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2017年6月29日 (木)

引っ越し

 詩にしてみた
 息子たちへの世代交代を意味する、家の建て直しを進めてきたが、明日の朝、仮住まいから引っ越しとなる。私自身の生家から始まる引っ越しは、3度と仮住まいと今回で5回になるかな。
 引っ越しにまつわる出来事、思い出、苦労話はいくらでもあるし「エポック」に違いないが、案外何も気にることなく通り過ぎてしまうかすぐに忘れてしまうことが多い。
 引っ越しの時の、こんなのものも一つの心境だと思う。
 引っ越し

家族から離れたい
どこか旅してみたい
ひとりになりたい
心をカラにしたいだけ
そんな青春があったような気がする

家があって家族がいて
荷物を一杯積み込んでドライブして
取り留めのない話に笑い転げて
明日もいいことありますように
そんな団欒の日々があったような気がする

食卓においしいものを並べて
アルバムをめくりながら
あの日 あのときを思い出して
またいつか あのようにと遠くを見て
そんな日がやってくる気がする

引っ越しの日がやってきた
できるだけ少なくしてね
何もなくても大丈夫だからね
新しい家に団欒があると信じて
老いた私たちは引っ越した

 尾元のん葉・ミニ詩集第13号「所在」から

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2017年6月28日 (水)

中電の株主総会で思う

 今年も欠席したが・・・
 脱原発運動の一員として、中部電力の株を購入したのが4年前。最初の年の株主総会に出席して、主として「リニア中央新幹線の電源確保」について質問をした。これはリニアが、原発の2~3基分の電力を消費すると聞いていたから、その実際の想定消費電力量と、その調達方法、JR東海からの配電要請の有無を問うたものだった。
 これを中電の側からまともに応えようとすれば、浜岡原発の全基が停止状態で、夏の消費電力最盛期で10%以下の余裕電力しかないことを考えれば、現状では、原発の稼働が前提にならざるを得ない。それを公言できない中電は、「まだ何も決まっていない、JR東海のことは他社のことですから知らない」という全く答えにならない対応であった。
 実際問題として、中電側には二つの選択肢があると思う。まず原発の再稼働を前提にしない電源確保に努める。これは、火力発電(LNG、石炭)の強化、水力発電の効率化、再生可能ヘネルギーのシフト拡大、他社からの融通、現新幹線の本数を減らすことで消費電力を減らす、などではないか。本来なら消費者の節電、企業や団体、個人のソーラー発電等の推奨、オール電化の見直しもありだが、営業上の問題かあまり言わないようだ。
 次に、原発の新規増設はあきらめるが、廃炉が決定している1~2号機を除く他の原発の再稼働を、他の電源確保の推移を見ながら最小限度で進めるというものだ。
 このように中電(電力会社)には「二つの選択肢」があると思うが、AかBかということでもないだろう。第1義的には「必要とされる供給電力量に見合った電源の確保」と「営業面の兼ね合い」ということだろうと思う。私たちが「再稼働反対、全原発の廃炉」を第1義的に求めることとの隔たりはここら辺りにあるのではないか。ということで言えば、電力会社と市民運動のせめぎ合いとは別に、ドイツ、ヴィエトナム、韓国などに見られる「政治判断、国策」が大きな要因である。市民運動と政治が固く結びついている証である。
 であるが、本日の中電の株主総会は、「家事都合」で3年連続欠席となった。

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2017年6月27日 (火)

あまりに凡庸すぎないか、安倍首相

 濃度規制と総量規制が理解できぬか
 まだ私が若かりし頃、反公害運動が高まってきた1970年代の話。これは以前にも引用したことがあるが、三菱自動車大江工場のメッキ工場からの廃水について、廃水基準を満たさず、川へ垂れ流しているのではないか、と労組の大会で指摘したことがあった。その時の執行部の答弁が忘れられない。「水を加えているので、濃度は規制以下だ」と言い放った。当時すでにこうした水を加える手法が問題となっていて「濃度規制」から「総量規制」に変わりつつある段階であったと思う。私はその情報をもっていなかったのでそれ以上の追及ができず悔いを残した。だから記憶は確かだ。
 今回の、加計学園の獣医学部新設問題をめぐり、24日に安倍総理は、「硬い岩盤破る国家戦略特区制度で1校だけに絞ったことが誤解を招いた」「2校でも3校でも意欲あるところには、どんどん獣医学部の新設を認めていく」と、獣医学部の新設を全国に広げていく考えを示した。
 まさに(重金属)汚染水に「水を加えた」ごまかしの論理そのものではないか。
 このような素人にでも看破されるような“言い逃れ”をして憚らないそれは、あまりに凡庸すぎないか。その逆説は、安倍の「政治戦略、話術」は、彼のものではなく、陰の誰かの創作、指導ではないかとの疑念が浮かび上がる。 
  それでも一国の総理の座に居座ることができるのはなぜか。答えは簡単なようで理解し難い、ようで単純かもしれない。

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2017年6月25日 (日)

食品スーパーの閉店

 遠くの百貨店より近くの八百屋・魚屋
 わが家から歩いて3分、ユニー系の食品スーパー「ピアゴ」が、今日の6時をもって閉店であった。夕方5時ころ覗いてみたら駐車場は満車、近くの公園の駐車場や銀行などの駐車場も使われているようだ。
 店内に入ったら人であふれ、空になった商品棚が目に付き、あふれんばかりの買い物の入ったバスケットが片隅に幾つも置かれていた。二つ目の籠をもって買いに行っている人のものなのだろう。レジは行列ができて「最後列」のプラカードを持つ数人も配置されていた。レジは二人体制でフル回転、それもそのはず、ほとんどの人が山盛の籠二つをもって並んでいるのである。
 私は、その日に必要なものを中心に買い物するので、安売りだからといって買いだめすることはあまりない。もっとも昨日は、インスタントコーヒー一つを買い置きしたが。
 このスーパーがなくなると、これからは歩いて片道10数分先の「アピタ」か「アオキスーパー」で買い物をすることになる。往復で3500~4000の歩数になり、1日に課した歩数6300(×0,8=実数の5000歩)の半分程度稼げるから、閉店の不便さは、最小限にとどめることができると思っている。
 そんなことを思う一方、このスーパーができたころ周辺の個人店が閉店した、ということはなかったが、車を持たない高齢者は少なからずいて、その人たちにとってはこの上ない不便さを感じるだろう、ということは数年先にそのことが私にもやってくるということである。
 この先どんな自然災害や、何らかの理由で「品薄」状態がやってこないとも限らない。そんな時地元にスーパーマーケットがあることは心強い。「閉店セール」は一時のこと。日常的に「医・食」が近在にあること、即ち大事にする、大いに利用することが肝要であろう。「遠くの百貨店より近くの八百屋・魚屋」である。

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三菱重工・一株株主運動

 株主資格を取り上げられる
 1970年代初頭、多分、「べ平連」の呼びかけだったと思うが、軍需産業「三菱重工業」の、株1株持つことで、株主総会でアピールする、といった運動に共感して、「株」というものを一株ではあるが初めて持った。同時期に水俣病の責任企業「チッソ」の株も一株購入した。
 その後、株式の購入単位の変遷などがあったが、その都度手続きして今日まで「三菱重工業」の一株を維持してきた。チッソは、何の連絡もなく(あったかもしれないが)いつの間にか連絡が途絶えた。
 その三菱重工・一株株主の資格も、いよいよ命運が尽きることになりそうだ。第92回の定時株主総会決議の通知が届き、その最後に、「株式併合に伴う端株処分代金について」という注釈があって、今年の10月1日をもって、株式10株を1株に併合するとし、1株に満たない端株は売却され、それに伴い、株主としての地位は失われるのだという。
 いまさらあれこれ言うつもりはなく、また新たに「100株」購入して株主になるつもりもない。これまで維持してきたのは、その都度送られてくる「会社情報」に幾らか興味があって、どんな兵器を作っているのか、原発事業の状況はどうか、官需、民需の割合なんかを散見する程度に利用していたにすぎない。
 こうして「投資ではない株」の保持は、この三菱重工、チッソ以外に、かつての職場の「三菱自動車」と、労働争議に関連して「豊田通商」「トヨタ自動車」脱原発運動で「中部電力」の株を最小単位(1000株、又は100株)で購入し、通商、トヨタ、中電の株主総会に参加してきた。しかし現在は、「三菱自動車」と「中電」は保持しているが、“生きている株”は中電のみ。三菱自動車株は「死に体」同様で放置したまま。
 こうして、投資ではない株ではあるけれども、一応株を持っていれば、株式市況に目が行き、同時に経済の動きにも少なからず関心が行き、為替の動き、原油価格と「アベノミクス」の関連を考えたりする。とはいっても、深堀はしない、というよりちょっと苦手なのである。
 中電の株主総会は6月28日、この日は引っ越しの前々日なので、「(反原発)株主提案」の委任状は送ったが、総会には行けない。

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2017年6月23日 (金)

23日は「沖縄慰霊の日」

 子どもや孫にどう伝えるか
 私は常々、ミニコミ誌などに「わたしたちは忘れない!そして忘れてはいけないこと」こととして「全基地返還まで沖縄を忘れず」「世界全ての核の廃棄を!」を書き込んで、「オキナワ、フクシマ、ヒロシマ、ナガサキ」を忘れないように努めている。
 沖縄については、この6月23日の「沖縄慰霊の日」が一つの記憶しておくべき日である。この日は、1945年6月23日に太平洋戦争の末期、沖縄戦の組織的戦闘が終結したことにちなんで、沖縄県が記念日に定めたとされる。まあ「組織戦」が終わったとはいえ、それは軍事的な意味でしかなく、一般の住民にとってはなお「生きるための戦争」は続いていたであろう。いや、その後の占領政策、「返還」後も、米軍基地の存続と強化、自衛隊の駐屯、そして現在では高江のヘリパッド(オスプレイパッド)の建設、辺野古新基地建設と、沖縄に「終戦」があっただろうか、そんな感じさえする。
 それでも、「沖縄慰霊の日」は、そうしたトータルな「沖縄」を見つめる機会であり、ヒロシマ、ナガサキと共に慰霊することの意義は深い。2015年にピースサイクルの一員として沖縄を訪問し、「沖縄戦跡と米軍基地」を見聞することで、「忘れないオキナワ」の思いをいっそう強く持ったものである。
 この地域で取り組まれている「沖縄行動」に参加する機会は決して多くはないが、この歳であれば、子どもや孫たちに伝えることも大事な務めだと思う。ただ未だその機会を作るまでに至っていないが。
 ともあれ、今日6月23日を迎えて、改めて思いを巡らしたい。

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2017年6月21日 (水)

古い写真の整理に手を焼く

 身辺整理の一つとして
 30日の「仮住まい」からの引っ越しの日を前に、準備も大詰めを迎えているが、同時に「身辺整理・終活」も進めているので、時間的な猶予は十分でもなかなか進まないのが現状。とりわけ、1980年代後半辺りからの「写真」の整理ができておらず、ネガとプリントしたものが袋に入ったままで、段ボール3箱もある。
 8割がた、袋のどこかに日付と催事メモが書いてあるので、それなりに整理されてはいたのではあるが、2000年代のデジカメに移るまでの約20間は、自身の活動の活発期でもあり、写真は撮りまくっていた。
 時間をかけて整理し尽くしたところで、「事後」は厄介者になる可能性があり、庭先で焼いてくれれば最高、裁断して可燃物として出されるだろうと想像している。ということであれば、一旦整理をしたうえで、無駄な行為ではあるが、自らの手で裁断して焼却するのがベストでなかろうか。
 デジカメになってからは、最小限に選別して編集し、A4の印画紙にプリント、ファイルしているが、それは「個人アルバム」で、運動関係まで手が入っていない。もっとも基本的には、CDに収まっているので、何かに利用する場合は、すぐに引き出せないことはないが、そのCDの整理は十分ではない。
 いったい人間(私)は、どうして写真やら本の類を身辺に置きたがるのであろうか。まして様々な活動資料など、いつか冊子にするかどこかに寄贈する予定でも頭の隅にあるからだろうか。まあ最近のように、人前で話す機会があって、捨てないでいたものが役立ったことがあるにはあったが・・・。
 コツコツとやっていけばいつか完結するか、面倒になって廃棄することを容認する気になるに違いないのだが。

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2017年6月18日 (日)

“桶狭間の合戦”をテーマの音楽劇

 みどり文芸ネットの最終公演
 みどり文化芸術ネットワーク、市文化事業団主催で、昨日と今日の二日間で4公演「ミュージカル タイミング~桶狭間に降る雨~」(脚本:鏡味富美子、演出・振り付け:ほり みか、作曲・音楽監督:坂野嘉彦)が、名古屋市緑文化小劇場で上演された。
 主催の「みどり文芸ネット」は、2001年に完成した「名古屋市緑文化小劇場」の建設の立ち上げから、設計の過程に至る“区民の声”を届ける活動と同時、地域文化の掘り起こしをめざして、「みどり文化芸術ネットワーク」を結成した。そして小劇場の杮落しに「音楽劇」を上演する企画が立てられ、そこに「緑区に由来する歴史上の出来事、民話をテーマとする」ことが盛り込まれたのだった。
 その第1回公演は「鳴海潟物語-猩々(しょうじょう)」で、3年後に「ミヤズとタケル」(日本武尊の妻だった宮簀姫が緑区大高にいたという伝説から)、3作目は2007年に、松尾芭蕉と東海道・鳴海宿の人たちの交流を題材にした「元禄芭蕉絵巻-夢は鳴海をかけめぐる」、2011年には、有松と鳴海の絞商店の2家族を主役とした「みどりの宙(そら)を越えて」、そして前回の2014年では、旧鳴海球場物語といっていい「ひいおじいちゃんのアルバム」が上演された。
 この間16年の歳月が流れたが、当初から「いつかは桶狭間を」が、ネットワークの悲願というか責務というか、“やはりこの地にあって、桶狭間を抜きにはできない”が会員の気持ちであったと思う。この構想の課題は、恐らく「合戦シーン」の演出ではないだろうか。織田信長がわずか2000の兵を率いて25000といわれた今川義元の軍を打ち破っという、日本史の大きなエポックであったことは広く知られたところであり、劇としても義元討ち取りが「ハイライト」になるのが一般的であろう。だが、鎧、兜に刀に槍、場面によっては馬と義元の「輿」もありうるわけで、そうした衣装、大・小道具の調達、戦場シーンはとても難しいものであれば、容易なものではない。そして2017年の今回は「みどり文化芸術ネットワーク」としては最終公演となることからようやく上演の運びとなった、という経緯である。
 さて、あらすじであるが、主役は織田信長でも今川義元でもない。桶狭間の合戦で今川軍の動き、特に義元本陣の位置情報を信長に知らせ、勝ち戦の第一の殊勲(お手柄)を挙げた簗田出羽守政綱である。政綱は今川の動きをつかむとそれを清須の信長のもとに知らせようとするが、道に迷い深田に足をとられ「信長坂」から転げ落ち、その時に「タイムスリップ」して現代に放り出される。その現在とは、桶狭間高校歴史研究部のメンバーたちの集まりの場であった。
 この「歴研」のメンバーは、織田の家臣の末裔たち?で織田のぶ子をはじめ、名前が柴田、前田、木下、明智、徳川・・・。最初は簗田と高校生たちと会話が合わないが次第に、「この人をあの時代に帰して、今川方の情報が信長に知らされないと歴史が変わってしまう。それに、あの瞬間に雷雨が来なければ、織田軍は勝てない。タイミングが大事なんだ。何とかしなければ・・・、」
 桶狭間の合戦の勝敗を分けたポイントは、「情報戦に優った織田」と「雷雨」という自然現象が織田に味方した、という説が有力であるが、そこにスポットを当て、村人(地域住民)や現在の高校生にいろいろと考えさせるというストーリーが、ミュージカルとして仕上げられた。
 いわゆる「合戦」の場面は、一部「音声」としてはあるが、立ち回りなどはない。こうした素人劇団で、コンパクトな舞台での工夫が随所に見られ、音楽はほぼ生演奏(名古屋緑吹奏楽団)というのも、特徴の一つであった。
 私は、「みどり文芸ネット」の立ち上げ時から参加したこともあって、全作品を見てきて、その都度感想などを寄せた。それは地域文化興隆の意義に賛同してのことであり、それは今も変わらない。その意味では、「みどり文芸ネット」がこうした定期公演を終えるとしても、何らかの「情報ネット」を維持すのか、いったん解散するのかは知らない。
  けれどもとりあえず、緑文化小劇場が主催事業として、音楽劇制作を継承していくことになるとのことであり、おそらく、会長の林さんも、吹奏楽団の指揮者でもあるから、何らかの形で関与、寄与するのではないだろうか。秋ごろには総会が持たれるかもしれないので、それも注目したい。いい演劇をありがとう。

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2017年6月17日 (土)

鳴海中学の同窓会

 10回目、ふつうの参加者として
 鳴海中学校を卒業してから15年後の1975年に、(第13回卒業生)第1回同窓会(同年会)を開催して、その後5年ごとに、古希を過ぎた前回からは3年後に開催の第10回同窓会が名古屋で開かれた。
 同期卒業生は9クラス約450人、幹事によれば330人ほど案内状を出したとか。出席者は男女ほぼ同数の60人弱であった。元々の招待恩師は担任9人、教科8人の17人であったが、既に8人が鬼籍に入られ、今回は4人の参加を戴いた。
 準備は万端で、用意された同窓会名簿では、氏名(旧姓)、住所、電話番号はもとより、参加者+二次会名簿、返信はがきのコメントに加え、鳴海中学の沿革、鳴海の今昔物語なども添えられた。テーブルはクラス別の「全指定席」、開会前のクラスごとの記念写真の並び位置も指定するという念の入れよう。
 さて開会。司会者から開会のあいさつ、幹事代表のあいさつがありそのあとに司会者から「残さず食べよう!30・10(さんまる いちまる)運動」の趣旨説明があった。最初の30分間と最後の10分間は席について飲食に専念して出された料理は残さないようにしよう、というものである。趣旨には大いに賛同できるものである。永年幹事をやってきていつも感じていたことの一つに「食べ残し」があって、“せめて自分だけは”と箸、フォーク、ナイフを動かしてきた。ということで、では今日は“完食”したかといえば、実際は飲酒した分を差し引いた「ご飯と味噌汁」だけは手を付けなかった。
 4人の恩師それぞれから近況などが語られたが、米寿から卒寿を越えた御歳であれば、中学時代に教鞭をとった思い出に加え、やはり現況は「健康、持病」の話になった。それも後に続く私たちへの“教え”の一つといえるかもしれない。交流タイムでようやく同窓会らしい雰囲気が出てきたような気がした。あっちこっちで談笑の花が開くのだが、私の感じでは意外と静かのように思えた。“指定席”から離れる人が少ないせいであろうか。特に女性があまり動くことがないように感じたが。
 暫くして同窓生の「近況報告タイム」がやってきて、3~4番目くらいに私も指名を受けたので、第1回の開催から今回まで、こうした同窓会を開催している学年(期生)は他にないことと、昨年6月に開催した同級生による作品展「私たちの小さな足跡展」について話し、来年の秋に2回目の開催の企画があることなどを話した。
 2時間そこそこはすぐに過ぎてしまうものだ。最後にその場で集められたアンケート結果と次回の構想などが提案された。3年後か「喜寿」の4年後か聞きそびれたが、長良川(岐阜)か木曽川(犬山)の「鵜飼」という案が出されていた。これにはどうも同意しかねた。“それは、好きな者同士でやれば”という声も聞かれたが同感である。日帰りと一泊とかがあるとのことだったが、私のテーブルの「総意」は、「名古屋市内で午後の時間帯」であり、特に女性からは、こぞって泊りがけは無理、であった。(分散して鵜飼船に乗ってどうするのだ・・・)
 私にとっては、今回が初めての「お客さん(幹事ではなく、お手伝いもなし)」として参加したが、体調を考えて2次会はパスした。

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2017年6月15日 (木)

安倍共謀罪成立の日

記憶と反転攻勢へ
 「共謀罪」の構成要件を改めて「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法が15日午前7時46分、参院本会議で採決され、自民、公明両党と日本維新の会などの賛成多数で可決、成立した、と報道された。
 こうした政治的、社会的「暗転」に立ち会うときいつも思うのは、「私たちの世代は」である。「世代」だけを取り出せば、「古希」を過ぎた私自身は「現世代」ではないが、生きている限り、 まして半世紀に亘って何らかの形で関わってきたことを思えば、私(たち)も「現世代」に包摂される。
 この法律が成立したとはいえ、「認めない、いつか覆す」という一念を持つしかないが、まず記憶として「安倍共謀罪2017」として刷り込みたい。
 それにしても、今国会の状況を見ていると、「都議会選挙」と「森友・加計隠し」の2点を軸に動いてきたといえる。国政と都政のどちらが優先するかの比較は一概にできないが、「都議会選挙」という限定的な状況ならば、国政しかも「重要法案」が「杜撰」でいいはずがない。その意味で公明党の姿勢、安倍の暴挙に加担した責任は免れない。ついでながら日本維新の会の政治スタンス(自民党の別動隊)もはっきりしたといっていい。
今となっては、都議会選挙もさることながら「森友・加計」問題の手を緩めず徹底追及し、安倍辞任か衆院解散総選挙を求めていくことであろう。
 であるが、「都議会選挙もさることながら」としたのは、小池新党の正体がよくわからないから、仮に自民党が大負けしたとしても、公明党が伸びれば国政に影響しないだろうし、そこへもってきて民進党が大敗すれば、「与野党逆転」の構図にならないから、「まず都議会選挙に勝ち抜き」とは言い難いのである。(48時間臥せった中で思ったこと)

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2017年6月14日 (水)

風邪?をひく

 数年ぶりに寝込む状態となった。
 症状は10日から喉の痛み、咳から始まり、昨日から鼻水の症状が進んで、今がピーク?かな、と思っている。ただ発熱していないので肺炎まではいかないのではと素人判断。新たな症状が出たら病院に行くこともありだ。
 10日といえば、「共謀罪阻止の集会、デモ」が午前、午後とにあって参加した日だった。この日は、遅めの朝食だったので少し多めに摂って昼食は摂らなかった。この日の歩数は11000歩を超えていたから、連日の引っ越し準備もあって、結局“疲れ”からだろうと思っている。とはいえ、この程度の“生活量”でめげることはないと思うので、やはり“加齢”のせいがないとは言えないかもしれない。さらに“非日常(リバウンド)”に対する備えもある程度心得ておくべきかもしれない。
 今日、明日はこのままかもしれず、「共謀罪」成立とあっては、まさしく“遺憾(心残り)”である。

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2017年6月10日 (土)

共謀罪阻止へ、午前も午後も

 日々、新段階に進む情勢
 強い日差しの中、久屋大通公園・光の広場で、午前11時20分から「共謀罪」阻止緊急行動6.10集会・デモの集会が始まった。壇上に上がってアピールしたのは、本 秀紀さん(秘密法と共謀罪に反対する愛知の会共同代表)、加藤里奈さん(国民救援会愛知県本部)、長峰信彦さん(安倍内閣の暴走を止めよう共同行動実行委員会共同代表)、そして中谷雄二さん(弁護士、主催者代表)であった。それぞれ切り口を変えながら「共謀罪」の危険性の指摘、例示、安倍と内閣の「真摯」の対極にある「ふざけた」対応を批判するなど、歯切れのいいアピールであった。国会の会期末が迫る中、安倍退陣を迫る気合の入った集会で、集会参加者は1000人と発表された。
 さてアピールには、もう三方おられた。お二人は、「大垣警察署市民監視違憲訴訟弁護団長」の山田秀樹さんと原告の一人近藤ゆり子さん。この事件は、中部電力の子会社シーテック(名古屋市)が岐阜県大垣市などに計画する風力発電施設建設計画をめぐり、住民の動向などの個人情報を大垣署が収集し、同社に漏らしていたことが2014年7月、新聞報道で明るみに出たものであるが、まさに「共謀罪」の先取りの例といっていいものであった。
 またもう一人は、名古屋市瑞穂区の「白竜町高層マンション(15階45メートル)建設を巡る住民運動」への刑事弾圧事件の「一般人」の当事者の妻であるOさんが、「共謀罪」と重なる“弾圧を感じた”などと述べ、「共謀罪」が単なる「法律論争」ではなく、先取的に現実化している例として紹介されたのだった。
 これまで何度も何度も取り組まれてきた集会・デモあるが、ここにきて「生きた共謀罪」が姿を現したといっていい一段と危機感高まる集会であった。
 午後2時からは、室内集会の「沖縄はつきつける 高野 孟さん講演会・デモ」が取り組まれ、こちらは満席の200人以上が参加して、集会後デモ行進を行った。なおこの集会に「1000人委員会」の三重、静岡、岐阜の各代表もからも連帯のあいさつがあった。
 高野さんの講演は、まず普天間基地返還が進まない一方、辺野古新基地の護岸工事、埋め立てが強行される沖縄の現状と、安倍内閣の米国追従策・無策を批判し、翁長知事も必死に頑張っている。しかし仲井真前知事が認めてしまった「埋め立て承認」の撤回裁判あるいは「岩礁破壊許可」の取り消し裁判に取り掛かろうとしているが、日本の司法の前では見通しは明るいとは言えない。それだけに、「非暴力抵抗」の現地支援が極めて重要だと力説した。
 また「北朝鮮の軍事的脅威を煽り立てる安倍の好戦的プロパガンダ」というところでは、「北朝鮮」のミサイル発射、核実験、中国の尖閣諸島“領海侵犯事件”を、都合のいいように取り上げ、「挑発」しているのはいったいどちらか。とりわけ「中国脅威論も真っ赤な嘘で、尖閣問題は事実上棚上げ状態が続いている」とした。
 さらに高野さんは、トランプ大統領(アメリカ)に「(北朝鮮)先制攻撃」をさせないことが大事なことだといい、今の安倍にはそれができないどころか“はしゃいでいる”とさえいえる。そして安倍のマスコミの友軍ともいえるサンケイ新聞、読売新聞の“印象操作(報道)”は、許されないものだ。
 もっと多岐で知られざる話もあったが、私のメモから書き記した。今日2本目のデモにも参加した。

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「共謀罪」阻止緊急行動、集会とデモ

この日、5つの集会などがあり
 もちろん、たまたまであろうが、今日はなんと5つの集会などが重なった。それぞれの取り組みには努力が払われているので、集会名などを記録してその労に報いたい。
1)「共謀罪」阻止緊急行動6.10大集会・デモ、沖縄現地と連動。
2)山尾志桜里(民進)衆院議員「共謀罪」講演会、中京大学教授 大内裕和さんとの対談あり。
3)沖縄はつきつける 高野 孟さん講演会とデモ
4)レイプ隠しを許さない!怒れる女子デモ。詩織さんの検察審査会への再審査申し立てを応援しよう!
5)ベーシックインカム(BI)学習会(緑の党東海)。講師は青木秀和さん。
 1)の「共謀罪」阻止緊急行動6.10大集会・デモだけが午前から午後にかけて取り組まれ、何とか午後の集会につなげて参加できそうだ。
 最初にも書いたが、こんなに重なってしまっては、いずれの集会にも出たいと思う人にとって“もったいない”と思うのではなかろうか。
 どうしてこうなってしまうかは、政治課題が山場に来ていること、集会の設定には、会場と講師などの確保のために1か月以上の準備期間が必要であること。そして人の集まりやすい土曜日、日曜日が選ばれることなどがあげられよう。
 ではそうした“分散”がどうしても避けられないものなのだろうか。避ける方策はないのだろうか、と思うのは私一人ではないだろう。
 今となってはそれぞれは「選択的参加」とならざるを得ないが、「野党共闘」を叫ぶ一方で「市民共闘」も欠かせないが、未だ「それぞれ」が優先、率先ということであろうか。現状の反映ということとしか言いようがない。
 訂正:4)レイプ隠しを許さない!怒れる女子デモは、11日でした。
 

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2017年6月 9日 (金)

トランプは「大統領」にあらず

 辣腕振るう「社長」か?
 トランプ米大統領に解任された米連邦捜査局(FBI)のジェームズ・コミー前長官は8日、上院情報特別委員会の公聴会に出席し、ホワイトハウスによる「うそ」と「名誉棄損(きそん)」を批判するとともに、トランプ氏は正直さに欠け、大統領の規範を越えた振る舞いをしていると示唆する爆弾証言を行った。(AFP=時事)
 この記事と大統領就任後の一連の言動を見ていると「アメリカファースト」とは「アメリカカンパニーファースト」となり、トランプは「大統領」ではなく、辣腕を振るう「社長」のように思えてならない。
 元々連邦議会の議員、州知事などの政治的経歴を持たずに大統領になった彼は、ホワイトハウス(大統領府)を取り仕切る経験・能力に欠けているようで、閣僚の任命に手間取り、政策の立案のスタッフと体制が整わず、「大統領令」で急場をしのいでいる感じさえする。
 今回のコミ―氏の証言が、(日本の国会と較べて)どれほどの法的影響力、米国民への衝撃度であるかはわからないが、仮に「弾劾」へ進めば、アメリカ国内の混乱だけではなく、その影響は世界に及ぶかもしれない。そうした観測は、既に欧州辺りでは出ているようで、ドイツのメルケル首相の「欧州自立」論のような発言も、影響を最小限に抑えるという見方からではなかったろうか。
 そうしてみると、トランプ“失脚”となった場合、安倍首相はどう対応するであろうか。「アメリカの国内問題であり、発言を控えたい」などとシャーシャーというであろうか。菅官房長官などは「アメリカの国内問題で、発言する立場にない」といいそうな感じさえする。ま、常識的にはそんなことはあり得ないのだが。
 以前に「当世出鱈目漢詩」を書いたが、ミニ詩集第13集「所在」でその続編を書いた。今回は、「意訳、悪訳」をつける。
   (二)
共謀罪強行突破 与党は立憲・平和を破壊して強行採決
官邸鳴進軍喇叭 首相官邸から自衛隊にススメススメの進軍ラッパ
隠森友加計論破 知らぬ存ぜぬの疑惑隠しを打ち破れ
衆院解散即発破 もはや解散総選挙しかない、その発破を仕掛けよ

非戦平和永祈念 戦争なき平和な時代よ、永く続けと祈る
米国戦略有懸念 核保有の強大国の迷走に懸念あり
戦争回避有対話 武力で平和は作れない。対話あってこそ相互理解
子々孫々誓平和 もう戦争はしないと子や孫に誓うわが世代

列島有抗議行進 日本全国で抗議のデモ行進が続いている
老若男女闘争魂 老いも若きも男も女も 不正義に起つ
街頭唱和名古屋 悪政を討つシュプレヒコールが名古屋で響く
月光照射悪霊連 悪だくみ隠す為政者に正義の月光が照らし続ける
                    (2017年5月25日)

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2017年6月 8日 (木)

今もってシベリア抑留者!

 戦争“後遺症=残忍性”がまた一つ
 私自身は戦争の実体験者ではないし、或いは戦争映画、ドキュメンタリーを好んで観る方であるが、一方で、反戦、非戦の本(きけ、わだつみの声など)、日本の歴史(昭和史)などに接し、映画でも「人間の条件」「ビルマの竪琴」などに強い影響を受けたという印象を未だ残している。
 去る6日の新聞では、シベリアで抑留された日本人男性、田中明男さん89歳の記事が載った。第二次世界大戦末期の1945年に旧満州(現中国東北部)でソ連軍に捕まり、シベリアで10年ほど過酷な労働をさせられたという。
 この「過酷」とは「飢えと寒さと、重労働」ということらしいが実感できない。しかもそれが10年以上続いたのだから想像を超える。旧ソ連時代のシベリアに捕虜として「抑留」された日本人は約60~70万人、そのうちの約1割~2割6~14万人が死亡したと諸説あるがこの数字も酷い。「戦争は終わった」そのあとのことであるから、戦争終結は、決して1945年ではないといえる。
 それにしても、~田中さんによると、80年代にレニングラード(現サンクトペテルブルク)の日本総領事館を訪れ、「日本に帰りたい」と訴えたことがある。田中さんが満州に渡る前、父は北海道の登別温泉で旅館経営をしており、3歳年下の妹もいた。だが、総領事館から「お父さんはすでに亡くなっている。妹さんの連絡先は不明」と告げられたという~
 これが事実とすれば、日本総領事館の対応は随分冷たいものだったと思う。「日本に帰りたい」というのが田中さんの要請であるから、家族、親戚の事情はどうであれ、とりあえず帰国の方策を考えてやるべきではなかったか。「戦後40年」も過ぎて、日本の国内事情は、中国残留孤児と同じように受け入れる体制はできていたと思うのだ。
 私の知る限りでは、親類縁者の中にこうした抑留者、戦死者はいない。けれどもこういったシベリア抑留者、中国残留孤児、遺骨収集の話、さらに復員兵士、特攻兵士の話などを聞くとわがことのように感じてしまう。
 自ら体験してはいないことを、体験したかのように想像することは容易ではないが、そうした想像力をたくましくして現実に向き合うことは、いつの時代でも、生きている限り大切なことではないかと、この記事を読んで思ったのだった。

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2017年6月 6日 (火)

3度目の語り、でした

 地域共同行動の基盤形成
 今まさに「共謀罪」阻止の真っただ中。“果たして全力で戦っているだろうか”という忸怩たる思いがある一方、“かといって、アソビ呆けているわけではない”と自分を納得させている。しかし・・・、そのように個人的には対応しているとしても、安保法・緊急事態条項にしろ、この共謀罪法にしても、これを阻止しようとする側の「総力」が結集されなければ、国会で圧倒的多数を握っている安倍与党の“暴走”は阻止できない。
 1970年代後半から1990年代にかけて「地域労働運動」を進めてきた私にとって、労働運動だけでなく市民運動とも共同し、住民運動も巻き込むような「地域共同行動(総がかり的)」とその「基盤形成」が大きな目標であり、その中に、名古屋労連の運動、愛知全労協の運動も包摂されていたという認識、これが基底にあって昨日の、今年になって3回目の「語り」の機会であった。
 今回も、話の内容の概要(といっても話した内容のほぼ全て)の冊子「C&Lリンクス愛知第77号」を用意していた。それはかなり広範囲にわたっており、比較的少人数の場であったので、予め重点的に報告してほしい項目の希望を募った。しかし特に要請はなかったので、私自身の運動の“向き合い方、生き方”みたいな、やや情緒的な話から入って、それに時間費やした。というのも、参加者の顔触れからして、自己紹介的な語りとこんにち的政治状況の「序論」は省いたからでもあった。
 参加者は、第一線の活動家であり、労働運動、市民運動にも通じている人たちであったから、比較的知られていないであろうとの想定で、第1章の「愛知の地域闘争」、新幹線公害問題・沿線住民の闘い/設楽(したら)ダム建設反対運動/境川流域下水道問題/藤前干潟埋め立て問題/米軍依佐美基地撤去の運動/名古屋オリンピック誘致問題/2005年愛知万博問題/2016年の「あいちキャラバン」について重点的に話を進めた。これはあまり知られていない、ということと同時にこの愛知県全域、或いは県境を越えた、オルタナティブな「地域共同行動、総がかかり的な取り組み」の重要性を知ってほしかったためである。
 第2章の地域を巻き込んだ労働争議・運動、本来ならこの章(1)1970年代の「三菱重工・四方君を守る会」の争議・運動(2)1980年代の「名古屋労組連」が本題であろうとは思った。三菱闘争では、全国運動まで広がったことと、「4つのスローガン」が定まるまでの経緯、背景、苦悩、公然活動、非公然活動などを紹介し、名古屋労組連運動では、どちらかといえば、結成に至る「前史」を重点にしたが、全体としてはかなり端折ったものになった。
 第3章の働く者の国際連帯活動では、一昨日(4日)の場で話した内容と同じで、私の体験的なものとして世界自動車会議・ソウル/レイバーノーツ・デトロイト/フィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援運動/APWSL愛知の場合の4つを紹介した。そこでアメリカにおける「運動資料の保管、管理、利便性」を紹介し、対する日本のそれの貧弱さ又は意識の低さについて、ユニオン懇談会でも話が出たことと併せて話をした。また追加としてIMF・JC(交際金属労連・日本協議会)の元役員、三菱電機労組の元委員長・久野治氏が提唱した「アジア春闘論」を紹介し、私たちの運動(春闘)が国際的に見たら「身内的(自分たちの労働条件の維持向上だけに関心がある)」過ぎたのではないか、私はその話を聞いたとき“目から鱗”みたいな衝撃を受けたことを話したが、全体としてはかなりの内容は省略したものとなった。
 ここまですでに多くの時間を費やした。第4章の様々な活動の中で得た、経験と教訓など、終章の現在地点の課題も、8項目を取り上げたが多くは本文を読んでいただくことでほぼ省略した。
 最後に、4日の時と同じように、参考資料として「ATUサポート市民の会・結成宣言(2008年)」の冒頭部分を読み上げて締めとした。これは、私自身が運動にかかわってきた気持ちというかスピリッツみたいなものとして起草した経緯があったからだ。また参加者はほぼ(元)国労組合員であったこともあり、噛み合ったものになったと思っている。改めて再掲する。
 結成宣言の冒頭部分。
 「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。
1987年の国鉄の分割民営化は、鉄路で働く人々を分断し、退職に追いやり、職場で憎しみと競争を煽り立てただけでなく、日本の隅々まで行き渡っていた線路を断ち切りました。それは、日本人が育んできた北から南までの『和(輪)の心』を断ち、労働への畏敬と連綿と受け継がれてきた働く者の団結をも破壊してしまったといっても過言ではありません。・・・」

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2017年6月 4日 (日)

愛知の地域共同、運動の基盤形成

ささやかな経験を「語り」ました
  フィリピントヨタ労組(TMPCWA)を支援する愛知の会の第15回総会の場で、「報告 愛知における地域共同、運動の基盤形成」というタイトルで1時間弱話をした。
 前回のユニオン学校では1980年代の「名古屋労組連」の運動が中心であったが、今回は、愛知県全体につながった、地域共同行動、地域労働運動という観点から準備をした。

  第1章の愛知の地域闘争では、新幹線公害問題・沿線住民の闘い/設楽(したら)ダム建設反対運動/境川流域下水道問題/藤前干潟埋め立て問題/米軍依佐美基地撤去の運動/名古屋オリンピック誘致問題/2005年愛知万博問題/2016年の「あいちキャラバン」について、その概要を紹介した。
 県境を越えた闘い、運動例えば、四日市公害問題/中電の芦浜原発問題/長良川河口堰問題/木曽川導水路問題/ごみ処分場問題(愛岐処分場など)は、紹介だけにとどめた。また全国運動に連動して反安保・反基地闘争、三里塚闘争、労働運動、反公害運動、教育問題等も名前だけの紹介となった。
  第2章の地域を巻き込んだ労働争議・運動では、(1)1970年代の「三菱重工・四方君を守る会」の争議・運動(2)1980年代の「名古屋労組連」の運動の二つを取り上げたが、かなり端折ったものになった。
  第3章 働く者の国際連帯活動では、私の体験的なものとして世界自動車会議・ソウル/レイバーノーツ・デトロイト/フィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援運動/APWSL愛知の場合の4つを紹介したが内容は省略。ただ追加として、IMF・JCの元役員、三菱電機労組の元委員長・久野治氏が提唱した「アジア春闘論」を紹介した。
 第4章の様々な活動の中で得た、経験と教訓などについては、記載してあるものを読んでいただくということでほぼ全部を省略をした。
  終章の現在地点の課題も、8項目を取り上げたが多くを省略した。ただその中で先のユニオン懇談会で議論された「運動、闘いの記録、教訓・反省、経験則などの記録を残し、次世代、後世に残そう。」だけは強調した。
  最後に参考資料として「ATUサポート市民の会・結成宣言(2008年)」の冒頭部分を読み上げて締めとした。これは、私自身が運動にかかわってきた気持ちというかスピリッツみたいなものとして起草した経緯があったからだ。
  結成宣言の冒頭部分。
  「古来、労働は暮らしの中心をなし、生きる糧とし、喜びとし、人と人とのつながりの結び目としてきました。
   1987年の国鉄の分割民営化は、鉄路で働く人々を分断し、退職に追いやり、職場で憎しみと競争を煽り立てただけでなく、日本の隅々まで行き渡っていた線路を断ち切りました。それは、日本人が育んできた北から南までの『和(輪)の心』を断ち、労働への畏敬と連綿と受け継がれてきた働く者の団結をも破壊してしまったといっても過言ではありません。
ひるがえってトヨタ自動車は、1992年に策定した『基本理念』の冒頭で『内外の法およびその精神を遵守し、オ-プンでフェアな企業行動を通じて、国際社会から信頼される企業市民をめざす。』と謳っています。
   トヨタという企業がその文言そのままに、ものづくり、人づくり、社会貢献を果たしてきたなら、『自動車絶望工場』などと決して非難(揶揄)されなかったことでしょう。また、世界語にもなった「KAIZEN・カイゼン」が、非人間的な過酷な労働の代名詞にはならなかったでしょう。」(後略)

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2017年6月 3日 (土)

安倍、菅は帝国軍人もどきか

 彼らの自覚を促す手は?
 安保法や盗聴法の時の対応もそうだったように思うが、今の共謀罪然り、森友・加計問題然り、国連特別報告者のジョセフ・ケナタッチ氏への対応然り、安倍首相と菅官房長官の対応は、言葉使いは軍人言葉ではないけれども、一切の批判も、異論も許さないどころか、今にも軍刀に手をかけんばかりの「威圧(切り捨てと脅し)」丸出しに思えてならない。「民間人」のように一応話を聞いて、誠意を込めて答えるという姿勢ではない。
 市井からこんな発信というか投稿をしたとしても、貸す耳を持たない安倍以下の閣僚と官僚たちではあるが、だからといって見過ごせば、彼らはますます増長するだろう。いい手はないだろうか。
 まず野党の連携と“切れ者”議員の小気味よい内閣を一刀両断の切り込み、そうした奮闘と努力を大いに期待したい。そうした新鮮なネタはマスコミも飛びつくであろうし、それでなくてもマスコミには、「忘れてしまったのかジャーナリズム精神」の復活を、時間を経ずして待ちたい。
 ひるがえって私たちの側からは、「集団的自衛権行使容認の閣議決定」や「原発再稼働」を巡って広がりを見せた、市民の手による持続的な街頭行動の更なる高まり、そして街頭だけでなく職場、生活圏という地域への進出、浸透を図りたいものだ。そうした積み重ねがやがて次の総選挙で必ずいい結果をもたらすものと確信する。
 と、このように正当な手段をもってしても、「軍人の問答無用」にあっては、打つ手があるだろうか。なんとか安倍、菅らに「ワシらは、いつの間にか低俗でガリガリの“軍人”になってしまったのだろうか」と悟らせることはできないだろうか。
 

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2017年6月 1日 (木)

「人生の手仕舞い」のセオリー6箇条

 かなり進めてはいるが・・・
 昨日(2017年5月31日)の「ダイヤモンド・オンライン」では、現在59歳という経済評論家・楽天証券経済研究所客員研究員の山崎 元氏が、「人生の手仕舞い」のセオリー6箇条を提案している。これはあくまで山崎家の、親を看取る過程で得た教訓であり、自らの課題でもあり一例に過ぎないと断っての提案であった。
 老後に関しては、(a)住居・生活、(b)介護、(c)お墓・葬式、(d)相続、といった問題がある。つまり、 大きくは、「生活はシンプルに」「介護は施設で」「墓なし・坊主なしは楽だ!」「相続は早めに決める」としている。
(1)なるべく長く働く
(2)住居は縮小し、モノを減らしてシンプルに暮らす
(3)便利な場所に暮らす
(4)介護が必要になったら、施設へ
(5)お墓・お寺と縁を切って、弔いはシンプルに
(6)相続は、本人のアタマがしっかりしているうちに、明確に決める
 以上が4項目六か条だが、私が思うに、項目は「生活(くらしむき)」「終末(死に方)」と絞られているのではないか。
 私自身に6項目をあてはめてみると、(1)(2)(3)は、ほぼカタが付いている。(4)(5)は、これから「家族会議」で決めることになる。(6)子は一人だから、その点は心配ないが、孫が3人、その時はどうなるか(知ったことか!)。
  ところで、山崎氏は多分他で書いておられるのでしょうが、ここで付け加えたいことは「死ぬまで現役」という「生き方・心の持ち方」である。
  私が「生前遺稿集(自分史)」とその複線ともいえる詩集「坂」をまとめたのも、「終活」の一つであったし、様々な地域活動から徐々に退いて後尾・末席に位置するようにしてきたのも、“生きていればできたこと、伝えることができる一つ”とも思っている。
  その意味では、「死」はいつ来るかわからないが、節目ともなるこの7月から改築なった家で暮らし始めるにあたって、「終末」の最後の仕上げに入るつもりだ。その中には・・・・。
  といういくつかの「妄想」を、政治的に大きなヤマバとなるこの6月ではあるけれども、だからこそ、といえなくないがこんなことを書き留める気になった。

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