2018年3月20日 (火)

鳩山友紀夫講演会(3)

 「成熟の時代」の国のかたち
 実は鳩山さんは、「成熟の時代」の国のかたち、という、私がもっとも聞きたい部分については多くを語らなかった。時間もなかったからだろうが、著書では実に40%以上使ってこの部分を書いておられるので、ここもやはり、著書を読んでもらうしかない。
 そこで著書から、話の流れに沿った項目だけを幾つか書き留めておくこととする。第3章「成熟の時代」の国のかたち―成長戦略から、成熟戦略へ、では、民主党政権の「コンクリートから人へ」/格差社会への対応、アベノミクスの異常性/何のための成長か、成熟戦略の基本原則/東アジア地域経済統合の推進、「公正な社会」を目指す。
 第4章 脱大日本主義へ、では、「日本ナショナリズム解放路線」への危惧/一つの「解」としてのリージョナリズム、国連常任理事国を目指さない/原子力発電をやめる、東アジア共同体を目指す/自立と共生への決意。
 なお「リージョナリズム」については、反グローバリズムが自国中心のナショナリズムに陥らぬためには、グローバリズムとナショナリズムの中間のリージョナリズム(開かれた地域主義)に一つの解がある、と鳩山さんは書いている。
 40分ほどの質疑の時間では、多くの人の手が上がったが、中学生を含む7~8人が質問をした。
 私は真っ先に手を挙げ指名されたので以下の質問をした。~鳩山さんは沖縄の普天間基地問題で「普天間基地は海外へ、最低でも県外へ」とおっしゃって、沖縄の人たちはもちろん、私も感動をもって受け止めた。しかし結果はそのようにはならなかったわけですが、鳩山さんは、県外への移転について、ある程度見通しを持っておられたのではないのですか?また、朝鮮半島の情勢や対中・ロとの関係でアメリカは、戦略上沖縄の基地から海兵隊移設、基地撤去はあり得ないのではないかと考えなかったのですか?~の2点を質問した。
 私が受け止めた鳩山さんの答えは米海兵隊についてはテニアン、グァムへの移設にある程度の感触もっていたようで、県外についても奄美諸島などの構想はあったが、いち早く反対運動が起きて潰れた、ということのようだ。
 これだけのやり取りでは真相はわからないが、私が思ったのは、彼の楽天的な性格が、確かな見通し、根回しなしの情報だけで発表してしまったか、民主党政権を歓迎しない「政治力」が働いて“謀略”が図られたか(ちょっと誇大かな)そんな風に思ったのだった。
 以上、このように筋道の立った報告ではないが、著書を読みながら、当初の「この国のかたち」はどうなる、どうすべきか、という問題意識が問われる。そのヒントを鳩山さんは示してくれただろうか、について示唆を受けたことは間違いないところだ。 了

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2018年3月18日 (日)

鳩山友紀夫講演会(2)

 脱大日本主義、東アジア共同体
 先に、「アメリカファースト=ナショナリズム」が「グローバリズム」にも変化を与えていることは確かだろう、と書いたが、鳩山さんは、著書で「グローバリズム」とは、市場原理主義的な米国経済のルールを普遍的正義として世界に押し広めようとする疑似イデオロギーでした、と書いておられる。ということは、アメリカ(トランプ)は、自ら打ち出した「グローバリズム」に押し込まれ、「アメリカファースト」に転じたということだ。こうした流れ(政策)が一時的には加速するかもしれないが、永続するとは思えない。
 そこで私は、日本(安倍政権)にとって二つのことが考えられるのではないかと思った。一つは、トランプ政権が続く限り「アメリカ追従政策」が、経済面でも軍事面でも見直しが迫られることは避けられない。特に経済面では、アメリカにとって日本との貿易の不均衡(輸入超過)は、中国に次いで是正対象の上位にあると思われる。中国には関税で対処し、従順な日本には「自主規制」を求めるかもしれない。あるいは、「思いやり予算増」「アメリカ製兵器購入」をバーターするかもしれない。ここでも陰に日本の「主体性=独立」が問われるであろう。
 もう一つは、「アメリカファースト=ナショナリズム」が、東アジアにおけるアメリカの影響力(軍事的プレゼンス)が低下して、そこに日本が取って代わろうとする「代位意識」が働くのではないか、つまり「大国意識」の台頭である。この視点が正鵠を射っているかどうかは私にはわからないが、「戦前派志向の右翼勢力」にとって「大東亜共栄圏」も夢想の中にあるかもしれず、そのように考えられないこともないと思うのだ。
 もっとも鳩山さんは、そうでなくて「未来志向」として綿密な「東アジア共同体」構想を打ち出しているのである。この内容も著書を読んで戴くしかないが、そのさわりだけを紹介しておくと、「私は、東アジアに多国間の安全保障の枠組みを作ることで、東アジアの緊張を緩和し、地域覇権国家の行動を慎重にさせ、日本を含む中小国家の自立を確保する道が拓けると考えたのです。私はパックス・アメリカーナでもパックス・シニカでもない、パックス・アシアーナともいうべき東アジア秩序はありうると信じています。」
 
注1 パックス・シニカの「シニカ」は中国を指す。
 注2 「覇権国家」とは、私の記憶では、中国が当時のソ連をさして「覇権主義」といったとされる。だから中国は自からを覇権国家とは言わない。しかしここでは、一般的な意味での「覇権国家」として使われている。

 さて、東アジア共同体の「東アジア」の地域とはどこまでかは、定かではないが、ロシアは微妙なところだが、日本、(あえて)朝鮮半島、中国・台湾(表現は暫定)、フィリピン、インドシナ半島、インドネシアあたりであろうか。
 そこで問題の核心は「中国」であろう。つまり「中国は脅威か」「東アジアの平和的安定は中国、アメリカそして日本の在り方次第」という論点である。これを論ずるのは難しい。単なる軍事面、領土問題だけでなく、経済的相互関係、文化交流などの要素も加味されなければならないからだ。だが少なくとも鳩山さんの論調は、彼の外交的経験から「中国は脅威」とはとらえていない。その一例として昨年11月に習近平国家主席と会談したなかでの、周発言の例を引き合いに語った。例えば“一つの花が咲いたからといって全体が咲いたとは言えない。つまり、政策の一部が達せられたからといって中国全体が豊かになったわけではない。2020年までに貧困をなくす”と。安倍の政策と比較してみたい一つだ。そして覇権は目指さないと。
 では「尖閣列島の問題は?」も気になるところ。詳しくは著書を見ていただくが、鳩山さんは端的に「1972年の日中国交正常化」時の、田中角栄首相と周恩来首相との間で暗黙に了解した「尖閣問題棚上げ」にまで戻ればいいとした。むしろ石原都知事「尖閣買い上げ」さらに政府(野田首相・民主)による「国有化」したことが問題だと批判した。
 領土問題はフィリピン、ヴェトナムの間にもあるが、日本としては当事者間に法的拘束力を持つ「行動規範」をつくる動きがあるのだから、介入するのではなく、まして尖閣問題は、日米安保の範囲内などと挑発的対応はすべきでないとした。やはり険しくとも「共存」の道を探るべきだろう。日本は「2度と戦争をしない」と決意し実践してきたのだから。
 鳩山さんは、「共和国(北朝鮮)問題」にも触れた。実は質疑の時にも「訪朝する予定はないか、訪朝してほしい」というのもあったが、微妙な問題も含んでいるので、ここでは書き辛い。しかし印象としては「3・1集会」「3・6高野孟講演会」の論調と大きく変わらないので省く。 
続く

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2018年3月17日 (土)

鳩山友紀夫講演会(1)

 現状の「大国主義」を批判する
   リベラル政治懇話会(共同代表:石田芳弘元犬山市長・元衆院議員、大脇雅子元参院議員・弁護士、近藤昭一衆院議員・立憲民主党副代表・県連代表)主催、愛知リベラル・労組OB会後援の「鳩山友紀夫講演会」が開かれ約150人が参加した。
 鳩山さんは、元民主党の内閣総理大臣であることはよく知られている。その「短命内閣」の評価は分かれるところだが、その後についてはあまり知られていないし、私も知らなかった。またさほど関心を払っていたわけでもなかった。「過去の人」という印象すら持っていた。
 もし私が、「リベラル政治懇話会」に加わっていなかったら、そして近藤昭一さんを支援していなかったなら、また、立憲民主党に肩入れすることにならなかったなら、彼の話を聴くこの機会はなかったかもしれない。
 鳩山さんの話は多岐に亘っていて、テープでも起こさないと再現できないくらいなので、大雑把な報告しかできないが、それよりもやはり集会のタイトル「脱・大日本主義~『成熟の時代』の国のかたち」に惹かれた。
  悪しき安倍政権の長居によってこの国は荒れ果てようとしている。その安倍政権が「働き方改革関連法案」で「裁量労働制」についてその根拠となるデータが不正であると判明し、それによって除外に追い込まれ、また「働かせ改革」などと批判を受けて躓いた。外交でも朝鮮半島・南北会談、米朝会談という状況の中で“呆然と立ち尽くしている”様だ。そして今や1年余に亘って「モリ・カケ疑惑」に追いまくれられ、次第に投網が絞られるようにして「森友学園文書改ざん」事件に至って末期症状であれば、「この国のかたち」はどうなる、どうすべきか、という問題意識が問われる。そのヒントを鳩山さんは示してくれただろうか。
 さて鳩山さんの話は、そもそも「リベラルとは何か、リベラルと保守の違いは?」といったところから入った。彼は元自民党・田中派から政界入りし竹下派・経世会へて、武村正義氏らと新党さきがけ結成に参加、さらに旧民主党、民主党再編、総理大臣という道を歩んできただけに、「保守とリベラル」を体験した稀有な存在でもあろう。彼が言うには「保守は歴史を学ぶ。歴史から学び完全主義ではない」とし、「リベラルとは多様性の尊重、友愛が大事」そして「友愛」について孔子の「論語」を引き合いに持論を語った。
 そして現在的な「保守(安倍自民党)」は、「明治150年」というが、そこには「大国主義」ばかりがあって、明治の「負」の反省がない(日本人の習い性か)ばかりか、最近では何かと国連での「常任理事国」入りをいい、「強国日本」を目指していると指摘。それは、この国のかたちにはふさわしくない、ということだろう。
 関連して「原発」問題にも触れて、原発の維持、再稼働の背景には「核武装」への思惑があると明言、ここらあたりまでが「大日本主義(大国主義)」批判の論点であった。
 だがここまで書いて、「大日本主義」という論点の中身が希薄と思えてならない。
 トランプという得体知れない米大統領の登場によって、世界の情勢はどこでどう変転するのかわからないが「アメリカファースト=ナショナリズム」が「グローバリズム」にも変化を与えていることは確かだろう。
  そんな中で安倍・自民党政権が「戦後レジームからの脱却」と唱えながら、「日米安保条約・日米同盟」のもと、中・ロ・北を仮想敵国として、憲法改正を射程に置き、自衛隊の軍備強化・南西諸島への展開、原発再稼働と核兵器の潜在的保持、TPPによる経済的主導権、国連常任理事国入りなどが「大国主義」の中身であろうか。それは彼の最新著書「脱・大日本主義」を読み込むしかない。
  次は「これからの日本」というところに移っていくが、どうか書き記すべきか・・・。 
続く

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2018年3月 7日 (水)

「平和的生存権保障基本法(骨子案)」

安倍改憲(案)に対置する一つの試案を議論
 今日は、今週は3つ目の講演会に参加した。リベラル政治懇話会主催で、その共同代表でもある元参議院議員で現職の弁護士である大脇 雅子さんが、自ら書き上げた「平和的生存権保障基本法(骨子案)」を中心に議論を交わした。
 まず「平和的生存権保障基本法」の生い立ちから話は始まった。レジュメによれば、本骨子案は 2003 年春、参議院議員のときに、「平和的生存権保障法案構想(素案)」として 発表したものを、2017 年 9 月 30 日現在「平和的生存権保障基本法骨子案」として作成し、 『ジェンダー法研究』第4号に掲載したものである。なお、細部については研究補充中で、 骨子案は「未完」である、としている。
 骨子案は、前文から始まって、「第1総則 目的 1、定義 2、平和的生存権の保障に関する基本理念 3、国の責務 4、地方公共断代の責務 5、国民の責務 6、年次報告」 「第2平和的生存権保障基本計画」「第3基本的施策 1、平和創出国家の実現に関する施策①国内的施策②対外的施策 2、多元共生社会の形成に関する施策①国内的施策②対外的施策 3、平和的生存権の保障のための基盤整備に関する施策①国内的施策②国内外における施策③対外的施策 「第4平和的生存権保障推進会議 ①設置②所掌事務③組織④議長⑤議員」「第5その他①施行期日②所要の規定の整備」という構成になっている。
 この骨子案については、「未完」であることから今日のお話と議論では、法案の解説というより、そこに至る動機、構想・プロセス、論点、さらに考察すべき課題といったもので、当然こんにち的な状況、例えば現実に成立している一連の「安保法」がある以上前に進めないから廃止すべきだし、日米安保条約の対応とそれに付随する問題、沖縄の米軍基地撤去問題をどう取り扱うのかといった喫緊の課題も含まれた。また朝鮮半島の非核化と平和問題、アメリカと中国の軍拡・覇権の問題もあって、世論の動向も「非武装・非暴力」を基盤とするこの「平和的生存権保障基本法(骨子案)」の賛同がどこまで得られるかという課題は大きいものがある。
 もっと言えば、平和的に生存するには、戦争、紛争がないばかりでなく、世界から貧困、差別をなくし地球的環境が保たれねばならない。民族的・宗教的紛争、国境を巡る紛争、資源争奪を巡る紛争といった現実世界を前にして「平和的生存権」を法律だけで保証できるのか、巷間で議論するとなれば、こうした端的なやりとりも出てくると思われる。
 今日の講演、意見交換は当然継続される。それぞれの宿題でもある。また「宣言」ではなく「法案」として成立させるには法案の内容と法の解釈の齟齬を避けるための用語解説の「副読本」も必要であり、国政の場での多数派形成が必要である。また国民全体にさらにわかりやすい「簡易版」の作成も必要だ。
 とそこまで先走りしなくても、例えば、自衛隊の軍拡から縮小へ、さらに「海上保安庁」レベル(軍隊を持たないコスタリカのような)への現実性はどうなのかもあるが、日本国憲法の上にあるような、被占領下そのままのような「日米安保条約」をどうするかという当面の課題があるので、次回の5月例会は、これをテーマにしたものになる予定だ。
 なお、「第1、5、国民の責務」については、義務的になるとの指摘で削除または書き換えが検討されることとなった。

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2018年3月 6日 (火)

時宜にかなった高野 孟講演会

 朝鮮半島の緊張緩和と東北アジアの平和に向けて
 日朝教育・文化交流を進める愛知の会主催、ジャーナリスト・高野孟さんの「朝鮮半島情勢と日朝関係」をテーマとする講演会が開かれた。
 折しも、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が派遣した特使団と、共和国首脳との会談が進行していて、帰宅してみれば、「文大統領と北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が4月末に、南北軍事境界線にある板門店(パンムンジョム)で首脳会談を開催することで合意した」「首脳間のホットライン設置でも一致した」「米国との非核化をめぐる協議と米朝関係正常化のための対話に応じる用意があると表明するとともに、対話が続いている間は核実験や弾道ミサイル発射を凍結する意思を示した」さらに「米韓が4月からの合同軍事演習を例年と同じ規模で実施することを『理解する』と表明した」とあった。
 高野さんはパワーポイントを使って「朝鮮半島で『戦争』を防ぐ方法」といういシンプルで明快なテーマを、朝鮮半島と日本が関わる歴史、マスコミの体たらく、韓国の文大統領の政治・努力、共和国の内情・立場、そしてトランプ大統領と「日本は?安倍は?」と説いていき、何が平和解決のポイントなのかにアプローチしていったのであった。
 私は、去る3月1日に開催された、康宗憲(カン・ジョンホン)さんの講演会の報告と感想などを4回に亘ってブログにアップして、私なりのまとめをしたが、康さんと高野さんの話がほぼ一致していることに、ある種の感動を覚えた。加えて高野さんが、朝日新聞ソウル支局長・牧野謀なる人物の近刊「北朝鮮核危機!全内容」なるものが、いかに歴史に疎く、情勢分析を誤認しているかを「呆れた朝日ソウル支局長」「歴史を知らないことの罪」として断罪した。さらに昨今のマスコミ記者の取材能力の劣化はひどいもので、安倍政権の「マスコミ弾圧」以前の問題だという。記者会見で政府側と質疑、問答をする能力に欠け、政府側の一方的な発表をそのまま記事化している傾向に危機感さえ覚えると。私を含め多くの参加者は、“えっ、あの朝日が?”と思ったであろうし、マスコミを情報源としていることが多いであろうから、内心で“う~ん”と唸ったのではないだろうか。
 では世界の戦略家、外交評論家らは「北朝鮮」「金正恩(キム・ジョンウン)」をどのように見ているのかについて、断片的ではあるが紹介された。一例を挙げれば、アメリカ・カリフォルニア州にあるランド研究所・上級研究員・マイケル・マザールさんは、「金正恩は狂人か?」の設問に「・・・北朝鮮に対する抑止は機能するし、すでに機能してきた。この政権は残虐で凶暴ではあるけれども、非合理ではないし、それほど予測不能というものでもない。北が何よりも優先しているのは政権の存続であり、だとすれば古典的な抑止こそが北の核能力に対処するための完璧な出発点になる」つまり、これは、(共和国は)話が通じる相手だというのが世界の戦略家の多数意見だと高野さんは言うのである。なんだか、安倍首相や菅官房長官らの口癖とはずいぶん違うように思うのだが。
 さて前から“何やってんだろう、いい加減にせんか、○○!”と思っていたのが、政府の「Jアラート」とその「避難訓練」である。そもそもICBM(大陸間弾道ミサイル)が、朝鮮半島北部からアメリカ・ワシントンに向けられて発射されたとしても、日本列島の上空は通過しないと説明されて“目からうろこが落ちた”ものだった。地球儀を持ち出して朝鮮半島北部とワシントンを直線的(当然円弧になるが)に結べば一目瞭然であろう。またミサイルの破片落下あれこれも、ほとんどが大気圏に落下して燃え尽きてしまうものだと。
 では共和国が「日本に向かってミサイルを撃ってくる」とまことしやかに語る御仁も多いようだが、高野さんは断言する「共和国は(ハッキリ言って)日本を全く相手にしていない。安倍が『重大な事態』『新段階の脅威』と騒ぐのは滑稽ですらある」と。「脅威」とは、康さんも言っておられたが、「脅威=能力×意思」である。つまり、共和国には日本にミサイルを撃ち込んで壊滅させようとする合理的な理由がない。米朝間で戦争が起き、米軍基地が狙われることはあっても。
 歴史検証によれば、アメリカが「朝鮮戦争」で、先制的に核兵器使用のオプションを多く用意したことが明らかにされているが、その“狂気”は、アメリカの「良心」が阻止した。そのその“狂気”は現在もあり続けてはいるが、むしろ心配なのが「“狂気”のアメリカに追従一辺倒」の日本政府である。
 最後に、南北会談が順調に進んでいってほしい。だからその妨げをしてはならない。安倍や菅の“したり顔”はうんざりで消えてほしい。日本の外交を立て直してほしい。私たちはもっと自覚していくべきだ。

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3・1朝鮮独立運動99周年の集会(4)

 

アジア・朝鮮半島の平和は、日本の平和
 日本(人)はどうあるべきか、と考える時、それは康さんの講演の内実を獲得するということであり、客観的な視点を持つことと同時に当事者意識をきちんと持つことであると思う。
 先にも書いたように朝鮮半島の事情は、日本にとって歴史的にも密接な関係がある。豊臣秀吉の「朝鮮出兵」や、江戸時代の「朝鮮通信使」の時代まで遡らなくても、帝国日本の「植民地支配」や「強制連行・強制労働」「軍隊慰安婦」「朝鮮女子勤労挺身隊」問題は現在的な課題である。
 そうであれば、まずそのような歴史的課題の外交的解決・歴史認識にこそ全力を挙げ、次に「朝鮮戦争の休戦状態」を解消し「平和条約」が締結されるような日本としての外交努力をすることではないかと思う。
 もっとも、康さんが指摘しているように日米安保条約・地位協定があり、沖縄を中心とした日本列島に広大無数の米軍基地・関連施設があって、米軍の前進基地化している状況の下では、共和国だけでなく中国でさえ警戒心を解くことは難しいだろう。軍事同盟ともいえる「日米安保条約」を「日米平和友好条約」に変えていく道筋を立て、日朝国交正常化、人的交流を盛んにして「北朝鮮の脅威」という“売り言葉”は控えるべきだ。
 現実の安倍・自民党政権は、沖縄・高江ヘリパッド、辺野古新基地建設等々在日米軍の強化を容認(求め)、自衛隊の軍備強化策は「専守防衛」という枠すら取っ払ってしまっている。つまり“衣の下の鎧”を益々固めている状況では、進展は望めないのではないか。付け加えれば、現在進行中の「南北会談」に水を差してはならない。
 結論としてはまずは、米韓、日米韓軍事演習の規模縮小から中止へ。2005年の「六か国共同声明」(中華人民共和国、朝鮮民主主義人民共和国、日本国、大韓民国、ロシア連邦及びアメリカ合衆国)をもとに話し合いの場を設ける(再開)ことが現実的ではないかと思う。
 また私たち民衆レベルでも、こうした機会をとらえ、すっかり“刷り込まれている”認識を改め、現状を知ることによって、それこそ「未来志向」を草の根レベルで進めていく必要がある。そして、政治改革に結び付けていきたいものである。 完

 追記:康さんのレジュメの最後に「鳩山政権はなぜ普天間基地の撤去に挫折したのか?⇒朝鮮戦争の停戦体制を維持した状況では困難」とあった。その鳩山友紀夫(由紀夫)さんが3月17日名古屋に来られる。
・日 時:3月17日(土)午後2時~
・会 場:アビタン(全労済愛知会館)2F大ホール
金山駅南・沢上方面へ徒歩3分右側 TEL:052‐681‐7741
・テーマ:「脱・大日本主義」~「成熟時代」の国のかたち~
・参加費:500円
・主 催:リベラル政治懇話会<共同代表:石田芳弘、大脇雅子、近藤昭一>

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2018年3月 5日 (月)

3・1朝鮮独立運動99周年の集会(3)

共和国と韓国・文在寅大統領の外交と日本
 平昌五輪開催中に賑わした一つに、南北と米朝の対話が進むきっかけとなったかどうかであった。単なる客席でのキャッチボールに過ぎなかったのか。
 対話が俎上に上がるための条件がいくつか報道された。例えば対話には、共和国の「核・ミサイル放棄」が前提というのは、「国家と主権」に関わる問題であるし、相互関係でもあろう。アメリカに「核・ミサイル放棄」の覚悟があるのか、「日本に核技術、プルトニウム、ロケット(ミサイル)放棄」の覚悟はあるのか、ということである。そうでなくとも、アメリカの核ミサイル搭載の原子力空母の日韓両国への寄港中止、在韓、在日米軍基地の撤去、合同軍事演習の中止などの宣言、実行ができるだろうかどうかだ。
 日米首脳が声高に言う「最大限の圧力の継続」は、共和国の「核・ミサイル放棄」の唯一の手段であろうか。ここで持ち出すまでもなく現実はイソップ寓話のひとつ「北風と太陽」の、北風を吹かせている局面であろう。安倍首相にこの話を持ち掛けても無駄であろうが、文在寅(ムン・ジェイン)大統領はどうか。彼の現実的評価は定め難い面がないわけでない。それは、現職大統領として現行の「韓米同盟」の重さは、「対米追従は分断体制下での構造的問題(康さん)」であって背荷物を簡単には降ろせないからであり、トランプ大統領の発言の不確実性にも揺さぶられているからでもあろう
  文大統領が平昌五輪での「統一チームの結成」「合同入場行進」などの“きっかけ”をもって、「北の特使派遣」と共に数少ない機会を生かし「南北首脳会談」への道筋をつけようとしている努力対し、安倍首相の「それは北朝鮮の核・ミサイル開発の時間稼ぎ」という対応の在り方が、はたして良質な外交といえるだろうか。
 1978~1979年のころの、日中国交回復の外交努力は相当なものであったが、電撃的ともいえた米中国交回復が際立ったことが甦る。またしても置き去りされかねない日本という醜態がないように、安倍ではなく外務省・与党の良識派に一縷の望みをかけるしかないのだろうか(民間外交については後述)。 続く

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2018年3月 3日 (土)

3・1朝鮮独立運動99周年の集会(2)

 共和国の核・ミサイルは「生存戦略」か
 本集会の核心は、「朝鮮半島の戦争危機と核・ミサイル問題の本質」と、後段の「南北関係の展望」及び「朝鮮半島の平和と日本の平和」ということになるが、先に書いたように“うっとり”して聞いていてメモが取れずにいたので、詳しいどころから概略すらも書けないので、レジュメをみながら、私感を書いてみたい。
 まず私が思うことは、朝鮮半島における「戦争の危機」そのものの“実感”を私たち日本人がどれほど持っているか疑わしいということである。そこには、かつての戦争・敗戦で徹底的に打ちのめされ、悲惨を味わいかつまた戦争が再び起きればそれは「核戦争」となりうる。そんなことはあってはならないし、あろうはずがない、という強い思い込みがあるのではないか、特に「戦争世代」は。また仮に朝鮮半島で戦端が開かれたとしても、未だに“日本は関係ない”と他人事のように考えしまうのではないか、火の粉が降りかかるまでは。そして最も危なっかしいのは、そうした政治や国際情勢に注意を払っていないようだし、関心もなさそうに思うからだ。“くらし”で精いっぱいという人もおられようが、テレビニュース、新聞は見ることが出来るだろうから、やはり関心があるかないかだ。
 そうした実態を感じるにつけ、康さんの話は、私自身への“忠告”ないしは「覚醒」させるものであった。
 本質問題については「戦争危機の要因」「『北朝鮮の脅威」と『北朝鮮への脅威』」「朝鮮はなぜ、核・ミサイルの開発に執着するのか?」の3つを指摘された。
 戦争危機の要因には「構造的要因」と「直接的要因」があるという。朝鮮戦争が休戦状態にあることは知っていたが、この間に「韓米相互防衛条約」「中朝相互援助条約」が結ばれるなどして「休戦ライン」は、常に緊張状態にある実感は私たち日本人には薄いのではないか。そして、これはさすがやりすぎではないかと思うものに「米韓合同軍事演習の恒例化」と実戦想定訓練の強化であろう。その規模からして共和国を刺激するに余りある。
 さて安倍首相が口を開けば言うところの「北朝鮮の脅威」とは、「核とミサイルを持っている、開発を進めているから」くらいしか言っていない。康さんが言うには、「脅威」とは、「軍事的能力」と「攻撃的意志」があってこそであり、共和国は能力を高めつつあっても、意志は持っていないから「脅威」に当たらないとした。別の言い方をすれば、共和国には先制攻撃の意志はない、それは先制して攻撃に出れば、米韓の圧倒的な軍事力によって全土が壊滅状態になりかねないことを十分に承知しているからだ。
  ではなぜ共和国は「核・ミサイ」の保持と開発に執着するのか。端的に言えば、米軍の先制核攻撃の抑止であって、いわば「生存戦略」というものである、と。蛇足ではあるが、日本は、核兵器は持っていないが核開発の能力はある。ICBM、IRBMといったミサイルは持っていないが、それに匹敵する「ロケット」は持っている。アメリカ、中国、ロシアは圧倒的な核とミサイルを持っているが、日本にとってそれは「脅威」ではないのか?米・中・ロは、日本を攻撃する意思を持っていないという認識の上に立っているからではないのか?安倍は共和国に「攻撃的意志」があると、どのような観点から強調し「脅威」といいまくるのであろうか。 

(続く)

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2018年3月 2日 (金)

3・1朝鮮独立運動99周年の集会(1)

 東アジア・朝鮮半島の平和があってこそ
 3月1日は、恒例となっている「3・1朝鮮独立運動」に呼応する集会が開かれる。昨夜、その集会が名古屋で開かれた。副題に「支持しよう南北対話を! 妨害するな安倍政権」とあり、歴史を学ぶだけでなく、現行の国際政治情勢を意識しての企画であり、それは東アジア・朝鮮半島の平和・核兵器の廃絶という、日本にとっても密接な課題なのである。
 実は、2月25日のブログで「平昌冬季五輪終わる-“祭りのあと”をみていきたい」と書いて、「共和国(北朝鮮)との関係・問題もあって、何とも複雑な平昌五輪であったが、“祭りのあと”の韓国の政治・社会情勢も目が離せないのではないかと思う。」と締めくくった。しかし共和国(北朝鮮)との関係・問題については触れなかった。それは書ききれなかったというのが本音であったが、昨夜の集会の講演を聞いてから考えてみようと思っていたことも理由の一つだった。
 講師の康 宗憲(カン・ジョンホン)さんは、去る1月27日に開催されたドキュメント映画「自白」上映会の第2部の「証言―康宗憲さんへのインタビュー」を受けた在日韓国人。自身も政治犯として、一度は死刑が確定した過去を持つ。1989年日本に戻って韓国問題研究所設立。以後,同研究所の代表として資料誌「韓国の声」を刊行中であり、現在、大阪大学と同志社大学で非常勤講師を強め、平和と人権に関する科目を担当しているという。
  講演は、「2018年の朝鮮半島情勢を展望して」がテーマで、「はじめに-朝鮮半島と日本」は、いわば相互関係の歴史のおさらいであった。ここで瞠目したのは、日清戦争、日露戦争における、朝鮮王朝と日本軍との知られざる経過であった。
  幕末から明治維新、明治の45年の「日本史」は、司馬遼太郎に代表される史観、文明開化、脱亜入欧、富国強兵、殖産興業と世界に類をみない勃興期を描き、その中心に日清戦争、日露戦争の戦勝が据えられる。“あのころの日本は素晴らしかった”というような歴史教育を受けてきたのは事実で、私自身、福沢諭吉の“業績”に疑問を挟んだことはなかった。
  それでも「西郷隆盛の“征韓論”って何だったのだろう」という疑問や、それほど以前ではない「司馬遼太郎批判」に触れることで、歴史教科書にない歴史を知ることは、わずかだがあった。しかし、康 宗憲さんの「3・1朝鮮独立運動の意義」の話は、私にはとても新鮮に思えてメモも取らずにひたすら聞き入ってしまった。
 民族代表33人が署名した「われらはここに、わが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自由民であることを宣言する。これを以て世界万邦に告げ、人類平等の大義を克明にし、これをもって子孫万代に教え、民族自存の正当なる権利を永遠に所有せしむるものである。半万年の歴史の権利によってこれを宣言し、・・・」で始まる独立宣言書(1919年3月1日/朝鮮建国4252年)を初めて読んだが、公約にもある正義、人道、生存、尊栄のためにする民族的要求であったこれらの行動を抑圧(弾圧)した帝国日本に道理はない。
 多分間違いないと思うのだが、一般的な私たち民衆の朝鮮人、中国人への差別観は、意識されないほどに根深いものがあると思う。安倍首相・自民党、右翼の一連の安直な言動は、そうした土壌の上に立っているのではないかと、ふと思ったりもしたのだった。 
(続く)

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2018年1月27日 (土)

ドキュメ映画「自白」を観た

 隣国韓国への関心をなくしてはならない
 名古屋「自白」上映実行委員会が企画した、2016年に韓国で上映されたドキュメンタリー映画「自白」を観た。
 「自白」の監督はチェ・スンホ(崔承浩、56歳)さんで、南北分断状況で韓国の国家情報院(国情院、前身は中央情報部)が、いかに非人道的な手法で「北のスパイ事件」を捏造してきたかを、緻密な調査と貴重な証言によって告発している。
 ではあるのだが実は、会場は名古屋国際センターの研修室で床はフラットであり、惜しいことに映写の位置がやや低いこともあって、私の位置からは、前席の人の頭部が字幕の位置と重なり、ほとんど読み切れなかった。映像は、スパイ容疑で逮捕連行され、のちに無罪となって証言するシーンが多く、字幕が読めないのは致命的であった。
 幸いなことに、第二部の証言、康宗憲さんへのインタビューがあって、映画の内容のポイントだけはわかった。そして証言によって今なお続く70年に亘る分断国家の歴史、1947年に憲法が制定された後も「国家保安法」が憲法の上を行くことによる、映画『自白』も取り上げられた「在日韓国人母国留学生事件」などが頻発するのである。
 1970~80年代では、私の周辺でも「日韓連帯」「韓国政治犯釈放運動」が盛んであって、韓国の民主化運動への過酷な弾圧の状況は幾らか知っていた。1980年の「光州事件」や「金大中氏に死刑判決」といった経過から、それに抗議し、韓国民衆に連帯する「抗議の座り込み行動」を名古屋栄の噴水前で行ったこともあった。
 こうした韓国における「平和的統一」「民主化」をめざす闘いは、日本と無縁とは思えない。直近の例として、明らかに憲法違反である「集団的自衛権容認」を閣議決定し、それによって安保法が制定されたことでもでもわかるではないか。「立憲主義」が危機にあるのだ。
 また「非正規雇用」が社会問題化したのも、韓国では1990年代初頭である。私が渡韓した1993年には街頭デモのプラカードにすでに登場していたと記憶する。世界の矛盾、しわ寄せが国力の違いであろう、韓国に先に来る、私はそう感じているのである。
 隣国韓国への関心、在日朝鮮人・韓国人の問題への関心は、私たちにとって不可欠な「感覚・認識」である。

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