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2018年1月31日 (水)

男の気持ち・生き方(150)

  「Shoganai(しょうがない)」について
 ケニア出身の環境保護活動家で、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、2005年に来日して「もったいない(MOTTAINAI)」という言葉に出会い、この言葉は環境問題を考えるに重要な概念であると話したという。
 今朝の毎日新聞の「街角から」では、「Shoganai(しょうがない)」という日本語がドイツで使われているという。
 それは、2011年の東電福島第1原発の事故後、ドイツで話題になったのだという。独政府は日本の原発事故に動揺する世論に応え原発廃止を決定したが、日本では原発政策が維持された。複数の独メディアが日本人特有のあきらめ心理を表す言葉として着目したのだという。「大連立」なるかどうかの最中、議論好きなドイツ人にも、戦後最長の政権空白は疲労感とあきらめの感情を生んでいる。そんな空気を反映しての「(大連立も)しょうがない」という言葉は、日本人が幾多の災害を乗り越える中で、新たな出発点にもなってきたとでも思い巡らしているのであろうか。
 個人的にもこの“しょうがない”とか“どうしようもない”とか“ま、いいか”を日常的に使ってきている気がする。もっとも事象を前に、思考、努力なしにいきなり“しょうがない”というわけではない。一応それなりに考え、試行し、時には工作してはみるのだが、名案、解決案に至らないとき“ま、いいか、しょうがない”ということになることが多いのである。そして、あとから考えてみれば、“もう少しよく考えれば、我慢すれば、工夫すれば”少しはマシな結果が得られたであろうに、と悔やむのである。
 人生の多くは“あの時、ああすればよかった”の繰り返しであったであろうが、それがどうであれ、結局は自分の人生だから納得するほかない。しかし、人との関わりがある他事はそうはいかない。結果として“曖昧さ”を残しながら妥協することで「痛み分け」のような形で納めることもあるが、ここは孤立してでも筋を通さねばならない、ということも多々ある。政治、社会だけでなくスポーツの世界、職場、家庭
にもあると思う。
 2018年が始まって1か月が過ぎたが、“もう少しよく考えればよかったかな”がなかったか、「皆既月食」の「1月尽」に思ったのである。

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