2018年12月 5日 (水)

再び映画「華氏119」を観る

 シネマ散歩・緑の会・第8回鑑賞会
 居住地の、同級生など比較的高齢の仲間で出掛ける映画鑑賞会「シネマ散歩・緑の会」の第8回映画鑑賞会兼望年会が開催され「華氏119」を観た。個人的には2回目となったが、前回の記憶が薄くなっていたうえに展開が早いので、2回目を観ても初めてという感じであった。もう1回観ないときちんとした鑑賞記は書けない気がしないでもない。
 鑑賞会の都度発行している会誌第8号では、「華氏119」の紹介と、「日日是好日」と「散り椿」の鑑賞記を記事にした。そして随筆「シネマを散歩する(5)」で、かなり古い映画『襤褸の旗』」について書いた。
 「いささか古い話で恐縮ですが、映画評論家の白井佳夫さん(1932年~、1958年早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。キネマ旬報社に入社して編集者として10年在籍、1968~76年『キネマ旬報』編集長を8年半つとめる)が1985年に著した文庫本「日本映画のほんとうの面白さをご存知ですか?」で、1974年度(昭和49年)映画ベストテンに次の作品を選んでいます。①サンダカンダ八番館 ②砂の器 ③仁義なき戦い・頂上作戦 ④妹 ⑤濡れた欲情・特だし21人 ⑥㊙色情めす市場 ⑦悪名・縄張荒らし ⑧街の灯 ⑨仁義なき戦い・完結編、そして第10位に、何と独立プロの「襤褸の旗」を挙げているのです。
 映画「襤褸の旗」の「襤褸(らんる)の旗」とは、使いふるして(戦いに明け暮れて)ボロボロになった旗のことです。内容を端的に言えば明治時代、公害と環境破壊に対して闘い、足尾鉱毒事件では、明治天皇に直訴しようとした田中正造代議士の壮絶な半生を描いたものです。主演の三國連太郎が田中正造を演じていますが、その迫真の演技などで、第29回毎日映画コンクール男優演技賞を受賞しています。映画も第48回キネマ旬報ベスト・テン第8位に選ばれていて、そうした評価もあって白井さんは、ベストテンに加えたのかもしれません。
 さてこの映画については、新東京国際空港(現・成田国際空港)の反対運動『三里塚闘争』と関係していて、三里塚芝山連合空港反対同盟も協力し撮影を行いました。撮影場所も千葉県成田市の三里塚が用いられ、反対同盟の農民、支援者、学生もエキストラで出演したという経緯があります。そして1974年の参院選挙・比例区に反対同盟の戸村一作委員長が立候補することでこの映画が、選挙運動と一緒に全国で自主上映会が開かれました。この愛知でも上映会が開かれ、上映された毎回、三里塚闘争と戸村一作氏に連帯する会・愛知から幕間のアピールが行われました。その一人として私も舞台に立ちました。あれからもう45年近くの歳月が流れました。」 次回は年明けの2月。

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2018年11月16日 (金)

映画「華氏119」を観る

 見ておきたい、アメリカの今を知る
 去る11月6日に観たこの映画では、「大統領選さなかの2016年7月、マイケル・ムーアは『大統領選でトランプが勝利する5つの理由』というエッセイを書き、変人扱いを受けながらもその予測を的中させた。彼がトランプ大統領を取材するうちに、『トランプは‘悪の天才’。感心するほどの狡猾さでトランプを笑っている私たちでさえ彼の術中にはめられている』という驚愕の事実が分かってきた。どんなスキャンダルが起こっても大統領の座から降りなくて済むように、アメリカの国民はもちろん、ジャーナリストやメディア、憲法や司法システム、さらには他国の政治や国民すら利用して仕組んでいるというのだ。ムーアはすべてに歯止めをかけようと、本作でトランプ・ファミリーが崩壊必至のネタを大暴露し、トランプを当選させたアメリカ社会に鋭く切り込みを入れ、この暗黒時代をどう抜け出すかを示す。」という解説がなされている。
 マイケル・ムーア監督が、この映画で何を訴えたいかは、もう言うまでもないだろう。
 ドナルド・トランプがアメリカの大統領に選出されてから2年、世界は変わった。アメリカは地球環境保護についてパリ協定から離脱し、さらにカナダ・メキシコとの間に結ばれた北米自由貿易協定の再交渉を要求、国内では移民入国を規制し、国民医療についてオバマケアを撤廃、学校や宗教施設で相次ぐ銃乱射事件についても施設に銃を持ち込んだらよかったなどの発言を繰り返してきた。
 11月6日のアメリカの中間選挙で、上院はほぼ現状の共和党が過半数を、下院で民主党が過半数を回復した。しかしトランプは「大勝利」と叫んた。どこまで本気なのか、単なる強がりなのかはわからない。けれどトランプは、この先2年の任期を全うし、さらに次の大統領選をも視野に入れているというから、ここで挫けたり、方針転換はできないと思っていることだろう。対外的に自国第1主義、国内では「分断」も厭わない「強権政治」ということになれば、それは「ファシズム?」なのか。
 記者のインタビュー「トランプ氏をできるだけ早く引きずり降ろさないと、いつか引き返せなくなるときが来るか?」の質問に答えてムーア監督は「それはまた起こりうるのです。以前のようなファシズムではないでしょう。『笑顔のファシズム』(バートラム・グロス著)という本を読みました。書かれているのは、21世紀のファシズムは強制収容所やかぎ十字がもたらすのではなく、テレビ番組に出てくる笑顔が作り出すのだ、ということでした。テレビのプロパガンダやメディアの人間が取り上げることで、人々は取り込まれるのです。トランプ氏のもとで起きているのはそういうことです」と。
 ムーア監督の目線は、トランプ大統領誕生の背景を掘り起こす。「マイケル・ムーアがトランプ政権に批判的なのはもちろんですが、ヒラリー・クリントン大統領候補にも、またオバマ大統領にも厳しい。ビル・クリントン大統領から後、民主党が共和党にどんどん寄っていき、希望を失ったアメリカ国民が選挙に行かなくなった結果としてトランプ大統領が生まれたという構図です。」(映画愛-藤原帰一)
 私たち日本人の目からは、どんな風に受け止めればいいのか。
 ある場面では、ヒトラーの演説映像にトランプ大統領の声をかぶせるなど、ナチス・ドイツと今の米国を比べる場面が出て来る。ムーア監督は、アメリカもヒトラーと同じ道を歩んでいるのではない、皮肉に過ぎないといっています。一方私にはトランプの饒舌と安倍の冗舌が重なります。といっても実は「饒舌と冗舌」の意味は同じだ。だがトランプ大統領は「自分(たち)さえよければいいという、大統領の権限を振りかざして演説をしまくる、その饒舌」、一方安倍首相の場合は「肝心なことは何も話さず、冗談でしょ!違うでしょ!いい加減にして!の、冗舌」
 蛇足に過ぎた。映画の展開が早いので、まずは観てもらうことが先決だ。そして、アメリカという国の実態に少しでも近づいてみる、アメリカ的「民主主義」をもう一度考えてみる。その上で、トランプ率いるアメリカはどこに行くのか、アメリカに振り回される世界はどうなるのか。そして日本は、私たちは・・・を考えさせた映画だった。

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2018年11月 6日 (火)

映画「ほたるの川のまもりびと」を観る

半世紀の「石木ダム」計画反対の住民の闘い
 場所は長崎県東彼杵郡(ひがしそのぎぐん)川棚町石木川。石木ダムは、佐世保市への水道水供給や、川棚川流域の洪水防止を目的に1975年、建設事業に着手した。県などは未買収の事業用地を取得するため2009年11月、土地収用法に基づき国土交通省九州地方整備局に事業認定を申請。13年9月に認められ、強制収用が可能になった。地権者(109人)らは、15年11月に国の事業認定の取り消しを求め提訴していたが、長崎地裁(武田瑞佳裁判長)は2018年7月9日、請求を棄却し、一部を却下する判決を言い渡した。原告側は控訴した。
 実に半世紀近くに及ぶ住民の闘いである。
 水没予定の川原(こうばる)地区に暮らす13世帯の一人初鹿氏は「ダムありきの計画であることを実感した。下流域の堤防整備や、川の流量を増やすのが先だ。佐世保市の水需要予測は実態と違っており、市には説明責任がある」と批判し、ある集会では地権者を代表し、炭谷猛さん(67)が「県は地域住民の言うことを聞かずに強硬な態度をとり続けている。抗議の声を中村法道知事に届けて見直しを求めたい」と発言している。また京都大名誉教授の今本博健さんは、給水量の過大予測や水害実態がないことなどを挙げ利水、治水両面でダム建設に疑念を呈した。
 こうした地域住民を巻き込んだ「家族ぐるみ」の闘い(住民運動)は、「三里塚闘争」や、この愛知での「設楽ダム建設反対」「境川流域下水道建設反対運動」「新幹線騒音訴訟」などが想起される。他にも全国で基地周辺の騒音訴訟、ごみ埋め立て、河口堰、高速道路建設、最近ではリニア中央新幹線等々、自然破壊、生活破壊、公権力がキーワードとなって、ほとんどが長い闘いとなっている。
 映画は、四季色とりどりの山間部、石木川流域、水没予定の里山「川原地区」の豊かな自然を背景としながら、ダム問題に揺れるこの小さな集落に暮らす人びとの描いたドキュメンタリー映画である。
 「ただ普通に暮らしたい」という住民たちのごくあたりまえの思いが、映像を通じてつづられていくが、過去幾つかの住民運動と一つ違うところは、「外部」からの支援を受けないで、集落全体での取り組みということであろうか。
 もちろん訴訟となれば、弁護士、傍聴支援などもあるが、現地での闘いではバリケードも座り込みも外からの応援はない。それが長き闘いを支えている根源の一つであることは確かだが、「都会人」からみると、そうしたスタイルに重きを置いて、なおかつ「それは石木ダムだけの問題ではない」「強引な手法行使は権力の常套手段」という認識を共有しようとする点で考えさせられる。もっともこの映画の全国上映で、その点は緩和されたとは思うが。
 実はこの映画を観た私は、そのあとすぐマイケル・ムーアの「華氏119」を観て、この映画の政治、社会性、民衆エネルギー、民主主義を強く感じたので、その対比にみる「難題」を抱え込んだ気がしたのだった。

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2018年10月23日 (火)

映画「日日是好日」を観る

 シネマ散歩・緑の会 第7回鑑賞会
  居住地・緑区の有志の「シネマ散歩・緑の会」の第7回鑑賞会は、当初「あん」を予定していたが、前週の19日にテレビシアターで放映されたため急きょ変更して、樹木希林出演の「日日是好日」となった。結果としてこの秋私は、樹木希林の「万引き家族」「あん」「日日是好日」の3本を観たことになる。たまたまではあるが。
   原作は、森下典子の『日日是好日「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』(新潮文庫)であり、監督は大森立嗣。
  出演は、黒木 華、樹木希林、多部未華子、鶴田真由、鶴見辰吾、原田麻由、川村紗也、滝沢 恵、山下美月、郡山冬果、岡本智礼、他。茶道指導、支援は「表千家」で、主となる撮影場所の茶室は京都の「表千家不審庵」とあったが、映画の舞台は東京であるから、あくまで“お茶”を教える武田先生(樹木希林)の茶室という設定である。
 この映画の典子役の黒木華は、この作品に出演して、気づいたことは?と問われ、次のように答えている。
 ~この作品の中で典子は、茶道を通して「お茶をたてるときのお水とお湯の音が違う」ことに気づきます。
  普段生活しているとなかなか気づく時間や余裕がないですよね。お茶室にいると、静かな空間の中で、風の音や庭の水の音、お茶をたてている自分の音に気がつくんです。
  この作品では、和菓子や道具などで四季をあらわしているのですが、私は今までせわしなく生きてきて、日本にいながら四季を感じることがなかったなと実感しました。
  私は仕事で着物を着る機会が多いのですが、着物のように、日本にずっと伝わるものの良さを理解できていなかったんだなとも。
  茶道の着物は無地が多いのですが、その分襟で個性を出したりできるんですよね。
  樹木さんは「私は楽に着るの」とおっしゃって、ご自身のルールで本当にカッコよく着られていました。ルールの中で遊ぶのは、まずはルールを知らないとできないですよね。勉強不足を感じました。~
 また、~この作品は典子の20歳から44歳までが描かれていて、年月が経つに連れて武田先生も年を取っていきます。どんどん武田先生が小さく見えてくるんですよ。
  仕草やセリフにも遊び心を入れつつ、それでいてとても自然体で武田先生としていらっしゃる姿はすごいなと思いました。~
 武田先生のつぶやき、例えば“世の中にはすぐわかるものと、わからないものがある(後年になって気づかされる)”“これは形から入るもの、頭で考えないの”“(生きていて)本当にしたいことは何ですか”“毎日同じことができることは幸せなことだと・・・”
 茶道のことは全く知らない私には、そんな「四季と共に在る静寂な世界」は別世界であるが、武田先生のつぶやきに思い当たるところがあるなと思った。だがこの先、そんな「日日是好日」があるのだろうか、としばし考え込んだ。

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2018年10月17日 (水)

映画「散り椿」を観る

 これは恋愛映画?なのかな
 来週の23日に「シネマ散歩・緑の会」の第7回映画鑑賞会は、樹木希林の「あん」と決まったが、選択過程で「散り椿」「あん」「日日是好日」「かぞくいろ」を挙げていたので、できれば全部観ておきたいと思った。しかし日程的に無理だろうから、すでに観ていた「あん」ともう一つ、ということで「散り椿」を選んだ。
 話題作ということもあったが、原作が葉室麟というのも動機の一つ、とは言っても私は葉室麟のファンでもないし、数多い著書の中で「津軽双花」を新聞小説で読んだだけ。だからなんとなく気になる作家というだけだった。理由は分からないが、何かを感じてのことだろう。
 映画そのものは時代劇の定番「お家騒動」の一つといえばそれまでだが、友人がメールで送ってきた「監督、撮影が木村大作さんなので、やっぱり映像が美しい」というのも、確かにそうだなと思った。全編がセットなしのロケとか、一部を除いてほとんどが富山県での撮影のようで、しばしば(多分)立山の白い頂が顔を出す。あるいは、清流の浅瀬をわざわざ馬隊で走らせる、画面と直接関係ない風景だけが映し出される。「椿」ももちろん出てくるがこれは京都あたりのようだ。解説によれば、「散り椿」とは、正式名称を「五色八重散り椿」というのだそうだ。花弁が一片一片散っていく。一木に白から紅まで様々に咲き分け艶やかであるとも。
 扇野藩の平山道場には四天王といわれた剣士がいた。主人公瓜生新兵衛(岡田准一)もその一人だが、藩の不正を暴こうとして城代家老・石田玄蕃(奥田瑛二)の策略で浪人となる。それから8年、連れ添った妻の篠(麻生美代子)が病に倒れたその折、彼女から最期の願いを託され、扇野藩に戻ってくる。そして・・・。
 四天王の一人榊原采女(西島秀俊)と新兵衛とは幼馴染でもあった。新兵衛は、側用人として出世していたが石田玄蕃の企みを見抜き対立を深めていた。そうした藩内の跡目(勢力)争いとは別に、新兵衛、采女、篠、篠の妹・里美(黒木華)の間に行き交う愛もまたもう一つのテーマであった。
 観終えれば四天王は、新兵衛を除き渦中で散っていき、新兵衛も旅に出るところで終わるのであるが、それだけでなく「散り椿」は、時代劇を背景とした恋愛映画というにふさわしいタイトルであることに気づかされたのだった。

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2018年10月11日 (木)

映画「あん」を観る

樹木希林の再上映映画
 今月の映画鑑賞会「シネマ散歩緑の会」の候補映画をどれにするか迷っていた。そしてその候補作品として2015年制作の「あん」(再上映)と最近封切りの「散り椿」を観る機会をうかがっていた。そして今日、イオンシネマ大高で最終日となっていた「あん」を観ることができた。
 先に死去した樹木希林さんの直近の作品ということもあったが、河瀬直美監督の作品であることと、「ハンセン病」問題が背景にあるということでこの映画を選んだ。
 この映画は、ドリアン助川の同名小説の映画化したもの。あることがキッカケで刑務所暮しを経験した一見、陰のある男、ある町の一角でどら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごしている千太郎(永瀬正敏)。
  ある日、この小さな店で働くことを懇願する76歳になるという老女、徳江(樹木希林)が現れる。何とか賄い女として働くことになった彼女が作る粒あんの美味しさが評判を呼んで店は繁盛していく。しかし、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂が流れたことで客足が遠のいてしまい、千太郎は徳江を辞めさせなければならなくなる。
  それを察しておとなしく店を去った徳江だったが、彼女のことが気にかかる千太郎は、徳江と心を通わせていた近所の、つぶれたどら焼きをもらいに来ていた女子中学生のワカナ(内田 伽羅・樹木希林の実の孫娘)とともに徳江の足跡をたどり、ハンセン病感染者を隔離する施設・天生園に向かう。そこにいた徳江は、淡々と自分も自由に生きたかった、との思いを語るのだった。
  前半は、陰のある男千太郎、常連客の女子高校生3人組と中学3年生のワカナと、平和な桜並木が美しいある町の一角。そして50年もの間「あん」を作り続けてきたという徳江が、あずきに語りかけるようにして日の出から午前11時の開店までにつくる「あん」製造過程が描かれる。
  後半は、徳江がかつてハンセン病を患っていたという噂で客が来なくなり、止めていった徳江を千太郎とワカナが訪ねて、ハンセン病の社会的におかれた状況と、徳江をはじめとする療養所の人たちの思い「生きている意味って何なんだ」そして「病んでいるのは囲いの外です」ということが暗示される。
  老女徳江や親友の佳子(市原悦子)らハンセン病を患っていた人たちの尊厳を失わず生きようとする姿を丁寧に紡ぐ人間ドラマでした。
  イオンシネマ大高では最終日であったが、伏見ミリオン座は上映中である。いつまでの上映期間かがわからないので、鑑賞日によっては観られないかもしれない。予備として「散り椿」と「日日是好日」も考えてはいるが。

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2018年9月28日 (金)

映画「1987、ある闘いの真実」を観る

  日韓に共通する部分もあるがしかし・・・
 展開の早いサスペンスドラマのようでありながら、それが史実であるから感動のあまりうるんでしまう場面の多い迫力のある映画であった。
  映画から離れても韓国の「民主化闘争」に、とりわけ深い関心を持っているのは、“団塊の世代”以上かなと、勝手に思いこんでいるのだが、私にとっては「在日韓国人政治犯」の釈放・抗議運動と1980年5月18日から27日にかけての光州市を中心として起きた民衆の蜂起(光州事件)の記憶が強く印象に残っている。
 この映画でも新入女子大生・ヨニ(クミ・テリ)が「漫画サークル」に誘われて、そこで漫画ならぬ「光州事件」のビデオを見せられるシーンが一瞬だったがあった。
 1980年~1987年は、前政権の朴正煕時代から全斗煥大統領による軍事政権下の弾圧下にあった一方、「民主化」を求める学生だけでない国民的欲求・運動にとって厳しい時代でもあった。
  この映画はそうした背景を下地にしている一方、政治に無関心、経済発展に浴する若者例えば女子大生・ヨニの姿もあって現在に引き戻す。
  また、内容は殆んど史実に基づいているが、映画故の一部にフィクションもある。民主化運動を陰で支える叔父さんのハン看守が捕らえられ、学生の活動家ハニョルに惹かれ乍ら変わっていく女子大生・ヨニも架空の人物とされる。ではあってもさして不自然さはない。それと関連があるかどうかわからないが、要所、要所で「反体制派」又は「良心派」の人物例えば検事、新聞記者、看守、学生のリーダー、医師、司祭などが登場して韓国全土を巻き込む民主化闘争へと展開していく。そのスピード感のある展開に緊張感が漂う一方、感動の中にと希望の光を見るような・・・。
 それにしても韓国の警察、治安部隊の暴力はすさまじい。その暴力は、小林多喜二を拷問死させた日本の「特高」と変わりないか、その実態は知らないが、光州事件などから見て韓国のそれは直接な凄まじい暴力といえるかもしれない。戦闘警察の放つ催涙弾が、活動家ハニョルの後頭部を直撃、ハニョルは、暫くして死亡してしまうが、これは三里塚闘争(新東京国際空港反対闘争)における東山薫さんが、機動隊の放った催涙弾の直撃(水平撃ちは違法)を受けて死亡した事件を思い出させた。
 そうしたいくつかの点で韓国の民主化運動と日本の「左翼」の運動に共通点がないわけではないが、比較すること自体に違和感があるかもしれない。「反共・防共」思想などおかれている状況に違いがあり過ぎるからだ。いずれにしても私たちが直視して学ぶべきことは多い、そんなことを示唆した映画であった。

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2018年9月15日 (土)

映画「禁じられた遊び」を観る

 疲れていて、ふと思いついて
 この日、中野晃一氏(上智大学教授)、福島みずほ氏(参議院議員)、大内裕和氏(中京大学教授)という魅力的な講師を招いての集会があったが、私は朝から沖縄県知事選挙の「玉城デニー政策集」の編集作業に没頭したため、集会参加をあきらめた。そして編集作業が一段落したところで、妙に気疲れしていた。
 そこでインターネットでなんとなく映画情報などを辿っていたとき、「禁じられた遊び」が目に止まった。何といっても映画そのものより、あの哀愁に充ちた音楽は忘れられない。私でさえいっとき、ギターをつま弾いたことがあるのだ。
 上映開始時間を見れば5時35分とあり、4時に家を出れば間に合うと、折りたたみ傘一本をもってバス停に走った。

映画「禁じられた遊び」
 第二次世界大戦中のフランス。ドイツ軍によるパリ侵攻からの避難途中、5歳の少女ポーレットは爆撃により両親と愛犬を亡くしてしまう。ひとりはぐれて、子犬の亡きがらを抱きながら彷徨ううち、11歳の農民少年ミシェルと出会う。ミシェルから死んだら土に埋めるのだ、と知らされたポーレットは子犬を埋め、お墓をつくり十字架を供える。それからは、お墓をつくり十字架を供える遊びがすっかり気に入り、この秘密の遊びのために二人は、十字架を集め始め、ついに教会や霊柩車からも十字架を持ち出すようになってしまうのだった・・・。

 「禁じられた遊び」は1952年制作であるから、スクリーンは「スタンダード」タイプというのであろう。もちろんモノクロ。そしてキャパ50ほどの小劇場は、私にとっては非常に見やすいということが分かった。画面を見ながら字幕がよく見え、追っていけるのだった。元々遠近両用眼鏡であるから、焦点が合う領域はかなり狭いのだ。
 あ、映画の感想・・・、ポーレット(ブリジット・フォッセー)とミシェル(ジョルジュ・プージュリー)という何かと対象的な二人の子どもが、次第に心を通わせていき家族となっていく。それははかなくも短い時間であった。
 「禁じられた遊び」というタイトルは定着し固定化されているが、5歳のポーレット、11歳のミシェルの「遊び」とは結びにくい。私には10代後半の青年初期の出来事のように思えていたのだった。
 そうした二人を中心に進んでいくが、一方で私はフランスの片田舎の農家の暮らしに目がいっていた。イギリスやフランスの映画の多くには、こうした光景はあまり出てこない(見たことがない)家も、食事も、着ているものも貧しい暮らしの中、家父長的家族と「祈り」のある日常、といっても祈りを唱えるのはミッシェルだけだが。
 最後はポーレットが「家族」から引き離され、孤児院へと連れていかれる・・・。映画「風と共に去りぬ」のスカーレットではないが、ポーレットの「その後」が気にかかる、哀愁の結末でした。
 これを観た後、「太陽がいっぱい」(1960年)が観たくなった。

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2018年8月31日 (金)

映画「沖縄スパイ戦史」を観る

  “語り継ぐ”ことの大切さ
 「シネマ散歩・緑の会」の第6回鑑賞会は、昨日行われた。鑑賞映画は、名古屋シネマテークでの「沖縄スパイ戦史」(三上智恵・大矢英代監督)であった。会場のキャパ、明日が最終日ということもあって、早めの30分前に集合をかけたのだが、私が45分前にチケットを購入した時点で20番目の札を受け取って“えっ!”と思ったのだった。
 今回は6人の参加であったが、遅れた一人が15分前に入場順の札を受け取ったとき61番であった。つまり、キャパ40といわれていた会場、実際は50の席があってそれは満席、両サイドにパイプいすを並べて60人から70人がぎっしり入るという関心の高さだったのである。

 1945年・・・、沖縄戦では、本島南部の激戦が1945年6月に終わった後も、北部では10代の少年たちが動員された「護郷隊」によるゲリラ戦が続いていた。少年兵には米軍戦車への特攻や遺体の埋葬など過酷な任務が課せられた。護郷隊を率いたのは、スパイを養成する東京の「陸軍中野学校」から送り込まれた青年将校たちだった。
 少年たちが動員された「秘密戦」や、八重山諸島の「戦争マラリア」の真相に迫り、戦争や軍隊の本質を浮かび上がり、「裏の沖縄戦」を日米の資料や証言をたどることで、解き明かしていく。(引用)

 私は、沖縄のことはある程度知っているつもりであった。本島だけしか行っていないが、観光も含めれば複数回訪ねている。しかしこの映画の主題、10代半ばの少年で組織され、ゲリラ戦、スパイ戦に動員された「護郷隊」について、「70年以上語られなかった」とはいえ、その名も実態も全く知らなかった。これに限らず“知っている”という思い込み、“知っているだけ”という自己完結がなんと多いことか。
 そして「学んだ者、話を聞いた者の責任」(大矢英代監督)、それ即ち「観た者の責任」を強く感じたのだった。私個人としてできることはそんなに多くはない。多くはないが着手する、継続する、交流を深めるということであろうと思うし、「今、何をなすべきか」を自問し続けることだと思った。
 「戦後73年。だが、もしかしたらもうとっくに、私たちは戦前を生きているのかもしれない・・・」(同)という意識は、共有することができたとしても、やはり何を選択し、何に抵抗し、何を目指すかという意識、凝視を暮らしの中で持つこと、知り得たこと、語り継がれたことをまた“語り継ぐ”ことが大切であろうと思う。
 終えてからそれぞれの感想を聞いてみた。明確な言葉は少なく、戸惑いのような感想が多かったように思う。私にしても、こうした映画を選ぶこと自体に多少の逡巡があった。普段から集会やデモに無縁な人の集まりであるから、“この8月であればこその機会、として選んだ”というようなことを述べたのだった。
 次回は10月だが、どんな映画を選ぼうかな。

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2018年8月24日 (金)

ドキュメ映画「コスタリカの奇跡 」

  ~積極的平和国家のつくり方~
  近藤昭一衆院議員が実行委員長を務める「名古屋映画上映実行委員会」主催の映画会「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」が夕刻から行われ観に行った。
  この会は、2013年から始まり、8月に開催されることが多いのだという。これまで「ひろしま(2013年)」「ひまわり(2014年)」「ハーツアンドマインズ(2015年)」「不思議なクニの憲法(2016年)」「スノーデン(2017年)」そして今回が6回目である。
 私はこの映画鑑賞を大いに期待していて開場15分前に到着し、いわゆる「S席」と思しき場所を確保したまではよかったのだが、いざ始まるとスクリーンが二重になって見え、字幕についていけない状況となった。持病でもある眼病の軽い症状である。その上眠気が襲ってきて、第1章から6章まであったような気がするが、とにかく記憶があまり残らないまま終えてしまった。
 かすかな記憶と予備知識から振り返れば、まずコスタリカといえば「軍隊のない国」となる。1948年に常備軍を解体し、軍事予算をゼロにした。そして無料の教育、無料の医療を実現し、環境保全のためにどのように国家予算を投入していったかを章ごとに詳しく説明していく。
  軍隊廃止を宣言したホセ・フィゲーレス・フェレールや、ノーベル平和賞を受賞したオスカル・アリアス・サンチェスなどの元大統領や、ジャーナリストや学者など、さらし市民が登場して、この国のゆくえ、息子を兵隊にとられない平和のありがたさが映しだされる。
 もちろんその過程は平坦ではなく、アメリカの圧力、資本の進出、ニカラグアの侵攻にも武力を使わないで「話し合い」で解決していく。
  健康を図る指標「地球幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いていること。またラテンアメリカで最も安全とされているコスタリカ。
  憲法論議、安全保障問題だけなく、自然災害、教育、医療、介護などの福祉、税制等々、すべての面で“このままでいいのか”というこの日本であれば、国を取り巻く環境に大きな違いがあれ、一つの形がここにあると知らされた。
そして副題の「積極的平和国家のつくり方」は、私(たち)にとって現在進行系の課題である。(引用多し)
  原題:A BOLD PEACE/監督:マシュー・エディー、マイケル・ドレリング/公開:2016年/製作国:アメリカ・コスタリカ/90分/配給:ユナイテッドピープル

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