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2020年7月 8日 (水)

米軍機墜落61年で慰霊祭-沖縄

 1959年6月30日、うるま市での事故
 私は「忘れない!オキナワ、フクイチ」をことあるごとに口にしているが、スローガンだけか観念的なものでしかない!と指摘されたら、返す言葉がない。これも能力不相応の多方面に関心を持つがゆえの「何事も広く浅く」をモットーとしているところにも遠因がある。
 ということで、少し前のものであるがピースサイクルの仲間が以下の記事を紹介してくれたので、ここに書き留め、幾らかの糧にしたい。
「基地問題いまだ続く」=米軍機墜落61年で慰霊祭ー沖縄
  2020年06月30日11時46分 時事通信
 沖縄県うるま市(旧石川市)で1959年、市立宮森小学校に米軍の戦闘機が墜落し、児童と住民計18人が死亡した事故から61年となる30日、同校で慰霊祭が行われた。今年は新型コロナウイルスの影響で規模を縮小した。遺族らが参列し、犠牲者の冥福を祈り、黙祷をささげた。
 慰霊祭は、遺族会と当時の在校生らで組織するNPO法人「石川・宮森630会」が主催。久高政治会長(72)は「基地問題は沖縄戦後以降ずっと続いている。これからも宮森から平和を発信していきたい」とあいさつした。
 糸満市から参列した金城清正さん(73)は事故で母とクラスメート3人を亡くした。「基地問題はらちが開かない。安全に暮らせる世の中になってほしい」と話した。
 事故は59年6月30日午前10時40分ごろに発生。米軍嘉手納基地(同県嘉手納町など)所属のジェット機が住宅地に墜落し、機体が衝撃で跳ね上がり、約150メートル先の同校校舎に突っ込んだ。
 もう一つ
奪われた幼い命 ― 宮森小 米軍ジェット機墜落事故
  2018年6月29日 23:00 琉球新報社
 1959年6月30日、うるま市(旧石川市)の宮森小学校に米軍ジェット機が墜落した。児童12人を含む18人が死亡、210人が重軽傷を負った。沖縄の戦後最大の米軍機事故だ。
  今も変わらない沖縄の空
  沖縄・戦後最大の米軍機事故
  宮森小ジェット機墜落事故
 沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校。学校上空付近を米軍機が通過するたびに校庭にいる児童らが避難する―という生活が続いている。その回数は2018年2月から6月8日までで合計527回に上っている。
 隣接する普天間飛行場所属の米軍ヘリCH53が重さ7キロの窓枠を校庭に落下させたのが2017年12月13日。その日以来、校庭は子どもたちが自由に遊んだり、学んだりできる場所ではなくなった。
 沖縄では小学校に戦闘機が墜落し、子どもたちを含む18人が犠牲になるという痛ましい事故が過去に起きている。戦後の沖縄で最大の米軍機事故と言われる「宮森小米軍ジェット機墜落事故」だ。
 1959年6月30日午前10時40分ごろ、石川市(当時)上空を飛行中だった米軍嘉手納基地所属のF100D戦闘機が突然火を噴いて操縦不能となり、同市の宮森小学校近くの住宅地に墜落した。衝撃によって跳ね上がった機体は宮森小学校に突っ込み、6年生のコンクリート校舎に激突した。学校に突っ込む機体から漏れ出した大量の燃料に火が付き、住宅と2年生のトタン屋根校舎の3教室などを焼いた。
 当時はミルク給食の時間帯でほとんどの児童が校内におり、18人が死亡(児童12人=うち1人は後遺症で死亡、付近住民ら6人)、210人が重軽傷を負う大惨事となった。

 

 

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