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2018年10月15日 (月)

男の気持ち・生き方(156)

  たま~にだけど囲碁をうつ
 今年になってから2回目、前回から半年以上経っているかな。久しぶりに囲碁の対局に臨んだ、なんていうのは大げさ過ぎる言い方である。そもそも4~5年前に6段の先生(同級生であるが)の指導から降りてしまっているから、同門の相手とでは勝負にならない、短時間の「中押し」で早々と投了を覚悟していた。
 相手はその後も続けていて、時々は中部棋院へ行って打って来るということなので、こうした勝負事の力量差は歴然とするのである。
 当然私が先番で右上の星に第一手の石を置いた・・・。結局中押しで投了することなく終え、情勢は悪くなかったから、まあ良しとしたものだった。
 私が「古希」に近い歳になって囲碁に興味を持ったのは、何といってもアマ6段の同級生がいたことが大きい。加えてその時は、少し長生きして「活動」を終えるようなことがあったなら、その日々を何としよう、茶(酒)飲み友達もいてもいいかな、そう思ったことと、日中の時間帯に余裕があったことが挙げられる。そして約2年半で“破門”を申し出た理由は、囲碁の世界の裾の広さ、奥行きの深さ、頂上は雲の上の上というのは当然としても、こうした“勝負事”に私に向いていない、せめて2~3級までと思ってはいたが、“為せば成る・・・”とは到底思えない心境に立ち至ったからである。併せて、幾つかの運動のかかわりからそちらが忙しくなってきたという事情もあった。
 しかしあえて言えば、“終末期”では、別に囲碁でなくても、多少興味を持っていたカメラとか、水彩画と詩を組み合わせたコラボだってないわけではなかった。同好者だっているに違いない。けれど、囲碁がしばしば映画のある場面で必ず登場する、例えば戦などの作戦の構想などである。現在の政治の世界でもきっと応用されているに違いない、そんな気もしていて興味を持っていたともいえるだろう。
 まあ仮にそうだとしても、かなりの腕前でなければ通用しない。私の碁はただの碁でしかない、ということである。打ち終わってからの酒席が本音だったりして・・・。

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