2017年9月20日 (水)

9・19安倍内閣の暴走を止めよう集会&デモ

 昨年に較べ半減したが
 安保法制、あれから2年・・・と感慨にふけっている場合ではないのだが、所属団体、グループの“誘い、動員”で、この種の集会やデモに参加するわけではないので、その一つ一つが私にとって“メモリアルデー”なのである。もちろん濃淡はあるので、記憶や思い入れにも差はある。
 昨年の「9・19」は、6月の「あいちキャラバン」の報告書を仕上げ、その発行日を「9・19」としたことが思い出される。そして月曜日に関わらず、白川公園に約2000人が結集したと記録されている。
 昨日は、主催者発表で700人とされたが、会場を一回りした感じでは1000人には届かないにしても800人は超えていたというのが私の推定であった。700人か800人かはどちらでもいいが、1年前に較べ半減していることが気になった。しかし壇上からのアピールは、それを超える勢いというか、力がこもっていたというか、或いは解散総選挙という状況を反映してか、迫力あるものであった。
 主催者挨拶は、共同行動の長峰さん、発言者は、沖縄へ県機動隊派遣違法訴訟の大脇弁護士、飯島名学院教授、市民・ママンの会の瀬川さん、濱嶌弁護士、共同行動の高橋さん、締めくくりは弁護士の中谷さん。
 全体としては、安保法、共謀罪、盗聴法など一連の法制度が、具体的に展開していくことの危惧と、既に一部では機能し始めているという危機感が語られ、そうした法律の廃止を求めていくことそれは、安倍内閣の打倒であり、改憲勢力をしのぐ運動と国会の議席確保であることは共通認識であった。
 ただこの間、ずっと言い続けてきた「野党は共闘」というスローガンについて、それ自体は重要なポイントであることに変わりがないが、民進党の党体制が変わり、離党者が出るなどもたついている現状から、外から「野党共闘」と呼びかけてみても、「党利党略」「政党の論理」を超えることは容易ではない。
ここのところはよくわからないが、市民(運動)の側の主体性を示す目標・スローガンが必要ではなかったか。例えば・・・「私たち(市民)は、政治を変える“力”だ、変えるぞ~」「私(市民)の一票は、弾丸よりも強いぞ~」「私たちが変わり、世論を引き寄せ、政治を変えるぞ~」
 繁華街・栄の歩道などは、デモ隊以上の人が行き交っている。この時間帯は若い人、カップルや背広の仕事帰りの男性が多い。一瞥はするが“他人事”に思うか、“何のデモ?”とでも言いたげな表情が伺える。いつものことであるから気にすることではないが、私はそこに「何か変化」が起きていないか、汲み取れないか観察してしまうのである。
 仮に選挙権は18歳に引き下げられたから、「18歳から国防義務(兵役)が生ずる。あなたも、あなたも」という状況が明らかになってきたら、素通りできなくなるのではないか、つまり、それに似たような変化を見出したいと思うのである。
 “今がよければ、幸せならそれでいい、変化を求めない”が多数であることはそんなに間違ってはいないと思う。その“今”は、このままでは長続きしない。癌など病気の早期発見が大切なように、政治や社会が病んでいないか早期に感じ取り、手を打つことの意味を分かってもらえたなら、もっと反応があるのかもしれない。

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2017年9月19日 (火)

政治の“衣替え”の時来る!

 衣の補修も欠かせない
 台風一過、昨日と今日は“秋晴れ”というか“残暑晴れ”というべきか、ともかく「主夫」としては、洗濯日和でありがたい。昨日は、部屋干しのものも含め大量の衣類としシーツ3枚で物干し場は“満艦飾”となった。今朝は、一足早く“衣替え”の準備で、長袖のシャツ類を陰干しに出した。これも薄手と厚手、普段着と外出着があるので、10枚以上になろうか。その中で襟元が擦り切れた綿のシャツ1枚のボタンを外して廃棄することにした。
 ボタンといえば、廃棄する衣類からは必ず外して保存するのであるが、過去数十年間のうち、再利用したのは1~2回であろうか。昨今の衣類のボタン付け糸が丈夫で、しっかり取り付けられているせいか、洗濯機にかけられても外れ落ちることはほとんどないから、補修のボタンは不要となる。それでも女性用のボタンは色、形、サイズにバリエーションがあって、何かの飾りボタンに使えなくもないが、我が家にそんな趣味を持つ者はいない。また私の担当外でもある。
 という前書きが長くなったが、今日の主題は「衣替え」であった。安倍の“勝手都合”の衆院解散が現実的との報道に接して私も身構えたが、内心“状況を探るアドバルーン”かなとも思った。しかしそれがいち早く表面化したうえ、自民党や公明党の首脳とも会談しているようだから、もう退くに退けない状況となった、そのように判断したのだった。
  それで坂本龍馬ではないが「日本を洗濯」するには少々時間が足りないので、とりあえず、少々臭いの付く衣類(安部政治)を引っ張り出してお天道様に曝し、もってここで「政治の衣替え」する機会が訪れた、そう言いたいわけである。もっとも「替える衣」も少々“痛み”があるから修繕の必要がある。修繕するのは、政党による「自浄作用」に多くを期待するのではなく、私たち市民(運動)であることを自覚したい。あいにく“針仕事”の経験者が決して多いとは言えないが、隠れた才能(人、特に若い人)が現出することはあながち“稀、偶然”とは言えない、というのが私の見方でもあるし期待でもある。
  “闘いの秋(とき)来る!”は、1970年代初頭の、わが青年期の心踊る言葉の一つであった。

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2017年9月17日 (日)

衆議院解散はあるのか

 早期なら、個別対応を迫られる
 「・・・今月28日に召集する方針の臨時国会の会期中に、衆議院の解散・総選挙に踏み切ることを排除しないという考えを伝えていたことが関係者への取材でわかりました。」これが今日の午前2時のNHKニュースで伝えられたという。冒頭解散だと投開票日は「10月22日」になると予想される。
 安倍・与党の目算(戦略)は見え見えだが、強行されればこれを受けるしかない。
 昨年の参院選前、そして参院選後も、「アベの暴走を許さない、安倍内閣打倒」の運動は継続され「市民と野党をつなぐ」運動、署名運動も展開されてきていて、衆議院解散総選挙はある程度想定されたことではある。規模の大小を問わず集会を開催してきた地区も多い。現職議員の「国会報告会」や、あの名古屋市長選挙の時も、「前哨戦」と位置づけた人もいた。
 そうした運動、努力が続けられ、高められても「政党政治」「選挙制度=小選挙区制」などの「障壁」は高く、市民と政党がスクラムを組んで「独裁政治」といっていい「安倍内閣」を倒す道筋は生易しくない。いきおい、「解散総選挙」となれば短期決戦となるから政党は「党利党略」、候補者(議員)は、「おのれの選挙優先」に走りがちで、「市民、野党」の共同の仕組みを作ることは格段の知恵と努力が求められる。
 市民と野党が共同の闘いの枠組みを作る最善の方法は、超党派的な候補者を擁立することが第1ではないかと思う。だがそれは「知事選挙」の場合は有効だが、衆議院の「小選挙区比例代表並立制」という選挙制度の前では、よほどの世論の動き、高まりがないと難しいと思われる。
 では、即応的にはどうすればいいのか。各政党の予定候補者の「選挙区での一本化」を「市民主導」で行うことができるかどうかにかかる。してその手法はあるのか?「野党間の話し合いで一本化する舞台をつくる」「立候補予定者による討論集会を開いて、市民がそれを判断材料にする。そしてその結果を公表する。もって候補者一本化の契機とする」「市民の側が“第3の候補者”を擁立して統一候補とする」そして、「安保法」「森友・加計学園」「原発再稼働」などの課題を「争点化」していく・・・。
 この程度の浅慮ではどうにもならないだろうが、いろいろ出し合っていく中でいい知恵も出てくるかもしれない。そのような言動が市民・有権者の間で高まれば、安倍打倒の機会がないとは言えないと思う。あれもこれも難しいとなれば、「個別対応」しかないが、これでは状況の打開に結び付くかどうかだ・・・。

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2017年9月 7日 (木)

山尾志桜里の場合

 何が問題か?といえない風土
 民進党の山尾志桜里衆院議員の「不倫問題」がネットでも賑わしている。スクープ?した週刊文春を見ていないので、それに触れることはないが、こうした著名人一連の“スキャンダル”をどう見るかは人によって違うから一概にいえない。ワイドショーをニヤニヤしてみている、そんな風なタイプの人もいるだろうし、“ばっかだなあ、お前もか”と突き放す人もいるかもしれない。“そんなの関係ない、私は私”“こういう記事で金儲けする週刊誌は、日本だけ?”とここまでは、どちらかと言えば、山尾を否定的に見るものである。
 では、非否定的(肯定はしないが、否定だけではなく)に見るとどうなるか。「政治家は政治でしっかり仕事すればよい、それだけで評価するものだ。私生活を暴いて面白おかしく騒ぎ立て、有能な政治家、人材を潰すことが、この国にとって喜ばしいことか」
 聞くところによれば、これはフランスでの一般的な受け止め方らしい。フランスと日本では歴史も風土も違うからすぐさま当てはめるには無理がある。また「儒教」的な意識もあってか、「犯罪、不倫、親不幸」などは、厳しい目が向けられがちではないだろうか。
 ここまで書いた以上、私の見解を書かねばならない。
 まず「山尾志桜里衆院議員は愛知第7区選出」であるが、最初に立候補した時、当時の民主党県連の候補者選定に疑問を持ったことがあった。当初市民派の某市議の名前が挙がり、第3区の私は“応援するぞ”と意気込んだが、検事出身の山尾氏に据え替えられた。あとで聞いた話だが、脱原発の某市議に連合愛知が異議を唱えたらしい。さもありなん!
 そしてそのことに私は腹に据えかねた、というより“残念だが、連合愛知が相手では・・・”と歯ぎしり。同時に“山尾氏は、現場に立ったことがあるのかな?”と少しばかり疑問を感じていた。ということで、女性議員という評価以外は、ほぼ関心外であった。
 しかし、2回目の選挙で落選したことが大いに影響があったように思うのだが、地元での評価が少しずつ上がってきたように思う。次の選挙で返り咲いた。特に「盗聴法、安保法」が政治課題に挙がってくる頃からだろうが、市民運動に関わるようになったようだ。澤地久枝さんの「アベ政治 許さない」キャンペーンの時、私は日進市民グループの呼びかけの日進市・赤池駅前のスタンディングに参加したが、その時、例の某市議ら混じって山尾志桜里議員も一緒に声を上げていた。名古屋・白川公園での反安保法の集会でも見かけた。
 そうした経過から、私の中でも山尾評価は徐々に上がっていき、とりわけ「女性議員・政治家」としての活躍と地元での女性地方議員の拡大に期待するようになっていた。
 もう一つ、山尾氏は「前原派」所属だ。今回の代表選挙ではどんな動きをしたかは知らないが、推薦人にならなかったことで私はホッとしたのは事実だ。心中を察することはできないが、外的には、「前原を応援しても、推薦人にならないことで、地元に顔を向けた」のではないだろうか。
 こうして考えてみると、ただでさえ「人材(財)」の乏しい民進党にとっても、また日本の政治状況全体から見て(有能な)女性議員がまた一人消えていくとしたら、残念であると同時に、単に選挙だけでなくこの日本の政治風土みたいなものも、考える必要があるのではないか。今回のようなことで「何が問題か?といえない風土」は現実であるけれども、議員本人の信頼回復の努力を前提に、遠からず「より大きな人物」となって「再生復帰」されることを望む。

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2017年9月 1日 (金)

民進党の代表選挙考(4)

 代表に前原氏-それでも民進党をサポートしたい
 民進党の代表選挙の結果は見ての通り。
 私の感想は、たまたま戴いたIさんからのメールに応えて返信した内容でこんな風に書いた。「私はサポーターですが、枝野さんに投票しました。残念な結果とは思いますが、もともと『リベラル派』は少数と聞いていましたし、世情の流れからして、枝野さんにはわずかながらでも逆風が吹いていたように思います。また、愛知の流れも『民進(民主)王国』といわれながら、連合愛知は旧民社系の、その右と思っていましたから、勝ち負けもさることながら、その「差」に関心がありました。4:6、出きれば、4,5:5,5くらいに迫ってほしい・・・結果は2:1(ポイントで8:4だったかな)で、大差がつきました。(この結果については、もう少し熟考してまとめたいと思っています)」というものでした。
 私は、党員でなく、一サポーターに過ぎず、まして「政治家」を自認しているわけでもないから、結果を受け入れればそれで済むことではある。しかし「政治家」ではないが「政治的人間でありたい、または、私が知らないところで政治が行われることに我慢できない」という自覚は20代のころから持っていた。それもあって、各級選挙に関して、大なり小なり関わり、また論考を書き留めてきた。ミニコミ誌「C&Lリンクス愛知」の発行もそれの一環である。
 選挙結果についての論考はもう少し時間かけてみたいが、マスコミが伝える「政権交代の受け皿になる“ラストチャンス”」即ち状況次第で「解党論」が浮上するという流れをどう受け止めるのか。「前原が共産党との共闘を見直し(拒否といっていいかもしれない)する一方、“小池新党とは方向が同じならば共闘は当然”」というようなことが現実化すれば、「民進党は小池新党と共闘」「共産党は市民運動と共闘」「社民、自由はどう選択するか、接着剤になりうるか」というほど明確ではなかろうが、そんな構図が想定される。そうなったとき在野の運動はどうなるのか、これも重要な論点である。
 私はまだ明確ではないが、「共産党の共闘は是々非々で、そのためにも民進党自身が政策、リーダー、組織をしっかり打ち立てねばならない」「(力量はないが)民進党が解党する方向なら、“立憲・リベラル派”を強力にテコ入れして、“党内保守”を進言する。」「立憲・平和・脱原発・リベラル」の旗を掲げる政党を待望する、参加する・・・。
 どこまで本気なれるか自信はないが、老頭は非論理的であれ、あれこれ思いは巡らすのである。 了

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2017年8月26日 (土)

民進党の代表選挙考(3)

 えだの幸男名古屋決起集会
 この日「候補者討論集会」が三重で開かれ、その足で名古屋決起集会に駆けつけた枝野幸男候補であるが、前段として近藤昭一衆院議員、勝田運輸労連愛知県連委員長、斎藤嘉隆参院議員、赤松広隆衆院議員が壇上に上がった。
 まず「選対事務総長」という総元締めを担う近藤議員は、枝野支援をするにあたって赤松グループといわれている「勉強会(サンクチュアリ)」で決定したこと」、枝野はグループ(派閥)をもたないこと、憲法観がしっかりしていること(現憲法を守り大事にする。必要な議論は進める)、原発はゼロにしていく、この秋の国会で「原発ゼロ法案を出す」こと、政治に幅がある。他党との共闘も(民進党の理念に基づいて)できる、などの紹介をして、支援を訴えた。
 次に労働界を代表して(連合愛知ではなく)運輸労連愛知県連の勝田委員長(赤松の出身母体ということだったので全日通労組出身か)は、消費者、納税者、働く者の側に立つ枝野候補を応援するとした。
 続いて斎藤参院議員は、いきなり“最後になるかも知れないこの代表選挙・・・”といったように聞こえたが、この「最後」という意味は何のことだろうと思った(聞き違いかもしれないが)。森友・加計学園問題で安倍政権の出鱈目さを追及しつつ、それを追い詰め切れていないのは、民進党の力不足だったと反省。自民党と明確に違う政策をもって「格差」をなくす、そういう民進党をつくるためにも枝野候補を応援するとした。
 最後に立った赤松議員は、この代表選挙は、民進党を広く知っていただく機会でもあること、政策集団(サンクチュアリ)で枝野支援を決定したこと、憲法問題では、前原は5月頃発行の雑誌で「憲法九条に第3項を加えそこに自衛隊を明記する」と、安倍と同じことを発言したと紹介(ええ!知らなかった、ほんと?ひどいではないか!)。「野党共闘」については、「愛知の場合、全15区に候補者を立てる。この方針に変わりがない。当選の可能性から言えば、共産党の方から候補者を引いてもらいたい。しかし4野党合意は生きている。」「共産党との政権樹立はあり得ない」そして原発については、脱原発法案を秋の国会で出すこと、脱原発は世界の流れであることを強調した。
 午後7時半を過ぎたころであろうか、枝野候補が駆け付け登壇した。疲れが出ているのか、あまり笑顔を見せることなくまず立候補を決意した背景から話し始めた。やはり安倍政権下の「危機感」からで、とりわけ安保法制に加え、憲法9条の第3項として自衛隊を明記するという発言が大きかったとした。また、「森友・加計学園」問題は「情報隠し」であると断罪。そして蓮舫代表を支えきれなかったことを謝罪した。この代表選挙については、安倍政権の対抗軸として民進党が変わらねばならない、それがリーダーの仕事だ、そのリーダーとなって民進党を再生させたい。
 自民党と明確な違いは、「立憲主義」に立つか否かであり、それは憲法9条を守るかどうか、専守防衛に徹するかどうかの違いである。(この時、NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール作戦」を話題にしたが、昨今の安倍政治と、当時の軍部の暴走、非人間性、侵略を重ね合わせて言いたかったのであろうと推測)
 原発問題に関しては、フクイチの時の官房長官でもあり、思い入れは人一倍なのであろうから、「一日も早く止めたい、やめさせたい」、「民進党として原発ゼロの方向性を、リアリズムをもって示す。法案を出す」とした。
 ヘートスピーチ、ジェンダー差別、これらは人権を踏みにじるもの、多様性を認めないもので許されない。
 最後に枝野氏は、改めて立候補への決意を述べ、参席者への謝意を示して終えた。
 この集会を振り返れば、例えば赤松議員は、枝野、前原両氏は同じ世代で党の役職、内閣の一員にも就き、遜色ないと繰り返したが、これは選挙後のしこり、分裂を予感させない配慮であったろうが、そうした党内の“綱引き”は、守りに入ってはだめで「政治的に能動的であるべきだ」というようなことを機会があったら言おうと思っていたが、それはなかった。 
 また出席者は、満席の250人前後と読んだ。そして、同時期に別会場でも「前原決起集会」が行われていたらしい。愛知の情勢は「やや前原有利」らしいが、前原派所属といわれている7区の山尾志桜里が、今日の前原決起集会に参加していたとしても、前原の推薦人にならなかったことに、多少ほっとしたところがある。
 これら私に言わせれば、「たかが民進党の代表選挙、されど民進党の代表選挙だ」ということになり、民進党愛知の「リベラル派」を伸長させることは、自民党・安倍政権打倒と一体のものであるとも考えるのである。 
続く

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2017年8月25日 (金)

民進党の代表選挙考(2)

 選挙公報を読みつつ
 手元に「民進党代表選挙 選挙公報」がある。一応一通り目を通した。この種のものは「いいことづくめの羅列」で、本当にそう思って行動していたら“今の民進党にはなっていない”といいたくもなるが、ここでそんな突っ込みをしても始まらない。また公報からは両候補の「本音、秘めたる野望」を読み取れることは難しいから、これまでの言動を思い返して検証するか、安易な選択としては、応援する政治家(議員)の立場に従うということも大いにありだ。
 この代表選挙で両者が登壇する「候補者討論集会」が、全国8か所〈新潟、青森、愛媛、北海道、兵庫、三重、宮崎、東京〉で行われる予定だという。多分「ブロックで1か所」という割り振りのようだ。安倍の地元でもある「中国ブロック」が入っていなようで、また「近畿」は兵庫となっていて、大阪、京都でないところが民進党の“事情”がありそうだ。“沖縄へは行かないの?”とこれまた突っ込みたくなるが、それは民進党の地盤がないからと想像する。しかし考えようでは、地盤がないとすればなおさらのこと、両候補に有利、不利がないのだから、例えば「原発立地県、沖縄」で討論会を開催すれば、党の方向、めざすものが見えてきて、党員、サポーター以外の有権者(国民)にアピールでき、それこそ民進党を売り込むいい機会になったのではないか、そんな風に考えてしまうのだがどうだろうか。もっとも「安全保障問題、原発問題」は、両者の分かれるところであり、また民進党全体としても分水嶺となっている大きな政治課題だけに、「討論会」の場でもあいまいになってしまっては意味がない、だから避けた?
 よく言われる「枝野リベラル、前原は保守」という評価は本当だろうか。そもそも「リベラルとは何か、どんな政治的、社会的主張を柱にしているのか」「保守というのは、古きもの、既得権を守ろうとする考えだけだろうか」など、もっと理解を深めて語らなければいけないがここでは手を抜く。
 私の浅慮な「リベラル」という意味は、全体主義に対する自由主義(リベラル)であり、公平、均等、共生という意味が込められた「社会(ソーシャル)」主義といえそう(ソーシャルリベラル)。なおかつ「保守」に対抗する「革新」であることから、日本風に言えば「左派」ということに包摂される、そう思っている。
 では「保守」という概念をどう受け止めているか。戦後政治の骨格・自民党政治そのもので、労働者と資本家という「階級史観」を注釈なしで受け止めてきた。しかし、社会党から民社党ができて自民に近づき、現民進党の中で自民党に同調するかのような動きが出てきている現状。また中曽根が登場して守旧派を超えた保守自民党が出現して、それでも「自民党の中にも“リベラル派”がいるようで、保守の一言で括りきれない」と思うようになり、「保守対革新」という「二分法」が状況に合わなくなってきた。
 それで「リベラル派」の枝野は、「多様性を認め合い、困ったときに寄り添い、お互いさまに支え合う」そんな日本を目指すという。「保守」の前原は「あらゆる生活者の不安を解消する」「危機的な状況の中、党再建の先頭に立ち、政権交代可能な政治をつくる」とした。それらの具体的な項目を枝野は「認め合い、寄り添い、支え合う」社会のために「高く掲げる3つのポイント」を示した。一方前原は「1、基本姿勢4項目、基本政策8項目」を掲げた。
 それぞれをさらに読み込んでいく必要があるが、離党組や小池新党にすり寄るグループと同調しているような前原は、「脱民進党」のように思え、えてして“脱走”には、勇気と決断がいるから攻勢的で“勢いがある”という印象を与える。それに対して枝野は、表現は情緒的で、民進党(民主党)の本来の姿を強調し、安心、安定、慎重を印象付けようとしているかのようだ。どう見てもこちらが「党内保守」のように映る。
 もう少し深堀する必要があるが、「前原優勢」の報が流れていることを思うと、枝野には「立憲・平和主義、リベラル政治」という潮流を意識して最後まで頑張ってほしい、これが現時点での私の感じているところである。

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2017年8月24日 (木)

民進党の代表選挙考(1)

 私は無関心ではいられない
 民進党の代表選挙が9月1日に開票され、新代表に枝野幸男氏か前原誠司氏のいずれかになる。現在の政治局面からすると「野党第1党」のリーダーが誰に決まるかは、第1級の政治的関心事ではないかと私は思う。そこには、当然にも私自身が民進党の「サポーター」であること、愛知第3区の近藤昭一衆院議員の応援団の一人であることが前提にあることは間違いない。
  だがそれだけでないことを説明することは大切ないことだと思っているが、ここでは多くは触れない。つまりマスコミだけでなく、私の周辺での空気も「低調な民進党代表選挙」とか「関心がない、薄い」などの表現に見られる“しらけ、冷やかさ、突き放し”に私はある種の「危惧」を持つのである。裏返すと「反自民・非共産」の立場の私は自民党の総裁に誰がなるか、共産党のトップは誰か、の関心を捨てたことはない。支持勢力、支持政党の活性化、伸長と政権への道を期待するなら、当然そのリーダーに誰がなるかは重要なことだし、仮にそのリーダーが期待したいほどの人物でないとしても、それに代わる現実的な勢力・政党が展望できないとすれば、好みや路線の違いだけで「関心・関与」から離れてはいけないと思うのだ。それ自体がある種の“利敵行為”に準ずるのではいかとさえ思うからだ。
 だから“だらしない民進党の代表に誰がなろうと状況に何の変化は生じないだろうし、どうでもいいことだ” としたら、それは“たった私の一票が、政治を動かすとは思えない”と思うと同様に、この民進党の代表選挙に無関心でいられるのは、「政治に関与することから退く」ことと同じようなもの、と私は思うのである。
 ここでは、市民運動も労働運動もまして政治活動などに直接関わらない、一般的な有権者について言っているわけではない。少なくとも地域で集会やデモ、スタンディング、チラシ配りなどに参加し、メールで何らかの書き込みをし、或いは投稿はしないけれども、MLに加入して状況を得ようとしている人への私の思いを伝えたいのである。
 とはいえ、現実に戻ってみると「枝野VS前原」という構図は前回の「蓮舫VS前原VS玉木雄一郎」に較べもう一つ「華」がないように見える。私にしてみれば“蓮舫という女性党首の方がよっぽどか、アピール力がある”と思っていただけになおさらである。いまさらこんな比較論を言ってもせんないことではあるが、「(旧社会党の)土井たか子と蓮舫の違いは何か」とも考えてしまう。舌鋒鋭いところに共通点はあると思うが多分“庶民性”でかなりの違いがありそうだ。また「統率力」にも差があるのだろうが、ここは微妙である。旧社会党にも左派と右派、中間派があって党内で対立がなかったとは言えないが、「保守・自民党対革新・社会党」という大きな対抗軸があって、それがいざっ!というと時の、自社とも「党内の結束の鍵」となっていたと思う。だが今の民進党は「小選挙区制」と「連合の存在」が大いに影響しているのであろうが、(自民も同じとは言え)自身の「議席確保」にきゅうきゅうとしているところがある。「維新の会」へ行った議員も、「小池新党」に惹かれていく議員も、明確な政治的理念、展望、政策をもって出ていったとは思えない。
 では今回の代表選挙で枝野、前原両氏はどう考えているのか、そこを追求していくと、民進党代表選挙に関心がなくても、自らに問い返してみれば、政治、この国行方に望むもの、期待するもの、めざすものも幾らか見えてくるのではないだろうか。 
続く

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2017年8月19日 (土)

民進愛知3区党員・サポーター集会

 前途は多難に変わりがない
 民進党愛知第3区総支部主催の「党員・サポーター集会」が午前10時から開かれ、私はサポーターとして出席した。50~60人ほどの集まりであったろうか。
 主題はもちろん国会の報告もあったが「代表選挙」についてであり、それに沿った報告・提案が近藤昭一衆院議員からあった。
  安倍政権の「森友・加計学園隠し」と「共謀罪強行採決」の6月閉会の国会の報告、都議会選挙と離党問題、野田幹事長辞任、蓮舫代表の辞任、そしてそれらの議員総会での経過と総括をへて、9月1日の代表選挙へ。
 質疑では私を含め4人が手を挙げた。私は、まず「党員に非ず、サポーターたる所以」から切り出し、政党は「政策・リーダー・組織」で成り立つものであるとした。政党はどんな政策を掲げるかが重要で政策の一つとして、原発政策をはっきりさせることを強調した。(立憲主義、リベラルなどは割愛)そして「課題で一致」することで「野党共闘」が成り立つ。(選挙協力だけが共闘ではない、と言いたかったが省く)、次に「リーダー」については、蓮舫さんが代表に選出されたとき、日本にもいよいよ「女性のリーダー」が登場したか、と党内外からの期待もあったと思う。野田聖子(や小池百合子)に注目が集まるのを見てもわかる。  その蓮舫代表を支えきれなかったのは残念だった。(党の顔は大事なポイントだ、と暗に述べたつもりだが)、そして組織の問題については、共産との対比を通して、組織とは「議員の個人的ファン、後援会だけが組織ではない。」地方議員の(拡大)活躍と、運動での組織的広がりが重要だ。この点で共産党に後れを取っている。市民運動への参画、動員力では共産党に劣る。この3区で私は近藤議員の活躍によって互角(以上)とみている。(が、実態は必ずしもそうではない。)それは、例えば4人めの女性がいみじくも「近藤先生は、どこ(の集会)でもよく来られて頼もしいのですが、いないときは、共産党は地方議員などが来られるが、民進は代わりの人が来ないので寂しい」という発言もあったのだった。
 この3区では、代表に枝野幸男を推すことが方向と示され、私もそのような支持を出した。
 近藤議員は、答弁の中で強調したのは、①結果がどうであれ今後は、党内一致して進む(べきだ)。②前原、枝野両氏はもともと同じよう政治家の道を歩んできた。選挙では「違い」を明確にするために大きな違いがあるように語りもするが、もともと「政策的にリベラルであっても、立憲主義などで、(党内では)党の路線を守る“保守”であることの違いはない」、の発言は「分裂」や分裂の「印象」を与えたくないという配慮がくみ取れたが、私は党内の「立憲、リベラル」グループの伸長と実権をもって進んでほしいと願っているから、近藤議員の発言はややおとなしいのではないか、との感想を持った。だから自らは、何らかの「組織展開」の必要性を迫られるのである。

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2017年8月13日 (日)

アメリカと「北朝鮮」と日本

 口撃から本物にさせないために
 いつのころだったか、日本の安全保障、日本の防衛という時、「日本列島ハリネズミ論」とかがあった。そして「不沈空母(1983年・中曽根)」という言い方をしていたが、そこにはまだ戦後の保守政治の中でも憲法上の「専守防衛」思想が根底にあった。その限りでは「自衛隊」も「戦力」としてその存在は憲法違反であるといえたが、世論としては「丸腰ではちょっとねえ」みたいな空気があったのであろう、自衛隊解体論には至らなかった。
 現時点では安倍も自民党も「アメリカ追従」の姿勢を鮮明にしているが、これは「隠れ蓑」に過ぎないのではないか。というのも安倍首相がよく口にしていた、“戦後レジームからの脱却”を最近はなぜかあまり言わなくなった。そこには「日米安保条約」の拡大解釈もあるが、「PKO」や他国との「共同軍事演習」「集団的自衛権の行使容認」など海外派兵というステップを踏んだうえ「自主防衛論-核武装」という段階へ進もうとしているのではないか、というのが私の見方である。
 そうした深謀遠慮を巡らせていれば、こんにちの「米朝緊張関係」も、安倍にとっては(内心)好都合と思っているに違いない。例えば高高度の弾道ミサイルなど撃ち落とすことはまず不可能と思われるから、ミサイルの一部の落下が対象などとして迎撃ミサイルシステム「PAC3」の配置をにぎにぎしく行わせた。
 この点について、東京の杉原浩司(武器輸出反対ネットワーク[NAJAT])さんは、こんなメールを書いている。
 ~米朝が脅し合う危険なチキンレースが加速しています。こうした動きの中で、ロッキード・マーチン、ノースロップ・グラマンそしてレイセオンなど米国の巨大軍需産業の株価が最高値を更新したとも報じられています。
 日本国内では安倍政権が「待ってました」とばかりに、PAC3ミサイルの中四国への移動展開を行いました。「現代の竹槍訓練」とも言うべきこのパフォーマンスは、(1)グアム方面向けのミサイルは大気圏外を通過するので「上空」に意味無し(2)PAC3は射程数十kmに過ぎず、カバーできない地域が大部分(3)「備えている」と見せかけて、米軍の先制攻撃への心理的抵抗を弱める、という重大な問題点をはらんでいますが、ほとんどのマスコミは政府のプロパガンダに堕しています。
 緊張が高まる北東アジアの状況をどのようにとらえ、軍縮と平和構築のために市民として何ができるのかを考える講座を開催します。・・・~

 アメリカと「北朝鮮」が、嘘、はったりにしろ「口撃」がいつまでも続くとすれば、トランプも“言葉尽きて”艦隊の派遣、最新攻撃機のデモ飛行、ミサイル発射実験、日本、韓国などとの共同演習の強化へとエスカレートしていくかもしれない。一方金 正恩(キム・ジョンウン)最高指導者も、ミサイルの発射、長距離砲の砲撃訓練などで戦意高揚を誇示しかねない。
 そんな時日本のとるべき道は、容易くはなかろうが「米朝トップ会談」の場を設えることではないのか。「六か国協議の場」も一つであろうが、「北朝鮮」が応じないのは、日本、アメリカ、韓国がまず「北朝鮮」の核実験中止、ミサイル発射の中止を求めるなど非核化への具体的行動をとるよう主張しているからでもあろう。だが「北朝鮮」にとって、圧倒的な軍事力を持つ大国アメリカを前にして、せめて“蜂の一刺し”の「核」を散らつかせ、ミサイルを持つことは敵の攻撃から防御しようとする「抑止力」になっていると考えているのではないか。
 国是ともいえそうだが軍事行動では常に「先制攻撃型」のように思われるアメリカに対して“大人になれ”は通じない話かもしれないが、そこを説き伏せるのが日本政府の役割であり、平和貢献そのものであろう。「PAC3」の配備や日米共同演習、沖縄の基地強化などの「対抗手段」を取り続ける限り、「平和的解決」の使者にはなれない。
 こうした状況を受けて、「核戦争の可能性をなくすために、今こそ市民が意思表示しよう―『8月朝鮮半島危機』は関係国の話し合いによって解決すべきです―」という緊急声明の賛同募集が始まっている。
 声明の中に「今、日本政府は全ての過去のいきさつを一旦停止し、北朝鮮とアメリカを話し合いの座に着くよう働きかけるべきです。」とあり、これは前述のように私も同意見であり同調できるものだ。そして、「最も必要なのはアメリカと北朝鮮を中心に、日本・韓国・中国も含めて対話」の必要性を説いている。これにはロシアは入っていないが「六か国協議」の枠組みに近い。これも前述したが「北朝鮮」が応じるかどうかは半々としか言いようがない。
 私としては、まず日本政府が「北朝鮮」への対抗処置をやめること、アメリカの「特使」のような印象を与えないで、外交関係云々を超えて、安部もしくはナンバー2レベルの政府関係者を訪問させることから始めるべきではないか。(この件に関しては田原総一朗が何やら安倍総理に進言したらしいが)
 以上が、「核戦争の可能性をなくすために、今こそ市民が意思表示しよう」の賛同署名呼びかけに関しての、私のコメントである。

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