« ユニオン学校・私の場合(2) | トップページ | ユニオン学校・私の場合(4) »

2017年2月27日 (月)

ユニオン学校・私の場合(3)

 名古屋労組連運動の経過、始動
 まず、大雑把な「名古屋労組連」の10年を見ておきます。1987年の二重丸が「結成総会」1994年の二重丸が「解散総会」となっています。先に述べた「前史」もありますが、1983年に第1回「準備会」が開かれ、ここが実質的なスタートです。しかし結成まで実に3年半を費やしています。この間に「5月民衆ひろば」「チプコン」などもありましたが、結成までにいかに苦悩したかが伺えます。
  次に、闘いの支援活動、解雇撤回闘争、支援共闘などのところですが、ここには、直接、間接に関わった11の闘いが書いてあります。「名古屋労組連の運動」といった時、本来なら、これらの闘い一つ一つを紹介し、総括したものを書くべきですが、今日はそれが目的ではありませんので、省略します。ただここでの運動、闘いのほぼすべては、笹日労との共同、のものであり「二人三脚」での闘いだったことを強調しておきたいと思います。
 その他の活動はご覧の通りです。「学習活動」、対外団体との「交流」「定例の機関会議」「機関誌活動」など、ほぼ「組合活動」そのものを体現してきました。「名古屋労組連=地域労働運動」と自負した所以です。
 さていよいよ「名古屋労組連」の始動ですが、ここでは、先程申した通り「活動」そのものは省き、「名古屋労組連」とはどんな運動、組織だったのか、その外形と内実について述べたいと思います。

  まず
名古屋労組連の生い立ちから入ります。
  1987年2月22日の結成総会の時は、正式名称を「労働戦線の右翼的再編に反対し、闘う労働運動を強める全国労組・活動家連絡会議、名古屋地区協議会」と称して、その略称を「名古屋労組連」としていました。しかし、翌年の第2回総会で「名古屋労組連」が正式名称になりました。それは、全国労組連の支部組織のような位置から、自主的な地域組織へと脱皮するものであると同時に、全国労組連という領域の境界線を取り払う意味もあったと記憶します。少数組合であれ、活動家であれ、“党派系”であれ、地域結集していくには、「全国労組連」でくくらない方がいいと判断したのだと思います。もっと言えば、開かれた労働運動の「地域共同行動の基盤形成」への踏み出しのためであったかもしれません。

 それで結成総会についてですが、8ページの囲みの中にありますように、名古屋労組連を取り巻く、全国、地域の諸団体、名古屋労組連の構成団体、個人の名前が記されています。結成総会に駆け付けてくれて祝辞や激励、講演をして戴いた人、檄電、メッセージを寄せてくれた労組、団体、個人などが多士済々でした。そして名古屋労組連に加盟したのは当時の名前ですが、タカラブネ労組中部支部、愛知合同労組、中部読売・高橋不当配転撤回闘争を闘う仲間、三菱名古屋工場通信編集委員会、春日井の教育を問う会、柳本合同労組を支援する名古屋の会、青年労働者交流会、労働情報名古屋支局、愛教組・F、帝国臓器・K、車体メーカー・K、新聞労連・Aなどでした。

 こうして正式に「名古屋労組連」として踏み出しましたが、その時に掲げた
闘いのスローガンは、こんなものでした。
1、自由闊達な討論・運動を通して、自立と創造あふれる全労協を作ろう!働く者みんなが幸せになれる闘いをつくろう!
2、労働争議や公判闘争を支援!未組織労働者やしいたげられた人たちの力になろう!
3、職場や地域の闘いに学び合い、相手の立場を尊重して、大きく連帯しよう!
4、国労を断固支持!行革、教育改悪など国家改造計画に反対しよう!
5、反戦、反核。戦争への道を許さない!
6、あらゆる差別に反対!むやみな自然破壊を伴う開発に反対!原発反対!
7、働く者の国際連帯をめざそう!

運動目標の特徴
 この7つのスローガンは、幾つかの特徴をもっていたと思う。
第1に、当初から、連合にも全労連にも行けない、行かない労組・活動家と、市民運動との連携を視野に入れた「愛知全労協」の設立をめざしていたこと。狭間にあって、その狭間に可能性を求めていたことは、これでもわかります。
第2に、労働運動では定番の、組織拡大、労働諸条件の要求、支持政党を体現するような政治性は前面に出ていないことです。自らの力量と立ち位置を自覚し、運動の視点、力点が、既存の労働運動、労組活動とかなり違うことを意味しています。
第3に、名古屋労組連は、後に「労働運動と市民運動は表裏一体」というようになるのですが、それは「地域」を強く意識した運動を進めることであり、地域に存在する市民運動的課題に参加していくことでもありました。反戦、反
核、反差別、許すな自然破壊、原発反対がそれです。
第4に、運動の、そして活動家としてのあるべき“姿勢(倫理)”を求めていることも特徴でしょう。「自由闊達な討論・運動」「しいたげられた人たちの力になろう」「闘いに学び合い」「相手の立場を尊重」して、大きく連帯しよう!というように。
第5に、運動総体として、労働運動をその基盤としながらも、社会に向き合い、そこにあるすべての問題に対応できる、個人としての「資質」「能力」の向上を求めているということではなかったかと思います。

  9ページの名古屋労組連の「戦略」、ここではこれまでの前史、準備会で培い、また、参加団体、個人の経験を持ち寄り、議論して練り上げていきました。従って最初から目指したもの、走りながら、つまり闘いの中で得たもの、結果として得たものなどがあります。4項目が挙げてあります。
1)地域を見直し、地域に依拠する運動
ここでは、運動の展開に当たっては、私たちを取り巻く周囲の状況をまず知るべきだといっています。例えば「産業基盤」「労働情勢」「労働者の意識動向」「行政・自治体の現状」等々です。以下の3つは、「名古屋労組連」としての方向性の一部が出ていると思います。
①例会(地域協議会)又は、プロジェクトチームをつくって、当面は資料収集、各方面との情報交換、簡単な分析を試みてみる。
②とりわけ中小、零細企業の労働者やパート、アルバイトなど、未組織労働者の実態を明らかにする。
③既にこの観点から取り組み始めている「地域プログラム懇談会」の「提言」を期待し、その時点で検討会を設定する。

2)横議・横結-市民運動との新たな関係を!
 ここに「横議・横結(おうぎおうけつ)」という聞きなれない言葉が出ています。私がこの言葉を最初に聞いたのは、全国労働者交流集会の時、全国一般東京南部支部の当時の委員長渡辺 勉さんからです。
(「横議・横結」は、勝手に議論するという意味もありますが)労働組合にありがちな「上意下達」という「縦型の命令・伝達系統に対して、フラットな横並びの議論をもって運動を進める、労組幹部も一般組合員もないというのが私の解釈する『横議』です」。次に「『横結』は、横に結び合うという意味ですが、私が解釈したのは、地域における産業別、企業別、職業別などを超えた労働者の団結と闘いを言い、もう一つは、労働運動、市民運動という妙な分け方、隔たりをなくして、まさに横につながる」ということだったと思います。つまり、「地域」という大枠の中で、労働問題だけでなく、政治課題も社会問題も、男も女もなく共に闘おうというものだといえます。

3)労働戦線の統一、それは新たな分断、分裂をもたらす―受け皿としての対応を
ここは、1960年代後半頃が出て来ました「全民労協」が仕掛けた「労働戦線の右翼的再編統一」に対して、どう対処すべきかのさわりが書いてありますが、省略します。

4)仲間を知り、仲間を信頼する運営
ここは、以下の6項目です。
1)職場ニュース、新聞、ビラの相互交換。
2)職場での問題点が、全体性をもち得る内容の場合、積極的に提起し合う。
3)裁判闘争、職場団交には、ローテーションを組むなど、可能な限り参加をし合う。
4)解雇などの重大問題の発生の恐れがある場合、事前の準備も含めて、場合によって「対策委員会」を設置して取り組む。
5)会議では、積極的な討議参加を!疑問点、問題点には十分な議論を!
6)時間の約束は確実に、任務には最大の努力を、努力には拍手を!
  特に6項目目を私は大事にしました。昼間の労働など、みんなぎりぎりの生活をしています。約束した時間を守り、手際よく事案を進め、翌日の労働を考えれば、日進市のOさんがよく言っていましたが“運動で過労死したくない。会議は2時間、午後9時まで”は、核心を突いています。ただ現実はそうも言っておれなかったのは事実です。また、「決められた任務には最大の努力を、努力には拍手を!」も大事にしたいと思っていました。

 11ページにあります「もう一つの意見」の筆者はわかりませんが、「愛知における地域闘争-地域共闘の核心的問題」は省きますので読んでおいてください。ただ、この一文は私が書いたものではなく、12ページの中断下にある「ミニコメント」を読んでいただければわかります。2010年の時につけたコメントです。 
(続く)

|

« ユニオン学校・私の場合(2) | トップページ | ユニオン学校・私の場合(4) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ユニオン学校・私の場合(3):

« ユニオン学校・私の場合(2) | トップページ | ユニオン学校・私の場合(4) »