2017年4月25日 (火)

小型台風(市長選挙)一過

 執筆と身辺整理再開
 実際は「台風」といえるほどの“荒れ模様、緊張感”はなかったと思うが、ともかく幾らかでもこの選挙にかかわれば、“小型台風”が過ぎ去った後の“ほころびの修復とか、教訓をもって次の備え”は、しておくべきだろう。
 ブログで「名古屋市長選挙」シリーズを8回まで書いたけれど、原稿ではなく日録だから“冗長”の感はぬぐえない。今のところ「C&Lリンクス愛知」に市長選の経過、総括を書く予定はしていないが、いわき陣営の選挙を担った市民グループから、何らかの会合が呼びかけられるであろうから、そのための「下書き」をまとめておく必要はあると思っている。
 ということで今日は、朝8時に古新聞をリサイクルに出し、身辺整理の「通信物-手紙、はがき」の裁断を再開し、シュレッターの休止(冷却)時間をぬって、「C&Lリンクス愛知」第77号の執筆も再開した。5月初旬発行のCGSUの活動誌「結」に合わせたAPWSL愛知の「ACTION REPORT」第23号は既に仕上がって待機状態にあり、ミニ詩集も遅々としながらも同時進行である。
 1950年代半ばからの「年賀状」の裁断は、行方不明の3年分と今年と昨年の分を除いて終えることができた。続いて封書に移っているが、全点内容を読み返したうえで、印刷物はシュレッターにかけ、封筒と手書きのものは、機械処理が忍び難く“せめて”との思いがあって、手で破り裂いて廃棄している。
 たまにではあるが、差出人がどんな人だった思い出せないこともあるが、便箋を読んでいくと記憶が甦ってくることが多い。また私は、手紙を出すときの本文はパソコンで打ち込んで、宛名書きと差し出しのところだけを自筆にする、というのが昨今である。ということで頂戴した自筆の手紙が多いのは、今ほどパソコンなどが一般化していない2005年以前のものが多いことに気が付いた。
 手紙に中に何らかの返信が必要だったものもあって、“さて、返信しただろうか”と気にかかもしたが、“時効”だと決めつけて次に回したりした。
 こうして手は動き、目はしっかり働いているが気持ちはゆったりしていたような気がする今日の午後であった。

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2017年1月17日 (火)

男の気持ち・生き方(143)

 阪神・淡路大震災から22年を思う
  今日があの「阪神・淡路大震災」の日だったと気が付いたのは、午後の軽い昼食の時のテレビからだった。
 ここ最近、私事で忙殺されていたというのは、決して大げさではないが、それにしてもたかだか22年にしてもう忘れがちなのか、と苦笑せざるを得ない。
 先月、資料整理の中で出てきた震災当時の週刊誌に、しばし見入っていたことはいたのだが、その時“ああ、もうすぐあれから22年になるんだなあ”くらいは思い至っていれば、当日の朝方には、“あの時は入院していたっけ”と思い起こしたに違いない。
 大きな揺れで目を覚まし、すぐさまテレビをつけて関西地方での大地震を知って、そのままほぼ1日、テレビに釘付けになっていた。画面が変わるたびに、火災が広がっていく様子が印象に残っている。高速道路の倒壊や、阪急の脱線、ビルの横倒しなどの映像はかなり時間が経ってからだった。
 多分翌日の午後だったと思うが、「神戸市長田区」に住んでいる高校の同級生に電話をして、無事を確かめたのも忘れがたい。自身が被災者だったら、決して忘れる事はなく、忘れたくても忘れられないだろう。
 このことは、戦争体験者にも言えることで、決して“忘れろと言われても、忘れることはできない”であろう。そして“戦争を知らない子供たち”として大人になり、こうして老域に達した私は、「体験」としてではなく、「学習」として、戦争の絶望的な悲惨さや、非人道性、犯罪性などを会得してきた。それがあって、一応、「沖縄戦終結の日・慰霊の日(6月23日)」、8・6広島、8・9長崎の原爆の日・被爆の日、8・15、やや忘れがちではあるが通常は、ポツダム宣言による降伏文書に調印した9月2日が「終戦の日」などはおおむね頭の隅にでも常在している。
 翻って、市民運動であれ、労働運動であれ、社会運動・政治運動であれ、時宜に合わせた運動を繰り返しても、人々の間にどれだけ記憶されるだろうか、と思わずにはいられない。だから“徒労”だというのではない。より印象的な、より共感の強い運動の展開と、繰り返す持続力が必要なのだと思うのである。
 そう思っても、それが容易くできるものではないから、“忸怩たる思い”が積み重なることは確かだ。それを乗り越えるというか耐えるというか、逆にチャレンジすることの生きがいみたいなものをいかに手にするか・・・。
 とまあ、あれこれ思いを巡らして、あれから22年が通り過ぎていく。

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2017年1月 4日 (水)

男の気持ち・生き方(142)

三が日・初詣で考
 2017年が明けた2日に、孫二人を連れて「熱田神宮」に初詣でに出かけた。3日は、息子夫婦一家と一緒に伊勢に出かけ、「猿田彦神社」と「伊勢神宮・内宮」に詣でた。2年に一度くらいは、「豊川稲荷」に行くこともある。思いつくと地元の「成海神社」「豊藤稲荷」へ一人で行くこともある。
 10代で社内駅伝のメンバーであったころの元旦の朝は、大高緑地まで出かけて初練習(ハツトレ)に励んでいたこともあった。あるいは独身時代の3が日は、「京都詣で」で、神社仏閣を巡ったりしていた。
 「熱田神宮」にしろ「伊勢神宮」「豊川稲荷」にしろ、拝殿まで進んで手を合わせはするが「願」をかけたことはほとんどない。無思考である。まして「おみくじ」はひかないという“主義”に近いものがある。
 このような行動を心理学者ならどう分析するだろうか。
 私自身、深く考えたことはないが、思想、信条、宗教からは離れた衝動であるし、なにがしかの“期待も夢”も託したことはない。言ってしまえば、かなり“習慣的且つ世間的”レベルでなかろうか、と思う一方、お正月・元旦という特別(非日常)な時間、機会であるから、自分なり何かしておこうという気持ちがある程度働いているのだと思っている。
 あえて付け加えれば、そこには「家族」観も働いている気もしている。この時期(盆と正月は)だからこそ、自分だけの世界から離れて、あるいは何がしかの「価値」を見出すことはしないで、“世間並み”でいいのではないか、とも。“世間並み”は、ちょっと違うかな。“世間って何だ”と突っ込まれそうだから。“家族の意向に従う”の方が近いかな。
 熱田神宮で思い出したが、あれは名古屋労組連の時代(1980~1990年代)だったか、万博反対運動の時代(1990~2000年代)の時だったか、一度だけ三が日のうちの1日、ビラまきをしたことがあった。やってみて“野暮ったい行動”と感じて2度としなくなった。
 伊勢神宮では、4日が恒例の「総理参拝」ようで、午後は交通規制、通行規制が敷かれて、日程が合った時などに遭遇したこともあった。そういえば今年の伊勢神宮は、人出少なかったようだ。正殿前の階段下まで割とスムースに進んで、正殿前の階段でも、鳥居のある中央部分は20~30分ほど待たされたが、両脇は常に人が流れていた。
 年賀状を読み返して、あの人、この人の近況を知って楽しむのはもう少し後だ。

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2017年1月 2日 (月)

男の気持ち・生き方(141)

1年の計は、元旦でなくとも・・・
 1年は365日、1か月は30日、1週間は7日、1日は24時間という、あたりまえの時間感覚を無意識のうちに意識してきたような気がする。しかもここ数年それが顕著になっているようだ。加齢とも関係しているようにも思えるが、むしろそれは、目覚めた時あるいはトイレの中で“今なすべきことは?”とか“今日の予定、仕事は何だったかな?”をつぶやく習性によるものかもしれない。ただそれは、1日かせいぜい1週間もない2~3日先までのこと。1か月先のことは、パソコンで日録と予定を書き込み、ブログに取り掛かるときなどに確かめたりすることが多い。
 では1年間のことはどこで認識するかといえば、やはり、年の暮れ(やり残し)と年明け1週間後あたりであろうか(今年は例外で今日!)。例えば、国政或いは地方選挙があれば、間違いなく認識し、参加・参画のレベルを探ったりする。年間の定例的な行動、例えばピースサイクルやフィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援、また団体の定期総会・大会などは、ふと忘れている時もないではないがほぼ定着している。参加の可否はあるが、安保法、脱原発などの月例・週例行動も、政治状況(山場)から再認識することがある。
 そうした諸活動とは別に、個人的な、家庭的なこともいくつかある。まず「法事」の予定などは最優先であるが、3人の兄が亡くなったので、私が取り仕切る両親の23回忌、27回忌は、ちょっと先だが入力済み。
 今年6月の中学の同窓会、秋か来年の高校のクラス会は、既に幹事を降りているので、これは連絡待ちでいい。四季雑談の会の「史跡めぐり」は、春には「信長自刃の地・京都」をもって一区切りつけたいと思っている。
 ミニ詩集は年間4号が目標であるが、詩泉の枯渇が著しいので、「男の気持ち・生き方」や「日記・つぶやき」から拾う「短編随筆集」のページを増やすなり、「ミニ随筆集」をこれに代えたりすることも出てきそうだ。
 政治・社会・労働を主とした「C&Lリンクス愛知」の発行は、現在75号であるが、もともと100号達成が大きな目標であった。しかしそれはかなわないので断念した。あきらめはしたが、やはり年間4号が目標。昨年は2号にとどまったからこれも難しいかもしれない。
  そして、なんとかしなければと多少焦りも感じているものに、資料が段ボール3箱の「ピースサイクル30年」の処理。さらに、1988年までで処理が止まってしまった「写真」の整理。たぶんデジカメを使いだした後は、A4サイズで編集しファイルしてきたので、2002年までの15年ほどが埃を被っているか段ボールの中で眠っているだろう。
  「1年の計は元旦にあり」とはいえ、むしろ「思い立ったが吉日」であろうから、2017年は、今日が吉日であり、“好スタート”を切ったといえようか。

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2016年11月22日 (火)

男の気持ち・生き方(140)

 加齢で病気も詐欺被害も
 多かれ少なかれ、どなたも“持病”の一つや二つ持っておられるだろう、特に60代以上では。“ない!”と自信を持っている人もいないわけではないが、それでも気が付かないだけで“病が進行中” だったりして・・・。
  他人のことはともかく、私はせっせと病院通いをしている。診察・治療を受け、投薬されれば治療費がかかり、自己負担分以外は、健康保険から支払われ、それは大きな財政負担になっていることは知っている。それでもせっせと病院通いするのは、“早期治療、予防処置”の方が負担は少ないと考えるからだ。
 「健康寿命」という言葉があるが、完璧な無病息災で終末を迎える人こそ稀ではなかろうか。何らかの病気、或いは病気といえるかどうかわからない腰痛、頭痛、めまい、不眠症に悩まされている人も多かろうと思う。専門的なことはわからないが、多くの場合、症状には原因があり、原因がわかれば、治療、予防法も見つけることもできよう。
  例えば「虫歯」だが、ほとんどの人は原因も予防も知っている。それで早期発見・短期治療のために、“歯磨きの励行”と“定期的な健診”を受けていれば、予防と早期治療で、費用は安く済む。
  数年前に左下の永久歯(第三大臼歯)一本をなくしてショックを受けた私は、暫くは6か月の定期検診を受けていたが、ここ3年ばかり放っておいたら1か月前に突然痛みが来た。一晩眠られなかった。早速歯科医に診てもらって4か所の治療を受けることになったが、軽い虫歯2本の治療と欠損部の補強、治療痕の修正で、歯肉炎はないといわれ、治療は簡単に済んだ。薬代もないので内科に較べ格段に少ない治療代だった。
  目は、2~3か月に1回の検診で、白内障、緑内障、ドライアイの目薬の処方、定期的な検査を受けている。
  このように、何らかの“自覚症状”があれば、率先して予防も心がけ、早期治療にも取り掛かれる。だが、うつ・心の病、失調症などでは、どこまで自助努力ができるか自信がない。ここはやはり、家族の力、応援、観察に頼るしかない。また予防としては出かける。見る、人と会う、会話する。読む、書く、夢・希望、目標みたいなものを持つことだろうか。
  ・・・とそこまで考え書くなら、既にかなり“予防”ができているのではないかと言われかねないが、“わかっちゃいるけど、続けられない”というのが凡庸の証である。
  ついでながら、“オレオレ詐欺”“還付金詐欺”“バイク便詐欺”等々、あの手この手で高齢者をだます手口が後を絶たない。そのニュースに接するたびに“これほど問題になっているのに、未だなぜ引っかかるのか!”と、あきれもしてきたが、結果的には、騙される側の警戒心を騙す側のテクニックが上回っているような気がする。あるいはこうも言えるかもしれない。見聞きする交通事故は多いように感じるが、数千万台の車が動いている中での事故の割合は極小であり、且つ運転者は“自分は大丈夫”と思っている、そんなものと同じようのものではないかと思うのである。
  病気も詐欺被害も“足るを知る”ことで、かなり防げるのではないか。食欲、飲酒、嗜好品はほどほどに、いい話ほど“薔薇に棘あり”と思った方がいいのかもしれない。

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2016年11月 3日 (木)

男の気持ち・生き方(138)

  末の孫とプラネタリュームへ
  この日、日本国憲法の公布70周年を迎えて、あいち九条の会主催の「安倍政権とメディア-私の決意」と題する集会が開かれた。講演者は岸井成格(きしいしげただ)氏(毎日新聞社特別編集委員、元毎日新聞社主筆、TBS「サンデーモーニング」コメンテーター、他)であるが、今や“時の人”の一人といっていいだろう。ということで、これは見逃せないと予定を立てていたが断念した。
  それは、末の孫娘(小1)を預けられ、名古屋市科学館・プラネタリュームで半日を過ごしたからであった。朝9時には、チケット購入のために科学館前の列に並んだ。550番目あたりであったろうか。11時20分のチケットが取れた。
  理屈をこねれば、岸井成格の講演は私自身の肥やしになるが、先々のことを考えれば、その実りのほどはさほど大きくはないと思われるのだ。一方、これも不確かであり、“願望”に過ぎないのではあるが、孫を「科学」に出会わせることの方が、今や価値が上であると思わないでもないのである。
 日常的には、“かわいい”だけ、“教えたい”だけで、連れ出したり、物を買い与えたりはしない。あくまで親の依頼か、孫自からの希望があった時だけである。それゆえに優先的にもなるのである。
 プラネタリュームは1日6回行われるが、大きくは「一般」「ファミリー」「学習」の3つに分かれていて、投影時間は50分で同じだが、内容で若干の差があるようだ。今日の第2回目は「ファミリー」のコースで、やはり小学生以下の子どもと一緒の親子連れが多かった。
 プラネタリュームは、大人でも十分楽しめるし、何度足を運んでもワクワクする不思議なものだ。未知な世界であるし、「星」という浪漫もあれば、星座という物語もある。好奇心をくすぐられながら、気が休まり、明日へ続いていく“希望”を持ち帰ることができそうな、つまり“またいつか、来てみよう”と思わせるのである。
 といいつつ私は、惜しいことに時々眠ってしまうことがあったのだった。常用している薬に催眠作用の成分が入っていることもあるが、こうして眠くなるのは、案外「加齢」のせいであろうと思う。テレビの前では、内容がつまらないこともあるが、しばしば眠ってしまって10分くらい画面が飛んでしまうのである。
 プラネタリュームが終わってからも孫は、展示室の各階を“疲れを知らない子ども”そのままに飛び回るのだった。こちらは、遠目に後姿を追いながら、何に一番興味を示すのか観察するのだが、今のところ、突出したものはなかったように思えた。まあここは「科学」という領域だから、動物園、水族館だけでなく、この先、博物館、花の館(園)、図書館、美術館、コンサートあるいは、様々なスポーツ、ハイキング、社会見学などで何かを見つけるのであろうが、「親の欲目」みたいなものがあって、何か特別な才能がありはしないかとそっと覗き込むのである。
 とはいえ、上の孫二人は、ぼつぼつ“ジジババ離れ”が始まっており、この末の孫娘もあと2~3年であろうかと、後姿から想像してしまうのであった。

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2016年11月 1日 (火)

男の気持ち・生き方(137)

  2016年11月になって
 2016年も11月に入った。当たり前のことだが、みんな一緒なのだ。だが、日付が変わったとたんからみんな違う1日が始まった。
 かくいう私個人としては、メモしておきたいほどの1日であった・・・。
  まず、断続的に続けている、主として物の「身辺整理中」の“紙類”を、今朝大量に廃棄することになってリサイクルに出した。この“紙の山”は、いったい何だったのか。読んで部分的に記憶して、それでも忘れてしまうことを恐れ、あるいは、いつかは参考資料として再利用することもあるかもしれないと、さらにひょっとして捨てるのは“もったいない”と、その時は思ったかもしれない。いずれにしても、今となっては、“離縁”するほかない。リサイクルされて、“第2の人生”を歩んでくれ、という心境であった。一方、多少「商品価値」がありそうだとメボシをつけた本・雑誌類は、丁寧に扱って残した。いずれ古本屋の引き取ってもらうつもりだ。レタリング、カメラシリーズ全8巻、NHK編集の「地球大紀行」他、小説の単行本もあった。とはいえ値がつくものは少ないし、ま、これもリサイクルの一つともいえようか。
  今日は晴れそうなので、早めに洗濯を済ませ、近くのクリニックに行って、予約をしておいた、補助のついた「名古屋市高齢者肺球菌予防接種」を受けた。10日前には、今年の「インフルエンザ予防接種」も受けていて、一応、万全とは言えないが迎冬の準備ができた。
予防接種といえば、もう30年も前になろうか、家で工作中に手を滑らして、錐(きり)が掌から手の甲に抜ける傷を負った。錐の先端が、手の甲に抜けた時は、少々びっくりしたが、神経を外れたのか、さほど痛みは感じなかった。それでも、治療しておいた方がいいと思って病院に行ったのだが、その時医者の勧めで、治療後に「破傷風」の予防接種を2回に分けて受けたことがあった。“これで一生大丈夫です”といわれたが、一生大丈夫?破傷風に罹らない?については未だ信じていない。そんな免疫ってあるのだろうか。
  クリニックから銀行に回って通帳の残高を確認した。日常的にカード払いが殆どであるが、カードを紛失した場合、ひょっとして悪用された場合に備えて、残高は3か月分程度にしているので、時々点検しないと不足してしまうのだ。とりあえず年末年始の出費を考えての残高に問題はないと判断した。ここまでが「家事」。
  午後からは、「第3次身辺整理」の段階の、1970年代の主要な運動であった、労働運動に加えて「三里塚」「沖縄」「部落差別」の諸資料の整理に入った。その多くは残しておきたいのだが、現実に活用できるのは部分的な労働運動関係と「沖縄」だけ。とりあえず、段ボールに紙銘板を貼って、すぐに引き出せる、特別扱いの様式にして作業を始めた。しかし、作業はすぐ頓挫した。取捨選択に迷いが出たからだ。そこで作業は中断したが“当面、いや、この先不要ではあろうが、思い入れが強く捨てがたい”そうしたものは、2~3日放置しておくことが一番で、そのうち結論が出るものだ。
  それにしても、関心の領域を広げすぎた。やっぱり、これだけは人に負けない、といった「井戸一つ掘る」ことが大事だったなあ、と思わずにはいられなかった。他に「歌舞伎」「大江戸」等に関する資料がある。また悩みそうだ。
  かくして、夕食の支度時間まで濃密な時間が過ぎた。

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2016年10月 4日 (火)

男の気持ち・生き方(136)

 「朝日ジャーナル」から「週刊金曜日」へ
 既に、創刊以来購読してきた「週刊金曜日」の購読を中止することは書いてきた。次号か、次々号で購読が終わる。そして今日、第1火曜日は「リサイクルの日」であり、今朝、1週間前から準備をしてきた「週刊金曜日」の一部を残して全量を玄関前に積み上げた。私にとっては「週刊金曜日」ならぬ「終刊火曜日」となった。
 思えば、一時「週刊ポスト」の創刊号から購読したが、すぐにありきたりの週刊誌になった気がしてやめてしまったこともあったが、「週刊誌」購読は、創刊1959年の「朝日ジャーナル」を、1967年ころから購読し始めたのが私の起源であったように思う。そして1992年に「朝日ジャーナル」は終刊となり、1993年から「週刊金曜日」に引き継いだのだった。
 「朝日ジャーナル」にしろ「週刊金曜日」にしろ、「経営母体」が違うので、一概に同一視はできないが「市民の立場・目線から主張するジャーナリズム、そして権力を監視し物申せるジャーナリズム」というジャンルでは括ることができるのではないか。そういう冊子を身近に置いて来たことそれ自体が、私の一部を構成してきたといえなくもないが、実態としては、熟読したことはほとんどなく、その時の課題の“拾い読み”程度と、その時代の雰囲気に遅れまいとするナルシズムみたいなものがあったように思う。まあそれでも、何かと迷妄し、彷徨し、暗夜の中にいた時の道しるべに寄与したことであろう。
 そうしたことを考えると、今になって「週刊金曜日」と決別するということは「終活」の一部であるとともに、少し気取って言えば、この歳になってようやく「自問し、自答しようとする」自立の端緒ではなかろうか。
 “人間、生涯学習する動物である”といった人がいたかどうか知らないが、確かに「学習」は日常的にある。知らず知らずに“危険を予知する”のも学習の効果であろう。例えば、雨降りの日、アスファルトの歩道でさえ、へこみがあって“水たまり”がありはしないかと注意を払いながら歩くのも、一度は思わず、水たまりに踏み入れてしまったことがあったからであろう。
 だが、学習そのものは「個的」のもので、学習したものが「効果」を表すには、その学習効果を言動に移すことによって現れるのではないか。「学習-熟考-状況-言動」という流れを創り出すことがあってはじめて、「学習」そのものは、とりあえず完結するのではないだろうか。
 この歳になっても「学習」は欠かせないし、「教えられる」ことも多いはず。その一方で、私自身の「学習-熟考-状況-言動」の中に、伝えるものがあれば、それを優先する時期はいまではないのか、とも思うのである。

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2016年9月 6日 (火)

男の気持ち・生き方(135)

  データに踊らされる
  内科の定期検査日であった。血液検査と尿検査と問診。検査項目は40項目ある。医師の見立てで5項目追加されることもある。昨年12月のある項目の検査が「危険領域」の入り口で、2月の検査でさらに悪化。さすがに“再発”の危機感をもって、“生活習慣”を変えたというより、やるべきことをより徹底させた。4月、6月の検査で良好の傾向をたどり、今日の検査で「正常値」にはまだ及ばないが、危険水域からは抜けたようだ。
 だがちょっと気を抜けば、“データ”など、“なんだこれ!”というほどに変貌してしまう。こうして、検査は安心を授けてくれる一方、常に“尾行”され“監視カメラ”に捉えられているような気がしてうっとうしいのである。
 もっとも、日録(ブログ)を書き、私的な日録をメモし、体重計の4つのデータを記録していると、当初の“一喜一憂”から、“ま、今日は、こんなもんだろう”という予測してみる“楽しみ”みたいなものも芽生えてくる。
 このような“データ”は、何も健康診断だけが身近にあるわけではない。暮らしの中の多くは様々に“データ化”されているといってよい。健康バロメーターで言えば、「平均寿命・健康寿命」「1日の健全摂取カロリー」「栄養素別1日の摂取量」「睡眠時間」「排尿・排便回数と量」「一日の健康歩数」「年齢別平均睡眠時間」そしてなぜか忘れることのない「エンゲル係数」。「偏差値」なんてものは昔はなかったが。
 経済指標などもっと細やかで、膨大なデータが管理、駆使されているに違いないし、「内閣支持率」「政党支持率」といった世論調査では、その“安直”なデータが、政治の流れを変えたり、淀んだりさせたりして、不快、不信に感じることは少なくない。
 あるいは、そのデータの管理、応用が職業として成り立つ昨今、その対極にあるといっていい“手作り”の仕事、職業、運動の世界が、狭まってきているのかな、“時代遅れ”になりつつあるのかな、と思わないでもない。
 この1週間、特にこの2~3日は、「あいちキャラバン報告集」の編纂作業に明け暮れ、半徹夜もあって、生活は乱れっぱなし。それにつけ、パソコンがなかったらどうなっていただろうとか、パソコンの初心者段階でしかないわが能力では、追従していけるのも時間の問題といえそうだ。“老域”に入った今、様々な運動体験、知識を後輩に伝えることの大事さもさることながら、もはや、パソコンの世界では教えを乞う状況となっているのが実態である。
 検査やそのデータに驚かされ、踊らされるのは、たまのことでしかない。しかし、それでも“主体性”をもって、対処したいなあと思わざるを得ないのである。
 

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2016年8月31日 (水)

男の気持ち・生き方(134)

 私の貧困観“我が家は貧乏”だったが・・・
 毎日新聞の「くらし下流化ニッポンの処方箋」の記事で、8月18日放送のNHKニュースで取り上げられた「『1000円ランチ』女子高生をたたく日本人の貧困観」を読んで考えた。
  女子高校生は、母子家庭の経済事情で専門学校進学をあきらめたことを明かし、アパートの部屋に冷房がないこと、パソコンの授業のために母にキーボードだけを買ってもらって練習したことなど、番組は母と2人暮らしの女子生徒の暮らしぶりも伝えた。その映像にイラスト用の高価なペンが映ったことから、女子生徒のものとされるツイッターが特定され、1000円の昼食を食べていたこと、好きな映画を見に行っていたことが、ネットやソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)攻撃された。
  それに対して、女子高生へのバッシングに抗議し、8月27日には、若者を中心に約500人のデモが東京都新宿区で取り組まれたことも付加された。
  このような「“1000円ランチ”女子高生をたたく日本人の貧困観」について藤田孝典 氏(NPO法人ほっとプラス代表理事)は、「女子生徒をたたく人たちは、『彼女は本当の貧困ではない。飢餓寸前になるまで助けるべきではない』と主張しているように見えます。ある国会議員もその論調に乗ったツイートをしました。ここに、貧困問題を考える上で重要なポイントがあります。つまり、『貧困とはどのような状態を指すのか』『貧困であるかどうかを決めるのはいったい誰か、そしてその基準は?』という問題です。」と指摘した。
 では改めて「貧困」とは?「多くの人は、貧困とはものを食べられず、服も買えず、住むところにも困っているという状態をイメージするでしょう。 このように、肉体・生命維持で精いっぱいの極限状況を『絶対的貧困』と呼びます。発展途上国で見られるタイプの貧困で、国連は、低所得、栄養不良、健康不良、教育の欠如など、とうてい人間らしく生きられない状態と定義しています。」「1960年代になって、英国の社会学者ピーター・タウンゼントが『相対的剥奪』(Relative Deprivation)という概念を提唱しました。『最低限のものを食べられて、着る服があれば貧しくないのか、人間的な生活と言えるのか』と問題提起をしたのです。これが『相対的貧困』という概念です」「タウンゼントはいくつかの『剥奪指標』を示しました。ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているかといった指標です。」(以上藤田氏)

 以上引用ばかりだが、確かに「貧困観」は人さまざまだ。私には「貧困」より「貧乏」という方がフィットする方なのだが、専門学校どころか全日制の高校も家庭の経済事情で行けなかった。でもそういう「時代」でもあったと自覚している。貧乏だったから、中学の3年間は新聞配達をし、15歳で就職し、わずかだが現金収入を得て、少しずつ家計に入れた。けれども、そうした家庭環境、生活環境にものすごく“嫌悪感、絶望感”を持った記憶は薄い。それを意識し始めたのは、多分組合活動、社会運動にかかわるようになってからだろう。その意味では、体感的な貧困観(絶対的貧困)ではなく、意識的な貧困観つまり「相対的貧困」観の色合いが強いのかもしれない。
 それにしても、「ちゃんと食事をしているか、外食をしているか、友人関係を維持しているか、習い事や教育にお金をかけているか」という指摘は示唆に富む。「バランスとカロリーと飲酒に気をつけて食べている。」「外食は控えめ。やむを得ず外食をするときは、『定食』を選ぶ」「友人は大事にしているが、価値観の違いの大きい時に悩む」「社会運動が、習い事や教育に相当すると思っている」が私の近況。
 そして“老域”に入った今、年金が唯一の経済基盤であり、健康が貧困阻止の切り札だと思っている。その二つのどちらかが欠ければたちまち「貧困」に直面するだろうし、同時に二つを喪えば、「絶対的貧困」に陥る可能性は小さくない。その時は、子供、孫の援助を受けるほかなく、そのためには、今何をなしておくべきか、というのが昨今の憂鬱ではある。

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