2019年11月 2日 (土)

「表現の不自由展・その後」の総括集会

 活動の継続が確認されたが・・・。
   正式には、みんなで語ろう「表現の不自由展・その後」の中止と再開を!総括集会、であり50人ほどが集まった。ほとんどが「表現の不自由展・その後」の中止に抗議し、再開を求める運動にかかわった人たちで、それ自体に直接かかわらなかった私は、ちょっと居づらい気持ちになった。しかしこの場でどのように「総括」されるかに注目して参加したわけだから、とにかく「語る」ことよりも、「聞く」ことに注力した。
   主催者挨拶でメモしたのは2点。一つは、このような企画展で一旦中止が決まったものが再開された例はなかったという指摘。もう一つは、これからの問題として河村たかし名古屋市長への批判を強める、文化庁の交付金中止問題だとしたが、主催者というより個人的な問題意識かなと思った。
   次に共同代表の一人磯貝治良さん(在日コリアン文学作家)の基調的な報告も個人的な問題意識が織り込まれていたが、こんな話だったと思う。
   「表現の不自由展・その後」の中止の背景(事件)それは、自らの問題だ。「表現の自由」「民族主義」などは、現在直面している社会状況にヒットした事件といえる。「平和の少女像」等の造形表現は、文章表現する作家として文学も同じ立ち位置にあると受け止めた。
   次に今回の事件で大江健三郎の、1960年10月に日比谷公会堂で演説していた浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年によって刺殺されたが、小説「政治少年死す」は、その17歳の山口二矢(おとや)少年をモデルにした小説だった。それに対して右翼団体などから激しい抗議を受け、『文學界』編集部は3月号で異例の大きさでお詫び。そして「政治少年死す」の単行本化は封印された、それを想起させた。
   浅沼事件では、「一人一殺」といった右翼思想のテロリストの犯行であったが、昨今の草の根での右翼的なものは、マネゴトみたいなもので、その軽挙な言動は厄介な存在といえる。今回は「在特会」が中心だったようだが。
   昭和天皇をモチーフにした作品も攻撃の対象に発展していったが、「朝鮮ヘイト」へも発展していくだろう。
           ◇
   後半は、7つのグループに分かれて「ワークショップ」形式で、主として3つのテーマで意見を出し合った。
   1)「表現の不自由展・その後」が中止になって、何を思いましたか、何が問題でしたか。
   2)その問題は今、解決されましたか。
   3)今後、中止→再開を受けて何をすべきでしょうか。
   4)その他。
 最初に書いたように私は、中止→再開に向けた活動に参加してこなかった。さらに“後付け”のような意見も憚られたので、意見も短めであった。グループ7人の意見、発表された50人近い人の意見などをまとめることはできないので、私の意見の主旨を記すと、1)中止に至る手続きが(密室で)不明であった。しかも権力的な対応を感じた。直感的には「アベ政治の流れ」の中の事件だと感じた。2)むしろこれからが問題であろう。(なぜこんな事態になったかのさらなる検証、この事件が同じように連鎖していく危惧において)3)日本の政治全体がアブナイ!「表現の不自由展・その後」は、その一つであり、アブナイきっかけとなった。問題の核心部分を広くとらえ、個別の問題については鋭く追及していくことが求められる。4)全体として「野党」の追求が鈍かったように思う。なんでだろう。そして河村市長の言動は許しがたい、止めてもらいたいと思うが、そのことを今採り上げるつもりはない。問題を希薄にして拡散してしまうからだ。2021年は選挙では考えたい。
 なおグループごとのまとめの発表はあったが、全体としての総括内容はまとめられなかった(できないだろう)。後日発表されるかどうかも不明。それぞれでまとめるということであろう。また「県民の会」を存続させ、共同代表2人、事務局10人程度でこの運動を継続していくことが確認された。

 

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2019年10月28日 (月)

ゲノム編集食品・講演を特集

 C&Lリンクス愛知電子版・第68号
 27日の「食べない!ゲノム編集食品 河田昌東さん講演会」の、難しい内容をともかくブログに上げたが、それを基に第68号の編集に着手して今日のうちに発信した。その内容は1)食べない!ゲノム編集食品 10・27河田昌東さん講演会。2)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<10月20日~10月28日> 3)「ツネじい通信」 NO56  ダムはギャンブル、堤防強化こそが求められる。4)あとがき。シンプルに4ページ。
 あとがきでは、●本号の編集がほぼ終えたところに「ツネじい通信」第56号が届いた。その内容が生活、インフラを水害から守るダムを絡めた「治水」の話題でした。一方私は日常の食品から入って来る「ゲノム編集食品」「遺伝子組み換え食品」から身を守る話題を取り上げた●「人生百歳時代・・・」というけれど、私自身は想定できないので“誰のことを言っているのか?”と思ってしまう。なんか胡散臭い●とはいえ現実に生きているということは、致命的な病気に罹らなかった、危うい事件、事故に遭わなかった、絶望的迷妄の世界に陥りなかった、ということであろう●ではあっても、知らない、自覚できない「魔の手」が忍び寄っているのではないか、日本人の死亡原因の病気は、2位が「心疾患(心臓)」、3位が「脳血管疾患」、4位が「老衰」、5位が「肺炎」そして1位は「悪性新生物(ガン)」であるという。ガン発生のメカニズムは知らないが、多くが摂取する食品によるのではないか、とすれば「残留農薬」「様々な添加物」に加えて、「遺伝子組み換え食品」研究途上にある「ゲノム編集食品」に目がいく●遺伝的な病気もあるが、「遺伝子・ゲノム」の問題は、私たちの世代が次の世代、次の次の世代まで「連鎖被毒」を残してしまうことになる、それはいけないことなのだ。
 こうした非日常的な話題ではあるが、深刻な問題を詳しく聞かせてくれる人がこの地に居て、身近なことはとても嬉しい、ありがたいことである。

 

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2019年10月27日 (日)

食べない!いらないゲノム編集食品

   10・27河田昌東さん講演会 
 専門が分子生物学、環境科学という、今日の集会の講師の河田昌東さん。彼は、この地にあっては反原発運動、チェルノブイリ救援・中部の運動、現在は、2011年4月福島原発事故被災者の救援運動を続ける一方、遺伝子組換え食品を考える中部の会代表として、この分野で全国屈指といっていい、実践的研究者であり、市民運動家でもある。
 その河田さんの講演が今日の午後名古屋で開かれ、140人くらいが参加した。集会後「栄」の繁華街までパレードを行った。
 スライドを使った約90分の内容をまとめることは至難の業だから、簡単な流れだけをメモしておくと、まず、後述する「ゲノムの編集」のその安全性と生命倫理の問題は、「原子力発電所」の導入時と同じという。その危険性も核廃棄物の問題も、当初から指摘されていたが、「原子力の平和利用」「エネルギ-源」等とともに「安全神話」がつくられていった。この「ゲノムの編集」も、医療の世界、農・水産物などで遺伝子に操作を加え特定の遺伝子を組み込んで、動植物の性質を目的に合わせて変えたり、遺伝病の原因遺伝子を修復したりできる、経済・生産性、開発・利便性が先行している。未来にどんな不条理で取り返しのつかない、倫理に欠け、安全が脅かされる事態、それは身近なところまで来ている。日常的には「ゲノム編集を食べないこと」そのような話である。
 ゲノムについて河田さんの説明(レジュメ)によると「特定の生物の遺伝子総体を『ゲノム』という。生物の遺伝子はDNAから成り、DNAは4種類の塩基(A:アデニン、G:グアニン、C:シトシン、T:チミン)が糸状に連なった2本の鎖からなる。3個の塩基配列が一個のアミノ酸に対応し、DNAは酵素や筋肉などの蛋白質の設計図と呼ばれる・・・。」
 何と言うか、遺伝子に操作を加え特定の遺伝子を組み込んで、動植物の性質を目的に合わせて変えたり、遺伝病の原因遺伝子を修復したりできる、これをゲノム編集という・・・。
 では世界でどんな研究が進んでいるか、例えば中国でHIV(エイズ)に関する受精卵のゲノム編集(ロシアでも)、日本では水泳の池江選手の白血病を契機に話題に、イギリスでは2015年にリンパ性白血病で治療・・・。
 また研究分野では、豚の体内で人間の膵臓をつくる研究、サルの脳ニヒトの遺伝子を入れるとどうなるかの研究、食べ物では、GABA(アミニ酸)を使ったトマ(血圧を下げる)、小麦の品種改良、豚でゲノム編集による筋肉豚、大きくなった養殖の鯛・・・。
 まだまだこの研究は世界でしのぎを削るように続けられており、ゲノムの技術的問題、生命倫理にかかわる問題があげられるが、それ以外にも危険な「未知との遭遇」がないとは言えない。
   河田さんの今日の講演の結語は、「ゲノム編集の実用化は目前に迫っており、早急な対応策を考えねばなければならない。その為には、専門家だけでなく一般の人々もこの事実を知り、我々がゲノム編集にかかわる基準をつくらなければならない。その為に何が必要か必要でないか、を広く議論する必要がある。」とした。

 

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2019年10月24日 (木)

「表現の不自由展・その後」の中止が意味するもの

 中谷雄二弁護士の講演を聴く
 第3回あいちトリエンナーレは、10月14日に閉幕したが、「表現の不自由展・その後」の展示中止問題をめぐっては、未だ解明すべきもの何か、この「事件」の問題の重要性を再認識すること、抗議から再開まで発揮された「市民力」を維持しさらに進めること、それが今回のテーマである「表現の不自由展・その後」の中止が意味するもの、であったと思う。主催は「ユニオン学校」(CGSU:ユニオンと連帯する市民の会)でしあった。
 中谷さんの話は(私は筆記用具を忘れてメモが取れなかった)、この問題が発生した段階からかかわった中谷さんの、私たちの知らない内側・舞台裏について「初めてここで明らかにする」として、単に事実経過だけでなく、問題点とこれからの課題を示唆したものであった。明日25日名テレのインタビューを受けるということもあって、ここでは書かない内容もあるが、1)8月1日の展示を開催した段階では、会場は穏やかで、河村市長も後日になって声高に言うような感想内容は一切なかった。2)この「表現の不自由展・その後」が、これまでのいきさつからして、当然問題が生じるであろうことが予想されていた。そのための善後策も話し合われていた。3)例の「京アニメ」事件をにおわせたファクスが届いた段階での対応のドタバタ、早々の中止決定が、ネトウヨなどの行動を誘引し、菅官房長官の発言が輪をかけ、河村市長の浅慮からくる発言がさらに煽った。4)津田芸術監督の対応は、終始主体性欠け毅然とした態度をとらなかった。結局彼は、この問題で何もしなかった。彼の“功績”は、「表現の不自由展・その後」を企画したことだった。最後まで展示の遂行努力をすべきであった。5)大村知事は憲法21条の「表現の自由」を強調してはいたが、中止決定、再開までの行動は終始「右より」に気兼ねしながらの姿勢であった。わずかな期間ではあったが、再開の決断をしたことが評価していい。6)菅発言、維新の党の言動(河村市長を含む)、文化庁の交付金中止決定は戦前の「言論統制」を想起させるに十分なもので、私たちは最大限の警戒と、背景についての認識を強く持たねばならない。私たちはさらにこの問題と向き合っていく必要がある。そして最後にこの問題に関して「岩波ブックレット」として刊行の予定があるとのことであった。
 不十分ながら、こんな内容の集会であった。

 

 

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2019年10月18日 (金)

市民と野党の本気の共闘について

   中山 均新潟市議(緑の党共同代表)講演会
   「みんなが主人公の政治をつくる市民アクション@愛知3区」と「市民と野党をつなぐ会@愛知 」の共催で、「市民と野党の本気の共闘」についての講演会があり、50人余りが参加した。
 講演は中山 均新潟市議(西区・4期)で、彼は、学生時代から市民活動、さまざまな社会活動に参加。市会議員となってからは幅広い分野で市政に取り組み、全国の市民派議員と連携し、原発問題や避難者支援、平和問題などに取り組み、超党派の自治体議員連盟で共同代表や幹事を務める。「緑の党 グリーンズジャパン」共同代表。
 この日の講演は去る7月の参院選挙・新潟選挙区における、自民党有力候補を打ち破った「打越さく良選挙(無所属・立憲民主党)の、主として「市民と野党の共闘」の内実を「本気の共闘-信頼関係の構築」という視点から語った。ちなみに中山さんは、選対の事務局次長であったが、野党各党と時には連合新潟と市民グループの“結びめ”の重要な役割を担った。
 話は、参院選挙に至るまでの「前史」即ち、一般的に「保守基盤」といわれ農漁村、“裏日本”とさえ言われる県の一つ新潟で、どのような経過があったのか、そして2015年の安保法制の闘いを契機とする「野党共闘」による一連の衆院選挙、さらに知事選挙などで積み上げてきたその到達点が、7月の参院選挙、打越さく良さん当選であった。
 この講演で私が注目したことの一つは、市民と野党を共闘の“結びめ”となる人・団体の存在である。今回の選挙では「市民連合」と中山均さんということなるが、この愛知ではどうであろうか。私の記憶では、1999年と2007年の知事選挙で、共産党との“結びめ”となった人物をその成否は別にして挙げることができる。
 次に、労働団体「連合」との関係である。いうまでもなく「連合」は、共産党と明確に一線を画している。野党が共闘して自公と対決するには、共産党を外すわけにいかないが、それでは「連合」がいい顔をしない(同席しない)、場合によっては与党に組みしかねない。それをどう「調整」するか、中山さんらはそれをさばいたのである。
 とはいえ、それを愛知に置き換えた場合、成立するだろうか。「市民と野党の共闘」を追求していく限り、ついて回る課題である。「連合愛知」をトヨタ労連と中電労組が牛耳っている限り、立憲民主党と国民民主党の合流はかなり難しいといえる。もっと言えば、愛知における衆参両選挙での「野党共闘」は、「選挙に行こう」「与党候補を落選させよう」というレベルにとどまるのではないか。それでも「野党共闘」を進めていこうとするなら、知事選挙、名古屋市長選挙で、有力な「市民派候補」を擁立して各党に支援・共闘を呼び掛ける、ここから積み上げていくことが一つの道ではなかろうか。
   次の衆院選挙で与党候補に対抗する「野党統一候補」も「政党の論理」を超えなければならない。現在の選挙制度のもとでは、たとえ小選挙区で党自前の候補者を降ろしたいと思っても、比例区に集票できる保証というか戦略が立てられない限り「政党の論理」は越えられないだろう。あるいは現在与党が占めている選挙区一つ、二つを「市民派無所属」が受け持つ、候補者を擁立する戦略が必要であろう。そしてあいちトリエンナーレでの河村市長の言動で“化けの皮”がはがれた。2021年の名古屋市長選挙はいい機会でなかろうか。

 

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2019年8月25日 (日)

参院選後の政治を展望する・2

   高野 孟講演会(2)野党について
 あれがだめならこれ、これがだめならあれと目先を変えるばかりで何の実績もない安倍政治は「下の下の下」、21世紀戦略に欠けている、という高野さん。ならばなぜ安倍政治が佐藤栄作内閣を超すような長期政権として続くのか?
 その疑問はだれしも持っていると思う。それは後半の質疑応答でもその一端が伺えた。例えば、「れいわ」をどう評価されるか、なぜこんなにも「投票率」が低いのか、イタリアの「オリーブの木」について(野党連合)、「リベラル」の人ってどんな人(政治家、著名人)がいるか、など。
 高野さんは、8月20日に立憲民主党と国民民主党が衆参両院での「統一会派」合意について語った。「統一会派」の必要は認めつつも、大事なことは「理念・政策」でそれを抜きに数合わせに走ることの愚を説いた。まさに「枝野は頑迷、早く一緒にならないと」というマスコミの煽りを受けつつ枝野代表が慎重であり続けたのは、その点にあった。私の周辺にも「野党統一」を唱える人は多い。問題は「野党がバラバラだから与党に勝てない」のは事実としても「理念・政策」を抜きにしていないか、旧民主党・民進党に逆戻りするようなことでは世論の支持は得らないと考えてことか、である。
 では「理念・政策」というがそれはどう読み解くのか。「理念」で言えば高野さんは「本当のリベラル政党を」をあげ「リベラルと旧革新・旧左翼とを一緒にしてくれるな」として、その違いを「対比表」として示した。詳細は省くが「人間としての基本姿勢(謙虚な自己相対主義)」「コミュニケーション方法(柔らかな共同戦線主義)」「政治的な目標設定(結果優先主義)」「政策的な発想(未来からの風を現在に届かせる理想主義)」「組織論の基礎(水平協働主義)」という視点から、旧保守、革新とは違う第3の「リベラル政党」を示した。ここのところは大いなる議論と学習が必要で“お説を拝聴”するだけでなく、自らの熟考、論理整理が欠かせないだろう。
 次に「政策」についてである。例えば原発政策で言えば、立憲は5年以内に全原発の廃炉を決める「原発ゼロ基本法案」を掲げるが、電力総連系の議員を抱える国民は同調していない。それでも「統一会派」から「野党統合」へ進めば「連合」は分解しかねない、そして「電力総連系」は、自民党支持に行きかねないと高野さんいう。
 さらに、政策、課題で合意できたとしても「共産党アレルギー」が一掃される見通しはなく、イタリア・オリーブの木が、この日本で成り立つかどうか、「日本的オリーブの木」はあり得るのか、どのように整えられるか、 (続く)

 

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2019年8月24日 (土)

参院選後の政治を展望する・1

 高野 孟講演会(1)
 この日、ほぼ同じ時間帯で、「表現の不自由展・その後」の再開をもとめる8.24 集会&デモ i n 名古屋が、愛知芸術文化センター東隣の栄公園にて集会とデモが開かれた。主催は「表現の不自由展・その後」の再開をもとめる愛知県民の会で、高野 孟講演会に遅れて参加した人の話で200人ほどの参加だったという。
 この愛知芸文センターが、「表現の不自由展・その後」の展示会場であったから、栄公園での集会となった。
 私は午後4時20分頃、第21回リベラル政治懇話会「参院選後の政治を展望する-高野 孟講演会」の会場にに到着し、頼まれて受付の手伝いをした。
 高野さんの話の概要は①参院選挙-改憲派が3分の2を割る。②安部政治=安倍の改憲戦略の曖昧、八方ふさがり、本気度が試される9月の人事。③野党の自民一強対抗策。③リベラル政党とは、といったところだったと思う。
 一方私の関心は、①参院選の結果・総括、②立憲民主党のこれから。③野党統一について、だった。

 

 高野さんの話の3分の2は、憲法問題と安倍政治につてで、まず参院選で、単純ではないが改憲勢力が3分の2を喪失した、にも拘らずマスコミは、東京新聞を除いて「与党勝利」と書いた。この「単純ではないが」は、一つは、「反安倍改憲」の野党の側にも「改憲」に加わる議員もいれば、「立憲民主党」も一切改憲しないとは言っていない。
 次に公明党の立場についてであるが、元々「加憲」であり9条の改憲には慎重であることは知られてはいるが、安倍の9条の書き込みについては創価学会から“造反”が出ている。例えば沖縄の辺野古新基地建設は、地元は一貫して反対の立場で、県民投票、知事選にもそれが表れている。また先の参院選挙、東京選挙区で「れいわ」から立候補した野原善正氏は「沖縄創価学会壮年部所属」である。東京は公明党の山口那津男代表の選挙区であり、山口は約81万票の得票であったが、落選したものの野原は約21万票を獲得して注目された。「れいわ」の票もあるであろうが、学会員の多くが山口でなく野原に入れた、「崩れかけた平和の党、公明党」への反発であろうと高野さんは指摘した。
 次に自民党の内部についてである。詳しくは書けないが、端的に言えば、元々の自民党の改憲草案がありながら、安倍の一存で変えられていくことへの不満がある、ということのようだ。例えば安倍は「9条の一項、二項をそのままにして第3項としてそこに自衛隊を明記する」などは、二項の「戦力は保持しない」「交戦権を認めない」が生きており、めざす改正案と違う、などである。
 さて安倍政治はいつまで続くのか。まず安倍の「八方塞がり」は続くとして高野さんはそれを図解で示したが、実に11項目あった。「安倍流のエセ改憲は既に頓挫」「トランプ大接待も貿易押しつけがバレて台無し」「アベノミクス失敗+消費増税」「北方2島返還交渉の大失敗」「日朝首脳会議実現のメドなし」「フクシマ原発事故から8年」「辺野古基地建設行詰り」「年金不足2000万円」・・・に加えて「日韓関係」が最悪の事態に至っているとした。そして秋の自民党役員人事、内閣改造に「やる気満々」か「お疲れ気味」かの兆候が見られるとした。この高野さんの「永田町の裏を読む」をもって注目してみよう。 (続く)

 

 

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2019年8月19日 (月)

デニー知事トークキャラバン in 名古屋

 沖縄、対話、地位協定、日本全体の問題
   沖縄県の主催で、玉城デニー知事の来県「デニー知事トークキャラバン in 名古屋 」が、午後6時50分から名古屋市公会堂で開かれた。780人の席は満席で、立ち見の人もいて関心の高さがうかがえた。
   集会の趣旨は「今、沖縄で何が起きているか、沖縄の人々がなぜ声を上げているか、デニー知事の話を直接、聞いてみませんか?今回のトークキャラバンでは、沖縄の伝統音楽、三線のパフォーマンス演奏の他、沖縄の写真や、基地問題をわかりやすく解説するQ&Aのパネル展示も行います。パネルディスカッションでは、近藤昭一氏(衆院議員、沖縄等米軍基地問題議員懇談会会長)、佐道明広氏(中京大学総合政策学部教授)、山口 昇氏(国際大学教授、元陸上自衛隊研究本部長・陸将)が語る」というもので、司会には愛知県出身の猿田佐世氏(新外交イニシアティブ(ND)代表/弁護士(日本・ニューヨーク州))が務めた。
 発言内容は省くが、二つのことをメモしておきたい。
 一つは、沖縄県知事と3人の顔触れの組み合わせが、沖縄の基地問題の実際の状況、問題、課題をより分かりやすくした。二つには、この沖縄の米軍基地問題は、各方面とも「対話」を通じて“この問題は沖縄だけの問題でない。日本全体の問題”としてとらえ返す、そして「日米地位協定」これがキーワードであったと思う。
 当初、元陸将の山口昇氏がパネリストとして招かれた理由をはかりかねた。これまでの集会形式だと、例えば「辺野古新基地建設」について言えば、反対派の論客、活動家が登壇するのが通例、だからひょっとして山口氏は、推進派に居ながら「内部矛盾」の一部でも語るのかな、そんなことも想像してみたが、それは違っていた。
 玉城デニー知事が強調する「対話」である以上、反対派だけでは「対話」にならない。つまり山口氏は「推進派」といわれるのにはちょっと抵抗があったようで、言ってみれば「反対派の反対の側の人」であろうか。
   このトークキャラバンを全国に投げかけ、手を挙げた中から最初の開催がこの名古屋だったという。もっとも誰かが言っていたが、これ以前に東京で「プレ集会」があったらしい。いずれにしても多忙極める玉城知事が、翁長雄志前知事の遺志を引き継ぎ、さらにこうして全国行脚する、その意欲を買いたいしそれ以上に私たちは応えていきたいものだ。

 

 

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2019年6月 3日 (月)

統一地方選挙を闘って 4人が語る

   第20回リベラル政治懇話会
 4月の統一地方選挙(県議、市町村議)が終わって、それぞれ党、個人で総括が行われたであろう。しかしその総括が公にされることは稀である。その場に参加した人のみが知って、持ち帰ったままが多いのではないだろうか。
 今回リベラル政治懇話会が主催した「統一地方選挙を闘って―4名の候補者は語る―」は、その意味では意義深いものがあった。
   呼びかけ文を紹介すると、「今年は統一地方選、参院選が重なる『亥年』政治決戦の年。 この4月の地方選は、各候補者が立憲民主党、国民民主党、社会民主党そして無所属と分かれて闘い抜きました。 安倍改憲の動きや安倍政権のスキャンダルがまたぞろ続出する中、立憲野党、リベラル派に果たして追い風は吹いたのか? いったい何が『減税』や『維新』を復活させたのか? 「令和」「新天皇」ムードは誰を利したのか?この地方選、4人の候補者が自らの闘いの総括と感想を語ります。 いよいよ7月参院選、もしくは衆参ダブル選挙に臨むうえで、この地方選での経験は聞き逃すことができせん。私たちは、この地方選挙での闘いをふまえ、参院選の闘いに臨んでいかなければなりません。」
 まず当選を果たした4人の報告者を紹介すると小林惠明さん・一宮市議 (1 期) 立憲民主党 / 久田邦博さん・名古屋市議(瑞穂区) (1 期) 立憲民主党 / 山 登志浩さん・江南市議 (4 期) 社会民主党 / 山根倫代さん・日進市議 (3 期) 無所属(新政あいち)そしてコーディネータは、5選を果たした高木浩司さん (愛知県議) 立憲民主党である。また4人を分類すると①女性2名(小林、山根)、男性2名、②多選2名、新人2名、③立憲民主2名、社民・無所属2名、④尾張2名、名古屋・日進2名。⑤年齢は35、39、46、64といった具合。多様なバランスとなっている。
 最初に会の共同代表である近藤昭一衆院議員からあいさつがあって、高木県議から集会の趣旨、選挙結果のデータの紹介などがあり、パネリスト4人それぞれが、自らの選挙戦の経過、政策、体験などが10分ほど語られた。
 全体の論点は「どんな政策で訴えたか」「どんな選挙戦(運動)を闘ったか」「有権者の反応はどうであったか」であったと思う。政策では「子ども、子育て支援」が共通しているようであった。また「高齢者問題」もある一方「若者の“政治離れ”“保守化”」も感じたという。選挙運動では、ポスターの効果には両論あったが、街宣車、街頭スピーチの採用では共通していた。今回の選挙から採用されたチラシについては、枚数制限、配布場所制限、無所属は制限を受けるなどの要件があったが、政策を訴えるツールにはなった。
   一方私が関心を持ったことは、立候補にあたって「政党所属(公認)か無所属か」と、立候補者の地方自治体議員として「国政との位置づけをどう考えているか」であった。
 発言で私は、既存の政党に対する支持率が低下して、(特定課題を掲げた)新しい政治勢力が台頭している気がする。特にヨーロッパでそれを感じる。日本で言えば、維新の会、減税日本であろうか。立憲民主党としてどう受け止めているか聞きたい。もう一つは、「政党公認か無所属か」について。地方自治体では、広く住民の声を拾っていくときに「政党所属」であらねばならない必然性はない、ということがあるにしろ、地方自治と国政との結びつきは多面的でしかも強いものがある。そこに「政党」の介在意義があると思う。「無所属」でも、実は自民党員である例は周知の事実であり、自民党と名乗らなくても「会派」で結束している。であるなら、新党の「立憲民主党」に所属するなら、堂々と名乗ってほしい、それが党を支え党が伸びていく根幹ではないかと思うのである。
 地方議会では「政党色」がない、薄い方が良いと考えが多いように思うが、「政党」であるから政策に反映させることができる面もないとは言えない。ここのところあたりが、党派、無党派の「分水嶺」であり「接点」でもある。私の中に「立憲パートナー」という党内に向けた視点、力点と今でも残存する「無党派市民」という感覚が同居していて、そのことに「違和感」はなく、むしろ目には見えないが私の「立地点」がそこにあるような気がしているのである。

 

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2019年5月11日 (土)

元福井地裁裁判長 樋口英明さん講演会

 原発の危険性、責任は?
 この日、二つの集会が重なっていた。「戦争をさせない1000人委員会あいち総会&講演会」と「樋口英明さん講演会&トーク」である。前者は「安倍政権にかわる新しい選択肢~改憲発議の阻止と参院選での躍進をめざして~」と題して山口二郎さん(法政大学法学部教授)が講演した。後者はいわば「脱原発集会」であり、私は後者の集会に参加した。
 まずタイトルに目がいく。「原発の危険性に向き合う裁判官の責任」って?裁判官は判決を言い渡した後、それがもたらした結果について責任を取ることがあるの?そもそも責任が取れるの?
 樋口英明さんは、福島原発事故後、初めて裁判所が原発の運転差し止めを命じた時の元福井地裁裁判長であり、2014年の関電大飯原発3、4号機に続いて高浜3,4号機の仮処分でも差止めを命じた。しかしその後、この仮処分は却下され、大飯本訴も控訴審で覆された。
 樋口さんは語った。“覆った判決が納得できるものであれば、それはまたそれでよし。だが原発の危険性そのものに切り込んでいない”“原発の稼働が危険であると判断して、差し止めの仮処分を出した。そうであれば、原発の危険性を広く伝えていく責任を感じた”と。加えて“若い人に何の責任もないが、これから先リスクを負わされる。原発の危険性を聞いて知ってしまった私たち(あなたたち)にも、危険性を広く伝える責任がある”と。
 これまでの「原発差し止め裁判」で認めた裁判は2例、認めなかった裁判は15例(2人対15人)であるという。
 最近の原発差止め裁判では不当な決定が続いている。いったい裁判官は何を考えているのだろう。まさか安倍内閣に忖度しているわけではないだろうが、そうした裁判官、裁判そのものへの不信感が募っている気がするが、その点についての質問が後半のトークで集中した。
 この点について樋口さんは、全ての裁判官とはいわないが、裁判官は自分の意思で判断している、圧力に屈する云々はないと明言された。裁判官全体の、もっと言えば司法の自立と裁判官の「矜持」を強調されたのだと思う。それは民主主義の骨格である「三権」の一つ、司法が揺らぐことがあってはならない、「不当な判決」が出たからといって、裁判そのものを忌避し、無用視することへの危うさをいったのだと思う。
 私は、裁判所・裁判官に不信感を持つ一人である。原告になったことはわずかだが、主体的に関わった裁判もあれば支援者の一人としてしばしば法廷に向かっていた時期は長くあった。けれども闘い(運動)が現場を離れて、密室的な裁判所で、膨大な時間を費やすことについていけなくなった。
 ある意味ではそれが“トラウマ”になっているのかもしれない。最近は殆どの公判の傍聴にもに参加していない。情報を受け取るたびに、“やっぱり、法廷を一杯にすることがその裁判の大きな支援となる”と思うのであるが、足が遠のいている。今日の集会で少しは揺り戻された気がするが、その時の状況次第かな。

 

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