2018年6月27日 (水)

中部電力の株主総会

 発言の機会を得られず
 この2年参加できなかった中部電力の株主総会に出席した。
 質問事項を用意していたので、いい席を取ろうと開会1時間前の午前9時には会場に入った。受付番号604番であったが、会場内は10人もいただろうか。参加株主は1052人と公表され。12時25分に閉会(打ち切り)された。
 総会の焦点は、毎度のことながら「原発関連・浜岡原発再稼働」について、が7割を占めたであろうか。この問題は、一般株主からの発言もあったようだが、「脱原発!中電株主といっしょにやろう会」が中心になっていた。「会」では、事前に5つの「定款一部変更の件」という議案を提出していた。
第6号議案 (1)本会社は,経営の透明性を確保するため,相談役,顧問及び参与の役職を廃止する。
第7号議案 (2)以下の章を新設する。「第○条 原発事故緊急時避難対策を目的として,周辺自治体,企業,病院,介護施設等と連携して,常設の地域協議会を設置する。」
第8号議案 (3)以下の章を新設する。「本会社は,原子力事業者として浜岡原子力発電所の重大事故に備え,希望する者に対しては,安定ヨウ素剤の無償提供と服用に関する説明を受ける機会を保証する。」
第9号議案 (4)以下の章を新設する。「第○条 本会社は,電力ネットワークカンパニーにおける送電線の運用において、再生可能エネルギーにより発電された電力の接続を優先する。」
第10号議案(5)以下の章を新設する。「第○条 本会社は,実現性,採算性が見込めない再処理事業から撤退する。
   この目的を果たすため,次のことを行う。
  1 日本原燃株式会社への出資及び債務保証の解消
  2 原子力環境整備促進・資金管理センターに積み立てている再処理等積立金の返還請求
 これら全議案は「取締役会」の反対意見をもって、賛成少数で否決された。
 原発関連以外の他の発言から拾ってみると①8年前に起きた、中電新入社員のパワハラによる自殺事件(係争中)が取り上げられた。②取締役に女性がいない、トヨタも相談役、顧問を大幅に減らしたなど、経営陣に対する注文が出された。
 さて私といえば、早くに行っていい席を確保したつもりだったが、結果的にこれが「最悪」の場所となってしまって、手を挙げ続けたがついに指名されることはなく、サクラの「閉会の動議」が出る前に議長(水野会長)が勝手に質疑打ち切りを宣言して閉会してしまった。
 なぜ「最悪」だったのか。前から6番目辺りに席を取ったのだが、私と議長を結ぶ線上の一つ前の席に、6号議案の提案者Kさんがいたのだった。議長の目線は、こちらに向いてもKさんは指名の除外対象であろうから、その後ろの私まで届かないというか、同時に外された、という感じだった。もう一つ、会場は指名の均衡を図るためであろう前A~E、後ろF、Gの7ブロックに分かれていた。私は正面のやや右、Dブロックの左寄りであった。ところが、全質問者の4割くらいか7人がDブロックから指名されたのだった。
 ということで発言の機会は得られなかったが、用意したものは「JR東海のリニア中央新幹線の電力使用量とその供給体制及び浜岡原発の再稼働との関連性及び、再生可能エネルギーへのシフト強化と火力の技術革新によるCO2削減に向けた、資金の集中投資を要請。原発の廃炉を含めた費用対効果を示せ」
 この種のものは、他からの発言もなかったので、かなり残念な気持であった。次は、挙手の少なかったF、Gのブロックにするかな。

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2018年6月16日 (土)

韓国ドキュメンタリー映画『共犯者たち』名古屋上映会

 

徐台教氏による『韓国言論人、かく闘えり』と題した講演会も
 今年の6月は韓国、共和国関連の集会がいつになく多い。それは「6・12米朝首脳会談」開催以前の企画であり、米朝会談が動機になっている訳でもない。例えば、
12日、「朝鮮半島情勢と日朝関係」講演会 
14日、6・15共同宣言18周年記念講演会
 〃  朝鮮半島の歴史と白丁
16日、映画『共犯者たち』名古屋上映会と講演会
18日、映画「鬼郷」(チョ・ジョンネ監督)上映会
24日、在日韓国民主統一連合時局講演会
30日、日韓連帯集会「労働者の力で 北東アジアの平和をつくる」講演会
 この日は、「NPO三千里鐵道」の主催で、韓国ドキュメンタリー映画『共犯者たち』の上映と、コリアン・ポリティクスの編集長、徐台教(ソ・テギョ)氏による『韓国言論人、かく闘えり』と題した講演会がセットになっていた。
 まず映画についてであるが、「2008年の李明博(イミョンバク)大統領就任以降、のべ10年にわたり続いてきた保守政権による言論封殺、積極的に政権による言論封殺に加担してきたKBSやMBC内部の『共犯者』をあぶりだす内容の過程を記録したもので、9月4日から同時ストライキに入ったKBSとMBCの背景を説明するもの」である。
 監督は、MBCの看板番組だった調査報道番組『PD手帳/PD수첩』の責任プロデューサーを務めていた元MBCの崔承浩(チェ・スンホ)さんで、映画はチェ・スンホさんらがMBC、KBSの社長や役員、理事長らに直撃し、彼らが指示している偏向報道や不当な人事について、執拗に見解を問いただす様子が映し出された。
  まず「KBSの構成員は李明博政権からの天下りを阻止するために総力を傾けた。だがKBS理事会は、(チョン・ヨンジュKBS社長の)解任を決定する日、警察を投入するという前代未聞の強硬策に打って出、記者やPDらの激しい抵抗に遭い、大きな衝突を引き起こした。この事件がまさに『2008年KBS 8.8事態』である。
  事件が起きてKBSが壊れていくプロセスをあぶりだした『共犯者たち』のカメラは、2年後のMBCへと移る。その時はまだ、MBCは相対的に自律的な報道が可能な状況であった。だが李明博が推進した『4大河川事業』の実体を告発するなど、MBCの時事番組が政権にとって目障りな番組を度々送り出すと、李明博は金在哲(キム・ジェチョル)を社長として送り込んできた。金在哲は権力批判の報道を阻止し、放送を検閲した。
  MBCの構成員は反撃を試みた。170日にも及ぶ韓国マスコミ史上最長期間のストライキを繰り広げ、李明博のマスコミ掌握に抗し先頭に立って闘った。ストライキに参加したことを理由に金在哲がマイクとカメラを奪った人材は、のべ200名にも及んだ・・・。」(以上は“コピペ”です)
 4月に観た映画「ペンタゴン・ペーパーズ」といい、この映画といい、マスコミ、ジャーナリスト、それに関連した人たちの巨悪な権力との闘いを描いているが、当然にも「日本の業界」はどうなのだ、という問い返しになる。
 こうした闘いが熾烈を極めれば、極めるほど「ある者は不当解雇され、ある者は担当番組を奪われ、ある者は閑職に追いやられ。働き盛りの敏腕記者やプロデューサーたちがMBC社屋前広場のスケートリンクの管理人に配置させられ」といった酷い仕打ちを受けるのは稀ではない。それを辛くも救えるのは「世論」であり、世論を作り上げる大衆の声であり、行動であり、市民力、政治力ということになる。
 安倍政権のもとにあるこの国を「今一度見直せ!闘え!」と背中をたたかれたような感じであった。

 

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2018年5月28日 (月)

閉鎖的な会社(企業)に未来はない?

 市民、住民を敵に回すようでは
  武器輸出反対ネットワーク:NAJATの杉原浩司さん(東京)が、29日の「UAEに武器輸出するな!イエメン空爆をやめろ! 5.29 川重東京本社&UAE・サウジ大使館アクション」の前のこと。こんなように伝えている。
  「前回、ニュージーランドへの軍用機輸出の中止を求めた際には会議室で要請書を受け取った崎重工ですが、今回は『受け取り拒否』(怒)。総務課のとみやま氏に受け取れない理由を尋ねても『とにかく受け取れない』『防衛施設庁(注:防衛装備庁)がやっていること』。最後は、『受付に出しておけ』と。まったくふざけ切った対応です。」と。
 この事例は、トヨタ自動車の本社の対応と同じである。
 フィリピントヨタ労組(TMPCWA)の闘争(フィリピントヨタ社の、2000年に233名その後237名に対する不当な大量解雇の撤回闘争)を支援する日本の団体(関東地区と愛知の支援する会)が、トヨタ本社(豊田市)に「争議の、早期解決に向けたトヨタ自動車本社の経営指導を求める」要請書をもっていくのだが、人数制限をしながらも毎回応接室で広報担当者が対応はする。しかし、要請書は受け取らない。そこに置いておけ、と言わんばかりである。つまり受け取れば、何らかの「交渉」に応じたという「既成事実」を担当者は恐れてのことだと思われた。この争議は、ILOを巻き込みながら17年を経て未だ解決していない。
 もう一つの事例は、豊田通商の場合である。こちらの対応は真逆。
 1990年の初頭、豊田通商で解雇撤回闘争が起きた。当時「名古屋労組連」がこの支援活動を担った。そこで支援する会を結成すると同時に豊田通商本社(名古屋)に対して解雇撤回の交渉を申し入れた。
 対応した担当者は、きちんと会議室に招き入れ、こちらからの申し入れを、メモを取りながら聞き取りをしていた。そうした「交渉」は、月1回のペースで行われたが、解雇理由について「就業規則に不備があるのではないか」というこちらからの指摘、提起にも応じて、結果としてどのような改定が行われたかはわからないが、従業員の健康維持のための「メンタルヘルス」導入に応じた。
 1995年には、株主総会に乗り込んだ。確かに会場の前列2列は同社社員が固めてはいたが、発言が制限されることはなかった。解雇された本人が参加した時など、パネルさえ持ち込んだのだった。
 交渉の当日など支援する会では、名駅前の人通りの多い場所(現在は近くに移転)で、横断幕を掲げ、のぼりを立て、マイク情宣をして気勢を上げたが、通商側は「意に介せず」といった風な、妨害や警察への通報もなかった。それが「商事会社」ということからのある種の「矜持(穏便に)」だったかもしれないが、今では稀有な「大人の対応」であったと思い出される。
 二つの事例を挙げたが、当時の豊田通商の対応は例外中の例外で、多くは「会社は城、内堀、外堀で固める」つまり、市民、住民は「敵」であり、寄せ付けない。「使者」に対しても、城門を固く閉めて応じない、そんな会社が当たり前になってしまっているのだろうか。未来志向のない、閉鎖社会(会社)は長く続かないと思うのだが。

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2018年5月27日 (日)

100人に一人が日大卒だって!

 在学生、卒業生の動向にも関心
  日大のHPには、~日本全国、また世界各国に広がる校友は116万人を超え、産業、経済、芸術、スポーツなど様々な分野で活躍されています。校友会は、大学の近況を情報発信し、年一回行われる「全国校友大会」を開催するなど、校友のみなさまと母校との絆を深める場として、現在全国に65都道府県支部、18学部別部会、職域別4部会、75桜門会、さらに米、韓国などの8海外特別支部から構成されています~と書かれている。
  116万人という数字は現時点のものか、明治の開学以来の数字なのか不明なので一概に言えないが、現時点のものなら赤子を含めた日本の人口の100人に一人が「日大卒」ということになり驚きである。私の中学の同級生450人余の中に日大卒は一人もいないから、案外首都を含む関東地域にかなり集中している可能性もある。日大の卒業生がどんな分野でどのような仕事をされているのか想像すらできないから、滅多なことは言えないが、100人に一人が「日大卒」だと知ると、なんだかかんだといって自民党が政権を維持している背景に、この「日大」が少なからず影響しているのかな?と勘ぐってしまう。(下司の勘ぐりだろうか)
  これから就職を迎える日大生、特に「体育会系の学生(アメフトは特に)」にとって厳しいことになるかもしれないが、それは大学の体質を変えていくチャンスでもあるので、在学生は沈黙の殻から抜け出してほしい。それは「何も再び「大学紛争」を起こせということではなく、自分の人生を見据えて、このままでいいのか、と。
  私が思うに学生の「本分」はもちろん学識、教養を身につけることであるが、社会に出ていく予備知識を得、交友を広く持ち、仮想人生を描く機会でもあろう。この社会の背骨を担っていく一員の自覚を高める場でもあろうと思うのである。
  そんな“四角四面なことを言ったって、バイトも恋愛も旅行も、学生生活のうち”と言われれば返す言葉がないが、「大学の体質」が問われている、と考えたとき学生はその渦中にいるのであり、大学へ行けなかった私の思いは、どうしても偏るのである。ともあれ、日大生、卒業生の動向にも関心を寄せたい。

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2018年5月23日 (水)

日大アメフトのラフプレー問題

あの日大が・・・日本の病弊の一つか
 5月6日に行われたアメリカンフットボールの日大-関学大の定期戦で、日大のDL選手が、無防備の関学QBの選手に背後からタックルするラフプレーで怪我をさせた。だがそれは「ラフプレー」を超えた「傷害事件」さらには、「組織犯罪」の様相を見せている。
 日大の宮川選手の記者会見を部分的であるがビデオで見た。内田監督、井上コーチの記者会見も部分的であるが見た。その印象、評価、そして選手の将来を案じ、監督・コーチをはじめ日大経営者への厳しい目線は、多くを言わなくても、見た人ほぼ同じであったと思う。
 日大アメフトの“あしき伝統”というのがあるらしい。内田監督の前の監督は篠竹某といい、「闘将」という名の規律は重んじてはいたが、鉄拳にスパルタだったという。独裁政権だったとも。それをそっくり受け継いだのであろう内田前監督は。「独裁者」といわれる者は、自分が独裁者だという認識以前に“歴史に名を残す”“過去にない成果を上げる”名将、経営者、政治家というヒロイズムに浸るのであろうか。
 それにしても“あの日大か・・・”
 こんな時、持ち出す事例ではないが、私はこの“事件”を知るとすぐに1968年ころの大学紛争、特に日大・東大における「全共闘運動」を思い浮かべた。私はすでに就職していて当事者ではないが、職場では「反戦派」の末尾についていて、学生たちの「全共闘運動」と「反戦派(少数派)労働運動」に、なにがしかの共通点を感じていた。
 当時の日大は、古田という独裁的会頭のもと、大学という名の今で言う「ブラック企業」「ブラックキャンパス」で、ついに学生たちが決起したのだった。(今の日大生のことは知らない)
 この事件と安倍晋三、安倍政権の類似性を指摘する声もある、確かに。ただ、それはそれであまり軽く考えないで、もう少し慎重に考えていかねばならないだろう。他にも政界だけでなく教育界、医療などの社会的な領域、業界にも蔓延していることはないかどうか。そうした病理、病弊の普遍的な要点をとらえることで、陰に隠れている“悪の親玉”あるいは、隠された“歴史的事実”が見えてくるのではないだろうか。リアルに向き合うことと根源を探る2面性を持ちたいものだと思う。

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2018年4月 6日 (金)

大相撲・女性禁制の土俵・伝統

 行事、呼び出しも女性はなれない?
 去る4日、京都府舞鶴市で行われた大相撲の春巡業で、土俵上であいさつ中に倒れた舞鶴市の多々見良三市長を、観客の女性が救命処置のために土俵に駆けあがった。ところが、進行役・相撲協会の若手の行事が「女性は土俵から下りてください」と数回場内でアナウンスし、「人命か伝統か」で問題となった。
 まず市長は、くも膜下出血で1か月ほど入院加療ということで命は心配なさそうだ。問題は、当然にも「人命か伝統か」と問われれば、誰もが「人命」と答えるだろう。不祥事続きの相撲協会は、直ちに反応して不適切な対応だったと認めた。これを機に「女性禁制の土俵」という伝統を見直すなどの検討に入るのかどうかも注目したいところだ。他にこれに類した伝統、例えば、行事、呼び出しなどはどうか。そもそも相撲協会の事務方を除く、土俵周辺の様々な仕事に女性が採用されているのだろうか。(見かけたことはない)
 ところで、この巡業を取り仕切った「実行委員会」は5日午後、心臓マッサージの中心になった女性に感謝状を贈りたいと連絡したが、「当たり前のことをしただけ。そっとしておいてほしい」と固辞したというニュースが入ってきた。この女性は看護師だという。とっさの行動も、その後の対応もこれまで職責を全うしてきた経験がそうさせたのであろう。見習いたいものだ。ただお聞きしたい点は「くも膜下出血に心臓マッサージ」は、応急処置としてよかったのかどうか。
 付け足しであるが、巡業の勧進元(主催者)は、前綾部市長の四方八洲男さんで、かつての名古屋における運動仲間であったことにも驚いた。「綾部場所」の勧進は聞いてはいたが。

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2017年11月 3日 (金)

文化の日の改称運動があるなんて

 復古主義はここまでも
 今朝の毎日新聞の社説 「文化の日の改称運動 復古主義と重なる危うさ」を読んで驚くとともに、敵は「深く静かに潜航」していたと気づかされた。
 敵とは、憲法改悪(明治憲法=帝国憲法へ回帰)を進める「右翼(右派)」総体である。そこには、安倍首相や安倍に追従する稲田朋美元防衛相をはじめ全ての政治家、学者・文化人、日本会議などの右翼団体を言う。そして「文化の日の改称運動」とは、戦前の11月3日は「明治節」と呼ばれる祝日だったので、「文化の日」を今一度明治天皇の誕生日に由来する「明治節」に復活させようというものである。
 私(たち)はこれまで、1945年を起点とする、先の大戦の反省、教訓をもって「平和憲法の下、平和国家の新生日本」をこのまま発展的に進んでいく道を最良としてきた。さらに「いろんな考えがあっていい」という「多様性」を重んじるいわば「デモクラシー」の原点に立つことを心がけてきたと思う。そうした「許容」は、民主主義の熟度、民度に支えられるという一種の“危うさ”がないでもないと、薄々感じてはいたが、それはもっぱら「政治的、社会的」な観点からではなかったかと思う。
 しかし、安倍内閣の登場と「2020東京五輪」が重なることによって、「にっぽん、ニッポン、日本・・・」の大合唱と「挙国一致」「大和魂」「優秀選手の発掘」といった、スポーツの世界から、思想的コントロール(国家的支配の強化)の警戒を薄々感じてはいたが・・・。
 そして今回は、「文化の日」がターゲットになっていると知った。かつて11月23日の「勤労感謝の日」が、飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった「新嘗祭(にいなめさい)」であったとか、或いは2月11日の「建国記念の日」が、廃止されたが『日本書紀』にある神武天皇が即位したとされる日「紀元節」といわれていること。このような祭日そのものが「復古」されかねない動き、天皇中心の明治憲法の復古を単に「懐古主義」と侮ってはいけない、事態は時々刻々、深く静かに潜航していることを改めて知らされたのであった。

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2017年9月12日 (火)

踏み躙られた「チビチリガマ」

 怒り!時代の変化の兆しか
 沖縄県読谷村の「チビチリガマ」に私は、2015年6月22日「沖縄ピースサイクル」に参加した折に訪れた。その時案内してくれたのが元村議で僧侶、民宿「何我舎(ヌーガヤー)」の知花昌一さんであった。その時の知花さんお話によると、150人がここに逃れ、そのうち85人が亡くなったという。以下がその時のレポート。
   シムクガマとチビチリガマ
 朝食前の朝7時半、歩いて7~8分ほど先の「シムクガマ」に向かった。洞窟に向かう途中に「ハブに注意」の立札が幾つもあった。ここは1500人ほどが、戦火を逃れた場所というが、洞窟の中央に小さな川が流れているとはいえ、入口あたりはともかく、奥まった場所は、(まだ奥に続いてはいたが)暗くて狭くてごつごつした岩場でどんな寝食の状況であったのだろう。
 島の形を変えるような艦砲射撃、圧倒的な物量の米軍の上陸と悲惨の極みとなった地上戦、戦場に駆り出され、逃げ場を失う住民、そして無数のガマに追いやられた状況は、「沖縄戦」の一言では見えてこない。こうして現場に来るほかないのである。この後もチビチリガマ、アブラチガマを見て回ることになるが、絶句するのみである。(中略)
 9時になって「何我舎(ヌーガヤー)」を出発、知花さんの案内で「チビチリガマ」を訪ねる。奥行きはそんなに深くないが、150人がここに逃れ、そのうち85人が亡くなったという。その時の現状が生活用品、遺品や埋葬されない骨片と共に、そのままに近い状態になっているという(現場は立ち入り禁止になっている)。遠足かと思われる中学生の一行がバスで見学に来ていた。碑文の一部であろうか、全員で復唱するなど教員が熱心に教えていた。本土とは違う「沖縄の心」をまた垣間見たのだった。
 それにしてもこのニュースは衝撃だった。真っ先に感じたのは、やんちゃな中高生のいたずらとは思えない、意図的な、思想的な背景があるのではないか、何らかの「ヘイト行為」ではないか、そしてそれは、今の時代そのものを反映した「いや~な感じ」の兆しではないか、ということだった。仮に「やんちゃな中高生のいたずら」だったとしても、それはより深刻な「変化」ではなかろうか。

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2017年8月15日 (火)

8月15日という日に

  特別の日のようで特別でもない
 この日は、戦火が完全に治まり、外交的にも決着した日ではなく、昭和天皇の「玉音放送」があった日であるから、本来「終戦の日」とは言い難いのである。そもそも「天皇制」の名残りであり、一つの「区切り」に過ぎないけれども、そこは「戦争」をどう捉え、次代につなげていくかの機会ではあると思えばよいのではないか。
 15日を「終戦の日」としたが何故「再建の日」としなかったのであろうか。「新日本建国の日」といえばなんか右翼っぽいが、明治憲法から始まる憲政史上からも、その残滓はあるけれども新たな国造りの骨格として「新憲法」制定が始まったのであるから、「民主日本建国の日」はどうだろうか。そうならば「5月3日」もそれに該当することになるが、季節的にやや外れ感がある。8月が古来からの「盂蘭盆会」という宗教的というより季節感、習慣性が重なることもあって、先祖への墓参、合掌が、戦没者への追悼が重なることも、受け入れやすい素地ではなかったろうか。
 “二度と戦争しない、平和であることに関わる”ということを誓うのに「記念日」はいらない。随分前だが、年賀状に、毎日新聞のタイトル(題字)の「毎日新聞」をもじって「毎日反戦」と書いた人(杉山さん)がおられたが、「反戦平和」に“この日”はない。
 そんなことを思いながらも、今日の午後は小庭の草取りに汗をかいた。

   
  平   和

雨の日には破れた番傘で学校へ
濡れた服に着替えはなく
体は冷え お腹がすき
それでも雨あがりの水たまりを飛び越え
遠い雲を追いかけた

教科書もおさがりだった
開けば同じ 教室も机も同じ
先生のえこひいきはあったけれど
学校が好きだったから構わなかった
校庭の木々の緑がまぶしかった

戦争と平和って
ぐちゃぐちゃに描かれた絵が戦争
薄い雲が漂う空の絵が平和
戦場で倒れた兵士 空襲の焼け跡のむくろ
いま 戦没学生の絵が見たくなった

平和と戦争って
どうでもいいや 関係ない が平和
大変だ みんながみんなで が戦争
花火が上がって 夜空の華は一瞬
秘かに 念入りに 着々と うごめく影

シュプレヒコールの列に中にいた
のぼりを支え ポスターをかざし
唱和することで平和が続くと信じていた
こぶしを挙げることで好戦派と闘っていた
共同幻想ではない・・・歩きながら

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2017年6月28日 (水)

中電の株主総会で思う

 今年も欠席したが・・・
 脱原発運動の一員として、中部電力の株を購入したのが4年前。最初の年の株主総会に出席して、主として「リニア中央新幹線の電源確保」について質問をした。これはリニアが、原発の2~3基分の電力を消費すると聞いていたから、その実際の想定消費電力量と、その調達方法、JR東海からの配電要請の有無を問うたものだった。
 これを中電の側からまともに応えようとすれば、浜岡原発の全基が停止状態で、夏の消費電力最盛期で10%以下の余裕電力しかないことを考えれば、現状では、原発の稼働が前提にならざるを得ない。それを公言できない中電は、「まだ何も決まっていない、JR東海のことは他社のことですから知らない」という全く答えにならない対応であった。
 実際問題として、中電側には二つの選択肢があると思う。まず原発の再稼働を前提にしない電源確保に努める。これは、火力発電(LNG、石炭)の強化、水力発電の効率化、再生可能ヘネルギーのシフト拡大、他社からの融通、現新幹線の本数を減らすことで消費電力を減らす、などではないか。本来なら消費者の節電、企業や団体、個人のソーラー発電等の推奨、オール電化の見直しもありだが、営業上の問題かあまり言わないようだ。
 次に、原発の新規増設はあきらめるが、廃炉が決定している1~2号機を除く他の原発の再稼働を、他の電源確保の推移を見ながら最小限度で進めるというものだ。
 このように中電(電力会社)には「二つの選択肢」があると思うが、AかBかということでもないだろう。第1義的には「必要とされる供給電力量に見合った電源の確保」と「営業面の兼ね合い」ということだろうと思う。私たちが「再稼働反対、全原発の廃炉」を第1義的に求めることとの隔たりはここら辺りにあるのではないか。ということで言えば、電力会社と市民運動のせめぎ合いとは別に、ドイツ、ヴィエトナム、韓国などに見られる「政治判断、国策」が大きな要因である。市民運動と政治が固く結びついている証である。
 であるが、本日の中電の株主総会は、「家事都合」で3年連続欠席となった。

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