2018年1月27日 (土)

ドキュメ映画「自白」を観た

 隣国韓国への関心をなくしてはならない
 名古屋「自白」上映実行委員会が企画した、2016年に韓国で上映されたドキュメンタリー映画「自白」を観た。
 「自白」の監督はチェ・スンホ(崔承浩、56歳)さんで、南北分断状況で韓国の国家情報院(国情院、前身は中央情報部)が、いかに非人道的な手法で「北のスパイ事件」を捏造してきたかを、緻密な調査と貴重な証言によって告発している。
 ではあるのだが実は、会場は名古屋国際センターの研修室で床はフラットであり、惜しいことに映写の位置がやや低いこともあって、私の位置からは、前席の人の頭部が字幕の位置と重なり、ほとんど読み切れなかった。映像は、スパイ容疑で逮捕連行され、のちに無罪となって証言するシーンが多く、字幕が読めないのは致命的であった。
 幸いなことに、第二部の証言、康宗憲さんへのインタビューがあって、映画の内容のポイントだけはわかった。そして証言によって今なお続く70年に亘る分断国家の歴史、1947年に憲法が制定された後も「国家保安法」が憲法の上を行くことによる、映画『自白』も取り上げられた「在日韓国人母国留学生事件」などが頻発するのである。
 1970~80年代では、私の周辺でも「日韓連帯」「韓国政治犯釈放運動」が盛んであって、韓国の民主化運動への過酷な弾圧の状況は幾らか知っていた。1980年の「光州事件」や「金大中氏に死刑判決」といった経過から、それに抗議し、韓国民衆に連帯する「抗議の座り込み行動」を名古屋栄の噴水前で行ったこともあった。
 こうした韓国における「平和的統一」「民主化」をめざす闘いは、日本と無縁とは思えない。直近の例として、明らかに憲法違反である「集団的自衛権容認」を閣議決定し、それによって安保法が制定されたことでもでもわかるではないか。「立憲主義」が危機にあるのだ。
 また「非正規雇用」が社会問題化したのも、韓国では1990年代初頭である。私が渡韓した1993年には街頭デモのプラカードにすでに登場していたと記憶する。世界の矛盾、しわ寄せが国力の違いであろう、韓国に先に来る、私はそう感じているのである。
 隣国韓国への関心、在日朝鮮人・韓国人の問題への関心は、私たちにとって不可欠な「感覚・認識」である。

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2018年1月20日 (土)

立憲、民進、希望の3党幹部が公開討論(3)

 

積極的に地方議員を獲得すべき
 この討論集会には、各党の支持者・関係者、政策塾・塾生に交じって市民運動のメンバーも多く参加していた。そこには、私のように立憲民主党に期待する者ばかりでなく、ここ数年に亘ってアベ政治を許さない、安保法、秘密保護法、盗聴法などに反対、廃止を求めて運動を続けている市民も多くいた。それはこの3党の違いがどうであれ、安倍政治の暴走を止めたい、憲法、とりわけ9条の改憲を阻止したい、そのために「政党の論理」を超えた野党の頑張りに期待したい、その行方を見届けたいという思いがあったのではなかろうか。
 率直に言えば、市民運動を「草の根民主主義」の現場と捉え、積極的に行動を共にしてきた人は、近藤昭一議員だけである。残念なことに「政党と在野の運動」というテーマではなかったので、近藤議員の出番がなかったともいえるが、逆に言えば、大塚代表が「3党による会派形成」にこだわり続けることは、相変わらず国会における政党都合の、数の論理から抜け切れていないことを意味する。古川幹事長に至っては、先の総選挙では「野党共闘」について市民との面談を拒否し、歯牙にもかけなかったといわれる。
 このシンポジウムのサブタイトルに「健全な民主主義をめざして」とあったが、それは小選挙区制そのままに「政権交代の実現」だとし、そのためには「与野党の勢力が伯仲」すること、そのためには現野党の躍進と結束が必要というところに力点があったようだ。ファシリテーターの後房雄氏もそのようにリードしていたと思う。
 「民主主義」とは「主権在民」ともいえると思うが、「政党政治」の時代なればこそ、政党は、有権者との距離を縮める運動を欠かしてはならないだろう。「民度」を高める地域活動に力点を置くべきではないだろうか。その役割が大きいのが党員であり、地方議員である。その限りでは、立憲民主党は積極的に地方議員を獲得していく方針をもってしかるべきだ。それは「分裂」とは違う世界であり、学習と議論、勇気と決断のいることではあるが、そのハードルを越えることなくして、野党第1党から政権交代への展望はないと思うのである。 完

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2018年1月13日 (土)

立憲、民進、希望の3党幹部が公開討論(1)

 民主主義、政権交代、野党の結集
  同じ愛知県選出で「民進党」現、元所属の、大塚耕平(民進党代表、参議院議員)、近藤 昭一(立憲民主党副代表、県連代表、衆議院議員)、古川元久(希望の党幹事長、衆議院議員)をパネリストに迎え、しかも趣旨説明には、石田 芳弘(中部サステナ政策塾顧問、元犬山市長)氏が、コメンテーターに小出 宣昭(中日新聞社 主筆)氏、ファシリテーターに後 房雄(名古屋 大学大学院法学研究科 教授)氏という、選挙期間中の公開討論会でもあまり見られない顔ぶれのシンポジウムが名古屋で開かれた。大村愛知県知事も顔を見せていた。
 まずこの時期に、このような企画ができる主催者の力量に瞠目した。これが今後愛知の政界、強いては野党の結集の方向にどのように影響していくかは注視に値する。伏線としては、「市民運動」の「野党共闘」戦略にどんな示唆、影響を与えるのかもポイントではなかろうか。
 このシンポジウムについて主催者は「持続可能な政治をめざして」という趣旨のもと、『愛知から野党はよみがえれるか -健全な民主主義をめざして-』がテーマであるとした。具体的なポイントを、私見を交えて挙げてみると、
1)健全な民主主義が機能するためには政権交代が不可欠であり、そのためには政権担当能力のある野党が必要だ。日本でもそれを目指して政治改革が行われ、2009年には民主党による政権交代が実現した。
2)これは、日本の国民が初めて選挙による政権交代を選択した画期的なものであった。これが定着していったなら、今では不評この上ない「小選挙区制」が生きたものになったであろう。
3)民主党は政権運営に失敗した。今改めてその原因はどこにあったのか、次の政権交代の機会を得た時のためにも検証は欠かせない。
4)2017年10月の総選挙で「小池新党=希望の党」は、政権交代を大きな「争点」として打ち出したが、その準備も戦略も未熟で失速してしまったが、それに乗っかろうとした民進党は、その主体性が問われたのではないか。
5)結果として立憲民主党、民進党、希望の党の3つに分裂することになった。現時点での焦点は、「3党による統一会派」の必要性か、立憲民主党の寄せられた「54議席、1100万票の期待」にどう応えるか、の議論の深化が必要だ。
6)いみじくも野党3党の幹部役員を出したこの愛知では、政権交代実現に向けた「野党の結集」にどんな方策が必要なのか、『愛知から野党はよみがえれるか -健全な民主主義をめざして-』の熟議が欠かせない。
7)民進党の大塚代表が掲げる「地域政党」の構想は、2019年の統一地方選挙の混乱を避ける意味と、野党結集は地方・地域からという両面あると思われるが、「民進党の再建・再結集」の戦略とも考えられる。それは有権者に受け入れられるであろうか。
8)直接的には表現されなかったが、民主主義の根幹である「国家権力の抑制・権力の分散」として、地方自治・自治権の強化、地域政党の必要性については、別の角度からの議論が必要であろう。

 以上は、私が野党大結集のリーダーシップをとってほしいと願う立憲民主党にとってもきちんと答えるべき課題である。また「(政党の論理を超え)政治を市民の手に」という在野の運動とどう結びつくのか、持論を整理する意味も込めてアプローチしてみたい。(できるかな?) 続く。

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2017年12月23日 (土)

高野 孟「立憲民主党の理念と課題」講演会

 第13回「リベラル政治懇話会」
 この日は、同じ時間帯に「民主主義と天皇制-代替わりにあたり改めて問う集会」があり、選択を迫られた人もいたと思うが、私は、ためらわず高野講演会に参加した。20人余りの参加であった。
 高野さんの話は、一つは「民主党誕生から、立憲民主党に至る経緯と、その間の枝野代表の政治歴」といったようなことと、もう一つは、今日的政治課題であり立憲民主党の課題でもある「リベラルとは?」及び「憲法問題、沖縄問題、経済問題(アベノミクスん破たん)」といったものだった。内容は書ききれないので“感想”的なものを記す。
 まず私の中には、立憲民主党ができて、この歳になって初めて“入党を考えてみようかな”と思っている一方、この新党が、いわゆる「永田町の論理―数合わせ」に流されることと、「週刊誌パパラッチ」にスキを見せて“たたかれる、醜聞ネタにされる”ことがないことを願い、どうにも厄介な「連合」に振り回されないことを見極めたいとも考えるのである。
 1996年の民主党誕生に深くかかわった高野さんの話から幾つか拾ってみると「村山政権」には反対であったこと、誰かが言った「保守二大政党時代」なんてあり得ない。「保守対リベラル」である。そしてリベラルは “中道”はない。民主党の時代の沖縄問題では、「15年プログラム」という全面返還に至るまでの過渡的な政策を持っていたこと。「政治には“筋”、“旗”が大事であり、理念なき“数合わせ”が、民主党政権の失敗だった」、「政党への結集は、“過去”と決別して“個”として参加を求めることが重要だ」など。
 憲法問題について話題になったのは「山尾志桜里議員(+倉持麟太郎弁護士)の“護憲的改憲案”」であった。山尾議員の憲法問題への洞察、建議と、倉持弁護士の憲法の知識や議論ができる数少ない弁護士という取り合わせからの「護憲的改憲案」は、一考するに値するが、玉木希望の党代表と同調する部分もあり、何より自衛隊の明記を巡る安倍の9条に第3項を加えるなど、まずは自民党の改憲草案が出て来てからの話だ、ということで、今の時点で「改憲論」に乗ることは“アブナイ”というのが高野さんの指摘であった。
 加えて、憲法論議は、国会・議員だけ、法律論だけで済まされるものではなく、山尾・倉持案なるものが、どこまで庶民・大衆の目線、現実を見てものかは、私たち自身にも問い返される問題を含んでいると思った。
 次に、先の総選挙で枝野代表は、候補者の居ない沖縄へ行って、憲法が沖縄に適用され、運用されることが先にあってしかるべきだ、基地問題はゼロから検証する、日米地協定の改定に全力で取り組む、辺野古工事はまずストップということを国会でも声を上げていくなどと述べたという。沖縄の立憲民主の議員は、那覇市議一人だけという。
 経済問題、とりわけアベノミクスについては、何の成果もあげていないこと、という程度であったかな。
 以上のような話の中で私は、大雑把であるが安倍の頭の中には「2018年の通常国会の会期中に憲法改正を発議し、秋には国民投票」という日程があるかもしれないという指摘に、国会を取り巻く大衆行動、3000万人署名が重要になってくるというところに行き着いたことと、民主党の結党から立憲民主党に至る経緯と、その間の枝野代表の政治歴を知ることによって「枝野代表の言動に賛同するとともに、決して“ぶれない”であろうこと、立憲民主党はこのまま真っすぐに進んでいくであろうことを確信」したのであった。

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2017年10月 8日 (日)

立憲民主党デビュー

 時宜にかなった山口二郎政治講演会
 この日の、リベラル政治懇話会主催の「山口二郎政治講演会」は、8月の段階で企画されたものであり、山口二郎氏を講師に迎えることができ、立憲民主党結党直後の、総選挙直前の集会を設定できたのは幸運であり、グッドタイミングであった。
 講演の冒頭で近藤昭一氏と赤松広隆氏(代理の鳴海県議)のあいさつがあり、講演途中に山尾志桜里氏が駆け付けて、それぞれ会場から大きな拍手が送られた。
 参加者は80人前後と思われたが、どちらかといえば(私も含め)男性高齢者の労組OBが多いように思われた。「野党共闘」に取り組んできた市民運動関係の人の参加がもっとあっていいとは思ったが、幾つかの企画がバッティングしていたことも影響しているのだろうと推測した。
 山口氏の講演は、安倍の衆院解散(安倍の目論見)から始まって、「希望の党」の結成の経過、狙い、小池代表(都知事)の政治姿勢、この党の命脈まで、そして「立憲民主党」の結成と「立憲デモクラシー」の具体的な登場に至るまで、つまり、現下の政治情勢全般を読み解く貴重な集会であった。参加できなかった人には、『・・・この機会を逃したのは、もったいなかった』と、内心思ったのだった。
 山口氏の話をまとめきるのはメモ程度では難しいし荷が重いので、抜き書きの箇条書きにしてみた。
1、山口氏自身、9月27日~28日の段階では「希望の党」結成に関して安倍打倒のための「呉越同舟」という希望的観測を持っていた。
2、同日民進党両院議員総会で全員揃っての「合流」が承認された。(小池と前原とに事前にどんな合意があったか)
3、29日~30日、小池は安保法制、憲法改正などを理由に「選別、排除」を明確に打ち出した。これは前原のミスリード、合流になぜ焦ったのか。(民進党のままでは惨敗を喫する)結果として合流やその手続き(口約束)で小池の軍門に下った。
4、小池の大きな失敗を挙げるとすれば、(現段階で)首相候補(首班指名)不在の新党という茶番。メディア支配という過信とイメージの流布。
5、10月2日午前、前原から小池に電話、結局前原の党内リベラル派の排除は、想定の範囲内だったのか?いや小池に騙されたのだ。3者会談に一人、神津連合会長の怒りがそれを表していたという。(希望の党は、仏の右翼、トランプ路同じ、極右ポピュリスト政党)
6、同日、民進党内の排除組、拒否組が新党に動く。政治における信念、節操を重んじる「立憲民主党」結成へ。日本の政党政治における「リベラル」の必要性。(それを担うのが新党)
7、立憲民主党は、立憲主義という、古典的な価値を総括し、その上でリベラルの旗をこの日本でどう立て切れるのかが問われる。そのことは、“希望の党は、1年以内に瓦解する”という想定の下に、立憲民主党は、野党第1党に成長するということである。
8、現在日本の政治にとって大きな危機状況下にある。例えば(安倍の)① “自己愛”の強いリーダーの跋扈。②批判に対する「耐性」の消滅。③虚言、デマをためらわない、嘘を問われても恥ずかしいと思わない。④事実と虚構と区別ができない反知性。
9、いやな時代の本質、例えば、①戦争のできる国になった日本。②メディアの抑圧と情報の隠蔽。③国民にたいするガ画一化と道徳の押し付け(結婚しろ、子どもをつくれ、活躍しろ、など前時代的な)
10、専制国家の日本、それは「法の支配(法治主義)から、人(為政者)の支配へ」であり、例えば①権力者の私的な支配が国家全体を覆う。②人の支配とは、あるものをなかったことにする、など。③政府内部における規律の崩壊。④「罪刑法定主義の否定」例えば、「共謀罪」がこれに当たる。
11、厚顔無恥の安倍政治、例えば①奇襲解散による政権の維持、②3分の2の確保による改憲の実現、③安倍の策略が実現すれば、日本の立憲民主主義は、回復できないほどの深手を負うことに。
 この後も、「リベラルとは何か」「立憲民主党の役割」などまだまだ続いたが、書き留められなくなった。
 終了後の懇親会の席でも議論は続いた。
① 民進党・参議院は当面、立憲民主党と併存していく。2019年の参院選挙の時に判断が求められる。福山哲郎参院議員(京都)は、立憲民主党に移り幹事長となった。
② 参議院議員は、前原を解任すべきだ。
③ 愛知の場合、現職は大塚耕平、斎藤嘉隆、伊藤孝恵の3氏。2019年は大塚耕平が改選となる。もう一人をどのように擁立するか注目。
④ その他いろいろ。
 私は、立憲民主党の党員かサポーターかの選択を迫られているが、同時に参院選挙については、希望の党が存続していれば、立憲民主党と棲み分けることになると推定。その時大塚耕平はどっちなのだろうと思うのだが、彼は立場を明確にしないのだという。どっちにしても女性を候補者に推したい。人選を早めに進めるべきだと思う。

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2017年6月 6日 (火)

3度目の語り、でした

 地域共同行動の基盤形成
 今まさに「共謀罪」阻止の真っただ中。“果たして全力で戦っているだろうか”という忸怩たる思いがある一方、“かといって、アソビ呆けているわけではない”と自分を納得させている。しかし・・・、そのように個人的には対応しているとしても、安保法・緊急事態条項にしろ、この共謀罪法にしても、これを阻止しようとする側の「総力」が結集されなければ、国会で圧倒的多数を握っている安倍与党の“暴走”は阻止できない。
 1970年代後半から1990年代にかけて「地域労働運動」を進めてきた私にとって、労働運動だけでなく市民運動とも共同し、住民運動も巻き込むような「地域共同行動(総がかり的)」とその「基盤形成」が大きな目標であり、その中に、名古屋労連の運動、愛知全労協の運動も包摂されていたという認識、これが基底にあって昨日の、今年になって3回目の「語り」の機会であった。
 今回も、話の内容の概要(といっても話した内容のほぼ全て)の冊子「C&Lリンクス愛知第77号」を用意していた。それはかなり広範囲にわたっており、比較的少人数の場であったので、予め重点的に報告してほしい項目の希望を募った。しかし特に要請はなかったので、私自身の運動の“向き合い方、生き方”みたいな、やや情緒的な話から入って、それに時間費やした。というのも、参加者の顔触れからして、自己紹介的な語りとこんにち的政治状況の「序論」は省いたからでもあった。
 参加者は、第一線の活動家であり、労働運動、市民運動にも通じている人たちであったから、比較的知られていないであろうとの想定で、第1章の「愛知の地域闘争」、新幹線公害問題・沿線住民の闘い/設楽(したら)ダム建設反対運動/境川流域下水道問題/藤前干潟埋め立て問題/米軍依佐美基地撤去の運動/名古屋オリンピック誘致問題/2005年愛知万博問題/2016年の「あいちキャラバン」について重点的に話を進めた。これはあまり知られていない、ということと同時にこの愛知県全域、或いは県境を越えた、オルタナティブな「地域共同行動、総がかかり的な取り組み」の重要性を知ってほしかったためである。
 第2章の地域を巻き込んだ労働争議・運動、本来ならこの章(1)1970年代の「三菱重工・四方君を守る会」の争議・運動(2)1980年代の「名古屋労組連」が本題であろうとは思った。三菱闘争では、全国運動まで広がったことと、「4つのスローガン」が定まるまでの経緯、背景、苦悩、公然活動、非公然活動などを紹介し、名古屋労組連運動では、どちらかといえば、結成に至る「前史」を重点にしたが、全体としてはかなり端折ったものになった。
 第3章の働く者の国際連帯活動では、一昨日(4日)の場で話した内容と同じで、私の体験的なものとして世界自動車会議・ソウル/レイバーノーツ・デトロイト/フィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援運動/APWSL愛知の場合の4つを紹介した。そこでアメリカにおける「運動資料の保管、管理、利便性」を紹介し、対する日本のそれの貧弱さ又は意識の低さについて、ユニオン懇談会でも話が出たことと併せて話をした。また追加としてIMF・JC(交際金属労連・日本協議会)の元役員、三菱電機労組の元委員長・久野治氏が提唱した「アジア春闘論」を紹介し、私たちの運動(春闘)が国際的に見たら「身内的(自分たちの労働条件の維持向上だけに関心がある)」過ぎたのではないか、私はその話を聞いたとき“目から鱗”みたいな衝撃を受けたことを話したが、全体としてはかなりの内容は省略したものとなった。
 ここまですでに多くの時間を費やした。第4章の様々な活動の中で得た、経験と教訓など、終章の現在地点の課題も、8項目を取り上げたが多くは本文を読んでいただくことでほぼ省略した。
 最後に、4日の時と同じように、参考資料として「ATUサポート市民の会・結成宣言(2008年)」の冒頭部分を読み上げて締めとした。これは、私自身が運動にかかわってきた気持ちというかスピリッツみたいなものとして起草した経緯があったからだ。また参加者はほぼ(元)国労組合員であったこともあり、噛み合ったものになったと思っている。改めて再掲する。
 結成宣言の冒頭部分。
 「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。
1987年の国鉄の分割民営化は、鉄路で働く人々を分断し、退職に追いやり、職場で憎しみと競争を煽り立てただけでなく、日本の隅々まで行き渡っていた線路を断ち切りました。それは、日本人が育んできた北から南までの『和(輪)の心』を断ち、労働への畏敬と連綿と受け継がれてきた働く者の団結をも破壊してしまったといっても過言ではありません。・・・」

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2017年6月 4日 (日)

愛知の地域共同、運動の基盤形成

ささやかな経験を「語り」ました
  フィリピントヨタ労組(TMPCWA)を支援する愛知の会の第15回総会の場で、「報告 愛知における地域共同、運動の基盤形成」というタイトルで1時間弱話をした。
 前回のユニオン学校では1980年代の「名古屋労組連」の運動が中心であったが、今回は、愛知県全体につながった、地域共同行動、地域労働運動という観点から準備をした。

  第1章の愛知の地域闘争では、新幹線公害問題・沿線住民の闘い/設楽(したら)ダム建設反対運動/境川流域下水道問題/藤前干潟埋め立て問題/米軍依佐美基地撤去の運動/名古屋オリンピック誘致問題/2005年愛知万博問題/2016年の「あいちキャラバン」について、その概要を紹介した。
 県境を越えた闘い、運動例えば、四日市公害問題/中電の芦浜原発問題/長良川河口堰問題/木曽川導水路問題/ごみ処分場問題(愛岐処分場など)は、紹介だけにとどめた。また全国運動に連動して反安保・反基地闘争、三里塚闘争、労働運動、反公害運動、教育問題等も名前だけの紹介となった。
  第2章の地域を巻き込んだ労働争議・運動では、(1)1970年代の「三菱重工・四方君を守る会」の争議・運動(2)1980年代の「名古屋労組連」の運動の二つを取り上げたが、かなり端折ったものになった。
  第3章 働く者の国際連帯活動では、私の体験的なものとして世界自動車会議・ソウル/レイバーノーツ・デトロイト/フィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援運動/APWSL愛知の場合の4つを紹介したが内容は省略。ただ追加として、IMF・JCの元役員、三菱電機労組の元委員長・久野治氏が提唱した「アジア春闘論」を紹介した。
 第4章の様々な活動の中で得た、経験と教訓などについては、記載してあるものを読んでいただくということでほぼ全部を省略をした。
  終章の現在地点の課題も、8項目を取り上げたが多くを省略した。ただその中で先のユニオン懇談会で議論された「運動、闘いの記録、教訓・反省、経験則などの記録を残し、次世代、後世に残そう。」だけは強調した。
  最後に参考資料として「ATUサポート市民の会・結成宣言(2008年)」の冒頭部分を読み上げて締めとした。これは、私自身が運動にかかわってきた気持ちというかスピリッツみたいなものとして起草した経緯があったからだ。
  結成宣言の冒頭部分。
  「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。
   1987年の国鉄の分割民営化は、鉄路で働く人々を分断し、退職に追いやり、職場で憎しみと競争を煽り立てただけでなく、日本の隅々まで行き渡っていた線路を断ち切りました。それは、日本人が育んできた北から南までの『和(輪)の心』を断ち、労働への畏敬と連綿と受け継がれてきた働く者の団結をも破壊してしまったといっても過言ではありません。
ひるがえってトヨタ自動車は、1992年に策定した『基本理念』の冒頭で『内外の法およびその精神を遵守し、オ-プンでフェアな企業行動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす。』と謳っています。
   トヨタという企業がその文言そのままに、ものづくり、人づくり、社会貢献を果たしてきたなら、『自動車絶望工場』などと決して非難(揶揄)されなかったことでしょう。また、世界語にもなった「KAIZEN・カイゼン」が、非人間的な過酷な労働の代名詞にはならなかったでしょう。」(後略)

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2017年5月30日 (火)

第42回ユニオン学校

  共謀罪 現代の治安維持法許すな!
 参院での実質審議入りした「組織犯罪処罰法改正案」は、実質的に「共謀罪(テロ等準備罪を新設)」といえるが、アベ首相が言うような、「国際組織犯罪防止条約」に加盟するに必要な法律とか、この改正案なくして「東京五輪」は開催不能などと、この異常ともいえる「思い込み、執着」は一体何だろうか思ってしまう。
  そんな中での今日のテーマは「自由圧殺、現代の治安維持法許すな!」「共謀罪の危険を治安維持法被害者の視点から考える」として、西田一広氏(治安維持法国賠同盟愛知県本部代表)が80分ほど講演した。
 最初に「横浜事件」を取り上げて、治安維持法の弾圧のさわりから入った。そして、1923年に日本共産党が創立された以降の、1944年6月までの戦前の愛知で起きた、関連した弾圧事件の事例40ほどの一覧表を示した。共産党員やその同調者が狙われたのは当時としては当然であったと言えるかもしれないが、労働運動では広く逮捕され、1937年の新興仏教青年同盟弾圧、日本無産党・労組全評弾圧があり、さらに文化グループ、YMCA関連、朝鮮人キリスト者、職場での読書グループなどに至る「体制維持」に逆らうだけでなく、意見を言う、書く、広める(言論の自由)だけで検挙されるという歴史的事実を取り上げていった。
 西田氏は、この治安維持法は単なる「濫用」ではなく、ホンネ(本質)に向かって「進化」したというべきだ、といい、改めて当時はどのような体制・世の中だったか、事実を掘り起し、検証もしっかり行い、もって現在との共通点、違いを見ておくべきだ。それには戦前の治安維持法で弾圧された人たちの名誉回復、賠償が不可欠であり、この歴史の逆行を阻止する闘いを広く共同で取り組み、「人道・人権」を巡る国際的な流れ、傾向も知っておくべきだとした。ただ現実的には、弾圧された人の証言録、手記、関連資料は乏しいという。
 そのメモは取り忘れたが何人かが核心的な質問を出していた。私の中では、例えばアベの背景には「日本会議」というバックボーンというか「謀略機関」が存在しているようだが、戦前はどうであったのか、「特高」というがその元締めの元締めはどういう姿・機能・役割をしていたのか。中心人物は誰か、その組織的規模はどれほどか、といったあたりに興味を持っていたが、そこまで話題は至らなかった。
 国会の会期末までこの闘いは続く。学習と行動、広宣が欠かせないし、「マスコミ」を何とかしなければならない気持ちが高まってしようがない。

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2017年5月28日 (日)

高野 孟氏、政治を語る

 5月の、リベラル政治懇話会
 昨日の午後の、共謀罪の廃案を求める集会の後のデモを途中で抜けた私は、やや遅れて第10回リベラル政治懇話会に向かった。
 この日は最初に、去る5月16日になされた「沖縄・高江ヘリパット 愛知県警機動隊派遣」の、「住民監査請求」について、請求人は921名、代理人は32名であったが、その中心的な人物・大脇 雅子弁護士が約20分にわたって報告をされた。
 住民監査請求も、地方によって多少の違いがあるだろうが、実際に「審理」を開いて、情報開示、意見陳述、証拠調べを行って勧告による判断をし、審理結果を明らかにするという本来あるべき姿で進むことは多くないらしい。まして「住民訴訟」となると、もっと難しい状況だという。
 続いて、ジャーナリスト・高野 孟 氏の講演「安倍政治とリベラル政治勢力の課題」というテーマで約1時間半の講演があった。
 まず、過日の院内集会で沖縄の山城博治さんが不当逮捕・長期拘留の実体験から、“これは、共謀罪の先取りだった”と“証言”したという。まさに安倍は、トランプ米大統領と日米軍事同盟を進めるための国内体制固めで「共謀罪」成立を目指していると。この日米軍事同盟は、対中国政策、対「北朝鮮」政策のためのものであるが、一方のアメリカは、4月のトランプ大統領、習近平総書記会談で信頼関係を醸成しており、「北朝鮮問題」は、中国の「武力を使わずに解決」で進みつつある中、アベはその真逆で、アメリカを煽っているとさえいえると。
 安倍は口を開けば、「北」の韓国への攻撃、次に沖縄の米軍基地への攻撃だと「北の脅威」を繰り返しているが、高野氏は「北の先制攻撃はない」と断言。「なぜなら、日本攻撃のメリットは何もないからだ」と。
 このように安倍の軽挙妄動(発言)は異常とも思えるのだが、トランプも負けてはいない。「(自国防衛のための)先制攻撃の権利がある」と公言し、「北の70か所を攻撃する。全土を焼土化する」と言って憚らないから、さすがに現場・在韓米軍から“待った”がかかったという。いざ「開戦」となれば、5万の米軍、100万の韓国人の死者が出る(「北」はそれ以上)からだという。日本とて例外ではない。米軍基地のある佐世保、岩国、横田、三沢は当然ミサイル攻撃対象となる。(それよりも、首都東京だけでなく、稼働中の原発攻撃ほど脅威はない)
 安倍は、安保法を成立させる一方、外交交渉に力を入れるのではなく、国際紛争は軍事力で問題解決できると誤解しているところがる。ヘリ空母「いずも」を派遣し、共同訓練をさせて満足しているのもその一つ。だがトランプ政権の対中国政策は経済優先のようであり、中国は中国で「一帯一路」のグローバルな戦略を進めている。安倍かその背後にある影の勢力の読み違いには危険が伴っている。
 さて憲法問題では、例の安倍の「憲法9条の2項はそのまま残し、第3項として自衛隊の存在を明記する」という唐突発言は、元をたどれば、日本会議常任理事(政策委員)、日本政策研究センター代表の伊藤哲夫の発案によるものだという。到底安倍の発想力からして、ポンポン出てくるはずがないと思っていたが、このように操られていたのか。
 さて民進党の問題について一言。現在の混乱というか、ドタバタというか、蓮舫代表の下で結束できていないは、蓮舫を代表に押し上げた「リベラル派」を重用せず、例えば野田を幹事長に据えたことが挙げられると。リベラル派を怒らせてしまったと。野田は幹事長向きではない。いま憲法論で対応できるのは枝野幸男であろうと。どっちにしても外から見れば、「一丸となって安倍政権と対峙する」ことができていないのは、何といってもまずいのである。蓮舫の政治的センス、能力のほどは知らないが、とにかく代表を先頭にして、この「非常事態・危機的状況」を突破してもらわねばならない。「リベラル派よ奮起せよ」である。
 最後にびっくりするような話。自民党内に「反アベノミクス」に60人が参加しているとのこと。そこには、野田毅、野田聖子、村上誠一郎議員らの名前が見られるという。詳細は不明だが、興味深い話である。
 質疑では、「連合がネック」という話も出たが、これについては
別の機会としたい。

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2017年4月29日 (土)

米軍占領下の沖縄労働運動と抵抗の歴史

  第41回ユニオン学校・特別講座
 現地沖縄・辺野古が重大局面にある中、主催者の呼びかけは「今回のユニオン学校は米軍占領下の不利な状況でも決して屈することのなかった沖縄労働者民衆の苦闘の歴史と成果を学び、現代の沖縄連帯と反基地平和運動、労働運動の高揚を実現するために共に考えたいと思います」とあった。どこまで迫ることができたか。
 講演されたのは、南雲和夫さん(中央学院大学非常勤講師・首都圏非常勤職員組合)で、著書として、『占領下の沖縄-米軍基地と労働運動』(かもがわ出版)、『アメリカ占領下沖縄の労働史-支配と抵抗のはざまで』(みずのわ出版)などがある。
 お話は、1945年から沖縄が返還された1972年、この間即ち「米軍占領下の沖縄労働運動と抵抗の」期間でもあった。それを4期に分けて話された。
 第1期は、1945年から1951年辺りまで。アメリカの対アジア政策の転換と、対沖縄占領政策の確立の時期についてであった。それは本土も同じようなものだが、日々が食うや食わずの時期から少しずつ経済が動き出した時期ではあったが、沖縄は占領下で「無権利状態」「土地家屋の強制接収」と二重の苦闘を強いられていた。そして日本復帰運動が展開されていったのだった。奄美大島で復帰運動が盛んとなり、1953年12月に返還された。
 第2期は、1952年から1957年ころまでで、冷戦政策の確立と、対沖縄政策への波及と住民の抵抗の時期とだという。そのころは、労働運動の黎明期と、労働立法が成立していく時期でもあるのだが、生活闘争が主で労働運動はまだまだだったという黎明期。また、琉球政府(住民の自治政府組織)もできていたが、最高権力は米国民政府(USCAR)の高等弁務官の手にあった。
 そして、軍用地の接収、基地建設が本格化し、瀬長亀次郎らが登場し、弾圧を受けながら労働三法の制定(1953年7月)に奮闘、瀬長は市長選にも勝ち抜いた。
 第3期は、1958年から1964年辺りまでで、冷戦政策の修正に伴う、沖縄占領政策の軌道修正の時期だという。この時期、沖縄県祖国復帰協議会の発足、全沖労連の結成があった一方、米国民政府、国際自由労連の工作などによって分裂させられた。だが「全軍労」も参加した全沖労連と県労協の結成があったが、県労協は同盟系が分裂していった。
 第4期は、いよいよ、沖縄「返還」政策の確定と、住民闘争の高揚と祖国復帰の時期になる。まず、1965年の佐藤栄作首相の沖縄訪問1967年の佐藤・ジョンソン共同声明(基地の保持と施政権返還)と続いて、沖縄、本土での沖縄復帰運動が拡大高揚していく。そして、1968年に琉球政府立法院行政主席の公選で革新統一候補・屋良朝苗氏が圧倒的勝利を収めた。そうしたなか1968年11月にB52爆撃機が墜落事故を起こし、それに伴う抗議運動が激化していく、翌1969年の「2・4ゼネスト、B52撤去運動」への(社会党・総評の)介入があり、ゼネストは成立しなかったが、祖国復帰(1972年5月15日)実現と抗議行動(核抜き・本土並み)へと進んでいった。
 こうした経過たどりながらこんにちの状況を見れば、「本土に先駆けた『野党共闘』」は、曲折はあったが、主席選挙で勝利し、参院選、2014年の衆院選、知事選に勝利してきた。政治課題での一致点に基づく運動の必要性は誰もが認めるところだ。
 私的な経緯を言えば、私が「沖縄」を意識し始めたのは、1960年代の後半で、職場の仲間たちと学習会を持ち、その時にチューターを務めたのが始まりで、沖縄返還闘争では「佐藤訪米阻止闘争」があり、蒲田で逮捕された広島の仲間の拘置所(府中)訪問も経験した。運動にかかわる前の当時の言葉として「全軍労」「反戦地主」は印象に強く残っている。名前として瀬長亀次郎、屋良朝苗も記憶にある。沖縄訪問は、観光ではあったが、1974年が最初で「ひめゆりの塔」を訪ねた。
 2015年6月20日~23日、ピースサイクルの一員として、沖縄の高江、辺野古、普天間、嘉手納、平和祈念公園・魂魄の塔などを訪問したのは、1974年から40年経っていたのだった。

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