2017年3月18日 (土)

山尾志桜里議員の国会報告

 民進党の現在とこれから
 この日は、民進党県連大会ということで、同じホテルの一室に「リベラル政治懇話会」の定例会がセットされた。
 ゲストは、山尾志桜衆院議員であったが、近藤昭一衆院議員、大脇雅子元参院議員も参席、他に久しぶりに石田芳弘元犬山市長(衆院議員)の顔も見えた。県議、市議、かつての「水曜フォーラム」のメンバーも。
 山尾さんは、この会が憲法問題について飯島慈明さんからレクチャーを受けていたと知り、国会の「憲法審査会」のメンバーでもあり、外からは知れない実情というより内情のような話もされた。自民党の改憲というものの多くは、現憲法で対応できるもの、或いは現憲法に書いてあることすら実施されていないのに、とにかく安倍の意向に沿った「改憲ありき」のようなものだ。また「1票の較差」にも触れたが、「誰でも1票行使できるのだから、それ自体に“格差”があるといえるかどうか」という論点もあろうが、私にはむしろ「選挙制度」に問題があるのではないかと思った。「原発問題では、国民に半数以上が反対して多数であるのに、国会ではそうはなっていない」つまり選挙制度に問題があることは確かだ。
 続いて山尾さんは、今日は「共謀罪」と「天皇の退位」について触れておきたいとした。共謀罪そのものについては、過去に3度も廃案になったにもかかわらず名前を「テロ等準備罪」変えようようとも中身は一緒。「テロ云々」といいながら「テロ」の文言が入っていなくてあとから付け足すなどなどずさんで危険だと。ただ問題はこのような表現・言葉の「言い換え」のよって、騙されてしまいかねない危険性を指摘された。これは市民運動の側にも認識すべきことの一つでもあろう。
 天皇の「退位」については深入りしなかったが、安倍首相は、衆院議長の取りまとめ案の骨子である「一代限り、女性宮家」については不満のようだと。まあそうだろう。そもそも昨年8月の「天皇のお言葉」自体が安倍にとって“青天の霹靂”に違いなかったのだから。
 こうした山尾さんの話の核心部分の一つに私は、「その政策に対して市民に“もっともだ”といわせたなら、その政党は支持され伸びる。そうありたいしできる」と語ったのがポイントだと思った。そこで質疑では挙手して、そのことに触れて同時に、「立憲・平和、リベラル政治」という柱がいいと思っているが、民進党内では少数派のようだし、かといって「民進党の政策はこれだ」という旗というか姿、形が見えてこない。国会議員から地方議員に至るまでその点で頑張ってほしい、みたいなことを述べた。
 最初に用意した質問は「脱原発運動でネックになっているのは実は“連合”ではないか。その連合に頼り切っているのが現在の民進。それが伸び悩んでいる原因の一つではないか」であったが、別の人から同趣旨の発言があって切り替えた。
 現在の政治、社会、経済、国際等の問題が気になる一方、ここに至ってあまり深入りしたくないという気持ちが立ちはだかるので逡巡するのであるが、こうした話を聞くたびにやはり“何か手を打たねば”と思うのである。
 なお、名古屋市長選挙についても講演の外で話題になったので、これについては別の機会にしたい。

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2017年3月 5日 (日)

公共放送を内側から見つめる

  「NHKを考える東海の会」の学習会
  昨日は、NHKを考える東海の会・連続学習会の第1回が開かれ、元NHK職員:元立命館大学教授、『みなさまのNHK』の著者津田正夫さんが「教鞭」をとった。
 津田さんについては、「みなさまのNHK~公共放送の原点から」の書評で、詳しく紹介したので省くが、ガイドでは「1月中旬の『NHK上田新体制』出発後のNHKなどの情勢を踏まえながら、著書の内容を含め、NHK問題や『市民メディア』の現在(岐阜など全国各地の『市民メディア』の現状と可能性)など、自由に報告してもらいます」とあった。
 用意されたレジュメは、A4の6枚と、切り抜きなどの資料が同じく10枚であり、「大学の講義では12時間分」のところを90分で進めます、とのことだった。
 教壇慣れと準備万端ということもあろうが、専門的用語<RDD、フェイクニュース、ファクトチェック・・・>も多く、多少の予備知識もないとちょっと難しく感じられたが、「現状」を織り交ぜることで話から“離反”することはなかった。
 さてテーマの副題に「転換期の民主主義とメディア~公共メディアの再建に向けて~」とあり、それはNHKをどうするこうするということより、世界的なマスメディアであれ、ローカルなメディアであれ、「コミュニケーション」をどうとるのか、そしてそれは、技術的な「ネットワークの構築」もあるだろうし、情報の「受けて」となるばかりでなく「発信」することの能動性も問われていると、私は感じた。
 また先の米大統領選挙での「選挙予測と大誤報」が取り上げられたが、これは例えばRDD(ランダム・デジット・ダイアリング~コンピューターで無作為に数字を組み合わせて番号を作り、電話をかけて調査する方法~)は、固定電話への質問が基礎であり、電話を持たない若者、貧困層の意見は反映されない。ということは、比率は低いかもしれないが日本でもありうることだ。また、米の民主党の支持基盤であった労働組合の、特に下層部分と未組織労働者の動向が、大統領選挙を動かしたようだが、「労働組合=民主党支持」という図式が崩れたことを意味する。
 日本の「民進党」が、ちっとも浮上しない原因の一つに、アメリカと同じ現象がかなり浸潤しているのではないか。そもそも何かといえば「連合」を頼りにするが、頼れて屹立しているのはほんの一部であって、多くは離反して“浮遊”状態にあるのではないか。まして、全就業者に対しての労働組合の組織率は17・3%(2016年)といわれているのが現状である。
 もう一つの問題として、日本の現行の「放送法」の問題がある。ここで津田さんは幾つか提起していた。大まかに言えば現行の「放送法」を「コミュニケーション基本法」へと大改編することだという。その詳細は省くが、高市総務相の「NHK厳重注意処分(2015年4月28日)」「・・・電波停止」発言(2016年2月8日)が出てくるような政権の下では難しいしあり得ないだろう。
 最後に、私たちの「情報源」は何かにかかる。他人はともかく私の場合は、新聞(現在は毎日と中日)、テレビのニュース、報道番組、パソコンからのメール情報、yahooや niftyからの拾い読み。採用していないのが、週刊誌、ワイドショー、フェイスブック・Twitterなど。スマホは持っていない。
 発信は、ブログ・MLと冊子などの「紙媒体」である。
 今日の講義は、入り口から少し入ったところだったから、できることなら、週一の4回連続くらいの設定がいいかもしれないが、そうなればそれは「夜間大学」である。そんな大学があったら、この歳でも通うことがあるかもしれない。

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2017年2月19日 (日)

老朽原発を再稼働?認めない!

  名古屋が危ない 2.19集会
 「老朽原発にレッドカードを!名古屋が危ない 2.19集会」と銘打ったこの集会は、「北村栄弁護団長×藤川誠二弁護団事務局のトーク」「川口真由美さんの歌と演奏」「中嶌哲演さんの講演」3部立てなっていて、どれも内容の濃いものとなった。
 とりわけ私が感銘を受けたのは、中嶌哲演さんの講演そのものであったが、それよりもまず「一宗教人」もっと俗っぽく言えば「お坊さんの身で」よくやってこられたなあ、ということ。プロフィルには、真言宗御室派 明通寺住職。「原発反対福井県民会議」代表委員、「原子力行政を問い直す宗教者の会」世話人、「福井から原発をとめる裁判の会」代表、本訴訟原告、とあった。内心“本職の方は大丈夫?”と思ったくらいだ。
 職業的専門家、専従者ならともかく、私たちの多くは「本業」を持っていて、それゆえ、ボランティア的な活動は、かなり限定されがちだ。私のように「仕事、家事、活動」の三頭立て馬車では、それが顕著になり「一点集中」になりがち。
 さて中嶌さんの講演は、①「フクシマ」直前に訴えていたこと。②「フクシマ」からの声。③「原発銀座・若狭」の過去と現在。④原発などを拒否し続けた小浜市民。⑤「原発ゼロ社会」をめざして。という項目があって、それぞれに資料がつけられた。わかりやすいし、“もっと知りたい”という気を起こさせた。
 その詳細は省くとして、三つの地元-原発「立地」の地元、原発事故の「被災地」となる地元、原子力発電の電気を「消費」する地元それぞれに、それぞれの認識と運動があった。そして相互に連絡を取り合い、連携し、共同することはあったと思うが、私の中では、あまり明確になっていなかったように思うし、せいぜい「別個に立って、共に討つ」というくらいだった。その点でこの講演を聞いていて、名古屋という「消費する地元」としての「脱原発」の運動のかかわり方と、立地、被害それぞれの地元へ思いを寄せることの“絆”を覚えたことは収穫だった。
 川口真由美さん(平和と反原発の歌姫;京都在住のシンガー・ソングライター)の歌もよかった。CDに収められた「想い 続ける~沖縄・平和を歌う」には、「目に焼き付いている日常~辺野古の日々」「沖縄 今こそ立ち上がろう」などと、今日は「この日は私のもの」も弾き語られた。声量も豊かで、歌詞の「想い」がよく伝わってきた。
 ちなみに、先週の日曜日には沖縄大学で、横井久美子さん(名古屋市緑区出身、国立市在住)らによる、「高江・辺野古・伊江島に連帯する平和コンサート」が開かれた。

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2017年2月 5日 (日)

緑の党東海本部の総会・2

 青木秀和さんの「講義・経済論」に興味
 昨日の総会について、つい愚痴ってしまったが、午前中に設定された記念講演で、地元の経済学研究者・青木秀和さんの講義「脱経済成長思想の可能性を探る~その思想はどうすれば国民に受け入れられるのか?~」が、非常に難しい割には、“なんとなくおもしろかった”ところがあった。
 「脱経済成長」は、緑の党の「党是」みたいな位置づけとしてある。そこで、現状がどうであって、そこから導き出される経済にあり方-それは“くらしの在り方”でもあるにだが-について深掘りしてみようというものであった。
 青木さん曰く、レジュメを示して「この内容は、大学で講義するとしても1年はかかる」代物だという。それを90分ほどで読み解くことは、説く方も大変だが、聴く方は予備知識なしなので、“なんとなく、わかったような、わからないような”あいまいなまま耳を澄ませて聴くしかなかった。
 まず「年金財政」を例にとって「経済成長がないと困る」かどうか。現実は年金支給額が保険料と国庫負担を合わせた額を上回っているから、4,8%くらいの経済成長があって、その運用益で賄うことになる。経済成長がなければ(運用益が必要額得られない場合)「年金積立金」を取り崩すことになり(現実)、それはいつの日か「枯渇」して、年金制度は破たん、崩壊する、というのが現状認識だという。
 ここで「だから、経済成長が必要だ」論が正解かというと、そうはならない。なぜなら、日本の年金制度は、高度経済成長期に設計され、「経済が成長し続ける」ことが前提になっているからだ。ここでフランスの経済学者トマ・ピケティの経済論が登場するのであるが、その理論はここでは省かれ、端的に言えば、これからの経済成長はあるとも、ないとも言えないが、かつての“バブル経済”は、むしろ“1回きり”の「例外的・特異的な期間であった」というのである。だから、経済成長を前提とした「制度」が壁にぶつかるは必定というわけである。
 もう一つ。「特異な時期(=経済成長)をもたらした要因」は何だったか。吉川 洋氏(マクロ経済学)が指摘するのは、「一人当たりの所得を上昇させるのは“イノベーション”だ。これが先進国の経済成長を生み出す源泉である(人口と経済学・中公新書)」という。ところがその技術革新自体が1945年ころをピークに減り続けているという統計結果が示された。数字で言えば、世界の年間のイノベーション件数(人口10億人当たりの数字に換算)は、1945年で19件、その後年々下降を続け、2105年時点では、1件以下と予測されている。つまり、新技術で産業を興し、経済の成長を促す手段手法には、限界が見えてきたというのである。
 それで一気に結論に近い所に飛ぶが、「現代経済成長理論の限界」論が出てくるのだがその説明は難しい。私のメモには、「エネルギー資源の枯渇、新技術の開発に限界、経済成長期のインフラの劣化による補修・維持は経済の成長にはならない、むしろ後世に“負の遺産”を残すことになる」などから、経済成長を前提とした政策は行き詰まる。「ではどんな政策を打ち出せばいいのか?」「“脱経済成長”の実体的な表現方法は、別にないのか」とあった。
 かつての蒸気機関(交通・物流)の発明、電話(通信手段)の発明など、劇的・圧倒的な技術革新はこの先にはもうないだろうという指摘には、ため息なようなものが出たのだった。
 ・・・原発事故の処理、核廃棄物の処理・保管が、後世にどれほど「負担・足枷」になるか・・・。

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2017年1月31日 (火)

自民党の憲法改正草案を斬る!(3)

 終わりに-「個人の尊厳」はない自民党案
 自民党の「憲法改正草案」の13条では「すべて国民は、人として尊重される」とあり、現憲法13条の「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」で「人」ではなく「個人」となっている。「人」と「個人」とどう違うのか。「人」という一般的な対象ではなく「個人の尊重」となれば、一人一人の権利、個性、主張に配慮し尊重されなければならない。憶測で言えば、「徴兵制」が出てきたとき、個人が尊重され、尊厳が保たれるとしたら、「徴兵忌避」は当然の権利となるであろう。そんな事態を想定しての「人」ではなかろうか。
 第3章 国民の権利及び義務の12条で自民党案では「・・・自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とある。現憲法では「権利は・・・乱用してはならない」とあるが自民党案では「責任及び義務が伴うこと」となり「常に」が織り込まれた。個人と権力の位置づけが逆転されていることが分かる。
 こうしたいくつかの条項を比較検討していくと、自民党の改正草案は、「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の放棄こそ、改憲草案の本質であることが分かった。
 自民党の改正草案は、9条の「戦争の放棄」から「安全保障」という観点に重点が置かれ、それが「集団的自衛権の行使容認、海外での武力行使が可能」となることで、安部政治の狙い、本質、危険性が明らかではないか。
 断片的であれ、安部首相や閣僚の発言、官僚や自衛隊幹部の発言、自民党、維新の会と議員、財界の発言から彼らの本音、狙いがこぼれ落ちることがあるかもしれない。海外の視線、論評にも目を配り、マスコミが報じないことにも注意を向けながら、自民党の「日本国憲法改正草案」が、「葬られた過去の遺物」となるよう、広く持続的な運動を続けて行かねばならない。 了

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2017年1月30日 (月)

自民党の憲法改正草案を斬る!(2)

 権力者に都合の良い規定
 この項で飯島さんは、自民党の改正草案は「権力者の迅速な権力行使・抵抗阻止に都合の良い規定」となっていると指摘している。その対象は「政党」「裁判官」「政令」の3点について指摘した。
 まず「政党」のところでは、ドイツ連邦共和国基本法21条を例示して、自民党案を検討した。ここはちょっと難しく感じたので私見だけを書くと、「自民案第64条の2の第1項」にある「国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」「・・・政党に関する事項は、法律で定める(同第3項)」は、昨今の状況を見るときそもそも「政党政治」が本当に不可欠なのかという疑問はさておき、適切な「法規制」が可能か、必要か?「政党乱立の弊」をもって少数政党が排除ないしは不利な状況におかれはしないか、は杞憂であろうか。
 ところで飯島さんは、ここで「トリーペルによる憲法の位置づけの歴史的変遷」なるものを付加して語った。この「トリーペルの原則」は、その国家が政党をどのように扱っているかの分類で、この分類によりその国の民主制の程度が分かると考えられているそうだ。例えば、民主制の程度が低いものから、以下の四つに分類される「①敵視 ②無視 ③法律的承認 ④憲法への編入」とあり、現在の日本では③法律的承認の段階にあるという。ドイツは④の段階にあるとされ、④の段階になっては「キケン」だと、飯島さんは述べた。
 次に「裁判官」についてであるが、この件については、「自民党改正草案」を語る以前の問題として、現在の裁判制度、裁判官の質、三権分立の実態からして「信」が置けない、という状況があるのではないか。裁判官を内閣が任命すること自体不思議でならない。他に選ぶ適切な方法がないからか。最高裁裁判官の「国民審査」も形骸化していないか。それにしても中学で習った「三権分立」の原則が揺らいでいると思われてならない。
 次に「政令」についてであるが、法律ではない「政令」には、法律の委任がある場合を除いて罰則規定がないのが現憲法だ。自民党案では「罰則」に代わるものとして「義務を課し、又は権利を制限する規定」とする案とのことだった。そして自民党案の99条1項では、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」とあり、「緊急事態の際の政令に罰則を設けることが可能な規定」と飯島さんは断じた。隠された「独裁条項」の一つとみていいのだろうか。
 (続く)

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2017年1月28日 (土)

自民党の憲法改正草案を斬る!(1)

 自民案には、「目くらまし」が含まれている
 第8回リベラル政治懇話会は、飯島滋明 さん (名古屋学院大学教授)の「自民党の憲法草案を斬る」PARTⅢであり、これまでの「基本原理/家族条項など」、「第九条/軍法会議/教育など)」以外の項目が取り上げられた。
 大きな項目としては、(自民党の改正草案では)A「目くらまし」としての改憲項目と、B「権力者の迅速な権力行使・抵抗阻止に都合の良い規定」そしてC「終わりに」で締めくくられた。
 まずAでは、国民に受け入れやすいと思われる「項目」を改憲の「目くらまし」として国民に提示している。公明党の「環境権」もその一つ。元々法律で対応可能なものだ。しかも自民案では「市民に環境権がある」とは明記されていない。
  他に、犯罪被害者等への配慮、個人情報の不当取得の禁止等、国政上の行為に関する説明義務、などが改憲項目として取り上げられているが、いずれも憲法を改正しなくても法律で対応可能なものばかり。それをあえて憲法に盛り込むには、“隠された意図”がある。飯島さんからは、その点が解説された。
 なお、上記の中で「公教育への公金支出」についても触れられたが、それに関連して、89条「公の財産の支出又は利用の制限」の改正をもって私学助成は合憲とする一方「靖国神社」「護国神社」への公金支出を可能にする狙いがある、との指摘もなされた。
 やや本論から外れるが、「靖国神社」の話から、「稲田防衛相の靖国参拝」が一つの契機となって、「釜山の総領事館前の慰安婦像設置」問題で、英国のガーデアン紙の記事が紹介された。その中でガーデアン紙は「靖国神社」を「戦争犯罪神社(War Crimes Shrine)」と表現しているとのことだった。外国の目はそれほどに厳しい目なのである。
 さらに、選挙区の区割り、特に「合区-選挙の平等、地域性」と司法の「違憲、違憲状態」判決、それらの問題は難しい面もあるが、自民案では「区割りを、人口を基本とし行政区画、地勢等を総合的に勘案して・・・」とあり、現憲法のいう「両議院は、全国民を代表する選挙された議員で組織する」と異なり、「地域」の利益代表に貶めてしまうことになりかねない。
 最後に「財政規律条項」についてであるが、自民案の「財政の健全化は、法律の定めるところにより・・・」とあり、健全化を理由に、福祉・医療・介護・教育などの国家予算の削減、増税の根拠とされる可能性があると指摘された。
 以下、B、Cについては続く。

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2016年12月 4日 (日)

緑の党+民進リベラル派

 一大政治潮流になることを望みつつ
 緑の党東海本部主催の「足立力也講演会+対談:近藤昭一~国民を守るのは、軍事力か?積極平和外交か?そして丸腰でいいのか?」が開かれ、60人余が参加した。
 第1部が、軍隊を持たない国・コスタリカ(中米)研究家・足立力也氏の講演であった
足立氏はまず「丸腰国家 軍隊を放棄したコスタリカ」というフレーズが独り歩きをする前に、1948年の大統領選挙から掘り起こし、選挙結果-内戦-厭戦-武装解除-同年12月の「軍隊廃止宣言」、1949年11月に新憲法発布・第12条で常備軍廃止を明記したこと。では、軍隊を持たず、隣国のニカラグアからの侵略をどう食い止めたか。ここに「外交」の力が発揮される。端的に言えば、最初から軍事力というオプションを外し、2国間交渉(外交)ではなく米州機構(OAS)に提訴し、加盟国全体の問題として、米国を動かし、ニカラグアに手を引かせた。
 その後も平たんな道ではなかった。クーデター未遂事件、ニカラグアでの(サンディニスタ)革命の成功、米国の介入、1983年「積極的永世非武装中立宣言」、中米3か国の内戦への「中米和平交渉」仲介に成功と続いた。1986年に大統領となったアリアス氏がノーベル平和賞を受賞、「軍隊を持たない国・コスタリカ」が全世界に認知されるようになった。
 さて「丸腰国家」といえば、安倍の「集団的自衛権・周辺事態条項」が対立2項として語られるであろうし、「積極的・・・」という言葉を並べるとこれまた安倍の「積極的平和主義」が対置されそうだが、そのどこがどう違うのかが、講演の要素の一つであった。彼の言葉を借りれば、「軍隊のない国を考えるということは、国や社会の在り方を総合的に考えるということ」「統合的な価値観、社会観をうちだすこと」が大事で、軍隊(自衛隊)や憲法第9条のこと「だけ」を考えていても、解決策を生み出すのは難しいと。
 これだけではまだ私たちの、では“何をなすべきか”までは行き着かない。そこで第2部では、民進党の現職衆院議員で、「立憲フォーラム」代表、「平和創造基本法案」の提案に中心的な役割を果たした近藤昭一氏の登場となる。彼の政治的、思想的立ち位置と「世界観」は、「立憲フォーラム」「平和創造基本法案」に加えて、近著「アジアにこだわる、立憲主義にこだわる」を読むことでかなり接近できる。
 基本的な考え方について彼は「・・・人類の内なる脅威(戦争、貧困等)と人類への外からの脅威(気候変動、災害、疾病等)に対して、世界各国と協調して取り組む・・・」とし、「・・・紛争の原因を根源から絶つためには、軍事的手段によらないあらゆる解決策を尽くすこと・・・」「今こそ、我が国が有する平和国家としての取組に関する経験を最大限活用することを通じて、国際平和の創造に貢献すべき・・・」は、安倍首相の唱える「積極的平和主義-軍事力をもって関与とは、似て非なるもの」と指弾している。
 ここまでは講演会の一部でしかないが、「丸腰でいいのか」あるいは「非武装中立」「無防備地域宣言」といった主張が「弱腰」といった攻撃を受けやすいことは確かだ。だが先の大戦だけでなく、現在の紛争を見るだけでも、その惨禍、残酷さ、犯罪性は容易に想像できるはずだ。決して「他人事(ひとごと)」ではないという意識と、「関係ない」などと目をそらさず直視すること、そして、少しでも考え、できることを自分の中に育み続けることであろう。
 私なりに受け止めた一つの答えは、足立さんの「当面なすことと、30年くらいのスパンで考えること」をヒントにすれば、当面なすべきことの一つは、「安倍内閣・自民党などの改憲勢力の力を削ぐこと、即ち衆院選、2019年の参院選を勝ち抜くこと」であり、「立憲・平和、リベラル+緑の思想」を政治的、社会的政治勢力として結集し拡大していくとことであろうと思う。とすれば、30年は無理としても、10年程度のスパンで、憲法・安保・自衛隊、経済・エネルギー問題と地球環境(保護と温暖化対策)、人権・差別のない社会的公正、宗教問題、労働問題(働きやすく格差のない労働環境)など課題は多くあるが、幾らかでもかかわり続ければいいかなと思っている。少なくともそうした思いを補強してくれた今日の講演会であった。

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2016年10月 2日 (日)

近藤昭一衆院議員の講演会

 アジアにこだわる、立憲主義にこだわる
 5月22日に出版された近藤昭一著「アジアにこだわる、立憲主義にこだわる」(八月書館)の出版「講演会」が開かれた。近藤さん自身は、立憲フォーラムの代表、原発ゼロの会の共同代表、リベラルの会代表世話人、東アジアの平和をつくる会代表、日中友好議員連盟幹事長という要職に在り、市民集会、デモでは“常連”であるから、その「リベラル」と「東アジアの平和・・・」の中身について、大いに興味をそそられたのであった。
 まず彼の出発点が、新党「さきがけ」の武村正義氏との出会いから始まるのであるが、その“若さ”故といえども、積極果敢な行動に瞠目する。
 私の時代感覚で言えば、新党「さきがけ」の1990年代は、未だ「保守・革新」「右派・左派」「左翼・新左翼」という区分けで「中道」という捉え方は、あまり持ち合わせていなかったような気がする。遡って1960年代初頭の社会党内の抗争で登場する江田三郎の「構造改革」は、①アメリカの平均した生活水準の高さ②ソ連の徹底した生活保障③イギリスの議会制民主主義④日本国憲法の平和主義は、今でこそ“なるほど”という感がしないでもないが、私はまだ渦中の「か」の字もない時代であり、1970年代は、70年安保、沖縄返還、三里塚闘争が席巻し、右翼的労戦統一、全民労協台頭で「階級闘争史観」の中にあった。
 さて近藤さんは、武村著「小さくともキラリと光る国・日本」に惹かれたという。私は見たことも触れたこともないが、ひょっとして私が、緑の党グリーンズジャパン・足立力也著「緑の思想」に接した時の感じと似ているかもしれない。違いは、出会った年齢と触発されて政治家の道に入っていった近藤さんと、私は未だ思想化されきっていない、という違いであろうか。
 講演約80分の後、40分ほどの質疑があり、憲法問題では「第24条」に触れられていないが、重要な条項ではないか、日米安保・自衛隊を認めているが、「軍隊を持たないコスタリカ」という国もある、どう思うか、他があった。
 私からは、①永田町では、「解散総選挙」が流されていると聞くが、どんな状況か。②先の参院選挙でこの愛知では、4つ目の議席を民進・伊藤たかえと、共産・須山初美が争った。その時、連合愛知の「安保法、原発」に対する姿勢を巡って、市民運動の中で、須山支持か、伊藤支持かで割れた。結果的には、中電労組の支援を受ける伊藤より、態度明確な須山に多くの市民グループが応援に回った。③そこで労働組合の問題が出てくる。この本で「アジアにこだわる」とあるが、国対国ばかりでなく、民衆、労働者の交流が書かれているのかどうか。日本では「春闘」があって、以前は「働く者の権利と賃上げ(生活改善)」があったが、最近は「賃上げ」だけが目につく。その「賃上げ」も、日本労働者だけのものである、アジアの労働者は、低賃金におかれている。アジアの民衆との連帯ということであれば、かつて電機労連・IMFJCの役員をしていた久野 治氏の「アジア春闘」が思い出される。そうした観点が必要ではないか。
 講演後、本著を購入してざっと見たが、やはり、近藤さん自身の歩んできた道とはやや離れていることもあろうが、経済の貿易、GDP、あるいは「人と人とを結びつける」は出てくるが、労働運動・労働者の国際連帯に関連した記述はなかったように思う。であれば、このあたりの「補強意見」は、もっと出していってもいいかな、そのようにも思った講演会であった。
 最後に、近藤昭一議員が、幣原喜重郎-石橋湛山-武村正義という系譜の中にいることを自覚するなら、それを現在的、近未来的に体系化、理論化する仕事が課されているのではないか。「近藤昭一支持」を明確にする私自身もその領域にあるという自覚を持ちたい。

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2016年9月27日 (火)

飯島慈明さんの「講議」を聴く

 憲法24条と周辺事態条項
 第6回「リベラル政治懇話会」が開かれた。今回から自民党の「日本国憲法改正草案」批判シリーズとして3回連続しての開催であり、今日はその第1回であった。
 講師は、飯島滋明さん(名古屋学院大准教授、戦争させない1000人委員会事務局次長)で、大概の集会・デモに参加している行動派の大学教員である。つい先ごろも、沖縄・高江の現地闘争にも参加したとのことであった。
 テーマは、「自民党の憲法草案を斬る」であったが、今日は、周辺事態条項(自民党の改憲草案では、第9章 緊急事態 として設定され、緊急事態の宣言・第98条1項から4項及び緊急事態の宣言の効果・第99条1項から4項が新設されている)と「家族、婚姻等に関する基本原則」とする第24条を軸に90分の「講義」と40分の質疑があった。
 この場には、元参院議員の大脇雅子弁護士も参加されていて、飯島さんが憲法条項の分析・解説を進める一方で、大脇さんが国会での審議過程などを説明するという、2元的なお話は、文字通り「講演」というより「講義」というにふさわしいものだった。ちなみに今回は初めて某大学法学部の学生3人が参加していた。
 周辺事態条項については、集会などでいろんな角度から発言されるケースが多く、それなりに“浸透”していると思われるが、やはり、現憲法にない自民党の改正(悪)草案を、文字として目で追い、耳から話を聞くとでは、“浸透”の濃度が違うというもの。そして、自民党が憲法改正・国民投票へ進めるプロセスには、①環境問題。新しい人権(プライバシー)②緊急事態条項③家族条項が、セットになっていること、即ち「改憲の狙い」が、「第9条」と共に明かされたこともポイントであった。
 さて、私にとってより新鮮に感じたのは第24条の「家族条項」についてであった。この条項に早くから気付いて関心を持って参加された人もいたが、私は“うわべ”だけだったので、貴重な「講義」であった。特に、「・・・しかし、1940年にナチス・ドイツに降伏したフランスの、対ドイツ協力のヴィシー政権が“自由・平等・博愛”の代わりに“労働・家族・祖国”を標語にしたように、“家族”という制度が『全体主義』に悪用される可能性のある制度」という解説。自民党が狙う家族制度とは、戦前の「家父長制度」といっていい父親を中心にした「父親のいうことは絶対的でそれに服従する」ことである、それはまた「天皇に従う、天皇のために命も捧げる」となる。即ち「天皇制(元首)の復活」を意味する、といったようなことであった。それは当然にも男女平等も、個人の尊厳も何もあったものではない、ということになる。こんな程度では「報告」にもならないから、やはり、関心のある方は、こういった機会に足を運んでもらいたいと思う。
 終わってからの道すがら、私は飯島さんに、「憲法9条については広く行き渡っていて、周辺事態条項と重ねてその改悪が“戦争のできる国へ”というスローガンとなって浸透しましたが、“家族制度”の問題をクローズアップさせていくスローガン、キャッチフレーズがほしいですね。私たちの課題ではあるけれども」みたいな話をした。
 去る9月19日の集会で主催者の共同代表である中谷雄二弁護士は、これからはもっと学習し、地域にまで広げ交流して行くことが重要だ、と述べたが、私も同感し、今日の「講義」もその一つとしていい機会を与えていただいた、そう思ったのだった。次回は11月22日の予定。

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