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2019年10月10日 (木)

8割が働きたいって?

 勝手都合の安倍がまたまた・・・
 安倍首相の所信表明演説には、全文を読んでいないので「印象」だけで言うのであるが、正直なところ(複雑さを込めて)笑ってしまった。二つあった。「65歳を超えても8割が働きたいと願っている」という個所と「新しい時代の日本に求められるのは、多様性であります。みんなが横並び、画一的な社会システムの在り方を、根本から見直していく必要があります」というくだり。
 この読みときは毎日新聞10月10日に詳しいので省く。だが「65歳を超えても8割が働きたい」というのは、一部にはあるだろう。だがそれは働かざるを得ないという経済的理由、或いは家業を継承させて行くために、次代がいっぱしになるまで、といったようなこと、さらに「役員報酬」など高収入が当てにできる立場あればの話である。また仕事の「労働密度・軽重」とか「専門性、一般的労働」の違いにもよるだろう。
 1970年代ころだったと思う。当時の定年退職年齢は55歳で、定年延長を労働組合の方から求める、といったことがあった。その時の背景は詳しくは覚えていないが、高度成長に入ってマイホーム、マイカー、高等教育(大学への進学)の一般化などで家計は膨らんで、定年後まで月賦(ローン)が残るなどして、或いはまだ体力的に働けるということもあったであろうから、定年延長は歓迎された向きもあった。一方、造船労働者など体力的にきつい労働現場の人たちにとって、55歳定年は、過重労働からの解放であり、それの延長は命を縮ませかねないし「老後の楽しみ」を奪うものであるとし反対の声を上げていた。
 これはほんの一例であるが、事例としてはこんにちと大きな違いはないように思う。それにしても「8割」は、どこかからか都合のいい数字を見つけ出して、都合よくこうも白々しく使えたものだ。
 私は、この欄で前に書いたことがあるが、60歳の定年まで働いていたら、定年後の活動の継続は困難という自覚も理由の一つとして53歳、37年4か月勤務で自主退職した。加えて中学生の3年間、朝の新聞配達をしていたから、結局40年間即ち55歳定年まで賃労働相当だったと思っていたのだった。
 「多様性云々」は、まるで「言葉」に酔っているようで、空疎なうわごとを聞かされているみたいだった。

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