2020年8月27日 (木)

一泊旅行を決行する・3

 いろいろ会話する中で・・・
 同行の一人から一冊の本を贈られた。「元大本営参謀 辻 政信 潜行三千里(完全版)」である。新聞広告では大々的に宣伝していたからかなり売れたのであろう。2か月間で第八刷発行とあった。それに引き寄せられたのか、別の興味を持って読み、あえて私に読ませようとしたのかその意図ははっきりとしなかったが、思想性、政治性というよりも「歴史性」からではなかったと思う。彼とはしばしば日本史、歴史上の人物について史観を語り合ってきたからである。これまでは日本史のあれこれについて語り合うことは多かったが「昭和史」はなかった気がする。やはり戦国時代から幕末、明治までが多かったのだ。
 その場では私は、“名前は知っている、関東軍の参謀かなんかで中国大陸で・・・、ベトナムかラオスかあのあたり消息不明になったあれだよな・・・”程度の無知な応答でしかなかった。 
 それで思い出したのは、別の日のことであるが、別の同級生から、“ハナダを読んでいろいろなことが分かった、中国ではこんなことが起こっているんだな、そのうちにポストへ入れおくよ”と電話してきたことがあった。右翼雑誌「HANADA」である。
   これもかなり刺激的な新聞広告を出していたから、それに引き寄せられたのであろう。私はすかさず“その雑誌はWILLと同じ典型的な右翼雑誌だよ、中国、韓国のあることないことの記事で稼いでいる”と即答したら、雑誌は届けられなかった。
 この二つの例は、共に私の政治的立場を知っていて、二人とも右ではなないが、左ともいえない「良識派」といっていいかもしれない。そういう人に、こうした本、雑誌が興味、関心を抱かせる様を見て、何というか中間層、良識層がかなり「浸食」されているなあと感じたのだった。
 いまさらこんなことをいうのは卑怯のそしりは免れないであろうが、私の周辺の市民運動の多くの集会、講演会などは、実は仲間内の「勉強会」みたいなものではなかったか。集会があれば、ターミナル、繁華街でチラシ配りをし、SNSを使って呼び掛けはするが、それで参加者の結果を見れば、ほぼ顔見知りばかりであることが多いのである。運動がめざす広がりがない、私たちの「領域(テリトリー)」以外の賛同者、応援してくれる人の獲得が出来ていないということだと思う。
 私が「立憲パートナーズ」に登録してから2年余になるが、通信を発信し続けて、立憲民主党支持者が増えたか、つなぎとめたかは知る由もないが、呼びかけで「立憲パートナーズ」に登録してもらった人はいないのが現状だ。
 旅行中もっともっと会話があったが、一つのことが頭から離れず、ほとんど思い出せなかった。 完

 

 

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2020年8月26日 (水)

一泊旅行を決行する・2

 予定変更し早めに切り上げる、歳か?
 朝、やや雲が出ていて、今日は暑さが少しは和らぐなと窓越しに海・熊野灘を見れば、さして大きくはないが漁船らしき船が2隻、ゆっくり西方向に進んでいるのが見えた。左手(東)にみえるのは志摩半島の先端・御座岬と地図にある。
   その時ハタと気が付いた。昨夕歩いた「ビン玉ロード」は、夜間に灯りが入るとのことだったので、ホテルからは見えるものだった。気が付かなかった。“みやげ話”の一つになったかもしれなかったのに。
   朝食、これもまた私はご飯を半膳にしたが完食した。だが二人は少し残したようだ。この辺りのことは、日ごろの食習慣が出ているかもしれないと思った。
   精算して午前9時40分頃出発。ここから先伊勢神宮までの最短コースを、昨夜のうちに私が地図に書き込んでいたので、国道32号線に乗るまでナビを務めた。それでも途中の三差路で右か左かでしばし相談し合った。その原因は出発時にナビへの入力が間違っていたらしく、常に出発地点の浜島に誘導するためだった。
   そのようにスムースにいかないのも“高齢者3人組”だからであろう、想定内のこととしかいいようがない。
   11時に内宮の宇治橋近くの駐車場に止めることができた。「新コロナ」で人出が少ないからこそで、普段ならあり得ない。陽があがって暑さが増してきた。冷房の効いた車から浴室に入るような状況では、短時間でも「おはらい町通り、おかげ横丁散策」は慎重にならざるを得ない。また「伊勢うどんを食す」目的も時間的に早い。まずソフトクリームで一息入れて、折角だからと一通り散策した。
 予定ではこの後名張まで行ってぶどう狩りとなっていたが、この暑さと体力を見れば、それが無理だということは言わずと知れた共通感であった。
 結局このまま出発地の津まで直行し、遅めの昼食をとって終わりにしようということになった。見比べてみて、ここ2カ月くらいは、毎日6000歩を目標に歩いている私には、まだ余裕があるかな、そう思った。お互い“歩けなくなったら、ボツボツだな、まず杖を使い、次に車いすになり、そしてベッドか・・・”も共通であるが。
 またこんな話も。これからの我々の旅行は、目的地にあまりこだわらないお任せの「バスツアー」がいいかなと。とするとやはり、好きなところに行きたいと思えば、「体を鍛えておくしかない」となる、当然の帰結であるが。
 ここまでは「旅」の話であるが、その時々に様々な話題も交わされた。それはまた次に。 (続く)

 

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2020年8月25日 (火)

一泊旅行を決行する

   友人と3人で伊勢・志摩方面へ
 当初の予定は3月。それが5月に延期、さらに延期となって、この8月に「決行」することとなった。
 昨日24日までの愛知県の緊急事態宣言の解除を待ってということではない。体調に問題がなければ、3度目の正直で決行と決めていた。名古屋からの二人は津で合流するので、自宅から近鉄・津駅までは公共交通機関を使うが、それ以降は車で移動する。マスク持参、スプレー式のアルコール消毒液も持参し、私は午前8時のバスに乗った。
 今回は宿の手配と経費の管理を私が行い、津の友人がコース計画を担った。もう一人が運転のメインという役割分担。後期高齢者の3人だけに私はちょっと不安もあったが、自動車移動ということでその点では安心感を持った。
 目的地は二つ、一つは志摩半島にある「海女小屋体験施設さとうみ庵」そして宿泊地の浜島温泉へ。翌日は、他の2人が行ったことがないという、内宮近くの「おはらい町通り、おかげ横丁散策と伊勢うどんを食す」でありもう一つは、名張辺りで「ぶどう狩り」を楽しもうというものであった。
 最初にどこを案内されるかと思ったら、小休止もあって23号線南勢バイパス道路沿い、伊勢市の「へんば餅宮川店」であった。
 この由来については、1775年(安永四年)に九代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け、餅を商い初めたのが始まりといわれるが、「へんば」って何だ?津の友人が言うには漢字で書くと「返馬」で、参宮道中の「返馬所」で売られた餅であるかららしい。返馬所とは各地から馬等で伊勢神宮を参拝する人達が宮川を渡る際に馬を返させる場所のこと。丸く平べったい餅の中に餡が入っていて両面に焦げ目がついている。お茶と一緒に戴くつもりだったが、新コロナの影響でそれは中止になっていて、持ち帰りだけだったから車内で食した。
 この先のルートがよくわからなかった。一旦鳥羽方面に向かったのは確かで、その先に行くと左方向遥かに「志摩スペイン村」が見えたから、地図でいうと県道16号を通ってその先で国道260号に乗ったのだった。もちろんカーナビもあったが、“ちょっと古いからなあ”ということで、あとは道路標識の案内が目安であった。
   予約した午後1時に「海女小屋体験施設さとうみ庵」に到着した。予約客は3組だけであったが、他のグループは、隣接のキャンプ場の客らしい。夜になると食事に来るとのこと。
 海女さんたちのたまり場、仕事場でもある「番小屋」風の建物が2棟あって、1棟に20人くらいは入れるだろうか。そこで、海女さんが炭火で伊勢志摩の海で獲れた魚介類を焼いて出してくれるのだが、昼のメニューだからかもしれないが、それ程のものはない感じ、むしろ海女さんから普段はなかなか聞くことのできない海女漁の話しを聞きながら、対話を楽しむことがメインのようであった。
 窓越しの、道路の向こう側は太平洋でそこでは海水浴もできないことはないだろうが、そのための施設がないようなので、海水浴したい人は、その先の「御座白浜海水浴場」へいくのだろう。それにしても「ほんとに今年は少ないの。いつもの年なら予約埋まっているんだけどね」といっていた。
 午後2時半ころに、「さとうみ庵」を出発して「浜島」に向かう。ここからは、宿から受け取った案内の地図を見ながら私がナビを担ったが、詳細図にも拘らず途中コンビニ道を尋ねるということに。地図が不備なのか、我ら高齢者の鈍性がなせるものなのか。とにかく午後4時過ぎ事故もなく宿に到着した。入浴、夕食までに時間があったので、近くの海岸線沿いにある「びん玉ロード」を散策して帰った。「びん玉」は、球形でできた瓶の中に明かりがつくようになっていて、それは昼間より、夜に見るべきものであった。
 6階の大浴場からは、南側に位置していて、全面海が見えるという仕掛け。一応温泉の表示はされているが、「効能は特になし」とあった。
 食事は、種類、ボリュームは多かった。二人は食べ残したが私はご飯を残した以外は完食した。「量より質だなあ」が後期高齢者の偽らざる感想だった。 (続く)

 

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2020年2月17日 (月)

満開の河津桜を愛でる

 車窓からの楽しみを求めて
 前回の「立憲フェス」の翌日は、台風一過の「鎌倉・江の島」の予定であったが、列車の運行打ち切り、代行バスとなって「鎌倉」を断念、江の島のみを回ってきた。
 今回は、見ごろと伝えられた伊豆の「河津桜」と少し足をのばして「下田」までを目的地と定めたが、列車の乗車時間が2時間30分とあり、ゆっくり「車窓の旅」とした。ところが予期せぬことがいくつか起きた。
 まず東京神田のホテルを朝7時に出発して、東京駅発7時50分の「踊り子号」に乗る予定で、前日に切符を買い求めたのであるが、その時、うっかり9時00分発の切符を買ってしまった。当然現地着が1時間遅れとなった。だがそれは、急ぎの旅ではないのですぐに気持ちを切り替えた。問題は10時40分伊東着まではよかったのだが、そこでその先の伊豆急行線で「人身事故」とかで、12時14分まで留め置かれてしまったのだ。これで「下田」行は消えた。
 河津駅到着は午後1時30分頃だった。すぐに昼食をと「るるぶ」で下調べしておいた「伊豆海鮮 どんぶりや」へ行ってみれば行列ができていた。順番待ちの記名はしたものの、他の店を探しながら河津浜海岸の方へ歩いて行った。そこらあたりには店らしい店はなかったので、昼食はしばらくお預けにして、国道135号線から河津川に出て左岸の桜並木の東端から、いよいよ「桜見」である。うん?なんだこの人の多さは。桜を愛でるというよりも、押されるようにして、人を避けながら歩くだけになってしまった。
 それでも、時々は脇に寄って立ち止まり、人の頭越しに満開の「河津桜」を眺めた。そしてつくづくデジカメの失態を悔やんだ。携帯電話のカメラを向けてみたが、ズームが出来なくて1枚だけ撮ってすぐにあきらめた。途中、出店をのぞいて、お腹を満たそうと思ったが、席のない店ばかり。食べ歩きはマスクを外せずできないので、これもあきらめた。「館橋」「荒倉橋」「菜の花ロード」と歩き「桜の足湯」にたどり着いたが、清掃中で入れず。さらに上流へと進み、「来宮橋」「お花見ハイキングコース」そして「豊泉橋」で折り返した。
 風が相当に強く、左手は常に帽子を押さえていなければならなかった。川原に降りて食事しながら対岸の桜を眺めるカップル、家族連れもいたが、多くが外国の団体客のようで、とにかく堤防道路は人でごった返していた。考えてみればこの時期、ここだけの桜となれば、首都圏からも多く、「愛でる」なんて優雅さを求めるのは甘かった。
 お腹がすいた、適当なお店がみつからない。歩き疲れた。もう3時近くになっていた。桜並木から離れたところでようやく行列のない和食の店をみつけて入ってみたら「終わりです」と断られた。コンビニすら見つからずそのまま駅に向かった。足は重かった。
 おっ!5~6人ほど並んでいるが海鮮の店があるではないか。河津駅から西100メートルもない近場。地元の店で確かだ。20分ほど待ってようやく「鮪カンパチ丼」にありつけた。少し落ち着いた気分になって、お店の人と一言、二言、言葉を交わす。
 さて、腹は満たされ、手土産の「さくら饅頭」は買って帰ることにし、駅に行けば、何とまたここでも人があふれかえっていた。切符を買う行列も長い。見れば、座席指定の特急券は5時台まで、売り切れていた。それもあったが、午前中の「人身事故」の影響が残っているらしく、3時台4時台の特急もかなり遅れているようだった。私は、熱海経由で新幹線なので、とにかく4時43分発の各駅停車に座って乗ることができた。
帰路は、夕やみが迫っており「車窓からの眺め」はあきらめて、持参した浅田次郎の小説に没頭した。それにして新幹線の「こだま」は、何と遅いことか、どれだけ「のぞみ」に追い越されたか。名古屋駅についたのが、午後7時40分頃だったろうか。
   地下鉄の改札を出てバスターミナルに向かうエスカレーターの踊り場で、人が倒れていて、救急隊員が心臓マッサージと人工呼吸を施していた。今回の小さな「旅」の終わりに、たまたま遭遇した光景ではあったが。

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2019年11月15日 (金)

三度目の東京・高尾山へ

   紅葉はまだ、目立つ元気な高齢者
 明日からピースサイクル全国会議(総括)が開かれるにあたって、折角の上京、どこかに立ち寄りたい、かといって人混みは避けたい、例によって上野の美術館二か所巡りか、築地から移った新しい豊洲か、いやいやしょうもない・・・
この時期だから「新大久保コリアタウン」を覗いてみようかなと考えあぐねた結果、3度目になる高尾山に上がってみることにした。前回がいつだったかは忘れたが、その時のアクセスメモが残っていったので、それを参考に東京駅-新宿から京王線で高尾山口へ、ケーブルで高尾山駅。ここまで予定のタイムスケジュール通りの正午。
 晴れたこの、遙か先の都心の高層ビル群を遠望、周辺の雑木林に目をやっても、紅葉といえる風景には程遠かった。そこで「サル園(野草園)」に寄って、もう少し山肌の見える場所にも行ってみたが、緑葉の山並みが見えるばかりであった。それで目標を「薬王院」までとし歩き始めた。そこまではそんなにきついとは思っていなかった。しかしこれから先思わぬ苦労(やや後悔)することになった。やや重めのザックを背負っていたこともあったが、途中の「男道、おんな道」の分かれ道で、階段を避けて緩やかな「おんな道」を選んだのだがこの坂がきつく“ええっ、なんでこの程度の道のり、坂道で”と引き返そうかなと思ったくらいだった。休みを2度入れて歩速をさらに緩めて何とか上がり切った。
 そこからさらに歩いてようやく「薬王院」にたどり着き、まずは汗を拭き、水分を補給。1か所だけ紅葉を背景にできる場所があったので、通りがかりの人にカメラをお願いした。それにしても、高齢者が多かった、平日ということもあろうが、団体、グループ、夫婦連れ、単独も(私も)
 夕方の国会議事堂前での「金官行動」に参加する予定をしていたので、早めに下山することにした。ケーブルカーにするかエコーリフトにするかで迷ったが、時間を逆算したら十分時間が取れると判断し、約40分と表示された最短の「1号路」で降り始めた。歩き始めて10分ほどして“リフトにすればよかったかな”と後悔が立ち始めた。大腿(四頭筋)部が痛み始めたのだ。「男坂」の階段を下りる時にその兆候を感じていたのだが判断が甘かった(若くないのだ!)。耐えきれず1回だけであったがベンチで休憩をとって降りきった。
 このまま国会議事堂前まで行くのはさすがにつらい。そこでチェックイン21時を変更して4時30分ころにホテルへ。携帯していた軽食と1時間の休息、荷物を最小限にして、神田から東京駅に出てそこから丸ノ内線で現地に。開始30分前の午後6時頃であった。まだ人は少なかった。ここで午後は8時まで行動に参加した。

 

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2019年5月 6日 (月)

あべのハルカスに上がる

 大阪の変貌を想像してみたが・・・
 世間では「10連休の最後!」という5月6日であったが、私は大阪にいた。
 言ってみれば“あそび”なのであるが、昨日の「京都」とこの大阪はいつもセットで、何度か来ているので、実は「観光マップ」を開いてみたが、ここ!というところが見つからなかった。若い人たちなら真っ先に「USJ」だろうが、わが世代では一度行けばそれでよし。日本史に関心があるから「大阪城」は必見だが、一人だけならまだしも、1日7~8千歩が限度という連れ合いがいれば避けるのが無難。
 さて、そこで話題も少し下火になった超高層ビル「あべのハルカス」を上がってみた。地上60階、地上の高さが300m。大阪からJR環状線内回りで天王寺駅へ、そこからエレベーター前に行くのに手間取り(こういう方向感覚も衰え気味)、それでも行列ができているかと思えばすんなり上がれて、大阪平野の東西南北を見渡した。
 このような高いところに上がれば、まず何を探すだろう。東京ならスカイツリー、東京タワー、お台場方面か皇居あたりであろうか。名古屋?そうだなあ、名駅の高層ビルからならやはり名古屋城くらいであろうか。
 それで大阪は?とまず大阪城を探した。写真パネルの「矢印」がなかったら、なかなか見つけられなかったであろう。ビル群の中に「天守閣」とそれを囲む緑がかすかに見えた。
 ということであるが、一方でもし戦争か阪神淡路級の大地震がこの直下で起きたら、という恐ろしい想像もしてしまう。さらにまた100年といわず50年後の大阪は、どんな変わりようをしているのだろう。単に高層ビルが一面林のように並び立っているのだろうか。いや人口減で老朽化した建物は再建されないで、そこが緑地に代わっているのかもしれない。オアシスのように。
 どうでもいいことだが、2025年の「大阪万博」が何かを示すかもしれない。

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2019年5月 5日 (日)

この日、京都にいました

 定期観光バスに乗る
 この日の午前10時から、参院選愛知選挙区、立憲民主党からの立候補予定候補者、田島まいこさんの選挙事務所の開所式が行われることだったがパスした。
 世間でいう「10連休」の8日間は、いつもと変わらぬ毎日のように過ごしてきたこともあって小旅行を計画した。
 各地の温泉地を検索したがどこも予約が取れなかった。こんな時は「京都・大阪」がパターンになっていて、今日は京都に出掛け、定期観光バス「~源氏浪漫漂う~平等院と宇治散策・醍醐寺・萬福寺」コースに乗った。京都駅午前8時40分発の7時間コースであった。
 京都へは、何度も足を運んではいたが、今日のコースのような南部の「京都市伏見区」は、伏見稲荷までで、それ以外は「空白」地域ではあった。
 バスが最初に案内したのが、真言宗山階派の大本山の「勧修寺(かんじゅじ)」、次に空海の孫弟子にあたる理源大師・聖宝が、醍醐山上に小堂宇を建立、准胝観音、如意輪観音の両観音像を安置した事に始まったという「醍醐寺」の広大な敷地のうち【三宝院】だけが対象。その次は范道生作の布袋尊は、特に傑作で都七福神の一人として崇められているという「黄檗山(おおばくさん)萬福寺」、続いて四季折々に咲く花で有名で、一名「花の寺」・「あじさい寺」とも呼ばれている「三室戸寺(みむろとじ)」であるが、この時期は「つつじ」が満開であった。最後が10円銅貨の絵柄に起用されている、平安時代後期の藤原道長の子頼道が父の別荘をお寺にしたという「平等院」というコースであった。
 このうち京都府宇治市にある平等院は、いつか行ってみたいと思っていたので、ようやく希望がかなった、というわけである。ではあるが実物と私のイメージとはかなり離れていたというのが正直な感想だ。もう少し豪壮で重量感があるものと思っていた。改めて10円硬貨を眺めてみたが、横への広がりという点で直径が24ミリの硬貨に収まる鳳凰堂が横長に見えたためだろうとも思った。
 自由時間を使って、平等院表参道から宇治橋を渡り、宇治川に沿って散歩道を歩き、朝霧橋を渡って中洲の「橘島」に降り、「宇治川先陣之碑」は見損なったが、橘橋を渡って再び平等院表参道に戻る約30分のコースであった。
 今日1日の歩数は約1万7千歩であった。健脚とは言えないが、まだまだ“通用する”わが脚であった。

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2016年8月20日 (土)

私の夏休み(3)

 新副都心めぐり
 ピースサイクルの全国会議など、上京する折りにあちこち見て回り、主だったところは巡り歩いたとは思ってはいるが、船下り、クルージングなどと羽田空港、臨海副都心など、「海」側が残っているなと感じていた。
 いろいろ検索した結果、宿泊地から近い新橋から、都心とお台場・臨海副都心とを結ぶ新交通「ゆりかもめ」に乗ることにした。全線高架のモノレールなので、展望が開けるだろうと思ったが、沿線の内側はビル群が続くばかりで、外側は所々で視界が開ける程度。
 実はこの日の朝は、ホテルを10時前には出発予定だったがかなり強い雨だった。新橋までは歩いて7~8分とはいえ、このままではびしょ濡れになるだろうと、しばらく待機した。2~3分先の所に地下鉄銀座線の駅もあるにはあったのだが、それでもこの雨脚ではと二の足を踏んで、小降りになるのを待った。
 30分ほどして出発。汐留、竹芝、日の出、芝浦ふ頭とゆっくりと進む。まるで遊園地の電車に乗っているがごとくである。レインボーブリッジを渡ってお台場海浜公園へと進む。ここは、いつだったか夜の観光バスでお台場へは来ているが、今日は上から見下ろすだけ。観光バスも見え人も結構出ていた。
 10番目の駅「青海(あおみ)」を過ぎ、国際展示場正門という駅に着くと、目の前に四角形の奇妙な建物が現れた。「東京ビッグサイト」と読めた。イベント会場か展示会場として使われるのであろうか。どんな催事であろう入館することは生涯なかろうと思ったのだった。
 有明、有明テニスの森と続く。私には縁のないことではあるが「有明」と聞けば「田園コロシアム」が連想された。
 次に、市場前、新豊洲と聞けば、今大問題となっている築地市場の移転問題がある。上から見てもかなり広く見えた。今年の11月半ばころに移転が完了するとのことだが、そのままスムーズに進むのか、小池新都知事が何か策を示すのか。私の見た感じでは、ここまで工事が進んでいると中止、撤退は難しそうで、暮れの繁忙期を控え、そのまま新年を迎え、2~3か月の冷却期間をおいて、話し合いを続けるなどして、最終的には、移転容認ということになるのではないか。
 さて予定では、地下鉄で月島に出て乗り換え、築地市場で鮪丼でも食べるか、大江戸線で大門へ、そこから歩いて浜松町へ、東京モノレールに乗って羽田空港へ向かうかのどちらかであったが、あっさり拒否された。それならばと、有楽町線で有楽町に出て上野へ、そこで噂の「アメ横」がどんなものか見て回るのはどうかと提案、それで決着。
 一人旅なら、上野の美術館、博物館の一つや二つは見て回ったであろうが、ま、今日のところとはガイドに徹しておこうと。衣料品関係は外国人向けか若者向けが多いようで興味は少なめ。バッグ類はデザイン的にちょっとという感じ。1080円の腕時計もあったが、どんな性能なのであろうか。やはり、果物、魚類は安いが、持って帰れないので見るだけ。東京で一人暮らしすることがあったなら、ここに買い出しに来たかもしれないと夢想した。
 1日つづらしたこともあって、予定が大幅に変わってしまったが、この年齢では、当初計画そのものには、少々きついものがあったようで、あれこれ省いて正解だったかもしれない。
 夏休み終わって、明日から日常に戻るが、3食まともに摂っての3日間だったから、ウエイトコントロールの苦行も待ち受けている。

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2016年8月19日 (金)

私の夏休み(2)

 再び柴又・帝釈天へ
 葛飾柴又へは、2014年の11月に初めて行ったのだが、渥美清が亡くなって20年ということもあり、さぞ賑やかであろうと思って連れ合いを案内した。
 平日の暑い午後ということもあってか、思ったほどの人出ではなかったが、黄帽の小学生の一団も来ていた。引率の教師は、「帝釈天」はともかく、映画「男はつらいよ」の舞台になったことについて、どんな説明をするのだろうかとふと思ったが、“とらさんの映画をみた人”と手を上げさせた程度であろうか。まさか“先生、ふうてんってどういう意味ですか?”と聞かれはしないだろうが、聞かれたらどう説明するのだろうか。
 「寅さん記念館」「山田洋次ミュージアム」へも回ったが、少しへばっているようなので早々に引き上げ、帝釈天表参道に戻って、かき氷と草団子で一息入れて引き上げた。
 そういえば、渥美清が亡くなって“ええ、もう20年も経つの!”と少々驚いたものだが、8月は広島、長崎の原爆の日から71年は言うまでもないが、日航ジャンボ機に墜落事故から31年である。それは1985年の8月12日のことであるが、この8月12日といえば、1978年に日中平和友好条約が締結された日でもあるのだが・・・。
 そうそう19日の今日といえば、「六ヶ所ピースサイクル」が、茨城県東海村を出発した日でもあったのだった。(後記)

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2016年8月18日 (木)

私の夏休み(1)

 大磯に宿をとる
 当初17日から3日間、私の夏休みが始まる予定であったが、初日の東京がまともに台風11号の直撃を受ける予想となって、急きょ1日遅らせて、今日から始まった。
 この日のためにいくつかの課題を済ませておいたので、後顧の憂いなしとは言えないが、若者風に言えば、「とりま」10時過ぎの新幹線に乗って新横浜で降りた。それから横浜-中華街-山下公園(港の見える丘)は定番であろうが、「とりあえず」そのコースをたどり、みなとみらい線の「日本大通駅」から横浜駅に戻り、今日の宿大磯に向かった。
 大磯といえば吉田茂が思い浮かぶが、それが目的ではなく、伊豆の温泉地の宿が取れずたまたま空いていたにすぎず、翌日の江の島か鎌倉方面の拠点にするつもりであった。出発の直前、横浜の同級生から電話がかかって来て、大磯で宿が取れたという話をしたら、“だったら、澤田美喜記念館に行ってみたら”と勧められた。澤田美喜?すぐには思い出せなかった。聞いた覚えがあるかなあ程度で、話を聞くうちに泊まるだけではつまらないので行くことにした。
  澤田美喜の功績は少なくとも二つあるとされる。一つは、「戦後の混乱の中でアメリカ占領軍兵士との間に生まれた混血児の救済と養育のためにエリザベスサンダースホームを設立したこと」、もう一つは「熱心なクリスチャンであった澤田美喜は 隠れ切支丹の遺物の収集家でもありました。殉教者の子孫が大切に守ってきた品々に強い信仰の息吹を感じるとして、持ち主の名はもちろん、作者、明確な時代も判らぬままに、取り上げられ、打ち棄てられた隠れキリシタンたちの遺物を九州のみならず、本州のあらゆる場所を巡り歩き、収集」(引用)し、今に残したことであろうか。
 世界を旅した時に収集したであろう300は下らない十字架のコレクション、大小の石像、木像のマリヤ像、今年の5月から初め公開展示された「隠れ切支丹」が所持していたとする「日本刀の鍔」30点余、その鍔は、巧みに「十」が彫り込まれたものだった。また館員の説明、実演で見せていただいたのが、「切支丹の魔鏡」というもので、表は鏡で、裏側は銅製の花鳥風月の彫り物で、見ただけでは普通の「銅鏡」なのだが、光(太陽)を鏡に当てると、その反射光が「マリヤ像の影絵」として映るのである。見せていただいたのは、さる著名な作家の手になるレプリカだったが、その技法は教えていただけなかった。
  こうした遺物のあれこれからは、踏み絵、磔(はりつけ)などの弾圧にも関わらず恐れず、隠れてでも信仰を捨てなかったその厚さ、深さは世界に類を見ないとさえ言われるとか。
夕刻、食事前の4時半ころ、海岸に出てみたら、そこは「アオバト」の飛来地で有名なのだそうだ。「アオバト?」知らなかった。体長は33センチくらいのハト、全体が緑色の羽色をしていると宿の人に聞いたが、岩礁までの距離が遠いことと日が暮れかかっていたので、30数羽が旋回するようにしては岩場に降りては飛び立つのが見えたものの、海水を飲む姿までは見ることが出来なかった。“海水を飲む?”調べてみたら、アオバトの主食である果実にナトリウムがほとんど含まれていないので、その補給と水分をとるためらしい。
  時間があれば、島崎藤村の墓地のある地福寺にも行きたかったが、それはあきらめて、夕食の膳に向かった。(後記)

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