大将のもとで戦をするのではなく、武士の一分ならぬ政治家の一分として果てる覚悟、ということだ。そんな覚悟というか見識がまだあるとすれば、有権者の一部をつなぎとめることもできるかもしれないが、いまさら「武士道」もどきものは、逆に有権者には希薄であろうから、姿勢正しき議員がいるとすれば、進退極まる、ということかもしれない。
 多分自民党の中には、こういう議員も少しはいるだろうから、「政権交代」の大波にのまれ消えてほしくはないが、そうした足元の状況を作り出したのも自分という、断ち難い思いもあるに違いない。
 要は、マスコミがどう書き、何を垂れ流そうが、選択するに賢く、状況をよくよく見て判断して、一票を投ずる有権者になりたいものだ、ということである。

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2009年7月13日 (月)

東京都議会議員選挙

  “自立派”候補の結果に思う
 都議会議員選挙の結果は見ての通りで、国政での政権交代を是認し、高慢、傲慢に思っていた石原都知事に打撃を与えた意味では、歓迎すべき結果であったと思う。
 だが、マスコミが伝える国政選挙の前哨戦という認識は、表向きにはあっても実際面ではやはり都政をどうするかということを、どの候補者も考え、持っていただろうと思う。選挙においてそのような視点が欠落して、ある時は「小泉郵政選挙」で大きくぶれ、今回は政権交代ということで大きくぶれる有権者の投票行動だとすると、それはそれで“いいのかな”という思いがないわけではない。
 民主党、自民党、公明党の各候補が当選の大半を占め、共産党、生活者ネットが議席を減らし、社民党は議席を回復できなかった。
 選挙前までは、民主党都議団は石原都政の「与党」といわれていたというから、「少数派野党」の後退は、「オール与党の弊害」を加速するもので歓迎できない。だが、民主党自身が、「築地魚市場移転問題」「新東京銀行問題」で石原都政と対決する構図を見せ、しがらみのない若い新人議員の当選で、石原都政では野党の立場をとるであろうから、以前とは同じとはいえない、ともいえる。そこに他県のことながら、東京都政に注目もし、期待もしたいのである。
 もともと私の立場は「2大政党論・政権交代」に関心のウエートが大きいわけでなく、「第3極・無党派自立」議員・市民派の活躍にこそ期待と関心を持ってきたから、今回の都議会議員選挙の「総論」では結果よしで、少数派の後退はちょっと残念という感想。
 ただ、杉並選挙区から無所属で3期の現職福士敬子(ふくしよしこ)さんが、苦しい選挙戦を強いられながら、再選を果たしたのはよかった。

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2009年7月 6日 (月)

静岡知事選挙が終って

 政権交代へ加速、で麻生の心中は?
 結果は見ての通りだが、毎日新聞は、12日投票の東京都議会議員選挙でも、民主党が過半数を制するとの世論調査結果を併せて報じた。
 このことから私は次のことを考えた。
 それは、やはり麻生首相の「心のうち」についての推測である。この二つの選挙で与党が敗れれば、その責任は、「地方選挙であるから、国政には及ばない」と強気でいってみたところで、もはやそれは通用しない。先の閣僚の補充と党の人事刷新の断行に失敗したことで、麻生の指導力、牽引力が地に落ちていることが明らかになったからである。それは同時に、「解散権は、首相の専権事項」も、錆ついた刀と見透かされてしまったとも言えるだろう。
 これは結果論であるが、もし麻生がどんな形であれ首相退任後に、政治的影響力を残そうとは考えず、自らの「政治的信念」に基づいて「解散総選挙」をもっと早期に行っていれば、ここまで追い詰められることにはならなかったであろう、という言説は、その通りだと思う。
 では今、麻生に残された最良の選択肢は何か。これが首相の「心のうち」なのであるが、政治評論家などのみなさんはどう読んでいることだろう。「起死回生」のどんでん返しがあるだろうか。鳩山民主代表の「政治資金疑惑」もその一つではあろうが、敵失では「政権交代」の流れを止める「堰」にはならないだろう。
 となると見当たらない、というより私には想像域を超えるが、思いつきでいえば「辞任して、女性を首相に指名または推薦」という手段。東国原知事よりはましであろう。「公明党との連立を解消、政権移譲を前提に民主党の一部を抱きこんで新連立構想のぶち上げ」(遅きに失したが)。「内閣総辞職、民主党に選挙管理内閣を任せて、新総裁のもとで選挙という時間稼ぎ」だが、肝心の次の「顔」が浮かばない。失礼ながら「大平正芳の場合に似せて」でも、世論は冷やかか。「大災害、異変などで解散を封じて、任期満了後の選挙に望みを託す」というはかない邪想・・・。
 いずれにしても「オレの、政治家としての役割、出番は終ったのか」という心中を察するばかりである。

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2009年6月26日 (金)

橋下と東国原両知事の言動

  この国の将来を託せるか
 解散総選挙というこの時期に、この二人が露出気味に賑わしている。ワイドショーの出演とは違うレベルなのに、なぜか私には、ダブって見えてしまう。
 マスコミ慣れして、その最大利用価値を駆使しきっている当の本人たちは、まじめに論じているのだろうが、自民党の古賀選対委員長がこれまた本気なのだというものだから、これはテレビを意識した演出ではなかろうか、ちょっと軽薄過ぎないかと思ってしまうのである。
 地方分権、道州制、官僚政治などについては、「改革派知事」として、北川正恭元三重県知事あたりから始まって、浅野史郎(宮城)、橋本大二郎(高知)、片山喜博(鳥取)増田寛也(岩手)、梶原拓(岐阜)の名前が浮かぶが、これらの人物群と並べ比べても、その実力に見劣りを感じてしまう。もっとも改革派知事といわれたこれらの知事には、もう現役はいない。その後も存在感は保持しているようであるが、早々に身を退いてしまって「結集して行動」というところまで踏み込めなかったことが、「結局何だったのか」となってしまった。
 橋下と東国原両知事の言動が、どんな形で結実するかは予測し難いが、いまや「タレント首長」の時代を有権者がつくってしまったから、何の根拠や展望がなくても、何の縛りもない、自由奔放な言動がもてはやされることがないとはいえない。それでもって、この国の将来を託せるものなのか、あるいは散々利用された揚句、老練な政党・政治家にからめとられていく結末となるのか。あまりいい想像をしないのは、私の感覚の古さ、鈍さか、はたまた、それは危険な時代の到来の兆候かもしれないのだが。さてどうなる事やら。

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2009年6月20日 (土)

奮闘する社民党・坂予定候補

  Xデ-は、8月2日?
坂さま。
 お元気に活動できているようでなによりです。あなたにとって「人生、今が旬」と思って、思いっきりやってみることが悔いを残さないことだと思います。
 立候補を決意したことで、その半分は成し遂げられたかと思いますが、それは外形であって、内実は自ら求め続けねばなりません。
 日々の経験の中で得られるものは多くあるとの感想ですが、それは候補者だけが得られる貴重なものですから、感想という浮遊したものを、なにがしかに結晶化させることが、あなたの仕事です。その仕事を頭の中でしっかり続けられれば、選挙が終わった後、当選の可否にかかわらず、次のステップの為の「宝石」を得たことになると思います。
 日々の(選挙)活動で得られるものそれは、多分(私にもよくわからないので)、人々が何を求めているのか、それに自分はどう応えるかの繰り返し、そのものだろうと思います。
 例えば、「消費税アップに反対」は、人々が求めている表現ではありますが、くらしに対する「増税感」を強く感じている反映で、その「くらし」とは、「家族が健康で、不自由しない程度で暮らせればいい」から、「ちょっと贅沢出来れば、なおよし」「こんな暮らしと社会が続いてくれれば言うことなし」と様々でしょうが、それをリーダー(議員・首長)は、政策としてどう表現するのか、それを見つけることだと思います。
 明日の街宣をどうしようとか、そんなことが先行していることでしょうが、それだけに流されないことを期待するばかりです。

 と、激励ともお節介とも判然としないメールを送ってしまったが、もちろん「激励」である。
 先月24日に、応援の街宣行動に参加したのを最後に、その後は、MLによる活動報告を見るだけであったが、解散総選挙も近いように考えたので、久しぶりにメールを送ったのである。
 「・・・選挙については、私は『7月21日公示、8月2日投票』という予想を立てました。 それに従えば、本選挙まであと1か月、次の定例会議では、
1)これまでの街宣の結果を総括して、むこう1か月間の事前運動の企画(見直し)
2)選挙運動期間、12日間の活動計画の立案。(あれば、見直し)
3)招請したい人(応援弁士)の確保。
4)その他、政見放送の準備はできましたか?早めの準備が後で楽になります。
  ポスターの貼付は、掲示板貼りはないので楽でしょうが、500枚は有効に使いたいね。
  葉書も、早めの回収、重複の排除、応援関係者など、不要な人の抜き取りが大事。かなりありますよ。」
 とまたまた、“口出し”してしまった。ま、採否は選対で決めるでしょうから、気にはしないが。
 

 

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2009年6月10日 (水)

敵基地攻撃能力保有提言

 国防VS世界平和
 新聞報道によれば、「自民党の国防関係合同会議は9日、政府が年末に改定する『防衛計画の大綱』に向けた提言をまとめた。北朝鮮を念頭に『敵ミサイル基地攻撃能力』の保有を打ち出した。その手段として、巡航ミサイルとともに弾道型長射程固体(燃料)ロケット(弾道ミサイル)を加えた。平成15年度予算から続く防衛費削減から増額へ転ずるよう方針転換も求めた。さらに米国をねらう弾道ミサイル迎撃など4類型について、集団的自衛権の行使を認めるよう憲法解釈の変更を促した。」(産経新聞)
 世間では、その日のくらし、仕事に気が行き、事件、事故、著名人の話題等で関心を持っていかれている間に、このようなことが着々と進められていることに、改めて気付かされる。
 私は、自衛隊の装備が、陸・海・空で更新されるごとに、あるいは何か新しい兵器が購入されるという情報を知るたびに、「専守防衛」から「敵基地攻撃能力」を高めているのではないかと感じていた。それは、小牧基地の「空中給油機KC-767」配備で、より確信した。
 だが不明な点、解釈の未整理は実に多くある。たとえば「専守防衛」であるが、「戦後の日本の基本的な防衛戦略。自衛のための最低限の軍備により、相手の攻撃を受けてから初めて軍事力を行使し、先制攻撃や自国領土外軍事活動は行わないのが原則である。(はてな キーワード)」という解説で理解しているが、ここでも「自衛のため」が拡大解釈され、「やられる前にやってしまえ」という論理で、後段部分を消去する論理が出てくる。
 「最低限の軍備」といっても、何を持って最低限というのか、相手より劣る兵器では防衛できないから、この場合は「相手国に負けない兵器が最低限」という解釈をする者が出てくることになる。とすれば、限りなく軍備は拡大していく。ロシア、中国、共和国(北朝鮮)を仮想敵国としたら、それを上回る軍備などはあり得ない。つまりここには、「国防のための世界戦略」などの発想はなく、「共和国(北朝鮮)」を仮想敵国として、防衛予算の獲得(軍需産業の維持、発展と援助)と、小規模戦闘の“火遊び”の誘惑にかられている軍人と政治家の存在が伺われるのである。
 さらに「攻撃の対象を原案にあったミサイル発射基地だけでなく敵爆撃機やミサイル運搬車両を含む『車両等』とし、手段は航空機、巡航ミサイル、弾道ミサイルを想定している。」こうなると、あれもこれもで、「航空母艦」「原子力潜水艦」「ステルス戦闘機」「核搭載型トマホーク」「スパイ衛星」「戦術用小型核爆弾」が出てこないとも限らない。もっともその時は、それらの兵器の名称も、例えば「航空母艦」が「航空機中継支援艦」などと呼ばれるかもしれない。
 また提言には、こんな一文もあるという。「一方、提言は『防衛力におけるマンパワーは国家の防衛意思の表明そのもの』と人員増を要請。」とか。まさか、あの共和国(北朝鮮)の分列行進の映像にあおられてのことではないだろうが、「マンパワーは国家の防衛意思の表明」という発想はどこから来て、具体的に何を言っているのであろうかと気になる。まさか「国民の特殊教育訓練の義務化=兵役義務」とか「地域防衛の組織的運用=予備軍の常設化=州兵の設置」を想定してのことではないだろうな。
 市民グループに間には「無防備都市宣言」を推進しようという運動がある。詳細は省くが、これをもって、前述の軍人や政治家、右翼的人士を説得するのは大変だ。いや、市民の間でさえ、「無防備」という一言に拒否反応を示す人も多かろうと思う。
 「世界平和」という大局観と狭義の「国防意識」の攻防は、具体的な「国防論」に対して、論理的無防備では、「世界平和」は押しまくられそうだ。「無防備都市宣言」と「世界平和への行動要綱」「世界のピースネットワーク」「世界平和基金」などが組み合わせられないと、凌駕できないだろう。

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2009年5月26日 (火)

「共和国」の核実験

 ダメはダメなんですがね
 私も含めて、私の関係する運動の周辺では、朝鮮民主主義人民共和国の国名の略称を「北朝鮮」と言わず、「共和国」と呼称している。「共和国」出身者とその関係者が、そのように希望しているからである。私の場合、併用することがあるのだが。
 今回の「共和国」の核実験については、基本的には賛意しない。私の運動領域には、「すべての核の廃絶」を求めるピースサイクル運動というのがあるからである。このすべての核というのは「原子力発電+核兵器」という意味で、核兵器製造に欠かせないプルトニウムを作り出す原子力発電所を認めて「核兵器反対」はないだろう、という論理と心得ている。また核兵器には原子爆弾だけでなく、「劣化ウラン弾」も含まれ、その残虐性の延長からクラスター爆弾、白燐弾など「非人道的兵器」(人道的兵器があるとは思えないが)の反対へとつながる。
 一方原子力発電については、エネルギー問題や地球温暖化CO2の問題があって、「全否定」されにくい面があるが、私たちの発想の原点は、広島、長崎、第5福竜丸の被爆体験と同時に、1986年4月26日の、チェルノブイリ原発事故の恐怖、教訓である。仮にこの規模の事故が日本の浜岡か、北陸の原発で事故を起こしたら、沖縄、北海道の一部を除く、全土での被害は免れない、そう思うからである。
 さて、回り道をしたが、「共和国」の核実験について麻生総理は、安保理決議に明確に違反している、世界的制裁が必要、を強調してはいるが、それが「共和国」の胸に響き、「悔い改める」という見通しを持ってのことだろうか、と思う。空拳を振り回しているように映る。日本の首相であれば当然の発言であっても、あの「北朝鮮」を相手に有効かどうか、冷めた見方もできる。また、キムジョンイル率いる「独裁政権」が倒れれば脅威はなくなると考え、政権の弱体化を狙った経済制裁の強化というやり方を取っているようだが、「共和国国民」を苦しめていることは確かでも、政権崩壊の兆しはない。その現実には目をそらしているように見えるが。
 日本は、核拡散防止、核の全面廃絶を外交の柱の一つに据えているが、インド、パキスタンの核実験、イスラエルの核疑惑、アメリカの臨界前地下核実験などなど、「北朝鮮」と同じように対応しているだろうか、という政策のブレが見て取れる。アメリカ追随外交という足元を「共和国」に読まれているのである。
 オバマ大統領は、「六か国協議」という枠組みの中で「北朝鮮問題」の解決を図ろうとしているが、「共和国」は、中国、ロシアを含めた解決の道は、国境を接している現実からも、未来外交を考えた時、避けたいのではないだろうか。アメリカとの2国間協議で問題解決を図れば、日本、韓国は追随するであろうし、中国、ロシアに借りもできないうえに、アメリカとの間に一線を画させることができる、そう見ているのではないだろうか。
 しかし、それでもこの「核実験」は賭けであったろう。オバマ大統領は、話し合いの柔軟路線から、強硬路線に転化するとも伝えられている。中国、ロシアも、外交的にもまた国内事情からも「共和国」を擁護できないであろうから、非難し始めた。
 外交には裏表があり、素直には受け取れないから、「窮鼠、猫を噛む(軍の暴発)」ような追い込み方をしない裏があると信じたい。また、「共和国」内部で政変(軍が実権を掌握)が起きたとしても、核兵器、ミサイルを使った戦争への道はとらないだろう。一時的な戦力はあっても持続力はないことは、軍自身が知っているからだ。となれば、かつてあったような韓国との国境線・海岸線での銃火、日本海(東海)での、何らかの行動はあるかもしれない。
 まあ、そんなことがないことを望むが、もしそれがあれば、最も関心をもって迎えるのが、自衛隊の実戦力を試したい、自衛隊を海外に派兵したがっているグループであろう。「衛星打ち上げロケット」でさえ、あれほどの大掛かりな“臨戦態勢”を敷いたのだから。
 ダメのものはダメ!なんですがね、「賛意しない」という言い方も、「すべての核実験反対」というようなあいまいで遠回りするのも、この事件を悪用しようとする政治勢力の臭いを感じるからだ。とはいえ、八方うまくおさまるという解決法があるのかと問われれば、ない!わからない、である。沈黙がいいとも思えないし・・・。

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2009年5月24日 (日)

2回目のナビに参加

  幾つか提案もしてみた
 二回目の今日の街宣コースは、日曜日であること、午後3時から、栄でシール貼りによる街頭アンケートが行われるということで、そこに合流して街宣を行うという条件があって、コース設定を新規に作ることになった。結果からいえば、途中でコース変更もしたのだった。
 朝9時過ぎから、金山駅南口で第一声をあげた。この日は尾頭橋の場外馬券売り場が開いていて、ほとんど男性ばかりであったが、列をなして人が歩いていた。それも狙い目だったかもしれないが、音声は聞こえたであろうから、そのまま続けた。
  鶴舞交差点経由で、昭和区役所のある御器所交差点で街宣。休日ではあるが、車の駐車位置の確認でもあった。東西南北の車の流れは結構多いと見た。
 八事交差点も交通量が多くて駐車位置が難しかったが、中京大学に至る歩道横がいいと判断された。名古屋大学前は日曜日で学生はいなった。八事も名大前も、同年代の学生弁士を採用すべきだろうと思った。
  学生も多い本山交差点は、交差点自体が広いので、ポジションは四つ角のうち一つかと思われた。本番では、先行車を出して、駐車場所確保が必要であろう。星ヶ丘・三越前は人出も多く、街宣には絶好の場所であるだけに、本番では場所の取り合いになること間違いなしだ。
  東山動物園前は、正面ゲート前に車を置くことができる。ほとんどが親子連れだから、ぬいぐるみを立たせる方法もいいかもしれない。ミッキーマウスなんかどうだろうか。子供が寄ってくれば、親も足を止めるからである。ただ夏場では、中に入る人はかなり暑いだろうな。
  今回は、栄は終着点であったが、栄の場合は何と言っても人をたくさん集めて賑やかにやらないと人目は引けないだろう。著名人を呼ぶのも一つだが、のぼりの林立、和太鼓など楽器を使って音を出す「ミニ野外コンサート」とセットにするとか、エコキャンペーンを模して「自転車パレード」の終着点にするとか・・・。
 そういえば、候補者の坂喜代子さんは、みなさんと同じピンクのTシャツを着ておられたが、私は賛成しかねた。日差しが強いからといっても、つばの大きい帽子も感心しない。候補者が誰だかわからないからだ。候補者も支援者も同じで差をつけてはいけない、なんてことはないとは思うが、内情は知らない。
 また、街宣車の両サイドのボデーに「社民党」の文字が入っていないことに気がついた。多くの場合、横付けするから、前後だけの「社民党」だけでは目立たない。通りがかりの人の視野に入るボデーを有効に使うことをお勧めした。斬新なデザインが出来ればいうことないが。
 これらは思いつきと、過去の経験からのもので多くの場合、採用されなかった気がする。それは多分、誰が担当するのか(自分はできそうもない)、人とお金が付いて回るということと同時に、その道の人ならともかく、そうでなければ「非日常的」なことで、どうしても尻込みすることになるからだ。また少人数で運動をしていると、あれもこれもということにもならないこともあるだろう。
 何とか、当落線上に浮上して、マスコミが注目するような運動でないと、伸び悩むことになる。「坂選対」は発展途上の中にある。

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2009年5月20日 (水)

街宣車のナビを務める

 久しぶりに、マイクも少し・・・
 ATUサポート市民の会のニュース「れいめい」の編集作業を終えて、1日が空いたので、かねてから依頼されていた社民党・坂喜代子後援会の街宣カーの、緑区のコースガイドを務めた。
 平日で10時~17時という時間帯であるから、行き先はターミナルを外して、もっぱら、スーパーマーケット、ホームセンターが主であった。1日中出入りのある区役所へは、最後の5時近くだったので、人はまばらだった。やはりお昼をはさんだ1~2時間内がいいのかもしれなかった。また、午後3時過ぎまでひっきりなしで人が寄る、平針運転試験場(免許の更新)も狙いどころだったが、あとから気がついた。
 運転手も候補者も女性ということで、私もマイクを取って前座を務めることになった。ひょっとしてそんなこともあるかもしれないと、心の準備はしていたが、「社民党」に馴染んでいるわけではないし、その政策にほれ込んでいるわけではないので、やや、気遅れもした。また暫らくマイクを握る機会がなかったので、“調子が出る”までに2~3の場数が必要であった。
 候補者本人の話はさておくとして、私が話した内容の大筋は、「解散総選挙は近い、6月か遅くとも8月には行われる」「最大の焦点は、政権交代」「民主党中心の、野党連合の政権誕生がぜひとも必要だ」「民主中心の政権にやや不安があるという声を聞く。民主党の足らざるところ、至らざるところは、社民党でカバーすることができる」「社民党は、日本社会党の流れをくむ政党で、今は少数であるが、平和・安全保障の党、消費税に反対した党、働く者の立場に立った政策などを継承し、社民党になってからは、女性の目線、市民の目線で粒は小さいがきっちりと、国会での役割果たしてきた」「昭和区、天白区、緑区の第3区の選挙区選挙では、社民党は候補者立てず、民主党の近藤昭一議員を推す。しかし、比例選挙の東海ブロックでは、東海市在住の坂喜代子さんを立てる」「比例区選挙では候補者名を書かないで『社民党』というように、政党名を書きます」「地元の銀行で30年間パートとして働いてきた坂さんは、今だからこそ、国会の場で活躍が期待できる経験と見識を持った人です。」「女性の議員があまりに少な過ぎます。比例東海ブロックは21の議席がありますが、女性議員は自民党の二人だけで」「社民党は2000年の選挙で大島令子さんを当選させましたが、それ以来議席を得ていません」「政権交代の時代です。社民党の出番です。女性議員が活躍すべき時代です」「みなさん、投票に行きましょう」
 ま、流れはこんなようなものであったが、立て板に水、というわけにはいかないのは当然。内心は早く終わらないかなあ、が正直なところであった。

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2009年5月17日 (日)

鳩山を選んだか、あなたたちは

全力で政権奪取に向かえ
 民主党の代表に、鳩山由紀夫前幹事長が選ばれた。鳩山故に自民党はもとより、マスコミからもいろいろ言われ、内からも“ぼやき”か“ため息”が出るかもしれないが、鳩山に決まった以上、政権奪取にむけて突っ走るほかなかろう。
 鳩山か岡田か、どちらを選ぶかにあたって民主党議員一人一人が、いろんな条件、おかれた立場、自らの政治信条を動員して選択したと思いたい。自民党ほどの派閥の締め付けや、次期選挙の公認等で揺さぶりをかけ、あるいは掛けられて動揺したなどということはないと信ずる。
 戦国時代とは違うが、結局政権奪取といういくさ場に出る以上は、主君が天下を取ることで臣下は報われるわけだから、決死覚悟で活路を開くしかない。あいまいに揺れていると蹴散らされてしまうかもしれない。戦国武将の心得をここで説いて見てもさして意味はないであろうが、そのように重ねてみると状況が少しは見えてくる感じがするのである。
 さて、民主党の「国盗り物語」の第1章は終ったが、第2章は何であろうか。もちろん「与党連合」との雌雄を決する対決であろうが、社民党や国民新党を味方につける工作だけでなく、岡田陣営の動きに目を配らねばならないだろう。選挙前の舞台裏の「政界再編」という合従連衡の局面もありうるからだ。
 もっとも鳩山兄弟による「鳩山兄弟(けいてい)内閣」という、途方もないことがふと横切ったりもするが。
 小沢一郎の影響力、存在感が取りざたされているが、鳩山の考えは表向きと実際とに違いがあるのではないかと、私は探りを入れたい気になる。つまり、選挙だけの役割で、終ればお役御免ではないだろうか、というくらいに鳩山が性根を据えていれば、鳩山内閣は機能していくような気がするのである。
 選挙は、8月説が有力のようだが、私は、7月12日の都議会議員選挙同日
選挙説を捨ててない。

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2009年5月16日 (土)

鳩山と岡田-民主党代表選を考える

  足して2で割らない
 小沢代表の辞任を受けて、民主党の代表を、電光石火に決めるべし、街頭でアピールを展開すべし、早期に党首会談に臨むべしと書いたが、今日の午後の代表選挙は、電光石火といえないまでも“最短”であったろう。
 この代表選挙について、国会議員だけで決めることに異論を唱えた党員、議員もいたという。予備選という、より党員の意向が反映される方式がいいことは確かだが、この人たちの“正論”は、状況認識に欠ける点で支持できない。確かに、国会議員だけの投票で早期決着が、「小沢戦略」「鳩山有利」という一面がないわけではなかろう。だがそれはあくまで党内事情で、そのレベルの議論をするにはこれまでに十分な時間があったはずではないか。有権者からみれば、大した問題ではないのではないか。
 
状況は、代表即ち次期首相ということもありうるわけだから、ここに至って、お家の事情あれこれをいう状況ではなかろう。党員こぞって現下の政治状況を認識し、政権政党としての基本政策と、有権者の求める政策とを練り上げ、そうした姿を見せることによって、有権者から見てどうなのか、という視点が重要ではなかろうか。
 街頭や記者会見で鳩山、岡田両氏が政策論争を交えているがいいことだ。冷めた見方からすれば、どっちもどっととか、新鮮味がないといえなくもないが、党外の者であってもここは、民主党の代表はどちらがいいか、という視点から、次期首相は誰がいいか、という視点に変えてみること、そのように考えることが必要ではないだろうか。
 私は、どちらかといえば、菅直人を支持したい気持ちであるが、今回は論外であるからさておくとして、政策論だけで行けば、細部の検討はしていないけれども大枠では岡田の方に手を挙げたい。現実的でブレがないように思えるからだ。憲法改正ありとするも、はなから憲法前文、9条改正を言っているわけではないので、自民党とは一線を画していいだろう。また、将来的には消費税アップも視野に入れているようだが、年金、医療・介護などの政策が先にあって、その必要な財源をどこに求めるかの選択肢の一つに消費税アップがあるとしているから、一応傾聴すべき内容ではないかと思う。
 鳩山は、小沢の陰が付いて回ると印象付けたのは戦略的にマイナスだが、岡田の実務派的(財界寄り)に比べ、やや労働側にスタンスがある点で、旧社会党や民社党系に推されているのであろう。そのように細部に入り込むとどっちもどっちということになってしまう。「足して2で割る」ではなく、「足して、いらざるものを引く」というべきところであるが、現実は、そうはならないようである。
 総選挙の結果、自民、民主とも過半数は取れず、連立内閣となれば、その連立相手の政策がポイントになる。社民党、国民新党がその受け皿としてざわついているようでもあるが、そうなると何だか、複雑な様相になりそうで、私も悩みそうだ。

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2009年5月12日 (火)

坂喜代子予定候補はフル回転

6月末解散総選挙がいいかも・・・
 坂候補のMLの情報によれば、坂喜代子後援会も立ち上がり、街宣用の機関紙「社会新報」の増刷、街宣車運用で街宣行動も軌道に乗りつつあると聞くから、どうやら、「臨戦態勢」はそれなりに出来たようだ。
 小沢代表辞任で、解散総選挙は極めて流動的であるが、私が見るところ、社民党の体力から「6月末解散総選挙・7月12日投票」が一番いいのではないかと思う。常識的に言って、7月12日が都議会議員選挙の投票日であるから、あり得ない日程かもしれないが、麻生首相は、そういうことに反発するところがあるから、全くあり得ない話ではないと、私は見ているのだが。
 ところで、後援会の発会式に寄せられたメッセージの中で一つだけ紹介しておきたい。辻元清美社民党衆議院議員のメッセージである。
 『この経済危機を受けて多くの若者が職と住を失いました。かつてない速度で貧困が広がる中、政府は未だに事態を直面することもなく、金持ち優遇のバラマキを続けています。この間、政財界が一緒になって、雇用・教育・医療など私たちの生活のいたるところに分断と競争を持ち込みました。私たちが「年越し派遣村」などで目の当たりにした光景が、雇用政策の過ちによる政治災害であることは明らかです。私は政治に関わる者として申し訳なく、恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 「市場の原理最優先」から「セーフティネット整備の市場」へ。「競争と自己責任」から「共生と助け合い」へ。そして「小さな政府」から「効率のよい政府」へ。ピンチをチャンスに変えて、日本のビジョンを描き直す主役は皆さんです。その手段が半年以内に行われる総選挙。不安と不信の連鎖を断ち切り、互いのつながりを取り戻す連帯の政治へと質を変え、社会の設計図を書き換えなければ、日本の建て直しは手遅れになってしまします。
 政治は弱い人、貧しい人のためにある。でも現実に政治を牛耳ってきたのは強い人たち。今度の選挙を、50年続いてきたこの「本当のねじれ」を一緒に解消し、本来の政治を自分たちの手に取り戻すチャンスにしようではありませんか。今度の選挙の争点は、まるごとの「日本の将来」なのです。
 ずっと働く者の味方として、現場から国際会議の舞台まで全力で走り続けてきた坂さん。いまこそ国会はあなたの力が必要です。一緒に格差のない社会へと変えていきましょう。』
 坂さんがこの選挙に出る動機となったこと、国会でやってみたいことなどが織り込まれた辻元氏のメッセージであるが、これは「C&Lリンクス愛知・第51号」にも転載させてもらった。
 そこで私も一文を書き添えた。
  もっと女性議員を!これが国政改革の第一歩です
 『私は、地方議会の議員でも、国政の議員でも、もっと女性議員が増えて活躍することが、改革の第一歩だと考えています。
 くどくど言うつもりはありませんが、まず、一番大切な政治の根幹である「平和」について、女性の揺るぎない反戦思想に期待したいのです。男性の思想は、最初から「敵が攻めてきたらどうする」から始まります。戦争や紛争にならないで「仲良くやる方法はないの」という「平和主義」が、腰抜けか意気地なし、と考えてしまう傾向が強いのです。
 次に、日々の暮らしの前面にいるのが女性です。経済や社会の仕組みがわからなくても、日々のくらしから、現在の政治の状況を感覚的に受け止めているのではないかと思う。とすると、景気や物価、税金のことだけでなく、若者が職に就けない、就かないこと、長く会社に勤めた人の失業(解雇)や病気などに対する見方は、「負け組」とか「落伍者」という受け止め方にはならないと思うのです。
 坂さんと私の出会いは、2008年1月の、ATUサポート市民の会の結成時が最初であり、今では、APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)愛知の、代表と事務局長という関係ですが、久しぶりにバイタリティー溢れる女性と出会ったという印象を持っています。現在の社民党からの立候補は大変ですよ、と伝えましたが、今は、可能性はゼロではない、そう思って応援しています。』

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2009年5月11日 (月)

民主党小沢代表の辞任

 電光石火のポスト小沢が肝心
 テレビ、ラジオに接する機会がなかったので、「小沢辞任」のニュースを知ったのは、午後10時過ぎのネットからだった。時間をさかのぼって経過を追ったが、肝心の「ポスト小沢」は霞んでいた。ネットでは、「遅きに失した」とか「献金問題」に絡んだ、どちらかといえば民主党たたきの記事が多いように感じたが、だからといって、「政権交代」の流れが大きく変わるとは思えない。
 党内では、岡田克也元代表、鳩山幹事長を軸に代表人事が動くようであるが、ここは「電光石火」の人事が肝要である。「小沢辞任」は既定の事実であったのだから、この期に及んでもたつくようでは、何のための「小沢おろし」の鳴動だったのか、ということになる。
 手続きはあろうが、一刻も早く代表、幹事長など新役員人事を決め、麻生首相に頭を下げて「党首討論」の早期開催を申し入れるべきである。もちろん国会では補正予算の審議などがあるから、それらに対応しつつ街頭に出て新代表のお披露目、麻生首相が何を言おうが、解散しようがしまいが、総選挙への旗揚げをぶち上げるくらいの勢いをつけねばならない。つまり「小沢辞任」の最大効果を狙わないと、最大の減点効果に堕してしまうことを恐れるべきであるといいたいのである。さてどうなるか。
 

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2009年4月29日 (水)

坂喜代子後援会が発足

 満席なるも容易ならざる前途
 社民党・比例東海ブロックの候補予定者、坂喜代子さんの後援会である「坂喜代子と格差のない社会をめざす会」の発足集会が、今日の午後、つるまいプラザ(愛知県勤労会館)で開催された。60の席は満席で、関係者は立っての参加というほどであったが、こと選挙となれば、その前途はなかなか大変であることが察せられた。
 これまでも、女性ユニオンの集会などで坂さんは、話(演説)をする機会はあったとは思うが、私にとっては初めて聞く機会であった。その印象は、自らの経験としてきた、銀行でのパート労働者として苦闘、怒り、悲哀、そして仲間との出会い、ユニオンとしての運動や、パート法などに関する国会請願、ILOでのロビー活動などの領域では、流れるような口調で、聞かせる内容で大変良かったと思うが、政治情勢、政治課題、社会問題など、街頭で必要な他の分野では、どうなのかは一度聞いてみないとわからない部分もあった。いずれにしても及第点は得たであろうと思った。
 この発会式では、司会者は女性、「格差社会について」のディスカッションの進行は、山盛さちえ豊明市議、応援スピーチに水田珠枝さん(女性学、元大学教授、「女性解放思想の歩み・岩波新書」著者)、大脇雅子さん(元社民党参院議員、現弁護士)も参加され、準備段階から女性中心に取り組まれてきた。これは、坂選対の大きな財産であるとともに主柱になるものであった。
 比例東海ブロック21の議席のうち女性議員は、自民党の二人だけである。かつて共産党の瀬古由紀子、社民党・大島令子がいたが、今は野党の女性議員はいない。特に愛知県からは民主党の谷岡参院議員(愛知選挙区)しかいないと思うので、「もっと女性議員を!愛知から女性議員を!」は、共産党とも競合するが、キャッチフレーズになるのではないだろうか、そう思った。
 さて実戦的に考えると、例えば、社民党の県連代表の富田勝三名古屋市議も参席していたが、紹介も発言もなかった。これは、県連が愛知1区の平山良平候補の選挙1本にシフトしていて、比例選挙に割くほどの力がないということのようで、ことさように、ただでさえ弱小である組織的バックアップは、多くは期待できないというのが実情のようだ。これは坂陣営としてはつらいところであるが、考えようによっては、党主導から、市民の“手づくり”選挙で楽しめる一面もあろうから、悲観することはないだろう。選挙資金、資材などだけをしっかり提供してもらえばいい。とはいえ、党員も地方議員も少ない、支援労組も少ないから、街宣車一つ動かすにも苦労するであろうことが想像された。仮に6月選挙だと、これは厳しいこと間違いない、かといって9月選挙の長丁場に、今日集まった人たちで持ちこたえられるかどうか、こちらも心配である。まずは愛知県下における後援会の「点」の確保、そして、せめて、名古屋・知多・尾張・三河(西と東)のブロックごとの拠点づくり、出来ればの小選挙区15区ごと支部組織まで行き着けば、一条の光が見えてくるかもしれない。東海ブロック代表者の発表では、目標は36万票(一人当選の最低得票数)とのことであった。

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2009年4月12日 (日)

衆議院選挙を考える15

 坂後援会が始動
 相変わらず解散総選挙の時期は不明であるが、5月に抜き打ち解散か、補正予算成立直後かという説が流れ始めている。麻生内閣の支持率上昇傾向と小沢代表の辞任を求める世論の高まりが背景にあるともいわれる。千葉、秋田での知事選の結果も弾みをつけるかもしれない。また、公明党の意向を汲んで7月12日の東京都議会選挙を配慮するともいわれているが、麻生総理は、意外と意に介さないかもしれない。とすれば6月選挙もないではない。
 と、まあ、気をもんでいても仕方あるまい。党の支援に比重を置かないで市民主体の、自主的で創意を凝らした選挙運動をめざす、社民党・比例東海候補者、坂喜代子の、後援会旗揚げとなる4月29日が、坂喜代子の実質的に選挙戦のスタートとなるが、どうみても準備は遅れている。しかし見方によっては、力量からして、任期満了の9月選挙となるとかえって体力不足がマイナスに働くかもしれない。
 昨年から準備してきた他の候補者はかなりお疲れではないかと思うのだが、とにかく一応、5月(6月)と9月(8月)の両構えで行くしかないが、当面は、5月の短期決戦を準備せざるを得ないだろう。その緊迫感が選挙態勢をつくるエネルギーになるかもしれないし、そうしなければいけないだろう。会議から1週間で、こじんまりとしているが、金山駅近くに事務所を構えることができたのは、それなりの人の集まりと機動性、集中力があるという証明である。そこで、またまた思いつきであるが、名古屋市長選挙の戦略化とともに、坂後援会が当面すべきこととして、こんなことを考えてみた。
1)すでに候補者が勤務時間外で行動している、訪問活動、街頭演説をさらに緻密化する。
2)とにかくリストアップと地域的区分と協力の度合いのランクをもって、「地域・マンマップ」の作成と、連絡体制をつくること。チェーンメールの試みはアイデア次第。
3)ミニ集会・車座集会・懇談会などの設定を順次つくっていく。
4)候補者以外の、各種集会への人の派遣のための「講師リスト」を作成、その人の日程の確保。
5)社民党のロゴが入ったのぼり、シンボルカラーののぼりなど目立つものが必要。
6)マスコミの“応援”を得るための戦術が必須。そのためだけの戦術会議の早期開催。
7)社民党も坂喜代子も知名度は高くない。著名人の応援は条件の一つ。その人の日程を奪取。
8)「格差社会」をなくす運動のネットづくりを意識的に進める。これがもう一つの運動である。
 とまあ、“○○八策”ではないが、八つの提案を試みたが、どうだろうか。

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2009年3月27日 (金)

政局を動かせられない民主党

  小沢代表の辞任問題を考えるとき
 民主党小沢代表をめぐる西松建設の巨額献金事件で、公設第1秘書で資金管理団体「陸山会」の会計責任者大久保隆規被告(47)が、同社から違法な企業献金を受領しながら虚偽の報告をしていたなどとする政治資金規正法違反罪での起訴内容を、大筋で認めていることが25日、関係者の話で明らかにされたという。
 これによって小沢代表は辞任すると思われていたが、続投を宣言したことで党内がざわついている。自民党内でも、「敵失に乗ずるな」という流れと「チャンス」という流れがあるが、どうも、興味をそそられるような局面とは言い難い。
 小沢代表の辞任か続投かは、本人の自覚・決断であると同時に民主党としての判断である。党の決断として辞任を求めるなら、大久保起訴の段階で三役会、議員総会を開催して一挙に決める手はずを取っておくべきだった。しかし「自分で決めるんじゃないか」という誰も傷つかない安直な期待に任せていたのだから、小沢自身が辞任しないというのなら、これを受け入れるしか他ない。あとからつべこべ言うべきではない。
 一応、今日の参院と衆院の議員総会で、一部に自主的辞任論も出たが、続投が承認された。「領主(おやかた)さまの、武将としての器は古くて、使い勝手が悪い」としても、もはや代え時を失った以上、現有の陣形で臨むほかあるまい。
 だがこれは、現時点での話であって、小沢自身がいうように「政権交代=衆院選挙で過半数」獲得できるかどうかの状況判断が、次の機会となる。
 しかしその判断は、結局「世論調査」の数値次第ということになるのだろう。こういう人任せというか、政局を動かす力が民主党の、特に次世代、若手にないというのがさびしい。
 代表の交代を積極的に仕掛ける機会があるとしたらどんな時だろう。これも相手次第だから積極的とはいえないが、麻生首相が解散総選挙に踏み切る決断をした時か(いまさら、という雰囲気になりかねないが)。大久保秘書の保釈後の衝撃的な言動(?!)が出た時か、新たな疑惑が出た時か。だが警戒すべきことは、時と共に麻生首相の“粘り腰”が生気をとりもどすことも考えられることだ。
  トヨタ自動車が在庫調整を終えて5月、6月には通常の生産体制に入るという意向を示したのは、豊田新社長への祝砲であると同時に、「定額給付金」に続く財界からの、景気対策の支援とも受け取れる。これで経済指標「株価、為替レート、GDP、景気短観」などが一定程度上向きになれば、「5月説」もあるが、8月のお盆休みをはさんで解散総選挙もありうる。
 その読みの中で、民主党が党としてどう政局を動かすかがすべてであり、その中で代表の続投か交代かを決断すべきであろう。もっとも、手詰まり感があるうえに、脛に傷を持ち、政権交代の絶好の機会に小沢一郎を代表にいただいたこと自体が党として遭遇点(巡り合わせ)として受容するしかないが。

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2009年3月24日 (火)

ミサイルか衛星ロケットか

 同じものが政治では別とされる
 共和国(北朝鮮)が打ち上げ間もないとする「人口衛星打ち上げロケット」について、これは「ミサイル」であり、六か国協議の枠の中では認められない、という日米を中心に反対キャンペーンが繰り広げられている。
 六か国協議での約束(合意)の詳細は知らないが、「北朝鮮の、ミサイル、弾道ミサイル、衛星ロケット一切の実験、打ち上げを認めない」という条項があって、共和国が調印しているとすれば、約束反古で見返り援助中止、経済制裁も理がないわけではない。外交は約束で成り立つというのが原則であろうから。
 それはそれとして、「ミサイルもロケットも同じものだ」というのは常識の範囲内である。弾頭に衛星を乗せるか、(核)爆弾を乗せるかで「兵器か平和利用」かに分けられるにすぎない。物事が「平和的な利用で、人類に貢献し、自然を破壊しない」ものであれば、それを止める「大義」はない。
 さて、「強盗と警官がいる。ピストルをどちらに渡すべきかは言をまたない」であろうけれども、それは「警官が強盗にはならない」という前提があってこそである。「ピストルを持った警官が、強盗を射殺して、強盗が狙っていた金庫を盗み去った」としたら・・・。
 「我が国には、最新の核弾頭ミサイルが1万発あり、国土防衛は万全である。だが、たった1発のミサイルといえども、その射程距離が我が国に届くようであれば、その存在を認めない。兵器であろうが、平和利用の衛星ロケットであろうが、である。もっとも国連の安保理事国のみなさんとイスラエルは例外であるが。いや、インドもいいとしよう」
 「わが国領土を保全し、国民の生存権を安全のうちに確保するのは固有の権利であり、そのために危険と思われる国、地域に対して機先制して攻撃し、せん滅して危険を取り除く行為は当然のことである。(但しその権利は、相手国には認めない。当たり前だろう!)」
 「日本国憲法は、戦力を持たないと規定している。だから我が国は兵器といわれるものは持たない。ここにあるのは戦車ではなく、特車である。この組織は軍隊ではなく、自衛隊である。」
 「我が国には、非核3原則というのがある。だから、取り扱い(操作)の訓練を米国でさせることはあっても、自衛隊自身には核兵器を持たせていなし、完璧な製作図面と材料は持っていても核兵は作らない。アメリカの原子力空母、原潜などの軍艦や、B52戦略爆撃機に核兵器を搭載させて持ち込ませたことは断じてない。日米安保条約に基づいて、港湾と基地・空港の利用を認めただけである。搭載の有無を問い、明らかにすることは軍事機密に属するもので、戦略、戦術を知らない素人のいうことである」

 “丸い卵も切りようで四角、ものもいいようで、角がたつ、しののめのストライキ”か。

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2009年3月21日 (土)

小沢包囲網を深読みすれば

 何がどう動いているのか
 西松建設をめぐる献金事件で、「小沢包囲網」が絞り込まれようとしているようだ。
 事件そのものと検察の動き、漆間官房副長官(政府与党)の間には、我々の目には見えない動きがあると、週刊誌あたりでも書きはじめている。
 私はちょっと心配になってきた。
 「老兵たちのフォーラム」では、随分前から、「我々の1票で、政権交代が実現できる、これは素晴らしいことだ」と、こんにちの議会制民主主義を絶賛するかのような発言があった。多くの人が頷いていたが、私は「民主党不信」と「第3極論」を言って、政権交代で政治が大きく変わることはないだろうという立場をとった。もっとも、「政権交代」そのものは否定するものではなく、「よりましな」政治を期待するところでは、みなさんと同じであった。だが、そんな楽観的でいいのだろうか、昨今のこの動きからみて。
 小沢の評価についても賛否両論あったが、総選挙による政権交代が目前に来た現段階で、1)麻生首相が解散総選挙を断行しないで「時間稼ぎ」しているのには、何か深いわけがあるに違いない。2)西松建設で検察が動き出し、当初、小沢一人をターゲットにしていたところからも、何らかのタイミング狙った可能性が高い、という捉え方に納得できるものがある。3)民主党内の「小沢おろし」の動きに、何となく不条理を感ずる。目に見えない権力が背後で動いていないといえるか。4)自衛隊のソマリア派遣、「北朝鮮」の衛星ロケット撃墜の動きと宣伝は、「国民への威嚇」が隠されているのではないか。5)この日本政府の無為無策と混乱、無防備と情報操作によって、アメリカの「日本乗っ取り」が進行するのではないか。という懸念を感じるのである。
 ひょっとしてこれは「無血・無形クーデター」といえるような、おかしな状況ではないのか。
 荒唐無稽、杞憂、こじつけと一笑に付されればそれはそれで喜んで受け入れようが、どの一つ当たるか、かすめるかでも、私はこの先の日本を憂う。

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2009年3月 9日 (月)

名古屋市長選挙を考える・9

 もたもた、ぐずぐずの民主党県連 
 なんか焦れったい市長選をめぐる民主党。
 昨日の県連の定期大会では、壇上に河村たかしの顔もあったが、党本部の推薦決定が出ていないということで、紹介も発言もなかったらしい。ニュースをテレビで見ていて、思わず「そういうものなの?」と思ってしまった。
 いろんな経緯があり、河村をよく思っていない議員や党員が党内にいることは、大方知れ渡っている事実であるが、この先まだ「河村に代わる候補者」が出てくる可能性でもあるのか。そうならそうでわからんでもない。
 だが、告示まで1か月ほどしかないこの時期にそれがあるとしたら、この市長選挙はぶち壊しだ。有権者はそっぽを向くだろう。そんなことくらい(素人の目にだって)想像の範囲内のことではないか。
 党員各位には、河村たかしがベストはおろかベターでもない候補者かもしれない。だが、県連として党本部に推薦を申請したのは事実であるから、それをもって「Good」として腹をくくる時期ではないのか。
 党員一人一人には、それぞれの意思があるから、それを明らかにすることは重要だと思う。そうした積み重ねや繰り返しがあって、組織としての方向性が定まり、結束して行動していく体制が出来上がっていくものと思う。是か非かの議論ののち、是となれば、非の側は、是の足らざるところを補強することによって、非としての主張を活かすこともできよう。そいう段階を踏まえて相手と向き合う陣形が整う。
 県連の定期大会といえば、組織として最大の機会であったろうに、目前の名古屋市長選挙に、何らアピールの用意できなかった無様さを党員各位は自覚したであろうか。
 河村にもその責任はある。県連・市議団との何らかの協定を結ぶことが「推薦」の条件なら、それがまとまる努力に全力を挙げるべきで、そのタイムリミットが「3月8日」であるとして腹をくくるべきであった。
 なぜ党員でも関係者でもない私が、県連の定期大会の日にこだわるかといえば、簡単なことだ。この市長選挙をそれなりに重視していると同時、おこがましいが、行動を決めるうえで時間制限は、決断をより高い段階へ引き上げるきわめて有力な動機となることを、私なりに経験しているからだ。
 定めのない事柄は、先へ先へと引き延ばされる。引き延ばされたからといってより良い結論が出るとは限らない。むしろ集中力を欠いて「蒸し返し、繰り返し」の渦中に引きずり込まれることが少なくない。
 「河村にやらせてみたらいい」というのが私の結論であるが、これは党員各位とひどくかい離した認識なのであろうか。いまだに「河村と同居生活はごめん」とでも思っているのであろうか。
 時機を失したこのミステークが、最悪の舞台を用意しなければいいが。

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2009年3月 1日 (日)

名古屋市長選挙を考える・8

  河村にやらせてみたらいい
 名古屋市長選挙の候補者が出そろった。
 民主党推薦の河村隆(たかし)氏、自民・公明推薦の細川昌彦氏、共産推薦の太田義郎氏である。事実上、河村と細川の競り合いとなろう。形の上では、市民グループが心配した「相乗り」は避けられることになったが、よくよく見ておかないと、実体が「オール与党化」では意味がない。
 私の現時点での立場は、河村が最良の候補とは思っていないが、自ら擁立する立場にはないので、三者から選ぶほかない。とすれば、地方は地方、という自立した考え方もあるが、いっそのこと中央の政権交代を望むなら、地方でも連動した選択もおおありだ、やらせてみたらいい、という立場である。
 衆議院選挙が行われるとして、民主党が過半数を制したなら、それほどの動き=政界再編はなかろうが、わずかでも過半数に達しなかった場合、国民新党、社民党、渡辺グループと共に、自民党の一部を巻き込んで「政界再編」は起こりうる。そうした中央政界の動きが、ただちに地方自治体・地方議会に影響を及ぼすとは限らないが、国政で「大連立」よりは、はっきりと与野党の違いがあった方がよいと同じように、地方でも与野党の並立を望む。(ここでは「第3極論」は置くとして)
 中には地方議会に与野党はない、と断言する人もおられるが、この説には、首長に天下りのような官僚出身者が多いことや、議員の中に業界を代表するだけの者がいる点を過小評価しているようで賛成できない。道路、ダム、基地などの公共事業に関して住民の意向がことごとく退けられる傾向をみるとき、与野党のわけ隔てをなくして合意を目指すことこそが民主主義、という論理に危惧する。すべて多数原理でものが決まる事が必ずしも民主的で正しいとはいえないし、議論を尽くすには、相違点、対立点を明らかにすること、関係住民の意向を少数意見であっても重視すること、それには与党、野党という対抗軸を作ることが必要だ。確かに多少の時間がかかることは避けられないが、「オール与党化の弊害」を、これまで何度も経験してきたではないか。
  これだけはしてはならない、というものはこの社会に存在する。それすらも多数決で決まるとしたら、その仕組みに欠陥があるのではないか、というのが私の見解だが、与野党の隔たりなく、最善の方途が見つかる社会が到来するまでは、与野党に分かれて議論を闘わせることで、問題の所在を明らかにさせることは重要である。
  ということで、中央政界の政権交代と連動して、地方でも自民党支配から脱却した首長の登場があってもいい。だから、「河村にやらせてみよう」これが現時点での私の見解である。

 

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2009年2月27日 (金)

小沢代表の発言は本音

 日本の防衛を考える
 民主党の小沢代表が「アメリカのプレゼンスは必要だが、第7艦隊の存在で十分だ。日本の防衛に関することは、日本が責任を果たせばいい」と語ったことが波紋を広げている。政権交代が近いから、担保を取っておきたいという思惑もあったのであろう。
 小沢発言の詳細を把握していないから、新聞報道の部分から推測することになるが、「アメリカのプレゼンスは必要」は、日米安保条約を堅持することを表明。「第7艦隊の存在で十分」は、米軍基地は神奈川県のアメリカ海軍横須賀基地だけでいいと言っているのか、「沖縄は別」「その他は自衛隊(国軍)が引き継ぐ」を含んでいるのかはわからない。「日本が責任を果たせばいい」は、「自主防衛論」に通底している。
 自民党から批判が出ているらしいが、批判ばかりではなかろう。小沢代表の発言は本音であり、黙していても歓迎する向きもあるのではないだろうか。それは、中曽根康弘を中心とした「日本の自主防衛論」が、依然として影響力を保持しているとみるからでもある。
 それはさておき、日米安保破棄、自衛隊反対を言い、「無防備地域宣言」を推進または支持する立場の人は、「日本の安全保障、外交戦略」などについて、小沢の対抗軸として理論をうちたてているだろうから、改めて公表すべき時期といえるのではないか。
 私の立場は、スローガンを並べれば、1970年前後の「ベ平連」「安保粉砕」「反戦平和」「護憲」から、今日の「全ての核の廃棄」「米軍基地撤去」「沖縄の基地の全面返還」「自衛隊縮小、海上保安庁強化」まで、あまり内実を深めないまま変遷してきている。その間には、「米軍の核巡航ミサイル・トマホークの極東配備反対」「中曽根の自主防衛論反対」「1997年、日米新ガイドライン反対」などへのかかわりを思い起こす。
 プロセスはどうであれ「平和憲法を堅持、世界へ」「日米安保条約、ガイドライン、地位協定破棄」「非武装中立・海外派兵阻止」「非核3原則厳守」「地雷・生物化学兵器の撤去・廃棄」「国際災害救助隊・医療団派遣」「農林水産技術、環境技術で貢献」等を据えた上で、私が最近、「自衛隊縮小、海上保安庁強化」を言い出したのは、現実面から考えようとしたからある。
 世界有数の軍事力を持った自衛隊は、明確に「戦力」を保持しており憲法違反であるから、憲法を改正するか戦力放棄=自衛隊解体かの選択になる。私は「軍隊はいらない」「現憲法堅持」だから、基本的には「自衛隊解体」となる。その場合、国民全体のコンセンサスを得て進めていく必要があり、また、世界の情勢、近隣諸国との関係を考慮すると、目標期間を設定して「ソフトランディング」出来れば最善であると考える。そうなると、いきなり自衛隊解体とはならず、やはり漸次縮小・平和外交推進が同時進行していく必要があると考える。また、四囲を海に囲まれた日本であれば、沿岸の警備と海上の警備、救難は欠かせないだろうから、海上保安庁の強化は必要である。但しそれは、海上自衛隊を合体させるということではない。両者は異質のものである。
 このようにざっと考えてみてわかることだが、国土(郷土)・国民の「安全」を保持していくのは、国の不可欠な政策であるが、それは「政治」のトータルとしてあり、一市民からは、なかなか答えを出せるものではない。出せるとしたら、米軍基地、自衛隊基地の存在する地域の、「基地公害」に直面している住民の要求から発したものであるか、あるいは、国政を動かすための、政権党の議員を選別し、あるいは擁立して送り込む、その一票に託すことぐらいであろうか。無関心、他人任せ、偏見に堕することは、何もしないではなく、悪しき方向に加担することであることだけは自覚したい。

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2009年2月24日 (火)

名古屋市長選挙を考える・7

 河村たかし衆院議員で一本化なる
 報道によれば、民主党県連と名古屋市議団が一度は推薦を決定した弁護士の伊藤邦彦氏は、今日の午後、記者会見を行って、「党からは私への積極的な推薦がないと判断した」として、立候補を断念すると発表したという。
 伊藤氏が選挙戦に向けてどこまで準備をしていたかは定かではないが、少なくとも「マニフェスト」に近い政策は練り上げていたに違いない。結果はどうであれ、そうした努力に対して民主党は、党として敬意を払わねばならない。普通に考えれば、「ご迷惑をかけた」として謝罪すべきかもしれないが、伊藤氏も55歳という円熟した年齢であれば、そのようなものに関心はないだろう。むしろ自ら書き上げた政策の要綱を求められ、何らかの論議に付されることが気持ちとしては落ち着くのではないだろうか。そのように党側は汲みとるべきではないかと私は思う。
 そのようのけじめをつけて民主党は、党を挙げてこの名古屋市長選挙を勝ち抜く意欲をかき立てることができるだろうか。つまり国会議員から県議、市町村議員を含めた全党員が、河村とどう折り合いをつけ、「党員」として、あるいは「一政治家」として、この名古屋市長選挙にむけ、真の「一本化」を図って選挙に臨むことができるか。これはこの先、政権党になるのも時間の問題であろうから、民主党自身が試されもし、有権者からも注視されるということでもある。
 この間の問題処理に古川元久衆院議員が動いたとされるが、それが功を奏したのなら結構な話であるし、「党きっての政策通」という評判の人物であるなら、ワンマンの河村にとっては拠り所になるに違いない。
 それはそれとして、(私が思う)醜態をさらした「名古屋市議団」の各議員については、改めて吟味したい気持ちが強い。議員団に27人もいて全員が右にならえ、で伊藤氏を推し、河村氏になったら全員がさっさと「容認」か。党の決定に従うということはいけないことではない。それが常道でもあろう。そんなことではなく、早くから河村の動きも心情も知っていたうえで、あえて伊藤氏を担ぎ出した過程があまりにも分かりにくい、というか有権者抜きの「(保身的な)身勝手さ」だけが映ってしまったこと、これが戴けない。とはいえ、実際のところはわからないから、「吟味してみたい」のである。
 それもまたそれとして、「君は、河村たかしの当選を望むか、なにかを期待するか」と問われたらどう答えようか、実は結論が出し切れていないのである。
 順序だって言えば、河村も細川も大差はない、あるいは好きになれないとして、では第3の候補者、共産党の推す太田氏を推せるだろうか。この選択はない、なぜか。前回選挙で榑松佐一氏を立てて臨んだ選挙と、今回の太田氏擁立を較べみて、本気とは思えない、衆院選の前哨戦か組織固めという位置付けではないか、そう見えてしまうのである。榑松氏が再度立候補するようであったなら微妙なところであった。では棄権か白紙か、それもない。
 そうすると、自民党や公明党の推す候補者に1票を入れるつもりかといえば、これまでそうした投票行動は一切なかったからあり得ない。ならば残るは河村しかいない。つまり消去法でそうなるのだが、最初からそう断言できないところがあるから結論が出し切れていないのである。
 議員選挙と首長選挙は同じ次元で考えるべきではない、というもう一つの切り口がある。梶原の後を継いだ岐阜県の古田知事を見ていると、どことなく(何故か)愛媛や兵庫の知事とはちょっと違う気がするし、石原都知事や橋下大阪府知事とは大きく一線を画している。もっとも古田知事は「官僚型のお利口さん」という人もいるかもしれない。結局、首長としての器、実力を比較検討した結果から導き出されたものであれば、推薦政党がどこであるかは、二の次といっていのではないか、という発想をこのごろ取り込んでしまったから、こうなるのである。
 それで来月半ばに、市長選も話題になるであろう会合を設定したと聞いているから、それまでもう一度よ~く考えてみよう。

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2009年2月20日 (金)

名古屋市長選挙を考える・6

 河村たかしで行くとなると
 朝日新聞は「asahi.com9時10分」で、名古屋市長選について、「民主県連推薦の伊藤氏、出馬断念へ」を伝えた。「えっ!」と思って読んでみたが、まだ推測記事の域を出ていないものであった。伊藤邦彦氏の発言「24日の党常任幹事会までに自分に推薦決定されなければ、出馬を断念する」も、取りようによっては、県連や党本部への「確認、督促」のようでもあるのだ。他社に記事を見かけないところを見ても、朝日の先走りになるかもしれない。
 一方名古屋市議団の自民の2市議団と公明党の市議団は、細川昌彦氏(54)中京大学教授の推薦、支持を打ち出して、先行して動きだすようだ。これが功を奏することになれば、「さすが自民、崖っ淵に強い」と言わしめかねない。もっとも、伊藤氏も細川氏も新人でしかも知名度は低いから、この二人に限って言えば立候補決定が、2月が3月になっても大差はなかろう。問題は民主が河村で一本化した場合である。
 河村たかしは、痩せても枯れてもそれなりに「政治家」である。自分を取り巻くこの状況を読みに読んでいるに違いない。第一に政治家としての「決断」に全体重を乗せていることであろう。それは市議団、県連、党本部がどうであれ、「推薦なしでも立候補する」という立場を堅持することで、「本気だ、やる気だ」を尖塔のごとく突き出して四囲を圧することである。
 これは反発も呼ぶかなり強権的な手法であるが、今の市議会、市議団を粉砕することは、有権者の支持に比例すると読んでいるのではないか。それは、佐藤夕子市議を誕生させた経験に基づいているようにも思える。しかも、民主党の市議団・県連の、河村を嫌悪する報道がなされればなされるほど、その効果は倍増していくと読んでいるのではないだろうか。ただし、名古屋人の底堅い、堅実な気質を読み違えなければ、であるが。
 朝日によれば、「市議団が河村氏の立候補表明に反発したのは、河村氏が持論として掲げている議員報酬削減や議員のボランティア化などの政策に拒否反応を示したからとみられているが、対立はもっと深刻だ。」とあるが、この記事だけで読み取るとすれば、何がどうなのかは知らないが「対立はもっと深刻だ。」として、前者の「議員報酬削減や議員のボランティア化」を薄めているが、実際は、ここが本当のところではないだろうか。
 政務調査費の問題や、日ごろの議員活動を見ていて、私がその近くにいないから見えない、ということもあるかもしれないが、「さすが名古屋の市議、いうこと、やることが違う」を目にし、耳にすることがないからだ。
 また河村は、当選したあとの「与党少数」も視野に入れているかもしれない。そう考えると、現市議ともう少し「うまくやる」ことも考えないでもないだろう。しかし、うまくやるには時間がなさすぎる、そんなことに腐心している暇はない、勝てばそれが唯一の解決策、そう読んでいるだろうが、実は私もそう思うのだ。身内のもめ事に気を取られるな、相手は有権者だ、これが最大唯一の戦略ではなかろうか。
 何だか、大阪の橋下知事と重なってきてしまった。

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2009年2月19日 (木)

社民党比例東海に坂さん

 起死回生の手は打てるか
 今日の午後立候補の記者会見があると聞いていたが、どうなったであろう。記者の集まり具合にもよるが、間に合えば今日の夕刊、そうでなければ明日の朝刊にどれほどの社が、どれほどのボリュームで報道するかで、マスコミの関心度が読み取れる。
 マスコミの関心は、第一に「当選圏に入りそうな候補か否か」、次に知名度で、「この候補なら、社民党でもかなり票を稼ぎそうだ」となれば、競って寄ってこようが、残念ながら坂さんにはその両方が不足しているといえよう。そうなるとやはり「担ぎ手」とパフォーマンスということになろうか。
 (もう終えているだろうから書くが)もし私が演出するなら、まず地元の記者会見と同時刻で、福島党首を中心に東京で「党公認・第○次衆院選候補者発表」「有力なブロック・候補者」「非正規雇用の課題に取り組む、バイタリティある女性候補」の記者会見を行ってもらう。一方地元では(この人の場合、出身は愛知だが、支援体制は静岡が中心と聞くが、そうなるとどこで?)辻元清美と保坂展人を呼び、地元からも著名人か、大学教授とかで脇を固めて臨む。次に簡潔で挿絵入りの「政策」リーフレットを、記者会見用に特注する。時間は20分程度で短めにして終え、記者が知りたいと思うところを軽く流して、質問で答える工夫をする。最後に取材の便宜を図る、本人と事務局長の携帯電話など連絡先を明らかにする。(これは当然のことで、大抵の場合、名刺でこれに代えるが、名刺をシール式にして3枚ほど渡すのはどうか)
 まあ小手先の工夫ばかりでは有権者の心はつかめないから、以上のことは「しないよりはまし」程度にして、いつ麻生退陣、解散総選挙があるかわからない状況であるから、スタッフ、サポーターとなる人に寄ってもらい、選挙態勢を作り上げることだろう。動き始めることだろう。
 多くの人は仕事を持っているから、会合や行動は週末になりがちだが、そうなると物事は1週間単位で動いていく。あったという間に時間が過ぎてしまうものだ。
 社民党の起死回生の手は何であろうか。坂さんのホームページ・ブログは立ち上がったであろうか。

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2009年2月18日 (水)

議員は、意識拡散、よろよろ症候群

 中川大臣の場合に関連して
 中川大臣財務・金融担当相が、酩酊記者会見で辞任に追い込まれたニュースには驚かされたが、新聞テレビで詳しく報道されているから、ここで繰り返すことはないだろう。
 この不祥事、中川大臣の症状を一言で言うなら「意識拡散、よろよろ症候群」で、それは酒のせいばかりでない。政治家であるという意識が希薄で、政治的、経済的危機状況という認識があいまいで、何をなすべきかの使命感が忘れ去られているといっていいのではないか。恐らくこの症候群は、集団感染していて、安倍、福田、麻生は完全に感染してしまっていることは確かだろう。自民党・公明党の大半、民主党の議員にも広がっているようであるから、日本列島は汚染列島となり、映画さながらといっていい。
 原稿の依頼を受けた時、活動の企画をまかされた時、ミニコミ誌の編集の時など「何をなすべきか、何をなすべきか、何をなすべきか」3度唱えても、いい思いつきが浮かばないことがしばしばある。出てくるのはどれもこれも二番煎じのものばかりだ。“この無能めっ!”と、思わず缶ビールに手を出したくなってしまう、そんな経験はありませんか?私にはよくあるのです。もっともこういう場合は、ビールより、熱いお茶に饅頭の方を選ぶことが多い。作業続行ですからね。
 中川大臣は酒が好きだそうだね。飲んではしょっちゅう醜態を見せていたとか。「あれで意外と気が小さいんですよ」という人もいるとか。なるほど。周囲に持ち上げられては酒にひたり、大役をもらったはいいが、何をしたらいいかわからず、つい酒に手が出てしまう、そんな感じなのか。こわもてで少しは知られた、親父さんの中川一郎さんはどうだったのか。同じような話を聞いたような気もするが、記憶違いか。
 いずれにしても、地方議員を含めて政治家のみなさんの、今は議員としてなにがしかの行動をとることをお勧め、というか期待しています。後援会のバス旅行に行っている場合ですかねえ。
 

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2009年2月12日 (木)

みどりの未来

 日本型緑の党の未来は?
 少し前、「みどりの会議」というのがあって、代表の中村敦夫参院議員が、参院選で落選し総括がなされた後、それっきりになってしまったと思うが、それを引き継いで、2005年2月に「みどりのテーブル」が発足した。その地域組織の一つが「みどり東海」であるが、私はその結成準備会には参加したが、参加をためらった経緯がある。
 私がためらった理由は、準政治団体「みどりのテーブル」を、具体的にイメージできなかったことが第一で、もう一つは、会としての具体的な運動と私の運動領域がオーバーラップしなかった点が大きかった。それは市民運動や地方議員の運動が濃厚で、労働問題、労働運動が希薄だったということでもある。労働問題の分野を私が引き受ければよかったかもしれないが、それまでの数年間、労働運動から離れていたことが、私には致命的に思えたのだった。
 つい最近送られてきたレターによれば、2008年11月22日、全国組織であるその「みどりのテーブル」が、地方議員団体であった「虹と緑」と合流し、「みどりの未来」として再出発したという。将来的には「みどりの党」を結成する方向でもあるという。
 このグループは、ドイツの「緑の党」が背景にあって、「日本型の緑の党」をめざしているのであろう。運動の基軸に「環境・教育・人権」があって、「自然破壊や税金の無駄遣いとなる公共事業を止めさせるための住民運動」<会則第3条(2)>は、かなり重きを置いた活動のようだ。設楽ダム、徳山ダム、COP10は重点課題に挙がっている。
 「みどりの未来」は、次の衆院選挙にかかわらないでパスするらしいが、当然いろんな角度から議論したうえでの結論かと思うが、自前の候補者が持てないからだとしても、なんだかもったいない気がする。
 共産党とは距離があり過ぎるが、社民党とは連携ができそうな気がして、政策のすり合わせなどの政治経験を積み重ねることは、費用対効果からすれば大きいように思うのだが、まあ他に確たる理由があるのだろう。
 私にとってこれらの動きについては、「第3の社会(制度)論」への、道標の一部が見え隠れするようで、少数政党へはさらに関心を高めて行きたいと考えている。
 

  

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2009年2月10日 (火)

名古屋市長選挙を考える・5

剣が峰の河村たかし
 自民党愛知県連が、元中部産業経済局長で現中京大学教授の、細川昌彦氏(54)を擁立すると報じられた。そうなると、自民・公明と民主の二人、それに共産推薦の4人が顔をそろえることになるが、民主の河村衆院議員と伊藤邦彦弁護士の間に調整の余地は皆無でないから、4人か3人かは決めつけられない。
 焦点は河村たかしの動向に絞られる。河村の選択肢は二つしかない。「出るか、出ないか」だけである。しかし、「不退転」を公にして繰り返しているから、「出るに決まっとる!」ということにはなるのだが・・・。
 河村は、民主党の公認予定候補を向こうに回して、市長選挙に出るとして、そのような運動を既に始めているのであろうか(そうは見えないのだが)。あるいは、このまま突っ走れば、民主党県連の決定を粉砕して、共産を除く三つ巴の不利を見た伊藤邦彦氏が、自ら辞退する状況に追い込めるという算段であろうか。
 しかし、である。「共産を除く三つ巴」で勝ち抜く可能性についてであるが、名古屋市の自民・公明連合と民主の差は「10万票」程度ではないかと思われ、一本化なしでは難しい選挙になりそうだ。では、それ覆すほどの人気が河村にあるかというと、名古屋人は、東京、大阪ほど名前だけでは流れない気がするのだが。
 また、仮に伊藤氏が辞退したとして県連は、「10万票差」を維持するための全力投球に切り替わるだろうか。「河村より(元)官僚の方がいい」なんて言い出しそうな気さえするから、河村は、個人的な知名度だけで勝負せざるを得ない。だがテレビに出ている程度では、名古屋人は動かないだろう。
 さて、もう一つのシナリオは、党幹部の説得を前に「断腸の思い」を語って、涙して撤退する(大芝居の)道である。それはそれで、衆院選への道は確保されるが(市長選で落選しても、また衆院選に出るくらいのしたたかさはあろうが)、ジリ貧への道でもあろう。まさに「河村たかし、剣が峰に立たされた」状況ではないだろうか。

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2009年2月 9日 (月)

キューバのこと、もっと知りたい

 第3の社会(制度)論に近づくか
 中日新聞のサンデー版「世界と日本 大図解シリーズ№875」(2/8)では、社会主義国キューバを取り上げていた。
 最近では、映画「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳 別れの手紙」が全国で公開中とのことで、エルネスト・チェ・ゲバラのファンには見過ごせない映画だろう。しかし、サンデー版で取り上げられているのは、むしろ、紛争、貧困、格差、医療、教育の荒廃、自然破壊が顕著になりつつある世界の流れに対して、フィデル・カストロが率いた社会主義国・キューバそのものに焦点を当てていることだ。
 解説の戸井十月(とい じゅうがつ)氏は、「こんな国はどこにもない。 社会主義国なのに官僚的ではない、一党独裁なのに権力の腐敗がない、米国にいじめられ続けてもめげない、貧しいのに明るい、苦しいのに希望に満ちている・・・」「基本的な食糧、教育、医療はだれでも無料。マフィアも暴力団もおらず、スラムもなければストリート・チルドレンもいない。」と書いている。
 どのようにしてそのような国づくりが行われ、まるでユートピアのような社会が出来上がったのか。そして問題があるとすればどんなことだろう。
 世界地図を見ながら、それにしても遠い国だなあ、と思いつつ、「軍隊を持たない国 コスタリカ」は近いし、美しいカリブ海、アマゾンやインカ、マチュピチュの名前が浮かんできて、この中南米というところ何やら、中学生時代に戻って、地図を広げて眺めていた時のような気分になった。
 キューバといえば、私の知るところでは、キューバ円卓会議共同代表のお一人、樋口篤三さんを思い出すが、実は氏の著作はほとんど読んでいない。今度「老兵たちのフォーラム」のテーマに取り上げてもらおうかなと思ったし、「第3の社会(制度)論」に一歩近づくことになるかもしれない、そんな予感すらした。

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2009年2月 6日 (金)

補足的なこと

 衆議院選挙を考える、を考える
 これまで書き綴った「衆議院選挙を考える」の中に、「・・・政治(家)は、現実から目を離してはいけない。人々の暮らしを脅かすものに立ち向かわなくてはならない。それは、『衣・食・住+職』ばかりではなく、広く『人権・環境・教育・文化・情報・地方自治』など、総じて平和で安心、労働と健康が保障される暮らしが続くということではないか。そのうえで、政治(家)は、未来を希望あるものとして語らねばならない。そのために、今、しておかねばならないことを、協同して進めることが大事なことだ。」と書いた。
 これは、具体的な政策を言ったものではなく、いわば政治家なら、こうありたいものだ、と私的な思いを言葉にしたもの。これはこれで独立した「序」であるから構わないと思ったが、もう少し突っ込んでみたい気になった。
 まず、「政治(家)とはかくありたい」というところで、「現実から目を離してはいけない。人々の暮らしを脅かすものに立ち向かわなくてはならない。」と書いたが、まあ、当然といえば当然だ。そこでこれを言葉だけでなく、一人の議員の後ろ姿を想像してみたらどうなるか。「この議員は、人々の暮らしをきちんと見ているだろうか」例えば、スーパーなどに出向いたとして、側近と報道を引き連れたパフォーマンスなのか、実際に献立を考え、食材を買い求めて、調理してみる男性議員はどれほどいるだろうか。
 公園で戯れる子どもたちを見て、どんなことを思いつくことだろう。
 ホテルの最上階のレストランで食事しようが何しようが勝手だが、眼下に広がるビルと家並み、道路、川、緑を見渡して、時には「政治とは何か、私にできることは」と考えることがあるのだろうか。
 「衣食住」は生活の根幹だが、それに「職」を加えた。これは、全トヨタ労働組合(ATU)をサポートする市民の会の「結成宣言」では、「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。」とあり、ポイントを示している。「衣食住」を維持し、それを推し進めるには労働という推進力が必要だ。その労働は、単に「生きる糧」の手段だけでなく、生きる喜びでなければならないし、共同して仕事をすることで、人と人との交わり、存在を認め合う一つの社会を創り出していく。そして「協同」の意思を持ち始めるだろう。労働で過労死し、追い詰められ自ら命を絶ち、物のように職場や寮から放り出される「派遣切り」があっては、労働の喜び足り得ない。
 兵隊にとられ、戦場に送られるようなことがあっては、人々の安心、安寧はあり得ない。では以下の論理を検証したい。「自国の安全、安心、安寧」のために国際平和が必要だ。そのための国際貢献として「平和維持部隊を派遣するのは当然だ」「破壊集団、テロリストが攻撃を仕掛けてくるなら、防御態勢をとらねばならない」「防御とは、相手に撃ち負けないことである」「相手が、2度と攻撃できないようにするには、その拠点を消去することが有効だ」「味方の損害を少なくするためには、大規模に破壊できる兵器で、一気に叩き潰すことが戦略である」「だから平和維持活動費が必要だ、部隊と兵器の増強が必要だ。これで我が国の安全、安心、安寧は保証される」
 そういう歴史を踏んできて、それでどうなったかは誰もが知っているが、また繰り返されようとしている。政治家を志す人はもちろんだが、それを送り出す側も、それなりの覚悟を持つことが、やはり大きいことだと改めて思う。

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2009年2月 4日 (水)

衆議院選挙を考える・13

  選挙の戦略と戦術④
 いよいよ選挙への立候補の決意と大まかな政策の筋道が出来上がり、社民党への支持層、党内事情、選挙態勢がおぼろげであるがわかってきたとしよう。もちろん、あらゆる面で完全ではない、いや、むしろ、このままで選挙戦を闘い抜くことができるのだろうか、という不安は増すばかりだ。(ではないかと推測するのだが)
 しかし、現実から出発するほかないから、端材を拾い集めて小なりとも、新しい家の組み立てを始めねばならない。候補者の愚痴は禁物だ。
5)事前の準備、運動と心得
 最初に、公衆の面前に登場するのは、やはり立候補表明の記者会見であろう。そのタイミングをはかり、記者が興味を示すような露出化を考え、質問にも答えられるための準備などについてはすでに書いた。
  競泳に例えれば彼女は、既に飛び込み台に乗っているはずで、スターティングポーズをとっている段階なのであろう。いつ飛び込み、最初の冷水感覚と潜水の世界の洗礼を受けるのであろうか。
 とにかく、やれること、やっておかねばならぬことがいくらでもある。改めて考えてみれば、その最初は、当然、党との基本的な合意、了解事項の取り決めでなどであるが、これは本人が決めるほかない、とは思うけれども、選挙費用や選挙スタッフの派遣、選挙後の身の振り方(特に落選後)などについては、あいまいにされることが危惧されるから、経験者が付いていないと心配ではある・・・。
  ま、それはそれとして、とにかく選挙を支える中心的スタッフが集まらなければ話にならない。5人~7人は参加してほしいものだが、大丈夫かな。そして、協力・支援を誓ったスタッフとの意思疎通と、政策、戦術などのディスカッションを早く始めないと後が大変じゃないかと思う。サポーターは、スタッフの力量次第で広がっていくだろう。
 そうなると、党の基本政策との擦り合わせもあるが、政策要綱をまとめ、キャッチフレーズ、賛意が得られれば、シンボルマーク・カラー、キャラクターも検討したらいい。街頭で使えるような、のぼり(違反しないもの)もあっていい。そして、費用面の問題もあるが、「内部資料」としての(室内用)ポスターも考えてみる。
 スケジュール表と人物リストを作成し、面談を求めて訪ね歩き、集会、会合には、こまめに顔を出し、何かと印象付ける行動は当然だとしても、その評価、気がついた点のメモも忘れないで、“自己成長”への“脱皮”が繰り返されることによって、新人というリスクを減らしていかねばならないだろう。
 それで、忘れてはいないだろうが、本番用のポスターと選挙葉書の試作、印刷屋への予約(本人写真には撮影期限に定めがある)。郵便振替口座、銀行口座を新たに開設する。え~とそれから、何があったかな。ポスターの掲示板への貼付作業の体制もいずれあがってこよう。そうそう、事前に相談したり、協力要請をしておかねばならない人は抜けていないか・・・。“そんな話、聞いていないよ”といわれるのは実につらいはずだ。やや消極的な人を引き寄せるには、これが立候補の記者会見の後になると、かなり難しくなるのでは?やることはいっぱいだ!
 当人でもスタッフでもないから、気軽にここまで書いてきたが、さすが私も少々疲れてきた。最後に、注意しておかねばならないことをおさらいして、終わりにしよう。
 何と言っても、選挙違反をしないための学習は十分にすべきだろう。一般的な買収、戸別訪問、文書違反などは党の方からも諸注意として出されていよう。
  これも常識の範囲だが、おかしやすい例として、親族、同級生、地元など、久しい関係でも、複数集めて食事したりして協力を依頼することは危険。特に本人、事務長、会計担当者は要注意。連座制で失格もありうる。
  インターネット関連は、本人のホームページ、ブログは、公示後は更新しないのは常識だが、それ以前でも警告が来ることはある。戸別訪問、文書配布などは、違法行為ととられやすいが、「党の機関紙・号外」などは政治活動として許容されるし、他党の例をみていると、グレーゾーンもあるような感じもする。
  次に、金銭トラブルを起こさないことも重要なことだ。俗にいう「工作資金」の名目であれ、何であれ、無用心に現金を渡さない。冠婚葬祭、同窓会、地元行事など一切寄付はできない。代理に持たせてもいけない。運動に必要な出費で、当人が「立て替え」たのか、寄付・カンパしたのかを明確に。とにかく出金は全て領収書付きにする。そのために、ある期間(週毎、月毎)を定めて帳簿の点検を複数で行うことが必要だろう。   
 最後に、競っても争わないことを原則として、対抗する場面では、自己の情熱で応えることだろう。従って、党内、組織内、地元、家族・親族と争わない。先輩、有識者の説諭を聞いても争わない。男性と競っても、争わない、むしろ取り込む。共産党、民主党と競っても争わない。警察、選管とは、主張をしても争わない・・・。
 こうした争い事、もめごと、非難中傷の類を含めて、仲介の労を取る、人生経験豊かな方が頼りになる。おられるだろうか。
 この時点で既に「過去」になっていて、いまさら、という点も多々あっただろうが、私にとっ ても(大した意味は持たないが)おさらいのようなものだった。
  “ほんにごくろうなことやねえ”と、傍から見る限りでは、選挙は面白いことも多いのだが
。(ひとまず、完)

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2009年2月 3日 (火)

衆議院選挙を考える・12

選挙の戦略と戦術③
 公示直前と公示後の選挙運動は、期間限定であるから、効率性や“目玉”となる運動、政見放送への対応など、極めて現実的で待ったなしのスケジュールが待ち構える。とにかく体調を崩さないことだ。
 さて、私もかかわったことのない衆議院の比例区(東海)ではどんな選挙をすればいいのだろうか。単純に考えて、選挙区選挙より、知事選挙、参院選挙をベースにして考えた方がいいかもしれない。そのうえで他県との連携を考慮するわけだが、それは県連レベルに任せるほかないだろう。ただ、基本姿勢は固くしておかないと、東海4県を右往左往させられる可能性がる。
4)戦略的なことを概略考えると
 まず大まかに言って、東海ブロックの戦略的配分として 愛知「4」、静岡、岐阜、三重はそれぞれ「2」として、選挙スケジュールを組み立てる、という案が考えられる。他に比例区単独の候補者がいる場合は、そことの調整が欠かせないが、いずれにしても地元重視に変わりはないだろう。
  では各県ごとにざっと見てみよう。
  概観して保守王国といわれる岐阜県であるが、長良川河口堰問題、徳山ダム問題と連動する木曽三川の水問題は、愛知、三重に関係するから軽視できない。東濃地区の核のゴミの超深層地下埋め立て問題や、ゴミ処理場問題などを考えると、社民党の政策の中心課題でもあるから、上位にランクさせるかどうか悩ましい問題であろう。
 三重県は民主党が強そうだ。どう挑むか。頼りは、線は細くなっているであろうが、旧社会党の支持層で、中間派から左派層だった人たちや、そのDNAを引き継いでいる労組、元議員の水脈をたどることであろうか。
 また、四日市公害は公害の原点の一つでもあるし、今は石原産業が新たな公害の発生源になっているから、産業政策と公害問題をうまく絡めれば、食い込むことができるかもしれない。
 静岡県は、愛知に次ぐ有権者の多い県であるが、東部・伊豆地区、静岡市中心の中部、浜松市中心の西部の三つの地区に分けて考えた方がいいかもしれない。また、民主党と自民党の勢力が伯仲していると思われ、少数政党は埋没しかねない。
  だがやはり重点は、浜松、豊橋を中心とする「三遠地区」になろうか。票にはならないかもしれないが、派遣労働者や外国人労働者が働く工場、下請け企業が多い。そうした地域に入ることで、党の重点政策を伝えることができようから、「選挙なんか行かない、あてにしない」層を掘り起こすことができるかもしれない。
 次に、「立候補の記者会見」というセレモニーがある。通常は、愛知県庁にある県政記者クラブで会見を開くことになるが、せっかくのセレモニーを記者だけを相手にするのは少々もったいない!ということで、 1999年の知事選挙の影山候補の記者会見は、なんと繁華街・栄の「三越前」で行われた。
 候補者の知名度が低いなら、せめて著名人の一人くらいは呼んで、「この時代だからこそ、彼女の出番が必要です」くらいの応援をしてくれる、例えば、社民党なのだから辻元清美議員を呼び寄せるくらいでないととても・・・という感じである。そのためには当然、辻元の日程が優先で、早く予約を取らねばならない。また、同時発表できる「推薦人」の名簿も用意したい。
 社民党に、支援組織といえる組織がどれほどあるのだろうか。まずは地方議員。これも多くはないだろうから、無所属の女性議員の応援と推薦をとることから始める。「前」「元」のほか、落選したが、立候補経験者も含めたらいい。数は少ないだろうが労組との連携は、民主党支持層から、こぼれる落ちることも想定しておくべきかもしれない。
 地方議員、労組を基盤としながらもやはり現実的には、自発的な市民組織が立ち上がってこないとかなり苦しいだろう。おなじみの「勝手連」の立ち上げを期待し、その根回しを水面下で強力に推し進めることがポイントではないだろうか。
 次に、著名人、タレント候補でない場合、支持票をどの階層に求めるかを想定しないと、戦術がぶれ、拡散してしまう危険性がある。極端に絞り込む必要はないが、限られた時間であれば、呼び掛けの層を特定化することも戦術なのだと思う。例えば、女性を意識するとすれば、30代からの中高年が対象ではないだろうか。それも、立候補の決意に沿って言えば、非正規雇用労働者、特にパート労働者が重点となろう。
 もう一つは、この社会では疎外されてきた、縁の下の力持ちである福祉関係者と障害者。そして高齢者を重視したらどうだろうか。政策的な絞り込み、アピール性がポイントになる。
 そうすると、街頭演説などは、主として、「スーパーマーケット」「ショッピングモール」「アーケード・商店街」「市場」を重点に置くのも一策。また、中小零細企業の工場地域に足を運ぶのも一策だが、企業や連合などの労組の締め付けが強いし、公明党、共産党とも競合になることは避け難い。
 名駅、金山、岡崎、豊橋、一宮などのターミナルでは、出勤時、帰宅時が狙いだが、党名を浸透させることが最重点だから、著名人を呼んだ時、来県した時を重点に置く方がいいかもしれない。 
(続く)
 

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2009年2月 2日 (月)

衆議院選挙を考える・11

選挙の戦略と戦術②
3)選挙運動の資金
  選挙に立候補するとなれば、お金がかかることは事実だ。だが、選挙資金がないから立候補できないかといえば、必ずしもそうとはいえない。私が見てきた、幾らか支援した選挙の多くは、候補者は資金が少ないまま選挙に打って出ている。
 だがそこには、“この人を是非、議会に送りたい、首長になってもらいたい”という期待と、希望を抱かせる状況が波打っていないと、お金は集まって来ないし、当選への道程が見えてこない。候補者の情熱、見識、弁舌があって、内側に人間的な魅力、政治的力量、過去の実績などが秘められていることが、人を引き寄せ、知恵とお金を寄せてくれるのではないだろうか。
  いずれにしても、最少限の運動資金を心がけたとしても、とにかくお金がかかる。そして、お金の入口は狭く、出口は広いのだ。出金の引き締めと有効投資の判断は難しいものがある。また、運動をする人の人件費関連では、「ボランテア」を基本にするのは言うまでもないが、ある程度の裁量権を事務長にもたせ、極端な個人負担がないようにすべきだろう。お金に関して候補者には、心理的負担をかけないため、全体の流れと上限の報告にとどめ、細部への関与をさせない方がいいと思われる。
  話はそれるが、一昔前の選挙事務所は、“炊き出し”が大きな仕事で、後援会、家族の女性が交代で賄っていた。運動員だけでなく、激励に来る人にも振舞っていた。それから賄いが大変ということで、近くの食堂で使えるチケットを配る方法になったりしたが、もちろん今では禁止になっている。候補者も外食が多いのではないだろうか。だから“付き人”は、メニューまで気を配らなくてはならない。
  さて、公選法の補助もあるが、どんなところにお金が出ていくのだろうか。
①共託金(比例区は600万円、没収は、当選者の2倍を超える人数分) ②事務所設置費用(家賃、看板、仮設電話、電気工事、備品を含む)③ 街宣車費用(看板、スピーカー付) ④人件費、食料費(扱いは法定内で、慎重を期する) ⑤ポスター(内部資料用、追加分)、選挙葉書製作費 ⑥交通費、燃料費、通信費 ⑦その他。
 次に収入の例としては、 党中央または県連、支部からの資金供給。篤志家の寄付と一般からのカンパ。自己資金ということになる。党の要請を受ける形で立候補するなら、党に対して、大胆にバックアップを要請しても構わないと考えられるが、現実はそうもいかないかもしれない。
 尚、法定選挙費用には上限があるから、会計(出納責任者)は、厳重な資金運用管理が必要である。オーバーすると、公選法違反で罰則と、連座制による当選者の失格もありうるので注意が必要だ。ここに経験者とそうでない人の「苦労の差」と「ミスの差」が出るようだ。 
(続く)

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2009年1月31日 (土)

衆議院選挙を考える・10

 選挙の戦略と戦術①
 社民党・比例東海の候補予定者、坂喜代子さんの立場を借り、彼女への多少の応援をも兼ねて、選挙戦に臨む戦略の概略を試みてきた。もう少し整理して、「C&Lリンクス愛知」にまとめてみようかなと思っているが、どうなるか。
 では、勝つ選挙をどう闘うか、という以前に、選挙に取り組むとなるとどんなことを考え、準備しなければならないか、私の経験をもとにメモしてみることにした。
1)選対事務所の立ち上げ
  選対事務所とは、人が寄る「場所(スペース)」であり、戦術を立てる「会議場(幕の内)」であり、人と物と情報を迎え、送り出す「お店(兵站)」でもある。そこで、人が寄るに便利で、目立つ場所を確保し、適度な広さ(会議室、作業室、来客間、台所・食堂)があれば言うことなし。机、椅子は多めに。電話・FAX,パソコン、コピー機、印刷機、携帯電話は必需品か。他に保管棚(チラシ・リーフレット、選挙葉書、地図や選挙法関連書籍など)、食器棚(食器、茶器、食べ物などの保管)。冷蔵庫、事務長、次長とチーフスタッフ専用の机と椅子と電話があればいい。
 率直にいえばお金がかかるので、費用や物件の難しさから、自宅を改造して、事務所とすることもあり得る。
2)選対スタッフ
  選対スタッフとは、「後援会長」「事務長」「事務次長」「会計」「スタッフ」などで構成される。
① 「後援会長」は、応援団の「顔」になり、来客、報道対応と演説会の主役になる。可能なら街頭に立ってもらう。
② 「事務長」は、すべてを取り仕切る最重要ポストで、公職選挙法に通じ、党、労組、団体などの折衝、選挙戦略、戦術の起案もしくは募集を行って全体化する。候補者の日程・スケジュールと健康管理、報道、来客、意見と苦情の対応、地元対策もある。会議の主導、報告、ニュースなどの内部資料の作成などなど。
 ここで重要なのは、報道各社からくるアンケートのライターで、事務長の仕事から切り離して、専門スタッフとして配置することが望ましい。
③「事務次長」は、事務長の手となり、足となり、頭となって、あらゆる面で補佐する。男女二人ほどで、運転免許、パソコン駆使が出来ればなおいい。一人は、「秘書」役に専念することもある。
④ 「会計」これは、公職選挙法に基づく会計処理が必要で、選管に届け出る。事務長に次ぐ重要ポストで、かなりの知識なり経験を必要とするが、選管に通って教えを請えば、何とかこなすことはできる。お金の出し入れと記録はもちろんだが、領収書の管理がポイント。専念させることも大事だ。
⑤ 「スタッフ」は、事務長の指示のもとに動く。運転免許を持ち、車を提供し、パソコンをこなし、電話戦術、選挙葉書、チラシ配り、ポスター貼り、買い出しと食事当番(提供の対象は、極めて限定される)、事務所の掃除、整理整頓・飾りつけに携わるなど、いろいろある。複数で役割分担しつつ、臨機応変に仕事ができることが望ましい。
⑥ 服飾、髪型、スピーチ、アクションなどの「演技、演出、衣装」に詳しい人の協力も欠かせない。ポスター用の写真はセミプロ級に依頼したい。
⑦ 家族は、候補者の食事と睡眠の確保、地元の人たち、親戚関係、知人、友人などの円滑化に努める。

 他に「選挙運動の資金」「実際の準備など」「事前運動の準備」「諸注意」などがあるが次回。 (続く)

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2009年1月30日 (金)

衆議院選挙を考える・9

  党のイメージアップあってこそ
 今度の選挙でどれほど支持を得られるかどうかは別として、社民党という党の知名度はかなりあるといっていいだろう。比例区は「党名」を書くことになるから、実は比例区の候補者の知名度はそれほど高くなくてもいいように思われる。党の中央が、国会で、街頭でいかに華々しく動いて、アピールするかが、比例区の候補者の当落につながるだろう。それは、社民党という「党の存在感」を、どのように有権者にアピールして受け入れてもらえるかに尽きる。
 では有権者は、社民党(たぶん共産党も)に、どんな役割を期待しているのだろうか。
私の見解はこうである。まず、今回の衆議院選挙で「政権交代」が実現するという前提で考えると、民主党中心の政権がどんな政策を打ち出し、現状を打破するかは未知数だが、「二大政党」による政権交代が続くようであれば、社民党も共産党も、連立政権に加わらなければ、少数でも「野党」という位置付けになる。
 「二大政党」による政権交代が支持されることがあっても、実はもう一方に「オール与党の弊害」という考えも深く浸透している。「二大政党」が政権交代の都度、与野党の立場になる、という論理もあるが、自民党と民主党の過去の実績からしてその違いは小さく、イギリスの保守党と労働党ほどの違いはない。とすれば、少々乱暴だが、政権を担う「二大政党」は与党、その他は野党と規定してしまえばいい。そして、そこに活路を見出して野党としての立場、運動を徹底してやればいい。徐々に力をつけ、しかるべき時に連立政権に参加していくのも一つではなかろうか。
 もう一つは繰り返しになるが、「第三潮流」として、「二大政党」間に分け入って、キャスティングボートを握る位置を占める立場である。当面は、政権参加には目もくれず、政権の不正、腐敗、マンネリを追及し、高度でしかも現実的な政治判断を持って政局に関与していくこと。さらに、近未来的理想政権(政治)の構想に磨きをかけることだ。それをアピールし続けることである。
 さらにもう一点は、各界、各層の「マイノリティ」を代表する位置を獲得する道である。「マイノリティ」といっても、それは単に「少数派」を意味するだけではない。この社会では、「権力、富、情報」を保持しているのが「小数」であって、もともと小数の集合体が、大樹に寄り添っているだけではないのかと、私は見ている。
 会社組合といわれる「労使協調、御用組合」などあてにしないで、自らの意思で、職場、職種、雇用形態、国籍の違いを超えて、少数組合「ユニオン」が結成され、存在感を大きくしている例は、示唆的であろう。
 「彼女」の知名度は低いといっていいだろう。タレント議員よろしく、名前だけで票を獲得することはできないうえに、所属する社民党の人気も芳しくない。だから選挙準備は一通りのことはすべきだが、とにかく党のイメージをアップする方策をとことん追求した方がいいのではないだろうか。
(続く)

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2009年1月29日 (木)

衆議院選挙を考える・8

 立候補には、決意の確信と政策を持たねばならない
 「彼女」は今どうしているだろう。あちこちに推薦、支援をもらうために走り回っているのだろうか。その心の中では、晴れて議員として活動できる姿を想像しつつ、様々な不安もかきたてているに違いない。そばに支えてくれる人がいるのだろうか。仕事、家事、お金でトラブルを起こしていないだろうか。
 ま、いいか、それほど付き合いがあるわけではないし、支援を約束したわけでもないのだから。
 それはそれとして、やはり選挙に出る以上は、「何で立候補するのか」が大切で、この信念が揺らぐと、選挙という代物は、実に厄介な怪物のような気がするが、選挙に立候補して落選した人は、どんな感想をお持ちであろうか。(意外とこの感想は、聞いていない気がするが)
 今一度、彼女の立場になったと仮定して、「・・・私には、自分の人生が完全であったとはとても言えないが、それなりに確信めいたことがある。その一つは、(男の立場からは言いにくいが)日本であれ、世界であれ、この歴史の中の“過ち”の多くは、女性が政(まつりごと)に関わることが少なかったからではないだろうかと。(別段、女性賛歌を言うつもりはないが)結果がそう示しているような気がするのだ。」
 ここに、女性を少しでも多く議会へ送りたい私の気持ちが働くのである。これまでも、何人かの女性候補者を応援してきた。
 彼女の経歴から、昨今の「派遣切り」の問題を考えるとき、「長くパートタイマーとして働いてきて、勤務内容や勤勉さとは関係なく、学歴や、新卒者か業歴者か、あるいは男性か女性か、正規雇用かパートかの、雇用形態の違いなどによって、処遇が決められてしまう理不尽が当たり前になっていて、労働組合も何もしなかった。そのような不遇な人たちは結構多くいて、自分の将来に展望を持てないでいる現実は、今すぐにでも変えなければならない。」
 この二つは、「何のために」の軸になるのではないだろうか。
 次にやはり、「政策の柱」をどのように立てるかがポインであろう。私流に考えてみると、まず、この時代に、しっかりと向き合うことが大切だ。
 「・・・日々の暮らしを見つめ、その居心地の悪さがどこから来ているか、今一度、世界に目を向けて見直してみる必要がある。また『地球的にものを考え、地域で行動する』というこれまでの考えを引き継ぎ、忘れてはならない。」「・・・子供や孫たちを見ていると、この子らの未来は、苦難の道であってもその先に希望の灯りを見出すことのできる世界なのだろうか、それとも、絶望の淵に立たされたままの世界なのだろうかと考えてしまう。未来のことはわからないが、かくあってほしいという思いを込めて、“布石”を打つことはできる」
 「・・・政治(家)は、現実から目を離してはいけない。人々の暮らしを脅かすものに立ち向かわなくてはならない。それは、『衣・食・住+職』ばかりではなく、広く『人権・環境・教育・文化・情報・地方自治』など、総じて平和で安心、労働と健康が保障される暮らしが続くということではないか。そのうえで、政治(家)は、未来を希望あるものとして語らねばならない。そのために、今、しておかねばならないことを、協同して進めることが大事なことだ。」
 ここまで来て、「前段」ではあっても、抽象論ばかりで具体論がないと感じた。細部まではともかく、政治を幅広くとらえておかねばならない。彼女の場合、女性の目線、暮らしが原点となろうが、政治家をめざす以上、理想を高く掲げ、政治を幅広くとらえてほしいものだと思う。私が書くとしたら、
 「・・・平和憲法を守り抜き、武力で平和は築けないことを、世論としてしっかり根付かせたい。自衛隊の海外派兵はもちろんさせないし、規模も縮小していく代わりに、海上保安庁を強化する。
 地球の温暖化の問題は緊急課題だ。今の状況からすれば、『京都議定書』の水準はもとより、もう1段階上をめざす議論があっていい。また、大気、土壌、河川・海洋汚染の防止と復元、森林資源保護、砂漠化の阻止は、世界規模で取り組まねばならず、国連の役割でもある。
 戦後政治は、ほぼ米国一辺倒の外交であり、その有効な部分もあったであろうが、今は大きな転換点に差し掛かっているとみるべきだ。対米関係の見直しは、日本の自立、アジア外交の重視から必然的なものがある。『平和憲法、環境技術、ものづくりの技術、医療支援』をもって、世界平和と安定に寄与する外交が必要だと考る。
 政権交代は必要だが、二大政党でなければならない理由はない。第三の政治勢力の存在で、政治のバランスと少数意見の反映の機会が必要であると考える。社民党は、そのような役割を担うにふさわしい政党であり、有権者から求められていると考える。
 非正規雇用の問題は、女性と障害者にその原点があることを訴え、景気に左右されない雇用政策を求めていく。障害者の自立支援、男女協同のもと、女性が仕事と子育てを両立させることのできる環境の整備を進める。
 農林水産業など第一次産業の復興は、食料自給率、地球資源問題などから重要課題だが、農山村、集落をなくしてはいけない。そうした地域の病院、お店、郵便局などは、国の力で維持していくべきだ。
 医療、介護、年金は、高齢者の問題であると同時に、現役世代の近未来的課題であり、税制と国家予算の配分にしっかりと取り組んでいきたい。云々」
 この不況、この不安・不信の時代であればこそ、政治が輝きを持たねばならない。人々が見つめ、胸をときめかす政治が求められるが、立候補者は、より具体的で身近な課題を織り込み、政策としてさらに練り上げたものを、できるだけ早く明らかにした方がよい。
 そのようにして支援者を拡大していかねば、今の社民党の組織では、東海で1~2議席はとても取れない。ところで彼女の名簿順位は? (続く)

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2009年1月24日 (土)

衆議院選挙を考える・7

 もし、私が候補者なら
  衆議院選挙がいつあるかわからない。5月説もあれば、9月満期説もある。
  こういう場合、成行きに任せておくか、「衆議院解散運動」か「麻生内閣打倒運動」でも起こして(その運動に乗っかって)政治的打開の道を切り開くかだろう。
  だが、どの政党も表立った運動をしているようには見えない。確かに、テレビや新聞の一部には、そのような発言や論調もあるにはあるのだが、何と言うか、迫るものがない。それで先だっては、「渡辺喜美の場合」を書いてみたのだが、発言通り離党して「新党」へ踏み出す姿勢を見せているから注目はしていきたい。
  さて私の場合、「政治談義がない、政治サロンが必要だ」と言いつつ、その機会を創り出す側に立たず、会合の場で持論を控えめに披露するくらいである。10年若かったら・・・20年若かったら・・・と思わないでもないが、本質的には、今できないことは、これまでもできないことの延長にあるのだから、結果は同じである。
  そこで、あり得ないことではあるが、仮に近々衆議院選挙があるとして、私がある政党から推薦を受けて、立候補するとしたなら、まずどんなことを考えるだろうと、推測してみた。
「私にとっては未踏の世界だ。応援することはあっても、当該になることはあり得ないことで、まさに青天の霹靂である ― しかしどうであれ、初めて公職の選挙に立候補する意思を固めた以上、腹をくくらねばならない。そこではっきりさせておこう。この選挙に立候補する気になったのは、話をもちこんできた某政党の、プロパガンダ(政治的宣伝)の具として使われるためではない。あくまで当選を期して、議会活動を現実なものに引き寄せるためである。ここは、選挙という“戦(いくさ)”を戦う、おおきな“分水嶺”であることを自分に言い聞かせるぞ。この党には借りも何もないのだから。これは、“選挙に出る以上誰だって、当選をめざすのは当たり前”という一般論を言っているのではないのだ。
 共産党を見よ!今回は少なめといわれるが、選挙区に多くの候補者を立てるのは、比例区の票の底上げが戦略としてあることは一目瞭然であろう。それでも『党員』は、党の躍進を信じて選挙を闘うのである。党の中央にとっては、「捨石」も、戦略上大きな要素なのだ。
 だが私は違うぞ、党員でもない私が、(候補者がいないから)あえて推薦を受けたことは、党の総力を持って体制を組んでもらわねば困る。それが条件だ。総力とは、人、組織、資金、知恵全てである。」
 それにしても、何のために選挙に立候補する気になったのか、自分のやりたいこととは何だ?政見、政策論、見通しをどこまで考えたといえるのか!
 とまあこんな具合で、実際「決意」「政策」「選挙戦略」「人とお金」の準備を早急に取り揃え、「公職選挙法」の学習を始めねばならない・・・。やっぱりこりゃあ無理だ、架空の話でよかった!
 ところで社民党・比例東海に出るらしい彼女は、どこまで準備が進んでいるのだろう。少々気になってきた。

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2009年1月21日 (水)

オバマの就任演説を読む

 それぞれ、置き代えて考えれば
 これまで、私はアメリカ大統領の就任演説も、日本の首相の所信表明演説も、まともに読んだことがなかった。何故だろう?政治、経済、社会、世界それぞれに関心を持っていても、その時のリーダーの思想、意気、心底を読もうという気が起きなかったのだろう。「何が言いたいかではなく、何をするかだ」「何をするかだけでなく、どこまで貫徹するかだ」と思っていたからだと思うが、政策に必要な法案と予算が上がってくることの方に関心があったような気がする。
 さて、邦訳された全文を読み終えるのに20数分かかった。こんなに長いものだったのか、が第一印象。政策全体に目が行っていて、それぞれ分析していけば、経済政策、安全保障政策、環境政策などの「総論」になるのだろうと思った。
 「われわれはいま危機の真っただ中にある。」「この国の政治を抑圧してきた卑小な恨み言や誤った約束、使い古された教義に別れを告げる。」「米国の偉大さは所与のものではない。自らつかみ取らなくてはならない。・・・繁栄や自由へと続く長い険しい道に導いてきた、多くは無名の労働者たちのためにある。」
 ここらあたりが前文になろうか。危機意識は誰にもあろうが、危機にあって、危機を「克服」し、「より良い歴史」をつくのは労働者だ、「臆病(おくびょう)で名声や富だけを欲する者たちのためではない」という。富裕層、中間層の上位層の危機感が芽生えそうである。また、民主党の基盤の一つは労働組合であるが、労働組合=日本的左翼とはいえないだろうから、米国の団結=愛国精神が保守的・排他的にならないか、見守ろう。
 経済問題は、「大胆で早急な行動が必要だ」ということで、可及的速やかに且つ国の総力をあげて行動するとあるが、これはひょっとして「真珠湾攻撃を受けた」状況を裏写しているのではないか。国力を上げて、戦闘機、爆撃機、戦艦、空母、銃砲弾などの兵器の開発と増産をしたように。切り札の原爆(電気自動車、ITなど)開発までも。
 国家安全保障と外交面では、まず、イラクから撤退、アフガン増強という路線を堅持しているが、「イスラム世界に対しては、相互の利益と尊重に基づき前進する新たな道を希求する。」として、軍事一本やりでは解決しないことを自覚してのことだろう。
 「貧しき国々の人々には、田畑が豊かに実るよう、清潔な水があふれるよう、共に働くと誓おう。飢えた体に滋養を注ぎ、やせ細った心を癒やすために。」これは、社会主義観から言っているのではないけれども、「人間」としてみれば、主義を超えてこのようになるのだろう。自国は、幾らかは豊かな国であるという自覚も反映している。
 それにしても「国連」という言葉が出てこないが、「先の世代の人々が、ファシズムや共産主義と対決したのはミサイルや戦車の力だけではなく、確固たる同盟関係と信念であったことを思い起こしてほしい。」ということは、「国連の決議」より、「同盟国」との関係を優先するということであろうか。この先、ロシアや中国とは、様々な局面で利害対立は避けられない。その都度国連総会決議、安保理の決議を待ち、期待するのは何もしないのと同じ、という脈絡であろうか。
 仮にこういうことになると、小沢民主党の「自衛隊の海外派兵」路線は破綻するだろうから、注意をしていく必要がある。
 「われわれは新しい仕事をつくり出すだけでなく、新たな成長の基盤を築くため行動する。・・・自動車の燃料や工場の動力のため太陽や風力、土壌を利用する。新しい時代の要望に応じるため学校や大学を改革する。」
 これは、環境問題重視の一端であるが、「食料より燃料なのか、オバマよ」といわねばならないだろう。また産学官共同も、あまりに「アメリカ的」といえばそれまでだが、「オバマは保守的」と言って切り捨てずに、環境技術には、全世界で特許権、独占権を与えず、万国共有という視点を提示したらどうだろうか。
 最後に、「われわれはいま一度先頭に立つ用意がある」「米国は新たな平和の時代への先導役を務めねばならない。」という気概が、軍事力だけではないと述べているから、そのリーダーシップを期待しよう、ただし、すべてに「オレが、オレが」では困る。アメリカよ、オバマさんよ、あなたも「宇宙船地球号」の一員なのだから。
 「われわれの成功は、勤勉、正直、勇気、フェアプレー、寛容、好奇心、誠実、愛国心にかかっている。」
 わが「私生活」にも取り入れたいものだ。

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2009年1月18日 (日)

衆議院選挙を考える・6

 昨年の10月26日に「衆議院解散総選挙2・(2)」、11月15日に「解散総選挙は来春?」、12月2日に「年内総選挙はあるか」、1月15日に「渡辺喜美の場合」を書いているので、タイトルを「衆議院選挙を考える」に変えて、続編とする。今回は6回目となる。

社民党・比例東海の場合
 名古屋ふれあいユニオン運営委員長の酒井徹さんの「酒井徹の日々改善」によれば、社民党愛知県連は、去る1月11日に、来る衆議院選挙の比例代表・東海ブロック(静岡、愛知、岐阜、三重)の候補者に、坂喜代子さんを擁立すると発表したという。
 現時点で社民党は、複数を擁立するのか、小選挙区立候補者の重複立候補者はいるのか、名簿順位をどうするのかなど明らかにしていないが、2003年に大島令子さんが当選した当時に比べ、社民党を取り巻く情勢は厳しいものがあり、坂さんの選挙も、超えるハードルは高くて数も多いことだろう。
 何が厳しいかといえば、社民党の看板そのものが輝きを欠いているのが第一で、愛知県連の存在感はまるでないという印象を私は持っている。第二に、「政権交代論」「二大政党論」が闊歩する中で、少数政党は埋没を余儀なくされ、辻元清美や保坂展人など個人的な魅力だけで議席を確保している現状がある。第三に、共産党にしろ、旧社会党にしろ、労組・党幹部や、いわゆる知識人といわれる議員もいないわけではないが、衆議員の多くは、労働運動、住民運動、市民運動など、在野の運動から推されて国会へ送られた議員が多かったのではないだろうか。(昨今はその傾向は薄いようであるが)そうすると、党自体が、在野の運動の先頭にいるという印象をもたれないと、「党名」を書いてくれないだろう。社民党(愛知県連)が、そうした運動ではどこにいたかが、改めて問われると思うのである。
 さて、坂喜代子さんの場合であるが、彼女が、非正規雇用労働者として30年、自らの処遇とその改善を求め、とりわけ「パート労働法」「改正パート労働法」と向き合い、闘ってきた実績は、酒井さんが言うように確かなものであったに違いない。
 「『もう私が国会に行くしかない!』坂さんは決断した」(ブログ・酒井徹)、という彼女の思いは、昨年、私も聞かされていた。だが私は「自重する」よう勧めた。社民党からの立候補が、そこでしかない(立候補の機会)という背景は理解できても、やはり、私の社民党を見る目からは、賛意を送れなかった。それともう一つは、仮に落選してしまった場合の、本人の“後遺症”と、社民党色が色濃く出ることの、その後の運動への影響を心配してのことだった。
 ともあれ、いずれ立候補が正式なものとなり、運動が始まるであろうから、私も改めて「決断」をしなければならない。少なくとも、「政権交代論」と「第3極論」を天秤にかける必要がある。 
(続く)

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2009年1月13日 (火)

何かが動いているのか、動き出すのか

 背を向ける不安もある
 私のパソコンに入ってくる最近の情報は、「ガザの悲劇-イスラエルの蛮行」「緊急課題-路頭に迷う非正規雇用労働者」「減産とクビ切りオンパレードの自動車関連」「浜岡原発の新段階」の4つが主なものである。
 これに「果てしなく、出口の見えない中東問題」「オバマ氏の大統領就任と麻生内閣の体たらく」「トヨタの企業体質、企業倫理と御手洗経団連会長」「原発事故の恐怖、エネルギー問題、地球温暖化」などを重ね合わせると、「非日常、別世界、無関係」とは到底思えない何かが動いている感じを否めない。
 中東のそれは、パレスチナ、イスラエルだけでなく、イラク、イラン問題が二重、三重の層をなしているのであり「世界の火薬庫」を、改めて想起させる。同時にイスラムの国パキスタン、アフガニスタン、インドネシアへと広がっていくことだってありうる。オバマ新大統領がアフガンで足元をすくわれるようでは、アメリカの国内問題の解決が遅れ、世界経済はいっそう停滞、混迷を深めることだってあり得るし、対ロシアの関係も悪化する可能性も否定できない。世界の不安定化である。
 日本の政治状況、まして麻生の体たらくをどういえばいいのか。何せ、私たちは自民党に圧倒的多数を与え、彼を首相の座に据えた有権者でもあるのだから、ボロクソに言うだけでは済まされない。解散総選挙を先延ばしして、時間稼ぎをして、情勢の好転を人任せに待つのか、それとも“奇策”でも考えようとしているのか、麻生は。
 民主党政権に期待できるかどうかは別問題で、この閉塞感を打破するには、解散総選挙しかないと考える人は多くなっているのではないか。そして、それは小泉元首相の「劇場型政治」とは決別した、有権者が“動く”ことによって新たな展開がないとはいえない。
 不安要因は政治や経済だけではない。パニック映画そのものではなくても、気候変動、地球温暖化、大気、河川、海洋、土壌の汚染の進行は、得体知れぬ疫病・健康障害を招来するかもしれない。東海大地震、(浜岡)原発の事故は同時発生の可能性があるから、そんなことは想像したくないほどである。
 このような不安や恐怖は、誰にもあるだろうけれども、多くは日常性の中で忘れるか、「その時はその時」と高を括って、あえてストレスを持ちこまない意識が無意識のうちに働いているのかもしれない。
 いや、いっそのことラジオだけは接続して、新聞の購読をやめ、インターネットを遮断し、テレビをWOWOWだけにするか。あとは家事と読書三昧の生活ならば、「不安も恐怖」かなり薄らぐのではあるまいか。
 だがそのようなことは、できないことと分かっているから、せめてしっかり向き合いたいものだと思う。背を向ける方がより不安なのである。現場への足が遠のいているのが、自分でも気がかりではあるが。

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2009年1月12日 (月)

白リン弾の恐怖

 人殺し兵器に、人道上も何もないとはいえ
 戦争の兵器は、大小5万とあるだろうが、私たちが目にするもの、記憶にあるものなどたかが知れているだろう。ここ最近、実際に使われた兵器のうち、生物・化学兵器を除いた爆弾類では、「非人道的兵器」といわれる、ナパーム弾、劣化ウラン弾、クラスター爆弾を思い起こすが、今朝の新聞、夜のテレビで報道されたものに「白リン弾」が登場した。
 毎日新聞が報じた白リン弾の説明には、【ことば】空気と反応して発火、発煙する兵器。ざんごうの敵兵をいぶり出したり、対戦車砲に対する煙幕として有効とされる。消火が極めて困難なことや、人体への被害が大きいことから「人間を焼き尽くす兵器」とも言われる。とあったが、テレビでは「2500度にも達して、人体の骨まで焼き尽くす」と言っていた。想像するだけで背筋が寒くなる。
 そこでふと思い出した。もう半世紀以上も前の昔話。少年雑誌の連載漫画「赤胴鈴之助」にも、人を溶かす「水」を「水鉄砲」に仕込んで悪事を働く悪人が登場するストーリーがあった。それが濃硫酸だったのか白燐だったのかは知らないが、ともかく作者は、そのような兵器を知っていたか、想像したに違いない。それが2009年の現在、実際に使われようとは。
 毎日の報道は、「・・・国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は10日、イスラエル軍がパレスチナ自治区ガザ地区侵攻で、『非人道性』が指摘されている『白リン弾』を使用している可能性が高いと指摘した。HRWは、世界で最も人口密度が高い地域の一つであるガザ地区での白リン弾使用は、国際法に違反する可能性があるとし、イスラエル軍に同弾の使用停止を求めている。」とあり、「イスラエル軍は06年夏の第2次レバノン戦争での白リン弾使用を認めている。今回の侵攻に関しては毎日新聞に対し、『白リン弾は使用していない。使用した兵器の種類については答えられない』とコメントしている。
 米軍も04年11月にイラク西部のファルージャ攻撃で同弾を使用、多数の市民に被害が出た。イスラエル、米国ともCCW(特定通常兵器使用禁止制限条約)第3議定書を批准していない。」だから、「ハマースが悪い」を口実に米国は黙認しているのだろう。
 戦争でどちらに正当性があるかの議論ではなく、まず第一に戦争をやめさせることと、このような兵器を使わせないことが求められているのだ。イスラエルもアメリカも、自国の利益のためには、国際世論、“人道上”、「市民らの非戦闘員」にかかわりなく平気で蛮行を行うことで、「平和」「人道的」などという表現は使える立場を放棄した。もっとも、両国以外でも“紛争”で「非人道的兵器」を使ったケースもあるから、核兵器、生物化学兵器、非人道的兵器の廃絶は、この地球上では永遠にできないことだろうか。
 「人間に知恵ほど悪い物はなし」(上島 鬼貫)という句があるそうな。

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2009年1月 5日 (月)

渡辺喜美の場合

 その政治行動は評価するが
 自民党の渡辺喜美衆院議員が、「早期の衆議院解散や定額給付金の撤回」を求めて、受け入れられないのなら自民党を離党するという。麻生首相は、2009年度予算成立前の解散は考えていないというから、事実上「離党声明」だと報じられている。
 最近の言動から「時間の問題」と言われていた渡辺議員の行動は、「政局」での議員の在り方に一石を投じたことになるが、その波紋が広がるか、ポチャンで終わるかは注目される。
 衆議院議員は「代議士」とも呼ばれる。その呼び名の歴史的経緯はさておくとして、私は「義士」という言葉に目が行く。「義士とは、節義を固く守る人士」「節義とは、固くとりまもる道義」「道義とは、人の行うべき正しい道」(以上は広辞苑)
 ということは、「選ばれし政治家として、己が正しいと信ずる道を“政治道”として恥じることなく、揺らぐことなく突き進む者」そして「大衆の中にあって、大衆の求めることを知り、状況の判断と先行きへの考察に磨きをかけ、態度を明らかにする」ということになるであろうか。
 これに渡辺議員が当てはまるかどうかは、今少し行動を見なければわからない。だが、党議拘束、派閥の締め付け、後援会の動向に右往左往する議員や、テレビなどの露出で存在をアピールする議員連中と違って、「はぐれオオカミ」か、文字通り“捨石”のまま沈んでしまうことも覚悟しての行動なら、それだけでも評価をしたい。
 もっとも、“仁侠道”に近いにおいがしないでもないし、政権交代=民主党政権誕生をにらんでの、「政局の寵児」たらんとしてはやり過ぎる危険性がないわけではない。また、自民党的体質から脱した、近未来的議員像を秘めた好漢、という雰囲気(オーラ)があるとも思えないのが惜しいのであるが、それらすべてを差し引いても、こうした混沌とした状況の中で、「行動を起こすこと」それだけでも、私は一目を置きたいのである。

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2008年12月13日 (土)

企業の救済、アメリカの場合

 ビッグスリー救済法案が廃案か
 新聞によれば、経営危機にあるアメリカの自動車大手3社のビッグスリー(GM、フォード、クライスラー)に対する、最大140億ドル(1兆3000億円)の金融支援を盛り込んだ法案が、下院で可決したものの、上院での妥協点が得られず、事実上廃案になるという。
 その理由の一つに、共和党側の「破綻企業の支援を税金で行うことはできない」という、「あれっ」と思わせることであったり、「UAW(全米自動車労組)が譲歩しなかった」という背景も伝えられている。
 共和党の主張に正当性があるが、その裏は資本主義社会(市場主義)の弱肉強食思想が、たとえビッグスリーといえども容赦しないという頑強さで貫かれている、その恐ろしさを感じる。一方のUAWの「たとえ企業が破綻しようとも、獲得した権利は妥協しないで守り抜く」という「階級意識」にも脱帽である。もっとも、この対決は、手の内には2か3のワンペアしかないのに、あえて勝負に挑む「ポーカー」のゲームを思い起こさせるので、早晩「手打ち」が行われるであろうが。
 このアメリカ的破綻企業の救済劇については、かつて日本政府の行った大手銀行への「公的資金」の注入の効果を参考にした形跡があるが、日米の違いを見るにはいい例ではある。
 それは日米の国民の受け止め方の違いでもあろう。確かに日本でも税金で企業を救済するのはけしからんという声もあった。「公的資金」の注入のその裏で、泣かされた中小の企業も多くあったと聞く。だが、大企業倒産には同情的な雰囲気があったようにも思うがどうだろうか。
  日米の違いのもう一つは国民性で、よくいえばアメリカの「開拓精神、自立、自衛の思想」と日本の「寄らば大樹、分かち合いの精神」とでも言えるだろう。
  いずれにしても、アメリカの場合、先のことはわからないといえども「オバマ効果」「変化、好転の兆し」に希望を託す道があるが、日本には麻生に期待できないばかりか、次期首相が誰になっても「1年たたずしてまた交代か」「政権交代もどうなる事やら」と、悲観的である。そこには、国民の間に政治への不信と待望せる政治家の不在があるが、全て他人ごとのように冷めた、というか覇気のない国民の“静けさ”がある。
  せめて私もメールで届いた「名古屋ふれあいユニオン、JMIU他の呼びかけで、12月23日11時~13時に、名古屋駅ミッドランドスクウェア前で、『派遣切り、雇い止め、解雇』に反対する行動が予定されています。」に参加しようかな。

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2008年12月 2日 (火)

年内総選挙はあるか

 麻生は政治の舞台から消えるか
 オバマ次期政権が、国務、国防などの主要閣僚を発表し、着々と政権引き継ぎの体制をつくりつつある。その引き継ぎ自体が「すでに政権が動き出した」との強い印象を与えている。“斜陽の大国”といえども、依然として世界が注視しているわけだ。さすが言うべきかもしれないが、アメリカはアメリカ、自国のことは自国で決めるといって進む国も多いだろうから、「だれが大統領になっても、日米関係は変わらない・・・」なんて悠長なことを言っている総理大臣では、斜陽の日陰に隠れてしまうのも当然かもしれない。
 年の瀬の師走に入って、不況の街頭を「越年資金」を求めて奔走している経営者も少なくないだろう。私の知る小企業の経営者も“来年3月までは何とか…”とこぼしていたが、不況の波は、予想よりもっと早く押し寄せることもあるだろう。「連鎖倒産」がそれだ。
 一方期間社員、派遣労働者ら非正規雇用の人たちにはもっと厳しい現実が待ち受けている。契約期間満了を前に契約を解除されて、職場だけでなく寮からも放り出され、ホームレスになった若い労働者もいるとネットは伝えている。「ATUサポート市民の会」周辺にも、トヨタを解雇になった若い労働者が身近にいて、他人ごとではない。幸いその若者は、新しい働き口が見つかったということだったが、50代以上では、そうもいかないのではないか。
 そんな状況では、とても衆議院の解散総選挙などとは言っておれない「政局より政策」と言っていた麻生政権であるが、効果的な政策を打ち出したとも思えない。それに加えて内閣の支持率が“危険水域”といわれる30%を割り込んだと、永田町かマスコミかは知らないがざわめきだした。来年の通常国会まで持たないだろうというのである。
 誰がそういうのか、実際はどうなのかは知らないが、解散から40日以内に選挙、選挙運動期間12日間として、12月21日か23日(祭日)の投票日で、年内解散総選挙も技術的には可能であろう。それを良しとするかどうかは一概に言えないが、何の手も打たないで新年を迎えるよりは、多少なりとも選挙の経済効果もあろうし、政権交代でもあれば、「変化」の期待はできるだろう。
 麻生辞任、新内閣もあるということだが、それでは、「選挙管理内閣」だけで終わり、混乱に拍車をかける。恐らく麻生の選択は、辞任より討って出て散る道を選ぶに違いない。
どちらにしても、鳴り物入りで登場した首相麻生太郎が、表舞台から消え去るのは近いように思えてきた。

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2008年11月26日 (水)

政治・政策の不在を嘆く

 我々も緊張感を持たないと
 ATUサポート市民の会の定例会議は、年の瀬を迎えて諸行事の日程が建て込んでいることもあって、議事は盛り沢山。ニュースの次号、1月の総会と労働講座がメインであったが、最近の情勢に関してトヨタと関連企業での「雇い止め」の話から始まって、社会問題の最重要事項は「雇用」であるにもかかわらず、政府も国会も議員も、何の手も打たないでいる、という話に及んで盛り上がった。
  この時期、まず契約社員が職を失なうが、ここまで来ると「期間満了」だから「雇い止め」は仕方がないとはいえない。この制度自体に問題がある。マスコミでもウェブでも、そんな情報があふれているが、労働組合、とりわけ大手の組合からは何も聞こえてこない。何してんだろう。
  基本は正規雇用、働き方の希望でパート労働、ワークシェアリングがある。非正規雇用をなくすことだ。これはもう言い尽くされているが、何の改善もないところに語気が強まる。「いまや研修生、実習生の解雇、契約解除が始まっている。問題にならないのがおかしい。」
  雇用が守られることで、人権が守られる。人権を守るということは雇用を守ることであり「平和国家」の基礎ではないか。「平和国家は雇用と教育が基本だ。企業に教育を任せていけない」「とにかく、トヨタの足元で問題が多発している。キャンペーンが必要だ」「この先のオバマのことはわからないが、とにかく雇用問題を第1に掲げている。」「派遣法改正案が国会に上がっているが、見せかけの改正だ」
 フリートークだから、脈絡はないが、話を聞いていると政治と政策の不在を嘆き、政党も議員もなにしてんだろうという不信感が充満していた。
  もっとも、ここでいくら嘆いてみてもはじまらない。「ニュースの冒頭記事に、総会案内などを出しているようでは緊張感がなさすぎる。適格な情勢分析と行動提起が必要だ」との発言で一同、とりあえず嘆き節をおさめた。で、誰が書くの?

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2008年11月15日 (土)

解散総選挙は来春?

 迷走麻生に、政権交代が待ち受ける
 今日の夕刊を読むと、麻生首相は、1月の通常国会の冒頭解散も否定しないが、来年度予算案成立後、やや間をおいて4月ころに総選挙を構えるらしい。
 今年の8月末ころには月刊誌に、臨時国会冒頭解散を書き、首相になったら、早期解散、補正予算成立後、新テロ特措法成立後などと先送りを繰り返してきた麻生であるが、最早、いつ解散総選挙を行うかの目途をつけないとおさまらない状況に追い込まれたらしい。東京都議会議員の任期7月22日を見据え、公明党からの突き上げがあって迷走に拍車がかかっているようでもある。
 もちろん選挙に勝算があれば、既に解散総選挙を断行していたに違いないが、今のままでは衆院選挙で与党が過半数を割るのは避け難い状況であり、決断しかね続けているのであろう。特に、2か月、3か月の「短命内閣」「政権引き渡し役」の汚名を着せられたくないという「見栄」も微妙に働いているのではないだろうか。
 どちらにしても自ら打つ手は持ち合わせていないであろうから、世界の金融危機の更なる広まり、世界恐慌前夜のような経済、オバマ米大統領の始動、国内某大手企業の破産ショック、なんでもいい、局面が転換して、なんとか「麻生の出番」の世論が高まるのをひたすら待つ。それもダメなら、4月、桜の花とともに、見事散って見せよう。これが、漫画的「男、太郎の生きる道」とでも言いたげだが、こんな見方は「下司の勘ぐり」といわれるかもしれない。
 どちらにしろ「1万2千円」のバラマキしか思いつかない首相には、多くの人がため息を漏らしているのではないか。物価高やリストラの進行があるものの、実体経済としては「どん底不景気感」まで至っていないと思われる庶民感覚は、麻生の小手先には目もくれず、かなり冷静に「政権交代」を選択するのではなかろうか。

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2008年11月 7日 (金)

老兵たちのフォーラム・3

 私の論点
 以下の論点について短くコメントした。
1、 日本国憲法
2、 左翼政党、農民運動、労働運動、学生運動
3、 日本人の民族性
4、 島嶼国日本という地政学的な点も
5、 日米安保条約

 最初に私は、資料をそろえて、探求していく書き方ではなく、もっぱら「思いつき」を書きとめ、整理していくやり方なので、思い違いや誤解、前言と矛盾することもある、という「逃げ」を打ってから話し始めた。実際、私は研究者や職人的な向き合い方ができないようで、性格診断で「理論的」に分類されたことはあるが、「情緒的」でもあるとも言われたから、かなり曖昧なのであろう。
  さて、「平和を守ったのは」について、思いついた5つをあげてみたが、それ以外のものも含めて、極めてトータルなものであり、あるバランスの上に成り立ってきたといえるのではないだろうか。
 このトータル=総体というのは、左翼・反戦平和・護憲派の潮流だけを言うのではないことは当然である。保守といわれる層、無党派・未組織の人たちも含んだ「中間層」の、「戦争はいけない、もう十分に経験してわかったではないか」と言う「良識」をもった人、その総体である。
 同時に、その「良識」は、常に「アンチ良識派」の攻勢にさらされており、それを押し留め、押し返すことで成り立っていて、そのバランスのうえに「平和」は保たれているといえるのではないか。となれば、バランスが崩れ始める“兆候”を、見逃さないことが肝要だ。
1、日本国憲法
  詳細は省くが、日本国憲法の「戦争抑止力」は強力である。それゆえ戦後60数年を経た今日、自衛隊員一人の「戦死者」を出さないで来ている。しかし、「解釈改憲」といわれるほどに、憲法は浸食を受けており、「集団的自衛権」をクリアすれば、「戦争のできる国」への道は一挙に近くなるであろう。「憲法改正(改悪)」は、最後の手続きに過ぎなくなってきているから、「国民投票」のときに「憲法改正(改悪)」を否決しようなんていう戦略は、“後の祭り”になりかねない。今が重要である。
2、 左翼政党、農民運動、労働運動、学生運動
 全面講和か単独講和(+日米安保)かの政治選択は、戦後最初のエポックであったろう。「左翼」をソ連派、中国派などとくくるのは好きではないが、やがて「冷戦時代」の東西均衡は、日本でもある種のバランスを作り出したのではないか、「55年体制」として。飛躍していえば、この「55年体制」が崩壊して、日本の平和のバランスが崩れ始めた。
 農民運動、といわれるその実態はよく知らない。これまでの選挙では「自民党の大票田」といわれてきたが、その一方で、かの大戦では新兵の供給源であり、その悲嘆は大きかったと思われる。私は、農民は本質的には「反戦派」だと信じている。
 労働運動は、一口でいってしまえば、総評対中曽根の「源平合戦」に、壇ノ浦(国鉄の分割民営化)の合戦で総評が敗退した時から、4柱の一つ「労働運動」が後退し腐食し始めた。
 学生運動をどう評価するかはいろいろあろう。「全共闘運動」に対する批判が多いことも承知しているが、ともかく、「大学管理法」などを基軸に大学の自治は失われ、「左翼思想論」の教授陣、「下方」ともいえる学生出身の活動家の供給が断たれた。そして利益追求の、大学の「法人化(民営化)」となった。
3、日本人の民族性
 ここに、こんな事例がある。これは私が「日露戦争」(小島襄著)を読んだ時のメモである。
「・・・日露両軍の、奉天近郊で戦線構築のための前哨戦なのだが、その中で、ロシアの満州軍総司令官・クロパトキン大将の日本(軍)人観を述べるくだりがある。クロパトキンは軍人ではあるが、当時のロシア人の見方に興味を惹かれた。
 それを引用すると、
1)日本人は短気である。ゆえに眼前の現象は理解しやすいが、背後または長期の計画は立案も想像も不得手である。
2)日本人は勇敢である。したがって勇敢に突進する以外の行動を嫌い、相手の行動も無視する。
3)日本人は規律が好きである。ということは、何事も上からの指示で動くことになれているので、情報分析、情勢判断を上級者に任せ、上級者はさらに上級者に任せるので、判断はつねに手遅れになる。
4)日本人は利口である。しかし、その賢明さは個人的利益の追求にむけられ、全体のために発揮されることが少ない。
5)日本人は思索することを好む。ただし、思索のための思索であり、現実に活用することを嫌う傾向がある。
6)日本人は体力に劣る。だから長期戦より短期戦を願う。
7)日本人は外国人との交際に不慣れである。外国語習得の熱意もうすいので、清国人を情報活動に活用できない。
 などと述べたとされる。
 ここには、正反両面あろうが、日本人の特性・民族性のヒントがあろう。
4、 島嶼国日本という地政学的な点も
 国境が陸続きでないことが紛争を少なくしている。もちろん、日ロ、日韓・日朝、日中・日台間に領有権をめぐる主張に違いがあるし、「戦争の芽」になりうる要素でもある。だが幸いにも、「核」と「ミサイル」の時代、「世界経済」が戦端を開かせない抑止力になっている。
 私は自衛隊縮小論であるが、一方で海上保安庁の強化(沿岸警備隊)論を支持する立場である。
5、 日米安保条約
 なぜ日米安保が日本の平和をつくってきたか。これは、この問題を考える中で“ひらめいた”ことで、何の論拠もないし、私の主張というより、議論の素材ということで取り上げた。
 日米安保が、東西冷戦の時代では、「バランサー」の一つでもであったということは、まあ、そういう面はあっただろうな、とわかるような気がした。
 だが、アメリカは、「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」、最近では「イラク戦争」で、多くの兵を死なせた。戦費(国家としての体力)を失った。そこで、自国では「戦争の民営化」と、紛争当事国に兵と戦費の負担を求めるようになってきた、それがイラク戦争の昨今である。
 日本に対してもそれを求め、「防衛力の強化」「日米軍事一体化」「米軍基地と思いやり予算」という形で戦費の縮減に成功している。残るは「派兵」の期待であり、その工作は浸透しつつある。
 さて在日米軍は、沖縄(中国・朝鮮半島)や三沢基地(ロシア)、横田・座間(軍事・防衛の中枢の防御)などがこれまでの重点基地であったが、自衛隊の軍事的強化で、その役割は減りつつある一方、横須賀に原子力空母を配備(既存は佐世保)、沖縄の重点強化、太平洋軍司令部(?)の日本へ移設、という世界的軍事再編に乗り出している。ここには、自衛隊(やがて自衛軍=国軍か?)出動の「戦争の芽」がある。
 では、最初の問題「なぜ日米安保」か。日本が軍事的に完全自立国家に成長することは、米国のアジアに置ける権益を失いかねない懸念がある(日中で権益を分け合う)。つまり日米安保は、一方で日本軍復活の抑止力(監視の目)という面も果たしているのではないか。日本にとって日米安保は、軍事的、財政的負担の軽減という大きな利益を得てきたが、これからは、独自戦略の“縛り”になると考えるのではないか。
 日米安保の負「主権、基地公害、財政負担」をなくしつつ、悲しいかな、日米安保(米軍)の監視のもと、日本の軍部台頭を抑止するのも一つであろうか。もっとも、これは正論足りえない。
日本独自の「世界平和論、近隣友好政策」があって然るべきである。(未完)

  以上が概略である。フォーラムのこの日に合わせて、急いでメモしたものであるから、やっぱり“スキだらけ”という感じがするが、問題意識としてまずまずの自己診断であった。

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2008年11月 6日 (木)

次期大統領にオバマ氏

 話題が盛り上がらないのはなぜ?
 昨日の「老兵たちのフォーラム」では、テーマ外の話題で「米大統領選挙でオバマ氏当選」で、話題が沸騰するかなと思っていたが、意外に“ぼそぼそ”という感じであった。もっともフォーラムは午後1時過ぎからであるから、せいぜい「オバマ氏優勢」程度の情報しか得ていなかったからでもあろう。しかし、関心度は超一級であったのだから、正午現在で「オバマ氏優勢」なら、先読みはできたはず。
 以前にも触れたが、この選挙予想では、五分五分が一人、マケインが一人、あとはオバマ(願望も含め)に手を挙げた。オバマのそれは、ブッシュダメ論と、マケイン候補の魅力のなさが一方にあって、もう一方に「黒人大統領」誕生に興味を持っていたからであると私は、場の雰囲気を感じていた。
 さて、いざオバマ大統領誕生が現実になろうとしたとき、オバマ氏のもう一つの面に思いが行き始めて、やや口を重くしたのではないかと私は勝手に推測した。それは、経済政策がやや不透明ではあっても、保護主義とまではいかないにしても、「ビッグスリー」建て直し論に見られる、貿易の輸入に対する政策懸念である。また、軍事費縮小傾向は、それに代わる産業振興と輸出政策、日本などに対する米軍支援、駐留経費の増加要求に転嫁されるのではないかという懸念もないではない。
 外交においては、イラクからの早期撤退、アフガン増派は、日本に対する支援・分担の増大につながるのではないか、つまり、アメリカの変化(チェンジ)は、日本を揺さぶらずにはおかないという、未知数の不安を感じたのではないかと。もっともこれは私が感じているからでもあるが。
 今夜のフィリピントヨタ労組支援の会合で、この話題を投げかけてみたが、話は進展せず、「トヨタの大幅減益」に行ってしまった。まあそれは当然ではあったが。
 しかし、その話題-トヨタの業績の下方修正は、世界の工場の再編に直結する可能性があり、フィリピントヨタ社の存続問題に連動するのではないかと、先月提起したこともあって、もう少し議論を交わしたかったが、情報がないばかりでなく、対応できる位置にいるわけでもないので、やはり、議論はもっと状況が明らかになってからであろう。
 親米、反米いずれにしても、アメリカの動きに敏感にならざるを得ない日本の現状であるから、オバマの政策スタッフ、チェンジした政策と、ブッシュとイラク戦争を支えた「ネオコン」の動きも気になるところである。

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2008年11月 1日 (土)

航空幕僚長の暴論・暴言

 政府は、本音が表に出て大慌て
 田母神航空幕僚長の暴論(暴言)は、シビリアンコントロールの観点からは「暴論・暴言」と言えるが、戦後の自民党政権の中では、「本音」と言えるもので、“本音は言っちゃいかん!却ってやりにくくなる”ということではないのか。
 もっとも歴史認識の点では、この人は六〇歳になるまででいったい何を見て、学び、経験を踏んできたのか、と言いたいレベルものである。
 しかし、暴言であれ、放言であれ、確信した本音であれ、私は彼が「防衛大学」出身であることに注目している。防大出身者すべてが、彼のような時代錯誤、単純思考、英雄気取りとは思わないが、とにかく制服組のトップまで上り詰めたキャリヤーには違いないのだ。とすれば、防大では、彼のように思考する流れがあるのではないかという疑いがある。
 仮に防大の中で、彼の思考と対極にあるグループが存在しても、“冷飯”を喰らわされているか、沈黙を余儀なくされているかもしれない。戦争の話は、平時であればあるほど、空(から)でも勢いのある言動がもてはやされるケースが多いと思うのだ。これまでも問題発言が多かったと新聞は伝えているが、まさにそれを証明している。
 2006年に就任した五百旗頭真(いおきべ まこと)防大学長は、神戸大学名誉教授でその専門は、日本政治外交史、政策過程論、日米関係論といわれ、神戸大の現職時代からしばしば毎日新聞のコラムに投稿していて、私も拾い読みすることがあったが、概ね賛同できるものであったように覚えている。
 さて、例えは良くないかもしれないが、名門野球部に入った青年が、練習と理論学習ばかりで公式試合に出られないとしたら、そのようなことが現実であると認識していても、どこかに“やり切れなさ”を囲っているであろうことは想像できる。野球と自衛隊とでは比べ物にはならないし、多くは実戦を好んで体験しようとは思わないであろうが、実戦を想定した疑似体験をしているであろうから、「戦争は勝つためにやる」という意識を潜在的に高めていることもさして間違いではなかろう。そうなれば、動員(派兵)を易らかしめるために「正義のための戦争」論が支配するわけで、歴史認識もそこに収斂されていく。
 戦争抑止は、シビリアンコントロールの一言でできるものではない。せっかく航空幕僚長が職をなげうって問題を提起したのだから、大いに議論したらいい。ただし、田母神氏を国会に招いて「真意を聞こう」というようなことはやめた方がいい。彼の論文は明らかになっているし、内容もそれほど深める必要もなさそうだから、徹底して無視すればいい。国会に証人喚問などをすれば、彼は喜んでやって来るだろう。そして自民党のある筋を代弁しかねないほどに“熱弁、饒舌”で振舞うであろう。そんなの聞きたくねえ。

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2008年10月28日 (火)

石田さん、衆院選へ

 一言触れておこう
 石田芳弘さん、ここでは前犬山市長ではなく「2011年愛知県知事選挙期待候補者」とでも表現しておこう。その石田さ