2017年9月26日 (火)

映画「関ケ原」を仲間と観る

 シネマ散歩・緑の会の試行第1回
 昨日、話題の映画の一つである「関ケ原」を、「史跡めぐり」の仲間5人と観に行った。元々、単独で観に行くつもりであったが、かねてからの構想で映画を観に行く会を、この際呼びかけてみようと思い、「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」を立ち上げて、試行的に呼びかけたのであった。5人が参加、3人が既に観たとの連絡があり、思いの外関心を寄せる人が多いのでこれからが楽しみとなった。
  終えてから、「食事会」を設定して、ここには既に観た人一人も加わって7人の席となり、大いに賑やかとなった。
  最初に「シネマ緑」の、そもそもの話をし、大まかな “とりきめ”も話して、楽しみながら、何かを得ていくという“あり方”も了解して戴いた。ということで映画の選定も意外と戸惑い、悩むかもしれないと思った。もっとも、参加、不参加は自由であるから、その点で選択権は付与してあるので気遣いは無用であろうとも思っている。
  また、従来も何らかの情報を冊子にしてきたが、今回も映画記録と感想を中心にした冊子を発行の予定だ。
  さて肝心要の「関ケ原」はどうであったか。首題そのものは誰もが知る歴史的事実であるが、これまでの記憶(既成概念)から、かなり違うことが映像化されていて、その点で、それぞれからあれこれの指摘が出された。
  まず共通していたのは「石田三成の実像」の乖離が大きかったことだった。秀吉亡き後、淀殿と結託して天下を牛耳ろうとして、無謀な徳川家康との決戦に臨み、結果として豊臣を滅ぼしてしまった浅慮な家臣、という認識。史実としてはどうであったかはわからないが、この映画では「正義」について、三成は純粋であったこと。それは旗印「大一大万大吉」に表されていた、という点で“愚か者三成”の印象が変わった。私など「大一大万大吉」の旗印は、てっきり大谷刑部(吉継)のものだとばかり思い込んでいたのだった。
  又“裏切り者、小早川秀秋”についてもこの映画では、秀秋自身は三成に味方すると言い張るのであったが、結局家臣団に抑え込まれ、大谷軍に襲い掛かるのであるが、これまでは“業を煮やした家康の命で小早川陣営に鉄砲か大砲が撃ち込まれ、それが家康の怒りの催促であると震え上がった秀秋は、元々内通はしていたが、寝返りを決行した”というのとはちょっと違った。
  秀吉の正室、北政所(おね、ねね)の立場を示すものとして、淀殿との確執、家康への評価から、表面上は傍観の態度であったが、実際は家康に心を寄せていた、というものであったが、“三成やその近習たちは近江の者、わしらは尾張じゃ”という出自の違いに言及しているのに驚いた。また、三成は死んでもその子孫は残す、ともいうのであるが、その真意はわかりかねた。実際はどうなのだろう。
  東軍の大将家康は、終始余裕たっぷりに描かれていて大戦(おおいくさ)での臨場感がまるでないのだが、この演出の意図は何であったろう。戦場の陣形から「西軍の勝利」は間違いないところというのが、現代の軍事専門家の見立てであり、もっと緊張感があってもいいのではないか。
  エキストラ4000人といわれ合戦シーンであるが、いわゆる戦場を俯瞰する「空撮」はなかった。“いまや当たり前のようなCGを駆使すればいいのに”という意見もあったが、別の人から“それは、原田監督が、CGが嫌いだから”という背景を説明した。
  この映画は「石田三成」中心であるが、西軍の大谷刑部、島左近、東軍では井伊直政が重要な位置づけ、役割を果たす設定になっている。ドラマ「女城主直虎」を意識してか、また女忍び(初芽:有村 架純)を縦横に走らせたりするのも、司馬遼太郎の原作ではどうなっているかは知らないが、映画ならでは設定、採用であろう。それにしても島左近の平岳大は親の平幹二郎の生き写しだった。
  鑑賞するにあたって、キャスト・東西両軍の色分けと関ケ原の陣形図を見てもらったが、館内で観るわけにはいかず、もっと事前に見てもらった方がよかったとは思った。また「旗印」がどの大名のものかがわかるといいな、という意見もあった。戦場では局面が目まぐるしく変わるので、ついていけない、ということだろう。もっとも私の考えは、その程度のサービスは、劇場側がしてもいいのでは?であったが。(作品冊子を買えということらしいが)
  終えてからの懇親会(批評会)も含めて、まずまずの試行・第1回の「シネマ散歩・緑の会」であった。

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2017年9月22日 (金)

映画「ダンケルク」を観る

 よりリアルな戦場と人間の姿
 来週の月曜日に、映画「関ケ原」を数人で観に行くことになっている。これは、年明けからスタートが予定されている「シネマ散歩・緑の会(シネマ緑)」という新しいグループの試行的な呼びかけでもある。
 既にシネマ緑に7人から参加の返事をもらっているが、そのうち3人はこの「関ケ原」は、既に観て来たという。
 そして、どうもあまり評判は良くない印象を語っている。中には、それを聞いて観るのをやめた、という人もいたが、それも一つの判断材料ではあろうがちょっと寂しい。
 ま、それはそれとして、映画を観た後「食事会」が設定されているので、幾らか話題提供の種を用意したいと思い、今日の予定の時間で観たい映画「ダンケルク」がすっぽりはまったので、イオンシネマ大高へ急いで観に行った。
 映画「ダンケルク」はアメリカ映画で、「・・・1940年、連合軍の兵士40万人が、ドイツ軍によってドーバー海峡に面したフランス北端の港町ダンケルクに追い詰められる。ドイツ軍の猛攻にさらされる中、トミー(フィオン・ホワイトヘッド)ら若い兵士たちは生き延びようとさまざまな策を講じる。一方のイギリスでは民間船も動員した救出作戦が始動し・・・」
 空ではドイツ空軍とイギリスの戦闘機との死闘と同時に。ダンケルクから脱出する英軍の援護が繰り広げられ、海では、救出に向かう駆逐艦や輸送船などが次々と攻撃を受け、沈没していく。陸の海岸では、救出船の到着を待つ英仏兵の長い行列と、唯一の桟橋も攻撃にさらされるなど、一場面、一場面そのものがリアルに映し出され、戦闘より「人間の葛藤、相克、確執」みたいなものが、戦場という場だからこそむき出しになる、そんな場面が多い。だが、そうした絶望的な局面にあってもトミーら若い兵士の、“何が起こっているのか?とにかく生きなきゃ”という、必死でありながらあまり表情に出さないところに、戦争への冷ややかな目線を感じさせたのであった。
 戦争映画は、映画のジャンルから言えば一番多いのではないかと思うが、個人的にも、古くは「人間の条件」「戦争と平和」「西部戦線異常なし」から始まって、「誰がために鐘は鳴る」「史上最大の作戦」も思い出される。それで今日の「ダンケルク」の印象は、あくまで個人的なものだが、スティーブン・スピルバーグの「プライベートライアン」に近いものを感じた。多分“よりリアリティな映像” と、なんとなく“嫌味”の残らない戦争映画、といえるのかもしれない。多くが、ドイツ兵はバタバタ倒れていくのに、連合軍(米兵)への砲撃、機銃はかすめるだけ、みたいなものがないということだろうか。
 付け足しだが、今日は初めて「IMAX」という方式の映像で観た。アイマックスシアターは、通常の映画館より大きく正方形に近いスクリーンを持ち、音響も立体的な投影システムのようで、こういった戦争映画にはより向いているといえるかもしれない。より「臨場感」を高める椅子が動いたり、臭いがしたりするシステムもあるそうだが、それ自体に酔ってしまいそうだ。

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2017年9月 2日 (土)

映画「パターソン」を観る

 普通のくらし中に詩もある、か
 今日の午後から夜にかけて「自由時間」が巡ってきた。“どうする?”かは、迷うことなく映画を観に行くと即断した。どんな映画を?誰かを誘うか?これも比較的早く答えが出た。先月末にシネマ情報を検索していて目星をつけていた。一つは話題の「関ケ原」であったが、これは誰かを誘っていった方がよさそうだと考えすぐに外した。次に映画館から最初は名古屋シネマテークを検索し、どれかにしようと上映案内を見たが、作品、時間が合わなかった。
 それで候補の一つでもあったミリオン座での「パターソン」と決めた。ミニオン座に決め理由は映画と直接関係ないが、もう一つあった・・・。
 実は「パターソン」に決める段階でかなり逡巡した。概要によれば、歴史ものでもないしSF的でもない。サスペンスもユーモアもあるわけではない。(ラブストーリーは、選出基準ではいつも下位)果たしておもしろいだろうか?
 ニュージャージー州のパターソン市に暮らすバス運転手パターソン(町と同じ名前)の、妻と愛犬の平凡なくらしが1週間に亘って淡々と描かれる。朝6時過ぎに目覚めて、未だ眠りの中にある妻ローザにキスをして、朝食を摂ってバス会社に出勤。決まった路線を運転しながら、乗客の会話を聞くともなし聞き、街の風景に目をやりながら、ふと浮かんだ詩をノートに書き留める。仕事が終わって帰宅後は夕食後の愛犬を連れた散歩と行きつけのバーで一杯の酒を楽しみにしている、そんな何気ない日常が写し取られていく。
 もちろん、同僚の悩み事を聞かされるとか、散歩中に詩を書く少女との出会いやバーでの一悶着などもあるが、生活を揺るがすようなものではない。一方のローラは、ちょっと変わっていて、デザイナーみたいことに楽しみを見つけ、クッキーをつくって売りさばいたり、ウエスタンスタイルでギターを弾き歌手もどきになったり・・・。つまり多趣味。
 確かに平凡で愛に満ちた日々ではある。観るものにとってそんな生活(くらし)にあこがれる向きも多かろうが、あれは誰にでもあった「一瞬」ではなかったろうか。新婚時代の暫く間・・・。病気のことは別としても、子供ができ、両親が老いていき、仕事は中堅から役職に、というように日常そのものも変化し続ける。つまりパターソンとその家庭の風景に見る「原点」みたいなものを見失っている現代人にとって、あるいは社会そのものが慌ただしく、急変していく現代にあって、“あの瞬間”は、希望であると同時にかすかな“郷愁”をもって受け入れられたのではないだろうか。
 私がこの映画を選んだちょっとした理由は、2月に見た映画「この世界の片隅で」の影響があった。パニック映画みたいな“映画は面白けりゃええ”から、“普通のくらし、特別を求めない生き方”そんなものを考える映画もいいかなと。
 バス運転手のパターソンは詩を書いているが、その詩というものも普通の言葉でありメモ風なものにして、きちんと見るべきものを見ていてそして感じ取る。詩を書くから詩人というよりも、そんな感性を持った人こそが詩人なのであろう。街角で詩を書く少女との出会い、ラストシーンでは、日本からやってきた詩人(永瀬正敏)が突然登場するが、この映画の背景にかすかながら「叙事詩」が漂っているような、私はそんな風に感じとった。

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2017年8月28日 (月)

「最高の人生の見つけ方」

 閑話休題・テレビシアター
 夜、台所仕事が終わったのでふとテレビのチャンネルをあれこれ動かしていたら、2007年にアメリカで公開された(日本では2008年)当時としてはかなり評判だったという映画「最高の人生の見つけ方」、原題は「My Life without me」というところに行き当たった。
  最初は地味な感じで“面白そうな展開”の予感がしなかったが、男優のモーガン・フリーマンが出ていて、さらにあれは・・・すぐに思い出せなかったがジャック・ニコルソンが出ていたので暫く観ていて、そのまま引き込まれていったのだった。
  映画は、殆どこのふたりでだけで進行していくのだが、例えば、モーガン・フリーマンは45年間ひたすら家族のために自動車整備工として働き続け、家庭は円満、子どもは3人、趣味はクイズといったいわばごく普通の人物で「黒人」。一方のジャック・ニコルソンは、事業に成功した大金持ちの実業家であるが4回も離婚し、子どもは一人いるが離別状態にあり、趣味といえば金儲けと「コーヒー」という「白人」、というように多くの面で二人は対称的な存在である。一緒なのは年齢と「病気」くらいか。ここで「コーヒー」を強調したが、最後にこの意味が解る仕掛けがある。
  二人は全くのあかの他人であるが、ガンを患って入院してたまたま同室となる。(この病院は、コール=ジャック・ニコルソンが経営する病院で、個室はなく二人部屋が経営方針)、余命6か月を宣告された二人だが、カーター(モーガン・フリーマン)は、大学時代に教わった「棺桶リスト」を作り始める。この「棺桶リスト」とは、早い話「残された人生の中でやりたいことのあれこれ」で、日本的に言えば、例えば「一度は行ってみたかった温泉でゆっくり湯につかりたい」「ヘリで運んでもらってでも、富士の山頂から日の出がみたい」「極上の握り寿司を極上のお茶で食べてみたい」。これらは私の願望に近いものでもあるが、私がこれに付け加えるなら「・・・」と「・・・」
  カーターのメモをコールが見てしまう。そこでコールがメモに書き加え、(お金に不自由はないから)それらを二人で実行しようと持ち掛け、秘書(話の筋のキーパーソンでもある)の忠告も聞き入れず自家用機で出発する。
  メモされた内容は、スカイダイビングをする/マスタングGT350に乗る(レースする)/ライオン狩りをする/万里の長城をバイクで走る/ピラミッドを見る(登る)/香港に行く/泣くほど笑う/世界一の美女にキスをする/見ず知らずの人に親切にする/エベレスト登頂/・・・などであった。
  結局中止したものもあるが、2か月かけてそれぞれは実行されていく。単にあれがしたい、あれが食べたいみたいなものなら大した感動にはならないであろう。やはり「泣くほど笑う(コーヒーとの関係あり)」というところに「人間の集大成」があるだろうし、「壮厳な景色を見る」は、心穏やかに来るべき時を待つ心境であろう。そしてカーターとコールに最後の時が来て「最高の人生は何だったのか、見つかったのか」のクライマックスやってくる。ネタをばらせばカーターは家族と何よりも妻バージニアとの愛を確かめる・・・。コールは「世界一の美女にキスをする」即ち、けんか別れしたままの子ども(娘夫婦)と再会し、孫娘を抱き上げキスを受ける・・・。(二人の骨壺はエベレストの頂上に安置される)
  昨今のはやりことば「終活」とは、「身辺整理」とか「死に方」だけでなく「自分の人生を振り返り、やりたかったことに今一度勇気を奮って挑んでみる」ということかなと思った。そして「家族や友人にきっちりと“別れ”を告げる」とか、「残したい、伝えたい言葉を考えておく」といったようなことを思い起こしてくれた映画であった。

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2017年2月21日 (火)

アニメ映画「この世界の片隅に」

いつだって、誰だって・・・の片隅に
 昨日は映画「ニュートン・ライト・・・」について書いたが、実は先週にアニメ映画「この世界の片隅に」を観に行っていた。どちらかといえば同じアニメ映画の「君の名は。」に隠れていたようだが、次第に人気が出てきたといわれる。つい最近、青森県の映画館で上映されたものが、完成品でないことが分かったと、ちょっとしたニュースになったが、「ニュースになるほどのもの」ともいえようか。
 原作は、「第2次大戦下の広島・呉を舞台に、大切なものを失いながらも前を向いて生きていく女性すずの日常を描いた、こうの史代の同名漫画をアニメ映画化した人間ドラマ」とあり、映画は、主人公「すず」が生まれた昭和初期から始まるが、まずその時代の庶民の暮らしぶりが背景として丁寧に描かれる。それはこの映画の特色に一つかもしれない。
 蛇足ながら、映画「ALWAYS 三丁目の夕日」は、同じ「昭和の時代」といっても、戦後の復興期-東京五輪、東京タワーの時代、そして東京の下町であり、“田舎”の呉とは違った世界だっただけに、広島・呉の段々畑、海の見える風景(軍港)、家の中、台所など、高齢者が見たならきっと懐かしさも強いに違いない。私の時代とは少し遡るにしても、幼少期の原風景とあまり変わらない気がした。
 さて物語は、絵を描くことが得意な少「浦野すず」は、1944年(昭和19年)2月に呉の北條周作のもとに嫁ぐ。そこでの夫、舅、姑、小姑という「昭和の家族」そのままに一生懸命生きていくが、それは淡々とした日常生活であり、映画特有の“何かが起こりそう”という気配もなく進んでいく。だが、戦況の悪化と共に、米軍による空襲が激しくなり(そこですずは、同行していた姪の黒村晴美の命と、自らの右手を失う)、生活物資も不足していく。そして1945年(昭和20年)8月6日、広島に、世界初の原子爆弾が投下される、その日が来るのである。
 すずは、呉にいて「爆心地から約20キロメートル離れた北條家でも閃光と衝撃波が響き、広島方面からあがる巨大な雲を目撃する」が、両親は行く方不明(多分爆死)妹のすみは、被爆した。
 すずは廃墟となった広島訪れ、呆然としつつも、この世界の片隅で自分を見つけてくれた夫周作に感謝しながら、戦災孤児の少女を連れて呉の北條家に戻って行った。
 映画に直接的な政治主張、反戦思想が描かれるわけではない。あるとすれば、すずが呉の軍港の絵を高台の段々畑で描いていたのを「特高」に見つかり、「間諜」の疑いをかけられ、監視されるという場面であろうか。
 観終わってみれば、特段に“高揚” した場面があったわけではないが、いつだって、誰だって、どこかの世界の片隅に生き、暮らしているのであり、その“くらし”を自ら振り返り、“今”に思いを馳せるという、不思議な感覚を覚えさせたのであった。

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2017年2月20日 (月)

映画「ニュートン・ナイト 自由の旗をかかげた男」

 リンカーンの「奴隷解放宣言」より前に奴隷を解放した・・・
 時代は19世紀、アメリカの南北戦争のころの実話を基にした映画で、日本では幕末の「桜田門外の変(19860年)」から「下関戦争~禁門の変~第1次長州征伐」あたりになろうか。

 南北戦争は、「奴隷解放」というイメージが強いのだが、確かに南部における広大な綿花栽培に「奴隷」が酷使されていたのは事実。ところが北部では、国内の産業・工業化が進み労働力を必要としていた。また「奴隷制」に反対していたこともあって、南北の対立が深まり、南部7州による「アメリカ連合国」が建国されて北部との対立は深まりそして内戦状態となったとされる。
 という時代の中で、南軍の衛生兵ニュートン・ナイトは、戦場にあって様々な不条理を見て取る。そして彼はいう「金持ちの戦争を、貧乏人が戦う」と。とある日、南軍に徴兵されて、おじのニュートン・ナイトを探し求めてきた甥のダニエルはまだ少年。だが銃弾に当たって戦死してしまう。ニュートン・ナイトは、ダニエルを遺族に渡すために軍規を破って戦場を離れ追われる身に。
 戦場に近いミシシッピ州ジョーンズ郡では、南軍兵士による略奪が日常化しており、農民たちは苦しめられていた。また脱走した黒人「奴隷」たちは“沼”で息をひそめていた。
 農民や「奴隷」たちと心通わせていくニュートン・ナイトは、あまりにひどい南軍の行為に、ついに銃をもって立ち向かうことを決意する。いわば「反乱軍」だ。その反乱軍は南軍を攻撃し、1864 年にエリスビルの司令部を占拠、さらに隣接する3つの郡を奪う。北軍に援助を断られたニュートンは、北部にも南部にも属さない「ジョーンズ自由州」の設立を宣言する。
1865年、南北戦争は終結し、共和党のリンカーンが大統領に当選し、「奴隷解放」が宣言されたが、法律の解釈などによって実質的な奴隷制度(小作人)は維持され、KKKによる襲撃でモーゼスなど黒人たちは殺されたりもした。
 南北戦争という尋常でない状況の下で「自由、平等」の考えを持ち、広め、旗を掲げたニュートン・ナイトは、「戦後」も一貫して闘かい続けた。
 まさしく、リンカーン大統領よりも早く奴隷解放を実現するなど、真の自由を求めて戦った実在の人物が、こうして映画で知られるということは驚きであるとともに、この種のものがどこの国、どこの地の歴史の中にどれほど埋もれているのか、思い知らされた映画でもあった。

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2016年9月16日 (金)

映画「シン・ゴジラ」を観る

 ああ、なるほど、なるほど
 この映画の筋書きも、話題性もすでに出揃っているので、いまさらという感じではある。
  かくいう私は、8月中に観に行く予定であったが、別映画が優先して見損ねてしまった。そのうちに思いつつ、“見ておいて損はない”みたいなコメントに接して、それならばと出かけたのであった。
  まず気になったのが、「シン・ゴジラ」の「シン」は「新」「真」なのかであった。見た後ではどちらともとれると感じた。これまでのゴジラとでは「核」から生まれた、あるいは変異したという点では変わらないが、ゴジラの「容姿」も「武器」も「弱点」も違うし、対応する政府の内側をリアルに見せるところも違うから「新」といえる。
  では、そもそもゴジラがなぜ日本にやってきたのか、ゴジラの存在を何とイメージを重ねようとしたのか。その点では「真」の狙いが隠されているようで、それを観る者が、どこまで読み切れるか。
 折しも、安保法・周辺事態条項の議論の最中にあって、憲法・法律、日米同盟との関連解釈、アメリカの要求などが織り込まれ、自衛隊の出動の判断基準、「装備」もオンパレード。“おまけ”とは失礼だが、首相と官房長官が搭乗した脱出ヘリが、ゴジラに撃墜されてしまう。これは何を暗示していたのであろうか。
 東京、鎌倉の破壊シーンはすべてCGらしいので、極めてリアルである。そしてゴジラの襲撃で避難民は360万人と設定されていたが、東電福島原発の事故(人災)が、東京湾だったら、都民全員が避難しなければならない。いや、千葉も、横浜もである。それは「日本破滅」に他ならない。
 あれやこれやの織り込みに、“ああ、なるほど、なるほど”と頷きつつも、全体(多数の登場人物、俳優)のテンポ、場面の転換、展開の速さにちょっと整理してついていくことに難儀をした、というのが率直なところ。
 結局「シン」は「新」であり「真」であり、人間の性(さが)、ゴジラの身になって考えれば「心」もありかな、と思うところもあった。

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2016年8月10日 (水)

映画「太陽の蓋」を観る

 フクイチを風化させてはならない
  この映画を観に行った場所は、名演小劇場で、今年1月の「厨房男子」以来。
  映画「太陽の蓋」は、東日本大震災とそれによる福島第一原子力発電所事故が発生した2011年3月11日からの5日間を題材にしたドキュメンタリードラマである。
  官邸と原子力安全委員会(当時)と東電の本社と現場、マスコミの取材現場のデスクと記者、原発周辺の住民・避難民の様子それらが、情報が錯綜し、あるいは隠され、先が見えないまま同時進行していく。
 3月11日のその日から、津波に襲われた福島原発では、全電源喪失、水素爆発、メルトダウンへと、チェルノブイリに匹敵する、あるいはそれ以上かもしれない最悪の事態が迫り、進んでいたのである。だがその経過、実態の把握をしていたのは限られた者しかいない、いやそれとても全てを把握しているとは言い難い。「原発の安全神話」は、政府も東電でさえ浸り切っていたからであろう。注水の失敗、電源車確保の失敗、ベント開放の失敗・・・。
 さまざまな情報が錯綜する中、菅直人首相(三田村邦彦)らの官邸内での様子と原発事故を追う新聞記者・鍋島(北村有起哉)は、情報収集に奔走するが、どうも全体像がつかめずに焦る。すべての手蔓を頼り「現状・現場」に迫ろうとするが時間は過ぎるばかり。
  そうした緊迫に満ちた映像は事実に近いものであろうが、それゆえに、4号機のメルトダウンは避けられたものの結局何も解決していない現実に戻されて私たちは、“いったい何がどうなっているのか、何すりゃいいのか”と立ちすくんでしまったのではないだろうか。
 あれから5年と5か月。わが内なる“風化”を押しとどめるに十分な映画であった。同時に、解明されていないというか、事実がまだまだ隠されているのではないかという疑念は残り、さらに汚染の実態、収束作業の実態など「二部作も三部作」もありかな、そう思わせた映画であった。
 なお、この作品は、プロデューサーでもある橘民義(たちばなたみよし)と大塚馨(おおつかかおる)の出会いから生まれたとされ、「この原発事故は、日本が壊滅するほどの危機であった、あまりにも事実とかけ離れて伝わっている、何事もなかったように忘れ去られてしまう、この国が間違った方向に走っている現実を伝えたい」としてつくられ、「元県会議員で菅直人の盟友でもある橘は、『巨大な嘘』によってスケープゴートにされた菅直人や民主党政権を思い、客観的な『事実』を伝えることをこの作品の命題としました。」と述べていることに注目した。

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2016年8月 5日 (金)

映画「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」を観る

 やや期待外れ・・・
 映画が好きなのに、劇場で映画を見るのは久しぶり。
 広島、長崎への平和メッセージも書き終えることができたので一息。映画鑑賞の機会をうかがっていたので、今がチャンスとばかりにイオンシネマに出かけて行った。一息入れるつもりなので、“面白ければいい”という従来のスタンスで、「インデペンデンス・デイ:リサージェンス」を選んだ。
 いわばエイリアンも登場するSF映画であるが、“あり得ない、架空にして面白い、それでいてハッピーエンドに近い・・・”筋書なので、足を投げ出して観る感覚であった。
 評価としては、“期待外れ”だった。特に前半の30分ほどはしばしばうとうとしてしまった。どうやら、前作「インデペンデンス・デイ」を観ていないからか、ある程度流れ知っていないからか、展開についていけなかったようだ。あるいはひょっとして、リズムで言えば、ラップについていけない世代のせいかもしれない。
 それに、アメリカ全土を覆うほどの大きさを誇るエイリアンの宇宙船が出現するのだが、いくら何でもあり得ない話でもさらにあり得ないと思えてしまう。それは、エイリアンが重力を自在に操る圧倒的な科学力で、ニューヨーク、ロンドン、パリといった都市を次々と襲撃するというCGならではの画面を設定するためだけに設定されたのではないか、と考えてしまったところに、最初に“足を投げ出してみる感覚”が失われたといえようか。
 後半に入って、いよいよ圧倒的な軍事力を持つエイリアンに“地球防衛軍”が決死の突入作戦を敢行するのだが、その司令部、混成部隊をして“人種や宗教を超えて、地球は一つになった”という一言が、さらっと画面を流れた。それが隠された意図なのか、付け足しなのかはわからないが、私には、この鑑賞記を書く気にさせた一言だったのである。
 Xデーであるアメリカ合衆国独立記念日が迫るという設定と大統領は女性であるところなどは、いかにもアメリカ映画だ。またエイリアンが地球のマントルをエネルギー源にするため、地球の核に向けて掘削していくその時間設定がタイムリミットと設定され、緊張感をあおるであるが、あまり効果的ではなかった。
 なお「リサージェンス(Resurgence)」には、再起、復活を表す英語とのことだった。

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2016年2月14日 (日)

「この国のかたち」を考える

 NHK「司馬遼太郎思索紀行」を見る
 13日、14日の二夜にわたって「NHKスペシャル 司馬遼太郎思索紀行 この国のかたち」が放送され、興味を持って見た。もう一度繰り返して見たいものだと思ったが、録画装置も「アーカイブ」にも加入していないから、それはかなわない。従ってあやふやな記憶だけで書き留めることになるが、この放送がどうであれ、或いは深い浅いはあれ「この国のかたち」「この国の行方」に関心を持たずに活動している人はいないだろう。
 まず、NHKの谷口雅一チーフプロデューサーは、制作の狙いについて、「司馬さんだったら今の日本をどう考えるのだろう、という思いが以前からあった。(著書)『この国のかたち』にはそのヒントが隠されていると感じるし、没後20年の節目に番組で取り上げることで、司馬さんのメッセージが輝くのでは」と語った。そして、制作スタッフが司馬の『この国のかたち』同書を読み込む中で、日本人を特徴付けるものとして、2つの“柱”が浮かび上がった。それは、「外国からの異文化の取り込み」と「日本人の内面を作る精神」だったという。(引用)
 「外国からの異文化の取り込み」とは、端的言えば、朝鮮、中国など「大陸からの文化」に対する畏敬の念とその文化を取り込む柔軟にして日本人なりに創り上げていくとい「特性」についてである。司馬が言うには、「海の向こうから来る普遍的な文化への憧れが、強い好奇心や独自の文化を導く原動力となったのでは」と指摘するのである。
 まずここで私は第1の「納得」を得るのである。即ち「私たちの周辺にある、中国人、朝鮮人に対する蔑視」がいかに傲慢で偏見にみちているかを。そして明治維新後、「西洋に追いつけ追い越せ」の「時代性」の中で、「大陸からの文化」に対する畏敬の念が薄れ、忘れられ、「弱肉強食」の列強思想に取り込まれていったのではないか、とも。
 もっとも、「日本人は、いつも思想はそとからくるものだとおもっている」という司馬の一節があり、敗戦後の「アメリカ文化」への圧倒的傾倒、取り込みも、この説で説明できないこともない。(だから‘日本を取り戻せ’みたいな古典的‘天皇制’が出てきたりする反面もある)
 そんな番組の流れのどこかで司馬が「日本、そして日本人とは何か」と思索する中で「日本の風土や文化、宗教、組織論など幅広い分野を独自の視点」で考察し、日本人の「無思想という思想」と断じた場面があった。生きとし生けるものすべてに「神が宿る」という風習というか宗教観。鎖国下の長崎・出島の好奇心や、大陸への玄関口・壱岐の異国崇拝の風習、東大寺に伝わる神仏習合の秘儀「神仏習合の儀式」などを取り上げて、そこには西洋的・キリスト教的「思想」はなく無思想であると。だがそれは「無思想という思想」と言えるのではないか、と。
 ここはひょっとして「熱しやすく冷めやすい」とか「人の噂も75日」ということにも通じることかもしれない。反語として「継続は力なり」があるが、様々な運動にも当てはまりそうだ。ただ「非戦平和の誓いも70年」として忘れてしまっては困る。
 さてもう一つ「日本人の内面を作る精神」について司馬は、“武士”を取り上げた。「司馬が注目したのは、鎌倉時代の武士が育んだ、私利私欲を恥とする“名こそ惜しけれ”の精神だった。それは、武家政権が拡大する中で全国に浸透、江戸時代には広く下級武士のモラル」として定着したという。
 この司馬の「日本人の精神論」みたいなものが、かの長編小説「坂の上の雲」に凝縮されているといっていいかもしれない。ただこの小説については、日本軍の「ロシア人捕虜の虐殺」という「武士道」に反する行為があったことに触れていない、という批判的な指摘もあることを付記しておこう。
 司馬は続ける。「明治時代に武士が消滅しても、700年の遺産は『痛々しいほど清潔に』近代産業の育成に努めた明治国家を生みだす原動力となった。それが続く昭和の世に何をもたらし、どのように現代日本人へと受け継がれたのか-?『名こそ惜しけれ、恥ずかしいことをするな』」と。
つまり、明治にはまだ外国文化(西洋文明)を取り込む一方“武士”と「武士道」が生きていた。しかし、日清、日露両戦争に「勝利」した結果、まさに半藤一利・保坂正康著「賊軍の昭和史」にある、傲慢で止まること、引き返すことを知らない「官軍政治」がこの国を滅ぼしたと。ここに私は、必ずしも「武士道崇拝」ではないが第二の納得を得るのである。
 記憶は定かではないが、番組の終盤で、日本人の特性から、今の日本は再び「破滅」の道を歩むことになるかもしれない、という危機感を語ったとされる場面があったように思う。これは多分に、こんな具体的なことではないにしろ安倍政権の一連の「安保関連法」「日米同盟強化」「原発政策」という現実を予見してのことではなかったろうか。
 もう20年以上も前のものだがこんな記事もある。京都大学で大学紛争があった時、セクトの衝突事件を見て、「平素おおわれている日本人の集団ヒステリーという民族的病気をむきだしに出してしまった」「戦後のデモクラシー教育がこの潜伏性の病気をなおすことについて無力であった」と。この解釈の理解にやや苦しむが、「日本人の集団ヒステリーという(この潜伏性)民族的病気」に留意を払わなくてはならない。
 蛇足だが、「日本を取り戻すだの、アベノミクスだの」威勢のいい言葉や、相手を攻撃するばかりで全く自らの「説明責任」を果たしていない安倍政権に熱を上げた有権者は、ぼつぼつ‘集団ヒステリー’から目覚めて、「戦後のデモクラシー教育」を活かして「立憲主義・平和主義・民主主義」の再構築に動き始めてもらいたいと思うのである。

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