2020年6月29日 (月)

映画鑑賞記録をまとめる

 執筆編集の息抜きで
 明日の30日付で「C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・第3号」の発信を予定しているが、中途で止まっている。今日のうちにまとめて、明日には点検して発信の段取りであったが、原稿の一部でストップがかかったまま放置。
 こういう場面は決して稀ではなく、ほぼ毎度といっていいが、半日も空けることはない。そしてこういう場合、決まって“よそ事”に手を出すのである。頭の中は原稿のことでいっぱいなのだが、再開の兆し、端緒が見つからないと“よそ事”に、ズルズル引き込まれてしまう。
 ということで今回は、観た映画のチラシ、パンフレットが山積みになっていて、以前から気になっていたこともあり、とりあえず2017年以降のものを対象に整理することにした。ところが観た映画がいつ、どこの映画館であったかのメモがない。「シネマ散歩緑の会」の鑑賞会は、ニュースを発行してきたからほぼ完ぺき。個人で観に行った映画は、「日録」「ブログ」で当たっていけば、かなり拾えるのだが、3年も遡るのもなかなか厄介なことだった。
 日付が判明しても、映画館がどこであったかメモされていなので困った。映画を思い出しながら、薄れた記憶に頼るほかなかった。それでも恐らく90%は把握したと思う。残りは後日に。
 それで、シネマ散歩緑の会の映画鑑賞会は、2017年9月から今年の1月までで15回。個人的なものは、判明したものだけで言えば、2017年が8本(鑑賞会は2本)、2018年が11本(鑑賞会は6本)、2019年が4本(鑑賞会は6本)、2020年は6月までで7本(鑑賞会は1本)であった。
 今年は、新コロナの影響で鑑賞会は1月以来止まったまま。個人的なものは、「自粛」までの駆け込みで4本、「解除」後に3本(6月)ということであった。
 さしたる意味のないことに時間を費やしたが、これで明日はすっきり編集執筆に取り掛かれるだろう。

 

 

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2020年6月27日 (土)

映画「デンジャークロース」

 なぜ戦争映画を好むのか
   映画を観る私の態度はずっと「おもしろければいい」というもので、芸術的、文化的、社会的価値をもって、観る映画を選択することは少なかった。もっとも活動に付随して見る映画、ドキュメンタリー映画も多々あるから、「オタク」ではないと思っている。どういった経緯でそうなってきたかはここでは省く。
   昨日は「パラサイト 半地下の家族」の報告を書いたが、今日はもう一本の映画「デンジャークロース」についてであるが、ストーリーに多くは立ち入らないで、なぜこのような戦争映画を好むかについて若干書き留めておきたい。
 この映画は、私の記憶にはない珍しいオーストラリアで制作された映画であった。
ヴィエトナム戦争中の1966年8月18日、南ヴィエトナム、ヌイダック地区。ここにオーストラリア軍司令部の基地、砲撃陣地があり、ここが「北側」から砲撃を受ける。その砲撃地点を突き止めるために前線に向かう中隊10、11、12小隊の激烈な戦闘を描く。この戦闘は「ロングタンの闘い」といわれ、オーストラリア軍は18人の戦死者、24人の負傷者、北側(南ヴィエトナム民族解放戦線など)は、300人近い戦死者を出したといわれる。
 「デンジャークロース」とは、味方にも砲撃が届くほどの超至近距離での交戦をいい、北の大軍に包囲された小隊長は、このままでは中隊全体が全滅の危機であり、味方にも砲弾が落ちるかもしれない至近距離にある敵側への砲撃を要請する(ここでの葛藤を描いている)。
 今年の2月27日に、これも戦争映画「1917命をかけた伝令」を観ている。昨年の9月27日には「プライベート・ウォー」という具合で戦争映画を好んで見ている。
 政治信条の一つに「反戦平和」を掲げているのになぜ戦争映画を好むのか。確かに“おもしろいから”ではあるが、「人殺しがおもしろいのか」と言われれば言葉がない。しかし「人殺し」なら、戦争映画だけとは限らない。
 映画だからフィクションや誇張された部分もあるし、西側でつくられれば、北ヴィエトナムもドイツ、日本も常に「殺られる」側で描かれる。そこには兵士一人一人の名前はない。それを前提にして「戦争特に戦場の事実」に近い描写は、兵隊一人一人の表情、心情、行動など、もし私が「そこにいたなら」どう対応しただろう、という想像は「疑似体験」としてあり「反戦思想」の肉付けになると思っている。こんな酷い、こんな非人間的な、こんな非道徳的な、戦争遂行者のこんなひどい兵(人間)の扱いがあっていいのかと。
 私の戦争映画好きは、古くは「人間の条件」「ビルマの竪琴」「西部戦線異状なし」「戦争と平和」等が原点にあり、「夜と霧(アウシュビッツ強制収容所)」「渚にて(核戦争後)」もそんな流れであろうから、ドンパチに酔いしれるということ(ばかり)ではない。
 以上挙げた映画のほとんどは、記憶では一人で観ている。連れだった相手が同じ価値観がかどうかわからないことも頭のどこかにあったかもしれない。
 最後に日本では、多くがアメリカで制作せれた映画、つまり「アメリカ目線」での映画であるから、かの大戦も、朝鮮戦争も、ヴィエトナム戦争も、イラク戦争も、相手側から作られた映画もあるはず。時代が変われば、それらの映画が日の目を見るかもしれない。その時、今観ている映画とコインの裏表のように全体が見えるのではないか。そういう見方もできると思っている。(未完)

 

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2020年6月26日 (金)

リバウンドか!映画2本を観る

 映画「パラサイト 半地下の家族」「デンジャークロース]
 昨日の中部電力株主総会への参加をしくじって、ではその「代打」として何にしようかと考えた。こういう場合の多くは、パソコン作業に関わることが多いのだが、暫く外出していないこともあるので、映画を観に行くことにした。
 22日の月曜日に「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」を観たばかりであるが、シネマ散歩緑の会のみなさんには、7月中旬ころに再開したい、その準備のために映画館を調査します、と告げていたので、それにも符合すると勝手解釈。どうせなら2か所、2本見てやろうと考え、映画館と連続して観られる上映時間を探っていき、11時45分からの伏見ミリオン座で「デンジャークロース」、15時50分からミッドランドシネマ2で「パラサイト 半地下の家族」を観ることにした。「パラサイト・・・」は観たいと思いながら機会を逃していた。しかも当劇場での最終日であったので即決。
 両映画館とも、新コロナ対策はほぼ同じで、イオンシネマ大高とは違って体温検査はなく、やや緩んでいる感じはした。両館とも15人ほどの観客であった。
   映画「パラサイト 半地下の家族」については、すでに多くが語られているので内容は省く。第72回カンヌ国際映画祭「最高賞」パルムドール受賞作品ということで、その話題性も欠かせないという動機は大きな要素であったが、私としては、少し前にテレビで見た「タクシー運転手~約束は海を超えて~」の俳優「ソン・ガンホ」が出ているな、というのも関心の一つであった。
 もしこの映画を一切の前提条件なしで観たとしたら、私はどんな評価をしだろうかと思う。ということは、大きな賞を輝き多くの絶賛を浴びた、というところまでにはいかず、現存するという「半地下」そのものに関心の重点が置かれたかもしれない。
 この「半地下」については、フォトジャーナリストの伊藤孝司さんが、「追伸・第6号」という冊子に書いていた「『半地下』で聞いた壮絶な体験」読んでいたので、そんな「住宅」がどうして生まれたか、今はどうなっているのかを幾らか様子を知ることとなった。映画のストーリーとは全く違う背景があったのだと。
   今、この映画のパンフレットと伊藤さんの記事を読み返している。

 

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2020年6月22日 (月)

映画「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」

 シネマ散歩緑の会の調査を兼ねて観る
 4月14日に、映画「Fukushima50」を観て以来2か月ぶりに映画を観に行った。映画は「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」であった。これは観たいと思っていた映画ではあったが、同時に「シネマ散歩緑の会」の再開に向けた映画館の新コロナ対策の「視察」も兼ねていた。
 原作のルイーザ・メイ・オルコットの「若草物語」については知っていなかったので、事前に映画の情報を仕入れて「4人姉妹」の名前などを調べた。けれど、やはりというか(高齢の私だからか)アメリカの女性の名前と顔を見分けるのが大変で映画の前半では、この時代「南北戦争の頃(1860年代)」の「上流階級」を背景とする映画は、もともと好きではなかったこともあって、“この映画の選択は失敗だったかな”とさえ思ったのだった。
 さて映画の時代背景は19世紀のアメリカ、マサチューセッツ州ボストン。マーチ家の四姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。情熱家で小説家を目指していて、自分を曲げられないため周りとぶつかってばかりの次女ジョー(シアーシャ・ローナン)が中心に展開していく。中盤で三女のベスが「猩紅熱」で亡くなってしまうあたりから、私の中で全体の流れが分かるようになっていった。
 結婚を拒否し続けて小説家をめざしたジョーが、その後どういう結末を迎えるか、そして「わたしの若草物語」が解き明かされる・・・。蛇足だが、マーチ家の伯母役をメリル・ストリープが演じているが、思わず“あの女優も、伯母役になってしまったか”と思った。まだ70を超えたばかりではあるが。
 映画館側の新コロナ対策は、「可能な限り」の予防体制を敷いているように伺えたが、観る側の自覚、意識と従業員の完全な対応がマッチしての予防であることは確かだ。
 映画鑑賞会を来月の半ばころに再開したいが、これも状況次第である。準備だけは進める。

 

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2020年6月 7日 (日)

いざ決戦!桶狭間

 歴史(過去)から学ぶ、人はいつも忙しい
 最初から蛇足だが、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」第21回の「いざ決戦!桶狭間」をじっくり見るために、「C&Lリンクス愛知電子版101号」と「別冊1号」の編集発行を準備して急いだのだった。
 1560年、旧暦5月の「桶狭間の戦い」のあれこれは省くが、これまで映画、ドラマなどで幾多もあった決戦前の織田信長、討たれるまでの今川義元、大高城に入った松平元康(後の徳川家康)の動向が、(フィクションがあるとはいえ)細かくリアリティに映し出されたのが新鮮だった。
 桶狭間の地元では「桶狭間の合戦から450年」を記念して2010年に様々な企画が行われた。それに合わせて私は信長に関連した「史跡めぐりハイキング」企画し、6~8人で清須城から桶狭間(釜ヶ谷)までを一部の区間を除いて歩き、清須城、小牧山城、岐阜城、安土城を巡ったのだった。(他に、鷲津砦跡、丸根砦跡、大高城址巡りも)
 特に、熱田神宮(信長が戦勝祈願をしたとされる)から丹下砦までと、鳴海城(今川方)から、丹下砦、善照寺砦、中島砦、釜ヶ谷(桶狭間山のふもとといわれる)、記念公園までのハイキングは、いわばハイライトのコースであっただろう。
 歩いて分かったことは、鎧、具足をつけ、刀、槍、のぼりをもって清須(市)から桶狭間(名古屋市緑区)まで6時間くらいかけて歩き、そこで昼食をとるまでもなく戦を始めた当時の男たち(徒士)の体力についてであった。
 軽装にスニーカー、水筒と弁当もちで、おしゃべりと史跡案内に加えて休み休みで5時間余り歩いただけでみんな異口同音に“疲れたあ~”であった。(しかも当時は、また歩いて清須まで帰った)
 「歴史(過去)から学ぶ」ことは、政治家にとって必須であるが、私たち庶民にとっても歴史(史実)を映画か、ドラマか、教科書の中のことだけで捉えず、いくさ(戦争)をさせないためにどう動くか、平和(安心、安寧)を保っていくには何をすれば、何を心がければいいのか、目を向けなければならないだろう。仮に日ごろは「ボーっと生きていて」も、「事変、変化」には、素早く対応するものを身につけておかねばならない。
 戦争と平和ばかりでなく、自然災害、ウィルスの猛威、最近の「ヘイト」まで、私(たち)は、生きていくうえで濃淡はあれ、いつも忙しいのが当たり前なのである。

 

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2020年5月17日 (日)

返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す

 残念!半分しか見られなかった
 去る15日の午後3時から「返還交渉人 いつか、沖縄を取り戻す」がBS3で再放送された。私は3時30分頃にたままたチャンネルが合って、そのまま立ち尽くして見続けた。しかし、夕食の買い物に時間になって、やむなく4時10分頃に“最後まで見たかった!”という気持ちを押さえてテレビから離れた。
   これは2018年に公開されたものの、NHKドラマの再編集劇場版らしい。
   解説には「沖縄の日本返還にあたりアメリカとの交渉にあたった外交官・千葉一夫を主人公に、沖縄返還の知られざる歴史を骨太に描いたもの。「鬼の千葉なくして沖縄返還なし」とも言われ、アメリカと激しい交渉を繰り広げた千葉の存在を掘り起こしたノンフィクション「僕は沖縄を取り戻したい 異色の外交官・千葉一夫」を原案に、2017年8月にNHK BSプレミアムで放送されたドラマに、新たな映像を加えた。主人公となる千葉を井浦新が演じ、妻の惠子役で戸田菜穂が共演。そのほか、尾美としのり、佐野史郎、大杉漣、石橋蓮司らベテラン実力派俳優が出演し、仲代達矢がナレーションを担当した。戦後、本土から切り離されアメリカの統治下にあった沖縄から核兵器を撤去させ、ベトナム戦争の出撃拠点としないようアメリカと激しい交渉を重ねた千葉が、生涯をかけて貫いたものは何かを描き出す。」とあった。
   千葉一夫という骨太の外交官がいたという事実すら知らない私であったが、やっぱり「沖縄を返してもらうんじゃない。取り戻すんだ」「諦めたら負けだ」という姿勢に、外交に何が必要かが教示されているのではないかと思った。
   アメリカの極東戦略にとって沖縄は「要石」であり、朝鮮戦争を経験し、ベトナム戦争のさなかにあるアメリカにとって基地の自由使用、核の持ち込みは譲れないというのだ。
   結果は分かっているが「核抜き本土並み」と表面を繕いつつ、核持ち込み合意は密約にされ、基地返還はすずめの涙。地位協定で「治外法権的」内容も維持された。
   「沖縄の返還なくして戦後は終わらない」の言葉をもって「ノーベル平和賞」を受けた佐藤栄作。本当にそれだけの価値があったのだろうか、と今更に思うと同時に、こんにちの「辺野古新基地建設強行」を見るにつけ、アメリカと日本との関係、日本の外交力の弱さが際立つ。
   全体の半分しか見られなかったが、主要部分は見られたのはよかった。

 

 

 

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2020年5月 5日 (火)

韓国映画「弁護人」を観る

   パソコンからは滅多に観ないのだが
 日ごろユーチューブを含めて動画をあまり見ない私であったが、MLの紹介から、韓国映画「弁護人」を観た。観る気になった動機は唯一「韓国映画」だったからだ。
 内容を検索から引くと「韓国の実力派俳優ソン・ガンホが主演し、韓国で観客動員1100万人を突破する大ヒットを記録した社会派ヒューマンドラマ。青年弁護士時代のノ・ムヒョン元大統領が弁護を担当した重大冤罪事件『プリム事件』をモチーフに、ある事件をきっかけに人権派弁護士へと転身を遂げる男の奮闘を描く。」「1980年代初頭、軍事政権下の韓国。税務弁護士として多忙な毎日を送っていたソン・ウソクは、若い頃に世話になったクッパ店の息子ジヌが国家保安法違反容疑で逮捕されたことを知る。拘置所へ面会に行ったウソクはジヌの信じられない姿に衝撃を受け、ジヌの弁護を引き受けることにするが・・・」そして「食堂の息子に対する激しい拷問、そして全斗煥政権を支える検察、裁判官の姿を見て、ああ韓国はこういう激しい弾圧の中、民主化を獲得してきた・・・」という感想もあった。
 私自身が本格的に韓国の政治、学生運動、大衆運動に興味を持ち始めたのは、学生らの民主化運動、政治犯としての不当逮捕・拷問、日本での救援活動、そして金大中が大統領になるまでのちょっとした期間、そして1980年5月の「光州事件」であったと思う。この事件の詳報が伝えられたとき、何かをしなくてはと仲間と一緒に名古屋・栄の噴水前で韓国政府への抗議と光州民衆・学生との連帯を掲げて座り込んだ記憶がある。
 渡韓は、1993年に一度だけ。会議・交流が主体だったので、光州まで足は延ばせなかった。そんなささやかな経験もあって、積極的ではないが、韓国映画には関心をもって来たのだった。「韓ドラ」は知らないが、政治・社会運動にまつわる韓国映画は、リアリティで迫力があるのである。

 

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2020年4月19日 (日)

映画館は全部休館になってしまい

 文化活動の全面停止が心配だ
 今日の午後、「4・19集会・デモ」に代わるものとして予定されていた、名古屋の繁華街・栄の交差点での大々的な「安保法反対の街宣活動」は中止となった。参加者が密集することもあり、訴えたい人がまばらで、ビラの受け取りも極端に良くない、社会的な“目”も気になるところだ。中止はやむを得ないだろう。
 一方「シネマ散歩・緑の会」の会報第15号に私は「・・・このような状況ですので、シネマ散歩・緑の映画鑑賞会は当分の間中止とします。ただ、開館している映画館もあり、観たい映画を我慢ばかりするのもどうかと思います。(中略)・・・4月14日に『Fukushima50』を観てきました。館内の入場者はまばらで、しかも現在は、座席が一つ置きに使用禁止となっているなど、往復の交通機関を除けば、感染の危険性は少ない気がします。お勧めするわけではありませんが、私はマスク着用、消毒用のアルコール持参、会食なしなどの防御で、鑑賞は(個人的に)自粛しないことにしています」と書いた。見通しが甘かった。私の知る限り全部休館となった。
 映画館側は、「措置法」に淡々として従っているだけなのか、他に何らかの判断が加わっているのか。「3蜜」の状況にあるといえばそうなのだが、スーパーマーケットの店内に較べれば、密集、密接ではかなり緩和できる・・・。
 こう考えると「それは個人的な欲求だけだろう」と言われそうだ。それもそうだが、ことは映画館だけに留まらないとも考えるのである。演劇、観劇、コンサート、文化講演会、さらに美術館、博物館、資料館も閉鎖。つまり「文化活動」が止まるということだ。この事態ではそれも仕方ないだろう、と言われる。特に反論はないが、全て「×(ダメ)」だけでいいのか。それに代わる智恵、アイデアはないものか。
 朝日新聞が一部有料であったウエブの情報を当分の間無料とした。これは賛同できる。情報を「新コロナ」だけに留めず、幅広く提供してもらいたい。一方テレビでは、「アーカイブ」の中から選りすぐったものの再放送すれば、「閉じこもり」に、少しは寄り添えるのではないか。
 個人的な映画館はあきらめるとして「ミニシアター」が経営的に危ぶまれているという。閉館が1か月ならともかく、今の状況からは2か月、3か月は覚悟しなければならない。こちらが気になるのだが。

 

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2020年4月17日 (金)

シネマ散歩緑の会会報第15号

 続いてシネマの会報作り
 久しぶりに「ミニ詩集」を編んだ流れを引き継いで、1月例会から行われていない「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞会を、当分の間中止する旨、その連絡も兼ねて会報の15号の発行に取り組んだ。
 私の鑑賞映画として「Fukushima50」を紹介し感想を添えた。加えて今号ではシネマ情報として「大林宜彦監督がお亡くなりなりました」を掲げ、新聞記事などを採用して掲載した。その記事の最後に私は【ひと言】として「私は、大林監督が師と仰ぎ、尊敬していたという故黒澤 明監督の映画はたくさん観ましたが、大林監督の映画は一本も見ていないのです。両監督の映画を比較すれば、私の嗜好が分かるというものです。ですが、2020年4月16日(木)NHK BS1 23:00~23:49最後の講義「大林宣彦」(2018年3月11日放送)は、見ましたよ。」と書いた。
   また、冒頭では「シネマ散歩・緑の会のみなさま。」へと題して、
 「新コロナ」感染の広がりが止まりません4月8日に「新型コロナウィルス対策措置法」が発令され、その対象が7都府県から16日に、全国が対象となりました。更に感染者が急増する北海道、茨城県、石川県、岐阜県、愛知県、京都府の6道府県が加わって特に重点的な対策を進める「特定警戒都道府県」と位置付けられました。
 それによって営業自粛が求められる施設に、愛知県の場合映画館も含まれています。4月17日現在、シネマテーク名古屋、ミッドランドスクエアシネマ・センチュリーシネマが休館となっています。
 このような状況ですので、シネマ散歩・緑の映画鑑賞会は当分の間中止とします。ただ、開館している映画館もあり、観たい映画を我慢ばかりするのもどうかと思います。
 私は2月6日に「新聞記者」、2月27日に「1917命をかけた伝令」、4月1日に「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」、4月14日に「Fukushima50」を観てきました。館内の入場者はまばらで、しかも現在は、座席が一つ置きに使用禁止となっているなど、往復の交通機関を除けば、感染の危険性は少ない気がします。お勧めするわけではありませんが、私はマスク着用、消毒用のアルコール持参、会食なしなどの防御で、鑑賞は(個人的に)自粛しないことにしています。(叱られるかな)
 と書いた。

 

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2020年4月14日 (火)

映画「Fukushima50」を観る

 正反両面から評価したのだが
 こうした状況だから「自粛」を全く無視するわけではない。けれど“いやだなあ”と感じたときは、「自粛」に挑んでみる気になる。今日、3か月の検査・検診の後に“時間が合えば・・・”と秘かに狙っていた映画「Fukushima50」を観る機会が巡ってきた。
 ・・・2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発(フクイチ)は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走する・・・という例の「東京電力福島第1原子力発電所」の事故をモチーフにした、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々のヒューマンドラマである。
 まずこの映画から「なぜこうなってしまったのか」「何か間違っていたのか」という、吉田所長、伊崎原発 1・2号機当直長のつぶやきに、映画は答えを出したであろうか。原子力発電の推進、安全神話については触れず、また東電の経営責任より、経験のない最悪の事故に対応する技術の未熟、限界そして「官邸の介入」に向けられている気がする。
 「Fukushima50」の50は、事故発生後も、原発内に残った作業員50人を指すのであるが、その50人にはベテランもいれば若手もいる。線量の高い原子炉内の状況を調べに入るにあたっての人選、最後の手段「ベント」開くための「決死隊」の人選で、最初はだれもが躊躇するが、それぞれは「責任感」から次々と手を挙げる。忌憚なく言えばかつての「特攻隊」のイメージを連想させる。
 さらに昨今、何事につけ「人権尊重」「安心、安全」が強調され、「犠牲的精神」の欠如を嘆く向きがないとは言えない。だが映画では僅かだが自衛隊の支援活動、米軍の「トモダチ作戦」が織り込まれ、それが「戦前への回帰」と同次元で語られ・・・と受け止めるのは、うがち過ぎか。(再考の余地あり)
 ともあれ、「忘れない!フクイチ」を今一度確かめるうえで一見の価値はある映画であった。

 

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