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2018年2月 1日 (木)

男の気持ち・生き方(151)

 思い当たることがあります
 今朝の新聞の下段、広告欄に落合陽一著「日本の再興戦略」が掲載されていたが、見出しの羅列と共に、著書の中の一文が抜粋されていた。「ポジションを取れ。批評家になるな。フェアに向き合え。手を動かせ。金を稼げ。画一的な基準を持つな。明日と明後日で考える基準を変え続けろ」と。
 実物を読んでいないし、買う予定もしていないから、言葉から勝手に想像をめぐらすだけのものであるが、思い当たることがあるので書いてみた。
<ポジションを取れ>は、普遍的な感覚だと思ってきた。何をするにしろ、その場に立たされたなら、まず周辺の状況を観察し、自分の立ち位置、役割、可能性について一通り考えてみるのは、特別なことではない気がする。問題は確信をもってファイティングポーズが取れるかどうかではないだろうか。
<批評家になるな>評論家、コメンテーター、教員といった職業があるから、この教訓は「現場」に立つ者の心得であろう。当然である。しかし、評論ではない「客観的視点」「立体的戦略」を持つことは必要である。
<フェアに向き合え>は、端的に言えば、価値観を「私利私欲」に置くな、「予断と偏見」を持つなではないだろうか。特にリーダーとなった場合、過去に学び、現実を見て、先見性を発揮して人と接することではないかと思う。
<手を動かせ>は、本文を読まないとよく分からないが、<足で稼げ>とか<考えを巡らせ>のようなことで、絶えず可能性を探せ、考えよ、を言っているのかもしれない。
<金を稼げ>これは当然にも、財産を蓄えよといっているわけではない。政治であれ、経済であれ、人を動かすとなればその為の「運転資金(軍資金)」を確保せよといっているようだ。一面的にはそうであろうが、在野の労働運動、市民運動に関わっていると、カンパ(寄付)
を集めるなど確かにそれもあるが、「ねばならない」とは思えない。資金が潤沢ならば成り立つとは限らないのだ。「人の輪広げよ」に置き換えたい。
<画一的な基準を持つな>は、運動の場では「教条主義」になるな、「上意下達」を避けて「横議横結」、「表現、発言、提案の自由」を保障せよ、と言い換えるが、権力に立ち向かう時は、「統一と団結」「意思統一」「旗幟を鮮明にする」ということもあって、その使い分けは、リーダーの才覚にあるといえるのではないだろうか。
<明日と明後日で考える基準を変え続けろ>は、下剋上の戦国時代はそうであったろうし、現在の経済では国内だけでなくグローバルな国家を巻き込んだ企業間競争、市場争奪戦の中にいれば「生き残り」はもちろん、「勝ち組」になること「利益確保」も、1日として安泰な時はないという警告であろう。在野の運動でも巨大な権力とシンクタンクを持つ国や企業などと闘う時、あらゆる知恵を絞り、駆使し、どうしたら「人が動く」かの背景、根拠を問い続けねばならないだろう。
 とまあ、思いつくままに書いたが、私の生きてきた足跡に符合したことも少しはあったかな、そう思ったのである。

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