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2019年9月 1日 (日)

防災の日に、ふと思った

 教訓は生かされず、を教訓に
 先日、行きつけの理容室(とこやさん)での雑談、一つは1959年の「伊勢湾台風」のこと。ここの店主が被災地のど真ん中(名古屋市南区、柴田あたりの出身らしい)で遭遇、1階は水没し辛うじて2階に避難、流木があちこちの家にあたる音が消えやまなかったという話は生々しい、とは言っても60年も前の話。既に“思い出”話に近いが、教訓は身に沁みついていることだろう。
   次に話は水害の話になって、さらに地球温暖化で海面が上昇する、このままだと40年か50年先には海面が2から4メートル上昇するらしいという話になった。私が微かな記憶で“花井の交差点あたりで海抜4~5メートルくらいと聞いたことがある、とするここらあたりは10メートルくらいかなあ”といえば、そんな低いのかなと疑問を挟まれた。こちらもあいまいな記憶だから勘違いかもしれない、2階建ての家が約10メートルとして・・・そんなはずないよねえ。
   そこで調べてみた。名鉄鳴海駅が海抜2メートル、そこから坂道を上がったところが花井の交差点、2階建ての家の高さとちょっとくらいの高低差だから13~14メートル、どうやら4~5ではなく14~15メートルの海抜ということだった。さらに理容室のある場所の近くの新海池公園が28メートルとあった。わが家もそんなあたりになる。
   “ここら辺りまで水が来るということは、もう日本沈没だよね”とまだ冗談で言えている今である。
   夕方、新海池公園に散歩に出た。
   仮に大地震でこの公園の池が決壊したら、大量の水が28メートルの高さから家々を押し流しながら13メートルの緑市民病院方面か名鉄自動車学校まで達し、さらに花井交差点から旧東海道を横切り、浦里方面の2メートルほどであろう天白川流域の低地に流れ込むに違いない・・・。
 私たちの世代以上では、「伊勢湾台風」の記憶は忘れ難いが、1932年(T12)の関東大震災の記憶は歴史教科書か防災の手引きで知る程度ある。最近の水害を見ていても、被災地での教訓が生かされているとは思えない。“あれはあれ、ここは大丈夫”という思い込みに支配されがちなのかもしれない。
 何事にも安心、安全でありたいと思っていても、それに対する防御行動を起こしていないから、その自覚が“ここは大丈夫”という思い込みで“安心”させようとする心理が働いているのかもしれない。これも教訓としなければ。

 

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