2019年4月 6日 (土)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (9)

扇川緑道の桜並木の下を練り歩き  

   選挙運動の最終日。どの候補者の選対もどんな締めくくり方をするか工夫したであろうが、「おのざわ選対」は、緑区の最重要拠点を西の「名鉄鳴海駅」東の「徳重」と定め、「朝立ち」を「徳重交差点・地下鉄駅」とし、夕方を「食品スーパー・ウオダイと名鉄鳴海駅」とした。
 私のこの日の担当は午後であったので、午前と夜は推定である。
 通勤客の少ない土曜日の地下鉄徳重駅はどうだろうかと思ったが、他候補に先んじることが優先され設定した。続いて開店時間に合わせて10時10分にホームセンター「カーマ」を設定したが結果はどうだったろうか。さらに東の端の拠点「フランテ館・ジョーシン」の前を設定。その間の街宣車は、「黒沢台一帯」と「鶴が沢・亀が洞・兵庫・藤塚」を流す設定。まだら模様なところもあるが、トータルとして「緑区東部」はほぼ回り切ったのではないかと思う。
   斎藤里恵さん(筆談ホステスの著者)来援
 午後のメインは、「筆談ホステス」の著者で東京北区議会議員の「斎藤りえ(里恵)さん」を迎えて応援の「練り歩き」であった。
 その前に、午後1時30分から「ドン・キホーテ」前でのアピール。場所の下見をしていなかったので、街宣車の駐車場所に不安を感じていたが行ってみれば、幸いにも立憲民主党松本まもる県議会候補が先にアピールを始めていたので、そこを引き継ぐことができた。土曜日ということもあって、比較的人の出入りが多いように感じた。この先ここも一つのポイントにしてもいいなと思った。
 斎藤りえさんとの練り歩きは、地下鉄徳重駅出入口がスタートであったが、そこと交差点付近は、既に公明党の市議、県議両候補の街頭演説会で占拠されていたので、急遽場所を変更した。百均「ダイソー」横からスタートして扇川左岸の緑道を歩き始めた。そこは一方通行で車両進入禁止なので、街宣車は対岸の右岸を並行して進めた。ワイヤレスマイクで十分届く距離であったのだ。途中で一方通行が左右入れ替わったが、約1,5キロの桜並木の下の練り歩きはそれなりに楽しいものではあったろうが「花見客」はちらほらで、マイク効果はむしろ川沿いの住宅であった。
 終点の「平手」で20人ほどの練り歩きを解いた。「みきカー」は、先行して次の「コノミヤ滝の水店」へ、街宣車は、空白となっていた「平手北・細口・篭山・小坂」の住宅街をゆっくり走らせ、午後4時過ぎに「コノミヤ滝の水店」に到着、ここが私自身3度目の場所である。通行車両は多いが、なんとなくやりやすい雰囲気を私は感じていた。
 30分近くのアピールであったが、通りがかかりの中年の男性がみき候補に寄ってきて“応援しているよ”と声を掛けた。おのざわみき候補は大いに感激していた。
 このあと5時の事務所での乗員交代までの30分余りを「滝の水、万場山・池上台の一部」を流した。
 運動最終日の夕刻は・・・
 夜の最初は格安食品スーパー「ウオダイ」で、ここも3回目である。来店するお客の関心度は高いとは言えないが、とにかく人の出入り、車の通行車両も多い「拠点」の一つである。そのあと締めのポイントである「名鉄鳴海駅」であったが、ここは場所取りで競合が激しいところの一つ。うまく先取できたであろうか。ダメなら周辺を街宣するとのことだったが結果は聞いていない。
 わたしは5時に下車して、いったん帰宅して腹ごしらえした後、7時15分に事務所へ。7時20分からの事務所周辺でのご近所まわりを20人ほどで練り歩いた。私が先導役で近隣住宅街では、本人による「お世話になりました、有り難うございました」等のあいさつ回り、アピタ鳴海店では駐車所越しに、最後は池上台交差点で候補者最後のアピールを3分ほどして、全ての選挙運動は打ち上げとなった。
 事務所前で「締めの小集会」を開き、近藤昭一衆院議員の慰労と感謝の言葉、そしておのざわみき候補のこの選挙戦をやり抜いたすべての人への感謝の言葉、自身の選挙運動の想い、有権者に訴えたことの約束などを、万感こみあげてくるものをおさえつつ、感謝、感謝の言葉で締めくくった。
 事務局長、本部長の挨拶が終えたのは午後8時10分頃。私にとっても「お役ご免」の時であった。
 この選挙運動の支柱の一つ街宣車の「運行企画」全般を担ったという満足感があった一方、“次回はないなあ、この仕事を担う次の人、苦労するかも”とも思った。厄介で忍耐のいる仕事であることは確かなのだから。 完

 

 

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2019年3月21日 (木)

映画「グリーンブック」を観る

 映画鑑賞会に推したい映画
 過日の19日にこの映画を観た。映画の感想、検証みたいなものは、もう少し時間ができたからにしたいが、強く受けた「印象」だけはここにメモしておきたい。
 映画の時代背景は1962年。黒人の天才ピアニスト「ドクター・ドナルド・シャーリー(ドン・シャーリー)」と、彼に雇われたイタリア系の用心棒兼運転手「トニー“リップ”バレロンガ(トニー)」二人の、人種差別が色濃く残る1960年代のアメリカ南部への演奏旅行を舞台に、当時の「差別」を再現させながら(それはひどいものだったと思わせるのだが)、それを二人が超えていく、そのところをまず押さえておきたい。
 もう一つというか、「主役」は、シャーリーのピアノ(音楽)であろう。私には未知の世界だから、何とも言いようがないが、当時ドクター・シャーリーは、著名なピアニストから「彼の技巧は神の領域だ」と言わしめたから相当なものだったのだろう。映画では、実際に何度か演奏場面が出てくるが、俳優マハーシャラ・アリが、実際に鍵盤をたたく場面が映し出される。一般的には、俳優にそれだけの技量があるならともかく、ピアノの鍵盤と演奏者の表情は別の映像だ。思うに、音(音源)は吹き替えであっても演奏時間は短くして、それらしき演奏姿を相当訓練したのか、或いはマハーシャラ・アリに似せた、本物のピアニストが弾いたのか。私は映画制作時にはシャーリーは故人であったのだが、彼がほんとに弾いているのかと一瞬錯覚してしまった。
 また、そもそも「グリーンブック」なるものすら、私は知らなかった。アラバマ州なんかでの「州法」のひどさにも驚かされた。
 「差別」は、日本でも存在しているが、日本の場合は、表向きと内心とが違う「陰湿」なところがあるように思う一方、アメリカはストレートであり、「家族愛」についても、アメリカ人と日本人(私)の違いも、改めて自覚させられた。蛇足ながら、トニーとシャーリーの他にも二人に随行する「トリオ」のチェロとベースの二人が載る2台の車がいかにも「アメリカ車」だったことも目がいった。
「グリーンブック」は、第76回ゴールデン・グローブ賞で作品賞など最多の3部門に輝いた、実話を基にした人間ドラマであった。「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞映画に取り上げたいが、次回の4月は、今回見た伏見ミリオン座が移転することもあって、多分、3月いっぱいで終了だろうから、他の劇場でどうかを探してみたい。

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2019年3月 1日 (金)

映画「小さな独裁者」を観る

 残酷な戦争の一面を凝視できるか
 3月1日といえば「3・1ビキニ被爆の日」であり、「3・1朝鮮独立運動・100周年」の日でもあった。昨年は集会に参加していたが、今年は明日に関連した集会とデモがあると聞いている。
 この日は、「シネマ散歩・緑の会」の第9回映画鑑賞会の日で、「小さな独裁者」を8人のメンバーで鑑賞した。
 映画は、「第二次世界大戦末期の1945年4月、敗色濃厚なドイツでは兵士の軍規違反が相次いでいた。命からがら部隊を脱走したヘロルトは、道ばたに打ち捨てられた車両の中で軍服を発見。それを身にまとって大尉に成りすました彼は、ヒトラー総統からの命令と称する架空の任務をでっち上げるなど言葉巧みな嘘をつき、道中出会った兵士たちを次々と服従させていく。かくして“ヘロルト親衛隊”のリーダーとなった若き脱走兵は、強大な権力の快楽に酔いしれるかのように傲慢な振る舞いをエスカレートさせる・・・」と解説にあった。
 もう一つ「他人の軍服をまとった若き脱走兵が、総統からの指令だと偽って“特殊部隊H”を結党、巧妙な嘘でリーダーになりあがっていく。──実在の人物に基づいた驚愕の物語!」ともあった。
 少し言い換えてみよう。「星条服をまとった世間知らずの国会議員が、権力の頂点に立ち、一極多数をもって憲法を下に見て、好き勝手な振る舞いに酔いしれていく。-実在の人物を想起させるに足りる映画」
 実は、この映画の途中で二人の仲間が席を離れた。聞けば「あまりに酷いので、見るに堪えなかった」と。
 映画の中で若き脱走兵ヘロルトは、身分がばれるのを恐れて、軍規に基づく処断を求められるごとに、他の脱走兵、略奪者などの「犯罪者」冷酷に処刑していく。そのいくつかの場面、棒きれでの殴打が繰り返される、法の裁きを受けないでいきなり頭を撃たれる、穴を掘らされ、30人単位の集団で機銃掃射、小銃でとどめを刺すなど。
 こうした映画の中であっても見るに堪えられず気持ちが悪くなる、そういう人もおられるが、引き金を引く側の“その場にいる一人が私だったら”と置き換え、戦争を知らない私であれば、目を背けるわけにはいかなかった。
 決して後味のいいものではないが、過去の歴史の誤り、非道が現在ではどんな形で濃く、薄く進行しているか、探ってみるのも映画鑑賞の意義であろうと個人的には思っている。

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2019年1月25日 (金)

映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る

「クイーン」もフレディ・マーキュリーも知りませんでした
 何かと話題になっている映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観た。以前に予告編を観て、私の好みの映画ではないな、そう感じていたが、アカデミー賞の有力候補作品ということで「シネマ散歩・緑の会」で話題になるかもしれない、そんな他愛ない動機であった。
 始めから終わりまでロックが流され、やはり“失敗だったかな”と思いつつ、眠気にも誘われず最後までしっかり観てしまった。
 そもそも世界的人気ロックバンドという「クイーン」の名前をこの映画を観るまで知らなかった。ましてボーカルのフレディ・マーキュリーなど知るはずもなかった。検索してみれば「・・・クイーンの楽曲をまったく聴いたことがないという日本人はいないのではないか?」なんて書いてあったけど、本当にそうなのだろうか。
 映画は、1970~80年代に世界を席巻し、日本でも高い人気を誇ったロックバンド「クイーン」。映画はそのボーカリスト、フレディ・マーキュリーの壮絶な半生と「クイーン」の軌跡を描いた物語である。
  20世紀最大のチャリティコンサートといわれる「ライブ・エイド」での圧巻のパフォーマンスといった音楽史に残る伝説の数々を再現するとともに、華やかな活躍の裏にあった知られざるストーリーが描き出された。
  フレディが「ゲイ」で、「エイズ」で亡くなるという点で「社会性」のある映画かもしれないし、恋人メアリーとの関係に“どうなるんだろう”と気をもませるのである。
 知られざる世界を映画はこうして垣間見せてくれるのであり、なにがしかの影響を与えずにはおかない。「ボヘミアン・ラプソディ」「ウィ・ウィル・ロック・ユー」といった名曲の歌詞の日本語訳を手に入れたいものだ。

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2018年12月 5日 (水)

再び映画「華氏119」を観る

 シネマ散歩・緑の会・第8回鑑賞会
 居住地の、同級生など比較的高齢の仲間で出掛ける映画鑑賞会「シネマ散歩・緑の会」の第8回映画鑑賞会兼望年会が開催され「華氏119」を観た。個人的には2回目となったが、前回の記憶が薄くなっていたうえに展開が早いので、2回目を観ても初めてという感じであった。もう1回観ないときちんとした鑑賞記は書けない気がしないでもない。
 鑑賞会の都度発行している会誌第8号では、「華氏119」の紹介と、「日日是好日」と「散り椿」の鑑賞記を記事にした。そして随筆「シネマを散歩する(5)」で、かなり古い映画『襤褸の旗』」について書いた。
 「いささか古い話で恐縮ですが、映画評論家の白井佳夫さん(1932年~、1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968~76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる)が1985年に著した文庫本「日本映画のほんとうの面白さをご存知ですか?」で、1974年度(昭和49年)映画ベストテンに次の作品を選んでいます。①サンダカンダ八番館 ②砂の器 ③仁義なき戦い・頂上作戦 ④妹 ⑤濡れた欲情・特だし21人 ⑥㊙色情めす市場 ⑦悪名・縄張荒らし ⑧街の灯 ⑨仁義なき戦い・完結編、そして第10位に、何と独立プロの「襤褸の旗」を挙げているのです。
 映画「襤褸の旗」の「襤褸(らんる)の旗」とは、使いふるして(戦いに明け暮れて)ボロボロになった旗のことです。内容を端的に言えば明治時代、公害と環境破壊に対して闘い、足尾鉱毒事件では、明治天皇に直訴しようとした田中正造代議士の壮絶な半生を描いたものです。主演の三國連太郎が田中正造を演じていますが、その迫真の演技などで、第29回毎日映画コンクール男優演技賞を受賞しています。映画も第48回キネマ旬報ベスト・テン第8位に選ばれていて、そうした評価もあって白井さんは、ベストテンに加えたのかもしれません。
 さてこの映画については、新東京国際空港(現・成田国際空港)の反対運動『三里塚闘争』と関係していて、三里塚芝山連合空港反対同盟も協力し撮影を行いました。撮影場所も千葉県成田市の三里塚が用いられ、反対同盟の農民、支援者、学生もエキストラで出演したという経緯があります。そして1974年の参院選挙・比例区に反対同盟の戸村一作委員長が立候補することでこの映画が、選挙運動と一緒に全国で自主上映会が開かれました。この愛知でも上映会が開かれ、上映された毎回、三里塚闘争と戸村一作氏に連帯する会・愛知から幕間のアピールが行われました。その一人として私も舞台に立ちました。あれからもう45年近くの歳月が流れました。」 次回は年明けの2月。

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2018年11月16日 (金)

映画「華氏119」を観る

 見ておきたい、アメリカの今を知る
 去る11月6日に観たこの映画では、「大統領選さなかの2016年7月、マイケル・ムーアは『大統領選でトランプが勝利する5つの理由』というエッセイを書き、変人扱いを受けながらもその予測を的中させた。彼がトランプ大統領を取材するうちに、『トランプは‘悪の天才’。感心するほどの狡猾さでトランプを笑っている私たちでさえ彼の術中にはめられている』という驚愕の事実が分かってきた。どんなスキャンダルが起こっても大統領の座から降りなくて済むように、アメリカの国民はもちろん、ジャーナリストやメディア、憲法や司法システム、さらには他国の政治や国民すら利用して仕組んでいるというのだ。ムーアはすべてに歯止めをかけようと、本作でトランプ・ファミリーが崩壊必至のネタを大暴露し、トランプを当選させたアメリカ社会に鋭く切り込みを入れ、この暗黒時代をどう抜け出すかを示す。」という解説がなされている。
 マイケル・ムーア監督が、この映画で何を訴えたいかは、もう言うまでもないだろう。
 ドナルド・トランプがアメリカの大統領に選出されてから2年、世界は変わった。アメリカは地球環境保護についてパリ協定から離脱し、さらにカナダ・メキシコとの間に結ばれた北米自由貿易協定の再交渉を要求、国内では移民入国を規制し、国民医療についてオバマケアを撤廃、学校や宗教施設で相次ぐ銃乱射事件についても施設に銃を持ち込んだらよかったなどの発言を繰り返してきた。
 11月6日のアメリカの中間選挙で、上院はほぼ現状の共和党が過半数を、下院で民主党が過半数を回復した。しかしトランプは「大勝利」と叫んた。どこまで本気なのか、単なる強がりなのかはわからない。けれどトランプは、この先2年の任期を全うし、さらに次の大統領選をも視野に入れているというから、ここで挫けたり、方針転換はできないと思っていることだろう。対外的に自国第1主義、国内では「分断」も厭わない「強権政治」ということになれば、それは「ファシズム?」なのか。
 記者のインタビュー「トランプ氏をできるだけ早く引きずり降ろさないと、いつか引き返せなくなるときが来るか?」の質問に答えてムーア監督は「それはまた起こりうるのです。以前のようなファシズムではないでしょう。『笑顔のファシズム』(バートラム・グロス著)という本を読みました。書かれているのは、21世紀のファシズムは強制収容所やかぎ十字がもたらすのではなく、テレビ番組に出てくる笑顔が作り出すのだ、ということでした。テレビのプロパガンダやメディアの人間が取り上げることで、人々は取り込まれるのです。トランプ氏のもとで起きているのはそういうことです」と。
 ムーア監督の目線は、トランプ大統領誕生の背景を掘り起こす。「マイケル・ムーアがトランプ政権に批判的なのはもちろんですが、ヒラリー・クリントン大統領候補にも、またオバマ大統領にも厳しい。ビル・クリントン大統領から後、民主党が共和党にどんどん寄っていき、希望を失ったアメリカ国民が選挙に行かなくなった結果としてトランプ大統領が生まれたという構図です。」(映画愛-藤原帰一)
 私たち日本人の目からは、どんな風に受け止めればいいのか。
 ある場面では、ヒトラーの演説映像にトランプ大統領の声をかぶせるなど、ナチス・ドイツと今の米国を比べる場面が出て来る。ムーア監督は、アメリカもヒトラーと同じ道を歩んでいるのではない、皮肉に過ぎないといっています。一方私にはトランプの饒舌と安倍の冗舌が重なります。といっても実は「饒舌と冗舌」の意味は同じだ。だがトランプ大統領は「自分(たち)さえよければいいという、大統領の権限を振りかざして演説をしまくる、その饒舌」、一方安倍首相の場合は「肝心なことは何も話さず、冗談でしょ!違うでしょ!いい加減にして!の、冗舌」
 蛇足に過ぎた。映画の展開が早いので、まずは観てもらうことが先決だ。そして、アメリカという国の実態に少しでも近づいてみる、アメリカ的「民主主義」をもう一度考えてみる。その上で、トランプ率いるアメリカはどこに行くのか、アメリカに振り回される世界はどうなるのか。そして日本は、私たちは・・・を考えさせた映画だった。

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2018年11月 6日 (火)

映画「ほたるの川のまもりびと」を観る

半世紀の「石木ダム」計画反対の住民の闘い
 場所は長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)川棚町石木川。石木ダムは、佐世保市への水道水供給や、川棚川流域の洪水防止を目的に1975年、建設事業に着手した。県などは未買収の事業用地を取得するため2009年11月、土地収用法に基づき国土交通省九州地方整備局に事業認定を申請。13年9月に認められ、強制収用が可能になった。地権者(109人)らは、15年11月に国の事業認定の取り消しを求め提訴していたが、長崎地裁(武田瑞佳裁判長)は2018年7月9日、請求を棄却し、一部を却下する判決を言い渡した。原告側は控訴した。
 実に半世紀近くに及ぶ住民の闘いである。
 水没予定の川原(こうばる)地区に暮らす13世帯の一人初鹿氏は「ダムありきの計画であることを実感した。下流域の堤防整備や、川の流量を増やすのが先だ。佐世保市の水需要予測は実態と違っており、市には説明責任がある」と批判し、ある集会では地権者を代表し、炭谷猛さん(67)が「県は地域住民の言うことを聞かずに強硬な態度をとり続けている。抗議の声を中村法道知事に届けて見直しを求めたい」と発言している。また京都大名誉教授の今本博健さんは、給水量の過大予測や水害実態がないことなどを挙げ利水、治水両面でダム建設に疑念を呈した。
 こうした地域住民を巻き込んだ「家族ぐるみ」の闘い(住民運動)は、「三里塚闘争」や、この愛知での「設楽ダム建設反対」「境川流域下水道建設反対運動」「新幹線騒音訴訟」などが想起される。他にも全国で基地周辺の騒音訴訟、ごみ埋め立て、河口堰、高速道路建設、最近ではリニア中央新幹線等々、自然破壊、生活破壊、公権力がキーワードとなって、ほとんどが長い闘いとなっている。
 映画は、四季色とりどりの山間部、石木川流域、水没予定の里山「川原地区」の豊かな自然を背景としながら、ダム問題に揺れるこの小さな集落に暮らす人びとの描いたドキュメンタリー映画である。
 「ただ普通に暮らしたい」という住民たちのごくあたりまえの思いが、映像を通じてつづられていくが、過去幾つかの住民運動と一つ違うところは、「外部」からの支援を受けないで、集落全体での取り組みということであろうか。
 もちろん訴訟となれば、弁護士、傍聴支援などもあるが、現地での闘いではバリケードも座り込みも外からの応援はない。それが長き闘いを支えている根源の一つであることは確かだが、「都会人」からみると、そうしたスタイルに重きを置いて、なおかつ「それは石木ダムだけの問題ではない」「強引な手法行使は権力の常套手段」という認識を共有しようとする点で考えさせられる。もっともこの映画の全国上映で、その点は緩和されたとは思うが。
 実はこの映画を観た私は、そのあとすぐマイケル・ムーアの「華氏119」を観て、この映画の政治、社会性、民衆エネルギー、民主主義を強く感じたので、その対比にみる「難題」を抱え込んだ気がしたのだった。

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2018年10月23日 (火)

映画「日日是好日」を観る

 シネマ散歩・緑の会 第7回鑑賞会
  居住地・緑区の有志の「シネマ散歩・緑の会」の第7回鑑賞会は、当初「あん」を予定していたが、前週の19日にテレビシアターで放映されたため急きょ変更して、樹木希林出演の「日日是好日」となった。結果としてこの秋私は、樹木希林の「万引き家族」「あん」「日日是好日」の3本を観たことになる。たまたまではあるが。
   原作は、森下典子の『日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫)であり、監督は大森立嗣。
  出演は、黒木 華、樹木希林、多部未華子、鶴田真由、鶴見辰吾、原田麻由、川村紗也、滝沢 恵、山下美月、郡山冬果、岡本智礼、他。茶道指導、支援は「表千家」で、主となる撮影場所の茶室は京都の「表千家不審庵」とあったが、映画の舞台は東京であるから、あくまで“お茶”を教える武田先生(樹木希林)の茶室という設定である。
 この映画の典子役の黒木華は、この作品に出演して、気づいたことは?と問われ、次のように答えている。
 ~この作品の中で典子は、茶道を通して「お茶をたてるときのお水とお湯の音が違う」ことに気づきます。
  普段生活しているとなかなか気づく時間や余裕がないですよね。お茶室にいると、静かな空間の中で、風の音や庭の水の音、お茶をたてている自分の音に気がつくんです。
  この作品では、和菓子や道具などで四季をあらわしているのですが、私は今までせわしなく生きてきて、日本にいながら四季を感じることがなかったなと実感しました。
  私は仕事で着物を着る機会が多いのですが、着物のように、日本にずっと伝わるものの良さを理解できていなかったんだなとも。
  茶道の着物は無地が多いのですが、その分襟で個性を出したりできるんですよね。
  樹木さんは「私は楽に着るの」とおっしゃって、ご自身のルールで本当にカッコよく着られていました。ルールの中で遊ぶのは、まずはルールを知らないとできないですよね。勉強不足を感じました。~
 また、~この作品は典子の20歳から44歳までが描かれていて、年月が経つに連れて武田先生も年を取っていきます。どんどん武田先生が小さく見えてくるんですよ。
  仕草やセリフにも遊び心を入れつつ、それでいてとても自然体で武田先生としていらっしゃる姿はすごいなと思いました。~
 武田先生のつぶやき、例えば“世の中にはすぐわかるものと、わからないものがある(後年になって気づかされる)”“これは形から入るもの、頭で考えないの”“(生きていて)本当にしたいことは何ですか”“毎日同じことができることは幸せなことだと・・・”
 茶道のことは全く知らない私には、そんな「四季と共に在る静寂な世界」は別世界であるが、武田先生のつぶやきに思い当たるところがあるなと思った。だがこの先、そんな「日日是好日」があるのだろうか、としばし考え込んだ。

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2018年10月17日 (水)

映画「散り椿」を観る

 これは恋愛映画?なのかな
 来週の23日に「シネマ散歩・緑の会」の第7回映画鑑賞会は、樹木希林の「あん」と決まったが、選択過程で「散り椿」「あん」「日日是好日」「かぞくいろ」を挙げていたので、できれば全部観ておきたいと思った。しかし日程的に無理だろうから、すでに観ていた「あん」ともう一つ、ということで「散り椿」を選んだ。
 話題作ということもあったが、原作が葉室麟というのも動機の一つ、とは言っても私は葉室麟のファンでもないし、数多い著書の中で「津軽双花」を新聞小説で読んだだけ。だからなんとなく気になる作家というだけだった。理由は分からないが、何かを感じてのことだろう。
 映画そのものは時代劇の定番「お家騒動」の一つといえばそれまでだが、友人がメールで送ってきた「監督、撮影が木村大作さんなので、やっぱり映像が美しい」というのも、確かにそうだなと思った。全編がセットなしのロケとか、一部を除いてほとんどが富山県での撮影のようで、しばしば(多分)立山の白い頂が顔を出す。あるいは、清流の浅瀬をわざわざ馬隊で走らせる、画面と直接関係ない風景だけが映し出される。「椿」ももちろん出てくるがこれは京都あたりのようだ。解説によれば、「散り椿」とは、正式名称を「五色八重散り椿」というのだそうだ。花弁が一片一片散っていく。一木に白から紅まで様々に咲き分け艶やかであるとも。
 扇野藩の平山道場には四天王といわれた剣士がいた。主人公瓜生新兵衛(岡田准一)もその一人だが、藩の不正を暴こうとして城代家老・石田玄蕃(奥田瑛二)の策略で浪人となる。それから8年、連れ添った妻の篠(麻生美代子)が病に倒れたその折、彼女から最期の願いを託され、扇野藩に戻ってくる。そして・・・。
 四天王の一人榊原采女(西島秀俊)と新兵衛とは幼馴染でもあった。新兵衛は、側用人として出世していたが石田玄蕃の企みを見抜き対立を深めていた。そうした藩内の跡目(勢力)争いとは別に、新兵衛、采女、篠、篠の妹・里美(黒木華)の間に行き交う愛もまたもう一つのテーマであった。
 観終えれば四天王は、新兵衛を除き渦中で散っていき、新兵衛も旅に出るところで終わるのであるが、それだけでなく「散り椿」は、時代劇を背景とした恋愛映画というにふさわしいタイトルであることに気づかされたのだった。

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2018年10月11日 (木)

映画「あん」を観る

樹木希林の再上映映画
 今月の映画鑑賞会「シネマ散歩緑の会」の候補映画をどれにするか迷っていた。そしてその候補作品として2015年制作の「あん」(再上映)と最近封切りの「散り椿」を観る機会をうかがっていた。そして今日、イオンシネマ大高で最終日となっていた「あん」を観ることができた。
 先に死去した樹木希林さんの直近の作品ということもあったが、河瀬直美監督の作品であることと、「ハンセン病」問題が背景にあるということでこの映画を選んだ。
 この映画は、ドリアン助川の同名小説の映画化したもの。あることがキッカケで刑務所暮しを経験した一見、陰のある男、ある町の一角でどら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごしている千太郎(永瀬正敏)。
  ある日、この小さな店で働くことを懇願する76歳になるという老女、徳江(樹木希林)が現れる。何とか賄い女として働くことになった彼女が作る粒あんの美味しさが評判を呼んで店は繁盛していく。しかし、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂が流れたことで客足が遠のいてしまい、千太郎は徳江を辞めさせなければならなくなる。
  それを察しておとなしく店を去った徳江だったが、彼女のことが気にかかる千太郎は、徳江と心を通わせていた近所の、つぶれたどら焼きをもらいに来ていた女子中学生のワカナ(内田 伽羅・樹木希林の実の孫娘)とともに徳江の足跡をたどり、ハンセン病感染者を隔離する施設・天生園に向かう。そこにいた徳江は、淡々と自分も自由に生きたかった、との思いを語るのだった。
  前半は、陰のある男千太郎、常連客の女子高校生3人組と中学3年生のワカナと、平和な桜並木が美しいある町の一角。そして50年もの間「あん」を作り続けてきたという徳江が、あずきに語りかけるようにして日の出から午前11時の開店までにつくる「あん」製造過程が描かれる。
  後半は、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂で客が来なくなり、止めていった徳江を千太郎とワカナが訪ねて、ハンセン病の社会的におかれた状況と、徳江をはじめとする療養所の人たちの思い「生きている意味って何なんだ」そして「病んでいるのは囲いの外です」ということが暗示される。
  老女徳江や親友の佳子(市原悦子)らハンセン病を患っていた人たちの尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマでした。
  イオンシネマ大高では最終日であったが、伏見ミリオン座は上映中である。いつまでの上映期間かがわからないので、鑑賞日によっては観られないかもしれない。予備として「散り椿」と「日日是好日」も考えてはいるが。

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