私の論点
以下の論点について短くコメントした。
1、 日本国憲法
2、 左翼政党、農民運動、労働運動、学生運動
3、 日本人の民族性
4、 島嶼国日本という地政学的な点も
5、 日米安保条約
最初に私は、資料をそろえて、探求していく書き方ではなく、もっぱら「思いつき」を書きとめ、整理していくやり方なので、思い違いや誤解、前言と矛盾することもある、という「逃げ」を打ってから話し始めた。実際、私は研究者や職人的な向き合い方ができないようで、性格診断で「理論的」に分類されたことはあるが、「情緒的」でもあるとも言われたから、かなり曖昧なのであろう。
さて、「平和を守ったのは」について、思いついた5つをあげてみたが、それ以外のものも含めて、極めてトータルなものであり、あるバランスの上に成り立ってきたといえるのではないだろうか。
このトータル=総体というのは、左翼・反戦平和・護憲派の潮流だけを言うのではないことは当然である。保守といわれる層、無党派・未組織の人たちも含んだ「中間層」の、「戦争はいけない、もう十分に経験してわかったではないか」と言う「良識」をもった人、その総体である。
同時に、その「良識」は、常に「アンチ良識派」の攻勢にさらされており、それを押し留め、押し返すことで成り立っていて、そのバランスのうえに「平和」は保たれているといえるのではないか。となれば、バランスが崩れ始める“兆候”を、見逃さないことが肝要だ。
1、日本国憲法
詳細は省くが、日本国憲法の「戦争抑止力」は強力である。それゆえ戦後60数年を経た今日、自衛隊員一人の「戦死者」を出さないで来ている。しかし、「解釈改憲」といわれるほどに、憲法は浸食を受けており、「集団的自衛権」をクリアすれば、「戦争のできる国」への道は一挙に近くなるであろう。「憲法改正(改悪)」は、最後の手続きに過ぎなくなってきているから、「国民投票」のときに「憲法改正(改悪)」を否決しようなんていう戦略は、“後の祭り”になりかねない。今が重要である。
2、 左翼政党、農民運動、労働運動、学生運動
全面講和か単独講和(+日米安保)かの政治選択は、戦後最初のエポックであったろう。「左翼」をソ連派、中国派などとくくるのは好きではないが、やがて「冷戦時代」の東西均衡は、日本でもある種のバランスを作り出したのではないか、「55年体制」として。飛躍していえば、この「55年体制」が崩壊して、日本の平和のバランスが崩れ始めた。
農民運動、といわれるその実態はよく知らない。これまでの選挙では「自民党の大票田」といわれてきたが、その一方で、かの大戦では新兵の供給源であり、その悲嘆は大きかったと思われる。私は、農民は本質的には「反戦派」だと信じている。
労働運動は、一口でいってしまえば、総評対中曽根の「源平合戦」に、壇ノ浦(国鉄の分割民営化)の合戦で総評が敗退した時から、4柱の一つ「労働運動」が後退し腐食し始めた。
学生運動をどう評価するかはいろいろあろう。「全共闘運動」に対する批判が多いことも承知しているが、ともかく、「大学管理法」などを基軸に大学の自治は失われ、「左翼思想論」の教授陣、「下方」ともいえる学生出身の活動家の供給が断たれた。そして利益追求の、大学の「法人化(民営化)」となった。
3、日本人の民族性
ここに、こんな事例がある。これは私が「日露戦争」(小島襄著)を読んだ時のメモである。
「・・・日露両軍の、奉天近郊で戦線構築のための前哨戦なのだが、その中で、ロシアの満州軍総司令官・クロパトキン大将の日本(軍)人観を述べるくだりがある。クロパトキンは軍人ではあるが、当時のロシア人の見方に興味を惹かれた。
それを引用すると、
1)日本人は短気である。ゆえに眼前の現象は理解しやすいが、背後または長期の計画は立案も想像も不得手である。
2)日本人は勇敢である。したがって勇敢に突進する以外の行動を嫌い、相手の行動も無視する。
3)日本人は規律が好きである。ということは、何事も上からの指示で動くことになれているので、情報分析、情勢判断を上級者に任せ、上級者はさらに上級者に任せるので、判断はつねに手遅れになる。
4)日本人は利口である。しかし、その賢明さは個人的利益の追求にむけられ、全体のために発揮されることが少ない。
5)日本人は思索することを好む。ただし、思索のための思索であり、現実に活用することを嫌う傾向がある。
6)日本人は体力に劣る。だから長期戦より短期戦を願う。
7)日本人は外国人との交際に不慣れである。外国語習得の熱意もうすいので、清国人を情報活動に活用できない。
などと述べたとされる。
ここには、正反両面あろうが、日本人の特性・民族性のヒントがあろう。
4、 島嶼国日本という地政学的な点も
国境が陸続きでないことが紛争を少なくしている。もちろん、日ロ、日韓・日朝、日中・日台間に領有権をめぐる主張に違いがあるし、「戦争の芽」になりうる要素でもある。だが幸いにも、「核」と「ミサイル」の時代、「世界経済」が戦端を開かせない抑止力になっている。
私は自衛隊縮小論であるが、一方で海上保安庁の強化(沿岸警備隊)論を支持する立場である。
5、 日米安保条約
なぜ日米安保が日本の平和をつくってきたか。これは、この問題を考える中で“ひらめいた”ことで、何の論拠もないし、私の主張というより、議論の素材ということで取り上げた。
日米安保が、東西冷戦の時代では、「バランサー」の一つでもであったということは、まあ、そういう面はあっただろうな、とわかるような気がした。
だが、アメリカは、「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」、最近では「イラク戦争」で、多くの兵を死なせた。戦費(国家としての体力)を失った。そこで、自国では「戦争の民営化」と、紛争当事国に兵と戦費の負担を求めるようになってきた、それがイラク戦争の昨今である。
日本に対してもそれを求め、「防衛力の強化」「日米軍事一体化」「米軍基地と思いやり予算」という形で戦費の縮減に成功している。残るは「派兵」の期待であり、その工作は浸透しつつある。
さて在日米軍は、沖縄(中国・朝鮮半島)や三沢基地(ロシア)、横田・座間(軍事・防衛の中枢の防御)などがこれまでの重点基地であったが、自衛隊の軍事的強化で、その役割は減りつつある一方、横須賀に原子力空母を配備(既存は佐世保)、沖縄の重点強化、太平洋軍司令部(?)の日本へ移設、という世界的軍事再編に乗り出している。ここには、自衛隊(やがて自衛軍=国軍か?)出動の「戦争の芽」がある。
では、最初の問題「なぜ日米安保」か。日本が軍事的に完全自立国家に成長することは、米国のアジアに置ける権益を失いかねない懸念がある(日中で権益を分け合う)。つまり日米安保は、一方で日本軍復活の抑止力(監視の目)という面も果たしているのではないか。日本にとって日米安保は、軍事的、財政的負担の軽減という大きな利益を得てきたが、これからは、独自戦略の“縛り”になると考えるのではないか。
日米安保の負「主権、基地公害、財政負担」をなくしつつ、悲しいかな、日米安保(米軍)の監視のもと、日本の軍部台頭を抑止するのも一つであろうか。もっとも、これは正論足りえない。
日本独自の「世界平和論、近隣友好政策」があって然るべきである。(未完)
以上が概略である。フォーラムのこの日に合わせて、急いでメモしたものであるから、やっぱり“スキだらけ”という感じがするが、問題意識としてまずまずの自己診断であった。
最近のコメント