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2019年5月11日 (土)

元福井地裁裁判長 樋口英明さん講演会

 原発の危険性、責任は?
 この日、二つの集会が重なっていた。「戦争をさせない1000人委員会あいち総会&講演会」と「樋口英明さん講演会&トーク」である。前者は「安倍政権にかわる新しい選択肢~改憲発議の阻止と参院選での躍進をめざして~」と題して山口二郎さん(法政大学法学部教授)が講演した。後者はいわば「脱原発集会」であり、私は後者の集会に参加した。
 まずタイトルに目がいく。「原発の危険性に向き合う裁判官の責任」って?裁判官は判決を言い渡した後、それがもたらした結果について責任を取ることがあるの?そもそも責任が取れるの?
 樋口英明さんは、福島原発事故後、初めて裁判所が原発の運転差し止めを命じた時の元福井地裁裁判長であり、2014年の関電大飯原発3、4号機に続いて高浜3,4号機の仮処分でも差止めを命じた。しかしその後、この仮処分は却下され、大飯本訴も控訴審で覆された。
 樋口さんは語った。“覆った判決が納得できるものであれば、それはまたそれでよし。だが原発の危険性そのものに切り込んでいない”“原発の稼働が危険であると判断して、差し止めの仮処分を出した。そうであれば、原発の危険性を広く伝えていく責任を感じた”と。加えて“若い人に何の責任もないが、これから先リスクを負わされる。原発の危険性を聞いて知ってしまった私たち(あなたたち)にも、危険性を広く伝える責任がある”と。
 これまでの「原発差し止め裁判」で認めた裁判は2例、認めなかった裁判は15例(2人対15人)であるという。
 最近の原発差止め裁判では不当な決定が続いている。いったい裁判官は何を考えているのだろう。まさか安倍内閣に忖度しているわけではないだろうが、そうした裁判官、裁判そのものへの不信感が募っている気がするが、その点についての質問が後半のトークで集中した。
 この点について樋口さんは、全ての裁判官とはいわないが、裁判官は自分の意思で判断している、圧力に屈する云々はないと明言された。裁判官全体の、もっと言えば司法の自立と裁判官の「矜持」を強調されたのだと思う。それは民主主義の骨格である「三権」の一つ、司法が揺らぐことがあってはならない、「不当な判決」が出たからといって、裁判そのものを忌避し、無用視することへの危うさをいったのだと思う。
 私は、裁判所・裁判官に不信感を持つ一人である。原告になったことはわずかだが、主体的に関わった裁判もあれば支援者の一人としてしばしば法廷に向かっていた時期は長くあった。けれども闘い(運動)が現場を離れて、密室的な裁判所で、膨大な時間を費やすことについていけなくなった。
 ある意味ではそれが“トラウマ”になっているのかもしれない。最近は殆どの公判の傍聴にもに参加していない。情報を受け取るたびに、“やっぱり、法廷を一杯にすることがその裁判の大きな支援となる”と思うのであるが、足が遠のいている。今日の集会で少しは揺り戻された気がするが、その時の状況次第かな。

 

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