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2019年4月30日 (火)

C&Lリンクス愛知電子版36号

 ミニ詩集も放っておけない
 連休明けまで放っておくのもどうかなという気持ちが高ぶったので、昨日第36号に着手して、今日の23時を期して発信した。立憲民主党のホームページからの引用、転載の「ツネじい通信」、ブログの手直しなど、書下ろしはなかったので、2日で終えた。
 内容は、1)枝野代表の記者会見<2019年4月26日> 2)枝野幸男代表、全国13カ所での縦断遊説へ<5月3日~6日> 3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<4月19日~4月30日> 4)「ツネじい通信」 NO33「F35墜落」が物語る日米軍事の深淵 5)随想・18“「平成」の出来事二つを挙げれば” 6)シネマ散歩・緑の会の映画鑑賞会「グリーンブック」
 昨年の4月16日に「立憲パートナーズ」に登録して、「パートナー」として何をすべきか、が動機でこの「電子版」を始めた。この1年よくやったとは思うけれども、この「継続」がいつまで続くかはわからない。少なくとも参院選挙までは、材料も事欠かないと思うので「立憲民主党」中心の内容で発信してけると思っている。
   この間、地方選挙に明け暮れていたので、ライフワークといっていい「ミニ詩集」は手つかずのままだ。前号から3カ月が経つ。6月に同級生の作品展があるので、5月はこれに集中しないといけない。詩泉が枯渇しないように・・・。

 

 

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男の気持ち・生き方(161)

平成に“さようなら”はない
 どこかで誰かが“今日でお別れね、もう会えない・・・”なんて替え歌で歌うかもしれない。確かに「平成」が終われば、平成生まれの人が生年月日を聞かれたときに使うかもしれないが、それも西暦がもっと一般化すれば、さらに薄れていくだろう。
 戦争の時代ともいわれる「昭和」生まれの私ではあるが、戦争そのものは知らない。けれども「戦後史」には興味があって、「1億人の昭和史」(毎日新聞)「昭和史全記録」(同)「アルバム昭和15年史」(朝日新聞)「名古屋の昭和史」(樹林社)「日本全史」(講談社)などを買いそろえた時期があった。
 ということもあって元号そのものには愛着も機縁もほとんどないけれど、「私の歩んだ道」を見つめ続ける時、「昭和」は私の全盛期(45歳ころまで)でもあったので、元号とは関係ないとはいえ「昭和」はかなり刻まれていることに気づく。就職、夜間高校、結婚、持ち家、外国旅行と並行して様々な領域の地域活動に没入していたのも全て「昭和」であった。
 それに較べると「平成」の影は薄い。同じように「私の歩んだ道」を見つめてみてもどこにも「平成」は出てこない。「昭和」の延長にしか映らないし、ほぼすべて「西暦」で刻まれている。特に20世紀から21世となった「2000年」が一つの基点になっていて、阪神淡路大震災が起きたのは1995年(平成7年)で、その時私は腰痛で入院していた。1997年(同9年)に三菱自動車を退職し、あの病気をしたのは2001年(同13年)だった。2004年(同16年)に「自分史」を2007年(同19年)に詩集「坂」を出版した。2011年(同23年)の東北大地震・東電原発事故がしっかり刻み込まれ、2017年(同29年)に家の建て替え(終の棲家)をしたというように。
 ということで平成に“さようなら”という感情はない。今日が4月30日で明日が5月1日というだけである。とはいえ、「私の葬儀」の時に息子は「・・・昭和、平成、令和の三代を生きて・・・」なんて言うかもしれない。あとのことは全てお任せであるが、墓碑には「令和」と刻まれるのであろうか、これは何とかしたいと思うが、今それを伝えるべきか否かは“悩ましい問題”ではある。

 

 

 

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2019年4月29日 (月)

続・愛知3区・第13回立憲カフェ

 統一地方選挙を振り返って・2
 他に話題になったのはやはり「投票率の低さ」についてであった。これは関連資料が添付されていた。ある人の、当選したとしても30%台の投票率では信任されたとは言い難い、というまっとうな意見もあった。また期日前投票がどんどん増えて、これでは選挙そのものが形骸化しかねない、という意見もあった。実際、選挙事務所でも、選挙はがきの投函を従来の運動期間の後半から、期日前投票が多いからと告示日の直後に郵便局に持ち込んだのだった。
 次に参加者には、名東区、大府市からの候補者本人、稲沢市議会選挙を準備している人など、愛知3区外の人もいた。また、次の参院選挙に関連して「田島麻衣子さんはいい候補者だ」「国政では、即戦力の人を選んで候補者に」という発言もあった。
 最後に私の発言であるが、まず、視点として立憲民主党としてどうであったかと、選挙運動そのものがどうであったかを別に考えたい。緑区の場合、小野澤候補は落選したけれども得票数は、投票率、投票総数が前回より下がったにも関わらず、前任者(県議に転出した松本守)の票を1100票余り上回っていた。よく健闘した、善戦だった、といえるけれども選挙は当選してこそ。勝てなかった背景としては、立候補が遅かった、いわゆる落下傘候補で緑区に殆ど足場がなかった、「女性、若い、車いす(障がい者)」という立場からの訴えが、有権者が求めるものと合致していたかどうか、そして定員が一人減ったこともある。この議員定数削減案というものは、一般的に議員報酬と同じように受けがいいように思われがちだが考えものだ。定数を減らすということの現状は、自民党を利するだけ、一方で少数意見が葬られるということである。共産党が大きく議席を減らしたのは定数削減を受けてのことだった。
 立憲民主党(愛知県連)が出来て1年余り、党としてどこまで組織的な準備ができたのか・・・。ここは展開すると広くなるので、“課題ごとのプロジェクトチームをつくるなりの組織展開が必要ではないか”という趣旨だけを述べて終わった。
 私には市議選・緑区の小野澤選挙が勝てなかった事については、他にもっと大きな問題があったと思っているが、これを提起すべきどうか今でも大いに迷っている。次回の選挙に差し障りが出ないか、生産性のある議論になるか、言っただけの反映を私が受け止めきれるか、見通しがないからだ。
 参院選にどうかかわるか、何ができるか、まだ決めかねている。5月18日に「田島まいこ事務所 開所式」の案内もあったが、5月17日に上京する予定もあるので、今のところ保留状態である。

 

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2019年4月28日 (日)

愛知3区・第13回立憲カフェ

   統一地方選挙を振り返って・1
 立憲民主党愛知3区・近藤 昭一事務所主催の第13回立憲カフェが、今日の午後開かれ、区の内外から40人ほどが参加してそれぞれから、この選挙についてのかかわり、感想、意見、注文などを出し合った。
 主催者からは資料として天白・昭和・緑各区の県会、市会の選挙結果の一覧表と中日新聞の記事の切り抜きなどが配られた。そこには選挙を総括するというような「論点」は示されず、もっぱら参加者の意見、感想などを聞く場となった。
 最初に近藤昭一衆院議員から、立憲民主党としてこの選挙にどのように向き合い闘ったかの報告、説明があった。
 強調された点は、党としての「パリテ」「クォータ制」推進の立場から女性議員候補の擁立を進めて来たが、そこには単に女性議員を増やすだけでなく、女性議員を通して反映されるべき課題があるからであり、一つ一つの課題が深掘りされる時代でもある。またLGBTなど当事者の発言を時代も求めている、というようなことだったと思うが、その観点が地方選挙とどれほどの整合性を持っていたかどうかはよくわからなかった。
 また、近藤さんは冒頭で今回の選挙は「複雑であった」と述べたが、これまでの選挙スタイルというか、選挙運動の常道が必ずしも通用しない状況があちこちで見られた。例として東京豊島区、渋谷区の例が出されたが、要するにベテラン議員が支持基盤を固め、街頭に立って訴え、チラシをまき、電話掛けしたとしても、何の基盤も支援母体も持たない新人が、上位当選を果たしたこと。それは名古屋市議会選挙でも、減税の候補者は“選挙運動らしい選挙運動”をやらず、河村市長の応援テープを流すだけで、当選、票の上積みを果たした、これは何なのだろう。
 河村たかし市長率いる減税日本は、この選挙では「議員報酬1455万円は高すぎる、800万円に」一本槍だったようで、“庶民感覚”を掴んだということだろう。私には議員報酬の妥当な額というのはよくわからない。“1455万が高いといえば高いと言えるし、800万円では苦しかろうといえばそうだとも思う、要は議員としての活動次第だ”としか言えない。むしろ私は「政務活動費月額50万円、年間600万円」の方に目がいくのである。これは個人ではなく会派に支払われるとはいえ、こちらの方を精査したい気持ちだ。
 参加者全員の自己紹介とコメントが出されたが、あまりメモは残っていないので部分的でしかないが、全体としては「躍進」とまでは言えないので、“良かった”という発言は少なかったように思う。中には「アンケートを求めたのに、返事をくれなかった」「障がい者差別を平然と口にする人(候補者?)もいた」という発言もあって、これには、ちょっと驚いた。
 私が小野澤事務所に詰めていたとき、「リニア新幹線についてどう思うか」「高い供託金についてどう思うか」の質問状が届いて、小野澤候補と相談して回答した例が一つだけあったが、そのほかアンケートが届いていたかいないかの報告はなかった。 続く

 

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2019年4月27日 (土)

私の歩んだ道といま

 まあ、納得かな
 2006年に「自分史」を本にした時、巻末に「私の歩んだ道といま」という経歴を書き込んだこともあって、その後も主要な「私事」を書き加えてきた。ここしばらく放っておいたら4年分が空白になっていた。
 もうすぐ節目の75歳になるので、4年間の生活の記録をパソコンの保存枠から引き出して拾って書き加えた。どれもこれも記憶は確かで当時のことを忘れずにいて思い出すことができた。この「私事」と「ブログ」と「歴史年表」を重ねれば、「私の平成」はどんな道を歩んできたかはおおよそではあるがわかる。とはいってもそれは単なる「私事」に過ぎない。何かの役に立つというものでもない。これは「無駄」といえるかもしれないが、その価値判断は、何かの役に立つかどうかだけではない。まだ「先」があると思えば、気持ち・生き方と思考の「杖」になるだろう。
 この年表の最後に「現在」というのも付加してあるが、ここでは活動に関して「退任」とか「参加」というのもあって、改めて私の歩んだ道は「一本道」ではなく、時には曲がりくねり、脇道に入り、立ち止まっているかのような(逡巡、申吟)な様子が垣間見える気がした。納得ではある。
 全体としてみれば、居住地-地域-全国というつながりは、以前よりは細くはなっているが切れていない。それは私のこだわりみたいなもので、この流れは絶やさないようにしたいと思っている。ただそれを「私事」だけに終わらせないことも大事かな、何ができるかな、そのようにも思っている。

 

 

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2019年4月26日 (金)

「結」第17号が届く

 惜しまれる「トヨタ研究」者の死去
 ついつい何度も、何度も書いてしまうのだが、「運動」と名のついたものに本格的に参加したのが1967年ころ。それは企業内労働組合活動であったが、目も足も「外」に向いていて、「70年安保・沖縄返還」「ベトナム反戦」「三里塚闘争」などに関心を抱いていた。
 1997年に退職してからは、それまでの「労働運動感覚」が急速に薄れていき随分焦った。“現場を持たない労働運動はだめだ”という意識が高まったが、「オルグ」になり切る基盤も環境もなくて、せめてもとの思いから2000年に「C&Lリンクス愛知」を編んで発信した。そして2008年「全トヨタ労働組合をサポートする市民の会」結成に参加し、支援という形ではあるが、地域労働運動にかかわっていた。
 それほど時間は経っていないと思うのだが、「全トヨタ労働組合をサポートする市民の会」の後継組織である「ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)」の活動誌が「結」であり、今ではこの会の一会員というか「読者」というレベルのかかわりになってしまった。
 手にした第17号の目次を見て、執筆者7人のうち3人は私が役員を降りてから参加したメンバーであった。核になる人は不動で新しいメンバーが加わっていくことでこの組織は維持されているといえるだろう。
 記事の中に追悼を書かれたものがあった。杉山 直さん(三重短大准教授)と寺間誠治さん(前京都総評・全労連役員)のお二人であるが、杉山さんは「トヨタ研究」の第1人者といえる猿田正機さん(前中京大教授)と共にあった、将来を嘱望された若手の研究者であり、CGSU、地域ユニオンにも加わって、運営会議にも参加する現場主義の研究者であった。59歳での死去は、「トヨタ研究」がいよいよ佳境に入って、なにがしかの「集大成」が形になろうとした(個人的感想)この時期、いかにも惜しい「若い」死であった。

 

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2019年4月25日 (木)

男の気持ち・生き方(160)

 2流の調理人にもなれず
   今日の夕食の献立は「筑前煮」にした。昆布と鰹節で出汁をとっておき、里芋、蓮根、ゴボウ、ニンジン、さやえんどうの野菜類にこんにゃく、厚揚げ、ちくわそしてかしわ(鶏肉)を用意し、下ごしらえをした。生シイタケを買い忘れた。代わりに手元にあったマイタケを使うことにしたが、調理の段階で入れ忘れた。
 しょうゆ、みりん、酒で味付けをしたが、どうもいい味が出てこない。何か足りないのかな、手順を間違えたかな、元々レシピを見ての調理でなく、いわば真似事の「我流」であるから、いい味付けはできないのも無理はない、と思いつつ、やはり干しシイタケを入れるべきだったかな、かしわ(鶏肉)の味が出ていないなあ、と思案しながら、煮詰めていくと、何とかそれらしき味となって仕上がった。
 料理にしてもあるいはスポーツにしても、「素材」から選ばなくてはならないが、天然、天性の好素材に恵まれれば、一段とおいしく仕上がるのであろうが、だからといって素材そのものが美味を決定付けるとは限らない。「調理」「育成」次第、つまり調理人、指導者の才覚、力量によるのだろうと思う。
 ぐつぐつと“ごった煮”の鍋を見ていると、なんだかいま自分が関わっている世界を見ているようで、私自身はテーブル(議会)の華となる料理の一部(議員)ではなく、調理場の料理長、板長に仕える身でしかないが、私なりに「味付け」がしたい、そんな位置にいるようにも思えるのだった。
 多分私自身が、もっと料理人としてしっかり自覚してその道に邁進していれば、その世界の片隅に身を置くことができたであろうが「一意専心」とはいかなかった。今となっては、それも「私の人生」だったというほかない。

 

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2019年4月24日 (水)

男の気持ち・生き方(159)

   本川浅間社が移転された
 名古屋市緑区の、名鉄(名古屋鉄道)本線の「鳴海駅」は、2005年から始まった鉄道高架化工事が2016年の秋ころに終わって、3層構造の2面4線の高架駅となった。この工事と併せて駅周辺の都市開発事業(名古屋都市計画事業鳴海駅前第2種市街地再開発事業)も進められた。駅を中心にA~Dの4ブロックに分けられ、南側の店舗付き(D)の高層住宅を中心としたCとDブロックは完成した。
 Bブロックには、わが生家もあったが「浅間神社(本川浅間社)」があって、いずれ移転されることとなっていた。
 後日、タウン紙で知ったのであるが、去る3月20日に150メートルほど東に移築された新本殿で「遷座式」が行われたとのこと。「遷座式」とは、祭神である木花開耶媛(このはなさくやひめ)を新本殿に遷御する神事のことだという。
 私はこの近くで生まれ20数年過ごし、この地から離れたことがないから、もし私の中に「ふるさと」といえるものがあって、思い出の風景(郷愁)といえば、変遷してきた鳴海駅、幼少時の遊び場だったこの浅間神社、その前を流れる「扇川」だろうと思う。
 それもあって移転された浅間神社を見て、カメラに収めるために足を運んだ。
 本殿は真新しい一方、鳥居、狛犬、手水舎は新しいが水盤(石造)はそのまま移設され、これもかなり古い扇川にかかる「旧浅間橋」の石造の欄干一対もライトがつけられ設置されていた。
 本殿内部は、堅い網戸越しでしか見えないが、神棚、本川町の猩々、もう一つは何かな、かつての境内にあった松の巨木が「神木」とされていたから、その一片であろうか、注連縄が掛けてあった。ご神体は御簾(みす)の奥にあるらしい。
 かつてのような広い境内はなく、生い茂っていた楠二本も移植されなかったので、「神社」らしさは感じられなかった。もう一つ気になったのは「本殿の向き」であった。以前はほぼ北向きであったが、移転した本殿は、どちらかといえば西向き、仏教なら「西方浄土」かもしれないが。移転された土地の形状によるものかもしれないが、何か理由でもあるのだろうか。
 7月の茅の輪くぐり、秋まつり、神事、出店、正月明けの餅焼・・・思い出話を書くのはもう少し先にしよう。

 

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2019年4月23日 (火)

「平成」の出来事二つを挙げれば

   オウム真理教事件と福島原発事故
 間もなく「平成」が終わろうとしていて、報道各社も様々な企画を進めている。例えば毎日新聞は「平成の号外」を特集して、28の号外の一面を掲載した。政治、経済、社会、国際、スポーツ、科学などに亘っているが、その中から私が選んだのは、一つは1995(平成7)年の地下鉄サリン事件で明らかとなった一連の「オウム真理教事件」である。
   その理由は、「平成」は戦争のなかった平和な時代だったといわれているが、それは「平穏無事」のくらしを享受していた時代でもあった。そんな時私(たち)が知らないところで「オウム真理教」の企みが深く静かに、どす黒く進行していたことに驚愕した。やくざ、極道、暴力団、この世界を「裏社会」というが、「オウム真理教」は、表の顔を持った「地下組織」ではなかったろうか。
   このことから連想したのが「裏社会」と「地下組織」を併せ持った「軍国主義復活」を目論む勢力(右翼)の存在だった。これらは「暴発」しないで、日本の社会にじわじわ浸潤しているように思えて不気味でさえある。
   もう一つは、やはり2011(平成23)年3月の「東日本大震災・東電福島第1原発事故」である。いまさらに日本列島が、地震、津波、噴火、台風・豪雨・洪水の「自然災害列島」であることを改めて気付かせた。
   「日本(国民)の安全保障」とは、外国との関係だけではなく、この日本列島を「災害」から守る、被害を最小限の抑えるということ。この二つが双璧となっていなければならない。もっと言えば、防衛費を縮小して防災、減災に国力を注入すべきであろう。
 東京電力福島第1原発の事故は改めて言うまでもないが、これは単に「震災」ではなく、明らかに「人災」でもあり「震人災」と呼ぶのが正答である。「原子力の平和利用」「低コストエネルギー」「原発は安全」「資源のない日本に欠かせない」等々、今にして思えばこれらは「神話」に近いものだった。「神話」みたいにいうものだから未だに「神話」の世界から抜け出せない人が多くいる。特に政治家、経済人には困ったものだ。「脱原発」「原発ゼロ」は「神話」ではない。「暮らしの安全」を保障するものの一つなのだ。
   だれもが、「平和」を求めてやまないのに、「暮らしの中」に、それへの不断の努力をどれほどしてきたのか。私の中にもある注意、警戒、考察の至らなさを痛感せざるを得ない。「平成」は「平静」のようで実は、次代への警鐘をたくさん例示した時代と言えようか。

 

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2019年4月22日 (月)

C&Lリンクス愛知電子版・第35号

   地方選挙・愛知と沖縄3区補選
 4月に入って4号目(4月12日、16日、19日、22日)のC&Lリンクス愛知電子版の第35号を発信した。こうして書く材料(引用)があれば、それ程難しい作業ではないが、思考を重ねなければならない記事はそうはいかない。
 今号は以下の内容となっている。2019年4月22日発行。1)地方選挙結果<豊田、日進、他>、2)屋良朝博さん当選!沖縄3区補選<記事:琉球新報、朝日、毎日>、3)「ツネじい通信」 NO32、4)あとがき。
   あとがきでは、●統一地方選挙2019はひとまず終わった。立候補者にとっての「当落」の結果は大きいに違いないが、「政治・社会活動」「地方・地域活動」に終わりはないから、当落に関わらず新たな気持ちで進めてもらいたい。応援した側もその気持ちでは変わることはない●市議選の開票結果を見て思ったことは、例えば一宮市については書いたが、豊橋市に立憲民主党の候補者が一人もいないのには驚かされる。ひょっとして「無所属」での立候補だったかもしれないが、「公認」候補がいないことは確かだ。総じて三河が弱い表れなのであるが、4年に一度の選挙であるならば、この機を逃さず擁立するのが正道であろう。問題は落選した時の生活保障だ。ここで思考停止となる。この閉鎖扉を開ける手立てはないものか●高齢者の当選が話題になっているが、「未来は若者のもの」という考えからすれば、話題だけに留めてほしいと思う。では「高齢者は何をすべきか」を考えると“まだ若いもんに負けんぞ”と思う一方、“先に口出すな、問われたら丁寧に答えよ”ではどうか、問う若者がいれば、の話ではあるが●改めて「衆院補選 自民2敗 安倍政権に痛手」「二階幹事長、残念な結果」という新聞の見出し(毎日)を見れば、久しぶりに留飲を下げた気持ちになるが、野球で言えば3回の表くらいに三振2つをとった程度で、中盤(参院選)でリードを広げて、試合の流れ(世論)を引き寄せねばならない・・・(後略)
   文字通り一段落ついた。ふと「10連休か・・・」とため息。生業を持たないから「連休」の感覚が持てない。半年間ほったらかしの小庭の手入れでもするかなあ。

 

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2019年4月21日 (日)

後期高齢者医療保険証が証届く

  気の抜けた時間に思ったこと
  今日は、市長選挙、市議会選挙の投票日であるが、どなたの選挙にも足を運ぶことがなかったので、なんとなく気持ちの高ぶりが少ない気がしている。お付き合いのある候補者には、知人、友人の名簿を以前に渡してあったので、それは使ってもらえただろうけれども、電話掛けの後押しまでしていない。
 小野澤選挙の「私的総括」を終えたところに、「後期高齢者医療保険証」が届いた。生年月の1か月前だからだが、ついに来たか『召集令状』が、と思わないでもない。どこに召されるかといえば「来世」ではあるが、今のところは来世の「入門許可証」みたいなものだ。これを受け取らずに鬼籍に入った同級生もいるのだから、とりあえず、ありがたく頂戴しておきたい。
 思えば60歳前後からの10年余りは、人生の疲れのせいか、生業についていなかったこともあってか病院通いが多かった。ここ最近は内科へ3か月、眼科と歯科は6カ月に1回の通院に減った。あとは時々抗ヒスタミン剤の処方箋を受け取りに行く程度。「花粉症」の処方もその中で受けている。
 この保険証の裏には、臓器提供に関する意思表示する欄がある。3択であるが私は、臓器を提供しません、にマル印をつけた。これは「臓器の提供を受けない」の裏返しでもあるのだが、特にその説明をつけようとは思わない。
 ということで少々気の抜けた時間をこんなことに費やした。
 C&Lリンクス愛知の紙版第88号が次の仕事であるが、構想がまとまらない。今日の選挙結果をみてから考えても遅くはないだろう。連休前に仕上げたい。

 

 

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2019年4月20日 (土)

衆院沖縄3区補選を勝ち抜いて次へ

安倍政権打倒、辺野古新基地断念の水路を
 統一地方選挙にかかりきりで、その総括に熱を挙げて沖縄のことを忘れていたのか、と言われても返す言葉がないが、21日の一連の選挙の投開票の結果ではやはり、衆議院補欠選挙沖縄3区(沖縄市、うるま市、名護市、国頭郡区)のことは気にかけている。
 革新・屋良朝博氏と自民・島尻安伊子氏の一騎打ちとなっているが、「ヤラともひろ」候補は、「海兵隊は今後小さな部隊になります。なのになぜ新基地が必要なのでしょうか」と。新基地不必要があたりまえだと訴えた。そして「これまでの沖縄振興策に加え、若者たちを対象に人材を育成する新たな振興策が必要なのです」とも訴えているという。
   故翁長雄志知事の遺志を引き継ぎ、沖縄県知事選で圧勝した玉城デニー知事、「オール沖縄」の支援を受けるそんな屋良候補を落とすわけにはいかない。
 それは同時に、辺野古新基地建設を断念させ、参院選で与党の過半数割れをもって安倍内閣を退陣に追い込む水路にもなり得る。とはいえ軽々しく沖縄3区補選を安倍内閣打倒に結び付けるのは、「本土の論理」と言われかねないだろう。沖縄が置かれている現状は、補選の結果一つで変化するというものではない。翁長雄志知事、玉城デニー知事、県民投票に続く「沖縄の意思表示」であって、安倍内閣の打倒、地位協定の改定、辺野古新基地建設断念は、「本土」の力をもって切り開くことが大前提であるからだ。
 とはい私には知人一人もいないのでは電話すら掛けられず、カンパも送らず仕舞いであった。「屋良当選!」の吉報を祈るばかりである。

 

 

 

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2019年4月19日 (金)

C&Lリンクス愛知電子版・第34号

  小野澤選挙の私的総括を終える
   統一地方選挙後半の市議会議員選挙の投開票日は21日である。私が注目している候補者がいて、それについて投票日前に何らかのコメントをしたいと思い、小野澤選挙の私的総括と共に、第34号の発信を急いだ。
 何とか「あとがき」を書き込んで終えたのが午前1時過ぎ。午前中に見直しをして発信を済ませた。内容は1)地方議会議員選挙にも注目!ピースサイクルで支援を戴いた議員、他、2)小野澤美希選挙を振り返る(2)、私的総括・街宣活動篇、3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報、<4月7日~4月18日>、4)「ツネじい通信」 NO31、5)選挙運動で見た風景(3)、6)あとがき、であった。
 あとがきでは、●小野澤選挙の私的総括はブログに掲載しているが、書く場所を変えるごとに加筆修正している。ここでのものが最終稿である●趣味とは違って政治・社会問題などにかかわった場合、その課題はエンドレスであるから、個人的にも「引退」などというものはないといえる。そこまで、というものがあるとすれば「運動の継承」の仕事かもしれない。それもどこまでがエンドなのかは判然としない●私がこの頃口にする「引退」とは、政治的、社会的運動の第1線に立たない、企画、運営会議には控えめ。新たな課題には慎重に対処する、時間的割合を減らしていくなどである●それでも現世に絶望し、退嬰的な心境にならない限り、好奇心が大きく薄れない限り、全く別世界に入り込まない限り、そして思考することすらできない病床に臥せない限り、私の生き方は今とそんなに大きくは変わらないだろうと思っている(変えたいという好奇心は消えないが)●そのようにしながらも、この「項」を終え、次の仕事を構想し始めてはいる。と書いた。
   書いてみて、気持ちが微妙に揺れ動いている気がしているが、それは“正常”なのだろうとも思っているのである。

 

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2019年4月18日 (木)

立憲パートナーとして1年

 この国のゆくえ、「党」に寄与とは
   去る4月16日は、私が「立憲パートナーズ」に登録した日から1年である。
 1年前のその日録は「今日から『立憲パートナーズ』の受付が始まったので、とりあえずインターネットから申し込みをした。機関紙購読と寄付も申し込んだ。『とりあえずパートナーズを申請するが、状況によって党員も考慮。その案内は見当たらず、どんな手続きが必要か』というコメントもつけた。」と書いていた。
 登録したその“覚悟”は、「市民運動の会員と違って、政党の党員は、党の綱領・政策に全面的に賛同し、見識を持つこと。党の企画・行動に可能な限り参加し、鼓舞すること。党勢拡大に寄与すること」と規定した。それまでの「無党派市民」意識からの大転換であった。しかし一方で「原則は原則として、役職者でなければ『個人の事情』もかなり許容されると思うし、自縄自縛に陥ることなく、自由闊達でいいのではないかとは思う。」とも書いている。
 この間「C&Lリンクス愛知電子版」を発信して、4月16日発行が33号で月刊3号というペースであった。また地方選挙で名古屋市議会選挙・緑区の小野澤選挙に「立憲パートナー」として全面的にかかわった。党主催の企画にはほぼ皆勤だったと思う。このように「立憲パートナー」としての務めの自己評価は「及第点」とした。
 一方自己評価を高めにすればするほど、「党」に向けた評価は厳しくなりがち。ふと“不満”が漏れる自分を自覚する。言うべきことは言う、はいいとしても“不満”を並べるだけでは意味がない。2年目に入って、どのようなことがこの国のゆくえを考え「党」に寄与できるのか。それ下敷きにしてブログも書き続けたいと思っている。

 

 

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2019年4月17日 (水)

C&Lリンクス愛知電子版・第33号

   初の女性首長なるか、日進市長選挙
 ブログでは小野澤選挙の私的総括は終わっている。しかしブログの訪問者は20人前後だから、少し手を加えてはいるが、同じものをC&Lリンクス愛知電子版の記事にして発信している。
 とはいっても、全く同じものだけの引き写しでは芸がないので、新たな記事も書き下ろす。第33号では、1)注目しています!日進市長選挙、2)小野澤選挙を振り返る(1)、私的総括・全体篇、3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<4月1日~4月6日>、4)「ツネじい通信」 NO30、5)選挙運動で見た風景(2)となっている。
 日進市長選挙では、ピースサイクル運動でお世話になっていることもあるが、やはりこの東海地方(愛知、岐阜、三重)で初の女性市長が誕生するかどうかに私は注目しているのである。それについては、ブログで以下のように書いた。
  ~4月14日に告示された「日進市長選挙」は、現市長の萩野幸三氏が今期限りで引退し、任期満了(2019年7月24日)を待たず辞職したので、市議選と同日選となった。届け出たのは新人の二人である。
一人は自民党・公明党が推薦する同市議会議長だった無所属の近藤裕貴氏(49)で、ステーキのチェーン店あさくま社長などを経て2007年から市議を務めた。
  もう一人は島村紀代美さん(56)で、「無党派、市民派」の島村さんは小学校教諭などを経て2007年に市議に初当選し、市議3期を務めた。毎日新聞の取材に対し、教育と福祉を支える専門家の充実した配置や待機児童の解消、高齢者の移動支援などに取り組むとし、「20億円以上かかる道の駅計画は凍結する」と述べたという。
 日進市は、愛知県のほぼ中央部である尾張と三河の境に位置し、西は名古屋市名東区、天白区、東は豊田市・みよし市、南は東郷町、北は長久手市にそれぞれ隣接する9万人余の「ベッドタウン」の街である。そして人口急増都市で、全国で2番目ともいわれる。そのような新市街地の広がる日進市の市議会は20人中8人が女性議員であり(2018年12月現在)、東海地区で初めての「女性市長誕生か」と注目もされているのである。
 2007年の市長選挙では、佐護市長の後継者として立候補した白井えりこ市議が萩野氏に62票差(萩野:13,699票、白井:13,637票)で惜敗した経緯もあり、いわばそのリベンジでもあると私は見ている。
 加えてやはり先の尾張旭市長選挙でも大島もえさんが挑戦したが、「女性市長」の誕生を大いに期待しているのである。~
 と言いつつも、実際に応援に行けないので辛いものがある。ぜひ勝ち抜いてほしいと祈るばかりである。

 

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2019年4月16日 (火)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(6)

  街宣活動の総括(3)
街宣車運行で気がついたこと
1)今回は日程的に無理であったが、主要なコース、スポットの事前調査(下調べ)は欠かせない。また地域事情の情報を持ち寄り、より効果的なコース取り、スポットの決定と時間帯を決めていきたいものだ。それにはなんといってもこの緑区在住の永い人、政治に関心のある人の参集が必要である。
2)街宣車の運行計画の変更は、寄せられた情報などによりあり得るが、事前の調査、計画を活かすためにも出来れば最小限にするか避けたいものだ。著名人、党幹部の来援を要請した場合、どうしても「ゲスト」の都合に合わせることになるが、運行計画をできるだけ維持したいとするなら、少なくとも告示の1週間前までに「ゲスト」のスケジュールを固めたいものだ。今回のゲストは、近藤昭一衆院議員、山口二郎法大教授、斉藤えりさんの3人だった。
3)候補者の小野澤さんは、政治的な活動経験はほとんどなかったと聞いていた。地方議会選挙で「国政」の問題が前面に出でることは稀でしかないが、地方の政策課題が国政と繋がっていることを考えれば、公認を得ている立憲民主党の政策と重ねた展望を語ってみても良かったと思っている。具体的な表現(フレーズなど)は難しいものがあるが、そうしたものをもって選挙に臨みたいものだ。
4)「立憲民主党」という  「カンバン」にあまり風が吹かなかったようだが、これは「党」として大いに総括してもらいたい課題だ。これについてはかなり前から県連の組織体制の整備が遅れていると指摘してきたのだが、地方選挙後、参院選を前に議論を進めるとのことだった。国民民主党との関係、党の人的な支持基盤の薄さもあって難しいところもあると思うが。
5)県議として8期32年を務め今回勇退した中村友美県議は、後継の松本守候補の応援に注力するとともに、小野澤候補のバックアップにも尽力した。その実績から緑区の事情に最も通じている立場であったから、岡本、小野澤両候補を当選させる「戦略」を描いていたとも考えられるので、いつか機会があれば「後日談」として聞いてみたいものだ。
6)他党、他候補の実体は知らないが、小野澤選対主催の「個人演説会」は開かれなかった。だが3月31日に県議選・松本選対主催の個人演説会があった。その時小野澤候補は岡本市議候補と共に立憲民主党・緑区の3候補の一人としてとして並び立った。同じ党の公認候補であっても選挙では競合相手に違いないが、私から見れば、全員当選で党勢拡大こそが選挙で闘う意味であるから、こうした企画は大賛成である。
もっとも昔ほど「どぶ板」「戸別訪問」などの選挙運動はやられていないかもしれないから、小規模の「個人演説会」は採用されない時代かもしれない。けれども小野澤さんが次回をめざし「市民運動」的な広がりを求めていくとしたら、「小グループのつどい」を頻繁に開いていくことが欠かせないだろう。それがあれば選挙期間中の「個人演説会」の設定も、そんなに難しくないと思うのだが。
6)その他では、①街宣車からのスピーチの「一覧表」が用意された。できれば事前に内容、長さなどの検討をして事前に練習なり、確認なりをして送り出せればよかったが、その時間がなかったようだ。②ウグイスもナビも地域事情の情報を持っていた方がいいから、これも事前に練習なり、確認なりをして送り出せればよかった。③それにしても緑区はいかにも広いと改めて感じた。開発された新住宅地などで有権者も市内最高であるが、「人通り」が少ない、盛り場がないなど「街宣活動」も時代に即した在り方が必要なのか、旧態のままでも徹底すればいいのか判断しかねた。
 
 「私的な総括」は以上であるが、私自身のことに限って言えば、元々「岡本康宏候補」の側にいたこともあって、小野澤選対入りは想定していなかった。あくまで「立憲パートナー」としての党の要請に従ったのである。しかも小野澤選対の立ち上がりに関与することもなかったので「助っ人」意識があった。それは選挙の戦略、戦術に係ることが少ない、積極的ではないということでもあった。また年齢的な自覚もあって「あまり口出ししない」のもこの選挙に臨んだ姿勢の一つであった。
 こうして総括らしいものを書き綴ったが、私的には「4年後はない」と断言しているので、この一文は私からの、小野澤美希候補と荻野事務局長への「置手紙」である。完

 

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2019年4月15日 (月)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(5)

街宣活動の総括(2)
街宣車を走らせる
  街頭宣伝活動は、街宣車を走らせながら、有権者に名前を憶えて戴きと政策の一端を知ってもらうことで、支持につなげていく方法がその一つ。これは街宣の全時間の中で最も多いと思われるので、いろいろ工夫もしてみたい。
 まず車速は、交通量の多いメイン道路でも20キロ~30キロ以下で左寄せ走行。住宅街では10キロ程度が適当ではないか。メイン道路での走行中は「市議会選挙には、おのざわみき、おのざわみき、立憲民主党のおのざわみきをよろしくお願いします(15秒以内)」の「3連呼」が一つのパターンだったと思う。政策のフレーズが入っても一つくらいだろう。
  むしろ信号待ちの時、バス停に人がいる時、店舗でお客さんを見かけたときなどは「立憲民主党のおのざわみきです、に加えて政策を2つ3つ言って、おのざわみきをよろしく」といったような「ショートスピーチ」が採り入れられた。
 一方住宅街では、ゆっくり車を走らせ、スピーカーからの声はある程度の先まで届くので、主要な政策フレーズを織り込むことができた。住宅街に公園などがあって、住宅とある程度の距離がとれる場所では停車して、応援弁士も交えて一人3分程度、10分以内のスピーチは有効と思われた。この時は、男女の組み合わせ、地方自治と国政の問題を織り交ぜてもいいのではないかと思った。なお季節柄窓は閉め切ってあるので音量は夏ほど気にしなよかったが、「赤子」の午睡の時間帯などでは音量と滞在時間に配慮したい。
ポイントでの街宣
 ターミナル、ショッピングセンター、交差点などでのポイント街宣(辻説法ともいった)は、のぼりなどの準備と撤収時間を入れて20分から30分の時間設定をした。その半分の時間が「候補者本人」のアピールであったが、さすがに少し長いと感じた。難しいかもしれないが、老若男女、地元からも交えた「ショートリレー・チアスピーチ(短い応援の言葉のリレー)」もあってもいいと思った。著名なゲストを迎えたときは、その30分前の周辺の街宣は欠かせないだろう。駅前の訴えはほとんどの場合、街宣車の乗り入れができないのでハンドマイク(トラメガ)が使用されたが、性能によって声が不明瞭或いは届く範囲が狭いなど、期待した効果が得られない場合もあったとみられ、改善の余地はあるだろう。
夜間の街宣
  通勤、通学帰りの有権者の帰宅時間が過ぎて、ターミナルなどでの街宣が終えたあとは、住宅街回りに入るのだが、この夜間の街宣のナビは、昼間の道路状況、建物の目標物が視界から消えがちになるので、運転者と呼吸を合わせることが難しくなる。そこで「カーナビ」を利用した運行が有効だ。私がナビしたときは、住宅地の入り口までガイドしてそこから先は、運転者の自主判断をお願いした。この方式は、出発する前に運転者と話し合い、おおよその場所を伝えておくことが大事だ。夜間は道路状況が分かりやすい団地などの集合住宅を選んだが、市営住宅では、域内道路に入れず、外周道路からの呼びかけだけとなった。
練り歩き
  標旗、ハンドマイク、のぼりを押し立てて住宅街などを歩く「練り歩き(通称は桃太郎歩き)」は、よく使われる方法の一つであるが人出があってこそ、だ。残念なことに緑区にそのような商店街、盛り場、神社・仏閣などは見当たらない。結局「練り歩き」は、最初と最後の選挙事務所近辺の町内あいさつの時を除いては「筆談ホステス」の著者で、東京北区議会議員の斉藤りえさんを迎えての「扇川緑道」での練り歩きと、4月5日の「野並交差点」だけであった。この方式の効果のほどは分かりかねるが、私としては、場所を選びながらではあるが、選挙運動の「見える化」として多用してもいいのではないかと思った。
 なおこの「練り歩き」は、「動員力」さえあれば、選挙運動に関係なく「政治活動」として「立憲民主党」の宣伝をして歩くこともできる。関連付けるものは「立憲民主党」とのぼり、それにピンクののぼりだけではあるが。

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2019年4月14日 (日)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(4)

  街宣活動の総括(1) 
  この選挙で私は、街宣車の運行計画を全面的に引き受けた。過去の市民主導型の選挙、例えば1999年の愛知県知事選挙では名古屋市内全域を、2003年の知事選挙でもお手伝いした。2009年だったか社民党の比例東海に立候補した(故)坂喜代子さんの名古屋市内街宣の一部を担ったことも。2016年の参院選前の「あいちキャラバン」では、名古屋市内に加えて他所の幾つかのキャラバンコースを設定した。
 それはそれとして「街宣活動の私的総括」をまとめた。あくまで私が参加し関わったところからの気がいた点に過ぎない。しかも立候補表明、事務所の確保そして「1、告示前の朝立ち、訪問活動、戸別ビラ入れ」が始まったのは2月の声を聞くころではなかったか。朝立ちは、近藤昭一衆院議員・事務所に支えられて始まったと思う。ハンドマイク(トラメガ)、のぼりとチラシが用意されたと思うが、わかりやすい「看板(政策スローガン)」も用意出来たらよかったと思う。(他の事例から)
 街宣車については、告示前の数か月間に用意されなかったのは惜しい気がした。3月に入ってからか、「政党カー」が動き出した。本番用の街宣車は、スピーカーの音量は十分でコードレスマイクの距離は十分とれ、住宅街での小回りの利く軽自動車が非常に効果的であることが分かった。この選挙では、候補者が(電動)車いすということで頻繁な乗降は避けるという方針が採られ、街宣車と候補者カーは別個であった。この方式は千種区の斎藤まこと選挙で実証済みとのことだった。課題として残ったのは、街宣ポイントで合流する間の候補者の「訪問活動」の密度(名簿)であったろうか。
 街宣車の「3、乗員の体制(シフト)」については、運転手、ナビゲーター、ウグイス2人の4人体制であるが、当初はその人集めに事務局長も苦労したようだ。「初挑戦で“落下傘候補”」でもあったからやむを得ないだろう。
 シフトは「日替わり3交代(午前、午後、夕方以降)かつ経験差」もあって、多少の混乱はあったが、結果的には円滑に運行できた。時々「経験を積ませる」ということで若い女性もマイクを握ることも。また「ウグイス」といわれる人のほとんどが女性であったが、私見としては、長めの街頭演説では、男女混合の方が、トーンが変わって効果的な場合もあると思っている。付け加えれば「立憲民主党」を軸とした「国政」との関連についてのアピールもあってよかったのではないだろうか。
 告示後の「4、街宣車の運行計画」作成にあたっては、①緑区を地域割り・学区割りして、まんべんなく街宣車を回す方式。②緑区全体を鳥瞰し、「ポイント」を決め、そこを中心に街宣車を回す方式があると考えていたが、おのざわ選対の街宣は、①の方式を採用した。知名度不足を区内全域で浸透させたい意図からだ。もっとも、ポイントも定めているから①②併用方式ともいえた。
 もう一つの街宣ポイントは、「旧市街地=保守的傾向」「新住宅地=新住民、若年世代」と分析し、「おのざわ選挙」の性格、特徴から「新住宅地」に主眼を置いた。そこで9日間を「鳴海西部と鳴海東部」で7日間、比較的旧住民が多いと思われる大高町、有松町を各1日とした。しかしそれは状況次第で変化し、必ずしも厳密なものではなかった。例えばJR大高駅の東側地域は、鳴海町に接する大高町地内であるが、「鳴海西部」の時にも街宣をし、厳密に境界線を引いたわけではなかった。
 二人を擁立した他党では、「地域割り」をしたであろうか。立憲民主党としては「地域割り」は採用しなかったし、なにがしかの「棲み分け」の話もなかった。恐らく前職の岡本候補はこれまで通りの選挙活動、小野澤は前職松本の地盤というか支持層を引き継ぐといったものではなかったろうか。ただそれがうまくいったかどうかは、票の分析でしかわからない。なお小野澤の街宣は、岡本の地元「左京山地区」の街宣は控えた。岡本も同じではなかったろうか。
 いわゆる「街宣ポイント」については、ターミナル、スーパーマーケット、ホームセンター、交差点、集合住宅、
店舗, その他・緑区役所のそれぞれをピックアップして、運行計画に組み入れた。問題は、どこへ行っても人の流れは少ない、特に平日の午後など。また街宣車の駐車場所に苦労した。そんな時、コードレスマイクは有効だった。

 ここまで見てきてつくづく思ったことは、緑区は広い、新しい住宅地が、どんどんできていた、スーパーマーケットは人の出入りは多いのであるが、道路と店舗の間に広い駐車場があって、来客と候補者が顔を合わせる機会がない。
 車は多く行き交うのであるが、人が歩いていない。季節柄(気温、花粉など)もあるかもしれないが、商店街が衰退し個別の小売店も減少しているから、人の出歩きが少ないのである。
 SNSを効果的に使うということもあるかもしれないが、地方議会選挙は、地域密着型の選挙であり、有権者との直接の出会いが少ないということは、「議会制民主主義」の在り方として問題であろうと思った。続く。

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2019年4月13日 (土)

C&Lリンクス愛知電子版・第32号

 名古屋市議選・小野澤選挙の結果
  前号の第31号の発行が3月23日。まさにその日以降の私は、名古屋市議選・小野澤美希さん(立憲民主党)の選挙応援に没入し、約3週間他事は全く手つかず状態であった。3年前の参院選に向けた19日間の「あいちキャラバン」以来の集中的な取り組みであった。まだ私にもエネルギーが残っていたというべきか。あるいは「立憲パートナー」という自覚がそうさせたともいえる。
 かなりの割合で「小野澤当選」を信じていたので、さすがに選挙が終わってすぐには、このミニコミ誌の執筆編集に取り掛かれなかった。選挙運動期間中に「選挙日誌」を書いていたこと。4月10日の小野澤選対の総括会議に向けた「私的総括」をまとめていたので、書く材料には事欠かないとは思っているが、ブログにアップするには幾分手直しが必要だ。
 第32号は、市議選の結果についてだけ書き、写真数枚入れ込んだ。
内容は、1)おのざわみきさん 惜 敗! 4・7名古屋市議選・緑区-おのざわみき候補届かず、手応えと基礎票と・・・2)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報<3月24日~3月30日> 3)「ツネじい通信」 NO29 4)選挙運動で見た風景(1)という内容で全5頁。
 それにしても「選挙運動で見た風景(1)」で少しばかり書いたが、緑区の「道路、町並み、店舗、川」の風景は、変わったというよりも「新しい町」が点在しているような感じであった。多分そんな町の一角におしゃれな、若い夫婦が集まる「カフェ」があるに違いない。車でしか移動できない地域なので、どの家にも2台程度の駐車スペースがあり、その周りは小気味よく植栽されている。
 実は街宣車からそんな風景を見ながら、この住民に寄り添う政策って何だろう、という気がしないでもなかった。「子育て支援」も有効だろうが、すきま風を通さない窓はぴしゃりと閉められ、それはまだ冷たい風を遮るためであろうが、政治、行政を隔てているようにも思えた。「議員」とはいったい何をすべきだろうか、選挙運動に入っているときにそんなことを取りとめもなく考えることもあった私だった。

 

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2019年4月12日 (金)

小野澤市議選の総括会議

「人のつながり」をつくり、捲土重来を期する

  過日の10日、小野澤選対の総括会議が開かれた。事務局(本部長・事務局長)から、どんな「総括文」が出てくるのか、候補者本人からも何らかのコメント文書が出るのかなと期待していたが、出されたものは選挙運動の取り組みの経過と内容(項目)及びもっぱら選挙結果の数字と得票の分析におかれていた。それに付加されて綴じられていたのは、私の文書だけであった。
 文書化することは楽なことではないが、少なくとも「総括の視点、課題」くらいの項目の提示は欲しかった。
 私の文書は、「全体篇」と担務の「街宣活動篇」に分け、全体篇では、はじめにに続いて1選挙の結果、2、準備期間の問題、3、選挙の基本スタイル・市民運動との連携、4、おのざわ選対の体制、5、告示前、6、おのざわみきの政策、7、選挙運動の9日間、8、チラシの内容、選挙ポスター、街宣車のデザイン、であったが、総括会議後に9、立憲民主党について、を追加した。以上ではあるがこの選挙運動9日間の「街宣活動」こそがメインになると思ったので別項として立てたのであった。
 「街宣活動篇」では、1、告示前の朝立ち、訪問活動、戸別ビラ入れ、2、軽自動車と音響設備はよかった。3、乗員の体制(シフト)、4、街宣車の運行計画、1)街宣車を効果的に回し切るには、次の方法があった。2)街宣ポイントを事前に抽出した。3)交代のための時間区分、4)街宣活動のポイント、5、街宣車運行で気がついたこと、①~⑪という項目を立てて記述した。
 さて総括会議では様々な人が意見を述べ、感想のようなものも多かったが、私が同感するもの「?」がつたものもあった。
 小野澤さんからは、①立憲民主党から二人が立候補したが、その“棲み分け”は難しいと感じた。②立憲民主党の課題について、③議員というものは、その活動によって地域に返していくことが大事だと思いました。④障がい者ではありますが、私から特にその当事者だとは言わなかった。障がい者としての権利とか義務もありましょうが、それは社会を変えていくことであろうと思います。⑤市民型の選挙、バックの無い選挙で勝てるかどうかはわからない。この選挙では若い人たちが関わってくれて楽しかった。⑥立ち寄りやすい事務所であったと感じていました。⑦次世代を担う一人としてこれを担っていくという自覚をもつ事が出来ました。ご支援、ご協力を感謝します、ありがとうございました、と結んだ。
 本人からは、次回もチャレンジするとの明快に言葉を聞いていないが、この「総括」というものは、とりあえずこの場では何がしかに取りまとめられたが、党としても、候補者だった本人にしても、そして支援した者全てが、「次回」をめざし、或いはこの「社会、政治」を変えていくという道を歩むなら、今後の機会あるごとに検証して、メモして、共有する機会を持つべきであろう。そして何よりも捲土重来を期して「人のつながり」をつくっていくことに尽きると思う。
 

 

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2019年4月11日 (木)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(3)

7、選挙運動の9日間
 まずは、候補者の健康管理が第1であった。幸い天候に恵まれ小野澤さんは、終始元気いっぱい選挙運動をやり切った。それを陰で支えた人の役割も大きかったといえる。また若くて経験のないおのざわ候補には、何かと周辺から「助言」とか「注意」とか「思い付き」であれこれ耳打ちされるが、候補者にとってそれはありがたいことである一方、あれもこれもでストレスを取り込む要因の一つにもなり得る。これは周辺が配慮すべきであろう。その点で小野澤さんはタフであったと思う。議員としての資質の一つとしてみることができる。(内心はともかく)
 次に選対を取り仕切る「荻野事務局長」の頑張りであった。選対事務局長は「扇の要」であるから、それなりの経験と能力が求められる。つまり「事務処理」と「戦略・戦術の長、とりまとめ」である。ただそのような「一般的」な見地は別として、とにかく9日間選挙運動が回ったのは事務局がそのように機能したからである。仮に人がいれば「事務局次長」を置いて事務局長の負担を軽減し、その余力を「現場、現況の把握」に振り向けることもでき、より効果的な街宣活動ができたものと推測する。
 また、毎日の選挙活動終了後にその日の報告などの場が持たれたが、私自身、夜の街宣に参加した時以外は、その場に参加しなかった。従ってどんな内容が話されたのかの共有も、周知もされなかった。閲覧できる「選挙日誌」があっても良かったかなと思う。さらに序盤の情勢を検討する「戦術会議」のような場もあっていいと思ったが、目いっぱいの活動の中、難しかったかもしれない。

 街宣車と候補者の「みきカー」が別個であったことでの、選挙運動にどんな影響があったのか、については、候補者が車いすであることで別個にせざるを得ない事情は理解できた。また「まこと選挙」での経験済みであり、それが効果的であるとの指摘も理解できないわけではなかった。だが一つ問題を感じたのは、では「終始、街宣車に乗らなくていい」と「街宣車に乗ってマイクで訴え、手を振っていて効果があるのか」という意見については、やはり疑問はぬぐえなかった。
 街宣車に乗らず「みきカー」でいるときは、基本的には「訪問活動」に充てられるとのことだったが、それはどの程度までなし得たか。また「小野澤さんは、人の前に姿を見せ、声をかけることでより票になる」見方との整合性をどう見るか。実際後半では、夜間が多かったがおのざわ候補は街宣車の助手席にのって手を振り、マイクでアピールした。要は工夫次第で街宣車からの訴えもそれなりの効果はあるのではないか。
 街宣中の「チラシ配り」も選挙運動の一つであるが、法的に配布範囲が限定されている以上、或いは、通行人が少ない現状からは、さばける枚数は多いとは思われなかった。結果として8000枚のうち「新聞折込」に約4000枚、残りが街頭ということであったが、どれほど撒き切れただろうか。
 名古屋交通労組(名交)から、街宣車の運転者として、4日間を1日3交代で派遣されたことで運転者不足の問題が一気に解決したこと。また緑の党東海から「ウグイス」として一人が応援に駆け付けたくれたこと。ゲストを迎えたことなど「街宣車・街宣活動」については、別項で総括する。

8、チラシの内容、選挙ポスター、街宣車のデザイン
1)チラシは、告示前に3種類、選挙用1種類がつくられ、業者委託で約4万枚(緑区は約10万世帯)が配布されたとのこと。加えてポスティングで相当数が配布された。この評価はで一概に言えないが、街頭での手渡しのチラシは、もっとシンプルに、戸別のものは政策をしっかり伝える、という“使い分け”があっても良かったのではないか。
2)選挙ポスターの評価は難しい。掲示板に貼られたとき、“よく目立つ”ことが優先するのか、候補者の人となり、“なぜ立候補したのか”の表現を優先するのかなどで別れる。
3)街宣車のデザインについては、特に意見を持っていない。「みきカラー」のピンクを強調したことはよかったと思っている。LEDの夜間照明もつけられた。

9、立憲民主党について
 これは4月10日の「総括会議」で、出た意見の一部であるが、「思ったほど党の支持は伸びていない」には同感できたが、「党が(立憲民主党)なくても選挙はできる」「大した力にならなかったのでは?」といった類の意見には同意しかねる。私は少々怒りを覚えた。私自身が「立憲パートナー」の一人として、「党員意識」のもとで参加してきたからだ。もっと言えば、安倍政権に代わる政権を立憲民主党に託し、党勢を拡大することがその道を拓く。それには地方組織を拡大し、地方・地域の声を政策に活かしてく、そうした活動の一環として私は参加し、尽力してきたつもりだ。心ない一言ではないか。(党としての問題点も多々あることは承知している)

 

10、街宣車・街宣活動について
 この項は、別に立てて総括。 

 

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2019年4月10日 (水)

シネマ散歩・緑の会、映画鑑賞会

「グリーンブック」を観る
 2か月に1回(偶数月)開催している「シネマ散歩・緑の会」の第10回映画鑑賞会は、イオンシネマ大高で「グリーンブック」を6人の参加で開催された。
 実はこの映画を私は既に3月19日に観ていた。その時のブログ(3月21日)では「・・・『グリーンブック』は、第76回ゴールデン・グローブ賞で作品賞など最多の3部門に輝いた、実話を基にした人間ドラマであった。『シネマ散歩・緑の会』の鑑賞映画に取り上げたいが、次回の4月は、今回見た伏見ミリオン座が移転することもあって、多分、3月いっぱいで終了だろうから、他の劇場でどうかを探してみたい。」と書いていて、それを実現させたものだった。
 4月7日に市議選が終わって、14日から後半の地方選挙が始まるので、特に予定は入れていないが、その週は空けておきたいので、今週中の開催を急いだのだった。三日前に決めたので参加者は少ないだろうと思っていたが5人の参加を得た。そのうちのおひとりは私と同様に2回目であった。“2回観る価値はある”と言っていたが同感であった。
  午後2時頃の鑑賞後の「ランチ」の場で感想を聞いてみたが、いつもそうなのだが私と一人を除いてあまり多くを語らない。それはひょっとして、二人がそれなりの予備知識を持って話をすることで、会話にならないのかもしれない。“よかったね、おもしろかった”ということとちょっとした質問めいたものしか出てこないので、いつもながらだが考えさせられた。
  このような現象というか、雰囲気は様々な運動、会議の場でもよく見かける。主催者、進行役はともかく、時々「博識・経験・引用」をもって場を取り仕切る感じの人がおられる。一方通行で「意見交換」にならないのである。
  またしばしば講演集会で質疑の時、質問ではなくもっぱら意見(私見)だけを述べ、ゲストに“おっしゃる通りだと思います”と言わしめて満足げな常連がいる。確かにそれはそれで、講演内容を補強する一部ではあるが、それがパターンとなると半分“聞き流す”ことになりかねない。自戒するところである。
 「映画評」については、かくいう私もを語る自信は持っていない。映画を観る姿勢それは“面白ければいい”というレベルだからだ。シネマ散歩・緑の会を立ち上げて呼びかけることで、インターネットから「予備知識」を仕入れてはいるが、感想程度の「観た映画の記録」は書けても「映画評」は書けない。書けるようにはしたいが。

 

 

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2019年4月 9日 (火)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(2)

4、おのざわ選対の体制
 率直に言って私が「選対入り」した段階で既に「選対」の大枠の体制が出来ていたように思った。それは「斎藤亮人選対(千種区)」と同体のものと思われ、「党主導」「市民運動との連携」に加えて、地域(緑区)事情について「希薄」を感じたのだった。しかしそれも私の中にはまだ単なる「助っ人意識」があって、何かを提起することにはならなかった。知らない人ばかりだから「名札(ネームプレート)を」とか「組織図」をつくって役割を決めたら、というくらいの意見だった。またいったいここの“選挙戦略、戦術”の会議はどこで行われているのだろうという疑問が生じて、 “私の居場所はなさそうだ、一人勝手連ででもやってみようかなと思う”と思ったほどだった。
 もう一つは、告示前までの「事前運動=街宣活動」は当然あると思っていたので、その街宣計画を自発的に着手したのだが、朝立ち、訪問活動、ビラ入れは取り組まれたが、街宣車による街宣活動はないと知らされて“びっくり仰天”したのだった。
 このことでマイナスだったのは、知名度、政策論を広く伝えることができなかったことだけでなく、告示後の街宣活動で、くしくも東京から応援に来たIさんから、ポイント街宣の街宣車の駐車場所について“事前調査してないの?”と指摘されたことに表れていた。3月に入ったころからだろうか、ようやく「政党カー」が走り出したが、それも愛知3区内(昭和、天白、緑の全域)と聞いていたので、限定的なものではなかったろうか。
いずれにしても出遅れて、選対が十分でない以上完全、完璧にはできないことは当然であったとしても、街宣車による事前の活動は選挙運動の「ベース(基本)」の一つではなかったかと私は思っていたので疑問に思ったのである。(そもそも街宣車の調達は無理だったことは承知したうえで)
5、告示前
 いよいよ3月29日の「告示日」が近づいてきた。選挙運動の手法は、チラシ、選挙はがき、電話活動、訪問活動、名簿の集約、街宣活動などがあるが、告示後は電話作戦と街宣活動、出来れば「個人演説会」などが主なものだ。小野澤さんの場合は「訪問活動」も主活動であったが、絞り込めば「街宣活動一色」といっていい。
 私は、選対の状況から「緑区を知る」一人として「街宣車の運行計画」を担うことになろうと覚悟を決めて、その計画案作成に着手し、3月18日の選対会議でまず告示日の計画案を示し、3月25日の選対会議に9日間の全計画案を出すことに集中した。街宣に必要なのぼり、ユニホームは中村県議のものを譲り受けたのは大きかった。
 選挙事務所は広くはないが、それ程不自由はしなかったように思う。広い駐車場の確保は、車いすの応援者も多く有効で大変良かったと思う。事務所内の会計・事務と“まかない”は、Tさんが一手に引き受けてくれて、告示後もここは完ぺきだった。
 最初から最後まで(今も)気になっているのは「資金(財政)」についてである。当選できなかった以上、仮に借り入れがあった場合、それを歳費で返済する手立てが消えたからである。
6、おのざわみき候補の政策
 おのざわ候補の詳細な政策列挙は省くが、呼びかけの対象は「女性、こども、若者、高齢者」で、そうした人たちの住みやすい「街づくり」を掲げた。これはおのざわ候補の想い、後援者の意向が反映されたものとおもわれ、単に「1議席」確保のためばかりではない。行政の「空白部」あるいは、名古屋城だ、リニアだなどと見栄えばかりの “品揃え”とは違った、議員としての“本物志向”であったと思う。その一方小野澤の訴えが有権者の関心事とうまくかみ合ったかどうか、政策の実現性についても「新人」という未知数から有権者の信頼を得られたかどうかは測り難い。
  また国政選挙や首長選挙と違って必ずしも「争点」が重視されるわけではないが、他候補とは違う「差別化」は必要であろう。おのざわ候補の「女性、28歳の若さ、車いすおのざわ」のキャッチフレーズがどこまで他候補との「違い」を演出できたであろうか。「女性」という点では立候補者9人中5人が女性であり、福祉政策や敬老パスについては「共産党候補」と共通しており、一番若い候補者であったが「28歳」という「若さ」が、どこまで受け入れられたかは測り難い。「車いす」での頑張りは高齢者から好感を持たれた気がしたのだが、他の年齢層では実際のところはどうであったろうか。
  一方減税候補が「議員歳費800万円」を掲げて、それが有効に働いたとすれば、それへの対案は難題でありスルーしたのはやむを得ない。だが対置する政策(キャッチフレーズ・スローガン)は次回までの宿題となる。 続く

 

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2019年4月 8日 (月)

名古屋市議選・小野澤選挙の私的総括(1)

全体的な総括(1) 結果と告示前まで
  はじめに

 総括の視点は「立憲民主党としての総括」と「小野澤美希の選挙運動」の二つがある。
 ここでは、党としての総括を織り込みながらも、主として小野澤候補の当選をめざした選挙運動について、「結果」から導き出される正反両面の総括を求め、次に活かされるものを獲得したい。
1、選挙の結果
  名古屋市緑区は、前回選挙で定員8人のところ1名減員となって7議席となり、9人が立候補し小野澤候補は、5,755票を獲得したものの、7位の当選者(佐橋亜子・共産6789票)に約1,100票届かず当選はならなかった。現職の牙城を突き崩すことができなかったといえる。そして元職の松本守さんに基盤(支持票)を引き継げなかったともいえる。
 また自民、減税※は、立民と同じく2名を擁立したが、得票で両者に大きな差がない"棲み分け"が成功したといえる。ほぼ同数の減税二人の得票に注目していいのではないか。一方の立民は、岡本候補がトップに百票ほどに迫る11,144票を得票した一方、小野澤はその半数ほどであり、簡単なことではないが、「足して2で割れば」減税の二人に迫り、越えていたかもしれない。ここに「党としての選挙戦略」の課題が残されたといえよう。
 もっとも共産の佐橋候補が最下位に沈んだことも留意する必要があろう。小野澤、佐橋両候補の政策に共通点があり、その政策が得票と関連があるかどうかの視点を外せないからである。<※「減税」は、河村たかし市長を代表とする地域政党で減税日本が正式名>
2、準備期間の問題
 統一地方選挙の実施は早くからわかっているから、とりわけ現職はその準備に怠りがない。2期目、3期目となれば知名度はある程度浸透しており、その支持基盤は少なくとも「コア」の部分では固められていたといよう。
 ということであれば「新人の立候補者」は、告示の1年前の立候補決定で現職と同時スタート、半年前でもまだギリギリ「射程内」といえるが「3か月前」では、タレントのような知名度抜群ならばともかく(タレントがいいという意味ではない)、かなりの「出遅れ(ハンディ)」を負ってのスタートといえる。市議選守山区の川口候補の例(1か月前の立候補)の例を見ればより明らかではないだろうか。
 しかし私はこの「出遅れ(ハンディ)」がむしろ危機感を持たせ、集中力を生み出すものであると捉えていたが、その評価は「定め難い」と思っている。徐々に増えていった支援者はみんな一生懸命であった。そのことと「運動評価」は同質ではないからだ。
3、選挙の基本スタイル
 次に一般的に選挙戦には「組織選挙」と「イメージ選挙」があるといわれている。自民、公明、共産は「組織選挙」であり、減税は河村市長をバックとした「イメージ選挙」に徹していたといえよう。では立憲民主党はどうか。例えば岡本康宏候補は3期の実績(知名度、後援会など)と労組支援で固める「組織選挙」プラス「立憲民主党」のイメージであったと思う。小野澤美希候補には出身母体の全面的なバックアップはあったが、「組織選挙」といえるには程遠い。「28歳、女性、車いすのおのざわ」「だれもが共に生きる街を」が、キャッチフレーズの一つであったが、これは「イメージ選挙」といえる。例えば減税の「議員歳費800万円」といった「シングルイシュー」を凌駕するには、他党も苦慮したであろうが、「歳費にふさわしい議員活動」を有権者に示すほかない。この点では新人の小野澤候補は突破しきれなかったし準備期間があまりに短かったといえるだろう。
 もう一つの捉え方は「政党主導型選挙」と「市民運動型選挙」がある。小野澤さんが「立憲民主党公認」として立候補したことは形の上では「政党主導型選挙」である。そこで問題は二つあった。一つは「立憲民主党公認」は、立憲民主党の「人気(支持)」があっての効用だ。だが結果的に立憲民主党の支持は、思ったほど高くはなかった、或いは国民民主党との関係に何か遠因でもあったのか、これは「党」としての分析を待ちたい。
 もう一つは、立ち上がり当初はともかく、守山、名東での新人立候補が急きょ決まって「近藤事務所のスタッフ」の支援が削がれた。それは小野澤陣営が自立してやっていけるとの判断があったからなのか、単なる「人的」な問題であったのか。また、近藤議員が県連代表ということで、第3区・緑区に張り付くことができなかった(選挙主導)ことも一因としてはあるだろう。
 市民運動との連携
 一方党としての全面的な支援体制が不十分であるなら、自力でやり切ることになるが、党派性が薄く課題に敏感で運動能力も高い「市民運動」との連携もあり得た。だがその“根回し”する時間も展望もなかったといえようか。
 党の公認を受けたときから市民運動との連携は、共産党との関係もあって円滑にいくとは思えないのであるが、個人的な支援は受けることはできたであろう。
 私が社民党、新社会党、緑の党の支援を提起し、尾張旭の市議、日進、豊明の無所属市会議員に支援を呼びかけたのはその意図からでもあった。続く

 

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2019年4月 7日 (日)

小野澤美希候補、届かず

 手応えと基礎票と・・・
 立憲民主党の新人、28歳車いすの女性候補、おのざわみき、の訴えは緑区全域に届けられ、街宣車から感じた反応は上々であった。多くの運動参加者、支援者が「手応え」を感じていた。それだけの評価だったら「当選」を引き寄せられたかもしれない。だが「ジバン、カンバン、カバン」が今も生きているとしたら、おのざわみき候補に不足していたのは「ジバンとカンバン」であったろう。「カンバン」の、本人の知名度はゼロからの出発で、「カンバン」は「立憲民主党」だけのように思えた。選挙事務所の壁に貼られた数ある「祈 必勝」の檄文は、党関係者が殆どで組合関係は「名鉄労組」だけのようだった。その名鉄労組から人の派遣はなかった。名鉄労組出身の県議選松本守候補への全面的な支援体制が採られ、おのざわ候補迄手が回らなかったことは頷ける。障がい者・福祉団体の懸命な応援はあったが、その「基礎票」は多くなかったであろう。
 緑区の「旧社会党」の基盤はずっと引き継がれて、今日の「立憲民主党・国民民主党=新政あいち」という姿になっていると思うのだが、その社会党を支えた労組票のほとんどが岡本候補の基礎票になっていることは、得票からも推測できる。岡本候補との「棲み分け」が、おのざわの浮上のカギとなることは間違いないと思うが、そこのところは、候補者同士の話し合いというより「党主導」であろうと思われる。
 ともあれ、10日に総括会議があって、それぞれからの分析やら、感想なりが出され、またマスコミの分析・解説も出てくるであろうが、私としては、担当の「街頭宣伝活動」から総括してみたいが、一方で「立憲民主党」としての選挙対策はどうであったのかと、建設的な立場から問いたい気もしている。
 このブログの読者のみなさんには、「名古屋市議選・小野澤美希奮闘記」をお届けしてきたので、「おのざわ選挙」の概要は伝わっていると思う。
 いずれにしても、結果は出せなかったが「立憲民主党パ―トナー」としての私の務めはなしえたと思っている。

 

 

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2019年4月 6日 (土)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (9)

扇川緑道の桜並木の下を練り歩き  

   選挙運動の最終日。どの候補者の選対もどんな締めくくり方をするか工夫したであろうが、「おのざわ選対」は、緑区の最重要拠点を西の「名鉄鳴海駅」東の「徳重」と定め、「朝立ち」を「徳重交差点・地下鉄駅」とし、夕方を「食品スーパー・ウオダイと名鉄鳴海駅」とした。
 私のこの日の担当は午後であったので、午前と夜は推定である。
 通勤客の少ない土曜日の地下鉄徳重駅はどうだろうかと思ったが、他候補に先んじることが優先され設定した。続いて開店時間に合わせて10時10分にホームセンター「カーマ」を設定したが結果はどうだったろうか。さらに東の端の拠点「フランテ館・ジョーシン」の前を設定。その間の街宣車は、「黒沢台一帯」と「鶴が沢・亀が洞・兵庫・藤塚」を流す設定。まだら模様なところもあるが、トータルとして「緑区東部」はほぼ回り切ったのではないかと思う。
   斎藤里恵さん(筆談ホステスの著者)来援
 午後のメインは、「筆談ホステス」の著者で東京北区議会議員の「斎藤りえ(里恵)さん」を迎えて応援の「練り歩き」であった。
 その前に、午後1時30分から「ドン・キホーテ」前でのアピール。場所の下見をしていなかったので、街宣車の駐車場所に不安を感じていたが行ってみれば、幸いにも立憲民主党松本まもる県議会候補が先にアピールを始めていたので、そこを引き継ぐことができた。土曜日ということもあって、比較的人の出入りが多いように感じた。この先ここも一つのポイントにしてもいいなと思った。
 斎藤りえさんとの練り歩きは、地下鉄徳重駅出入口がスタートであったが、そこと交差点付近は、既に公明党の市議、県議両候補の街頭演説会で占拠されていたので、急遽場所を変更した。百均「ダイソー」横からスタートして扇川左岸の緑道を歩き始めた。そこは一方通行で車両進入禁止なので、街宣車は対岸の右岸を並行して進めた。ワイヤレスマイクで十分届く距離であったのだ。途中で一方通行が左右入れ替わったが、約1,5キロの桜並木の下の練り歩きはそれなりに楽しいものではあったろうが「花見客」はちらほらで、マイク効果はむしろ川沿いの住宅であった。
 終点の「平手」で20人ほどの練り歩きを解いた。「みきカー」は、先行して次の「コノミヤ滝の水店」へ、街宣車は、空白となっていた「平手北・細口・篭山・小坂」の住宅街をゆっくり走らせ、午後4時過ぎに「コノミヤ滝の水店」に到着、ここが私自身3度目の場所である。通行車両は多いが、なんとなくやりやすい雰囲気を私は感じていた。
 30分近くのアピールであったが、通りがかかりの中年の男性がみき候補に寄ってきて“応援しているよ”と声を掛けた。おのざわみき候補は大いに感激していた。
 このあと5時の事務所での乗員交代までの30分余りを「滝の水、万場山・池上台の一部」を流した。
 運動最終日の夕刻は・・・
 夜の最初は格安食品スーパー「ウオダイ」で、ここも3回目である。来店するお客の関心度は高いとは言えないが、とにかく人の出入り、車の通行車両も多い「拠点」の一つである。そのあと締めのポイントである「名鉄鳴海駅」であったが、ここは場所取りで競合が激しいところの一つ。うまく先取できたであろうか。ダメなら周辺を街宣するとのことだったが結果は聞いていない。
 わたしは5時に下車して、いったん帰宅して腹ごしらえした後、7時15分に事務所へ。7時20分からの事務所周辺でのご近所まわりを20人ほどで練り歩いた。私が先導役で近隣住宅街では、本人による「お世話になりました、有り難うございました」等のあいさつ回り、アピタ鳴海店では駐車所越しに、最後は池上台交差点で候補者最後のアピールを3分ほどして、全ての選挙運動は打ち上げとなった。
 事務所前で「締めの小集会」を開き、近藤昭一衆院議員の慰労と感謝の言葉、そしておのざわみき候補のこの選挙戦をやり抜いたすべての人への感謝の言葉、自身の選挙運動の想い、有権者に訴えたことの約束などを、万感こみあげてくるものをおさえつつ、感謝、感謝の言葉で締めくくった。
 事務局長、本部長の挨拶が終えたのは午後8時10分頃。私にとっても「お役ご免」の時であった。
 この選挙運動の支柱の一つ街宣車の「運行企画」全般を担ったという満足感があった一方、“次回はないなあ、この仕事を担う次の人、苦労するかも”とも思った。厄介で忍耐のいる仕事であることは確かなのだから。 完

 

 

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2019年4月 5日 (金)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (8)

近藤昭一衆院議員が応援に入る
 朝立ちは、地下鉄桜通線・鳴子北駅であり、ここに近藤昭一衆院議員が応援に入った。午前10時までという限定である。ここ緑区は、近藤議員の選挙区(愛知3区)の一つであり、いわば“足元”なだけに、もっと頻繁に支えるべきとことではある。そもそも小野澤美希さんを候補に擁立したその人であるから、“つきっきりで”選挙運動をリードすべきなのだが現実は、党の県連代表という立場から要請があれば、他区の新人市議候補、県下全域の県議候補の応援に応じなければならない。だからこそ、といえるのだろう。地元を後回しにしてでも他候補の応援が優先すると考えたのは。これは立憲民主党という組織論から言って“まっとうな”対応といえる。
 あるいはこうも言えるかもしれない。小野澤美希候補は、新人で28歳という若さ、選挙経験もない、支援組織も薄い。告示前の選対の実体からは“これで果たして選挙ができるのか?”と感じたほどだったので、小野澤さんはいかにも“小さな玉石”であった。しかし告示の少し前あたりから、そして選挙運動期間に入ってからは日ごとに盛り上がっていく「おのざわ選対」を見て近藤議員は、多少後ろ髪を引かれつつも“十分やっていける”と思ったのではないか。言い換えれば、「おのざわ選対」は、日ごとに進化し体制を整えてきたともいえる。
 しばしば街宣車のナビをしてきた私から見ても街宣活動は、この広い緑区をかなりの部分で回り切った気がしている。街宣中の手応え“これまでにない反応に驚いている(中村県議談)”というものを私も感じていた。(選挙は水もの、ではあるが)
 野並で練り歩き
 この日の午後・夜のナビは私の担当であった。
 まず午後の最初の、天白区との境界にある「野並交差点」での“練り歩き(桃太郎)”のために、街宣車の駐車場所探しから始まった。私は事務所からの街宣車には乗らず、1時間前に家を出て現地に赴き、周辺を歩いて場所を探した。こんな時、軽自動車の街宣車は勝手都合がよい。ちょっとしたスペースに、道幅が狭くても左に寄せれば、駐車は概ね可能なのである。実際住宅街とりわけ「旧市街地」の入り組んだ道では結構重宝していたのである。
 午後1時20分、応援者も加わって10人余の隊列ができ、立憲民主党、ピンクののぼりも立ってにぎにぎしく練り歩きが始まった。周辺は、地下鉄の出入り口と食品スーパーのバロー、ヤマダ電機、銀行などがある所で、近くに「若宮商高」もあるのだが、未だ新学期は始まっていないのかな。高校生の姿はなかったように思う。
練り歩きの時に簡易ハンドマイクを使ったので、その性能に問題があって声の届く範囲が限られた。しかしそれは致命的なものではない。むしろ「練り歩き」そのものが目立てば狙いの8割は得られるのである。
 練り歩きを終えてから、近くの「サンヴィラ野並」という、緑区では最初といわれる12階の「高層住宅」の前でしばしのアピール。その先は中小の工場が集まる「工場地帯」である。ところが工場労働者向けのアピールが用意されていなかったから急きょ「連合愛知、新政あいちからの推薦を戴いています」のフレーズを入れたのだった。だがナビの私としては、これにはちょっと逡巡があった。「連合愛知」は「国民民主党」寄りであるし「新政あいち」は党派性を薄めてしまっているからである。ま、しかしここは「立憲民主党のおのざわ、おのざわ、おのざわみき」と連呼しているのであれこれなしでやり切った。
 次のポイントは、平和堂などが入る「なるぱーく」と家電の「コジマ」、パチンコ屋もある「最中(もちゅう)」交差点であった。
 東西も南北も非常に交通量の多い場所であり、街宣車を左に寄せても、やはり車の通行の妨げになる。担当者によっては避けたかもしれないが、私は以前の経験から躊躇せずにやり切った。ここをポイントの一つに選んだ理由は、スーパー・平和堂の買い物客であったのだが、おのざわ候補はなぜか通過車両に向けてアピールするばかり。
 私は、一度はアドバイスしたがそれ以上のことは言わずに見守った。そうした時の判断は、その良し悪しではなく、本人の気持ちの状態を大事にしたかったからだ。
 「最中」交差点は、緑区の位置関係からするとやや北寄りの西の端に位置しているから「南北の自動車は緑区を通過する車両が多い。東から西への自動車は、緑区から出ていく車両。西から入ってくる自動車だけが、緑区の有権者の可能性が高い」というのが私の判断だった。
 ここで運転者が交代し、この後は、近くの「浦里」の空白地を中心に30分ほど流して事務所に戻った。
 5時からの夜間は、5時20分からホームセンター前で30分ほどアピールした。狙いはホームセンターのお客であったが少なかった。ただ周辺の住宅に声は十分届いたと思われた。
 午後6時からは朝と同じ「鳴子北」駅前。ここには車いすの人数人を含めて10人くらいが応援に参加した。ここでも街宣車の駐車場所がなくてトラメガを使用したが、声が届くのはその周辺4~5メートル程度。アピールは大事だが、本人の姿を見せることの効果に期待しての行動でもあった。
 街宣車は、周辺の鳴子町、古鳴海、上の山、松が根台の一部を流して午後8時に事務所に帰着した。

 

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2019年4月 4日 (木)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (7)

田島麻衣子参院予定候補が来援
 桜は満開。街宣車の車窓からの桜見どころではないないが、運転者の後ろの席でナビをしていると、一瞬ではあるが目に入ってくる。たまの車を止めてのアピールの時間には、私はスピーカーの音がどこまで届いているか、周辺を歩き回るのだが、そんな時にも住宅街の一角にある小さな公園で数本の桜にお目にかかる。これが私の今年の「お花見」になりそうだ。7日の投票日のころは「散り始め」だろうから縁起を担いで「桜見」には行かない。街宣活動も最後の追い込みで“エンジン全開、みき候補満開”である。
 さて今朝の朝立ちは緑区東部の賑やかな拠点「徳重」交差点・地下鉄出入口であった。ここは「場所取り」で競合する所の一つであるが、この日は他党だけでなく、何と立憲民主党県議会候補・松本まもる候補と一緒になった。まさに「みき・まもる同舟」の街頭宣伝活動となった。加えてそこに愛知選挙区・参院予定候補の田島麻衣子さんが加わった。さらに8期32年で引退する中村友美県議が応援弁士に加わり、かわるがわるのアピールは壮観そのもの。また応援団もピンクのおのざわみき、ブルーの松本まもるのユニホームが、あたりをしばし席巻したのだった。
 おのざわ、松本両候補の共通したフレーズの一つに「(名古屋市の)すべての交通(公共)機関に使える“敬老パス”の無料化に努めます(します)」というのがある。松本まもる県議会候補は、名鉄労組出身の名古屋市議だっただけにそのあたりの事情に詳しい。まずは名鉄との交渉が進めば、JR東海、近鉄へと話が進んでいくとのことだ。ただそこには、名古屋市の費用負担、「4社共通・名古屋市地域内限定」という共通パスのシステムの問題もあるようだ。両候補にとっての「公約」は、任期内の3~4年以内に実現したいところ。この制度を待ち望んでいるのが、JR東海道本線の「大高駅」「南大高駅」がある大高町の人たちと鳴海町南部の下汐田、前之輪あたりの人たちであろう。
 田島麻衣子さんはこの場所から午前中いっぱい、街宣車に乗っての応援だった。街宣がめざしたのは「桃山」「梅里」という比較的新しい住宅街。地名がそれを表している。この辺りは「子育て支援」が一つのポイントだった。また県営緑黒石住宅では「敬老パス」のほか、高齢者が多いと見込んで「おとしよりが集まれる場所の設置」もポイントだった。
 ここでは、松本候補の練り歩きと遭遇しエールを交換。また、街宣車とおのざわみき候補が移動する車「みきカー」は別行動なのであるが、たまたま「桃山」で両車が遭遇したので、急遽その場での提案で「おのざわみき・田島まいこ」のコラボ、田島さんが小野澤さんにインタビューする形での“やりとり”が実現した。効果はどうであったろう。
 一通り街宣活動を終えて次の「ヤマナカ滝の水店前」へ。ここでは時間帯的に、買い物客は少なかったが、交通量が多い場所であるので、店舗と道路に接する場所でアピール。私は立憲民主党ののぼりをドライバーに向けて振り続けた。
 午前中の最後は「コノミヤ滝の水」前の道路。そこは店舗入り口と駐車場の間の道路であり、道路横断の信号待ちの買い物客にアピールできる場所。通過車両も多い。
 2度目になるここでは、おのざわ候補、田島参院予定候補が20分余りのアピールを行った。そうそう街宣車にはもう一人の“ウグイス”を引き受けてくれた緑の党東海本部代表の尾形慶子さんも、応援の弁に加わった。
 反応は上々。田島さんの応援はここまでで、別れ際“とっても良かった、楽しかった”という感想を聞かせてくれた。選挙事務所は?と聞けば、東区の桜通NTTのビルとか。
 市交通労組から応援を戴いているドライバーもここで交代。私と尾形さんと田島さんと代わった女性は、午後1時で交代となっているので、「神沢」「ほら貝」辺りを宣伝しながら、午後1時に事務所に戻り、私は簡単な街宣報告を行って帰宅した。5日、6日の街宣活動の「修正作業」が待っているのである。

 

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2019年4月 3日 (水)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (6)

「当選ゴール」に向け確かな歩み  
  私の午前の「街宣ナビ」が午後に変更となり、午前中に4月4日の「街宣車運行表」の修正版を仕上げて、事務局長他に送信。午後0時45分事務所入りしたところで、ラジオから“東邦3対0でリード”の一報を耳にした。こちらは選挙運動でてんてこまいであるが、世の中は「政治は政治」で、それぞれは日常の中にある、というあたり前のことが頭をよぎる。4月1日の「改元」、そして今日の「センバツの決勝」7日「統一地方選挙投票日」・・・4月10日は「天皇・皇后としての最後の結婚記念日」などというのだろうか。(この私が言ってしまったのだが)
 今日は丸1日「有松地区」全体の街宣日。午前8時の名鉄有松駅の朝立ちは、自民党の市議候補に場所を先取りされて変更したようだ。
 午後は、「バロー鳴海店」で「みきカー」と合流。その後流し街宣で大府市の境界近くにある「ニトリ・フィール」で約30分のアピールを行った。ここで食品スーパー「フィール」の警備員から“店長方の支持で、店舗の境界地にある柵に、のぼりを立ててもらっては困る、注意をと言われている”の申し入れがあり、“なんという狭隘な考えの店長か”と思ったがここは退くしかない。そこでのぼりの取り外し、立憲民主党ののぼりだけを手にもって、と指示して、私が店長への謝罪に出向いた。しかし不在だったので警備員に謝罪し、その旨を店長に伝えてくれと言って、その場を収めた。こうしたこと、或いは駐車場所で道路交通法に抵触する、しないの議論が内部で起きたりするのだが、「公職選挙」という大義名分で少々のことはやり切る、が私の立場。実際そうですなければ、スーパーの店舗前に駐車スペースなんてないのである。
 ともかくこの日は、「桶狭間地区」と呼ぶ地域の新興住宅地、文久山、清水山他一帯を細かく回った。市営高層住宅の「桶狭間荘」も外周道路を回ることができた。
 午後3時40分に「みきカー(候補者の車)」と合流して「ピアゴ清水山店」でアピール。マスコミ一社の取材も受けた。その後も街宣を続け、緑花台、愛宕、三丁山辺りまで回ることができて、夜の街宣で「武路町一帯」を回り切れれば有松町全域は、ほぼ“制覇”したことになると思う。
 今日も寒い一日であったが、候補者、ドライバー、ウグイス、支援者、ナビも元気いっぱいで「おのざわみき」選挙は「当選ゴール」に向け確かな歩みのようの感じたのだった。(4月2日の「4」は後日に)

 

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2019年4月 2日 (火)

名古屋市議選・小野澤美希奮闘記 (5)

 大高町全域、街宣ポイントに苦労する  
 選挙運動期間9日間を地域的な割り振りしたとき、大高町の街宣は1日だけしか取れなかった。この大高町はもともと知多郡であり、愛知郡鳴海町が名古屋市と合併して緑区になってから2年後に緑区に有松町と共に編入された経緯があった。また「桶狭間の合戦」の時の「家康の大高城兵糧入れ」で有名なところである。また近年では名古屋市内では珍しく三つの「酒蔵(万乗・神の井・山盛)」があり、JR大高駅からこの酒蔵のある一帯と大高城址が「緑区・歴史散策コース」になっている。そういうこともあって街宣計画では、JR大高駅からかつての繁華街「銀座」通りを抜けて酒蔵までを「練り歩き」とした。
 この日の私は、午前中が定期検診日だったためナビは午後からのシフトに入った。そこで病院がJR南大高駅に近くだったので午後1時に一駅先の大高駅でナビを交代して、午後の街宣を担当した。
 さて午前の街宣は、午前8時頃からのJR大高駅での「朝立ちを」行った後は、結局練り歩きの体制が取れなくて中止したとのことだった。そのコースを含めて周辺と中小の工場のある「巳新田・寅新田」方面の街宣を行い、正午に市営森の里荘の商店街で運転者だけが交代し、午後1時のナビ交代につないだのだった。
 このようなややこしい体制なのは、4月2日から5日までの全日の街宣車運転を「名古屋市交通労組(名交)」が協力をしてくれて、その体制が「1日4時間の3交代」となっていて、8時~12時、12時から16時、16時から20時である一方、街宣の基本計画は8時~13時、13時から17時、17時から20時ということになっていたので、こうした変則的な体制になったのである。(総括事項の一つであろう)
 午後1時過ぎに出発した街宣車が向かったのは「アオキスーパー大高店」であった。この時間帯では人の出入りは少ないがスピーカーの性能が高いので、周辺の住民には届いたであろう。
 次のポイントまでの40分を使って新住宅地の一つ「大高台」一帯を回った。私にとっても初めて訪れる場所であり、図上では20分程度踏んでいたのが、たっぷり40分かけての街宣であった。
 午後2時40分、東海市の境界にある「COOP大高」とホームセンター「カインズ」の2か所で候補者がアピールを行った。駐車場越しの訴えは、店内までは届かないであろうが、「おのざわみき」だけでも印象に残ればいいといえるだろう。
 小寒い。午後4時の運転者交代までの時間は1時間足らずで、当初計画の大高町の一部であるJR東地域「鷲津・小坂・伊賀殿・西丸根・亀原」を変更して、JR南大高駅の西、大府市と接する新住宅地一帯を回ることとした。ここも私にとってはじめ踏み入れる場所であった。午後4時に大高駅に戻り運転手が交代。5時の事務所帰着までは、予定変更となりその場で思案した。そこで道幅は狭いが、鳴海町の「下汐田、前之輪」の一部を回りながら、時間帯にあまり関係ない緑区役所に立ち寄りしばしショートスピーチ。5時に事務所に戻った。
 5時からの予定は「JR南大高駅」であったが、時間を午後6時からとした。私は下車していたので、その後の様子はわからないが、当初予定していた「夜間は集合住宅(団地)」ということで、大高から「有松」の市営桶狭間荘へ向かうことになっていたが、事前に中止となったはずだから、どこをどう街宣したのであろうか。

 

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2019年4月 1日 (月)

新元号を語らず

 市議選に専念しています  
  今日の午前は、小野澤美希市議候補の街宣車のナビの担当から外れていたので、「改元発表」のときは、テレビを見ていた。「令和」を一瞬「冷和」とイメージした・・・。
 元号もそうだけれども、菅の顔は見たくない、その後の“フィーバー”の映像もみたくない、で早々に机に戻った。
 3月29日の告示以来、名古屋市議会選挙・小野澤候補(立憲民主党)の選対事務所に入り、「街宣車の運行」作業を一手に引き受、その「ナビ」のための添乗も多いので、他事の多くが中断しているのが現状。様々な地域の運動も当然参加できていない。“忸怩たる思い”がないとは言えないが、それすら飛んでしまっているのである。
 人それぞれ、“その瞬間を生きている”のだから、その瞬間は“私のもの”である一方、その私を“もう一つの私”が見ていなければいけい、そんな気もする。ということで、元号なるものは私の知らないところで決められたのだから、「元号問題あれこれ」は後日に回すことにして、「みき街宣プロジェクト(PT)」の仕事に精を出した。
 午後から街宣車のナビゲーターを務めた。候補者が街頭に立つ今日のポイントは3か所。食料品スーパー「フィール」、「緑区役所」、「UR鳴子団地」であるが、そのポイントまでの移動時間が住宅地などの「流し街宣」である。自ら設計したコースであるからナビはできるのだが、実際に現地に赴くと、そこは私が踏み入れたことのない新しく開発された新住宅地であるから、移動しているうちに方向感覚がなくなってしまった。そこでふと気がついた。車には「カーナビ」があるではないか。そこで運転者に「私が右だ、左だといっているよりも、このあたりはナビを見ながら、あなたが自由に走らせて」と持ち掛けた。(案外うまくいった)
 実はここ「緑区」だけでなく、多分多くの所で「人が多く歩いている場所」なんてほとんどないのである。寒いこともあるが外出は車かバス。「人が集まる所」といえば、スーパーマーケットかホームセンター、家電量販店。桜は満開であったが、その公園もまばら。
 「UR鳴子団地」中心の十字路に、立憲民主党と「おのざわカラー」のピンクののぼりを立て、ここで街宣を行った。食品スーパー、大衆食堂(大戸屋)、ドラッグストア、回転寿司、唐揚げ専門店がある“期待できる”数少ない場所である。前座、候補者、応援弁士が30分余り。私が立って「声掛け」をしているところに40代くらいの男性が通りかかり、“もう投票してきたよ”と言われたので“だれに・・・”といえば、おのざわみき候補の方をそっと指さしたのだった。
 午後5時に乗員が交代し、5時半からJR大高駅へ。この駅は、快速列車は停車しないので、1時間あたりの上下の本数はそれぞれ3本。客数も朝と違ってまばら。時間帯に問題があると、反省会の時の意見だった。
 この場所を後にしてからは、これまで候補者が乗る車と街宣車は別行動であったが(候補者は車いすの障がい者なので、電動車いすでの頻繁な乗降を避けるための別行動)、この日、この場所から夜間はできるだけ、街宣車に候補者も乗って、声掛けをする方式をとった。
 高層の集合住宅の県営住宅、分譲マンション、市営住宅が集中している場所である。候補者本人もこの方式に満足しているようだった。午後8時、選挙事務所に戻った。

 

 

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