2019年9月27日 (金)

映画「プライベート・ウォー」を観る

 日本のジャーナリズムの現状が跳ね返ってくる
   9月2本目の鑑賞映画「プライベート・ウォー」を観た。実在した女性戦場ジャーナリストのメリー・コルヴィンの実話を基にして作られた作品という触れ込みに誘われて。メリー・コルヴィンは怖いもの知らずの勇敢なジャーナリストで、様々な危険な戦場へと足を運んでいて、シリアで紛争に巻き込まれ命を落とすまで、自分の私生活や安全を犠牲にしてまでも、正義のために最前線で報道し続けた彼女の人生が描かれた。
   彼女の足跡をざっと拾うと、2001年、ジャーナリストの入国禁止を無視してスリランカのバンニ地域へ。2003年イラクへ。サダム・フセインのクェート人虐殺現場を突き止めたスクープをつかむ。2009年にはアフガニスタンへ。2011年にはリビアへ潜入しカダフィ大佐と単独インタビュー。2012年、シリア。過酷な状況で包囲されている28,000人の市民の現状を伝えるため、報道カメラマンのポール・コンロイ(ジェイミー・ドーナン)とともにホムス入りしていたメリー。砲弾の音が鳴り響く中、チャンネル4・BBC・CNNの英国公共放送全局が同時ライブ中継を行うという、彼女の記者人生において、もっとも危険で過酷なレポートの最中に…。
   感想の一つは、タイトルの「プライベート・ウォー」の「プライベート」の意味が気になっていた。国家レベルの戦争に立ち入って何をもって「プライベート」なのか。ジャーナリストの行動は「プライベート」なのか。
   もう一つ、度重なる戦闘で荒廃したホムスの市街地上空からの映像が流れる、その破壊のすさまじさに息をのむ。かつて青々とした街路樹があって、人が行き交い、車が走り抜け、ビルの窓にはカーテンが揺れてそこに人々の生活があった、文化があった。子どもたちの姿があった・・・。日本のテレビ、新聞報道は、ほんの一部を切り取ったものでしかない。戦争前と戦闘中の現在と対比する映像があったなら、そのインパクトは強烈なものになろう。現実はもっと過酷なものであろうが。
   日本のジャーナリズムの現状を嘆いてから久しい。それを外国映画から教えられる今の日本、この業界の人たちよ、自ら堂々と「ジャーナリスト」といえるか?

 

| | コメント (0)

2019年9月14日 (土)

映画「記憶にございません」を観る

   三谷幸喜の作品を楽しむ
 第2次安倍晋三改造内閣が発足した直後のタイミングで封切られた映画「記憶にございません」を観た。映画評あれこれもさることながら、わずかでも三谷幸喜の作品を知っていて、それを楽しむことができれば、見た甲斐があったというものだろう。
 この数年映画館に通っていて、上映中に笑いが漏れたのを聞く経験は初めてであった。
   世論調査の支持率たったの2,3%で、国民に嫌われている(実は家族にも)首相・黒田啓介(中井貴一)は、ある日、一般市民の投げた石が頭に当たり、記憶喪失になってしまうが、気が付けば病院のベッド。そこからドタバタが始まる。それを知るのは、秘書官の井坂(ディーン・フジオカ)、番場(小池栄子)、野々宮(迫田孝也)のみ。黒田の妻・聡子(石田ゆり子)すら知らない。井坂は、これを伏せて黒田を首相の場に据え続ける決意をする。そこには「陰の総理」といわれる鶴丸官房長官(草刈正雄)への不信、反発があった。それでも全く記憶の無い黒田は、政策は進めなければならないし、閣僚、議員たちとも顔を合わせなければならない。一方で、フリーライターの古郡(佐藤浩一)からは怪しい写真をネタに金をゆすられ、野党第2党の女性党首山西(吉田羊)との関係も怪しい。利権にも関わるし、国会答弁も「記憶にございません」の一点ばり、ここまでが記憶を失ったダメ総理の前半だ。
   これはあくまでフィクションであるが、現政治のパロディ、風刺のようでもある。だが三谷監督はそれを否定している。「記憶にございません」を除けば・・・と。
   窮地に陥った黒田は辞職を口にするが、秘書官の一言「・・・すれば、人はやり直しができる。記憶をなくした今がそのチャンス・・・」が利いて黒田ははたと思い至る・・・。政治を一から学び直して、変わることを。
   ネタ明かしはここまで。政治のほんの一コマ、二コマを見せられて、そこで笑って、少し感動してその後に何が残ったのか、と問われた感じも余韻としてあった。

 

 

| | コメント (0)

2019年8月30日 (金)

映画「不都合な真実・2」

 アル・ゴア米副大統領の取り組み
 「シネマ散歩・緑の会」の第12回映画鑑賞会。このドキュメンタリー映画は、2006年の「不都合な真実」の続編で、気候変動問題に取り組むアル・ゴア元米国副大統領を中心に、2016年のパリ協定調印までの道のりに焦点が当てられ、2017年7月28日にパラマウント映画配給で封切られたものだという。それからこの2年の間に地球環境はどれほど悪化したであろうか(改善したとは思えない)、トランプ米大統領の「パリ協定」離脱をアル・ゴアさんは今、どう思っているのだろうか。
 ビル・クリントン大統領の時の副大統領であったゴア氏。名前だけは薄々知ってはいたが特に印象はない。2006年の「不都合な真実」も全く知らなかった。2006年頃といえば、愛知万博が終わった翌年、私は、万博反対運動に全精力を傾けていたこともあって、この頃の2~3年は、精神的な「空白」期間のように思える、そんな時期であった。
 映画の第1印象は「アル・ゴアの本気度」であった。どうも私にはアメリカのトップ級の政治家は、環境問題に関心が薄いのではないかという“偏見”があるようで、ゴア氏が世界を飛び回って「気候変動・地球温暖化」問題にかかわる若きエキスパートを何千人も育ててきたという事実が信じられなかった。
 もう一つは、2016年当時発展途上にあったインドの対応だった。映画ではパリ協定を全否定、世界最大の人口を抱えエネルギーの確保のため火力発電(最大のCO2排出)増設に邁進する、みたいな扱いだったと思うが、先進国と発展途上国の関係のような、問題はもう少し根が深いようにも思える。現在のインドは太陽光発電に熱心だとも聞くし、これは賛成できないが、エネルギー確保と地球温暖化(CO2排出量抑制)抑止のための原発を積極的に導入しようとしている姿勢でもあるようだ。
 ひるがえって、私たちの環境問題の意識、取り組みでふと感じたことがあった。それは「地球温暖化抑制にはCO2を削減する必要性」「原発に頼らない、再生可能エネルギーへ」「戦争、原発事故は最大の環境汚染」「省エネ生活、循環型社会を」「ごみの分別、資源化」「リデュース、リユース、リサイクルの3つのRに努めよう」こんな風にして、環境問題のポイントは頭に入っているが、それがどうも「個別的」で、全体性に束ねられていない気がするのだ。
 わが家の一例「電気はこまめに消す、ゴミは分別して出す、廃品回収に協力するけれども、買物は近くでも車利用(私は歩いていくが)、百均を安易に利用(使い捨て)、地震に関心はあっても原発問題に興味を示さない・・・」
 市民運動ではどうだろうか。全体を見れば関心は総じて高いといえるが、なんだか個別に取り組んでいるようで、例えば環境問題で「大結集・集中的な地域シンポ」のようなものがあるだろうか。1980年代であったと思うが「5月民衆広場」の開催、「原発いらない、命が大事」みたいな合言葉で結集したこともあったが・・・。

 

| | コメント (0)

2019年8月17日 (土)

シネマ散歩・緑の8月例会

   「不都合な真実2 放置された地球」 
 7月のピースサイクル2019愛知、広島、長崎、沖縄へのメッセージと続いて一息入れ、「六ヶ所ピースサイクル」のメッセージが残っているが、「シネマ散歩・緑の会」の8月例会も放置できない。
 上映中の映画を探ってみたが、個人的には「アルキメデスの大戦」をみたいと思っているものの、「会」として推奨したいと思えなかったのでパスした。
 そこで自主映画会の「不都合な真実2 放置された地球」を8月例会で取り上げることにした。上映日が1日だけなので、それぞれの都合を聞くことができない。従って「8月の例会は、『自由参加』です。懇親会の設定もありません。」という形にした。
 「不都合な真実2 放置された地球」は、ボニー・コーエンとジョン・シェンクによる2017年のアメリカ合衆国のドキュメンタリー映画で『不都合な真実』(2006年)の続編。気候変動問題に取り組むアル・ゴア元米国副大統領の行動がとらえられ、2016年のパリ協定調印までの道のりに焦点が当てられる。2017年7月28日にパラマウント映画配給で封切られ、全世界で500万ドル以上を売り上げた、とされる映画。
 そこで「会報」作成に急きょ取り掛かったが、ガイドのチラシが手元に届いていたのでそれを同封すると、誌面ができない。仕方なく10月例会の予告として「最高の人生の見つけ方」で誌面をつくった。
 今日のお昼過ぎに投函した。
 その足で「アルキメデスの大戦」を見るため名駅前の「ミッドランドスクェアシネマ」に行った。しかし、午後2時からのものは満席で売り切れ。・・・台風で旅行に行きそびれた人とか、お盆連休も明日まで、映画を観て食事でもして・・・という人たちであろうかこの混み合いは、とぼやきながら止む無く断念して帰宅した。
 

 

 

| | コメント (0)

2019年7月10日 (水)

映画「新聞記者」を観る

 この映画から、民主主義の破壊現場を見たか!
 もし、日ごろから新聞の政治面、社会面に目を通すことがなかったら。あるいはテレビのニュース、報道番組を見ることがあまりない人にとっては、この映画のストーリーについて行けたかどうか、この映画の背景と現実とを重ね合わせてみることができたであろうか。
 「シネマ散歩・緑の会」の第11回映画鑑賞会は、5人の参加であったが、全員この映画の見どころを押さえていたようだった。(当日都合のつかなかった一人は、会誌を読んで翌日観に行ったとか)
 映画を楽しんで観にいこう、という趣旨の集まりであるから、懇親会の席でも、取り立てて政治や社会の話をするわけではないが、私自身が政治活動、地域活動にかかわっていることは分かっていての参加、問わずとも“あのシーンは、あの事件のことだね”、最後のシーンで内閣参事官の多田(田中哲司)が「日本の民主主義は形だけでいい」といったようなせりふもみんな覚えていた。また、松坂桃李が演ずる杉原拓海(内閣情報調査室)の「杉原」は、あのリトアニアの領事で難民を救った「杉原千畝」から採った名前だろうか、という発言もあった。
 懇親会の最後に私は「今度の選挙では、たじままいこをよろしく」をつけ忘れることはなかった。

 

| | コメント (0)

2019年7月 9日 (火)

映画「新聞記者」が鑑賞映画

   シネマ散歩・緑の会、会報第11号発行
   シネマ散歩・緑の会主催の、第11回映画鑑賞会は「新聞記者」を明日の10日に観に行く。上映館は、イオンシネマ大高である。
   それに先立ち会報「シネマ散歩・緑」第11号を発信した。内容は「新聞記者」の紹介と、私の映画鑑賞記2題「お父さん、チビがいなくなりました」と「轢き逃げ」そして、改めて「シネマ散歩・緑の会」の紹介記事。
   あとがきでは「●6月開催予定だった第11回の映画鑑賞会は、私事(作品展)で7月になった。もともと不定期となっているのでご容赦を●今回の開催日は、参院選挙のど真ん中であるが、応援する田島まいこ候補が厳しい闘いの中にあり“映画なんか見ている場合か”と言われそう。現にこの日の午後5時45分から金山総合駅の南口で街宣が設定されたと、9日になっての連絡。直前の連絡で応じられる人ばかりではない、と言ってみても仕方ないことだが●とはいえ、この「新聞記者」という映画は、選挙-安倍内閣批判と無縁ではないから、幾らかでも野党を後押しできるのではないかとも推量するので、まるっきり放蕩しているわけではない●二つの映画『お父さん、チビがいなくなりました』と『轢き逃げ』の鑑賞日が同日になっているが間違いではない。そうです、この日は2本の映画を観て来たのです!」

 

| | コメント (0)

2019年4月 6日 (土)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (9)

扇川緑道の桜並木の下を練り歩き  

   選挙運動の最終日。どの候補者の選対もどんな締めくくり方をするか工夫したであろうが、「おのざわ選対」は、緑区の最重要拠点を西の「名鉄鳴海駅」東の「徳重」と定め、「朝立ち」を「徳重交差点・地下鉄駅」とし、夕方を「食品スーパー・ウオダイと名鉄鳴海駅」とした。
 私のこの日の担当は午後であったので、午前と夜は推定である。
 通勤客の少ない土曜日の地下鉄徳重駅はどうだろうかと思ったが、他候補に先んじることが優先され設定した。続いて開店時間に合わせて10時10分にホームセンター「カーマ」を設定したが結果はどうだったろうか。さらに東の端の拠点「フランテ館・ジョーシン」の前を設定。その間の街宣車は、「黒沢台一帯」と「鶴が沢・亀が洞・兵庫・藤塚」を流す設定。まだら模様なところもあるが、トータルとして「緑区東部」はほぼ回り切ったのではないかと思う。
   斎藤里恵さん(筆談ホステスの著者)来援
 午後のメインは、「筆談ホステス」の著者で東京北区議会議員の「斎藤りえ(里恵)さん」を迎えて応援の「練り歩き」であった。
 その前に、午後1時30分から「ドン・キホーテ」前でのアピール。場所の下見をしていなかったので、街宣車の駐車場所に不安を感じていたが行ってみれば、幸いにも立憲民主党松本まもる県議会候補が先にアピールを始めていたので、そこを引き継ぐことができた。土曜日ということもあって、比較的人の出入りが多いように感じた。この先ここも一つのポイントにしてもいいなと思った。
 斎藤りえさんとの練り歩きは、地下鉄徳重駅出入口がスタートであったが、そこと交差点付近は、既に公明党の市議、県議両候補の街頭演説会で占拠されていたので、急遽場所を変更した。百均「ダイソー」横からスタートして扇川左岸の緑道を歩き始めた。そこは一方通行で車両進入禁止なので、街宣車は対岸の右岸を並行して進めた。ワイヤレスマイクで十分届く距離であったのだ。途中で一方通行が左右入れ替わったが、約1,5キロの桜並木の下の練り歩きはそれなりに楽しいものではあったろうが「花見客」はちらほらで、マイク効果はむしろ川沿いの住宅であった。
 終点の「平手」で20人ほどの練り歩きを解いた。「みきカー」は、先行して次の「コノミヤ滝の水店」へ、街宣車は、空白となっていた「平手北・細口・篭山・小坂」の住宅街をゆっくり走らせ、午後4時過ぎに「コノミヤ滝の水店」に到着、ここが私自身3度目の場所である。通行車両は多いが、なんとなくやりやすい雰囲気を私は感じていた。
 30分近くのアピールであったが、通りがかかりの中年の男性がみき候補に寄ってきて“応援しているよ”と声を掛けた。おのざわみき候補は大いに感激していた。
 このあと5時の事務所での乗員交代までの30分余りを「滝の水、万場山・池上台の一部」を流した。
 運動最終日の夕刻は・・・
 夜の最初は格安食品スーパー「ウオダイ」で、ここも3回目である。来店するお客の関心度は高いとは言えないが、とにかく人の出入り、車の通行車両も多い「拠点」の一つである。そのあと締めのポイントである「名鉄鳴海駅」であったが、ここは場所取りで競合が激しいところの一つ。うまく先取できたであろうか。ダメなら周辺を街宣するとのことだったが結果は聞いていない。
 わたしは5時に下車して、いったん帰宅して腹ごしらえした後、7時15分に事務所へ。7時20分からの事務所周辺でのご近所まわりを20人ほどで練り歩いた。私が先導役で近隣住宅街では、本人による「お世話になりました、有り難うございました」等のあいさつ回り、アピタ鳴海店では駐車所越しに、最後は池上台交差点で候補者最後のアピールを3分ほどして、全ての選挙運動は打ち上げとなった。
 事務所前で「締めの小集会」を開き、近藤昭一衆院議員の慰労と感謝の言葉、そしておのざわみき候補のこの選挙戦をやり抜いたすべての人への感謝の言葉、自身の選挙運動の想い、有権者に訴えたことの約束などを、万感こみあげてくるものをおさえつつ、感謝、感謝の言葉で締めくくった。
 事務局長、本部長の挨拶が終えたのは午後8時10分頃。私にとっても「お役ご免」の時であった。
 この選挙運動の支柱の一つ街宣車の「運行企画」全般を担ったという満足感があった一方、“次回はないなあ、この仕事を担う次の人、苦労するかも”とも思った。厄介で忍耐のいる仕事であることは確かなのだから。 完

 

 

| | コメント (0)

2019年3月21日 (木)

映画「グリーンブック」を観る

 映画鑑賞会に推したい映画
 過日の19日にこの映画を観た。映画の感想、検証みたいなものは、もう少し時間ができたからにしたいが、強く受けた「印象」だけはここにメモしておきたい。
 映画の時代背景は1962年。黒人の天才ピアニスト「ドクター・ドナルド・シャーリー(ドン・シャーリー)」と、彼に雇われたイタリア系の用心棒兼運転手「トニー“リップ”バレロンガ(トニー)」二人の、人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部への演奏旅行を舞台に、当時の「差別」を再現させながら(それはひどいものだったと思わせるのだが)、それを二人が超えていく、そのところをまず押さえておきたい。
 もう一つというか、「主役」は、シャーリーのピアノ(音楽)であろう。私には未知の世界だから、何とも言いようがないが、当時ドクター・シャーリーは、著名なピアニストから「彼の技巧は神の領域だ」と言わしめたから相当なものだったのだろう。映画では、実際に何度か演奏場面が出てくるが、俳優マハーシャラ・アリが、実際に鍵盤をたたく場面が映し出される。一般的には、俳優にそれだけの技量があるならともかく、ピアノの鍵盤と演奏者の表情は別の映像だ。思うに、音(音源)は吹き替えであっても演奏時間は短くして、それらしき演奏姿を相当訓練したのか、或いはマハーシャラ・アリに似せた、本物のピアニストが弾いたのか。私は映画制作時にはシャーリーは故人であったのだが、彼がほんとに弾いているのかと一瞬錯覚してしまった。
 また、そもそも「グリーンブック」なるものすら、私は知らなかった。アラバマ州なんかでの「州法」のひどさにも驚かされた。
 「差別」は、日本でも存在しているが、日本の場合は、表向きと内心とが違う「陰湿」なところがあるように思う一方、アメリカはストレートであり、「家族愛」についても、アメリカ人と日本人(私)の違いも、改めて自覚させられた。蛇足ながら、トニーとシャーリーの他にも二人に随行する「トリオ」のチェロとベースの二人が載る2台の車がいかにも「アメリカ車」だったことも目がいった。
「グリーンブック」は、第76回ゴールデン・グローブ賞で作品賞など最多の3部門に輝いた、実話を基にした人間ドラマであった。「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞映画に取り上げたいが、次回の4月は、今回見た伏見ミリオン座が移転することもあって、多分、3月いっぱいで終了だろうから、他の劇場でどうかを探してみたい。

| | コメント (0)

2019年3月 1日 (金)

映画「小さな独裁者」を観る

 残酷な戦争の一面を凝視できるか
 3月1日といえば「3・1ビキニ被爆の日」であり、「3・1朝鮮独立運動・100周年」の日でもあった。昨年は集会に参加していたが、今年は明日に関連した集会とデモがあると聞いている。
 この日は、「シネマ散歩・緑の会」の第9回映画鑑賞会の日で、「小さな独裁者」を8人のメンバーで鑑賞した。
 映画は、「第二次世界大戦末期の1945年4月、敗色濃厚なドイツでは兵士の軍規違反が相次いでいた。命からがら部隊を脱走したヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた車両の中で軍服を発見。それを身にまとって大尉に成りすました彼は、ヒトラー総統からの命令と称する架空の任務をでっち上げるなど言葉巧みな嘘をつき、道中出会った兵士たちを次々と服従させていく。かくして“ヘロルト親衛隊”のリーダーとなった若き脱走兵は、強大な権力の快楽に酔いしれるかのように傲慢な振る舞いをエスカレートさせる・・・」と解説にあった。
 もう一つ「他人の軍服をまとった若き脱走兵が、総統からの指令だと偽って“特殊部隊H”を結党、巧妙な嘘でリーダーになりあがっていく。──実在の人物に基づいた驚愕の物語!」ともあった。
 少し言い換えてみよう。「星条服をまとった世間知らずの国会議員が、権力の頂点に立ち、一極多数をもって憲法を下に見て、好き勝手な振る舞いに酔いしれていく。-実在の人物を想起させるに足りる映画」
 実は、この映画の途中で二人の仲間が席を離れた。聞けば「あまりに酷いので、見るに堪えなかった」と。
 映画の中で若き脱走兵ヘロルトは、身分がばれるのを恐れて、軍規に基づく処断を求められるごとに、他の脱走兵、略奪者などの「犯罪者」冷酷に処刑していく。そのいくつかの場面、棒きれでの殴打が繰り返される、法の裁きを受けないでいきなり頭を撃たれる、穴を掘らされ、30人単位の集団で機銃掃射、小銃でとどめを刺すなど。
 こうした映画の中であっても見るに堪えられず気持ちが悪くなる、そういう人もおられるが、引き金を引く側の“その場にいる一人が私だったら”と置き換え、戦争を知らない私であれば、目を背けるわけにはいかなかった。
 決して後味のいいものではないが、過去の歴史の誤り、非道が現在ではどんな形で濃く、薄く進行しているか、探ってみるのも映画鑑賞の意義であろうと個人的には思っている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月25日 (金)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る

「クイーン」もフレディ・マーキュリーも知りませんでした
 何かと話題になっている映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。以前に予告編を観て、私の好みの映画ではないな、そう感じていたが、アカデミー賞の有力候補作品ということで「シネマ散歩・緑の会」で話題になるかもしれない、そんな他愛ない動機であった。
 始めから終わりまでロックが流され、やはり“失敗だったかな”と思いつつ、眠気にも誘われず最後までしっかり観てしまった。
 そもそも世界的人気ロックバンドという「クイーン」の名前をこの映画を観るまで知らなかった。ましてボーカルのフレディ・マーキュリーなど知るはずもなかった。検索してみれば「・・・クイーンの楽曲をまったく聴いたことがないという日本人はいないのではないか?」なんて書いてあったけど、本当にそうなのだろうか。
 映画は、1970~80年代に世界を席巻し、日本でも高い人気を誇ったロックバンド「クイーン」。映画はそのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの壮絶な半生と「クイーン」の軌跡を描いた物語である。
  20世紀最大のチャリティコンサートといわれる「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーが描き出された。
  フレディが「ゲイ」で、「エイズ」で亡くなるという点で「社会性」のある映画かもしれないし、恋人メアリーとの関係に“どうなるんだろう”と気をもませるのである。
 知られざる世界を映画はこうして垣間見せてくれるのであり、なにがしかの影響を与えずにはおかない。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲の歌詞の日本語訳を手に入れたいものだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧