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2017年3月31日 (金)

今日は、年度末の3月31日

  わが身には何も意味はないけれど
 不要となったパソンコン2台の処理方法を検討してきたが、データの消去(初期設定)が不十分なこともあって、メーカーに送ることとし、今日VAIO(SONY)1台を「ゆうパック」で送った。リサイクルマークがついていたので、処理費用、郵送代も無料であり、これはありがたかった。
 もう1台は、2004年以前に購入した最初のパソコン富士通FMVで、これは処理費用と郵送代併せて4000円余ほどかかりそうだ。そこで、1000円程度でデータを破壊してくれる店もあり、そのあとに無料で引き取る業者に引き渡す方法もないことはないが、やはり有料でもメーカーに送ることとしてその手続きをした。近日中に、必要書類が送られてくるはずだ。捨てずに持っているワープロも1台あるが、これは名古屋市の「不燃ごみ」で出せるので、4月に出す予定。また区役所に「回収ボックス」が置いてあるがそれは多分、携帯電話とかデジカメ、ゲーム機などを対象にしている小口のものだと思う。
 現在使用中のものはLaVie(NEC)であり、他に休止中のデスクトップ型のDELLがあり、近いうちに処理する必要が出てくるがまだ決断していない。
 廃棄したパソコンは「Windows XP」という、最も使い勝手が良くて重宝したバージョンであっただけに、未だに未練を持っているくらいだ。友人からそのソフトを頂戴したが、セキュリティーの面でダウンロードできないでいる。インターネットに繋がないで使うことも考えているが、未だ決心できていない。
  そうした気持ちでかつて愛用したパソコンを送り出した今日が年度末の3月31日であった。それは全くの偶然でなんの意味もないのであるが、なぜかふと思いふけったのだった。そしてこの先、いつまでパソコンと付き合うことになるのだろうか、さらにパソコンの機能を使いこなせる範囲を広げたいと思いつつ、“面倒だな”の気持ちもあって葛藤するのである。
  ついでに“パソコンなんかをやっている人は呆けないでしょ”と思っている人がいるかもしれないが、何かで「脳過労」という言葉を知った。IT関連の仕事で或いは管理職かなんかでデータを山ほど取り込む人が、過労、睡眠不足となると体だけでなく「脳」が過労して「呆ける」かもしれないというのである。
  私のレベルでの情報処理量では「脳過労」になりようもないと思うのだが、それでも「1日5分」程度でも脳をリセット(何も考えないでボーとする)すれば脳は休まるそうだから、ここ最近は入浴時にそれを実行している。必要以上にリセットしすぎないようにと思いつつ。こんなブログも「三月尽」のせいだろうか。

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2017年3月30日 (木)

美浜原発3号機の差止め裁判の第1回口頭弁論

 老朽化、再稼働・・・司法に限界か
 関西電力・美浜原発3号機の差止め裁判の第1回口頭弁論が、名古屋地裁で開かれた。詳細は、ホームページあるいは原告団のどなたからかあると思うので省く。
 最初に原告の側から、元美浜町議の松下照幸さんが意見陳述を行った。続いて弁護士から訴状と準備書面の①~④について詳細な説明がなされた。熊本地震から得られた地震の影響が、原子炉にどのように影響するのか。地震による“揺れ”が、原子炉の機器や配管に及ぼすことが考えられる「金属疲労」について、耐震審査における「疲労評価」、そして火山活動に影響についてなど。これらの中には、原子力規制委員会への批判も含まれる。
 法廷の場でのそうした主張は、老朽化した原子炉の再稼働を認めない、という判決を引き出すためのものであり、その可能性は十分あるというのが弁護団の意思と見解である。
 一方被告の関電の主張、反論はこれからであるが、「訴訟を起こした原告にその資格があるのか、原告の主張の棄却を求める」というものだ。
 28日には、高浜原発の3号機4号機について、大阪高裁は「原子力規制委員会の新しい規制基準は不合理ではなく、原発の安全性が欠如しているとは言えない」として、大津地裁が運転停止を命じた去年3月の仮処分の決定を取り消し、再稼働を認めた。そのあまりにひどい判決に裁判官・司法への不信と怒りが高まっており、また四国電力の伊方原発の差止仮処分広島裁判の判決が今日の午後にあり申請は棄却された。
 こうした事例を見るにつけチェルノブイリ、フクシマを顧みない、原発問題の歴史と時間は、逆戻りつつあるのではないか、あるいは頼らざるを得ないというものの、司法の場でこの課題を克服するのはハードルが高すぎる、やはり「政治」をもって「廃炉・脱原発」をめざすべきとの感じを強くしたこの日であった。

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2017年3月27日 (月)

ベーシックインカムについて

 議論することにやぶさかではない
 私は別の会合で欠席だった、去る3月18日の緑の党東海の学習会では、前回に引き続いて青木秀和さんの経済の話があった。戴いた資料のタイトルには、「脱成長路線と緑の党グリーンズジャパンの社会保障政策は、どうあるべきか?」とあり、「前回のまとめ」に引き続いて、現状とその分析、経済と社会保障の行方のようなことが話され、その次に緑の党の社会保障政策について検討を加え質疑討論となったようだ。
  そこでその後に、~前から気になっていることとして、過渡的な政策を示してはいますが、「ベーシックインカム」を未だに、政策の一つに掲げているのでしょうか?私には、骨格そのものへの疑問もありますが、あまりに現実離れしすぎているような気がして、未だ「額縁」の中の絵のように思えますが、みなさんはどうとらえているのでしょう~という考えをMLに書き込んだ。
  どうやら、この「ベーシックインカム」については、党の政策として掲げるには「?」をつける方が多いようではあるが、そこには「不同意」もあろうが、まだよく学習されていない、従って理解されていないこともあって、私のように「現実離れ」していると思ってしまうケースもないとは言えないようだ。
  少し調べてみたら緑の党東海の小森さんが、財源論や公的年金の長期見通しなどを踏まえて2014年6月4日の本部MLでやり取りしていることがあった。もっと議論する必要性を説いていたように思う。また民進党の古川元久税制調査会長が今年の1月6日 に「税制に社会保障的な機能を持たせる 日本型ベーシックインカム構想」を提唱する記事も見つかった。
  「ベーシックインカム」という名称も、財源論も、現状の諸制度との関連性、「日本の社会、風土」に合うものかどうか、そして究極の「社会保障制度」という大枠の「骨格」、その時に「ベーシックインカム」は、どう位置付けされているのか、さらにはどう肉付けされるのか、ある意味では「世代を超えた」議論になりうるので、「現実離れ」しているとはいえ、緑の党東海として改めて議論の場を設定するとのことなので、私としては、議論することにやぶさかではないと思っている。

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2017年3月25日 (土)

第40回ユニオン学校

 地方議員との共同
  今回の「語り」には、安城市議会議員の石川 翼さんが、招かれた。石川さんは、この東海4県で二人しかいないという「新社会党」所属の地方議員で2期目の31歳。40回を数えるこの「ユニオン学校」で議員が講師となるのは初めてだが、それなりの背景があってのことだ。
 彼の選挙基盤は、故和田米吉さんという元議員の地盤を引き継いだのもので、それは「安城地区労」と和田さんが培った地元と人脈であった。そして石川さんは、安城地域のみならず「西三河」の地域労働運動に関与・共同し続けているのである。
 さてテーマ「三河安城地域の労働運動と結ぶ安城市議会の闘い」とあったが、地域の労働運動と市議会がどう結びつくのか、という点に注目した。その一つは、地元企業「M金属」で、外国人研修生との間でトラベルが発生したと、地域のユニオンから相談が持ち込まれた。この件に関して石川議員は、議会の一般質問で企業と行政との間の諸手続きについて問いただし、それの基づく「M金属」の「違法性」を指摘した。ところがその発言を「名誉棄損」として「M金属」が訴訟を起こした。事実関係は脇に置くとして、外国人研修生問題、例えば、賃金が不当に安い、賃金明細が不明確、パスポートを没収する、といったケースが問題となってきたが、この「M金属」でもあったとされさらに税金逃れの、研修生の架空の「扶養控除」も問題視された。安城市が企業の不法行為にどこまでメスが入れられるか注視したい。そして石川議員は、「労働問題を抱える(法を守らない)会社は 、他にも何か問題を持っていることが多い」という感想を述べたが、過去の事例からもそのように言えるだろう。
 もう一つは、「安城市勤労福祉会館」が廃止されるかもしれないという事案。地域労働運動と直接関係ないかもしれないが、愛知県勤労会館が廃館されてしまったように、採算性、耐震性などを理由に、この種の施設が改築されずに廃止されるケースが後を絶たない。維持管理する側にも理由があろうが、こうした公共施設を積極的に利活用するニーズの低下は、労働運動、地域運動の後退と無関係ではないだろう。
 またこれらを「労働会館」と呼ばず「勤労福祉会館」と呼称するのには、「広く、働く人たちの福祉・文化に供する」という意味が込められていると思うが、かつての「地区労」がなくなっていった過程と同じように「労働運動=労働組合活動=企業内活動」となって、“地域ぐるみ”の運動がなくなり、また、労働者の生活領域における「互助会」的なものの必要性が薄れてしまった結果でもあろう。
 こうして考えてみると、一大勢力であったかつての「社会党」が衰退していった過程の一断面を、石川議員の話から垣間見た感じがしたのだった。

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2017年3月24日 (金)

わが居場所・役割は?

 “動ける”領域が狭まる中で
  夕方から、「共謀罪」なんていらない集会とデモがあったが、パスしてしまった。
  3月は、スケジュール表を見てみたら、16日間に予定が入っていて、そのうち5件を除いたものは、地域の様々な活動であった。割合から行けば、3日に1日は、なにがしかの地域の運動があることになる。この中には、毎週金曜日の中電、関電前の脱原発関連の行動とか、土曜日の栄「安保法」「共謀罪」「沖縄」での街宣は入っていない。月末の名古屋駅前での「ユニオン共同行動」も加えてはいない。
  「シングルイシュー」にこだわるとか、専念するということであればせいぜい「週一」程度であろうが、「政治・社会」と広くとらえれば、どれ一つ欠かせないことになる。
  また例えば「憲法・安保・自衛隊」とか「脱原発・再稼働・被爆」とか「沖縄・辺野古」などと運動領域を固定して、優先的に向き合うとすれば、それなり絞り込まれよう。まして、「労働運動一般」だけなら、「週一」程度かもしれないが、ただその場合は、「団体交渉、裁判の打ち合わせ・傍聴、宣伝活動」は除かれる。「労働争議」に関われば、日々が活動となる。
  ここ数年の私の場合は、「週2日以内」が基本になっている。「主夫」であるから、そうならざるを得ない。従って、絶えず「優先順位」をつけることになり、また、連続して家を空けないことも慣例の一つではある。
  昨年の5月29日から始まって6月19日までの「あいちキャラバン」の事務局を担った時は、それまでのパターンでは対応できないとは思ったが、それでも基本を維持したため、名古屋市郊外のキャラバンには尾張の1日だけで、知多半島、西三河、東三河にまで同行することができなかった。ひたすら「デスクワーク」に従事して終えた。
  こうした「目に見える運動」を鼓舞するには、「前線」に立つことが必須だが、その役割はIさんに一任するほかなかった。そして、私の「活動の限界」をしっかり知ることとなったのである。
  居住地での集まりや家庭の事情も当然あるが、一連の集会、デモはもちろん、今回の名古屋市長選挙、次期衆院選挙(愛知3区)も、同様の流れになるだろうと予感しつつ、ひょっとしてこれまでとは違う「居場所・役割」があるかもしれないと考える昨今である。

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2017年3月22日 (水)

CGSUの運営委員会

 残業時間問題が話題に
 ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)の運営委員会が開かれ、今月10日の総会の結果を受けて、その方針化が議題であった。具体的には①活動誌「結」の編集方針と第9号の内容・発行日など。②ユニオン共同行動について。③ユニオン懇談会について。④ユニオン学校について。⑤会員の再登録、他であった。
 運営委員会といっても、必ずしも議題一つ一つを「提案・審議・賛否・結論」というように型通りに進めていくわけではない。どの議題でも共通して言えることは、提案されたものは「誰(層)を対象としているか」と「状況報告なのか呼びかけなのか」という点であり、それらについてそれぞれの経験、思うところを出していくというものである。だからしばしば、議題から外れるか膨らんでいくことになる。
 そこには、この会の性格として、すぐさま「交渉」に入るべき相手がいるわけではなく、また徹底させるべき「組合員」がいるわけではないので、日程など基本的なものが確認されればいいわけである。
 そんな中で、昨今の「時間外労働」について意見が交わされた。いわゆる「残業」についてであるが、1日、1か月、年間でそれぞれ上限を決めようとするものであるが、「休日労働」がカウントされないとか、「労働時間」といっても「通勤時間、休憩時間、定時間内労働時間、残業時間(超過勤務)」で構成されているから、その総体から見ていかないと「過労死」防止にはならない。
 そればかりでなく、「労働密度」「勤務体制」「有給休暇の取得率」なども勘案されねばならないだろう。もっと突っ込んでいえば、そもそも「労働基準法」について、どこで教育・研修を受けることができているのか、それは労働者・労働組合だけでなく経営者にも言えることである。
 この「残業時間規制」の問題は、例の「過労自殺」に端を発した。そのこととは別に、私はあまり発言することはなかったが、「経営者たちの表向きは“反対”とは明確に言わない。それは内心で歓迎している面もあるのではないか」と思っていた。というのも、「時間規制」ばかりが取り上げられて、「労働の質、勤務体制」については、「24時間営業をやめる」業界も出てはきたが、「昼夜の2交代制勤務」「連続2交代制勤務」「変形労働時間制」にまでメスは入っていない。また、生産現場での「自働化」は、ロボットの導入で進化し続けている一方、労働時間が把握されにくいホワイトカラーは、危ういままだ。
 それらもあるが、やはり「残業時間が規制されて減ったとしても、仕事量は減らない」ことがありうる。これが問題だ。「定時間内でもっと効率的に、もっと効果的に仕事をこなせ、知恵を出せ」となりかねない。それではコストダウンになっても「過重労働」を招きかねず、「過労自殺」をなくす方策とはなり得ない。
 先進国はもとより新興国をはじめとする世界の企業と競争していく現状は、シャープや東芝など、日本の基幹産業・大企業すら倒産・消滅しかねない。そのようなことまで考えてしまうと、いったい何をどのようにすればいいのか、よくわからなくなる。しかし、だからといって現状から目を離すわけにはいかない。そうした世界的な視野をもち状況を考えながら、地域で、自分の周辺での問題を解いていくしかない。そのための経験、知恵、創造を出し合い、分かち合うのが「地域運動」であろう。CGSUの存在価値でもあろう。

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2017年3月19日 (日)

共謀罪認めない!

  安倍内閣打倒の機運は?
  安倍内閣の暴走を止めよう!3・19~春の大集会&デモ!が、名古屋・白川公園で開かれた。許し難いアベ政治は数々あるが、今日のメインは、「テロ等準備罪」という名の実態は「共謀罪」についてであり、後を絶たない閣僚の「不祥事」というか「お粗末さ」と任命責任を合わせて、「安倍退陣」ということではなかったろうか。
 登壇した諸氏の話は、いずれも核心を突いた熱を帯びたもので、いよいよもって「アベ政治許さない」というレベルから、「安倍内閣打倒」という表現はないものの、そうした政局に向き合い、鼓舞するものだ。
 会場内を移動しながら、参加団体のぼり、横断幕、看板(プラカード)のアピール内容を見ながら、見知った人とあいさつを交わしつつメモを取り、写真も数枚。
 花粉症で目のかゆみに悩まされながら、わずかにメモしたものから拾うと、憲法学者の飯島慈明さんの憲法13条に触れた話、軍隊でいう「救出作戦」を「駆けつけ警護」と言い換えるなどの、安倍内閣の憲法違反の数々の話。ママの会のIさんの「選挙に行こう運動」の紹介、写真家・浅見裕子さんの沖縄高江・辺野古の現状や山城さんの不当拘留(釈放)の話。近藤昭一(民)、本村伸子のアピールも、緊迫感と覚悟が伝わるものだった。
 マスコミなどでは、「森友学園の国有地売却問題」「安部首相の森友学園への100万円寄付問題」が多く取り上げられているが、「稲田防衛大臣の嘘とその軽薄さ」そして「自衛隊の南スーダン日報隠し」をもっと追及しなければならない。そして焦眉の課題として「共謀罪の立法化の策動」「安保法・周辺事態条項」「辺野古新基地」「原発再稼働」を許さないことだ。
 デモに移ってからは、写真を撮りつつ中間点から隊列に加わり、解散地点で参加者のカウント試みた。集会場での参加者は、主催者発表で約1000人であったが、デモ参加者は700~800人ほどとよんだ。

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2017年3月18日 (土)

山尾志桜里議員の国会報告

 民進党の現在とこれから
 この日は、民進党県連大会ということで、同じホテルの一室に「リベラル政治懇話会」の定例会がセットされた。
 ゲストは、山尾志桜衆院議員であったが、近藤昭一衆院議員、大脇雅子元参院議員も参席、他に久しぶりに石田芳弘元犬山市長(衆院議員)の顔も見えた。県議、市議、かつての「水曜フォーラム」のメンバーも。
 山尾さんは、この会が憲法問題について飯島慈明さんからレクチャーを受けていたと知り、国会の「憲法審査会」のメンバーでもあり、外からは知れない実情というより内情のような話もされた。自民党の改憲というものの多くは、現憲法で対応できるもの、或いは現憲法に書いてあることすら実施されていないのに、とにかく安倍の意向に沿った「改憲ありき」のようなものだ。また「1票の較差」にも触れたが、「誰でも1票行使できるのだから、それ自体に“格差”があるといえるかどうか」という論点もあろうが、私にはむしろ「選挙制度」に問題があるのではないかと思った。「原発問題では、国民に半数以上が反対して多数であるのに、国会ではそうはなっていない」つまり選挙制度に問題があることは確かだ。
 続いて山尾さんは、今日は「共謀罪」と「天皇の退位」について触れておきたいとした。共謀罪そのものについては、過去に3度も廃案になったにもかかわらず名前を「テロ等準備罪」変えようようとも中身は一緒。「テロ云々」といいながら「テロ」の文言が入っていなくてあとから付け足すなどなどずさんで危険だと。ただ問題はこのような表現・言葉の「言い換え」のよって、騙されてしまいかねない危険性を指摘された。これは市民運動の側にも認識すべきことの一つでもあろう。
 天皇の「退位」については深入りしなかったが、安倍首相は、衆院議長の取りまとめ案の骨子である「一代限り、女性宮家」については不満のようだと。まあそうだろう。そもそも昨年8月の「天皇のお言葉」自体が安倍にとって“青天の霹靂”に違いなかったのだから。
 こうした山尾さんの話の核心部分の一つに私は、「その政策に対して市民に“もっともだ”といわせたなら、その政党は支持され伸びる。そうありたいしできる」と語ったのがポイントだと思った。そこで質疑では挙手して、そのことに触れて同時に、「立憲・平和、リベラル政治」という柱がいいと思っているが、民進党内では少数派のようだし、かといって「民進党の政策はこれだ」という旗というか姿、形が見えてこない。国会議員から地方議員に至るまでその点で頑張ってほしい、みたいなことを述べた。
 最初に用意した質問は「脱原発運動でネックになっているのは実は“連合”ではないか。その連合に頼り切っているのが現在の民進。それが伸び悩んでいる原因の一つではないか」であったが、別の人から同趣旨の発言があって切り替えた。
 現在の政治、社会、経済、国際等の問題が気になる一方、ここに至ってあまり深入りしたくないという気持ちが立ちはだかるので逡巡するのであるが、こうした話を聞くたびにやはり“何か手を打たねば”と思うのである。
 なお、名古屋市長選挙についても講演の外で話題になったので、これについては別の機会にしたい。

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2017年3月17日 (金)

安倍退陣のウエーブが出来るか!

 安倍辞任か国会解散もありか
 「安倍1強」の時代の終焉が到来しそうな気がする。それは「脱原発」と「戦争法反対」のうねりに、この「森友学園」の「疑惑・疑獄」が合流した時、安倍の退陣を求める一大チャンスではないのかと思うからだ。
 大阪市にある国有地の払い下げ問題に端を発し、「(学校法人)森友学園」の「瑞穂の國記念小学校」(大阪府豊中市野田町)をめぐっては、安倍昭恵さんの「名誉校長」問題に発展し、ついに籠池康博(理事長)の「(昭恵夫人を通じて安倍首相から)100万円受け取った」の発言に至り、今後の捜査・推移を見守らなければならないが、「疑惑・疑獄」がどんどん深まって来ている。
 国会での与野党の攻防が3月16日になって新たな局面を迎えた。それは、野党が求める籠池泰典氏らの国会招致を拒んできた与党が一転し、証人喚問を容認したからだ。その背景は、安倍首相からの「寄付金」に言及した籠池氏の言動を放置できないと与党が判断したものでこれが事実なら、安倍首相の“はっきり申し上げます”発言通りになれば、首相を辞め、議員も辞めるという前代未聞の事態に発展する。この機を逃がす手はない。
 但し政治の世界は「百鬼夜行」「深謀遠慮」「謀略」の世界でもあるから、「不可解な死者」が出たり、「大儀なき解散総選挙」に打って出るという手段が駆使されないという保証はない。もっともそうなれば。安倍退陣を望むわれらにとってはこの上ないチャンスである。「疑惑隠しの無謀選挙」キャンペーンができるからだ。
 あるいは外交問題、例えば「北朝鮮(共和国)」問題に何らかの仕掛けをして、話題をそらすような虚に出るかもしれない。さらにあってはならない悪い想定は、「南スーダン」での自衛隊の「交戦で・・・」までも考えてしまう。
 ところで野党は、籠池氏の新たな証言が更なる攻撃材料になるとみて、「森友国会」を舞台に攻勢を強める構えだが、しっかりとした証拠、証言をもって安倍退陣の「戦略」を練ってもらいたい。一番危惧するのは、例えば民進党の中で起きていると報道される「蓮舫代表おろし」など、焦眉の問題、巷で盛り上がる話題に水を差すような動きが出て来はしないだろうかである。(つまり、安倍への援護射撃)
 明日19日の集会、デモでは、何らかの発言、新たな情報が語られるかもしれないが、「安倍退陣」を想定した準備を促すことも一つのポイントではないかと思うのである。

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2017年3月14日 (火)

私は“浮遊物体”か?

 運動の所属を問われて
 4月の名古屋市長選挙で、市民サイドから岩城正光氏を応援しようとする動きがあって、その呼びかけ人に14人が応じ、その呼びかけ人による「共同声明」の賛同人募集が行われている。そこで私は「緑区民」として賛同に応じた。ところが担当者から「肩書はできれば、市民団体名にしたいのですが、ありませんか?」という問い返しが来た。
 「できれば、市民団体名にしたい」という意図は理解しているが、私の立場は、基本的に「労働運動」であるから、市民運動の「肩書」はもっていない。15年も前なら「環境とくらしを考える緑ネットワーク」というのもありだったが、いまさら・・・である。では現行の「ピースサイクル」というのはどうかとも考えたが、実態としてこれの使用には逡巡があってやめた。「四季雑談の会」は、運動団体ではないし休止状態であり、「C&Lリンクス愛知」は個人であって「団体」ではない。
 労働運動でも構わない気がするので考えてみた。一番現実的なのは「ユニオンと連帯する市民の会」で、私は運営委員の一人ではある。しかし私の中ではこの組織の実態と自分自身の関わり方からして、「肩書」として使うことに躊躇し憚られた。「APWSL愛知」もあるが、これでは何のことかわからないので「アジア太平洋労働者連帯会議・愛知グループ」となるが、はたして・・・もあったが、実態の薄い存在であるから、当初から外していた。
  それで結局、呼びかけにあった「団体名が無理な場合は、運動分野(例えば『反貧困運動』など)にしてもらえるとありがたいです。そうでない場合は、職業とか居住区(○○区民)でも結構です」で対応することとし、「職業=無職」では笑い話であり、「労働運動」もありかなとは思ったが、「現役」ではないことと、あまりに“正体不明”過ぎるのではないかと考えて外した。何かの「支援運動」の直接かかわっていれば、それで何とか表現できたかもしれないが、それも思いつかず、結局居住地の「緑区民」に落ち着いたというのが全経過である。
 こうして書き連ねてみると「私はいったい誰でしょう?」となる。
 これはひとえに私の行動が「物事に広く浅く」に関わり、「井戸(専門的)一つ」掘りきれてないことによる。しかもその「井戸」を現時点では、「運動として」の位置付けがなされていないから、「〇〇のことなら、あの人に聞け」という位置はないのである。しかもそのことに何の不満も、違和感もないから今の「私」があるのである。
 

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2017年3月12日 (日)

原発ゼロNAGOYA ACTION(2)

 世代の違いを感じつつ・・・
 この日の「3.11 原発ゼロNAGOYA  ACTION~福島の原発事故は終わっていない!危険な老朽原発廃炉!」と銘打った行動提起がなされたが、マルシェ/イベントそして集会、デモとあり、ほぼ1日がかりであった。
 そこでまず「マルシェ」って何?文脈から「ワークショップ」とか「出店(でみせ)」であろうと思ったが、検索したらフランス語で「市場」とあった。同様に最近では「フライヤー」という言葉が使われていて、ビラ、チラシのことだと思っていたが、これも検索してみれば、「1枚物のA4程度までのサイズ」がフライヤーと呼ばれ、「新聞広告などA4以上の大きさのもの」がチラシと呼ばれることが多いようであるとのこと。なんのことはない、わたしたちが従来から街頭で配っていたビラ、チラシの言いかえに過ぎないのであった。(フライヤーは、印刷物の格安通販の流通が生んだ言葉であろうか)
 「ワークショップ」は、分科会とかグループ討論のことであろうとか、「ファシリテーター」って、司会・進行役じゃないのかな、とか、デモをパレードということが多いけれども、確かに違うといえば違うともいえるが、現実を見てみるとうやっぱり「同じ」気がするのである。
 こんな些細なことに触れるのは、やはり「言葉」は、その次代を反映すると思うからだ。そしてそれは「世代」を意識させ、わが身の置き所をどうするかに至るからでもある。
 3・11集会に参加して、こうした「マルシェ」があって、イベントに「NORA  BRIGADE」(Radical Marchingband Tokyo)が、舞台を賑やかした。このグループは初めて知り、初めて観たのであるが、元々「マーチ」からくるイメージは「行進曲」であり、行進といえば整然とした集団、といえば軍隊につながる。果たして「Radical Marchingband Tokyo」は「Radical」が頭につくことで「軍楽隊」とは違う、ということなのか。確かに、舞台でも、デモ行進でも「整然とした楽隊」ではなく、歌って、踊って、表現するという、今までもそんな風なものを見たような気がする一方、楽器の種類も多く新しさがあることはあった。
 このようにして全体が、私たちの時代の「ゲストを迎えての集会と集会宣言、そしてデモ行進」と違って、「祭り-賑わい」として設定されているような、それでいて、目的・意義はきちんと押さえているという、私の目からは「これが現代風」なのか、と思ってしまうのである。
 ついでながら、同一次元で語るべきことではないが、言葉の言いかえは、時によって真実を覆い隠すために使われることはよく知られたことだ。その典型的なものが戦争での「戦争→事変」「撤退→転戦」「全滅→玉砕」は知られている。戦後でも「戦車→特車」「軍隊→警察予備隊→保安隊→自衛隊」「大佐→一佐」。最近では「戦争法→安保法(平和安全法制整備法と国際平和支援法)」等々。
 若い人が「造語」を生み出し、「外国語」を使ってそれをコミュニケーションとして日常語のように使っているらしいが、それをクイズのように出されても、私などにはほとんど答えられないだろう。ということは、私には若い人との交流が希薄ということに他ならない。「マルシェ」の戸惑いもその一つではあろうが、すぐには理解できないとしても、その場に「参加」することで「言葉」を超えることができるのだと思う。
 ・・・といいつつ、私たちの世代は、私たちの言葉で次の世代に伝えていくことに、何の気おくれすることがあろうか、と思うのである。
 

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2017年3月11日 (土)

原発ゼロNAGOYA ACTION(1)

 多彩にして“忘れまじ、フクシマ”の一日
 まず「3・11は、何の日?」から始まる。市民運動であれ、労働運動であれ、何らかの運動に関わっている人は決して忘れはしないだろう。そしてこれからも「8・6広島」「8・9長崎」と同じくらいに意識され続けられねばならないように思う。
  この日の集会・デモに参加しないからといって、意識が低いとか忘れたとかいうことにはならないが、やはり参加することに越したことはない。それは「この日は、この日だから」の意味があると思うからだ。
 私は、午前中はパスして午後1時ころに会場に着いた。そしていつもことながら、まず会場を一巡りして“どんな人、グループが参加しているのかな”という“偵察”をして、それから間もなくして始まった集会のステージに注目した。
 まず、「40年廃炉訴訟市民の会(toold40)」の弁護団が立ち並んだ。その中で“若手の弁護士が参加してくれて心強い”といわれたが、思わず“市民運動の側は高齢の方が多い。こちらも若手の参加をもっと”と思ったのだった。もっとも会場には、結構若い人もいて、私の知人、友人、仲間だけが“高齢化”なのかもしれない。それにしても愛知の弁護士は、特定秘密保護法、安保法、脱原発での活躍(だけではないが)には目を瞠るものがある。1970年代から2000年ころまでが私の活動期であったが、弁護士といえば、法廷かせいぜい弁護士事務所で接するしかなかった。この業界にはそれなりの背景、事情もあろうが、やはり頼もしい限りだ。
 続いて政党関係では、自由党(田中良典県連代表)、社民党(伊藤善規幹事長)、共産党(本村伸子衆院議員)、民進党(近藤昭一衆院議員)が登壇した。それぞれ切り口を変えつつも「脱原発・再稼働、被災者問題、政府の原発政策」について熱っぽく語っていた。こうして4党が揃うとお互い“意識し合う”ことがあるのだろうか、いい話が聞けた。
 次に「内部被ばく」に詳しく、被爆者でもある沢田昭二さん(名大名誉教授・物理学)が、東電福島原発事故による被ばく線量、被ばく者の権利などについて現状を話された。続いて被災地フクシマでの「自主避難者の会」、「動物たちの死」についての「チーム福島アニマルレスキュー」、社会福祉法人 AJU自立の家のMさんが「障がい者」「お年寄り」等の弱者が置いてきぼりにされている実情などを話された。
 地震のあった14時26分に、全員で黙祷をした。
 続いて「NORA  BRIGADE」(Radical Marchingband Tokyoの一団が、演奏と踊りと語りを舞台いっぱいに来る広げ、その勢いのままデモに移った。デモは、会場の久屋大通公園の「もちの木広場」を出発して錦通→プリンセス通→裏門前町通→大須通→大津通→錦通→もちの木広場というコース設定であったが、私は、写真数枚を撮り終えて、プリンセス通の半ばで(ちょっときつく感じたので)離脱した。参加者は600人~800人ほどであったろうか。

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2017年3月10日 (金)

CGSUの第10回総会


 地域「拠点」をめざして
   「ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)」の第10回総会が開かれた。この団体は、2008年に発足した「全トヨタ労組をサポートする市民の会(ATUサポート市民の会)」から2014年に名称変更を行って引き継がれてきた団体で、労働組合組織ではない。だから労働運動にこだわらずかなり幅広いエリアを持っているので、総会の議事も、それぞれの運動団体又は、担当者がその活動報告とこれからの運動などを発言してこれに代えるというスタイルをとっている。
 発言した団体は、ユニオン共同行動実行委、TMPCWAを支援する愛知の会、愛知健康センター、労働問題研究会、コミュニティユニオン東海ネット、APWSL愛知、国政の「野党共闘」の関係団体、ユニオン学校などである。
 その他の「議事」を列記しておくと、
1)CGSUの活動は、「労働争議などの支援活動」「市民運動との連帯と共同」「ユニオン学校の運営」「ユニオン懇話会の仕切り」「活動誌“結”の発行と拡大」が主たるもの。
2)会計報告と予算及び会計監査報告があったが、会員の減少傾向と会費納入者の割合が低い。また従来の会費2000円/年を1000円/年とするが、複数口を要請。収入が減って決算額に差異がないのは、活動実績が乏しいともいえる、との監査報告があった。
3)活動誌「結」の編集長は1年交代としているが、それは編集者の編集方針を重視しマンネリ化を防ぐ狙いがある。前任者は海員組合に属していたこともあって「労働者と戦争」「海」がモチーフであった。後任者からの編集方針は、次回の運営委員会で紹介される予定だ。
4)前回の総会で提起されたメーリングリスト(ML)を今年度から本格化させるとして、メールアドレスの募集を行った。「管理者」を決め、投稿を促していけば、“筆達者”が多いので、思いのほか賑やかになる可能性がある。
5)愛知健康センターからは、現事務所を地域に広く開放しているので、10人程度の会議(要予約)、印刷(有料)などに利用してほしい。会員登録してほしい、との発言があった。
6)会則を一部<会の略称、活動内容、会費>を改定した。
7)役員に一部異動があったが、ほぼ前年と同じ体制で運営を図る。
 なお「APWSL愛知から」として私は、①代表の坂喜代子さんが亡くなられ、大きな打撃を受けていること。②会誌「ACTION REPORT」をCGSUの「結」と同時発行しているが、この1年は、地域の動きと韓国の「少女像」問題を重点に取り上げてきたこと。③アタック東海などと「国際連帯」について新たな取り組みを模索したが、とん挫したままになっていること。④働く者の「国際連帯」は、昨今のグローバリズムや米国・トランプ、フィリピン・ドゥテルテ、ロシア・プーチン、中国・習近平などの登場によって、あるいは英国のEU離脱など、課題が多いが、幅広く、奥が深いこともあって、重要性が高いにもかかわらず対応しきれていないのが現状だ、などを報告した。
 総会の2部は、懇親会であり、ここで、さらに個別の争議、運動が紹介されることになっているが、私は体調のこともあって早々に辞した。

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2017年3月 9日 (木)

意見交換の場はどこで?

  MLでの意見は少ないが・・・
 ML(メーリングリスト)に幾つ加わっているか、数えてみた。ざっと13あった。MLでなくても、定期的に送信されてくるものも加えれば、メールの出所は17~18になろうか。それで、到着分は一通り目を通すことにしているが、「見出しだけ」「ざっと流し読み」「一通り読む」「コピーして保存する」の4段階程度に分けている。
  おなじMLでも、団体の代表など中心的な人物が管理しているもの(A)と、MLの管理だけ(B)の場合とでは、様相が少し違うような気がする。例えば、(A)の場合だと、管理者(代表者)のコメントが書き込まれるケースがあるが、(B)の場合は、投稿そのものがストレートにアップされるだけが多く、MLの所掌者のコメントが載ることは少ないようだ。
  MLは、「情報提供」「連絡事項」と「公開意見」が主なものだが、実際は「意見」は少ない。それは、これは何度も触れてきたが、MLが「意見交換」「議論」等“双方性”に不向きな点があげられる。時々非難めいたやり取りがMLを賑やかすことがあるが、傍目には興味よりあまりいい気分にならないことの方が多い。また、意図しない方向で理解される誤解、曲解を受けて、批判・中傷されることを潔し、とせず、だから投稿しないということもあろうと思う。
  しかし率直にいえば、「意見」がほとんどない「報告と紹介」だけのMLって、活用価値はそれほど多くはない気がするがどうだろう。あるいは、そういうものと割り切ってしまえばいいことなのだろうか。(これが本来の姿か?)
  もっとも「意見」などは、ホームページ(HP)やブログ、ツイッター、フェイスブックが主たる場所、と言えないことはない。私などは、主としてブログで書き込んだものをMLに投稿する方法を採用している。
  こうしたことを考えてみると、MLはやはり“今日はどんな情報が入っているかな?”と開けて、開いた最初に全体が一覧できるメリットがあるから気楽ではないだろうか。HP、ブログなどは、ライターに興味・関心があれば、真っ先に明けるかもしれないが、それでも、毎日更新するとは限らないので、つい後回しになる・・・というのが私の対応である。
  いずれにしても頻繁に会合があるわけではないので、「意見を述べ合う」機会は決して多いとは言えない。ということもあって、誤解、曲解を恐れずに意見を出し合う、何らかの提案をしてみることは、「ITの時代」なればこそ、いっそう重視したいものだと思うのだが、どうだろうか。

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2017年3月 8日 (水)

「俳優三世代」の時代か

 わが「身辺整理」と重ねて思う
 毎月第1火曜日は、学区のリサイクル資源・ごみの日。昨年来から続いているわが「身辺整理」も最終段階に近づいているが、例の古本の引き取り手がないために、いよいよ「資源ごみ」として搬出する覚悟を決めつつあり、その第2次第1弾を昨日の朝に出した。主として法律関係のもの。「六法(全書)」などは毎年更新されており、古いものには価値がないという古書店主の話を信じてのこと。それでも「全書」であるから、最新(10数年前)の1冊だけは残した。
 こうして古いものは捨てられ新しいもの変わっていくことを「更新」というが、私の場合の「身辺整理」はもはや「更新」ではなく単なる「廃棄」でしかない。せめて「脱皮」したいものだとは思う。
 さて人間の世界ではもちろん「更新」とも「廃棄」とも「脱皮」とも言わない。あえて言えば「世代交代」であろうか。それは“親世代から子世代へ、子世代から孫世代へ”となるが、そんなことをパソコンの手休め、目休めの時想い浮かべていると、パソコンの「俳優・佐藤浩市(56)の長男・寛一郎(21)が、映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(9月23日公開)で俳優デビューすることが2日、わかった。」という画面に目が止まった。
 佐藤浩市は、三國連太郎の息子であり、三國連太郎は故人であり、年齢は二回りも上ではあるが、「俳優歴」だけで言えば私たちの世代に近い。それで映画界にも「三世」の時代になってきたのかと、思わずため息のようなものをついてしまった。
 多分他にもそうした「俳優三世代」はあるのだろうが、そうした典型は「歌舞伎」の世界に優るものはあるまい。この世界では3~4歳でも「お披露目」があるから、ひょっとして「四世代」もあるかもしれない、どうだろうか。
 さてさて、話は戻るが私が残すもの例えば「本」は、何世代かにわたって読み継がれる可能性があるだろうか。我が家は一応三世代同居であるから可能性はゼロではない。だけど現時点では趣味・趣向から見た場合、“隔世遺伝”にその可能性を見出す他なく、だから「身辺整理」で全点の廃棄はできない気がしている。かくして全点廃棄は、私自身の「現実」があるからのほかに、こうした“継承”に、何やら望みをかけているのかと苦笑してしまう。
 ま、どちらにしろ「自己完結」があっての「次世代」であると思うので、まだ相当量ある「身辺整理」は何としても“完結”させたいと思っている。今年の前半までに、という期限をつけて。

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2017年3月 7日 (火)

名古屋市長選挙、さてどうする

 岩城支援の活動には逡巡する
 4月の名古屋市長選挙は、現職の河村たかし氏に、元副市長で弁護士の岩城正光氏の一騎打ちになりそうだ。
 地方自治に関心があるからこうした首長選挙に関わることは少なくないが、どんな場合でもそこには「濃淡」がある。そしてその背景・理由もあるのだが、首長選挙は、「濃淡」がかなりはっきりするような気がする。
 早い話、候補者擁立に関わるとか、日ごろの交流が続いているといった場合は、当然「長」としての資質が前提とはなるが支持、応援に入る。また、支持政党に近い人物であれば、積極的な応援をしないまでも、推薦葉書を書き、個人演説会に参加することに逡巡することはない。
 では、今回の場合はどうか。「河村×岩城」でどちらを選択するかといえば、「河村には投票しない。投票を棄権することはないから、当然岩城に投票する」という、やや歯にものが引っ掛かった言い回しだが、それは「積極的な支援活動はしない」という含みからである。何故か。
1) 私の中に、市議会・市議そのものにやや不信感が漂っていて、河村に対抗する野党との間に距離感がある。
2) それは「反自民非共産」という政治的立場と無縁ではない。しかし「首長選挙」でそれをあてはめようとは思わないが、“腰が引ける”要因の一つであろうとは思っている。
3) 民進党市議団は「岩城支持」で臨むようだが、消極的ではなかろうか。それは「河村には是々非々」である一方、岩城氏には、共産党が支持するであろうから、同じ屋根の下は遠慮したい、といったところではないだろうか。もっともそれもあるが、私が意識するのは、2007年の県知事選挙で石田芳弘氏が、現職に僅差で敗れた時の敗因に、当時の民主党の名古屋市議団の消極性があったと見たことだった。さらに2011年の名古屋市長選挙では、また石田芳弘氏が立候補したが惨敗を喫した。その時も私は民主党市議団の動きを訝った。
4) 2001年の名古屋市長選挙では、現職の対抗馬として候補者擁立の「予備選挙」が行われて、市民運動に一定の動きも見られた。しかし現職×共産×市民派という構図ではあったが、この時も民主党市議団はなんの動きもしなかった。そして市民運動の大半が“静かだった”事は、私の中に“違和感”を残した。

 そんな過去のことを引きずっていてどうする、大所高所から判断するのが“オマエ”ではないのか、を“はんすう”し、尊敬するN弁護士も推薦し、呼びかけていることもあって、手を挙げかかるのであるが、どうしても手がまっすぐ上に伸びていかないのである。そういう自分の気持ちに正直になろうとするとやはり、立候補予定者の政策・資質の比較検討もさることながら、現時点では消極的な「岩城支持」ということになるのである。

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2017年3月 5日 (日)

公共放送を内側から見つめる

  「NHKを考える東海の会」の学習会
  昨日は、NHKを考える東海の会・連続学習会の第1回が開かれ、元NHK職員:元立命館大学教授、『みなさまのNHK』の著者津田正夫さんが「教鞭」をとった。
 津田さんについては、「みなさまのNHK~公共放送の原点から」の書評で、詳しく紹介したので省くが、ガイドでは「1月中旬の『NHK上田新体制』出発後のNHKなどの情勢を踏まえながら、著書の内容を含め、NHK問題や『市民メディア』の現在(岐阜など全国各地の『市民メディア』の現状と可能性)など、自由に報告してもらいます」とあった。
 用意されたレジュメは、A4の6枚と、切り抜きなどの資料が同じく10枚であり、「大学の講義では12時間分」のところを90分で進めます、とのことだった。
 教壇慣れと準備万端ということもあろうが、専門的用語<RDD、フェイクニュース、ファクトチェック・・・>も多く、多少の予備知識もないとちょっと難しく感じられたが、「現状」を織り交ぜることで話から“離反”することはなかった。
 さてテーマの副題に「転換期の民主主義とメディア~公共メディアの再建に向けて~」とあり、それはNHKをどうするこうするということより、世界的なマスメディアであれ、ローカルなメディアであれ、「コミュニケーション」をどうとるのか、そしてそれは、技術的な「ネットワークの構築」もあるだろうし、情報の「受けて」となるばかりでなく「発信」することの能動性も問われていると、私は感じた。
 また先の米大統領選挙での「選挙予測と大誤報」が取り上げられたが、これは例えばRDD(ランダム・デジット・ダイアリング~コンピューターで無作為に数字を組み合わせて番号を作り、電話をかけて調査する方法~)は、固定電話への質問が基礎であり、電話を持たない若者、貧困層の意見は反映されない。ということは、比率は低いかもしれないが日本でもありうることだ。また、米の民主党の支持基盤であった労働組合の、特に下層部分と未組織労働者の動向が、大統領選挙を動かしたようだが、「労働組合=民主党支持」という図式が崩れたことを意味する。
 日本の「民進党」が、ちっとも浮上しない原因の一つに、アメリカと同じ現象がかなり浸潤しているのではないか。そもそも何かといえば「連合」を頼りにするが、頼れて屹立しているのはほんの一部であって、多くは離反して“浮遊”状態にあるのではないか。まして、全就業者に対しての労働組合の組織率は17・3%(2016年)といわれているのが現状である。
 もう一つの問題として、日本の現行の「放送法」の問題がある。ここで津田さんは幾つか提起していた。大まかに言えば現行の「放送法」を「コミュニケーション基本法」へと大改編することだという。その詳細は省くが、高市総務相の「NHK厳重注意処分(2015年4月28日)」「・・・電波停止」発言(2016年2月8日)が出てくるような政権の下では難しいしあり得ないだろう。
 最後に、私たちの「情報源」は何かにかかる。他人はともかく私の場合は、新聞(現在は毎日と中日)、テレビのニュース、報道番組、パソコンからのメール情報、yahooや niftyからの拾い読み。採用していないのが、週刊誌、ワイドショー、フェイスブック・Twitterなど。スマホは持っていない。
 発信は、ブログ・MLと冊子などの「紙媒体」である。
 今日の講義は、入り口から少し入ったところだったから、できることなら、週一の4回連続くらいの設定がいいかもしれないが、そうなればそれは「夜間大学」である。そんな大学があったら、この歳でも通うことがあるかもしれない。

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2017年3月 4日 (土)

東京・豊洲市場の、移転問題

 背景に「政治・行政・利権・民意」の問題
  東京都の豊洲市場の移転問題で、移転決定時の知事だった石原慎太郎氏(84)が3日、日本記者クラブで記者会見した様子をニュースや新聞で見たが、一瞬この人「晩節を汚したな」と思ったがすぐに、「晩節まで汚したな」と思い直した。
  作家としての石原慎太郎は、私はあれこれ評価するものを持っていないが、世間ではそれなりの評価をされてきたと思う。だが「政治家」としては「極右」という印象だけが私の中にあって、「作家としての評価」が高いとしても、国会議員、都知事としての評価を高く買うことはできない。ということで今回の記者会見での態度は、「唯我独尊」がそのまま態度に現れた感じで、自己肯定、責任転嫁、意図的お惚け(健忘症を盾に)、これはやはり「晩節まで汚したな」ということになる。
 ま、これ以上言を重ねても意味はない。で、結局この「市場問題」はどう行き着くのか。思うに、①土壌汚染問題などいろいろ問題はあるが、最終的には「豊洲市場」に落ち着く。②“もったいない”が、豊洲を断念して築地市場を「全面改修」するという方針転換を図る。③第3の場所に新築移転または増築移転する。
 ①の場合、土壌汚染問題の完全な解決と科学的な検証が求められ、その間の「補償」問題と、年間維持費の問題は残る。また「仲卸業者」の指摘にも答える必要がある。②の場合、一度も使われることがなく“もったいない、無駄の極致”ではあるが、全面的に解体をして更地にして売却し、その資金と新たな都税の投入で「築地市場の全面的な改築」を図る。となれば、かなりの時間を要するので、東京五輪までには終わらない。また、現状の「築地市場」が、「豊洲市場」規模に生まれ変わりうるかどうかは問題として残ろう。③の場合、築地と豊洲の土地の売却が資金となるが、現状の近辺に新たな土地を得ることは難しい。また、東京湾のどこかに知られざる「魚市場」があって、交通の不便さは多少あっても、周辺に買収可能な土地もあれば、新規出直しもできないことはないだろう。しかしこれは「架空」の話に過ぎない。
 とまあ、「他人事」のように書いてみたがそれは表向きであり、「日本の台所の問題」である以上に、「政治・行政・利権・民意」という問題をはらんでいるのであり、これからもこの種の問題が、全国の道府県で起こり得て「豊洲問題」がその「代名詞」にならないとも限らないからだ。もちろんそんなことが、この愛知で名古屋であってはならないことは言うまでもない。

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2017年3月 3日 (金)

ユニオン学校・私の場合(7)

  締めくくるにあたって

  最後に、冒頭に紹介した「ユニオンと連帯する市民の会(CGSU)」代表からの要請事項の冒頭部分を紹介します。
  ・・・「名古屋労組連」その活動は、多分に今日に引き継ぐ内容があります・・・それは、
1、運動を職場から地域に広げたこと 
2、労働者を「コインの表裏」的観点から市民と一体としてとらえたこと
3、地域を運動の場として位置づけたこと
4、運動の主体者に個人を位置づけたこと
  これらは目下私たち「ユニオンと連帯する市民の会」が目指しているものと一致した観点です。今の市民の会の活動に生かす観点からぜひとも補強して話をしてください。
  とありました。私の話が、幾らかでもそれに近づいたかどうかはわかりませんが、以上をもって終わります。ありがとうございました。
                                  ◇
 報告の時間は1時間とされていたが、10分~15分ほど延びた。
  当初原稿は時間測定で100分強であったのを60分まで落としたのであるが、横道にそれたりして結局オーバーとなった。しかし私としては「想定の範囲内」であった。質疑には4~5人の方が手を挙げたが、半分は「意見、感想」だった。
  「職場で反執行部の闘いをしてこられたが、独自の組合を作るつもりはなかったのですか」という質問を受けた。これには明確にその意志を持っていたこと、実際に某産別組合に加盟届を出していたこと。結局所属組合の「統制処分=除名」がなかったことで「ユニオンショップ解雇」もなかったので、組合結成には至らなかった。ここのところは、微妙な問題がないとは言えないので、ここでは書き記さないが、そうした事実経過はきちんと話した。
  また、具体的な質問内容は忘れたが、ある質問にこんな風に答えたことは覚えている。   
  「・・・私は3つのことに警戒心を持っていた。一つは、『お金』での誘い、買収されることを警戒した。二つに、『地位』での誘い、例えば、〇〇長に昇進させるみたいな。企業の外では、『ある役職(三役等)』として迎えるから、などに警戒した。もう一つは『性』の接近、誘い、私の場合で言えば女性の接近、誘いに警戒した。“それで実際女性からの誘いがあったの?”と問われ、“残念?ながらなかった”と苦笑した。
 余談だが、男の職場だったから、結婚相手の女性を探してきて結婚させ、それを機に“転向”もしくは“抜け”させる、といったことは珍しいことでなかった。
 その例からすれば、「活動家」が結婚するとき、子供が生まれた時など、“隙”を突かれて説得を受けることは、職制側にとっての「常套手段」であったろう。
 この「語り」を「私の、生涯最後の場、機会」としていたが、どう伝わったのか、6月に別の団体から「語り」を誘われた。それには「労働者の国際連帯」の要素が必要なようで、またひと汗かくことになりそうだ。 完

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2017年3月 2日 (木)

ユニオン学校・私の場合(6)

 様々な活動の中で得た、経験と教訓など(2)
2、地域労働運動の基盤を作ろう!
 さて、職場(労働現場)を根拠として運動を構築していくことになるが、そもそも「“労働”に境界線はない」のであって、単に「分類」されているだけである。産業別、職種・職能別、企業別・企業規模別、雇用形態・雇用条件(経験、有資格)別等である。そうであれば課題は「企業の壁を越えていく」ことは必然ではある。しかし私たちは、往々にして安定を求めて「職場=企業内」に“定住化”してしまいがちだ。そのことは、「活動家」にとってある意味では「国境を超える」あるいは「脱藩する」覚悟を迫られる問題でもある。
 不当に解雇され、所属組合から除名されれば、必然的に「城外」に放り出されるわけだが、ここでは意識的、戦略的に「企業の壁を乗り越え、労働組合のしばりを自ら解き放ち、地域労働運動の関わっていく」ことについて考えてみたい。


1)“分断” を乗り越える
 “城内平和”に見切りをつけ、地域に出る(一点突破)ということは、あらゆる問題に遭遇するから「全面展開」とならざるを得ない。最初に「“労働”に境界線はない」即ち既存の「分断」について、自ら消去する思想性を確保する必要がある。「分断」とは、民間労働者と官公労働者、大企業と中小企業それぞれの労働者、本工(正社員)と臨時工(非正規雇用労働者)、旧総評系と旧同盟系、組織労働者と未組織労働者などの関係、領域についてである。あるいは、「党派性」も大きな要素であろう。
 もう一つは、農民との連帯というのがある(労農連帯)。一つの事例として、労働者、学生(労働者予備軍)による闘争中の「三里塚農民」そして「境川流域下水道反対同盟農民」への「援農」というのがあった。

2)労働運動と市民運動は「コインの裏表」
 そうした観点から名古屋労組連では、労働運動と市民運動は「表裏一体=コインの裏表」という考えを運動の中心軸においた。それは「市民も労働者」「労働者は市民でもある」という認識からだった。それが、反原発意運動への参加、「赤と緑のメーデー」へと結実したのである。
 角度を変えていえば、現状はそうとも言えないが、市民運動の側からの「労働運動って、自己本位で上意下達、動員型で、“個人”が見えない、尊重されないのでは?」といわれることがある。逆に労働運動の側からすると「市民運動は、一過性の運動(単一課題)が多く継続性が薄い。政治を排除・忌避する傾向がある、出たり入ったりで、組織的運動ができない」であるが、その一方で「横並びの市民運動とたて割りの労働運動の違いなのだろうか。自由に発想し、行動する傾向にある市民運動にとって組織は重苦しいものであるかも知れない。しかし、労働運動の動員力と市民運動の自由な発想から生まれる時を置かない行動力が一体となれば、すごい力を発揮すると思うのだが・・・」(早川善樹「さらば名古屋労組連・P44」)という意見もあった。
 昨今の状況を見るとき、こうした関係性をもっと濃密引き上げる必要を感じてならない。
3)地域労働運動の“拠点” づくり
ナショナルセンターは、地方組織を持っていて、そこには専従者がいる。どのような仕事をして“働く人”
のために貢献しているかは知らない。けれども、「地域の拠点」を持つことは、働く者の“拠り所”となり、様々な相談を受け、争議の出撃拠点となるから、その存在価値は大きいといわねばならない。
 名古屋労組連の総括の中に、こんな陣容で「地域センター」があればいいなあということが示された。
①高い事務・財政能力を持ち、バランス感覚のいい専従者の存在
②女性活動家二名以上の加盟
③活動の地域拠点(ここでは名古屋労組連)と自覚できる労働者・労働組合の結集
④年代ごとの結集
  そして付加すれば、労働法、労働問題に詳しい弁護士、学者(大学の教員、研究者等)の助言・応援団の形成。さらに昨今では、ITを駆使できる人、情報コーディネーターの参加、といったところか。

3、全国と連なる、交わる、海外交流も
 職場での闘い、地域での闘い・運動のそれは、特有のものもあれば、全国で起きている事案と共通する部分も少なくない。とすれば、可能な限り、全国の団体、仲間と情報を交換し、経験交流を深め、相互支援・連帯を築いて行くことは重要なことではないか。
 さらに、「グローバル化の時代」「多国籍企業跋扈の時代」であれば、労働者の「国際連帯・共同行動」も遅れを取るわけにはいかない。また、国際労働機関(ILO)や、国連人権理事会(旧委員会)などの戦略的な活用も、その方面の関係者と連携しながら駆使したいものだ。

4、その他
 最後に、幾つかの教訓を示して締めくくりたい。
①昨今の「アベ政治」を例に挙げるまでもなく、労働運動は、賃上げ、長時間労働、過労死問題、ブラック企業・ブラックバイトなどだけが運動ではない。安保法、原発問題、沖縄問題、教育、福祉などにも労働組合が先頭に立たなくてどうする。労働運動と政治活動は一体のものだ。ただし、スローガンを並べて叫ぶだけでは状況は変えられない。「春闘(労働諸条件)」に加えて「秋闘(権利闘争)」の復活、各級の選挙への参画等「全面展開」へがんばりたいものだ。そしてそれらには、「生活感」をなくしてはならないだろう。
②労働法に依拠する労働者の「権利」あるいは、自主交渉で勝ちとった「権利・条件」は、「守る」だけでなく「行使・更新」し続けてこそ生きたものになる。立ち止まれば、放漫になれば、たちまち立ち枯れするであろうし、資本に反撃され奪還されてしまうだろう。
③労働運動は、組織型の運動であり、「統一」「団結」「集団行動」は、一定の戦略的意味がある。しかし、「軍隊」ではないから、「組織内民主主義」「一人は万人のために、万人は一人のために」さらに「横議横結」というべき横並びの関係も重視していかねばならない。
④「組織の一員」としての意識と行動が求められるが、同時に自立した「活動家」でありたい。その活動家が 
組織を作るのであって、運動を活性化させるのである。
⑤先述したように活動家は、3頭立ての馬車の御者だ。仕事・家事・活動のバランスをとりながら、その困難な道に鞭を当てねばならない。それが、持続的な活動のポイントだと思う。
⑥私たちは特定の専門職にあるわけではない。普通の生活者、勤労者である。そのうえで労働運動、政治活動に参加するわけだが、それらを「武道」とするなら、それの「対極」にあるといっていい「文化」を身に着け、「文武両道」をわきまえたいものだ。そのバランスは、ある意味では「持続力」になりうるというのが私の持論である。
⑦とはいっても、「生涯一活動家」は難しい。年月を刻み、老域に入ったとしても「活動家」は、状況に接し続け、判断を下し、行動の端緒に付き続けなければならない。
 それこそが“わが人生”と言い切れる、そうありたいものの、その道はあまりにも険しい。険しくとも夢、可能性を秘めた明日は必ずやってくる。 
 (続く)

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2017年3月 1日 (水)

3・1独立運動98周年集会

  日韓合意を問う 日本軍「慰安婦」問題解決のために
  韓国の、3・1独立運動98周年に当たる今日、「韓国併合100年」東海行動実行委員会主催の集会が開かれた。
  講師は、岐阜県生まれで、在日の民族運動に参加し、韓国の民主化運動や在日同胞の権利獲得運動等の活動に従事。1990年代に元日本軍「慰安婦」問題に取り組み、2009年、「日本軍『慰安婦』問題・関西ネットワーク」の結成に参加し、現在共同代表。2010年には「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」の立ち上げに参加し、現在事務局長。2015年に多田謡子反権力人権賞を受賞したという、方 清子(パン チョンジャ) さん。
 お話は、日本軍「慰安婦」問題で、「慰安婦」問題のそもそも、から始まり1990以降の日本政府の「立場・対応」の経緯を詳細に論じ、何がこの問題の解決の“壁”になっているのかなどを検証していった。そして、2015年12月28日の日韓「合意」の問題、例えば、肝心の「当事者不在」で進められ、日本政府が、事実確認することなく、謝罪することもなく、国連で不遜な発言をするなどして、10億円をもって「最終的な不可逆的解決」という欺瞞を指摘した。
  また「日韓合意」は、朴槿恵大統領の下での合意であり、当然被害者、韓国市民から「政府は、10億円で歴史を売った(金福童さん)」「天国のハルモニに面目ない。金で解決するなら受け取らない。最後まで闘う(李容洙さん)」など批判があったと紹介された。
  そしてこの問題の一つ「少女像問題」についは、与野党もマスコミも一般的な受け止め方について「少女像は、性奴隷被害者の歴史を刻み、平和と希望、連帯と問題解決を願って設置されたものです。少女像の問題と日本軍『慰安婦』問題の解決ということと混同してはなりません。」という指摘があり、日本政府の「公式謝罪と法的賠償」と共にここは注意を払うべきであろう。
  この「日本軍慰安婦問題」「少女像問題」ついては、アジア太平洋労働者連帯会議(APWSL)愛知の「ACTION REPORT」の2016年1月の第18号、20号、21号、22号(2017年2月)で取り上げた。今後も取り上げていく予定だ。

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ユニオン学校・私の場合(5)

様々な活動の中で得た、経験と教訓など(1)
 いよいよ最後の最後になります。
 様々な活動の中で得た経験と教訓など、とありますが、これは過去の経験、体験だけでなく、今日現在の心境も含めて書いてみました。全文を読んでいきたいと思います。(あと10分ですとの通告あり)
 前文は省きます。
1、労働運動の根拠は、労働現場にあり
 いわゆる「大衆運動」は、「政治闘争」という括りをしないとすれば、大雑把に「労働運動」「市民運動」「住民運動」に分類できるでしょうが、どの運動にも必ず「現場」があります。現場に立ち、現実を見て知ることで「運動」が見えてくると思います。逆に、現場を知らない、現場から離れてしまっては、過去の「経験則」を活かすことはできても、状況の変化に対応することは難しいのではないでしょうか。ただこれは、「活動家」について言えることであって、現場(第一線)から離れたとしても、「助言」「応援」は可能であることは言うまでもありません。
1)職場活動を重視、根拠とせよ
労働者と共に「生産現場(労働現場)」あって、「賃労働」に従事するという状況から、「労働運動」を掘り起こしていくとすれば、
①働くこと即ち“食べていく(くらし)”という大前提から「賃金問題」に精通することが欠かせない。
②労働者は“体が資本”という現実から「労働安全衛生法」に精通し、改善、告発の手法を身に着けたい。
③合理化、生産性向上、会社(企業)あっての労働組合、雇用だ、などの会社に「忠誠」を誓わせる「企業意識の注入」に対抗する、職場活動、宣伝活動、グループ活動が日常活動でもある。
④労働組合の組織、執行部の獲得等「多数派」なればよし、反主流となっても、あるいは少数のグループだったとしても、さらに「ひとり」となったとしても、闘い方がある事を学ぶ。その事例を紹介したいのですが省きます。
⑤労働法を学び、会得することに越したことはありませんが、むしろ「闘いから学ぶ」事で得られることが多い。そのためには、職場(企業内、労組内)だけにこだわらず、超えて広く交流をすることが欠かせないと思います。

2)裁判闘争について
 職場での闘い、特に解雇・配転問題、労災・職業病、格差・差別問題、パワハラ、セクハラなどは、既存の労働組合がまず取り上げるべきですが、多くの組合では、「労使協調路線」のもと「説得」されるか、「個人の問題は取り上げない」を公言するとんでもない組合さえあるのが現状。そこで労基署、労働局交渉などを駆使しながら、「提訴」に及ぶことは常套手段としてあります。ですが現行の裁判制度の下では「諸刃の刃」という面がないとは言えません。例えば、日本の裁判制度は「三審制」であり、上級審へ行くほど労働側の主張は通りにくくなる傾向があります。また法律は、大きくは民法、刑法に分かれますが、日本にはフランスのような「労働裁判所(労働審判所)」はありません。つまり、労働現場を知らない裁判官が判決を下すことになりかねないのです。
 とはいえ私たちは、提訴を手段の一つとしてとらえながら、闘いの武器として駆使することが多いのです。そこで、裁判闘争に当たっての心得を、(旧)中部読売で「不当配転」を闘った、高橋恒美さんの「裁判の意義、教訓について」を紹介しておきましょう。
①裁判と、それに伴う闘争一切は、闘う量と質に伴って成果が付いてくる。
②それは単純に「勝訴」という形ではなく、自分が闘いきれたという満足(肯定的な意味)と、敵を自分の土俵に引きずりだし、満天下に訴えの内容を知らしめ得たという意味からだ。
③裁判は孤立になりがち、裁判を闘う仲間の相互支援(傍聴など)がお互いの意気向上につながる。
④裁判は、堅いイメージが強い。発行物にはわかりやすい解説を。
⑤楽しく愉快に、裁判を小脇に抱えるぐらいの気持ちで臨む気構えが必要。
 どちらかといえば、精神的なあるいは「心得」といえるものです。これに私が付加するとすれば、
⑥訴状や準備書面などは弁護士が書きますが、その証拠(裏付け)となる文書、記録、証言などの確保・保存は、日常活動の重要な要素だと心得たい。訴状などの筋書は、本人の努力が大きいのではないか。弁護士は、それらに法律的裏付け、判例との比較をもって完成させ、弁論を展開する役割です。
⑦裁判の最終段階で、原告としての「本人尋問」が行われることが多いのですが、事案の詳細な経緯、本人の思いなどは証拠としては不可欠なものであり、十分な推敲・検証をもって、思いのたけを陳述したいものです。
⑧労働問題に精通している弁護士なら安心ですが、事案は多様であり、弁護士にとっても“こんな事案は初めてだ”ということがないとは言えません。となれば、弁護士は、原告などから“学ぶ”事さえあります。そうした関係性も大事な要素だと思います。それは、学者、評論家などとの関係についても同じことがいえると思います。 
(続く)

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