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2018年3月 2日 (金)

3・1朝鮮独立運動99周年の集会(1)

 東アジア・朝鮮半島の平和があってこそ
 3月1日は、恒例となっている「3・1朝鮮独立運動」に呼応する集会が開かれる。昨夜、その集会が名古屋で開かれた。副題に「支持しよう南北対話を! 妨害するな安倍政権」とあり、歴史を学ぶだけでなく、現行の国際政治情勢を意識しての企画であり、それは東アジア・朝鮮半島の平和・核兵器の廃絶という、日本にとっても密接な課題なのである。
 実は、2月25日のブログで「平昌冬季五輪終わる-“祭りのあと”をみていきたい」と書いて、「共和国(北朝鮮)との関係・問題もあって、何とも複雑な平昌五輪であったが、“祭りのあと”の韓国の政治・社会情勢も目が離せないのではないかと思う。」と締めくくった。しかし共和国(北朝鮮)との関係・問題については触れなかった。それは書ききれなかったというのが本音であったが、昨夜の集会の講演を聞いてから考えてみようと思っていたことも理由の一つだった。
 講師の康 宗憲(カン・ジョンホン)さんは、去る1月27日に開催されたドキュメント映画「自白」上映会の第2部の「証言―康宗憲さんへのインタビュー」を受けた在日韓国人。自身も政治犯として、一度は死刑が確定した過去を持つ。1989年日本に戻って韓国問題研究所設立。以後,同研究所の代表として資料誌「韓国の声」を刊行中であり、現在、大阪大学と同志社大学で非常勤講師を強め、平和と人権に関する科目を担当しているという。
  講演は、「2018年の朝鮮半島情勢を展望して」がテーマで、「はじめに-朝鮮半島と日本」は、いわば相互関係の歴史のおさらいであった。ここで瞠目したのは、日清戦争、日露戦争における、朝鮮王朝と日本軍との知られざる経過であった。
  幕末から明治維新、明治の45年の「日本史」は、司馬遼太郎に代表される史観、文明開化、脱亜入欧、富国強兵、殖産興業と世界に類をみない勃興期を描き、その中心に日清戦争、日露戦争の戦勝が据えられる。“あのころの日本は素晴らしかった”というような歴史教育を受けてきたのは事実で、私自身、福沢諭吉の“業績”に疑問を挟んだことはなかった。
  それでも「西郷隆盛の“征韓論”って何だったのだろう」という疑問や、それほど以前ではない「司馬遼太郎批判」に触れることで、歴史教科書にない歴史を知ることは、わずかだがあった。しかし、康 宗憲さんの「3・1朝鮮独立運動の意義」の話は、私にはとても新鮮に思えてメモも取らずにひたすら聞き入ってしまった。
 民族代表33人が署名した「われらはここに、わが朝鮮国が独立国であること、および朝鮮人が自由民であることを宣言する。これを以て世界万邦に告げ、人類平等の大義を克明にし、これをもって子孫万代に教え、民族自存の正当なる権利を永遠に所有せしむるものである。半万年の歴史の権利によってこれを宣言し、・・・」で始まる独立宣言書(1919年3月1日/朝鮮建国4252年)を初めて読んだが、公約にもある正義、人道、生存、尊栄のためにする民族的要求であったこれらの行動を抑圧(弾圧)した帝国日本に道理はない。
 多分間違いないと思うのだが、一般的な私たち民衆の朝鮮人、中国人への差別観は、意識されないほどに根深いものがあると思う。安倍首相・自民党、右翼の一連の安直な言動は、そうした土壌の上に立っているのではないかと、ふと思ったりもしたのだった。 
(続く)

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