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2017年1月31日 (火)

自民党の憲法改正草案を斬る!(3)

 終わりに-「個人の尊厳」はない自民党案
 自民党の「憲法改正草案」の13条では「すべて国民は、人として尊重される」とあり、現憲法13条の「個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉」で「人」ではなく「個人」となっている。「人」と「個人」とどう違うのか。「人」という一般的な対象ではなく「個人の尊重」となれば、一人一人の権利、個性、主張に配慮し尊重されなければならない。憶測で言えば、「徴兵制」が出てきたとき、個人が尊重され、尊厳が保たれるとしたら、「徴兵忌避」は当然の権利となるであろう。そんな事態を想定しての「人」ではなかろうか。
 第3章 国民の権利及び義務の12条で自民党案では「・・・自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」とある。現憲法では「権利は・・・乱用してはならない」とあるが自民党案では「責任及び義務が伴うこと」となり「常に」が織り込まれた。個人と権力の位置づけが逆転されていることが分かる。
 こうしたいくつかの条項を比較検討していくと、自民党の改正草案は、「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」の放棄こそ、改憲草案の本質であることが分かった。
 自民党の改正草案は、9条の「戦争の放棄」から「安全保障」という観点に重点が置かれ、それが「集団的自衛権の行使容認、海外での武力行使が可能」となることで、安部政治の狙い、本質、危険性が明らかではないか。
 断片的であれ、安部首相や閣僚の発言、官僚や自衛隊幹部の発言、自民党、維新の会と議員、財界の発言から彼らの本音、狙いがこぼれ落ちることがあるかもしれない。海外の視線、論評にも目を配り、マスコミが報じないことにも注意を向けながら、自民党の「日本国憲法改正草案」が、「葬られた過去の遺物」となるよう、広く持続的な運動を続けて行かねばならない。 了

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2017年1月30日 (月)

自民党の憲法改正草案を斬る!(2)

 権力者に都合の良い規定
 この項で飯島さんは、自民党の改正草案は「権力者の迅速な権力行使・抵抗阻止に都合の良い規定」となっていると指摘している。その対象は「政党」「裁判官」「政令」の3点について指摘した。
 まず「政党」のところでは、ドイツ連邦共和国基本法21条を例示して、自民党案を検討した。ここはちょっと難しく感じたので私見だけを書くと、「自民案第64条の2の第1項」にある「国は、政党が議会制民主主義に不可欠の存在であることに鑑み、その活動の公正の確保及びその健全な発展に努めなければならない」「・・・政党に関する事項は、法律で定める(同第3項)」は、昨今の状況を見るときそもそも「政党政治」が本当に不可欠なのかという疑問はさておき、適切な「法規制」が可能か、必要か?「政党乱立の弊」をもって少数政党が排除ないしは不利な状況におかれはしないか、は杞憂であろうか。
 ところで飯島さんは、ここで「トリーペルによる憲法の位置づけの歴史的変遷」なるものを付加して語った。この「トリーペルの原則」は、その国家が政党をどのように扱っているかの分類で、この分類によりその国の民主制の程度が分かると考えられているそうだ。例えば、民主制の程度が低いものから、以下の四つに分類される「①敵視 ②無視 ③法律的承認 ④憲法への編入」とあり、現在の日本では③法律的承認の段階にあるという。ドイツは④の段階にあるとされ、④の段階になっては「キケン」だと、飯島さんは述べた。
 次に「裁判官」についてであるが、この件については、「自民党改正草案」を語る以前の問題として、現在の裁判制度、裁判官の質、三権分立の実態からして「信」が置けない、という状況があるのではないか。裁判官を内閣が任命すること自体不思議でならない。他に選ぶ適切な方法がないからか。最高裁裁判官の「国民審査」も形骸化していないか。それにしても中学で習った「三権分立」の原則が揺らいでいると思われてならない。
 次に「政令」についてであるが、法律ではない「政令」には、法律の委任がある場合を除いて罰則規定がないのが現憲法だ。自民党案では「罰則」に代わるものとして「義務を課し、又は権利を制限する規定」とする案とのことだった。そして自民党案の99条1項では、「内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」とあり、「緊急事態の際の政令に罰則を設けることが可能な規定」と飯島さんは断じた。隠された「独裁条項」の一つとみていいのだろうか。
 (続く)

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2017年1月28日 (土)

自民党の憲法改正草案を斬る!(1)

 自民案には、「目くらまし」が含まれている
 第8回リベラル政治懇話会は、飯島滋明 さん (名古屋学院大学教授)の「自民党の憲法草案を斬る」PARTⅢであり、これまでの「基本原理/家族条項など」、「第九条/軍法会議/教育など)」以外の項目が取り上げられた。
 大きな項目としては、(自民党の改正草案では)A「目くらまし」としての改憲項目と、B「権力者の迅速な権力行使・抵抗阻止に都合の良い規定」そしてC「終わりに」で締めくくられた。
 まずAでは、国民に受け入れやすいと思われる「項目」を改憲の「目くらまし」として国民に提示している。公明党の「環境権」もその一つ。元々法律で対応可能なものだ。しかも自民案では「市民に環境権がある」とは明記されていない。
  他に、犯罪被害者等への配慮、個人情報の不当取得の禁止等、国政上の行為に関する説明義務、などが改憲項目として取り上げられているが、いずれも憲法を改正しなくても法律で対応可能なものばかり。それをあえて憲法に盛り込むには、“隠された意図”がある。飯島さんからは、その点が解説された。
 なお、上記の中で「公教育への公金支出」についても触れられたが、それに関連して、89条「公の財産の支出又は利用の制限」の改正をもって私学助成は合憲とする一方「靖国神社」「護国神社」への公金支出を可能にする狙いがある、との指摘もなされた。
 やや本論から外れるが、「靖国神社」の話から、「稲田防衛相の靖国参拝」が一つの契機となって、「釜山の総領事館前の慰安婦像設置」問題で、英国のガーデアン紙の記事が紹介された。その中でガーデアン紙は「靖国神社」を「戦争犯罪神社(War Crimes Shrine)」と表現しているとのことだった。外国の目はそれほどに厳しい目なのである。
 さらに、選挙区の区割り、特に「合区-選挙の平等、地域性」と司法の「違憲、違憲状態」判決、それらの問題は難しい面もあるが、自民案では「区割りを、人口を基本とし行政区画、地勢等を総合的に勘案して・・・」とあり、現憲法のいう「両議院は、全国民を代表する選挙された議員で組織する」と異なり、「地域」の利益代表に貶めてしまうことになりかねない。
 最後に「財政規律条項」についてであるが、自民案の「財政の健全化は、法律の定めるところにより・・・」とあり、健全化を理由に、福祉・医療・介護・教育などの国家予算の削減、増税の根拠とされる可能性があると指摘された。
 以下、B、Cについては続く。

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2017年1月27日 (金)

坂喜代子さんを見送る

 改めてその業績を推し量る
 葬儀から帰って思い返してみたのだが、私は彼女のことをそれ程多く知っていたわけではないと気づかされた。
 喪主からの「お礼の言葉(栞)」には、こんな風に書かれていた。「妻はパート社員として銀行で約30年勤めました。体調を崩して働けなくなり、異例の労災認定を勝ち取った体験が、全国の仲間と連帯して、均等待遇や女性の地位向上をめざす、先駆的な活動の原点です。」ここまでの活動については断片的に聞かされていただけでほとんど知らなかったといっていい。“30年近く働いてきて、賃上げ(時給)は、コーヒー一杯分程度なのよ”“一緒に頑張ろうと同僚に声を何度もかけたけど、ほとんどの女性は泣き寝入りしていったわ”と悔しそうに語っていた。また地域のユニオンに加入して活動していたことは、「全トヨタ労働組合(ATU)を支援する市民の会」の結成の時に出会うまで知らなかったのである。
 それからは「関心は、政治や地域再生にも広がり、活動を評価していただき、平成21年の衆院選に立候補した経験は、妻の人生において、さらに多くのことを学ばせていただく機会となりました。」ということで、衆院選で社民党から比例東海に立候補した時は、党の推薦を受けるための「抱負」の文書作りに協力し、名古屋を中心にした街宣活動のコース表づくりと初歩的な演説の“手ほどき”ということでお手伝いをした。
 APWSL日本委員会については、2006年にアメリカ・デトロイトで開かれた「レーバーノーツ」の大会に参加することなどで関東の人との交流をいっそう深めたようだ。それもあってAPWSL愛知の結成にあたって代表を引き受けて戴いた。その時“レーバーノーツで知り合った人を日本に呼びたいし、若い人を援助して是非、レーバーノーツの大会に参加させたい、その時は協力してね”“アジアからもぜひ呼びたいし、来てほしい。宿泊してもらって、日本の文化、暮らしを知ってもらうことが労働者の国際連帯になるし、平和にとって大事ことだと思うわ”などと語っていた。APWSL愛知の冊子「ACTION REPORT」の表紙に掲げる「アジア民衆のくらし・文化の交流を!」は、ここから生み出されたスローガンである。
 そうした気安さと、おいしい彼女の手料理もあって、様々な団体、個人が彼女宅を訪れていたと聞く。
 さらに「農業の活性化も、妻が農業委員となって力を入れた活動の一つです。その在り方を模索し、新たな展望を開くことができました」については昨日書いた。
 このようにして、いつも真正面からぶつかり、大相撲で言えば、右に左に飛んで体をかわしたりする変化はしない、“猫だまし”みたいな奇手は使わないのであった。
 私の知らない彼女の足跡、業績、示唆は、これからまだまだ多くの人が語り継ぐであろうが、彼女の描いた「近未来」の構想を聞くことができないのはかえすがえすも残念至極といわねばならない。
 昨夜のお通夜には250人ほど、今日の告別式には100人ほどが参列、ご焼香したと聞く。地域の運動仲間の参加と供花、弔電、北は北海道(北海道ウィメンズユニオン)、南は九州(大分ふれあいユニオン)まで、供花とたくさんの弔電が紹介された。
 安らかに眠る彼女の足元と胸あたりに花を手向けて別れを告げた。

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2017年1月26日 (木)

“同志”を失う

坂喜代子さんが死去された
 昨夕、自民党の「日本国憲法改正草案」を批判する集会(学習会)の場で、坂喜代子さんの死去を社民党の関係者から知らされた。
 時折のメール交換で病状などはある程度知ってはいたが、昨秋の時点で「1年」と聞かされ、春になって温かくなったら訪ねてみようと思っていた矢先だった。
 坂さんは、鹿児島県出身で愛知県東海市在住。農家の主婦であるとともに名古屋銀行でパート職員として、オペレーターの仕事に従事してきた。そんな中、銀行のために働いて身体をこわしてしまったパートを切り捨てようとする銀行とそれを許す社会のあり方に疑問を持ち、均等待遇を求める活動を始めた。
 彼女が名古屋銀行でパート労働者の正社員化に向けた闘いの経過を詳しく追った、それに関する本が最近、出版された。私は、未完であったがそのゲラを戴いた。
 その一文が入った本は、~女性活躍「不可能」社会ニッポン 原点は「丸子警報器主婦パート事件」に あった! 渋谷 龍一 (著) 旬報社1620円~に収められたとのこと。非正規の正規化が重要な課題になっている今、先駆的に闘われた坂喜代子さんの闘いは注目され、彼女こそ今、闘う非正規労働者と共に、指導し切り開いていくべきその人であったと思うのだ。
 そうした精力的な活動は地域の「女性ユニオン名古屋」の活動などだけでなく全国にまで及び、その活動や人柄が知られるところとなり、2009年8月の総選挙で、社民党から比例 東海ブロックから立候補した。
 また、APWSL(アジア太平洋労働者連帯会議)日本の一員として、2006年にアメリカの「レーバーノーツ」の大会にも参加し“大いに見聞を広げることができた”と語っていた。APWSL日本委員会の解散後に「APWSL愛知」の結成に参加し、今日までその代表を務めてきた。(私は事務局長)
 最近では、名古屋銀行を退職してから「非正規」の活動と共に専業農家の柱として田畑の農作業から販売まで力を入れ、新しい農業の在り方を模索中であった。また家族での「体験農業」や外国人受け入れなども行っていた。さらに“男社会”という古い体質のままの「農業委員会」の委員に立候補して当選し、「農業委員」としても展望を切り開く端緒についたばかりであった。
 “無農薬などのお米、野菜、果物、漬物などを並べた『道の駅』を作りたいわ”という構想を嬉しそうに語っていたことが思いだされる。ほんとうに惜しい人をなくした。
 今となっては、ご冥福を祈るばかりだ。 合掌。

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2017年1月25日 (水)

「定年延長問題」を考えた

 「憲法問題」の講演会を前に
 リベラル政治懇話会の第8回は、飯島滋明 さん (名古屋学院大学教授、戦争させない1000人委員会事務局次長)を迎えて、「自民党の憲法草案を斬る」PARTⅢであり、今日の午後6時30分から国鉄会館で開かれる。
 これまでのPART1 (基本原理/家族条項など)、PART2 (第九条/軍法会議/教育など) 以外の項目が取り上げられる予定である。
 その報告は明日にでも、と思っているが、わが年齢になると「憲法問題」の一つであるが、人並に年金や医療、介護といった社会保障の問題に関心が強くなる。憲法で言えば第25条「生存権、国の社会的使命」に該当するが、わが周辺の運動では、「ホームレス支援」の関係以外ではあまり語られない。
 これらのうち最近では、「年金問題」が話題になることが多い。それも国家財政の関係から年金の支給額に絞られがちで、そこから「定年延長」の話まで広がる。
 一般的には「年金=老人」ということになるが、いったい何歳から「老人」といえるのか、規定されているのか。戦国の世の生涯は「50歳」といわれ、社会が安定期に入った江戸時代では、概ね「40歳」で「家督」を譲って「隠居」となり、死ぬまでが「余生」であったのであろう。平均寿命は55歳から60歳あたりであったろうか。
 私が就職した1960年代の会社の定年制度では「55歳定年」(誕生日定年と55歳になった年度末、従って55歳+α)であった。それから何年か経って「60歳定年延長」問題が浮上した。記憶は定かではないので推測するのだが、多分労働力を必要とした「高度経済成長期」と、今でいう「健康寿命」が延びたことが背景にあったのではないだろうか。
 その時私は、まだ若かったせいか年金の問題はあまり意識しないまま、「定年延長」に賛成し延長による「賃金カット、ダウン」を問題にしていたと思う。ところが「造船部門」の労働者からは、「定年延長反対!」を聞かされ驚いた。理由は簡単で、造船の現場の仕事はきつい。60歳まで働けない、いや働けたとしても体はボロボロになるだろう。一生懸命働いて折角“定年後”を楽しみにと思っていたのに、60歳まで“働かされてはかなわん!というものだった。”
 当時もそして1990年代半ば辺りまでだろうか、年金制度、失業保険(雇用保険)も手厚いものがあって、わが五つくらい上の先輩たちは60歳で定年を迎え、割といい条件で「年金生活」に入っていったと思う。
 それがこんにちの「年金制度問題」の一つに取り上げられているのではないかと思うが、定年延長も、厚生年金保険の労使の「支払い比率」の問題も、そして年金制度改革(改悪)も、多くは資本(企業)の側から出ているものと私は見ている。つまり憲法25条は「①すべての国民は、健康的で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」「②国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とあるから、この観点からすべてが出発しなければならない。企業の都合や単に国家財政からの政策は許されない、と思うのである。ちなみに、日本老年学会と日本老年医学会の提言により、定年が法的に「75歳」に引き上げられる可能性が出始めたという。これだと中卒で60年、高卒で57年、大卒でも53年間も働き続けねばならない。“定年まで働いて、年金保険を支払い、定年後は出来るだけ早く死んでくれ”と言わんばかりである。
 確かに健康で技術(わざ)を持ち、頭脳的な分野では可能かもしれないが、それはむしろ例外とすべきで、一般的にはむやみに「定年延長」すべきではない、と私は考える。
 昨今の「ブラック企業」「ブラックバイト」という言葉に表される、労働現場の過酷さ-長時間労働・変則的勤務体制、過重・過酷な労働の質、成果主義、単身赴任などを考えると息子たちの世代のために、今以上の状況の悪化は防がなくてはならない、そう思うのである。今日の「憲法」講演会を機に、憲法を読み返しながら。

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2017年1月23日 (月)

散歩中に考えること

 寒さの中に春を思い起こし
 今朝、可燃ゴミを出したついでに、そのまま散歩に出た。10時少し前であったろうか。近くの新海池公園を散策するも、さすがに寒さを禁じえなかった。遊歩道が池の南西に位置するので、北風が池面をかすめるようにわたってくるので、さらに気温が低くなるのだろうと思った。
 この時間帯に散歩しているのは、私を含めてほぼ高齢者ばかりである。私が歩くのはどちらかといえば散策といえるものだが、すれ違う人の多くは、腕の振りから“ウォーキング”と見た。“もう少し歩き方を学んだ方が効果的”と思えるほど、腕に力入っている。一般的には、まっすぐに伸ばした腕が前後45度になるようにし、足は踵から踏みしめ、つま先で蹴る感じでと会得しているのだが・・・。
 高台に上がって、北北東方面を見れば、名古屋駅のツインタワーとミッドランドスクエアが見えるのだが、手前の林の木が伸びるにしたがって、視界に捉えるビルはだんだん少なってきているようだ。それともこちらの身長が縮こまってきていることもあるかもしれぬが。
 と、あれこれ考えながら、“・・・当面の仕事は?その優先順位は?今日の予定は・・・”と思いめぐらし、どこかで“当面、衆院の解散総選挙はなさそうだ”と安堵する私があった。実際、ここ1週間か10日以内に解散となると、対処できない可能性がある。当人ではないし、ブレーンでも後援会関係者でもないから、個人的にバタバタしても仕方がないのであるが、「安倍打倒」という大きな政治目標がある限り、立場の違いは関係がない。
 また「トランプ現象」について、素人なりに影響を考えてはみるがどうもちぐはぐになってしまう。「アメリカ第一主義」となると、日本の経済はどんな影響を受けるのか、また両説あるようだが外交では「反中」のようであり、それは東アジアにとってどんな影響が想定されるのか。沖縄の米軍基地問題はどうなるのか。
 仮にトランプの政策の効果が表れると、それが「安倍支持」に転移するのではないか、そんな風にも考えてしまう。それはご免被りたいと思えば、一方でトランプ政治の行き詰まり、停滞が世界の政治などの情勢に不安定をもたらすのではないかという危惧も生まれる。
 「大寒」が過ぎ、節分そして立春となれば、春になるのもそんなに遠くではないと、身震いしながら思ってはみるが、政治、社会そしてわが身の“春”といえるものはいつ来るのだろう。そんなとりとめのない思惟が散歩の特徴の一つであろうか。
 

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2017年1月21日 (土)

第38回ユニオン学校

「過労死」と「労働災害」をなくすために
 2017年になって初めての行動(外出)となる第38回ユニオン学校に参加した。
  テーマは、「過労死」と「労働災害」をなくすために-労働運動の先輩たちに学ぶで、元名古屋水道労組(名水労)のYさんが1時間ほど報告をされ、その後質疑が交わされた。
 労働現場では、労働災害、職業病、過労やパワハラでの「自死」など、労働者の身の安全が脅かされる要素があるが、安全衛生管理で未然に防ぐことと、発生した場合の緊急処置体制をとっておくこと、事故、災害に遭遇してしまった場合の心身障害への補償、生活補償、亡くなった場合の遺族補償を必ず行わせせること、そして何より原因の究明と責任の所在を明らかにして、しっかり歯止めをかけて繰り返さないことである。
 そうした対応、役割は、労働組合の大きな仕事なのであるが、NTTの高橋まつりさんの自死に見られるように、“一体労働組合は何をしていたのか”“現場の状況を把握する努力を怠っていたのではないか”と言わざるを得ない。
 私の知る「全電通労組」ならきっと、もう少しましな対応をしていたであろうが、「NTT労組」となってからはすっかり骨抜きにされてしまったのか。知人のかつての全電通労組役員に一度聞いてみたいものだ。
 さて今日のユニオン学校は、1960年代から約半世紀、名水労の「労働災害」の闘い、とりわけ1970年代からの「下水道工事」での下請け労働者の死亡事故多発に向き合った組合役員の庄司さんの足跡、実績、その姿勢などが紹介された。
 「労働運動の先輩たちに学ぶ」としても現在では、職場での分断・差別、管理・監視など企業の態度は巧妙かつ高圧的であり、企業の大小にかかわらず、「労基法あってなきもの」というのは珍しくない。ただ、「賃金闘争」と決定的に違うことは、「命」にかかわること、「法規制・諸制度」の活用の余地があることだ。そうした観点から「職場での闘い」に、ある程度“勇気”を与えてくれた今日の講演ではなかったか。
 次回は2月25日で、私が指名を受けている。テーマは「少数派労働運動の闘い~名古屋労組連の活動を振り返って」であるが、今日の話と重なる部分もあった。「少数派組合」あるいは「活動家」にとって、「労災職業病闘争」は、有力な活動戦略の一つであるからだ。

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2017年1月19日 (木)

オバマ大統領の8年間が終わる

 ミシェル・オバマの評価は高いが・・・
 オバマ大統領8年間の政権が19日をもって終える。報道では、オバマ政権8年の評価は分かれるという。理想が現実に近づけなかったのか、現実が理想を薄れさせてしまったのか。
 評価は分かれるとしても、トランプの登場によって、評価の比較対象がオバマ政権そのものから、「オバマ政権Vsトランプ政権」に代わっていくだろう。そして、オバマが目指した変革は中途だったとしても、いつの日か見直される時が来るという、期待というか予想は、トランプの言動(現時点)から決して空論ではなさそうだ。
 もう10年も前になろうか、「老兵たちのフォーラム(後に水曜フォーラムに改名)」の初回の時だったと思うが、それぞれが内外の情勢、関心事を語った時、この会の提唱者の一人Mさんが、「私が生きているうちに、アメリカ大統領に黒人大統領、そして女性大統領が実現するかどうかに関心がある」と語っていた。それは単に、黒人、女性ということだけを言っているのではなく、アメリカでの「民主主義の熟度」のバロメーターとしての象徴を述べたと思う。
 バラク・オバマの遺産も少なくないが、夫人のミシェル・オバマの「子どもの健康・権利促進」も大きいという評価が伝えられている。
 その項目だけを列挙すると、
1. 子どもの肥満の「まん延」に注目・・・この問題への関心を大幅に高め、対策に向けた多数の重要な取り組みを軌
道に乗せた。
2. 健康的な食品の入手を容易に・・・企業の協力を得て、野菜や果物など健康的な食品の値下げを実現。
3. 食品表示基準を改正・・・栄養成分表に「砂糖入り」であることを明記し、米飲料業協会と協力して、カロリー表
示の義務化を実現した。
4. 学校給食プログラムを改定・・・より健康的な給食を提供。低所得世帯の子どもには、給食費を一部免除する制度
も導入されている。
5. 運動を呼びかけ・・・環境の改善を目的とした「レッツ・ムーブ」などの取り組みを開始。
6. 退役軍人らを支援・・・兵士や退役軍人とその家族の支援を行う「ジョイニング・フォーシズ」を立ち上げた。
7. 不当な批判への対応で模範に・・・夫妻はいずれもこうした問題から逃げることなく、冷静に対応してきた。
8. 少女・女性の健康と教育、権利を擁護・・・女子教育支援のための「レット・ガールズ・ラーン(Let Girls Learn)」
が現在も活動を続けている
9. 権利と機会の平等を促進・・・オバマ夫妻の存在が、そして夫妻が任命してきた職員たちに見られる多様性が、リ
ーダーシップとは人の外見ではなく内面に関わるものだということへの理解につながった
10. 醜聞ゼロ・・・多くの記者たちが、大きなスキャンダルなく任期を満了する大統領夫妻は1970年代以降、初め
てだと指摘
 こうしたミシェル・オバマの功績を讃える声は大きく、一部には4年後の大統領選挙で、有力な候補者になりうるだろうと伝えている。
 海の向こうの話ではあるが、そういった話題が出てくるだけでも、「アメリカ」という国の、「良き一面」を垣間見る思いである。

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2017年1月17日 (火)

男の気持ち・生き方(143)

 阪神・淡路大震災から22年を思う
  今日があの「阪神・淡路大震災」の日だったと気が付いたのは、午後の軽い昼食の時のテレビからだった。
 ここ最近、私事で忙殺されていたというのは、決して大げさではないが、それにしてもたかだか22年にしてもう忘れがちなのか、と苦笑せざるを得ない。
 先月、資料整理の中で出てきた震災当時の週刊誌に、しばし見入っていたことはいたのだが、その時“ああ、もうすぐあれから22年になるんだなあ”くらいは思い至っていれば、当日の朝方には、“あの時は入院していたっけ”と思い起こしたに違いない。
 大きな揺れで目を覚まし、すぐさまテレビをつけて関西地方での大地震を知って、そのままほぼ1日、テレビに釘付けになっていた。画面が変わるたびに、火災が広がっていく様子が印象に残っている。高速道路の倒壊や、阪急の脱線、ビルの横倒しなどの映像はかなり時間が経ってからだった。
 多分翌日の午後だったと思うが、「神戸市長田区」に住んでいる高校の同級生に電話をして、無事を確かめたのも忘れがたい。自身が被災者だったら、決して忘れる事はなく、忘れたくても忘れられないだろう。
 このことは、戦争体験者にも言えることで、決して“忘れろと言われても、忘れることはできない”であろう。そして“戦争を知らない子供たち”として大人になり、こうして老域に達した私は、「体験」としてではなく、「学習」として、戦争の絶望的な悲惨さや、非人道性、犯罪性などを会得してきた。それがあって、一応、「沖縄戦終結の日・慰霊の日(6月23日)」、8・6広島、8・9長崎の原爆の日・被爆の日、8・15、やや忘れがちではあるが通常は、ポツダム宣言による降伏文書に調印した9月2日が「終戦の日」などはおおむね頭の隅にでも常在している。
 翻って、市民運動であれ、労働運動であれ、社会運動・政治運動であれ、時宜に合わせた運動を繰り返しても、人々の間にどれだけ記憶されるだろうか、と思わずにはいられない。だから“徒労”だというのではない。より印象的な、より共感の強い運動の展開と、繰り返す持続力が必要なのだと思うのである。
 そう思っても、それが容易くできるものではないから、“忸怩たる思い”が積み重なることは確かだ。それを乗り越えるというか耐えるというか、逆にチャレンジすることの生きがいみたいなものをいかに手にするか・・・。
 とまあ、あれこれ思いを巡らして、あれから22年が通り過ぎていく。

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2017年1月15日 (日)

2017年の構想?夢想?

 「第3の社会(制度)論」の蒸し返しか。
 昨日の午前、次期衆院選を見据えた市民の「市民と野党をつなぐ会@愛知3区」の結成総会が開かれた。呼びかけ文の原案を手掛けた私ではあったが、家事都合で参加できなかった。厳寒の中、50人近い参加があったと聞くから、うまく立ち上がったのではなかろうか。内容についてその概要は知らされていたが、私の関心はどんな「組織方針」が示されたであろうかの一点。例えば、愛知3区は、名古屋市の昭和区、天白区、緑区がそのエリアであるが、愛知県全体、小選挙区毎(愛知は15)、行政区毎、といったように、ある程度組織図を描くことができる。選挙運動そのものも、相互に連携・連絡を取りながら、実際は各行政区ないしは隣接地と共同で取り組むことになろうと思う。そうした時の連絡体制、議論の場づくりが重要だと思うからだ。
 もっとも、選挙運動も旧態依然の域を出ない私たちの世代と、20代、30代の世代とでは、かなり感覚的隔たりがあるように思える。ポスター貼り、選挙はがき、電話作戦、屋内集会、街頭演説、戸別訪問という取り組み、やり方から、インターネットを使った、少人数の“ティーパーティ”など、あれこれ命令されない自主的な、とにかく楽しくやろうがといったことが強調される、そんな違いがあるといっていいかな。
 さて解散総選挙が、早期(1月解散、2月選挙)にあるだろうか。私はないとみているから、近々の総選挙を想定してなにがしかの準備はしてはいない。ずっと以前に資本主義ではない、社会主義ともちょっと違う「第3の社会(制度)論」というのはないだろうか、と模索していたが、それを最近では「立憲・平和主義、リベラル政治+緑の思想」を理論化、体系化できればいいなあと、漠然と考えたりしている。だから、選挙のことはちょっとわきにおいといて、この課題を追求してみようという気持ちが強い。「理論化、体系化」など出来はしないから、まず現今の状況に沿った「政策の柱」を打ち出してみるというのはどうかな。
 例えば、安全保障政策についていえば、いきなり「自衛隊解体」は難しかろうが、「緑の思想」的に言えば「軍隊を持たない国コスタリカ」が目標になろう。だがその前に日米安保条約が立ちはだかる。日米安保を破棄(通告すれば1年後に解消)しなければ、自衛隊の解体は難しかろう。では日米安保を破棄しないで軍事力を縮小していくというオプションは考えられるだろうか。
 自民党の「日本国憲法改正草案」にある「国軍化」は否定する。海上保安庁をベースにしながら、自衛隊と一体化しつつ、20~30年かけて段階的に、軍備を50%くらいまで縮小し、領空と沿岸警備の機能を強化していくというのが第1段階。この間、外務省を強化して、「外交力」を高める政策を打ちだす・・・。
 ・・・にしても、このレベルでは「社会論」にはならない。やっぱり難しく、手に負えないことは確かだが、まずは向き合ってみるという姿勢を持つことだけでも、年初の構想としては、悪くはないだろうと思った。

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2017年1月12日 (木)

蔵書の処分に困惑 

  古書店も引き取らず
  自ら名付けた「第2次終活」の柱である蔵書の処分を始めて、“これなら、古書店の店頭に並ぶだろう”と選別して、約200冊を用意して業者を呼んだ。
  結論から言うと、どれ一つ引き取れるものはない、ということだった。唯一全35巻揃いで、保存状態もいい「世界の大思想」(河出書房新社)だけを手にしてくれたが、結局無償でも引き取れない、ということだった。
  そして、古書業界、図書館の現状を聞けば、インターネットの普及、パソコンの時代となって「紙」ものは、「骨董品」を除いて値はつかないそうだ。図書館も、一般に出回っているものは保有していて、引き取ればそれだけ手間暇がかかるということで、「新刊本(バーコード付き)」以外は難しいということだった。
  私が「お宝」にしている「手塚治虫」の漫画についても、この時代の世代が高齢化して、若い世代には“手塚治虫って、誰?”という状況だというのである。一時期(多分、手塚が亡くなった前後)値も高く付いたが、今はどんどん値下がりしているそうだ。
  がっかりすることばかりであったが、改めて考えてみると、確かに本の需要は減っているだろうし、経営的な商品価値はないかもしれない。要は「需要と供給」の問題であるから、趣味であれ、参考資料であれ、極めて限られた領域でも、手放してもいい人と、捜し求めている人の“出会い”が見つかればいいわけだ。“売り込み先”を古書店ではなく、知人、友人、仲間たちに向けたらどうだろうか、と考えられないこともない。以前に月刊文芸春秋の、芥川賞掲載誌を欲しいといって持って行ってくれた人がいたが、そういうことなのだ。そうするにはまず「目録」作りから始めねばならない。手間暇がかかりそうだ。
  とはいえ、いつまでも保管しているわけには行かないので、段ボールに詰められたまま、最後は“お邪魔虫”で、迷惑がられながら捨てられるのだろう。しかも、しかもだよ、それは私一人の問題ではなく、全国で起きている現象ではなかろうか。“壮大な無駄”が私の前に広がったような気がしたのだった。

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2017年1月10日 (火)

衆議院の解散総選挙は?

 早期解散はないと踏まえつつ
 昨年末のパソコン故障の「私的影響」は、思いのほか大きく、とりわけ「衆議院解散総選挙」に向けた取り組みについては、その経過を得るための、11月以降の情報の収集に精を出しているが、未だ追いつくことができていない。
 そういう状況の下では、「共同行動」にも逡巡することとなり、「市民と野党をつなぐ会@愛知3区」については、ようやくメールの掘り起こしが終えた段階で、今日の、設立のための打ち合わせは欠席、14日の結成総会も微妙である。もっともその背景には、「家庭の事情」も大きく関わっている。それが落ち着くのは1月末頃になろう。それまでは「旅装を整える」ことに注力。
 それはそれとして、衆議院の「早期解散」か「秋以降」かでは、運動の立て方が違ってくる。早期解散となれば、昨年の参院選挙の経験、教訓を生かして、即選挙モードに切り替えねばならず、政党への申し入れなどのあれこれもあろうが、例えば、1月22日(?)民進党近藤昭一議員・後援会による「新春の集い」は、そのまま「決起集会」となるであろう。
 私自身は、「早期解散はない」立場だから、特段の焦りも感じていないし、諸準備も“構想”に留まったままだ。
そして、これまでの地域の動きを概観してみると、やはり30代か50代あたりまでが主流のようであり、“出番はないな”と感じること大である。こういう場合、声がかからぬうちは大所高所からでなく、自らの周辺から少しずつ積み上げる方式がよかろうと思う。その意味では年賀状の「今年、衆議院の解散総選挙があるとすれば、私は、『市民と野党をつなぐ会@愛知3区』という市民団体に加わり、近藤昭一さん(民進党・現)を応援します。そして『立憲・平和、リベラル政治』の流れに加わります。」が、その第1弾となった。
 “若い時”とか“脂がのっている時”などは、こんな慎重というか控えめには考えなかったが、このごろの内心では“作風の違いを乗り越えるのは厄介な問題”などと言い訳してしまう。
 さて、そういうことではあるが「家庭の事情」の解消を早く済ませなければ、前に進みようがない、というのが現状である。

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2017年1月 6日 (金)

いざ衆院選へ!愛知3区始動


 緑区での「顔合わせ・つなぐ会などの動きなどシェアする場」が、世話人の奔走で今日の午後に行われることになっている。
 この「つなぐ会」というのは、愛知の小選挙区全15区を網羅しつつ、各選挙区で取り組まれるネットワークである。緑区の場合は「市民と野党をつなぐ会@愛知3区」(名古屋市昭和区・天白区・緑区)となる。
 「つなぐ会」のそもそもは、昨年11月4日に開催された「衆院選での野党統一候補を求める愛知市民シンポ」を出発点としていて、当日参加した人たちによって、その場で名称、連絡先が決まった。その後「7区」がいち早く立ち上がった。「3区」については、12月10日の「近藤昭一・国政報告会」の後有志が集まり、世話人、連絡先、1月14日の「市民と野党をつなぐ会@愛知3区」結成総会を開くことなどを決めたのであった。
 さて今日の集まりについては、幾つかの理由で参加を見送ることにした。その理由を端的に言えば、「つなぐ会3区」としての諸準備ができていないことことに尽きる。「市民と野党をつなぐ」という一大目標に向かって、政党を相手に何かをしようとするのに、市民側での議論ができていないことは、「政党の論理」を拝聴するだけになりかねない。もっとも今日の場は、「顔合わせ・つなぐ会などの動きなどシェアする場」であるから、政党を相手にするわけではない、ということらしいが、「政党の影響下にある団体・個人」であることは想像に難くない。
 まあ、それでも「顔合わせ」ということで、まずお互いを知るという意味合いであろうが、私は、私自身の論理と目標、居場所(想定される役割)に目途を立てる材料が乏しい現状では、参加に逡巡せざるを得ないのである。
 1月14日の設立総会と、その直前の10日に事前打ち合わせが設定されているので、その後であっても遅くはない、ということも言える。
 なお、12月段階での「呼びかけ文」の当初案の感想・意見としてMLに「気候変動もチェルノブイリも、自分達には正直関係ない・・・」というのが書き込まれた。これには驚愕した。こういう人と私はスクラムを組むことになるのか?と落胆した。極めて限定的な個人の感想であろうが、反論がないに等しい現実に、私には、未だ喉に小骨が刺さったままといいたいわけだ。

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2017年1月 4日 (水)

男の気持ち・生き方(142)

三が日・初詣で考
 2017年が明けた2日に、孫二人を連れて「熱田神宮」に初詣でに出かけた。3日は、息子夫婦一家と一緒に伊勢に出かけ、「猿田彦神社」と「伊勢神宮・内宮」に詣でた。2年に一度くらいは、「豊川稲荷」に行くこともある。思いつくと地元の「成海神社」「豊藤稲荷」へ一人で行くこともある。
 10代で社内駅伝のメンバーであったころの元旦の朝は、大高緑地まで出かけて初練習(ハツトレ)に励んでいたこともあった。あるいは独身時代の3が日は、「京都詣で」で、神社仏閣を巡ったりしていた。
 「熱田神宮」にしろ「伊勢神宮」「豊川稲荷」にしろ、拝殿まで進んで手を合わせはするが「願」をかけたことはほとんどない。無思考である。まして「おみくじ」はひかないという“主義”に近いものがある。
 このような行動を心理学者ならどう分析するだろうか。
 私自身、深く考えたことはないが、思想、信条、宗教からは離れた衝動であるし、なにがしかの“期待も夢”も託したことはない。言ってしまえば、かなり“習慣的且つ世間的”レベルでなかろうか、と思う一方、お正月・元旦という特別(非日常)な時間、機会であるから、自分なり何かしておこうという気持ちがある程度働いているのだと思っている。
 あえて付け加えれば、そこには「家族」観も働いている気もしている。この時期(盆と正月は)だからこそ、自分だけの世界から離れて、あるいは何がしかの「価値」を見出すことはしないで、“世間並み”でいいのではないか、とも。“世間並み”は、ちょっと違うかな。“世間って何だ”と突っ込まれそうだから。“家族の意向に従う”の方が近いかな。
 熱田神宮で思い出したが、あれは名古屋労組連の時代(1980~1990年代)だったか、万博反対運動の時代(1990~2000年代)の時だったか、一度だけ三が日のうちの1日、ビラまきをしたことがあった。やってみて“野暮ったい行動”と感じて2度としなくなった。
 伊勢神宮では、4日が恒例の「総理参拝」ようで、午後は交通規制、通行規制が敷かれて、日程が合った時などに遭遇したこともあった。そういえば今年の伊勢神宮は、人出少なかったようだ。正殿前の階段下まで割とスムースに進んで、正殿前の階段でも、鳥居のある中央部分は20~30分ほど待たされたが、両脇は常に人が流れていた。
 年賀状を読み返して、あの人、この人の近況を知って楽しむのはもう少し後だ。

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2017年1月 2日 (月)

男の気持ち・生き方(141)

1年の計は、元旦でなくとも・・・
 1年は365日、1か月は30日、1週間は7日、1日は24時間という、あたりまえの時間感覚を無意識のうちに意識してきたような気がする。しかもここ数年それが顕著になっているようだ。加齢とも関係しているようにも思えるが、むしろそれは、目覚めた時あるいはトイレの中で“今なすべきことは?”とか“今日の予定、仕事は何だったかな?”をつぶやく習性によるものかもしれない。ただそれは、1日かせいぜい1週間もない2~3日先までのこと。1か月先のことは、パソコンで日録と予定を書き込み、ブログに取り掛かるときなどに確かめたりすることが多い。
 では1年間のことはどこで認識するかといえば、やはり、年の暮れ(やり残し)と年明け1週間後あたりであろうか(今年は例外で今日!)。例えば、国政或いは地方選挙があれば、間違いなく認識し、参加・参画のレベルを探ったりする。年間の定例的な行動、例えばピースサイクルやフィリピントヨタ労組(TMPCWA)支援、また団体の定期総会・大会などは、ふと忘れている時もないではないがほぼ定着している。参加の可否はあるが、安保法、脱原発などの月例・週例行動も、政治状況(山場)から再認識することがある。
 そうした諸活動とは別に、個人的な、家庭的なこともいくつかある。まず「法事」の予定などは最優先であるが、3人の兄が亡くなったので、私が取り仕切る両親の23回忌、27回忌は、ちょっと先だが入力済み。
 今年6月の中学の同窓会、秋か来年の高校のクラス会は、既に幹事を降りているので、これは連絡待ちでいい。四季雑談の会の「史跡めぐり」は、春には「信長自刃の地・京都」をもって一区切りつけたいと思っている。
 ミニ詩集は年間4号が目標であるが、詩泉の枯渇が著しいので、「男の気持ち・生き方」や「日記・つぶやき」から拾う「短編随筆集」のページを増やすなり、「ミニ随筆集」をこれに代えたりすることも出てきそうだ。
 政治・社会・労働を主とした「C&Lリンクス愛知」の発行は、現在75号であるが、もともと100号達成が大きな目標であった。しかしそれはかなわないので断念した。あきらめはしたが、やはり年間4号が目標。昨年は2号にとどまったからこれも難しいかもしれない。
  そして、なんとかしなければと多少焦りも感じているものに、資料が段ボール3箱の「ピースサイクル30年」の処理。さらに、1988年までで処理が止まってしまった「写真」の整理。たぶんデジカメを使いだした後は、A4サイズで編集しファイルしてきたので、2002年までの15年ほどが埃を被っているか段ボールの中で眠っているだろう。
  「1年の計は元旦にあり」とはいえ、むしろ「思い立ったが吉日」であろうから、2017年は、今日が吉日であり、“好スタート”を切ったといえようか。

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2017年1月 1日 (日)

年の初めに

 第1四半期の目標
 人の一生を私は、「Ⅰ:成長期・修学期(0~22)」「Ⅱ:就業・生活期(22~60)」「Ⅲ:選択的老域(60~)」といったような大雑把に分けてみた。
 すると現在の私は、「Ⅲ:選択的老域」の領域にあるわけだが、実際は53歳を期に賃金労働者から離れて「選択的」人生に踏み出した。
 そのように振り返るのは、今年は「あれから20年」という区切りになるからであり、その区切りにわが人生にとって「エポック」といえる出来事が予定されているからである。といってもそれは私的ことであるから、ここでは“つぶやき”に過ぎないのだが。
 さて、ここ数年にわたって続いている諸運動の私的な“後退局面”は、今年も“順調”に推移するであろうが、それでも“完全撤退”はない。基本的には“求められるところ、居場所のあるところ”に足を運ぶことと、“ささやかな経験、蓄積を次につなぎ、伝えること”に、偏るのではないかと思っている。具体的にそれは何かといえば、一例として衆議院解散総選挙になれば、近藤昭一氏(民進・現)を応援することであり、後者の場合、2月25日に開催される第39回ユニオン学校での「少数派労働運動(仮題)」をテーマとしたレポートである。
 この「少数派労働運動(仮題)」という課題は、私にとっては最盛期(1967年~1997年)での仕事であり、思い入れもこの地に限って言えば人語に落ちないと自負するものではあったが、その第一線から退いて20年近い歳月が流れた。資料の散逸も甚だしい。“郷愁・独りよがり”に陥らないで、どこまでレポート化できるか。依頼されて嬉しくもあったが戸惑い、不安も小さくない。(これを乗り切ったころに春がやってくるはずだ)
 もう一つは、仮に衆院解散総選挙がこの2月頃にないとすれば、次の機会は秋口から年末が考えられるらしい。衆院選挙が早期にあればあったで3月以降は、(名古屋市長選挙があるにはあるが)暫く選挙はないと考えられる。そこでこの際、政治活動に関わりつつ、「立憲・平和、リベラル政治」について少し学習してみたい気がしている。わが“勉強嫌い”の性格が災いすることは十分予想されるが、「選択的領域」にある身であれば、未完、未達で挫折することも構わないと思っている。要は状況から、目を伏せない、目線を外さない、目標を見失わないそのことにあるはずだ。
 ということでとりあえず「私生活」は別として、2017年の第1四半期(1月~3月)の予定と目標は立ったといえようか。

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