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2018年8月31日 (金)

映画「沖縄スパイ戦史」を観る

  “語り継ぐ”ことの大切さ
 「シネマ散歩・緑の会」の第6回鑑賞会は、昨日行われた。鑑賞映画は、名古屋シネマテークでの「沖縄スパイ戦史」(三上智恵・大矢英代監督)であった。会場のキャパ、明日が最終日ということもあって、早めの30分前に集合をかけたのだが、私が45分前にチケットを購入した時点で20番目の札を受け取って“えっ!”と思ったのだった。
 今回は6人の参加であったが、遅れた一人が15分前に入場順の札を受け取ったとき61番であった。つまり、キャパ40といわれていた会場、実際は50の席があってそれは満席、両サイドにパイプいすを並べて60人から70人がぎっしり入るという関心の高さだったのである。

 1945年・・・、沖縄戦では、本島南部の激戦が1945年6月に終わった後も、北部では10代の少年たちが動員された「護郷隊」によるゲリラ戦が続いていた。少年兵には米軍戦車への特攻や遺体の埋葬など過酷な任務が課せられた。護郷隊を率いたのは、スパイを養成する東京の「陸軍中野学校」から送り込まれた青年将校たちだった。
 少年たちが動員された「秘密戦」や、八重山諸島の「戦争マラリア」の真相に迫り、戦争や軍隊の本質を浮かび上がり、「裏の沖縄戦」を日米の資料や証言をたどることで、解き明かしていく。(引用)

 私は、沖縄のことはある程度知っているつもりであった。本島だけしか行っていないが、観光も含めれば複数回訪ねている。しかしこの映画の主題、10代半ばの少年で組織され、ゲリラ戦、スパイ戦に動員された「護郷隊」について、「70年以上語られなかった」とはいえ、その名も実態も全く知らなかった。これに限らず“知っている”という思い込み、“知っているだけ”という自己完結がなんと多いことか。
 そして「学んだ者、話を聞いた者の責任」(大矢英代監督)、それ即ち「観た者の責任」を強く感じたのだった。私個人としてできることはそんなに多くはない。多くはないが着手する、継続する、交流を深めるということであろうと思うし、「今、何をなすべきか」を自問し続けることだと思った。
 「戦後73年。だが、もしかしたらもうとっくに、私たちは戦前を生きているのかもしれない・・・」(同)という意識は、共有することができたとしても、やはり何を選択し、何に抵抗し、何を目指すかという意識、凝視を暮らしの中で持つこと、知り得たこと、語り継がれたことをまた“語り継ぐ”ことが大切であろうと思う。
 終えてからそれぞれの感想を聞いてみた。明確な言葉は少なく、戸惑いのような感想が多かったように思う。私にしても、こうした映画を選ぶこと自体に多少の逡巡があった。普段から集会やデモに無縁な人の集まりであるから、“この8月であればこその機会、として選んだ”というようなことを述べたのだった。
 次回は10月だが、どんな映画を選ぼうかな。

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2018年8月30日 (木)

六ヶ所ピースサイクル(4)

愛知から青森県知事への申し入れ
 8月20日付で「六ケ所行動」参加の仲間に、三村 申吾知事宛ての以下の要請書を託した。
  はじめに、去る8月15日、青森県深浦町付近では16時10分までの1時間に約100ミリの猛烈な雨が降ったとみられ、気象庁から「記録的短時間大雨情報」が発表されました。洪水などの被害はありませんでしたでしょうか、西日本の集中豪雨に遭われたみなさまと併せて罹災お見舞い申し上げます。
  そして私たちの仲間が来たる8月27日に貴職を訪問するにあたり、ピースサイクル愛知から仲間に託して貴職への要請をお伝えします。

 2011年3月11日の東京電力福島第1原子力発電所の事故(震災、人災)後、世論の多くは「脱原発」「原発ゼロ」「再稼働反対」「老朽原発の稼働延長反対」等々、表現は違ってもこのような考えが多数を占めてきました。このことは33年目を迎えた私たちにとっての「全ての核の廃絶」と符合するものであり、それぞれの地域でこの青森に限らず、日本原電・東海第2原発、東電柏崎刈羽原発、中電浜岡原発、関電大飯原発、高浜原発、四電伊方原発、九電玄海原発への申し入れを続けているところです。
 私たちピースサイクル愛知からは昨年、青森県知事として「六ヶ所再処理工場は閉鎖、廃炉にすべきで、工場の操業は認めないという声明をお出し下さい」「東通原発の再稼働を認めないで、東北電力に廃炉を要求してください」「大間原発の建設即時中止を申し入れてください」「核燃料サイクル事業を永久に中止することを政府に提言してください」などの申し入れをしました。
  しかしながら残念なことにそれらが幾らかでも進展したという情報を戴いておりません。ここの改めて知事の英断を期待して同じ趣旨の申し入れをします。

 地震・津波、火山噴火、台風、集中豪雨による洪水・崖崩れ・土砂災害などの自然災害の多いこの日本列島であれば、インフラ、エネルギー源といわれる人工物の災害要因は、未然に防ぐことは可能であり、事前に阻止すべきです。それらの筆頭にありますのが「原子力発電所・核燃料貯蔵所」であることは言うまでもありません。青森県では、東通り原発の1,2号機、大間原発、六ヶ所村の核燃工場が該当します。
 一方で原発に頼らない自立した行政の推進も「廃炉」への条件といえると思います。聞くところによりますと、貴職が提唱されている「生業(なりわい)と生活の成長戦略」即ち具体的な政策・施策として、4分野(「産業・雇用」、「安全・安心、健康」、「環境」、「教育、人づくり」)を挙げておられますが、それらを遂行させる絶対的条件は、「原発と関連する施設の事故」を起こさせないことに尽きます。事故を起こさせない最大の手立ては「廃炉・閉鎖」です。
 どうかこのことを肝に銘じられ、県政を進めて戴きたいと思います。

 先に書いたように、大間村長宛て等の申し入れがされたと聞く。ということは2019年の「六ケ所行動」での申し入れ書は、これまでの六ヶ所村、日本原燃(株)、青森県に、新たな自治体が加わるかもしれない。11月の全国会議で議題に上がるかもしれない。 了

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2018年8月29日 (水)

六ヶ所ピースサイクル(3)

  愛知から日本原燃社長への申し入れ
  8月20日付で「六ケ所行動」参加の仲間に、工藤 健二社長宛ての以下の要請書を託した。
  (前文略)
 8月は、6日広島、9日長崎の原爆の日があり、15日は敗戦の日があって、反戦・平和の誓いと、亡くなられた人への鎮魂の月間です。それは同時に平和憲法を活かし、憲法9条を世界へ広げていく、私たちの世代としての務めを確認するということでもあります。
  そして2011年の東電福島第1原発の事故(震災・人災)は、私たちが平和で、平穏・安全に暮らしていくには、二度と戦争をしないと同時に原発事故を二度と起こしてはならない、それ即ち原発の稼働を中止し、廃炉にしていくことことにほかなりません。
  現状からは、原発推進の現政治を変えることから始めねばなりませんが、福島原発事故の反省、教訓から電力各社の原発事業からの自主的撤退も方法の一つです。そうした観点から、私たちは各地の電力会社へ稼働を中止し或いは廃炉を求めて要請をし続けてきました。この愛知では、7月27日に中部電力本店に出向き、静岡県・浜岡原発の廃炉、発電所の閉所を申し入れしたところです。

 さて私たちは貴社に対しまして、次のように考え、申し入れをするものです。
1)「核燃料サイクル」は既に破綻していると考えています。貴社は、昨年12月27日に再処理工場の竣工・完工を3年間延期するとして青森県と六ケ所村に報告されたとのことですが、それは再処理工場を閉鎖し、事業から撤退すべき状況を呈しているのではありませんか。関連事業を含め撤退されることを要請します。
2)核燃料サイクル事業から撤退するとなれば、従業員の雇用問題、地元経済への影響などの問題もあり、政府との交渉は欠かせません。核燃料サイクル事業からの撤退を青森県、六ヶ所村との話し合いを進め、政府に直言して交渉を始めてください。
3)逆のケースも考えられます。国としての核燃料サイクル事業から全面撤退という政策変更もあり得ます。そうした事態にも備え、貴社による「核燃料サイクル事業から全面撤退」の「ロードマップ」の作成に着手されたらいかがでしょうか。
                                ◇
  未来永劫、人類の生存は‘地球そのものの、深い緑の大地、青く澄んだ海、透明な空があってこそ’であり、同時に、紛争や対立のない平和な時代を絶え間なく永続させていくことにほかなりません。
  私たちは、「核の脅威=原発、核兵器」「戦争のできる国づくり=安保法」「沖縄米軍基地の強化=辺野古新基地建設」を、現在の日本の政治、社会、更に未来に向けた「危険三要素」と考えております。
  それゆえ、国に対して政策転換を求めると同時に、地方自治体からの意思表明も重要であるとして、ピースサイクル運動の柱に自治体訪問を据え、「危険三要素」を織り込んだ申入れを続けてきたところです。
  昨年と同趣旨のものですが私たちの意志として、上記3項目について、貴社に問い、要請するものです。
貴社の英断を期待します。
 
 中電本店前では毎週金曜日の夕刻、浜岡原発の廃炉などを求める行動が取り組まれている。今週末で300回目になるという。

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2018年8月28日 (火)

会報・シネマ散歩と今池散歩

 シネマ散歩・第6回映画鑑賞会を前に
 2か月に1回、映画鑑賞と懇親会をセットとする、正式名称「シネマ散歩・緑の会」の第6回映画鑑賞会は、30日の夕刻、名古屋・今池にある「名古屋シネマテーク」で開かれる。
 その会報「シネマ散歩緑・第6号」を今日発信した。内容は、鑑賞するドキュメンタリー映画「沖縄スパイ戦史」のガイドと解説。2頁に、8月5日の「日進市での、平和のつどいで上映」されたドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」の鑑賞記。そして、8月ならではのTV放映「日本のいちばん長い日」の鑑賞記。4頁では、「映画(シネマ)を散歩する(4) ベスト映画はどれ?」と題して「アメリカの歴史に迫るハリウッド名作映画20選」と英BBCが選ぶ「21世紀最高の映画100」を紹介し、そのコメントを載せている。
 映画を観た後懇親会(食事会)を設定しているが、その会場探しに出掛け、繁華街に似合わない瓦屋根で平屋の居酒屋「甚六」の暖簾をくぐった。見かけは「割烹」のようであったが、中は意外と“昭和の居酒屋”風で、その時は母娘(嫁?)が対応、お品書きも手書きで、メニューも一般家庭の夕食の品のように感じた。昭和の時代から夫婦で営み、そのまま平成の時代になっても、ビルの谷間で細々(?)と守り続けてきた感じ。予約して店を出た時、いかにもご近所にお住いと思しき、高齢の男性二人が、引き戸を引いて入っていった。
 記憶が薄れてしまっているが、1980年代であろうか、多分故牧野 剛さん(河合塾の名物講師)の選挙の事務所がこの今池にあって、その応援でしばらく通ったことがあった。そこで記憶をたどりながら散策して、選挙事務所のあったビルを見つけることができた。“あのころ”がしばし甦った夜であった。

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六ヶ所ピースサイクル(2)

   愛知から六ヶ所村長への申し入れ
 8月20日付で「六ケ所行動」参加の仲間に、戸田 衛六ヶ所村長宛ての以下の要請書を託した。
   (前文略)
  「原子力発電」の現状に関して率直に申し上げます。
  現状の経過をみますと政府は、2014年4月にエネルギー基本計画で原発を「重要なベースロード電源」と位置付け、原子力規制委員会の規制基準に適合した原発の再稼働を進める。2030年時点の原発比率を20〜22%と定めるなど、将来的にも原発を活用する、といった閣議決定をしました。そして本年5月に総合資源エネルギー調査会でエネルギー基本計画の素案が了承され、2030年の電源構成は原発20~22%、再生可能エネルギー22~24%と従来の目標が維持されました。また安全性が確認された停止中の原発を着実に再稼働させるという方針を維持するとし、7月3日に新しいエネルギー基本計画を閣議決定しました。
 このような政府の方針に対しては、一方で報道によりますと「閣議決定された基本計画が描く将来像は内外の潮流から大きくずれており、変革期の道標たりえない。まず目標自体を見直すべきだ。原発の比率を大幅に引き下げ、再エネは逆に引き上げる必要がある」という主張があります。
  また私たちは昨年の申し入れでも、「原発ゼロ」を基本として、人類の手に負えない「核」を巡っては、1945年の広島、長崎への原爆投下で、数十万人の爆死、被爆、後遺症。その後の度重なる核実験場になった南太平洋の島々のみなさんの惨禍。イラクなどで使われた劣化ウラン弾による子供たちなどへの悲惨な影響、そして、1986年のチェルノブイリ原発事故、2011年の東京電力福島第一原発事故の震災・人災等々を考えるまでもなく、核兵器、原子力(核)発電を含めた「全ての核の廃絶」は、生きとし生けるもの全てにとって“悲願”ではなく、なさねばならない“務め”であると、私たちは確信しています、と申し添えました。
 このような観点から私たちは、貴職に対して改めて「核燃料サイクルに頼る村政を改めること」「再処理工場の閉鎖を求めること」を踏まえた村長声明をお出しになり、議会に働きかけ、決議がなされるようご尽力下さるよう、ここに申し入れをするものです。
 情勢が大きく変わっていないので、内容的には前年を踏襲している。

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2018年8月27日 (月)

六ヶ所ピースサイクル(1)

 六ヶ所、原燃、青森県へ申し入れ
 25日から始まったピースサイクル「六ヶ所行動」の最終日の今日は、「ピースサイクル2018」のフィナーレでもある。この日は、午前9時から六ヶ所村役場に出掛け、11項目の質問と「核燃料サイクルと人類は共存共栄できないことがはっきりした現在、核燃料サイクルに頼る村政を本気になって改めてください。」など5項目の要請を行うことになっている。
 11時からの「日本原燃(株)」への申し入れでは、10項目の質問と「竣工完工3年間の延期だけでなく、再処理工場の本格稼働の中止と核燃料サイクル計画からの撤退を強く求めます。」とする要請事項を申し入れする。
 午後からは青森県庁を訪ね、12の質問項目を持って臨み、「再処理工場の竣工完工が3年間も延長されることは尋常な事態ではありません。無理に無理を重ねても安全な再処理工場の竣工は無理です。もしも稼働すれば、大規模な放射能汚染をもたらす再処理工場の操業は認めないでください。」「危険な断層上にある東通原発を廃炉にしてください。」など5項目の要請と質疑に臨む。
 すべての行動を終えたところで、簡単な総括をして現地解散となるが、この間、現地の運動団体との交流もあって、「核燃事業断念」の運動に寄与されたものと思う。
 また、自転車の別動隊からは、「8月2日の朝に大間港(下北半島の最北端)まで車移動。弘前(青森)ピース、埼玉ピースの人達と道南(函館)ピースを迎えて、大間村役場へ要請行動。その後、もう3つ申し入れ行動をした」との報告も入って来ている。
 2014年の「六ケ所行動」に参加した私は、核燃料サイクル事業の本元を訪ねたことで、幾らか臨場感をもってこうして毎年の経過報告を書くことは、この愛知での「脱原発」運動の関係者への情報提供の一つでもあると思っている。
 六ヶ所、日本原燃、青森県への、ピースサイクル愛知(私)からの要請を順次紹介したいと思っている。

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2018年8月26日 (日)

C&Lリンクス愛知・電子版12号

 立憲パートナーズに関連して
  前後するが、19日に立憲パートナーズの有志が集まって意見交換をした。その経過と結果を19日、22日、23日のブログにアップしたものをまとめて、「C&Lリンクス愛知・電子版12号」を25日付で発信した。内容は、1)立憲パートナーズ始動!各地の動きなど。愛知でパートナー有志が議論。2)8・15 戦没者追悼、非戦平和の誓い-近藤昭一議員が追悼の言葉。3)立憲民主党と関連のマスコミ等の情報。8月8日~8月24日。4)随想・8 冊子 「追 伸」 第1号から(阪野)。5)映画「コスタリカの奇跡」(名古屋映画上映実行委員会)で全6頁。
 不定期刊であるが、発行の動機は、主として立憲民主党になにがしかの動きがあった時、或いは私が関与したときである。しかし10日ごとに発行ももう一つの動機であるから、政治課題、地元の情報等、立憲民主党とできるだけ関連付けながら出すこともある。
 さて次は、「C&Lリンクス愛知・紙版」第83号で、9月中旬が発行目標である。ここでは立憲民主党関連が半分を占めても、他の政治的、社会的問題、労働問題などが織り込まれる。ピースサイクルの報告も予定稿である。

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2018年8月25日 (土)

「線量計が鳴る」中村敦夫の朗読劇

 元・原発技術者のモノローグ
 豊田市で開催された中村敦夫の朗読劇「線量計が鳴る」を観に(聴き)行った。最前列の本人の前に席を取ることができたので人一倍、感激(観劇)できたと思った。なお前日に名古屋でも開催され満席とのことだったが、今日の会場は約250席、ここでも満席であった。(実行委員会は、市政改革・とよた市民の会とGreen maman)
 まずこの企画の背景、内容の流れを見ておくと、「自らの足で取材をし、3年がかりで脚本を書き、たった一人で舞台に立ち、語る。原発の問題に真正面から向き合ったこの作品は、政治家、ジャーナリスト、作家としても活躍してきた俳優・中村敦夫さんの『表現者としての集大成』であり、ライフワークでもあります。
 背景のスクリーンにデータや専門用語が映し出され、基本を知ったうえで原発を考えることができると高い評価を得ています。」(他県別会場のチラシから)
 この朗読劇は、「啓蒙演劇」というジャンルに入る。情感に訴えて感情を揺さぶるのではなく、問題を指摘し観客を覚醒させ、新しい視野を提供する(チラシから)。15分の休憩を挟んだ「一幕四場」約2時間の公演で、元・原発技師だった老人のモノローグ(独白)として展開していく。
 (ピッ ピッ ピッ 線量計をかざしながら、一人の老人が登場)
一場:原発の町で生れ育ち原発で働き、そして原発事故ですべてを失った主人公のパーソナル・ヒストリー(個人史)
二場:原発が作られ、日本に入ってきた事情。原発の仕組み。福島事故の実態。(15分の休憩)
三場:主人公のチェルノブイリ視察体験。被曝による医学上の諸問題と現実。放射線医学界の謎。
四場:原発を動かしている本当の理由。利権に群がる原子力ムラの相関図。

 さてこの一人の老人-主人公は、原発の町で生まれ育って原発で働き、原発事故で全てを失った元原発配管技師。中村さんは福島第1原発事故後、チェルノブイリ原発事故が起きたウクライナや福島を取材で訪れ、多くの人への聞き取りなどから主人公を作り上げた。老いた元原発技師のたどった悲劇が福島弁でぼくとつと語られ、「原子力ムラ」の利権に群がる人々を告発する。(公式H・Pから)
 確かに“・・・でねぇべか”が、強い印象のある「反原発」といった言葉を和らげるような、庶民の感覚、目線で説かれているような、つまり原発の問題は、国家的問題、傲慢な企業(東電、電事連)の大罪であり、反原発運動は、特定の人たちのものではない、ここにいる「私たち」の、今の今の問題ですよ、とそれがすっと落ちてくる気がするのだった。そして何より、この「原子力発電」の問題点が網羅されているから、その鳥瞰図を見ている気さえしたのだった。
 最後に、印象に残った言葉として、「原発は覚せい剤みたいなものだった」「ホアンインアホ(保安院阿保)」の回文に会場に笑いが広がった。
 また、~原発を推進する考え方は「オウム原発真理教」と捉えると分り易い。その表の教義は「核燃料サイクル」。永遠にタダでエネルギーを作り続けることができるというマジックの信奉だ。そして裏の教義は「ボッタクリ」、それを操っているのは「原子力ムラ」「原発マフィア」あるいは「六角マフィア」だ。~(ある投稿から)
 この朗読劇をライフワークとする中村さんは取材に「原発事故が起きるまで、日本は安全神話に毒され、事故後は誰も責任を取らない。この国への公憤、義憤を込めて演じたい」と話したと言われる。
 見逃した方には、次の講演がある。
■津市(三重県)公演
日時:2018年11月1日(木) 18時30分開演
会場:三重県総合文化センター小ホール
チケット:全席自由 前売 1500円/ 当日 1800円/ 高校生以下 1000円
主催:「線量計が鳴る」津公演・上演準備会TEL・FAX:059‐224‐4495(濱口)
    Eメール 
hamag@za.ztv.ne.jp

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2018年8月24日 (金)

ドキュメ映画「コスタリカの奇跡 」

  ~積極的平和国家のつくり方~
  近藤昭一衆院議員が実行委員長を務める「名古屋映画上映実行委員会」主催の映画会「コスタリカの奇跡~積極的平和国家のつくり方~」が夕刻から行われ観に行った。
  この会は、2013年から始まり、8月に開催されることが多いのだという。これまで「ひろしま(2013年)」「ひまわり(2014年)」「ハーツアンドマインズ(2015年)」「不思議なクニの憲法(2016年)」「スノーデン(2017年)」そして今回が6回目である。
 私はこの映画鑑賞を大いに期待していて開場15分前に到着し、いわゆる「S席」と思しき場所を確保したまではよかったのだが、いざ始まるとスクリーンが二重になって見え、字幕についていけない状況となった。持病でもある眼病の軽い症状である。その上眠気が襲ってきて、第1章から6章まであったような気がするが、とにかく記憶があまり残らないまま終えてしまった。
 かすかな記憶と予備知識から振り返れば、まずコスタリカといえば「軍隊のない国」となる。1948年に常備軍を解体し、軍事予算をゼロにした。そして無料の教育、無料の医療を実現し、環境保全のためにどのように国家予算を投入していったかを章ごとに詳しく説明していく。
  軍隊廃止を宣言したホセ・フィゲーレス・フェレールや、ノーベル平和賞を受賞したオスカル・アリアス・サンチェスなどの元大統領や、ジャーナリストや学者など、さらし市民が登場して、この国のゆくえ、息子を兵隊にとられない平和のありがたさが映しだされる。
 もちろんその過程は平坦ではなく、アメリカの圧力、資本の進出、ニカラグアの侵攻にも武力を使わないで「話し合い」で解決していく。
  健康を図る指標「地球幸福度指数(HPI)」2016の世界ランキングにおいて140ヶ国中で世界一に輝いていること。またラテンアメリカで最も安全とされているコスタリカ。
  憲法論議、安全保障問題だけなく、自然災害、教育、医療、介護などの福祉、税制等々、すべての面で“このままでいいのか”というこの日本であれば、国を取り巻く環境に大きな違いがあれ、一つの形がここにあると知らされた。
そして副題の「積極的平和国家のつくり方」は、私(たち)にとって現在進行系の課題である。(引用多し)
  原題:A BOLD PEACE/監督:マシュー・エディー、マイケル・ドレリング/公開:2016年/製作国:アメリカ・コスタリカ/90分/配給:ユナイテッドピープル

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2018年8月23日 (木)

立憲パートナーズの展開(2)

地域展開へリーダーは欠かせない
  政党としての地域活動を進め、党員、パートナーを広く募集していくにはどうしたらいいのかという本題、所期の目的に議論がそうたやすく進まないのが普通だ。
  それで、この地の広域でウイングを広げて活動を進めている幾つかの団体名が上がって、参考とすべき現状が報告された。その中に「安保関連法に反対するママの会」「女性首長を実現する会」「市民と野党をつなぐ会」「市民アクション」の名前が出て、それぞれの動きが断片的に話されたが、把握しきれなかった。
 「たまり場」という人の寄る場所、機会を
  私からは、居住地における「人の塊り」をつくっていくことから始めたらいいというような原則的な意見を述べた。それは様々な「同好の集い(会)」というグループ作りであり、そこへ行けば誰かと話もできる「たまり場」の必要性ということでもある。この「たまり場」というのは、“日ごろため込んでいるあれこれを吐き出す場所(Yさんの意見)”でもあり、巷の声を拾うことのできる空間だと思う。
  既存の「○○カフェ」「お茶会(ティーパーティ)」「読書会」などは、広く行われている事例だと思う。某団体のように場所を固定せず、移動させながら「出張型の意見交換会・講座」というのも一つの例だ。
  2016年の参院選前の5月から6月にかけて取り組まれた、県下を19日間かけて回った政治宣伝活動「あいちキャラバン」も実践例としてある。
  いずれにしても、それを具体化するのは、地方議員であり、党員、“活動家(リーダー)”であろうと思う。ただ予断が入っているかもしれないが、参集したパートナー有志7人のうち、企画、運営にかかわり、実践している“現役”は、私自身は入れていないが、お二人かなと思った。その意味では、企画案もさることながら(若き)リーダーの参集が必須ではないだろうか。既に開講されている「立憲民主・パートナーズアカデミー」は、その育成機関だと認識しているが、現状はどうなっているのだろうか。
  10月頃にワークショップ型のパートナーズの集まりを開く方向が集約されたが、どうなりますか。

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2018年8月22日 (水)

立憲パートナーズの展開(1)

  議論は、立憲民主党論から
 8月19日に愛知3区総支部・近藤昭一事務所に顔をそろえたパートナー有志は7人、進行役の成川秘書を含め事務所関係者4人、そして近藤衆院議員。パートナーは岡崎や大府からも来ていたから、3区だけではないらしい。第1回ということだから、これから先、違った領域の人たちの集いもあるのかもしれない。
 最初に近藤議員から「立憲民主党とは」ということで、立党に至る経緯と政党としてのアイデンティティを求めていく。希望の党、国民民主党のとの違いでは「IR(いわゆるカジノ法)」の対応もあるが、特に「原発」についての政策の違いが大きいとされた。さらに一部での立憲民主党たたきの一つ「野党(立憲)は、反対ばかりしている」と揶揄する向きもあるが、先の通常国会での法案の賛否が表として示された。それには、衆院83議案のうち立憲民主党・市民クラブは賛成数が62で全議案の74,7%を占め、反対又は欠席は21件となっている。
  また衆院愛知6区に総支部を立ち上げ、松田功議員(比例東海)を総支部長とした。それは松田議員を次期総選挙で候補者として擁立することを意味する。ここは既に国民民主党が森本和義氏(元)を擁立することを決めているから、野党統一が成立しない可能性がある。その背景説明がなされた。
  さてこの日の集まりの目的は、党の拡大、前進のために「立憲パートナー」を広く募集していくことが欠かせない。そのための何らかの仕掛け、工夫が必要であり、例えば「パートナー募集イベントの企画」「タウンミーティングの開催」「立憲カフェ」の継続的開催などについて、知恵を出し合おう、意見交換をしようというものであった。
  だが初顔合わせということもあって最初の話題は、立憲民主党は立ち上がったが「政策が見えない、はっきりしていない?」「安倍とここが違うという政策をもっと強く打ち出すべきだ、例えば消費税に対して党の政策を」といった政策論議から始まった。他に「貧困問題、それは人権の問題であり、“戦争要因”の一つでもあるから重要な課題だ」また若者の問題の一つでもあるが「教育ローンが若者を苦しめている。現在の奨学金制度を廃止し、教育の無償化を進めるべきだ」という意見も。この問題は深掘りされなかったが、まずは高校生まで無償化として、ゆくゆくは大学も、ということも含まれると私は受け止めた。
  私は、大学の無償化ということには異論を持っている。そもそも今のような大学の数が必要なのか、大学を出なければ、生涯賃金に大きな差が出る現状を良しとするのか。農林水産業などの第1次産業の就業者が減少し続けている現在、或いは伝統工芸、ものづくりの職人・熟練者の後継者不足などについて考えてみれば、「大卒者」ばかりを送り出す政策が“この国のゆくえ”にかなっているとは思えないのである。
  或いは、労働力が不足している領域は「外国人労働者」に担ってもらえばいいとでもいうのであろうか、圧倒的格差の(差別的)労働諸条件のもとで。
  この問題は、「教育、職業選択の自由」「教育への国家介入の弊害」などの問題を含んでいるが、「学歴格差」をなくし「職業に貴賤なし」を説き、小中高の時から幅広い職業の選択肢を示すといった、政党としての「あるべき国のビジョン」を示すことに躊躇すべきでないと思うのである。
  「若者」についての話題をもう一つ。今や「インターネットの時代」といわれ、その主役は若者である。その若者が顏の見えない相手と交信し、責任回避の「匿名」で書き込む。実名で言葉にしてあるいは文字にして表現しないのはなぜか。「無意識であろうが、与えられたものに従う、受け身ばかりの弱者化したから?」だから「対面会話」「対立論議」を苦手とし回避するという「自己表現ができない」からだろうか。
  私の経験では、例えば何かで「異議、反対」を唱えるとき、反対する理由を考え、相手からの突っ込みに備え、一応「対案」なるものを用意する。そんな事前の学習、準備をしたものだが、そこのところが欠落して、或いは議論そのものを忌避して、安易な、思いつきの“言い放し”になってしまうのであろうか。
  ここでは「若者」と一括りにしてしまったが、全部が全部ではないのは当然だ。そうであれば私たち(高世代)のなすべきことは、宝の山(若年層)を掘り進み、エリート(金鉱脈)ばかりを求めるのではなく、玉石混交の見極めの眼力を持つことから始めるべきかもしれない。 
続く。

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ピースサイクル2018「六ヶ所行動」へ要請書

 核燃料サイクル事業の中止を求め
  ピースサイクル2018「六ヶ所行動」は、8月25日から27日であり、25日、26日が土曜、日曜にかかる関係で、青森県、六ヶ所村、日本原燃への申し入れは、月曜日の27日に集中して行われる。
  そこで毎年のことであるが、ピースサイクル愛知から、訪問先3か所への「要請書」を作成し、今日の午後一行宛てに発信して託した。
  この種の要請が、知事、村長、社長に届き、どれほど考慮されるかはわからないが、少なくとも「世論の一部」であり、私たちの主張変わることなく継続されていることは認識されることだろう。また、この申し入れは、地元の関係運動団体に対しても、応援歌としての意味もあろうとかと思う。さらに首都圏から青森まで自転車でリレーしつつ、「六ケ所行動」の主力隊と合流して申し入れに参加する人たちへの激励にもなろうと思う。
  原発を巡っては、2011年の福島原発事故以降、「脱原発」世論が多数派になってはいるが、年々風化されていないか危惧する。そんな中での「ピースサイクル全国運動」の意義は大きいものがあると私は自認していて、それが今日まで続けられ、支えられてきたといえる。そしてメッセージ、要請書を書き、送り続けているのである。
  とはいえ今年は、文書作成に苦労を重ねた。例年以上に行き詰まった。思い切って全面的な書き直しも考えたが、ついにそのきっかけがつかめず、昨年の文書を下敷きにしたものになった。それでも核心部分はしっかり押さえた積りなので、躊躇せずに送り出した。

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2018年8月19日 (日)

立憲パートナーズ始動!

 各地で、愛知でも・・
 立憲民主党がスタートして間もなく1年になる。9月29日、30日に「立憲フェス」と称して、初の党大会が開催される予定だ。そこで私はこれまで、政党としての組織体制とその全国展開はどうなっているのだろう、という情報は、もっぱらマスコミと本部のホームページから取り寄せてきた。
 その中で気になるのは、「党員とパートナーの違い」であり、「立憲民主党はあなたです」というキャッチフレーズの「あなた」とは誰で、その「あなた」とコンタクトをとる手立て、役割は誰?ということがあった。
 端的に言えば、「あなた」とは有権者であり、立憲民主党に期待を寄せ、共に歩んでくれる人であり、それ即ち「立憲パートナーズ」となってほしいそのような対象者であろう。
 では、「党員とパートナーの違い」は何かであるが、私は今一つ理解しかねている。「党員は党費、パートナーは登録費」を収める、これはわかる。党公認の議員は党員でなければならない、も当然であろう。「党員は党の機関紙の購読義務」があるが、パートナーも購読費を払えば購読できるので、単に義務か任意の違いでしかない。では規約ではどうなっているのか。立憲パートナーズは第4条2で、「本党を通じて政治過程に参画することができる」とある。一方党員は第5条2で「党運営及び政策等の決定とそれ基づく活動に参画する」とある。つまりパートナーと党員の違いは「党運営及び政策等の決定」に参画できるかできないかの違いであろうと思われる。(第3条)
 組織について考える。例えば労働組合組織は、執行部と一般組合員とで構成され、執行部も3役と執行委員で構成され、3役の長が執行委員長ということでピラミッドが形成されている。現在の、これまでの政党の組織も同じような形態とみていい。では立憲民主党は、これまでの政党とどこが違うのか。
  こんな形で想像できるだろうか。ピラミッド型(三角形)の下の部分を残して上3分の2くらいを水平に切り取ると、平べったい「台形」になる。その台形の中央に鍋蓋の“つまみ”がついている形を想像すると、そのつまみこそは枝野幸男代表で、台形の上層部に党役員・国会議員が占め、さらに地方議員、党員が重なるように層をつくり、ボーダーレスでパートナーが底辺で支える形。つまり枝野代表をリーダーとして、党の執行部とパートナーは、上下の厚み(距離)をできるだけ薄くして、意思の疎通をより良好にする、即ち顔の見える、ボトムアップの距離を短くする、ということではないか。
  さて組織は出来上がっていき、それを担う人も集まり出して、“党勢拡大”に向けた地域活動、その実際の現場ではどうなっているのか。その試みというか、実践が既に始まっている。パートナーとその可能性のある人に向けた、例えばやや規模の大きい「タウンミーティング(各地)」「パートナーズ対話集会(大分)」少し大きめの「立憲げんきパートナーズセミナー(大阪)」少人数の「立憲カフェ(各地)」等であり、議員個人の行動は別にして、パートナーも参加する街頭での「月イチ街宣(大阪)」などの報告が上がってきている。
  では愛知ではどうであろうか。原発のタウンミーティングが行われ、3区総支部近藤昭一事務所での「立憲カフェ」は、回を追うごとに参加者が増えてきているという。
  そうした中で今日、パートナーの有志が集まって、参加型の活動を進めるその意見交換会があった。これについて報告したい。 
(続く)

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2018年8月16日 (木)

六ヶ所ピースサイクル

  激走の仲間へ応援メッセージ
  8月17日から始まる「東海村現地行動」をスタートとする東北のピースサイクルは、いわき市、郡山市、仙台市、一関市、盛岡市、八戸市のルートを辿り、25日に六ヶ所村役場で「六ケ所行動」に参加する仲間、函館からの仲間と合流する。そしてピースサイクル2018を締めくくる「六ケ所行動」が始まる。その日は、六ヶ所村村長宛ての申し入れを行い、翌26日に日本原燃社長宛の申し入れを行い、27日には青森県知事への申し入れを行うという予定だ。
  その出発に先立ち「六ヶ所ピースサイクル参加のみなさまへ 愛知からの応援メッセージ」を今日の午後に発信した。長旅にして天候不順もあり、体調の維持に努め、それぞれの地域での交流を深め、「核燃サイクル廃止」の成果を上げてほしいと願うばかりである。
 応援メッセージの一部は、次のようなもの。
  ~ 24年目の「六ヶ所ピースサイクル」は、首都圏から、茨城県、福島県、宮城県、岩手県、青森県を結ぶルートをたどりながら、それぞれの地で活動する「脱原発・反核燃」市民団体と交流し、運動を共有するものと思っています。とりわけ3・11の東京電力福島第一原発事故以降「日本原燃・再処理工場」における想定外の大地震による放射能汚染の危険性のほか人的ミス(ヒューマンエラー)等々、再処理工場の存在、稼働に重大事故の心配は増すことはあれ、消えることはありません。そのような中での東日本を辿っての「六ヶ所ピースサイクル」は、みなさんの尽力、奮闘によって継続されていることに敬意を払うものです。
  最後に、翁長雄志沖縄県知事のご逝去を悼み、辺野古新基地建設阻止・全米軍基地撤去に向けた闘いを誓い、ピースサイクル一行のみなさまの頑張りと無事を祈りつつ、この愛知での運動の前進をもって応えていきたいと思っています。現地の運動団体へは、一行のみなさまからよろしくお伝えください。~
  出来ることなら、ピースサイクル全国マップの全参加はムリだとしても、幾つは同行したいと思っているが、年々歳々その気力が削がれていく現実がある。まずはその障害を取り除く知恵からはじめねばならない。

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2018年8月14日 (火)

翁長雄志さん追悼特集号を発信

 C&Lリンクス愛知電子版・第11号
 間を置かず、C&Lリンクス愛知電子版の9号、10号、そして11号と発信した。内容のほとんどがマスコミなどからの引用でしかないが、「特集」とすることで、事案をまとめて読んで戴けるのではないかと、また“忘れないでほしい”ための印象付けということもあっての発信だ。
  今号の内容は、
1)翁長雄志沖縄県知事の訃報に接して 立憲民主党幹事長 福山 哲郎
2)「平和希求の心引き継がれる」と稲嶺恵一元知事が弔辞 翁長知事の葬儀行われる 午後3時からは一般焼香の告別式
3)報告 沖縄・美ら海を守れ、そして翁長知事追悼-8・11あいち連帯行動が開かれる-
4)あゝ 翁長知事、告別の日に 
5)沖縄県知事選挙は9月30日
6)報道から拾う 翁長雄志沖縄県知事の死去から県民大会まで
7)翁長雄志沖縄県知事逝去に伴う記帳所の設置について 沖縄県名古屋情報センター
  ということで全9頁となった。
  いろいろ採り上げていくと、あれもこれもとつい“思いつき”に手を出しそうになるが、それらの多くは中途半端になることが少なくないので、自重、自重である。
  沖縄の情勢を注視しながら次なる課題は、「シネマ散歩緑」の会報と、ミニ詩集の執筆に移る。ネット情報からは9月も行動参加の呼びかけが多く発せられている。家事も手が抜けないので、体調維持に努めながら乗り切る積りだ。

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2018年8月13日 (月)

翁長知事と告別の日に

  男の気持ち・生き方(155)
  肉親や恩師、活動を共にした仲間の葬儀は別にしても、幾らか見知った公人の死を悼み、葬儀の場に心が飛んでいくという経験はなかったように思う。
  しかし、翁長雄志沖縄県知事の場合、これまでと違う感情が心に漂い続けている。ご本人と対話した機会はなかったし、メール、手紙など何がしかのやりとりをしたこともない。こちらからは、ピースサイクル運動の一つとして知事宛てにメッセージを送ったこと。そして2015年に「沖縄ピースサイクル」の一員として参加し、6月23日の「沖縄慰霊の日」に、糸満市の南部の、各県の遺族会が設置した慰霊碑のある場所で開かれた「国際反戦沖縄集会」に参加した時のことだった。そこの「魂魄の塔」の前で私は初めて対話はなかったが翁長知事と出会った。その時のブログは「ところで、集会が終わった3時半ころ私は、魂魄の塔の前あたりで翁長知事と遭遇した。多分、北海道の慰霊碑の前では某市の慰霊祭が行われたが、そこに参列するために知事は訪れたのであろう。一礼すると軽く会釈して車に乗り込んでいった。」と書いていたことくらいだ。
  琉球新報によれば、翁長雄志知事の告別式は13日午後3時から4時半、那覇市松山の大典寺で行われるという。そして喪主は妻の樹子(みきこ)さん。告別式前に翁長知事の遺骨と遺影を携えた親族の車が那覇市役所や県庁などを回り、大典寺へ向かうとのこと。また遺族の意向を確認した上で、共催する県議会や関係団体と調整したうえで、県は県民葬の開催も検討しているとのこと。
  ということもあるにはあるのだが、それ以上に「沖縄」それへの関心、かかわりの度合が高いことが心底にある。
  古くは1972年の沖縄返還「闘争」へのかかわりであるが、そのころに「沖縄・琉球」の歴史を学習したことが私の中にこんにちの流れをつくったといえる。そして「憲法・安保・自衛隊」という一連の政治課題の中で「沖縄」は常に中心課題であった。
  さて翁長知事に関して私は、当初「保守の人」ということで、いささか懐疑的に見ていた。また「オール沖縄」についても、財界が加わることで「米軍基地返還」の軸が薄められるのではないかという警戒心すら持っていた。
  そこには皮相な政治感覚だけがあって、翁長知事と沖縄の人たちの「アイデンティティ」に思いがいたらなかったわけである。
  2010年に、私が編集長として創刊した「APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)愛知」の冊子「ACTION REPORT」の巻頭では、「わたしたちは忘れない!そして忘れてはいけないこと」として「世界全ての核の廃絶を! 怒りの広島 祈りの長崎 決意の福島」を取り上げ、もう一つに「全基地の返還まで沖縄を忘れず!」とし、「どんな政権であろうと沖縄を返せ!沖縄に返せ! 普天間基地を返せ!辺野古への移転拒否!全米軍基地を返せ!」を掲げ続けてきた。
  翁長知事の遺志に心いたし、沖縄の現状を打破していくには、私たち本土のものが、どこまで「わがことの問題」として向き合うかどうかにかかっているといえる。私(たち)もまた何ができるか問い返してみたい。 合掌

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2018年8月11日 (土)

沖縄・美ら海を守れ、そして翁長知事の追悼

 8・11あいち連帯行動が開かれた。
 8月17日から辺野古では、埋め立ての土砂投入が始まるとの状況を前に、現地沖縄で「土砂投入から辺野古美ら海をまもろう!沖縄県民大会」が、この11日に開催されることになっていた。
 そこに翁長雄志知事急逝の事態に立ち至って県民集会は「追悼集会」も兼ねることとなった。当初予定の3万人集会は7万人集会となったとのこと。
 名古屋では、「土砂投入から辺野古美ら海をまもろう!沖縄県民大会、8月集中行動へ 心一つに8・11あいち連帯行動 」が、名古屋・栄で午後3時半から開かれ、当然追悼の場になった。
 集会を呼びかけたのは「あいち沖縄会議」で、「沖縄高江への愛知県警機動隊派遣違法訴訟の会」「戦争をさせない1000人委員会あいち」「愛知県平和委員会」が協賛団体となった。
 私は、当日の参加者推奨カラーが「青」だったので、ピースサイクルの“シーザー”などがデザインされた、青のTシャツを着て出かけ、30分ほど前に会場に到着した。そこで「喪章」を渡されたので左肩につけた。300人ほどの参加であったろうか。
 本村衆院議員(共産)をはじめ数人の短めのアピールを受けた後、「今こそ立ち上がろう」を歌い、デモの出発前に1分間の黙とうをささげ、名古屋の繁華街でのデモに出発した。このデモのシュプレヒコールの合間に「8日に、辺野古の新基地建設を許さないとその先頭に立ってこられた翁長知事が亡くなられました。私たちはその決意、遺志を引き継いでデモを行っています。」というアピールが流された。また、今回のデモでは初めて、シュプレヒコールに「名古屋弁バージョン」が採り入れられた。
 今後は、今年7月に翁長知事が埋め立て承認の撤回を表明し、手続きを進めて来たので、沖縄防衛局の承認撤回に関する聴聞はすでに終えて、その延期を認めないと決している。17日に土砂投入が行われることはないであろうが、全面的な埋め立て阻止が課題である。そして同時並行として、9月中に行われる知事選挙の候補者選定、選挙態勢の構築と即時展開はまったなしである。
 そこで私たちのできることはなにか。手っ取り早く「資金カンパ」であろう。

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2018年8月10日 (金)

C&Lリンクス電子版第10号

8・9長崎原爆の日特集
  8月7日の第9号「8・6広島原爆の日特集」に続いて、「8・9長崎原爆の日特集」を編んだ。
 内容は、1)立憲民主党のH・Pから「枝野代表が平和祈念式典に参列、原爆死没者への慰霊と恒久平和を誓う」2)田上富久市長が読み上げた「2018年 長崎平和宣言」の全文。3)式典から取り上げた①長崎市立城山小学校5・6年生による合唱曲「子らのみ魂よ」②純心女子高等学校1・2年生による被爆50周年記念歌「千羽鶴」③長崎平和祈念式典に寄せる、アントニオ・グテーレス国連事務総長の演説の全文。4)田上長崎市長へ 長崎原爆の日を迎えるにあたり、平和のメッセージ(名古屋市民として)5)随想7 大衆運動と私―内在する“個人主義”について―
 以上の6頁であった。
 平和宣言は、新聞各紙に乗っているし、インターネットから拾うこともできるから、あえて載せるのはどうかと思ったが、経験的に、必要が生じた時すぐに引き寄せられるのは「○○に載っていた」という記憶である。そのように利用されることがあるかどうかは知らないが、少なくとも私は、1年後にはまた読み返すだろうと思っている。
 今号は、前号から3日しか経っていないので、「立憲民主党と関連のマスコミ等の情報」は省いた。「随想」は、第8号の「バランスと突出・先駆-大衆運動では“広く浅く”かな-」の続編みたいなもの。今回のものは十分とは言えないが、この頃感じているテーマだったので、機会があれば、もう少し深掘りしてみたいと思っている。

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2018年8月 9日 (木)

長崎原爆の日に

 田上富久市長へのメッセージ
 昨日、翁長知事が亡くなられた報に接した時、“8月って、なんでこんな悲しい出来事が重なる月なのだろう”とぼんやり想ったことを思い出した。
 例年のごとく、今年もまたピースサイクル愛知として、長崎原爆の日の今日、田上長崎市長宛てに平和メッセージを送った。内容としては、松井広島市長宛のものと重複する部分が多いので、一市民として私自身のメッセージを送った。
      長崎原爆の日を迎えるにあたり
          平和のメッセージ

 来る8月9日の「長崎原爆の日(原爆忌)」を迎えるにあたり、名古屋市民の一人して、また「ピースサイクル運動」参加の一人として「非核・平和」のメッセージをお送りします。
 この1年を振り返ってみますと、地球温暖化・気候変動のせいでしょうか、西日本を中心とした集中豪雨の災害が繰り返されました。また昨年にも増して日本列島を包み込んだこの夏の猛暑は、異常ではありますが亜熱帯化の端緒ではないかとの不安を覚えます。そして相変わらず子どもたちへの虐待、老人保健施設などでの殺人も後を絶ちません。
 これらすべて悪しき政治のせいとばかり言えないとしても、心ない安倍首相、閣僚の言動の一つ一つが積み重なって、社会全体が無関心・諦めと共にヒステリックになっていないか危惧するところです。
                  ◇
 さて73年目の「戦災・被爆の長崎の夏」がやってきました。
 報道によりますと、昨年7月以降に長崎原爆資料館に寄贈された資料を展示する「収蔵資料展」が3日、長崎市平野町の同館で始まったとお聞きします。被爆の惨状を伝える被爆者の遺品など、12人から寄せられた計68点が並ぶとのことですが、それは新たな悲しみ、怒りと共に、永続的な核なき平和の社会、くらしを求める思いを強くさせるものではないでしょうか。
 貴職の、昨年の「長崎平和宣言」を読み返し、「核兵器廃絶」への強い思いと取り組みに感銘を新たにするとともに、私自身もまた、“老い”に負けることなく、長崎の心と繋がりながら、この地で「反戦・平和」「全ての核の廃絶」の運動に取り組んでいきます。
                  ◇
 私は、長崎と共に被爆地広島、原発事故の福島、米軍基地が集中する沖縄を忘れることなく、そして世界の全ての核の廃絶を求めてご尽力されている貴職の応援団の一人として、「長崎原爆の日(原爆忌)」を共に迎え、歩み、心に刻みたいと思います。
 世界で加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の副会長として、貴職のますますのご精励を期待いたしております。
              2018年8月4日

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2018年8月 8日 (水)

翁長雄志沖縄県知事が亡くなられた

 追悼に代えて・・・
 沖縄県の翁長雄志知事が8月8日午後6時43分、入院先の浦添総合病院で死去した。今年4月に膵臓がんの手術を受け、治療を続けていた。67歳。
 8日の夕刻に県庁で記者会見した謝花(じゃはな)喜一郎副知事の説明などによると、翁長知事は7月30日から浦添市内の病院に入院して治療を受けてきたが、肝臓にもがんが転移し、今月7日に容態が急変し知事の意識が混濁していることを明らかにし、その約1時間半後に亡くなったとのことだ。社民党の照屋寛徳衆院議員(沖縄2区)に謝花副知事から訃報が入ったのは、8日午後7時すぎだったという。
 翁長知事が亡くなる前の8日午後5時から記者会見した謝花副知事は、4日に病室で翁長氏と面会し、がん転移の説明とともに「抗がん剤の投与で、いろいろ状況に変化があるかもしれない。その場合は対応を頼む」と指示を受けていたことを明かにした。8日以降は謝花氏と富川盛武副知事が知事の職務代理については、「原則として長の職務権限の全てに及ぶ」と強調。謝花氏は知事不在でも手続きを進める考えをにじませたとのこと。(琉球新報)
 翁長氏は、1950年、那覇市生まれ。父は真和志市(現在は那覇市)の市長などを、兄は沖縄県副知事などを務めた保守系の政治家一家に生まれ育った。法政大卒業後、那覇市議2期、県議2期。自民党沖縄県連幹事長などを歴任し、沖縄保守政治家のエース的な存在といわれた。
 2000年からは那覇市長を4期務め、2014年11月の知事選で翁長氏は辺野古移設に反対して初当選した。今年4月に膵臓に腫瘍が見つかり、切除手術。5月に退院した後も体調を見ながら公務を続け、6月23日の「沖縄慰霊の日」の追悼式では「20年以上も前に合意した辺野古移設が唯一の解決策と言えるのか。日米両政府は計画を見直すべきではないか」と改めて訴えた。ただ知事選への再選出馬は明言していなかった。
 翁長知事の任期満了に伴い11月18日に行われる予定であった知事選を見据え、翁長知事を支える政党や労組などでつくる「オール沖縄会議」も、そうした翁長知事の戦略を支持してきた。
 翁長知事は4月に膵(すい)がんがわかって以来、抗がん剤での治療を続けるなど、健康を不安視する声は常にくすぶっていた。しかし、翁長知事は自民党県連幹事長や那覇市長を歴任した県政界の保守側の重鎮ながら、辺野古反対の旗を立てて知事選に立候補、保守・革新を超えて幅広い支持を集める「オール沖縄」を誕生させた立役者でもあった。
そうした経緯もあり、反対派の中では「翁長氏の代わりは翁長氏しかいない」(県政与党幹部)のが一致した見方であった。副知事の記者会見の直前にも、共産や社民など県政与党の国会議員や県議らが那覇市内で集まり、翁長氏再選を目指すと確認し合ったばかりであった。
 知事選は死去に伴い前倒しされることになり(死亡から5日以内に職務代理者が選挙管理委員会に通知し、そこから50日以内に選挙を実施すると定めており、9月中にも行われる可能性)、選挙に向けた動きは加速することになるが、反対派は厳しい状況になっていると思われる。照屋氏は「想定外の事態で候補者選定は暗中模索の状態だ。緊急事態である今こそ、一つにまとまらないといけない」と語った。
 翁長知事の死去を受けて、中央政界でも哀悼の意を示す声が相次いだ。自民党の二階俊博幹事長は「沖縄が抱える諸課題に対し命がけで取り組まれる知事の姿に、政治家として人間として通じるものを常々感じていた。ご冥福を心からお祈りいたします」とコメントした。
 立憲民主党の辻元清美国会対策委員長は「沖縄の最後のとりでだった。命を削って沖縄を守ろうとされていた」。共産党の小池晃書記局長は「命がけで辺野古に新基地を作らせないということをやってこられた。その遺志を受け継いで戦い抜くことで、翁長氏の無念の思いに応えたい」と語ったとのこと。

 残念!のひと言。
 8月11日の現地の、オール沖縄会議の呼びかけで3万人規模の「土砂投入を許さない!ジュゴン・サンゴを守り、辺野古新基地建設断念を求める8・11県民大会」が行われるとのことで、集会に向けた知事へのメッセージを思案中だったが、何としよう。
 名古屋でも午後3時30分から集会、4時からデモが行われる。集会趣旨に「翁長知事追悼」が加わることだろう。
 これには参加するつもりだ。 
(文の大半は、マスコミ報道からの引用)

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2018年8月 6日 (月)

PC愛知から広島への平和メッセージ

政府に「核兵器禁止条約」の進言を
 去る2日に送ったメッセージの概要を書き留めておくと。
  73年目の戦禍、敗戦の日本の夏、戦災、被爆の広島の夏がやってきました。
  8月6日の「原爆の日(原爆忌)」を迎えんとした7月、その広島に「平成30年7月豪雨」(西日本豪雨)と命名された集中豪雨が襲いかかりました。報道によりますと、広島県の住宅被害は浸水も含めると7月19日までに、38,000棟余に及び、広島市安芸区矢野東で、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊、安芸区では11人が死亡されたといわれます。ここに亡くなられた方のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げ、広島市をはじめ被災地自治体のご苦労に心し早期復旧を望むものです。
                              ◇
今年もまた私たち「ピースサイクル全国運動」は、「非戦と平和」「全ての核の廃絶」を訴えて全国の仲間と共に、「ピースサイクル」運動を続けております。今年で33年目を迎えました。
私たち「ピースサイクル愛知」は、東海道・山陽道をリレーするルートにあり、7月26日に豊橋市で静岡県からのリレーを受け(中略)28日には、航空自衛隊小牧基地を訪ね、(中略)そして広島へとつなぐ岐阜の仲間にリレーしました。
                              ◇
  さて私たちは、今年もまた「原爆の日(原爆忌)」の記念式典で貴職が読み上げる「広島平和宣言」に注目しています。それは広島県民のみならず、広く私たち「被爆国日本、日本人」の、平和と核兵廃絶の希求、その決意を示すものであり、世界へ発信するものになるからです。
  昨年は、7月7日にニューヨークの国連本部で行われました核兵器禁止条約制定交渉会議で「核兵器禁止条約案」が、国連加盟国中120ヵ国以上の参加で賛成122という圧倒的な数で採択されました。しかしながら残念なことに、世界で唯一の戦争被爆国であり、核保有国と非保有国の橋渡し役を求められていた日本はこの会議に不参加を表明しました。
  私たちは、こうした政府の姿勢を残念に思うと同時に、そうであればなおさら貴職が、加盟都市6,700を超えた平和首長会議の会長として「核兵器禁止条約」に賛成し、「更なる核廃絶の決意」を日本政府に要請し世界に示して下さい。そして「平和宣言」に盛り込んでほしいと願うものです。
                                ◇
  私たちの求める「全ての核の廃絶」は、「核兵器」はもちろんですが、「原子力(核)発電」も含まれます。(中略)世界から「核の脅威」から解き放たれるためには、核兵器に使われるプルトニウムを生み出す原発をなくすことが欠かせません。その意味からも原発を含めた「すべての核」の廃絶こそ、「原爆許すまじ」に繋がっていくものと確信しております。どうぞ、「原発ゼロ」にも力をお貸しください。
  最後に、貴職のますますのご活躍と、非核・平和への取り組みを期待しております。
 

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2018年8月 5日 (日)

映画「カンタ!ティモール」

 日進市での、平和のつどいで上映
 日進市で8月4日、5日に開かれた2018年「にっしん平和のつどい」の中の一つのプログラム、自主製作、ドキュメンタリー映画「カンタ!ティモール」(監督 広田奈津子)を観た。
 映画のナレーションは監督だと思われるが、現地語(テトゥン語とポルトガル語が公用語といわれるが)は字幕であった。ところが会話の字幕は左右だったのでこれはよかったのだが、この映画の特徴である全編を通して歌われる歌詞の字幕がスクリーンの下側だったので、しっかり読み取れず惜しいことをした。
 まずこの映画見つけてきた主催者に感謝したい。
 この映画の舞台である「東ティモール」の問題については、1970年代か80年代に「インドネシア軍の侵攻」「フレテリン」という言葉が断片的に浮かぶ程度で、私の関心は薄かった。
 私の中で次に「東ティモール」が出てくるのは、イタリア国籍のカトリック司祭であるステファニ・レナト神父が名古屋、小牧での外国人労働者を一時保護するなどの救援活動、人権活動で、1990年ころに弁護士会の「人権賞」を受けたこと、その後東ティモールに移住し、暫くして事故で亡くなられたことくらい。
 この映画は、「この島を襲った悲劇と、それを生き抜いた奇跡の人びと。その姿が、世界に希望の光を投げかける。詩のようにつむがれる言葉の数々。それは観る者の胸をそっと貫き、決して消えない余韻となる」というガイドに尽きると思う。しかし私たちは、現在と重ねてみることも必要であろう。例えばインドネシア軍の侵攻・残虐行為がかつての日本軍の蛮行と重なり、豊富な天然資源に恵まれたこの国だからこそ他国の争奪の渦に巻き込まれた。そこに日本も関与していて、つまりインドネシアへの経済援助が軍事援助となり東ティモールの人びとを苦しめたという事実。
 映画で印象残ったもう一つは、東ティモールの人々は、あれほどの迫害、虐待、虐殺を受けながら、決して敵を恨まず憎しみを連鎖させないという姿勢。2002年の独立に至る戦争では、傷ついた敵の兵士を手当てして送還し、命令のままに動く前線の敵の兵士、捕虜も人として扱い、独立の意義を伝えて釈放してきた。そうやって許しを得たインドネシア兵が戦争の愚かさを知るようになって独立を勝ち取っていく・・・。
 このシーンで私がふと思ったことは、インドネシアの多くの人々はイスラム教徒、東ティモールの人たちの大半はキリスト教徒といわれる。一見して「宗教対立」も背景にあるのかと思ったが、そうした背景は出て来ないし「フレテリン」の戦いも出てこない。人間が作り出した現代社会の政治、宗教という「対立」の世界がある一方、自然、大地を神とし、祈りと歌が人びとに暮らしと安らぎを与えるというもう一つの世界があると知らされた。
 私(たちは)便利な電化製品、自動車、パソコン等「文明、文化、産業」に囲まれた現在の生活からは抜け出せない現実がある。
 前述のステファニ・レナトさんは、東ティモールに活動の場を転じたが、その赴任前「・・・今、東ティモールに活動の場を移す準備を進めています。自分は教会の中で貧しい人々への理解を求めながら、豊かな日本に暮らし続けているという矛盾を断ち切るには、貧しい人々の中に入るしかない・・」と決断の動機を語っている。(名嶋聰郎弁護士の追悼文から)
 と、110分の映画からいろいろ示唆を受け、想起もしたが、明日になればまた「日常」に戻る現実がある。だが少なくともその「自覚」だけは残しておこう。

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2018年8月 4日 (土)

長崎に平和メッセージを送る

 個人のものも添えて
 広島市長へのメッセージを「ピースサイクル広島ネット」へ送ったのに続いて、気持ちが乗っているこの時、田上長崎市長宛の平和メッセージを、ピースサイクル愛知としてまた個人としてのもの2通を今日の午後投函した。
 個人として書いたものの末尾には「私は、長崎と共に被爆地広島、原発事故の福島、米軍基地が集中する沖縄を忘れることなく、そして世界の全ての核の廃絶を求めてご尽力されている貴職の応援団の一人として、『長崎原爆の日(原爆忌)』を共に迎え、歩み、心に刻み、ここに平和のメッセージを送るものです。」の一文を入れて締めくくった。
 やはり広島、長崎、福島、沖縄は、一括りにすべきでないとしても、忘れてはならないものとして、私の中では(かなり意識的に)同居しているのである。
 長崎へは、1980年代ころであろうか一度だけ行った。それはかつて1970年代三菱名古屋の闘いの指導・支援を受けた三菱重工長崎造船所の第3組合「三菱長船労組」を単独で訪ねた時だった。戦争と原爆の痕跡と平和公園を案内された記憶があるがかなり薄れてしまっている。“長崎へはもう一度”が最近の願望であり、「ピースサイクル長崎行動」への参加が一つのきっかけではあるので、今年こそはと思いつつ、ついに腰が上がらなかった。
 当たり前のことだが、日々刻々歳かさが増していくので、思い立った時に行動しないと、体力だけでなく気力も萎えていくであろうから、ここ数年が“勝負歳(年)”であろう。
 ともかく、広島、長崎へのメッセージを送ることができたので、間髪を入れず次の仕事に着手したい。

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2018年8月 3日 (金)

広島市長にメッセージを送る

  豪雨災害のお見舞いを添えて
 いったん着手しながら、どうにも先に進めなかったピースサイクル愛知からの、広島市長へのメッセージを昨夜遅く投函した。
 文章が行き詰まるのは、一つは10年、20年と書き続けていると、パターン化して嫌悪感というか、価値観を見失うことがままあるのである。そんな時新しい情報が入ってくるとそれが動機となってスタートできるのだが。
 もう一つは今年の場合、昨年のメッセージを読み返して“これって、完璧じゃん”と柄にもなく自惚れしてしまって、これ以上何が書ける?となって止まってしまったのである。
 何とか2日中に投函しないと間に合わない、という時間的切迫感がある程度集中力を高め、ふとした思いつきに出会うことがある。それが今回は「西日本豪雨」災害であった。それ自体「非戦・平和」「全ての核の廃絶」と直接的関連はないのであるが、序文に「・・・広島市安芸区矢野東で、土砂崩れにより約20棟の住宅が倒壊、安芸区では11人が死亡されたといわれます。ここに亡くなられた方のご冥福と、被災された方へのお見舞いを申し上げ・・・」というように据えたところ、本文も前年のものを下敷きにして一気に書き進んだのである。
 午後11時50分頃、3~4分先の郵便ポストに投函した。その帰り、南の空を見上げると、火星が(多分)はっきり見えた。あれほど難渋していたメッセージが「一気呵成(かせい)」に仕上がったのは、「火星」の後押しがあったから?
 この流れに乗って続けて長崎市長へのメッセージに着手したが、これは早かったので、併せて個人としてのメッセージを送ることにした。しかし、ここでまた中断したが、明日中には仕上がるだろうと踏んでいる。
  こうした流れを大事にして、「六ヶ所ピースサイクル」の、青森県知事、六ヶ所村長、日本原燃あてのメッセージ、申し入れ書も早期に手掛けたい。

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2018年8月 1日 (水)

8月がスタートした

 マイカレンダーを覗いてみる
  猛暑続きの7月を引き継いで8月が始まった。マイカレンダーを覗いてみる。
 生業から離れて20年が経つから「お盆休み」という意識はほとんどない。もっぱら家族の意向に従うだけだから、自ら出掛ける予定を立てることは少ない。そのようになってからもう何年になるだろう。
 8月15日を挟んで「戦争(展)」に関する催事が恒例で開かれる。その日のために一年をかけて準備をしてこられる人たちがいるのだが、私も2度ほど足を運んだが、“常連”にはなれなかった。今年はどうしようかな。それより、永年の夢である「巡礼の旅」が頓挫したままで、今年こそは「長崎・知覧」と思っていたのに、「ピースサイクル長崎行動」に参加し損ねて未だに予定が立っていない。
 8月6日広島、9日長崎の「原爆の日」に合わせて、ピースサイクル愛知から、両市長宛ての「平和メッセージ」を送ることが恒例となっているのだが、着手したものの先に進まず、広島へは今日、明日中にも投函しなければならないので焦っている。この時期になると、「平和宣言」の要旨が報道され、それをヒントにメッセージを構成するのだが、今年はそれが見つからない。国連の事務総長が8月9日に長崎を訪れるといったニュースくらいだ。
 「シネマ散歩緑の会」の映画鑑賞は、2か月に一回と決めているが、6月に「万引き家族」を観たので、8月が鑑賞月であり、作品の選択を進めている。個人的には、「沖縄スパイ戦史」(監督・三上智恵、大矢英代)と自主上映会の「コスタリカの奇跡」(24日)を予定に入れている。会のみなさんが、こうした傾向の映画をどうとらえているかわからないが、少数参加でも「沖縄スパイ戦史」にしようかな、いまはそう考えている。
 さて、とにかく「平和メッセージ」を仕上げ、次に不定期刊とはいえ「C&Lリンクス愛知・電子版」の第9号の作業が控えている。気合を入れないと。
 今日、何年ぶりかわからないが、内視鏡(胃)検査を受けた。“軽い胃炎がありますが、きれいですよ”といわれて、8月のスタートとなった。

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