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2017年12月31日 (日)

私的な2017年の「10の出来事」

  この世界の片隅に
 2017年も内外でいろいろあったが、「私」があってこその回顧であろう。その「私」は、どこにいて、何を考え、何をなし、何をし損ねたであろうか。
 「社会」に目を向け続け、「家」の仕事をなし、目配りし、それでいて自分の「内面」に、どれほど向き合ったであろうかと思う時、ふと「無」なるものが舞うことがあったが、あれは何であったろうか。
 正確な時を刻む電波時計を1日に何度見るであろうか。昼下がり“ただいま!”の孫の声に「有」を感ずるのは毎度のことではなく、「ふと」したときだ。それは何だろうか。
 12月31日と1月1日は、単に時間の継続に過ぎないと思うことが多くなったことは、そこに「回顧と展望」の節目が希薄になりつつあることの兆候であろう。そのような「惰眠」に浸るのも年の瀬だからであろう。
 ともあれ、私のこの1年を振り返ってみれば、以下の1~7までが、「政治・社会や地域運動」に関わること。あとの3つが、「私的なもの」である。

 

1、地域労働運動史の講演・・・1980年代から1990年代の「名古屋労組連運動」を軸とした労働運動の地域共同行動の基盤形成といった運動の概要を報告するといった講演の機会を得た。続いて6月に2回の講演の機会があり、「名古屋労組連運動」に加えて、環境問題などを加えた全県的な「地域共同行動」を概説した。ここに至って幸運にも、我が生涯の運動の総括の一部ができた。

 

2、APWSL愛知の代表の坂喜代子さんの死去・・・彼女が1月に亡くなられたことは、私にとっては大きな衝撃だった。国際連帯活動の拠点を失い、彼女の構想の一つ「労働運動と農業のコラボレーション」が消滅してしまったからだ。惜しいことこの上ない。

 

3、32年目のピースサイクル運動・・・1986年から始まったピースサイクル運動は、愛知では30年目の節目の年になった。7月の3日間だけの運動だけでは物足りないが、継続があっての次のステージつなげることができる。11月の全国会議への参加と、報告書の作成も仕事の一つであった。

 

4、レイバー・ノーツ名古屋講演会・・・東京と大阪での開催に割り込むようにして11月に開催された。実行委員会が形成され、私は会計と受付という役割を引き受けたが、APWSLとしての役割は希薄だった。坂さんの死去が大きいと感じた。

 

5、ユニオンと連帯する市民の会(CGSU・・・私が参加する定例会議はこのCGSUだけとなった。運営委員として、名簿の管理と、活動誌「結」の発行作業に携わってきた。「結」と同時発行のAPWSL愛知の「ACTION REPORT」の執筆編集、発行を担ったが、APWSL愛知が運動体ではないだけに内容がレポートだけに限られた。

 

6、衆議院解散総選挙と立憲民主党の結党・・・安倍の信義なき電撃解散で、改憲派の3分の2の壁を破ることができなかったが、立憲民主党が立ち上がったことで光明が射した。私は今一度この党にかけてみたいと思い、「立憲民主党が行く」の連載を始めた。「C&Lリンクス愛知」を第Ⅴ期としてこの党を追い続ける予定だ。

 

7、安保、沖縄、原発・・・当面の政治課題をこの3つに重点を置いたが、主催者の側に身を置くことはなく、ブログと「C&Lリンクス愛知」に書くこと、メールで発信することが中心だった。集会・デモには多く参加した一方、「リベラル政治懇話会」のメンバーとして参加してきた。そこでは最新の政治情勢が聞けた。

 

8、家の改築、身辺整理・・・私的な出来事の一番はやはり2世帯住宅への改築であった。1月に解体し6月末に入居。この間身辺整理も進めて、本や諸資料、写真、手紙類、衣類の多くを捨てた。その中には、ワープロ1台、パソコン2台もふくまれていた。それでもなお多くのものが残り、段ボールが積まれたまま半年が過ぎた。

 

9、地域での交流・・・6月に中学校の第10回同窓会が開かれた。私はこの同窓会の第1回から還暦の年の第7回まで幹事として企画を担当してきた。そうした同級生との交流は、一方で「史跡めぐり・ハイキング」として7年間続き、その後継として映画鑑賞と食事会の「シネマ散歩・緑の会」を9月に発足させた。

 

10、ミニ詩集など・・・ライフワークといえるものではないが、「C&Lリンクス愛知」「ACTION REPORT」の編集・執筆・発行を続けてきた一方、「ミニ詩集」も3冊出し、4冊目を執筆中。詩集であるが随筆も織り込んでいて、その素材はブログの「男の気持ち・生き方」から採ることが多い。このミニ詩集は「第2詩集」の元になる予定だが、それがいつになるか、果たせるかは全くもって未定で、願望といっていいかもしれない。

 

 みなさま、いいお年を!

 

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2017年12月29日 (金)

私的な2017年の「10の出来事」-ランク外

 幾つかを挙げれば
 2017年も世界的に見れば、各地での戦争、テロ、迫害、難民、飢餓があり、地震、噴火、暴風雨、洪水などがあり、人々の苦難は絶えることがない。そうした政治や自然災害には、卓越したリーダーの登場が望ましいが、アメリカのD・トランプ大統領の登場と、中国習近平国家主席、安倍晋三首相などの「強権力行使型」がそれにふさわしいかどうか。何かと“火種”をまき散らしていると思うのだが。
 翻って私自身のこの1年を振り返ってみれば、ランク1~7までが、政治や地域運動に関わること。あとの3つが、「私的なもの」の予定である。これについては大晦日に書き終えるつもり。そこで20項目ほどピックアップした中で、10項目には入らないだろうが、それに準ずるものを先に幾つか書き出してみた。
1、 藤井聡太4段の29連勝・・・“爽やか”感を与えてくれたのは、立憲民主党の立ち上げであることは当然であるが、将棋の藤井聡太4段のプロ29連勝は、その記録と人柄の印象に、「地元」を除いても爽やかであった。
2、 “北朝鮮”のミサイルで大騒ぎ・・・共和国(北朝鮮)が、仮にでも核爆弾を搭載したミサイルをアメリカはおろか日本に向けて発射することがあるなら、それは「大問題-日本の危機」に違いないが、その根拠・兆候は微塵もない。「ミサイル避難訓練」などと称した大騒ぎに笑っていいのか、“その心は?”と考えて見れば、安倍政権が「北朝鮮」をダシに日米軍事同盟の強化、沖縄米軍基地の固定強化、自衛隊の軍備増強を図っていることが明瞭だけに、やっぱり笑ってばかりはいられない。
3、 何かと話題になった女性議員・・・週刊誌愛読者なら、小池百合子、稲田朋美、上西小百合、今井絵理子、豊田真由子、蓮舫、山尾志桜里みなさんのお名前とその話題を即答できるに違いない。だがここでは「日本の政治を変えるには、多くの女性議員の登場、活躍があってこそ」という私の願いから、こうして表に出ないで、きちんと仕事をしている女性議員も多かろうという想像を喚起してくれたことを言う。
4、 市民運動の政治活動・・・幾多ある市民運動で「政治に関わる市民運動」は限られるし、そもそも政治にかかわる運動を「市民運動」一般で括っていいのか、ということもある。「この国の政治を変えよう、動かそうとする市民の運動」というのは「政治活動」の一つの形態といっていいのではないか。それが「市民連合」であり「市民と野党をつなぐ会@」であった。私は直接的なかかわりを持たず、「次代」に任せ、見守る立場に終始した。その中でどんな「助力」ができるかが2018年の課題かな、そう思っている。
5、 私的なこと1点・・・ガラ系の携帯電話を、息子一家にそろえることを勧められ、「簡単スマホ」に替えた。だが、使用内容と頻度は、ガラ系と大きくは変わらない。最近は寝起きにニュースを見るが、電話とメール、歩数計が主。写真も撮ったことがない。LINEも開くことはあるが発信したことはない。携帯電話がガラ系というよりも人間がガラ系なのであろう。パソコンも似たり寄ったりだが。 
 進歩より、退歩を食い止めることが主になり、また一つ加齢して2017年は終わろうとしている。

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2017年12月27日 (水)

男の気持ち・生き方(149)

  孫の冬休み-孫の成長と・・・
 寝起きの遅い私のところに、珍しく下の孫二人がやってきて“トランプして・・・”という。“ごはん食べてからならいいよ、30分後で”“まだ食べていないの?”“そうだよ、朝と昼と一緒だから”
 トランプゲームはいろいろあるが、孫たちのリクエストに従って、ポーカー、7並べ、ジジ抜き(ババ抜き)、神経衰弱、スピード、坊主めくりが最後で、短時間ゲーム(ポーカー、ジジ抜、スピード、)は3回ずつ行い、他は1ゲームのみ。坊主めくりは、締めくくりで逆転のチャンスのためのもので1ゲームのみ。各ゲームの順位を合計して、最小点数を獲得した者が1位となる。
 ここで「ババ抜き」ではなく「ジジ抜き」と呼ぶのは、ジョーカーを外して、52枚のカードから抜いた1枚が「ババ」となる方式を言う。ババがいないから「ババ抜き」が正解かもしれないが。また「坊主めくり」とは、言わずと知れた「百人一首」のそのものであるが、「坊主」の代わりに絵柄の「J、Q、K」が坊主となる。(私の考案?)
 結果はそれぞれ1点差ながら小2の娘、小4の男孫そして私の順となった。
 ゲーム(機)慣れしている男孫は、スピードと神経衰弱が得意だが、今日は孫娘が神経衰弱で圧倒し26組のうち15組を取った。また孫娘は、1年ほど前の7並べでは、カードを手の打ちで見ることができず、床に並べていたのだが、今日は、手の内でさばき、勝負札を最後まで手放さず勝ちとなった。この勝負は本来私の勝ちだったが、残り2枚のカードの一枚を切り誤って逆転された。
 90分を楽しんで思ったことは、配布カードの偶然性ではなく、スピードと勝負勘・術のいる7並べはまだ同等だが、記憶力の神経衰弱では、私はもう勝てないことがはっきりした。ということで、久しぶりのトランプゲームであったが、孫たちの成長と特徴的なものをみたこともさることながら、私自身の衰えを自覚させられた方が大きかった。

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2017年12月23日 (土)

高野 孟「立憲民主党の理念と課題」講演会

 第13回「リベラル政治懇話会」
 この日は、同じ時間帯に「民主主義と天皇制-代替わりにあたり改めて問う集会」があり、選択を迫られた人もいたと思うが、私は、ためらわず高野講演会に参加した。20人余りの参加であった。
 高野さんの話は、一つは「民主党誕生から、立憲民主党に至る経緯と、その間の枝野代表の政治歴」といったようなことと、もう一つは、今日的政治課題であり立憲民主党の課題でもある「リベラルとは?」及び「憲法問題、沖縄問題、経済問題(アベノミクスん破たん)」といったものだった。内容は書ききれないので“感想”的なものを記す。
 まず私の中には、立憲民主党ができて、この歳になって初めて“入党を考えてみようかな”と思っている一方、この新党が、いわゆる「永田町の論理―数合わせ」に流されることと、「週刊誌パパラッチ」にスキを見せて“たたかれる、醜聞ネタにされる”ことがないことを願い、どうにも厄介な「連合」に振り回されないことを見極めたいとも考えるのである。
 1996年の民主党誕生に深くかかわった高野さんの話から幾つか拾ってみると「村山政権」には反対であったこと、誰かが言った「保守二大政党時代」なんてあり得ない。「保守対リベラル」である。そしてリベラルは “中道”はない。民主党の時代の沖縄問題では、「15年プログラム」という全面返還に至るまでの過渡的な政策を持っていたこと。「政治には“筋”、“旗”が大事であり、理念なき“数合わせ”が、民主党政権の失敗だった」、「政党への結集は、“過去”と決別して“個”として参加を求めることが重要だ」など。
 憲法問題について話題になったのは「山尾志桜里議員(+倉持麟太郎弁護士)の“護憲的改憲案”」であった。山尾議員の憲法問題への洞察、建議と、倉持弁護士の憲法の知識や議論ができる数少ない弁護士という取り合わせからの「護憲的改憲案」は、一考するに値するが、玉木希望の党代表と同調する部分もあり、何より自衛隊の明記を巡る安倍の9条に第3項を加えるなど、まずは自民党の改憲草案が出て来てからの話だ、ということで、今の時点で「改憲論」に乗ることは“アブナイ”というのが高野さんの指摘であった。
 加えて、憲法論議は、国会・議員だけ、法律論だけで済まされるものではなく、山尾・倉持案なるものが、どこまで庶民・大衆の目線、現実を見てものかは、私たち自身にも問い返される問題を含んでいると思った。
 次に、先の総選挙で枝野代表は、候補者の居ない沖縄へ行って、憲法が沖縄に適用され、運用されることが先にあってしかるべきだ、基地問題はゼロから検証する、日米地協定の改定に全力で取り組む、辺野古工事はまずストップということを国会でも声を上げていくなどと述べたという。沖縄の立憲民主の議員は、那覇市議一人だけという。
 経済問題、とりわけアベノミクスについては、何の成果もあげていないこと、という程度であったかな。
 以上のような話の中で私は、大雑把であるが安倍の頭の中には「2018年の通常国会の会期中に憲法改正を発議し、秋には国民投票」という日程があるかもしれないという指摘に、国会を取り巻く大衆行動、3000万人署名が重要になってくるというところに行き着いたことと、民主党の結党から立憲民主党に至る経緯と、その間の枝野代表の政治歴を知ることによって「枝野代表の言動に賛同するとともに、決して“ぶれない”であろうこと、立憲民主党はこのまま真っすぐに進んでいくであろうことを確信」したのであった。

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2017年12月21日 (木)

第48回ユニオン学校

 健康センターの活動の今
  毎月1回開講している「ユニオン学校」の第48回講座は、「愛知働くもののいのちと健康を守るセンター」事務局長の鈴木明男さん(元住金)の講演であった。
  講演に先立ち2017年の総会が開かれ、ユニオン学校の1年間の活動と総括、第6期ユニオン学校の方針などが審議され、年明けから新たなスタートが切られることとなった。元々「ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)」から出発した「学習組織」であるが、その後ユニオン学校として自立した運営で今日に至っている。お互いに「地域労働運動の基盤形成と発展」に寄与するもので、CGSU、健康センター、ユニオン学校の三者一体的な活動は、「地域センター」、旧「地区労」の形成を予感させるものである。
  さて講演であるが、その歴史は「助走期間(前史)」として1960年代から1980年代末ころまで。1988年に「あいち職場の健康問題研究会」が発足し、のちの「健康センター」の礎となり、2003年にはNPO法人認定を獲得して今日に至っている。
  健康センターの活動では、憲法第25条に基づく諸活動を、地域で共同で進めるといった運動の課題は多々あるが、その受け皿(駆け込み)として、産業カウンセラー、安全衛生推進者、衛生推進者、石綿作業主任者等の資格者を有し或いは取得を勧めて、会社側と対応するだけでなく、司法(裁判所)、行政(労働委員会、労基署)との対応・折衝・交渉に備えるといった「人」の確保の姿勢は素晴らしい。さらには議会、議員との協力関係の構築も陰に陽に力になろう。
  こうした30年余の活動の間に、前身を含め健康センターが扱った「脳・心臓・精神」疾患は50例にも及び、労災認定を勝ち取った例が多くあった一方、遺族と共に悔しい思いをしたこともあったという。それにしても、その一覧表を見ると、2000年代に入ってから徐々に「自死」の事例が増えていくことが分かる。この表が示しているのは全国の2万5千人とも3万人ともいわれる自殺者のほんの一部に過ぎないが、それは「社会の歪み」「労働現場の過酷さ」を表しているといっていいだろう。
  1980年代から90年代といえば、私は「名古屋労組連」を率いていたころになるが、そのころの労働運動の活動はもっぱら「解雇・不当配転撤回闘争」が主であった。「労働現場」に立ち入って、或いは労災現場からの悲痛な声をすくいあげる活動に乏しかった気がする。それは、力量の限界もあったが、地域の労働運動・市民運動と政治運動が活動の軸であったからであろうと思う。
  こうした労働実態と法律を学んで職場で地域で実践していくという「労働教育システム」は、多くの労働組合、労働団体で維持されてはいる。しかしその組合自体が「争議」として会社と対峙することを忌避するようになって、組合員の問題でさえ「個人の問題」は扱わない、と公言する組合が出てくるような昨今である。さらに全労働者の組織率が20%を切る状況、また高校でも大学でも「労働法」の教育・カリキュラムが希薄である現状から、多くの労働者が“身を守る”術を知らない現状が、今日の「事件」が頻発している背景であろう。
  労働安全衛生の事案を地域でボランティアとして展開しているこれらの活動をもっともっと広く知ってもらいたい、支える地域基盤、応援の輪が広がればいいなと思った今日のユニオン学校であった。

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2017年12月20日 (水)

日本列島あちこちに「亀裂」が

 破断する前に手を打たねば
 東海道・山陽新幹線「のぞみ」の台車に亀裂が入ったという出来事「“首の皮一枚”で走らせていたようなもの」には驚いた。
 まず感じたのは、以前にも書いたが、日産自動車とスバル完成車の「無資格検査問題」、神戸製鋼所の「データ偽装問題」、三菱マテリアルの子会社三菱電線工業(東京)、三菱電線と三菱伸銅(同)の検査データの改竄問題。自動車業界においては他にも、タカタの「エアバックの欠陥」、三菱自動車の「燃費不正問題・リコール隠し」、リコール問題は業界全体に亘って日常茶飯事だ、といった一連の「日本の技術・モノづくり即ち安全と品質の高度安定」が根底で揺らいでいることが、「世界に誇る新幹線」で発生したことである。
 その時「政治に無関心こそが危機」とも書いたが、今回の「首の皮一枚」は、世界の中の「日本」が、その状態にあるのではないかという、ぼんやりした姿が浮かび上がったのだった。それは多分、アメリカのトランプ大統領がイスラエルの首都をエルサレムと認定を宣言したことで、アメリカに“忖度”してか、沈黙する日本政府の対応が、世界の中では“孤立”するという懸念である。この問題で、イスラム諸国だけでなく欧州も批判している国際社会での対立が深まると、それは経済問題にまで波及し、さらには「テロ」問題にまでつながりかねないというのは杞憂か。
 去る18日の、立憲民主党の枝野代表の「・・・日本の安倍晋三首相だけが、トランプ大統領の外交姿勢に対して、全面的に近い形で肯定をしている。これはあまりにも対米追従がすぎるのではないか。」も、それを言っているのである。
 政治・国の在り方や社会的な「格差」、巨大地震の予測など、ここにきて日本全体に「亀裂」が走っているのではないか、そう思うと「破断」する前に何とかしなければ、という思いがいっそう募るのである。

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2017年12月19日 (火)

師走の片づけ仕事・その後

 12・19反安保集会は空振り
 最初に手掛けた「喪中はがきの返信」も、葉書が届くのもどうやら落ち着いたようなので、年賀状の作成に取り掛かり、ベースとなるデザイン3種とアレンジしたものを加え、差し出し相手で異なる6タイプをプリント、宛名書きはすべて手書きとし、一言付け加えて仕上げ。今日までに200枚弱を終えた。元日配達の目安は12月25日迄に投函と聞いているので十分間に合う。ところがここ数年、年始のご挨拶(賀詞交換)は、ご遠慮申し上げますという対応をしてきて、かなり減らしてきたが、書き上げてみたら想定外の200枚以下となっていた。そこで再度見直してみたところ運動関係者が激減していて、それはやはり、私自身の“退き”が如実に反映しているということでもあった。
 次に厳寒の中、越冬を路上、公園などで過ごす人への援助物資についても、やや着古してはいるが厚手のコート2着を東京に送った。名古屋でもよかったのであるが、ピースサイクル運動との関係で物資は東京というのが最近の例。
 残る仕事は「掃除」で、今年は「大」が付かない程度となる予定。また、今年最後の「デモ」にと勢い込んで「12・19反安保集会」へ出かけたが、そんな企画はなくて“空振り”に終わった。見たチラシが2016年のものだったのが原因。ま、それもいいかなと。忘年会は一つこなし、もう一つ二つ、かな。(C500 №007)

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2017年12月17日 (日)

続・衆院議員近藤昭一と語る 草の根座談会

 ぶれない!立憲民主党、まっすぐに
 幾人かの質問の後私は、あまり長くならないように、ポイントは何かと考えつつ「立憲民主党はどうあるべきか」の意見を述べた。
 まず切り出したのは、「枝野立て!」の声は、かつての民主党が政権を取り大いに期待した。しかし挫折してしまったが、“潜在化していた”再び自民党政権に代わる政権を望む声、安倍退陣を望む声が噴出したものである。その声、その支持は、「ぶれないでまっすぐに進んでほしい」であり、「希望の党」との合流など論外である。この「ぶれない」は、枝野代表だけでなく、近藤さんも含めてです、と。(いわんでもよかったかな)
 そして、立憲民主党が野党第1党として野党を取り纏めていく「野党共闘」が課題となるが、民進党、社民党、自由党などと連携しつつ、「共産党」との連携も進めていくことになる。ここで問題になるのが「連合」であり、大きな組織力故運動への影響力は無視できないが、それがまた分断の元になっていると指摘。(それ以上は言及せず)
 立憲民主党はこれから地方・地域組織をどう作っていくかが課題であるがこれまでの(多分)国会議員の後援会組織と、地方議員とその後援会組織だけでは限界がある。とりわけ自公政権打倒をめざし共産党との「共闘」も避けられないとすれば、共産党の地域組織から学ぶべきものは多くあるはずだ。日常的な活動をする「青年部」などがあってもいい。
 こうした原則的なことをくどくど並べる発言の多くは好まれない、敬遠されがちというのが私の認識ではあるが、参加者の発言が、あまりに個別的なこと、或いは肝心なことが欠けた時、本人にとって避けてほしいような(忖度して)ことばかりの場合は、どうしてもひとこと言いたくなるのである。
 この日は、座談会といいつつ90分のうち45分が近藤議員の話であり、発言者も一人1回という状況から、私としては、かなり発言内容を絞ったうえ珍しく「アンケート」に書き込んで提出したのだった。
 それにしても、誰しもが思うことであろうが、私もつい「・・・10年若かったらなあ」とつぶやいたのだった。

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2017年12月16日 (土)

衆院議員近藤昭一と語る 草の根座談会

もう一つ、二つ降りてみては?
 これまでの「国会報告会」といえば、質疑があったとはいえ、やや一方通行の「国会報告」であったのに対し、今回はそれに加えて「草の根座談会」として幾分、有権者、支援者との距離を詰めて話し合おうというものであった。
 これまでも「憲法カフェ」「憲法バッカーズ?」といった小規模の集まりや、親交深める小規模パーティーもあったと聞くが、立憲民主党が立ち上がったことで、今一度地域に根を下ろした「草の根」といえるくらいの、民主主義の原点に戻ってみようとの試みであり大いに賛同できる企画であった。
 とはいえ、“意気込み”は感じてもこれまでとそんなに代わり映えしているとは思えなかった。“車座で膝を突き合わせて”とまではいかなくて、机の配置に工夫がされていたものの「教室方式」、そして従来進行役を担ってきた市会議員、県会議員は未だ「民進党」所属だから、前面に出ることはなく、従って今回について参加要請したかどうかは知らないが、参加者はやや少なめだった。
 という形式はともかく、近藤議員からは「選挙-立憲民主党-特別国会」までの流れ、とりわけ特別国会の経過などが報告された。その中で憲法問題については、立憲民主党としては「良い憲法改正ならOKという立場」であることに触れられた。ここのところは、“何でも反対の党”というイメージを避ける意味と実際「憲法審査会」に委員を送り議論に参加していること、「対案」を重視するというスタンスもあるからだろう。とはいえ少数野党という現実に直面しているのであり、現時点で「憲法改正」を「是」としてしまえば「希望の党」との違いが不鮮明になりかねない。慎重な対応が求められることは、重々承知してのことであろうと思った。
 野党要求の臨時国会を開かずに安倍都合の解散総選挙に至って、国会の解散(憲法第77条)のありかたについての問題提起。特別国会では、実態はともかく39日間の日程を確保したこと、質疑時間の与野党配分問題、国民主権がないがしろにされた「国会ルールの破壊」などが報告された。
 質疑応答では半分は経済問題「消費税増税、アベノミクスの失敗、新増税案」などであったが、他に「地方議員(所属政党)はどうなるの?」「新党の綱領は?」「3000万人署名の取り組みは?」、教育費無償化などの「教育の問題」などが出された。
 私も手を挙げて意見を述べたが、次回に書く。最後に、緑区選出の中村県議と岡本市議があいさつした。大塚耕平民進党代表の3党による「ローカルパーティー」論もあって、今後どうするかは現在、市会も県会も「検討中」とのことであったが、大いに議論を尽くしたうえで「立憲民主党」に加わることを私は望んでいる。
 いずれにせよ、今回は第1回。しかも「常連」ばかりではなかったろうか。ゆくゆくは学区毎にある「コミュニテーセンター」で、文字通り「座談会」が開かれ、学区毎の組織化で進んでいくことが、立憲民主党の「体力」となっていくとことだろうから、そのように頑張ってもらいたい。

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2017年12月11日 (月)

男の気持ち・生き方(148)

家事・洗濯について
 いよいよ年の瀬である。地域活動も連日のようになにがしかのものが予定されている。これについては、いつもの通り「選択的優先順位」となるが、12月については、「主催者」でない限り主夫業として「家事・私事」が優先する。
 年末行事といえば「大掃除」もその一つ。年ごとに手抜きをしてきて昨年では、玄関回り、窓ガラス、浴室が中心であった一方、引っ越しの準備もあって“捨てる”が中心であった。従って今年はその真逆。新装なったから、かなり手抜きができそうだと思っている。
 9月5日のこの欄で家事のうち「炊事」について書いた。今回は「洗濯」について。
 洗濯は、天気に関わらずほぼ毎日している。私自身はお天気次第、2日に一度でいいと思っているが、独身ではないのでそうもいかない。もし水問題が深刻であり、料金がうんと高ければ“少しためてから”と誰しも考えるであろうから、そういう思考なら今でも実行可能である・・・と私は考えるのであるが、現実は先の通りである。
 さて“洗い物”の種類は様々であるが、靴下や下着類は毎日履き替え、着替えるので性差はないが、シャツ、ブラウスなどの中着となると、おしゃれもあるかもしれない“性差”が出る。また素材にもその要因がありそうだ。女性のものはポリエステルなど化繊物が多いが、私のものはほぼ木綿ばかりである。冬場の木綿は乾きが遅い。部屋干しも避けたいので、どうしても洗濯環境の状況待ちとなる。
 冬場の洗濯はお天気と日照時間に左右されるので、本来朝8時過ぎには干しに出し、午後3時前には取り込むというのが相場であろうが、“遅寝、遅起き”の私にはとうてい無理なので、洗濯機の起動と物干しは任せて、私の仕事は取り込みと収納。厚手のものはそのまま部屋干しになることもある。
 洗剤ではいつももめる。私は「石鹸派」で一方は「中性洗剤派」。石鹸洗剤はCOOPで購入してきたが、車でないと買いに行けないこともあって、最近は中性洗剤に押され放しである。残念!
 最後に、クリーニングに出す、出さない、の感覚的・経済的差が大きいことと。それと洗濯機を長持ちさせるために、使用後に給水の元栓を閉めることを怠らないようにしている。なんでも水道の水圧が、洗濯機のパッキンを圧迫して劣化を早めるとのことで実践しているのである。

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2017年12月10日 (日)

市民と野党をつなぐ会・総括と今後

継承される全県的な政治の取り組み
 衆議院総選挙が終わってみれば、「改憲勢力3分の2阻止」はできず、「安倍一強」も当面は維持されそうな気配ではあるが、それでも「安倍一強」に小さいかも知れない“ヒビ”が入って、新たな胎動が始まりつつあるようにも感じる昨今である。ただ「憲法改悪」の動きは、安倍の「第9条に自衛隊を明記する第3項を加える」「次期通常国会で憲法改正の発議」といったような発言によって、自民党内の憲法論議は微速前進から加速前進に切り替わりつつあることに警戒を緩めてはならない。
 実質審議は形ばかりの臨時国会ではあったが、衆参両院の国会審議では各政党のスタンスが見えてきて、「自公」にわずかな隙間風が吹き、旧民進党の立憲民主、民進と希望では、かなり違いが見えてきたようだ。この3党の「再結集」は現実論とは言い難い。
 さて、片やわれら市民運動側の状況はどうか。全国レベルでどのような「経過と総括」がなされたかは知らないが、この愛知ではようやく「市民と野党つなぐ会は@愛知」の「衆院選を振り返りと今後について」が呼びかけられ、県下15区のうち11区から参加、書面参加があり、5区は別の参加者から報告された。
 それぞれの報告の要約は省き、私の総括は終えているので、末席に居た感想を書いてみた。
1) 配布された資料と進行役の説明などから、事務局でかなり議論がなされたことが伺えた。全体的なとらえ方、各論についても、概ね了解できるものであった。後半の議論で幾つか修正されたが、本論に補強されたものといえよう。
2) 参加者の発言は、女性からの発言が多くあり、また高齢者も多いように感じたが、全体として「世代が引き継がれているな」という(個人的な思い入れが強いのか)印象を強く感じた。それもあっていつものように私は、二つの意見を持って臨んだが、良否はともかくあえて発言を控えた。
3) 「総括」という点では、各区・地域でどのような運動を展開したかが中心であり、一部で「野党共闘・一本化」に努力したが実を結ばなかった、という報告があった。ただ例えば「4区(自民当選、希望落選・比例復活)」のケースは報告だけでなく、時間があれば、もう少し突っ込んだ議論があってもいいかなと思った。というのも、「民進・牧義夫」とは、事前の市民との話し合いで政策的にほぼ合意していて、「希望」が出てこなければ「野党統一候補」が実現していたということだった。参加者の発言では、本人は「後援者(会)が、強く希望を推した。立憲民主はなおいけないといわれ、それに従わざるを得なかった」と弁明したそうだ。結果論ではあるが、改憲補完政党・希望は認められないということで“自民を打倒する野党統一候補”という大前提が後退してしまったと、私は感じているのだ。この件は私的総括で書いた。
4)「市民と野党をつなぐ会は@愛知」の活動の継続が確認されたことがあとになったが、これは個人的な理由に過ぎない。私は、今後の活動の軸心は、微力ながら「立憲民主党支援を居住地で」と考えているからだ。
  さて「つなぐ会」の今後の活動の「趣旨・目的」について時間が割かれて議論され、次のように落ち着いた。
1)安倍政権下で改憲反対-これは安倍政権が当面継続するとの前提であり、次の政権が誕生した折には再度検
討されることになる。2)来るべき今後の国政選挙において、愛知県下全選挙区で市民と野党(無所属を含む)が共同して①立憲主義の回復。②安保関連法の廃止。③個人の尊厳の擁護。④原発再稼働反対、を呼びかける。
5)議論の中で「希望の党」についてあれこれの発言がやや多くあった。私自身は、立憲民主党がぶれないで躍進し
ていくことを期待しているので、民進党や希望の党の動向には注視するが特にコメントはない。「つなぐ会」がどんな舵取りをしていくかは議論が重ねられるであろうが、「野党共闘-統一候補」の道筋は、立憲民主党のウイングがどこまでなのかがポイントであろう。希望とは一線を画すであろうが、共産党との共闘は「連合」との兼ね合いで、ケースバイケースと言ったところか。シビアな局面が出てくるであろう。
6)もう一つの大きな議題は、「安倍の9条改憲NO!3000万人署名」の取り組みであった。「戦争法反対2000万人署名」では、2016年7月現在で1560万筆であったという。これに倍する署名は、集会での署名活動、街頭署名活動、仲間内、労組などでの組織的取り組みだけではおぼつかない。しかも2018年5月頃という期間限定がある。とすれば、「戸別訪問」という方法も案として発言があったが、これについては、首都圏で成功した事例があるのでまとめて提案してみたい。
  最後に、政治を考える会-あいちキャラバン-つなぐ会へと引き継がれてきたこの流れをより大きくし、流れを加速させるための知恵と組織的な運営、情報宣伝活動が欠かせないと思うが、しっかりと見守りたい。

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2017年12月 8日 (金)

12月8日は「開戦の日」

確かに意識程度は高くない・・・
 今日の「東洋経済オンライン」で丹羽 宇一郎さん(元伊藤忠商事社長、元中国大使)が書いておられる。日本が二度と戦争をしないために、日本人が学ぶべき現代史について「物事には始めがあって終わりがある。日本人にとって12月8日(開戦の日)は8月15日(終戦の日)と並ぶ大事な日であるはず」と。
  私は唸った。12月8日が「日米開戦」の日であるかは当然知っていた。知ってはいたが「無謀な太平洋戦争に突っ込んでいった日」というイメージより「日本軍の真珠湾攻撃」という「戦記物」的なものが占めていた気がする。それは映画、テレビで“洗脳”されてきたのだと思う。
 私が気付かないのかなと思って、最近では「12・8集会」の取り組みがどうなっているのかMLで探してみたところ、市民グループが米国「ジュゴン訴訟」報告会を企画していた。一方、愛知県平和委員会が中心になっていると思われる実行委員会の呼びかけで、フォトジャーナリスト・伊藤孝司さんを講師に招いた「12・8不戦のつどい《米朝危機と日本の役割》」という集会が予定されていた。何故か“さすがだなあ”と感心した。
 感心し参加してみる価値はありそうだ、と思ったが家事優先の今日の予定に入れていなかったので断念せざるを得ない。来年は・・・。(C500 №6)

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2017年12月 5日 (火)

CGSU月例の運営委員会

 “ねばならぬ”ことばかり盛り沢山で
 議題が8つ、その中の「ユニオン学校」では5項目の報告と審議事項が盛られていた。これらすべてに関わり、労働運動以外の地域の活動に関わるとすれば、仕事、家事を持っていてはとても担いきれない。当然優先順位がつけられ、参加がかなわなかったものは報告を聞いて後追いするほかない、といえたのは「過去」のこと。現在の私の地域活動の参加の割合は「週一」レベルであり、それも家事と私事とで優先順位が左右される。もっとも平日の午前、午後の集会などは家事と両立するので参加しやすいといえる。「主婦・主夫」とはそういう位置にあるのだが、どれほど理解されているかは定かではない。
 さて、今日の会議では主として、1)ユニオン学校の①レイバー・ノーツ名古屋講演会の報告と意見、感想、会計報告など。②労働負担研名古屋集会の報告と成果。③ユニオン学校の総会と第48回ユニオン学校の開催案。④1月の予定とテーマ、他。2)ユニオン懇談会が取り組んだ「大阪産業労働資料館(大阪エルライブラリー)」見学会の報告と今後。3)再建に向けた「ユニオン共同行動」の取り組みについて。4)活動誌「結」の編集方針、執筆担当。2月初旬に発行する。5)2月開催予定の「ロシア革命101年を振り返る」の企画案。6)CGSUの総会の3月開催について。
 他に、次回の総会では議事は簡略化、意見交換、懇話会を中心に進める。但し全員が発言すれば、それだけで終わってしまうから、グループ分けして行うことを検討することになった。また「ユニオンと連帯する市民の会」の「幟(のぼり)」を5枚作ることを決定。「結」の次期編集長の選任は持ち越し。未納会費集めについては督促することなどがあった。
 なお「東海民衆センター」から恒例の「人民の力・新春の集い」が1月21日(日)正午から「名古屋働く人の家」で、開催されるとの紹介があった。(会費は1家族1000円)

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2017年12月 3日 (日)

シネマ散歩・緑の第2回鑑賞会

 「世界の片隅に」の、片渕須直監督のトーク
 伏見ミリオン座のキャパ169で、6人が124~129番のチケット。番号順の入場ということでどうなるかと思ったが、館内の前列から3分の2当たりの席となり、映画を観る席としては申し分なかったが、監督のトークでは、話がやや遠かった。どうやら監督のトークをメインにして来場した人は、最前列を占めたようで、いつもと違う席の埋まり方であった。
 私はこの映画を観るのは2度目であるからその内容は省くが、9か月も経っていると、初めて見るような感覚にとらわれた。それは極めて部分的な映像が残滓としてあって、2時間の映像を覚えていられるわけではないので当然かもしれないが、昭和初期から敗戦辺りまでのくらし、町の風景がやはり印象深いから、新鮮さが甦ったということかもしれない。
 さて、片渕須直監督のトークであるが、前半は、この映画の「反響・受賞」を主に語った。例えば、イラン、インドでも上映されたが、観客の反応の一つに、主人公「すず」への共感と共に“この映画を親に見せたい”ということで(アメリカも含め)共通していたという。特にイランでは、若い人がそのように語る背景には、イランの「戦前」は、日本の70年、80年と違って、つい最近のことを物語っているという点で、印象的だったという。
 全国から寄せられ、会場で集約した質問に答える形で監督が答えた内容としては、記憶は定かではないが、監督として苦労したことは?では、「音」の問題があって、濁音が入ること、アニメという映像に対して「空気感のある録音」ができるかどうか。この映画を製作するにあたっての動機は?では、「戦争」は知識として知っているが、なんとか「体験的空間」が作れないか、人間の生活を発展的にとらえられないか、84年前の、すずさんのクリスマスから始まる冒頭シーンを入れたのはその意味合いがあった。映画との出会いは?では、子どもの頃の話があったが・・・。声優たちはどうでしたか?では、例えばすずの「のん」さんは、すずというアニメの中の人物をいろいろ想像していたように、声優たち全員が、それぞれの人物を想像し、イメージし、形にしていく、つまりストーリーをよく把握していたということがいえた。
  この映画がここまで評判になって多くの人に観られたのはどうしてですか?では、公開される前からテレビで放映されたこと、NHKの朝の枠で取り上げられたこと、映画評に取り上げられたことなどいろんなメディアで取り上げられたことは大きい。公開された作品は「省略版」ということですが・・・、については、まず原作を読んでほしいということ。実際は160分で仕上がっていたが、劇場公開は原則として120分が基本。160分ものは一部公開され見られた人もおられる。結局120分に短縮されしかもオープニングとエンディングで9分取られているから、“あの場面は何故カットされたんですか?”という質問を受けたこともあった・・・。
  終えてから昼食会を開き、次回の鑑賞会は2018年の2月頃ということになった。

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2017年12月 2日 (土)

岐阜市長選挙関連学習会

 地方自治と緑の党の政策が話題に
 2018年1月28日投開票の岐阜市長選挙に、岐阜市在住、緑の党の党員でもある小森忠良さんが無所属・市民派として立候補することになり、その学習会が緑区で開かれた。
 小森さんからは、立候補するにあたってその動機と経過、現状が語られ、参加者からの質疑と討論が2時間にわたって行われた。本人の自覚も客観的にも「当選」はおぼつかない「市政のここが問題だ」の問題提起、世論喚起型の選挙ということで、議論はもっぱら、「地方自治における緑の党としての政策はどうあるべきか、できているのか、もっと議論を進めるべきではないか」といったところが中心であったように思う。
 小森さんの立候補の動機と支援母体は、岐阜の新市庁舎建設に当たって、地上18階建て、総事業費254億円が本当に必要なのか、ふさわしいのかどうかが中心にあって、「平成30年4月の新庁舎建設着工を延期させよう」と主張し、「岐阜新庁舎を考える会」が立ち上がって市民運動が展開され、その運動の延長として市長選挙挑戦に至ったようである。
 他の候補者が必ずしも「新市庁舎問題」を争点としているわけではないらしい。有力といわれる候補者は、新市庁舎建設の発案者の細江前市長の政策の継承では大差はなく、むしろ自民党の野田聖子派と対抗派の争いの一面が強いとの見方もあるという。
 といいうことでここでは「小森選挙の支援体制・政策」をどうするかという場ではなく、地方自治体の選挙に当たって、地域振興、財政基盤など経済政策を中心に、福祉政策など「マニフェスト」的な政策論が必要だということに落ち着いた。
 私は意見として、緑の党の党員である小森さんや、あま市市長選挙(2018年4月22日投開票)に立候補を予定している林さんについて、一つは、地域問題・課題を住民に広く知らしめる、問題意識を持ってもらうために立候補するのは手段の一つではあるが、問題を解決することを第1とするなら、同調する有力候補と組む(公約の一つに組みこんでもらう)選択が有効だ。また、当選をめざしつつも、市民運動の延長として位置付けるのも一理はある(半田市民病院の建て替えの例)が、その場合、「党」としてどのような観点からその選挙をとらえているのか、党内議論はどのようになされてきたかという観点から状況を聞いた。
 なお、「新市庁舎問題」で同調する候補者の一本化は、難しい状況とのことであり、他の立候補者は有力視されている柴橋正直氏(元民進党衆議院議員)と中西謙司氏(自民党推薦)、そして棚橋保之氏と吉田里江氏(無所属)。共産党系の森下満寿美(ますみ)氏が立候補を表明している。

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2017年12月 1日 (金)

師走の片づけ仕事第1弾

喪中はがきの返信
 この時期、お身内のご不幸を知らせる「喪中はがきが」届きます。すでに10人の方からお葉書を戴いて、“お悔やみ申し上げます”の返信はがきを手掛けました。師走の避けがたい仕事の手始めとなりました。
 はがきの構成は、お悔やみの言葉を冒頭に書いて、続いて下記の短詩を添えます。囲みに40字ほどのコメントと差し出し名と住所を入れました。背景に黄色の花畑を入れました。

 その朝
いつも来るいつもの朝
いつかは来るその日の朝
庭木の水かけが
墓石の水かけのようで
朝陽への目礼が
旅人への合掌のようで

いつもあったかもしれない苛立ちも
時々はあったかもしれない行き違いも
少しはあったかもしれない蟠りも

陽が上がって消えた露のように
砂地に消えた一粒の露のように
一瞬きらりと輝いた露のように

その日は穏やかな朝でした

 同年代からのはがきには「ご無沙汰しています。古希を過ぎて私たちの旅路ももうひと山、ふた山でしょうか。祈健勝。」などと電報並みの短さですが書き込みました。
 同じ喪中はがきでも、同級生がお連れ合いを亡くされたもの、亡くなった同級生をお連れ合いがお出しになる葉書には衝撃は伝わってきます。今年は今のところ・・・。(C500 №005)

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