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2020年3月31日 (火)

2019年の年度末

 アベ政治1年の雑感
 今日は年度末。行政、公務員関係は「年度」がサイクルの起終点であろうから、何かと区切りとなろう。
 この2019年度は、安倍内閣にとってどんなものであったろうか。「歴代最長内閣」という「レジェンド」をもらってご満悦かもしれないが、見方、立場が違えば「最低且つ最長内閣」といえるかもしれない。ある人は「安倍は旧民主党政権を悪夢と表したが、安倍政権こそ『白昼夢政権』だ」といったが、言い得て妙だ。
 まず、消費税を10%に増税した。税制についての政策変更は、どの内閣でもあり得ることだが、記憶では安倍の10%への引き上げは、「社会保障と税の一体改革」が柱ではなかったか。それが全部ではないが大企業や富裕層の減税、教育改革などに回されてしまった、新年度予算をみても財政再建はどうなった?である。経済、経済ばかりの安倍内閣でGDP600兆円目標を掲げたと思うがそれって達成できたのだろうか。武器輸出3原則を緩和した結果、三菱電機が防空レーダーをフィリピンから受注したようだが、これは戦後内閣として初めての武器輸出になるのかな。
 「アンダーコントロール」という大ウソついてまで誘致した五輪・パラは、果たしてどれほどの経済効果を生むのだろうか。延期で費用はさらに加算され、来夏までに新コロナが終息するという保証がないのに。
 経済、財政だけでもこれだけ失政も積み残しもあるのだが、憲法、安保、自衛隊、沖縄、原発など、さらに「モリカケ、桜を見る会」「黒川検事長の定年延長問題」、公選法違反疑惑の「河井克行前法相と河井案里参院議員の夫妻」「森法相の体たらく」など閣僚の質的問題。麻生副総理兼財務相が居座っている現実からすればあながち不思議ではないか。
 あげても、あげてもキリがない。私の方が追っつかない・・・。
 こういう状況だから、やっぱり野党にがんばってもらいたい。立憲民主党にもっともっと覇気を見せてもらいたい。市民も立憲パートナーズも「アベにも負けず、風邪にも負けず、コロナニモマケナイ」で頑張りたい。

 

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2020年3月30日 (月)

志村けんさん死去

 「時代」を象徴するような・・・
 3月29日、志村けんさんが亡くなった。最初の報道から“アブナイ”気がしていたが、いわば「他人事」であった。しかし、こうして亡くなられると、新型コロナウィルスの世界的蔓延「パンデミック」という時代であれば、志村けんさんの死はある意味で「象徴的」なような気がする。
 その一つは、俳優、タレントなど著名人の死は、時折り伝えられるが、あり得る病気や高齢であればいっときの話題ですぐに忘れられてしまうだろう。ところが志村けんさんの場合は、これまでもこれからも何万の人がウィルスにやられて亡くなるだろうが「新型コロナウィルス(新型肺炎)で亡くなった最初の有名人」として記憶されるのではないだろうか。つまり、その感染は何者であれ選ばないということだ。自分も例外ではないというこれまでにない自覚をもたらしたのではないだろうか。
 次に新型コロナウィルスの世界的蔓延の最中、安倍晋三首相の「愚政」と相まって、この社会から「笑い」が消えたのではないかということ。蛇足だが、そういえば「笑点」の「大喜利」も「無観客」で放送されたそうだ。
 「笑い」は、ただへらへら笑っていればいいということではなく、その笑い、ユーモアは、コミュニケーションの一つであり、人のつながり、相互理解、友好を高める効果があるというから、いわば争いの抑止効果があるといっていい。
 しかし、安倍首相の「愚政」といったのは、安倍首相の国会答弁でしばしば、あまりの愚答に思わず「失笑」してしまう、併せて苦笑、冷笑のオンパレード、その安倍政治に「笑いが消えた」端緒を見てしまう、つまり「笑」はあっても実はそれは「笑えない、不安、不信」を抱かさせるものだと思うのだがどうだろうか。
 もう一つ付け足せば、どの世代にも「○○世代」がつけられることがあるが、「ドリフの時代、8時だよ、全員集合」のその時、テレビ前に釘付けになっていた「世代」の終焉といえるかもしれない。

 

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2020年3月29日 (日)

森友学園問題、職員の死と手記

   忘れちゃあいけない!と第88号
 いくら新型コロナウィルスの感染が広がり、危機的状況に直面しているとはいえ、忘れてもらっては困る、というのはいくらでもある。そのうちの一つが「森友学園・公文書改ざん問題」である。特に自殺した財務省近畿財務局の赤木俊夫さん(当時54)の手記の全文が公表されて、改めてこの問題がクローズアップされた感じだ。もう一度調査すべきだ。
 C&Lリンクス愛知電子版・第88号は、資料が整ったので頁を組むこととした。
 第88号の内容は次の通りである。
 1)忘れちゃあいけない!森友学園問題、一人の人間の死 2)「森友問題スクープ」 相澤冬樹・元NHK記者 
自殺職員、手記で「新事実」 原点に返れ 与良専門編集委員が聞く 3)「ツネじい通信」 NO72 2020/3/19 経営苦境のマスメディアを襲う この試練 4)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<3月18日~3月28日>
5)随想29 新型コロナウィルス考―危機管理に真に必要な知性とは何か―
 冒頭では、こんな風に書いた。
   ずっと気にはしていた「森友学園問題・公文書改ざん問題」を「事件」として。しかしその裏で一人の人間の「死」があった。それも知っていたが「事件」の中に「包括」されたままであった。故赤木俊夫さんの手記が公開されて、あっ!いけない!
やっぱり忘れちゃいけない、事件の中の「人間」を。手記全文と、スクープした相沢冬樹氏の話を記録することで、改めて胸に刻み、少しでも事件の真相を見届けていきたい。

 

 

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2020年3月28日 (土)

浅田次郎著「大名倒産」を読む

   閑話休題、ということでもないが
   新型コロナウィルス、東京五輪延期が話題を占めている昨今であるが、見過ごしてはいけない事案も多くある。丹念に新聞を読み、MLにも目を通し、とっておきたい記事をダウンロードして保存している。
   そうした繰り返しばかりであるからなのかどうかはわからないが、ふと道路地図を開いてみたり、書棚の前でただただ本の背を眺めていたり、思い出したように雑然と重ねられた書類の中からビラ1枚を探し出そうとしたり、そんな自分でも不可解な行動がたまにある。もっともこれはこの時期だから、ということでもない。普段からそうした行動はあるにはある。時折冷蔵庫を開けて何かを求めること、ドリップコーヒーをうわのそら、機械的に淹れてみることもある。多分それは、気分転換を体と脳が求めているのだろう。
   それで、しばらく書棚飾ってあった浅田次郎著「大名倒産上・下」を読む気になって昨夜のうちに読み終えた。上下巻700頁ほどの大作で、初出は「文芸春秋」2016年4月号から2019年9月号とあった。
   時代は幕末。260有余年の徳川幕府は終わりに近づいていたが、それは300ともいわれる大名の終わりでもある。武家社会に胡坐をかいてきた諸侯は、お家の台所・経済に無頓着で内情は借金だらけ。小説の越後丹生山松平家はご多分に漏れず25万両の借金。年に支払う利息だけでも3万両(1割2分の利息)、藩の収入は1万両に過ぎないのに。
   この時期でもまだ武家社会の“威光”は残っていたらしく、どんなに借金があっても、お殿様の「お断り」の一言でチャラにできたと言う。借金の踏み倒しである。その代わり大名のメンツも信用もがた落ちとなるから、歴代の殿様は、「お断り」を避け続けた結果、積もり積もって25万両に膨れ上がったという訳である。
徳川の血筋ともいわれる松平家であるが、当代の殿様(第12代)は、実権を握りつつも「隠居」して、お家の後始末を四男の「小四郎」に継がせている。その裏で「大名倒産」を企み、ひそかに倒産後の一族郎党の生活費「1万両」の確保を目指しそれを秘匿し続ける。
   第13代当主「小四郎」は、先代が村娘「なつ」にお手を付けて生まれたが、上に男子3人がいたから、家来に払い渡されたといういきさつを持つがお家の事情で思いがけなく家督を継ぐことになったのである。根が真面目で庶民のくらしを経てきているから、金銭感覚はあるし算盤もできる。そこで倒産寸前の松平家を再建しようと動き出す、25万両の借金など返す当てなどないのに・・・。
   隠居の父(第12代)が企むのは、前代未聞の大名の計画倒産であり、それを家名だけでなく、領地越後丹生山とその領民のために第13代松平和泉守信房(小四郎)は、倹約、収税、殖産興業に努める、それでもならぬ経営(お家)再建。万策尽きた若殿に・・・手助けが?
   読み始めたときは、なんだかつまらない、こんな時節に読む本ではない・・・と感じつつ、上巻も終わりあたりから、徐々に引き込まれていった。「浅田魔術」にからめとられたからだった。
   浅田が書いたことと現在と何か関わりがあるかな?皆無とは言えないが、直接的な暗示はない、だが「精神(こころ)」は、なにがしかあったように感じて読み終えたのだった。

 

 

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2020年3月27日 (金)

“ボーっと生きてんじゃねえよ”

 この時期何を書き留めておくべきか
 25日のブログで「東京五輪2020が延期となった。安倍の命運とどうかかわるか、その程度の関心だけであるが。」と書いた。あとになってこの一言が気になった。もし私が公職者だったら「他人事みたいに言うな!」と叱られたであろう。とすれば、たとえ公職者という立場でなくても、もう少し洞察が必要だったかもしれないと。
   「五輪が好きか嫌いか、そんなことはどっちでもいいが、延期となって窮地に追い込まれる人のことを考えたことがあるのか」「五輪に関心がなければ、アスリートのことにも関心がなかろうが、五輪の経済波及効果云々ということは、それに関わる企業もそこで働く人への影響も少なくないはずだ。」「その先例ではないが、新型コロナウィルスの影響であれもこれも“自粛”、どこもかしこも閑古鳥が鳴いているではないか」「早い話、安倍の命運になんて構っていないで、何か知恵を出せよ」
   “う~ん、確かに。だが知恵も金もない。せめて自粛なんか気にしない、買いだめに走らないで、これまで通りのくらしをするしかない・・・”とつぶやきながら今日も日長パソコンの前にいる。外出もなく、人と会うこともないので日録に「特記」もなく、ブログも「ネタ」に欠く有様。
   と考えてみて、このような状況で時の権力者つまり政府はどんな対応をしたか、名だたる政治家はどんな言動をとっているか。その時庶民(民衆)はどう動いたか、そして自分はどう受けとめ何を考えどう行動したか。つまり何を書き留めておけばいいのか。これは戦争前夜の状況と同じようなものではないのかと思わざるを得ない。その一部として「安倍の命運」に目がいったのもあながちお門違いではないとも思う。要は“ボーっと生きてんじゃねえよ”といったところか。

 

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2020年3月25日 (水)

C&Lリンクス愛知電子版・第87号発信へ

   映画「三島由紀夫vs東大全共闘・・・」
 第87号は予定内容を変えて、映画「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」を特集した。予定変更はこれで2回目である。私が興味を持った内容が常に優先する。個人誌の使い勝手の良さである。
   第87号の内容は、以下の通りで25日の午前0時台に発信したが、発行日をあえて「2020年03月26日」とした。やはり「3・26」へのこだわりがあるからである。
1)映画「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」なぜこの時期に公開か 2)映画評 ・映画「三島由紀夫VS東大全共闘」 言葉の熱気に満ち ・自殺の前年、聴衆に届いていた三島由紀夫の言葉 よみがえる “伝説の討論” ・三島由紀夫vs全共闘 激論交わした右派と左派の共通点 ・豊島圭介監督「三島由紀夫vs東大全共闘50年目の真実」 3)あとがき2行。
 あとがきは、余白がなく小さく2行だけであるが、以下の通り。「このテーマはちょっとタイムスリップした感じ。この号を共有できるのはやはり同世代だけか?今どき、右であれ、左であれ、仲間同士であれ、ガチンコ議論なんて起こり得るか?大言壮語はいらないが、大きく、精緻に世界を語る、文化を語る・・・さてさて。
 東京五輪2020が延期となった。安倍の命運とどうかかわるか、その程度の関心だけであるが。

 

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2020年3月24日 (火)

映画「三島由紀夫vs東大全共闘・・・」

 なぜこの時期に公開か
 私の知るところではまだ、名古屋での公開はスケジュールに上がっていないが、映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』から自決への道、が気になるところである。
 情報によれば、映画公開初日の3月20日、日比谷の映画館は満席だったという。どんな人たちが押し寄せたかは想像でしかないが、まず「全共闘世代」「三島由紀夫ファン」そして、東大や早稲田の学生も幾らかはいたのではないだろうか。
 「全共闘」も「三島由紀夫」も、当時を知る人にとっては忘れ難い「言像」(注 げんぞう:造語で、言葉そのものがある形・姿を想起させる)ではなかろうか。
 私自身は大学に行っていないし、三島由紀夫のファンでもないから、いずれにも該当しないが「同時代性」は共有していたと思う。その一つが1969年5月13日の、東京大学教養学部900番教室で行われ、約1000人のほぼ全員男性ばかりの「討論 三島由紀夫vs東大全共闘」の全記録を<美と共同体と東大闘争>の副題をつけて出版された本(新潮社1969年6月24日初版)を今日まで保存していたことにも表れている。また三島の「憂国」は読んだ記憶は残っている。
 さて、この映画が今なぜつくられ、公開されたのか。50年余の過去の歴史の一部を切り取って、現在と対比してしまうような映像には何がしかのメッセージが込められているに違いない。
 ということで個人的な受け止め方をすれば、やはり副題にある「美と共同体」がキーワードではなかろうか。例えば「美」とは、ものや風景などの鑑賞美ではなく「人の生き方、こころ、精神」といったところ、三島流に言えば今や跡形もなくなってしまった「武士道」であろうか。「武士道」はともかく、現世が「嘘、忖度、責任転嫁」が横行し、「今だけ、金だけ、自分だけ」の風潮、それへの反映といえないか。
 そして「共同体」である。これを読み解く力は私にはないが、漠然としてであるが家族、社会、自治体、国それらは本来、くらしの中にあって、つながり、助け合い、未来につなげる仕組み、即ち「共同体」のはずであった。しかし現在はそれらがズタズタとなっている、それへの反映といえないか。
 さらに言えば、三島由紀夫=右翼、東大全共闘=左翼という一般的な規定があったとしても、「この国の在りよう、この社会へのかかわり、文化・心をつなぎ、育む」を真剣に考え、向き合うということでは、通底するものがあったのではないか。それらは今、希薄化したこともあるはそれ自体に「価値観」が与えられなくなった、ということもできようか。
 ・・・労働者(私)は生産現場でこの社会を支える、(あなたたち)学生は将来、この国ゆくえ、屋台骨を支える、そこに「労学共闘」の結び目があった・・・それが50年前の私のどこかにあって、一冊の本を残した、といえるかもしれない。

 

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2020年3月23日 (月)

新型肺炎で閉じこもり?

 いえいえ、やることいっぱいありますよ
 新型コロナウィルスの感染に歯止めがかかっていない状況に、何かできることはないかと考えはしたが思い付かない。結局「おのれの身を守ること(感染しない」が貢献」というところに落ち着く。子どもたちが休校となって家にいるが、できるだけ接触しないことを暗黙の了解としているため、なにがしかの相手になることも憚れる。
 となると自分自身の処し方であるが、これが意外と苦にならない、というかある意味では「経験できる一つの機会」ということもできる。なんの機会か?つまり仮にもう10年くらい生きることができたとして、「活動」も“枯木の中のさらなる枯木となって、山の賑わい”に落ち着いたとすれば、飽きずして何をして1日を過ごすだろうか、退屈、倦怠感なく1日が暮れるだろうか、ということの実験みたいなものだ。
   今日一日を振り返った。くらしの中の食事の支度、洗濯、そして今日は、洗濯した手持ちのマスクを2枚重ねにする針仕事もやって、時折のテレビはニュースと囲碁教室を少し。部屋に戻って、パソコンを開いて、「C&Lリンクス愛知電子版」次号の構想を手掛け、数本の参考記事を保存した。その合間を縫って読書が3単位(1単位約40分)で、また書類BOXを点検して、改めて(小中高の通知表を読み返すなど)在中物を確認、不要なものを廃棄とした。封書のままの戴いた写真が出てきたが、日付がなくいつのものかはわからないが、“こういう若い時もあった・・・”とひとりごちるのであった。そんなこんなで今日の夕食は外食となった。
 ということでその気になれば「終活」の仕事に際限がなく、新たな意欲も出て来そうな感じがして結構退屈しないことが分かった、というかわが性格は、そうした“内向き”な生活に合っているような気さえした。もっとも、今と10年先とを同次元で考えるのは浅慮に違いないが。

 

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2020年3月21日 (土)

新型コロナ危機は続く

   こんな時だから、意見交換を大切にしたい
   既に成立した「新型インフルエンザ対策特別措置法」の改正案であるが、現行法で対処できるものをあえて「改正」を強行し、「国会承認」すら拒否した安部の隠された意図については、日ごろから政治、国会の動きに関心を持っていない人にとっては中々見抜けないというか、考えが及ばないのではないかと思ってしまう。
   というのも、シンガーソングライターの横井久美子さんがホームページで「そういえば!コロナ騒動の中で特措法が成立しそう!その中の非常事態宣言の危険性が、私も含めて十分国民に伝わっていないのが心配。こんな法律通しちゃいけないのに!」と書き込んだところ、知人のKさんから「反発を感じた」というメールが届いたからだ。
   私は、彼女に同感していることと、そこに至るまでの私自身の考えを「C&Lリンクス愛知・電子版」を添えて返信した。このことは、Kさんの言わんとする「新型コロナウィルス対策法案に反対するなんて許せない」が、かなり一般的な受け止め方ではないかと気になるところである。一般的に安倍の意図までは深読みを求めること自体、無理筋であろうとは思う。そうであれば、それを読み解き、何とかわかりやすく伝えるのが、野党であり市民運動などの社会運動体ではなかろうか、あるいはそうした関わりを持つ個人の発信ではなかろうか。
 一方で野党、ここでは立憲民主党について言うのであるが、法案に賛成したことを批判ないしは危惧するメールも届いた。こちらは状況を把握しそれなりの見識を持っておられる方である。私が立憲パートナーズの一員であることを承知でこうした問掛けをされたことに私は正直嬉しく思ったのだった。
 メールで議論することはないが、様々な状況の中で“私はこう思う”という意見の開陳もしくは感想を伝えることは、単に意見交換するだけでなく、状況に向き合っているという同感、連帯、同時代性を感じて、課題に向き合う気持ちをいっそう高めてくれるような気がするのである。
 そこで、今一度この問題を問い返してみたい気になった。書ききれるかな。

 

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2020年3月19日 (木)

新型肺炎ばかりではない、他にも目を!

 辺野古、マスク朝鮮学校を除外、関西生コン事件など
 C&Lリンクス愛知電子版・第86号を発信した。新型コロナウィルス(新型肺炎)の感染の広がりに歯止めがかからずそのうえ、安倍の「新型インフルエンザ対策特別措置法改正」が出てきたりして、関心がすっかりその方面に行ってしまったような気がして、“ちょっと待った!こっちもあるでよ、忘れんでちょうよ”と、幾つかの課題を上げたのが今号である。
内容は以下の通り。第86号 2020年03月19日発信。
   1)新型コロナウィルス感染の制圧に全力を! そればかりでない重要課題にも目を! ・辺野古地盤の資料を加工 防衛省 強度弱いデータ外す ・マスク配布、朝鮮学校を除外 さいたま市、再考を表明 ・外務省「原爆展変更を」 被団協に 原発事故除外要求 ・再生エネの財源、原発事故処理に流用可能に 改正法案 ・「関西生コン事件」の現在 2)「ツネじい通信」 NO71 2020/3/8 カミュからのメッセージ「誠実」「信頼」 3)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<3月3日~3月17日> 4)あとがきに代えて <全7頁>
 あとがきについては、「山尾志桜里議員、立憲民主党を離党」について書いた。結論は「去るもの追わず 枝野代表は容認するだろう」であった。

 

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2020年3月18日 (水)

山尾衆院議員が立憲離党へ

 枝野代表は「去る者追わず」ではないか
 毎日新聞の報道(18時31分)によると山尾志桜里衆院議員(愛知7区)は、「私と党の間にギャップ」が生じたとして離党を決意し党に届け出たという。衆院会派には引き続き所属するとのこと。
 以下は、毎日新聞の速報。
山尾志桜里衆院議員(45)=愛知7区=は18日、国会内で記者会見を開き、立憲民主党に離党届を提出したことを明らかにした。無所属で活動するが、立憲などの野党統一会派には残るという。
 山尾氏は会見で「国会での議論、立憲主義、民主主義に対する考え方、理解が私と党でずいぶんギャップがある」と理由を説明した。一方、立憲の福山哲郎幹事長は同日、ツイッターに「強く慰留した。党にとって議会にとって、必要不可欠で大切な存在であり、認めないし、(離党届は)受理できない」と書き込んだ。
 山尾氏は、新型コロナウイルス感染症を対象に加える改正新型インフルエンザ等対策特別措置法への対応を巡り、改正法に賛成を決めた党執行部と対立。12日に行われた衆院本会議の採決で反対した。山尾氏は当選3回。【野間口陽】
 山尾氏については、かねてから“どうしたんだ”という声が地元でささやかれてきたという。地元に帰ってくることがないとか、先の統一地方選挙でも、地元の議員の応援もなかった(実際の事は不明)と聞く。
 そんな“うわさ”は、にわかに信じ難く思っていた私だが、「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に反対した時、むしろ、そういうところがいいとさえ感じたのだった。立憲民主党も「処分」などしないで、法案成立後であっても、とことん議論を続けたらいいとさえ思っていた。
 彼女の私的な行動については、別の見方はあるだろうが、議員としてしっかり仕事をして少しずつ信頼を取り戻していってほしいとさえ思っていたが、「離党」するとなると、少し見方が変わる。ひょっとして衆院議員自体に未練も執着を持っていないか、それとも噂の「れいわ新選組」に合流をもってわが道を行く、というのか。
 離党届が受理されようがされまいが、愛知7区での「立憲民主党の山尾志桜里」はないといえるだろう。福山幹事長は慰留しているというが、枝野代表は「去る者は追わず」と容認するだろう。それより心配なのが、立憲民主党愛知県連そのものである。このところ、「朗報」が少ない気がしているからだ。組織的な運動も見えてこない。散発的な地方選挙に公認候補者が少ない気がする。また関連のそうした情報もとんと聞かない。
 こんな時期だからこそ、立憲民主党はもっと存在感を見せてほしいと願っている。
 

 

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2020年3月15日 (日)

リスク?ハザード?

   この1か月を振り返ると
 新型コロナウィルスの感染拡大によって、その感染がどんどん身近に迫ってきていかのような情報に、不確か不安を持っている人も多かろう。そして、日常的な買物であれ、通院であれ、講演会、政治集会、まして小旅行であれ、いざ外出となれば何がしかの「リスク」を負うことは避けられないだろう。
 ところで「リスク」と「ハザード」は似たような意味があるように思うがその違いは何だろう。検索してみたら「リスク(risk)」とは将来への『不確かさ』と、その『影響』のこと」とあり、「ハザード(Hazard)」とは「悪い結果になるかはわからないが、その可能性がある」という。つまり「ハザードというのは危険が発生するのか不確かであるのに対して、リスクはその不確かさを確率的に計測できるものであるということ」らしい。
 新型コロナウィルスの感染について言えば、どちらともいえるような気がするが、素人には「確率的に計測」出来ないから、行政、研究機関などから示された「ハザードマップ」をもって「リスク」を覚悟して外出する、ということになろうか。
 地域活動で多くの集会、講演会、コンサートなどが中止もしくは延期されている。ウィルス感染の「リスク」を避けるためである。しかし、何事にも「リスク」はつきものであるから、ビビッていては何もできない、ある程度の防御処置をもって遂行すべし、もないとは言えない。1960年代、70年代のデモは、逮捕されるかもしれない「リスク」を負っての参加であったが、当時としては「リスク」という言葉は使っていなかったから逮捕される「覚悟」くらいの意味合いではなかったか。
 そんなことを想いうかべながら、2月後半から3月に入ってこれまでの約1か月を振り返ってみると、地域活動では2月22日の「第15回立憲カフェ」だけである。他に外出といえば、日常的な買物は別として、映画鑑賞が1回、通院が2回、散髪1回、友人と1回会っただけ。リスク回避は「シネマ散歩緑」の映画鑑賞会・3月例会の中止。友人との小旅行、飲み会2つが延期に。
 こうしてみるとリスク回避によって個別的に失われたものもあるにはあるが、もう少し大きなところで喪失、減退したものがあるのではないか。詳細は分からないが、沖縄辺野古基地の埋め立て阻止はどうであろうか。安倍首相の「新型コロナウイルス対策のための特措法改正」に対して野党の行動、市民運動が今少し盛り上がらなかったこと。 幾つかの裁判闘争で、原告支援の法廷闘争に力が削がれたこと等々。
 個人的には、読書に割く時間が増えたことがプラスではあったが、やはり街頭に出ないことの心理的な不自由感は少なからずあるのである。

 

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2020年3月14日 (土)

機器の新規対応の苦慮

 能力、集中力の低下?必要性だろう
 加齢は避けられない。だから、以前のように体を自由に動かすことが意のままにならない。例えば以前のように走ることができない、キャッチボールの距離が短くなった、自転車は危ういなど。それらは、ちょっと悔しいがやむを得ないと諦めがつく。
   だが老朽化した電化製品の更新も厄介だ。最近では「取説」が付いて来ないものが多くなった。ただでさえ、読み解くのに苦労してきただけに、半ばお手上げである。日常生活に欠かせないから、何とか使ってはいるが、設定機能のほんの一部しか使いこなせていないだろう。(ま、それでいいのだが)
   早い話、携帯電話が3年近くなって、バッテリーの容量が低下して不自由となった。それで更新したのであるが、取扱説明書はなかった。店頭での一通りの説明は受けたが、覚えられるはずもない。もともと多くの機能の必要性はなかったので、これまでも「簡単スマホ」であったが、同じ物はすでになかった。「高齢者向け」は需要減だからだろう。しかし必要とする者にとって年齢は関係ない。だからひたすら操作を覚えていくしかない。
   さしあたって、通話とメールは必須。4日目にしてようやくメールをまともに打てた。更に「歩数計」がアプリになかったので諦めていたが、あれこれこれ操作していてその機能をみつけることができた。他に使いこなしたいのが「ニュース」をもっと手早く、「メモ帳」「カメラとその送信方法」くらいか。何とかなるような気がしているが。
   要するに、素早く使いこなしてしまう若者たちとの違いは、柔軟な能力の低下もあるだろうし、集中力・持続力の欠如、昔言葉で言えば「根性」の希薄化といえないか、いや、必要性の濃淡といえるかもしれない。例えば少し前、プリンターが起動しなくなって、その原因が、電波(WI-FI)が届かないものと判断したので、ケーブルで接続して機能を回復させた。これは待ったなしの「必要性」からの行動であった。
   「必要は発明の母」とはよく言ったもので、「身体も機器も、必要によって機能する、向上もする」というであろうか。

 

 

 

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2020年3月12日 (木)

新型コロナウィルス感染に関して

 アンケートに答える
 複数からのアンケートに応えるために下書きをしたが、数日考えてきてもうまくまとめきれない。だが、まとめようとすること自体無意味かな、今は「チェック」だけでいいのはではないか、そんな風に思ってメモした。
1、 政府方針に関して
   最初にまず感じたのは、安倍首相の指導力不足は深刻な問題だ。かなりの人がこれを根底的な「不安」だと思っているのではないか、ということだった。
   安倍政権は、感染対策より経済を優先した。クルーズ船に閉じ込めれば阻止できると安易に考えた。あるいはそれしか思いつかなかった。安倍首相の他の意見を聞かない「独断専行」の悪弊が対策を後手、後手とした。最近では、「官邸主導」で、野党はもとより、与党にすら協議をしない状況は異常である。
   これに対して野党・立憲民主党は、直ちに「わが党が政権にあったならば」の対案(感染予防策)提起すべきところ、事実経過はともかく、印象としては、政府に協力する姿勢を「先に出した」感があったのはまずかった。
   こうした経緯からも、安倍首相の「新型コロナウイルス対策のための特措法改正」に対して、条件(付帯決議)を付けて妥協をせざるを得なくなったと考える。
2、感染対策に関して
   対策としては、国内的には、国、地方自治体など行政組織が一丸となって取り組むことに尽きるが、対応の最前線にいる医療機関、関係従事者への有効な支援策が必要だ。特に「人」が足りないと聞く。なんだか戦時中を想起させるが、この際資格はないが医学生、看護学生などから希望者を募って、短期間の教育をもって、支援の派遣は考えられないか。
   次に感染の可能性があると自覚した人が、不安なく、気持ちよく受診できるシステムとは、どんなものが考えられるか。すぐに思いつかないが、そのことが、早期発見、感染拡大阻止につながるのではないか。例えば無料の電話窓口で受け付け、しかるべき施設(非公開)に何とか誘導する・・・。
   出入国の制限はやむを得ない面があるが、完璧という訳にはいかないだろう。空港での金属探知機のような、かなり精度の高い、発熱、ウィルス検知器と無害な紫外線照射での消毒などで水際作戦を改めて実施する。その機器の開発と空港、港湾への完全配置を急ぐ。間に合わないかもしれんが。
3、その他
   風評被害、プライバシーの問題があることは承知しているが、ある程度見当がつくくらいの発生源、場所の公開は必要ではないか。病院、公共施設、準公共施設(ホールなど)は明らかにしてもいいのではないか。それがはっきりしてないから「○○で発生したらしい」「あそこらしいよ」みたいな「デマ」が飛び交うのだ。
   こういう場合の多くは、新型コロナウィルスについて、正確で、分かりやすい情報が周知徹底されないことが混乱を招くのではないか。会社や学校、家庭で、自重することを話し合い、またSNSなどでのデマ情報は、即削除し正確なコメントを流すこともポイントではないか。
 最後にこの体験は、後世に伝える必要がある。医学的な解説、発症当事者、周辺者、医療関係者などの証言を残し、行政の対応策の記録は永久保存として残すことを強く求めたい。

 

 

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2020年3月10日 (火)

新型肺炎発生病院へ

 予防体制を敷いていた病院
 3か月前に予約した、入院患者が新型コロナウィルスに感染した病院へ行き眼科を受診した。
 聞くところによれば、3月1日から8日まで全面的な休院となり、病棟はもちろん外来の消毒と、医師、職員の検診がなされたという。再開された3月9日は約300名、今日の10日は400名を超える患者が来院したという。
 病院の入り口は正面玄関と駐車場からの入り口の2か所があるが、今日は正面玄関が閉鎖されていた。私はバスでの通院であるから反対側の入り口に回された。まず外来受付に行く前に、体温の検査と問診票の記入を求められた。次に診療科の窓口で、口頭で体調の状態を聞かれた、ということで、一応予防措置が取られていた。私としては、それを見込んでの受診であった。が、それもあったが3月2日から3月7日まで予約していた患者はキャンセルされたのだから、その人たちはどんな扱いになったのか、つまりこの予約を外すと次にいつ予約できるかわからない、ということもあったのである。
 見た感じでは、ロビーは閑散としていたし、私の受診は予約時間通りに進んだ。これまでだと内科では1時間遅れ、眼科でも30分遅れが常態化していたのである。
 検査と診察結果は「特に変化なし」であった。これからまた半年先の受診となるが、半年も間が開くということは、特段加療すべき状況にないということであろう。緑内障予防の眼薬を処方してもらって薬局に寄って、少し前の予定では、診察後昼食をとって映画観て帰る、いつものパターンのつもりであったが、その映画館は、13日まで休館となってしまったので、いつもより1時間早いバスに乗って帰宅した。
 

 

 

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2020年3月 9日 (月)

近い?老老介護がやってくる予感

「32万6千人が入居待ち」にも現実感
   どこもかしこも、朝から晩まで、新型コロナウィルスの話題ばかりであるが、こんな記事を見つけ、いつになく真剣に読んだ。
   ~老老介護が増えるなか、特養に入れずに待っている人は19年4月時点で約32万6千人に上る。このうち約11万6千人は、在宅で入居を待っている。政府は15年度から、特養に入れる対象者を原則、手厚い介護が必要な要介護3以上に絞り込んだが、依然、多くの待機者があふれている。介護の人手不足が事態をより深刻化させている。一部の特養では、空き部屋がありながら、介護職員を確保できないために、入居を受け入れられない事態も生まれている。
   政府は、25年度には介護人材の必要数が今より50万人規模で増えると試算する。だが、どこまで確保できるか、先行きは厳しい~。
 少し前のこと。二つ違いの先輩の話。電話でこんな話を聞かされていた。
   ・・・実はなあ、「古希」の時はお互い、兆候の「ちょ」の字も感じなかったんだ、いやそのあたりから何となく気になり始めたといっていいかもしれん。あれから何年経ったかな、最近「うん?」と思うことがちらちらあるんだ。まんだ会話はなんも変わりにはないんだがな。まあ、時々の口喧嘩はあってもいうことは“まっとう”なんだが・・・。そんで今は何ともないが、こりゃあちょっと大変なことになりそうな気がしてきたんだ。おまさんのとこは大丈夫か?
   いや大丈夫だなんて言えません、と答えておいたが、小さな棘(とげ)が刺さったような気分。例えば「認知症」などは年齢的なものが多いだろうが、脳症や骨折などのけがで60代、70代でもあり得るだろう。
   わが家は三世代同居であるから、わが身が「該当者」になった場合、孫3人が成人していればともかく、そうでない場合誰の世話になるのか、見当はつけてはいるが、「老老介護」状態は避けたいのが本音。避けるためには、介護施設の充足を期待したいが、それよりなにより「健康寿命」を保つ以外にない・・・。
   では逆の立場になった場合は・・・、だから「そんなに先ではない?老老介護がやってくる予感」なのである。

 

 

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2020年3月 7日 (土)

新型肺炎特集・3

   新型インフルエンザ対策特別措置法改正
 7日付で、C&Lリンクス愛知第85号を発信した。冒頭でこんな風に書いた。
   ~ 新型コロナウィルスによる感染の広がりが止まらない。安倍政権の打ち出す対策は、“歯止め”にならないどころか、世界からみて、クルーズ船の閉じ込め、不十分な医療対策。6日には中国、韓国からの入国制限と続き、日本の信用度を貶めているとの報道が目立つ。
   国内にあっては、大規模イベントの中止、小中高全国一斉休校、そして新型インフルエンザ対策特別措置法改正などは、その道の専門家の意見も聞かず「思い付き、場当たり的」で自治体、各種業界、巷間への影響は計り知れない。東日本大震災・東電福島原発事故という未曽有の国家的危機状況の経験を経てなお、この醜態である。
   政府の「曖昧で無為無策の如し」への批判は山ほどあるだろうが、政権交代を狙う野党も「われらが政権を担当していたならば」をしっかり刻むことを忘れてはならないだろう ~。
 第85号の内容は、
1)新型肺炎<新型コロナウィルス>特集・3 ・何故?新型インフルエンザ対策特別措置法改正!海渡雄一 ・「私権制限は戒厳令のようなもの」特措法改正、自民からも疑問の声噴出 新型コロナ対策 ・与野党党首会談終了後、枝野代表・福山幹事長ぶら下がり会見 ・立憲・枝野幸男代表が会見「新型コロナ大恐慌で自殺者をなくすため最低生活保障を」 ・特措法改正案の対応を協議 合同会派新型コロナウイルス合同対策本部・内閣・厚生労働部会 ・近藤昭一衆院議員のコメント 2)新型インフルエンザ対策措置法「改正」 「政権交代」と併せて考える 3)あとがき
 あとがきでは、~ 新型肺炎に関しての第3弾。全ていずれからかの転載であるが、ある程度系統的にまとめて文書化することの意義をもって編集している。深慮、推敲不足は否めないが「私見」も欠かさないようにしている。それは「情報(転送)発信」だけでなく政治、社会に関わろうとするとき「私見」は、「名刺」の裏面に主張、意見も必要と思うからでもある ~。

 

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2020年3月 4日 (水)

新型インフルエンザ対策措置法「改正」

「政権交代」と併せて考えてしまう
    弁護士の海渡雄一氏の「安倍政権による緊急事態宣言、新型インフルエンザ対策特別措置法改正に異議あり!」(3月2日)、その主要部分は「安倍政権は、これまでのコロナウィルス対策の失敗をこの法律改正で吹き飛ばそうとしているのです。安倍政権にこのような立法を与えることは、あまりにも危険です。政府の対策を批判する集会すら開けなくなります。」が広く行き渡りつつある。
   そこでこの改正法案につてニュアンスの違いがあっても野党は協力姿勢を打ち出していることが問題になっているのである。野党、とりわけ立憲民主党、国民民主党とその党首に「危険性」を伝え、法案を阻止してほしいというものである。
   2日に海渡氏の投稿を読んだ私は、その論点だけは理解したのですぐに全文を保存した。だが「阻止」への何らかの行動には結びつかなかった。これが現在の私の「立ち位置」なのだと改めて認識した。
   それはそれとして、私は「立憲パ―トーナーズ」の一員であり、「党員意識」を少なからず自覚するところがあり、党、議員への批判も「市民派無所属」時代に較べトーンダウンしているところがないとは言えない。しかし、それは党や議員の不正を看過することではないし、政策的な問題について批判を控えることでもない。むしろ何らかの提案をもって批判に代える、といった対応を心がけている。
   話は少し飛躍するが、市民運動のみなさん(私も含め)の多くは、「野党共闘」をもって「安倍政権打倒」をいい、その先の「政権交代」も視野に入れていると思う。とすれば、「交代した政権はどんな政権か」も考えないことはないと思う。「安倍政権の真逆をやればいい」などは、冗談でしかないが、2009年の麻生政権から「民主党政権(連立政権)」に交代したことを思い起こしてみると、「安倍政権の真逆」は当たらずも遠からず、かもしれない。例えば、三権分立の徹底、立憲平和主義、議会制民主 主義から始まって、安倍政権のアメリカ追従、“外遊”はあって「外交」の成果なし、地球温暖化に関心なし、人事の私物化(側近優遇)、「モリ・カケ、桜を見る会」「やっているふり政策」などを裏返していけば、ということにはなる。もっとも、有権者はその程度で拍手するとも思えないので、「善きものは残す、引き継ぐ。悪しきものは改め、新たなものを打ち出す 。
   では、民主党政権(連立)がなぜ失敗したか、それには諸説あり私見でしかないが、仮説「革命的政権奪取ではなかったから」ではないか。ここで「(暴力)革命」云々をいうのではない。つまり議会で多数をとって政権をとったけれども、自民党政権の後ろ盾であるアメリカとの「自立戦」を本格的に闘わなかった、又は準備しなかった。それが「沖縄・普天間基地返還」の失敗につながった。もう一つは、国政を支える「官僚組織」を完全掌握できなかった、しなかった、ということもいえるのではないだろうか。
   このように考えると、現在の日本での「政権交代」は、「暴力革命」という形にはならない、選挙による政権交代が正道であろう。そのことを前提にするならば、与野党の勢力が逆転して政権交代が実現したとしても、オセロのように素早く黒が白に代わるものばかりではない。むしろ安倍政権下での国策の中には「引き継ぐ」ものも多かろうと思う。それを「現実的」対応とするなら、与野党の政策が合流する「汽水域」があっても不思議ではない。
   しばしば立憲民主党がそうした「汽水域」に入り込むことで批判を受けることがある。批判は批判としてあって当然だが、それが「立憲民主党」総体への批判としてとらえる向きに私は違和感を持つ。これが「立憲パートナーズ」(だけではないと信ずるが)としての“感覚” かもしれない、と思ってこのように書いた。

 

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2020年3月 2日 (月)

新型肺炎特集・2

 備えあれば患いなし、の備え
 新型肺炎(新型コロナウィルス)の広がりが止まらないようだ。この名古屋でも患者が出たとの第一報ではまだ「他人事(ひとごと)」という感じであった。それがじりじり広がり、地域活動の集会などが中止または延期となり、かなり身近に感じるようになった。そこへもってきて、私自身が通院している総合病院で感染が伝えられた。その感染経路がはっきりしていないということもあって、これはどこにいても感染する可能性があるというほんの一例かもしれないが、より明確に意識することが「備えあれば患いなし」の初歩かなとも考えた。そこで「C&Lリンクス愛知電子版・第84号」を急きょ発信することにした。
 その内容は、1)新型肺炎<新型コロナウィルス>特集・2 ・名古屋の病院、新たに2人新型肺炎 共同住宅から入院 ・名古屋の「緩和ケア病棟」広がる困惑 患者感染で面会禁止 ・休校だけど「自主登校教室」 愛知県、武蔵小杉で「マスク無料配布」の正体「武漢からの恩返し」 在日華人の思い 「今が正念場、日本を優先して」 ・休校の今、皆さんに伝えたいこと イタリアの校長が話題 ・新型コロナウイルスと心理的呪縛=海原純子 2)「ツネじい通信」 NO69 2020/2/24 ゴマすり、右支え…衆院の岐阜自民議員たち 3)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<2月17日~3月2日> 4)あとがき
 あとがきでは、●新型コロナウィルスの感染の広がりを見ていると、1959年制作の映画「渚にて」をふと思い浮かべてしまう。観たのは中学3年生の時である。ウィルスと放射能汚染、新型の感染病と核戦争の違いや、科学、医学の発展過程のこんにちとでは時代背景も違うが、何かの手違い、怠って手遅れで、とんでもない事態が来ないとも限らない。少なくともそのような想像力をもって、冷静に対処したいものだ●その意味では海原純子氏の「新型コロナウイルスと心理的呪縛」はその示唆の一つであろう。反芻したいと思っている●安倍の「鶴(ズル)の一声」で、小中高などは一斉に休校せよとのことである。ひょっとして彼は心の片隅で「戒厳令」気分を味わっていないか、と揶揄したくなるが、それとわが身を守り、子どもたちを守ることとは別と考え、閉ざされた空間に押し込まれるであろう子どもたちを「解放」する術を大人たちは真剣に考えなくてはいけない・・・。と書いたのだが。

 

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2020年3月 1日 (日)

身近に忍び寄る?新型肺炎

 主治医のいる病院で感染者
 「名古屋市は2月29日、市内の70代女性が、新型コロナウィルスに感染し、意思疎通ができない重篤な状態となっていると発表した。同市緑区の南生協病院で治療を受けており、病院は救急と外来患者の受け入れを停止した。愛知県内で29人目の感染者となるが、これまでに他の感染者との接触は確認されておらず、感染経路は不明だという。」(朝日新聞DEGITAL)
 これが今朝、スマホニュースで知った記事である。中日新聞の朝刊に詳細が載った。
 ・・・患者多数につき、病状安定の人は転院してください、そんな風にして藤田医科大学病院(旧藤田保健衛生大学病院)から医療生協・南生協病院に転院。もう10年以上前になろうか。
 内科は3か月に1回、眼科は6カ月に1回に診察というより、検査と処方薬受け取りだけに近い状況ではある。最新の通院が1月14日であるから、目安とする感染の範囲外である。だが、当面救急外来、一般外来とも中止するとのことで、持病薬の方が心配になってくる。日ごろ「10日間分の薬」は予備的に確保してはあるが、この感染病は1か月単位での見通しとなりそうで、4月半ばまでが私の「待機期間」と定め、様子をみることにしている。
   それはそれとして「C&Lリンクス愛知電子版・第83号」で「新型肺炎特集」を編んだが、この時点ではまだ“他人事”であった。それが一夜にして“アンタも関係ないとは言えないよ”と言われた気分。
   それでも、福島原発被災者、避難者、ゲリラ豪雨に見舞われた人たちをはじめ、「高齢で持病もち」、一人親家庭、老々介護の家庭、受験生を抱える家庭等々、大小の問題を抱えている家庭に較べれば、何とかやりくりも容易のような気もする。
   もとより、後手後手の政府・行政への批判は看過できないが、流言飛語に惑わされることなく自らの防御をおろそかにしないこと、それが結局、家族、友人、仲間たちを守ることになることをしっかり意識していきたい。

 

 

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