2009年11月29日 (日)

ドラマ「坂の上の雲」始まる

 期待が大きいだけに、深読みしたい
 司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、高校生必読、推奨の書であったような気がするが、私は20代になってから読んだ。手元にある文芸春秋社刊の全6巻の第7刷は、1972年(昭和47年)11月30日とあるから、20代も後半ということになる。
 一気に読んだ覚えがある。これはいつかの日か、大河ドラマに取り上げられるに違いない、取り上げて欲しいと思っていたが、それが今夜から始まるので、見逃せない。
 あらすじは、日露戦争を一つの大きな舞台として、明治新政府が押し寄せる列強とせめぎ合う中、日露戦争を戦った、松山出身の秋山好古(阿部寛)と秋山真之(本木雅弘)の兄弟、そして歌人の正岡子規(香川照之)の3人を主人公に、新生国家と青年群像が走り抜けた時代を描いている。
 多分ドラマとしては、封建時代から近代国家への幕開けという、潮流に身をゆだねる3人の私生活を含めた生きざまも前半の見どころであろうが、やはり日露戦争の、中国大陸での秋山隊の奮闘や大会戦と、軍神となった広瀬武夫の死、バルチック艦隊との日本海海戦がクライマックスと描かれるに違いない。
 問題は、そこである。かつて小島襄著「日露戦争」でも若干紹介したが、中高生の日本史では、日清・日露両戦争に勝利した日本だけが教えられてきたように思う。しかし日清戦争と日露戦争がその戦争規模や悲惨、人員の損失において飛躍的に違っている点や、その教訓がその後の日本の進路で生かされない部分が多かったことなど、「非戦」的観点が弱いのではないか、そう思うので、NHKがどのような筋書き、ポイントとするかを注意深く見ていきたい。もちろん、ドラマとして楽しみながらであるが。

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2009年11月22日 (日)

直江兼続について

 大河ドラマ「天地人」終わる
 今夜の、NHK日曜8時からの連続大河ドラマ「天地人」は、直江兼続の死をもって最終回となった。このドラマも数回見逃したことはあるが、日曜夜は私がテレビを独占する。初回の「花の生涯」以来、この大河ドラマをほぼ見続けている。
 この種のものが好きなのだろうと思うのだが、「歴史という過去のもの(結果が分かっている)」「ヒーロー、ヒロイン物語」「知らなかった歴史・ヒストリー」が、惹きつける要素ではないかと思う。
 直江兼続。実は、このドラマをみるまではこの人物についてまるで知らなかった。学校の日本史で教える戦国時代の登場人物は、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康を中心に、その周辺の武将である、今川義元、武田信玄、上杉謙信、長宗我部元親、毛利輝元、伊達正宗あたりではなかった。そしてヒーロー伝説の筆頭は、真田幸村ではないかと私は思っている。
 解説では「上杉家・景勝の家臣でありながら、豊臣秀吉、徳川家康らを魅了し、また、最も恐れられた男――その名は、直江兼続。上杉謙信を師と仰ぎ、兜に『愛』の文字を掲げた兼続は、その波乱の生涯を通じて、民・義・故郷への愛を貫きました。『利』を求める戦国時代において、『愛』を信じた兼続の生き様は、弱者を切り捨て、利益追求に邁進する現代人に鮮烈な印象を与えます。大河ドラマは、失われつつある『日本人の義と愛』を描き出します!」とあった。(ああ、そういう意図ね)
 兼続の晩年は、子供3人をなくし家督を継ぐ者もなく、全ての財産を藩に返上して、質素に暮らしたとある。また、生涯を共にした、妻・お船と共に生まれ故郷越後を訪ねるシーンは、このドラマの象徴の一つであろうか。
 それにしても、と思うのは、私(たち)が教えられ、知る歴史上の人物というのは、何が基準になっているのか、つまり為政者、権力者、匠、実業界の成功者であって、直江兼続のような人物は少ない。いろいろな和歌集には「防人」とか「詠み人知らず」みたいな形で取り上げられることがあるが、この構図を見て取り、そちらにも少し興味が行った今回の大河ドラマの感想であった。

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2009年11月14日 (土)

森繁久彌さん、死去

 映画よりラジオドラマだったなあ
 去る10日の午前、老衰で亡くなった。96歳だという。
 そして、昨夜のNHK番組「追悼 森繁久彌」を観て感じたことなのだが、映画俳優としての森繁は、私には、あまりインパクトを与えていないと改めて思った。
 例によって「映画鑑賞記録」ノートをひも解くと、1960年5月に「新3等重役 当たるも八卦の巻」が出てくるが、併映の「太平洋の嵐-ハワイ・ミッドウェイ大海空戦」が主であったと思う。翌年の11月に「南の島に雪が降る」に脇役ではあるが、主演の加東大介の上官として出ていた。翌年の1月には「駅前弁当」(併映は黒澤明の「椿三十郎」)、5月に「続・社長漫遊記」を観ているがこれも黒澤明の「天国と地獄」との併映。少しあとに同じ映画館(長栄座)で「駅前茶釜」がかかったが、観に行っていない。当時のチラシには、その併映として、植木等の「日本一の色男」がかかって、東宝の喜劇シリーズが、大いに盛んのころであったのかもしれない。
 1962年9月16日に、夜間高校からの映画鑑賞で「丼(ドブ)池」を観に行っているが、その時受け取った「名宝劇場ニュースNO.A22」には、「東宝・芸術祭参加作品 新・夫婦善哉」が、「近日公開」として紹介されていた。しかしやっぱり、観には行かなかった。当時の学校側の映画選定も、なぜか「丼池」をとって、「夫婦善哉」を取らなかったわけだ。
とまあこんな具合であって、森繁の映画を正面から観たという記憶がないのである。併映の映画から見ても森繁の「三等重役」「社長」「駅前」の各シリーズものは、レコードでいえばB盤。ただし、封切り館ではない場末の映画館での話。
 また特に評価の高い「屋根の上のヴァイオリン弾き」などの舞台は、全く見ていない。演劇を観る機会というのは、本質的に持っていなかった。わずかに組合活動の中で、「労演(名演)」を数年の間、定期的に見ていたにすぎない。
 それより、夜間高校に通っていたころ、時々聞いていた、NHKの連続ラジオドラマ「日曜名作座」の、森繁の声はよかったと、こちらの印象の方が強い。
 だから森繁久彌って、どのくらいすごいのか、今でも意識できないでいる。(久彌?久弥?)

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2009年8月12日 (水)

ノルマンディー上陸作戦

 実際と映画が混在しています
 以前にも触れたが、映画「ザ・ロンゲスト・デー 史上最大の作戦」(1966年)と、映画「プライベート・ライアン」(1998年)の舞台は、ノルマンディーでの連合軍の上陸作戦であった。
 この戦闘で連合軍12000人、ドイツ軍7000人が戦死したとされるが、負傷者はその数倍、数十倍かもしれない。戦傷者の数だけなら、中国、太平洋地域での戦闘において遥かに凌ぐが、何かと取り上げられるのは、連合軍の作戦計画とその“成功”だからであろう。
 8月10日、11日の二日間、BS1、深夜0時10分から放送された「世界のドキュメンタリー D DAY ノルマンデー上陸作戦」は、以下の内容であった。
 「第二次世界大戦終盤の1944年6月6日、アメリカ軍をはじめとする連合国の兵士15万人が、当時ナチスドイツが占領するフランス北西部のノルマンディー地方に進攻し、勝利を決定づけたノルマンディー上陸作戦。
 そのとき、連合軍やドイツ軍の将兵たちの脳裏に何がよぎっていたのか。ドイツ陸軍元帥のロンメルや連合軍総司令官のアイゼンハワーは、どのような決断を迫られていたのか。そして、戦争カメラマンのロバート・キャパは、どのような思いでシャッターを切り続けたのか。
 史上最大の上陸作戦の、準備から作戦決行までの一部始終を、当事者の証言をもとに実写映像と再現ドラマによって明らかにしていく。」(NHKオンライン、から)
 このドキュメンタリーでは、部分的にドイツ軍側の作戦行動も出てくるが、映画からの切り取りのようで「実写映像」は少なかったように思う。そこで仮に、このノルマンディー上陸作戦をドイツ軍側から見たらどうなるか。ノルマンデー上陸作戦があくまで「陽動作戦」で、本命は「カーン」であるという、ドイツ側に潜入したスパイの工作を、本当にドイツ軍は信じたのか。確かに優勢を誇っていたドイツ軍の機甲師団が上陸作戦に対応できなかったことからすれば、ドイツ軍の緩慢さは理解できる。
 だが、ロンメルのような優秀な司令官もいたし、情報収集に怠りはなかったはずから、解せない部分もある。ドキュメンタリーでは、ヒットラーの独裁・強権力が現地司令官の作戦行動を束縛した、かのような印象を与えていた。それもあっただろう。そうすると、戦線が延びた先では補給は不十分であると同時に、作戦計画が全体的に統制されず、現地判断にゆだねられることになるが、その権限の許認可は常に参謀本部-ヒットラーにあるとすれば、近代戦は組織戦でもあるという鉄則からすると、ドイツ軍の敗北は必然だったかもしれない。日本軍の大敗北も同じであろう。
 とまあ、私の頭の中から「非戦・平和」「戦禍の中の市民、徴兵された若い兵士」という視点はどこかへ飛んでしまい、戦争映画と実際の戦争とが混在して「ドラマ化」してしまう。映画好きが高じた結果でもあろうか。

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2009年7月21日 (火)

プロ野球中継

 中日の立浪内野手と川原投手
 食事後、お目当てなく見るテレビを「だらだらテレビ」と呼んで蔑んでいる。
 夜の8時過ぎだったであろうか、それとも8時半ころであったろうか、チャンネルを一巡させたら、中日×広島戦にぶつかった。
 最初の画面は、中日の森野がスリーランホームランを打ってベンチに戻ってきた6回裏の場面であった。リードしているのか、巻き返しの一打だったのかわからないまま、食器洗いのわずかな時間、目を離したら、ブランコがソロホームランを打って、同点となったことを知った。何だ4点もリードされていたのか、先発は誰だ?
 暫くしてテレビの前に座って見始めると、いつの間にかランナー二人を置いて、ピンチヒッターに立浪がコールされるところだった。今シーズン限りで引退を表明している立浪であるが、ここ一番、代打の切り札として、しばしばタイムリーなヒットを打っている。広島の何とかいう外国人監督は、ピッチャー交代を告げ、左の青木某を起用するかと思ったら、右の青木某をマウンドに送った。「左打者には左投手がセオリー」だが、立浪が左投手をよく打っていることから、あえて右の青木を送ったらしい。(解説者の話から)
 立浪は2球目だったか、私には絶好球と見えた球を見送った。「うん?」と思ったが、そのあとの球を振り抜いて2者を帰す勝ち越し2塁打を放ったのであった。テレビ席とはいえ、こういう場面を見ることができて、“ナゴヤドームでは見られんのになあ”と一人つぶやいていた。
 7回の表から3人目の川原がマウンドに上がった。このピッチャーは元巨人の選手で、昨年1年間を“浪人”をして、今期中日に入団した話題の投手だ。中継ぎ1イニング、それもきわどい場面で堂々の役割を果たしてきた。特に、このあと8回を任される浅尾投手と並んで、先発は5回か6回まで、そのあとは7回川原、8回浅尾、9回岩瀬という「必勝パターン」を構成して、セ・パ交流戦後の、中日の好調を支えている貴重な存在となった。
 その川原は、7回の3人の打者に対して、いずれも0-3から2-3となって、そのあと凡打に討ち取った。
 勝ち越した次のイニングは重要で、3者凡退で討ち取ることがリリーフピッチャーの役割といわれるから、川原にはそれなりのプレッシャーもあったであろう。それがノースリーとなってから討ち取る、それも3人同じパターンで。観戦しているファンにとっては、前の回の立浪の一打の興奮もあって、たまらないこの日のゲームであったに違いない。
 まあ、テレビであれ、こんな場面は、あまり見ることはない。そういえば、中日の広野が「代打、逆転、満塁、サヨウナラホームラン」を打ったのはいつのことだったろう。

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2009年6月14日 (日)

夫はなぜ、死んだのか

  内野健一さんの「過労死認定裁判」のドキュメンタリー
  トヨタ自動車・堤工場で働いていた、内野健一さん(30歳)の「過労死認定裁判」を追った大阪毎日放送(MBS)制作のドキュメント「夫はなぜ死んだのか~過労死認定の厚い壁~」が14日、NHK・BS2で放送された。
 この番組は、ガイドによれば、ドキュメンタリー番組の最高傑作が大集合/コンクールのグランプリ受賞番組を民放・NHKの垣根を越えてまるごと放送/民放連賞・地方の時代映像祭・ATP賞 という作品群で、具体的には、▽平成20年日本民間放送連盟賞テレビ報道番組最優秀賞「光と影~光市母子殺害事件弁護団の300日~」(東海テレビ)▽平成20年日本民間放送連盟賞テレビ教養番組最優秀賞「映像08 家族の再生~ある児童養護施設の試み~」▽“地方の時代”映像祭2008グランプリ「映像07 夫はなぜ、死んだのか~過労死認定の厚い壁~」(毎日放送)▽ATP賞テレビグランプリ2008「ETV特集 アンジェイ・ワイダ」
 番組のゲストには、井筒 和幸、室井 佑月、石井 彰、森 達也、吉澤ひとみ の各氏であった。
 この日の放送に先立ち原告であった内野博子さんから、最近のくらしの一部の紹介とともに、以下の案内が、各方面に発信されていた。
  「実は、1年半前に毎日放送で作成、放送されたドキュメント番組が、NHKBS2で放送されます。本来ならばTBS系列ですのでCBCが放送すべきですが、スポンサーの関係か、未だ放送に踏み切っていません。
  しかし、多くの賞をとった作品を集めて、この度NHKが『ザ・ベストテレビ』の中で放送する事になりました。内野の件を扱った『夫はなぜ死んだのか』の部分の放送時間は15時12分~16時13分です。」
 私は、30分のダイジェスト版しか見ていないので、この日を楽しみにしていたのだったが、時計をもたずに散歩に出てしまい、3時24分から見ることになった。
 「トヨタという大企業を相手に、6年間子供を育てながら女性一人での頑張りに驚かされる」「普段知ることのない、企業の内側を初めて知った」「時間外とされてきた“自主活動”を、労働時間と認めさせたことは大きい」というような、ゲストのコメントにもあったように、内野博子さんの頑張りなくては、この裁判も、トヨタの「変化」もなかったわけだ。
  もちろん、博子さんの頑張りには、夫・家族への愛情、それが「夫はなぜ死んだのか」という疑問、不信を高め、その見極めなしには、この先生きていく支柱を得られないという気持ちもあったに違いない。また、出勤、帰宅の時間の記録を残していたこと、「正社員にならないか」というトヨタの誘いに乗らなかったことも、この結果につながっている。同時に、この労災認定を求めて、労基署交渉、厚労省交渉、認定訴訟を支えた支援の人たちの存在も記録されねばならない。
  その後については、この欄でもその都度伝えてはいるが、トヨタの「変化」は極めて部分的で、本質部分「労働者の働き方(働かせ方)」については、何ら変化がないようである。また、内野さんが相談に行った連合・トヨタ労働組合の「個人的問題は扱わない」という態度が改まったかどうか。さらには、「企業の内側」にいて、過労死・過労自殺など労災・職業病の現場の第一線に立ち、それを阻止し、あるいは現認して再発防止に努めるべき「労働組合」の役割を果たしているかどうか。
 またしても私は、「労働者、労働組合が主役となる社会」という古くて新しい課題を思わずにはいられないが、「現、近未来の労働者像」「改めて問う、労働組合の存在意義と役割」その重ね上にある「第三の社会(制度)論」を追求(追究)せねばと思うのである。

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2009年5月25日 (月)

私もだまされた!

 接続料金が安くなるといわれ
 二週間ほど前、NTTからのお知らせ電話(と錯覚を起こさせる話法で)で、今使っているインターネットの接続料金が安くなると切り出された。今何をお使いですか?と聞かれ「OCNのBフレッツ」と答えた。そうすると、「このたび、料金がお安くなりますので、必要な手続きをしてください」という。そこで住所、名前、電話番号と電話の名義などを聞かれたが、「確認」だと思い込み、素直に答えた。「モデムの交換が必要ですので、その日程表などをお知らせします」といい、翌日にFAXが入った。ここまで来てもまだ「だまされていること」に気がつかなかった。
 4~5日して「NTT工事予定日のお知らせ」なる葉書が届いたところで、「おかしい」と気づいた。葉書には「ADSLモデムについて」とあり、誰がいつ「ADSL」に切り替えるといったのか、と自問した。そこで、改めてはがきとFAXをよくよく見てわかったことは、つまり「イー・モバイル」という会社名を一切言わず、こちらが「光」を使っているといっているのに「ADSLに切り替えると」をいわず、「料金が安くなる」とだけ言って、切り替えに誘いこんだ(誘いこまれた)のである。
 いきなりの「接続料金が安くなる」という言葉に、「それはありがたいですね」なんて言っちゃいました。ここでコロリだったわけだ。
 すぐにキャンセルの手続きをとった。FAXについていた「お客様サポートセンター」に電話して、「話が違うよ、ADSLが不便だから、光にしたのに、またADSLに戻すはずがないじゃないですか」といえば、「あ、そうなんですか」といい、「だからこの話は、キャンセルね」といえば「分かりました」といった。「この後の手続きは、何かあるの」と聞けば、「モデムが宅配便で届くから、そのまま送り返してくれれば、それでいい」というので、これでヤレヤレと思った。
 だが第二幕が待っていた。翌日だったか予定通り「モデム」が届いた。そのまま引き取ってもらったが、何となく不安がよぎり、その翌日、工事日程の書かれた葉書にあった「カスタマーセンター ADSL窓口」というところに「確認」の電話を入れたところ、「工事日程」がキャンセルされていないことが判明した。なぜキャンセルされていないのか問い返したところ、「キャンセルする場合は、この電話にかけるようにと、いわれなかったですか?」と逆に問われた。あ~あ、なんということだ・・・。
 ま、しかし、この電話で工事もすべてキャンセルされたいわれ、「料金引き落とし」の口座の変更もしていないわけだから、実質被害はなかったことになる。だが「うまい口車に乗せられた」ことは確かだった。それにしても、私の情報がNTTからなぜイー・モバイルに行ったのか。あるいは、短い電話のやり取りの中に、いつの間にか私自身が情報を口にしてしまって(自共させられた?)、それを基に誘いこまれたのであろうか。まさか、第3幕はないだろうな。教訓、教訓。

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2009年5月 4日 (月)

映画「象の背中」を観る

 かっこよすぎる終末
 昨夜は、秋元康の小説をもとに映画化された作品「象の背中」を、テレビシアターで観た。
 役所広司演ずる不動産会社の部長藤山は、ある日検査で「末期の肺がんで転移もあり、余命6カ月」と、医師に宣告されショックを受けるが、延命治療の道を選ばず、「死ぬまで生きていたいんだ」と家族に見守られながら死を迎える道を選ぶ。
 以下のストーリーは省くが、治療を進める医師に対して、ほとんど即断的に拒否するあたりは、検査結果による動揺とはマッチしないが、音信のなかった実兄とホスピスで最後に語り合う時に「本当は怖いんだ」と胸の内を明かすことでフォローされる。
 最後に会って一言「遺書」を渡したいと初恋の人、けんか別れしたままだった同級生、会社の営業上の都合で倒産に追いやった下請けの社長と会うストーリーは、実際にあったことからのヒントか作話か、どちらにしろ、私もそのようなものを思い描いたこともあったが、実際それができるかどうかは別である。
 藤山には愛人がいたが、このようなストーリーを組み入れるところが、現実はどうであれ映画っぽい。また妻の美和子(今井美樹)の良妻ぶりが「男と女」を対比させている。もちろん「男の身勝手な生き方」への批判として。息子、娘も賢い子らである。
 会社に辞職願を出すときに、後任の人事まで気を回し、死後の家族の生活設計までなし終えて、死を迎える藤山の生きざまは、その早い死(48歳)を除けば、実にかっこよすぎる死であった。
 「余命6カ月」を宣告されて、退職したとしても何事かできるのは4~5ヶ月。多分多くの人にとっては、この映画ほどでもないにしろ、やり残した何かを成し遂げ、心の準備を終えて、終末を迎えることは至難ではあるまいか。
 生きているうちに、「身辺整理」などと口にはしてみるが、日々の暮らしはそれを忘れさせるか、そのものに対する価値観が揺れ、薄らいでいくような気がしてならない。
 小説は小説、映画は映画としても、(物事を懐疑的にみる傾向の)私はそれほど感動しなかったが、共感できたものだったことは確かである。

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2009年3月23日 (月)

黄真伊(ファン・ジニ)

 韓国ドラマを、時々見る
 韓国ドラマがいくつか放送されているが、その中で部分的ではあるが「太王四神記」と、最近では「黄真伊(ファン・ジニ)」を見ることがある。それほど惹きつけられているわけではないので、時間を待ってチャンネルを合わせるようなことはあまりない。家にいるときの、土曜日の夜のテレビは、映画がかからないので、「世界不思議発見!」を見ることもあるが、あちこちチャンネルを回していて、ぶつかるケースが多い。
 「ファン・ジニ」は、16世紀の朝鮮の、実在した最高の名妓「ファン・ジニ(黄真伊)」の波乱に満ちた生涯を描いたドラマであるという。
 主人公ファン・ジニは、妓生(キーセン)と呼ばれる職業の母を持つ。その母とは、最初は生き別れであって、後にめぐり会うのだが、盲目であり、自らの、差別に満ちたつらい人生経験から、娘のジニをキーセンだけにはしたくないと説き伏せようとした。寺の住職からも修行に励むよう諭されるが、そのお寺からほど近くにあるキーセンの教坊(教育学舎)の舞を見、音楽を聞くに及んでお寺を脱走して、キーセンの道に飛び込んでいく。これが最初の頃だったと思う。
 そのあとはずっと飛んで見なかったので、成人していっぱしのキーセンになったころにまた見だした。
 16世紀当時の宮廷や民家などのセットと国王、大臣、女官などの衣装、髪型セットと古典舞踊、古典楽器など、朝鮮の文化を垣間見ることができ、当のキーセンと呼ばれる職業も、蔑ませられていたが、実際は詩、散文、歌、カヤグム・コムンゴ(韓国の琴)、絵画、舞踊など、幅広い伎芸を身につけた、優れた文化的な職業婦人だったといえよう。日本でいえば京都・祇園の舞妓さんあたりを言うのであろうか。
 1970年代だったか、「キーセン観光」という「買春ツアー」が流行り、問題となったが、「キーセン」という言葉を、そのレベルでしか記憶してない人も多かろう。私もこのドラマを見るまでは、しばし「キーセン」という言葉を忘れていたが、同じようなものだった。
 先週の土曜日とここ最近の2~3回を見ていると、なんというか、終りがもう見えているのに、もっともらしい筋書きを繰り返し、あえて回数を延ばしているような展開である。
 そこでふと思い出したのが、多分数十年前だったと思うが、花登筺作の連続ドラマが人気を博していた。「銭の花」(『細うで繁盛記』)、「船場」、「あかんたれ」などが有名であったろうが、私の記憶では「だいこんの花」を見ていていやになったことがあった。現在では脚本:橋田壽賀子の「渡る世間は鬼ばかり」が同じような筋書きで、藤岡琢也が亡くなる少し前までは時折りみていたが、同じパターンが続いていやになってしまった。
 好きな人は飽きずに見ておられるであろうから、私の場合は、この種の連続ドラマは本質的に好きでないのであろう。「大河ドラマ」とは趣が違うと区別はしているのだが。

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2009年3月20日 (金)

ドラマ・落日燃ゆを見逃す

 城山三郎とはいつか…
 3月15日の夜、ドラマ「落日燃ゆ」が放送されたが、見損ねた。あとで残念な思いをした。
 落日燃ゆは、作家城山三郎のフィクション小説。
 吉田茂と同期の外交官であった広田が、軍部の独走を阻止するためにあえて火中のクリを拾うようにして首相を拝命するのであるが、結果的には、軍部の独走を許し、開戦へと導いたとしてA級戦犯に指定され、東京裁判では、一切の弁明をしなかったこと、有罪か無罪かで賛否両論となり、助命嘆願の署名が行われたこと、広田がそれを望まなかったこと。そして、判決では唯一文官として絞首刑となった元首相・広田弘毅の生涯を描いた物語であった。
 実はこのドラマの頭の部分と後半の一部だけは見たのであって、中盤の45分間をBSで大河ドラマ「天地人」を見てしまったのである。この選択を大いに悔やんだ。
 というのも、そもそも広田弘毅という人物を、歴史教科書で名前を知っていたにすぎず、それもいい評価として扱われなかった気がする。いや、東京裁判の判決そのもの評価として私の中にかすかに記憶されていたように思う。
 小説は読んでいないので感想だけだが、城山三郎が「落日燃ゆ」というタイトルを付けたところからも、「背広とネクタイの似合う」人物、外交官・広田弘毅という人間と、東京裁判で弁明にこれ努めた軍人とを対比させて、その時代の背景、その時代に生きた人間を描いたのかなと。そして、同期の吉田茂と二人三脚のように描き、その吉田が戦後の日本の基礎をつくっていくことで、広田の評価は大きく見直される、そんなところに城山の小説があるのかなと。
 城山三郎はペンネームで「城山」は、名古屋市千種区の末盛から本山あたりの城山があったところに一時期住んでいたことからつけられたと聞く。現在はその地名も見当たらないが、「城山中学校」という校名に名を残している。いつだったか友人に連れられて、地下鉄の本山駅あたりから城山中学校あたりまでを散策したことがあったが、そんなことも思い出して見逃したことが悔やまれた。そして、城山三郎の小説とはいつかは出会わないと、いや、必読書かもしれないと…。

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