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2019年4月 8日 (月)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(1)

全体的な総括(1) 結果と告示前まで
  はじめに

 総括の視点は「立憲民主党としての総括」と「小野澤美希の選挙運動」の二つがある。
 ここでは、党としての総括を織り込みながらも、主として小野澤候補の当選をめざした選挙運動について、「結果」から導き出される正反両面の総括を求め、次に活かされるものを獲得したい。
1、選挙の結果
  名古屋市緑区は、前回選挙で定員8人のところ1名減員となって7議席となり、9人が立候補し小野澤候補は、5,755票を獲得したものの、7位の当選者(佐橋亜子・共産6789票)に約1,100票届かず当選はならなかった。現職の牙城を突き崩すことができなかったといえる。そして元職の松本守さんに基盤(支持票)を引き継げなかったともいえる。
 また自民、減税※は、立民と同じく2名を擁立したが、得票で両者に大きな差がない"棲み分け"が成功したといえる。ほぼ同数の減税二人の得票に注目していいのではないか。一方の立民は、岡本候補がトップに百票ほどに迫る11,144票を得票した一方、小野澤はその半数ほどであり、簡単なことではないが、「足して2で割れば」減税の二人に迫り、越えていたかもしれない。ここに「党としての選挙戦略」の課題が残されたといえよう。
 もっとも共産の佐橋候補が最下位に沈んだことも留意する必要があろう。小野澤、佐橋両候補の政策に共通点があり、その政策が得票と関連があるかどうかの視点を外せないからである。<※「減税」は、河村たかし市長を代表とする地域政党で減税日本が正式名>
2、準備期間の問題
 統一地方選挙の実施は早くからわかっているから、とりわけ現職はその準備に怠りがない。2期目、3期目となれば知名度はある程度浸透しており、その支持基盤は少なくとも「コア」の部分では固められていたといよう。
 ということであれば「新人の立候補者」は、告示の1年前の立候補決定で現職と同時スタート、半年前でもまだギリギリ「射程内」といえるが「3か月前」では、タレントのような知名度抜群ならばともかく(タレントがいいという意味ではない)、かなりの「出遅れ(ハンディ)」を負ってのスタートといえる。市議選守山区の川口候補の例(1か月前の立候補)の例を見ればより明らかではないだろうか。
 しかし私はこの「出遅れ(ハンディ)」がむしろ危機感を持たせ、集中力を生み出すものであると捉えていたが、その評価は「定め難い」と思っている。徐々に増えていった支援者はみんな一生懸命であった。そのことと「運動評価」は同質ではないからだ。
3、選挙の基本スタイル
 次に一般的に選挙戦には「組織選挙」と「イメージ選挙」があるといわれている。自民、公明、共産は「組織選挙」であり、減税は河村市長をバックとした「イメージ選挙」に徹していたといえよう。では立憲民主党はどうか。例えば岡本康宏候補は3期の実績(知名度、後援会など)と労組支援で固める「組織選挙」プラス「立憲民主党」のイメージであったと思う。小野澤美希候補には出身母体の全面的なバックアップはあったが、「組織選挙」といえるには程遠い。「28歳、女性、車いすのおのざわ」「だれもが共に生きる街を」が、キャッチフレーズの一つであったが、これは「イメージ選挙」といえる。例えば減税の「議員歳費800万円」といった「シングルイシュー」を凌駕するには、他党も苦慮したであろうが、「歳費にふさわしい議員活動」を有権者に示すほかない。この点では新人の小野澤候補は突破しきれなかったし準備期間があまりに短かったといえるだろう。
 もう一つの捉え方は「政党主導型選挙」と「市民運動型選挙」がある。小野澤さんが「立憲民主党公認」として立候補したことは形の上では「政党主導型選挙」である。そこで問題は二つあった。一つは「立憲民主党公認」は、立憲民主党の「人気(支持)」があっての効用だ。だが結果的に立憲民主党の支持は、思ったほど高くはなかった、或いは国民民主党との関係に何か遠因でもあったのか、これは「党」としての分析を待ちたい。
 もう一つは、立ち上がり当初はともかく、守山、名東での新人立候補が急きょ決まって「近藤事務所のスタッフ」の支援が削がれた。それは小野澤陣営が自立してやっていけるとの判断があったからなのか、単なる「人的」な問題であったのか。また、近藤議員が県連代表ということで、第3区・緑区に張り付くことができなかった(選挙主導)ことも一因としてはあるだろう。
 市民運動との連携
 一方党としての全面的な支援体制が不十分であるなら、自力でやり切ることになるが、党派性が薄く課題に敏感で運動能力も高い「市民運動」との連携もあり得た。だがその“根回し”する時間も展望もなかったといえようか。
 党の公認を受けたときから市民運動との連携は、共産党との関係もあって円滑にいくとは思えないのであるが、個人的な支援は受けることはできたであろう。
 私が社民党、新社会党、緑の党の支援を提起し、尾張旭の市議、日進、豊明の無所属市会議員に支援を呼びかけたのはその意図からでもあった。続く

 

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