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2017年4月30日 (日)

伊吹文明(自)議員は言う

  失言を防ぐ注意点六つの「た」
  自民党二階派の伊吹文明元衆院議長は、今村雅弘前復興相の更迭を巡り、今村氏が所属する27日の同派会合で失言を防ぐための注意点として六つの「た」を訴えたという。箇条書きにすると以下のようになる。
  ~有権者に恥をかかせないよう~
・立場をわきまえる
・正しいと思うことを言う時
・「多人数がいる場」は人によって見方が違うことに注意すべき
・旅先(地方)でサービス精神のあまり舌を滑らすこと
・他人を批判する時
・たとえ話で誤解を招くこと
 伊吹文明衆院議員は、保守本流を行くような印象があり、文科相も経験したこともあってかこの人、今の若手議員には難しいようなことをおっしゃるが、議員に限らず我ら「公民権運動・市民運動等」に携わる者にとっても一脈通ずるものがあると思い、私なりの解釈を加えメモすることとした。
  まず冒頭から「有権者に恥をかかせないよう」という物言いはどうだろうか。己つまり「国政を預かる者の一員として恥をかかないように」とすべきだろう。確かに、こうした類の議員を選んだのは有権者だから、地元の有権者は恥ずかしい思いをしたのだろうけれども。
・立場をわきまえる・・・議員だ、大臣だという過剰意識、傲慢さがそこにある。
・正しいと思うことを言う時・・・ぬぐえない予断と偏見がある。“受け売り”が多いのでは?学習不足か。
・「多人数がいる場」は人によって見方が違うことに注意すべき・・・当然といえば当然だが、“いうべきことはしっかり言う”として高揚した時が注意であろうか。いつでも、誰にでもいえることだ。
・旅先(地方)でサービス精神のあまり舌を滑らすこと・・・自慢話をしたくなるのは人の性か、地方に限らず。
・他人を批判する時・・・・・・・論拠を明確にし、「批判の批判」を想定しておくことではないか。誹謗、中傷は論外だが、“相手への批判、攻撃”が、安易な“受け狙い”を招きやすい。
・たとえ話で誤解を招くこと・・・これはよくあることで自戒したいことでもある。端的に言えば「たとえ」の選び方に注意が必要ということだ。例えば、差別内容と用語には注意をし、その経緯を知っておくべきだ。下賎な内容は、意外と本人は気が付かないで“悦”に陥っていることがあり、“本性の暴露”といえるかも。誹謗、中傷の類も本人は「論破」していると思い込んでいる場合がある。そしてニュースとなるケースが多いのは、時と場所と実態をわきまえず、被害者、弱者、困難者、当事者に傷つける内容を得意げに話したりすることであろう。etc

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2017年4月29日 (土)

米軍占領下の沖縄労働運動と抵抗の歴史

  第41回ユニオン学校・特別講座
 現地沖縄・辺野古が重大局面にある中、主催者の呼びかけは「今回のユニオン学校は米軍占領下の不利な状況でも決して屈することのなかった沖縄労働者民衆の苦闘の歴史と成果を学び、現代の沖縄連帯と反基地平和運動、労働運動の高揚を実現するために共に考えたいと思います」とあった。どこまで迫ることができたか。
 講演されたのは、南雲和夫さん(中央学院大学非常勤講師・首都圏非常勤職員組合)で、著書として、『占領下の沖縄-米軍基地と労働運動』(かもがわ出版)、『アメリカ占領下沖縄の労働史-支配と抵抗のはざまで』(みずのわ出版)などがある。
 お話は、1945年から沖縄が返還された1972年、この間即ち「米軍占領下の沖縄労働運動と抵抗の」期間でもあった。それを4期に分けて話された。
 第1期は、1945年から1951年辺りまで。アメリカの対アジア政策の転換と、対沖縄占領政策の確立の時期についてであった。それは本土も同じようなものだが、日々が食うや食わずの時期から少しずつ経済が動き出した時期ではあったが、沖縄は占領下で「無権利状態」「土地家屋の強制接収」と二重の苦闘を強いられていた。そして日本復帰運動が展開されていったのだった。奄美大島で復帰運動が盛んとなり、1953年12月に返還された。
 第2期は、1952年から1957年ころまでで、冷戦政策の確立と、対沖縄政策への波及と住民の抵抗の時期とだという。そのころは、労働運動の黎明期と、労働立法が成立していく時期でもあるのだが、生活闘争が主で労働運動はまだまだだったという黎明期。また、琉球政府(住民の自治政府組織)もできていたが、最高権力は米国民政府(USCAR)の高等弁務官の手にあった。
 そして、軍用地の接収、基地建設が本格化し、瀬長亀次郎らが登場し、弾圧を受けながら労働三法の制定(1953年7月)に奮闘、瀬長は市長選にも勝ち抜いた。
 第3期は、1958年から1964年辺りまでで、冷戦政策の修正に伴う、沖縄占領政策の軌道修正の時期だという。この時期、沖縄県祖国復帰協議会の発足、全沖労連の結成があった一方、米国民政府、国際自由労連の工作などによって分裂させられた。だが「全軍労」も参加した全沖労連と県労協の結成があったが、県労協は同盟系が分裂していった。
 第4期は、いよいよ、沖縄「返還」政策の確定と、住民闘争の高揚と祖国復帰の時期になる。まず、1965年の佐藤栄作首相の沖縄訪問1967年の佐藤・ジョンソン共同声明(基地の保持と施政権返還)と続いて、沖縄、本土での沖縄復帰運動が拡大高揚していく。そして、1968年に琉球政府立法院行政主席の公選で革新統一候補・屋良朝苗氏が圧倒的勝利を収めた。そうしたなか1968年11月にB52爆撃機が墜落事故を起こし、それに伴う抗議運動が激化していく、翌1969年の「2・4ゼネスト、B52撤去運動」への(社会党・総評の)介入があり、ゼネストは成立しなかったが、祖国復帰(1972年5月15日)実現と抗議行動(核抜き・本土並み)へと進んでいった。
 こうした経過たどりながらこんにちの状況を見れば、「本土に先駆けた『野党共闘』」は、曲折はあったが、主席選挙で勝利し、参院選、2014年の衆院選、知事選に勝利してきた。政治課題での一致点に基づく運動の必要性は誰もが認めるところだ。
 私的な経緯を言えば、私が「沖縄」を意識し始めたのは、1960年代の後半で、職場の仲間たちと学習会を持ち、その時にチューターを務めたのが始まりで、沖縄返還闘争では「佐藤訪米阻止闘争」があり、蒲田で逮捕された広島の仲間の拘置所(府中)訪問も経験した。運動にかかわる前の当時の言葉として「全軍労」「反戦地主」は印象に強く残っている。名前として瀬長亀次郎、屋良朝苗も記憶にある。沖縄訪問は、観光ではあったが、1974年が最初で「ひめゆりの塔」を訪ねた。
 2015年6月20日~23日、ピースサイクルの一員として、沖縄の高江、辺野古、普天間、嘉手納、平和祈念公園・魂魄の塔などを訪問したのは、1974年から40年経っていたのだった。

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2017年4月26日 (水)

今村雅弘復興相辞任(更迭)、その先は?

  安倍首相も二階幹事長も・・・
 今村雅弘復興大臣が、ダメ押しのような「(大震災が)まだ東北だったからよかった」と発言した。そこでついに火の粉が降りかかりそうになった安倍首相はたまらず、素早く大臣の首を切った。その身のこなしは、心理的に「森友学園事件」がまだ尾を引いている証でもあろうが、評論家的に言えば「政権の末期症状」ということなのだろう。
 これまで幾多の閣僚等の失言、暴言(実は本音)、無知、スキャンダルがあっても安倍首相は、強権的に「陳謝-続投、無視」を繰り返してきたが、ここで今村をかばったら“底なし沼”に共々引きずり込まれる恐怖を感じたのではないだろうか。そういう危機感は、「内閣のゆるみ」が増すほど高まっていたに違いない。
 ところが、それを「フォロー」でもしようとしたのか、あるいは派閥の領袖として情が絡んだのか、派閥のメンツを保とうとしたのか、自民党の二階俊博幹事長は26日、東京都内で講演し、今村雅弘前復興相の東日本大震災に関する失言を報じたメディアの姿勢を「1行悪いと、すぐに首を取れと報じる」などと批判し、今村を擁護するが如くであった。なんということだ。
 「一強独断」の安倍政権の閣僚らによる疑惑やスキャンダルなどを改めて拾ってみると、甘利前大臣の口利き疑惑、丸川環境大臣の放射能を巡る失言、高木復興大臣の下着窃盗疑惑、そして所管大臣なのに「はぼ、えー、何だっけ」と「歯舞」が読めなかった島尻沖縄北方担当大臣、それにイクメンの仮面が剥がれた宮崎謙介議員の不倫スキャンダル、直近では、不倫報道を受けて経済産業政務官を辞任した中川俊直衆院議員など。以前ならとっくの昔に「内閣総辞職」か「首相辞任」であったろうが、これでも内閣が成り立ち、安倍首相は外遊三昧だ、何という不思議さ。
 ひょっとしてこれは、「日本の政治そのものと政治家(議員)の質の劣化」だけに及ばず、国民の間にも「政治不感症」が蔓延しているのではないか、と思えてくる。もちろんそんなことはない。各界、各層できちんと発言する人は多いし、私(たち)や周辺でも、日々なにがしかの言動をもって応えている、そう思っている。
 この先、国会での「テロ等準備罪(共謀罪)」等の審議、都議会選挙、ひょっとして内閣改造あるいは、「解散総選挙」という政治日程が続くかもしれない。
今日やるべきことは何か、明日やるべきことに何を備えるべきか、その先のことをどのように想定するか・・・。

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2017年4月25日 (火)

小型台風(市長選挙)一過

 執筆と身辺整理再開
 実際は「台風」といえるほどの“荒れ模様、緊張感”はなかったと思うが、ともかく幾らかでもこの選挙にかかわれば、“小型台風”が過ぎ去った後の“ほころびの修復とか、教訓をもって次の備え”は、しておくべきだろう。
 ブログで「名古屋市長選挙」シリーズを8回まで書いたけれど、原稿ではなく日録だから“冗長”の感はぬぐえない。今のところ「C&Lリンクス愛知」に市長選の経過、総括を書く予定はしていないが、いわき陣営の選挙を担った市民グループから、何らかの会合が呼びかけられるであろうから、そのための「下書き」をまとめておく必要はあると思っている。
 ということで今日は、朝8時に古新聞をリサイクルに出し、身辺整理の「通信物-手紙、はがき」の裁断を再開し、シュレッターの休止(冷却)時間をぬって、「C&Lリンクス愛知」第77号の執筆も再開した。5月初旬発行のCGSUの活動誌「結」に合わせたAPWSL愛知の「ACTION REPORT」第23号は既に仕上がって待機状態にあり、ミニ詩集も遅々としながらも同時進行である。
 1950年代半ばからの「年賀状」の裁断は、行方不明の3年分と今年と昨年の分を除いて終えることができた。続いて封書に移っているが、全点内容を読み返したうえで、印刷物はシュレッターにかけ、封筒と手書きのものは、機械処理が忍び難く“せめて”との思いがあって、手で破り裂いて廃棄している。
 たまにではあるが、差出人がどんな人だった思い出せないこともあるが、便箋を読んでいくと記憶が甦ってくることが多い。また私は、手紙を出すときの本文はパソコンで打ち込んで、宛名書きと差し出しのところだけを自筆にする、というのが昨今である。ということで頂戴した自筆の手紙が多いのは、今ほどパソコンなどが一般化していない2005年以前のものが多いことに気が付いた。
 手紙に中に何らかの返信が必要だったものもあって、“さて、返信しただろうか”と気にかかもしたが、“時効”だと決めつけて次に回したりした。
 こうして手は動き、目はしっかり働いているが気持ちはゆったりしていたような気がする今日の午後であった。

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2017年4月23日 (日)

名古屋市長選挙(8) 河村氏が当選

 若干の分析を試みる
 現職の河村たかし氏が当選を決めた。中間の情勢が公表されたとき私は、「優勢」ということならそれは得票率が「6:4」と書いたが、結果はそれ以上の得票差になったようだ。つまり残りの1週間で差を詰められるどころか、逆に開いてしまった、ということになる。この時点で若干の分析をしてみたい。
 選挙結果は受け入れるほかないが、まず投票率が36,9%であったがこれは両陣営が予想した範囲内であったようだ。選挙戦が接戦だとすれば、当然のように投票率が上がるものだが、事前の予想で低いとした時、「投票率が低いほど組織の固い政党(候補)が有利」といわれる。確かにそれも一理ある。だがその一方で「投票率が低いということは情勢として“接戦”とは言えないことの裏返し」といえないか。今回の選挙で前回の39・35%から2,5%ほど低かったことは、予想以上の差が付いた裏付けになるのではないか。
 次に、自民、公明、民進、共産各党の支持層においてかなりの票が河村に流れたとされる。この結果については、当のいわき候補が最も衝撃を受けているのではないか。それは二つある。一つは、いわゆる政党からの「推薦、支持」は受けなかったが、街宣活動、個人演説会などは政党の名古屋市議を中心に取り組まれたようだ。(市民グループがセットしたかどうかは知らない)そうした事実からいわき候補自身にしてみれば、かなりのバックアップを受けていると思い込んだに違いないし期待したに違いない。つまり「当てが外れた」ことに。
  もう一つは、逆に政党の「推薦、支持」は受けないという戦術をとった真意はどこにあったかはわからないが、そのことが各政党の支持層に浸透しなかった要因であったという分析は可能だろうか。あるいは、当初から市民の手による「市民選挙」をめざしたことから、政党の「推薦、支持」は受けないというのは基本路線であったろうか。この基本的な戦略的選択は、どう総括されるか注目したい。
 私自身は、民進党、緑の党のサポーターではあるが、基本は「無党派市民」と自覚している。そうした立場からすれば、市民派の候補者を擁立して、市民が「選対」を立ち上げ、選挙運動を主導する場合は、どの政党であれ、政党の相手候補者と競うことになるが、「市民運動」らしい選挙運動、獲得目標を鮮明にできる。では政党と組んだ場合はどうなるのか。これはいわば政党=プロとアマチュアのタッグであるから、市民派が主導しようと思えば、候補者の意思、自覚とが一体であることと、それなりに経験と力量のある人が選対を構成することになる。
 今回の選挙では「自民、公明、民進、共産、社民」が支援したが、実際の「いわき選対」はどのような構成になっていたであろうか。「市民オンリー」なのか、市議、或いは秘書あたりが支えたのであろうか。市民グループはどんな役割を果たしたか聞いてみたい。
 選挙運動の期間中の「街宣日程・行程表」については、かなり精度は高かったとみたが、「個人演説会」がやや手薄のように思われたが、市民グループはそうした折衝、根回しなどに関与したのだろうか。
  こうした点は、次期衆院選の在り方の参考になる。例えば、選挙期間中はともかく、2~3か月もっと言えば半年前から、候補者と日程を詰めながら、公共施設の会議室、私宅でも構わない、少人数でも構わないから「懇親会」を試みていくことが「個人演説会」主催へのいい経験になると思うである。とりあえず。

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2017年4月22日 (土)

名古屋市長選挙(7)-選挙戦を終える

 いわき候補は、中間情勢から巻き返すことができたか
 選挙法に基づく14日間の選挙運動は、午後8時をもって終えた。いわき、河村両選挙事務所では“ご苦労さま、お疲れさま”の声が交わされたことであろう。どちらも当落は別にし、私からも立候補者とその支援、応援団のみなさんに“ご苦労さま、お疲れさま”の声をかけたい。この候補者、支援のみなさんは、ある意味では有権者から選ばれた人、「政治」を一つの形として表現した人たちなのだから。
 私もいわき候補を応援した一人ではあるが、選挙事務所に出向いたことはないし、ビラ1枚配ったわけでもない。電話はついでの3本だけ。本人の演説は1回聞いただけで直接対話したことはない。こうして一般の有権者と大きな違いはないが、毎日新聞と中日新聞の記事はできるだけ目を通し、思うところをブログで書き、わずかだが選挙はがきを届けた。
 当初から私は「消極的支援」という立場をとったが、それを変えさせるほどの状況の変化はなかったように思う。例えば居住区の「緑区」で、なにがしかの運動設定が組まれその協力を依頼されるとか、参加を要請されることはなかったし、私自身が構想を持つこともなかった。このことが「いわき陣営」にとって特段の状況判断にならないかもしれないが、私からすると“浸透していない”気がしていた。それを“自虐的”に言えば、私はそうした対象にならない一人なのかもしれないと。
 さて情勢はどうだろうかと気になるところだが、今現在、それらしき情報やコメントは入ってきていない。4月17日の新聞各社の「中間情勢」以降、いわき候補は先行する河村をとらえ、並ぶことができたであろうか。河村が「争点」を小出しにしてイメージ選挙で臨み、自民や公明のような強固な組織基盤はないかもしれないが、地域政党「減税日本」と後援会、8年間の市長歴(知名度)をもって、各年代、各層に浸透しているとしたら、これに対抗するには、支援に回った5党(自民、公明、民進、共産、社民)による「組織戦」しかないことは明らか。それがフル稼働といかなくても「六分程度」起動し機能(浸透、固める)したら勝てるだろう。そこが知りたいところだが開票後の報道を待つしかない。尚、当初いわき支援について「自民、公明、民進、共産、社民+自由」と書いたが、自由党愛知の関係者は「河村支持」という情報を得た。その真偽、影響力はともかくチェックしておきたい。
 もう一つ、いわき支援の「チェンジ名古屋」と「新しい名古屋を共につくる会」があるようだが、ホームページが見られる程度で、そこで「街宣日程」を知ることはできたが、市民が立ち上げ、呼びかけた組織は「新しい名古屋を共につくる会」なのかな?そこでの活動がどうであったろう。いずれ報告もあり“総括”もされるだろうが、今回についての私は、賛同人ではあったけれども、それ見聞きするだけで“私なら”をいえる立場ではない。だが次の衆院選挙のことを考えれば、「市民と野党つなぐ@愛知第3区」のこともありしっかり見届けたい。

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2017年4月21日 (金)

民進党のサポーターに登録

 民進党の事情がどうであれ
 長らく空白のまま「自称民進党サポーター」を名乗っていたが、今日の午後地元選出の県議を通して登録を終えた。
 なかなか浮上しないどころか、離党、離党で支持率は下がり気味の民進党だが、そのことと私がサポーターになることとをあまり関連付けないようにしている。どうであれ、「反自民・非共産」という政治的立場と、野党の拡大なくして「安倍暴走」は止められないという観点から、とりあえず民進党に対する「発言権」というほど大げさではないが、身近な党員、議員とコンタクトを取っておくことのツールの一つとして、であった。
 雑談1時間ほどの中で私は、「蓮舫さんを代表に選んだのだから、全党挙げて支えていくことが党組織というものではないか」「異論は多々あるだろうが、それはしっかと内部で議論すべきもので、(自分の立場だけを守ろうとするのか)外部に持ち出し、あまつさえこれ見よがしに離党を宣言して出ていく姿は、政党人としてどうか」「私の場合は、党より人物というのが評価基準、近藤昭一議員を支えていく」「現実的に言えば『脱原発』という即停止、即廃炉という表現より『原発ゼロ』という若干の期間設定と、エネルギー問題に対案を、という含みを持たせという観点から、民進党の政策との距離は縮まっているのではないか。今、『原発ゼロ』を明確にしてすれば、その意義は大きい。小泉の提案は、もう少し見極めないといけないが、注目していいのではないか」「『連合』は厄介な存在となり、特権階級のようさえ思えてくる。電力労連の影響力が根っこにある。連合に依拠することは危うい」「市長選挙でいわき候補を推しているが、昨日の個人演説会の様子はブログで書いた。その会場はさながら自民党市議の後援会の会場のようであった。個人的な私の収穫といえば、自民党の衆院議員、県議、市議の話を始めて聞いたことだった。やはり魅力はなかった」
 当の県議の話で気になるこが1点あったが、論争せず“ちょっと違うのではないか”と申し上げた。(内容は略)
 

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2017年4月20日 (木)

名古屋市長選挙(6) 個人演説会

 いわき正光候補の個人演説会
 緑区でいわき正光候補の個人演説会があるというので出かけた。場所は緑区東部のJAみどり徳重支店であり、160人ほどの席が設けられ、満席であった。
 全体を自民党の岩本崇宏市議(緑区・自民)とその後援会が仕切っていた。候補者本人到着までを池田佳隆衆院議員(自民・比例)、渡辺昇県議(緑区・自民)、藤田和秀市議団長(自民・瑞穂区)そして、岩本市議のアピールの時にいわき候補が到着して訴えが始まった。
 いわき候補は、①議員報酬と市長の歳費について、河村候補の「半減案」を、“2億数千万円を返した”といえば聞こえはいいが、肝心の市政の公約を果たしていないと批判した。②市民税減税については、“税金は、1円でも安い方がいい”は庶民の受け止め方だが、実態は(一律5%だから)金持ち優遇策であると正面から批判した。これについては池田議員が「減税は、そのお金がどう使われるかはわからない、ということは、政策を放棄していることと同じ。減税して個人消費が上向いて名古屋のGDP上がるどころか、下がってさえいる」と話していた。また「月300円程度の減税に対して、小学校の給食費全額無料化の政策をとれば(子ども家庭では)一人3000円以上の還元になる」という説明もあった。③市民税減税129億円に加えて、名古屋城天守閣の木造化に市債500~600億円の負担。これでは“名古屋が壊れる”とし、名古屋の将来を思えば、ここで政策転換、即ち市長を交代し新しく出発すべき時だ。
 そして、副市長時代に「医療、福祉、教育」の仕事をこなし、現場の実態を見てきた。「子どもの虐待防止条例」をつくった。「天守閣の耐震・木造化がだめとはいわないが、1000年持つという天守閣の夢物語より、今のくらし、防災を優先すべきではないか」と語気を強めた。
 これからの名古屋を「市民の力、議会の力、市職員の力で作る、創成する」、トップダウンではだめ。県と対立しない共存共栄でいきたい・・・。
 全く疲れた様子を見せない一方、論調はどちらかといえば説得調ではなく攻撃型と見た。それは若々しいともいえるが、この場での参加者のほとんどが高齢者であり、どう受け止めたであろうか。
 なお、緑区の遊説、街宣はこれが最後になるかもしれない。これまで、4月14日に地下鉄徳重駅での早朝街宣と午後1時までを池田議員の先導で街宣。20日には、1030~1300までを岩本市議が区内を先導したようだ。裏のことはわからないが、この限りでは緑区では自民党<池田-岩本>のラインで仕切ったようだ。とはいえ、私としては、本人の演説を聞くことができたことが収穫であり、「自民党」の議員の話を聞くのも初めてという、得難い経験をしたのだった。

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2017年4月19日 (水)

名古屋市長選挙(5) 2005年の選挙では

 2005年の選挙資料を見る
 今度の日曜日が投票日であるが、この選挙に当たっては「いわき支持」である一方、その選挙、政策について“私ならどうする”“もし私が候補者なら”の構想を持っていたがそれは断念した。直接関わっていないからだろうが、書き始めるとなんだか他人事のような「総括」的な内容になってしまうのである。
 そこで、2005年当時編集発行していた「環境くらしを考える緑ネットワーク」に、下記の「2005年名古屋市長選挙を考える」に合わせる形で、「町づくり考」というシリーズを連載していたので読み返してみた。項目としては、「名古屋城の木造化」はさすが入っていないが、基本的な「環境、教育、自治、福祉、人権、文化」であったがその資料と今を見比べた。
 項目だけ挙げると最初は、「町づくり考1、これからの私たちの町の未来図の一部~名鉄鳴海駅前の再開発事業についての雑感」「町づくり考2、都市計画道路・敷田大久伝線を考える」という「地域の課題・緑区」を書いてそこから構想が広がっていったというのが経過だった。そして「町づくり考3、環境について~①自然の保護・保全②再生事業③ゴミ問題」を取り上げた。続いて「町づくり考4、教育~①いじめについて②自活・自立への一歩③国の教育政策に目を向ける-教育基本法の改正問題」を書いた。続いて「町づくり考5、自治とは何だろう~①選挙を考える②情報について③何ができるか、何からはじめるか④こんな事例はどうか⑤何かやれそうな予感が」「町づくり考6、福祉~問題の陰に子どもあり、“介護”はすぐそこまで①ゆりかごから墓場まで②制度と自立と共生と③課題別で考えてみると1~7」「町づくり考7、人権~無関心、“共に生きる”の欠如が人権侵害の根っこ①命が失われてはじめて②衣食足りて礼節を知る、は本当か③人として生き、人と交わる④人権思想⑤弱い立場の人に集中する1~5⑥自覚、地域活動、社会への関心・・・・「町づくり考8、文化~」の資料は埋没。
 一方名古屋市長選挙では、シリーズ「2005年名古屋市長選挙を考える」で、2004年9月(第56号)の第1回から、2005年3月(第60号)の第5回まで連載された。
 この選挙の結末は、3期目をめざした現職松原武久(68、無現、自・民・公推薦)が、榑松佐一(49無新、共推薦)を破って当選した。得票は、松原320,149票、榑松139,576票であった。 
 実はこの選挙では、当時衆院議員の河村たかしが一度は立候補を表明したが、民主党を含め政党の支援が得られず断念した経過があった。そして次の2009年の選挙で初当選するのである。
 ところで2005年の選挙で敗れはしたが、共産党が推薦した榑松佐一はどんな政策を掲げたであろうか。キーワードを「くらし・参画・次世代」とし、1)「ポスト万博」はくらし、①増税反対、②徳山ダムから撤退、③公共事業の6割を中小企業に。2)情報公開と参画で市民の声が届く市政に、①市長退職金の削減、②町づくり条例、女性の参画、女性の助役。3)“次世代”(明日)に架ける橋、①子どもの総合対策、「子ども局」「権利条約」保育助成、②30人学級、③若者の雇用対策、他。などであった。
 こうしてみると、表現は違うが、いわき候補が重視する「子ども」の問題はいつの時代でも重視されるべき課題といえる。ただ選挙という状況の下では印象がやや薄い。「争点」として河村の「市民税減税」「議員、市長の歳費半減」「名古屋城天守閣の木造化」、何かといえば「日本一」が受けがちなのである。
 経験的に感じるのであるが、「対抗馬としての」まっとうな政策を掲げ、実務にたけ、誠実をモットーとする候補者が意外と苦戦するのはどうしてだろう。つまり「現職」が強いということだ。今回もその例に漏れないとしたら残念であり、なんとか前例を破ってほしいものだ。

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2017年4月17日 (月)

名古屋市長選挙(4) 中盤の情勢

 新聞各紙が、中盤の情勢を報道
 今朝の各紙の朝刊(デジタル)は、名古屋市長選挙の中盤の情勢を報じているが、総じて「河村優勢」といったところだ。
 まず各紙の見出しを見てみると毎日新聞は、「河村氏リード いわき氏追う」、中日新聞は、「河村氏、幅広い支持 岩城氏、追う展開」、朝日新聞は、「河村氏優勢、追う岩城氏」、日経電子版は、「河村氏リード、岩城氏追う」とあった。
 情勢分析の結果の表現が、どの程度の差を示しているのかはわからないが、私なりにその差を表現すると「優勢=6:4ほどのリードがある」「横一線=かなりの追い上げていて、逆転の可能性も視野に入る」「迫る=差が縮まるもまだ距離がある」と「追う=劣勢で、未だ先行する候補の背中が見えていない」に分けてみたがどうだろう。
 ということで各紙の評価を勘案すれば、「河村氏優勢(リード)、追う岩城氏」となる。但し「まだ決めていない」という人が3割前後いるという条件が付いているが、この有権者が情勢を劇的に変えるとは考えにくい。むしろ「棄権層」ではないだろうかとさえ思えるのである。
 このような情勢を真に受けるか受けないかは別として、「いわき、がんばれ」の立場の私としては、情けないが“手をこまねいて”いるばかりである。あれこれ発信してきた者の一人として批判は免れないかもしれないが、個人的には応援するが、他者に働きかけるほどの政治的確信と、いわき候補への“心酔度”も高くはないから致し方がない。
 ところでもっと気になることがある。例えば中日新聞の記事は、~~河村氏はすべての年代や地域で浸透。河村氏が率いる減税日本以外、市議会各会派の市議は岩城氏を支援しているが、自民、公明支持層の六割強、民進支持層の四割強が、河村氏に流れている。河村氏は「支持政党なし」と答えた人の半数以上も取り込んでいる。年代別では二十、三十代の若い層、性別では男性からの支持が厚い。
 岩城氏は、民進支持層の三割弱、自民、公明支持層の二割弱しか固められていない。「支持政党なし」でも一割強にとどまっている。今回、共産が独自候補を擁立していないため、岩城氏を支援する「革新市政の会」に加わる共産支持層では五割近くに浸透、河村氏を上回っている。公務員・団体職員からは支持が厚く、河村氏とほぼ互角だ。~~
とあり、他紙もほぼ同じ内容。
 私が3月9日に「民進党市議団は『岩城支持』で臨むようだが、消極的ではなかろうか。」とか、4月9日に「5党相乗りだから勝てるわけではない」と書いた背景と重なる。
 これらの“総括”は別の機会にするとして、いわき候補が形勢を逆転させる方法は、これも9日に書いたが「『知名度』については河村が圧倒しているだろう。この知名度の不利をいわきが交わす手立ては、徹底した『組織戦』に持ち込むほかない。」に変わりがないと思う。本来組織選挙に強いといわれる公明党での浸透がたったの2割、自民党でも3割ほどしかないということが、この「中盤の情勢」に反映しているのだと思う。

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2017年4月16日 (日)

ACTION REPORT第23号の編集執筆

 小さなことに悩みつつ
 名古屋市長選挙の情報ばかりでなく、共和国(北朝鮮)とトランプと安部の動向を気にしながら、APWSL愛知の会誌「ACTION REPORT」第23号の編集執筆に勤しんでいる。たかだか12ページの編集であるが、ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の活動誌「結」と同時発行であるから、日程に合わせることと内容の重複に配慮することになるので、早めの作業を心がけている。
 今日の夕刻近くになって、表紙と巻頭詩を残して第一稿が仕上がりこれから校正に入ることになるが、ただでさえ3か月ごとの発行であり、内容の陳腐化が気になるところだ。ということであれば、いきおい時勢に沿ったものではなく、予備的な知識、情報に寄与できればいいかなという内容を選択することになる。あるいは活動のやや詳細な報告となる。もっとも本誌は「アジアと地域の労働運動を、APWSL愛知がレポートします」と銘打っているから、問題提起型ではなく、レポート・解説が主ではある。
 今号では、「結・第8号・2017年2月」でフィリピントヨタ労組の闘いの経過が報告され、「東京総行動」でのトヨタ自動車東京本社への申し入れについて触れられていたから、それをフォローした記事を書いた。この闘い、運動は、トヨタ自動車を相手とする地域労働運動であると同時に「多国籍企業トヨタ」であるから、APWSLの領域でもある。
 巻頭詩は悩ましい。できれば、時事詩、社会詩、労働詩といった領域で詩想を練るのであるが、どうしても「散文調」になりがちで気が滅入る。“詩泉”の枯渇化は避けがたく、巻頭詩から巻頭言にしようかとも。小さな悩みではあるが。

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2017年4月15日 (土)

原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟

 政治と関連付け、全国運動に広がるか
 このニュースに接した時まず感じたには、小泉はこれまでもこうした発言を続けては来ているが、これをもって「小泉の本気度」を評価してもいいかなということだった。それを後押ししたのは、事務局長に河合弘之(脱原発弁護団全国連絡会共同代表)、幹事に鎌田慧(ジャーナリスト)、香山リカ(立教大教授)の各氏らの名前があったからだ。
 名前だけで評価できないことは承知しているが、「小泉純一郎-細川護熙」のコンビだけだったら、“相変わらずだな”で終わってしまっただろう。逆に小泉はそこに気がついたかもしれない。少なくとも公表された主要な人物にはそれなりの多様性をもっている。
 さてこの先どんな展開をしていくかは想像もできない。例えば現在も影響力を保持している「九条の会」は、一気に全国化していってかなりの浸透を果たしたが、次第に手となり足となって頑張った多くは共産党系の人たち(私見)、という流れのように思うが、恐らくそんな展開にはならないであろう。
 「原発ゼロ・自然エネルギー推進」という運動目標に対しては肯定され、賛同され、関心を呼ぶに違いないが、やはり首相時代の小泉の評価・イメージは払しょくされているとは言えないのがネックか。
 とはいえ“原発ゼロは、待ったなし”という思いは、脱原発の市民運動と、会見で小泉の「国民全体で原発を止めていこうという強いうねりが起きているのを実感している」と強調。その上で「いずれは国政選挙においても脱原発が大きな争点になる時がくる」という発言は共振するところがある。
 私の中では、この運動に興味をそそられると同時に「立憲・平和、リベラル政治」と労働運動、そして「沖縄問題」を加えて「4輪駆動車」として現在の政治的オフロードを疾駆していくようになればいいかなと思い始めている。
 現時点では、そこまで飛躍することはないが、「原発ゼロ・自然エネルギー推進」の運動を「シングルイシュー」としてしまうことの先細りと、政治とのかい離をなくそうとすれば、近未来の政治構想は疎かにしてはいけない、関連付けて考えることは大切なことだ、そう思うである。

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2017年4月11日 (火)

身辺整理をさらに進める

 本は一段落、次は通信物
 身辺整理をさらに進めるにあたって今日は、古本買い取り古書店の担当者の来訪を受け、廃棄予定の全品120~130点ほどを引き取ってもらった。値が付くものはほとんどないそうで、引き取りできないものも含めて1000円といわれた。
 シリーズでセットのものも含むビジュアル系の本、レタリング関連本、六法全書を含む労働法、判例集などが中心で、迷った挙句セットの「中国の歴史」も送り出した。一旦は段ボールに詰めて保存状態にした全35巻揃いの○○は、少し値が付いたが決断して送り出した。本、雑誌類に関してはこれで一段落となった。
 次に封書、はがき類の通信物の処理であるが、まずは1957年から書き始めた「年賀状」の処理から始めた。年賀状を書き始めた当初は数枚、数十枚程度であったが少しずつ増えていった。組合活動、地域運動、中学の同窓会が始まる(1975)といっきに増えて、最盛期には差し出しが400枚弱で、受領がその6割前後であったと思う。
 全点が保存されていて、そのまま“燃えるゴミ”としてもかまわないが、やはり裁断して出すことに越したことはないとシュレッターで対応することにした。とはいえ家庭用だから、短時間に大量処理とはいかない。取り扱い説明書には連続稼働は「2分」そしてA4紙で最大5枚までとあったが、裁断の発生音(モーター音)から2~3枚まで、はがきなら1枚が故障を起こさない限界と定めて取り掛かった。2週間くらいはかかりそうだ。
 ただ封書の処理は多分、かなり悩むことになろう。本人の自筆のものばかりだから、裁断してゴミとして出すことには忍び難いものがあるからだ。
  そしてふと思うことがある。それは知人、友人、同級生が私より先に逝ってしまった時、ご遺族から故人の「自筆の書」がほしいと言われないかと。写真は残っていても、日記を付けていることがない限り、意外と自筆のものは少ないであろう。だからそんな問い合わせがあるかもしれないと。(これまでは一度もなかったけれども)
  以前に、「声」が残っていたら・・・というようなことも書いたが、こうして“身辺整理”などに向き合っていると、家族がどう思うかは考慮なしに、“私なら・・・”とつい思ってしまうのである。

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2017年4月10日 (月)

民進・長島昭久議員の離党

 半自民議員の離党を恐れるな
 民進党の長島昭久衆議院議員は、党執行部が次の衆議院選挙をめぐって、共産党と候補者調整などを協議しているのは、みずからの政治信条に反し受け入れられないとして離党した。
 “党内事情”など知る由もないから、せいぜい“サポーター”の立場から観測すれば、「どうぞご自由に。元々あなたは“半自民”という立場(政治信条)なのでしょ。それにしても、都議選前の、党が苦境にある時、傷口に塩を塗るような時期を選んだのは、それを自民党へのお土産にしたかったのでは?」と勘繰りたくなる。
 半自民長島議員に「半」が付くのは、「自民党の下村博文幹事長代行は8日、民進党離党の意向を表明した長島昭久元副防衛相に関し、『優秀な人なのでウエルカムだ。自民党も戦力アップになる』と千葉市内で記者団に述べ、自民党入りを促した。共産党との共闘路線への不満を離党理由としたことも『民進党でも保守的な立場。当然の判断だ』と理解を示した。長島氏は衆院比例東京ブロック選出。下村氏は党東京都連会長。」(共同) の記事でも明らかだ。
 さて問題は、反「半自民」の議員・党員がどう対応するかだ。「民進党崩壊の序章」などと恐れることはない。それこそ自らの「政治信条」と「この国の行方」に心し、支持者を信頼して態度を明確にすることではないだろうか。さらに、「政治信条」だけを吐露しても、「この国の行方」の心配ばかりしていては政治家といえない。理念と政策を明らかにして、“今なすべきこと”を支持者、支持層と共有する行動に打って出るべきではないか。
 なお長島議員は自身のツイッターで以下のように書き込んだ。
 「たった今、後援会緊急総会にお集まりいただいた支持者の皆さんに対して民進党を離党する決意をお伝えしました。真の保守政治を追求して来た私にとり、価値観の大きく異なる共産党との選挙共闘路線は譲れぬ一線を越えることを意味し、国民の理解も得られないと考えた結果です。(つづく)」2017年Apr7日 20:26
 長島議員よ。「真の保守政治を追求して来た私」だったら、最初から民主党-民進党に来るべきではなかったのではないか。民主党-民進党は議員になるための「軒」だったのか。「国民の理解も得られないと考えた」のは勝手だが、「野党共闘」への期待は高まりつつあり、問題は民進党自身の“ぶれ”と“覇気不足”にあるのではないか。その火に油を注いだのがあなただ。仮に自民党入りして歓迎されても「一兵卒」扱いだろうが、その先のことなど関心はなく、知ったことではない。むしろ他の議員、党員の諸氏がこれを糧とし、教訓として奮励努力を願うばかりだ。

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2017年4月 9日 (日)

名古屋市長選挙(3) 告示

 諸党相乗りだから勝てるわけではない
 名古屋市長選挙が告示され、3人が立候補したが、事実上現職の河村たかしと5~6党(自民・民進・公明・共産・社民+自由)が支援するいわき(岩城)正光の一騎打ちである。
対抗するわけだから政策の違いは当然のことながら多々あるが、選挙というものは往々にして「人気・キャラクター」とか「キャッチフレーズ」に左右されることがある。特に決定的な「争点」が見えにくい時は、政策的選択というよりも人物的選択が先行しがちだ。
 では今回の名古屋市長選挙の争点・選択肢は何だろうか。まずは「河村人気×諸党相乗り」という構図がある。国政選挙の支持票を集約すれば、「諸党相乗り」側の有利は歴然としている。だからといって「いわき優勢」とは言い切れない。それは「河村人気」が、前回選挙から変わってかなり低下しているかどうか現時点では明らかでないからだ。
 次に「知名度」については河村が圧倒しているだろう。この知名度の不利をいわきがかわす手立ては、徹底した「組織戦」に持ち込むほかない。各党の大物幹部を呼び寄せても、いわきの知名度が上がるわけではない。私などむしろ逆効果さえ考えてしまう。“いわきより、蓮舫が見たい”みたいな。
 肝心要の「政策」についてどうか。これは多岐にわたるのでひとことで言えないが、「サプライズ狙いの河村×堅実な市政のいわき」という印象はある。とりわけいわきは、河村の下で3年間副市長を務めた実績は大きい。全くの素人でないことと弁護士という職業も有権者に案外“安心感”を与えているのではないだろうか。
 さて現時点で私が想い浮かべることは、河村が当選した場合、県政との関係修復、市民税減税、名古屋城天守閣の木造化、リニア新幹線などを推進するだろうが、曲折多くまた議会での対立、教育、福祉、子育てなの市政が停滞する可能性を感じる。そして落選すれば、直ちに次期衆院選に打って出るだろう。
 一方いわきが当選した場合は現政策プランを、時期を逸せず(スピード感をもって)遂行してほしいと思うが、「諸党相乗り」が解体して元の鞘に収まれば、現実的な与野党の関係が復活し、「岩城市長」は、その「党利党略」の渦中に巻き込まれる恐れがある。そこで岩城の手腕(政治力)が問われることになり、彼を支える強力なバックが必要となってくる。
 そして、いわきを支援する市民グループは、いわき当選の暁には、強力なバックアップ勢力として支え切らねばならない。そうした組織的な構想は、4月23日からすぐに起動することが望ましい。かなり“力量”のいる仕事であり、多くの有能な人の結集が欠かせない。そうした状況の推移を注意深く見守りながら、私自身がどうあるべきかを考えたい。

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2017年4月 6日 (木)

名古屋市長選挙(2)

 いわき推薦葉書を書く
 選挙運動の「事前運動・活動」は、本番以上にやっておくべきことがたくさんある。その一つが推薦選挙はがきであるが、その効果のほどについてはいつも首を傾げる。けれども、相手候補が取り組んでいる以上放っては置けないし、書いてもらうこと自体が運動でもあるから、やはり書くことになる。
 私は50枚を預かり、間違えて市外の友人の名前を書いて2枚をミスしたので、48枚を今日送り返した。
 いつものことながらコメントを付けた。「岩城さんを推します。<名前と住所> 河村市政の行き詰まり・限界が見えてきました。アイデアも思い付き、独善的で根拠が希薄です。原発反対はいいが、大量電気消費のリニア推進は戴けません。名古屋市政は堅実な岩城さんにバトンタッチ!」ここまでは印刷。そのあとに自筆の一言、といっても、疎遠になっている人数人だけ。
 事務所の様子は知らないけれども、この葉書はどんな扱いがされるのだろうか。まずは規定の総数のカウントがあるだろう。次に「重複」の分別作業があるがこの判断が難しい。規定枚数以下の集約であれば、重複したまま送り出すことになるが、オーバーした時どれを残し、どれを割愛するか。折角書いて戴いたものが生かされないこともあるが、たまたま“推薦はがきを書いて送ったけど、よろしくね”“えっ!来ていないよ”なんて会話が交わされたら大変。「重複(ダブって)していたから、ごめん!」で納得していただければいいが、多くは“なんで俺のが・・・”となりがち。ということもあって、最近は、重複してもそのまま出す傾向にある。また、「仕分け作業」が大変(人手がない)ということもあり、やらないのかもしれない。
 かつては、全逓労組から応援団が来て、仕分けと宛名の間違い、転居などをチェックしていた時代もあったが、最近は聞かない。
 では規定枚数をオーバーしたらどうすればいいのだろう。私が思いつくのは、呼びかけ人14人が書いた葉書をまず除外する。賛同者が100人近くいるが、この中から「了解が得られそうな人」から順番に除外していく、というのはどうだろう。(私は該当者)これも結構面倒な作業ではあるが、やるしかない。実際は、規則違反の葉書、「転居先、宛先不明」のはがきを抜き出すのが最初だが難しい。
 また、選挙情勢からみて、不利と判断される地域を優先することも考えられるが、これまた難しいことだ。さらに、支持政党の“仲間内”で出し合うことが多いように思われる。これの対策は、「同じ考えの仲間より、無党派と思われる人を優先してください」という「注」を添えることも一策かなと思うが、ここに至っては時期遅しで役に立たない。またそういうことになると葉書が上がってこないというリスクがないとは言えない。結局こうした「判断」は、選挙事務経験豊かな人の「勘」と「決断」に委ねるしかない。ブログ(1)は3月7日にアップ。

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2017年4月 4日 (火)

お花見が・・・

 花よりおしゃべりでした
 先週の土曜日に知人から“ランチして、近くの桜を見に行きませんか”と誘われ、別の予定をキャンセルして出かけた。あいにく午前中は雨ということもあって、ランチの後は、知人宅でおしゃべりの時間となった。そしてその窓からは50メートルほど先の川沿いの満開の「早咲き桜」を見ることができたのだった。
 テーブルを囲んだのは中学の同級生3人と女性教師で保健体育担当の恩師であった。年齢で言えばもう80の半ばにかかろうとするのであるが、すこぶる元気な様子で、60年近く前のことが次々とよみがえってきた。
 私が少し関心を抱いたのは、当時の中学の「女性教師」しかも教科が「体育(保健)」ということで“女性というだけで・・・いろいろなことがあった”の「いろいろ」についてであった。たぶん教員の世界について「男の社会、加えて体育という教科」と言うことの問題であろう。私は、この世界(職域)の実態などを知る由もないが、後年になってから知る「古くて縦型社会」「学閥社会(愛知学芸大、現愛知教育大という学閥)」のかけらほどの“うわさ”は聞いたことがあった。
 “O教頭は、校長にペコぺしているくせに、一般の教員の前では偉そうにふるまい、それに追随する先こう(先生)も・・・”“H先生は、優秀な先生だが、出身が名古屋大学ということで冷や飯組らしい”などは、それほど意識的ではなかったが耳にしたのだった。
 蛇足だが、私が地域運動で交わった中にも教員の人は、そこそこいた。そうした人たちから受けた印象は、やはり物事の理解が早いし判断も早い。そしてリーダーシップ型の人と“自分の世界”を持って対応するタイプがあるなと思ったのだった。個性的な人が多かったといっていいかもしれない。
 話の中で「水泳の授業」の話が出た。私の在学中には、プールがなかったので水泳の授業はもちろんなかった。もし水泳の授業があったなら、“金づち”私の成績評価は低かったに違いない、ということもあったが、恩師曰く、赴任先が別のS中学校ではプールがあり“女生徒の中には、水着になることを嫌がって(恥ずかしがって)休む生徒もいた” とか・・・。
またその当時にも、子どもの「通知票」を見て、親が怒鳴り込んできたこともあったという。その成績結果の説明のために克明な資料(データ)も作ったという。
 とにかく「体育の女性教師」が少なかったこともあって多忙を極めたといわれたが、話を聞く中で「生徒との接触時間」「授業準備」に時間の多くを割かれたことが知れて、文字通り「教師」といえたのではないだろうか。それでは現在は何と呼べばいいだろう。一部のことではあるが、「授業マシーン」は言い過ぎであれば、「講座担当人」とか単に「指導員」は無礼か。もっとも現在の教育現場を見ているわけではないので、“不祥事”がニュースで明るみに出る程度からの推測であるが。

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2017年4月 2日 (日)

辺野古の新基建設に反対する集会とデモ

  安次富浩さんの訴えを受け止める
 沖縄からの現地報告は、いくつかのMLから時々刻々伝えられてきているが、やはり現地に立ってみるか、現地からの生の声・話を聞くとでは、胸に響いてくるものが全く違う。
   「辺野古の新基建設反対!あいち大集会」が、名古屋・久屋大通公園・光の広場(今日ばかりは、“ひかり”ではなく“いかり”の広場)で開かれた。
 午後1時過ぎから演劇・人業劇団ひらき座公演が始まったようだが、メールでは13時30分とあったので、私は13時20分着で大半を見逃した。続いてシンガーソングライター・板谷信彦さんがギターをもって登壇。新曲の「森友学園校歌」も披露した。続いて「わしたゆんたバンド」が登場し浜盛重則さんの三線と歌、バックに踊り。浜盛さんは、4月3日の午後10時15分から毎日、東海ラジオで出演するとか。
 さらに川口真由美さん(京都在住シンガーソングライター)が京都から駆け付けた。そしてメインゲスト安次富浩(あしとみひろし)さんがマイクを握って、沖縄現地の状況を本土「愛知・名古屋」の私たちに向けて語り訴えた。話す言葉ひとことひとことが、現地にいて聞くような“臨場感”があった。高江、辺野古、普天間、そして墜落したオスプレイ、翁長知事と共にあるオール沖縄のこと、それにくさびを打ち込もうとする日本政府と植民地感覚の米軍への糾弾・・・。
 集会アピールから、胸に刻んでおきたい部分を拾っておくと、「沖縄のこと・・・これは遠い島の出来事ではなく同じ憲法のもとで暮らす市民として見過ごしてはならない」「沖縄の苦難は・・・沖縄にほとんどの米軍基地を押し付けてきた本土に暮らす私たちは知らねばなりません。」「基地があるゆえの悲劇・・・人間としてどうむきあうかが問われている」「沖縄と向き合わずして・・・安全保障や国防の理屈を組み立てるのは人の道に反する行い」「この国の未来を決める権利は私たち市民にあります・・・命の尊厳を踏みにじる政治への怒りを、力を・・・沖縄とともに平和を勝ち取るために歩をすすめていこう」
 くだらない“こだわり”かもしれないが、司会者が「デモを(パレードなどとは言わず)デモ行進」とはっきり言ったので私は、腹の底からシュプレヒコールを叫び、「沖縄を返せ」を歌った今日であった。快晴の下で。
 追記:当日の参加者は300人に伝えられた。(ちょっと寂しい)

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