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2019年11月28日 (木)

リニア訴訟の原告の適格性

 要請葉書を投函する
 ストップ・リニア!訴訟愛知から、緊急連絡として「裁判所が原告適格の中間判決を出そうとしています。中止を求めるハガキを出してください」という連絡がきた。
 この中間判決は、リニア工事によって直接的な影響を受けない原告を適格がないとして裁判から切り捨てる、そのようなものだというのだ。
 ということは私も「適格性のない原告」として訴訟から疎外されるということか、と思ったので早速ハガキに書き込んで投函した。
 「ひと言」欄があったので次のように書き込んだ。「リニア中央新幹線については、必要性や安全性に問題ありと考えています。更に、『環境』への影響は沿線のみならず、広範囲に及ぶと考えられるので、その方面からの立証は欠かせないと思います。原告の適格性については、幅広く採用してほしいと思います。」
 リニア中央新幹線につては、地震大国日本、火山活動の活性期に入っている日本を思えば、80%以上がトンネルというこの鉄道の安全性に疑問を抱くのは当然だ。
環境面からはどうか、航空機に較べればCO2の排出量が少ないかもしれないが、その電力供給に「原発の稼働」が前提になっているとしか思えない。仮に原発稼働なしで電力供給が可能であるとしても、その大半は「化石燃料」に依拠するから、結局環境への負荷が大となる。(自然破壊、残土の処理問題もある)
ここまで工事が進んできて、なおストップをかけることは容易ではないが、地球規模の気候変動など環境問題が次第に大きくなっていくことを思えばリ「ちょっと待って!リニア中央新幹線」というターニングポイントが来ることは「想定内」であると思っている。

 

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2019年11月26日 (火)

フランシスコ・ローマ教皇の残したものに触れて

   C&Lリンクス愛知電子版・第71号
   11月15日から東京に出掛けて高尾山にのぼり、東京駅全景を見に行って、首相官邸前に行き、神楽坂辺りを散策して、ピースサイクルの仲間と議論して、久しぶりの東京行で政治的「外気」にあたったせいか帰名後、特にこの1週間に「C&Lリンクス愛知電子版」を3号続けて発信した。
 書き綴ったものをメーリングリストではなく「個人的」に送っているのは、例えば結果的にはどうであれ政治的主張、立憲民主党を推すためのものという意識はそんなに大きいものではなく、長くお付き合いを戴いている人への「近況報告」みたいなものと、連絡を取り合って情報を交換し、刺激を受けながら「今」を維持する糧に、といったものもあるのである。
   第71号は、来日したローマ教皇の残したものは宗派に関係なく少なくないと感じたので、それに触れながら1)全核兵器・全原発の「核」廃絶へ! /中日春秋 2019/11/26 紙面から/詩「戦闘開始」 石垣りん 2)苦闘する香港のことを思う-巨大権力の前の民主主義 マイブログから 3)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<11月23日~11月25日>、4)「ツネじい通信」 NO59 2019/11/21 新聞の数字からでも分かる、この国の危うさ。という内容であった。全5頁。
   2019年もあと1か月余りを残すのみ。年越しをさせたくない仕事が一つ、二つ、三つ・・・、やり切れるだろうか、というより“やらねば”が頑としてある限り大丈夫・・・、風邪だけがひくまいぞ!

 

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2019年11月25日 (月)

苦闘する香港のことを思う

   巨大権力の前の民主主義
 香港の区議会議員選挙が行われ、苦闘する香港に新たな展開が出てきそうだが、民主派にとって明るい未来が拓けるかどうか、なお一層の困難が続くのではないかと気がかりだ。
 私は、この件を語ることにずっとためらいがあったし、今もためらいながら、しかし「沈黙」していることで自分の中に不快感が募るのも事実である。
 ためらいには二つの理由があった。一つは、やはり実態を知らず「情報」だけで判断することの警戒心である。これまで関心をもって香港のことを知ってきたわけではないし、現地を訪問したこともない。日本のマスコミ以外ではAPWSLのIさんからの情報が唯一だった。
 もう一つは、1970年代に描いていた「中国像」と現在の中国の政治・体制のギャップが大きく、それが整理しきれていないことがある。
 1970年前後の反安保闘争では、どちらかといえば「親中反米」であった。そのころの活動の仲間の中には、ソ連派はいなかったが親中派はいて、「覇権主義」をとらない良好な「社会主義像」を中国と重ねていたと思う。私は「親中反米」であっても中国に心酔することはなかった。「反米」ではあっても、全否定ではなかったので、中国へ行ったことはないが渡米は2回ある。
 暴力的な衝突について
 さてこの間の香港における激しい街頭闘争が、「過激な学生たち」と「すさまじい暴力の警察部隊」の衝突という面と、一方で香港政府の姿勢と背景にある中国の対処などが中心的に伝えられてきた。そこでテレビなどで暴力的衝突のシーンを見て、首をかしげる人も多かろうが、この点について前出のAPWSL・日本(アジア太平洋労働者連帯会議・日本-組織的活動は現在休止している)のIさんはこんな風に伝えている。 
 「・・・じつは政府の暴力こそがさらなる暴力を生み出してきたのです。香港の容疑者送還条例反対の運動が暴力的にヒートアップしたのは、6月12日の警察の暴力や7月21日のヤクザによる市民への無差別攻撃に対する警察の不作為、そしてそのような警察の犯罪に対する独立監査委員会設置を含む五つの要求に対して遅々として答えなかった香港政府の姿勢にあるのです。9割近くの市民が警察の暴力を監査する独立した調査委員会の設置を支持しているにもかかわらず、林鄭月娥(りんていげつが)キャリー・ラム行政長官は全く聞き入れようとしていません。それによって警察全体の士気をも損ねる事態になっています。」と。

 民主派圧勝の区議会選挙
 次に香港の区議会議員選挙について考えてみたい。
 毎日新聞は次のようの報じた「24日に投票された香港区議選(地方議会選、任期4年)は即日開票され、香港メディアによると、計452議席のうち、民主派は獲得議席が8割を超え圧勝する見通しだ。民主派が区議選で過半数を獲得するのは1997年の香港返還以来、初めて。これまで約7割の議席を占めていた親中派は惨敗。6月に香港政府への抗議デモが大規模化してからは初の全土的な選挙で、政府と後ろ盾の中国指導部に反発する民意が明確に示された結果となった。」
 この選挙結果は、多くの犠牲を払い続けている香港の人の気持ちがなんとなく伝わってくるようで、束の間であれホッとした気持ちにさせられる。投票率も71,2%という情報もあり、これはきっと若い人たちがたくさん投票に行ったに違いない。伝えられるところによると「一部の若者による抗議活動が過激化していたため、投票所が混乱し、区議選が延期されることも懸念されていた。だがデモ隊の間で『選挙を妨害すべきでない』との意見が広がり、目立った混乱はなかった。」(毎日)ということで、この選挙結果が行政府に無視され逆に中国の影響が強まろうと学生・若者たちの真剣さが伝わってくる。香港の民意が確かなことが分かる。
 さらに言えば、覆面禁止法が香港の高裁で違憲判断されたこともあるが、1997年7月1日に、香港の主権がイギリスから中国へ返還され、2014年12月、香港の「高度の自治」を明記した1984年の「中英共同宣言」について、1997年の返還から50年間適用されるとされていたことなど(中国は破棄した)、この間の議会制民主主義を知っている若者たちは、中国に飲み込まれたらたまらないと考えてきたといえよう。
 巨大権力の前の民主主義
 広い領土と強大な軍事力(核戦力)を持つ、アメリカ、ロシア、中国、インドでの統治は、多様性を重んじ、非暴力を唱え、環境問題に強い関心を持つ「民主主義の勢力」を力でねじ伏せようとする傾向を感じる。「国家統制型の強権力」でないと統治が成り立たないのであろうか。
 この時代、香港のこと、台湾のこと(他にパレスチナ、ウクライナ、ウィグル、カシミールなど)を考えると世界で「民主主義」がためされている気がする。あるいは「民主主義」は常に巨大な権力の横暴に犠牲を払わされ続けねばならないのかとも。
 「小国」日本にも、何を勘違いしてかアメリカ型強権政治によりかかろうとする政治家が跋扈している。「多弱」といわれる野党も、香港で起きていることを対岸の火事と見ないでしっかりと見て学んで、政権を構想してもらいたい。 
 今言えることは、中国が何をしようが、香港の民主化の勢いはとまらないであろう、ということだ。

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2019年11月23日 (土)

再び「表現の不自由展その後」のその後

   C&Lリンクス愛知電子版・第70号
 22日の第69号に引き続いて「C&Lリンクス愛知電子版」の70号に着手し、夜には発信を終えた。材料が手元に揃っていたから半日仕事でなし終えた。
   第70号の内容は、1)「表現の不自由展その後」総括集会<11月2日>、2)「あいちトリエンナーレ」の展示中止問題について―愛知から、PC全国会議での報告内容。3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<11月15日~11月22日>、4)「ツネじい通信」 NO58 2019/11/15 地域の美術展から、トリエンナーレ展を考える。5)衆議院議員近藤昭一と語る草の根国政報告会の案内。
   この問題を継続して取り組として総括集会の後に、「表現の不自由展・その後」をつなげる愛知の会、という名称で活動が引き継がれた。どのような問題提起をされるのか注目していきたいが、「総括」をもって一区切りついた。
   さて、この「表現の自由」「芸術活動の自由」といった時、「表現者」にとっては「死活問題」ともいえるが、そうではない一般の人にはどう映ったであろうか。“関心がないとは言わないが、具体的には・・・”とならないだろうか。
   では5人以上の集会、デモ行進・パレード一切が中止されたら?映画、演劇、コンサートなどで「表現に問題がある」として公演、公開が中止されたら?個人的な手紙やメールなどがあからさまに「検閲」されたら?学校や職場で服装が規制され不自由になったら?
   これらは大なり小なり過去にあった事例であり、今回の「表現の不自由展その後」の問題が、時間をかけて事例を積み重ねながら「いつか来た道」に戻っていくことはないとは言えない、いや現政権のもとでは、その可能性が濃厚であるからこそ多くの人たちが声を上げ、行動を起こしたといえるだろう。つまり多くの人が“関係ない”と思っているかもしれないことを辿っていくと「関係ないと思っていただけ、知らなかっただけ、知らされなかっただけ」ということにたどり着くのではないか。
   ということであれば、これからの運動、ポイントはここのところをどのようにつないで「表現していくのか」ということであろう。

 

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2019年11月22日 (金)

ピースサイクル全国会議特集

   C&Lリンクス愛知電子版・第69号
  10月28日の第68号以来、久しぶりの発行を終えた。この間発行するに足りる材料がなかったわけではないし、体調も安定していたが、ピースサイクル2019の総括、全国会議に向けて、愛知からの報告書作成に集中していたことによる。報告書は全32頁で、地域で配布、全国会議に持参を合わせて50部余りを製作した。
 電子版・第69号の内容は、1)ピースサイクル2019全国会議の報告<運動の総括と政治的課題の議論>、2)第3回立憲パートナーの集いの案内。3)立憲民主党と関連の、マスコミ等の情報<10月28日~11月14日>、4)「ツネじい通信」 NO57 2019/11/15 そこ退け!無責任政治のお通りだい 5)あとがき
 あとがきでは「・・・このピースサイクル運動が『有志に引き継がれる』か「幕引き」かの岐路に来ていると感じて私は「ピースサイクル愛知の今後について」を提起した。『・・・2020年に33年目を迎えます。この長きにわたる運動も、その理念、目標、行動において今なお輝きを失っていないと思う一方、担い手の減少に加えて高齢化が進み、再生、継続の努力にもかかわらず、リレーの困難さが増してきました。』」と、現状と「これから」の問いかけをした。また「・・・本号の報告の中で『野党批判について』と『自衛隊について』を別個に取り出したが、その問題意識は『立憲パートナー』という自覚から来ているといっていいだろう。この全国会議に参集する人の多くは、党派に幾らかはかかわっているであろうが、所属を明確にしたのは私だけであった。その必要性はなかったかもしれないが、私の立場が、同じ運動仲間からどう映って見えるのかを知ることは欠かせない関心事なのである・・・」
 このピースサイクル全国運動に30数年関わってきたといっても、通年的に取り組んできたわけではないので、地域的な広がり(浸透)は多くない。むしろ参加する人それぞれが、ピースサイクル運動の意義を自らのものにして、他の様々な運動にかかわっていく過程で活かされればいいのではないか、そんな風に思っている。

 

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2019年11月17日 (日)

ピースサイクル(PC)全国会議(2)

 運動に変化を感じさせた意見が・・・
 二日目は午前9時から12時まで、「持続可能なピースサイクル運動に向けて、35年目のピースサイクルの課題はなにか」から始まった。
 議案に沿って(1)「戦争する国」NO!戦争法廃止、9条加憲NOのために野党の連繋、野党と市民連合の連繋で、3分の2体制を打破する総選挙に勝利しよう!(2) 沖縄県民と連携し、新基地は作らせない、オスプレイの全国化を許さない闘いを進めます。(2) 沖縄県民と連携し、新基地は作らせない、オスプレイの全国化を許さない闘いを進めます。(4) 日韓両国の対立を転換させ、日韓民衆連帯を通じた北東アジアの平和を求めます、といったあたりで途中から「反五輪の会」の関係者からのアピール、要請が入って30分ほど東京五輪の問点などのレクチャーを受けた。
東京5輪の問題について
   この件に関しては、来年のリフレットの内容検討時に「反五輪」を入れるかどうかの議論があった。これは直前に届いた議案書でも触れられてはいたが私は異論を唱えた。その理由はオリンピックの開催の是非をいうのではなく、問題があれこれ噴出しているとはいえ、ここまで進んできた段階で「反対」をいうことへの違和感であった。地域に帰って“なんで今になって反対なの?”“これまで反対運動してきたの?”と問われたとき答えようがないのである。「スローガンを掲げたからといって、全てを取り組まなければならないことはない。他の課題も同じことだ」という意見が出されたが、少なくとも他の課題については何年も議論重ねてきているものであり、ピースサイクル運動の中に包括されてきた。この時期に突然出された「東京五輪」とは同じとは言えない。
   結局「反五輪」をいうのではなく、「福島復興がなされないままの五輪・・・」「環境破壊の五輪・・・」といったようなフレーズで入れる、という案で決着した。
市民運動と野党の連携について
   さて本題に戻って、(5)常態化する巨大災害に対して、自衛隊を災害救助隊に改編する訴えを始めます。(6)福島の復興を掲げた東京オリンピックの問題点を指摘した行動を検討します。(7)若い世代との連繋、持続可能なピースサイクルをめざします、と続いた。
   私は(1)の「・・・野党の連繋、野党と市民連合の連繋で、3分の2体制を打破する総選挙に勝利しよう!」というところで発言を求め、「野党との連繋」というけれども、市民運動が「政党の論理を超えられるかが課題だ」、1人区、2人区では「与野党対決の構図」が明確で、「野党の一本化」「野党共闘」は有効だ。その成功例の一つが新潟の参院選挙であった。3人区以上では、特定候補者を応援することはしないから野党候補が複数となれば、結果として票は分散することになる。また市民の側が候補者を立てない限り、政党の決めた候補、政党の政策で選挙が行われる。その政党の論理を超えるにはかなりの市民の力が必要だ。“愛知の状況から私は、立憲民主党にシフト、パートナーになった”と述べた。すると「次は衆院選挙、一人区(小選挙区)だからいいじゃないの」という声が飛んだ。そんな風にして問題点は置きざりで先へ行ってしまう・・・、確かにここでは、こんな議論をしても始まらない、それぞれということなのであろう。そのそれぞれを聴きたかったのだが場違いだったか。
   8番目の「ピースサイクル2020~具体的な取り組み」では、10項目が挙げられた。前年と大差はないが、ホームページの活用について担当の長野から改善策が示された。投稿希望が明記されればアップする。FBに誘導するする案の検討などだ。
ピースサイクル運動に変化か?
   最後に今回の会議で二つの変化を感じた。一つは「ピースサイクル」という言葉は、「自転車で平和を!」ということだが自転は本来「バイク(バイシクル)」だからその意味なら「ピースバイク」となる。だから「ピースサイクル」は「平和(永遠に)を回していくその運動」と解釈する。ということであれば「平和運動」は「自転車リレーだけでなく」様々な形があっていいのではないか。言葉としては語られなかったが、「ピースサイクル」を看板にして反核平和運動に多様性を持たせていいのではないかとの提案と受け止めた。
   もう一つは、ピースサイクル運動がここまで来て「線でつなぐ自転車リレー」が途切れ途切れになっている現在、必ずしも「リレー(つなぐ)」にこだわらなくてもいいのではないか、という意見が出された。確かに首都圏から広島まで東海道、山陽道で繋がってきたが、幾つかのところで、空白ができているが、「繋ぐことにこだわらない」が現実的とはいえ画期的な方針転換といえるだろう。
   愛知、岐阜では、「リレーでやってくるから、途切れさせられない、だから継続してきた」という背景もあるから、「日程は地区の事情で行う」としたら、暫くは続くとしてもやがて自然消滅してしまうかもしれない。
   もっとも愛知では30年目の4年前の頃「ピースサイクル月間を設定して、各地区都合のいい日に行う」を提案したところ、リレーがなくなれば続かない、ということで現在に至った経緯がある。
   2020年の全国会議を11月28日(土)、29日(日)に開催することを決めて散会した。

 

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2019年11月16日 (土)

ピースサイクル(PC)全国会議(1)

 全国の実走報告と「日韓問題」の学習
 PC2019全国会議(総括)の第1日は、東京・飯田橋で予定時間をやや遅れた午後1時30分から、ピースサイクル2019の総括と2020年に向けた取り組みについての意見が交わされた。首都圏の東京、三多摩、千葉(常磐)、埼玉、神奈川そして、長野、新潟、愛知、大阪、広島、大分から約20人が参加した。
 最初に、共同代表の吉野信次さん(千葉)から、この30年に及ぶピースサイクル運動の意義と実績を改めて強調し、今日的な幾つかの課題への問題提起などは評価できるとし、また新たな問題として「東京五輪」を取り上げたいなどと語った。続いて全国事務局(担当は首都圏の5団体)から、各地の実走報告<全走行距離(ピースマイレージ12,179㎞)、ピースメッセージの集計(406件)とその内容、自治体訪問数>などが集計表を基に報告された。
 各地の報告から拾い上げると、①大阪は今年も本走前に「スタート集会」を開いた。大阪から広島へ中学3年生一人が参加した。そんな中で“猛暑でもやるの?心配だ”という声も出たという。また少数で走ったのでハイスピードのメリット?もあった。②柏崎・刈羽原発のある新潟からは“東電の体たらく”あれこれが話された。この新潟では先の参院選挙で野党共闘が功を奏し、一人区で与党・自民党候補を破って打越さく良氏が当選した。③大分は北九州を出発点として中津-別府―四国の伊方・八幡浜-広島の呉―広島を担当したが、世話人のIさんが体調不良で走れなかったという。また今回新デザインの横断幕の図案を示し、採用するかどうかを提案した。④神奈川は、県内走行と同時に「浜岡原発」まで足を延ばし、静岡のメンバーと合同で申し入れを行った。浜岡原発1号機2号機の廃炉が決まっているが、その格納容器の放射能については洗浄するとしているがその時に出る「汚染水」の処理については答えがなかったという。また2020年は、7月23日(海の日)、24日(開会式)は、10月の「体育の日→スポーツの日」を7月24日に移動させ、東京五輪のために連休が設定されるため、日程を前倒ししたいと提案した。その結果7月26日浜松出発は固定されるので数日間の空白日が生ずることとなった。⑤千葉からは、小中学生の「平和大使」を広島へ送れ、という申し仕入れをした。③三多摩では、愛知のHさんが走ったという報告。他に「沖縄ピースサイクル」「六ヶ所ピースサイクル」「ナガサキ行動」についても報告があった。
 愛知からは、32頁の「報告書」を用意していたので、7月27日が台風6号で走行を中止したことなどの実走の報告よりむしろ2020年の35年目のピースサイクル、愛知にとって32年目のピースサイクルを一つの節目としてどうするかの議論を始めていることを中心に話をした。また、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展その後」の展示中止問題を別紙にしたため、それを基に経過と課題、これから等について報告した。併せて岐阜の状況を短く報告した。
 昨今の「日韓問題」についての学習会
 夕食後の午後6時半から約2時間、VTR「植民地支配に抗って 3・1朝鮮独立運動」を観てから最近の状況を踏まえた「日韓問題」について議論し、意見を交わした。
 学習の核心は、一つは昨今の政府、マスコミの韓国叩きが目に余ること。それに引きずられる世論、また野党の認識も甘いのではないか。立憲民主党も国民民主党も動こうとしていない。もう一つは、1910年の日韓併合条約により韓国は完全に日本の植民地となり韓国併合となった経緯を知り、私たちも含めてこの「植民地主義」について「現代的認識」を検証すべきではないか。1965年の「日韓条約」成立時の韓国の政治的、経済的状況と現在では格段に違ってきており、韓国併合、日韓条約時代の認識をもっての外交は間違いであると。
 アメリカが戦勝国として日本を睥睨、にらみを利かせ横暴な態度をとる、そんな態度を日本は韓国に向けてはいないか。徴用工問題、軍隊慰安婦の問題、朝鮮女子勤労挺身隊問題、幼保を含む朝鮮学校教育無償化の除外問題、こうした問題を考えるにつけ、日韓条約で「すべてが解決済み」とだけでは、前向きの外交とは言えないだろう。
 

 

 

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2019年11月15日 (金)

金官行動に初参加

 持続的な「反原発」のシュプレヒコール
 毎週金曜日、午後6時30分からの「原発の再稼働反対」を訴える首相官邸前抗議行動「金官行動」に初めて参加した。ピースサイクルの仲間が核廃棄物を詰め込むドラム缶を模したものをコンダラに載せて自転車で曳いて周辺を走るという情報もあっての初参加であった。
 住み慣れた都民にとって網の目の交通網は便利この上ないであろうが地方からの上京者にとってJRと地下鉄の乗り分け、改札から地上へのルート、地上での方向感覚など、予備知識なしでは動けない。宿舎の神田から東京駅に出てそこから東京メトロ丸の内線で国会議事堂前へ。3番出口から官邸前交差点へ。
 主催は「首都圏反原発連合」で午後6時30分からの行動開始であるが、その前に某団体がひとしきりアピールを続けた後、野党に直接訴えるとかで永田町の議員会館前方面へ10数人が移動していった。国会審議で野党の対応が不満だというのだ。この「野党批判」は、ピースサイクルの会議でも出されていた(後日報告)。そうした批判は野党に期待するが故であるが、国会のある東京と地方とでは受け取る側に心理的な面かもしれないが濃淡が出てしまうようだ。まっとうな批判ではあるけれども地方では支持議員の向こう側に「政党」がある。議員への配慮が政党批判を薄めるのかもしれない。
 この日の抗議行動は、野党議員、著名人の参加もなく、20分ほどのシュプレヒコールの連続と次に参加者のアピール3~4人、そしてまたシュプレヒコールの繰り返し。それほど広くない歩道は通行確保のために部分的ではあったが柵が設けられ、従って参加者は1か所に集中することはなく、一人二人程度の並びでずっと連なることになる。
   主催者とマイクのある交差点に居た私は、7時過ぎに参加者の連なる歩道を最後尾まで行き、そこから道路の反対側に出て全体の雰囲気を確かめたのだった。ざっと100人から150人くらいであろうが、多くはグループごとの参加のようで私のように「一人参加」は数人程度、なかなか溶け込めにくいものがないとはいえない、ということもあったが私は、この行動の前の通行人の多くは「国会、国政」関連の公務員かな?との思いで通り過ぎる人の表情ばかりを見ていた。毎週末のことだから珍しくもないからか多くは一瞥すらしないで通り過ぎて行く。中には耳をふさぐ人も一人、二人。そんな光景を見ていると「反原発」に強固な意志と危機感を持続していないと、或いはグループ参加でローテーションを組むなりをしないと、持続的な参加は難しい気がした。
 この夜は冷え込みがなかったがこれから先は寒くなる一方。主催者は「当日の天候に注意し、気温の変化に対応できる服装や水分補給、雨具の用意を」等の注意を促していた。
 シュプレヒコールは、全国主要な原発の名前をあげ「〇〇原発再稼働反対!」それと東京に最も近い「東海第2原発」さらに問題の渦中にある「関西電力」に集中。そして原発推進、再稼働の安倍首相にたいして「やめろ!」のコールの繰り返し。最後のシュプレヒコールのあと午後8時きっかりに散会した。
 

 

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三度目の東京・高尾山へ

   紅葉はまだ、目立つ元気な高齢者
 明日からピースサイクル全国会議(総括)が開かれるにあたって、折角の上京、どこかに立ち寄りたい、かといって人混みは避けたい、例によって上野の美術館二か所巡りか、築地から移った新しい豊洲か、いやいやしょうもない・・・
この時期だから「新大久保コリアタウン」を覗いてみようかなと考えあぐねた結果、3度目になる高尾山に上がってみることにした。前回がいつだったかは忘れたが、その時のアクセスメモが残っていったので、それを参考に東京駅-新宿から京王線で高尾山口へ、ケーブルで高尾山駅。ここまで予定のタイムスケジュール通りの正午。
 晴れたこの、遙か先の都心の高層ビル群を遠望、周辺の雑木林に目をやっても、紅葉といえる風景には程遠かった。そこで「サル園(野草園)」に寄って、もう少し山肌の見える場所にも行ってみたが、緑葉の山並みが見えるばかりであった。それで目標を「薬王院」までとし歩き始めた。そこまではそんなにきついとは思っていなかった。しかしこれから先思わぬ苦労(やや後悔)することになった。やや重めのザックを背負っていたこともあったが、途中の「男道、おんな道」の分かれ道で、階段を避けて緩やかな「おんな道」を選んだのだがこの坂がきつく“ええっ、なんでこの程度の道のり、坂道で”と引き返そうかなと思ったくらいだった。休みを2度入れて歩速をさらに緩めて何とか上がり切った。
 そこからさらに歩いてようやく「薬王院」にたどり着き、まずは汗を拭き、水分を補給。1か所だけ紅葉を背景にできる場所があったので、通りがかりの人にカメラをお願いした。それにしても、高齢者が多かった、平日ということもあろうが、団体、グループ、夫婦連れ、単独も(私も)
 夕方の国会議事堂前での「金官行動」に参加する予定をしていたので、早めに下山することにした。ケーブルカーにするかエコーリフトにするかで迷ったが、時間を逆算したら十分時間が取れると判断し、約40分と表示された最短の「1号路」で降り始めた。歩き始めて10分ほどして“リフトにすればよかったかな”と後悔が立ち始めた。大腿(四頭筋)部が痛み始めたのだ。「男坂」の階段を下りる時にその兆候を感じていたのだが判断が甘かった(若くないのだ!)。耐えきれず1回だけであったがベンチで休憩をとって降りきった。
 このまま国会議事堂前まで行くのはさすがにつらい。そこでチェックイン21時を変更して4時30分ころにホテルへ。携帯していた軽食と1時間の休息、荷物を最小限にして、神田から東京駅に出てそこから丸ノ内線で現地に。開始30分前の午後6時頃であった。まだ人は少なかった。ここで午後は8時まで行動に参加した。

 

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2019年11月13日 (水)

ピースサイクル2019愛知の報告書

   PC2019全国会議に向けて
   16日の午後から17日の午前中にかけて、東京・飯田橋でピースサイクル全国会議(PC2019総括会議)が開催されるが、愛知からは今年も私が参加することになって、その報告書作りに専念してきた。それもあって「C&Lリンクス愛知電子版」の発信が滞ったままである。
   その報告書はA版の全32頁であり、「あいちトリエンナーレ」の「表現の不自由展その後」の中止問題についての経過報告文書1枚を織り込んだ。
   報告書の内容は、愛知の実走の報告、広島、長崎、六ヶ所などへのメッセージ、自治体、自衛隊、中電、日本原燃への申し入れなど、最後のところで、「ピースサイクル愛知の今後について」を挿入した。2020年はピースサイクル35年目であり、これからを考える節目になると思ってのことである。あとがきでは、以下のように記した。
   あとがき●私たちのピースサイクル運動は、「平和」を大きなくくりとして、脱原発、自然環境保全、沖縄米軍基地問題、安保・自衛隊・戦争法を含む憲法問題、人権、労働、福祉問題に至るまで、多くの課題に向き合っている●そうした総体的な政治的、社会的な感覚を維持しつつ、地域そして個人として関わる個別課題に取り組む、そんなスタイルを「自転車リレー」というツールを使って全国の仲間と繋がってきたのではなかろうか●愛知においては、現在のルート豊橋-豊川-岡崎-豊田―日進-名古屋-小牧をつないで、小なりとも全県的な運動として32年間、今日まで取り組んできた。「市民運動」としては類例を見ないのではないか。その限りでは継続とさらなる発展が望まれる●継続には理念・モットーに現実的課題を据え、それを担う「人」がいてこそ、だ。その「人」は、世代を超えて繋がっていくことで運動は継承される。この原則は、どの世界でも共通している●人の不在で継承が難しくなれば消え去るのも“成り行き” というほかない。あるいは新たな発想、手法による「起業」が模索されても良い●そのような状況に直面しているのがピースサイクル愛知の現状であり、35年目を迎える2020年は、その「分水嶺」といえるだろう。そうした認識のもとに「ピースサイクル愛知の今後について」を提起した。4年越しの課題である●先のことは分からないが、個人的には「PC2020」をラストランとして、短い距離でも自転車で走ってみたい。(11月13日)

 

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2019年11月 9日 (土)

男の気持ち・生き方(164)

   中学校の11回目の同窓会
 鳴海中学校の11回目の「第13回生同窓会」が名古屋駅近くのホテルで開かれた。卒業時は約450人、案内状の差し出しは300人ほどだったとのこと。
   第1回の発起人の一人だった私は、第7回(2005年)の「還暦同窓会(バス旅行)」まで幹事を務めたが、年齢的にも華やかさが漂っていたのはこの辺りまでかな、そんな気がしている。
   11回目の今回では、ご招待の恩師17人中10人がすでに鬼籍に入られていて、3人が「ホーム」のお世話になっているといい、お一人が入院中、お二人が足腰に不自由をきたしていて、結局お一人だけの参加という寂しさであった。また同級生も第6回の2000年までの100人余から今回は、50人と半減した。
   欠席した人の返信葉書のコメントの多くが、なにがしかの理由で外出がままならぬとあった。同級生の男性の多くが年金生活に入り、女性の多くも、子も孫も一人立ちする頃となって、「自由な時」を満喫できるころあいなのだが、体の方がついて来ない、また「介護も」という、やむを得ざることとはいえそんな同級生もいた。返信葉書の届かない人の中には、そうした状況の人も少なからずいるに違いないと思った。
   出席したもの同士が“おお、元気か~” と声を掛け合うが、この場所に来ていることが「元気の証」である。私も多くの同級生と言葉を交わしたが、その中に現役(フルタイム)で働いている人もいた。一定の技術(能力)を持っていて、この時代であれば年齢に関係なく健康なら会社の方が手放さないのではないかと、問いかければ、彼は笑うばかりであったが、私にはその表情から満足そうに見えた。今の時代の「象徴」の一つではないかとも。
   6月に開催された「同級生作品展」の出品者と幾らかでも関係された人を数えてみたら10人ほど、当日鑑賞に来場された同級生も10人ほどで、かれこれ20人ほどが出席していたことを思うと、ひょっとしてこれら「創作」する人、関心がある人とは一つのつながりのあるような、元気な「素」にもなっているような、そんなものを感じもしたのだった。
   2年先は「喜寿」を迎え、その企画案も出されたが、それはもう「同窓会」という雰囲気よりも「気の置けない者同士のお茶会、食事会、小旅行」になるのではないかと思ったりする。日ごろに交流・お付き合いがあってのものかもしれないとも。過去-郷愁よりも現実と「余生」を見ての処し方が好まれるのではないか・・・つぶやきである。

 

 

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2019年11月 8日 (金)

「立冬」といわれても・・・

 今どきの意味を思う
 インフルエンザの予防接種を受けに近くのクリニックへ。そこの待合室で何気なくテレビを見ていたら「今日は立冬です」と流れた。それだけことだが、ふと“それがどうした?”という思いから次第に、暦の上でといっても、今どきの若い人はカレンダーなどを壁に掛けているのだろうか、カレンダーを見ても「暦」まで見るのだろうか、思ってしまった。
 そこで暦とカレンダーの違いから、起こさねばならないが、私の中では単に日本語と英語の違いだけとは思っていない。壁掛け、日めくり、卓上、ポストカードサイズ、名刺サイズ含めて、年月日と曜日、祝祭日程度記入の簡素なものはすべてカレンダー。例えば私の手元のカレンダーの11月8日は「日の出6:19 日の入16:53/満潮3:16、15:30、干潮9:19、21:58/旧10.12 先負/つちのと とり/立冬 とあるがこれはカレンダーの中の「暦」ではないかと。
 元に戻ってカレンダーに「暦」があってもいいが、これからのカレンダーには、「9月1日防災の日、関東大震災」があるが、同じように例えば「3月11日、東日本大震災、原発事故」「9月26日 伊勢湾台風」といったような、台風、洪水、噴火、津波など大災害の発生日を書き込んで注意を促すというのはどうだろうか。もっとも私が思いつくことはすでに出回っていることだろう。「防災カレンダー」があっても珍しくないから。

 

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2019年11月 7日 (木)

男の気持ち・生き方(163)

   さまようわが「主体性」について
 11月16日に「関ナマ」支援の全国集会が大阪市西梅田公園で開かれる。この日愛知から大型バス1台が出て、チラシやのぼりなどを用意するなどかなりの意気込みがうかがえるが、この日私は東京でのピースサイクル全国会議に参加していて大阪へは行けない。
   そこでふと思ったことがある。仮に日程が重ならなかったならバスに同乗して大阪の集会に参加しただろうかと。少なくとも3~4年前ならためらうことなく参加しただろうと思うが、今では「五分五分」だ。その逡巡は何であろうか。
 その3~4年の間に何が起こったというのだろう。加齢か?それは何人も同じ。家庭環境か?日帰りだから問題外。「関ナマ事件」そのものへの距離感か?それはない。現在も支援の会の会員である。参加者層への融合(馴染)か?多少はあるが、「1日共闘」と思えば苦にはならない。
 では何か。これは今回に限ったことではないが、実践面における「主体性」の問題であろうと思う。自ら率いる集団活動においては決定権に多くかかわるから「主体性」が発揮されることが多い。また団体の中の一員であっても、自らの判断が加えられる任務に就けば、それなりの「主体性」を維持して参加できる。ではそれらが一切ない一員として参加し追従できるのか、或いは「主体性」を感じないものに対しては距離感を置いてしまう、そこが問題だ。
 つまりこの3~4年の間の地域運動において、「運営会議」に参加しなくなった現実がある。自ら運動を立ち上げることがなくなった現実がある。その結果「主体性」が希薄になってきたという厳しい現実がある。
 2018年4月に立憲民主党の「立憲パートナーズ」に登録して、「組織の一員」との認識を持っているが、党と党関連の活動で「主体性」を感じることはなかったと思う。
 その危機感というより寂寥感といっていいものがあって、「主体性」を意識するが故に私は「C&Lリンクス愛知電子版-立憲民主と共に」を発信し続けている。しかしこれはささやかな「部分展開」でしかないのである。
 「党内党」をつくるくらいの意気込みがあってこそ、党内での主体性も発揮できようが、その扉を押し開けるのはいかにも荷が重い、気力を奮い立たせるに至らない。それを「加齢」してしまっていいものだろうか。
 「シネマ散歩緑の会」を主宰しているが、これは地域活動の一環といった類のものではない。

 

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2019年11月 4日 (月)

“その気があるか、ないか”それが問題だ

 ミニ詩集が止まったままである
 今は、遙か遠くに行ってしまったが、以前親しくしていた友人に「バースデーカード」をメールで送った。短い言葉を添えるのだが、折々に詩を書くこともあるので慣れているとはいえ、100字から150字で気持ちを伝えるのはやはり難しい。いっそのこと短歌でも詠んでそれに添え書きすればいいかなとも思うのだが、短歌が即興で出てくるはずもない。まあ何とか130字ほどにまとめ、カットで装飾して送り終えた。
 C&Lリンクス愛知電子版を10号ごとにまとめて冊子化していて、現在通巻第6号(1~60号)まで終えているが、間もなく70号を迎えるので、その準備を始めた。毎度その表紙の装丁に幾らか工夫を凝らしていて、カット絵に短い言葉を添えている。今回のカットは絵の具のパレットに絵筆、それにこんな一文を添えた「生まれた時は無地のキャンバスだった 私の旅路は、どんな色付けをしてきたのだろう。」、詩の一節にしたいとも思っているが、未だイメージが膨らんできていない。
 来週末にピースサイクルの全国会議が東京で開かれるが、その報告書作りに専念している。ここでも空白部に何がしかの一文を入れたい衝動にかられることが多く、関連事項であったり、その時の気分次第で「短詩」を入れることもある。
 こうしたことに馴染んでいるせいか、その時の詩は、だいたいのモチーフが与えられている感じもあるから、1頁以内、縦書きで40~45行程度の詩でまとめようとしてしまう。創造力も乏しいこの領域を脱し切らないと「本格的な(まっとうな)詩」は書けないだろう。そこまで踏み込んではいないのではあるが。
 そういえば「ミニ詩集」も、1月30日の第17号で止まったままだ。C&Lリンクス愛知電子版を、市議会選挙、参院選挙で頻繁に出して来たし、6月の作品展の諸準備、7月ピースサイクル、隔月の映画鑑賞会と続いてきて集中する機会がなかったことは確か。もっとも機会(時間)が主因ではない。「その気」があるかないかである。

 

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2019年11月 2日 (土)

「表現の不自由展・その後」の総括集会

 活動の継続が確認されたが・・・。
   正式には、みんなで語ろう「表現の不自由展・その後」の中止と再開を!総括集会、であり50人ほどが集まった。ほとんどが「表現の不自由展・その後」の中止に抗議し、再開を求める運動にかかわった人たちで、それ自体に直接かかわらなかった私は、ちょっと居づらい気持ちになった。しかしこの場でどのように「総括」されるかに注目して参加したわけだから、とにかく「語る」ことよりも、「聞く」ことに注力した。
   主催者挨拶でメモしたのは2点。一つは、このような企画展で一旦中止が決まったものが再開された例はなかったという指摘。もう一つは、これからの問題として河村たかし名古屋市長への批判を強める、文化庁の交付金中止問題だとしたが、主催者というより個人的な問題意識かなと思った。
   次に共同代表の一人磯貝治良さん(在日コリアン文学作家)の基調的な報告も個人的な問題意識が織り込まれていたが、こんな話だったと思う。
   「表現の不自由展・その後」の中止の背景(事件)それは、自らの問題だ。「表現の自由」「民族主義」などは、現在直面している社会状況にヒットした事件といえる。「平和の少女像」等の造形表現は、文章表現する作家として文学も同じ立ち位置にあると受け止めた。
   次に今回の事件で大江健三郎の、1960年10月に日比谷公会堂で演説していた浅沼稲次郎社会党委員長が右翼少年によって刺殺されたが、小説「政治少年死す」は、その17歳の山口二矢(おとや)少年をモデルにした小説だった。それに対して右翼団体などから激しい抗議を受け、『文學界』編集部は3月号で異例の大きさでお詫び。そして「政治少年死す」の単行本化は封印された、それを想起させた。
   浅沼事件では、「一人一殺」といった右翼思想のテロリストの犯行であったが、昨今の草の根での右翼的なものは、マネゴトみたいなもので、その軽挙な言動は厄介な存在といえる。今回は「在特会」が中心だったようだが。
   昭和天皇をモチーフにした作品も攻撃の対象に発展していったが、「朝鮮ヘイト」へも発展していくだろう。
           ◇
   後半は、7つのグループに分かれて「ワークショップ」形式で、主として3つのテーマで意見を出し合った。
   1)「表現の不自由展・その後」が中止になって、何を思いましたか、何が問題でしたか。
   2)その問題は今、解決されましたか。
   3)今後、中止→再開を受けて何をすべきでしょうか。
   4)その他。
 最初に書いたように私は、中止→再開に向けた活動に参加してこなかった。さらに“後付け”のような意見も憚られたので、意見も短めであった。グループ7人の意見、発表された50人近い人の意見などをまとめることはできないので、私の意見の主旨を記すと、1)中止に至る手続きが(密室で)不明であった。しかも権力的な対応を感じた。直感的には「アベ政治の流れ」の中の事件だと感じた。2)むしろこれからが問題であろう。(なぜこんな事態になったかのさらなる検証、この事件が同じように連鎖していく危惧において)3)日本の政治全体がアブナイ!「表現の不自由展・その後」は、その一つであり、アブナイきっかけとなった。問題の核心部分を広くとらえ、個別の問題については鋭く追及していくことが求められる。4)全体として「野党」の追求が鈍かったように思う。なんでだろう。そして河村市長の言動は許しがたい、止めてもらいたいと思うが、そのことを今採り上げるつもりはない。問題を希薄にして拡散してしまうからだ。2021年は選挙では考えたい。
 なおグループごとのまとめの発表はあったが、全体としての総括内容はまとめられなかった(できないだろう)。後日発表されるかどうかも不明。それぞれでまとめるということであろう。また「県民の会」を存続させ、共同代表2人、事務局10人程度でこの運動を継続していくことが確認された。

 

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2019年11月 1日 (金)

最高の人生の見つけ方

 第13回シネマ緑の映画鑑賞会
 10月例会が、月をまたいでしまったが、シネマ散歩緑の会の第13回映画鑑賞会「最高の人生の見つけ方」に7人の参加で行われた。
 内容は省くが鑑賞後の懇親会で感想などを聞いた、といってもいつもの通り一人を除いてほとんどあまり語りたがらない。まして感想などを投稿してほしいといっても、首を縦に振る人はいない。もっともこの会は、映画を観て何がしかの学習とか教育的なものを得ようとする主旨で開催しているわけではないので、そうした雰囲気を気にしているわけではない。
 “・・・それで、みなさんは、死ぬまでやってみたいことは?”と改めて投げかけてみたが、これも反応なし。多分、だからといって何も考えていない、とは思えない。映画のようにふんだんにお金が使えて、やりたいこと、行きたいところ、食べたい物などができるはずもないから、せめて普段の生活の中から、ちょっと非日常的な時間を持ちたい、それが旅行であり、親しい友人と食事をすることであるかもしれない。言葉にしてそれをどこまで追い求める努力をしているのか、単なる願望なのと見透かされて問い返されるのもいやであろう。
   また例えば、孫の無事な成長、成人した姿(結婚)を見届けたい、人の世話にならないで終末を迎えたいなど、自分自身を中心に考えることが少ないのかもしれない。そのようであっても今回のようにグループの中では話せないとしても、二人きりで向き合えばきっと何かを語ると思う。
   さて私はなんといったか。「東京に3年間“留学”したい。それは大学で学ぶということではなく、ほぼ毎日のようにある、巷の講演会・報告会、シンポジウムなどに参加しながら、さらに様々な文化に触れて(政治の中枢)東京で生活すること。」であると(以前にも触れた気がするが)。但し「それは60代半ばに思ったことであり、今となっては、“留学”の成果を形にするには遅すぎる、機会をなくした」とした。もっとも学ぶことに年齢は関係ない、その意志だけだ、と言われるけれども、私の中には、折角人さまから学んだものを自分の中にしまい込んでおくだけにはちょっと抵抗感があるのである。

 

 

 

 

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