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2020年1月31日 (金)

日米安保闘争の記憶と今

 「ツネじい通信」に応える人たち
 リンクス愛知電子版の第79号に掲載された「ツネじい通信」の「60年安保」君知るや、血染めの国会突入死」を読まれた方からコメントが寄せられた。
・・・安保記事面白く読みました。当時TVのトップニュースは「安保」放送でした。国会前のデモが大きく映し出されていたことを鮮やかに覚えています。
・・・79号の「ツネじい」の文章、あらためて響きました。回顧ではなく「今こそ」と。
・・・記事中、京都市長選、安保闘争について興味深く読ませていただきました・・・。
   一般的に言う「安保世代」とは1960年の安保闘争を指すのであり、当時私はまだ16歳になったばかりの頃であったから、記憶も多くはない。ただ1960年6月15日のデモで、全学連主流派が衆議院南通用門から国会に突入して警官隊と衝突した際に「樺美智子」が死亡した事件は、私の「生活日誌」(6月16日付)にも記されている。
    「・・・15日の乱闘で女性一人が死亡したという、ついに来たかと僕は思った。・・・全学連の行動はやむを得ないと思っている。又、右翼の行動は、全く遺憾である」
   この「生活日誌」は、1960年4月から1963年3月までの3年間(職業訓練期間)書き綴られたものだが、全て会社の教務係に提出(義務)していた代物である。
   ということで、私の年齢前後は、「70年安保世代」とは言われないし、言わない。「全共闘世代」「反戦(青年委員会)世代」であろうか。私は「三里塚世代」と自覚している。とはいっても「何をなした世代なのか」は判然としないところがある。ただ、こうして生きながらえていることは確かだ。

 

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2020年1月30日 (木)

2・2京都市長選挙考

 C&Lリンクス愛知電子版・第79号
 第79号の編集にあたっては、立憲民主党との「合流」問題を俎上に挙げていた。それなりの資料が揃ったので手を掛けようとした時、「京都市長選挙」の見逃し難い情報が入ってきて急きょ変更した。
 内容は以下のようなものだ。1)京都市長選挙 何が起こっているのか 失うな!民主主義の感性、見過ごすな!排他性。2)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<1月21日~1月30日> 3)「ツネじい通信」 NO65 2020/1/24   「60年安保」君知るや、血染めの国会突入死 4)【2月の予定】立憲フェスほか。5)あとがき
 2・2京都市長選挙について・・・任期満了に伴う京都市長選挙(1月19日告示、2月2日投開票)は最終盤を迎えているが、ここに来て、にわかに注目される事態が生じている。京都新聞に掲載された左の選挙広告がそれである。これは、現職の門川大作氏(69)=公明、自民府連、立憲民主府連、国民民主府連、社民府連推薦=を支持する政治団体「未来の京都をつくる会」の広告で「共産党の市長は『NO』」「わたしたちの京都を共産党による独善的な市政に陥らせてはいけません」などのメッセージが添えられた。京都新聞以外に、朝日新聞と読売新聞にも同様に共産党を批判する広告が掲載されたが、著名人の顔写真などはなかった。
   あとがきでは、●京都市長選挙について取り上げた。今回は「広告」問題を契機としたが、それだけではなく党中央と都道府県連、野党共闘、市民と野党の共闘などにかかわる問題をはらんでいるとみたからでもあった。現職が勝っても、新人が勝っても立憲民主党は「万歳三唱」には加われないだろう●こうした事態が生ずるのは、枝野代表も承知はしているだろうがひとえに「然るべき人物」がいないことが最大の要因でなかろうか。人不足は生産、営業現場だけではない、政界こそ最大の人不足の“業界”ではなかろう・・・。
   「合流問題」については、国会内における「会派」での実績作りを積み重ねてもらいたい、地方の組織整備を急いでもらいたい、党員とパートナーの違い、役割を具体化することが先決、などを考えている。

 

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2020年1月27日 (月)

「新型コロナウイルス」考

 政界でも蔓延か、特効薬は?
 岐阜県から始まった「豚コレラ(CSF・豚熱)」の流行は、近県に広がりついに沖縄でも発生したらしく、未だ制圧されていない。中国武漢市を発生源とする「新型コロナウイルス」による肺炎の感染は、世界的流行の“はしり”かもしれない、と思った時「パンデミック」という言葉を思い出した。映画でも何本か撮られたと思うが、なんだか気味が悪くてテレビではあるが最後まで観たことがない。
 こうしたウィルスにより感染・流行はその規模に応じて(1)エンデミック(地域流行)、(2)エピデミック(流行)、(3)パンデミック(汎発流行)に分類される。このうち最も規模が大きいものがパンデミックであるという。
 こんな時冗談は言えないが、これって政界でも当てはまりそうだ。「嘘・ごまかし・廃棄・忖度」(UGHS)が永田町から始まって、関西方面に飛び火して流行し、ついに全国に広まってパンデミックとなった、みたいな。
 元に戻って、もっと心配なことはこの「新型コロナウイルス」が、人から人に感染して過程で「突然変異」が生まれ、人類として全く対応できない状況にならないかということだ。
 これまでも例えば院内感染で抗菌薬(抗生剤)がきかなくなった細菌を「耐性菌」と聞いてきたが、特に有名な耐性菌の一つ目にMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)があると聞く。MRSAは1970年代から、院内感染の原因菌として注目されてきた。「細菌を退治する目的で使われていた抗生剤が、逆に強い耐性菌を生み出す結果となってしまっている」ということだ。
 これも何だか「Abeウィルス」のことを言っているみたいで、有権者が無関心で選挙を棄権し、「嘘・ごまかし・廃棄・忖度」(UGHS)の治療を怠ったため、選挙ごとに増殖しまるで「耐性菌」のようではないか。
 「Abeウィルス」によるパンデミックにならないためには、選挙で追い落とすという「特効薬」があるが、使用期間が限定、半数以上が投票という「新薬」を行使するという条件が伴う。同時に体力の回復、増強が欠かせない。それを担うのが「野党」である。

 

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2020年1月26日 (日)

出会いと別れ

 人の世の常とはいえ
   時間的に少し落ち着いてきた感じがしたので、戴いた年賀状を読み返している。その中から毎年気に留めておきたい文言を拾い出してメモするのであるが、それはまだ手を付けていない。
   その中で年賀状は来なかったが、Iさんの「遺族」から電話を戴いた。それはもう30年も前にさかのぼるが、地域でナショナルセンターの外にあった小さな組合、活動家集団で「名古屋労組連」を組織していたがその時、市民運動との出会い、交流もあって、独自のメーデー「赤と緑のメーデー」を創設した。「赤は労働運動、緑は市民運動」で「働く者」という意味では、「労働者」も「市民」も同じ、ということもあったが、大きな既成組織から“はじかれた”者の意気軒昂な発露の一面であったと思う。
   その発起人の一人であるIさんとは10年ほどの空白を経て「老兵たちのフォーラム(現水曜フォーラム)」立ち上げ4人組で再会した。そして数年の間学習、経験交流を続けてきたが、ある時からIさんは「老老介護」ということで身を引いていった。
   “・・・もう2年程前になりますが、亡くなりまして・・・、家族葬で営みまして、みなさまにはお知らせせず・・・”私は気になっていたから、5年ぶりくらいに年賀状を送ったことで今日の電話となった。
 Iさんのことを多く知っているわけではないが、Iさんは「大きな既成組織」でたくさんの仕事をされてきて、その組織から離れてからは、「既成組織から“はじかれた”者」の側になって地域労働運動に力を注いだのだった。私はそれがあって前述のような出会いであったのだった。また一人、名簿の上に「紫線」を引いた。

 

 

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2020年1月22日 (水)

おっさんずルネッサンスを観る

 第15回シネマ散歩映画鑑賞会
 定年後男性、というからサラリーマンの「長い老後」をどう生きていくかの華麗な一例を示すドキュメンタリー映画。舞台は愛知県大府市の石ヶ瀬会館(愛称・ミューいしがせ:大府市の男女共同参画拠点、シルバー人材センター、地域のふれあい施設)、監督はドキュメンタリー映画「厨房男子」の高野史枝さん。高野さんは、1949年生、名古屋市緑区在住。大学卒業後、講談社出版販売。1989年講談社退社 以後、放送作家、フリーライターとしての本格的な活動を開始した。映画エッセイの他著書多数。民放ラジオ番組構成・出演。各地の講座を多数担当。
 さて「ミューいしがせ」で活動している「男楽会」「メンズカレッジ」という二つの料理教室参加者の皆さんが、「2500個のコロッケを作る」というのがこの映画の「見せ場」であるが、料理だけなく、掃除、アイロンがけ、コーヒーの入れ方、さらに絵画、写真などの講座に“おっさん”たちが集まる。LGBTなどの講演会にも参加する。
 映像を見ていれば、みんな楽しそうで“こんな場所や人たちと出会う場所が近くにあったら私も”と思うに違いない。またあれは「理想的で特殊」という向きもあるかもしれないが、ちょっと気持ちを切り替えて一歩踏み出してみれば、案外スムーズに入っていけるだろう。誘われたら「試しに行ってみようか」ということでもいい。
 そんなことで、定年後というか完全離職後に“やることがない、仕事が恋しい”と思っている“おっさん”たちにお勧めしたい映画である。名古屋市東区の名演小劇場で1月11日から上映中。お早めに。
 映画そのものから少し離れて、別の視点から考えてみたい。というのも高野監督自身は、「女性首長を実現する会 愛知」の一員として、愛知県、および県内の市町村に女性の首長を実現すること、および女性議員をふやす活動にも参加している。そしてDV問題、同一価値労働同一賃金、定年など均等待遇の実現、ワークライフバランス(子育てなど)なども視野に入れている。とすれば、定年後の“おっさん”たちが生き生きと暮らしていく知恵を授けるだけでなく、社会も職場も学校も家庭も「男女平等」であるべきで、“おっさん”以前の「現役」世代への「性差」への眼光が伺える。
 そうした「世代との対比」する視点を拡大していくと、政府の「働けるうちは働け、70歳はまだまだ働ける(定年制がなくなる?)」ということになれば、退職後は「ボロボロの体」になりかねない。映画に出て来る“おっさん”たちの多くが“中流以上”の層にも見え(実際は不明)、昨今の「貧困問題」との対比を見てしまう。また受講生一人の言葉「・・・今は友だちがたくさんできて毎日楽しく忙しい日を過ごしています」は、そこには「平和で安心の社会とくらし」がある。食事に事欠き、医療も教育の場もなく、砲声や銃声が飛び交う地との対比を考えてしまう。
 これは言い過ぎになるが、この社会が現在抱えている様々な問題の一部は、この“おっさん”たちが作り出しか、見逃したか、解決しなかったからだといえなくもない。(“おっさん”に私も入る)
 映画は、そこまで広げ、掘り下げることを想定していないだろし、観る方も、まなじりを決して向き合うということでもないだろうが、わたしは、何事も「2面性がある」という視点で考えてみたのだった。

 

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2020年1月21日 (火)

安倍政権 退陣へ 2020始動!

 C&Lリンクス愛知電子版・第78号を発信
 20日は24節気の「大寒」とあったが、この地方は3月上旬並みの暖かさであった。農業、漁業には寒暖のある「季節」が欠かせないであろうが、都会人には夏は涼しく、冬は暖かい方が過ごしやすいと思ってしまう。しかしその一方「異常気象」即ち「気候変動-地球温暖化」の影響であろうことが、日ごと、年ごとに迫ってきている気がしてしまう。
 凍りついて冷え冷えとした「アベ政治」は、本来の「大寒」というにふさわしいものだが、「安倍内閣退陣」の序章として立春、「春よ来い、早く来い!」と声を上げたい。
そこで第78号は、1)安倍政権 退陣へ 2020始動!2020年、今年こそ安倍政権を退陣させよう!2)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報  <1月15日~1月21日>3)「ツネじい通信」 NO64 2020/1/18 「ヘイ・ジュード」今年は大声で歌いたい。4)新春の集い 地域活動の団体、個人が参加して、という内容である。
   年が明けてから3号目の発行であり、こちらは順調に滑り出したが、内心では「立憲パートナー」としてはどうかな?という思いが募る。今一つ手応えというか、わずかな段差でもいいから、一つ上に上がった実感がほしい。それがどんな形であれば実感できるのかは不明ではあるが。

 

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2020年1月19日 (日)

月例「1・19集会・デモ」

 2020年、安倍政権を退陣させよう!
 この日岐阜でも午前10時30分から同種の集会・デモが企画されていた。時間計算では、午前中に岐阜の集会・デモに出て、とんぼ返りで名古屋の集会に参加は可能であった。私は、昨夜から何度も実行すべきかどうか考えていたが、結局実行できなかった。(身軽でなくなった)
 名古屋・栄の久屋市民ひろばでの「1・19集会・デモ」は、安倍政治の私物化、モラル崩壊、許さない 市民と野党の共闘で安倍政権を退陣させよう!」がメインスローガンであった。年賀状でも「安倍退陣」は共通項といえるが、「野党共闘」については触れられても、それ以上の踏み込みは少ない。賀状で展開には限界があることも確かだが。
 集会では、実行委員会共同代表の長峯信彦さんから基調の挨拶があり、安倍内政治の実体を一言で言えば「幼稚園児以下の安倍内閣」と断じた。立憲政治、議会制民主主義、政治モラル等々を語る以前の醜態をいうのであろう。それが戦後の最長内閣であろうと、支持率が40%台を維持していようと。
 共産党の本村伸子衆院議員からは国会報告、とりわけ「桜を見る会」問題を野党で追及し続けていること、「みんなで叫べば、政治は変わる」と市民との共同を強調した。
 立憲民主党からは、県連を代表して高木浩司県議(瑞穂区)がマイクを持ち、この間の市民との共同は、市民連合野党との間で交わした「13項目」に基づいて進めて来た。もう一つ強調したのは、「IR(Integrated Resort)」、統合型リゾートの問題であった。これは県政の問題でもある(河村市長も推進を叫んでいる)とした。
 社民党から山登志浩県連代表が立ち、「大学入試センター試験」の混乱ぶり、「教育費無償化の矛盾」などを指摘、さらに東京五輪、消費税増税などに触れて安倍内閣批判を展開した。
   最後に共同代表の中谷雄二弁護士が、「今声を上げる時、全国で立ち上がっている、今こそ安倍内閣打倒を」「安倍の公私混同はあまりにひどい!」「ヘイトスピーチの蔓延」に危機、無法そのもののトランプ大統領(タッグの安倍晋三)、「マスコミ」はどうしたのか、政権への「忖度」が目立つ・・・。「これからは主権者の闘いがあってこそ、良くなっていく。主権者の権利を取り戻そう、横暴な権力者は許さない!共に戦おう!」と締めくくった。
 ギターを持った神戸郁夫さんの「真実は沈まない」「今こそ立ち上がろう」の後、午後3時ころからデモが始まった。この日の参加者は主催者発表で700人とした。(やや多めかな)

 

 

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2020年1月18日 (土)

恒例の「新春の集い」に参加

   新しい出会いもあった
 毎年1月の第3日曜日辺りに政治団体「人民の力」主催の「新春の集い」が開かれる。今年は明日19日に「1・19集会・デモ」があるということで今日の土曜日となって私も参加した。
 ざっと数えて55人前後の参加であったろうか。私は「ピースサイクル」として紹介されたが、地域で活動するグループ、訴訟の原告など少なくとも15以上の団体、個人からアピールがあった。
   主催者代表の、昨今の政治情勢を説いたあいさつに続いて、乾杯、そして「日韓連帯」関連、「反安保法制(アベ政治許さない)」、「脱原発」関連、「労働争議・地域労働運動」「リニア新幹線」等々の団体と訴訟の原告など個人の発言が続いた。
 宴が進む中、幾つかの署名も回ってきた。その中の一つ、大学を出て中部電力に入社して7か月目で「パワハラ」で息子を亡くして裁判(中部電力新入社員労災認定裁判)を起こしている母親から話を聞いた。夢を語っていた「一人息子」をなくし、なぜ息子は死なねばならなかったのかと夫に相談するも煮え切らない、その上「夫の親戚筋に元中電社員がいて」何かと圧力、その結果・・・。
 恐らく、仮に裁判で勝って労災認定されたとしても中電側から「謝罪の一言」があるかどうか。更に民事訴訟(慰謝料請求)となるかどうかはわからないが、息子が死んだ事実は戻らない。時間が経過する中で原告の母親はこの先どんな「暮らし」が待っているの、法廷外のこうした実態が知られることは少ない。
 青年期はともかく、最近になってからは、最後にインターナショナルを肩組んで歌うことのできる集まりは他にはない。時が流れて、ああ、歌詞を忘れてしまいそうだ。

 

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2020年1月17日 (金)

ハラスメントいろいろ、私の場合

 「逆パワハラ」もあったかな
   今や「〇〇ハラスメント」が幅広く使われて、何の疑問も持たずに使っていた言葉や“些細なこと”として気にも留めなかった行為が、指弾されるようになった。
   「ハラスメント」というのは「他人に対しての発言や行為などで、意図している・していない関係なく、不快にさせたり、傷つけたりすること」だと言われているが、「意図している・していない関係なく」というところが肝心である。指摘(糾弾)されて「そんなつもりはなかった」「きみのためにと思ったのに」では済まされないこともあるのだ。
   職場の「パワハラ」で、退職に追い込まれた例、体調を崩した例、精神を病んだ例は、今も昔も後を断たないのではないだろうか。
   私が在職中、今でいう「パワハラ」の定義に当てはまるかどうかわからないが、組合活動で御用組合批判を展開していたとき、しばしば呼び出されては「説得」されたことがあった。その時の対応如何で「ハラスメント」に屈して「転向」して人生を「軌道修正」出来たかもしれなかった。一方、節(主義、主張)を曲げずに押し返すこともできた。私は後者の道を進んだ。
   職場での身近には、あまりの「パワハラ」に、精神を病んだ人もいた。今で言えば「アカハラ」といえるかもしれない。但し「研究教育の場における権力を利用した、嫌がらせ」の「アカデミーハラスメント」とはちょっと違う。「アカ」とは「共産党・民青」を指した。
 私の場合は、「アカハラ」というより、昇進、昇格をえさに「転向」を迫られる感じのものだった。しかし私はそんな時「それは組合活動のことを指しているのか」と問い返し、「管理職(係長、課長)の立場でそれをいうなら、不当労働行為として問題にする」と答えた。そして問答が膠着した場合、私は「答えられないなら、あなたの上司と話をしたい」と迫った。これでは「逆パワハラ」であったかもしれない。
 そんなやりとりが何年も続いたが、ついに「説得」されることはなくなった。つまり「改心不能」と判断されたわけだ。その代わり「進級(昇進)、昇給(成績査定)」で冷遇されたことは言うまでもない。
 私の場合はもう一つある「スモハラ(スモークハラスメント)」についてである。昨今の活動の会議の場では「禁煙」は当然となって定着しているが、同窓会だ、忘年会、新年会だという場では、未だ徹底していないから、その店に「禁煙」の張り紙がしてなくても、「ここは全室禁煙だから」と先に宣言することにしている。灰皿が置いてあれば真っ先に取り下げてもらう。ということで私が参加する例会では、禁煙は徹底された。
 さらにもう一つ。若い時には「ハゲハラ(頭髪禿げハラスメント)」というのもあった。30代で髪が薄くなっている同級生に対して髪に手をやり「これアデランスです」というおふざけ。
 ・・・確かに意識しないまま「ハラスメント」をして来たことはあったと思う。だが、ハラスメントらしきものに対抗してそれに助勢、加勢することもあったのも事実。状況判断の確かさを保持する見聞、努力を欠かさないことが重要であろうと思う。

 

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2020年1月15日 (水)

立憲民主党よ、ぶれてくれるな

 C&Lリンクス愛知電子版・第77号
 新年の第2号、通巻第77号を15日付で発信した。冒頭の記事が愛知第3区・近藤昭一衆院議員の「年頭のあいさつ」であり、何とか15日までに発信したかったのである。実際は日付が変わって16日の午前1時となってしまったが、こんな“こだわり”が、実は仕事のエネルギーになっている気がするのである。
 掲載記事には“賞味期限”が想定されるものもあり、それも後押ししてはいたが、「期限を切る」というのは、急ぎ過ぎて内容でミス、見逃しのリスクを伴うが、「火事場の〇〇力」のように、意識が集中するようなのである。その為か一気に仕上がるという効用もある気がする。
 ともあれ、第77号は以下の内容であった。1)新年にあたり 衆議院議員 近藤 昭一、2)近藤昭一 始動!3)年の初めに考える 立憲パートナー 4)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報、<1月5日~1月15日>、5)随想28 “新しき年の初めのつぶやき”―立憲民主党よ、ぶれてくれるな―、6)映画紹介「おっさんずルネッサンス」全4頁。
 「立憲民主党よ、ぶれてくれるな」は、国民民主党との合流問題をいうのであるが、それについて“こだわるな”と「要求」するという強い言葉とせず、あえて“つぶやき”としたのは、枝野代表をはじめ党執行部に“ぶれ”が見えないからで、あとは私自身の中で確認しての“つぶやき”だったのである。
 とはいえ政界のことは、私たち末端の者にはわからない。永田町とその周辺にはいわば「活断層」みたいなものがあるようで、どこでどうそれが動くは予想できない。だからその都度「確認」することになるのである。
 11日にブログでは「私は、立憲民主党の党名、政策・理念を曲げてまで国民民主党と合流する必要はないと考えている。同時に『立憲パートナー』としての条件でもある。」と強めに書いたが、本誌では外した。

 

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2020年1月12日 (日)

ウクライナ機撃墜事件

 日本の対空識別システムは?
   ウクライナ国際航空機が墜落し176人が死亡した件について、イランの統合参謀本部などは11日早朝、イランメディアを通じて、墜落は「人的ミス」による撃墜だったと認めた。
 いつもの飛行機事故にも増して無辜の乗客、乗員の無念さが伝わってくる。「人的ミス」というが、何がどうなっているのかは知る由もないが、アメリカとイランの対立の中での事件であることは確かだ。
 それにしても素人目には、軍事的対空識別システム、最近のレーダーでさえも旅客機か戦闘機かミサイルの違いを見極められないのだろうか。高高度でもなく撃墜された時間は、現地時間の8日午前6時過ぎといわれているから、高倍率の望遠鏡があれば、目視できたかもしれないとも思う。
   あるいは民間航空管制と軍情報部との連携、情報交流というものはないのであろうか。そもそもそのようなシステムは構築されていない、あってもイランの現地には配備されていない・・・。

 戦争や紛争は、当事者だけでなく周辺にも影響を及ぼす。周辺だけにとどまらないことだってあり得る。だから、小さな紛争、事件であっても、それを拡大させない、早期終結を促すことが重要だ。ましてや片棒を担いで、火に近づき、火中に踏みこむことはあってはならない。
 日本の対外政策、防空、識別システムの状況はどうであろうか。ウクライナ機撃墜のような事件が起きない政策を望むものである。

 

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2020年1月11日 (土)

国民民主党との合流にこだわるな

 選挙は「全野党共闘」をめざせ
 立憲民主党と国民民主党との「合流」問題にかかわる幹事長を交えた党首会談は、今年に入って7日に約3時間半、9日に約4時間、10日に約3時間に亘って話し合われたという。大局的に「合流」することでは一致しているようであるが、例えば「党名」をどうするかは、「合流」の方法で決まるだろう。つまり、どちらかが存続政党になって、結果的にもう一方が「吸収」されれば、存続政党名になる。では「吸収合併」に同意できないとすれば、対等な合流ということになり、双方がいったん解散して「新党」に参加することになる。
 だが政党の合併は、「政策・理念」の一致があってこそ、である。その政策について立憲、国民両党には一般的に大きな違いはないとされているが「原発ゼロ」に関しては、その表現の違いではなく、もっと根の深いものがあるのではないか。
 長いこと労働運動に携わってきた私は、現野党が分岐している現状を「社会制度論」の違いから始まると見て来た。共産主義、社会(民主)主義の政党と、それらに反発しなおかつ資本主義的政策にすり寄るような党、といった分け方で。
 しかしこの「主義」については、時代、状況の変化を経て各党とも現実的な政策を優先することによってその違いがかなりぼやけてきた。ところが2011年の「東電福島第1原発事故」によって、再び路線的な違いがはっきりしてきた。「原発ゼロ」を党の政策の基軸の一つにするか否かの違いである。
 別の観点、例えば「労使関係」の在りようでも野党は分岐しているとみている。「原発ゼロ」を受け入れがたいとする電力総連は、事故は起こり得ない安全であることを前提とした原発が、大きな利益を生むとして手放さない会社の経営方針を「安定賃金」の基盤としてとらえている。これは軍需産業も同じことがいえる。
 賃金、雇用の安定は働く者の最大の要求である。だから労働組合はそれに応える活動をする。一方で、戦争で何もかもなくした経験は、「賃金、雇用の安定は、平和であればこそ」という意識が高まった。それが戦後労働運動の流れを作った。「3・11フクイチ」の事故は、それが一地域であれ、戦争・戦災以上の破滅的な事態を現出した。ここのところをあいまいにし、あまつさえ経営者に同調するようでは、「政策・理念」で違いが明確であるから、「合流」は無理ではなく、してはならないと思うのである。
 では、アベ政治を終わらせるために「選挙協力」欠かせない。野党が競合して共倒れになっては国民から見放される、という点についてはどうか。
 それ自体は間違いないところで、是非とも共同の闘いを構築してアベ政治を終わらせたい。だが「選挙協力(共闘)」と「党の合流(合併)」は同次元のものであろうか。先の参院選挙での一人区で野党統一候補が与党候補を破った選挙区があった。この経験は貴重なものだ。「政策・理念」の違いを残して立憲民主党と国民民主党が「合流」することよりも社民、共産などを含めた「全野党共闘」の方が、少なくとも選挙戦では有利である。
 私は、立憲民主党の党名、政策・理念を曲げてまで国民民主党と合流する必要はないと考えている。同時に「立憲パートナー」としての条件でもある。

 

 

 

 

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2020年1月 8日 (水)

認知機能検査を受ける

 政治的認知機能検査、ありやなしや
 運転免許にかかわる「認知機能検査」を受けた。30分程4項目だったかな。(もう、曖昧)最初から間違えた。今日の曜日を問われ「火」と書いてしまった。日ごろからこの「曜日感覚」が分からなくなることがあったから、それが出てしまったのだ。16の「絵」の記憶は、12までしか思い出せなかった。数字の問題は、時間内に全部終えられなかった。終わってボールペンを置いてからも、見逃した箇所が少なくとも2か所あることに気がついた。最後の問題は間違いなくできたと思う。採点をA、B、Cとすれば、Bであったろうか。
   どんな診断方法かは知らないが、いろいろ研究されての検査方法であろうから、それなりの「認知機能低下ステージ」が示されるのであろう。結果は、所轄署から1~2週間後に自宅に届くそうだ。
   さて今回は自動車の運転免許にかかわるものであったが、昨今の政治を見ていると「政治的認知機能検査」を受けさせた方がいいのではないか、「この議員(ひと)に国の舵取り、行方を任せられるだろうか」という国会議員が散見どころか、かなりいるように思うがどうか。
   まあ、それは「選挙」がその「検査」を代行しているのではあるが、検査システム(選挙制度)、検査員(有権者)の資質(民度)、問題の内容(公約、マニフェスト)などから、全体の完成度は高いといえないようだ。
   そうであれ、それこれも「わが世代」がなしたものであり、運転事故を起こさないための「認知機能」と「身体機能」、足らざるものへの「補助機能」を備える努力は「義務」に近い。
   自覚なしに、検査で結構現れたわが認知機能の低下は、好奇心・夢追い心、運動と食生活でもって少なくとも現状維持を強要された気がしたのだった。

 

 

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2020年1月 7日 (火)

何かが起こる?2020の幕開け

   流されず、目を離さず、わが道を
 “ええ!なに?あの日産のゴーンが密出国だって!そんでトランプがイランの要人を殺したって!まだあるの?IRで汚職かあ~、どうなってんの2020年、年の初めから”
   何が起きてもおかしくないのは世の常である。それにしても結果からだけかもしれないが、「類が友を呼ぶ」あるいは「芋づる式に明るみに」さらには「連鎖反応」など、なんだか嫌な予感すらする昨今のニュース。
   ところで私も、テレビのチャンネルを移動するときに「ワイドショー」で一時停止することがあり、時には見入ることもあるが、芸能関係のものはたいていスルーする。新聞の下欄の文春や新潮の週刊誌の広告もさっと見て通り過ぎるが、如何にも興味を引きそうな見出しが並んでいる。そのような内容に多くのTV視聴者、週刊誌購読者がいて、若者たちはスマホなんかでの言い放し、“いいね”だけの応答に慣れ切っているかもしれない。これ何だか変だ。
 つまり対話とか議論、文通が希薄になっているということではないか。それだけで済むならまだしも、安倍首相をはじめ閣僚、官僚のまともに答えない、はぐらかす、隠す、改ざんする、廃棄する行為は、この国全体の「知力」を退化させていないか。国の産業力が落ちてきている、世界から遅れ始めている、と言われるがそれは「基礎研究・開発技術」の遅れだけをいうのではなく国全体の知力、民度の停滞もしくは劣化(この言葉は使いたくないが)が根底にあるのではないかと思ってしまう。
 ささやかに「通信」を電子メールで配信している私であるが、そこでやはり気にしている一つは、「送るばかりで、交信できていないのではないか」であった。「送信を中止して」というのは今のところはない、また戴いた年賀状から「読んでいます」という一言が添えられたものもあり、必ずしも一方通行ではないと感じた。
 この2020はいろいろあるだろうが、それらに流されず、目を離さない姿勢で今後に臨みたい。

 

 

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2020年1月 5日 (日)

新年の第1号発信する

   C&Lリンクス愛知電子版・第76号
 2019年の初号第22号は、1月2日に発信され「2019年は、“夢のかけら”を手にして半歩前へ」と書いた。そして「2019年は、私にどんな風景を見せてくれるのだろう。いや私の前に現れる風景から私は何を見てとるであろうか。」とも書き添えた。その前年の4月に「立憲パートナーズ」に登録したことで、幾らか気負っていたことが見て取れるが、“勢い”もあったといえようか。
   2019年の経過は、第74号、第75号で主だったものを書いた。ただ「内面」にあるものは、「生」ある限りエンドレス、引き継がれるから、今年に引き継がれた。
 2020の初号第76号は、1月5日付で、内容としては、1)巻頭詩「白川氷柱の背(2015年)」、2)巻頭言「謹賀新年 2020」 3)2020謹賀新年 〜パートナーズのみなさんへ〜立憲民主党代表 枝野幸男、4)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<12月30日~1月5日>、5)「ツネじい通信」 NO63 2020/1/5 光秀とゴーン氏からのメッセージ「闘春」、6)映画紹介「おっさんずルネッサンス」 高野史枝監督、7)あとがき
 あとがきでは、●巻頭詩の挿絵は、中学校の同級生。背景画に詩をつけたポストカードの作成は、かねてから構想していた。しかし技術的な問題と構成のセンス欠如が逡巡させてきた。だがこの号の作成過程でその目途がついた。小さな“わが進化”●ゴーン脱出行、トランプ米大統領の公然たる殺人(戦争準行為)、ネズミの年は何かが起こるとの説あり。戦争、自然災害はお断りしたいが、ドナルド・トランプ・安倍晋三のアベック退陣は大歓迎●立憲民主党枝野代表のコメントを紹介したが、れいわ新選組・山本太郎と比較されやすいので、今一つパンチを利かせてほしい気がした。ともあれ、2020を飛躍の年に。

 

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2020年1月 3日 (金)

2020仕事はじめ

 パソコンと向き合う
 これが「仕事」といえるかどうか、それでもこの数年はほぼパソコン操作が日常だから、なにがしかの「利」を生まないとしても一人の人間としては「仕事」であろう。
 1日の朝には、新年のごあいさつを電子メールで送る作業を試みた。昨年から一斉送信ができない状態に悩んでいたが、「C&Lリンクス愛知電子版」の第75号での試行が「エラー」なしだったので、2度目の試みであった。何とか届いたようだったが、写真が不鮮明であることの課題が残った。
 次に、戴いた年賀状を拝見し、読み込み、仕分けて返信を終えていたが、「C&Lリンクス愛知電子版」の新年第1号の編集・発信が気にかかっていた。シンプルに行こうと構想を練って、表紙(タイトル)を開いてみたが、今日のところは、構想だけに終わった。
 そこで遊び心もあって、友人から頂戴した絵に詩を挿入した「ポストカード」を試作してみた。絵を背景にして詩文を挿入する方法・手順は、以前に失敗していたので再挑戦であった。あれこれ模索して何とか成功したが、2度目の試みでは、その手順を覚えていなくてまた繰り返しとなった。3度目の時はメモして、4度目は寄り道なく成功。ところが、絵と文字の配色がうまくマッチしない、暗くなる傾向があった。「青い空に、雪のかかった山なみ」が背景、そうであれば白色以外ならどの色でも良さそうなのだが。絵に合わせて文字の色を選ぶのはセンスの問題であろう。
 パソコンの機能100のうち、私がこなし切れているのは、その1%以下に違いない。
 %を挙げるのは、消費税ではなく、わがパソコンテクニックとセンスでありたいものだ。

 

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2020年1月 1日 (水)

2020年1月1日

 元旦のつぶやき
 “お父さん電話!”という2階からの嫁の声を機に、いつもよりは幾らか早く目覚めたが、陽は既に昇っていた。そんなことはなかったと妻が言う。これが「初夢」だったか?
 要は誰が私に電話をかけて来たかという「妄想」か「幻想」か「夢想」かである。
 誰かが私に話したいことがあったればこそ、私はその“声”を聴いたのだ。
 夕方4時ころ、歩いて20分ほどの「成海神社」に詣でた。何年振りかの参拝である。本殿前まで行列ができていて20分ほど並んだ。神社に行き着くまでと、行列に並んでいる間、電話の主と内容を想像してみた。
 「妄想」「幻想」「夢想」どれでもいい。この2020年に誰かが、何かが「私を呼びかけた」に違いない。呼びかけられたということは、「私を必要としている?」ということかもしれない。
 これまでは、“いま何をすべきか”という、自主的、自発的なつぶやきであったが、今回は“やるべきことをやれ”という意味にもとれる。では“やるべきこと”とは何か?
 家事、私的、活動それぞれに時間差はあっても“やるべきこと”を俎上に挙げることができるが、問題は「想定外」の何かである。
 昨年、時々“やれることの限界”を想定することが多いことに気づいた。これは加齢と“気後れ”ばかりでなく、“終活”の先取りに起因するからだったと思う。それでも“やるべき事の大半はこなした”という意識は持っていた。果たしてこれか!
 人の行動価値は、想定外の対応の仕方、結果に寄ると思う。
 ・・・上京中に直下型大地震に見舞われた。さてどうする?目下私の「想定外で想定するもの」はこれである。

 

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