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2020年4月30日 (木)

たかが雑草取り

 されど生産性なしと言えないのでは
 4月も今日で終わり。そんな日であるが26日の日曜日にも行ったが、今日の午後から再び小庭の草取りを行った。
 毎年隣地から、名前は知らないが成長が早く、何にでも絡みついて伸びてくる草に狙いをつけて抜きにかかった。まず隣地に出掛け、といってもそこは「農園」なのだが、側溝に繁茂しているものをできるだけ根っこから引き抜いていった。放っておくとその隣地から塀に絡みついてしまうのだ。昨年は6月の梅雨時に同じように行ったことが思い出された。その時は、かなり伸びていてレインコートに長靴という“重装備”で臨んだのだったが今日はせいぜい50センチ程度、根も浅いせいかすくっと抜くことができた。
 今度は家の小庭に移動して、ハンドスコップを片手に膝をついて雑草を片っ端から抜きにかかったが、根が深いものもあり、スコップで掘っていくが全部は取り切れない・・・。
 もしマンションなどの集合住宅なら、プランターの小さな雑草を抜くことはあっても、小さいとはいえ戸建ての庭の草取りのようなことはない。この作業はまさしく「エンドレス作業」である。しかもそれ自体に「生産性」は何もない。外装(みてくれ)を許さないだけのものでしかない・・・いや、放っておくと庭が雑草で埋め尽くされ、さらに壁を伝うようになる、じわじわと家を侵食していくのではないかとさえ思えてしまう。
 新型コロナウィルスの対処法も同じような気もするし、わが内なる「精神」も、絶えず何者かの侵略に狙われているようでもあり、根が張る前に抜ききらないと毒される、そんな気がしないでもない。
 たかが「雑草」ではあるがなかなか手強い。いまのところこの「戦い」に応ずることができているのは仕事も学業もない「じーじ」の私だけである。であれば、「生産性」は皆無とは言えないような気もするのだが。

 

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2020年4月29日 (水)

G・W初日のスケッチ

 車が走っていない!
 世間では、この時期をゴールデンウィーク(G・W)というが、リタイヤ年金組にとっては、昨日或いは先週の続きでしかない。だからつい、今日は何の日だったかな?とか、夕方になって郵便受けまで行って「休刊日」であることに気付かされる、という具合である。
 午前11時頃にいつものスーパーマーケットに出掛けた。祭日で5%OFFの日だから早めに出掛けたのである。
切らしていた卓上コンロのガスボンベ、マヨネーズ、ケチャップ、ドリップコーヒー、チュウインガムで、夕食材料は保存のもので間に合わせることに。
 その帰りに散歩・日光浴のために新海池公園を通り抜けた。先日にも書いたが、中学生らがたくさん出ていた。また今日は父子連れも目に付いた。園内にある非常時にはヘリポートとなる広場では、テント3つが張られていた。若者たちだった。木陰に折り畳みのチェア椅子を持ち込んだやや高齢のご夫婦らしき人も見かけた。
   また近くの「フード格安店」では、駐車場に入ろうとする車が列をなしていた。この店は、商品棚との間の通路が広くとられていないので、かなりの「密集」となる。それでもレジの前では、1メートルほどの間隔で列を作っていた。さっと店内の覗いただけで買い物はしなかった。
 この日の夜、遅れに遅れていたピースサイクル2020の資料配布作業を急ぎ、午後10時頃に郵便ポストまで出かけた。それで表通り出た瞬間おやっと思った。左右を見ても車が1台もない、走っていないのである。もちろん人もいない。多くはないが商店は当然閉店で、開いているのはコンビニだけ、あとはセルフのガソリンスタンドの明かりがあるだけ。信号待ちをしていても、東西南北2台と並ぶことがなかった。自転車1台が、赤信号であっても通り過ぎて行った。左右に車が来ないことを確かめながら。
 仕事はお休みで、どこへ行ってもお店は早々と閉店、知人、友人宅訪問もはばかれるとなれば、車が走らないのは道理である。セルフのスタンドが無人なのも納得。コンビニだけが「いつもの通り」の風景であった。

 

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2020年4月27日 (月)

新コロナ・散歩日記

   われ、ホッピー買いだめに走る
 先週末の土曜日、日曜日は、「C&Lリンクス愛知電子版」の編集と資料保存、家事で外出は控えめであった。特に日曜日は小庭の草取り、一部に防草シートを施すなどして過ごした。
 月曜の今日は、イオンモール大高までバスで出かけ、そこでパソコン関連の用品を購入する予定であったが、間抜けなことにテナントは全店休業であることに気がつかなかった。やむなく食料品売り場を一回りして帰ってきた。その足で「フード格安店」を覗いたら、「ホッピー」が1ケース(24本)2390円+税で売られていた。つまり1本100円+税である。しかも酒類ではなく「清涼飲料水」扱いであるから、消費税は8%である。これを近くのスーパーマーケットで買うと128円+税である。
 この店のことで一昨年のことを思い出すと、当時一本売りで108円+税であったが、夏本番前に売り切れてしまったのか、追加仕入れがかなわなかったのか、それ以来店頭から消えたままであった。
 私は家から「キャリー」をもって買いに走ったねえ。「ホッピー100円」は2~3年年前くらいから消えてしまって、それ以来「108円~128円×1,08」のものを「5%OFF」の日に限って買い求めてきたのである。
 蛇足であるが、同級生など私の周辺ではそもそも「ホッピーって何?」ばかりであった。数年前、わが家に数人が集まったときに出してみたら「俺、ホッピーを飲むのは初めて」の人ばかりであった。
 名古屋の繁華街でもホッピーののぼりを掲げているところは珍しいくらいに少ない。たまに見るようになったのもこの2~3年くらいではなかろうか。とある店で一度注文したところ、ジョッキに氷を入れて持ってきたので、氷は水のグラスに移して飲んだ。店長も店員も「ホッピーの飲み方」を知らなかった、ということだろう。早い話「あなたはビールを飲むとき氷を入れますか」ということである。
 ま、それはともかく「黒ホッピー」も同額だったので、迷うことなくこれも「買いだめ」したのであった。もっとも「ホッピー人口(愛好家)は、マイノリティー」だから、奪い合うこともないから、いわゆる「買い占め」に走ったということではない。単に安いから買っておこうというだけのことである。「第3のビールよりも(値段も体にも)いいですよ」これが私の言い訳。

 

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2020年4月26日 (日)

ミニシアターを守れ!

 C&Lリンクス愛知電子版第95号
   深夜までかかって第95号を仕上げた。明朝にもう一度校正を入れ発信する予定だ。主たる内容は、「新コロナ禍」のミニシアターを守れ!である。
 冒頭に次のコメントを入れた。
 「シネマ散歩・緑の会」の映画鑑賞会もやむなく中止。名古屋市緑区在住の「シニア」を中心にして活動している「シネマ散歩・緑の会」は、2か月に1回の割合で映画鑑賞会・懇親会を開いてきたが、1月に名演小劇場で「おっさんずルネッサンス」を観て以来中止となっている。映画館の再開を待っている。
 第95号の内容は、4月27日付で1)「新コロナ禍」のミニシアターを守れ! 枝野代表と福山幹事長が発起人らとネット上で意見交換 2)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<4月21日~4月26日> 命と暮らしを守るための提言<立憲民主党> 3)「ツネじい通信」 NO76 2020/4/19 休校の子ども達への「ラブレター運動」を 4)随想31“いわなくてもいいものを”― 女の人が行くと時間がかかる ― 5)映画紹介「Fukushima50」
 また、送信にあたって次のように書き込んだ。
   いかがお過ごしでしょうか。後世で「令和」が「新コロナの時代」と言われそうな・・・。そんな時代に生きているのですね、私たちは。集会もデモも講演会も中止となって、今では、「インターネット(葦の髄)」から「社会、世界(天井)」覗く、感じすらします。
   C&Lリンクス愛知電子版第95号をお送りします。当面の目標100号まで、あと5号となりました。ここのところ「新コロナ」のせいで、加速させられている感じです。
   5月中には100号に達しそうなので、その後どうするかを急がねばならない。

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2020年4月24日 (金)

男の私が買い物をするとき

 時間がかかるのはもう一つ理由が
   大阪市の松井一郎市長が、4月23日の記者会見の中で、新型コロナウイルス感染拡大防止に関連し、スーパーマーケットでの買い物について「女の人が行くと時間がかかる」などと発言したという。彼に内在する古い観念がポロっと出たのではないか。
 率直に言えば、スーパーマーケットで買い物をする時に時間がかかるのは、確かに「品選び」であるが、それは、値段、鮮度(消費期限)、メーカー、添加物など、自分で持っている情報と合致するかどうか見定めるためである。
 だがもう一つは経験的に言うと、例えば夕食の献立が既に用意されているか、そのための折り込み広告の情報が頭に入っているかで買い物の時間は違ってくる。つまり献立に必要なものだけを買いに走るとすれば、時間と余分な出費が抑えられるから、台所を預かる者(男女の限らず)は、「買い物の準備と予備知識」を持っていることが望ましいのである。
   しかし・・・買物は、必要なものを買うだけで済ます場合と、店内を見て回ることの楽しみもあるのである。「旬の食材が出ている」「あっ、値段が上がっている(安くなっている)」「これは新商品かな?」「そうだ、明日は何にしようかなっと・・・」なんてことは毎度のこと、だから確かに時間がかかる。
   今日は、久しぶりに大府市との境界にある「COOP大高店」まで不要不急の買い物に行った。距離的には6㎞くらい先であるが、途中までバスで行き、そこから20分くらい歩く。その間往復で約5000歩。結局今日は1日で7000歩稼いだことになった。
   ちなみに不要不急の買いものとは「石鹸シャンプーとリンス、台所用洗剤」であった。スーパーに並んでいるものは殆どが中性洗剤であるからだ。

 

 

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2020年4月23日 (木)

日録-今日は、7000歩を確保したが

 家では、ミニ詩集の返信を送る
 昨日に引き続いて、バス、地下鉄を使って「不要不急」の買い物に出かけた。
 地下鉄「相生山」駅から徒歩で600~700m先のホームセンターへ、一通りの「品定め」と、文房具を買って帰宅の途へ。地図上では1,6~1,8kmで、この日は何とか目標の6000歩をクリアーした。距離も目標の4kmを超えたが、
   これはあまり宛てにはならない。歩幅の登録は65cmで、これはかなり意識的に歩かないと出ない数字であるから、歩幅60㎝で歩いたとすれば、実測距離は出ないことになる。目安だからどっちでもいいのだが。
 さて家にいる時はもっぱらデスクワーク。先に発送した「ミニ詩集」の往信が数人の方から届いた。“ああ、読んでもらえているんだなあ”と、早速返信した。戴いたその中には、3行詩(8)の「推敲する 発信する 検証する/その中心にSOUL&LOVEがあるか/それが問題だ」をお読みになって、「LOVE」を分解してみると以下のようになると「Listen 聴く」「Over look 寛大(にみる)」「Voice 声」「Effect 努力(せよ)」という一文を送ってくれた。なるほどと感心することしきり。(この人は元教師、ここでも教育された)
 散文詩より、こうした3行詩のような短詩は、川柳かコマーシャルのワンフレーズを読むような感じで、受け入れ易いのかもしれない、と言ったら失礼か。私自身の好みでもあるのだが。
 この先再度3行詩に挑むつもり、だから「イラストと3行詩・Ⅰ」としたのである。

 

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2020年4月22日 (水)

「新コロナ」と辺野古

 C&Lリンクス愛知電子版・第94号
 前号から10日ばかり間をおいて第94号を発信した。今月に入って6号目であり、今までにない月間の発信数となった。この先まだ1~2号は出そうなので、「当面100号を目標にしています」が、想定外で近づいている。「新コロナ」が終息せず、安倍内閣が継続しているとしたら、中途で休刊、終刊とはしづらい。その時になったら考えることにしよう。
 本誌は「立憲民主党と共に」を副題にしているから、その方面の記事を優先しているが、引き寄せて記事にするものが少ない。それは「党活動」に光彩が少ないともいえる。支持政党の世論調査でもそれが顕れているが、なにが足りないのか、なにが世論とマッチしていないのか幹部・党員は考えてほしい、示唆してほしいものである。支持率の低落は一時的なものであってほしい。
 さて第94号は、1)定例役員会での枝野幸男代表の挨拶 2)国は「辺野古唯一」を見直せ! 辺野古の設計変更申請を批判 3)「ツネじい通信」 NO75 2020/4/12 コロナ爆発は安倍人災、命を守る政治を作ろう 4)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<4月9日~4月21日> 5)ひと言 立憲民主党・高井議員の醜態 
 ここで辺野古を取り上げたのは、現地の状況を記録しておきたいことと、「忘れない」ためでもある。もう一つの「忘れない」の「フクイチ」は、「シネマ散歩緑の会」の会報で、映画「Fukushima50」を紹介することでそれに代えた。

 

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2020年4月20日 (月)

立憲民主党の高井議員の醜態

 政党、議員の質、力が問われている
 書くこともおぞましい「事件」で、これまで控えていた。
 言うまでもなく、立憲民主党の高井崇志衆院議員(50 比例中国)が4月9日、東京・歌舞伎町の性風俗店に入店していたことが判明し週刊誌で報じられた事件だ。
   立憲民主党は4月15日、持ち回りの常任幹事会を開き、緊急事態宣言が発令された後に風俗店に入店した高井崇志衆院議員を除籍処分にした。当然だろう
 「政府のコロナ対応を問題視している時に、野党全体のマイナスになる」と、党幹部としても頭の痛いところであろうが、現場の地方議員、立憲パートナーズにとって“途方に暮れる”くらい衝撃度が大きい。
 私は事件が発覚した当初、高井議員はある筋に「嵌められたのではないか」と疑った。この時期に、国会議員であろう者が、まして立憲民主党所属議員がこんな行動をとるとは考えられないと思ったからだ。
 国会議員であろうと教師であろうと“同じ人間だ”というような言い訳が立つはずもない。巷のおっさんでありたいなら議員も教師もなってはいけないのである。
 この観点からすれば高井議員は、議員を辞職すべきである。立憲民主党内にもその声が強いとされる。
 議員が禁固以上の有罪判決が確定すればその身分を失う。又国会での決議で「除名」が決まれば辞めさせられる。いずれにしても立憲民主党に議員辞職(罷免)の権限はないから、本人次第ということになるのか。
   立憲民主党としては、除籍処分をして幕引きとするのではなく、その過ち、議員としての資質を問い、高井議員に辞職を迫り、政党としての襟を正したうえで、「新コロナ」問題、「モリカケ問題」「河合夫妻の問題」に、力を込めて取り組むべきではないか。不祥事を起こしたことは、かえすがえすも残念の極みであるが、だからといって政治活動をひるんではならない。むしろ、この機会を飛躍の糧にしてもらいたいくらいだ。
 「新コロナ」の収束も見えない中、政局も何もあったものではないが、だからこそ政党の存在、議員の存在が問われる。今なすべきことを洗い出し、政治的展望を示すべきではないか。知恵と行動が求められる時期だと思う。

 

 

 

 

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2020年4月19日 (日)

映画館は全部休館になってしまい

 文化活動の全面停止が心配だ
 今日の午後、「4・19集会・デモ」に代わるものとして予定されていた、名古屋の繁華街・栄の交差点での大々的な「安保法反対の街宣活動」は中止となった。参加者が密集することもあり、訴えたい人がまばらで、ビラの受け取りも極端に良くない、社会的な“目”も気になるところだ。中止はやむを得ないだろう。
 一方「シネマ散歩・緑の会」の会報第15号に私は「・・・このような状況ですので、シネマ散歩・緑の映画鑑賞会は当分の間中止とします。ただ、開館している映画館もあり、観たい映画を我慢ばかりするのもどうかと思います。(中略)・・・4月14日に『Fukushima50』を観てきました。館内の入場者はまばらで、しかも現在は、座席が一つ置きに使用禁止となっているなど、往復の交通機関を除けば、感染の危険性は少ない気がします。お勧めするわけではありませんが、私はマスク着用、消毒用のアルコール持参、会食なしなどの防御で、鑑賞は(個人的に)自粛しないことにしています」と書いた。見通しが甘かった。私の知る限り全部休館となった。
 映画館側は、「措置法」に淡々として従っているだけなのか、他に何らかの判断が加わっているのか。「3蜜」の状況にあるといえばそうなのだが、スーパーマーケットの店内に較べれば、密集、密接ではかなり緩和できる・・・。
 こう考えると「それは個人的な欲求だけだろう」と言われそうだ。それもそうだが、ことは映画館だけに留まらないとも考えるのである。演劇、観劇、コンサート、文化講演会、さらに美術館、博物館、資料館も閉鎖。つまり「文化活動」が止まるということだ。この事態ではそれも仕方ないだろう、と言われる。特に反論はないが、全て「×(ダメ)」だけでいいのか。それに代わる智恵、アイデアはないものか。
 朝日新聞が一部有料であったウエブの情報を当分の間無料とした。これは賛同できる。情報を「新コロナ」だけに留めず、幅広く提供してもらいたい。一方テレビでは、「アーカイブ」の中から選りすぐったものの再放送すれば、「閉じこもり」に、少しは寄り添えるのではないか。
 個人的な映画館はあきらめるとして「ミニシアター」が経営的に危ぶまれているという。閉館が1か月ならともかく、今の状況からは2か月、3か月は覚悟しなければならない。こちらが気になるのだが。

 

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2020年4月17日 (金)

シネマ散歩緑の会会報第15号

 続いてシネマの会報作り
 久しぶりに「ミニ詩集」を編んだ流れを引き継いで、1月例会から行われていない「シネマ散歩・緑の会」の鑑賞会を、当分の間中止する旨、その連絡も兼ねて会報の15号の発行に取り組んだ。
 私の鑑賞映画として「Fukushima50」を紹介し感想を添えた。加えて今号ではシネマ情報として「大林宜彦監督がお亡くなりなりました」を掲げ、新聞記事などを採用して掲載した。その記事の最後に私は【ひと言】として「私は、大林監督が師と仰ぎ、尊敬していたという故黒澤 明監督の映画はたくさん観ましたが、大林監督の映画は一本も見ていないのです。両監督の映画を比較すれば、私の嗜好が分かるというものです。ですが、2020年4月16日(木)NHK BS1 23:00~23:49最後の講義「大林宣彦」(2018年3月11日放送)は、見ましたよ。」と書いた。
   また、冒頭では「シネマ散歩・緑の会のみなさま。」へと題して、
 「新コロナ」感染の広がりが止まりません4月8日に「新型コロナウィルス対策措置法」が発令され、その対象が7都府県から16日に、全国が対象となりました。更に感染者が急増する北海道、茨城県、石川県、岐阜県、愛知県、京都府の6道府県が加わって特に重点的な対策を進める「特定警戒都道府県」と位置付けられました。
 それによって営業自粛が求められる施設に、愛知県の場合映画館も含まれています。4月17日現在、シネマテーク名古屋、ミッドランドスクエアシネマ・センチュリーシネマが休館となっています。
 このような状況ですので、シネマ散歩・緑の映画鑑賞会は当分の間中止とします。ただ、開館している映画館もあり、観たい映画を我慢ばかりするのもどうかと思います。
 私は2月6日に「新聞記者」、2月27日に「1917命をかけた伝令」、4月1日に「三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実」、4月14日に「Fukushima50」を観てきました。館内の入場者はまばらで、しかも現在は、座席が一つ置きに使用禁止となっているなど、往復の交通機関を除けば、感染の危険性は少ない気がします。お勧めするわけではありませんが、私はマスク着用、消毒用のアルコール持参、会食なしなどの防御で、鑑賞は(個人的に)自粛しないことにしています。(叱られるかな)
 と書いた。

 

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2020年4月16日 (木)

ミニ詩集・第18集を仕上げる

   3行詩を中心に、14か月ぶり
 不思議なもので、C&Lリンクス愛知電子版・第93号で趣向を変えて編集してみたら、それまでの「新コロナ」中心記事から、やや離れた世界に留まりたくなった。そこで兼ねてより気にしていた、「ミニ詩集」編集執筆を再開する気になった。前号が昨年の1月30日であったから14か月ぶりとなる。
 内容は、「ワン センテンス ポエム」の一つといっていいかもしれない「3行詩」が中心である。
   「イラストと三行詩」のイラストは、本、ランプ、椅子、パレット、コンパス、薪、吸殻、S&Ⅼの八つに3行詩をつけた。例えば「ランプ」は、「だれもが持っているように/私も心の中にランプを持っている/ただ灯すだけの油を持ち合わせなかった
 これらを頁の上段に置き、下段に「ほんの三行詩」として二題。例えば「近視」のタイトルで「黒板の字が読めなくて/隣の女生徒の/ノートを書き写していた」、「三蜜」のタイトルで「昔 五五人学級で/机一つに二人掛け/近かった先生との距離」といったもの。
 いつもの詩は二編だけである。「止まり木」と「椅子取りゲーム」
 三行詩は、普段書き慣れている文章から、その一部を抜き出したもの、といったものであるから、そんなに難しくはないのだが「センス」が問われる、そして磨かれる、ということもある・・・。
 ところで、増す刷りをしたいと思って、区の印刷室に問い合わせをしたところ、5月12日まで閉鎖であるという。それもあくまで「予定」とか。へたするとコンビニの「コピー機」も使えないかもしれない。なんだかおかしい。

 

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2020年4月14日 (火)

映画「Fukushima50」を観る

 正反両面から評価したのだが
 こうした状況だから「自粛」を全く無視するわけではない。けれど“いやだなあ”と感じたときは、「自粛」に挑んでみる気になる。今日、3か月の検査・検診の後に“時間が合えば・・・”と秘かに狙っていた映画「Fukushima50」を観る機会が巡ってきた。
 ・・・2011年3月11日午後2時46分、マグニチュード9.0、最大震度7という日本の観測史上最大となる地震が起こり、太平洋沿岸に押し寄せた巨大津波に飲み込まれた福島第一原発(フクイチ)は全電源を喪失する。このままでは原子炉の冷却装置が動かず、炉心溶融(メルトダウン)によって想像を絶する被害がもたらされることは明らかで、それを防ごうと、伊崎利夫をはじめとする現場作業員や所長の吉田昌郎らは奔走する・・・という例の「東京電力福島第1原子力発電所」の事故をモチーフにした、未曾有の事態を防ごうと現場に留まり奮闘し続けた人々のヒューマンドラマである。
 まずこの映画から「なぜこうなってしまったのか」「何か間違っていたのか」という、吉田所長、伊崎原発 1・2号機当直長のつぶやきに、映画は答えを出したであろうか。原子力発電の推進、安全神話については触れず、また東電の経営責任より、経験のない最悪の事故に対応する技術の未熟、限界そして「官邸の介入」に向けられている気がする。
 「Fukushima50」の50は、事故発生後も、原発内に残った作業員50人を指すのであるが、その50人にはベテランもいれば若手もいる。線量の高い原子炉内の状況を調べに入るにあたっての人選、最後の手段「ベント」開くための「決死隊」の人選で、最初はだれもが躊躇するが、それぞれは「責任感」から次々と手を挙げる。忌憚なく言えばかつての「特攻隊」のイメージを連想させる。
 さらに昨今、何事につけ「人権尊重」「安心、安全」が強調され、「犠牲的精神」の欠如を嘆く向きがないとは言えない。だが映画では僅かだが自衛隊の支援活動、米軍の「トモダチ作戦」が織り込まれ、それが「戦前への回帰」と同次元で語られ・・・と受け止めるのは、うがち過ぎか。(再考の余地あり)
 ともあれ、「忘れない!フクイチ」を今一度確かめるうえで一見の価値はある映画であった。

 

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2020年4月13日 (月)

世情からちょっと離れて

 脳を散歩をさせました
 閉じこもりの効果であろうか、「C&Lリンクス愛知電子版」の第93号を発信できた。今号は政治、社会や地域の運動から離れた内容とした。ちょっと大げさに言えば、若干の逡巡があった。「こんな時期、浮世離れみたいな世界を漂浪していていいのか」と。
 だが決して地から足を離したつもりはなく、ふと歩きを止め、後ろを振り返り、空を見上げて静かに深く息をしただけなのだ。脳にも散歩が必要なのだと思ったのだ。
 第93号<2020年04月13日>は、以下の内容である。
 1)フォト 子どもたちの笑顔を絶やさないために<新海池公園と桜と子供たち> 2)詩「生きる」 谷川俊太郎 3)谷川俊太郎さんが語る詩のあり方や人生観 「minimal」イタリア語訳・マルティーナさんと対談(毎日新聞から) 4)余談 人生のブーメランか 
 こうした別世界に踏み入れると、その世界に引き込まれ、馴染むことがある。まさにその流れの中で中途で止まっていたミニ詩集の第18号「イラストと3行詩」の編集執筆が一気に進んで、ほぼ仕上がった。1両日中に印刷の予定である。また同時進行で、映画鑑賞会が中止になっている「シネマ散歩緑の会」の会報の編集も半ば進んだ。
 明日は3か月に一度の定期検診・検査日。「クラスター発生か」と言われた病院であるが、だからこそ防疫体制は万全であろうと不安なく出かける。
 その病院の新コロナウィルス感染の発生とその後の病院側の対応が詳しく書かれた、「同居3人が肺炎…変だ」 病院の機転でクラスター発覚 という記事が4月12日付の朝日デジタルで紹介された。

 

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2020年4月12日 (日)

「新コロナ」の副産物?

   気付かされる「脆弱性」
 新型コロナウィルスが猛威を振るっていて「パンデミック」状況に立ち至っている。つまり先進国でさえ後れを取り、混乱が続いているということだ。となれば社会基盤(インフラ)、とりわけ医療体制の確立が遅れているアフリカなどの国や地域で蔓延したら、手の施しようがなく、自らの体力で克服するしかない。
 国内にいて、自らの行動を抑制し、健康的な生活、予防処置をとっていれば、かなり感染を免れるであろうし仮に感染しても、今のところ、とりあえず病院で診察を受け、検査もある程度可能である。
 日本は、都市は世界から見て、街中がきれい、衛生的という評価を戴いて来たというが、首都東京の状況の実体はどうであろうか。今回の「新コロナ」で、その実態が明らかになりつつある。
 言うまでもなく、医療体制が崩壊寸前まで来ているようだ。まず隔離病棟・病床が決定的に不足している。予備的であれ、転用可能病床であれ、一千万人都市としては「無防備」に近い状況ではなかったか。一般用のマスクは増産中といっている割には、市中に出回ってこない、不幸な争奪戦も絶えないと聞く。医療施設での防護用のフェースシールドやマスク、人工呼吸器とその部品も充足できず、表に出ていなくてもそれによって亡くなられた人もいるのではないか。
 それもこれも、地震、台風などの自然災害には取り組んできた(土木建設事業が伴う)が、インフルエンザや同じコロナウイルスであるSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)の感染拡大に学ぶことがなかったのか(経済効果が薄い?)、さらに安倍内閣の愚政ともいえる後手、後手が、こんにちの危機的状況を創り出しているといえるのではないか。
 無駄な公共事業、不要不急の兵器の爆買いに予算を積んでも、感染病対策、研究にどれだけ予算を組んだであろうか、さらに安倍内閣は公立病院の病床を減らして来たではないか。
 「新コロナ」でこうした実態が露出し、政治そのもの、国としても地方自治体としてもその脆弱性が明らかとなり、国民の目がそちら向けられるなら「効果」とは不謹慎であるから「副産物」とでも言っておこうか。
 こんな時だから政治に空白は作れない。だから「安倍退陣!」も大声で言いにくい。悪運の強い人だ。

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2020年4月10日 (金)

詩想を練るも消沈するばかり

 私的な“閑話休題”かな?
 8篇前後の詩をA5の冊子に載せて折々の詩を書いてきたが、昨年の1月30日発行の第17号でストップしたまま。ひょっとして次号を待っておられる人がいるかもしれないと、時々その気になって向き合うのであるが、どうにも書ききれないで頓挫してしまう。行き詰まること自体極当たり前のことであるが、意気消沈から決起浮上の気力が出てこない。集中力が決定的に欠如しているからだろう。
 3月26日の日付まで入れて表紙と詩2篇まで行ったところで「新型コロナウィルス」にやられた。感染した訳ではないが、関心と意識がそちらに行ったままで返ってこないのである。
 4月に入って「C&Lリンクス愛知電子版」を続けて3号発信したところで、「異常事態宣言」の新たな展開が出てこなければ、しばし様子見となり、詩想を練るいい機会となった。
 その気になるには、自分の中にそれなりの「雰囲気」と動機をつくらねばならない。流行りことばでいえば「モチベーション」である。
 まず、これも暫く遠ざかっていた「川柳」を手掛けた。「新コロナ」を題材に10句ほど。4句を投稿用に回した。
 次に毎日新聞の特集ワイド・谷川俊太郎さんが語る詩のあり方や人生観-「minimal」イタリア語訳・マルティーナさんと対談、を読んで詩の世界へ接近。本棚から数冊の詩集を取り出して拾い読み。まだまだ・・・。
 これまでの執筆作業から何か拾えるものはないか・・・、そこからヒントを得て展開できれば・・・。
 明日、もう一度新海池公園を散歩してみようかな、思想が浮かんでくるかもしれない。これまでも何度かそのようにして幾篇かの詩を得たから。

 

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2020年4月 9日 (木)

2020年は「新コロナ参加(流行)」の年

 C&Lリンクス愛知電子版第92号発信
 ・・・昨日の第91号に引き続いて第92号をお送りします。いささか気持ちが「急いて」いることは確かです。覚醒と迷妄が交錯する中、キーボードを打つしか手がないのです。文章ばかりですが、参考になれば、と思っています。
 というコメントつけて、連日となるC&Lリンクス愛知電子版の第92号を午前中に発信した。
 内容は次のようなものである。第92号<2020年04月9日>1)談話】国民の皆さんへ 緊急事態の宣言にあたって 立憲民主党代表 枝野 幸男 2)【緊急寄稿】 ビーバーテール通信 番外編 緊急事態宣言は魔法の杖ではない 3)重大事態宣言でもNHKの「報道の自由を」 国境なき記者団 4)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<4月3日~4月8日> 5)随想30 “新型コロナウィルス考・2”― つのる次の世代への不安 ―
 安保法の成立に反対し、抗議のために続けられてきている毎月の「19日行動」の集会、デモが中止になっているが、一方で街頭宣伝活動は続けられている。毎週金曜日の「中部電力本店前行動」も休むことなく続けられている。
 4月19日については、集会、デモは取り組まれないが、名古屋の繁華街・栄の交差点の4か所で一斉の街宣活動が呼びかけられた。日曜日の午後であるがどれほどの人出があるだろうか。チラシも用意されるであろうが、「手渡し」に警戒感が伴って受け取りはよくないだろう。折しも大村愛知県知事の愛知県独自の「緊急事態宣言」の発表である。
 自粛、自粛に負けないぞ、こういう時こそ行動をとるべきだ(最大限の防御処置をして)という呼びかけもなされている。
 私は判断しかねている。『・・・独り身ならば』という思いがよぎり、「高齢で持病持ちでしょ!」という声も背中に浴びている・・・。ここは思案のしどころである。

 

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2020年4月 8日 (水)

速報・緊急事態宣言発令・施行

 C&Lリンクス愛知電子版・第91号
 警戒を要する「新型コロナウィルス対策特別措置法」に基づく「緊急事態宣言」が発令、施行された。注視は怠れない。それもあって、C&Lリンクス愛知電子版の第91号を4月6日から1日置いて今日発信した。掲載したい記事はまだまだあったが、次号に回した。
 内容は1)速報 2020年4月7日 緊急事態宣言発令される 2)新型コロナウィルス考・4 ・緊急事態宣言の強権 首相自身も無自覚 決断は首かけて ・「ウイルスは撲滅できない」 ・医療従事者の心理ケア急務 3)「ツネじい通信」 NO74 2020/4/6 自然のしっぺ返し、加えて政治の貧困 4)あとがき。である。
 新聞記事の引用ばかりであるが、私のできることは、このくらいのことしかない。この内容をもって読者のみなさんに少しでも参考になることを願うばかりである。
 あとがきでは次のように書いた。
 正直なところ気持ちがバタバタしています。本誌の発信は“なんのためか?”“何が言いたいのか?”が繰り返されます。掲載内容は引用ばかりで、多くの読者にとって既知の事実ではないのかと。それでも、と自分に言い聞かせるのはやはり「この瞬間」に立っているという自覚、忘れないぞという覚醒。そして「発信」が「共有」され、一体でありたいという願望。加えて「自粛」という殻を破りたいという気持ち・・・。

 

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2020年4月 6日 (月)

「緊急事態宣言」前夜、記者会見は真面目にやれ!

 C&Lリンクス愛知電子版・第90号を発信
   新型コロナウィルス(新型肺炎)感染拡大は広がるばかりで、医療現場での日夜の奮闘に関わらず、政府の対策は彼らをバックアップしているとは言い難い。かといって野党から何がしかの有効な提起がなされているとも思えない。あるいは医学界からウィルス研究がどの程度進んでいるのか、この先の見通しも聞こえてこない。
 そんな中で「特措法」による「緊急事態宣言」が明日出されようとしている。「宣言」がどれほどの効果があるのか、誰もわからないであろうが、とにかく状況を注意深く見守り、判断材料を頭に入れておくべきであろう。
 私自身は、なにがしかの提案も行動もとり得ていない。せめて情報提供するのみである。
 そこで4月4日付の「」の発行に続いて、今日第90号「新型コロナウィルス考・3」を発信した。午前中にほぼ編集を終えた段階で、4月7日「緊急事態宣言」発令の情報が入ってきて、急遽追加した。全て新聞記事(デジタル)からの転載であるが。第90号の内容は以下の通りである。
   1)新型コロナウィルス考・3<新聞記事から> 新型コロナウィルス感染拡大で、うごめく政治、揺さぶられる市民の心理 ・この国はどこへ これだけは言いたい 安倍首相“恩師” ・コロナショック 都市化がもたらす脅威 ・新型コロナ対策に必要な心理=海原純子 2)4月7日「緊急事態宣言」発令へ!<新聞記事から>状況の変化に対応するには、・首相、緊急事態宣言へ 新型コロナ感染拡大受け7日にも発令決断 ・緊急事態宣言で何が起きる? ロックダウンとの違いは ・安倍首相「緊急事態宣言」あすにも出す方向で最終調整 ・「緊急事態」期間は1カ月程度か 首都圏4都県、大阪、兵庫軸に 3)あとがき
   7日の午後7時から安倍首相が記者会見して「緊急事態宣言」の内容を「丁寧に」説明するようだ。今回こそ真面目に記者会見をしてもらいたいものだ。

 

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2020年4月 5日 (日)

医学生を現場派遣の行政命令

   新型コロナウイルス で米国NY州
 トランプ大統領が4月4日、新型コロナウイルスの感染が最も拡大するニューヨーク市に、追加で1000人の軍医療従事者を派遣すると発表した。
 そして感染者は合わせて11万3704人に達している米国ニューヨーク州のクオモ知事は、今日になって医師や看護師を支援するため、州内の医学生を病院などの医療現場に派遣する行政命令を出した。
 私は4日付の「C&Lリンクス愛知電子版・第89号」で、恐ろしいことだが「(日本で)医学生、看護学生の派遣はあるか」というコメント書いたばかりである。海外からもそのような情報はないとしたが、24時間を置かずにこのニュースが入ってきた。これでイタリア、イギリス、フランス、スペインでも、幾らかハードルが下がって「医学生」の派遣が行われるようになるかもしれない。更に「看護学生」の派遣も検討されよう。
 こうした決定に対して、学生や親たちの反応は伝えられていないが、恐らく派遣を拒否出来ないだろう。拒否すれば何らかのペナルティが課せられるかもしれない。
 日本でも、「医療崩壊」寸前又は始まることがあれば、このような「医学生」「看護学生」の派遣が議論の俎上に載ることもあるかもしれない。そのような事態にならないことを願うが、そうした事態も想定して野党も対応策を今から考えておく必要があろう。難しい判断が求められそうである。

 

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新型コロナウィルス考・2

 C&Lリンクス愛知電子版・第89号
 やはり、この問題を取り上げ続ける必要があろう。この状況に至って「何をなすべきか」が見つからないとすれば、書くことしかない、ともいえる。
 第89号は、4月4日付で、内容は、1)新型コロナウィルス考・2 ウィルスの感染拡大は止まらず 仮説「医学生、看護学生の派遣」はあるか 2)枝野代表の記者会見 「政府は最悪を想定して備える基本がまったくできていない」「(経済対策でも)残念ながらまだ平時の意識」と枝野代表 3)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<3月30日~4月3日> 4)「ツネじい通信」 NO73 2020/3/28 コロナが問うている「個人の思索力」 5)マイブログから(4/1) 志村けんの死去で思う 全4頁。
 地域の運動は、街頭宣伝活動が中心で集会などはほぼすべてが中止または延期である。開催したくても施設が閉鎖されていて会場が確保できない事情もあるようだ。
 私は街宣活動には参加していなので様子はよくわからないが、MLから拝見すると、チラシの受け取りはあまり良くないようだ。チラシから感染することはないと思うが、手渡しの瞬間は、かなり近づくこともあり、受け取る方も何となく手が出ないのではないかと察する。配る側もリスクがないとは言えない。
 戦前の「戦争前夜」で、戦時体制がとられていたとき、一般的、というのもあいまいだが、社会運動家たちはどうしていただろう。「地下」で密かに集まり、宣伝活動に工夫を練っていたであろうか。
 「Change.org」から毎日のように、署名の呼びかけが来るが、私はかなり選択的に署名に応じている。関係性、関心が希薄なものについてはやはり署名を控えてしまう。新型コロナウィルス関連の署名も来ていた気がするが、やはり選択する。署名したかどうかすぐに忘れてしまいそうなものは遠慮している。署名しても忘れがちではあるが。

 

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2020年4月 3日 (金)

どこまで広がるか「新コロナ」

 病院船は必要ではない
 時事通信によると「国内で確認された新型コロナウイルスの感染者は3日、クルーズ船の乗客乗員を除き3000人を超えた。この日は全国で320人以上の新たな感染者が判明、1日当たり300人を初めて上回った。感染者200人以上は4日連続で、この4日間だけで1100人を超えている。東京都の同日の新規感染者は89人で、都内の累計は773人となった。」とある。
 1000人単位で増えていくペースがどんどん縮まっている。1日に500人そして1000人となれば、いよいよ「新型コロナウイルス対策の特措法」が適用され 「緊急事態宣言」が出される可能性が強まってきた感がある。
 「国民の権利制限」が伴う「措置法」だけに、「慎重」であらねばならないが、これまでの安倍不信感がぬぐいきれないので、日本医師会や、大阪府知事辺りが盛んに「特措法」実施をアピールしていて、都知事も同調の動きをし、安倍首相が「ギリギリ持ちこたえている」という構図、さらにその時間稼ぎのような「マスク1世帯2枚配布」や、詳細の分からない「1世帯30万円支給」には、「特措法やむなし!」の世論形成を待っているように、どうしても考えてしまう。
 また、どさくさに紛れて持ち出されたのが「病院船」調査費7千万円計上というニュースである。こうした状況や大規模災害に有用であるとしても、これまで幾多の大災害でも論じられて来なかったこと、また病院船の生い立ちも現状も「軍用」であることも考え合わせれば、建造するとしても何年も先のことであり、今持ち出す理由は見当たらない。
 自衛隊の海外派兵、武力衝突(戦争)が起こることを想定または米軍と一体化してアメリカ兵の収容、治療に貢献という道筋も考えられる。防衛予算が膨らむばかりである。
 病院船は不要である。防衛費を「新コロナ」対策に回せ。それが自衛隊の役目であろう。

 

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2020年4月 2日 (木)

映画「三島由紀夫VS東大全共闘」を観る

   ついていけないが、「違い」を考える
   3月26日の「リンクス電子版87」で、映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」についてなぜこの時期に公開か、と書いた。それで映画鑑賞の時期を探っていたが、昨日観ることができた。
   劇場は、TOHOシネマズ名古屋ベイシティで、今回初めて出掛けたスクリーン。平日の午後、雨、新型コロナウィルスの3条件が揃っていて、キャパ334+2(車いす)のところ、夫婦1組を含めて7人。安心して鑑賞できた。
   映画は、序章に続いて第一章「七人の敵あり 三島の決意表明」、第二章「対決」、第三章「三島と天皇」、最終章「熱情」という構成。それぞれの映像の間に、コメンテーターが三島の発言を補足し、時代背景を説明するなど語るのであるが、これによってこの激論のポイントが理解できる仕掛けになっている。それでも私には、容易にはついていけない流れであった。膝の上にメモ用のボードを持ってくれば良かったと少し後悔した。
   観終わって何が残ったか。三島をして「不世出の作家」というのは、作品をほとんど読んでいないから何とも言えないが、なんとなくであれ強い印象を受けたことは確かだ。小説家、劇作家、俳優であって国家、政治、社会、文化を語る人、実践する人。肉体を鍛え、自衛隊に体験入隊、私兵軍団「楯の会」を結成、思想と行動が完璧に一致している。そして「敵対者」と思われた「全共闘1000人集会」へ単独で乗り込む。そういう人物は、現世では見当たらない。
   キーワードは「美と共同体」もあるがやはり「言葉」であろう。87号のあとがきでチラッと書いたが「今どき、右であれ、左であれ、仲間同士であれ、ガチンコ議論なんて起こり得るか?」、あの時代・・・私は組合活動で、組合の執行部と大いに論争し、職場では管理職とわたり合い、活動仲間とも多く議論した。議論即ち言葉であり、言葉即ち生き方、未熟であれ思想性であると思う。
   もう一つは「国家観」であろうか。三島と私たち世代の違いは「国家」と「私(個)」が一体であるか、「国は国、私たちは私たち」という「民主主義」に依拠するかどうかの違い。「討論」では、三島と全共闘は「反米愛国」で通底するものがあったとされるが、私の中では「反米」も「愛国」も、それに近いものがあるにしても言葉としてはフィットしない。例えば安保条約の下で日本はアメリカの属国のように位置付けられるが、それが反米に直結しない。「世界平和」という前提がそれを薄めるのである。むしろ民主的な政権交代で外交交渉をもって打開する道を選ぶ。
   「愛国」を言い換え「この国、日本は好きだ」とは思うが、天皇を国の「君主・元首」として祀り上げるあるいは精神的拠り所とする、といった考え方には賛同できない。「天皇制」はなくす考え方に立つが、天皇・皇族の扱いは省くとして、とにかく「国事行為」から外すことから始まろう。
   最後に「言葉」も「国家観」も、どのように発信するのか「発信力」と、その言葉の持つ「影響力」について、50年前と現在の違いを考えてみたいものである。
   私的には、SNSはやらない代わりに、ブログ、電子版で情報発信が主であるが、発信量は多いとしても、どこまで伝播しているかは確かめようがない。とするとまた「言葉=議論」に戻っていくのである。
   「言葉」が持つ力が現状では希薄だから、50年目の「三島由紀夫VS東大全共闘」が甦ったのではないだろうか。

 

 

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2020年4月 1日 (水)

志村けんさん死去・2

 今となって、自らの感性を問う
 3月30日のブログで「志村けんさん死去-『時代』を象徴するような・・・」と書いた。その背景として①「新型コロナウィルス(新型肺炎)で亡くなった最初の有名人」として記憶され・・・感染は何者であれ選ばないということだ。自分も例外ではないというこれまでにない自覚をもたらした・・・、②彼の死は、この社会から「笑い」が消えたのではないか・・・ということ、安倍内閣の愚政と相まって。③「ドリフの時代、8時だよ、全員集合」世代にとっての「終焉」、の3つであった。
 その後の新聞、テレビが大々的に取り上げ、海外からもビッグニュースとして伝わっているとのこと、改めて彼の存在を認識させられたのであるが、私は少し冷めていた。彼の死を、とにかく真っ先に取り上げてブログに書き込んだ感性は“まっとう”だったとしても、「全世代から人気を博し、親しまれ・・・」という評価をしなかった。私が「世代」として認識していたのは、テレビで「8時だよ、全員集合」を熱狂的に見ていた当時の小学生以下を指してのことだった。
 私もそのテレビは結構見ていた。食事の時間帯ということもあったし、特に見たいチャンネルを持っていなかったからだと思う。しかし世間でいうほど笑い転げていたという記憶はない。どちらかといえば“ばかばかしい、またいつものパターンか”というレベルであった。(それでも見ていた・・・)
 それで今思うのである。つまり私の「感性」についてである。志村けんさんの死そのものの「社会性」を感じてすぐにブログに書き留めた、これは正解といえるかもしれない。では彼の存在が「全世代」から支持されて・・・、について私は、ある特定の「世代」に絞った、この違いについてである。
 何が言いたいのかといえば、場末であれ、なにがしかのものを書く身としては、おのれの「感性」がいかほどのものかは大いに気になるのである。感性は、理解力、探求・学習心、文章力とともに4大要素の一つ、それもトップかなと思うからである。
 私は、あの森友学園事件で、追い詰められ自死された赤木俊夫さんの妻は、安倍首相、麻生副総理兼財務大臣を指して「2人は調査される側で、再調査しないと発言する立場ではないと思います」などとする直筆のコメントを公表したが、この「感性」というか「凝視」に驚かされた一人であった。それに突き動かされて、改めて己の「感性」を問うたのであった。

 

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