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2020年8月31日 (月)

八月の終わりに

   安倍後継に菅浮上、10月総選挙へ進むか
 カレンダーでは今日31日で8月が終わりとなる。だからどうした、ということになるが、私(たち)は、1日24時間、1週間7日、曜日で、1か月、1年と時間を意識し、四季を感じながら生活している。だから、その大小の節目には何がしかの感慨を持つのである。
 ブログ8月の30日間を振り返ってみると、7月、8月は安倍首相が政治的サボタージュ(病気療養だとしても)したので、政治関係は4件、立憲民主党関連が2件で計6件である。一方ピースサイクル関連は8件で、C&Lリンクス愛知電子版Ⅱは、本号が3、別冊が4の合計7号を発信した。日記、つぶやきは9件・・・。
 地域活動は、ピースサイクルを別にすれば、街宣活動、幾つかの裁判の公判傍聴には参加していないので、「シネマ散歩」もなく昨日の講演会だけであった。
 これは毎年のことではあるが8月の多くは、ピースサイクルのメッセージ、要請書などデスクワークが主となり、後半から動き出す。昨年の場合、8月15日過ぎに講演会が2回、映画鑑賞会が2回入っていた。リンクスも3号を発信していた。
 ともあれ、28日に安倍首相が辞意を表明したことで8月の印象・風景が一変してしまったような気さえする。その日私はブログで「安倍後継が誰であれ、就任直後の解散総選挙」の可能性について触れたが、今日現在のマスコミは「菅義偉官房長官、急浮上、有力候補」と報じている。10月総選挙説も。
 さてここで菅という政治家がどこまで「策士」の本領を見せるか、である。「菅内閣総理大臣」誕生となれば、安倍の任期来年9月までのショートリリーフ、解散総選挙に踏み切っても同じように「選挙管理内閣」に留まるかのかどうかである。
 10月総選挙を前提にして与党・自民党が現状維持なら当然だが、20~30程度の議席減なら、菅続投の線が出て来るのも当然の成り行きだろう。
 あるいはすでに一部で報じられているように、「菅-河野-小泉」のラインがあって、菅内閣で「河野太郎、小泉進次郎」を重要ポストにつけ人気を上げれば、次の2年ないしは4年間内閣を維持して、河野或いは小泉に引き継ぐという世代交代に結びつける役割を担う構想を持つのかもしれない。そうなれば、世代交代を成し遂げた内閣として安倍にない「レジェンド」の首相となれるかもしれない。菅は今何を考えているのだろうか。

 

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2020年8月30日 (日)

安田浩一講演会-関ナマ支援集会

 関ナマへの弾圧とその闘い
 この日の午後、「関西生コン労組つぶしの弾圧を許さない東海の会第2回講演&討論会」が開かれた。暑さのあまり、会場までの距離がいつもより遠く感じられた。講演のテーマは「警察・検察とヘイト集団が結託する弾圧の構造」であった。
 講演者のジャーナリスト安田浩一さん、私は会ったことも、話を聞いたことも、まして著書を読んだこともなく、従ってどんな話が聴けるのだろうと、その方向からの関心をもってこの講演会に足を運んだ。もっともこの集会の趣旨は「関ナマ」への弾圧を許さない、闘う関ナマ労組支援が目的である。しかしその限りではこの場に参加することでそれは既に半ば達せられている。
 安田さん自身も話の端々で語ったように、この集会は「参加することに意義がある」以上のものを持ち帰らなければ半歩にしかならない。即ち私が思うに「関ナマ」は、半島の先にある「孤島」のようであり、沖合からの「国家権力」という大波に打たれながら、その波に乗っかった異物(ゴミ、レイシスト)に汚されている状態、それを傍観ないしは無関心な社会の在りように、いっそうの危機があると指摘。その政治的、社会的構造・風潮を見て取り、国家権力(警察、検察、裁判所)と「財界」さらには、一部の「労働組合」それらに雇われる「ヘイト集団」が、「関ナマ」を取り巻いている状況であり、半島とは、辛うじて橋をかけて島と繋がる「私たち」であるといえる。そうした状況の実例を安田さんは語ったのだと思う。
 講演会が始まる前、会場の前に街宣車が止まり、なにやら叫んでいた。ルーフの看板を見れば日の丸に「日本第一党」とあった。私がこの党を知ったのは先の東京都知事選挙で、桜井誠・日本第一党とあったものであるが、どうやら「在特会」と重なるようだ。このあたりの話を安田さんはかなりの時間を割いた。安田さんは、このような場に出会った時は看過できないとして、演説していた瀬戸弘幸(党の最高顧問)に議論を仕掛けたのだという。(この辺りは、並みのジャーナリスト、評論家と違うところか)そこで安田さんが「金をもらっているんですか?」と問いかけたら瀬戸は「業務委託と答えた」のだという。あまりの明快の答えに、聞いていた私は「日本第一党=在特会」は、「右翼ではないんだ、単なる悪徳業者か」とつぶやきそうになった。安田さんの言う「保守でも右翼でも民族主義者でもない、ただの人種差別主義者、排外主義者」ということだ。
 安田さんの話はさらに、2009年(平成21年)に栃木県で起きた中国人技能研修生死亡事件(警察官によって射殺された)について事件の経緯と、外国人労働者の「奴隷的労働実態」さらに日本の経済的安定に、外国人技能研修生なくして成り立たない「中小企業、農家」の実態についても話された。
 これらのことと「関ナマ」とどう繋がるのか。外国人技能研修生の抱える問題と、ヘイトスピーチの横行は、それが業務委託であれ外国人や労働組合、公務員、市民運動が攻撃の標的になっており、「殺せ!」はさすがに受けないであろうが「日本人の職を奪うな!朝鮮人(外国人)は出て行け!」(トランプ大統領も同じようなことを言っている)は、明快?かつ極端でシンプルなフレーズが若者などにうけているとすれば、危険なナショナリズムといえる。そうした背景が「関ナマ」を取り巻いており、大手マスコミが「関ナマ」の取材、記事化に尻込みしていることが一層危険性を増しているといえるのではないか。
 「関ナマ」がここまで攻撃にさらさている背景、実態、現状についても現場の取材をもとに話されたが、ここでは省くとして、政府・財界が恐れていることは、①ゼネコンや太平洋セメントとか住友セメントなどの大手資本の利益の根源を脅かされていること。②企業の枠を超えた運動であること。③社会運動と結びついていること。④生コン業者の組合への攻撃が「不当労働行為」として反撃され、その企業にペナルティを求めていることが挙げられた。
 中小の生コン業者の苦境、労働者の低賃金、過酷労働から脱する「関ナマ」の闘いは、一方で昨今の、労働者の権利、利益、安定のためにあるべき労働組合そのもの存在を問いかけているのである。
 なお、この講演会については「安田さん講演会zoom参加」という方式が初めて採用された。
 この講演会に参加し、安田さんの話から学び、示唆されたものを地域でどれだけ広げられるか、“頭はすっきりしたが、足は重い”と感じた私である。

 

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2020年8月29日 (土)

次の首相は誰?より大事な・・・

 「アベ政治」の検証こそ我らの仕事
 安倍は、2012年の第2次政権から今日まで2084日となるという。次の総理大臣が決まるまで首相を続けるとのことだが、この間の8年余を歴史は何と呼ぶのであろう。連続在任期間が最長というだけでは「レガシー」と言えないだろうから、いろいろ思い返してみたが、安倍を「敵ながらあっぱれ、よくやった」みたいなものは私には思い浮かばない。安倍退陣を求めて来たわれらは何と呼ぶべきか。
 それはともかく、「アベ政治」を検証することは、政党はいち早く取り組むであろうが市民運動の側からも必要であろう。
 ピースサイクルの仲間がこんな投稿をしている。
 都合が悪くなると自宅に立て籠もり、だんまり、むっつりで沈黙を決め込んだまま隠れてしまうのは安倍晋三の得意技。他方でよいしょしてくれる取り巻き連中とのお忍び宴会で怪気炎を挙げるのもよくやってきた。
 忠犬の甘利明(神奈川県選出)が「コロナ対策で、安倍首相は疲れているから休養が必要…」なんぞと不自然な声を挙げた直後慶応病院ヘ駆け込んで7時間滞在したが、一体どんなコロナ対策に励んだから疲れたのか?
 COVID19の感染拡大が続いても、「(国民の)命よりカネだ」と旅行奨励策を優先して前倒しで実施したのが強盗旅行(goto travel)キャンペーンだったのではなかったか?(安倍晋三の鼻先にぶら下がっていた)総理大臣在職最長記録を更新するまでは“辞任”とは口が避けても言えないと考え2ヶ月間沈黙していたのではあるまいか!?
 安倍晋三が握りしめて離さなかった拉致問題は選挙のたびに「やるやる」とは言うだけで、被害家族の悲鳴など聞く耳無し!で、不動票を引っ張り出してくれる“打ち出の小槌”に利用し尽くしてきた。
 トランプとの約束優先で米国製武器の大量買い、非正社員と正社員の経済格差を拡大させる政策の推進!敗戦後の日本人が営々と築き上げてきたセーフティーネットの根本的な破壊。医療厚生予算や教育福祉予算の大幅削減と軍事費増大・・・日本経済界では核開発を推進しながら東電福島第1原発の事故は隠ぺい。
 近隣の経済小国=朝鮮民主主義人民共和国の核開発は許さないと、声高に非難するだけで、外交交渉は逃げ腰=選挙に利用するだけの拉致問題は棚晒しにしても知らん顔で、軍事的な先制攻撃力のミサイル開発に熱狂している。
 気違いに刃物=武器を持たせたらどうなるかは、1945年の敗戦にいたる日本の近代80年史が証明したではないか?
新型コロナウイルス=COVID19は、その軍事力増強に熱心な安倍晋三政権下の日本にも襲いかかっているわけだが…逃げ得は許さん!
岸信介がレールを敷いたアメリカべったりの軍事優先主義を実弟の佐藤栄作は全国に広げたが、安倍晋三よ、自分の命が惜しいならサッサと去れ!
 全文を肯定するわけではないが、アベ政治の問題の核心部のかなりを押さえているのではないかと思う。
 私が思うに、安倍の政策の1丁目1番地である憲法問題では「改正」にまで至らずとも、世論をどれだけ引き寄せたかの検証は必要ではないか。日米関係について言えば、日米安保の「地位協定」に手をつけ、ドイツ並みにまで改正できていれば安倍評価はかなり高まったであろうが、それができないというのが、アベ政治であった。「イージス・アショア」の白紙は、安倍は不本意であったろう。原発政策はむしろ後退したといえるが、「石炭火力」につては「微力前進」でも評価の対象範囲にはない。
 モリ・カケ、桜を見る会、公文書問題は、評価どころか「犯罪的」ともいえるものだ。立件の可能性について検討する価値があるのではないか。「忖度」が流行語にもなったが、公務員の仕事、目を向ける方向が国民ではなく、官邸に向いてしまったとした、の検証は欠かせない。検証だけでなく、正常に戻す必要がある。
 外交に熱心といわれた安倍であるが、外国訪問の数以外にどれだけの成果があったのか。日韓関係の最悪化は、外交面だけでなく「嫌韓」を広げた罪は小さくない。TPPの影響の検証はこれからであろうが、食糧自給率を高めるという政策的努力があったとは思えないのだが、どうだろうか。「拉致問題」は、ひとえに外交力による。1ミリも進まなかったということは、安倍外交は貧弱だったということにならないか。
「核兵器禁止条約案」に消極的など「核の廃絶」には、とことん米国追従で、徹底的な批判的検証が必要である、まだまだ・・・。(差別用語「気違い」は、原文のまま)

 

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2020年8月28日 (金)

安倍首相の病気辞任も歓迎半ば

 やめさせたかった!が本音
 午後2時半ころだったか、たまたまテレビがオンになっていて、「安倍首相、辞意を表明」が入ってきた。夕食の買い物を早めに済ませ、台所に立ちながら午後5時からの記者会見の様子を見た。
 もともと“アベは早く辞めてもらいたい”と思っていたから、どんな言葉も「虚言」に聞こえて、なに一つ感動するものはなかったが会見は全部見続けた。
 どんな形になるにせよ、安倍はいつかはやめる、問題はその後継者だ、やめ方次第ではその後継は安倍よりもっと警戒することになるかもしれない、特に石破は、とずっと思っていた。
 やめ方次第の中には、自民党の総裁選挙で安倍が敗れた場合と、どこかの選挙で「与党敗北」の責任論から辞職に追い込まれた場合がある。それはとりあえず「安部政治」が否定されたことになるから歓迎である。
 しかし今回の場合、病気の「潰瘍性大腸炎」がどの程度のものかはわからないし、やめろコールの中ではない、残念という声もあるようだから、場合によっては「アベ政治の継承+強化」もないとは言えないわけだ。
 次に、こんなケースは考えられないだろうか。つまり安倍後継が誰であれ、就任直後の解散総選挙についてである。
   常識的には、新首相には何の実績もないのだからあり得ない。また「新コロナ」の渦中、経済停滞の中では、与党としても政権維持をアピールするものがないからである。一方で、安倍が辞めたらから今度は野党に政権を!という声が高まることがないとするなら、「安部、病気で辞任」が同情論として票となって表れはしないか、ということである。
 安倍退陣、内閣打倒を叫んできた私(たち)の手で、辞任に追い込みたかったが本音である。この先どうなるか注視していくが「アベ政治、許さない」のスローガンは、「安倍晋三」という政治家一人を追い落とすだけということではなく、安倍主導の政策そのものの否定であるから、アベ政治を継承する後継者には期待はできない。「アベ政治」を超える、曇天から青空が顔を出すような政策、アピールを野党が打ち出すことを待ちたい。
 

 

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2020年8月27日 (木)

一泊旅行を決行する・3

 いろいろ会話する中で・・・
 同行の一人から一冊の本を贈られた。「元大本営参謀 辻 政信 潜行三千里(完全版)」である。新聞広告では大々的に宣伝していたからかなり売れたのであろう。2か月間で第八刷発行とあった。それに引き寄せられたのか、別の興味を持って読み、あえて私に読ませようとしたのかその意図ははっきりとしなかったが、思想性、政治性というよりも「歴史性」からではなかったと思う。彼とはしばしば日本史、歴史上の人物について史観を語り合ってきたからである。これまでは日本史のあれこれについて語り合うことは多かったが「昭和史」はなかった気がする。やはり戦国時代から幕末、明治までが多かったのだ。
 その場では私は、“名前は知っている、関東軍の参謀かなんかで中国大陸で・・・、ベトナムかラオスかあのあたり消息不明になったあれだよな・・・”程度の無知な応答でしかなかった。 
 それで思い出したのは、別の日のことであるが、別の同級生から、“ハナダを読んでいろいろなことが分かった、中国ではこんなことが起こっているんだな、そのうちにポストへ入れおくよ”と電話してきたことがあった。右翼雑誌「HANADA」である。
   これもかなり刺激的な新聞広告を出していたから、それに引き寄せられたのであろう。私はすかさず“その雑誌はWILLと同じ典型的な右翼雑誌だよ、中国、韓国のあることないことの記事で稼いでいる”と即答したら、雑誌は届けられなかった。
 この二つの例は、共に私の政治的立場を知っていて、二人とも右ではなないが、左ともいえない「良識派」といっていいかもしれない。そういう人に、こうした本、雑誌が興味、関心を抱かせる様を見て、何というか中間層、良識層がかなり「浸食」されているなあと感じたのだった。
 いまさらこんなことをいうのは卑怯のそしりは免れないであろうが、私の周辺の市民運動の多くの集会、講演会などは、実は仲間内の「勉強会」みたいなものではなかったか。集会があれば、ターミナル、繁華街でチラシ配りをし、SNSを使って呼び掛けはするが、それで参加者の結果を見れば、ほぼ顔見知りばかりであることが多いのである。運動がめざす広がりがない、私たちの「領域(テリトリー)」以外の賛同者、応援してくれる人の獲得が出来ていないということだと思う。
 私が「立憲パートナーズ」に登録してから2年余になるが、通信を発信し続けて、立憲民主党支持者が増えたか、つなぎとめたかは知る由もないが、呼びかけで「立憲パートナーズ」に登録してもらった人はいないのが現状だ。
 旅行中もっともっと会話があったが、一つのことが頭から離れず、ほとんど思い出せなかった。 完

 

 

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2020年8月26日 (水)

一泊旅行を決行する・2

 予定変更し早めに切り上げる、歳か?
 朝、やや雲が出ていて、今日は暑さが少しは和らぐなと窓越しに海・熊野灘を見れば、さして大きくはないが漁船らしき船が2隻、ゆっくり西方向に進んでいるのが見えた。左手(東)にみえるのは志摩半島の先端・御座岬と地図にある。
   その時ハタと気が付いた。昨夕歩いた「ビン玉ロード」は、夜間に灯りが入るとのことだったので、ホテルからは見えるものだった。気が付かなかった。“みやげ話”の一つになったかもしれなかったのに。
   朝食、これもまた私はご飯を半膳にしたが完食した。だが二人は少し残したようだ。この辺りのことは、日ごろの食習慣が出ているかもしれないと思った。
   精算して午前9時40分頃出発。ここから先伊勢神宮までの最短コースを、昨夜のうちに私が地図に書き込んでいたので、国道32号線に乗るまでナビを務めた。それでも途中の三差路で右か左かでしばし相談し合った。その原因は出発時にナビへの入力が間違っていたらしく、常に出発地点の浜島に誘導するためだった。
   そのようにスムースにいかないのも“高齢者3人組”だからであろう、想定内のこととしかいいようがない。
   11時に内宮の宇治橋近くの駐車場に止めることができた。「新コロナ」で人出が少ないからこそで、普段ならあり得ない。陽があがって暑さが増してきた。冷房の効いた車から浴室に入るような状況では、短時間でも「おはらい町通り、おかげ横丁散策」は慎重にならざるを得ない。また「伊勢うどんを食す」目的も時間的に早い。まずソフトクリームで一息入れて、折角だからと一通り散策した。
 予定ではこの後名張まで行ってぶどう狩りとなっていたが、この暑さと体力を見れば、それが無理だということは言わずと知れた共通感であった。
 結局このまま出発地の津まで直行し、遅めの昼食をとって終わりにしようということになった。見比べてみて、ここ2カ月くらいは、毎日6000歩を目標に歩いている私には、まだ余裕があるかな、そう思った。お互い“歩けなくなったら、ボツボツだな、まず杖を使い、次に車いすになり、そしてベッドか・・・”も共通であるが。
 またこんな話も。これからの我々の旅行は、目的地にあまりこだわらないお任せの「バスツアー」がいいかなと。とするとやはり、好きなところに行きたいと思えば、「体を鍛えておくしかない」となる、当然の帰結であるが。
 ここまでは「旅」の話であるが、その時々に様々な話題も交わされた。それはまた次に。 (続く)

 

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2020年8月25日 (火)

一泊旅行を決行する

   友人と3人で伊勢・志摩方面へ
 当初の予定は3月。それが5月に延期、さらに延期となって、この8月に「決行」することとなった。
 昨日24日までの愛知県の緊急事態宣言の解除を待ってということではない。体調に問題がなければ、3度目の正直で決行と決めていた。名古屋からの二人は津で合流するので、自宅から近鉄・津駅までは公共交通機関を使うが、それ以降は車で移動する。マスク持参、スプレー式のアルコール消毒液も持参し、私は午前8時のバスに乗った。
 今回は宿の手配と経費の管理を私が行い、津の友人がコース計画を担った。もう一人が運転のメインという役割分担。後期高齢者の3人だけに私はちょっと不安もあったが、自動車移動ということでその点では安心感を持った。
 目的地は二つ、一つは志摩半島にある「海女小屋体験施設さとうみ庵」そして宿泊地の浜島温泉へ。翌日は、他の2人が行ったことがないという、内宮近くの「おはらい町通り、おかげ横丁散策と伊勢うどんを食す」でありもう一つは、名張辺りで「ぶどう狩り」を楽しもうというものであった。
 最初にどこを案内されるかと思ったら、小休止もあって23号線南勢バイパス道路沿い、伊勢市の「へんば餅宮川店」であった。
 この由来については、1775年(安永四年)に九代前の先祖が参宮街道宮川のほとりに茶店を設け、餅を商い初めたのが始まりといわれるが、「へんば」って何だ?津の友人が言うには漢字で書くと「返馬」で、参宮道中の「返馬所」で売られた餅であるかららしい。返馬所とは各地から馬等で伊勢神宮を参拝する人達が宮川を渡る際に馬を返させる場所のこと。丸く平べったい餅の中に餡が入っていて両面に焦げ目がついている。お茶と一緒に戴くつもりだったが、新コロナの影響でそれは中止になっていて、持ち帰りだけだったから車内で食した。
 この先のルートがよくわからなかった。一旦鳥羽方面に向かったのは確かで、その先に行くと左方向遥かに「志摩スペイン村」が見えたから、地図でいうと県道16号を通ってその先で国道260号に乗ったのだった。もちろんカーナビもあったが、“ちょっと古いからなあ”ということで、あとは道路標識の案内が目安であった。
   予約した午後1時に「海女小屋体験施設さとうみ庵」に到着した。予約客は3組だけであったが、他のグループは、隣接のキャンプ場の客らしい。夜になると食事に来るとのこと。
 海女さんたちのたまり場、仕事場でもある「番小屋」風の建物が2棟あって、1棟に20人くらいは入れるだろうか。そこで、海女さんが炭火で伊勢志摩の海で獲れた魚介類を焼いて出してくれるのだが、昼のメニューだからかもしれないが、それ程のものはない感じ、むしろ海女さんから普段はなかなか聞くことのできない海女漁の話しを聞きながら、対話を楽しむことがメインのようであった。
 窓越しの、道路の向こう側は太平洋でそこでは海水浴もできないことはないだろうが、そのための施設がないようなので、海水浴したい人は、その先の「御座白浜海水浴場」へいくのだろう。それにしても「ほんとに今年は少ないの。いつもの年なら予約埋まっているんだけどね」といっていた。
 午後2時半ころに、「さとうみ庵」を出発して「浜島」に向かう。ここからは、宿から受け取った案内の地図を見ながら私がナビを担ったが、詳細図にも拘らず途中コンビニ道を尋ねるということに。地図が不備なのか、我ら高齢者の鈍性がなせるものなのか。とにかく午後4時過ぎ事故もなく宿に到着した。入浴、夕食までに時間があったので、近くの海岸線沿いにある「びん玉ロード」を散策して帰った。「びん玉」は、球形でできた瓶の中に明かりがつくようになっていて、それは昼間より、夜に見るべきものであった。
 6階の大浴場からは、南側に位置していて、全面海が見えるという仕掛け。一応温泉の表示はされているが、「効能は特になし」とあった。
 食事は、種類、ボリュームは多かった。二人は食べ残したが私はご飯を残した以外は完食した。「量より質だなあ」が後期高齢者の偽らざる感想だった。 (続く)

 

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2020年8月24日 (月)

六ケ所行動3日目

 六ヶ所村、日本原燃、青森県へ
 核燃料サイクルの拠点「日本原燃(株)」は、青森県の六ヶ所村にあるから、核燃サイクル反対の運動は、六ヶ所村を中心に取り組まれる。参加者は仕事を持っているので「六ヶ所行動」は、土曜、日曜を使い、自治体開庁日の月曜日になることが多い。
 例年通りだとすると、午前9時から六ケ所村を訪問し、申し入れ、質疑が行われる。次に車で移動して10時30分から日本原燃本社で申し入れと質疑が交わされる。そして「六ヶ所行動」の最後を締めくくるのは青森県への申し入れである。日本原燃訪問の後、昼食をとり、地元の人たちとの打ち合わせなどがあって、午後2時30分から、県の担当者との面会、申し入れ、質疑となる。
 六ヶ所行動の終わりにあたって、吉野共同代表が締めの挨拶を行って午後4時に現地解散となる予定だ。
 三村申吾青森県知事への、愛知から要請書は、県と村の違いだけで内容は六ヶ所村長宛とほぼ同じである。
 解散後は、そのまま帰宅の途に就く人もいれば、1日、2日、どこかに立ち寄る人もいる。2014年に参加した私の場合は、解散後一関まで移動して宿泊、翌日に東北大震災の現地陸前高田市などを訪問したのだった。
 もし、もう一度この行動に参加することがあれば友人を誘って参加し、そのまま北海道に渡るであろうと考えるが、希望は捨てないが難しかろうと思うのである。
 9月に入って、5月の「国会ピースサイクル」が中止となってできなかった「東京電力」訪問が具体化するであろうが、それをもってピースサイクル2020の取り組みが終了する。11月に総括の全国会議が設定されているが、今のところ予定通りとなっている。

 

 

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2020年8月23日 (日)

六ケ所行動2日目

 明日の申し入れのついての検討か
 この日、当初予定は、むつ市中間貯蔵反対を闘う「核の中間貯蔵はいらない!下北の会」との交流であったが、事前に中止となった。その代わりの行動につては聞いていないが、もう一つの「大間原発あさ子ハウスの小笠原さんとの交流」は、予定通り行われたと思われる。
 銭湯で入浴後宿舎の「牛小屋」で明日の六ヶ所村、日本原燃、青森県への申し入れについて、事前に回答を受け取っていればその打ち合わせが行われたものと思われる。
 昨日は、日本原燃への要請書の紹介をしたが今日は六ケ所村長宛の要請書の趣旨を書き留める。
 全体のトーンは3か所とも大きな違いはない。日本原燃という企業と自治体との違いが少し反映されくらいである。
 六ヶ所村長宛は、自治体訪問が含まれる「ピースサイクル愛知」の紹介から始まり、原発問題に関して中部電力への申し入れ内容を紹介した。そして日本原燃と同じように、原子力規制委員会が日本原燃・六ヶ所再処理工場が新規制基準に適合しているとして事業変更許可を行ったという点いついて、私たちの見解を述べた。
 最後に、改めて再処理工場の許可の取り消しと再処理事業からの撤退を求めると同時に、その主導を青森県・六ケ所村に求めたいと思います。貴職の「核燃サイクル」に頼らない村政を期待しております、と結んだ。
 私の経験では、六ヶ所村の対応は、戸田 衛村長の「村制施行以来、長きにわたり、先達のたゆまぬ努力と英知によって幾多の困難を乗り越え、むつ小川原開発計画を核とし、国家石油備蓄基地や原子燃料サイクル施設、国際核融合エネルギー研究センター、ウィンドファーム(大規模風力発電施設)、現在建設中の日本最大級メガソーラー(太陽光発電施設)など、多くのエネルギー関連施設が集積する我が国随一のエネルギーのまちであります。」という自負というか政策によって、すぐさま日本原燃に物言うようにはならないだろう。
   だが村の存亡は、核燃サイクルを含むエネレギー関連事業依存では、ゆくゆく立ち行かなくなるであろう、そのことは同時に日本全体の問題で もあり、それ故の私たちの要請行動である。村長も村民もそうした状況は十分理解はしているであろうと思うが、明後日(あさって)のことより、今日、明日のことが先にあるのであろう。
   わざわざ首都圏から、今日は広島からも加わっての要請を改めて考えてもらいたいものだ。

 

 

 

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2020年8月22日 (土)

六ケ所行動始まる

 道南、弘前グループと合流
 今日から3日間が「六ヶ所行動」といい、これまでの「ひたすら走る」と違って、「核燃サイクルと原発」関連の訪問や申し入れなどが取り組まれる。
 昨21日、六ヶ所村に到着した首都圏からのピースサイクル隊は、六ヶ所村から関根浜まで走り、六ヶ所村から大間フェリー港まで車で移動。そこで道南、弘前グループと合流、11時頃大間町役場へ、昼食後日本電源開発(Jパワー)、むつ市役所へ、そこで東京のHさんと再合流、使用済み燃料むつ中間貯蔵(JFR)に要請、この日は関根浜で宿泊の予定と聞いている。なおこの日広島のNさんがどこかの地点で合流している。
 さて今日は、関根浜から六ヶ所村役場を経由して再処理工場前まであるが、関根浜を出発したピースサイクル隊は、13時頃六ケ所村役場に到着し、首都圏から六ヶ所行動に参加する仲間、地元の人たちの歓迎を受け、結集集会後、再処理工場正門前へそこで一旦解散し、残留し「六ヶ所行動」に参加する人は(銭湯で)入浴後、宿舎の「牛小舎」へ。
 私は日本原燃社長、六ヶ所村長、青森県知事あての要請書を送っているので、今日は、日本原燃社長宛の要請書の概要を紹介する。
  私たちはピースサイクル愛知です。
 ・・・「新コロナ」の感染が続いています・・・こうした経験は、2011年3月11日の東京電緑福島第1原子力発電所の未曽有の大事故を想起させますが、「新コロナ」の蔓延はそれ以上と思われます。
 このような状況の下、去る7月29日に、原子力規制委員会が日本原燃・六ヶ所再処理工場が新規制基準に適合しているとして事業変更許可を行ったという重大ニュースが飛び込んできました。規制委員会がいうところの「審査基準」は満たしているとしても、それが即ち安全が「確認」されたわけではないと私たちは受け止めております。(以下、ピースサイクル隊の仲間に送った内容と同じになる)
 活断層に対する耐震性の問題、社内的及び法的な「重大事故等対処施設及び重大事故等対処に係る技術的能力」の問題、MOX加工工場の総事業費は合計16.3兆円のほか、巨額な資金の問題、そして核物質の「環境汚染問題」を取り上げ、私たちは日本原燃・六ヶ所再処理工場の事業変更許可に抗議すると共に、改めて再処理工場の許可の取り消しと再処理事業からの撤退を求めます、とした。
 現実的には、国策事業であるから日本原燃が「会社都合」で、事業の断念、核燃サイクル工場の閉鎖ができるとは思わないが、原子力事業全体について「原発ゼロ」という大きな世論を背景として例えば、六ヶ所村の村長選挙に「核燃反対」を掲げる人が立候補し続けていること、地元や県内の市民団体、個人が運動を継続している中で、ピースサイクルが20年余にわたって声を上げ続けていくことの意味は大きいと考えるのである。

 

 

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2020年8月21日 (金)

ピースサイクル「六ケ所」走行が完走

 東海村から六ケ所へ700km
 8月14日に茨城県東海村を出発した東北道・六ケ所ピースサイクルは、昨日、六ヶ所村に到着し、ここまでの約700 kmを無事に走破したという。
 その日その日の報告から、走行距離を積算してみた。80,114、82、120、96、120、60で合計672km、1日平均96kmとなる。実走した人の年齢は不明だが、少なくとも60歳以下の「青年」はいない。もっとも今日21日、函館からフェリーで青森県大間までやってくるのは若い人たちと聞く。
 そして明日から「六ヶ所行動」として、現地の「核燃サイクル」関連施設訪問、運動団体との交流、そして六ケ所村、日本原燃、青森県への申し入れが行われる。
 これを書きながら、高校生プロ棋士・藤井聡太棋聖の二冠達成の記事と、秋元司衆院議員の逮捕の記事を読む。快挙であれ、犯罪であれ、全て同時進行である。当然のことながらその時間帯の中に私もいる。その時間の過ごし方は、対局中の二人は、その場の限りでは同質進行かもしれないが、万人全て同じということはない。
 “シルバーチャリダー”が炎天下をひたすら走り続ける。時々沿道から声を掛けられ、手を振られることもあるという、ドリンクなどを差し入れてくれる人とも出会うという。いい話だと思う。そのような場にいたい、遭遇したいものだとも思う。
 35年(私は33年)続けているこの運動は、「反戦・反核・平和・人権」という課題には終わりがなく、時、所、形を変え継承されていくであろうが、それを担う人間は、世代の引継ぎがなければ、いつかは途絶える。
 この愛知のピースサイクル運動の先は分からないが、私個人の参加の“終焉”は近いというのが昨今の認識である。

 

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2020年8月20日 (木)

立憲民主党と国民民主党の合流問題

 愛知の場合どうなるのか。
 国民民主党の側の方針がある程度固まって両党の「合流」が動き出した。枝野代表は9月の早い時期に「新党」を立ち上げたいとしているが、「解散総選挙が近い」ということだけでの拙速は避けたい、というものの「鉄は熱いうちに打て」ともいうから、やきもきもする。
 さて、全国の状況も気になるが、この愛知ではどうなるのだろう。合流新党に参加しないとしているのは、古川元久、大塚耕平、山尾志桜里の3氏は確定的であろう。ではトヨタ労連出身の古本伸一郎はどうだろう。彼自身に限らず、トヨタや中電の労組から支援を受ける議員は、新党参加は本意でなかろうが、連合本部の要請を受け連合愛知がそれに従うとすれば、新党に参加することになろう。
 この愛知は立憲と国民が棲み分けをしてバランスをとっている。例えば県議会レベルでは「新政あいち」として両党の議員で会派を構成している。一部の報道では、残留を表明した国民民主党の古川元久代表代行は地方選挙についてだけかもしれないが選挙協力の姿勢を示しているという。
 いずれにしても、国民民主党がそのまま残れば、衆議院は国民民主党の選挙区は古川元久(2区)だけか、他に参加する議員が出て来るかどうか。「新党」には、今のところ立憲民主党からは近藤昭一(3区)、赤松広隆(5区)で、山尾の抜けた7区をどうするか。国民民主党からは、古本伸一郎(11区)、大西健介(13区)、重徳和彦(12区)は無所属。比例は立憲の吉田統彦(1区)、国民は牧義夫(4区)、岡本充功(9区)、関健一郎(15区)が参加となろう。空白区の6区は、立憲と国民が競合状態にある。
 いずれにしても、愛知は旧社会党系と旧民社党系が競り合っているのは変わらない。それが参院選挙での棲み分けにもなっている。
 では共産党、社民党はどうか。立憲民主党との連携は強いが、比例区の関係で選挙区に候補者を立てないわけにはいかないだろう。共産党は山尾志桜里の7区で候補者を立てた。野党として自民党に議席を奪われない方針が出し切れるかどうかだ。
 愛知15区の与野党の議席は、与党8、野党7である。これを野党10、与党5、それが「政権交代」の最低ラインではなかろうか。

 

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2020年8月19日 (水)

国民民主党が合流を決める

 安倍政権打倒の大義があるとしても・・・
 夜遅くになったが、国民民主党が立憲民主党との合流を正式に決定したとの報が入ってきた。事前の報道の通りであるが、玉木代表の「分党論」は議題にあがらなかった、という点では、玉木は今一度その政治力が問われるのではないかと思う。
 この「合流問題」の目的は、言わずと知れた「安倍内閣打倒」に向けた「大きなかたまり」をつくることであろう。この「大きなかたまり」ということについて私は、実のところよく理解していない。自民党内で「派閥」というかたまりの大小で、政権の担当が決まるという構図は何度も見てきた。けれどもそれは自民党という政党の中でのことだ。自民党という綱領なり、理念なりのもと「政策」では大きな違いがない。あるとしても、国会では一枚岩になり得る体制だ。
 では野党の合流についてどう考えるのか。野党の場合は、政党の合流であって「派閥」の合流とは違う。独自の政策、組織を持っているからそれぞれが政党として存在してきた。一つの政党に合流することはとても高いハードルがあると思う。だから政党の「大きなかたまり=合流」というのがもう一つイメージできていなかった。
 それまで私、政党間の連携、共闘を積み重ね、その延長に「連合政権」が一つの道ではないかと。もう一つは、解党➡新党結成というのもあるが、問題は「解党」といっても名前が消えるだけで、その組織的内実は白紙、消去されるわけではない。だから新党の理念は一致できても、政策、組織運営、役員などでの綱引き、ガチンコが避けられない。世間的には「またゴタゴタしている」と映る。とするとかなり強引なやり方であるが、一党が他党を吸収していく、その過程でベクトルの違う政治家は離れていく、そういうことにならないか。
 他人同士が結婚する、となれば「寛容と忍耐、妥協」が欠かせないという。政党の合流も同じか?同じといえばいえなくもない。しかし政治を志して政界に入って、後援者の支えがあって国会にあがってきた者が、そうやすやすと「妥協」できるだろうか。そうでなければ「安倍政権打倒」は口先だけになる、という意見に私は答えられない、という目線でこの「合流」問題を見ている、議員の動きを見ている、注視している。

 

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2020年8月18日 (火)

青森・六ケ所行動関連メッセージ

 ピースサイクルで知事、村長、社長宛に
   ピースサイクル2020の最後を締めくくる「六ヶ所行動」は、自転車隊が現在東北道を北上中で、今日18日は一関から盛岡までで、灼熱の中を走っているものと思う。
   いわゆる「六ヶ所行動」は、8月22日から24日まで現地で「日本原燃(株)六ヶ所再処理工場など、各施設に対する抗議行動。大間原発建設反対。それらに関する運動団体との交流。六ヶ所村長、日本原燃社長、青森県知事それぞれへの面接申し入れ」が一連の行動である。それには、自転車隊とは別に関東などからの参加者も加わる。
 この六ケ所行動に向け、全国からメッセージ、申し入れ、要請の類の寄稿が求められていたので、この愛知からも先のピースサイクル一行への応援メッセージに続いて青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃社長あてのメッセージを今日の午前中に送り終えた。これでPC2020は、11月の全国会議、それに向けた報告書作りを残すのみとなった。暫く私の「夏休み」となる。
 2014年に、私もこの「六ヶ所行動」に参加した。その時に報告書をつくったが、その冒頭・前書きだけをここに採録する。
           ◇
   8月23日~25日の3日間、下北半島・青森県・六ケ所村を中心とする反「核燃料サイクル」の現地行動の一つで、20回目を迎えたピースサイクル(PC)全国会議呼びかけの「六ヶ所行動」に初めて参加した。以下は私のささやかな報告です。
   「脱原発」と一口にいいますが、「原発の廃炉・解体」と「核廃棄物の管理・処理」を、頭と尾とすれば胴の部分に「再処理・核燃料サイクル・廃棄物中間貯蔵」があり、私の活動概念では、「原発の廃炉=浜岡・大飯」と「核廃棄物の処理=東濃・超深層地下埋設処理」となります。
   そこで、他に「被ばく」の問題などもありますが、やや空白の感のある「核燃・六ケ所」を加えることによって「原発のない社会」に向けた問題意識とその形が整うのではないか、そう思ってきたこともあっての参加でした。とはいえこの課題は、専門知識も求められていて、学習なしでは向き合えないところもあり、私の守備範囲では到底括りきれないものです。そこで「見聞記」という形で報告します。

 

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2020年8月17日 (月)

習近平氏の「食べ残し根絶」方針

 世界に向けた発信と受け止めた
 日本と中国とでは食習慣が違うので、同列で語れないものがあるが、「食べ残しをしない」ということでは、日中だけでなく世界共通であろうと思う。
 報道によれば、「共産党機関紙・人民日報は12日付と13日付の1面で、習氏が『飲食物の浪費は衝撃的で心が痛む』と語り、食料を無駄にしないための対策を取るように命じたと伝えた。中国都市部の外食産業で1年に出る残飯は1700万~1800万トンと推定され、3000万~5000万人分の1年間の食料に相当するという。」
 この数字だけ見れば“うわぁ~もったいない!”と誰しも思うだろう。しかも「外食産業で」という限定してのことだ。家庭から出る食べ残しを加えたら・・・、もったいないという感覚を超えて“世界に、餓死している人がゴマンもいるというのに、中国という国は!”と嫌中感を露わにする人もいるかもしれない。
 では、かくいう日本ではどうなのか、農水省の平成29年度推計値によれば、「日本の食品廃棄物等は年間2,550万トン、その中で本来食べられるのに捨てられる食品『食品ロス』の量は年間612万トンになっている。これは日本人の1人当たりの食品ロス量は1年で約48kgになる。毎日お茶碗一杯分のご飯を捨てているのと同じ量、ということになるらしい。
 中国の人口は約14億人といわれる。日本の10倍だ。細かい数字合わせはしないが、食品ロスを一人当たりに換算すると日本はあまり大きなことは言えないのではないか、という気がするのだが。
 台所を預かる私としては、幼少年期の貧しさが幸いして「食品ロス」は努めて避けるようにしている。例えば朝食は、前夜の残りかパン食であるが、パンが捨てられることはない。昼食は軽めか朝昼食兼用、夕食は妻二人で「米1合」でも余るので翌朝に回すか冷凍して保存する。夏のソーメンは100~150グラムで食べきる。ただ問題もある。「食品廃棄物」はゼロではない。「賞味期限」が切れたとして捨てる加工食品、調味料、腐り始めた野菜類の廃棄は結構出す。保存技術、再生の知恵の不足も原因の一つだと思っている。
 思い出すのは、冷蔵庫のなかったころ、炊き立て、出来立てはともかく、大抵のものは食べる前に「臭いを嗅ぐ」習慣があった。場合によっては口に含んで確かめることもあった、まだ小学生の頃の話である。
 話を戻そう。報道は「中国では今年、長江流域を中心に大雨による水害が起きている。食料の輸入先である米国との関係が極めて悪化していることも不安材料だ。習氏は米国との対立が深まる中、『自力更生』『持久戦』を訴えてきた。今回の『食べ残し禁止』の呼び掛けも長期的な覚悟を国民に求めたものといえる。」
 最近ではあまり聞かないが日本でも「食糧安保」の状況、問題意識は健在である。「食糧自給率」の問題は絶えず気になるところだ。つまり大きな視野からみれば日本も中国も食糧問題、その危機に変わりがないということだ。
 習近平氏がこの問題を取り上げ、それが「国内の引き締め」の一環であるとしても、私には、「新コロナ」のパンデミック状態を直視するなら、これは世界に向けての発信ではないか、とも受け取れたのである。

 

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2020年8月16日 (日)

猛暑の中の一日

   墓参り、散歩、ピースサイクルに思いを馳せ
 誘われて墓参り。午前10時、すでに35度を超えていたと思う。墓地の木々からクマゼミが喧しい。蝉の声も、風鈴も、秋の虫の声もやかましいといえばやかましいが、なぜか気にはならない。外人はそうでもないらしいが。
 15日を過ぎたせいか、墓参りの家族連れは他に二組ほど。一通りの墓石の手入れと花を添えて合掌。私は淡白で形だけ。戦地で亡くなった人のこと思えば、ここに来ただけで目的は達せられたと勝手に思い込んでいる。
 この暑さの中、ピースサイクルの東北道・六ケ所行動のメンバーの今日は、福島市を出発して仙台市に入ったはずだ。メールによれば、昨日もかなり暑かったらしい中、いわき市から郡山の難関を含む福島までの116㎞の長丁場を走破したという。愛知の3日間以上の距離を1日で走るのだから、体力、持久力、気力が鍛えられていなければとてもできない。近くのスーパーでさえ冷房の効いた車で行く都会人には、呆れかえさせる話に違いない。“なのになぜ・・・、君は行くのか”“目的(あて)があるからさ”。
 自転車に乗るつもりはないが、伴走車から声援を送りながら、東北道を北上してみたい、これも希望の一つだが、現実化は難しかろうと思う。体力的なこともあるが、優先順位も上位という訳でもないから。
 38度を超える猛暑であっても、これも2度とめぐってこない一日は一日、暑いからといってクーラーを効かせて家に閉じこもっているわけではない。今日は約9000歩、3METs以上での数値は6300歩ほど。かなり汗をかいてもカロリー消費は200Kcalほどであった、という一日であった。

 

 

 

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2020年8月15日 (土)

戦後75年、8・15特集

   電子版Ⅱ・別冊第11号を発信
 冒頭でこんな風に書いた。8月15日、1944年生まれの私には、戦争そのもの、空襲・戦災の記憶もない。私に「戦前」がないから「戦後」もないといえる。だが人類の歴史が「戦争の歴史」といわれるから、日中戦争から始まる第2次世界大戦・太平洋戦争の歴史は、私とて無縁ではない。歴史を知る、学ぶということは、個別の「人生80年」だけということではないと思う。(中略)多くはないが、私の「反戦平和」への思い、関わり、運動、なにがそれをつき動かしてきたかを、戦争のない「戦後75年」の体験者として語るべきかもしれない・・・。
 C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・別冊第11号の内容は以下の通りである。
 第11号 2020年08月15日
1)戦後75年 2020年 8・15 を迎えて
 ・8・15 私の場合 
 ・戦後75年:歴史に学び権力監視を 戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」 水田洋・名大名誉教授
 ・75回目の終戦の日を迎えて【談話】 立憲民主党 代表 枝野 幸男
2)【コメント】「黒い雨」に関する広島地裁判決について
3)ツネじい通信第88号  2020年08月15日 敗戦の日に思う「欺されることの責任」
4)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<8月6日~8月14日>
5)マイブログ 8・15を語る水田さんのこと-愛知万博反対運動を経て
6)書き残し 
7)参考資料 六ヶ所行動参加のみなさんへ 応援メッセージ
 末尾の「書き残し」では、・・・いつだったかは忘れたが、私は「靖国神社」へ行ったことがある。遊就館まで行かなかったと思うが、やはり問題の場所だから一度は行っておかなきゃと思ったからだ。その時、もう一つの場所「千鳥ヶ淵戦没者墓苑」へも足をのばそうとしたが、行きそびれた。これはやはりまずいので、次の上京の折りに訪ねたい。と。

 

 

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2020年8月14日 (金)

戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」

 水田 洋さんが語る
 戦後75年目を迎える8月15日を前に、毎日新聞は、英経済学者、アダム・スミス研究の第一人者として知られる社会思想史学者の水田洋(ひろし)・名古屋大名誉教授のインタビュー記事を13日付の朝刊に載せた。
 水田さんは、戦時中の思想抑圧に「逆戻りしてはならぬ」、「過ちを繰り返さないためにも若い世代には歴史に学び、権力を監視してほしい」と語ったという。100歳になられた。
 戦後は亡くなった学友への思いから日本戦没学生記念会(わだつみ会)理事長や「あいち九条の会」代表世話人などを務めた。学士院会員でもある。名古屋市名東区在住。水田珠江さんはお連れ合い。
   市民運動にも熱心に参加され、2004年には「自衛隊イラク派兵差し止め訴訟」の原告として名古屋地裁で意見陳述。2015年の「愛知万博」反対運動でもその先頭に立たれた。この愛知万博の開催にあたって賛否を問う県民投票条令制定の署名運動が取り組まれ、さらに1999年の愛知県知事選挙で、署名運動の代表をしていた影山健さん(愛教大名誉教授)を擁立して闘ったが、それらの中心的な位置におられた。
   また水田さんは、戦後75年を迎えるが、世界は自国第一主義が台頭し、分断化が進んでいるように見える。「戦前ほどではないもののそれに近いものがある。あの時代に逆戻りしないためにも、若い世代には過去に学び、おかしいと思うことにはおかしいと声を上げてほしい」と強く訴える、と記事は結んでいた。
   私が水田さんを知ったのは、この愛知万博反対運動からであった。そして知事選挙が終わってから、私は水田さんに手紙を書いた。「市民運動と民主主義-県知事選挙を検証する」として。私の手紙は、水田さんが編集責任者だった雑誌「象」の34号にそのまま掲載され、35号で見解が示された。
 ということで今夜は、その34号を読み返したのだった。

 

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2020年8月13日 (木)

明日、六ケ所に向けて出発

 ピースサイクル2020の締めくくり
   明日14日は、ピースサイクル2020の締めくくりとなる、東北道・六ケ所行動が始まる。日程をみたら、茨木県東海村に集合し、現地行動を終えていわき市へ。そこから郡山、福島、仙台、一関、盛岡を経て青森県・八戸、六ヶ所村へ。8月22日からの行動は、関根浜から六ヶ所村役場を経由して再処理工場前へ。ここまでで自転車による行動が終わりとなる。23日は、大間原発・あさ子ハウスの小笠原さんとの交流などがあり、24日に六ヶ所村、日本原燃、午後から青森県への申し入れをして全日程を終える、となっている。
 東海村から津軽半島の関根浜までかなりの距離があり、全行程実走ではないが、それにしても11日間800km近く走るのではないかと思う。この愛知では考えられない実走である。
 このコースも「新コロナ」の影響を受けて、コース上の反核団体との交流が中止になっていると聞く。走ることに意義がある一方、各地での交流も目的であり楽しみであるから、その点では実走の疲れの“癒し”となる交流会がないのは寂しい、つらいところであろう。
 ということだから、という訳でもないが、参加者宛に「六ヶ所行動参加のみなさんへ」の「応援メッセージ」を送った。
 せめて伴走車に乗せてもらっての参加もありだが、気持ちだけはあっても、現実感は年々細くなっている。こうして応援メッセージを送るなりして、少しでも参加気分を得たいと思っている。

 

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2020年8月12日 (水)

国民民主党、分党・分裂へ

  両党の協議は何だったのか
 マスコミ報道の見出しを拾ってみよう。「国民民主、分党へ 玉木代表が表明 立憲との合流巡り(毎日新聞11日 18時20分)、国民民主分党へ、立民と一部合流 玉木代表不参加「基本政策違う」(共同通信社  2020/08/11 19:13)、国民・玉木氏 分党まで持ち出しこだわったものとは 混乱残り前途多難(毎日新聞11日 22時24分)。
   この速報で私が最初に受けた感想は「これまでの両党の協議はいったい何だったのか」「玉木がここまで引っ張った挙句の分党は、罪深い」であった。
   玉木のいう「消費税、憲法など基本政策の一致が見えなければ合流できない」は、それ自体正論である。それは枝野とて同じである。ということは、玉木は自論をもって立憲民主党を説得できると思っていたのだろうか。“話し合ってみなければわからない、それなしで合流はありえない”これも正論ではある。だが、それは話し合いの当初でかなりはっきりしたのではないか。枝野・福山が党内の了解を得て協議に臨んでいる限り、その一方で玉木は党内を一つにまとめきらないで言動してきた経緯を考えれば。
   玉木は「分党」を最初から覚悟していたのではないか。「分党」をちらつかせれば、立憲民主党も党内も「大きな塊」という大義が失われかねない、そこに最大の「譲歩」が得られる要素があると。
 私は当初から国民民主党との合流には、玉木がいうように「基本政策の一致が見えなければ合流できない(するな)」であり、その基軸に「立憲主義、リベラル政治」を置いていたから、玉木の「改革中道」ってなんだ?結局自民党の補完勢力になりかねないのではないか、そう思ってみてきた。
 あるいは枝野についても「政権交代」を前面に出すあまり、政策が「現実主義」に陥りがちで、対抗策が出しきれていないのではないか。党として現在の力量「政策、人物、組織」が未達であるなら「野党に徹する」ことも一つの道ではなないか。それでは「安倍打倒」が遅くなり、悪政、悪弊が拡散、浸透してしまうのではないか、という声にどう応えるのか、の課題は残るとしても。
 では問う。なぜ安倍支持率が大きく下がらない、野党支持率が大きく伸びないのか。そんな状況のもとで「政権交代」のフレーズだけで世論は動くのか。政権交代とは「与野党勢力が伯仲」しての状況をいうのではないのか。相手がミスして勝手に転んだ、たまたまの出会い頭でぶつかり、偶然の勝利を得ることもあるかもしれないが、ある意味でそれは「民主党政権」で体験済みであろう。
 国民民主党は分党・分裂して立憲民主党に加わる勢力と、もう一方は国民民主党の旗を維持しつつ「日本維新の会」との合流に至るか、一部は自民党に移るか、結局「無所属」として孤高を貫くか、どっちにして現在の与党に代わる「政権交代」の道とは遠く離れていくことだろう。(要再考・熟考)

 

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2020年8月11日 (火)

電子版Ⅱ・別冊第10号を発信

 広島、長崎の平和宣言で締めくくる
 私にとっても、ピースサイクル運動にとっても大きな取り組みの一つである「8・6広島 8・9長崎原爆の日」は、この号で松井広島市長、田上長崎市長の「平和宣言」を取り上げ、書き残すことで締めくくりとなった。
 宣言自体は、新聞でもインターネットでも全文が紹介されているから目新しさはないが、パソコン上に、あるいは、後日資料として「紙」で残すことで、いつでも読み返しができる、その意義を感じてのこと。もう一つは、これは編者の特権かと思うが、編集過程で2度3度読み返すことがあるので、より理解し、記憶にとどめることができる(可能性)と思っている。内容は以下の通りである。
 C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・別冊第10号
第10号 2020年08月11日
1)75年目の夏-非戦・平和の夏 8・6広島 8・9長崎「原爆・被爆の日」
 ・広島市長 平和宣言(全文)
 ・長崎市長 平和宣言 (全文)
 ・広島原爆の日式典で子ども代表「希望を未来へつなぐ」 平和への誓い
 ・長崎原爆の日 75年 平和への誓い 全文
2)2020年の大阪ピースサイクルは
3)文化放送ラジオ 大竹まことゴールデンラジオ
4)あとがき
 あとがきの一部「●これでひとまず「ヒロシマ、ナガサキ」は仕上げとなる。この一連の課題に対する安倍批判が多くなされていて、私自身の言葉でも語るべきところ、『文化放送ラジオの、大竹まことゴールデンラジオ』でまとめとしてしまった。力量とはこんなところに現れる・・・●次はピースサイクルの反核燃『六ヶ所行動』についてである。『核兵器』と『原子核発電』は一体のものであるが、運動的には巨大エネルギー、政治力が必要だ。『反戦、反核、平和』は重い。スローガン倒れの危惧がついて回る。もっと汗をかかねば・・・」
 

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2020年8月10日 (月)

「新コロナ」今日の風景

 緊急事態宣言で、閑散とした名駅周辺
 今日予定していた作業が順調に片付いたこともあって、久しぶりというか、思い立ったからというべきか、夕方6時過ぎになってふらりとバス、地下鉄に乗って名駅に出た。(マスクを忘れて家に戻りもして)家電量販店で目当ての品物の値段だけ見て買い控え。不要不急のものであるから。
   地下街の麺類食堂できし麺膳と生ビール。終えて店を出る時は8時20分頃で、私が最後の客だった。聞けば8時閉店予定だったという。しかし見ていると、8時頃だったと思うが、店の前で“呼び込み”をしていた。ラストオーダーを8時として、可能な限りお客を入れたかったのだ。
   この店も「新コロナ」に気を遣っていて、出入り口で店員が待ち構えていて、手のアルコール消毒と検温を実施(36度2分で入店が可となった)、4人掛けのテーブルは2人用で、対角線の席のテーブル上には「×」がされていた。「お帰りの時もマスクを着用してください」という看板が掲げてあった。レジでの対面があるからだ。仮にも「クラスター」の発生源になれば当該店だけでなく、一帯の飲食店は一斉に休業を余儀なくされるからであろう。多分、組合での申し合わせが出来ているのだろう。
 人の少ない名駅コンコースから近鉄名古屋駅へ。今月末に伊勢志摩方面に出掛ける予定を立てており、なにがしかの情報を得たいとガイド資料を手に入れに寄ったわけだ。ここでも人は少なかった。名鉄は一部岐阜県だけに延びているが、近鉄は愛知県だけでなく、京都、奈良、和歌山、大阪までつながっており、県境をまたぐ移動の制限がかけられていることでの影響が大きいに違いない。
   そこから地下街を通って、地下鉄一駅を歩く。時間は午後8時40分頃だったであろうか。地下街のほとんどがシャッターを下ろしていた。開いているところは「コメダ」(喫茶店)だけであった。午後8時閉店は愛知県独自の「緊急事態宣言」が出されているからであろう。
 愛知県の患者発生件数100人超えが続いており、その6割前後が名古屋であるから、名駅周辺、栄、金山、大須辺りは、厳しい目が注がれている。ま、それでも人は動くのであるが。
 8月がこのままだと、仮に9月になれば学校が始まり、秋の行楽シーズンがやってきても、規制、自制が延長されかねない。それが続けば冬場の「インフルエンザ」の時機到来となる。医療関係の混乱即ち我々は風邪をひくことにも注意を払わねばならない。
 そして「衆議院解散・総選挙?」冗談でしょう・・・。

 

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2020年8月 9日 (日)

長崎の原爆の日特集を組む

 C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・第107号
 今日の午後から集会の予定があり、正午過ぎには家を出なければならない。長崎の原爆の日の式典が始まるのは11時前からであろうから、それを取材して原稿化するには時間がない。かといって、帰宅してからの発信では興ざめとなろうから少々焦っていた。
 朝8時から検索を始めて、マスコミの記事を拾った。田上市長の平和宣言は盛り込めないけれど、予想される式典の様子は知らせることができる、といっても朝刊に掲載済みであるから意外性はない。
 ともあれ、午前9時30分に発信した。内容としては、1)もう一度、長崎へ行きたい(私) 2)長崎の原爆の日から75年を迎えるにあたって(談話) 立憲民主党代表 枝野 幸男 3)長崎原爆・被爆からきょう75年・・・市長、核軍縮逆行に危機感表明へ 共同通信 「世界の誰もが当事者」核なき世界改めて訴え 長崎原爆投下から75年 毎日新聞 4) 田上 富久長崎市長へ “8・9長崎被曝の日”へのメッセージ ピースサイクル愛知   〃 長崎原爆の日を迎えるにあたり 平和のメッセージ 名古屋市民
   冒頭の「もう一度、長崎へ行きたい」は、
 長崎へは、1986年12月、「JC交流会北九州」(JC:国際金属労連日本協議会)で福岡に行った折りに立ち寄っただけではないかと思う。「JC交流会」とは、当時金属4単産「造船、鉄鋼、電機、自動車」の中の少数左派組合と活動家集団が、年に一度場所を変えながら交流していたのだった。 薄れがちな記憶を辿れば、その前日は長崎造船第3組合の事務所で宿泊し、翌日組合の案内で三菱重工長崎造船所の工場見学をさせてもらい、午後から眼鏡橋辺りを散策、平和公園を訪ねた程度だったと思う。以前から巡礼の旅ならぬ「鎮魂の旅」がしたい、長崎、水俣、知覧(南九州市・知覧特攻平和会館)巡りは是非とも。ピースサイクル「ナガサキ行動」への参加が一つのきっかけになるだろうと思ってきたが今年は中止となり、では2021年はどうか、とも考えた。だが加齢が“加速度的に”迫ってくるようで意気が上がりそうにもない。“遺憾”である。
 締まりのないものであるが、これが「現在」である。

 

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2020年8月 8日 (土)

8・9ナガサキの前夜

 9日は忙しくなりそう
 何を勘違いしたのか、今朝の11時には「長崎原爆の日」の式典があると思い込み、NHKにチャンネルを合わせたがその映像はない。では正午のニュースは間違いなく報ずるであろうとデジカメを構えて待った。だが全くその気配はなく“NHKは、このナガサキを無視するまで堕落したのか”と怒り、呆れながら腕時計を見ればなんと「8」が示されているではないかた。まったくもう・・・。
 昨夜はこの「ナガサキ」を記事化するために深夜1時過ぎまでパソコンと向き合っていた。「気力」はあっても「脳」は“この老体に鞭を打つのか”と言わんばかりに、迷走を企てるようだ。
 ということは、半日時間が空く状況となり、かねてより企画進行中のライフワークの仕上げに入った。いったん中断して夕食後の午後9時から再開し、加筆修正を繰り返し、11時30分とりあえず仕上がった。発行予定日は8月15日、この企画はこれまで以上に慎重さを期しており、発行日をずらしてでも完成度の高いものをめざしている。
 極めて「私的」なものであるから、このブログにアップすることはない。送り先も可否を問いかけて限定的なものとなる。
 日常的には、C&Lリンクス愛知電子版Ⅱを本誌、別冊で並行して発信しているので、この「私的なもの」は、この先、どの程度の間隔で継続するかは全くの未定。年間2号出せれば良し、としている。
 さて仕切り直しの明日は、10時45分からテレビの前でスタンバイして写真を撮り、それ予定号に張り付けて完成させ、直ちに発信。午後1時には家を出て、「TMPCWA(フィリピントヨタ労組)」を支援の講演会に出掛ける予定だ(「新コロナ」対策をして)。何とかこなしたい。

 

 

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2020年8月 7日 (金)

長崎行きを探す

 もう一度行きたいが・・・
 9日の「8・9長崎原爆の日」を前に、長崎へ行ったことを思い出そうとした。手がかりの一つは1986年12月の「JC交流会北九州」の集合写真であった。この「JC」というのは青年会議所ではなく「IMF・JC=国際金属労連日本協議会」でJC=Japan Council。「JC交流会」というのは、金属4単産「造船、鉄鋼、電機、自動車」の中の少数左派組合と活動家集団が、年に一度場所を変えながら交流していたのだった。
 この時は北九州で開催されたので、ひょっとして交流会終了後に長崎まで足をのばしたかもしれないと、アルバムの続きを開いてみたが見当たらなかった。私の写真の整理は1988年まではしっかりできていたので、ここになければ他日ということになる・・・。
 だが長崎紀行の記憶の中では、三菱重工長崎造船の第3組合訪問、工場見学、眼鏡橋、平和公園の3つくらいしか思い出せないし、宿泊の記憶も組合事務所であり、一人旅だったことからする、やはりあのとき、みんなと別れた後、長崎を訪問したのかもしれない。一人だから写真も撮っていなっかった可能性もある。34年前のことだった・・・。
 ピースサイクル運動で広島のことは触れたが、長崎へもう一度は行ってみたい、その時改めて原爆関連の地、施設などを回りたいと思ってきたが今年は中止となり、では2021年はどうか、とも考えた。だが加齢が“加速的に”迫ってくるようで意気が上がりそうにもない。今年もテレビで参加することになる。

 

 

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2020年8月 6日 (木)

75年目の「8・6広島」

 リンクス愛知電子版Ⅱ・106号
 昨夜のうちに仕上げ、今朝の8時17分の前に第106号を発信しようと思っていたが、4頁目に取り上げた「マイブログ 立憲、国民の合流問題-立憲パートナーズの心は揺れる?」に足止めされた。
 書き進むうちに、新鮮味がないような、言うだけ、書くだけなら・・・との思いが募って断念するか、凡庸でも意思表示は必要ではないか、が交錯して止まってしまった。正午になってタイムオーバーで「投了」とした。
   第106号の内容は以下の通り。1)私の8月6日(筆者) 2)広島の原爆の日から75年を迎えるにあたって(談話) 立憲民主党代表 枝野 幸男 3)広島市長 松井 一實 宛 ピースサイクル愛知からのメッセージ 4)広島市長 松井 一實 宛 全ての核の廃絶を求めるメッセージ2020 名古屋市民 5)マイブログ 立憲、国民の合流問題-立憲パートナーズの心は揺れる?
   松井広島市長宛のメッセージの冒頭は「八月六日の広島の空 世界の空」という詩を持ってきた。その後半部分は、

八月六日の広島の空と愛知の空は
同じではなかったといえるだろうか
黒い雨はこの愛知に降らなかったと誰がいえようか
非人道 理不尽 怒り悲しみのすべてを伝えるように
被爆地の川は その時も今も流れ せせらぎ 淀み
そのようにして海へ注ぎ
その海はこの愛知と繋がり 世界の海と繋がっている

平和の折り鶴が 雲の流れのように大空で舞っている
瀬戸の海で漁をする漁船のへさきで跳躍している
パソコン、スマホの片隅で小さく羽ばたいている
ついにわたしの心の中まで飛んできたようだ

平和と核廃絶の折り鶴よ
世界の政治家たちの心の中まで飛んで行け!

   メッセージに「詩」を織り込むことに多少逡巡はあったが、「変種」とみられるのもアピールの一つかな、そんな気持ちもあった。

 

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2020年8月 5日 (水)

田上市長へのメッセージを投函

 リンクス別冊9号を発信
 8・9長崎平和祈念集会に向けた、田上富久市長宛の、ピースサイクル愛知として及び個人としてのメッセージ2通を午前中にチェックを入れ、午後に投函した。予定通り運んでホッとした。
 今年のメッセージには、中段に「新コロナ」についても触れた。
 「広島、長崎の原爆・被爆75年目の2020年が明けるや否や、思いもよらぬ『新型コロナウィルス』の感染が始まり、瞬く間に全国に広がってしまいました。一時期収束に向かうと思いきや、真夏になっても衰えることなく感染がぶり返してきました。
 広島も長崎も、こうした事情で平和式典の規模は縮小され、二つの原水爆禁止世界大会もオンライン開催となったとお聞きしています。私たちの『長崎ピースサイクル』も中止を余儀なくされたと、仲間から伝えられました。
 しかしながら、平和と全ての核の廃絶の道は、『8月の恒例の行事』に留まることなく、いつでも、どこでも、誰もが願い、求めるものです。このような状況なればこそ一層、努力を重ねたいと思っています。」
 さて同時にC&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・別冊第9号の編集に取り掛かった。内容は以下のようなものである。
   第09号 2020年08月05日 
1)被爆75年、世界と向き合う 広島、6日原爆の日<中国新聞2020/8/4>
  被爆75年、平和な世界を オバマ氏や教皇ら、広島県にメッセージ <中国新聞2020/8/4>
2)ツネじい通信第87号 2020年08月04日 豪雨水害続出の今、河口堰を考える
3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<7月30日~8月5日>
4)あとがき
 引用ばかりであるが、明日発行予定の「本誌第6号」と併読して戴ければ、という思いで編集し夕刻には発信した。

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2020年8月 4日 (火)

今日一日、あれもこれもで

 私、退屈していません
 朝、目覚める。しばし今日の予定を考える。晴れ間が出てきたら「布団干し」をしよう、夕食は何にしようかな。そして今日中に田上市長あての「長崎への平和メッセージ」を、「ピースサイクル愛知」と「名古屋市民の一人」としての二本を構想する。広島と長崎の違いを出そうと思うが、主旨はそんなに変わるものではない。また昨年のものを下敷きにするが、主要部分に新鮮味を出したいが、すんなりといかないだろうと。
 午前中に、昨年のものを取り出してみたら、長崎メッセージの冒頭に詩を持ってきたことが思い出され、結構まとまっているではないかと自画自賛、ということは、今年は容易でないことになる。そして素材となる最近のアベ政治、防衛関係記事、反核記事などを検索して引き出す。
 広島では冒頭に詩を持ってきたから、同じように詩を構想したが端緒すら見つからなかったのですぐに方針転換。
 午後11時になってとりあえず書き終えた。明日の午前中にチェックを入れ修正し、午後に投函することになろう。これで8月の仕事の前半、広島、長崎へのメッセージが終わり、8月20日を期限とする「六ヶ所行動」の4本のメッセージに移る。
 家事の予定などを想定すると、8月9日までに済ませておくと、私の「夏休み」に余裕ができるが、そんなにうまくはいかないだろう。
 それに「リンクス愛知」もいれることになるから、結局8月17日頃からになるかもしれない、などと考えていたら、もう一つやりかけの仕事を思い出した。“う~ん これでは『go toトラベル』はどっちでもいいが、小旅行、映画、飲み会の一つくらいは・・・”の影が薄くなるのを感じた。
 そういえば、ここ最近恒例だった「夏休み-孫と映画を観に」がなくなった。成長したこと、部活が忙しいことで、相手となる対象から外されたということだろう。ま、私自身は、それはそれで時の流れ、あまり気にしない方なのだが。
 あっ!今年の「暑中お見舞い」はどうしたものか・・・。もうすぐに「立秋」が来てしまうが。

 

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2020年8月 3日 (月)

松井一実広島市長宛メッセージを投函

 私信も同封
 昨夜のうちに市長宛と私からのメッセージを同封して、今日の午前に投函した。遅くとも8月5日には届くだろう。松井市長宛てだが、どう扱われるかは分からない。以前に聞いた話だと、受領したもののリストが公園に掲示されると聞いたが確かではない。あるいは「団体印のあるもの限られる」とか、これも確かではないが。
 今回のメッセージはこれまでと少し変えて、冒頭に詩をもってきた。

   八月六日の広島の空 世界の空
・・・・
この空は紀伊半島の向こうの中国山脈のもと
広島の空と同じ空
・・・・
知多の海は伊勢湾から太平洋へ
そして瀬戸内海 広島へ繋がっている
・・・・・
被爆地の川は ・・・・
そのようにして海へ注ぎ
その海はこの愛知と繋がり 世界の海と繋がっている

平和の折り鶴が 大空で舞っている
・・・・・・・・漁船のへさきで跳躍している
パソコン、スマホの片隅で小さく羽ばたいている
ついにわたしの心の中まで飛んできたようだ

平和と核廃絶の折り鶴よ
世界の政治家たちの心の中まで飛んで行け!

 気持ちだけの拙い散文詩だ。
 8月6日の朝は、久しぶりに「折り鶴」を折ってみようか。

 

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2020年8月 2日 (日)

メッセージ書き続けて〇〇年

 ワンパターンは避ける工夫をするが
 数えたことはないが、これまでの活動の中で「呼び掛け文」とか「宣言」とか「巻頭文」さらに「要請文」「申し入れ書」等々どれほど手掛けて来たであろうか。どれも課題に沿って昨今の情勢、彼我の関係、趣旨などを織り込むのであるが、33年も続けてきた「ピースサイクル」運動では、趣旨は変わらないとしても情勢の変化を採り入れ、表現としてこれまでと違う工夫をしたいと思うのが常である。
 ピースサイクルでは、広島、長崎の両市長、沖縄県知事、「六ヶ所行動」の青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃社長あてに送ってきた。時々、ピースサイクル一行への激励文、稀に現地の運動団体にも。
 平和宣言を出す広島、長崎の両市長とて同じで、成文化するのは担当部署の職員であろうが、大筋、ポイントは市長が示すであろうと推測する。安倍首相のように官僚に丸投げ(と報道では)ということはないと思う。やはり問われるのは、「真摯に寄り添う」姿勢・気持ちがあってこそ、であろう。
 私も「思いを馳せ」さらに政治性を織り込んで書こうとするのであるが、その能力に限りがある。いつも“誰か代わってくれないかなあ”とつぶやきながら取り組んできた。8月6日は近い。今日中に仕上げて投函しなければと、誰かが背中をたたく。今午後1時少し前、早や午前は過ぎてしまった。

 

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2020年8月 1日 (土)

ピースサイクル2020・愛知特集を組む

 C&Lリンクス愛知電子版Ⅱ・第105号
 別冊第8号で第一報を送信したが、11月の全国会議の報告書のもとにするためもあって、愛知実走の報告をまとめて「ピースサイクル2020特集」を組んだ。
   第105号の内容は、「今年も走りました、つなぎました ピースサイクル2020・愛知 愛知実走の報告 」で、   
■7月26日(日)豊橋~豊川~岡崎 ピースサイクル愛知・1日目  やむなく雨で中断
■7月27日(月)岡崎~豊田~日進~名古屋 ピースサイクル愛知・2日目 先導者がいない不安を抱えて
■7月28日(火) 県庁前から空自小牧基地へ ピースサイクル愛知・3日目 無事に岐阜へリレーしました
 であった。
 本誌には書かなかったが、全国会議の報告の中では「反省点」も書き込むので、忘れないうちにメモしておくと①整備されていない自転車が見受けられた。これはお願いだけでいいのか、「実走の参加条件」に挙げるべきかどうかという問題意識を持った。➁始まる直前に参加できないという連絡が入った。それ自体は問題ではないが、その人がコースの先導役だったことが問題で、そのために予定時間が大きく超えてしまった。それはやむを得ないとしても、安全走行の観点からは看過できない。③今回日進市から名古屋市までの区間で「一人旅」となってしまった。しかも、一部の区間で伴走車と並走できない部分が生じた。何かがあっても対応できない危険な状態であった。④実走者と伴走車の間の連絡体制が取れない区間があった。携帯電話の確認を怠った。
 この運動は今年で35年目の節目を迎えた。私自身は33年目であった。“もうそろそろ(潮時)かな”そんな思いを抱いて参加したのだった。そして各地区の担当者にその旨を伝え、来年からどう対応するかを投げかけた。
 「反戦・反核・平和・人権」を掲げる運動に終わりはなく、形は代わっても継承されていくであろう。だが人間には限りがある。早いか遅いか、継承者は誰かの問題であろうと思う。
 最も大きな課題として残されたのは、この問題であった。

 

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