2009年5月30日 (土)

東京・上野界隈を散策

 今回も東京見物に足を延ばす
 昨夜の「~竹内淳さんを送る会~平和のペダルをこぎ続けて 竹内さんとこれからも共に」には70人余りが参加していた。
 遺族となったお連れ合いのHさんは、夜に会が設定されていたにもかかわらず、朝から「国会ピース」の1日行動に参加し、一行と行動を共にしたのだった。それは初めての参加ではなかったが、きっと淳(きよし)さんの行動の軌跡を、今一度追うことによって、悲しみをこれからの生き方に変えていく、その一つとして偲んだのではないだろうか。
 竹内さんが旧全逓労組と袂を分かち、郵政ユニオンの結成に参画したのは、他の少数組合、ユニオン、活動家グループの仲間たちと同じように、大樹の陰に隠れることなく、正すべきところは自らの姿勢として正していく、といういい易くなし難い道を選んだからであろう。そういう共感が会場に漂っていたように思う。また、私も知る多彩な顔ぶれから見ても、彼は、今ある様々な問題に通底するものを感じとって、可能な限りを尽くしていろんな現場に参加していたその証であった。
 ともすれば、「どこにも顔を出す」と揶揄する(大人気ない)向きもあるが、事実はそんな皮相なことでではないことも、また、参加者の共通するところではなかったろうか。
 さて、きょうも朝から雨模様であったが、傘をさすほどでもなく、上野に向かった。昨年行けなかった東京国立博物館に行ってみようと思ったのだった。この期間は「阿修羅展」をやっていて、JRの改札を出たら、もう多くの人が列をなして入場券を求めていた。よくよく見ると、入館自体が、1時間待ちとなっていて、今年もあきらめた。つまり、この博物館は、常設展示館というよりも、常に何かを企画する「特別展」が多いのではないか、そんな風に思ったのだがどうだろうか。
 それで、知人から聞いていた東京都美術館の「日本の美術館名品展」に行ってみた。
 全国にどれほどの数の美術館があるかは知らない。また、任意なのか主催者側の要請なのかは知らないが、そこからよりすぐったものには違いない作品が展示されていた。
 私にはこの画家、この作品が好きだ、というものはないが、全国に散らばっているそれらを、東京で観ることができる機会は、その道の人にとってうれしいに違いない。たとえば、ルノアールの作品2点がそれぞれ山形美術館と群馬近代美術館から寄せられていた。モネの2点も、茨城と埼玉の県近代美術館からの出展であった。ピカソの3点は、愛知県美術館、徳島県立近代美術館、富山県立近代美術館という具合であった。
 西洋絵画、彫刻ばかりでなく、日本の近・現代洋画、日本画、版画、彫刻のコーナーもあって、点数は少ないが、著名な作家の作品をみることができた。横山大観や黒田清輝、東郷青児、梅原龍三郎、宗像志功などの作品は美術誌か教科書あるいは切手あたりでも接したものだが、実際に見る機会はそれほど多くはない。片岡球子などは、絵葉書となっていて購入した覚えがあるが、しまったままになっていた。
 高村光太郎の彫刻「手」(呉市立美術館)はあまり有名だが、ここで実物を見ることができたのは、単純だがこういう機会は嬉しいものである。
 この後、不忍池のほとりにある「下町風俗資料館」を覗いて、旧岩崎邸庭園に向かった。

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2009年2月28日 (土)

連載小説:「許されざる者」(毎日新聞朝刊)完結

 許されざる者とは誰か
 毎日新聞の朝刊に連載されてきた辻原登の「許されざる者」が、28日、582回で完結した。
 彼の経歴を観ると、1945年、和歌山県生まれ。平成2年 中編小説 『村の名前』 (第103回(平成2年上半期)芥川賞受賞)/平成11年 長編小説 『飛べ麒麟』(第50回(平成10年度)読売文学賞受賞) /平成13年 短編小説集 『遊動亭円木』(第36回(平成12年度)谷崎潤一郎賞)/平成18年 短編小説 『枯葉の中の青い炎』(第31回(平成17年度)川端康成文学賞受賞)/平成19年 長編小説 『花はさくら木』(第33回(平成18年度)大佛次郎賞受賞)とある。
 私が彼の作品を読むのはこの新聞小説が初めて。前にも書いたが、小島襄の「日露戦争」など、一連の「日露戦争」関連の小説、新書類を読んでいたので、物語の展開がそちら方面に展開していくと期待もしていたが、作者の出身地和歌山・森宮(しんぐう・架空)を舞台とする、幸徳秋水も顔を出す「熊野革命五人団」と、主人公の医師槇(まき)隆光(「毒取ル)と呼ばれる)を中心とする「恋愛小説」として展開して終わる。
 私は、タイトルの「許されざる者」に関心がいき、許されない行為が何で、その当事者がどうなっていくかに興味を持って読んでいた。
 「許されないであろう」ことの最大の山場は、槇と最後の森宮藩主の長男である陸軍少佐・永野忠庸(ただやす)の妻との不倫。しかしこれが辻原の小説という世界で語られる時、「不倫」という言葉には似つかわしくない二人の関係が読者を取り込む。終章で、前後して渡米する二人に読者は、羨望にして安らかの未来を望んだのではなかったろうか。
 一方、背景としてある「日露戦争」を推進した明治政府と、開戦に狂喜する国民、またポーツマス条約で賠償金を取れなくて、焼き打ち、暴動に走った国民はどうであったのか。戦場では多くの兵隊が戦病死したが、その原因が「脚気」であり、食事の偏りからくることを認めず、「ウィルス説」に固執した森林太郎(森鴎外・日露戦争に第二軍軍医部長として出征。後に陸軍軍医総監<中将相当>に昇進し、陸軍省医務局長に就任した)の責任は許されるのか。
 反戦と社会主義思想、ロシア革命にあおられ「爆弾闘争」に決起した「熊野革命五人団」は、「許されざる者」としてあったのであろうか。
 近代日本の創世記・明治という大きな時代背景と、「森宮」という小さな町を舞台にして、その時代に生きた人々の、その一人一人の姿を散りばめた展開に、この小説の醍醐味があったのではないだろうか。宇野亜喜良の挿画も大いに楽しんだ。

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2007年9月18日 (火)

みどり文芸ネットのこれから

 改めて土台から手作りを始めるか
 今日の「みどり文化芸術ネットワーク」の事務局会には、10人が参加して、3年後の第3回「緑区文化祭」を視野に入れながら、今後のネットワークについて、“本質部分”に踏み込む発言、意見があったように感じた。その内容に入る前に、前回の会議で感じたことをまず書き留めておきたい。
  「この日の例会では、先月行われた『第二回緑区文化祭』の総括が話し合われたが、その中で『音楽劇の主役級は劇団員で、いわばセミプロである。その人たちがいなければ、公演が成り立たないのは事実だが、文芸ネットの本旨が薄れる心配がある』という意見が出される一方『素人集団だけで、半年ほどの練習、稽古で入場料金レベルの演劇が仕上がるとは思えない』と言う意見も出て、アマチュアの文化活動、公演事業の難しさが改めて浮き彫りにされた。
 3回目になる今回の「音楽劇・元禄芭蕉絵巻」は、総額600万円ほどの予算規模で行われており、そのうち入場料収入、ネットの会費からの持ち出しを含めて収入は250万円程度、残りはパンフレット掲載の広告収入(協賛金)に依拠している。
 財政面からも、こうした形態がいいのかどうかも議論され、基本的には入場料収入で賄うべきだ、ということになるが、仮に3回公演が満席になっても、300万円程度の収入しかならず、現在の制作過程を踏まえれば問題の解決にならない。
 もう一度、演劇が好き、歌うことが好き、舞台が好き、地域の活動に寄与したい、そのために例えば毎月1000円程度の積み立てはむしろ励みになる、という意気投合ができないか考える余地はありそうだ。また、そんな話を聞いて篤志家が出てこないとも限らない。
 とはいえ、ことは簡単ではない。こと『文化』となると、日常生活との緊密性に欠けるところがあって、人間の空腹と怠惰には勝てない場合が多いのである。
 地域の文化活動とは何か、3年後とその間の『ワークショップ』をどうするかなどの課題は、次回に持ち越された。」
<「緑ネット第78号」2007年9月1日から>

 今日の会議の前提は、今のままでは3年後に同規模の「音楽劇」を公演するのは難しい、という点にあった。そこで出された意見は、①脚家本を育て(講座を開く)アマチュアの脚本ができれば、それ自体が文芸ネット独自の創造となる。もっともそれには時間がかかるし、これまでのような大作を期待することは難しい。日程を決めるときにリスクが伴うこともあろう。一方、短編であっても、これまでの「地元にゆかりのある歴史的題材」という枠を取り払うことができる。何故ならオリジナルのシナリオならば、現代に題材を求めても、それ自体が、この地域を起源となし、地域文化の発展というネットワークの目的に合致するからだ。②コーラスも、指導者を確保するという点で実現性は難しいかもしれないが、ネット独自の合唱団を形成して練習を重ね、音楽劇に目標を定めるようにする。③その他スタッフ、例えば、ナレーション、大道具、小道具の製作、衣装、照明技術、舞台裏の作業などに興味をもっている人がいるかもしれないので、効果的な宣伝をして募集する。(これまでも募集はしてきたが・・・)等々であった。
 この議論の本質は、これまでの3回は、とにかく舞台を成功させることが最優先で、それもかなり質の高いもの、2500円から3000円の入場料の取れるものという、セミプロ的発想から出発した感があった。この愛知では一流といわれる脚本家、演出家にお願いをし、出演者自身も、応募を前提としながら、主役級は劇団員の登用。また参加者が集まらないということもあって、既存のコーラスグーループの応援参加、つまり、野球で言えば、草野球でも野球好きだった人が集まり、地域リーグのクラブチームとして立ち上がったというより、新球団「楽天」のようにプロアマの寄せ集めでスタートした感があった。
 今となっては、それも致し方ないことであったが、この先を考えると、土台作りからはじめるという発想は貴重である。ただ発想は遠大で理にかなっているが、その道筋はすぐには描ききれない未知の領域が広がっていることも確かだ。
 思うに、高度な音楽劇一筋の“大艦主義”から、45分程度の演劇、5分から10分程度の、毎回テーマを決めた“映像コーナー”、“文化講演会”の組み合わせでプログラムをつくるという試みも一案ではないだろうか。そのために2年間連続の「ワークショップ」の開催もいいだろう。
 このネットワークへの私の参加の基本的立場は、鑑賞と「緑ネット」による広報であるから、ネットの発足前はともかく、それ以降は基本的に提案することは控えてきた。
 「緑ネット」が11月で終刊を迎えることから、この事務局会への参加も疎遠になると予想している。だから今回、こんなことを書いてみた。

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2007年8月21日 (火)

アマチュアの本分

 みどり文芸ネットの場合
  「みどり文化芸術ネットワーク」については、既に5月16日の日録で紹介しているので省くが、緑区を中心とした地域の文化を共に高めていこうと、職を持っている人、家事従事の女性など、いわゆるアマチュアが集まる団体である。とはいえ、半ば職業的な人もこの試みに賛同して参加しているので、全くの素人ばかりとはいえないが、その人たちの経験と能力があってこそ、この組織、運動が成り立っているという現実的側面があることも事実だ。
 今日の例会では、先月行われた「第二回緑区文化祭」の総括が話し合われたが、その中で「音楽劇の主役級は劇団員で、いわばセミプロである。その人たちがいなければ、公演が成り立たないのは事実だが、文芸ネットの本旨が薄れる心配がある」という意見が出される一方「素人集団だけで、半年ほどの練習、稽古で入場料金レベルの演劇が仕上がるとは思えない」と言う意見も出て、アマチュアの文化活動、公演事業の難しさが改めて浮き彫りにされた。
 3回目になる今回の「音楽劇・元禄芭蕉絵巻」は、総額600万円ほどの予算規模で行われており、そのうち入場料収入、ネットの会費からの持ち出しを含めて収入は250万円程度、残りはパンフレット掲載の広告収入(協賛金)に依拠している。
 財政面からも、こうした形態がいいのかどうかも議論され、基本的には入場料収入で賄うべきだ、ということになるが、仮に3回公演が満席になっても、300万円程度の収入しかならず、現在の制作過程を踏まえれば問題の解決にならない。
 例えば、仮に全出演者が60人、スタッフ10人の70人が、年間1万円、3年間で3万円積み立てて210万円。チケット収入は8割で240万円、協賛金50万円で合計500万円という計算が成り立つが、果たしてそういう方法しかないのだろうか。つまり、これだと「セミプロ」の道に類似する。
 もう一度、演劇が好き、歌うことが好き、舞台が好き、地域の活動に寄与したい、そのために毎月1000円程度の積み立てはむしろ励みになる、という意気投合ができないか考える余地はありそうだ。また、そんな話を聞いて篤志家が出てこないとも限らない。
 とはいえ、ことは簡単ではない。こと「文化」となると、日常生活との緊密性に欠けるところがあって、人間の空腹と怠惰には勝てない場合が多いのである。
 文化とは何か、アマチュアの本分とは何か、残暑厳しき中で難題に触れた夜だった。

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2007年8月12日 (日)

平和美術展

 これらも一つの形
 8月13日は月遅れ盆の迎え火から始まって15日が旧暦7月15日の、月遅れ盆と“高島暦”に書いてある。盆といえば、「祖先の霊を祀る」訳だが、8月15日はいうまでもなく、敗戦(終戦)の日、そして8月6日が広島原爆の日、9日が長崎原爆の日である。そうか、偶然かもしれないが、8月というのはそうした一連の日が集まっているから、日本にとっては特別の月なのだ。
 かといって、わが家では、お盆だからといって特別な家庭行事は何もない。直系で戦死者も出ていないから、仏壇の前に兄弟姉妹一同が集まるわけではない。両親の墓参りで線香を上げ、供花するくらいなものだ。それだって、どちらかといえば、女の仕事のようになっていて、私などは文字通り“お供”するだけ。
 さてそれはそれとして、3日間の平和美術展の最終日だったので、緑区役所講堂に出かけた。もう十数年は続いているのであろうが、出かけたのは初めて。
 正式の名前を記せば、「核兵器のない平和な世界を願うみどり区文化のつどい2007」の一連の行事の一つで、他に「平和コンサート」「子ども広場」「オカリナ、人形劇」などがあった。
 会場には、絵画、ちぎり絵、絵手紙、書道、写真などがあり、特別展示として森住卓のフォトレポート“イラク 戦争と子どもたち”があった。
 作品には、書道で憲法第九条全文とか「恒久平和」というものもあったが、これら全てが、戦争や平和に関するテーマとした作品ばかりではなく、日ごろの趣味や同好会の発表の機会という一面もあってか、それだからだと思われるガラス工芸、陶芸、手織物、押し絵、リフォームと言うのもあった。
 実行委員の人たちは、毎年展示に工夫を加え、足を運んでくれる人たちが一人でも多く、と知恵を出し合って準備を進めてきたのであろうが、一定のサークルの外にどれほど広がっているかは、私が見たところそれほど多くはないように見受けた。
 私は「緑ネット」のインフォメーションで紹介はしたが、それだけで“行ってみようかな”と思ってくれる人は、そう多くはないだろうなと思ってしまう。かといって実行委員になって私の周辺で、たとえ数人でもいいから誘うという気にもなれないジレンマがある。
 市民運動であるとか、社会性をもった地域の運動には、どうしたって人の集まりは欠かせない。そこに特定の政党の影響があろうと、イデオロギーが絡もうと、そういう人たちが入ってこようとも、である。
 第一義的目標が何かさえ押さえれば、と思いつつ、しかし、どうも雰囲気が合わないな、と感じてしまうと足が遠のく。これを克服するすべはあるだろうか、そんなことを一方で考えながら、それでも丹念に見て回ったことはたしかだ。

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2007年7月 8日 (日)

元禄芭蕉絵巻の成功

 上々の出来で3回公演に幕
 「みどり文芸ネットワーク」などが主催した「第二回緑区文化祭」のうち、三回目の企画となる音楽劇「元禄芭蕉絵巻―麻創けい子脚本」の公演が7日の午後と夜、そして今日の午後の、計3回公演を無事に終えた。7日の夜の公演に空席が目立ったが、他はほぼ満席だったようで1000人くらいの人が鑑賞したようである。
 一般の商業的舞台と違って、この企画は、プロの脚本家や、主役級に他の劇団から出演者を呼ぶことはあっても、大半は公募による素人の参加であり、「みどり文芸ネット」が育てた、合唱(バックコーラス)、バレエ(忍者として登場)、琴、大道芸が織り込まれ、その上、この緑区にゆかりのある、民話、伝承、歴史などを素材とするということで、脚本の難しさと、多少舞台がバラエティになりがちという要素は免れない。もちろん、スタッフ、裏方の多くが地元もしくはゆかりのある人が担い、私は“もぎり”を手伝った。
 今回は、その名は誰でも知っているであろう俳聖・松尾芭蕉を主人公に、東海道・鳴海宿を舞台とする俳句が絡みの軸になるというミステリードラマである。最後の俳句に込められた、水戸光圀と尾張藩・徳川光友の間に交わされた密書の“謎解き”は、見せ場だけのことはあって、その仕掛けに会場からもほーという声が上がった。全体として上々の出来栄えであった。
 24万緑区の内1000人は決して大きな数ではない。この種の催しに、行き慣れていないことや、まだ十分に知られていない、場所が不便ということはあるにしろ、地域の文化を育てる、広げることは大変なことには違いない。これから3年先にむけて、また積み重ねの“地域の文化活動”が始まる。
 ※みどり文化芸術ネットワーク=緑区に在住、在勤、ゆかりのある人が中心の会員組織。会費は1000円/年で、毎月第3火曜日に定例の事務局会を開催している。このスタッフも募集している。

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2007年6月19日 (火)

音楽劇「元禄芭蕉絵巻」のご案内

 本番まじかで準備進む
 みどり文芸ネットの第55回事務局会が開かれ、第二回文化祭の取り組み状況が報告された。
  とりわけメイン企画の音楽劇「元禄芭蕉絵巻」については、「・・・稽古も大詰め。・・・芝居に参加する“松尾芭蕉合唱団”や大道芸のメンバー、日本舞踊家西川扇久美城さんとの合同練習も回を重ねており、殺陣師の杉本明朗さんを招いてのチャンバラの稽古も行っています。忍者との大立ち回りのシーンは、30秒にも満たないシーンですが、その瞬間のために、刀の持ち方から振り方、立ち回り方、位置を決めて繰り返し確認していきます。・・・・」と、いよいよ、当日の公演が楽しみになってきた。
 又、この文化祭全体の日程、プログラムを掲載したPR誌は、緑区全戸の回覧を目指して、約6600部(組)が、区政協力委員会の尽力で回覧板に乗って回り始めた。更に名鉄鳴海駅、地下鉄野並駅、公共施設などにも、チラシ2万枚と共に、1万部が置かれていて、可能な限りの手はずが整えられた。会場への交通がやや不便なのが気になるが、足を運んだだけの価値はあると思うので、多くの人に観てもらいたい。
 ● 公演日程は、
・ 7月7日(土)午後2時開演と午後7時開演の2回
・ 7月8日(日)午後2時開演の1回 合計3回公演。
   ※各回とも、開演30分前に開場
 ● 料金は、当日券2800円。前売り券2500円
 ● チケットは、下記で取り扱っている。
・ 緑文化小劇場
・ 愛知芸文センター・地下2回、チケット売り場
・ ナディアパーク8階(矢場町)
・ インターネット 
http://mbgn.xrea.jp/
・ 各参加団体及び「緑ネット」でも扱う
 ● 主催は、
・ 名古屋市文化振興事業団
・ みどり文化芸術ネットワーク
 ● 後援は、
・ 名古屋市教育委員会
・ 緑区役所
・ 鳴海商工会、他。

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2007年5月16日 (水)

音楽劇「元禄芭蕉絵巻」公演

 みどり文芸ネット
 昨日、「みどり文芸ネット」の5月例会があって、「緑区の文化祭」の中軸となる演目のうち、7月7日~8日に公演する「音楽劇・元禄芭蕉絵巻」のチケットの発売などが決まりました。
 緑区民の有志を中心に、運営されているその「みどり文化芸術ネットワーク」とは、こんな団体です。
 「緑区に文化ホール建設を求める市民運動から生まれたみどり文化芸術ネットワークは、緑文化小劇場完成後は、舞台に上がる人を一人でも増やそうとしている団体です。
 文化活動が盛んになることが、人々の生き甲斐を生み出し、地域の活性化につながり、ひいては平和な社会の土台となると信じています。
 なにはともあれ、楽しく何かをやることが一番。演劇でも音楽でも踊りでも、ともかく人に何かを見てもらいたい活動をしている人、してみたい人、それらを応援したい人は、みどり文化芸術ネットワークの網の目になって、緑区を中心とした地域の文化を共に高めていきましょう。」(同団体のホームページから)
 2001年に、緑文化小劇場が開館した時、市民から出演者を募集して「音楽劇・猩々」の公演を成功させました。それから3年後の2004年には「音楽劇・タケルとミヤズヒメ」も多くの市民が参加、会場を埋めました。
 このように3年に1度の「音楽劇」を企画していて、その内容も、郷土緑区にまつわるテーマが基本になっています。いずれ、「桶狭間の合戦」もテーマに取り上げられるのではないか、と言う気もしています。(緑区に伝わる“民話”などの情報を募っています)
 2007年の今回は、俳聖・松尾芭蕉のまつわるお話です。脚本家・麻創けい子さんのコメントを紹介します。

 ご乗車ください!芭蕉ミステリーツアー 麻創けい子
 
日本各地に残る松尾芭蕉の句碑。
 彼はなぜ、そんなにも自由に旅ができたのか?「奥の細道」の旅で、一日に50キロ以上も歩けたのはなぜか?芭蕉隠密説が生まれてもしかたのないほど、芭蕉さんは謎に包まれた人物なのです。
 そんな芭蕉さんのゆかりの地、鳴海を舞台にした音楽劇を作ろうという、みどり文化芸術ネットワークの皆さんの熱意を受けて創作をスタートさせたのですが、これがなかなか手ごわい題材。神だのみならぬ俳聖だのみで、芭蕉さんの故郷伊賀上野を旅することにしました。
 初めて訪れた伊賀上野は、のんびりとしたいい町。何より人がやさしい。皆さん言葉は関西なまりで、芭蕉さんが江戸の人間でないことをあらためて感じさせてくれました。芭蕉さん一家の暮らしは、決して裕福なものではありません。父親は侍とは名ばかりの農人で、しかも彼は次男坊。藤堂家の若様のお側に仕え、俳句を学ぶようになったものの、主に早死にされ、自力で身を立てるべく、二十九歳で江戸へ出たと言われています。そんな芭蕉さんが句作をした庵、釣月軒が、生家の庭にありました。小さな窓のある庵は暗く、苦悩する若き俳人の影が見えるようでした。
 名古屋に戻り、再び訪れた鳴海の町。常夜灯、中島橋、誓願寺、如意寺、鳴海神社、そして千鳥塚と、雨の中を歩いていると、誰かが私の心に、「星崎の闇を見よとや啼く千鳥」と歌いかけてきたのです。その瞬間、芭蕉さんの名句を曲にして音楽劇を支えてもらおうと思いました。
 この指とまれで、集まった役者の皆さんとの稽古が不思議なほど楽しく、充実しているのは、芭蕉さんのおかげにちがいありません。稽古場のあちこちに、元禄時代を生きた芭蕉さんや、下里(郷)知足さんや鳴海の町衆が座っているように思えます。
 ご来場の皆様、時空を超えて、芭蕉隠密旅を歌い語る不思議なバスツアーをお楽しみください。      (音楽劇「元禄芭蕉絵巻」脚本・演出家)
<チケット、チラシ、PR誌の扱い先は、後日お知らせします>

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2007年2月18日 (日)

おこしもん

 つくり方をメモする
 突然、電話で「いま、“おこしもん”を作っているから来ないか」と義弟から誘いが来た。孫娘も大きくなり、一度見せてやりたいと思って声をかけておいたのだった。
 この「おこしもの」は前にも一度触れたことがあるが、どうやら尾張地方独特のもののようである。米粉が主原料で木の型にはめ込んで形をつくり、それを蒸して焼いて食べるというものだが、今日体験した“手習い”をメモしておくと、
1、米粉1Kg(800円前後?)を用意する。この地方では、この時期になると市販されている。ない場合はお米屋さんで挽いてもらう。新米がいい。製作個数で2~4Kg用意するが、1 Kgずつこねる。
2、やかんでお湯を沸かす。80度~85度くらいか。“笛吹ケトル”で、鳴り出したときか、泡が上がり始めたくらいかな。コーヒー、紅茶をいれる温度と思えばいい。
3、こねる器を用意する。器は大き目の陶器製がいい。なければ中華鍋でもいいが安定が悪いので注意。ステンレス鍋でもいいが両手でこねるので小さいと力が入らない。後で考えたことだが、適当な器がないときは、ステンレス鍋である程度こねてから、まな板に移してから、“蕎麦うち”のようにこねる方法もある。最初は熱いので注意。
 (カビ止めのためもあり、水はだめ、お湯を必ず使う。温度は経験から。)
4、米粉1Kgに対して650CC~675CCのお湯を注ぐ。計量カップで正確に計ること。最初は熱いから箸などでかき回して馴染ませる。湯量も経験かららしい。
5、こね方は、私は蕎麦をうったことはないが、殆んど蕎麦うちの要領。根気よくこねて、粘り気が出てきたころでOKだが、どんな状態かは“勘”としかいえない。指でつまんだ感じとか、言っていたが・・・。
6、食用の紅(赤、緑、黄)を薬局で購入しておく。こねた米粉の一部を使って、食用の紅を入れて、カラーの練り米粉を作る。紅の量で幾通りもの色が出せるが、せいぜい4~5色までか。
7、松、竹、梅、鯛、お雛、俵などをかたどった木型に、別の米粉をふりかけ、こねた色米粉で丸、線などで模様を描くか、簡単な絵をデザインしてはりつける。その上からこねた米粉を入れて、はみ出し部分をとって型から外す。
型から起こすから“起こしもの”⇒おこしもの・おこしもん、となった。
8、出来上がったら蒸し器で蒸す。蒸し加減も“勘”で箸がやや刺さる感じらしい。
9、暫く冷ましてから、雛壇に飾る。生ものだから長持ちしない。保存方法は、一つずつラップをかけて冷凍保存するのも一方法。冷蔵庫のない時代は、水につけて保存した。カビは無害で、削り取れば問題ない。
10、食べ方は、焼いて醤油を付けて食べるのが一般的。醤油に砂糖を入れた「甘醤油」を好む人もいる。

 結構、手間のかかる一日仕事であるが、粘度細工、工作のようなもので、子どもたちも最初は夢中になるが、すぐ飽きが来るようだ。それでも、色模様などに色彩感覚、絵心、そして集中心を垣間みることが出来る。 (追い書き)

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2006年12月28日 (木)

小説・一瞬でいい

 唯川 恵を初めて読む
 毎日新聞夕刊の連載小説、唯川 恵(ゆいかわ けい)の「一瞬でいい」が、28日、294回で完結した。
 同年代(唯川は1955年生まれ)の女性ファンが多いらしく、もっぱら恋愛小説を書いているとのことだが、私は初めて読んだ小説だった。
 舞台は軽井沢。仲良しの高校の同級生、創介、英次、稀世、未来子4人は、卒業記念に浅間山に登る計画を立て、時期的にやや遅い晩秋に登り始めるのだが、先を急ぐあまり、創介が足を挫いて歩けなくなってしまう。英次が背負って山小屋までたどり着くが、その先は無理だとして、英次が救援を求めて走り下った。
 だが、それっきり英次はどこにも戻らなかった。下山途中で、履いていた登山靴、トレッキングシューズではなく、バスケットシューズが災いして、足を滑らして崖下に転落、死亡しているのが発見されたのである。
 残された3人は、それぞれが「自分の責任で英次は死んだ」と思い込み、十字架を背負って人生を歩き始める。
 30年後、いろんな場面で、直接、間接に3人は出会うのであるが、創介をめぐって、稀世と未来子は強く意識しあう。やがて創介と未来子は結婚し、未来子は幸せをつかむのだが、それはほんの一瞬であった。創介は末期癌に侵されていたのである。
 未来子は決意する。これからは創介の好きなようにさせよう、そのことを最優先して残された時間を二人で過ごそう、と。創介は言う。「もう一度浅間山に登りたい、英次に会いたい」と。未来子はそれをかなえるために、その付き添いを稀世に頼む。稀世は言う「ほんとにいいの?」そこにはもう恋のライバル意識はなく、二人で創介を送り出そうという思いだけが、キラリと光っていた。
 登山の前夜、創介と稀世は、生きていることと、別れることの切なさを確かめ合う。
 創介は数か月後に死んだ。稀世と未来子は、一周忌に近いころ、軽井沢の山荘で、ワイングラスを傾けながら、創介、英次のことを思い返しながら、お互いの気持ちを語りながら、夜が明けるまで語り合った。

 3人が歩んだ卒業後の人生が交互に語られ、それぞれが精一杯生きていくのであるが、その一瞬一瞬は、別のことであっても、どこにいても英次のことが頭から離れないさだめにあった。大雑把な筋書きであるが、そんな連載小説を読んでいると、5人目の主役である「私」が、時々重なった。
 恋愛小説は好きではないが、「虹の彼方に」に較べれば、気を楽にして読めた小説であった。

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2006年11月30日 (木)

台本「元禄芭蕉絵巻」を読む

  来夏、緑文化小劇場で公演
  「みどり文化芸術ネットワーク」が主催する、緑区の歴史・民話などを題材にした音楽劇の第3作「元禄芭蕉絵巻」(麻創けい子脚本)の台本が出来上がり読んだ。
  俳聖といわれ、「奥の細道」を残した松尾芭蕉は、伊賀上野の生まれである。その芭蕉の名が全国に知れ渡るにつれ、江戸へ向かう機会も増えたと見え、東海道を旅する途中の「鳴海宿」に宿をとり、この地で盛んであった俳句の仲間とも交流、そのため、この地で詠んだ句や、芭蕉の生前では唯一といわれる句碑も残っていて、縁が深いという歴史的事実がある。
  さて、その芭蕉を題材とする舞台とは、どんな展開になるだろうと、事務局会の場では首をかしげる向きも多かった。鳴海宿を再現し、俳句を詠む場面や、人間関係を織りなすとしても、舞台にどんな抑揚、転回、クライマックスを設定できるだろうか、素人の想像力では及びもつかなかった。
  出来上がった台本では、芭蕉が伊賀上野の生まれであることから、「芭蕉忍者説」という風聞は昔からあって、それを軸にすえていることはまあ、想像域であった。しかし、麻創芭蕉は、その辺りはやや後景にして、江戸市中の怪盗・イタチ小僧がなぜか街道筋に現れて、芭蕉の懐から服紗包みを掠め盗る。これが伏線となって、最後の“謎解き”で幕が下りる。
  ストーリーの登場人物は他に、鳴海六俳仙の一人、下郷知足や、イタチ小僧を追う目明し銀次、尾張二代目藩主、徳川光友、謎の娘・おそのら。それらに鳴海宿・輪違屋の者たちの名古屋弁、コロリ騒動・・・。
  実はこの劇は、舞台の幕が揚がると、現代の観光ガイド場面から始まるのである。(ここにも仕掛けがある) 
  つまり“ミステリーツアー”として、タイムスリップするわけだが、その場面転回と、合唱の歌詞にも織り込まれた芭蕉句も見所、聞き所かもしれない。
  公演は2007年7月7日(土)~8日(日)で3回公演。料金は2500円~3000円、緑文化小劇場にて。

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2006年10月21日 (土)

演劇「野に立つ」

 久し振りに舞台を観た。
 この作品「野に立つ―雉本朗造(きじもとときぞう)と笠寺・鳴海小作争議」は、1917年(大正6年)に実際に起きた「鳴海小作争議」を題材にし、3年前の2003年11月に、鳴海文化小劇場で「みどりの唄」として初演され、今回は、「名古屋市民芸術祭2006年主催事業」として再演されたものである。
 脚本・栗木英章、演出・北原雅子、音楽・戸島美喜夫、指揮・高須道夫など主要スタッフと市民の参加は変わらないが、キャストはいわばプロの劇団、「名芸」が中心で、音楽の生演奏も拡充され、地方公演から本公演に“格上げされた”感じではある。この両方を観た私は、こういう「鑑賞の仕方」もあるのだなあと、一人悦に入っていた。
 全2幕、休憩の10分を挟んで3時間近いものであったが、争議の最中、雉本朗造博士(現名古屋市南区鳴尾出身。東京帝大卒業、京都帝大の教授・法学博士で、当時、民訴法に関する第一人者とされ、河上肇とも親交があった)が瀬戸内海の船上から姿を消して、不慮の死を遂げたあたりから、全体がやや間延びして、終盤の感動的なクライマックスを迎えることができなかった点が気になった。
 それは、博士の死によって急速に和解の機運が高まっていくという過程が、演出上、難しくしているものと思われたが、この小作争議を通して雉本博士の「永小作権」という考え方の高まり、広がりはともかく、「大正デモクラシー」の中で、農民が目覚めていく過程は、美化しすぎることや、「反権力闘争」という位置付けは、関係者の意に副わないものとしてフィクションとしても採用されなかったからでもあろう。しかし、地主の娘と小作人の倅(せがれ)の恋愛が、その表現であったとしたら、ちょっと寂しい気がしたのである。難しい注文かもしれないが。
 会場となった名古屋栄・ナディアパーク“アートピアホール”の1、2階席(全724席)は、満席で通路に座り込む人もいたから、“関係者”だけの鑑賞ではあるまい。演劇を観るのが好きな人が多いことは、名古屋の文化の支えになっていると思われる。特に、スタッフ、出演に多くの市民が参加していることはいいことだ。参加者のみなさんに拍手を送りたい。
 この感激のある公演が、3日間、4回上演全てで満席になることを願って会場をあとにし次の会場、「あいちの空と海と大地を戦争に使うな ~航空自衛隊をイラクからすぐもどせ~ ~米軍再編の白紙撤回を~」の集会とデモのある栄ひろばへと向った。

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