2018年4月12日 (木)

映画「ペンタゴン・ペーパーズ」

  問われた民主主義・報道の自由
  気にはしていたが、決断しかねていた映画「ペンタゴン・ペーパーズ」を、友人の強い勧めもあって観に行った。
  まず映画そのものより、館内が「満席」であったことに驚かされた。上映40分前に窓口に行ったが、スクリーン前の2列を除いてすべて売り切れ。+1000円のプレミアムシートも両端の2席を除いて売り切れ。開演時には、最前列の2~3が空いていたかもしれないが、ここまで席が埋まった場に居合わせたのはここ数十年で初めて、いや記憶にない。2列目のシートでは、スクリーンの上三分の一が視界に入ってこないので、字幕を読んで目線を上げねばならない苦痛に見舞われた。
  ~映画の舞台は1971年のアメリカ。政府が秘密にしてきたベトナム戦争の文書を新聞が報道した、実話の映画化である。ベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ国民の間に疑問や反戦の気運が高まっていた1971年、政府がひた隠す真実を明らかにすべく奔走した人物たちの姿を描いた。リチャード・ニクソン大統領政権下の71年、ベトナム戦争を分析・記録した国防省の最高機密文書=通称「ペンタゴン・ペーパーズ」の存在をニューヨーク・タイムズがスクープし、政府の欺瞞が明らかにされる。ライバル紙でもあるワシントン・ポスト紙は、亡き夫に代わり発行人・社主に就任していた女性キャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)のもと、編集主幹のベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)らが文書の入手に奔走。なんとか文書を手に入れることに成功するが、ニクソン政権は記事を書いたニューヨーク・タイムズの差し止めを要求。新たに記事を掲載すれば、ワシントン・ポストも同じ目にあうことが危惧された。記事の掲載を巡り会社の経営陣とブラッドリーら記者たちの意見は対立し、キャサリンは経営か報道の自由かの間で難しい判断を迫られる。
  この映画が作られた背景は、トランプ政権の誕生。フェイクニュースなどとマスメディアに悪口雑言を浴びせながら、歴然とした嘘(うそ)を並べ立てるトランプ大統領を前にして、マスメディアが政府の嘘を暴くことができるのか。アメリカばかりか現代日本にも通じる課題です。~
  ~スピルバーグは、ドナルド・トランプ大統領の就任からわずか45日後に本作の製作を発表。この際、彼は先に製作する予定だった作品を前倒していたという事も明らかになっています。これは、報道の自由が強く規制されるようになり、国民に真実が伝わりづらくなっている今だからこそ、現代社会に警鐘を鳴らす意味があるという判断によって行われたことだったそうです。~
  というこの映画の解説はすべて「検索からの引用(~ ~)」である。私自身の感想は他の機会に書くつもりだが、まずは観てもらいたいがためのブログである。

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2018年4月 2日 (月)

映画「北の桜守」を観る

  第4回「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞会
 名古屋市緑区と周辺に居住する60代~70代の趣味の会で2017年秋に発足したこの会は、これまで映画「関ケ原」「この世界の片隅で」「星めぐりの町」を鑑賞してきた。元々は、「四季雑談の会」「ハイキング・史跡めぐり」を10年以上に亘って続けて来てその延長にあるものだが、今回は吉永小百合主演の「北の桜守」を取り上げた。
 この映画「北の桜守」は、『北の零年』(2005年公開)、『北のカナリアたち』(2012年)に続く「北の3部作」の最終章といわれる。監督は滝田洋二郎。主演の吉永小百合にとって本作が120本目の映画となる作品だ。
 時代背景は第二次世界大戦が終結した1945年から1970年代で、見どころとしては、敗戦による外地からの引き上げ、戦地からの兵隊、軍属以外では「満豪開拓団」がよく知られているが、「北の桜守」では樺太が舞台。終わってからの懇親会でも“中国からの話はよく聞いたが、樺太は知らなかったなあ”が私を含めほとんどだった。
 樺太で家族と暮らしていた日本人女性・江蓮(えづれ)てつ(吉永小百合)は、ソ連軍の侵攻によって土地を追われてしまう。夫(阿部 寛)が出征し、息子を連れて苦難の脱出行、途中長男を失いながら知人がいるという北海道の網走にたどり着いた彼女は、凍てつく寒さと飢えの過酷な環境や貧しさと戦いながら、次男の息子を必死に育て上げ、夫を待ち続けて暮らしていた。
  1971年、てつの息子・次男の修二郎はアメリカでのビジネスで成功を収め、日本初のホットドッグ店の社長として帰国し、15年ぶりに網走を訪れる。修二郎を待っていたのは戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)で変わってしまった母のてつだった。ここからは、母(てつ)の病気、親子の絆、若夫婦の苦悩、嫁と姑との現在的な行き違い、悩みがテーマとなっていく。
 しかし、立派になった修二郎に迷惑をかけたくないと、てつは一人網走に戻ろうとする。母に寄り添いたいと願う修二郎は、二人で北海道の各地を巡り、かつての知人を訪ねるなどして、共に過ごした記憶を拾い集めるように旅を始める・・・。
  この映画は、「劇中劇」が取り入れられ、札幌の繁華街「狸小路」の当時の状況を忠実に再現したセットがつくられた。また吉永小百合にとって30歳代後半から70歳代までの役を演じ、72歳に至って120本目の映画ということが話題でもあったので、平日にしては入りも多く、特に(私たちのグループも含め)中高年のお客が多かったようであった。
  戦争の悲惨さと、生きることの尊さを伝える物語に心を動かされる映画であり、多くの人にお勧めしたい映画であった。

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2018年3月25日 (日)

映画「空海」を観る

  大作だが評価は二分か
 23日に、例によって時間がすっぽり空いたので、「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞作品の一つに挙げていたこともあり、「空海」を観に行った。
 私は、この映画のタイトルに接した最初は、空海の生涯を描いたものと思っていた。歴史上の人物としては、十指に入る一人であろうと思ったからである。しかし実際はサブタイトルにある「美しき王妃の謎」であり、超天才が挑む史上空前の冒険絵巻という「娯楽作品」であった。
  都・長安の風景が殆どセットといわれ、美術デザインに2年、セット建設に4年、撮影準備と撮影に1年、ポスプロ<ポストプロダクション (Post-production) は、映像作品、映画の製作などにおける撮影後の作業の総称>に1年と、製作期間は実に8年というから、確かにスケールの大きさ、華麗さは「百花繚乱の極上エンターテイメント」といえるだろう。
 そして空海と白楽天による謎解きは、空海がまるで横溝正史の金田一耕助のようでもあり、空海に危険が迫ることもない、あまりにも手際よい事件解明で“安心”してみておられる。そしてストーリー全体が「黒猫」によって進んでいくという「幻術」の世界であり、史実から少し離れて楽しむことがポインであったといえようか。
 また「名作」といわれる映画には「時代性」があるが、この映画にもやはり「大唐(偉大なる唐の時代)」に象徴される、世界に誇る中国の歴史の一端が描かれ、それは現在の中国・習近平に重なるかのようでもある。俗っぽく言えば、この映画は習近平氏に称賛されたことだろう。もっとも、空海に該当する日本の人物は?と考えてみるに誰も思いつかない。阿倍仲麻呂的な中国と親交のあった政治家の名前は幾人か・・・、と遊んでみるのも映画の面白い一面であろう。総評としては、大作に違いないが、その評価は二分されるだろう。私の評価は、改めて中国文明の大きさを垣間見たようでもあるが、期待したほどではなかった、といったところか。

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2018年2月16日 (金)

シネマ散歩・第3回鑑賞会

「星めぐりの町」を観る
 個人的には、1月29日に観ているので2回目となったが、今年最初の「シネマ散歩・緑の会」の映画鑑賞会「星めぐりの町」が、JR南大高駅前にあるが「イオンシネマ大高」で開かれた。終了後はランチしながら懇親会。
 この日、会誌「シネマ散歩・緑」の第3号で、「星めぐりの町」のガイドと「スターウォーズ・最後のジェダイ」の映画評(感想)とドイツ映画の「はじめてのおもてなし」の紹介に加えて、会員からの投稿「この世界の片隅で」を観て、という内容で発行した。
 余白を使って私は、「映画(シネマ)を散歩する(1)」として「テレビシアターの映画解説 者」を書き添えた。
 インターネットからの引用が多いが、懐かしい名前に親しんだのだった。以下の内容で。
  ~一般興行の映画は、映画館で観るに限る、にさして異論はなかろうと思う。ドキュメンタリーや自主製作映画などで、公共施設を使っての自主映画会というものもあるが、私の分類によれば、それらの多くは「情報・学習・運動のツール」であり(「○○映画祭」といったものもあります)、劇場での鑑賞は、「おもしろい」「未知の世界への誘い」「感動と共感」「創造力」「追憶」の要素が織り込まれて、“記憶(印象)に残る”のが特徴ではないかと思う。
一方、テレビシアターというのもある。毎日のよう番組にあがるが、有料サイトと契約されている方もおられよう。
  テレビで観る映画の解説者では、「それではまた次回をお楽しみに、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ!」と強調して言う独特の語り口から全国的に有名になり、「サヨナラおじさん」とも呼ばれた淀川 長治さん(1998年没)を思い出す。
 もう一人は、水野 晴郎さん。(2008年没)1972年から、日本テレビ系の映画番組『水曜ロードショー』の解説を担当していた。1983年6月から降板していたが、1985年4月に復帰。担当番組が『金曜ロードショー』に変わった後も1997年3月まで延べ24年半に亘って解説を続けた。また同番組の解説の締め括りには毎回「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」が、私には心地よく響いたものだった。
  その他代表的な映画解説者に荻 昌弘さんがいるがあまり記憶にない。木曜洋画劇場の「あなたのハートには、何が残りましたか?」の木村奈保子さん(その前は河野基比古さん)、「ゴールデン洋画劇場」では、初代が前田武彦さん、二代目が高島忠夫さんだったが、いわれてみれば思い出すかなあ、という程度。みなさんはいかがですか?~

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2018年2月13日 (火)

映画「ジオストーム」を観る

 この手の映画は好きなんです
 この日も午前中に眼科の診察があって、夕方からCGSUの会議が設定されていたから、その合間を縫って映画館に足を運んだ。
 空想未来科学映画といっていいだろう「ジオストーム」は、西暦2019年の設定になっているから、「未来」映画とは言い難い。多分それは「温暖化による異常気象が世界各地を襲い、地球に脅威をもたらしていた。国際社会はこれに対抗するため、気象制御衛星『ダッチボーイ』を開発し、人類を存亡の危機から救いだしたのだ。」という、地球温暖化の現実的環境問題に照準を合わせたからだろう。
 それにしても、巨大な気象コントロール衛星を宇宙空間に建設するにはまず、現代技術と資金面で不可能であるが、「空想未来科学」は、それが可能かどうかという現在的価値観は埒外にあるから、空想できるものは何でもありなのである。要は「未曾有の災害が同時多発的に起きる地球壊滅災害“ジオストーム”の発生」を予感させ、そうでなくても、最近の火山噴火、地震の多発、海洋潮流の異常、豪雨・豪雪、台風・ハリケーンなどの異常気象から、単なる空想ではなく、かなり大げさに描いた“警告”ということであろう。
 さて映画は、天候をコントロールする気象宇宙ステーションが暴走して、世界各地で地球壊滅災害“ジオストーム”が発生する。だがその暴走は、単なる技術的な欠陥、誤作動ではなかった。
 『ダッチボーイ』を開発したが、役職を外されていた超天才科学者ジェイク(ジェラルド・バトラー)が呼び出され、その弟(実は喧嘩別れしていた)で、政府の対策責任者のマックス(ジム・スタージェス)と共に立ち上がる。ジェイクは、宇宙ステーションに向かい、何者かによるコンピューターに「ウィルス」が組み込まれていることを知る。その何者とは誰かが、「ダッチボーイが次々と都市を破壊するシーンが圧巻だ。香港では高熱の影響によって街がおぼろ豆腐のように崩壊し、ドバイの超高層ビル群を大洪水が呑み込む。日本も巨大な雹が東京に降り注いだり・・・」の映像と共に少しずつ浮上してくるサスペンスも織り込まれる。
 果たして、気象宇宙ステーションの暴走を止められるか、衛星をコントロールするアメリカ政府内に一体何が起こっていたのか。
 CGを使った映像は、戦争映画はもちろん、スターウォーズやジェラシックパーク、バットマンなど、大がかりなシーンの多くに使われているが、実像に近いもになってきているから迫力がある。
 私は2D・字幕で観たが、“面白さ”だけを堪能するならやはり3Dだろう。
 16日に「シネマ散歩・緑の会」で、「星めぐりの町」を観に行くが(私は2度目)、CDは一切なし、日本の里山風景の映画との“対比”というか、映画の世界の広さ、奥行きを改めて感じると思う。
 ついでながら、前にも書いた記憶があるが、中学生のころ、図書委員をしていた時、空想科学小説を好んで読んでいた一時期があった。この手のものが好きというか、“悩まなくてもいい”お気軽さがそうさせたのかもしれない。

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2018年1月29日 (月)

映画「星めぐりの町」を観た  

 豆腐職人と震災孤児の心の交わり
 27日の午後に、映画「星めぐりの町」(監督黒土三男)を観た。映画の途中に東日本大震災の、恐ろしい津波が押し寄せる映像が流れるが、そのほか全編、愛知県豊田市がロケ地であった。豊田スタジアムははっきり分かったが、「松平郷」「名鉄・平戸橋駅」「下切町」「小原町の紙すき現場」が画面に出てくるのだった。
 ストーリーは、三河の山中で、京都で豆腐作り修行を積み、毎朝じっくりと手間と時間をかけて美味しい豆腐を作る島田勇作(小林稔侍)と、東日本大震災で津波により家族全員を一瞬で失った少年・政美を中心に進む。政美は津波で両親と妹を亡くし孤児となり、心に深い傷を負い、人を拒絶し閉じこもり、凶暴になることも。親類先をたらい回しされた挙句、最後の最後に勇作の亡き妻の遠縁にあたるということで、この豊田の里山にやってきたのであった。
 見どころは、島田勇作という豆腐職人のくらし(自然に根差した自給自足)と人間性、被災孤児の政美の閉ざされた心が少しずつ雪解けのように開いていく様子であろうか。
 最後のシーンで宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を勇作と政美が口ずさむ。政美の未来を暗示する一言が添えられ。
 もう少し深読みすると、かつて日本にもこんなくらし、風景、人情があったなあという、ノスタルジーも散りばめられた映画であった。(ミッドランドスクエアシネマ2で、2月9日まで)

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2018年1月27日 (土)

ドキュメ映画「自白」を観た

 隣国韓国への関心をなくしてはならない
 名古屋「自白」上映実行委員会が企画した、2016年に韓国で上映されたドキュメンタリー映画「自白」を観た。
 「自白」の監督はチェ・スンホ(崔承浩、56歳)さんで、南北分断状況で韓国の国家情報院(国情院、前身は中央情報部)が、いかに非人道的な手法で「北のスパイ事件」を捏造してきたかを、緻密な調査と貴重な証言によって告発している。
 ではあるのだが実は、会場は名古屋国際センターの研修室で床はフラットであり、惜しいことに映写の位置がやや低いこともあって、私の位置からは、前席の人の頭部が字幕の位置と重なり、ほとんど読み切れなかった。映像は、スパイ容疑で逮捕連行され、のちに無罪となって証言するシーンが多く、字幕が読めないのは致命的であった。
 幸いなことに、第二部の証言、康宗憲さんへのインタビューがあって、映画の内容のポイントだけはわかった。そして証言によって今なお続く70年に亘る分断国家の歴史、1947年に憲法が制定された後も「国家保安法」が憲法の上を行くことによる、映画『自白』も取り上げられた「在日韓国人母国留学生事件」などが頻発するのである。
 1970~80年代では、私の周辺でも「日韓連帯」「韓国政治犯釈放運動」が盛んであって、韓国の民主化運動への過酷な弾圧の状況は幾らか知っていた。1980年の「光州事件」や「金大中氏に死刑判決」といった経過から、それに抗議し、韓国民衆に連帯する「抗議の座り込み行動」を名古屋栄の噴水前で行ったこともあった。
 こうした韓国における「平和的統一」「民主化」をめざす闘いは、日本と無縁とは思えない。直近の例として、明らかに憲法違反である「集団的自衛権容認」を閣議決定し、それによって安保法が制定されたことでもでもわかるではないか。「立憲主義」が危機にあるのだ。
 また「非正規雇用」が社会問題化したのも、韓国では1990年代初頭である。私が渡韓した1993年には街頭デモのプラカードにすでに登場していたと記憶する。世界の矛盾、しわ寄せが国力の違いであろう、韓国に先に来る、私はそう感じているのである。
 隣国韓国への関心、在日朝鮮人・韓国人の問題への関心は、私たちにとって不可欠な「感覚・認識」である。

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2017年12月 3日 (日)

シネマ散歩・緑の第2回鑑賞会

 「世界の片隅に」の、片渕須直監督のトーク
 伏見ミリオン座のキャパ169で、6人が124~129番のチケット。番号順の入場ということでどうなるかと思ったが、館内の前列から3分の2当たりの席となり、映画を観る席としては申し分なかったが、監督のトークでは、話がやや遠かった。どうやら監督のトークをメインにして来場した人は、最前列を占めたようで、いつもと違う席の埋まり方であった。
 私はこの映画を観るのは2度目であるからその内容は省くが、9か月も経っていると、初めて見るような感覚にとらわれた。それは極めて部分的な映像が残滓としてあって、2時間の映像を覚えていられるわけではないので当然かもしれないが、昭和初期から敗戦辺りまでのくらし、町の風景がやはり印象深いから、新鮮さが甦ったということかもしれない。
 さて、片渕須直監督のトークであるが、前半は、この映画の「反響・受賞」を主に語った。例えば、イラン、インドでも上映されたが、観客の反応の一つに、主人公「すず」への共感と共に“この映画を親に見せたい”ということで(アメリカも含め)共通していたという。特にイランでは、若い人がそのように語る背景には、イランの「戦前」は、日本の70年、80年と違って、つい最近のことを物語っているという点で、印象的だったという。
 全国から寄せられ、会場で集約した質問に答える形で監督が答えた内容としては、記憶は定かではないが、監督として苦労したことは?では、「音」の問題があって、濁音が入ること、アニメという映像に対して「空気感のある録音」ができるかどうか。この映画を製作するにあたっての動機は?では、「戦争」は知識として知っているが、なんとか「体験的空間」が作れないか、人間の生活を発展的にとらえられないか、84年前の、すずさんのクリスマスから始まる冒頭シーンを入れたのはその意味合いがあった。映画との出会いは?では、子どもの頃の話があったが・・・。声優たちはどうでしたか?では、例えばすずの「のん」さんは、すずというアニメの中の人物をいろいろ想像していたように、声優たち全員が、それぞれの人物を想像し、イメージし、形にしていく、つまりストーリーをよく把握していたということがいえた。
  この映画がここまで評判になって多くの人に観られたのはどうしてですか?では、公開される前からテレビで放映されたこと、NHKの朝の枠で取り上げられたこと、映画評に取り上げられたことなどいろんなメディアで取り上げられたことは大きい。公開された作品は「省略版」ということですが・・・、については、まず原作を読んでほしいということ。実際は160分で仕上がっていたが、劇場公開は原則として120分が基本。160分ものは一部公開され見られた人もおられる。結局120分に短縮されしかもオープニングとエンディングで9分取られているから、“あの場面は何故カットされたんですか?”という質問を受けたこともあった・・・。
  終えてから昼食会を開き、次回の鑑賞会は2018年の2月頃ということになった。

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2017年9月26日 (火)

映画「関ケ原」を仲間と観る

 シネマ散歩・緑の会の試行第1回
 昨日、話題の映画の一つである「関ケ原」を、「史跡めぐり」の仲間5人と観に行った。元々、単独で観に行くつもりであったが、かねてからの構想で映画を観に行く会を、この際呼びかけてみようと思い、「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」を立ち上げて、試行的に呼びかけたのであった。5人が参加、3人が既に観たとの連絡があり、思いの外関心を寄せる人が多いのでこれからが楽しみとなった。
  終えてから、「食事会」を設定して、ここには既に観た人一人も加わって7人の席となり、大いに賑やかとなった。
  最初に「シネマ緑」の、そもそもの話をし、大まかな “とりきめ”も話して、楽しみながら、何かを得ていくという“あり方”も了解して戴いた。ということで映画の選定も意外と戸惑い、悩むかもしれないと思った。もっとも、参加、不参加は自由であるから、その点で選択権は付与してあるので気遣いは無用であろうとも思っている。
  また、従来も何らかの情報を冊子にしてきたが、今回も映画記録と感想を中心にした冊子を発行の予定だ。
  さて肝心要の「関ケ原」はどうであったか。首題そのものは誰もが知る歴史的事実であるが、これまでの記憶(既成概念)から、かなり違うことが映像化されていて、その点で、それぞれからあれこれの指摘が出された。
  まず共通していたのは「石田三成の実像」の乖離が大きかったことだった。秀吉亡き後、淀殿と結託して天下を牛耳ろうとして、無謀な徳川家康との決戦に臨み、結果として豊臣を滅ぼしてしまった浅慮な家臣、という認識。史実としてはどうであったかはわからないが、この映画では「正義」について、三成は純粋であったこと。それは旗印「大一大万大吉」に表されていた、という点で“愚か者三成”の印象が変わった。私など「大一大万大吉」の旗印は、てっきり大谷刑部(吉継)のものだとばかり思い込んでいたのだった。
  又“裏切り者、小早川秀秋”についてもこの映画では、秀秋自身は三成に味方すると言い張るのであったが、結局家臣団に抑え込まれ、大谷軍に襲い掛かるのであるが、これまでは“業を煮やした家康の命で小早川陣営に鉄砲か大砲が撃ち込まれ、それが家康の怒りの催促であると震え上がった秀秋は、元々内通はしていたが、寝返りを決行した”というのとはちょっと違った。
  秀吉の正室、北政所(おね、ねね)の立場を示すものとして、淀殿との確執、家康への評価から、表面上は傍観の態度であったが、実際は家康に心を寄せていた、というものであったが、“三成やその近習たちは近江の者、わしらは尾張じゃ”という出自の違いに言及しているのに驚いた。また、三成は死んでもその子孫は残す、ともいうのであるが、その真意はわかりかねた。実際はどうなのだろう。
  東軍の大将家康は、終始余裕たっぷりに描かれていて大戦(おおいくさ)での臨場感がまるでないのだが、この演出の意図は何であったろう。戦場の陣形から「西軍の勝利」は間違いないところというのが、現代の軍事専門家の見立てであり、もっと緊張感があってもいいのではないか。
  エキストラ4000人といわれ合戦シーンであるが、いわゆる戦場を俯瞰する「空撮」はなかった。“いまや当たり前のようなCGを駆使すればいいのに”という意見もあったが、別の人から“それは、原田監督が、CGが嫌いだから”という背景を説明した。
  この映画は「石田三成」中心であるが、西軍の大谷刑部、島左近、東軍では井伊直政が重要な位置づけ、役割を果たす設定になっている。ドラマ「女城主直虎」を意識してか、また女忍び(初芽:有村 架純)を縦横に走らせたりするのも、司馬遼太郎の原作ではどうなっているかは知らないが、映画ならでは設定、採用であろう。それにしても島左近の平岳大は親の平幹二郎の生き写しだった。
  鑑賞するにあたって、キャスト・東西両軍の色分けと関ケ原の陣形図を見てもらったが、館内で観るわけにはいかず、もっと事前に見てもらった方がよかったとは思った。また「旗印」がどの大名のものかがわかるといいな、という意見もあった。戦場では局面が目まぐるしく変わるので、ついていけない、ということだろう。もっとも私の考えは、その程度のサービスは、劇場側がしてもいいのでは?であったが。(作品冊子を買えということらしいが)
  終えてからの懇親会(批評会)も含めて、まずまずの試行・第1回の「シネマ散歩・緑の会」であった。

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2017年9月22日 (金)

映画「ダンケルク」を観る

 よりリアルな戦場と人間の姿
 来週の月曜日に、映画「関ケ原」を数人で観に行くことになっている。これは、年明けからスタートが予定されている「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」という新しいグループの試行的な呼びかけでもある。
 既にシネマ緑に7人から参加の返事をもらっているが、そのうち3人はこの「関ケ原」は、既に観て来たという。
 そして、どうもあまり評判は良くない印象を語っている。中には、それを聞いて観るのをやめた、という人もいたが、それも一つの判断材料ではあろうがちょっと寂しい。
 ま、それはそれとして、映画を観た後「食事会」が設定されているので、幾らか話題提供の種を用意したいと思い、今日の予定の時間で観たい映画「ダンケルク」がすっぽりはまったので、イオンシネマ大高へ急いで観に行った。
 映画「ダンケルク」はアメリカ映画で、「・・・1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し・・・」
 空ではドイツ空軍とイギリスの戦闘機との死闘と同時に。ダンケルクから脱出する英軍の援護が繰り広げられ、海では、救出に向かう駆逐艦や輸送船などが次々と攻撃を受け、沈没していく。陸の海岸では、救出船の到着を待つ英仏兵の長い行列と、唯一の桟橋も攻撃にさらされるなど、一場面、一場面そのものがリアルに映し出され、戦闘より「人間の葛藤、相克、確執」みたいなものが、戦場という場だからこそむき出しになる、そんな場面が多い。だが、そうした絶望的な局面にあってもトミーら若い兵士の、“何が起こっているのか?とにかく生きなきゃ”という、必死でありながらあまり表情に出さないところに、戦争への冷ややかな目線を感じさせたのであった。
 戦争映画は、映画のジャンルから言えば一番多いのではないかと思うが、個人的にも、古くは「人間の条件」「戦争と平和」「西部戦線異常なし」から始まって、「誰がために鐘は鳴る」「史上最大の作戦」も思い出される。それで今日の「ダンケルク」の印象は、あくまで個人的なものだが、スティーブン・スピルバーグの「プライベートライアン」に近いものを感じた。多分“よりリアリティな映像” と、なんとなく“嫌味”の残らない戦争映画、といえるのかもしれない。多くが、ドイツ兵はバタバタ倒れていくのに、連合軍(米兵)への砲撃、機銃はかすめるだけ、みたいなものがないということだろうか。
 付け足しだが、今日は初めて「IMAX」という方式の映像で観た。アイマックスシアターは、通常の映画館より大きく正方形に近いスクリーンを持ち、音響も立体的な投影システムのようで、こういった戦争映画にはより向いているといえるかもしれない。より「臨場感」を高める椅子が動いたり、臭いがしたりするシステムもあるそうだが、それ自体に酔ってしまいそうだ。

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