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2017年3月 1日 (水)

ユニオン学校・私の場合(5)

様々な活動の中で得た、経験と教訓など(1)
 いよいよ最後の最後になります。
 様々な活動の中で得た経験と教訓など、とありますが、これは過去の経験、体験だけでなく、今日現在の心境も含めて書いてみました。全文を読んでいきたいと思います。(あと10分ですとの通告あり)
 前文は省きます。
1、労働運動の根拠は、労働現場にあり
 いわゆる「大衆運動」は、「政治闘争」という括りをしないとすれば、大雑把に「労働運動」「市民運動」「住民運動」に分類できるでしょうが、どの運動にも必ず「現場」があります。現場に立ち、現実を見て知ることで「運動」が見えてくると思います。逆に、現場を知らない、現場から離れてしまっては、過去の「経験則」を活かすことはできても、状況の変化に対応することは難しいのではないでしょうか。ただこれは、「活動家」について言えることであって、現場(第一線)から離れたとしても、「助言」「応援」は可能であることは言うまでもありません。
1)職場活動を重視、根拠とせよ
労働者と共に「生産現場(労働現場)」あって、「賃労働」に従事するという状況から、「労働運動」を掘り起こしていくとすれば、
①働くこと即ち“食べていく(くらし)”という大前提から「賃金問題」に精通することが欠かせない。
②労働者は“体が資本”という現実から「労働安全衛生法」に精通し、改善、告発の手法を身に着けたい。
③合理化、生産性向上、会社(企業)あっての労働組合、雇用だ、などの会社に「忠誠」を誓わせる「企業意識の注入」に対抗する、職場活動、宣伝活動、グループ活動が日常活動でもある。
④労働組合の組織、執行部の獲得等「多数派」なればよし、反主流となっても、あるいは少数のグループだったとしても、さらに「ひとり」となったとしても、闘い方がある事を学ぶ。その事例を紹介したいのですが省きます。
⑤労働法を学び、会得することに越したことはありませんが、むしろ「闘いから学ぶ」事で得られることが多い。そのためには、職場(企業内、労組内)だけにこだわらず、超えて広く交流をすることが欠かせないと思います。

2)裁判闘争について
 職場での闘い、特に解雇・配転問題、労災・職業病、格差・差別問題、パワハラ、セクハラなどは、既存の労働組合がまず取り上げるべきですが、多くの組合では、「労使協調路線」のもと「説得」されるか、「個人の問題は取り上げない」を公言するとんでもない組合さえあるのが現状。そこで労基署、労働局交渉などを駆使しながら、「提訴」に及ぶことは常套手段としてあります。ですが現行の裁判制度の下では「諸刃の刃」という面がないとは言えません。例えば、日本の裁判制度は「三審制」であり、上級審へ行くほど労働側の主張は通りにくくなる傾向があります。また法律は、大きくは民法、刑法に分かれますが、日本にはフランスのような「労働裁判所(労働審判所)」はありません。つまり、労働現場を知らない裁判官が判決を下すことになりかねないのです。
 とはいえ私たちは、提訴を手段の一つとしてとらえながら、闘いの武器として駆使することが多いのです。そこで、裁判闘争に当たっての心得を、(旧)中部読売で「不当配転」を闘った、高橋恒美さんの「裁判の意義、教訓について」を紹介しておきましょう。
①裁判と、それに伴う闘争一切は、闘う量と質に伴って成果が付いてくる。
②それは単純に「勝訴」という形ではなく、自分が闘いきれたという満足(肯定的な意味)と、敵を自分の土俵に引きずりだし、満天下に訴えの内容を知らしめ得たという意味からだ。
③裁判は孤立になりがち、裁判を闘う仲間の相互支援(傍聴など)がお互いの意気向上につながる。
④裁判は、堅いイメージが強い。発行物にはわかりやすい解説を。
⑤楽しく愉快に、裁判を小脇に抱えるぐらいの気持ちで臨む気構えが必要。
 どちらかといえば、精神的なあるいは「心得」といえるものです。これに私が付加するとすれば、
⑥訴状や準備書面などは弁護士が書きますが、その証拠(裏付け)となる文書、記録、証言などの確保・保存は、日常活動の重要な要素だと心得たい。訴状などの筋書は、本人の努力が大きいのではないか。弁護士は、それらに法律的裏付け、判例との比較をもって完成させ、弁論を展開する役割です。
⑦裁判の最終段階で、原告としての「本人尋問」が行われることが多いのですが、事案の詳細な経緯、本人の思いなどは証拠としては不可欠なものであり、十分な推敲・検証をもって、思いのたけを陳述したいものです。
⑧労働問題に精通している弁護士なら安心ですが、事案は多様であり、弁護士にとっても“こんな事案は初めてだ”ということがないとは言えません。となれば、弁護士は、原告などから“学ぶ”事さえあります。そうした関係性も大事な要素だと思います。それは、学者、評論家などとの関係についても同じことがいえると思います。 
(続く)

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