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2017年7月29日 (土)

ピースサイクル2017・愛知(3)

  市役所、県庁を訪問し、小牧基地まで
 ピースサイクル愛知の3日目。今日の予定は、「名古屋市役所訪問、申し入れ」「愛知県庁訪問、申し入れ」「航空自衛隊小牧地申し入れ」そして、岐阜ピースサイクルへのリレーである。
  午前9時からピースサイクルの仲間7人が、事前に提出してあった文書をもとに、名古屋市への申し入れを行った。河村名古屋市長宛ての要請と要望は「6つの課題、17の項目」であり、市側からは「総務部・総合調整課」の主幹ら3人が出席した。一応全項目について文書回答がなされてはいたが、補充説明は総合調整課所掌の項目だけで、その他は担当課から回答が得られていないということで、後日文書で回答するということであった。事前の文書提出から相当期間の時間的余裕があったにも拘わらず、こうした対応には、“真摯”に受け止めていないか、当日の対応時間を気にしてかのどちらかであろうが、そのあとの県の対応と比べても、市の対応には誠意は感じられなかった。
 名古屋実行委員会作成の要請、要望項目だけを列挙しておくと、「平和行政の取り組み」「近隣諸国との平和外交」「原発の再稼働・MOX燃料」「リニア中央新幹線」「就業実態と貧困対策」「名古屋港の平和利用」であった。
  質疑の主なものは、教育現場での平和教育についてと、「河村市長の“原発に反対”姿勢は歓迎するが、一方で大量の電気を必要とするリニア新幹線誘致の熱心で、その電源について触れられていないのは腑に落ちない。原発なしでリニアは動かないというのが私たちの見解だ」そして「県営名古屋空港(小牧市他)は、県の所管であるが、名古屋市の一部もかかるということで要請、要望する。空港は民間機だけなく、航空自衛隊そして三菱重工も共用している。近年、自衛隊機の離発着が増える傾向にあり、また生産が始まった自衛隊の最新戦闘機F35が、この空港から試験飛行に使われるなど“軍用化”の傾向が強まっていることを私たちは心配している。自治体としての見解はどうか」
  続いて愛知県の訪問では「6課題、17項目」であり、「県の平和行政」「原発の再稼働」「リニア中央新幹線」「県民生活に関連して、貧困と格差拡大について」「県警機動隊の沖縄派遣ついて」「県営名古屋空港と空自・小牧基地」であり、一人加わったこちらの8人に対して県側は、それぞれの担当部署「就業促進課・航空対策課・県民総務課・企画課・災害対策課」から9人が対座した。開始の遅れと県側の回答時間が長めで質疑の時間が5分しか残されなかったこともあって、心残りではあったが2つほどの質問で終えた。
 予定時間から10分余り遅れた10時45分頃、ピースサイクルの自転車隊4人が小牧に向けて県庁を出発した。街宣車には運転手と緑の党東海の代表・尾形さんと私が乗り込み、小牧までの街宣のマイクを尾形さんが握ってくれた。
 午後の岐阜のスケジュールから、大幅な遅れは許されないので、自転車隊は、例年行われる一か所の休憩を飛ばして、一気に小牧基地まで走り抜けた。気温は上がってはいたが、陽射しのない曇空は幾らか幸いしたと言えようか。
  小牧基地では、岐阜ピースサイクルの仲間と合同で、尾関義典基地司令宛ての要望を申し入れた。その内容は、「PAC3迎撃ミサイルの展開訓練実施について」「F35ステレス戦闘機の試験飛行について」「自衛隊小牧基地航空祭について」の3項目であった。
基地側の対応は、基本的には“命令に従う”というものでしかなく、基地周辺の地元自治体も反対している“航空祭”については、今年も開催すると明言した。
  自衛隊基地に対するこちらかの申し入れは、基地司令の判断で可否を決めきれる内容は少ないと思われ、装備(自衛隊機)や訓練などの要請項目には、“司令に伝える”という回答しか得られないのが実情。他の地区ではどんな内容で申し入れをし、どんな有効な回答を得ているのであろうか。
  小牧基地への申し入れが終わった後、愛知の「ピースサイクルの旗」を貸し出し、東京からのリレーののぼりに「ピースサイクル愛知 7月26日~28日」を書き込んで岐阜の仲間に手渡してこのリレーを終えた。やや人数は少なめであったが、拍手で自転車隊を送り出して「ピースサイクル2017・愛知」の全行程は無事終了した。 

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2017年7月27日 (木)

ピースサイクル2017・愛知(2)

  岡崎発、豊田・日進経由中電まで
 この日は岡崎がスタートであり、昨年は自転車1台、伴走車1台の二人体制であったが、今年は、暫く離れていた岡崎のメンバー3人が復帰し、豊田のメンバー一人も途中から加わり、自転車3台、伴走車1台私も乗って二人という賑やかなピースサイクルになる、はずであったが、直前に事情が変わって昨年と同じ自転車1台伴走車1台の二人体制となって、9時過ぎに豊田市役所に到着した。
  ここで豊田の市民グループと合流し、私も参加して9時50分頃から豊田市長への申し入れを行い、事前の質問項目の回答を文書で受け取った後若干の質疑を行った。平和行政への更なる取り組みなどを要請し10時30分頃に終えた。庁舎前で全員写真を撮った後、同40分頃豊田市役所を出発し、一路日進市に向かった。自転車は4人(一人は途中で離脱)で伴走車1台。私は岡崎の伴走車を日進市まで回送する係を務めた。
 日進市の女性市議4人を含む市民グループが到着歓迎の席を設けていてくれた。自転車隊がやや遅れて12時30分頃到着し、直ちに日進市への申し入れを行うこととなり、日進市側は生活安全課のお二人が丁寧な対応した。ピースサイクルを含め平和運動に理解にある職員という評判を聞いた。そして広島、長崎両市長へのメッセージもいただいたが、残念なことに沖縄県知事へのメッセージは省かれた。
 毎年のことながら、市民グループの人たちが用意された豪華な昼食を、歓談を交えて頂戴し、岡崎、豊田からの参加者は疲れを癒してここでお別れ。一方名古屋に向かう自転車のメンバー3人と、ここからの参加になる街宣車に運転手と私の二人は食事で気合を入れ、午後2時過ぎに全員写真を撮って同20分頃に拍手で送られて日進市を出発した。
 自転車隊は、天白川の堤防道路を下流(名古屋方面)に向かって走り、街宣車は、別ルートで合流地点(天白川・新音聞橋たもと)まで走った。この日は曇空で、川風を受けての快適な走行だったと仲間の人は話していた。
 3時頃に合流した後、この先の名古屋ルートを説明し自転車の一行に街宣車が寄り添うこととした。ここからはほとんど市街地なので、マイクを使って車上スピーカーからピースサイクルの紹介、目的、行く先などのアピールをおこなった。

“私たちはピースサイクルという平和運動の市民グループです。8月6日の広島、9日の長崎の原爆の日に向けて、両市長に平和メッセージを届ける運動を続けています。今年で32年目になりました。永い運動です。昨日、豊橋でお隣の静岡からのリレーを受け、今日は岡崎、豊田、日進を経由してこれから名古屋・栄地区にあります中部電力本店に向かい、そこで「浜岡原発の閉鎖を求める」などの申し入れを行います。明日は航空自衛隊小牧基地で岐阜の仲間にリレーをします。今、この車の横を走っている自転車が私たちの仲間です・・・”

  午後4時過ぎに中部電力本店前に到着し、申し入れをするこの場に参加したいという女性と合流して、4時20分頃から中電総務課、広報課の担当者3人に対して私たちは6人で臨み、浜岡原発の閉鎖、リニア中央新幹線への電力供給と原発の関係などの申し入れと質疑を行った。それにしても、中電の職員は未だに“原発は安い(他の電源とそん色ない)、クリーン、重要な電源”を平然と口にし、ピースサイクルに仲間からたしなめられる一幕もあった。また、リニア中央新幹線の開業にあたってJR東海から電力供給の申し入れがあったことを明かしたが、その規模について追及したが“お客様に関することなので答えられません”と逃げた。そんなことが秘密事項なのであろうか。
  申し入れは午後5時過ぎに終え、こうして今日の日程は事故もなく無事終えることができた。一行は、明日のスケジュールを確認しその場で解散した。

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2017年7月26日 (水)

ピースサイクル2017・愛知(1)

  リレーを受け、豊橋から岡崎まで
 非戦平和、反核などを掲げて、8・6広島、8・9長崎を全国の自転車リレーで結ぶ「ピースサイクル」の愛知コースの本走が始まった。この日の担当は岡崎地区で、この4年間は、事情があって一人参加が続いていて私が伴走などをして辛うじてつないできたが、今年は久しぶりに3人が揃った。
 初日の今日は、お昼ごろ、豊橋市・豊橋公園の美術館前に集合し、岡崎のメンバーと浜松を出発した静岡の仲間が合流した。昼食を終えたところで、東京からリレーされてきた“のぼり”の受け渡しを行い、しっかりとリレーされた。その後、愛知の自転車3台に小型の“のぼり”を装着し、浜松のメンバー3人と共に、午後1時前に公園を出発した。私は伴走車の運転を任された。豊橋市役所前を通って、1号線をしばらく走り、やがて豊川方面の400号線を北進して、午後2時前に、陸自・豊川駐屯地に到着し、ゲート前で申し入れを行い、文書を読み上げ手渡した。
 ここで静岡のメンバーと分かれた。愛知の仲間は二人体制(伴走車に二人)で岡崎に向かい一部だが未だ残る旧東海道の松並木を西へ進む。午後3時頃には強いにわか雨に見舞われたが、自転車の二人は“(炎天下で)かえって気持ちがよかった”といって、雨中を走り抜いたという。
 名鉄本線・本宿駅(岡崎市)までが今日の予定コースで、ここで豊川の一人は輪行で帰宅へ。私もここでお別れすることとなり、残った二人の一人は自転車で岡崎の自宅まで、それを一人が伴走することなり、この日のスケジュールを終えた。
 明日は岡崎発、豊田市、日進市経由で名古屋まで。午後4時半ころには中部電力本店で申し入れを行う予定となっている。

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2017年7月22日 (土)

ACTION REPORT 第24号

  減ページで対応
  ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の活動誌「結」と同時発行を続けている、APWSL 愛知の「ACTION REPORT・第24号」は、編者の私的都合で発行が危ぶまれたが、発行予定期日の先延ばしの機会を得て休刊を免れた。
  ただ従来12ページを基本としてきたが、今回は8ページで対応することになった。忙しさに紛れて編集方針が立て切れず、基本的なデータ-海外情報が乏しかったこともあるがやはり、複数による編集発行体制ができていないことがそもそもの原因である。例えば「C&Lリンクス愛知」は、私自身の個人誌であり、不定期発行を明らかにしているから、まあ許されるだろうが、「APWSL」を冠している以上、仮に“名ばかり”の団体であっても読者への対応は疎かにはできない。誌面より運動そのものへの不信につながりかねないからだ。
  さて頁を減じた今号の内容は、表紙に、photo「ピースサイクル2017(神奈川)」をもってきて
、巻頭の詩は、『ラヴ イズ オーヴァ』の替え歌『Abe is over』をつかせてもらった。海外情報は「インドネシアのミズノ関連工場で1300人解雇・組合つぶし、PDK労組支援の声を! 」の一本だけ。そして「ACTION REPORT VOL.24 <2017年05月~06月>」と続き、その空白部に、呼びかけとしては時機を失したものだが、参考「ピースサイクル2017・愛知の日程」を挿し込んだ。印刷・発行日は7月25日である。

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2017年7月19日 (水)

ピースサイクルの季節

 パソコン環境不良で憂鬱
 32年目のピースサイクル全国運動、この愛知では29年目になる。当初から関わり続けてきたが、ここ数年に亘って徐々に役割分担を進め、私の仕事もかなり減ってはきた。今では、全体をコーディネートすることが主な仕事であり、走行コース、参加者の確認と保険加入、それらの情報提供。そして、自治体と自衛隊基地への申し入れは、それぞれの地区で取り組むことになっているから、私の担当は中部電力だけであり、既に事前の訪問の連絡を済ませていた。だが、当日に向けた「申し入れ書」の作成を終えたところで、プリンターが起動しないことが分かった。プロバイダが変わったから、パソコン本体と同じようにWi-Fiが繋がらないようなのだ。素人なりに考えてみたところ、線で繋いでみる、再インストールしてみる、でどうかと思ったが、繋ぐコードが所在不明、CDはどこにやったのかな?
  ということで未だ不通状態。業者に依頼する手もあるが、明日になったら自分の手で試みてみようと思う。
 さて今年の愛知の走行予定は、7月26日(水)豊橋公園1200集合(浜松PCからリレー) 1300出発1400豊川自衛隊着申し入れ1420発~~(予定は未定)~1530本宿着~以下未定~岡崎着/7月27日(木)0800名鉄東岡崎駅発~0940着・豊田市役所着申し入れ、1040発~(保見経由?)~1210日進着(申し入れ・交流会・昼食)1420発~1620中電本店着・申し入れ、1700現地解散。/7月28日(金)0850名古屋市役所集合、0900名古屋市申し入れ、0950愛知県申し入れ、1030県庁発~1130小牧基地着・申し入れ(昼食・岐阜にリレー)1300小牧発~(以下岐阜ピースの予定による)である。
 私は体調からみて、全区間参加するとしても、自転車には乗らず、伴走車・街宣車に同乗させてもらう予定だ。せめて、これまで通り日進~名古屋(中電本店)くらいは自転車で走りたかったが、無理は禁物と断念したのだがなんだか悔しい。
 30年近くもやってくると、この間の資料、写真は膨大もので、段ボール5つくらいにはなったが、半分は捨てた。だがなお半分は捨てざるを得ない。ピースサイクル2017を終えたら、大胆に整理を進めようと思う。
 

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2017年7月16日 (日)

「高プロ制度」を考える

 政府・財界の仕掛けに連合が乗る?
  安倍首相と神津里季生連合会長が会談して、「高度プロフェッショナル制度」などの労働基準法改正案修正へ動き出したと報道された。
 すっかり労働運動から疎くなってしまった私であるが、それでも「高プロ制度って何だ?」と思ったし、自民党のトップと連合会長が会談していいことってあった?と勘繰ってしまうのは、永年の習性かもしれない。
 そもそも「高度プロフェッショナル制度」とはどんなものかを検索してみたら、「高度プロフェッショナル制度は、高度な専門的知識があり、年収が一定以上の人が対象となります。労働基準法では企業が従業員に1日8時間、もしくは週40時間を超えて働かせた場合は、一定の割増賃金を支払わなければならないと定めています。一方、高度プロフェッショナル制度の対象者は、働いた時間ではなく成果で評価されるため、労働時間の規制から外れ、残業や休日出勤をしても割増賃金は支払われません。この制度の対象は、年収が1075万円以上で、証券会社のアナリストやコンサルタント、医薬品開発の研究者などが想定されていて、具体的には法案の成立後、厚生労働省の省令で定められる予定です。制度を導入することによって効率的な働き方が可能となり、生産性が高まるという考えがある一方で、企業が残業代を支払わなくてもよくなることで、働く側は、より長時間労働を強いられることになるのではないかという指摘もあります。」(7月13日 NHK NEWS WEB)
 改正案が出てからこれまで審議が進まなかったのは、一つに、連合の姿勢に同調してきた民進党は「残業代ゼロ法案だ」などとして撤回を求めていたし、労働組合がない企業の正社員や非正規労働者などで作る「全国コミュニティ・ユニオン連合会」は12日夜、連合本部に反対声明を送ったとのことです。この中で鈴木剛会長は「連合はこれまで高度プロフェッショナル制度の導入は行わないと明言していたのに、制度の容認を前提とした修正案を政府に提出することは、これまでの方針に反する」などとしています。そのうえで「長時間労働の是正を呼びかけてきた組合員に対する裏切り行為で、断じて認めるわけにはいかない」として強く批判しているという。
 私の知るこれまでの“グローバル化”“規制緩和”“労基法改正(改悪)”という流れの中で、最初は業種・業務内容など対象範囲に規制をかけ“歯止め”などと吹聴していたが、法案が成立してしまうと、なし崩し的に適用範囲が広がっていったと記憶する。(104日の休日、1075万円以上という年収もいずれ・・・)あるいは、どこかに抜け穴的な「解釈」が織り込まれていて、「過労死」のような深刻な事態が現実化し、裁判で判決が出るまで経営側の“やりたい放題”と、働く者の犠牲が積み重なるという悲惨はあまりにも至近の例ではないか。
 また、政府と連合のトップ会談が行われたことについて、経済同友会の小林代表幹事は、長野県軽井沢町で記者団に対し、「これまで2、3年塩漬けになっていたので、連合の神津代表と安倍総理大臣が最終的な妥協点を見いだしてもらえれば非常にありがたい」と述べたというのも、この内容が経営側の願望に沿っている証といえるかもしれない。
 もう一つ気になるのは、「高プロ」を「残業代ゼロ法案」と強く批判してきた連合が、条件付きで導入の容認に転じた経緯でこの方針転換を主導したという次期会長の有力候補の「独走」についてである。検索によれば、今回の安倍-神津会談の要請は、逢見(おうみ)直人事務局長や村上陽子・総合労働局長ら執行部の一部が主導し、3月末から水面下で政府と交渉を進めてきた。逢見氏は連合傘下で最大の産別「UAゼンセン」の出身。村上氏は、連合の事務局採用の職員から幹部に昇進してきたという人物。逢見氏は事務局長に就任する直前の2015年6月、安倍首相と極秘に会談し、批判を浴びたこともある。労働者派遣法や労基法の改正案に連合が反対し、政権との対立が深まるなかでの「密会」だった。当時も、組織内から「政権の揺さぶりに乗った」と厳しい指摘が出ていた、という。
 内部事情については、確かめようがないので、“そういうこともあったのかな”としか言いようがないが、民主的な労働組合は、少なくとも「重要政策」については、機関審議と決定・承認が欠かせないし、最低でも主要な産別や有力な単組との事前の話し合い(根回し)くらいはしたであろうが、今回はそれもないまま、ごく一部の者の「独走」らしいのは、何ともいただけない。
 いずれにしても、「高プロ制度」は、政府・財界が仕掛けた労働組合の組織性、結束力、戦闘性を内から崩すかもしれない新たな“布石”の一つになることを私は危惧する。

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2017年7月14日 (金)

男の気持ち・生き方(146)

 思い込みと錯誤に揺すられて
  約2週間、インターネットが遮断されたまま過ごした。テレビは未だに受信できていない。この間当然にも政治も社会も様々な運動も動いていた。九州北部の築後川水系の氾濫など豪雨災害や子どもがらみの事件、将棋の「藤井聡太」「小林麻央・ブログ」が“社会現象”になっているらしいことも。
  一方できっと入院して闘病中の方もおられよう。私は引っ越しで連日汗まみれになっていたのだが、入院中と同じような気がしていた。それは、“退院できたなら、後れを取り戻そうという気がないとは言えないが、この機会に何かとリセットしてみるのもいいかもしれない”という思いがよぎるのである。実際は、後れを取り戻すことに奔走させられるに違いないのだが、もうこの先にこうした機会は2度とないであろうから、ついでの「身辺整理」だけではもったいない気もするのである。
  思案中である。「断捨離」を「物」でなく「生き方・運動観」に当てはめてみたらどうなるだろうかと考えたりもした。しかし何のことはない。それはほとんど「ゼロ=遁世」になってしまうだろう。「物」は動かないから何とかしようもあるが、「運動」は生き物と同じであるから私の意思で何とかなるものではないからだ。またそこまでの決断も想定も今はないのも確かだ。
  それでもやはり「脱皮」するように、新しい生命体のような、新しい自分の発見に出会いたいような、集中力を注ぎ入れる「井戸掘り」を見つけたいような、そんな気持ちは断ち難い。
  段ボールに囲まれながら、ようやく机の一角にスペースを作り、パソコンと向き合っている。この間に蓄積されたメールを読みながら、ふと“その場に私はいなければならなかったのかな?”逆に言えば“私がいなくても、何のことはない”というものが大半のように思われた。CGSUを除けば、各運動の運営会議に出ていないのだから当然といえば当然なのだが。そのことよりも、そこまで“退いている自分”を知って、やや複雑な思いがしてならなかった。
  年齢だけでなく地域の「無給専従20年」は、節目だという自覚には必然性があると思っていた。多分この辺りになにがしかの“錯誤”があるのかもしれないし、一点集中できるような「井戸」が未だ見つかっていないということは、この先もあまり期待できないという思いを定めるべき時かもしれない。
  古希過ぎて、迷妄と懊悩なお深いこの頃である。

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2017年7月12日 (水)

インターネットがつながる

 もっと早く手をうてばよかった・・・
 パソコンのインターネットから離れて12日が経ち、何とかしなくちゃ、という気持ちが急いていた。繋がらないのは電波が弱いものとの思い込みで、2階でパソコンを起動して、電波の強弱に問題があるかどうかを確かめればよかったが、Wi・Fi中継器を先に購入してしまった。しかし2階でも繋がらないことが分かって、思案に暮れたが、時々お世話になる「パソコン教室」の先生に相談することを思いついて、とにかく事情を話して繋いでほしいと懇願した。午後にやってきて、ちょこちょことみて、“やっぱりな・・・”とつぶやいて、パソコンをまたちょこちょこといじって、“インターネットアクセスが繋がっていない”といって、モデムから写し取った10桁以上の数字を打ち込んだら、ちゃんと繋がった。そして1階に持っていて試みたところ、ここでもOKで10分ほどで解決。電波は届いていたのである。
 それで購入した中継器は無駄になってしまったが、幸いにも荷ほどきしていなかったので、家電店に返却の手続きをして事なきを得た。しかしこの間、右往左往したわが姿を思うたびなさない気持ちにさせられた。
 わが身は、もはや“時代おくれ”の渦中にあるのだろうか。

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2017年7月 5日 (水)

古希+3の限界?

 断捨離の対極の世代か
 6月30日の「仮住まい」からの引っ越し後の仕事は、梱包状態のままが多かったので、いわば往路より復路の方が楽できると楽観していた。しかしその予想は外れた。まず新居のスペースが従前よりかなり少ないことが挙げられ、部屋のほとんどが段ボールで埋まってしまった。書籍類は、スライド式の書棚をもう一つ導入したので冊数だけで言えば十分といえたが、大判の雑誌、資料集、グラビア・写真集と運動の資料などが山積状態。その結果、部屋の中の“動線”が確保できないため、物の移動に手間と労力が増した。
 当面の収納スペースが確保できないとわかって、引っ越しの際一部を残留させた。そのため1日以降、段ボールを紐解いて効果的に収納し、空いたスペースを確保、そこへ残留物を押し込む作業を繰り返した。仮住まいと新居とは400メートルくらいの距離。その間台車を使って往復することとなったが、日中の作業がきつかった。それでも“あの引っ越し屋の若者の労働に較べれば、まだまし”と考え、「古希+3」の体に無理を言い押し通したのだった。
 3日目になったら、首筋と腰回りが痛くなった。頭の中では“こんな程度では音をあげんぞ”と思ってはいたが、「心技体」のうち、やはり「体」が先にガタが来たようだ。
 “60過ぎたら、引っ越しするものではない。もう大変なんだから”とは聞いてはいたが、果たして「年齢」に問題があるのだろうか?確かに一理はあるとしても、“大変”なほど物が多いことが第一因ではなかろうか。特に私たちの世代では、家電を含む「嫁入り道具一式」持参の時代であり、「大幅賃上げ、高利子配当」もあって、「大量消費時代(世代)」に生きてきたのではなかったのか。或いはひょっとして、「マイホーム」に熱を上げ、「戦後の飢えた時代の反動として、豊富な物に囲まれることで満足し、生きがいとしていたのではないか」さらに“もったいない”が浸透していて、結果として「断捨離」の対極で生きてきた・・・? (追い書き)

 

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2017年7月 1日 (土)

引っ越し余話

 重労働の実態を見る
 昨日の朝8時前、時間通りに引っ越し屋がやってきた。早速段取りを話し合い、建物が傷つかないように「養生」の作業が始まった、のはいいが見れば二人きりだ。
  業者から頂戴した段ボールは大小の2種類。小の方に「本・資料」などの紙類をびっしり詰め込んだ。計量してみたら1箱10~12kgあり、私にしてみればズシリと重かった。それが70~80箱。見ていると、20代半ばと30代前半の作業者は、それを二箱ずつ運び出していた。加えて家具類は一通りである。
  「重労働」といえば、第1次産業の農林水産業の現場や、鉱業(採掘現場)、港湾荷役が思い浮かぶが、第2次産業でも鉄鋼、造船の現場、自動車・電機のライン作業、夜勤などがある。そして、物流関係(トラックの運転手)の現場、引っ越し屋は第3次産業に入るであろうが、いずれも過重な「肉体労働」であり、あれこれ比較はできないけれども、引っ越し屋はやはり上位に入るのではなかろうか。
  作業者の一人、30代前半と思われる小柄な人は、聞けば、この仕事を12年続けているという。腰回り・下半身がしっかりしているように見られた。鍛えられてのことだろうが、このまま40代に入っていけるのだろうか。見積もりに来た別の人は20代後半のようだったが「元々、現場でした」といっていたが、腰でも痛めて外交に回ったのであろうかと推測した。
  これらは今風に言えば“ブラックワーク”かなと思ったが、現場を見ていると、そんな冷めたものの見方はできないなと思った。汗ほとばしる労働には、ある種の感動と憧憬があるように感じられるのだ。 (追い書き:7月12日の14時、ようやくインターネットが接続した)

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