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2018年5月23日 (水)

日大アメフトのラフプレー問題

あの日大が・・・日本の病弊の一つか
 5月6日に行われたアメリカンフットボールの日大-関学大の定期戦で、日大のDL選手が、無防備の関学QBの選手に背後からタックルするラフプレーで怪我をさせた。だがそれは「ラフプレー」を超えた「傷害事件」さらには、「組織犯罪」の様相を見せている。
 日大の宮川選手の記者会見を部分的であるがビデオで見た。内田監督、井上コーチの記者会見も部分的であるが見た。その印象、評価、そして選手の将来を案じ、監督・コーチをはじめ日大経営者への厳しい目線は、多くを言わなくても、見た人ほぼ同じであったと思う。
 日大アメフトの“あしき伝統”というのがあるらしい。内田監督の前の監督は篠竹某といい、「闘将」という名の規律は重んじてはいたが、鉄拳にスパルタだったという。独裁政権だったとも。それをそっくり受け継いだのであろう内田前監督は。「独裁者」といわれる者は、自分が独裁者だという認識以前に“歴史に名を残す”“過去にない成果を上げる”名将、経営者、政治家というヒロイズムに浸るのであろうか。
 それにしても“あの日大か・・・”
 こんな時、持ち出す事例ではないが、私はこの“事件”を知るとすぐに1968年ころの大学紛争、特に日大・東大における「全共闘運動」を思い浮かべた。私はすでに就職していて当事者ではないが、職場では「反戦派」の末尾についていて、学生たちの「全共闘運動」と「反戦派(少数派)労働運動」に、なにがしかの共通点を感じていた。
 当時の日大は、古田という独裁的会頭のもと、大学という名の今で言う「ブラック企業」「ブラックキャンパス」で、ついに学生たちが決起したのだった。(今の日大生のことは知らない)
 この事件と安倍晋三、安倍政権の類似性を指摘する声もある、確かに。ただ、それはそれであまり軽く考えないで、もう少し慎重に考えていかねばならないだろう。他にも政界だけでなく教育界、医療などの社会的な領域、業界にも蔓延していることはないかどうか。そうした病理、病弊の普遍的な要点をとらえることで、陰に隠れている“悪の親玉”あるいは、隠された“歴史的事実”が見えてくるのではないだろうか。リアルに向き合うことと根源を探る2面性を持ちたいものだと思う。

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コメント

アメフトにはあまり興味がありませんでしたが、宮川選手の記者クラブでの会見は全部見ました。長い沈黙をまじえながら、語られた言葉のひとこと一言が、この選手の誠実さを感じさせられました。高校からアメフトの面白さに夢中になっていた彼が、大学のチームにないってからだんだん面白くなくなってきた原因が指導の方向に疑問を感じていたことにあると自覚していたと感じました。日本の社会に深く根ざしている「なぜですか」と言えない無力感を、「分かりました」と自分を殺していく場面がいかに多いかと感じました。内田監督は「彼は能力が10あるとすればその半分しか出していない」「有望な素材だ」と記者会見で述べましたが、それならなぜ「全日本は辞退せよ」と迫ったのでしょうか。能力のある選手でさえ自分の支配下に屈服させるという、歪んだ嫉妬とイジメとイヤガラセを権力支配。宮川選手は「もはやアメフトを続ける資格は自分にはない」と言ったのに内田は「やめたいと言っているそうだが、もったいない。続けさせたい。」と言い換えています。私はこんな事件は外国では起らない気がします。特にニュージーランドでは。

言葉が社会を作る側面があると感じています。
単数と複数の区別を持たない「個」をただの単数としか見ない日本(語)の社会を悲しく見ています。海外に行って活躍している人の多くが、「個」として立たされる場を、清々しく感じることがその後の人生を切り開くような気がしています。「私たち」は日本では「個」のない量ですが、英語では、「個人」を数人集めた「複数形」なのだと感じています。大谷選手がどう感じているかは分かりませんが、彼は、日本を出て、「自分」を一層強く意識していると思います。彼は、高校卒業のMLB希望を語った頃から既に、日本を窮屈だと漠然とでも感じていたのではないかと思います。
話が広がるのが私の欠点ですが、宮川選手を含めて、若い人が、日本を外から見る経験をしてほしいと思います。
私は故・国弘正弘を尊敬していました。投稿を始めるようになったのも「欧米では意見を述べる」のが普通だと言われ、私が初めてイギリスの家庭にホームステイした時に、新聞にはこう書いてあるとか、人々はこう言っていると言ったことに対して、「あなたはどう思うの」という言葉でした。
英語が好きになった理由はいくつか書いてみます。
①いつも大文字の「I」で表され、これは同時に一番大切なものという感じがします。
②私と相手がIとYouで原則的に対等・平等であること。性別による語形変化がないことでした。
③英語の議論では、Yes,Noが明確に、最初に表れることで、討論が率直であること。日本語のように、最後に「です」「ではありません」が出てくる卑怯な展開を感じていました。
ダラダラと書いてしまいました。おゆるし下さい。
図書館からむのたけじの「希望は絶望のど真ん中に」を借りてきました。
ブログを楽しみにしています。
インターネット国会中継の一昨日の分をみて、ギャンブル依存症について話している女性を初め、女性のスピーチが光っていると、ちょっとうれしいです。高プロによる過労死を訴える母親の言葉もすごいと思いました。問題はインターネットでヒマな人しか見ていないことです。Nigel Rushtonが辺野古に行き、琉球新報の取材を受けて写真入りの記事を添付してきました。
もし時間があれば、彼のブログも見てください。
これからもよろしく。


投稿: キャサリン | 2018年5月26日 (土) 16時16分

日大アメフトの選手によるラフプレイ問題の展開は、予想を超えて、大学スポーツ、マンモス大学の経営の問題点を、権力にすっくと立ち上がった若者の勇気ある告白と反省から、‘してはならないことはしてはならない’ことを思い出させてくれました。監督とコーチを責めることを避け、ルールを逸脱したプレーをした自分の弱さを記者会見でのりこえた宮川選手は、忖度と虚偽の証言で真実を述べることを「拒否」した官僚と大臣との対比を強く印象付けました。関学大の対応も誠実で思慮深いものでした。遅ればせながら関東学連の理事らの事実確認調査も短時間の中で、謙虚でかつ誠実な非常に本質に迫るものでした。アメフトはどこか物々しい防具をつけてぶつかり合う場面について行けず、興味はありませんでしたが、京大のアメフトの水野監督のことは少し知っていました。選手が楽しい面白いと思える部活の経験の伝統があったそうです。内田監督の絶対制は彼の学内での地位に依拠していたようですし、この人が東京オリンピックの副理事だったことも知りました。
暴力的な指導を受けた部員のMeTooが声をあげ始めました。内田をナンバー2に据えた、大学の運営や組織のあり方にも大きな影響力を持ち、声をあげることもはばかられた組合員のMe Tooが始まりました。泣き寝入りをやめ、不正に立ち向かう勇気は、日本の社会にひろがれば、とおもっています。一人の勇気がこうして広がることに希望を感じています。今の若者は、古い世代とは違ったアイデンティティとスキルをもっているのかなと思いました。どうしても森友加計と対比してしまいます。
38人全員を不起訴にした大阪地検特捜部に怒りを感じています。予想しなかったわけではありませんが、あまりにお粗末な時間稼ぎであり、佐川はまた真実を語る機会を逸しました。でも「ウソつきが一番よく真実を知ってっている」「ウソはやがて自己の醜さに恥じるだろう」と信じたいです。その瞬間が一刻も早く見たいものです。加計学園の事務長の卑屈さには吐き気がします。終り

投稿: キャサリン | 2018年6月 1日 (金) 17時55分

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