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2017年1月27日 (金)

坂喜代子さんを見送る

 改めてその業績を推し量る
 葬儀から帰って思い返してみたのだが、私は彼女のことをそれ程多く知っていたわけではないと気づかされた。
 喪主からの「お礼の言葉(栞)」には、こんな風に書かれていた。「妻はパート社員として銀行で約30年勤めました。体調を崩して働けなくなり、異例の労災認定を勝ち取った体験が、全国の仲間と連帯して、均等待遇や女性の地位向上をめざす、先駆的な活動の原点です。」ここまでの活動については断片的に聞かされていただけでほとんど知らなかったといっていい。“30年近く働いてきて、賃上げ(時給)は、コーヒー一杯分程度なのよ”“一緒に頑張ろうと同僚に声を何度もかけたけど、ほとんどの女性は泣き寝入りしていったわ”と悔しそうに語っていた。また地域のユニオンに加入して活動していたことは、「全トヨタ労働組合(ATU)を支援する市民の会」の結成の時に出会うまで知らなかったのである。
 それからは「関心は、政治や地域再生にも広がり、活動を評価していただき、平成21年の衆院選に立候補した経験は、妻の人生において、さらに多くのことを学ばせていただく機会となりました。」ということで、衆院選で社民党から比例東海に立候補した時は、党の推薦を受けるための「抱負」の文書作りに協力し、名古屋を中心にした街宣活動のコース表づくりと初歩的な演説の“手ほどき”ということでお手伝いをした。
 APWSL日本委員会については、2006年にアメリカ・デトロイトで開かれた「レーバーノーツ」の大会に参加することなどで関東の人との交流をいっそう深めたようだ。それもあってAPWSL愛知の結成にあたって代表を引き受けて戴いた。その時“レーバーノーツで知り合った人を日本に呼びたいし、若い人を援助して是非、レーバーノーツの大会に参加させたい、その時は協力してね”“アジアからもぜひ呼びたいし、来てほしい。宿泊してもらって、日本の文化、暮らしを知ってもらうことが労働者の国際連帯になるし、平和にとって大事ことだと思うわ”などと語っていた。APWSL愛知の冊子「ACTION REPORT」の表紙に掲げる「アジア民衆のくらし・文化の交流を!」は、ここから生み出されたスローガンである。
 そうした気安さと、おいしい彼女の手料理もあって、様々な団体、個人が彼女宅を訪れていたと聞く。
 さらに「農業の活性化も、妻が農業委員となって力を入れた活動の一つです。その在り方を模索し、新たな展望を開くことができました」については昨日書いた。
 このようにして、いつも真正面からぶつかり、大相撲で言えば、右に左に飛んで体をかわしたりする変化はしない、“猫だまし”みたいな奇手は使わないのであった。
 私の知らない彼女の足跡、業績、示唆は、これからまだまだ多くの人が語り継ぐであろうが、彼女の描いた「近未来」の構想を聞くことができないのはかえすがえすも残念至極といわねばならない。
 昨夜のお通夜には250人ほど、今日の告別式には100人ほどが参列、ご焼香したと聞く。地域の運動仲間の参加と供花、弔電、北は北海道(北海道ウィメンズユニオン)、南は九州(大分ふれあいユニオン)まで、供花とたくさんの弔電が紹介された。
 安らかに眠る彼女の足元と胸あたりに花を手向けて別れを告げた。

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