2018年10月17日 (水)

映画「散り椿」を観る

 これは恋愛映画?なのかな
 来週の23日に「シネマ散歩・緑の会」の第7回映画鑑賞会は、樹木希林の「あん」と決まったが、選択過程で「散り椿」「あん」「日日是好日」「かぞくいろ」を挙げていたので、できれば全部観ておきたいと思った。しかし日程的に無理だろうから、すでに観ていた「あん」ともう一つ、ということで「散り椿」を選んだ。
 話題作ということもあったが、原作が葉室麟というのも動機の一つ、とは言っても私は葉室麟のファンでもないし、数多い著書の中で「津軽双花」を新聞小説で読んだだけ。だからなんとなく気になる作家というだけだった。理由は分からないが、何かを感じてのことだろう。
 映画そのものは時代劇の定番「お家騒動」の一つといえばそれまでだが、友人がメールで送ってきた「監督、撮影が木村大作さんなので、やっぱり映像が美しい」というのも、確かにそうだなと思った。全編がセットなしのロケとか、一部を除いてほとんどが富山県での撮影のようで、しばしば(多分)立山の白い頂が顔を出す。あるいは、清流の浅瀬をわざわざ馬隊で走らせる、画面と直接関係ない風景だけが映し出される。「椿」ももちろん出てくるがこれは京都あたりのようだ。解説によれば、「散り椿」とは、正式名称を「五色八重散り椿」というのだそうだ。花弁が一片一片散っていく。一木に白から紅まで様々に咲き分け艶やかであるとも。
 扇野藩の平山道場には四天王といわれた剣士がいた。主人公瓜生新兵衛(岡田准一)もその一人だが、藩の不正を暴こうとして城代家老・石田玄蕃(奥田瑛二)の策略で浪人となる。それから8年、連れ添った妻の篠(麻生美代子)が病に倒れたその折、彼女から最期の願いを託され、扇野藩に戻ってくる。そして・・・。
 四天王の一人榊原采女(西島秀俊)と新兵衛とは幼馴染でもあった。新兵衛は、側用人として出世していたが石田玄蕃の企みを見抜き対立を深めていた。そうした藩内の跡目(勢力)争いとは別に、新兵衛、采女、篠、篠の妹・里美(黒木華)の間に行き交う愛もまたもう一つのテーマであった。
 観終えれば四天王は、新兵衛を除き渦中で散っていき、新兵衛も旅に出るところで終わるのであるが、それだけでなく「散り椿」は、時代劇を背景とした恋愛映画というにふさわしいタイトルであることに気づかされたのだった。

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2018年10月11日 (木)

映画「あん」を観る

樹木希林の再上映映画
 今月の映画鑑賞会「シネマ散歩緑の会」の候補映画をどれにするか迷っていた。そしてその候補作品として2015年制作の「あん」(再上映)と最近封切りの「散り椿」を観る機会をうかがっていた。そして今日、イオンシネマ大高で最終日となっていた「あん」を観ることができた。
 先に死去した樹木希林さんの直近の作品ということもあったが、河瀬直美監督の作品であることと、「ハンセン病」問題が背景にあるということでこの映画を選んだ。
 この映画は、ドリアン助川の同名小説の映画化したもの。あることがキッカケで刑務所暮しを経験した一見、陰のある男、ある町の一角でどら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごしている千太郎(永瀬正敏)。
  ある日、この小さな店で働くことを懇願する76歳になるという老女、徳江(樹木希林)が現れる。何とか賄い女として働くことになった彼女が作る粒あんの美味しさが評判を呼んで店は繁盛していく。しかし、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂が流れたことで客足が遠のいてしまい、千太郎は徳江を辞めさせなければならなくなる。
  それを察しておとなしく店を去った徳江だったが、彼女のことが気にかかる千太郎は、徳江と心を通わせていた近所の、つぶれたどら焼きをもらいに来ていた女子中学生のワカナ(内田 伽羅・樹木希林の実の孫娘)とともに徳江の足跡をたどり、ハンセン病感染者を隔離する施設・天生園に向かう。そこにいた徳江は、淡々と自分も自由に生きたかった、との思いを語るのだった。
  前半は、陰のある男千太郎、常連客の女子高校生3人組と中学3年生のワカナと、平和な桜並木が美しいある町の一角。そして50年もの間「あん」を作り続けてきたという徳江が、あずきに語りかけるようにして日の出から午前11時の開店までにつくる「あん」製造過程が描かれる。
  後半は、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂で客が来なくなり、止めていった徳江を千太郎とワカナが訪ねて、ハンセン病の社会的におかれた状況と、徳江をはじめとする療養所の人たちの思い「生きている意味って何なんだ」そして「病んでいるのは囲いの外です」ということが暗示される。
  老女徳江や親友の佳子(市原悦子)らハンセン病を患っていた人たちの尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマでした。
  イオンシネマ大高では最終日であったが、伏見ミリオン座は上映中である。いつまでの上映期間かがわからないので、鑑賞日によっては観られないかもしれない。予備として「散り椿」と「日日是好日」も考えてはいるが。

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2018年9月28日 (金)

映画「1987、ある闘いの真実」を観る

  日韓に共通する部分もあるがしかし・・・
 展開の早いサスペンスドラマのようでありながら、それが史実であるから感動のあまりうるんでしまう場面の多い迫力のある映画であった。
  映画から離れても韓国の「民主化闘争」に、とりわけ深い関心を持っているのは、“団塊の世代”以上かなと、勝手に思いこんでいるのだが、私にとっては「在日韓国人政治犯」の釈放・抗議運動と1980年5月18日から27日にかけての光州市を中心として起きた民衆の蜂起(光州事件)の記憶が強く印象に残っている。
 この映画でも新入女子大生・ヨニ(クミ・テリ)が「漫画サークル」に誘われて、そこで漫画ならぬ「光州事件」のビデオを見せられるシーンが一瞬だったがあった。
 1980年~1987年は、前政権の朴正煕時代から全斗煥大統領による軍事政権下の弾圧下にあった一方、「民主化」を求める学生だけでない国民的欲求・運動にとって厳しい時代でもあった。
  この映画はそうした背景を下地にしている一方、政治に無関心、経済発展に浴する若者例えば女子大生・ヨニの姿もあって現在に引き戻す。
  また、内容は殆んど史実に基づいているが、映画故の一部にフィクションもある。民主化運動を陰で支える叔父さんのハン看守が捕らえられ、学生の活動家ハニョルに惹かれ乍ら変わっていく女子大生・ヨニも架空の人物とされる。ではあってもさして不自然さはない。それと関連があるかどうかわからないが、要所、要所で「反体制派」又は「良心派」の人物例えば検事、新聞記者、看守、学生のリーダー、医師、司祭などが登場して韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。そのスピード感のある展開に緊張感が漂う一方、感動の中にと希望の光を見るような・・・。
 それにしても韓国の警察、治安部隊の暴力はすさまじい。その暴力は、小林多喜二を拷問死させた日本の「特高」と変わりないか、その実態は知らないが、光州事件などから見て韓国のそれは直接な凄まじい暴力といえるかもしれない。戦闘警察の放つ催涙弾が、活動家ハニョルの後頭部を直撃、ハニョルは、暫くして死亡してしまうが、これは三里塚闘争(新東京国際空港反対闘争)における東山薫さんが、機動隊の放った催涙弾の直撃(水平撃ちは違法)を受けて死亡した事件を思い出させた。
 そうしたいくつかの点で韓国の民主化運動と日本の「左翼」の運動に共通点がないわけではないが、比較すること自体に違和感があるかもしれない。「反共・防共」思想などおかれている状況に違いがあり過ぎるからだ。いずれにしても私たちが直視して学ぶべきことは多い、そんなことを示唆した映画であった。

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2018年9月15日 (土)

映画「禁じられた遊び」を観る

 疲れていて、ふと思いついて
 この日、中野晃一氏(上智大学教授)、福島みずほ氏(参議院議員)、大内裕和氏(中京大学教授)という魅力的な講師を招いての集会があったが、私は朝から沖縄県知事選挙の「玉城デニー政策集」の編集作業に没頭したため、集会参加をあきらめた。そして編集作業が一段落したところで、妙に気疲れしていた。
 そこでインターネットでなんとなく映画情報などを辿っていたとき、「禁じられた遊び」が目に止まった。何といっても映画そのものより、あの哀愁に充ちた音楽は忘れられない。私でさえいっとき、ギターをつま弾いたことがあるのだ。
 上映開始時間を見れば5時35分とあり、4時に家を出れば間に合うと、折りたたみ傘一本をもってバス停に走った。

映画「禁じられた遊び」
 第二次世界大戦中のフランス。ドイツ軍によるパリ侵攻からの避難途中、5歳の少女ポーレットは爆撃により両親と愛犬を亡くしてしまう。ひとりはぐれて、子犬の亡きがらを抱きながら彷徨ううち、11歳の農民少年ミシェルと出会う。ミシェルから死んだら土に埋めるのだ、と知らされたポーレットは子犬を埋め、お墓をつくり十字架を供える。それからは、お墓をつくり十字架を供える遊びがすっかり気に入り、この秘密の遊びのために二人は、十字架を集め始め、ついに教会や霊柩車からも十字架を持ち出すようになってしまうのだった・・・。

 「禁じられた遊び」は1952年制作であるから、スクリーンは「スタンダード」タイプというのであろう。もちろんモノクロ。そしてキャパ50ほどの小劇場は、私にとっては非常に見やすいということが分かった。画面を見ながら字幕がよく見え、追っていけるのだった。元々遠近両用眼鏡であるから、焦点が合う領域はかなり狭いのだ。
 あ、映画の感想・・・、ポーレット(ブリジット・フォッセー)とミシェル(ジョルジュ・プージュリー)という何かと対象的な二人の子どもが、次第に心を通わせていき家族となっていく。それははかなくも短い時間であった。
 「禁じられた遊び」というタイトルは定着し固定化されているが、5歳のポーレット、11歳のミシェルの「遊び」とは結びにくい。私には10代後半の青年初期の出来事のように思えていたのだった。
 そうした二人を中心に進んでいくが、一方で私はフランスの片田舎の農家の暮らしに目がいっていた。イギリスやフランスの映画の多くには、こうした光景はあまり出てこない(見たことがない)家も、食事も、着ているものも貧しい暮らしの中、家父長的家族と「祈り」のある日常、といっても祈りを唱えるのはミッシェルだけだが。
 最後はポーレットが「家族」から引き離され、孤児院へと連れていかれる・・・。映画「風と共に去りぬ」のスカーレットではないが、ポーレットの「その後」が気にかかる、哀愁の結末でした。
 これを観た後、「太陽がいっぱい」(1960年)が観たくなった。

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2018年8月31日 (金)

映画「沖縄スパイ戦史」を観る

  “語り継ぐ”ことの大切さ
 「シネマ散歩・緑の会」の第6回鑑賞会は、昨日行われた。鑑賞映画は、名古屋シネマテークでの「沖縄スパイ戦史」(三上智恵・大矢英代監督)であった。会場のキャパ、明日が最終日ということもあって、早めの30分前に集合をかけたのだが、私が45分前にチケットを購入した時点で20番目の札を受け取って“えっ!”と思ったのだった。
 今回は6人の参加であったが、遅れた一人が15分前に入場順の札を受け取ったとき61番であった。つまり、キャパ40といわれていた会場、実際は50の席があってそれは満席、両サイドにパイプいすを並べて60人から70人がぎっしり入るという関心の高さだったのである。

 1945年・・・、沖縄戦では、本島南部の激戦が1945年6月に終わった後も、北部では10代の少年たちが動員された「護郷隊」によるゲリラ戦が続いていた。少年兵には米軍戦車への特攻や遺体の埋葬など過酷な任務が課せられた。護郷隊を率いたのは、スパイを養成する東京の「陸軍中野学校」から送り込まれた青年将校たちだった。
 少年たちが動員された「秘密戦」や、八重山諸島の「戦争マラリア」の真相に迫り、戦争や軍隊の本質を浮かび上がり、「裏の沖縄戦」を日米の資料や証言をたどることで、解き明かしていく。(引用)

 私は、沖縄のことはある程度知っているつもりであった。本島だけしか行っていないが、観光も含めれば複数回訪ねている。しかしこの映画の主題、10代半ばの少年で組織され、ゲリラ戦、スパイ戦に動員された「護郷隊」について、「70年以上語られなかった」とはいえ、その名も実態も全く知らなかった。これに限らず“知っている”という思い込み、“知っているだけ”という自己完結がなんと多いことか。
 そして「学んだ者、話を聞いた者の責任」(大矢英代監督)、それ即ち「観た者の責任」を強く感じたのだった。私個人としてできることはそんなに多くはない。多くはないが着手する、継続する、交流を深めるということであろうと思うし、「今、何をなすべきか」を自問し続けることだと思った。
 「戦後73年。だが、もしかしたらもうとっくに、私たちは戦前を生きているのかもしれない・・・」(同)という意識は、共有することができたとしても、やはり何を選択し、何に抵抗し、何を目指すかという意識、凝視を暮らしの中で持つこと、知り得たこと、語り継がれたことをまた“語り継ぐ”ことが大切であろうと思う。
 終えてからそれぞれの感想を聞いてみた。明確な言葉は少なく、戸惑いのような感想が多かったように思う。私にしても、こうした映画を選ぶこと自体に多少の逡巡があった。普段から集会やデモに無縁な人の集まりであるから、“この8月であればこその機会、として選んだ”というようなことを述べたのだった。
 次回は10月だが、どんな映画を選ぼうかな。

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2018年8月24日 (金)

ドキュメ映画「コスタリカの奇跡 」

  ~積極的平和国家のつくり方~
  近藤昭一衆院議員が実行委員長を務める「名古屋映画上映実行委員会」主催の映画会「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」が夕刻から行われ観に行った。
  この会は、2013年から始まり、8月に開催されることが多いのだという。これまで「ひろしま(2013年)」「ひまわり(2014年)」「ハーツアンドマインズ(2015年)」「不思議なクニの憲法(2016年)」「スノーデン(2017年)」そして今回が6回目である。
 私はこの映画鑑賞を大いに期待していて開場15分前に到着し、いわゆる「S席」と思しき場所を確保したまではよかったのだが、いざ始まるとスクリーンが二重になって見え、字幕についていけない状況となった。持病でもある眼病の軽い症状である。その上眠気が襲ってきて、第1章から6章まであったような気がするが、とにかく記憶があまり残らないまま終えてしまった。
 かすかな記憶と予備知識から振り返れば、まずコスタリカといえば「軍隊のない国」となる。1948年に常備軍を解体し、軍事予算をゼロにした。そして無料の教育、無料の医療を実現し、環境保全のためにどのように国家予算を投入していったかを章ごとに詳しく説明していく。
  軍隊廃止を宣言したホセ・フィゲーレス・フェレールや、ノーベル平和賞を受賞したオスカル・アリアス・サンチェスなどの元大統領や、ジャーナリストや学者など、さらし市民が登場して、この国のゆくえ、息子を兵隊にとられない平和のありがたさが映しだされる。
 もちろんその過程は平坦ではなく、アメリカの圧力、資本の進出、ニカラグアの侵攻にも武力を使わないで「話し合い」で解決していく。
  健康を図る指標「地球幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いていること。またラテンアメリカで最も安全とされているコスタリカ。
  憲法論議、安全保障問題だけなく、自然災害、教育、医療、介護などの福祉、税制等々、すべての面で“このままでいいのか”というこの日本であれば、国を取り巻く環境に大きな違いがあれ、一つの形がここにあると知らされた。
そして副題の「積極的平和国家のつくり方」は、私(たち)にとって現在進行系の課題である。(引用多し)
  原題:A BOLD PEACE/監督:マシュー・エディー、マイケル・ドレリング/公開:2016年/製作国:アメリカ・コスタリカ/90分/配給:ユナイテッドピープル

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2018年8月 5日 (日)

映画「カンタ!ティモール」

 日進市での、平和のつどいで上映
 日進市で8月4日、5日に開かれた2018年「にっしん平和のつどい」の中の一つのプログラム、自主製作、ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」(監督 広田奈津子)を観た。
 映画のナレーションは監督だと思われるが、現地語(テトゥン語とポルトガル語が公用語といわれるが)は字幕であった。ところが会話の字幕は左右だったのでこれはよかったのだが、この映画の特徴である全編を通して歌われる歌詞の字幕がスクリーンの下側だったので、しっかり読み取れず惜しいことをした。
 まずこの映画見つけてきた主催者に感謝したい。
 この映画の舞台である「東ティモール」の問題については、1970年代か80年代に「インドネシア軍の侵攻」「フレテリン」という言葉が断片的に浮かぶ程度で、私の関心は薄かった。
 私の中で次に「東ティモール」が出てくるのは、イタリア国籍のカトリック司祭であるステファニ・レナト神父が名古屋、小牧での外国人労働者を一時保護するなどの救援活動、人権活動で、1990年ころに弁護士会の「人権賞」を受けたこと、その後東ティモールに移住し、暫くして事故で亡くなられたことくらい。
 この映画は、「この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人びと。その姿が、世界に希望の光を投げかける。詩のようにつむがれる言葉の数々。それは観る者の胸をそっと貫き、決して消えない余韻となる」というガイドに尽きると思う。しかし私たちは、現在と重ねてみることも必要であろう。例えばインドネシア軍の侵攻・残虐行為がかつての日本軍の蛮行と重なり、豊富な天然資源に恵まれたこの国だからこそ他国の争奪の渦に巻き込まれた。そこに日本も関与していて、つまりインドネシアへの経済援助が軍事援助となり東ティモールの人びとを苦しめたという事実。
 映画で印象残ったもう一つは、東ティモールの人々は、あれほどの迫害、虐待、虐殺を受けながら、決して敵を恨まず憎しみを連鎖させないという姿勢。2002年の独立に至る戦争では、傷ついた敵の兵士を手当てして送還し、命令のままに動く前線の敵の兵士、捕虜も人として扱い、独立の意義を伝えて釈放してきた。そうやって許しを得たインドネシア兵が戦争の愚かさを知るようになって独立を勝ち取っていく・・・。
 このシーンで私がふと思ったことは、インドネシアの多くの人々はイスラム教徒、東ティモールの人たちの大半はキリスト教徒といわれる。一見して「宗教対立」も背景にあるのかと思ったが、そうした背景は出て来ないし「フレテリン」の戦いも出てこない。人間が作り出した現代社会の政治、宗教という「対立」の世界がある一方、自然、大地を神とし、祈りと歌が人びとに暮らしと安らぎを与えるというもう一つの世界があると知らされた。
 私(たちは)便利な電化製品、自動車、パソコン等「文明、文化、産業」に囲まれた現在の生活からは抜け出せない現実がある。
 前述のステファニ・レナトさんは、東ティモールに活動の場を転じたが、その赴任前「・・・今、東ティモールに活動の場を移す準備を進めています。自分は教会の中で貧しい人々への理解を求めながら、豊かな日本に暮らし続けているという矛盾を断ち切るには、貧しい人々の中に入るしかない・・」と決断の動機を語っている。(名嶋聰郎弁護士の追悼文から)
 と、110分の映画からいろいろ示唆を受け、想起もしたが、明日になればまた「日常」に戻る現実がある。だが少なくともその「自覚」だけは残しておこう。

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2018年7月 2日 (月)

映画「空飛ぶタイヤ」を観る

実際にあった事件・事故の「社会派ヒューマンサスペンス」
  30日の「万引き家族」を観る前に、映画「空飛ぶタイヤ」を観た。何と何十年ぶりかの「2本立て映画鑑賞」であった。
  この映画を観たいと思った動機は二つ。一つは私が在職していた三菱自動車の、2002年に起こしたトラックによるタイヤ脱輪事故で主婦を死亡させた実際の事件と、それに伴うリコール隠しをベースに書かれた映画であったこと。もう一つは、「半沢直樹」や「下町ロケット」など数々のテレビドラマ化作品で知られる人気作家・池井戸潤の同名小説をかなり前おもしろく読んでいたことの二つだった。
  尚、これはテレビでドラマ化されたが、大手自動車メーカーをスポンサーとするテレビ局ではドラマ化をすることができず、WOWOWにて映像化されたという経緯があったという。
 映画は「よく晴れた日の午後。1台のトラックが起こした事故によって主婦が死亡。事故を起こした運送会社社長の赤松徳郎(長瀬智也)は、走行中のトラックから突然タイヤが外れたことによる事故だと警察から聞かされる。整備不良を疑われ、世間やマスコミからバッシングを受ける日々のなか、赤松はトラックの構造そのものに欠陥があるのではないかと気づき、製造元のホープ自動車販売部カスタマー戦略課課長・沢田悠太(ディーン・フジオカ)へ再調査を要求する。同じ頃、ホープ銀行本店営業本部・井崎一亮(高橋一生)は、グループ会社であるホープ自動車の経営計画に疑問を抱き、独自の調査を開始していた。遅々として進まない状況に苛立ち、赤松は自らの足で調査を始めるが、やがて、大企業のリコール隠しがあったことを突き止める。赤松は親から引き継いだ会社や社員、そして家族を守るため、何よりも自らの正義のために巨大企業に立ち向かっていく・・・。」
 この種の映画・ドラマは、巨大組織の暗部とそれに立ち向かう人々を描いた「社会派ヒューマンサスペンス」と呼ぶらしいが、実際にあった事件であるから、「経済小説」の枠を飛びこえているといってよいだろう。その後の、自動車業界のリコールの多発、検査データの改ざんも後を絶たない。そこには、硬直した組織の劣化もあるし、“ものづくり”の技術の限界も見え隠れする。だってあの新幹線すら危ういところだったではないか。
 さて映画の終盤は、自社の整備について自信を持っていた赤松は、事故の本当の原因は、トラックを製造した巨大企業・ホープ自動車にあるのではないかとの疑いを強め、その証明に躍起となる。だが次々と壁に突き当たり、絶望のどん底にあってもがくが、亡くなった主婦の子どもの一文に「人間性」を感じ、妻の励まし、最後までついていくという従業員からも後押しされる。そして、以前同じ経験をしたことのある児玉通運の助力、ホープ自動車カスタマー戦略課課長の沢田悠太( ディーン・フジオカ)や若手の社員の、陰の協力もあって、ついにホープ自動車の秘密会議「T会議」(Tはタイヤのイニシャル)の全容が暴露されるに至って、ホープ自動車に家宅捜査が入り、事故原因が究明され、常務の逮捕に至って、最後には疑いが晴れるという感動的な結末を迎える。
その後のホープ自動車=三菱自動車は、トラック・バス事業を別会社化し、日産自動車の傘下に入って立て直しを図っているが、業績は遅々として上がらない。一度なくした信用を取り戻すにはどれほどの困難が待ち受けているか、それは私たち一般人とて同じであることを教えている気がする。

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2018年7月 1日 (日)

映画「万引き家族」を観る

 評価は人それぞれだったが・・・。
 昨日30日は「シネマ散歩・緑の会」の第5回映画鑑賞会を午後から開催して「万引き家族」を7人で観た。
  終えてからの懇親会で、ひとしきり感想などを出し合ったが、“さすがにグランプリをとった映画だけあってよかったね”という声はなかったか少なかったような気がする。中には「万引き家族」というタイトルはちょっと・・・という意見もあった。(私も同感)
 それでも、おばあちゃん(柴田初枝・樹木)の年金と「万引き」で生計が成り立っているような貧困の中の、どんな関係の「家族」なのかわからないが、誰一人不満を言うのでもなく、なんとなく狭い家の中で棲み分けている毎日であった。そこにある「絆」みたいなつながり、この社会にある問題を切り取って見せた点については共感していたように思う。
  例えば、親の虐待で一家にやってくる女児(ゆり・佐々木)。実際は、父親(柴田治・リリー)は日雇いで働いていて、けがをして失業。母親(信代・安藤)もクリーニング店で、パートで働いていたがリストラにあう。娘(亜紀・松岡)も・・・。そしておばあちゃんが亡くなると葬式をだすお金がないと床下に埋め、年金だけを受け取る。一見するとバラバラのような家族だが結びつけているものは何か。その答えが「現在社会に欠けているもの」といえようか。
 だが、ある日のこと多感な歳頃に入りつつあった息子(祥太・城)がゆりと万引きをするが、わざと見つかるようにして逃げる。それは、不正への目覚め(脱出)か、角の雑貨屋の主人(柄本)に、“妹にはさせるなよ” と諭されたこともあってのことか。
 この事件をきっかけに「家族」全員は警察の取り調べを受ける。その受け答えが悩める現代社会の代弁なのであろうか。それで幾つか印象に残っている場面があった。
  ゆりの腕に虐待の傷跡、そして信代にも同じ傷跡が。その「ゆり」を「母親」とこうあるものと抱きしめる信代。祥太が雑貨屋の主人に、“妹にはさせるなよ” と諭される場面。初枝が海水浴場の浜辺で、自分の足をさすりながら「シミが増えたなあ」みたいなつぶやき(数日後に亡くなる)。若い娘・亜紀の性産業でのアルバイト。そして老衰?で亡くなったおばあちゃんを、埋めたのは重罪だと詰め寄られた信代は、“捨てたのは社会よ、私が拾ったのよ”と言いきる。さらに“懲役5年よりも、今までの方が楽しかった、感謝している” というのも、ふつうの感覚ではないが、これも現代社会を映していたといえるのかもしれない。キーマンの治の、笑いの絶えない家族愛。
  せりふの細部を覚えていないので正確ではないが、それらが「世界共通」の社会問題であったから称賛されたのであろう。

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2018年6月30日 (土)

シネマ散歩・緑の会

  第5回 映画鑑賞会「万引き家族」
 今回の映画鑑賞会は、既に多くの人が観たであろう話題の映画、是枝裕和監督の「万引き家族」を取り上げ、今日の午後7人で観に行く。(イオンシネマ大高)
 既に観た人の中には「・・・全般的にあまり良くなかった、期待しすぎた分 一寸、がっかりした・・・」という人もいれば、「・・・映画『万引き家族』は、家族、貧困、犯罪などについて改めて問い直したくなるような素晴らしい映画でした。」という人もおられる。
 芸術的に作品として観る、評価する人と、「娯楽」として楽しむ人とでは、感想は違ってくるのも当然かもしれない。私は、どちらかといえば、娯楽「面白ければいい」という側であるが、様々な活動の中で多少映画の鑑賞眼も鍛えられたのか、作品そのものでより分けて観る傾向がある。
 映画鑑賞会の時に会誌「シネマ散歩・緑」を出しているが、今回の第5号は、1)作品の紹介・あらすじとスタッフ・キャスト、2)藤原帰一の映画愛「万引き家族」(毎日)、3)私の映画鑑賞記、①ドキュメンタリー映画「港町」
②ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書、4)シネマを散歩する「俳優も加齢する」であった。
 終わってから居酒屋で懇親会を行うが、午前中の鑑賞の場合は、「昼食会」であり、つまり交流、会話の機会とセットということである。観るだけなら、それぞれ都合のいい日に行けばいいのだから。

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