2018年2月16日 (金)

シネマ散歩・第3回鑑賞会

「星めぐりの町」を観る
 個人的には、1月29日に観ているので2回目となったが、今年最初の「シネマ散歩・緑の会」の映画鑑賞会「星めぐりの町」が、JR南大高駅前にあるが「イオンシネマ大高」で開かれた。終了後はランチしながら懇親会。
 この日、会誌「シネマ散歩・緑」の第3号で、「星めぐりの町」のガイドと「スターウォーズ・最後のジェダイ」の映画評(感想)とドイツ映画の「はじめてのおもてなし」の紹介に加えて、会員からの投稿「この世界の片隅で」を観て、という内容で発行した。
 余白を使って私は、「映画(シネマ)を散歩する(1)」として「テレビシアターの映画解説 者」を書き添えた。
 インターネットからの引用が多いが、懐かしい名前に親しんだのだった。以下の内容で。
  ~一般興行の映画は、映画館で観るに限る、にさして異論はなかろうと思う。ドキュメンタリーや自主製作映画などで、公共施設を使っての自主映画会というものもあるが、私の分類によれば、それらの多くは「情報・学習・運動のツール」であり(「○○映画祭」といったものもあります)、劇場での鑑賞は、「おもしろい」「未知の世界への誘い」「感動と共感」「創造力」「追憶」の要素が織り込まれて、“記憶(印象)に残る”のが特徴ではないかと思う。
一方、テレビシアターというのもある。毎日のよう番組にあがるが、有料サイトと契約されている方もおられよう。
  テレビで観る映画の解説者では、「それではまた次回をお楽しみに、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「サヨナラおじさん」とも呼ばれた淀川 長治さん(1998年没)を思い出す。
 もう一人は、水野 晴郎さん。(2008年没)1972年から、日本テレビ系の映画番組『水曜ロードショー』の解説を担当していた。1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。担当番組が『金曜ロードショー』に変わった後も1997年3月まで延べ24年半に亘って解説を続けた。また同番組の解説の締め括りには毎回「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」が、私には心地よく響いたものだった。
  その他代表的な映画解説者に荻 昌弘さんがいるがあまり記憶にない。木曜洋画劇場の「あなたのハートには、何が残りましたか?」の木村奈保子さん(その前は河野基比古さん)、「ゴールデン洋画劇場」では、初代が前田武彦さん、二代目が高島忠夫さんだったが、いわれてみれば思い出すかなあ、という程度。みなさんはいかがですか?~

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2018年2月13日 (火)

映画「ジオストーム」を観る

 この手の映画は好きなんです
 この日も午前中に眼科の診察があって、夕方からCGSUの会議が設定されていたから、その合間を縫って映画館に足を運んだ。
 空想未来科学映画といっていいだろう「ジオストーム」は、西暦2019年の設定になっているから、「未来」映画とは言い難い。多分それは「温暖化による異常気象が世界各地を襲い、地球に脅威をもたらしていた。国際社会はこれに対抗するため、気象制御衛星『ダッチボーイ』を開発し、人類を存亡の危機から救いだしたのだ。」という、地球温暖化の現実的環境問題に照準を合わせたからだろう。
 それにしても、巨大な気象コントロール衛星を宇宙空間に建設するにはまず、現代技術と資金面で不可能であるが、「空想未来科学」は、それが可能かどうかという現在的価値観は埒外にあるから、空想できるものは何でもありなのである。要は「未曾有の災害が同時多発的に起きる地球壊滅災害“ジオストーム”の発生」を予感させ、そうでなくても、最近の火山噴火、地震の多発、海洋潮流の異常、豪雨・豪雪、台風・ハリケーンなどの異常気象から、単なる空想ではなく、かなり大げさに描いた“警告”ということであろう。
 さて映画は、天候をコントロールする気象宇宙ステーションが暴走して、世界各地で地球壊滅災害“ジオストーム”が発生する。だがその暴走は、単なる技術的な欠陥、誤作動ではなかった。
 『ダッチボーイ』を開発したが、役職を外されていた超天才科学者ジェイク(ジェラルド・バトラー)が呼び出され、その弟(実は喧嘩別れしていた)で、政府の対策責任者のマックス(ジム・スタージェス)と共に立ち上がる。ジェイクは、宇宙ステーションに向かい、何者かによるコンピューターに「ウィルス」が組み込まれていることを知る。その何者とは誰かが、「ダッチボーイが次々と都市を破壊するシーンが圧巻だ。香港では高熱の影響によって街がおぼろ豆腐のように崩壊し、ドバイの超高層ビル群を大洪水が呑み込む。日本も巨大な雹が東京に降り注いだり・・・」の映像と共に少しずつ浮上してくるサスペンスも織り込まれる。
 果たして、気象宇宙ステーションの暴走を止められるか、衛星をコントロールするアメリカ政府内に一体何が起こっていたのか。
 CGを使った映像は、戦争映画はもちろん、スターウォーズやジェラシックパーク、バットマンなど、大がかりなシーンの多くに使われているが、実像に近いもになってきているから迫力がある。
 私は2D・字幕で観たが、“面白さ”だけを堪能するならやはり3Dだろう。
 16日に「シネマ散歩・緑の会」で、「星めぐりの町」を観に行くが(私は2度目)、CDは一切なし、日本の里山風景の映画との“対比”というか、映画の世界の広さ、奥行きを改めて感じると思う。
 ついでながら、前にも書いた記憶があるが、中学生のころ、図書委員をしていた時、空想科学小説を好んで読んでいた一時期があった。この手のものが好きというか、“悩まなくてもいい”お気軽さがそうさせたのかもしれない。

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2018年1月29日 (月)

映画「星めぐりの町」を観た  

 豆腐職人と震災孤児の心の交わり
 27日の午後に、映画「星めぐりの町」(監督黒土三男)を観た。映画の途中に東日本大震災の、恐ろしい津波が押し寄せる映像が流れるが、そのほか全編、愛知県豊田市がロケ地であった。豊田スタジアムははっきり分かったが、「松平郷」「名鉄・平戸橋駅」「下切町」「小原町の紙すき現場」が画面に出てくるのだった。
 ストーリーは、三河の山中で、京都で豆腐作り修行を積み、毎朝じっくりと手間と時間をかけて美味しい豆腐を作る島田勇作(小林稔侍)と、東日本大震災で津波により家族全員を一瞬で失った少年・政美を中心に進む。政美は津波で両親と妹を亡くし孤児となり、心に深い傷を負い、人を拒絶し閉じこもり、凶暴になることも。親類先をたらい回しされた挙句、最後の最後に勇作の亡き妻の遠縁にあたるということで、この豊田の里山にやってきたのであった。
 見どころは、島田勇作という豆腐職人のくらし(自然に根差した自給自足)と人間性、被災孤児の政美の閉ざされた心が少しずつ雪解けのように開いていく様子であろうか。
 最後のシーンで宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を勇作と政美が口ずさむ。政美の未来を暗示する一言が添えられ。
 もう少し深読みすると、かつて日本にもこんなくらし、風景、人情があったなあという、ノスタルジーも散りばめられた映画であった。(ミッドランドスクエアシネマ2で、2月9日まで)

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2018年1月27日 (土)

ドキュメ映画「自白」を観た

 隣国韓国への関心をなくしてはならない
 名古屋「自白」上映実行委員会が企画した、2016年に韓国で上映されたドキュメンタリー映画「自白」を観た。
 「自白」の監督はチェ・スンホ(崔承浩、56歳)さんで、南北分断状況で韓国の国家情報院(国情院、前身は中央情報部)が、いかに非人道的な手法で「北のスパイ事件」を捏造してきたかを、緻密な調査と貴重な証言によって告発している。
 ではあるのだが実は、会場は名古屋国際センターの研修室で床はフラットであり、惜しいことに映写の位置がやや低いこともあって、私の位置からは、前席の人の頭部が字幕の位置と重なり、ほとんど読み切れなかった。映像は、スパイ容疑で逮捕連行され、のちに無罪となって証言するシーンが多く、字幕が読めないのは致命的であった。
 幸いなことに、第二部の証言、康宗憲さんへのインタビューがあって、映画の内容のポイントだけはわかった。そして証言によって今なお続く70年に亘る分断国家の歴史、1947年に憲法が制定された後も「国家保安法」が憲法の上を行くことによる、映画『自白』も取り上げられた「在日韓国人母国留学生事件」などが頻発するのである。
 1970~80年代では、私の周辺でも「日韓連帯」「韓国政治犯釈放運動」が盛んであって、韓国の民主化運動への過酷な弾圧の状況は幾らか知っていた。1980年の「光州事件」や「金大中氏に死刑判決」といった経過から、それに抗議し、韓国民衆に連帯する「抗議の座り込み行動」を名古屋栄の噴水前で行ったこともあった。
 こうした韓国における「平和的統一」「民主化」をめざす闘いは、日本と無縁とは思えない。直近の例として、明らかに憲法違反である「集団的自衛権容認」を閣議決定し、それによって安保法が制定されたことでもでもわかるではないか。「立憲主義」が危機にあるのだ。
 また「非正規雇用」が社会問題化したのも、韓国では1990年代初頭である。私が渡韓した1993年には街頭デモのプラカードにすでに登場していたと記憶する。世界の矛盾、しわ寄せが国力の違いであろう、韓国に先に来る、私はそう感じているのである。
 隣国韓国への関心、在日朝鮮人・韓国人の問題への関心は、私たちにとって不可欠な「感覚・認識」である。

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2017年12月 3日 (日)

シネマ散歩・緑の第2回鑑賞会

 「世界の片隅に」の、片渕須直監督のトーク
 伏見ミリオン座のキャパ169で、6人が124~129番のチケット。番号順の入場ということでどうなるかと思ったが、館内の前列から3分の2当たりの席となり、映画を観る席としては申し分なかったが、監督のトークでは、話がやや遠かった。どうやら監督のトークをメインにして来場した人は、最前列を占めたようで、いつもと違う席の埋まり方であった。
 私はこの映画を観るのは2度目であるからその内容は省くが、9か月も経っていると、初めて見るような感覚にとらわれた。それは極めて部分的な映像が残滓としてあって、2時間の映像を覚えていられるわけではないので当然かもしれないが、昭和初期から敗戦辺りまでのくらし、町の風景がやはり印象深いから、新鮮さが甦ったということかもしれない。
 さて、片渕須直監督のトークであるが、前半は、この映画の「反響・受賞」を主に語った。例えば、イラン、インドでも上映されたが、観客の反応の一つに、主人公「すず」への共感と共に“この映画を親に見せたい”ということで(アメリカも含め)共通していたという。特にイランでは、若い人がそのように語る背景には、イランの「戦前」は、日本の70年、80年と違って、つい最近のことを物語っているという点で、印象的だったという。
 全国から寄せられ、会場で集約した質問に答える形で監督が答えた内容としては、記憶は定かではないが、監督として苦労したことは?では、「音」の問題があって、濁音が入ること、アニメという映像に対して「空気感のある録音」ができるかどうか。この映画を製作するにあたっての動機は?では、「戦争」は知識として知っているが、なんとか「体験的空間」が作れないか、人間の生活を発展的にとらえられないか、84年前の、すずさんのクリスマスから始まる冒頭シーンを入れたのはその意味合いがあった。映画との出会いは?では、子どもの頃の話があったが・・・。声優たちはどうでしたか?では、例えばすずの「のん」さんは、すずというアニメの中の人物をいろいろ想像していたように、声優たち全員が、それぞれの人物を想像し、イメージし、形にしていく、つまりストーリーをよく把握していたということがいえた。
  この映画がここまで評判になって多くの人に観られたのはどうしてですか?では、公開される前からテレビで放映されたこと、NHKの朝の枠で取り上げられたこと、映画評に取り上げられたことなどいろんなメディアで取り上げられたことは大きい。公開された作品は「省略版」ということですが・・・、については、まず原作を読んでほしいということ。実際は160分で仕上がっていたが、劇場公開は原則として120分が基本。160分ものは一部公開され見られた人もおられる。結局120分に短縮されしかもオープニングとエンディングで9分取られているから、“あの場面は何故カットされたんですか?”という質問を受けたこともあった・・・。
  終えてから昼食会を開き、次回の鑑賞会は2018年の2月頃ということになった。

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2017年9月26日 (火)

映画「関ケ原」を仲間と観る

 シネマ散歩・緑の会の試行第1回
 昨日、話題の映画の一つである「関ケ原」を、「史跡めぐり」の仲間5人と観に行った。元々、単独で観に行くつもりであったが、かねてからの構想で映画を観に行く会を、この際呼びかけてみようと思い、「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」を立ち上げて、試行的に呼びかけたのであった。5人が参加、3人が既に観たとの連絡があり、思いの外関心を寄せる人が多いのでこれからが楽しみとなった。
  終えてから、「食事会」を設定して、ここには既に観た人一人も加わって7人の席となり、大いに賑やかとなった。
  最初に「シネマ緑」の、そもそもの話をし、大まかな “とりきめ”も話して、楽しみながら、何かを得ていくという“あり方”も了解して戴いた。ということで映画の選定も意外と戸惑い、悩むかもしれないと思った。もっとも、参加、不参加は自由であるから、その点で選択権は付与してあるので気遣いは無用であろうとも思っている。
  また、従来も何らかの情報を冊子にしてきたが、今回も映画記録と感想を中心にした冊子を発行の予定だ。
  さて肝心要の「関ケ原」はどうであったか。首題そのものは誰もが知る歴史的事実であるが、これまでの記憶(既成概念)から、かなり違うことが映像化されていて、その点で、それぞれからあれこれの指摘が出された。
  まず共通していたのは「石田三成の実像」の乖離が大きかったことだった。秀吉亡き後、淀殿と結託して天下を牛耳ろうとして、無謀な徳川家康との決戦に臨み、結果として豊臣を滅ぼしてしまった浅慮な家臣、という認識。史実としてはどうであったかはわからないが、この映画では「正義」について、三成は純粋であったこと。それは旗印「大一大万大吉」に表されていた、という点で“愚か者三成”の印象が変わった。私など「大一大万大吉」の旗印は、てっきり大谷刑部(吉継)のものだとばかり思い込んでいたのだった。
  又“裏切り者、小早川秀秋”についてもこの映画では、秀秋自身は三成に味方すると言い張るのであったが、結局家臣団に抑え込まれ、大谷軍に襲い掛かるのであるが、これまでは“業を煮やした家康の命で小早川陣営に鉄砲か大砲が撃ち込まれ、それが家康の怒りの催促であると震え上がった秀秋は、元々内通はしていたが、寝返りを決行した”というのとはちょっと違った。
  秀吉の正室、北政所(おね、ねね)の立場を示すものとして、淀殿との確執、家康への評価から、表面上は傍観の態度であったが、実際は家康に心を寄せていた、というものであったが、“三成やその近習たちは近江の者、わしらは尾張じゃ”という出自の違いに言及しているのに驚いた。また、三成は死んでもその子孫は残す、ともいうのであるが、その真意はわかりかねた。実際はどうなのだろう。
  東軍の大将家康は、終始余裕たっぷりに描かれていて大戦(おおいくさ)での臨場感がまるでないのだが、この演出の意図は何であったろう。戦場の陣形から「西軍の勝利」は間違いないところというのが、現代の軍事専門家の見立てであり、もっと緊張感があってもいいのではないか。
  エキストラ4000人といわれ合戦シーンであるが、いわゆる戦場を俯瞰する「空撮」はなかった。“いまや当たり前のようなCGを駆使すればいいのに”という意見もあったが、別の人から“それは、原田監督が、CGが嫌いだから”という背景を説明した。
  この映画は「石田三成」中心であるが、西軍の大谷刑部、島左近、東軍では井伊直政が重要な位置づけ、役割を果たす設定になっている。ドラマ「女城主直虎」を意識してか、また女忍び(初芽:有村 架純)を縦横に走らせたりするのも、司馬遼太郎の原作ではどうなっているかは知らないが、映画ならでは設定、採用であろう。それにしても島左近の平岳大は親の平幹二郎の生き写しだった。
  鑑賞するにあたって、キャスト・東西両軍の色分けと関ケ原の陣形図を見てもらったが、館内で観るわけにはいかず、もっと事前に見てもらった方がよかったとは思った。また「旗印」がどの大名のものかがわかるといいな、という意見もあった。戦場では局面が目まぐるしく変わるので、ついていけない、ということだろう。もっとも私の考えは、その程度のサービスは、劇場側がしてもいいのでは?であったが。(作品冊子を買えということらしいが)
  終えてからの懇親会(批評会)も含めて、まずまずの試行・第1回の「シネマ散歩・緑の会」であった。

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2017年9月22日 (金)

映画「ダンケルク」を観る

 よりリアルな戦場と人間の姿
 来週の月曜日に、映画「関ケ原」を数人で観に行くことになっている。これは、年明けからスタートが予定されている「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」という新しいグループの試行的な呼びかけでもある。
 既にシネマ緑に7人から参加の返事をもらっているが、そのうち3人はこの「関ケ原」は、既に観て来たという。
 そして、どうもあまり評判は良くない印象を語っている。中には、それを聞いて観るのをやめた、という人もいたが、それも一つの判断材料ではあろうがちょっと寂しい。
 ま、それはそれとして、映画を観た後「食事会」が設定されているので、幾らか話題提供の種を用意したいと思い、今日の予定の時間で観たい映画「ダンケルク」がすっぽりはまったので、イオンシネマ大高へ急いで観に行った。
 映画「ダンケルク」はアメリカ映画で、「・・・1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し・・・」
 空ではドイツ空軍とイギリスの戦闘機との死闘と同時に。ダンケルクから脱出する英軍の援護が繰り広げられ、海では、救出に向かう駆逐艦や輸送船などが次々と攻撃を受け、沈没していく。陸の海岸では、救出船の到着を待つ英仏兵の長い行列と、唯一の桟橋も攻撃にさらされるなど、一場面、一場面そのものがリアルに映し出され、戦闘より「人間の葛藤、相克、確執」みたいなものが、戦場という場だからこそむき出しになる、そんな場面が多い。だが、そうした絶望的な局面にあってもトミーら若い兵士の、“何が起こっているのか?とにかく生きなきゃ”という、必死でありながらあまり表情に出さないところに、戦争への冷ややかな目線を感じさせたのであった。
 戦争映画は、映画のジャンルから言えば一番多いのではないかと思うが、個人的にも、古くは「人間の条件」「戦争と平和」「西部戦線異常なし」から始まって、「誰がために鐘は鳴る」「史上最大の作戦」も思い出される。それで今日の「ダンケルク」の印象は、あくまで個人的なものだが、スティーブン・スピルバーグの「プライベートライアン」に近いものを感じた。多分“よりリアリティな映像” と、なんとなく“嫌味”の残らない戦争映画、といえるのかもしれない。多くが、ドイツ兵はバタバタ倒れていくのに、連合軍(米兵)への砲撃、機銃はかすめるだけ、みたいなものがないということだろうか。
 付け足しだが、今日は初めて「IMAX」という方式の映像で観た。アイマックスシアターは、通常の映画館より大きく正方形に近いスクリーンを持ち、音響も立体的な投影システムのようで、こういった戦争映画にはより向いているといえるかもしれない。より「臨場感」を高める椅子が動いたり、臭いがしたりするシステムもあるそうだが、それ自体に酔ってしまいそうだ。

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2017年9月 2日 (土)

映画「パターソン」を観る

 普通のくらし中に詩もある、か
 今日の午後から夜にかけて「自由時間」が巡ってきた。“どうする?”かは、迷うことなく映画を観に行くと即断した。どんな映画を?誰かを誘うか?これも比較的早く答えが出た。先月末にシネマ情報を検索していて目星をつけていた。一つは話題の「関ケ原」であったが、これは誰かを誘っていった方がよさそうだと考えすぐに外した。次に映画館から最初は名古屋シネマテークを検索し、どれかにしようと上映案内を見たが、作品、時間が合わなかった。
 それで候補の一つでもあったミリオン座での「パターソン」と決めた。ミニオン座に決め理由は映画と直接関係ないが、もう一つあった・・・。
 実は「パターソン」に決める段階でかなり逡巡した。概要によれば、歴史ものでもないしSF的でもない。サスペンスもユーモアもあるわけではない。(ラブストーリーは、選出基準ではいつも下位)果たしておもしろいだろうか?
 ニュージャージー州のパターソン市に暮らすバス運転手パターソン(町と同じ名前)の、妻と愛犬の平凡なくらしが1週間に亘って淡々と描かれる。朝6時過ぎに目覚めて、未だ眠りの中にある妻ローザにキスをして、朝食を摂ってバス会社に出勤。決まった路線を運転しながら、乗客の会話を聞くともなし聞き、街の風景に目をやりながら、ふと浮かんだ詩をノートに書き留める。仕事が終わって帰宅後は夕食後の愛犬を連れた散歩と行きつけのバーで一杯の酒を楽しみにしている、そんな何気ない日常が写し取られていく。
 もちろん、同僚の悩み事を聞かされるとか、散歩中に詩を書く少女との出会いやバーでの一悶着などもあるが、生活を揺るがすようなものではない。一方のローラは、ちょっと変わっていて、デザイナーみたいことに楽しみを見つけ、クッキーをつくって売りさばいたり、ウエスタンスタイルでギターを弾き歌手もどきになったり・・・。つまり多趣味。
 確かに平凡で愛に満ちた日々ではある。観るものにとってそんな生活(くらし)にあこがれる向きも多かろうが、あれは誰にでもあった「一瞬」ではなかったろうか。新婚時代の暫く間・・・。病気のことは別としても、子供ができ、両親が老いていき、仕事は中堅から役職に、というように日常そのものも変化し続ける。つまりパターソンとその家庭の風景に見る「原点」みたいなものを見失っている現代人にとって、あるいは社会そのものが慌ただしく、急変していく現代にあって、“あの瞬間”は、希望であると同時にかすかな“郷愁”をもって受け入れられたのではないだろうか。
 私がこの映画を選んだちょっとした理由は、2月に見た映画「この世界の片隅で」の影響があった。パニック映画みたいな“映画は面白けりゃええ”から、“普通のくらし、特別を求めない生き方”そんなものを考える映画もいいかなと。
 バス運転手のパターソンは詩を書いているが、その詩というものも普通の言葉でありメモ風なものにして、きちんと見るべきものを見ていてそして感じ取る。詩を書くから詩人というよりも、そんな感性を持った人こそが詩人なのであろう。街角で詩を書く少女との出会い、ラストシーンでは、日本からやってきた詩人(永瀬正敏)が突然登場するが、この映画の背景にかすかながら「叙事詩」が漂っているような、私はそんな風に感じとった。

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2017年8月28日 (月)

「最高の人生の見つけ方」

 閑話休題・テレビシアター
 夜、台所仕事が終わったのでふとテレビのチャンネルをあれこれ動かしていたら、2007年にアメリカで公開された(日本では2008年)当時としてはかなり評判だったという映画「最高の人生の見つけ方」、原題は「My Life without me」というところに行き当たった。
  最初は地味な感じで“面白そうな展開”の予感がしなかったが、男優のモーガン・フリーマンが出ていて、さらにあれは・・・すぐに思い出せなかったがジャック・ニコルソンが出ていたので暫く観ていて、そのまま引き込まれていったのだった。
  映画は、殆どこのふたりでだけで進行していくのだが、例えば、モーガン・フリーマンは45年間ひたすら家族のために自動車整備工として働き続け、家庭は円満、子どもは3人、趣味はクイズといったいわばごく普通の人物で「黒人」。一方のジャック・ニコルソンは、事業に成功した大金持ちの実業家であるが4回も離婚し、子どもは一人いるが離別状態にあり、趣味といえば金儲けと「コーヒー」という「白人」、というように多くの面で二人は対称的な存在である。一緒なのは年齢と「病気」くらいか。ここで「コーヒー」を強調したが、最後にこの意味が解る仕掛けがある。
  二人は全くのあかの他人であるが、ガンを患って入院してたまたま同室となる。(この病院は、コール=ジャック・ニコルソンが経営する病院で、個室はなく二人部屋が経営方針)、余命6か月を宣告された二人だが、カーター(モーガン・フリーマン)は、大学時代に教わった「棺桶リスト」を作り始める。この「棺桶リスト」とは、早い話「残された人生の中でやりたいことのあれこれ」で、日本的に言えば、例えば「一度は行ってみたかった温泉でゆっくり湯につかりたい」「ヘリで運んでもらってでも、富士の山頂から日の出がみたい」「極上の握り寿司を極上のお茶で食べてみたい」。これらは私の願望に近いものでもあるが、私がこれに付け加えるなら「・・・」と「・・・」
  カーターのメモをコールが見てしまう。そこでコールがメモに書き加え、(お金に不自由はないから)それらを二人で実行しようと持ち掛け、秘書(話の筋のキーパーソンでもある)の忠告も聞き入れず自家用機で出発する。
  メモされた内容は、スカイダイビングをする/マスタングGT350に乗る(レースする)/ライオン狩りをする/万里の長城をバイクで走る/ピラミッドを見る(登る)/香港に行く/泣くほど笑う/世界一の美女にキスをする/見ず知らずの人に親切にする/エベレスト登頂/・・・などであった。
  結局中止したものもあるが、2か月かけてそれぞれは実行されていく。単にあれがしたい、あれが食べたいみたいなものなら大した感動にはならないであろう。やはり「泣くほど笑う(コーヒーとの関係あり)」というところに「人間の集大成」があるだろうし、「壮厳な景色を見る」は、心穏やかに来るべき時を待つ心境であろう。そしてカーターとコールに最後の時が来て「最高の人生は何だったのか、見つかったのか」のクライマックスやってくる。ネタをばらせばカーターは家族と何よりも妻バージニアとの愛を確かめる・・・。コールは「世界一の美女にキスをする」即ち、けんか別れしたままの子ども(娘夫婦)と再会し、孫娘を抱き上げキスを受ける・・・。(二人の骨壺はエベレストの頂上に安置される)
  昨今のはやりことば「終活」とは、「身辺整理」とか「死に方」だけでなく「自分の人生を振り返り、やりたかったことに今一度勇気を奮って挑んでみる」ということかなと思った。そして「家族や友人にきっちりと“別れ”を告げる」とか、「残したい、伝えたい言葉を考えておく」といったようなことを思い起こしてくれた映画であった。

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2017年2月21日 (火)

アニメ映画「この世界の片隅に」

いつだって、誰だって・・・の片隅に
 昨日は映画「ニュートン・ライト・・・」について書いたが、実は先週にアニメ映画「この世界の片隅に」を観に行っていた。どちらかといえば同じアニメ映画の「君の名は。」に隠れていたようだが、次第に人気が出てきたといわれる。つい最近、青森県の映画館で上映されたものが、完成品でないことが分かったと、ちょっとしたニュースになったが、「ニュースになるほどのもの」ともいえようか。
 原作は、「第2次大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも前を向いて生きていく女性すずの日常を描いた、こうの史代の同名漫画をアニメ映画化した人間ドラマ」とあり、映画は、主人公「すず」が生まれた昭和初期から始まるが、まずその時代の庶民の暮らしぶりが背景として丁寧に描かれる。それはこの映画の特色に一つかもしれない。
 蛇足ながら、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、同じ「昭和の時代」といっても、戦後の復興期-東京五輪、東京タワーの時代、そして東京の下町であり、“田舎”の呉とは違った世界だっただけに、広島・呉の段々畑、海の見える風景(軍港)、家の中、台所など、高齢者が見たならきっと懐かしさも強いに違いない。私の時代とは少し遡るにしても、幼少期の原風景とあまり変わらない気がした。
 さて物語は、絵を描くことが得意な少「浦野すず」は、1944年(昭和19年)2月に呉の北條周作のもとに嫁ぐ。そこでの夫、舅、姑、小姑という「昭和の家族」そのままに一生懸命生きていくが、それは淡々とした日常生活であり、映画特有の“何かが起こりそう”という気配もなく進んでいく。だが、戦況の悪化と共に、米軍による空襲が激しくなり(そこですずは、同行していた姪の黒村晴美の命と、自らの右手を失う)、生活物資も不足していく。そして1945年(昭和20年)8月6日、広島に、世界初の原子爆弾が投下される、その日が来るのである。
 すずは、呉にいて「爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、広島方面からあがる巨大な雲を目撃する」が、両親は行く方不明(多分爆死)妹のすみは、被爆した。
 すずは廃墟となった広島訪れ、呆然としつつも、この世界の片隅で自分を見つけてくれた夫周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻って行った。
 映画に直接的な政治主張、反戦思想が描かれるわけではない。あるとすれば、すずが呉の軍港の絵を高台の段々畑で描いていたのを「特高」に見つかり、「間諜」の疑いをかけられ、監視されるという場面であろうか。
 観終わってみれば、特段に“高揚” した場面があったわけではないが、いつだって、誰だって、どこかの世界の片隅に生き、暮らしているのであり、その“くらし”を自ら振り返り、“今”に思いを馳せるという、不思議な感覚を覚えさせたのであった。

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