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2018年8月 5日 (日)

映画「カンタ!ティモール」

 日進市での、平和のつどいで上映
 日進市で8月4日、5日に開かれた2018年「にっしん平和のつどい」の中の一つのプログラム、自主製作、ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」(監督 広田奈津子)を観た。
 映画のナレーションは監督だと思われるが、現地語(テトゥン語とポルトガル語が公用語といわれるが)は字幕であった。ところが会話の字幕は左右だったのでこれはよかったのだが、この映画の特徴である全編を通して歌われる歌詞の字幕がスクリーンの下側だったので、しっかり読み取れず惜しいことをした。
 まずこの映画見つけてきた主催者に感謝したい。
 この映画の舞台である「東ティモール」の問題については、1970年代か80年代に「インドネシア軍の侵攻」「フレテリン」という言葉が断片的に浮かぶ程度で、私の関心は薄かった。
 私の中で次に「東ティモール」が出てくるのは、イタリア国籍のカトリック司祭であるステファニ・レナト神父が名古屋、小牧での外国人労働者を一時保護するなどの救援活動、人権活動で、1990年ころに弁護士会の「人権賞」を受けたこと、その後東ティモールに移住し、暫くして事故で亡くなられたことくらい。
 この映画は、「この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人びと。その姿が、世界に希望の光を投げかける。詩のようにつむがれる言葉の数々。それは観る者の胸をそっと貫き、決して消えない余韻となる」というガイドに尽きると思う。しかし私たちは、現在と重ねてみることも必要であろう。例えばインドネシア軍の侵攻・残虐行為がかつての日本軍の蛮行と重なり、豊富な天然資源に恵まれたこの国だからこそ他国の争奪の渦に巻き込まれた。そこに日本も関与していて、つまりインドネシアへの経済援助が軍事援助となり東ティモールの人びとを苦しめたという事実。
 映画で印象残ったもう一つは、東ティモールの人々は、あれほどの迫害、虐待、虐殺を受けながら、決して敵を恨まず憎しみを連鎖させないという姿勢。2002年の独立に至る戦争では、傷ついた敵の兵士を手当てして送還し、命令のままに動く前線の敵の兵士、捕虜も人として扱い、独立の意義を伝えて釈放してきた。そうやって許しを得たインドネシア兵が戦争の愚かさを知るようになって独立を勝ち取っていく・・・。
 このシーンで私がふと思ったことは、インドネシアの多くの人々はイスラム教徒、東ティモールの人たちの大半はキリスト教徒といわれる。一見して「宗教対立」も背景にあるのかと思ったが、そうした背景は出て来ないし「フレテリン」の戦いも出てこない。人間が作り出した現代社会の政治、宗教という「対立」の世界がある一方、自然、大地を神とし、祈りと歌が人びとに暮らしと安らぎを与えるというもう一つの世界があると知らされた。
 私(たちは)便利な電化製品、自動車、パソコン等「文明、文化、産業」に囲まれた現在の生活からは抜け出せない現実がある。
 前述のステファニ・レナトさんは、東ティモールに活動の場を転じたが、その赴任前「・・・今、東ティモールに活動の場を移す準備を進めています。自分は教会の中で貧しい人々への理解を求めながら、豊かな日本に暮らし続けているという矛盾を断ち切るには、貧しい人々の中に入るしかない・・」と決断の動機を語っている。(名嶋聰郎弁護士の追悼文から)
 と、110分の映画からいろいろ示唆を受け、想起もしたが、明日になればまた「日常」に戻る現実がある。だが少なくともその「自覚」だけは残しておこう。

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