« 昭和前半の男たち | トップページ | データは好転したが・・・ »

2020年7月13日 (月)

古手紙の使い方

 送った手紙のコピーが出てきて
 先日は古葉書のことを書いたが、今日は封書の手紙についてである。
 但し戴いた手紙は、相手のこともあるから一概に公にはできないが、ここでいう古手紙とは、私が送った手紙の「控え」つまりコピーのことである。1990年から1999年の約10年間、約50通、他に運動の通信の控えのごく一部もファイルされていた。
 なぜそんなものが残っていたかという理由は定かではないが、そのころ私は、事務用のコピー機をリースで自宅に置いていた。会議のレジュメ、資料のファイルなどその都度コンビニに走るのが面倒であったし、その数も半端でなかったのである。リース料、トナー、紙代などの出費もかさんだが、「時間をお金で買う」と考えていた時代だった。それだけ集中していた時期でもあったといえようか。その流れの中にあったのだと思う。
 ワープロが登場し、パソコンの時代に入っていくとコピー機の利用率は下がりやがて契約を打ち切った。
 さて今日は、その古い手紙の一部を読み返しながら、これを「再生」させる手立てはないものかを考え始めた。
   何のために再生させるのか、少なくとも「活動」とは無縁である。結局「自分史」の片隅に添えるだけのものに過ぎないとも思える。「続自分史か?」そうではないが、「過去-現在-未来」この連鎖の中で、過去から引き上げて現在地を見て、未来にどうつながるか、わが足跡をちょっと振り返ってみたくなった、全く無駄な所業と思いつつも。
 この歳になると、効果と効率とか、価値があるかないかという拘泥よりも、“何がしたいか”が優先するようになりつつある。極端に言えば、この「ブログ」でさえ何の意味があるのかと問われても明快な答えはない。書き留めておきたいというだけのこともあるのである。
 パソコンに保存されているすべてのデータは、ある時一瞬で消え去るリスクの中にある。バックアップはしているもののそれは一部に過ぎない。プリントされて程よく保存しておけば、焼失(消失)でもしない限り、いつでも甦る。ただ、その必要性はほとんどゼロに近いが。だからせっかく20年から30年の間も残っていたこの「古手紙」の活用はないかと考えてみたのである。

 

|

« 昭和前半の男たち | トップページ | データは好転したが・・・ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 昭和前半の男たち | トップページ | データは好転したが・・・ »