2017年6月18日 (日)

“桶狭間の合戦”をテーマの音楽劇

 みどり文芸ネットの最終公演
 みどり文化芸術ネットワーク、市文化事業団主催で、昨日と今日の二日間で4公演「ミュージカル タイミング~桶狭間に降る雨~」(脚本:鏡味富美子、演出・振り付け:ほり みか、作曲・音楽監督:坂野嘉彦)が、名古屋市緑文化小劇場で上演された。
 主催の「みどり文芸ネット」は、2001年に完成した「名古屋市緑文化小劇場」の建設の立ち上げから、設計の過程に至る“区民の声”を届ける活動と同時、地域文化の掘り起こしをめざして、「みどり文化芸術ネットワーク」を結成した。そして小劇場の杮落しに「音楽劇」を上演する企画が立てられ、そこに「緑区に由来する歴史上の出来事、民話をテーマとする」ことが盛り込まれたのだった。
 その第1回公演は「鳴海潟物語-猩々(しょうじょう)」で、3年後に「ミヤズとタケル」(日本武尊の妻だった宮簀姫が緑区大高にいたという伝説から)、3作目は2007年に、松尾芭蕉と東海道・鳴海宿の人たちの交流を題材にした「元禄芭蕉絵巻-夢は鳴海をかけめぐる」、2011年には、有松と鳴海の絞商店の2家族を主役とした「みどりの宙(そら)を越えて」、そして前回の2014年では、旧鳴海球場物語といっていい「ひいおじいちゃんのアルバム」が上演された。
 この間16年の歳月が流れたが、当初から「いつかは桶狭間を」が、ネットワークの悲願というか責務というか、“やはりこの地にあって、桶狭間を抜きにはできない”が会員の気持ちであったと思う。この構想の課題は、恐らく「合戦シーン」の演出ではないだろうか。織田信長がわずか2000の兵を率いて25000といわれた今川義元の軍を打ち破っという、日本史の大きなエポックであったことは広く知られたところであり、劇としても義元討ち取りが「ハイライト」になるのが一般的であろう。だが、鎧、兜に刀に槍、場面によっては馬と義元の「輿」もありうるわけで、そうした衣装、大・小道具の調達、戦場シーンはとても難しいものであれば、容易なものではない。そして2017年の今回は「みどり文化芸術ネットワーク」としては最終公演となることからようやく上演の運びとなった、という経緯である。
 さて、あらすじであるが、主役は織田信長でも今川義元でもない。桶狭間の合戦で今川軍の動き、特に義元本陣の位置情報を信長に知らせ、勝ち戦の第一の殊勲(お手柄)を挙げた簗田出羽守政綱である。政綱は今川の動きをつかむとそれを清須の信長のもとに知らせようとするが、道に迷い深田に足をとられ「信長坂」から転げ落ち、その時に「タイムスリップ」して現代に放り出される。その現在とは、桶狭間高校歴史研究部のメンバーたちの集まりの場であった。
 この「歴研」のメンバーは、織田の家臣の末裔たち?で織田のぶ子をはじめ、名前が柴田、前田、木下、明智、徳川・・・。最初は簗田と高校生たちと会話が合わないが次第に、「この人をあの時代に帰して、今川方の情報が信長に知らされないと歴史が変わってしまう。それに、あの瞬間に雷雨が来なければ、織田軍は勝てない。タイミングが大事なんだ。何とかしなければ・・・、」
 桶狭間の合戦の勝敗を分けたポイントは、「情報戦に優った織田」と「雷雨」という自然現象が織田に味方した、という説が有力であるが、そこにスポットを当て、村人(地域住民)や現在の高校生にいろいろと考えさせるというストーリーが、ミュージカルとして仕上げられた。
 いわゆる「合戦」の場面は、一部「音声」としてはあるが、立ち回りなどはない。こうした素人劇団で、コンパクトな舞台での工夫が随所に見られ、音楽はほぼ生演奏(名古屋緑吹奏楽団)というのも、特徴の一つであった。
 私は、「みどり文芸ネット」の立ち上げ時から参加したこともあって、全作品を見てきて、その都度感想などを寄せた。それは地域文化興隆の意義に賛同してのことであり、それは今も変わらない。その意味では、「みどり文芸ネット」がこうした定期公演を終えるとしても、何らかの「情報ネット」を維持すのか、いったん解散するのかは知らない。
  けれどもとりあえず、緑文化小劇場が主催事業として、音楽劇制作を継承していくことになるとのことであり、おそらく、会長の林さんも、吹奏楽団の指揮者でもあるから、何らかの形で関与、寄与するのではないだろうか。秋ごろには総会が持たれるかもしれないので、それも注目したい。いい演劇をありがとう。

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2017年5月21日 (日)

美術鑑賞-緑美展へ

中学同級生3人が出品
 公式的に言えば、「緑区文化協会美術部」主催の「第43回緑美(りょくび)展」ということになるが、出品者でもある同級生からの案内はがきが届いていたので、最終日となった今日のお昼頃、会場の区役所まで出かけた。
 作品は全部で日本画13点、洋画39点、彫刻・工芸9点という内容であったが、前回に較べてやや少ないかなと感じた。また全体として印象に残る作品が少なかったというのが率直なところだ。
  41人の出品者の中に、中学の同級生3人がいることは、昨年6月に開催した中学の同級生による「私たちの小さな足跡展」の盛会から見て不思議ではないが、「美術展」という世界ではやはり珍しいといっていいのではないだろうか。
  さて二度三度見て回って、足を止めたのは、同級生作品は当然だが、他には、「神明社の大杉」と「竹林」いう2点で、これは作品の評価云々ではなく「この絵なら、詩がつけられるかな」という観点からであった。だから写真に収めようとも思ったが、結局そこまでには至らなかった。(写真撮影の許可はもらっていた)
  もう1点あった。それは「ある日の卓上風景」で、オウムガイの殻やらなんやらの中に、隠されたように人の顔が描かれていた。説明はつかないが、「コラージュのような」とでもいおうか。風景画、人物画、静物画が多い中では、やはりちょっと目を引いた作品だと思った。
  ステンドグラスを専門とする同級生の工芸作品「舞い上がるキジ」「逆さ富士」は、彼の工房を見せて戴いたときの印象からすると、ややシンプルかなとは思ったが、それでもかなりの時間が投じられているであろうとの実感は出来た。作品の性格上むしろ展示方法に難があったといえる。やはり「窓側」に透かせて見せることが望ましい。
  洋画の二人は、一人は外国旅行の時の「旅の記憶」と題する、ヨーロッパのとある「街角風景」の2点であった。これまでも大作を見せてもらっているが、それと比べて何か違いがあるというわけではないが、印象として「絵に動きがない」といおうか、作者のモチーフが返ってこないと感じた。こうした「欧州の風景」の作品が好きなようであるから、きっと何かを持っているのだろうが、受けるわが器が小さすぎる。
 もう一人は、地元にある「要池(徳重)の春」と長野県の「自然湖(大滝村)」の作品だった。こうしてスケッチのために出掛け、旅行するのは楽しいだろうなと思いながら、これまで彼の作品に何篇かの詩をつけたこと、そして今回の作品に詩想が湧出するだろうかと身構えたことが残る。結果的には、「要池の春」は、似たような作品に詩をつけたこともあって見送ることにした。他方「自然湖」は、自然が作った“造形美”を印象として描いたと思われたが、何かをイメージして詩に仕立てるにはやや具体性がなくやはり見送った。
 このように、絵画、工芸についてまともな感想が書ける能力は私にはないが、何かと“刺激”を受けることが多い。だからこうして足を運んでは、“わが道、わが望み”に気合を入れたいと思うのである。

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2014年9月14日 (日)

知人の展覧会へ行く

 絵画の鑑賞は、異次元世界
 知人の展覧会の最終日、5人展「無交差(ムコウサ)2」を観に出かけた。サブタイトルかどうかわからないが「意識の錯綜 量子の夢交差」とあったが、どんな意味だろうかと、聞くのを忘れた。
 水彩画、パソコンアート(といっていいかどうか?)、陶芸、彫塑風のマスク、ポスターや広告デザインのようなアートを何と言ったっけ。それらの5人展。
 「パソコンアート」について作者に「このような手法・技法を何というのですか」と聞いたところ‘知らない’というので、ここでは「パソコンアート」と名付けた。パソコン(イラストレーター)を使って、5色の縦の波線を幾筋か並べ、それらの行間にぼかしを入れた構成。中央には、正方形が45度傾いている、つまり菱形風に。背景の色の違いとぼかしなどを入れたそのパネルが7~8枚並んでいた。そこで野暮かなと思ったが、あえてそのモチーフを聞いた。どうやら原発事故での、原子炉の炉心の温度が上昇していく過程と、(メルトダウンした後か)今度は冷えて、辺り一面が放射能まみれになる「白の世界」で終わる。菱形風のものが、炉心か、排気塔の影絵なら、即理解できただろうが、敢えてそれは伏せられ、観る者の感性と想像力に訴えたのだろう。(パネルを文字にして表現することは事実上不可能だが)
 知人の水彩画は、20枚くらい掲げられていたが、4つのモチーフがあった。「イラク戦争」「原爆」は前回のものに手が加わったものといい、新作はやはり「原発」と、さらに「アベ一族」と言っていたが、岸信介、(佐藤栄作)、安倍晋三の顔を崩れかけ毒キノコにまみれていた・・・。
 絵画は、彫刻、デザイン、写真等に較べはるかに、作者のモチーフに近づくのが難しいように思う。「美」の世界そのものもあれば、「抽象画」の世界もあって、上手下手に関係なく、自ら絵筆をとって、カンバスに向かえば、わずかでも近づけるかもしれないが、それがない私の鑑賞力はいつでも乏しいと思えてならない。知人展だから足を運ぶ以外にも、美術館、美術展に行かないことはないが、いつ行っても異次元世界の印象が残るのである。ま、個人的な資質の問題だから仕方がない。

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2014年7月 5日 (土)

ミレー展に行く

 癒しと感性?いや梅雨間かな
ユニオンと連帯する市民の会の活動誌「れいめい」と、APWSL愛知の季刊誌「Action Report」の印刷と発送作業があり、3人で仕事を終えた。これで9月末までは一息つける、と思いつつ、こんな時、達成感と徒労感がせめぎ合う。これも加齢現象の一つと覚える。そこで‘お口直し’ではないが、帰路名古屋ボストン美術館に寄って「ミレー展-バルビゾン村とフォテーヌブローの森から」を観てきた。
 もとより、絵画に興味・関心・造詣が深いわけではなく、‘お口直し’では言葉が過ぎるとすれば‘癒しも入り混じった気分転換’あるいは‘脳内バランス’これでもちょっとねえ、というなら、‘少しは感性を磨いておくため’とでもしておこうか。
 中学で鑑賞したミレーといえば「落穂ひろい」「晩鐘」の2点は記憶にあるが、今回は展示品の中には入っていなかった。多分前回に公開されたからだろう。その代り「種をまく人」とミレーの「自画像」がメインであったように思う。「落穂ひろい」に似た「馬鈴薯植え」とか、「羊飼いの少女」はなかったが、それのシリーズの一つみたいなものがあったように思う。それらの題材は、ミレーの生まれ故郷フランスのノルマンデー地方の農村だったのか、パリから少し離れたところだったのか、両方だったのかと記憶は定かではない。
 もう一つ、「フォテーヌブローの森」は、パリの南東60キロにある広大な森だという。絵だけではその一部を切り取ってあるだけだから、広大かどうかがわからない。しかし、全体がうっそうとした森と、その中の小道、小川、池などから、あるいは、日差しが当たるその明るさと周囲の森の深さから、確かに広大で人の手の入っていない森の風景が浮かび上がる。
  それはそれとして私は、それらの絵の中の「雲」に目が行った。つまるところ、雲の少ない青空では、うっそうとした森のイメージにそぐわない。森をはぐくむ雨を含んだ雲の重なり、森を上から見下ろしているような雲の表情みたいなものをなんとなく追っていた。この絵画の本質ではないと思いつつ。
 来週は映画を一本見に行く予定だ。読書量も増やす。梅雨間に似た、ちょっと自由な時間ができそうだからだ。

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2014年4月19日 (土)

シャガール展へ行く

 わからないままに、寄り添うものあり、か  
 4月17日から、愛知県美術館で始まった「シャガール展」へ行った。ええ、なんで?といえなくもない、私自身ですら‘場違い感’のする場所ではある。
 なぜこうなったかといえば、さる6日に史跡めぐり-岐阜城へ行った参加者の中に、同級生で絵画に心得のある一人がいて、その彼に誘われたのであった。私が、絵にそれほど関心もなければ、実際絵筆をとることはほとんどないことを知っての誘いは、岐阜の‘お返し’かなと勝手に想像して、それでも、気の置けない仲間と同道するのも悪くないな、そう思って応じたのだったが、いくらか‘もの書き’のはしくれと思えば、‘芸術の深淵’を覗くということでは、共通点はまるっきりないとは言えなかった。
 そのシャガールだが、検索によれば「20世紀を代表する画家の一人として、世界中で高い人気を誇るマルク・シャガール(1887-1985)。宙を舞うカップルや動物、現実離れした鮮烈な色彩など、その幻想的な絵画の数々は多くの美術ファンを魅了しています。その一方で、シャガールは第二次世界大戦後の後半生、歌劇場や美術館、ヨーロッパ各地の大聖堂、大学、議会などの公共空間を飾るモニュメント(記念碑的作品)も手がけています。大空間を飾るそれらの作品は、壁画や天井画、ステンドグラス、陶板画、モザイク画、タピスリーなど多彩な技法と形式によるもので、60歳を越してなお、新たな技法で巨大なスケールの作品に挑み続けた、その旺盛な制作意欲と才能には驚くべきものがあります。本展では、油彩画に加え、華やかなパリ・オペラ座の天井画、メッス大聖堂のステンドグラス等、代表的なモニュメントにかかわるシャガールの活動を、下絵やスケッチのほか、関連する絵画・版画作品、舞台衣装など日本初公開163点を含む約250点の作品で紹介します。」とあった。
 見た目には‘殴り書き’みたいな下絵、思うがまま、のような筆づかい、彩色など繊細さに欠ける画風のようで、抽象画の前に立つ感じとはやや違うが、‘どこがいいのか’私にはまったくわからないものだった。
 最初に「パリ・オペラ座の天井画」展示されていたが、完成までの下絵の数々や、色づかいの変遷みたいなものに、一つの作品が仕上がるには、こんな過程があるのだ、という感銘はあった。そして、ステンドグラスの「メッス大聖堂内陣北側薔薇窓」では、もともと好きな色の一つではあるが「青」の色が強く印象に残った。「十戒」をテーマにした連作のコーナーでは、映画の「十戒」の一シーン重ねてしまった。単純そのものである。もう一つ、銅版画もあって、作品そのものより、その制作方法に興味を持ったが、学芸員(館内職員)に聞く勇気もなく、同道の彼に後日聞いてみようと思った。
 最初に、こうした場所へいくことは場違い、といったが、そのくせ、上京した折、上野の国立西洋美術館、東京都美術館などに足を運んでいたし、一昨年の秋だったか、名古屋市美術館、ボストン美術館に行っていたから、まあ、鑑賞する力は別として、どこか、何か、寄り添うものがあるのかもしれない。

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2013年12月11日 (水)

鳴海球場物語

 みどり文芸ネットが主催する音楽劇の第5作
 みどり文化芸術ネットワークが主催する音楽劇の第5作「ひいおじいちゃんのアルバム-鳴海球場物語」の結団式が、去る12月8日に開催された。
 これまで幾度となく「ワークショップ」が開かれ、11月10日の最後のワークショップで、オーデションが行われた。そして、音楽劇の脚本、あらすじが菊本健郎氏から提示さたとのこと。これでおいおいキャストも決まっていくことになろう。
 この音楽劇は、緑区にある民話、伝承、歴史などを題材にして台本が作られる。脚本、演出はプロに依頼するが、企画、制作はみどり文芸ネットが、音楽、舞台芸術も地元出身、在住者が担うことが多い。そしてキャストは、緑区在住または在勤、縁者の市民が中心である。
 物語は、「4世代家族のひいおじいさんがひ孫に対し、アルバムをひもときながら、戦前に同球場でプレーしたことや、野球ができなかった戦争時の話をする内容」とのこと。
 その鳴海球場は、現在は名鉄自動車学校となっているが、当時の内野席などの一部が現存している。また、ホームプレートのあったと思われる場所に記念のレリーフが設置されている。
 前回は「有松・鳴海絞」がテーマだったが、歴史から採った題材と違って、現代を表現する劇には、“生存者”もいることもあって、事実関係、私的部分などに配慮が必要だといわれる。「鳴海球場」というテーマは、スポーツに関するという面で、興味を薄く感じる人がいるかもしれない。その点を「緑区の史跡、歴史」という面から惹きつけていくとも必要かもしれない。どんなストーリーが出来上がるか楽しみである。
 公演は2014年6月14、15の両日に計4回、緑区の緑文化小劇場で開かれる。入場料は前売り2500円(当日2800円)が予定されている。

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2013年9月18日 (水)

歌のルーツをたどってみれば

  気がつかぬにことが多いが
  昨日に続いて今日も、雲ひとつない秋晴れだ。夕方の散歩から帰って、CD「名曲アルバム」シリーズの完結号「新大陸アメリカ」を聴いた。その解説書を読みながら「リパブリック賛歌」という行進曲は、あの「権兵衛さんの赤ちゃん」の元歌、「ヤンキー・ドゥードル」が「アルプス1万尺」の元歌だったと知った。労組青婦協の林間学校(キャンプ)や研修会の交流の場でよく歌ったものだった。
  これらは「学生歌」とか「青年歌・青春歌」の歌集にあるポピュラーなものだが、数では及ばないにしても、ロシア民謡に由来する歌と肩を並べていた気がする。60年代から70年代にかけてのフォークソング全盛時代には、「ウィ シャル オーバー カム(We Shall Over Come)」や「こげよ マイケル(Michsel Row The Bort Shore)」などが、“反戦歌”の一つとして大いに歌われた気がするが、労組主催行事では控えていた気もしたがどうだったろうか。歌のルーツにはいろいろあるものだ。
  こうして思い返してみると当時の私の周辺は、思想的には「反米」であったが、なんだかんだといって“アメリカナイズ”されていたといえるかもしれない。
  映画についていえばもっと顕著で、劇場であれテレビシアターであれ、少なくとも7~8割はアメリカ映画ではなかろうか。アジア、ヨーロッパの映画をみようとすれば、名古屋では“シネマテーク”あたりへ行かねばなかなか見ることはできない。それは、どこかで国の意向が働いているかもしれないが、商業的には採算の問題が一番であろう。
  それにしてもこうした“文化”的な影響は大きいもので、私たち日本人は、政治はもちろん、安保・軍事面、経済面のみならず文化の面でかなりアメリカの影響を受けているといえるだろう。日米の「国家戦略」の下にあるかもしれない。韓国政府が「日本文化」の流入に神経質になっていたことでも、かなり想像できよう。
  何となく口ずさんでいた歌、何となく使っていた言葉、それらをふとしたことからそのルーツ、背景を知ることとなり、これまで“知らなかった、気がつかなかった、浅はかだった”と悔やむことは一つ二つではなかったが、生きていれば、まだまだそういう機会は出てくるだろうなあ。

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2013年8月21日 (水)

サウンド・オブ・ミュージック


 劇団四季の公演を観る
 小学4年生になる孫娘との夏休み前の約束で、“行きたいところへ、1回だけ連れていく”ということで今日、劇団四季公演の「サウンド・オブ・ミュージック」を観に行った。
 もちろん孫にとって初めての劇場ミュージカルであるが、実は私も初めてであった。映画ではこの「サウンド・オブ・ミュージック」や「マイ・フェア・レディ」そして「ウエストサイド物語」を観ているが、それとて1960年代のものであった。
 思えば、労働運動、地域運動に身を投じた1970年ころからほぼ2000年までの私は、映画、演劇、詩作、さらに読書まで遠去かっていた。この文化的興味、文化的な活動が細くなっていったことを悔やんだことはないが、どこかで“温めていた”あるいは希求していたのであろう。この10年余り、つまり労働運動や地域の活動から少しずつ身を引くにつれ、広い意味での「文化的領域」踏み込み、嗜んできた。「古戦場巡り」もその一つであることは確かだ。
 さて、開演30分前に会場入りして、館内を一巡り。次回以降の公演ポスターを見て、パンフレット売り場では、興味はあったがやや高いと感じてあきらめた。私の“相場”は1000円まで。また、観客の層は、母親と子供連れという組み合わせが圧倒的で、私らの“カップル”は稀であったろう。
 席は、S1の最上席に次ぐS席の中央であった。孫とは“飛び石”で離れたが、中央通路に面した最前列の好位置。しかも「ファミリーゾーン」であったから、孫は半額であった。
 休憩をはさんで一部と2部の構成。企画・構成・演出は浅利慶太。舞台は、第2次世界大戦の戦時下のオーストリア。キリスト教と修道院、当時の貴族社会、そして、ナチスに追われてスイスに脱出する、そうした時代背景を、孫はどこまで理解したかはわからないが、マリヤ先生に導かれて、歌と共に広い世界に導かれていく7人の子供たちに共感を覚えたことだろう。
 そして私は、わが旅路とどこか重なるところがあっただろうかとか、様々な活動には“文化”は、表裏一体なものとして欠かせないなあ。下の孫たちにも、出来れば、最高のものを、美しいものを、“生”のものを見せてやりたいと思ったのである。それはわが欲求とも重なることはもちろんであるが。

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2013年4月 6日 (土)

自作の詩、3篇を朗読

 ムーの会に初参加
 実は、この「ムーの会」の実態はよく知らない。たまたまこの会の事務局を担当していて、いわば会を代表する位置にあるK氏と、「水曜フォーラム」でご一緒させてもらった関係で、会報から知る程度であった。
 ただ、K氏の関わる「水曜フォーラム」だけでなく、「中部ペン」とか同人の「北斗」「宇宙詩人」のメンバーの一部が加わっているから、基本的なベースは「文学」の集まりである。時々、政治、社会問題に踏み込んだテーマで会合を開いているようでもあるが。
 さて私は初めてであるが、今回「詩を楽しむフェスティバル」ということで、最近の詩作もあったことから、ちょっと顔を出してみようかな、という気になってこの日参加したのだった。昨日書いたように、ミニミニ詩集「冬耕」を携えて。
 最初に、3人の方が詩に関わる動機とかきっかけ、思い入れ、詩歴などを話された。
次に「昭和朗読」という会のメンバーが招かれ、会員の作品を5~6点を朗読した。朗読の効果は、目読と違って、文字からイメージするのではなく、いわば音読だから、耳からの言葉でイメージするところにある。そして、読み手の抑揚みたいなところで多少の関係もあるが、イメージが膨らむか否か、あるいはリズム感があるかどうか、余韻が残ったかどうかなど、かなり聞き手の評価にさらされる、ということもあるといえようか。
後段で、自詩を読む機会が設けられていて、自らという人もいたが、会報に作品を掲載された人が順次呼ばれた。私にも声がかかったがお断りした。いきなり、という気もあったし、私にはまだ場馴れするだけの時間がなかったので、多少委縮していたと思う。
 数人が朗読した中に、顔見知りの二人の「活動家」がいて、それを聞いて腹が決まった。2回目の誘いに乗って、ミニミニ詩集「冬耕」の中から「参道」と「つながる」そして、詩集「坂」から、「月光」の3篇を一気に読んだ。手際よく3篇を選び出したのは、案外、自分でも準備をしていた証なのであろう。
 さて次回からどうしようかと思ったが、新天地というほどのインパクトはなかったので、多分迷うと思う。

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2013年2月17日 (日)

みどり文芸ネット総会2013

 第5作目の音楽劇も決まる
 みどり文化芸術ネットワークの年次総会が開かれた。昨年から、それまでの3年に一回の総会が年次総会に変わったのだった。
 この日は、2014年6月に開催が予定されている5作目となる音楽劇「鳴海球場物語(仮題)」の、参加者公募の説明会もあって、会場が満席となる50人以上が参加していた。
 前半の議事では、1年間の活動報告と会計報告があって、もう一つは、みどり文芸ネットが起案し寄贈することになっている「緑文化小劇場由来サイン」(銘板)の報告があった。これは昨年の総会の報告でも触れたので省略する。
 今一度ここで取り上げておきたいことは、「みどり文化芸術ネットワーク」の活動が、「市民による、地域の芸術文化の維持、底上げに稀有な活動」と高い評価を受けていることについてである。
 「緑文化小劇場由来サイン」に記されている内容でも、それは垣間見ることができるが、「鳴海球場物語(仮題)」の脚本、演出を担当される菊本達郎氏や、緑文化小劇場館長の早川正晃氏の話からも、それが伺えた。
 つまり、音楽劇の制作では、脚本、演出、音楽、照明、衣裳等、またキャストでも一部では、プロあるいはセミプロに依存しているが、いわゆる「制作スタッフ」の裏方仕事に、あまり類例を見ない「市(区)民力」が発揮されているというのである。それは企画、制作資金集めから始まって、広告宣伝、チケットの販売、スケジュール管理と練習場確保等々。逆にいえば、制作資金を集めて、あとは全てプロに“丸投げ”はしない、ということでもある。
 また歴史、民話、様々な姿、顔など緑区に由来する事案を題材とする「音楽劇」は、演劇、音楽、コーラス、舞踊など違うジャンルが一つとなって上演される内容を基本スタンスとしているのも、特徴といえるだろう。脚本の難しさもここにあるといえる。
 さて私は、「観賞する一市民」という立場から、スタッフにもキャストにも参加したことはないが、今回は「制作過程」の“見学”を申し込んだ。完成されたものは毎度見てきたが、そのプロセスについて、一度は見てみたいと思っていたからだ。これから15か月、「菊本演出」を見て行きたい。
【参考】
    名古屋市緑文化小劇場由来サインの寄付について
 緑文化小劇場にピアノの寄付等、住民運動の成果を示す看板。劇場のロビーか通路に設置予定。
                (文面)
     地域と共にある名古屋市緑文化小劇場
 名古屋市緑文化小劇場は、緑区住民を中心とする多くの市民の要望に応えて建設され、2001年6月にオープンしました。
 劇場建設に際しては、設計段階から市民が参加して改善が重ねられました。バリアフリーで客席に入ることができるエントランスや、文化小劇場の中で最も奥行きのある舞台(建設当時)、余裕のある舞台袖の空間、側道から直接搬入できる広い搬入口、緑区人口に対応した客席数、張り出し舞台が設置できる撤去可能な前列椅子席、花道と一体化した烏屋(とや)、鑑賞しやすいよう交互に配列されている中央後列の椅子席、女性用トイレの増設、外から入ることができる練習室など、随所に利用者の視点が反映されています。
 また、劇場備品となっているスタインウェイピアノも、市民の要望でした。緑区に一流のピアニストを招きたい、ピアノを学んでいる子ども達に、よりよい体験をさせてあげたい、という願いからです。予算的な問題があったものを、有志が寄付運動をおこして多くの市民の協力を得たことで備品に選定されたのです。
 このように、地域の熱い思いを受けて完成したこの劇場が、これからも、多くの人に親しまれ、地域文化の発展に寄与することを願っています。   
            
2011年6月 開館10周年に寄せて
           みどり文化芸術ネットワーク

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